「市民ケーン」1941年アメリカ

オーソン・ウェルズ監督 オーソン・ウェルズ ジョセフ・コットン ドロシー・カミンゴア

「まあ映画史上最高の映画とは言い古されてる賛辞だけれど、何度見ても映画的には面白い
「一方でドラマ的には、まあまあ・・というのがいつものオーソン映画ね。彼の映画には、あんまり好きになれる人物が出てこない」
「だってそのほうが面白いからだよ(笑)。<黒い罠>なんかまさにそうだしね」
「えー?だからわたしには、ドラマ云々より映画にまつわる逸話をあれこれ読んだりしてた方が面白かったりして(笑)。いまだにマンキーヴィッツとオーソンとどっちがどれだけどこを書いたのか?なんて取りざたされているし・・」
「好きな場面はたくさんあってね。ほら、僕らが昔、ヘンテコな映画を作っていた頃に狩刈監督がどうしてもマネをしたかったシーンを覚えてる?」
「覚えてるよ〜〜天窓からカメラを部屋の中に入れたいってダダをコネた狩刈監督の姿が昨日のことのようだわさ(笑)」
「まあね。この映画はそういう映像表現的な部分で鬼面人を驚かすってところばかりで、僕なんかはそっちが面白くて逆にあんまりドラマとか見てなかったりするんだよね。で、今回あらためてよくよく筋運びのほうを見てみたら、なんか気になるところが多かったな・・」
「たとえばどんなところ?」
「いや州知事にならんとしてる男が場末の歌手を愛人に囲ったりしてるとかさ。コットン扮するリーランドが選挙で負けたケーンをボロクソに言うあたりの態度とかさ。そういうメロドラマ的な部分でフに落ちないことが多かった
「確かにケーンがスーザンを囲っていて、そこに現知事のゲティスだっけ?ゲティスその人が直々に登場してるなんていうのは、かなり芝居じみてるよね。っていうか、演劇的なの。演劇って、流すシーンがないぶん映画よりも時間の密度が濃いから。だからそこはオーソンウェルズらしい物語の作りだったんじゃないかしら」
「なるほど、ラジオドラマ的っていうことか。そんじゃリーランドの悪態は?僕はあのシーンになると極端に低いアングルが気になっちゃって、これはゼッタイに床に穴をあけて撮影したんだな、とかばっかり考えちゃってね(笑)どうしてリーランドがあそこまでケーンをやっつけるのか分からない・・カレはまだクビになってないし」
リーランドっていう人間像は、わたしにはとても魅力的に思うよ。彼もオーソン映画のその他の主要登場人物と同じく一筋縄じゃいかない複雑なコンプレックスを抱えているみたいよね」
「そもそもオーソン映画の登場人物って、完全に機械的か、あるいはシェイクスピアの登場人物にも匹敵するフクザツさを背負っているかのどちらかだよ」
「そうなの。それでリーランドはケーンをよくよく理解してる人間で、でも多くを語らない。彼は自分が偽善者だってこともよく承知してるし。それだからこそ晩年に新聞記者が訪ねてきた時にはもうちょっともうろくしちゃってニコチン中毒になってるっていうケムの巻き方だったのね・・」
「はあはあ。確かにその他の人間、スーザンにしてもバーンステインにしてもキチンとそれなりのことを記者に語って聞かせるのに、リーランドだけは肝腎なところにくるとすぐ『葉巻もってない?』とか言うんだよね。あれはリーランドがワザとそうしてる、と思うわけ?」
「ワザと、っていうか、そういう愛着をこめてオーソン監督が描いたってことは確かでしょ? そこにはなんかしらの意図が隠されてるんでしょうよ」
「人間像で見ていくとこの映画はそもそもケーンの人間像をどれだけ描いているか、ってことからスタートしてるわけでさ。最初のニュース映画の試写がオクラになって『もっとカレの人間像を掘り下げるんだ』てなことになる」
「それでローズバッドね。わたしはローズバッドの一言は、どれだけ観客の興味を惹くかなあ、って考えるなあ・・まあ何度も何度も見てる映画だからもういちいち気にならないけれど、多分、最初に見た時にはあのローズバッドっていう言葉はそれほど気を引かなかった・・ていうか、人間の今際の言葉にそんなにたいした意味があるわけないんじゃないか、って思ったと思う」
「なんとも曖昧な言い方だねぇ(笑)。確かにオーソン監督自身もそういうことを映画の最後で記者に言わせてるしね。女史はこれ、初めて見た時なにを思った?」
「もうはるか昔のことだから忘れてるよ〜」
「初めて見た時になにを思ったか、っていえば僕はやっぱりドラマでなくて映像設計の部分でね。スーザンのオペラのシーンでどんどんカメラが天井にあがっていって、そこでなんだなんだ?と見ていくうちに天井裏の緞帳係りの男までやっと来て、途端に彼らがハナをつまむ・・そこまでの気の持たせ方!ああいうのが映画の表現なんだ、っていう驚き!
「おびただしい美術品のラストシーンとかもね。まあ、今回はそういう話はナシにしようってことで始めたわりにはついついそっちに戻っちゃう・・で、ドラマの話。スーザンという女性を奥さんにするなんてあたりもちょっとわたしとしては疑問。彼女はどこまでもケーンとは釣り合いそうにないし」
「ケーンの独善的な気持ち、強引な所有欲、自己満足欲といったものだけじゃ、彼のスーザンとの再婚はちょっとキツいよね。説得力に欠けるキライもある」
「彼女がゲティスの脅迫シーンあたりで完全に奥さんを手玉にとっちゃうくらいのドラマを演じていたら、そうかな〜て思ったかも」
「あるいはケーンの弱みらしい母親とのつながりをスーザンがダブらせてるとかね。ケーンてマザコンかな」
「まあそういう精神分析的な発想って辻褄合わせにも似てるんだけど、これはそういう観客の憶測をあんまりアテにしてない映画って気がする」
「ウェルズ監督作品は、いつかも言ったけれど、必要なことはすべてセリフか演技でそこに描かれていて、だからヘンな憶測が入り込む余地が少ないってことはあるよね」
「おまけにあの緻密な映像だし・・」
「いつか誰かがドラマの面でこの映画を解説してくれる本を書いてくれたら!っていう気がするね」
(2003.2.10)


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