「オセロ」1958年モロッコ・アメリカ・イタリア・フランス


オーソン・ウェルズ監督 オーソン・ウェルズ

「まったくもってオーソン・ウェルズの映画ね。画面は暗い芝居がかってる奇抜なアングルがあって超長回しがあってと、独特のスタイル。小気味良いとさえ思える・・」
「そうなんだね。彼の映画が好きな人は多分、あのユニークな映画作りが一種の快感になってるんだよ。で、それに馴れない人にはもうダメ〜〜っというアクの強さ(笑)が魅力なんだ」
「最近のハリウッド映画とかを見て映画を見たと思ってる人は『ダメ〜〜』って感じかも」
「そこまで言う?(笑)もっとも今回の<オセロ>はウェルズ作品のなかでは比較的地味だよね、というか彼はもっぱら<市民ケーン>の監督にして『家出のドリッピー』のナレーターとして有名だけれど、彼がどんなにシェイクスピア劇を愛し、画期的な上演を手がけたかは今となっては数多くの伝説に埋没しちゃってる・・例えば彼は全員が黒人のキャストで『マクベス』を上演してる。マクベスは映画版もあるし、さらに<フォルスタッフ>なんてのはシェイクスピアのヘンリー史劇総ざらいだし」
「ところで、今回の<オセロ>はカンヌでグランプリをとってるのね。たまたま撮影場所がモロッコだったんでモロッコ映画として出品したらグランプリを獲っちゃって、授賞式の時に誰もモロッコ国歌を知らなかった、なんて伝説もあるくらい・・」
「僕はこの映画、すごく好きでね。というかオセロという物語自体が好きなんだよ」
「狩刈くんはイアーゴに感情移入しちゃうタイプね(笑)」
「一心同体というかね(笑)」
「物語はあまりにも有名なんで端折るけど、ヴェネツィア海軍の将軍オセロはムーア人で、ヴェネツィア随一の美人デスデモーナと駆け落ち同然に結婚する。それを妬んだのかナンなのか分からないけれど、部下のイアーゴが企んでオセロを破滅させようとする。彼はデスデモーナとオセロの副官キャシオとが不倫してるとでまかせ言って、逆上したオセロはデスデモーナを殺し、企みの一件が明らかになるとイアーゴを呪って自殺する・・」
「なんでイアーゴがオセロを陥れようとするのかが分からないんだよね・・っていうか、これは映画の話でなくシェイクスピア劇についてもケンケンガクガクの議論と研究を招いてる謎なんだけれど」
「映画でもオセロは『なぜオレを陥れた?』と訊ねるの。でイアーゴは『分かっているはずだ!』と答える・・この緊張感が素晴らしかったね」
「ま、イアーゴの姿は人間性の悪なるもの、それも性悪説みたいに全然いわれのない悪なるものを描き出してる、なんて言われることも多い。それに対して逆にオセロはなぜあんなにもたやすく騙されるのか? これまた別の謎で、不思議なんだ・・」
「オセロっていうのはとにかく戦争ばかりに明け暮れていて、女心とか男女の機微とかに疎い、そういう男の姿を極端に描いたものだとも言われてるのね」
「あるいは、実は彼はムーア人という自分の出自に対して劣等感を持っていてね、デスデモーナと結婚したはいいけど内心では彼女の浮気をとにかく恐れていた・・なあんていう研究者もいる。というわけで色々な解釈が出来るこの映画では、Oウェルズ自身のオセロもいいけれどイアーゴ役の俳優がまた実に良かった。実はこの物語は彼が主人公でさえあるんだからね・・」
相変わらずウェルズ作品は、こういう人間性の、言うに言えない悪、みたいなものが中心に据えられていて、<黒い罠>でも悪辣な刑事が主人公だし、<ケーン>にしたって主人公は決して好きになれないタイプ(笑)。<アンバーソン>だってそう。そういう複雑な人間像がこれまた複雑な画面設計で描かれると、なんていうか、幾何学みたいなね、すごくモダンな感じがするのね。モダニズムのモダン、ていうか」
「そうだねぇ・・イアーゴとロドリーゴがキャシオを殺す場面がなぜかトルコ風呂だったりするんだけど、実はこれ、金がなくて衣装が揃わないので仕方なく風呂の場面にしちゃったとかいう『伝説』もある」
「なにしろウェルズ映画は金策との闘いばかりね(笑)。撮影は中断につぐ中断。この映画もオセロがパッとこちら向いたモロッコでのシーンの次のシーンは一年後にイタリアで撮った、なんていうのがザラだというくらいツギハギで出来てる」
「だからこそ、というのはヘンな言い方だけど、女史がさっき言ったような幾何学的というのかな、なんかハメ込み式のパズルで出来てる感じが、彼の映画にはいつもつきまとうよね」
「でも全権委任されて作った<ケーン>にしてからが、そんな感じもするし」
「ま、色々な意味でインディーズの先駆けみたいなところもあって、だから興味が尽きないよ、彼の映画は」
(2001.10.1)

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