「黒猫・白猫」1998年フランス・ドイツ・ユーゴスラヴィア



エーミール・クストリッツァ監督 バイラム・セヴェルジャン スルジャン・トドロヴィッチ

「クストリッツァ監督の作品は、まだ彼が日本では一部でしか知られていない頃に岩波ホールでやった<パパは出張中!>ね、あのほのぼのとしてヒューマンな反骨精神の効いた作風が忘れられないの。だから<アンダーグラウンド>見て、すごい造形的でちょっと驚いたというか・・」
「懐かしいね、エキプ・ド・シネマかあ。でもあんまり言うとトシがばれるよ(笑)。確かに<パパは〜>は土性骨が座っていて、ペーソス、ユーモア、しみじみと楽しめた。で、今回の作品は・・僕にはちょっとどうもハテナって感じでね、これはそんなに楽しい映画かなあ。正直言って、僕はこのバカ騒ぎに入り込めなかった
「<アンダーグラウンド>の後遺症かしらね、あれだけ賛否両論ケンケンガクガクの後の、作家的な資質の行き詰まり?でも映画としては全然息詰まっていないのが心機一転、救いだけどね(笑)」
「これはコメディというよりはもう全編ドタバタ。だからクソミソ一緒に死人も生き返るさというおとぎ話。けれどそれを徹頭徹尾2時間以上も見ていると、まあ内容はバカバカしくてどうでも良くなっちゃう
「で、そのドタバタハチャメチャにやってることは、実は意外と子供だましのアメリカ映画風だなって感じもしたの。スティーヴ・グッデンバークとかが出てくるようなヤツよ(笑)。例えば舞台をミシシッピー河畔に置き換えて英語で吹き返えしたら、ほとんど違和感なく思うの」
「僕もそんなふうに思った。ということはウラを返すと、この映画の全編を支えている独特のスラヴ系の風物がなかったら僕としちゃ結構キツイ2時間だったなって気がする」
「美術の造形がね、なんだかもう<オズの魔法使い>というか<チキチキ・バンバン>というか、妙に懐かしいネオ・レトロ(爆)なのね。でもそれがジプシーみたいな俳優たちと一緒に出てくると、魔術的で不思議にハマっているっていうか・・」
「うーん。僕はハズしてる、と見たなあ」
「どうして?」
「なんかね、この映画のユーモアのセンスがヘンテコなギャング成金たちの行状に終始して、ま、それは良いんだけれど、じゃそのドタバタを一枚捲ったところに本当になんかヒューマンな感情が心底伝わるかというと、今度はあのネオ・レトロな(笑)マッドサイエンティストが発明したようなツギハギだらけのクルマとかネズミ車が扇ぐデッカイ団扇とかに邪魔されてね、結局すべてはマンガなんだね、毒もなければ薬もないしああいうデコールに驚いちゃうほど僕は素朴じゃないし」
「もっとドラマを絞って、エモーションにメリハリを作れば、それなりにスリリングだったのかも・・人間模様とか人間喜劇とかいった場合の『人間』が、出てこないのね、登場人物はすべて類型的だったし劇中で変化がないし・・」
「それで、だ。この映画で関心したところは実はアングルとか描写力とか、まずそういうカメラワークでね、かなり低めのアングルから水平に撮っているフレームに、なんか色々なものが雑多に写り込んでるって感じ。グリーナウェイ監督みたいにかっちりした技巧の極み的な映像設計じゃなくてね。だからこそ、この映画世界の奥行きというか、本当はただのマンガじゃないはずだっていう、独特の『パノラマ』の広がりを、音楽共々感じさせてくれた」
「わたしが関心したのは、特に、物語の組立方ね。かなり混沌とした出来事のように見えていて、しっかりスジは通してあったし、だからかなあ、スジはどうにも先が読めるんで展開がちょっと緩慢な感じもしたんだけど(笑)」
「それじゃ関心してないじゃないか(笑)」
「というか、ジプシーにとっての時間の流れ方っていうのは、わたしたちのそれとは違うのかもってこと。なんか濃厚で、直線的でなくて広がっていくみたいな時間ね」
「ははあ。それを言うなら、確かに笑いのとり方だって違うわけではあるよなあ・・」(2000.2.27)

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