「汚れなき抱擁」1960年イタリア


マウロ・ボロニーニ監督 Mマストロヤンニ Pブラッスール Cカルディナーレ

「これは幅広い視点に支えられた、なかなか複眼的な映画だったんじゃない?さすがパゾリーニ脚本!」
「(笑)とまあ贔屓の引き倒しはいいとして・・物語はシンプルで、カターニアのボンボン青年が女遊びを断って、一目惚れしちゃった天使のような娘と結婚するんだけれど、彼は彼女を愛すればこそ指一本触れられない・・この、愛すればこそセックス出来ない、というマストロヤンニの悩みは、裏返すと当時のアントニオーニ監督作品の<情事>とかを彷彿とさせる感じもしたの
「なるほど〜〜愛がないからこそセックスできる、みたいな感じで描いてみせたのがアントニオーニ監督だったもんね。いわゆる愛の不毛?(笑)ってやつ。それはまあスキャンダラスな新しい社会現象というか、現代人の自己疎外、みたいなかたちで当時一般化されやすかった」
「でもそれを逆に描いて見せたからこそ、この映画はマルチェッロのドラマになりえていたって感じなの。一般にはインパクトは弱いかも知れないけれど特定の地域社会ではスキャンダルになりうるって描き方で、とても内省的なシリアスな感じが伝わった」
「うーん・・でも僕はマルチェッロの悩みはとても個体的で彼固有の問題に思えたな。愛の不毛というより彼の不能っていう問題か(笑)ほら、僕はいっつもゼツリンだから(爆)」
「よく言うよ!(爆)」
「あ、まあ、起爆剤としてある種の、特定の妄想がワンサと燃え上がらなきゃ奮い立たないってことはあるけどね」
「ジェス・フランコ的妄想ってことね?」
「ははは・・はは・・いんやー・・えーと。困ったね(笑)」
「まあ確かにマストロヤンニだけが悩んで、周囲の人は誰も彼の心の叫びみたいなものに共感してないっていう面では、彼自身だけの苦悩には違いないの。でもわたしはせめてカルディナーレはそこに気がついてあげるべきだったような気がするなぁ。そうでないと観客にも共感が生まれにくいでしょ」
「僕はこの映画はミスキャストばかりだったようにも思うな。カルディナーレは細かい機微に触れる人情を表現するには大味な女優だし、第一あんなグラマーを前にしてナニもしないってのは全く理解できない(笑)のは別問題としても、マストロヤンニにしても彼本人にしてからが根っからの女好きなんだからちょっとイメージが狂っちゃう」
「フェッリーニ監督作品の彼がそのイメージね。いつかも言ったように、わたしも彼が出てくる映画と彼自身のイメージが切り離せないの。<甘い生活>のプレイボーイとか・・でも、だからこそ面白かったとも言えるし・・」
「そうかなぁ。従兄弟役のトーマス・ミリアンが主役をやってたら、もう少し違った面白さもあったと思う。ちょっとイジケてヤケっぱちになるような悩み方、とかね」
「まあ、人にはそれぞれ色んな悩みがある、ってことは言えるでしょうけど、ただこの映画は、それに加えてイタリア南部、シチリア地方の男性はこうあるべき!っていう先入観を、社会的な偏見ととらえて背景に置いたところがまた、色々と考えさせるね。それからマストロヤンニにも、ちょっと両親にスポイルされちゃったひ弱な甘ちゃん、て感じもあったし」
「そうそう!最初に複眼的な作品でさすがパゾリーニ脚本!と言ったのはまさにそこ。Pブラッスール扮する父親がまた絶倫で、まあ南部の男はかくあるべし!って姿をよく伝えていた。それに男の能力についてすごく世間体を気にするあたりも面白い。メイドを妊娠させたら窓を開け放って近所に触れ回るなんてすごいね(笑)『みんな聞いて!息子はヤッたのよ!』みたいに」
「ブラッスールの父親は貫禄充分でさすが。はまってた。うろたえたり、戯けたり、怒ったりと、彼がこの映画のエモーショナルな部分を分かりやすく伝えてた。それに比べるとマストロヤンニはまあ徹頭徹尾、シリアスっぽくてあまり起伏はなかったかも・・」
「もっとなくて一本調子だったのがカルディナーレ。確かに女史が言うように彼女はもっと深くマストロヤンニを理解してあげるべきだったのかもね。マストロヤンニはもう自分でもどうしていいか分からないわけだ。従兄弟のTミリアンは少し理解を示すけれど、それは彼なりに肩をすくめたような理解の仕方だった。だからマストロヤンニの悩みは映画のなかで回収されていかないし、あとは観客に委ねられてる」
「生硬なカルディナーレのせいか、最初はなんか、ハコ入り娘と結婚しちゃって手も足も出せないプレイボーイの悲哀、みたいに誤解を招く感じもあったよね」
「パゾリーニだからオンナの描き方がイマイチだったのかも知れないな・・」
「あっそんなコト言っていいの!?(笑)」
「仕方ないじゃん(笑)」
「隣に住んでる幼なじみの描き方にしても、ね〜〜類型的」
(2002.5.10)

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