「メイド・イン・USA」1966年フランス


ジャンリュック・ゴダール監督 アンナ・カリーナ

「いんやー久々でした。女史元気だった?」
「元気元気。狩刈くんは海外出張行ってたんだよね、どこだっけ?」
「それがジャカルタ。かーッ、暑かったよ。もう日本の夏が涼しい涼しい。湿気だって比べもんになんないしね」
「へええ大変だったねぇ、カレーとか食べた?」
「おぉ!もちろん!ジャワカレーうまいうまい」
暑いとこで辛いもの食べるのは美味しいよね、今度タイ料理行こうか・・」
「いいねぇ、タイスキとかさ」
「ゲーンよね、あとトムヤム君とか」
「えーところで・・・ちっとも前フリになってないんだけど、今回はゴダールのコレ」
「しゃべることがないのね(笑)」
「あはは、そうだね。同感同感」
「コレは自作<気狂いピエロ>をちょっと意識したパロディ映画って感じ?よく分からないけど」
「アンナ・カリーナ来日記念で見返したんだよね。で最初に思ったことは、アンナ・カリーナって、実はもっと美人だと思ってたってこと(笑)ちょっと記憶の中の彼女と違う」
「出演していて楽しくなかったのね、それがもの凄くしっかり伝わるの(笑)」
「ゴダールって、よく今更ゴダール?って言われる。でもそれは仕方ないよね、ギロさんはイキながら伝説にされちゃって、なんて言って、まあそうなんだよ。実際、彼は身を切るような映画を撮ってないからね」
「<カルメンという名の女>とか<探偵>とか、いわゆる復活後のゴダール作品とこの<メイド・イン・USA>の間にはほとんど差がないの。良く言えば完成されてるってこと?タイプの音とか意図的なセリフ消し、ネオンサイン。白バケツと赤い万力と青いフタでトリコロールだなんて、何度もやってる。アホくさ」
「この映画はまあいい加減な手抜きで作ったみたいだしね。もともと時局のパロディで、マクナマラとかウィドマークとかいっても今の観客にはナンのことやら分からない。政治的な題材を散りばめつつディズニー映画だ、なんて底の浅さを自分で笑っていて気持ちいいもんじゃない」
「観念的な、思い上がったようなセリフもいっつもハナにつくしね(笑)だいたいゴダールに心酔する人の書くものは思い上がりが多くて困る
「ああっそこまで言う?(笑)孤高と言えば聞こえはいいけど、独りよがりでね、それでも芸術だとすれば芸術は僕らの魂とはナンの関係も持てなくなっちゃう」
「最近の彼は、さすがに時局をパロることはしなくなったの。でも愛だの美だの、本来はとても人間的であるはずのものを相変わらず観念的・抽象的に取り上げて、しかもそれに形を与えようと悪あがきもせず、臆面なく涼しい顔をしてるの」
「例えばパゾリーニのように神話とか説話とか伝説を題材にしながら真に人間と向き合おうとするのとは正反対だよね。それは結局ゴダールがスノッブ野郎だからで、僕は彼に特段の期待はしてないし、二三の傑作、本当に美しい映画を除くと、僕にはゴダール映画は面白くない。楽しめない」
「楽しむ、っていうのとはちょっと違うんだけど、この映画ではジャンピエール・レオが彼らしい端役で出ていて唯一のセリフが殺される直前の『ママ!』っていうのもいいし。それとマリアンヌ・フェイスフルが急にストーンズの歌を歌い出して、彼女はミック・ジャガーの恋人だったし」
「・・そういうのが『時局』ってもんだよ(笑)。ゴダールっていう人は多分、映画を消耗品と考えていて、映画を映画以外のジャンルのもの、例えば絵画とか写真とか音楽とかもちろん文学とかと並べて考えない人だ。いわばポップアーティストなんだよ彼は。作り捨ての作品群は当然に使い捨てにされる。で、多分それを彼は許すだろうな」
「これはそういう作品ね」
「というわけで、タイ料理。お口なおし」(2000.7.1)

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