「イーディのチャオ!マンハッタン」1971年アメリカ



ジョン・パルマー デビッド・ワイズマン監督 イーディ・セジウィック イザベル・ジュエル ロジェ・バディム

「あれ、セロリとニンジン持って、どうしたの?それに、うまそーなディップ」
「えー今日はついに狩刈くんが<チャオ!マンハッタン>について沈黙を破ると聞いたんで、こりゃかなり長丁場になるかと・・」
「さあすが女史だねぇぇ恩に切ります。じゃ僕はビールでも持ってきて・・と。いんやーしばらくジェス・フランコ・セレクションで一人トークやってたから、タマってます(笑)」
「はいはい。こっちがチリソース入り。こっちはクリームチーズ・・」
「むしゃむしゃ(笑)。実は、どうやって切り出したらいいか、テンで考えがナイんだよね・・イーディ・セジウィックについて今さらアレコレと言うのはカッたるいから、むしろウルトラ・スーパー個人的な思い入れだけで突っ走っちゃおうかと・・」
「いいんじゃないの?もともとここのコーナーはそういうおしゃべり。興味ない人には入り込む余地のない、独善的トークタイムだし」
「って焚き付けてくれると、ますますありがたいなぁ・・だから、一応、今回・・に限らずだけれど、今回は一人ヨガリで突っ走ります。そもそも僕がまだ赤ん坊の頃、世の中は60年代半ばを迎えて、旧来の世の中の価値観がグルンとひっくり返り始めたワケ」
「昭和じゃなくて1960年代ってことね」
「実際、昭和60年代は、バブル最高潮に突入していよいよ旧来の価値観が終焉を迎えた時期なんだけれども、僕が言ってるのは1960年代の方・・で、僕にはかなり年上の従兄弟が沢山いたんで、ごくごく幼少のミギリから、当時のヒッピームーヴメントやらフラワームーヴメント、要するに後になって村上龍が描いた日本の60年代後半の風潮を、かなりヴィヴィッドに感じてた・・幼稚園で『安保!反対!』のデモごっこを流行らせて、先生に怒られたりした(笑)」
「(爆)さもありなん、て感じがするよ。それで後々、学生になってもバカらしくて学生運動が出来なかった・・っていうトラウマ話しをいつか聞かされたっけねぇ・・むしゃむしゃ」
「しかも生まれ育ったのは、とある競輪場とヌードシアターの近所(笑)。山の手にお育ちの女史とは全然両極端な世界の息吹(笑)をたくさん吸い込んで、狩刈少年は大きくなりました・・今でも思い出すのは、競輪場からドッと出てくる酒くさいオッチャンたちの、労務者風のいでたち。思わず母親の手にすがって僕は尋ねた『ママ、こういう人たちが刑務所に入るの?』
「(爆)・・なんの話しだか分からなくなってきたけど、いいよ、その調子」
「なぜこんなバカ自伝めいた話しをするのかというと、イーディについてはオーラル・バイオグラフィと切り離せないから(笑)・・というのはウソで、僕自身のかなり深いところと彼女の存在とが勝手に響き合ってるんでね。それで、競輪場の一方で、場末のヌードシアターは狩刈少年にとって、めくるめく憧憬と衝撃に満ちた世界なのであった・・」
「そのヘンはパゾリーニの方と深いところで響き合っていたりするわけ?」
「どうかなあ・・ま、いろいろと生まれ育った環境てのはその後の人生観に甚大な影響を及ぼすわけだよ。ところでこのゴマだれディップもいける・・」
「気を持たせてばかりいるね。そういう、まあ裏ぶれた下町風情と60年代も末の一種アナーキーな世相が幼少の狩刈くんの住む世界だったというわけで、それがどうしてイーディとつながるわけ? もともと、というか、日本でイーディ・セジウィックが広く知られるようになったのは、89年に出版された彼女の伝記本のおかげでしょ。イーディは60年代後半、アンディ・ウォーホルの秘蔵っ子で、彼のファクトリーに出入りしてた女の子ね」
「そうなんだね・・大富豪の娘で、色んな事情があってウォーホルのところに出入りして、彼の実験映画に出たり、まあ当時の乱脈ハイソ生活をドカドカ生き急いだりして、ヤクのやりすぎで28歳だかで死んじゃった・・彼女のライフストーリーを支える戦後アメリカ社会の細部については、あのインタビュー伝記本に実に詳しく出てるから、ここでは繰り返さないけど・・」
