「ローラ」1961年イタリア・フランス


ジャック・ドゥミー監督 アヌーク・エーメ マルク・ミッシェル

「全然関係ないけど、キンクスの名曲に『ローラ』っていうのがあって、あれは実に切ない・・
「で、この映画はそれと全然関係なく<シェルブールの雨傘>で名高いドゥミー監督の長編デビュー作ですって」
「当時のヌーヴェルバーグ草創期の勢いが瑞々しくて、僕は好きだな、こういう映画。初めて見たわりに、初めて見た感じがしないんだよね」
「まったくと言っていいくらい<勝手にしやがれ>と同じようなスタイルで撮ってるのね、例のジャンプカットとか言われてるリズム感」
「まあ、当時の彼ら、ドゥミー、シャブロル、マル、ヴァルダ、トリュフォといった監督たちはみんなゴダールとつるんでいたしね。そういう勢いっていうか感性の共有っていうのは、僕は実は憧れることもあるな」
「なかなか狩刈くんの感性を共有する人って、いないからねぇ(笑)。セリフのなかに『ポワカールって友人がいたんだけど殺されてね』なんていうのがあった。あれ、<勝手に〜>のベルモンドのことね」
「それで、だ。この作品にも、ポワカール同様なんか生き急いでいるような、現状不満が鬱積した青年ローランが主人公で、まあ、彼を巡る人間模様みたいな感じで作られているんだけれど、ちょっとメタフィクシォンみたいなアイディアもあって、なんか不思議な魅力があったね」
「ローランは、行き詰まった人生に風穴を開けようとして南アフリカへ宝石密輸入の旅に出ようとする寸前で、幼なじみの女ローラと再会するのね。彼女は米兵のたむろするダンスホールでダンサーをやってるんだけれど、初恋相手の米兵ミッシェルの面影ばかりを探している」
「で、まあローランとローラ二人の恋を巡りながら、本屋で知り合った未亡人がローランに年増の色目を目配せしたり、その娘がまたローラの物語をなぞるかたちで米兵に一目惚れしたり・・と、なんだかストーリーが二重らせん構造になってぐるぐる同じところを回ってる(笑)。その意味でメタフィクシォンみたいな、劇中劇みたいな印象もあって、ついつい最後まで引き込まれて見ちゃう」
Aエーメは、子連れのダンサーって役を可愛らしく演じてたね、はかなげで、線が細くて、でもそれをお喋りで隠そうとする感じ・・」
「ちょっと饒舌すぎてね。前年の<甘い生活>の彼女とは大違いで・・わざと醜いくらいに派手なギトギトのメイクをして、ある意味では彼女はピエロ、クラウンなんだね。この映画はエモーションが一定していなくて、色んな要素が入り込んでいるけれど、でもまとまってる感じもするし」
「Mルグランの色んな音楽が場面の移り変わりを支えていたよね、ローラのコケットリーなシャンソンもあって、ああいうのはホント、フランス映画だなあって思うの。テーマがどうしてベートーベンだったのか分からないけれど」
「最後の方で延々と7番シンフォニーを続けるんだよね、あそこは僕はモーツァルトか、あるいはブラームスとかじゃないかなって思った。って、今、思ったんだけど(笑)」
「まあかなり<勝手にしやがれ>を意識した映像設計で、撮影もラウール・クタールだし、ゴダールの影響はすごく大きいんだけれど、でも、オリジナリティもすごく感じたし・・ああいう映画から出発して色々な作風に変化していったその他の監督たちと、変化しなかったゴダールの違いってもんが、なんとなく分かってきたような気がするよ」
「ドゥミー監督といえば<シェルブール〜>ってつい言っちゃうけれど、あのフレンチミュージカルの可愛らしさ、可憐さはまた格別だしね・・ところで、この<ローラ>に登場する青年ローランは、その後、<シェルブール〜>にも再登場する。しかも宝石商になって!ということは、今回の<ローラ>で失意の旅に出た彼は、少なくとも宝石の密輸入には成功したんだね」
「処女作ということもあって、語り残したなにかがドゥミー監督にはあったのかしら
「ちなみにこの作品はマックス・オフュルス監督に捧げられてる・・考えてみればこの作品は一種の<輪舞>的な構造をしているのかもね」(2000.10.30)

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