「キャンディ」1976年アメリカ



クリスチャン・マルカン監督 エヴァ・オーリン

「実はマーロン・ブランドの追悼記念にナニを見ようかという話になったんだよね」
「<波止場><地獄の黙示録><ゴッドファーザー><ラストタンゴインパリ>・・を押しのけてなんとこの作品(笑)ま、狩刈くんの社会復帰第1弾としちゃ申し分ないチョイスでしょ」
「申し分ないというか申し訳ないというか(笑)しかし僕の社会復帰って、ちがうでしょ?」
「一年間更新してなかったから、ご近所からはヘイの中に入ってるんだって思われてたよ」
「えーちがうでしょ〜女史の育児期間終了、おつとめご苦労様第1弾て言うべきでは?」
「言いやがったなこの!どうせまだ独身よ!」
「ま、ま、独身でも育児は出来るわけで・・と、それはともかく映画の話」
「駄作。けれどラウンジムード満点の、懐かしい雰囲気はあるよね」
「モンキーズのテレビ番組のちょいアダルト版。でもひたすら可愛いエヴァちゃん以外に見るべきモノはない・・例えアホなヨガ行者にマーロン・ブランドが扮してるとしても」
「女子高校生キャンディのお色気を巡って周囲の人たちが引き起こすドタバタ、と括っちゃうとその括り方がバカらしくなるくらい括れない」
「いちいちのエピソードはね、まあまあ思いつきはいいんだよね」
「現代詩人にリチャード・バートン。彼の演技はさすが。存在感あって記憶から消し去れない」
「あのへんまではまあ笑えたかな・・って開始10分間だけど」
「庭師にリンゴ・スター。アホなメキシカンで、どういうわけかジョン・クリーズが作ったコメディ<フォルティ・タワーズ>のマヌエルを思い出しちゃった」
「またマイナーなとこに来ましたな〜あのへんのメキシカンのからかい方もね、常套的だけどまあ笑える」
「つぎにウォルター・マッソーが空軍准将に扮して・・あそこは<博士の異常な愛情>そのままね」
「そっちもこっちもテリーサザーン原作だし。あそこもまあまあ笑えた、Wマッソーって芸達者だし」
「なんか全部笑えるみたいじゃない(笑)このコーナーも一年ぶりで毒舌が冴えないのね?」
「そーいう女史の言い方がすでに毒舌なんじゃないの?ってそれもともかく僕は次のジェイムズ・コバーンが扮するガイキチ外科医、あそこなんかは例えばテリー・ギリアム監督の<ブラジル>なんかも思い出させるし、いいと思うね」
「(笑)それを言ったら洞窟にこもってるMブランドだって<地獄の黙示録>のカーツ大佐みたいじゃないの」
「まーさーに、そうなんだよ。つまりこの映画は後の名作映画の数々に甚大な影響を与えている、霊感の源泉なのだ〜!(爆)
「はいはい(笑)つきあってあげましょ」
「ていうかね、僕や女史なんかにはとても懐かしい感覚、つまり60年代も末のサイケなね、カラフルな水玉模様とかファズギターとかね、アシッドでヒップな雰囲気、そうした時代のムードというよりほかにないイコンが散りばめられていて、僕はまず単純にそれが嬉しいんだよ」
「まあ、今となってはそういう見方しかできないかも。ストーリーも演出も支離滅裂でなってないし、原作にはあった風刺もなく見せ場もなく、主演のエヴァ・オーリンだってオツムが弱いピンナップガールの域を出ないし」
「強いて言えば<2001年>で映画史に残る特撮をやったダグラス・トランブルの手になるオープニング、エンディングカットだけがこの映画の見せ場だ・・というのは言い過ぎで、僕はこの映画の監督Cマルカンがね、実はかの<チャオ・マンハッタン>に大富豪の役で顔を見せていたとゆー厳粛な事実。そこに因縁というか符号を見て取りたいんだね〜」
「だね〜ってまたマニアックなところに来たわね・・はは〜分かった。この映画のキャンディと狩刈くんの弱味<チャオ・マンハッタン>のイーディ・セジウィックね。二人がダブって見えるとか?」
「ま、あえてダブらせないでおくけれど、実在のイーディだってほとんどこの映画のキャンディみたいに、周囲の男たちを翻弄し、翻弄され、そして若くしてセックスとクスリの海に自滅していった・・となると、2作品のダブりにCマルカンという富豪、じゃなかった符号が見いだされるのは奇跡的にして必然的な時代精神の現れである云々と・・」
「まあ、かすかに(笑)けれど、もともとマルカン監督は俳優の人で、つい最近まで脇役で色んな映画に出ていた、まあ通りすがりの人。だからこの映画が多少なりとも見ていられるのは撮影監督ジュゼッペ・ロトゥンノの手腕ね
「あーなんか、女史こそ一般論ばっかりで調子が出てないんじゃない?(笑)」
「だってホカに語ることのないよーな映画だし」
「ていうかどうせこのコーナーは個人的な思いつきと思いの丈を映画に絡めてぶちかますコーナーだから久々に暴走しますよ〜僕としちゃやっぱり60年代のね、ロックやドラッグ、フリーセックス、ヒッピームーヴメント、ハプニング、キャンプ的な精神を踏まえてみるとこの映画は今となってはマンガとして、まあまあ当時の世相、その一部は捕らえているな、という気がするのはもちろん、これが艶笑コメディだからこうなったけどシリアスに捕らえたらイーディみたくなるんじゃないかと・・だからふたつの映画を並べて見ることは価値があるのではないかと云々・・」
「はいはい(笑)・・暴走も短くなったものね。それはともかくスーザン・ソンタグも亡くなったのね」
「わわわ、どうして急に?」
「いえ、彼女が注目されるようになった頃の、それこそイコンなるものを狩刈くんが今ズラズラっと並べ立てたからよ、キャンプだなんて(笑)」
「まあ60年代も遠くなりにけり・・その意味ではね、映画の最後に登場人物全員があちこちに再登場してそのなかをキャンディが歩き去っていくよね、あの場面はとても切なく印象的だと思ったな」
「フェッリーニ監督がよくやるからロトゥンノ撮影監督の発案じゃない?」
「まあ仮にそうだとしてもだよ、あれだけの俳優たちを一堂に集めてバカやらせつつ、よく日の当たる明るい草原のなかを一人の美少女が歩き去っていく、あたかも60年代に別れを告げて、このおバカ騒ぎはいったいナンだったのかしらね〜?とでも言いたげなくらい涼しげな顔をしながら宇宙に帰って行く・・というのはこれ、原作にはないこの映画固有の、おそらくはマルカン監督のロマンであり、僕としては色んな記憶、個人的な記憶も含めていろいろなものをそこに重ねて見たい、とても胸に迫るエンディングだった」
(2005/01/05)

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