「日本でも、ちょっとトガったような芸能人の女の子が愛読書だ、とか言って、盛んにもてはやしてたよね。わたしももちろん読んだけれど、まあ、憧れはしないけれど、ああいうかたちでアメリカってものをヴィヴィッドに感じさせてくれた本はほかになかったし、だから面白くは読めたの」
「ところが実際のところ、僕とイーディの出会いは、あの本が出る前でね・・オフシアターでやったウォーホルの実験映画上映会で、<ヴィニール>を見たとき、フレームのはじっこになんともシドケない態度で心ここにあらず・・という様子の美少女にクギづけになった」
「<ヴィニール>は、ほとんど<時計仕掛けのオレンジ>そのものなのね・・拷問映画(笑)でももちろん<時計仕掛け>よりずっと前の作品なんだけど・・ウォーホル映画らしいタイクツ映画。見てるのがすでに拷問なの」
「(笑)アンディ・ウォーホルのヴァイナル!なんて掛け声で始まって、ただひたすら寄ってたかって若い男に拷問をくわえる様子をただ一台のカメラで長々と撮ってるだけの作品・・で、僕はその映画でイーディの長い脚と細い指、ハレーションを起こしたようなブロンドに出会った・・いったい彼女はナニモノ??と思って、調べまくった・・」
「へええー。ま、狩刈くんが研究熱心になるとスゴイから、その意気込みはなんとなく想像つくけど。どうしてそこまでイレこんじゃったのかしらん?むしゃむしゃ」
「なぜ彼女に恋しちゃったのか、その理由はいろいろあるけれど、多分、僕にとっては、ずっと幼かった頃の、まあ女史が言う裏ぶれた下町風情と60年代も末の一種アナーキズムな世相を甦らせてくれたんだな・・」
「うーん。そこのところがウルトラ・スーパー・パーソナルな思い出なのね・・」
「しかも彼女の存在感はまるで、生きる傷口、みたいに生々しく、時にはオドロオドロしく、しかもはかなく、僕には感じられた・・で、そこいらの予感が、例の伝記本のいたるところで確かめられて、いよいよ思ったね、これはなんか僕の一番のウィークポイントだな、って」
「狩刈くんの、なんていうかゲバルトな(笑)人生観とかを作ってる、その根っ子の琴線に触れちゃった、っていう感じ?」
「そうなんだねぇ・・ある意味では、実在したイーディ・セジウィックという女の子からはとうに離れて、記憶はオボロゲながらシッカリと脳裏にはプリントされてる、60年代末期のウラぶれてサイケなアナーキズム、ライフスタイルとしてのゲバルトみたいなもの、若松孝二監督の世界(笑)それ自体がヴァイブレーションを起こし始めた・・って感じ。これは、だから微妙な話しなんだ。僕より年上の人だったら、もっと明瞭な記憶があって、そんな魔法のゆりかごめいたヴァイヴレーションなんか感じないかもね。あるいはずっと年下の人には、なんのことやらサッパリ・・って感じもあるかも知れないし」
「まあ、わたしは狩刈くんとは同世代だけど、残念ながら競輪場とヌードシアターの近所に住んだことがないし(笑)そういう意味では、世代が同じでも共感できる人は限られてるよ
「もちろんそうだね。人は、そういう意味では、分かり合うことは出来ないよね・・だけど、僕自身としちゃ実在したイーディはほとんど無意味。あの伝記本も二回は読んでない・・むしろ僕自身の血肉と化しちゃったイーディという存在。これが、実は居心地悪く、時々、僕のなかでゴロゴロとヴァイヴレーションを起こす・・」
「なるほど・・ふんふん。そういうことってまあ、あるかも。はっきりとは分からないけど、わたしの場合、中世ヨーロッパのロマネスク世界とかが、なぜかそうなんだ・・それって小さい頃に通ってた教会とかの影響がある、と言えば、まったく狩刈くん式の精神分析があてはまるのかも」
「そういうことって、きっと誰にでもあると思うんだよね」
「そういえば<イージー・ライダー>もまた、狩刈くんにとっては、この<チャオ!マンハッタン>と同じく、60年代末期のウラぶれてサイケなアナーキズムを揺り動かすんだったよね」
