「アメリ」2001年フランス


ジャン・ピエール・ジュネ監督 オドレイ・トトゥ マチュー・カソヴィッツ

「久しぶりにパリを舞台に可愛らしい映画を見たって感じで、おフランス的な洒落っ気は素敵だったと思う」
「小さな映画だけど雰囲気は楽しくて結構笑えたし、その笑いも無邪気〜って感じよね。でもまあわたしはこういうタイプのヒロイン映画って、無邪気すぎてちょっと敬遠・・ていうか、まあマンガとして見ればいいんだけど」
「ま、そりゃそうでしょ(笑)マンガです。細部の発想はまさにそうだよね、スクリーンにちょこっと矢印が出てくるとか、ドワーフ人形の世界一周証拠写真とか、ああいうのはどっかで見たことがある、何かのマンガで読んだことがある。ただ僕が気になったっていうか、ああ面白いなあ、と思ったのは・・」
「はいはい?」
「えーと(笑)。そんなにマジに聞かれると困るんだけれど、この映画は人と人との距離、へだたりってもんをテーマにしてるよね」
「まああそうね。幼い頃から友達のいなかった女の子アメリが、自分の恋にはびくびくしてるのに、まわりの人たちにはいろんな伏線を引きながら、心のなかのはかない光を明るくさせてあげようとする・・まあ、それを具体的に言えば人、と人との距離を埋めようってことなのかしら」
「あー。光、ねぇ。そーきたか。そーいう見方の方が良かったかな(笑)すると僕の持論は面白くなくなっちゃうな(笑)」
「(笑)なんでしょ」
「いや、僕は人と人のあいだをとりもつアメリ、という見方で、それってまさにフェアリーテールみたいなね。なんかそんなコンセプトだな、と直感したわけ。そういうコンセプトで見ていくと、いろいろなモチーフが面白くなる。例えば双眼鏡とか望遠鏡とかがよく出てくるのは、まさに見かけ上の距離を圧縮する機械だからだよね。それから時々クレーンカメラがもの凄い動きをして真上から真下を見下ろすアングルになったりもする。それも同じことでしょ?距離の圧縮」
「はあ〜ま、そういう見方はこの映画にはあんまり向いてないかもよ〜(笑)っていうかなんか象徴とか記号とか、難しいこと言い出しそうでしょ(笑)むしろ人間関係の映画と見たほうが・・」
「いんやー(笑)ま、もっと無邪気に、女史の言うようにヒロインの無邪気さ、可愛らしさを楽しんじゃう映画だよね、確かに・・でもそうするとなんか細部がカッタルいような・・」
「楽しんじゃうって言ったばかりなのに楽しめない、と(笑)。ま、狩刈くん好きのする映画ではないってことね。例えば画家とアメリがルノワールの女の子をめぐって言葉を交わしていくなんていうあたりは、まあちょっと脚本のご丁寧なワルノリっていう感じもしたし、ヒロインの恋人をわざわざポルノショップの店員なんかにしなくたって良かったし、カフェに出てくる人たちも八百屋の主人とかもかなり類型的。そういう意味では狩刈くんがさっき言ったような、なんかどっかで見たことがあるな〜っていうものばかりね
「実人生にぶっつかってないというような感じ。アメリのまわりにはどっかで見たことがあるフェンダーばかりでね、コルク部屋って感じがする。だから本当に面白いのはサイレント映画みたいなオドレイ・トトゥの百面相だけって感じもするし・・」
「そう。描き方がコミカルなだけにこれはあんまり現実的な感動っていうのは少ないの。それがわたしにしても、ちょっとな〜見透かされたな〜って感じはした」
「見透かされたとはまた意味シンですな・・」
「いえね、あざとい・・っていうかな。いまどきの都会に暮らす独身の若い女の子ってだいたいこんなモンに飛びつくんじゃないか、っていうよな着想がまずあって、ずっとその視点で作られてるような気がしたって感じ。共感の押し売りって言ったら言い過ぎだしそこまで強烈なメッセージもなかったけれど、なんとなくみんなが孤独でみんなが一緒に幸せになりたがってる、っていうような前提で人間関係が出来ていて、それは都会で暮らす女の子には好都合なの。ぶっつかりあうことを最初から避けているっていう感じかしら」
「まあなんとなく女史のいわんとしてることも分かるような気がするけれどもね・・まあ人間て出会いは色んなところにあるはずだけれど、それに気がつくまでに実は時間がかかる、っていうこともまたありうるわけだよね。アメリというヒロインはどうにか気がつきました、ってことで映画は終わって、まあそれでよかったんじゃないの?」
「ま、そんなとこね〜色づかいとかはやっぱりパリの映画ってことでとても楽しくてマンガちっくな雰囲気作りにとても効果的だった」
(2003.9.20)


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