「ヒトラー最期の十二日間」2004年 ドイツ



オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督 ブルーノ・ガンツ アレクサンドラ・マリア・ララ

「あのヒトラーも『人間』だった、そこにスポットをあてて描いた、みたいな触れ込みで売られた感じもあるけど、僕はこれ、傑作とまでは言い切れないけどなかなか力作で、いろいろと考えさせられたねぇ」
ヒトラーが私生活の面ではまったくの無能者で、彼の生涯は政治的生活のみに主宰されていた、というのは有名な話ね。そこをあのブルーノ・ガンツがどう演じるのか、すごく興味があったの」
「配役を知った時にはガツンと来たね(爆)ガンツと来たらやっぱ<ベルリン天使の詩>だからねぇ(笑)ヒトラーもまた天使だった、というのはブラックにせよ、女史の言うとおり、一般市民レベル的に考える私生活という面でのヒトラーの私生活はあまりにも人間離れしていて、貧弱きわまりないものだったとはよく言われてるね・・」
「一般市民レベルでなくても、例えばナポレオンとかスターリンとかいった他の権力者、独裁者たちの私生活と比べてもヒトラーのそれはお粗末で、人情味ある厚みとか暖かさとかは皆無だったの」
「この問題はいろいろ取り沙汰されてるよね。若い頃の画家としての挫折とか一兵卒としての第一次大戦への志願とか、ドイツ大敗後の社会的虚脱感とか、夫にも父親にもならず家庭を持つこともなく、自己心酔主義者で、とか、自分のライフタイムとドイツという国家の将来とを一致させて自分が死ねば国家も死ぬと考えていたとか、まあ、いろいろな原因や現れ方をしてる・・けれどこの映画は副題『最後の十二日間』が示す通り、ヒトラーの人生を総括的に描いた伝記映画ではなく、とにかく彼が自殺を決意して実際に死んだわずかな時間だけを取り上げた」
「でもひとつだけ、これは全生涯を貫いていた彼のテーマというか理念がこの映画にも取り上げてあったと思うよ〜それは『最後は自殺すればいい』ってことね。彼は若い頃から『死ねばいいや』と思っていたこともよく知られてる・・」
「その通りだね。僕らは、ヒトラーてのは最後は自殺したんだ、って中学の世界史の時間で習うわけだ。だから知ってはいるんだけれど、この映画を見るとあらためて、彼が『いざとなったら自殺すればいい』と考えていたことが一種の迫力をもって実によく伝わってくる・・彼の自殺については誰も異常なことだと思っていない。当然なことと受け止められている。建築家シュペーアは別にしても、取り巻きたちはみな総統に脱出を促す、何度も何度も。それは国家の存続のため、終戦のため、戦後処理のため、つまりは政治的理由であり政治家としての勤めのためであり、ひいては国民のためだ」
「ところがヒトラーは全くそれを受け付けないのね、それというのも自分が死んだらあとはどうなろうと知ったことじゃないから。政治家は本来ああいうかたちで自殺しちゃいけないのに、でも一方ではみんなが総統は自殺すると納得して、今か今かと待っている感じ。ヒトラーは自分個人の生涯と政治・国家とをダブらせていたし、基本的に唯物論者だから、彼の信念の底にあるのはナンでも『死ねばカタがつく』ってこと。それは政治家として失格」
「彼に一般市民的な生活感覚、自分が死んだら子供たちはどうなる?とか、残された女子供は、一般市民は、国民はどうなる?とかいうような感覚での私生活的な人間味があったなら、きっとああはならなかったろうしね。だから、彼の私生活が貧弱だったことと第三帝国の末路とは、非常に深い関係がある・・」
「そしてそれを周囲の側近たちも深く理解して、今か今かと待っていたらしいことが、近くにいた秘書の目線として、この映画は伝えてくれたと思うよ・・この映画、とにかくいろいろと考えさせられたんだけど、ま・・ヒトラーについて始めると長くなっちゃうしねぇ」