「そうです・・(笑)。それはねぇ、誤解を恐れずに最高に単純化して言うと、命を命と思わない・・というアナーキズムなんだよ。命を、その他のモノの下に置く、っていうこと。ただ一回キリの人生、かけがえのない自分の命を、その他のさして重要でもない刹那的なモノの下に置く、ということ」
「うーん・・分かるような分からないような。確かにそういう考え方を広げていくとアナーキズムなのかも・・でもタダのデカダンスにすぎない感じもする」
「そうだよ。デカダンス、そのものだね。ただ、それまでのデカダンスは高踏遊技的な死との戯れにすぎなかった・・それはブルジョワの閉塞と懶惰と一致してた。<甘い生活>なんかで描かれたランチキは、アンチ・モラルではあったかも知れないけれど、生命の否定ではないしね。でもあれだって、欧米の違いはあるけど、ものすごいセンセーションとキワモノ世界のマニフェストとして受け止められたというんだよ」
「生命の否定といったら、むしろバイオレンスなのかも・・でもバイオレンスにはなんとはなしに大義名分が必要だしね、命を捨てるのにもなんか理由がいるって意味で」
「うんうん。つまり大義名分なしに、自分の生をそこいらにうっちゃって良しとする、そういうデカダンスが一つのライフスタイルとして認知されロマンチックに喧伝されるようになったのは、明らかに60年代後半以降だよ。なぜなら、こういうデカダンスは衣食コト足りて始めて成立する価値観だから。ところがベビーブーマー世代を経て、若者の反抗とか社会からのドロップアウト、ないしは脱出、としてこのデカダンスは次第に意義を持ち始めた。つまりサブカルチャーとして」
そこにはドラッグとセックスが切り離せなかった・・という意味では確かに60年代が際だつエポックだったのかも・・実際のところはわたしにはよく分かんないんだけど」
「僕にも分からないな、本当のところは。その時代を生きてきた人は分かるかもしれない。でも一方では、逆にその時代をアクチュアルに生きてきたからこそ却って分からない、ってこともあるかも」
「例えば、わたしはバブルとその崩壊をアクチュアルに生きていたわけだけど、バブルが引き起こした本当の恐るべき社会の空洞化、崩壊ってものをうまく言い表せないんだけれどね・・ただ感じてはいるんだけど」
「で、いま言ったデカダンス、つまり命を命と思わずにもっと下等な、というか刹那的なモノの下に置くという価値観と、競輪場とストリップとは、あまり深い関係はない(笑)。ただ、生身、その重さ、という意味でね、どこか遠いところで僕の中でつながってる」
「そりゃヌードシアターは生身でしょうけど(笑)」
「いや、生身と異物、という関係。こじつけがましいけど、生身の正反対のところにあるのは貨幣であり、要するにカネだ、物象化した価値観だね、つまり理念でありコトバだ。そのコトバは、例えば『政治イデオロギー』であり『消費社会』であり『ヌーヴォーフィロソーフ』であったり、そして当然にカネがカネを産んだ『バブル』であったりする・・この、60年代以降の生身VSコトバの相克、そして生身の敗北、価値の下落・・そこに、例えばパゾリーニの問題、<豚小屋>や<ソドムの市>の問題意識があった
「あー・・それは裏番組でさんざん書き散らかされてるよ(笑)。それはともかく、人間は、60年代に、命というか生身というか、そういうかけがえのないモノの価値を貶めてセックスやドラッグやらの下に置いた、そういうデカダンスをライフスタイルとして認知していった・・というのが、まずは狩刈くんの持論というか前提というか・・それで、なかなか映画の話しにならないんだけれども(笑)」
「まだ、ならない(笑)。今の女史のまとめは、なんか分かりやすすぎて、僕自身の曖昧な痛みみたいなものをすくい上げてくれてはいないんだけど、まあそこは仕方ない・・それにここで60年代とは何か?をやってもセンない話しだし。ただ、要するに、『かけがえのない命』という思想が人間の価値観の根底にあったとすれば、人類は自滅・絶滅からは逃れられる。けれど、むしろ死に向かって生きる、という自滅の発想がひとつの価値観として、ある局面ではロマンティックな美学のようなものに映る瞬間もある」
