「縄炎夫人」 1980年にっかつ


藤井克彦監督 麻吹淳子 志摩いづみ 朝霧友香 藤巻源

「どぉわー懐かしい、っていうか、なーんか、笑っちゃうよ(笑)」
「一応、読者のための懐古趣味解説をしますと(笑)、もう二十年くらい前だったか、謎の映画会秘密結社のメンバーだった僕と女史は、当時としては実に先端的な試みとして『女性のためのポルノ映画大会』なる企画上映会を何回か主催して、そのなかでかけたのがこの作品。ほかにはミッチェル兄弟監督の<グリーンドア>とかラドリー・メッツガー監督の<カミーユ>とかをかけたっけ。うちらの女性メンバーのフレンドリーな対応のおかげもあって、一般の女性客もそこそこ、こそこそ、コワゴワ(笑)覗きに来てくれました〜」
「そのへんの記憶はことごとく抜け落ちてるっていうのが、実はわたしの正直なところなの(笑)。確か狩刈くんならではの奇抜な企画力でもって会全体をひっかき回し始めた頃のことね」
「あららー言ってくれますな・・ま、数年後の解散に至る経緯については僕の記憶もハゲしく抜け落ちてるんだけれども、まあいいや、内輪ウケは。それはともかく、今時、映画上映会なんていうサークル活動はもはや死語、過ぎ去りし一時代の遺物って感じだよなー」
「だって名画座もないしねぇ・・映画はビデオかdvdで見るものっていうのが今の常識だし。公民館の会議室とか場末の映画館の深夜枠を借りる、フィルムを借りる、それでお客さんを集めて上映してトークして、なあんていうサークル活動なんか、さっきも言ったけど、どぉわー懐かしい!としか言いようがないよー。せいぜいロフトやポレポレで細々と続いてるくらいかしら、最近はとんと行かなくなったけど」
「ま、僕的にはね、ああやってメイン作品で客寄せして、そのついでに僕ら自身で作ったゲテモノ映画も一緒に見せちゃおうっていうのは、これ、貧乏プロデューサーとしちゃ苦肉の策、というより下心ミエミエの営業戦略だったわけでね。今時、映画作りたい、でも発表の場がない、なーんていう若い人たちは一体どうしてんのかね? あ、youtubeに載せればいいのか・・ってワザとらしいか(爆)」
「確かに。でも映画会やって、今時の言葉で言うリアル友達が増えたり休憩時間に熱いカップスープとポテチを配ったり、上映がハネた明け方、朝日のなかへ顔を出して喫茶店に流れる時もあれば始発電車で勤めに出る時もあったり、っていう、まあ映画好き同士のナマの交流は今のyoutubeには望めないし・・ってことを考えると」
「もう、どぉわー懐かしい!としか言いようがないよなー、と、ところでこの映画をどうして『女だらけのポルノ大会』(笑)にチョイスしたかと言えば、日活ロマンポルノもそろそろマンネリ、そのマンネリの粋を集めて出来た純粋結晶みたいな作品だったからなんだよね」
「ホメてるんだかケナしてるんだか。ロマンポルノのなかでもこの団鬼六路線が狩刈くんのお薦めだったことはよーく覚えてるよ。でも理由までは・・忘れちゃった」
「そりゃありがたいじゃないすか、だからまた聞きたいってわけだね(笑)。団鬼録路線は無論、最初は谷ナオミ、だから今回の麻吹淳子は二代目なんだけど、いわゆるSMと情念の絡まりあった鬼六流幽玄世界は麻吹淳子の応用と抑制の利いた存在感によってますます深まるばかり。谷ナオミ作品がどちらかといえば上流夫人が下司野郎にイタぶられてマゾに燃え、っていうコントラスト中心だったのに対して今回の作品は特に日常生活と地続きなところに因果応報な設定もあって、そこは女性客を、生理的か論理的かは別としても引き込む魅力があるでしょうー、と」
「設定ねぇ・・物語は、出張先でシロクロショーの女を轢き殺しちゃった男が若妻を誘拐されて、この若妻がまあ、殺された女の代役を勤めさせられるっていう展開・・そこに志摩いづみ扮する芸者が絡んで、夫は最後に行き場を失う」
「しっかりした設定でしょ? 夫は自分が起こした轢き逃げ事件から逃れられないし、若妻は自分が身代わりにされて夫が許せない、でも我が身の不運には嘆くよりほかなくって、自分を助けられるのはやっぱり夫しかいない、なのに夫は何も出来ないばかりか見知らぬ女としっぽりやってるらしい・・という、これはもう葛藤と情念のトライアングルなわけでエモーションは深まる深まる〜出口なし。いや、ひとつだけ出口がある、それはシロクロショーの相方と二人してSMセックスの底知れぬ快感に溺れてしまうことだけ!実によく出来てる。これならいかにフェミニストな女性客だって黙って安心して見ていられる(笑)」
