「サンタ・サングレ」1989年メキシコ・イタリア


アレハンドロ・ホドロフスキー監督 アクセル・ホドロフスキー アダン・ホドロフスキー

「僕、ついに決心したんだ。ホドロフスキーに対する沈黙を破ろうと」
「(爆)なんか、(爆)なんて切り出し方でしょ(笑)」
「(笑)ま、さ。語っても語り尽くせないのは承知してるし、ホドロフスキーの前に言葉を差し向けるのは邪道だとは承知してるけど、それでも僕も少しは大人になったし(笑)」
「いいけど、別に・・そういや昔わたしたちのシネクラブで・・ホドロフスキーのことで他の人とケンカになったのよね狩刈くんは。殴り合い。バカみたい」
「あっそんな古傷を持ち出さないで!」
「あら介抱してあげたのは、わ・た・し」
「えーと。恩にキリます・・で映画の話。ホドロフスキーのなかでも比較的入りやすいのがこの<サンタ・サングレ>
「ストーリーを言っちゃうと、要するに、壮絶な夫婦喧嘩の末に夫に殺された狂信的な母親の呪縛から逃れられない、息子の悲劇ね」
「まあ、そうだよねぇ。父親はサーカス団の団長。母親は空中ブランコ芸人で、しかもヘンな新興宗教の教祖。で、この父親、つまり夫がナイフ投げの相手をしてる刺青女とデキてるのに嫉妬して母親は二人に硫酸をぶちまけて、激怒した夫はナイフで妻の両腕をスパッと。その一部始終をトレーラーに閉じこめられたまま見ていた息子が精神に異常を来して、母親の腕代わりを勤める・・実際には母親は死んでいて、息子はただ腕のない人形と暮らしていた。すべては彼のトラウマが作りだした幻想だった、と」
「なんか、凄い決意で始まった割に、淡々と語るわね(笑)」
「ストーリーなんか、どうでもいいんだよね。この作品はホラーとか言われているし、<エル・トポ>だって西部劇にジャンルされてる。でもね、この作品は南米世界の摩訶不思議で濃密な凝縮、まるで宝石のように結晶化した密度の濃い世界だよね。しかもその宝石には真っ赤な血がどくどくと流れているんだ」
「わたしが思うのは、Gガルシア・マルケスの『百年の孤独』とかね、そのなかのひとつのエピソードみたいな感じ。あの生と死がそこいらじゅうに投げ出されて神話的にさえ思える、目眩のするようなある種の祝祭的なイメージね」
「ああ、例えばガルシア・マルケス原作の<エレンディラ>、こりゃ駄作だったけど、細部は相通じるよね。色彩感覚とかも。魔術的なモチーフも。例えばおびただしい数の蝋燭を見るだけで、なんか魔法みたいな目眩は感じる」
「ホドロフスキーは彼独自の世界ってものを作ってる。それでその世界は、特にこの作品は生死を超越した満艦飾の土俗的呪術的な世界に思うの。だから却って母親の呪縛という<サイコ>みたいなロジックが、ちょっと頼りなくて浮いて見えた。そんなフロイト風のロジックでは南米の濃厚な母系世界を支えきれてないんじゃないかしら」
「うーん。僕もね、そうは思うんだよね感覚的には。でもさっき話したストーリーと実際に僕らが見る映画との隔たり、もの凄い隔たりをどうやって埋めたらいいか、そこが分からないんだな」
「細部のイメージが、象徴的な寓意というよりもモロに具体的な現実のね。でもそれは例えばサーカスというモチーフの、猥雑でなにもかもゴッタ煮で、というところに多くを負っているバリエーション的な発想のかも。小人とか娼婦とか」
「映像に圧倒されすぎて、というかな・・意外とエモーションの深まりが少ないという気はするんだ。例えば母親が父親に殺されるところを息子が目撃する場面なんか、もっと胸をえぐられる残忍な感情があってしかるべき、なんて思う」
「その後、聾唖の女の子が刺青女に連れ去られて息子と別れ別れになる場面とかも、もっと切ない身を切られる離別、みたいな感じでもいいよね」
