「マイケル」1996年アメリカ



ノーラエフロン監督 ジョントラボルタ ウィリアムハート

「まあ、砂糖菓子コメディで、僕はどうでもーって感じ」
「(笑)どうでもーはいいけれど、この間の<コンタクト>の時みたいに、アメリカの精神状況がどうだ、とか、言い出さないの?」
「というと?」
「ま、さ。こういう毒にも薬にもならない映画を見ると、アメリカ人のなんたるかがおぼろげにでも分かってきそうって意味で」
「ああ。そういうことなら、例えば、僕はこの映画の男と女の描き方には興味があったんだ。男はあくまでロマンチストで、女はリアリストだってね(笑)」
「いきなり各論ね(笑)」
「いや結論だ(笑)」
「物語はというと、特ダネばかり追っている写真雑誌の記者2人がクビになりそうになったところに、もの凄いネタが飛び込んでくる。モーテルに天使が住み着いてるっていうのね。それで天使の専門家とかいう触れ込みの女性記者と3人で現場に急行すると、その天使というのが・・」
「デブのトラボルタ。ビールは飲むわタバコはふかすわ、不潔でだらしなくて・・というあたりからして、なんか先が思いやられたよ(笑)」
「例えばこの天使がロビンウィリアムスだったら、彼を中心にした、人間と天使との触れあいストーリーになったと思うの。けど、映画はトラボルタに芝居をさせずに、WハートとAマクドゥエルのラヴストーリーになったり、お涙頂戴式に犬が絡んだりして、どこにも集約されていかないのね」
「シカゴの雑誌社まで天使を連れていこうという珍道中は、もっと波瀾万丈であってもいいしね。起伏がないから心に留めておくものがない・・って女史のナイナイ尽くしを戴いちゃったけどさ」
「進呈する(笑)。まあ、ハートウォームコメディとドタバタとがごっちゃになってるのは、ひとえに、不潔な天使、という造形のおかげね」
「Rウィリアムスで成功したかどうか分からないけど、まあ、彼はハリウッドでは誰よりも天使に近い俳優だから、ワンパターンだよ(笑)それより僕は、天使を前にして遊び心とおふざけで対応する男たちと、現実的にツッコミばかり入れる女の役回りには、監督の意気もあったかと思うけど、なんかホノボノを越えて気味が悪かった。こういうのがアメリカ人のユーモアなのかも知れないけど」
「(笑)或いは、<フェイス/オフ>で殺人鬼をやったトラボルタが今度は天使、というあたりの無節操さっていうか・・」
「はは、そこまで言ったらキリがないから僕はやめとく(笑)音楽はゴキゲンで、良かった」
「全体にダブついた映画ね」
「例えばさ、人魚が女の子になって街を歩く。水が脚にかかると元に戻っちゃう・・というような、極めてシンプルなお約束があれば、映画はそこを軸にして、まあ余程のことがなければ倒れないよね。ところが、天使が人間界に来てるっていうのにナンのお約束もない。これは脚本の初歩的なミスだ。もし僕ら観客が笑ったり泣いたりハラハラしたりするたびに、常にお約束に立ち返るように造ってあったら、ここまで全体はダブつかなかったろうと思うね」
「あと三日しか地上にはいられない・・とかね。限りある時間なのにトラブル多発で、とか」
「そうそう。そういう限定とか縛りがあるほどに、観客の感情は集中していくものだよね」
「サスペンスとコメディは裏腹ってことかしら」(1999.6.12)


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