「気狂いピエロ」1967年フランス

ジャンリュックゴダール監督 JPベルモンド Aカリーナ

「これはねぇ、ちょっと僕に喋らせて」
「なによ狩刈くんいきなり」
「いやこの映画ばっかりは女史の毒舌はお呼びじゃない。恥ずかしながら僕の生涯の一作なんだから」
「なんで恥ずかしながら、なの?」
「え? いや・・だってゴダールが生涯の一作だなんて、なんか恥ずかしいだろ(笑)、当たり前すぎて人にはあまり言いたくない」
「それは愛が足りないのよ、映画への愛が! それともゴダールへの愛、かしら」
「ええと(笑)。確かに不思議なことにゴダールという人は愛されていないような気がするな、映画でなく彼という人がね・・それはともかく、この映画、まずは鮮烈な映像。驚くほどにダイナミックなシーンがある。例えばGSで車を盗むところで特に必然性もなく車が台車の上でぐるりと一回転する。例えば<未知との遭遇>でマザーシップが山頂で一回転するだろ、あれと同じでこれは映像表現固有の魅力だな。あるいは事故に見せかけて車を爆破させるところで、高架になった道路がズームアウトしていくとなんのことはない、建設中なのか解体中なのか知らないけどその高架道路は途中で途切れているといった人を食った映像。だけどそのまま送電線が遠くの空に続いていって・・旅がまだまだ続いていくことの予感。さらには言わずもがなの色彩感覚。Aカリーナの赤いカーディガン。ベルモンドの真っ青なペンキの顔。ざらざらしたリヴィエラの大陽。まだある。音楽だな。唐突にベートーベンの運命のフレーズが出てきたり、ダンスホールでのけばけばしい音楽、そしてAデュアメルのテーマ音楽。絶望的で甘美に寄せるさざ波、うつくしい弦楽!」
「なんか熱でもあるみたい、大丈夫?!」
「・・僕は正気だ・・」
「科白とかストーリーとかが問題でなく感じる映画ね」
「そうなんだ、いちいち理解しようとしちゃいけない。科白も引用が多いけれど、それはコラージュなんだ。原典なんかあえて知る必要はない。音楽と同じで、その中に漂うべきなんだ」
「けれど結構、政治的なメッセージもあるんじゃないの、ベトナム戦争とか米ソの宇宙開発とかにも触れたりしてる」
「ああ。けれどそれは本質的な問題じゃない。いや公開当時はそれは本質の一部分を背負っていたかもしれないよ、フランスはベトナムや米ソ対立に対して固有のポジションをとってたから。ベトナムや冷戦の閉塞状況から倫理的にアナーキズムに逃走を図る、その後先考えない破れかぶれさ、というメッセージには、多分当時の観客は深く共感したろうな。けれどそういうかつての政治的な文脈は今となっては捨象しても構わない。捨象というより、それらは僕らを取り巻く閉塞状況の暗喩であって、今の僕らもまた別の閉塞状況に窒息しているのだとすれば、映画の描くアナーキーな脱出はテーマとして今も確実に存在してるわけだ。若さとは周囲に閉塞を感じることだ」
「それでロマンチックとはいえ悲劇的な破局を、恋人たちは迎えるのね」
「それは<勝手にしやがれ>以来のゴダールのロマンチシズムでもあるね。彼が愛した作中人物は大抵死んでしまう。死に向かって生きる、ということだよ」
「ま、あたしはあんましゴダールって好きじゃないんだ、観客を選ぶしね。それはともかく、こういう映画を見ると、映画ってやっぱりスクリーンの上の光の染みとスピーカーからの音響で出来てるんだなあって思う」
「それは! 僕が言おうと思ってたのに!」(1998.4.30)

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