「楽園の瑕」1994年 香港 

ウォン・カーウァイ監督 レスリー・チャン レオン・カーファイほか

「武侠小説の「射周鳥英雄傅」をベースに、主人公たちの若かれし頃を、イマジネーションに富んだメロドラマとして描いた・・なんてことはさておいて、僕はもう少し若い頃に見ていたら、この映画に完全に打ちのめされたと思ったな」
「ま、北斗の拳、というか、うん、武侠小説ね、超能力者たちがチャンバラするお話」
「おいおい(笑)、水を差すなよ」
「荒唐無稽な小説世界って、どうも好きになれないのよ、なんかいいように人間の苦悩が操られているっていうか、作り物めいた雰囲気?が隅々にまで浸透してるから、入り込めないの。どんなに切ない場面でも、醒めて見ちゃう」
「実話ならいいわけ?」
「実話でなくても、リアリティがあればね。唐突な比較だけれど<惑星ソラリス>とかさ、全くSFだけれど、人間の苦悩を正面から捕らえている。そういう真剣勝負が、何故かこの映画には感じられない。砂漠とか海原とかを背景にメロドラマを作りましたって感じがしない?」
「しない(笑)。いや、する(笑)。荒涼とした風景の中のメロドラマという指摘は、同感だな。映像はどこまでもフォトジェニックに美しいし、光や影、炎といったアイキャッチーな画面の連続で、これは大スクリーンで見ると本当に感動する」
「それはきっとそうね。でもワケがわからない」
「ま、メロドラマかというと、僕はただそれだけじゃないと思うな。荒涼とした砂漠、雄大な自然を背景に、人間の命がけの感情、つまり愛とか誇り、哀れみ、悲しさといったものが、虚飾無く描かれてる。剥き出しの砂漠と釣り合う程に、赤裸々に、極めて素朴で率直に描かれている。洗練された映像と脱構築の構成が描いているものは、古代の、未開とさえ呼べそうなほどに純朴な人間の内面だと言えそうな気がする。今ほどに複雑な世の中でなかった頃、人間の情感というのはきっともっと単純で、だからこそ却って悲しみや悦びの一つ一つは今よりも遙かに大きくずっと強烈だったはずだ」
「その古代はパゾリーニ的な文脈だわねぇ」
「そう。僕はパゾリーニの、例えば<奇跡の丘>とか<王女メディア>とかを思ったんだ。でもパゾリーニ作品は西洋世界観でこれを詰めている。つまりギリシャ悲劇とか福音書とか。それに対して、この作品は実に東洋的。そこが世界の一部(笑)にウケたんだと思う。もっとも僕は東洋人だから、少々鼻につくこともあったけれどね」
「例えば<紅いコーリャン>みたいに、ただ風が吹くだけで何かを語らしめるようなシーンが多かったわね」
「そういう演出はちょっと見慣れすぎちゃってるから・・。もっと若い頃に見ていたら、とさっき言ったのは、そういうこともある。でも作品の東洋的世界観に貫かれた物語の積み重ねは素晴らしいと思う。レスリーチャンは狂言回しだから、そうした物語の周囲をややシニカルに回っているだけだけれど、各々のエピソード、特にトニーレオンのエピソードにはヒロイックな反面で無常観が色濃くて、それがレスリーの傍観者的な視点と響き合っている。最後はレスリー自身のエピソードになるけれど、物語は次第にメビウスの輪状になっていって、映画の最初に返る。始まりも終わりもない。ただ砂漠に風が吹く。そして確実に時は経っていく。経っていくが、止まっている。そこには東洋の神話的な悲劇があって、それが映像詩になりえてると思うな」
「随分と絶賛だこと」
「(笑)じゃ、<大英雄>に行こうかな」(1998.6.3)謝々>あゆか

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