「昼顔」1966年フランス


ルイス・ブニュエル監督 カトリーヌ・ドヌーヴ ピエール・クレマンティ

ドヌーヴって、いいねぇ(うっとり)」
クレマンティ、いいわぁ(うっとり)」
「この作品はブニュエル自身、どこまで現実でどこから幻想か分からない、なんて言ってるくらいに幻惑的な作品だね」
「夜は貞淑な医者の妻で昼は娼館で・・っていうドヌーブ演じる人妻の物語は、まあそうかしらって感じなの、わたしには。だってそういう二重生活って意外と陳腐な発想に思わない?性生活って案外そんなもの。ブニュエルにしてはちょっとありきたり・・」
「お言葉ですが、僕には素晴らしい浪漫をかき立ててくれるんですがね(笑)。なにしろあの!ドヌーヴがムチとローソクとウェット&メッシーの世界にハマるんだからね」
「ローソクはなかったよ(爆)あ、死体のところ? それはともかく、わたしにとっての浪漫は、ピエール・クレマンティ!彼の凶暴でしなやかで繊細で、もうあの瞳に見つめられたらじぃんって来ちゃうよん」
「よん・・だなんて、ウルウルしないでよ。でね、ドヌーヴが放心したようにベッドに横たわって息もタエダエで、ブロンド髪が顔にかかって・・なんて最高なんだろ。エクスタシーと死、エロスとタナトスの美だね」
「それでクレマンティがスラッと仕込み杖(笑)からナイフを取り出すあたりの殺気ったらないのね、彼、一瞬にして世界を凍り付かせることが出来る、カミソリみたいな、類い希な存在感の持ち主
「ドヌーヴがさ、テニスコートでミッエル・ピコリに娼館の話で言い寄られるあたりの緊迫感はね、なんか彼女って中性的で、若い男の子が進退窮まったような感じで顔を曇らせるっていうかひきつらせるんだよね、そこがまたたまらん!」
「なんか話がかみあってない(笑)ブニュエルに話を戻すと、これはヒッチの<めまい>にも関連する『女とあやつり人形』の発想も混じっているそうで、男の側からの幻想っていうか妄想逞しいところが物語のベースになっているようなのね。もちろん原作はケッセルなんだけど・・でも娼館の描き方なんか、まったくそうだと思うの。色んなお客が来て、色んな妄想を満たそうとしてる・・でも娼婦には娼婦の側の妄想っていうのがあるはずで、そこを女の側から描いてみせると、最初のシーンみたいな森の中の馬車の場面になるわけ」
「女史は森の散策が好きだったねぇ、井の頭公園とか(笑)ま、いいや。確かに今の話のとおり、男の幻想は比較的ステレオタイプでね。確か<銀河>にも立派な紳士が連れの女にムチ打ってもらう・・そのためにお尻ムキ出しのズボンを履いてる(爆)なんて場面があったけど、今回も似たような趣向で異常性欲ってヤな言葉だけど、つまり性の妄想を果たそうとしてるし、そこはいささかありがちで常套的って気はする」
「でしょ。男性側の性の妄想っていうのがいつも常套的で手垢にまみれているように思えるのは、つまり世の中、そういう男どもの性欲と妄想ばかりが氾濫してるからなのね。見慣れちゃってるのよ」
「はあ・・反省します(笑)。でもブニュエルは図らずも女性の側の性欲っていうか、セクシャルな世界に対する憧憬みたいな妄想を描いて見せた、それがあの森のシーンであり・・あとナンだろ?クレマンティ?」
「かどうかは別として、多分・・夕方5時には帰る秘密の館っていうあたりも、そうかも知れないのね。そういう妄想は日常生活の中から生まれてくるわけで、でも夫は、やっぱり愛してる(笑)。それなのに・・っていう部分かしら」
「ま、テレクラに走る人妻っていうのが氾濫してるらしいけど、それの裏付けにもなってるのかな〜」
「最後に何事もなかったみたいにシャンシャンと鈴を鳴らして馬車が走っていくでしょ、あれは男女の幻想が永遠に和解できないような暗示的な終わり方にも思うのね」
「ははあ。しかしあの旦那は哀れでした!女の妄想、恐るべし!だ」(1999.11.30)

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