「袋小路」1966年イギリス


ロマン・ポランスキー監督 ドナルド・プレザンス フランソワーズ・ドルレアック

「なんとも奇妙な映画だ・・これはブラックユーモアなのかなあ」
「奇妙、ね。楽しいかと聞かれると楽しくないし、面白くもないのに、最後まで見続けないと気が済まないのね」
「かといってシュールというわけでもないし。いや、なんかシュールなんだけど。人里離れた砂浜のそばに古い城があって、中年男と若い妻が、隠遁生活を送ってる。そこに怪我したギャングが押し入って、夫婦を部屋に閉じこめる。ところが実際は閉じこめられてなくて、夫婦は自由に出入り出来るし、なぜかギャングに対して協力的だし・・」
「ギャングはボスに電話をかけて、迎えに来てくれと頼むのだけど、いつまでたってもボスは迎えに来ない」
「ギャングが電話線を切っちゃったから、完全に夫婦とギャングは陸の孤島に孤立する・・のに、緊迫しない。そのうちお客が来るとギャングは執事のフリして難を逃れる。でもこの客は実は夫婦のことを好いていなくて早々に帰る」
「夫婦にとって、あの城は自分の住まいだから、逃げ出すってことはしないのね。で、ギャングの方はボスが来るまで動けないし・・だからこの映画のタイトルは<袋小路>。でも、それが限界ギリギリの状況かというとそうではなくて、意外と抜け穴ばっかり
「その抜け穴っていうのは、実は、妻は夫を小馬鹿にしていて、一方、夫は妻を女神のように慕っていて、という夫婦の不仲にもあるしね。なんていうか、一見しっくりいっていそうで実は殺伐・スレ違いばかりの人間関係みたいなものが映画全体のモチーフになってる・・感じなんだよね」
「その点では、わたしはアントニオーニ監督の作風も思い出したの」
「あるいはレネか。僕はグリーナウェイ監督の<数に溺れて>とか、思い出した。印象的な浜辺の風景が呼び覚ましたっていうのもあるけれど」
「それからボスが迎えに来ないっていうのは、ゴドーを思い出させるね」
「そうなんだ、これは開かれた密室劇というかな。どこにでも行けるのにどこにも行かないし、実は行けない、なにもしようとしない、という不条理劇のタッチなんだよね」
「城の中を歩き回ってるニワトリとか、針が飛ぶレコードとか、アルコールが強すぎる自家製ウォッカとか、断片のひとつひとつが、なんか象徴的。でも意味はよく分からない・・」
「会話も、噛み合っているように見えて、ほとんどスレ違い。その場に相応しくない会話ばかりなんだよね。だから登場人物たちは、なにか『現実』というか、とにかく『何か』を直視しないように、そこにブチあたらないように細心の注意を払って時間を潰し続けている」
「その『何か』って、なによ?(笑)」
「そこが分からん(笑)」
「ラストシーンで夫は、なんか発狂したみたいになるのね、で、前妻?だかの名前を叫ぶの。もしかしたらその『何か』というのは、夫が実は妻なんか愛していない、という現実だったのかも知れないよね」
「うーん。そういう見方かあ・・」
「妻も行きずりのお客と一緒に城を出て行っちゃうし」
「色んな見方はあると思うけど。僕は夫役Dプレザンスの幼児性丸出しの怪演ばかりがおかしくてね。今度はまじめに見たいと思うけど、なんか気が重いかも(笑)」(1999.9.21)

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