「ジェイコブズ・ラダー」1990年 アメリカ



エイドリアンライン監督 ティムロビンス

「うーんこれはホラーか反戦映画か?
「そうそう両方の要素はあるわね、でも要するに何が起こっていたのか、よく分からない」
「最初はさ、ベトナムの後遺症に悩まされてる帰還兵、というかたちで物語は始まるわけだよね、いやいちいち確認しなきゃどうも話が進まないんだけど」
「わたしは気が進まないよ(笑)」
「まあまあ・・で帰還兵がなんかの事情で離婚して今じゃ別の女と同棲してる、と」
「一旦、悪夢から醒めたかと思わせるシーンがあるじゃない、別れた奥さんが出てきたりしてさ、でまた悪夢が始まって、なんかいったいどっちが夢か現実か、どっちが生でどっちが死かすらわからなくなってる男の話だと分かってくるのね」
「そうだね、悪魔とか政府の陰謀とか結構仕掛けが雄弁というか尻尾がたくさん出てくる割にその尻尾を掴ませない筋運びには関心したよ」
「一カ所だけ、あれれと思ったの。つまりさ、ティムロビンスが、死んじゃったという子供、マコーレー君が彼に出した手紙を読み返すじゃない、そこにさ、早く戦場から帰ってきてね、みたいなことが書いてある。けどあの子はベトナムに行く前に死んじゃったはず・・ということは、これは?ってちょっと悩んじゃったの」
「それは重箱の隅。結局なにもかも夢だった、という結論自体が僕は戴けないな・・まあ、それなりのインパクトはあったよ、ドーンと来る重苦しさもあった、けれど夢でした、で一挙に突破しようというのは不満。政府の陰謀みたいな話はちょっと眉ツバというか、僕は物語を陰謀という焦点に絞ろうとしてあの結末に陥ったんじゃないかと思ったよ」
「というと・・?」
「いやさ、国防省は否定している、みたいなラストの但し書きは明らかに陰謀云々を物語に挿入したことに対する後ろめたさというか腰砕けというかさ、この映画の社会的対外的な弱みだろ? で、その弱みがあるがために全体の締めくくりとして、これは夢でした、幻覚でした、真実ではありません、みたいなカモフラージュの結末が必要だったんじゃないかってこと」
「それもまたうがった見方だわねぇ。ま、確かに、陸軍の陰謀でなくああいう結末でなくても、ベトナム帰還兵の恐怖と狂気にさいなまれた気の毒な現実、という描き方は出来たはずよね、ま、それじゃ社会派映画みたくなっちゃうだろうけど」
「さっき女史の言った、夢と現実、生と死の座標軸が崩れてしまった精神状態、それだけで映画は何事か描けてしまうというところにこの映画のひたすらに暗い魅力はあると思う・・ということは、これはホラー映画として見るべきだということか(笑)これは実は<カリガリ博士>だったんだ!」
「(笑)ま、イヤーなジメーとした緊張感は、実に面白い」
「謎が解かれなくても、帰還兵がさいなまれてる幻覚に僕らはつき合わされてるんだと思えば、まあ展開に乗れるよね」
「でももう一度見たいとは思えない」
「まあ、そうだね(笑)アラ探しに見てみるというのもいいかもしれないな、もしかしたら明らかに71年以降の現実が写し取られてるかもしれないし、そうだとしたらこれは矛盾」
「うーん、その点は却ってしっかりしてるかもよ・・例えばさあ、時々テレビ番組が映っていたじゃない、チラリとだからあまりはっきりしたこと言えないけど、わたし、あれは白黒テレビだったような気がする。それにタクシーだって、ちょっと型が古い車種だったような気がするし・・」
「さすが! 言われてみればそんな気もするねぇ。でもファッションとかはどうだろ、ディスコだかパーティだかで掛かっていた音楽は?ずいぶんモダンだったよ」
「まあまあアラ探しはもう一度見た時にしなさいよ・・それより、これは!って思ったんだけれど、死を恐れていると悪魔につけ込まれる、というセリフ、あれは確かどこかに出典があってもしかしたら聖書に出てくるキリストの言葉だったかも知れないけど、最後にマコーレー君の再登場でこのセリフに一本スジが通る、そしてこのスジは確実に幕切れと響き合っていたわ」
「主な登場人物が聖書に出てくる名前、というのとも関係あるのかなあ・・魂の安らかな上昇過程、ま、それがタイトルの持つもう一つのラダーつまり階梯だとすれば、そこに死んだはずの子供が出てくるというのは月並みだけれど納得性はある。けどそれじゃそれまでのひたすら暗い暗すぎる饒舌はなんなんだ、というはぐらかされた気持ちは残るけどね」(1998.9.20)

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