「鬼火」1963年フランス

ルイマル監督 モーリスロネ

「モーリスロネ!」
「ああ、彼が亡くなったと聞かされたとき、真っ先に自殺したのかと思ったのよ、それくらいこの映画は強烈だったの」
「彼の個性が何とも言い難く実に繊細に描き出されているよね。以前はそうでもなかったけれど、30過ぎてからこれを見たら、僕はちょっと・・(笑)身につまされた。骨身にしみるというか」
「うん、染み入る小品だわね、<死刑台のエレベーター>の方が有名かもしれないけれど、個人的にはわたしはこちらの方が好き。アル中青年が禁酒生活のうちに意固地になって友人たちを遠ざけてしまって孤独に陥る映画ね」
「ま、そういう見方はあるけれど(笑)僕としてはさ、30過ぎてかつての仲間たちがまあそれぞれに屈託なく生きているなかで、一人、自分のことを人生の抜け殻みたく思ってしまう、そういう屈託ある(笑)男のじれったさ、みたいな部分で共感するし、それが生き急ぎ、せっぱ詰まった苛立ちとして描かれているだけで、なんか大義名分を振りかざさない、そういう謙虚な作風が・・身につまされる(笑)」
「さっきからそればっかり(笑)。鼻歌歌いながら新聞を切り抜いたりタバコの箱を積んだり、そういう無為な療養所生活のディテールで語らしめる部分の多い、比較的寡黙な映画って感じで始まるのね。途中、かつての友人と再会するけれど彼は心動かされない。特にJモローたちボヘミアンみたいな詩人とかが出てきても、結局は俗物で、それは最後のあたりに出てくるブルジョワたちと同類なの。彼らを前にして、すごく息詰まってる感じがモーリスロネから痛いほど伝わる、それでお酒を飲んじゃう」
「そうそう、酒を飲むと、途端に雨が降ってきて車の走り回る大通りをフラフラ徘徊して画面は一気に暗くなってさ・・ま、あのあたりは<エレベーター>の演出をまたやってるなってかんじだったけど、それでも胸に迫ってくるものがあったよねぇ」
「最初に女が言うじゃない、あんたにはそばにいる女が必要なのよって。なにをするかわからないからって。そういう危うげな男をやらせたら彼の独壇場だと思うの」
「(笑)ずいぶんとご執心だねぇ」
「そう(笑)タイプなんだ、実は」
「ま、モーリスロネは置いといて、彼の演じるアランという人物だけれど、僕が共感するのは、例えばスタンドバーに入ってイギリスタバコを注文する。ない、と言われると、困るね、と切り返して今度はアメリカタバコを注文する。そういう人生に対する些細で大きいこだわりっていうかな、それって実は幼児的っていうか子供っぽいっていうか、なんか大人になり切れてない状態をありありと伝えると思うんだよね、お気に入りがないとふてくされるみたいな」
「一種の、いわゆる永遠の少年、みたいなね、モラトリアム人間みたいな感じかしら?」
「うーん、そこまで断言は出来ないけれど、大人になるって何なんだかも分からない曖昧な言い方だけどさ、結局、自分を欺けないまま30過ぎちゃった、気が付けば女には逃げられるし自分はアル中だ、友達はみなそれぞれうまくやってるのに俺だけ置いてけぼりだ・・っていう症候群。平凡に凡俗となれない、けれどかつての理想を今更追うのも口幅ったい、俺は一体どうすりゃいいんだ、って感じが・・」
「狩刈くんの骨身にしみる、わけね(笑)」
「まあ(笑)そうだ。だけどそういう人生が敗残者かというと決してそうじゃないし、情緒に媚びない映像の淡泊な視線、それがあるからこの映画はいつまでも新鮮で、新しい観客の共感を勝ち得るんじゃないかって思う。こういう、何をやっても面白くない・・っていう精神状態を描いた映画というのは珍しいというかな、それがルサンチマンみたいな恨み辛みの末に舌を出す破れかぶれではなく、ひたひたと淡々と描かれてる」
「特にEサティの音楽ね、グノシェンヌやジムノペディ。始まったのか終わったのか分からないようなピアノソロ」
「これもまた胸にしみ入る(笑)。この映画は、本来ならすごく閉塞して出口なしの状態にも関わらず、どこか突き抜けてる。それも開放感というよりは透明感で。そういう意味でサティの音楽は大きく貢献してると思う」
「それは例えば、熾き火の熱い炎を思い起こさせるブラームスで情熱の燃え上がりが暗示されていた<恋人たち>と同じくね。マル監督は本当に音楽の使い方が上手かったと思うわ」(1998.11.28)

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