「それにマジになりすぎちゃうし(笑)かといってここまできて軍服フェチ話をするのもどうかな〜て感じだし」
「狩刈くんは学生時代はファシズム研究家で今はフェチシズム研究家だしね(笑)・・ところでこの映画ではほとんどが地下司令部が舞台になっていて、臨場感は抜群だったの。見終わって新宿の雑踏に出た時の違和感がかなり長いあいだ続いたよ。それはあの淡々とした映像のおかげだったと思う」
「トンネルと個室ばかりの狭い司令部だから奇抜なカメラアングルとかがなくてね、すべてを目線の高さで追っている映像設計は実に良かったと思う。あの司令部の臨場感というか迫真性は僕も素晴らしいと思ったね。実際に自分もソコにいてヒトラーが扉一枚向こうにいるような感覚が肌に伝わってきた・・だから、というと理由になってないけれど、僕は実はこの映画に素晴らしく感動しちゃったというナンとも複雑な思い(笑)があるな
「はあ・・感動、ねぇ。もうちょっと言ってみてよ」
「それがうまく言えないんだけど(笑)ヒトラーの自殺に感動するっていうのはヒトとしてあるまじき行為みたく思えちゃうから(爆)ここでは映画に感動した、とウソついておきたいんだけど(大爆)、要するに自死を目前にした人間の態度、というものがよく伝わったんだな」
「それはゲッベルス一家とかエヴァ・ブラウンとかにも描かれていたしね。なんていうか一種の心中みたいな・・国家や理想との無理心中ね。狩刈くんが感動したというのはその散華の美学に、という感じ?」
「うーん、これまた微妙な言い回しですな、散華、ね・・そう言っちゃうと、自殺を決意した人々の毅然とした態度、あくまでも現実よりは理想を信じ切ろうとする真剣な態度、それは人の胸を打つし、打ってどこが悪い?という開き直りすら感じられるな(笑)」
「でもそのメンタリティはこの映画が伝える『最期の十二日間』のメインだったよね。みんな一緒なら滅んでしまってもいい、死ぬのも怖くない、というような雰囲気が確かにあの地下壕にあった感じ。退廃もあり堕落もあったけれどそこは軽々に断罪できない、だって明日には死ぬとしたらそれはそれでいいか、って観客のわたしたちにも思えてきてしまう感じで・・」
「そうなんだね。そしてそれは実にもうひとつの『人間的』なものへの問いかけなんだという気がしたな〜・・つまり散華の美学とかデカダンなロマンチシズムとかはいろいろと批判も出来るけれど、そうした声高な美学ではなく、人間としての尊厳というような静謐なものとして描かれてた。ある理想を追ってその実現のために狂気の沙汰を遂行してきたのにその実現がついに不可能になった時、じゃあ死のう、おさらばだ、というのはこれ、非常に理解しやすい。潔い・・というわけで、それはある種の感動といったものに結びつきやすい。僕も一瞬、そこに感動しそうになった・・けど、それを信じて良いのかどうか、ひょっとしてヤバイんじゃないか、っていう複雑な思い、疑問が、僕には残ったな〜」
「ははあ分かった。破滅を前にした潔い態度っていうのは、市民レベル的な生活感覚の人間味とはまた別のレベルで一種、人間的な崇高さでもあり、わたしたちはそこに感動させられやすい、というわけね? 少なくともそういった二者択一的、all or nothingな態度にはわたしたちを感動させるナニかがある・・って感じ? だけど真に問題なのは、そこにどんな文脈が流れているか、ということでしょ。例えばヘンな話だけど、郵政民営化を貫きたくて総選挙に打って出て負けたら総理を辞めますっていうのはホント、潔いし分かりやすくて、ある種の爽やかさを呼び覚ますのかもしれないけれど、本当にそれでいいのか?ってことね(笑)」
