「バウンド」1996年アメリカ

アンディウォシャウォスキー、ラリーウォシャウォスキー監督 ジーナガーション ジェニファーティリー

「これはまあ金をかけずに面白いサスペンスになったという意味で、僕は佳作だと思う」
「面白いサスペンスを作るにはお金はかけすぎないものよ」
「あれれ、楽しめなかったって口振りじゃない?」
「ううん、そうでもないの、ま、そこそこ見ていて楽しめたし、なんといっても主演二人の個性のコントラストはツボにはまってたと思うの、特にJティリーがマフィアの情婦というのはハマリ役で、最初は添え物的でいながら後では芯の強さっていうかしら、いざとなったらピストルも撃てるみたいなところが凄く良かった」
「そうだね、Gガーションには最初から最後まで内面的にも外面的にも変化がないのに比べると、始終囁いてばかりいるJティリーには凄みみたいなものがチラと出たりする瞬間があって、それは彼女にもともと備わっているものなんだけれど情婦として隠してきたっていうか、不必要だったっていうか、そんな片鱗が覗ける、そこは大きな魅力だった」
「極妻みたくタンカを切らずに覗かせるのよね(笑)だけどなんでレズなのか、分からない(笑)」
「ははは、そうだねえ、そこはキワモノ的な線を狙ったのかなあ、僕もあまり分からなかったけど、ただの友人同士として知り合うよりは直裁に抜き差しならない深い関係がすぐに結べる、そこがレズという設定が必要な理由だったんだね」
「見方によっては、モダンでカッコイイ映画なんでしょうけど、わたしはあまりカッコイイ、スカッとする映画とは思わなかったの、なんていうか、奥行きはないしね、特にGガーションの描き方、これには不満よねー物足りなさが最後まで残っちゃった」
「さっきの変化がないっていうところ?」
「っていうか、心の動きが描かれてなくて、Jティリーにスポットが集まる後半は、なんだか隣の部屋でぼけっとナニやってんだろ?って感じ。クールなキャラにしたかったんでしょうけど、クールとナニも考えてないのが紙一重なのは、演技として難しいところでしょ?」
「ははは(笑)それは名言だな、全然関係ないけど僕それで<イージーライダー>のピーターフォンダのこと思いだしちゃった(爆)」
「むしろこの映画で一番効果的だったのはジョーパントリャーノ扮するシーザーというギャングね。マークハミル似の童顔で、カン高い声でギャーギャー喚きながらマフィアの大ボスまでハズミで殺しちゃってセッパ詰まってるところ、あそこはこの映画のコミカルなトーンでもあるし、ああいうのが相手なら女二人で互角っていう気がした(笑)説得力があった(笑)」
「最初から最後まで彼のセリフといったら、『金はどこだ?』(爆)女史の言うとおり彼は、このサスペンス映画があまりにシリアスになりすぎないように、笑いをとるように置かれていて、この映画のバランス感覚にとても貢献していたよね。リンチの場面とかで結構ナマツバものの映像を見せつつ、キャラの比重もうまく調合してあって、そういう映画作りには文句はないんだ」
「でも・・なんかスカッとしないの(笑)」
「うーん辛口だねぇ」
「これは小さな映画なのよ、うまく言えないけれど、泥棒の女の子とギャングの情婦の女の子が二人協力して、ギャングを殺してその金を奪って逃げる、というストーリーは、なんか考えてみれば展望がないよね、生活に大きな変化は望めないし、カタルシスがないのよ」
「また女史のナイナイ尽くしが始まった(笑)。ただ僕が思うのは、シーザーというギャングがあまり憎めないヤツっていうか、さっき言った通りコミカルなキャラだったんで、男としちゃ同情しちゃう(笑)あんまり悪くないヤツだよ、彼は(笑)。だからその彼が殺されて金が奪われて・・といった結末が、ホントに胸のすく結末だったとはちょっと思えないってこと、そこにカタルシス?の低さはあった」(1999.5.16)

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