「M」 1931年 ドイツ

フリッツラング監督 ピーターローレ

「オープニングの不気味さにはとても味わい深いものがあります。殺人事件が子供たちの遊び歌にさえなってるっていう描き方は、この事件が社会に与えている影響の深刻さを強調しています。と同時に後半、殺人犯人が追い詰められて、その犯行を重ねざるを得ない自分自身への恐怖を叫ぶあたりに、本作品の製作当時つまりナチス登場時期におけるドイツの精神状況を見事に伝えていると言えましょう」
「(笑)なんか随分と、固い導入だね、今回のお喋りは。間伏女史、どうしたの?」
「狩刈くん来てたのかー。今回のMは私たちの名前に馴染み深い(笑)ドイツ映画の黄金時代の作品ということで、ちょっとフォーマルに始めてみました(笑)」
「子供が殺人事件の被害者なんで、この時代にどういう描かれ方をされてるかと思ったら、持っていたボールがころころ転がって手にしていた風船が魂のように空に吸い込まれていくというシーンだった。ま、そうかなって思ったよ」
ペールギュントの口笛は、ぞくぞくさせるわね。見た後お風呂に入って思わず知らず口笛吹いてたよ、わたし(笑)」
「演出としてはさ、犯罪者集団と警察が、この殺人犯をどうやって捕まえるか、それぞれ会議しているところを切り返しで平行して見せるとかさ、ま、当時の例えば<イントレランス>的な手法が新しかったんだろな」
「あと、カメラワークで、窓から部屋の中にワンカットで入っていくシーンがあったよ、あの浮浪者たちを集めているところで」
「一方で内容はというと・・ちょっと前半と後半で、なんか全然違う映画になってるって感じ」
「そうね。前半はもろサスペンス。子供が帰ってこない母親のおろおろした姿なんて、ほんとに胃が痛くなるくらいギリギリ伝わった。それが捕り物が始まる後半になると、あれれれって感じ。金庫破りたちが総動員されてオフィスビルに隠れ込んだ殺人犯人を探し出そうっていうのが、ちょっとナンセンスだなーっていうか」
「ペースも落ちるし、サスペンスが持続しないよね、その場で起こっていることイコール出来事の中心がどんどんずれていくんだな、特に金庫破りの仲間が一人で捕まって尋問されるあたりは、中心のずれというより、説明的な蛇足以外の何者でもないよ」
「ラングの映画って、なんか骨太サスペンスが長続きしないよね、<恐怖省>とかもそうだったし」
「犯罪者たちが殺人犯人を模擬裁判にかける、みたいな終幕はどう?」
「あそこは、わたし、カフカみたいだなって思う、カフカの審判が念頭にあったのかどうか・・」
「同感だね」
「だからこのMは、前半はサスペンスで観客をつり込んで、後半は主義主張の際だつような作りになってるのじゃない? Pローレって、あんまり凶悪犯人に見えないし、生きるための犯罪なら許されるのか?! 自分の中には悪魔が住んでるんだ! 助けてくれ! みたいに絶叫されると、なんか彼に同情しちゃうよ」
「そのあたりはまさしく<カリガリ博士>風の、狂気と暴力の精神風土に直接切り込んでいるな」
「この後に<激怒>っていう映画をラングは撮るんだけど、そこでは無実の男が誘拐犯人と誤解されて群衆にリンチをかけられそうになるの」
「Mの終幕そっくりだな」
「だからラングとしては、それがやりたかったのかもね。Mのモチーフが膨らんでいったのか分からないけど。いずれにしても群衆が、熱狂をもって個人を排撃していく盲目的な恐ろしさ、がナチス台頭の時代性を伝えています」
「ナチス通の女史らしいお言葉でした(笑)」(1998.5.31)

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