「ポーラX」1999年 フランス・ドイツ・日本・スイス


レオス・カラックス監督 ギヨーム・ドパルデュー カテリーナ・ゴルベワ

「<ポン・ヌフの恋人>から何年たったんですって?」
「知らない・・けど、この間、カラックスは<ポン・ヌフ>のセットで焼き栗を売ってた、って話だ(笑)」
「(笑)悪意入ってるねぇ。狩刈くんはもともとカラックスに対してツラク当たるのが得意だったけど(笑)」
「まあ、彼とはほぼ同世代ということもあって、ヤッカミ半分、てな感じもあるな(笑)」
「で、この映画・・最初にひとつ確かめておきたいんだけど、あのイザベルって女の子の父親は実際のところピエールの父親じゃなかったのよね?」
「あー、僕もそう思ってる。要するにまずこれは世間知らずのブルジョワボンボンが、姉と称するサラエボ避難民の女に騙されて、すべてを失う、っていう話。カラックスらしい混迷した話だと言えばそうも言えるし、もっとシンプルに語るべきだったという気もする」
「『白鯨』の作家、メルヴィルが原作ね」
「僕はメルヴィルのゴシック・アメリカンな小説が大好きで、カラックスがあの原作に現代ヨーロッパにつきつけられた苦悩を持ち込んで、どんなに生き返らせてくれるか、それは楽しみだったんだ・・・」
「あ・・」
「なに?」
「久々の狩刈節で、なんか(笑)今回は長くなりそうな予感(爆)」
「言われちゃったよ(笑)。じゃ、長々とやらしてもらおっと。僕にとって、この映画の見どころは、同時代のヨーロッパ人たち、フランス人たちが負っているサラエボだのユーゴだのコソボだのの内乱、戦争の衝撃と動揺が、もの凄く個人的で個体的な問題として真摯に受け止められてる、ってところなんだ。予告編にもなっていたオープニングの爆撃シーンでね、僕は、カラックスも一皮剥けた!これは傑作に違いない!って誤解しちゃった」
「これまで、このコーナーでは<パリ、18区、夜>や<パリ空港の人々>で、パリに流れ込んでくる移民たち不法滞在者たちを見てきたんだけど、それと同じ視点で、ってことね」
「そうなんだね、で、それは僕ら日本人にはついぞ理解しえないような、現代の大きな歴史的な課題であって、そこを踏まえてこそ、イザベルという避難民とピエールというボンボンの切迫した運命的な恋愛関係を考えるべきだと思うんだよね」
「象徴的っていうかしら・・最初、イザベルはピエールの夢に出てくるのね。それはピエール、というか西ヨーロッパ人一般にとって、無意識のうちにも切迫して黒々としたものになっている東ヨーロッパの悲劇、という意味合いね」
「で、二人は姉弟関係となって、けれどピエールはイザベルを妻に仕立てて、大都会パリに姿をくらます、というあたりは、僕はいいな、旨いなって思ったな」
「後ではピエールはフィアンセのことを従姉妹だ、なんて仕立てるのよね」
「それと響き合ってるのかどうか分からないけど、少なくとも姉弟より妻の方が世間体がいいんだね、ピエールとイザベルの二人の場合は。で、それってピエールが、イザベルつまりサラエボの悲惨を、ヨリ個人的に個体的に、自分の人生の一部として取り込んでいこうとする、そんなメンタリティを感じさせた。それに比べると、同じくフランスのブルジョワ娘であるフィアンセは、所詮、従姉妹くらいのものでしかないんだよ」
「はあはあ・・なるほどねぇ。そういう、なんていうか元政治学徒の狩刈くん式解説を聞いてると、この作品も、なんだか奥が深いような(笑)・・でも、その奥にあるものが本当にわたしたちに伝わってくるかというと、ちょっとねぇ」
「見識あるヨーロッパ人ならば、これはすぐに、感覚的に見抜くと思うな・・でも僕ら日本人の場合はね。まるで理解できない遠い世界の物語だろうな」
「いえ、日本人云々というよりもカラックスの映画作りとしてね、なんていうか、彼の作品は、コレすべて彼の観念に収まってるでしょ・・すべては彼の頭の中にしかないって気が、わたしはいつもするの」
「うーん。まあ<ポン・ヌフ>にしても<汚れた血>にしても、確かにそういう観念的な、頭デッカチの部分はあるし、むしろそれを取り除いちゃったらカラックス映画には、あまり残るものがない(笑)」
「そこは好き嫌いの範疇かも知れないけれど、わたしは、もしもよ、この映画が今、狩刈くんの言ったようなテーマを中心的に背負ってるんだとしたら、もっと人生とか、日常的な現実とかをしっかりと見つめて、ある意味では情緒にも訴えるような本当の骨太ドラマを作った方がいいって思うなあ」
「彼独特のスタイリッシュな映像設計がね、ドラマツルギーを排除しちゃうしね、なんでこんなカットを入れるんだろ?って思うくらいに幼稚で目障りなカットがあったりして、語り口は無造作の極みだしね・・彼の映画は僕にはいつもタイクツなんだけどね」
