「ベイビー・オブ・マコン」1993年イギリス・フランス・ドイツ

ピーター・グリーナウェイ監督 ジュリア・オーモンド

「狩刈くんはグリーナウェイ監督の熱烈なファンだったのよね?」
「ととと言われると、そうです、とはなかなか言えないんだけれど、まあ、好きな方の監督でね、これまで取り上げてなかったのは不思議だなあ・・」
「なあんてトボけちゃってるけど、この監督は賛否両論に毀誉褒貶が激しいから、なんか、シュミの世界に入っていっちゃうのよね」
「まあ僕としちゃジェス・フランコが好きなのと同じようにグリーナウェイも好きだ、としか言いようがない。だからこれはシュミの世界(笑)。基本的にグリーナウェイ映画って見世物でしょ?それが一番出ているのが、今のところこの<ベイビー・オブ・マコン>。だから却ってこの映画は弱い、失敗作だとも言われてるけどね」
「物語は・・処女で子供を産んだ女が巻き起こす愛憎と性と聖と俗の寓話劇の劇中劇の、ワケわかんないけれどテナーとバロック音楽とけばけばしい衣装に美術と大移動撮影と巨大なスタジオで出来た作品ね」
「なんか今日の女史、悪意入ってない?(笑)ま、いちいち当たってるから仕方ないけれどね(笑)。でも、例えば全裸のジュリア・オーモンドが、悪魔が持つようなでっかい草刈り鎌を振りかざして雄牛に向かっていくなんて映像は美しいじゃない? 僕はこの監督の作品は本当に娯楽としてしか見ないし、それも見てる間だけ楽しけりゃいいやーみたいな」
「だからジェス・フランコなのね(笑)。わたしはもうちょっと、いつもの理屈をコネコネするのかと思ったけど・・でもどうしてこういう中世の寓話劇みたいなものを題材にしたのかしらねぇ?今頃、カトリック批判とかを扱ってもねぇ・・たとえ題材に過ぎないとはいえ、ただのシュミの世界に溺れてるよね。なんだっけ?<数に溺れて>だっけ?グリーナウェイの場合は、美術に溺れて・・」
「まあ、そうなんだよ。でも僕はそう言われるとムキになって彼を擁護したいなー。だって、彼ほどデコラティヴな映像を作る人もマレでしょ?映画ってのは、スクリーンに何を見せてくれるか?それだけですよ(笑)」
「なんか今日の狩刈くん、気合い入ってないね?(笑)実は<建築家の腹>なんてのには感心したの。ストーリーはともかく、あの映画に出てくるローマは、旅行で行った実際のローマとは違う、奇妙な生々しさがあってね、街全体がセットになって映画の方が勝ってる、みたいな感じが時々あったのねー」
「ビットリオ・エマヌエレ記念堂の前に何故か地球コマが回るんだよね(笑)あの、どこから撮っても絵葉書にしかならない記念堂が不意に息づいてくるような、そんな感覚は僕も感じたね」
「でも<コックと泥棒、その妻と愛人>じゃ、ちょっとノレなかった・・あの作品と今回の作品とは、なんか似てないかしら?でっかいスタジオで大移動をするところなんか、まあまたやってるって感じだった」
「今回は劇中劇というフレームで更なるグロテスク路線に踏み出したわけなんだけど、虚実入り乱れて、実際はただの女優のはずなのに本当にレイプされちゃって殺されちゃう、とかいうのは、ちょっとアイディア倒れだったね。『虚』から『実』に転換する瞬間がはっきり描かれていたし・・それでいて最後まで映画が『虚』であることを嘲ろうとしたような、あざとさがあった」
「大体、仮に『実』だとしたところでそれは中世の豪華絢爛絵巻のなかでしかなくて、わたしたち現代の観客の『実』には全然響いて来ないのよ。ラストで舞台の俳優たちや、お客さんたちもこちらを向いて挨拶する、なんていうのも、その響き合いがないからただのアイディア倒れ」
「俳優たちが最後にスクリーンの向こうから僕らに挨拶する、っていうのは、例えばズラウスキー監督の<私生活のない女>なんかじゃ効果的だと思った。エモーションがギリギリ引き締まっていたからね。観客も映画をナイフのように突きつけられていたような感じでいながら、最後に、挨拶されると・・ああって感じ。あれは僕は気に入ってるんだけど、今回のはね、回りから聞こえる拍手がワザとらしい(笑)そんなに拍手が得られる映画でもないし・・」
「とにかく美術の凄さ、モノマニアックなところはまあ、素晴らしいと思うし、それが何となくトリップしたみたいな感覚を呼び覚ましてくれるのは面白い体験だった。あれほどの美術と、そして映画のテーマが人間の好色と強欲の世界、っていうのは実に釣り合ってるしね」
「本当は、なにもあんなに金かけて美術に凝らなくても、って言いたくなることもあるんだけど、それが彼の映画だしねぇ(笑)そういう監督は今、ほかにいないってんで、まあついつい見ちゃうんだよね。でも内容はあんまりナイから(笑)語ることもあんまりナイんだ」(2000.10.16)

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