「皆殺しの天使」1962年メキシコ


ルイス・ブニュエル監督 シルヴィア・ピナル エンリケ・ランバル

「これほど独創的でスリリングな映画は滅多にないと思うんだけど残念ながら今のところなかなか日本では見られないね」
「狩刈くんの英語版ビデオだと、ちょっと雰囲気が違ったの、これはメキシコの熱い夜が主役にもなってる映画だし」
「粗筋はもうあまりにも有名なんで端折るけど、要するにブルジョワたちがパーティを開いているうちに、そのサロンからなぜか出られなくなる。さあ帰ろう、とした途端、みんなが出られない。『お先に』とか『遅いから泊まろう』とか。で、そのうち皆、酷い絶望状態になってズタボロになって・・けれどある時、さあ帰ろう、と言った瞬間と同じ位置に皆が座っていることに気が付いて、今度こそ勇気を持って出ましょうって・・そしてやっと屋敷から出られた、という話だね」
「それで神に感謝するために教会のミサに出ると、今度はそこにいる全員が教会から出られなくなる・・」
「羊たちが乱入して街なかじゃドンパチと戦争が始まっている。なんなんだこれは?(笑)」
「いろいろと解釈はあるんですって。ブルジョワ階級の欺瞞と閉塞とかね。なにしろ使用人たちは屋敷から苦もなく出られたんだし・・だからブルジョワジーたちの歴史的行き詰まりや閉塞感を表した映画だなんて、まことしやかな解釈が多いの」
「僕の解釈はね・・・」
「うん?」
「全然わかんないな(爆)だからこそ美しい、とは思う、断然に美的な映画だよこれは。特にお上品なパーティが、段々と凄惨な監禁現場に変わっていくところ。夜会服着て肩丸出しの淑女たちが、なんかもう共食いしかねないくらいギンラギンラと野蛮になったりね」
「一種の悪夢という感じは濃厚よね。特にこの映画の代名詞になっているくらい有名な反復の多用ね。夢のなかでは、さっきの場面をもう一度繰り返す、なんてことはよくあるもの」
「ははあ・・女史がどんな夢を見てるか知る由もないけど(笑)、僕は反復それ自体が閉塞感を強調してるって説には同感半分なんだ。例えば<ブルジョワジー〜>にしても反復はあったし、そのほか<エル>みたいな毛色の違う作品にしても、主人公が妻に寄せる嫉妬とか猜疑心とかの繰り返しは同じ。要するにブニュエル映画はいつも反復してるってこと・・でもこれは<ブルジョワジー〜>の時に喋ったっけ」
「狩刈くんまで反復してるよ(笑)。でもこの作品の反復はアングルが違うだけで同じシーンを見せる、そこがドッキリするの・・ところでわたしがこの映画と引き合いに出したいのはレネ監督の<去年マリエンバートで>なのね」
「うーん。さもありなん」
「同じように上流階級の紳士淑女が集う館で、<皆殺し>の方は館の壁が立ちふさがっていてそこから肉体的に?脱出を試みるでしょ。一方<マリエンバート>の方は見えない壁をうち破ろうとする・・それはむしろ精神的に」
「<マリエンバート>を始めたらまた長くなっちゃうけど、確かに異様なまでの緊張感は相通じるし、<皆殺し>の生々しさと<マリエンバート>の静謐な人工空間の対比は面白いとは思うな」
「とにかく多義的でシニカルで、得難い映画体験をさせてくれる作品ね」
「僕がこの<皆殺し>を見て・・いやブニュエル映画を見ていつも思うことは、その発想なんだよね、現実がね、濃厚で、しかもブヨブヨしてるんだよ」
「なんのことか分かんないけど分かる気もするわね。フロイトとか無意識とかを持ち出したくはないけれど、すごく抑圧的な内面を抱えていて、それが異常な形で噴出する、そのエネルギーに唖然とさせられる作品ばかりなのね」
「僕も抑圧されてるからなあ(笑)。で、タイトルにもなっている『皆殺しの天使』とは何か?これって黙示録に出てくる言葉だと言うけど、僕はね、例えばレミングが集団自殺するじゃない。ああいう自滅志向っていうかな、破滅待望論。そういう暗黒が人間の心の中にも宿っていて、それを暴き出した映画って感じで漠然と考えているんだけどね」(1999.11.29)

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