「ま、ね。最初は夫に助けを求めていたのに、その裏切りを知ってそれで段々とシロクロショーの相方の男に惹かれていくっていうのは、まあ分かりやすいし、その心変わりの過程にうまくSM調教が嵌め込まれていて、あのタマゴ割るっていう曲芸みたいなやつ?あれを『出来た、出来た』って互いに喜び合うあたりはまあ、そうなのかしら、って感じ」
「鬼コーチにしごかれた女子陸上部員が棒高跳び新記録を出して『飛べた、飛べた』と抱き合って喜び合うような、このインシバエワ的なスポコン世界はひたすら納得づくの感動を呼びますな〜」
「ヒロインの妹が出てくるけれど、あれもまた狩刈くん式に言えばエモーションの深まりに一役買ってるというわけね? ちょっとあの妹は本筋からいったらどっちつかず、添え物的な感じもしたけれど」
「朝霧友香ってあんなにおばちゃんだったかなーって、今となっちゃびっくりモンだけど(笑)それはともかく、完全に無関係な妹まで巻き込まれちゃったからには夫の罪深さはイヤがおうにも深まるし、せめて妹だけは責めて〜じゃなかったせめて助けてやってーとゆーヒロインのココロ掻き毟られるような悲痛がビンビンと青筋立つわけなんだよね」
「はいはい、もう今日は調子合わせておくよ(笑)それじゃ志摩いづみの方は?」
「はい、これまた夫の堕落、うらみつらみを深めるし、実は彼女は轢き殺された女の妹だったんだって種明かしで麻吹・朝霧姉妹とパラレルになってるというのは、これまたなかなか安定してる。ラストシーンで朝霧友香と志摩いづみは吊り橋に夫一人を起したまんま左右に別れて行くんだけど、例えば志摩が朝霧に走りより、朝霧はやがて志摩と同じように温泉芸者になっていく、という道もありえたはずだ・・」
「はあ・・まあそうやって夢中になって30年も前のロマンポルノを熱く語っちゃう狩刈くんの25年も前から変わらない情熱っていうのが、ハタから見ていて一番面白いような気がするんだけど(笑)、それはともかく設定がシッカリしてるっていう意見には賛成だし、これ、わずかに70分の映画。それなのにもっと長い時間を見たっていうような手ごたえは確かに感じたよ」
「でしょー?そうなんだよね、それは画面のいちいちに込められたエモーションの密度に由来するわけでね〜普通ポルノ映画といえばストーリーが面白くて濡れ場がジャマか濡れ場しか見ごたえなくて物語はどっちらけってのが相場なのに、細部も濡れ場も含めてこの映画にはスキがない、みっちりムッチリしてる。そのうえ川原だの森の中だの竹林だのといった大自然に対峙するハダカ、みたいなフォトジェニックなコントラスト、特に川原でのお浣腸調教という水気たっぷりなイメージのシンクロならびに大自然のトイレで脱糞という合目的的な描き方には脱帽せざるを得ない!」
「と、まあ、そんなトークをしてたから、わたしたちの映画会は解散の憂き目をたどりました、ってことね(笑)」
「あ、そう来たか!(笑)しかし映画の作り手という観点からも、もっとこのテの良質なロマンポルノを論じるべきだったなーと反省はしてるんだ。わずか70分の映画でこれだけ充実した作品が撮れるわけだよ。30分のトークタイムじゃ喋り足りなかったよねー」
「それじゃ、ロスタイムをここでやってもいいよ(笑)まあ聞いてるかどうかは別として」
「はいはい!それじゃイキますが、この映画は多くの団鬼六シリーズ作品のなかでもとりわけ日常から逸脱してしまってセックス以外のどこにも帰着しようがない、そういう非日常へ突き抜けた悲壮感が収拾不能な結末に、彼岸まで来ちゃったという余韻を残す。これは例えばカヴァーニ監督<愛の嵐>を持ち出すまでもなく、セックスとはいわゆる日常生活、社会生活とは異なる次元に存在するもの、崇高にして破壊的なものであり、ひいてはきっとアンチ体制的、非政治的、非社会的なものでもあり、死や破滅と隣り合ったアナーキズムそのものなんである、だからタブーでもあり権力はこれを恐れる、という思想に立脚しているわけですよ」
「はいはい。そういうふうに考えられていた時代もあったってことね」
「ま、それはきっと今でもそうなんだろうけれど、とかく最近のセックスはもっともっとカジュアルにお茶の間で扱われていることは否めないかな。全然関係ないけど、ある掲示板に<ソドムの市>を見たけどAVに比べて全然すごくない、とかいうアホで素朴な感想が書いてあった(笑)。そういう観客がこの<縄炎夫人>を見てやっぱりAVに比べて手ぬるいとか思ったら、それこそ今時、映画会は成立しえないよなあ、っていう感慨はあるよね」





(2008.04.26)


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