「豚と軍艦」1961年日活


今村昌平監督 長門裕之 吉村実子 丹波哲郎 南田洋子

「久々の更新、しかも初めて日本映画をとりあげるとあって選んだのがこれ」
「今村監督初期の、まあ傑作というか代表作ね。でもなんでこのチョイスなの?」
「え。実は最近の僕は京浜地域の環境と利権?を守る仕事ってのに噛んでまして、それってこの作品の舞台背景、つまりメインは横須賀ドブ板通り、そして川崎臨海工業地帯がユートピア?みたいに扱われてるという、まあアナクロにもほどがある時代背景をモノクロにもほどがある画面で見たいかなぁ、と(笑)」
「つまり特に理由はない、というわけね(笑)反米主義者の狩刈くんならではの特別な理由があるのかと思っちゃった」
「まあね。この映画は別に反米ってわけじゃないし、むしろ親米な人たちがただ己のバカさ加減に自滅してゆくっていう話・・」
「ストーリーはというと、横須賀米軍基地から出る残飯を払い下げてもらって、それで飼育した豚を売りさばこうとするチンピラたちが、基地だの仲買人だのボスだのに振り回されて最後は豚ちゃん大活躍、そこに吉村実子扮するヒロイン春子のバイタリティ溢れる青春が描かれる・・」
「まあ、こういう貧乏人の生態映画ってのは、いちいちストーリーを云々するのはあまり意味がないって気もするんだけれど、どうせならそこに丹波哲郎扮する兄貴分のコメディ溢れるバカ騒ぎが描かれる、と(笑)」
「丹波哲郎はまったくその場をさらう凄い存在感。まったく本筋とは関係なくって主役を食っちゃうって感じね」
「さっきも言ったけど、この映画で描かれる人々は基本的に米軍相手に生きてるわけで、泣くも笑うも米軍次第なんだね。でも丹波哲郎だけは違っていて、ある意味、彼がいなかったらこの映画の笑いというか幅というか立体感というかなー、持ち味はだいぶ減っちゃったんじゃないかなって思う。さりとて彼がその他の登場人物を相対化してるわけでもないんだけど」
「一方、長門裕之扮する主人公の欣太は、かなり頼りなさすぎ。若いとかノリがいい、イキがいいっていうよりもかなりのバカ。だからあんな男に春子がどうしてあそこまで惚れるのか、分からないって感じはした」
「うーん、当時の日本の若い女の子は別の魅力を彼に見いだしたんだろうとは思うけど(笑)確かに欣太にはもう少し、純情とかね、いいところ、あ、いい奴じゃんこいつ、っていうような持ち味が出ていたら、春子が惚れる理由もたつんだよね。でも彼は徹頭徹尾、いい加減なチンピラで、重たいテーマや題材の上をくるくる踊らされてる」
「その踊り方が滑稽だから笑えるけれど、ラストのドンパチにも切迫感がないし、ズキンと胸を打つようには響いてこないの」
欣太はどこか突き放されて描かれてるという気はした。クロースアップが少ないとかいった画面設計でもそんな気がした。むしろ女史の言うそのズキンは春子が担うんだね。米兵から乱暴されそうになったり、金を奪って警察沙汰になっちゃったり、最後は欣太を失うことになっちゃったり・・でも彼女はユートピア川崎を目指して一皮剥ける。この映画は春子の視点から一点透視図法で描き通すことも出来たはず」
「それだけ彼女は一貫していたって気はするの。ドブ板通りで、南田洋子の達観がひとつの出口だとすれば春子の姉のオンリーさんていうのもまぁ、出口にはなりえたのね。でも彼女は川崎に出て行った。それだけ自立していてスタンスが堅実。であればこそ、どうしてあんな男に惚れたかなあって(笑)」
「というか、僕としちゃどうして川崎に出て日本鋼管に勤めるのがあんなに晴れがましいかなあって。。そりゃ今、JFEスチールに勤めてたら好景気でウハウハもんだろうけど(爆)」
「なんか違う話になってるよー(笑)でも考えてみれば狩刈くんのホームグラウンドの京浜地域とはいえ、この映画で感じる横須賀と川崎のへだたりっていうのは、なんか面白いよね。実際には京浜急行で一時間くらいの距離しかないのに、方や米兵相手にすさんだ町、方や実直な人生が開ける町、みたいに扱われてる」
「ま、時代はまさにこれからオールウェイズな昭和三十年代、つまり当時の川崎は埋立工事がバンバン始まって好景気に沸き立っていたわけだよ、やがて日本の高度経済成長を支える予感に満ちていたわけ。でも女史は多分こう言いたいんでしょ、あの春子のスタンスだったらドブ板通りでもしっかりやっていけたはずだって」
「まあ、どうかしらねーぇ、オンナは弱いから(笑)」
「あらら(笑)そーですか」
「ていうか、もしかしたらまた欣太みたいなヤツに夢中になっちゃうのかもね(笑)」
「ま、それはそれでひとつの、出口ではないけれど、この作品世界を全うする立派な結末にはなりえたと思うな」

(2008.04.19)


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