「あまりにも突飛な例じゃないですかい、それ? まだ選挙結果も出てないのに(爆)・・はともかく、ヒトラーやゲッベルスたち、ナチ高官たちが自殺するのはね、まあそうかな、という感じなんだな。戦争責任を問われて連合国軍から処刑されるのは目に見えてるしね。けれどこの映画は一般市民、特に少年や少女が戦火の中で自殺する場面も描き込んでいたよね・・そして市民へのリンチとかいった狂気も描かれていた。あそこで仮に生き延びて生き恥晒してナンになる?と問われたときに、それでも死なないで生きるのだよ、君は生き延びるべきなんだ、と言って自殺を止められるものがあるとしたらそれはナニか? そんなモノがあるのかよ? という気がした。無論、現実はもっとドロドロしながら、複雑にいろいろな要素が絡まり合いながら続いていく。時には生き恥晒してオメオメと生き延びなければならない時もあるしズルズルしながらワケ分からない利害調整に巻き込まれて生きていかなきゃならないわけで。それは実のところ、爽やかな感動とはほど遠い、不信と妥協と打算の世界だ。けれどそれが本来的には政治的人間のまっと うすべき態度、勤め、政治家としてのあり方だと僕なんかは思うし、それもまたある面では非常に『人間的』なモヤモヤした世界だな、と僕は信じてるわけ。分かりやすい潔い態度というのは、こうしたモヤモヤした灰色の現実にサッと白黒つける鮮やかな感動を人間心理にもたらすかもしれないけど、それは大向こう受けする『劇場型』パフォーマンスであり、ホントはタダの崇高な感動にすぎなくて、実のところはドロドロしている現実に対する不能でしかないな、ってこと。それと小泉政権とがどう似てるのかは敢えて不問(笑)急に政権を投げ出したと思ったら陶芸家になっちゃった金持ちの暇人もいたよ(爆)」
「はいはい(笑)・・ともあれ映画に戻ると、あの秘書の存在っていうのは、さっきも言ったけれど地下壕のなかの視点という意味でとても良かったと思うのね。出しゃばらない控えめなポジションが最後まで観客として見続けるように、わたしたちを支えてくれた感じ」
「そうだね。軍医がちょっとヒロイックに味付けされてたのに対して秘書は立場をよくわきまえてたと思うな(笑)そしてもう一人、ユーゲントの少年がいたね。彼は秘書と二人でベルリン市街から抜け出す・・彼は、ベルリンに留まっていたらきっと<ドイツ零年>の少年になっていたかもしれないね。そして第一次大戦終戦時のヒトラーもまた、年齢はもっと高かったにせよ、ほぼ同じ境遇だったことを思うと、彼の存在もまたスパイスとして映画の奥行きを感じさせてくれたっけ」
「さっき狩刈くんが言った、それでも生き恥さらしてこのドロドロした現実を生きていくのか?という問題ね、そこをこの映画は自転車ひとつで締めくくったのね・・ああいう終わり方しかなかったとは思えないけれど、秘書の彼女が初めて自分という人間性を取り戻して笑ってくれる、それはせめてもの救いだったわ」
「その後の幕切れに登場人物たちの消息が出てくる・・ほんの十数年前までご存命だった人たちばかり!秘書の彼女なんてつい最近まで生きていたんだねぇ〜ってことをあらためて思わせる。戦後60年なんて言ってもまったくつい昨日のことだ。そのなかで生き延びた人々と、あの時に白黒つけた人々。映画は、軍配なんかハナから持っていない。そこは観客に託されているわけで。そしてこの映画にはいわゆる主役がいない。しいて言えば戦争が主役だけれど、そうなってしまうのは戦争が個体の主役的な存在を否定するところで成立するからだね」
「そして生き延びる意味をあらかじめ封じ込めて、白黒つけなきゃダメだっていうような毅然とした潔い態度、目の前の問題、生か死かの問題にヒトを追い込んでうっかり感動させちゃうのも戦争だな、っていう気がした。・・とにかくブルーノ・ガンツは好演したよね」
「ゲッペルス夫人と松金よね子ブラウンもね・・というわけでなかなかの力作でした!」
(2005/09/07)


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