「そういうの、例えば<ブリキの太鼓>、これもまた僕が沈黙を続けてる作品なんだけど(笑)、あの作品に通奏する人生の哀しみみたいなものが、この作品にはない」
「ないっていうか、目指すところが違うでしょ。<サンタ・サングレ>は、わたしたちの世の中とか社会に根っ子を持ってない・・
「そう、つまり僕らには経験出来ない世界なんだよね、全てはフェニックスという主人公の個体の内面的な問題で、僕ら自身の問題に還元することがない・・という意味では、ホドロフスキーの独自性に圧倒されるばかりで、切り込み方が分からない」
「で、この作品を南米の人が見たら、どうかなって興味があるの。例えばメキシコの、復活祭みたいなカトリックの儀式って、凄いでしょ。血塗れのグロテスクなキリスト像が総天然色の花輪で飾られてキンピカの行列が炎天下の街並みを行進してみんな熱狂的にトランス状態になってる・・みたいな、わたしたちからすれば偉大なる悪趣味と言いたくなるくらいの風物。そんな風物に圧倒されてアングリって感じのわたしたちじゃなくて、そういう聖と俗の風物に慣れっこになってる本場のチリの人とかメキシコ人とか、そういう人たちがこの作品を見たら、意外にも<サイコ>のリメイク、くらいにしか思わないんじゃない?」
「ははあ・・それはそうかも。分からないけど。さっき女史が言った、この映画は世の中とか社会とかに根っ子を持っていない、っていうのは、確かに、物語の設定としちゃそうだよね。それは例えば<サイコ>がノーマン・ベイツ一人の問題で、マザコンじゃない僕らには単なる一種の症例研究にも思えるってことと同じ。ま、そこがホラー映画なんだけどね。でも、この映画は南米の文化や風物には確実に根ざしていて、それがホドロフスキーのバックグラウンドであり、実は僕らはそこに驚かされているのかも知れないなあ。<エル・トポ>の荒野とかもヨーロッパやアジアの荒野とは違うし・・少なくとも映像の色彩設計とか美のモチーフとかには異文化のルーツを感じる」
「腕のない人形にしても、南米のカーニバルとかではお馴染みの、木製の生々しい人形だったり」
特筆すべきは役者たちだね
「二人羽織の芸は見事だった・・素晴らしいパントマイム!」
「で、一方、映画のつくりとしちゃ、ちょっとセットとロケの違いが見え透いていたり、アングルが奇抜で情感が深まらない、なんてところもあったね」
「ラストのあたりは特にね。息切れしちゃったのかなあ・・結末とタネ明かしが同時に来たから、ますます、一件落着って感は否めなかったの」
「ま、今回の<サンタ・サングレ>にはいわゆるグルジェフとかの宗教の世界が希薄な分、ワケが分かりやすくまとめられちゃったキライはあって、そこがマザーコンプレックスだったのは、僕もちょっと惜しかったような気がする」
「結局、万人には開かれてない映画で、それをどう開くかは観客次第なのかも・・だからカルトってわけじゃないんだけど」
「僕はこの映画はリアルタイムで見ているから、例えばガイアナの人民寺院の事件とかもまだ記憶に生々しくて、最初に出てくる新興宗教のモチーフでずっと行くのかな、とか勝手に想像してたら話はノーマン・ベイツで、多少、はぐらかされたような気がしたっけ」
「じゃ次は<ホーリー・マウンテン>にする? 狩刈くんのケンカ話(笑)」
「なんか決意のワリには、やっぱロクなことが言えないなあ(笑)。沈黙を続けた方がいいのかも・・」
「でも今までで一番長く喋ったね(笑)」(1999.12.16)

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