「O嬢の物語」1977年フランス

ジュストジャカン監督 コリンヌクレリー

「たまにはこういう映画もいいねぇ」
「(笑)そうでしょーねぇ(笑)」
「僕は誉れ高い原作を読んでないんだけど、女史は?」
「読んだ。高校生の時かな、なかなか感動したよ、今初めて読んだなら、ま、こういう世界もあるかって感想だと思うけど、ね。解説で渋澤龍彦も書いているけれど、これは究極の恋愛小説でもあるし一種のヒロインのビルグンドゥスロマン、つまり魂の成長物語というかたちにも読めるのね」
「で映画になるとソフトポルノか。<エマニエル夫人>の成功に気をよくしてもっと刺激の強いやつを作ったというかんじかな」
「まあね。原作の持つ気品というかフランス文学の香りーっていうか、そういう雰囲気はまあ望めないの。文体とか言葉遣いから醸し出される幻想的な世界は、映像とは全然別の表現ね、ま、それはこの作品に限らず文学作品の映画化にはつきものだけれど」
「でもポルノとしては実は<エマニエル夫人>ほどアヘアヘって感じじゃなかったな」
「原作は全然アヘアヘじゃないよ(笑)」
「あっ、そうなんだ(笑)」
「この映画を作った視点は、やっぱり男の視点だなって気がするのね、うまく言えないけど、原作はなんかヒロインとともに読者が体験していくっていうか、読み進めていくに連れて読者の体験が深まっていく、そういう描き方になってるのよ。それに比べて映画は結局体験でなく見せ物になってるっていうかなあ」
「まあ映画ってのは見せ物でしょ」
「うーん。例えば中半でエリックとかいうヒロインに恋してしまう男の子が出てくるでしょ、でヒロインは打たれていてってシーン、あそこでヒロインの姿にズームみたく寄っていくじゃない、ああいう視点、映画の作りというのは、ヒロインを見せ物にしてる、観客は冷静にというか傍観的に眺めていられるだけエモーションは低くなる。本来ならヒロインの背中からエリックをズームしていく、そんなような場面のはずなんだけど」
「ああ、分かるような・・もっと一人称で描くべきだってことかな」
「そうね、ナレーションとかもヒロインがわたしは・・って語るとしたら大分雰囲気は違っていたわね」
「宇野鴻一郎みたく?(笑)」
「知らないけど」
「役者はどうだろ」
「主演のCクレリーは、わたしのO嬢とはちょっと違ってたよー、わたしはこの物語のヒロインっていうのはもっと線の細いような、そんなに美人じゃない感じ?例えばCゲンズブールみたいな、そういう女の子を想像してた。そういう女の子が一連の体験を経てどんどん綺麗になってく、どんどん輝いていく、みたいなね」
「あんまし肉感的でない感じ?」
「っていうか内面からの輝きってものが、この女優には感じられない」
「それは言えるな、僕、オッパイばかり見てたけど」
「ウドキーアはカルト過ぎて物語に馴染まなかった。<悪魔のはらわた>を思い出させるし。ルネって男はもっと男の子みたいなほうがいいよ」
「ルネとステファン卿との関係が分からない」
「映画では平板だったねステファン卿。ヒロインの体験がルネ、ステファン卿、アンヌマリーそして司令官っていうふうにどんどんと高い次元に引き上げられていく、原作ではそういう描き方なのよ」
「まあ、ずいぶんと思い入れあるのかな女史は(笑)」
「(笑)どうでしょ。想像におまかせするよー。でもおさげの女子高生にはめくるめく読書体験だったのかも」
「今もその影響は?」
「あるある(笑)あ、ないない(笑)」
「全体として僕はやっぱりLブニュエルに撮ってもらいたかったな」(1998.8.21)

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