「ボローニャの夕暮れ」 2008年イタリア


プーピ・アヴァーティ監督 シルヴィオ・オルランド アルバ・ロルヴァケル フランチェスカ・ネリ

「この映画には、実はね。本編には採用されなかった恐るべき真実があってね」
「なにそれ?」
「女学生殺しの真犯人はね、実は……進級あやうい男子学生ダマストリだったんだよね」
「ええーほんとにぃ?」
「ジョヴンナはそれを知っていた、っていうか実は現場に居合わせてしまって、ダマストリ恋しさのあまり自分が犯人になる決心した、っていうか元々が自閉症的な性格だから自分でそうと固く信じ込んじゃった。それでますます精神崩壊、けれど父の変わらぬ愛がずっと一筋の救いであり続ける。脚本の段階では、映画の最後でジョヴァンナが事件の顛末を独白するようになっていた・・自分はずっとキチガイのふりをしてきた。でも、もうしないで済むんだわ、と」
「あ!わかった、それは狩刈くんの作り話ね(笑)ったく、危うく信じちゃうとこだったよ」
「(笑)とでも考えないと、実に不思議な、ね。そういう感想をよく見かけるけれど、この映画は観客の期待ってものをどこか裏切り続ける作風で、まあ小気味良くはないけれど見ていて飽きない、ヘンな遊離感がある」
「イタリアのマンマを描いた作品はたくさんあるけど、こういう父親を描いたっていうのは珍しいよね。<パードレ・パドローネ>みたいな封建的な作品は別として」
「ていうか、殺人事件の被害者のハッピーエンドを描いた映画はたくさんあるけれど、加害者のハッピーエンドを描いた映画っていうのは珍しい(笑)僕ら観客はそこに最大の違和感を見て取って、ホロ苦いとかゴマカシつつも、落ち着かない」
「そこまでいう?(笑)まあ、ハッピーエンディングだったとは決して思わないけど、ミケーレが娘に寄せる、ちょっと日本人的感覚じゃフツーでない父親の愛ってものが強烈すぎ。愛が強烈ならどんな設定でも展開でも、なんとなくハートウォームになっちゃう、ってことかしら」
「構造的に面白いのは、なんといっても前半。観客は、まさかジョヴァンナは犯人じゃないだろーと思っているうちに、あれよ・あれよ、と犯人になっていく。次に観客は、きっと父親はあわてふためくに違いない〜と思ってると、彼は全然平気、冷静沈着。愛娘が重罪逃れに成功して精神病院送りとなって、今度こそドラマが動くに違いない、ジョヴァンナが『実は真犯人はわたしじゃなくてね……』とか告白するに違いない、なーんて期待してると、彼女はどんどんキチガイっぽくなっていって世間じゃ戦争が起こっちゃう(笑)これ、なんなんだ?」
「そして彼女の人格障害は実は母親に対する劣等感にあったんだ、なんていう内面心理に動いていくのね? そこでミケーレとデリラは夫婦関係を清算して、大人のドラマを垣間見せるけど、そこは深堀りにはなっていかない。わたしはデリラっていう母親の人間像をもっと深く描いて欲しかったっていう気はするなあ。ミケーレがジョヴァンナを愛するあまり、自分を顧みようとしない、そのあたりの不満とか」
「ははぁ、それはまたありがちな夫婦関係だとは思うけど、女史の言いたい意味は分かるな。母親に対する劣等感がジョヴァンナの人格障害の原因だとすれば、デリラが仮面夫婦をし、ネグレクト・ママにならんとしている原因だって描いて欲しいってことだね。ならミケーレが娘を盲目的に溺愛する『原因』って何だ? 愛には原因はいらんのか?(笑)」
「まあ、登場人物たちのそういう心のなかがよく見通せない分、どこかもどかしいし、なんか作り物、上っ面だけ辻褄を合わせてるみたいに見えたの。もちろん、そういう『原因の解明』ばっかりだったら、これまた困っちゃうけどね」
「全編を通じて、時々、ハテナ?って思っちゃうことは多々あるにはあるよね、でも人生とか人間感情とか愛なんてものはいちいち原因や理由が明解であるわけじゃないし、人によって千差万別、家族の形態だっていろんな事例がありますな〜ってことかな」
「物語が綴られる世界はとても小さいのね。有名な画家にたびたび手紙を出してる意味もよく分からないし、あの時代にしては教会も共産党も出てこない。ファシスムの台頭と第二次大戦が背景にはなっているけど、それでさえ挿話的な感じ」
「あ、それで今、気がついたんだけどさ。これ、ちょっとファシズム寄りの映画っぽくない?(笑)殺された女学生の母親の悲劇、っていう観点で見ればね、彼女は救われようがないのに、殺人者一家はなんだかハートウォーム(爆)いいのかよ?みたいな」
「パルチザンの描き方も、ちょっと批判的ではあったよね、ぞんざいな簡略裁判ですぐに銃殺。まあ、ああいうことが実際にイタリアのいたるところで起こっていたのは事実だけど」
「総じて掴みどころに苦慮する死角の多い作風、という感じはあって、それも確信犯な部分と脚本の不徹底さによる部分とがあると思う。でも、さっきも言ったけど見ていて飽きなかったけどね、ボローニャだけあってボロネーゼのスパゲッティ食べてたし」
「狩刈くんじゃないけど、本編に採用されなかったラストシーンっていうのがホントにあって、でもそれは狩刈式じゃなく、デリラはやっぱり家には帰らない、あの映画館を出ても家族はヨリを戻さない、っていうラストじゃないかしら?」
「ま、僕もそんな感じはするな。デリラがミケーレやジョヴァンナともう一度一緒に暮らそうと決意する『原因』は、特に見受けられないからね。だからストップモーションは父と娘だけってこと。多分、あの父娘にとっては殺人事件以来、時間が止まってる。見方によってはミケーレ自身も精神錯乱に陥ってる。狂ったフリをし続けた娘と、狂っていないフリをし続けた狂人の父親とが二人、にっこり微笑んでいるわけだ……
「はいはい(笑)久々のシネギロご苦労さんでした」
(2010.08.07)


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