「自由の幻想」1974年フランス


ルイス・ブニュエル監督 ジュリアン・ベルトー ミレナ・ヴコティッチ

「18世紀の夜中、ナポレオン軍の銃殺場面から始まるこの映画は、現代の明るい動物園で、警官隊による発砲シーンで終わる・・というわけで見事に円環が閉じられるわけね」
「ただその円環にはあちこち枝葉が伸びていて、映画は勝手にそっちの枝葉を追っていっちゃう。いわばロンド形式。そのせいか、この映画は凄い発想の連発にもかかわらず、奔放で滅茶苦茶な作品という感じはしないね」
「例によっていちいちのエピソードについては割愛するけど、お気に入りの話としちゃ、わたし、旅籠に泊まった少年と叔母さんのエピソード、あそこがなんか気に入ってるの、一番普通なのになんかすごく幻想的」
「見たところ50過ぎの叔母さんと18歳くらいの甥が、駆け落ち同然の逃避行をしてる挿話だね。確かに一番普通だ。でも現実には全然普通じゃないよ!(笑)」
「あっそうか(笑)」
「以前<ブルジョワジー>の時に、現実と現実認識のズレって話をしたでしょ。女史はそのトリックにひっかかってるよ」
「うーん。でもね、あの叔母さんの心の動きとか、すごく密度が濃くて、エモーションの深まりがあるの」
「僕が好きなのは、そうだなー、どの場面も好きだけれど警視総監と妹のエピソード。アドリアーナ・アスティの、全然脈絡のない全裸(笑)。あれがあるから続く墓荒らしの期待がかかるわけだ。ほんと、ブニュエル映画のエッセンスがギュッと詰め込まれていて、それぞれのエピソードごとに一本の映画が作れるくらい」
「例えば<小間使いの日記>で、殺人犯人と知りながら婚約しちゃうとかいうのも、この映画のセンスよね。ただ、それじゃ今回の作品は今までの総集編か、というと・・」
「そうじゃなくて、なんか新しいことをやってる。欲望はどこに転がっているか分からない、みたいな、セクシュアルなものが日常の亀裂から垣間のぞけるっていうか。それってやっぱりフェチの世界みたいだけどさ(笑)」
「そういうセンスは確かにベースにはあるのね。でも『自由の幻想』っていうタイトルの意味するところはフクザツ。自由っていうのは幻想に過ぎなくて、体制の抑圧にねじ曲げられてる、みたいな。神父たちはカトリックらしく聖人たちのゴシップに花を咲かせたり(笑)。警察学校では職務のために楽しい悪ふざけが中断されたり」
「僕はまた、その反対っていうかな、自由っていうのは体制の抑圧が無くては成立しない、みたいな感じも持つんだよね。どんなに抑圧されていてもアナーキーな幻想は自由につながる、みたいな。狙撃犯の話なんかは特にそう思う。でも誘拐された女の子の話とかは、なんなんだろね(笑)。だから多分女史の言うのともフクザツに絡み合ってるんだろうね」
「医者が末期ガンだとか言ってタバコを勧める話なんかもよく分かんないし」
「あの医者ね、なぜかパゾリーニ医師っていう役名なんだそうだ(笑)、理由は分からないけど」
「全体にブニュエルのほくそ笑みっていうか、してやったり、っていう笑い声が聞こえるの。特にあのダチョウのラスト!印象的ね」
「あのダチョウは僕ら観客自身だよね、銃弾が飛び交ってるなか大きな目をギョロキョロさせて、なんなんだ?って顔してる。そこにクレジットが下から出てきて、ほとんどモンティパイソンの幕切れみたいだ(笑)」
「それにしてもどのエピソードの素晴らしくチャーミング。でも登場人物は、わたしや狩刈くんであってもおかしくないくらい、ものすごく日常的なのね」
「だからこそ、そこで起きてる事件に僕らはバチッと直面しちゃう、これは最高に密度の濃い寓話であってシュールリアリズムの本懐だね」(2000.4.11)

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