「また段々とツラク当たってきたわね〜〜」
「いや、ここからが本題で(笑)。多くの批評家は、この作品を堕落とか破滅といったキーワードで見ようとしてた。けれど、それは一面的でしかなくて、それじゃドヌーヴはなぜにあれほどまで事態を恐れているのか?彼女はいったい何に怯えているのか? 高名な外交官の家庭崩壊、旧家の堕落かい? そんなことではこの映画は今、20世紀の最後になって作る値打ちはありゃしない・・少なくとも観る値打ちはない、と、僕は思うなあ」
「まあ、大方の見方としちゃ、息子一途のグレートマザー的な母親の愛がドヌーヴの死を早めたことになるんでしょうけれど、そこを狩刈くんは・・」
「それは西ヨーロッパにあっては一種のタブーみたいなものかも知れないけれど、冷戦後、依然として東欧に対して重荷に感じる、ドヌーヴに限らない現代西ヨーロッパ人の言うに言われぬ苦悩と不安と混迷、そこをキチッと打ち出してこないカラックスの態度が、僕は気にくわない。『僕らはもっと深く降りていかなければならない』って宣伝文句が泣ける・・そこは女史の言ったとおり、骨太のドラマであるべきだった」
「というか、それは西ヨーロッパ人カラックスの限界だったのかも・・ところでカラックス映画って、まあ無意味で目障りかどうかは別にしても、なんか大雑把な演出、ザツなカットがたまにあって、アレッ?って思うこともあるの・・<ポン・ヌフ>の最初の浮浪者たちの収容所の場面の描き方とか、<汚れた血>でアレックスがワクチンを持ってエレベーターから降りて警官たちが銃を向けるところとか」
「なんか、トーンがバンラバンラに思えることもあるよね・・今回も不必要なシーン、例えばゴルフの場面とか、ピエールの出立の後でフィアンセがベッドで号泣してるカットとか、テレビ出演が失敗した後で自分の写真が掲載された新聞が側溝に流れてくるとか・・なんでこんなカットを入れる監督が神童扱いされたんだろ?全く、愚鈍な映画作りだ」
「あらあら、そこまで言っちゃって(笑)どうもこのコーナーは『辛口』だって思われてるらしいんだ・・ま、わたしも毒づいちゃうこともあるけど(笑)」
「いや・・つまり、そういう下書きめいたシーンがあるからこそ、カラックス映画はいつも観念的で、本当の完成作品は彼の頭のなかにしかない・・という意味で、やはり彼は、よく曲解されるように、ゴダールに一番近いように見えてとても遠い映画監督なんだろうなあ」
「それ、ホメたつもり?(笑)。最初、登場人物たちは一様に白いシャツやブラウスを着ていて、後半になるとグレーとか黒。発想が単純・・」
「父親の形見のオートバイがだんだんポンコツになっていく、なんていうのも、もしかしたらカラックスにとっては重要なメタファのつもりなのかも知れないしね」
「あの前衛音楽カルト集団はワケが分かんないし・・子供が死ぬ意味も・・従兄弟の態度豹変も紋切り型」
「カラックスだけが真意を分かってる。でも分からせようとしないんじゃなくて、分からせようとする方法が、実は観客をバカにしてるか自分に酔ってるか、って感じでね、血の奔流に流されてく幻想シーンとかね、いちいちご丁寧でね、映像は綺麗かもしんないけど、セリフは全然ダメだし」
「いつかも別の映画で話したけど、映像が綺麗で、スタイリッシュなカット繋ぎとかをやられて、しかも紋切り型のセリフをぶつけ合ってるだけだと、観客はもうドラマのなかには入っていけなくて、主人公がどんなに苦しくて悩んでいても、なんか全然共感できなくて、傍観するしかないの。かえって監督がシニカルに投げ出してるような感じさえするし・・今回もそんな風に、わたしは思ったし」
「俳優たちもね・・学芸会でね。まあ芝居をさせる映画じゃないけどドパルデュー君も大根だし。一応ポッと出の作家には見えたけど・・ただ今回はブルジョワボンボンが主役なんでドニ・ラヴァンのカエル顔は向かなかった・・」
「<パリ、18区、夜>でも移民の役をやった、お化けみたいなカテリーナ・ゴルベワがたどたどしいフランス語で、切ないボキャブラリーで長々と喋る、あそこは聞いててツラかった」
「彼女のキャスティングにはもっと世間は注意を払うべきだね・・それにしても長いよね、彼の映画は。全体に彼の才気まで僕は否定できないもどかしさがあるけど(笑)」
「もっと沢山作って、なんか、彼の映画に慣れる、っていう環境があったらねぇ、少しは」
「それはイヤだな・・単に映画を短くすればいいんだ」
「というと?」
15秒のTVCMを作ればいいんだよ」(2000.11.30)


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