「父 パードレ・パドローネ」1977年 イタリア



パオロ・タヴィアーニ、ヴィットリオ・タヴィアーニ監督 オメロ・アントヌッティ ファブリツィオ・フォルテ ナンニ・モレッティ

「イタリアの肝っ玉母さんはよく映画で見かけるんだけれど、今回の作品は頑固一徹オヤジの映画
「わたしはこれ大昔に見たんだけど、まあ、なんていうか入り込めなかったのね」
「僕もそうだなー、実は今回もね、なんか入り込むっていうよりはただ眺めてるって感じの映画でね、でもそれでいてすごく分厚い力を感じさせる。重たい感銘がある」
「以前<サン・ロレンツォの夜>をとりあげた時にタヴィアーニ兄弟の最高傑作って話したんだけど、あれは反戦、平和、そして家族愛が描かれていて素晴らしくヒューマンな感動をくれたの。ドラマがあって、エモーションが豊かで、登場人物それぞれが愛すべき人たちでね。でも今回はちょっと・・」
「とにかく頑固一徹の羊飼いのオヤジがいて、突然、息子ガヴィーノを小学校から連れ戻して、今日からお前はヒツジの番をするんだ、とかで始まる。そして以後、父親は封建的で前時代的な家父長権威のもとに息子ガヴィーノを抑えつけるばかり
「それで息子は段々と家業に嫌気が差して、父親の強制的な取り決めで軍隊に入って初めて勉強するようになって、ついには言語学で学位を取って、そして自分の父親のことを本に書いたらベストセラーになって、それがこの映画の原作です・・っていうのね」
「あの、原作者自身が登場するイントロダクションはいいよね。あれがあったから、映画を見てる間も、まあどんなにヒドイ境遇に陥ってもこの少年にはゆくゆくはベストセラー作家の地位が確保されるんだな、ハッピーエンディングなんだな、って安心して見ていられる。それがなかったらかなり辛い展開だったかもね」
「そうね。どうしてあの父親がああいう頑固者なのかは、特に描かれていないの・・でも実はあの父親だけが特別じゃないらしくて」
「サルディーニャの寒村ではみんなこうだ、貧しい島の羊飼いたちはみんなこうだ、っていう描き方なんだよね」
「それにしてもすっごい寒村だった・・」
「時折、タヴィアーニ監督らしい土俗的でユーモラスな感じ、まったく『農民文化』、なんて言い慣れない言葉を思い起こさせるような場面もあってね。凍り付いた山羊の乳がシャーベットに早変わりしたり、ヒツジが乳搾りのバケツにフンをして、急に話し出したり」
「それとあの、初めてガヴィーノが音楽、アコーディオンと出会うシーンなんか、とても良かったと思う」
「初めてヒツジとアヘアヘやる場面なんかも」
「(笑)あら、イヤだ」
「まあ実際のところああいう環境だったらヒツジやロバとアヘアヘするのがトレンドなんだろうな(爆)っていうか、これはまあ性欲の寒村的謳歌、って感じなんだろうね」
「時々響き渡る、ブォオーンっていう音は、なんなのかしら」
「なんだろうね・・不思議な、メルヘンぽい感じがした。<ブリキの太鼓>でビョンョンヨンヨン、なんてスプリングの音がするのと似て、非常に土俗的で、それでいて何か荒涼としたものを感じさせる効果音だったよ・・」
「で、映画全体としては、こういう父親がいました、わたしはこうして育ちました、っていうだけの映画で、特段ほかの何かを語ってるようには見えないんだけど、だからかえって、映画を見てなにかを体験した〜っていう気持ちにはさせられたよ。カンヌのグランプリ作品だけど、カンヌとは目と鼻の先のサルディーニャの現代を描いて、観客たちはどう思ったのかしらねぇ」
「まあ女史がよく言うように、これは主に個体に従属したドラマで、僕ら観客は共感するというよりただ成り行きを見守っているだけ。その意味では入り込めないんだけど、それが却って冷静に、客観的に、登場人物の人間像、特に父親と息子の関係をつぶさに見て取れるような、そんな作りなんだね」
「息子を殺そうと家まで走って帰る父親を長回しで撮りながら荒野にモーツァルトのクラリネット協奏曲が響き渡るなんて、ただそれだけで映画的な感動だなっていうふうに見てたんだけれど」
「ああ、あそこも良かったね。一般論に拡大解釈できない、なにか非常に個体的なエモーションがグッと胸に迫ってくるような感じでね・・移民のために港に向かうトラックのなかで少年たちが故郷にツバ吐く場面とかも良かった。全体に骨太な描き方で、だからこそ民衆的な力強さ、直線的な図太さがとてもよく伝わる」
「最後の最後に主人公ガヴィーノの背中の大写しで終わるこの映画は、語呂合わせじゃないけれど、どこか観客に背中を向けてるような感じもあったの。でも親の背中を見て育つ、って言葉もあるように、どこかヒューマンな、いえ、安直な人情モノに落ちないヒューマンな眼差しがあって、だから救われたよ」(2001.10.24)

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