「はあはあ・・三島みたいな?」
「僕は、三島は、彼の個人的なものを、ものすごく時代の傾向に売ってしまった、最後には命まで売り飛ばしちゃった、それで死んだんだと思ってる・・けど、それとは別に、いずれにせよ、『命』なるもの、『自分が生まれた、ということ』への驚異の想いと矜持と、多分、感謝の念。そうしたヒューマンなものが不当に蹴落とされて、行方を失う・・そんな、人類古来の価値観の基盤であったものがついに陥ってしまった迷子状態を、一体どう突破するか? それをメキシコ国境で、ショットガン一発で吹っ切ったのが<イージー・ライダー>。本来は混迷に混迷を極めた人生の苦悩を背負うべきところ、あっけなくブチ殺しちゃった」
「ヤク売人のPフォンダやDホッパーはともかく、途中参加のJニコルソンには、そういう陰影が浮き彫りにされていたよね」
「でしょ・・彼は弁護士だかなんかだったよね。で、あらためてもっと家庭的な舞台において中年の危機のほか、いろんなしがらみから混迷していたケヴィン・スペイシーをやっぱりズドンとやっちゃったのが<アメリカン・ビューティ>。アメリカ人てのは、30年経っても、こういう瞬間にピストルを出す・・とまあ、また話しがそれちゃって小難しくなっちゃったけど・・」
「今の日本で、なぜ人を殺しちゃいけないのか分からない・・なんてことを言ってる世の中に、そこはダイレクトにつながってるとは思うなあ・・そこまでアメリカナイズされちゃったことの恨み辛みみたいなものも」
「人の命になんら基盤をおかないカネが一人歩きしたバブルを経て、日本はいよいよ、自滅絶滅の道を歩き出したわけだよ」

(intermission!)

「ところで話しは飛ぶけど、ジョン・ケールとルー・リードのコラボレーション『ソングス・フォー・ドレラ』を覚えてる?
「同名のウォーホル追悼アルバムのコンサートね。なつかしいねぇ・・あれNHKホールだったっけ?会場がシィンとしててね・・観客の誰かが『ジョーン』て叫んだら、別の誰かがどっかから『ケール!』なんて答えて大笑いだったっけ」
「同じく『ルー!』『リード!』なんて応酬したりして・・そのなかで、『アンディ!』って小声で呼ぶ声が一回だけ聞こえた・・それはそれは印象的だったね・・あとはルー・リードがエキサイトしてステージの灰皿を蹴っ飛ばして倒したりしてね・・で、演奏中、僕が思っていたのは、今じゃ小綺麗に黒いジャケットでキメこんだステージのオッサンたちは、その昔、イーディとヤクやって笑って一緒に飲んだり食べたり抱き合ったりしてたんだな・・ってこと。そいつが、実にまったく奴らのロックンロールなんだ! ウォーク・オン・ザ・ワイルドサイドなんだ!っていうことだな
「うんうん。そのヘンの話しはハネた後にしたよね。でもルー・リードもジョン・ケールも死にはしなかった・・Jモリスンは死んだけど、ワイルドサイドを歩け!とは歌わなかった、とかね。えーと確か、狩刈くんがニューヨーク行ったのはその頃だったっけ?」
「そうそう。泊まったホテルは違ったけど、わざわざチェルシーまで出かけたり、あとはMOMAでウォーホルの<ビューティ#2>を見たり・・と、やっぱり僕にとっては、現実のイーディなるものの幻影を追い求めつつ、実はそれが一種の心の旅、というか、内なる旅路にも思えてくる・・そういう絶妙な存在というわけ」
「で、そろそろ、映画の話し・・」
「この<チャオ!マンハッタン>は、さっき話したような<イージー・ライダー>や<アメリカン・ビューティ>がズドン!で締めくくったものを、ヒロインの現実の死、というかたちで締めくくった、という意味でね、僕は金字塔に思えてくる・・シリコン入れてパンパンに膨らんだイーディの胸に象徴される生身の、オゾマシサ! つまり不当に貶められた『命』『生身』が、床を引きずられながら、そのカケガエのなさをギリギリと主張して、一種、グロテスクなまでに身もだえしてる・・そういう迫力が、僕には伝わってくる。だから、持って行きようのない哀しみがあるし、決してズドン!一発では回収できない寂寥感が漂う」
