「エル」1952年メキシコ  


ルイス・ブニュエル監督 アルトゥーロ・デ・コルドバ

「この作品はブニュエル映画のなかでも独特な異彩を放ってると思うな。笑っていいのか身につまされていいのか、分からないけど、僕はシニカルに見たい。あの奥さんはなぜ、ああいう超エゴイストと一緒に暮らしていられるのか・・どこかにリアルでないところがある
「ウルトラ・スーパー・エゴイストの夫が妻の行動を隅から隅まで支配しようとして、結局は捨てられて、頭がヘンになっちゃう物語・・というとホームドラマみたいだけど、そこを尖らせて奇抜な感じで見せてくれるのね。それで、シニカルな見方ってなに?」
「えー、ま、これは僕の仮説にすぎないんだけれどね、あの妻ね、彼女は実はマゾヒスティックなところがあってさ(笑)。まず、映画の物語というか本編は、妻が昔の婚約者と街なかで再会して、聞いてよ、わたしこんなに虐待されてるの・・といった感じで話し始めるだろ?」
「もともとは、その婚約者がいたんだけど、主人公フランシスコの強引さに惹かれて、彼女はまあ、乗り換えしちゃうのね。それで、ひょんなことから元婚約者が彼女と再会してみると、彼女はなんだかひどくヤツれてる・・」
「そうそう、それで彼女が夫との悲惨な生活、夫の嫉妬につぐ嫉妬、自分勝手な振る舞い、自分には全然自由がない、なんてことを話し始めて、映画はその回想シーンで繋がっていく・・僕は、この一人称的な回想形式という設定でピンと来た。これは妻の主観的な映像、もっといえば妻の側の勝手な妄想、もしかしたら希望的な幻想までが入り込んでいるんじゃないかなって思うんだよね」
「妻が、ああいう夫に苦しめられたい・・とか願ってるんじゃないかっていうわけぇ?それはシニカルっていうか、ヒネくれた見方で狩刈くんらしいよ(笑)」
「いやいや、それはルイス・ブニュエルの映画だからですよ(笑)。とにかく、夫フランシスコの執念はすさまじい。すでに精神錯乱の兆候はアリアリとあるわけで、そういったパーソナリティが端的に、騙し取られた祖先の土地を取り戻すっていう挿話に描かれてる」
「そのくせ人に聞くと、誰もがフランシスコほど清廉潔白で潔く正しい人物はいない、なあんて素晴らしい評判なのよね。でも実際は妻に向かってピストルを打って脅かしたり、ふざけて塔の上から突き落とそうとしたりするすごいサド」
「・・だから・・僕は、実際はそうじゃなくて、それは妻の妄想なんじゃないかって思うわけ。あのピストルは後年の<ブルジョワジーの秘かな愉しみ>でフェルナンド大使が撃つピストルを思い起こさせるな・・つまり夢なんだよ」
「(笑)はいはい。確かに夫は妻にこう聞くの『君は虐められるのが好きか?なにかが私を引き留めるのだ』・・ところでこの映画はブニュエルらしい足フェチがモチーフになっていて、なんかクスクスしちゃう
「あの奥さんの脱ぎ捨てた靴をきちんと棚に置き直すところなんか、いいよね〜」
「それからフランシスコの屋敷の造形、あのインテリア!映画のなかでも登場人物に言わせてるけど、ロココ調とアールヌーボーが自家中毒を起こしたような(笑)奇想趣味といったら聞こえがいいけど、グロテスクな悪趣味で、住む人の錯乱した人となりをまざまざと伝えてる
「さすがに建築士さんは目のつけどころが違うね〜〜」
「それと、すごくコワイのは・・・針とカミソリとハサミを真綿にくるんで・・」
「彼、ナニをしようとしたんだろうねぇぇ、ふっふっふっ(笑)」
「ぞーーーっとしちゃう。あと、教会のなかで被害妄想に陥って、ゲラゲラ笑われる錯覚のシーンもすごいわー」
「すごい冴えてるよね、とにかくああいうイメージがシュールに冴え渡っているんで、まあ、やっぱりこれは見かけどおりの映画じゃないよ」
「産まれた子供につけた名前がフランシスコ・・」
「謎だ、ブニュエルは、フランシスコは私だ、って言ってるらしいけど、まあその解釈はいろいろあるらしいけど。この作品は、例えば<皆殺しの天使>にも匹敵する、メキシコ時代の傑作で、しかも後年のややエレガントでアイロニカルなフランス時代も予感させると思う」(2001.1.16)



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