「イーディを生きる傷口、と呼ぶのは、そういう意味合いから来てるわけね・・まあ、この映画に出てくるイーディは、死の3ヶ月前の、ほとんど廃人状態で、よくもまあそういう人間を映画にしたな・・っていうか、これ、普通に考えてもすごいよね」
「まったくゾッとするね(笑)」
「映画は、テキサスからカリフォルニアまで自動車旅行してる若い男の子がハイウェイでイーディを拾って、彼女を家に送り届けるところから始まるのね。それで、彼女は麻薬のやりすぎで脳が溶けかかっていて、廃人同然。話すことといったら65年の、ニューヨークでガール・オブ・ザ・イヤーに選ばれて有名人たちにチヤホヤされていた思い出話だけで、どうやら彼女は現実と思い出を取り違えてる」
「過去の栄光に生きる以外に、現実には適応できてない、っていう状態。セリフというか、話し方というか、とにかくロレツが回らないで、まったくジャンキーの末期症状もかくやと思えるくらいにヒドイ・・しかもいつも半裸。パンツ一枚。踊ったり喋ったりタバコ吸ったり酒飲んだりして、他愛のないことを喚き散らしているだけ・・」
「語り手の男の子が、いったいこのコはなんなんだろ? とか、でも、ちょっと可哀想だな・・とか言いながらつかず離れずしていて、そこは共感する。人間が、ここまでボロボロになってるのをドキュメンタリータッチで撮った映画も珍しいよね
「まったく陰惨な映画だねぇ・・これはスナッフ・ムービーなんだよ。あの母親の描き方とか使用人のジェフリーの冷淡な態度とかがね、類型的ではあるんだけれど、ある意味では現実のイーディを取り巻く人々の率直な気持ちも体現してるはずだし」
「映画には、もうひとつプロットがあって、ヤクの売人ポール・アメリカと、謎の背後関係をもつ実力者ヴェデキオとか、その運転手でそこいらじゅうに盗撮ビデオを仕掛けてるらしい部下とかが出てきて、このへんはワケが分かんない」
「実際、65年当時に作りかけていた別の映画とツギハギだから、モノクロ部分は僕にもサッパリ意味不明だ(笑)。ただ、元気で、ややマトモな(笑)彼女、<ヴィニール>や<ビューティ#2>の頃の彼女が拝めるのは嬉しいけれども・・メタ映画、って感じもするな(笑)」
「途中、ウォーホルって誰?聞いたことないなあ・・なんてセリフもあって、ちょっと一矢報いたつもりなのかも知れないけど、アンディ・ウォーホルの影は薄かったのね」
「ま、彼は、誰が死んでも、ワァァォォォォオオオ!としか言わないからね(笑)。<バスキア>なんかのウォーホルは美化され過ぎてるんじゃないかな。来日した時、僕は銀座のレセプションで見たことがあるんだけれど」
「<54☆フィフティフォー>で後ろ姿だけ出てきたウォーホル(笑)にはリアリティあったような」
「映画は徹底的に、哀れな女だ、という視点でイーディを撮っていて、でも確かにどっから見ても哀れな女に違いないんで、そこはブレてなかった」
「で、最後は、過去を忘れさせるための電気ショック療法を受けてる最中に、自分の結婚式の映像がダブるのね、あそこには曰わく言い難い、なんか、やっぱりゾッとするよな感銘はあったの。あの結婚式の映像は、彼女自身の本当の結婚式ね、映画のためのシーンじゃなくて」
「そうだね。この映画と相前後して彼女は結婚してるし、そして死んでるわけだ・・ラストで彼女の訃報を新聞が伝えるカットがあって、なぜかあたりは雪になる。見知らぬ富豪の年寄りが、若者は自分の身の回りに気を使わなさすぎる・・というようなことを言う。まったく、映画としてはサッパリだ(笑)。だからこそ、僕なんか、ものすごいショックを受けたんだけれど、そのショックはすごく個人的なものでね、一種の、美、というものすら感じる。でも、普通の意味での美なんかじゃないよ、沈黙を無理矢理強いる正体不明のモノ、というような、小林秀雄式の考え方(笑)の範疇なんだけどね・・謎、と言い換えてもいいね、回収不能の謎。そういう映画は、僕にとってあと一本しかない・・つまりそれは<ソドムの市>なんだけれども」
「映画としては混乱していて、まあ多分、駄作なんでしょうけど、それでもどこかに詩的なもの、創意、それにうまく言えないけど、なんか重さを感じたのは事実なの」
「それが生命の重さ、ってことですよ・・というのは、こじつけがましいかな?(笑)」
「わたしは<ハロルドとモード>なんかも、チラッて思い出したよ」
「<ハロルドとモード>! さすがだねぇ(笑)、まさしくあの映画こそ、命を命と思わずに自殺未遂ばかり繰り返す少年と、そんな息子は理解不能だ!と諦めて断絶してる両親の映画だった・・けれど、少年と心を分かつ老婆、っていうあたりに、ひとつの甘いメルヘン的な出口が設定されてた。基本的にはあれ、ブラックユーモアなコメディだと思う。語り口の勝利だね・・でも、この<チャオ!マンハッタン>には、どこにも出口がない。ヒロインの本当の死、以外に」
「わたしが<ハロルドとモード>を思い出したのは、一種の自傷行為、っていうこと。反抗とか、閉塞とか、その理由はいろいろあるでしょうけれど、自傷行為を繰り返してるうちに、ハロルドはもしかしたらうっかり死んでいたかも知れないでしょ・・でも彼は死ななかった。生きていこうとした、それは<ハロルド>が提示した、<イージー・ライダー>とはまた別の出口」
「それと、イーディが出口なしで、舌かまないようにゴムチューブを咬みながら電気ショックを受けて結婚式のことを思い出してるうちに、本当に死んじゃった、というのとは、映画としてまるで違うものを描いていた・・ということだろうけど、まあそこはフィクションとドキュドラマの違いもあるしね」
「ただイーディ自身の生い立ちとか家庭環境とか、そういったところで彼女が追い込まれた自傷行為、って考えたいの。彼女は死にたくてああなっていったわけじゃなくて、やっぱり生きたくて、でも結果的にああいう結末になっちゃって・・っていうふうに考えると、これはすごく彼女の固有の、もっと言えば彼女に属する映画であって、一般性は希薄にも思うってこと」
「うーん。しかも、見てる側も、一般性が希薄だからなあ(笑)」
「ウルトラ・スーパー個人的な生い立ちと重ねて見られちゃ、完全に独善的・・いえ、もちろん60年代の世代論とか、生命を軽んじることがクールなライフスタイルだ!みたいなところは、一般的なんだけど」
「・・要するに<ハロルドとモード>は<チャオ!マンハッタン>よりもよっぽど一般的な映画で、<チャオ!>はイーディ個人の症例研究にすぎない、ということは確かだよね・・同じようなテーマを提示しつつも、もっと違うリカバリー精神を表明した<真夜中のカーボーイ>みたいな明晰な、ある種のマニフェスト映画もあったしね。でも、この<チャオ!>は、多分、<リキッド・スカイ>みたいなサブカルチャー・シーンには確実に引き継がれていった・・」
「空飛ぶ円盤、マンハッタン、ドラッグ、セックス、いいとこのお嬢様、廃人同然のヒロイン・・どれをとっても、<リキッド・スカイ>は<チャオ!マンハッタン>と切り離せないよね」
「そうなんだ。そこはダニー・ビアリーも指摘してるけどね。もしかしたらアン・カーライルは<リキッド・スカイ>で、かなり意識的にイーディを視野に入れていたのかもね。彼女自身、N.Y.のサブカルチャーシーンでは、かつてのイーディほどじゃないにせよ、頭角を現していた女だったというしね」
「まあ、とにかく・・今回この映画を見て、いろいろと考えさせられた・・けど、それを自分で発展させる、っていうふうには、わたしはならないなあ。そのネタがないし。狩刈くん相手でなけりゃ、今日した話しも出てこないかも」
「まあ、そんなことで・・ディップもうまかったし・・なんか肩の荷が下りた感じだよ(笑)。今度は、もうちょい、一般的でお気楽なヤツを見たいね」
「<エリン・ブロコヴィッチ>とか?」
「いいねー。コキおろしますよん(笑)」
「まあお手柔らかに。あれもまたアメリカ、には違いないんだし」
special thanx>かなん、susan、Dr.forest
(2001.4.10)

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