「2001年宇宙の旅」1968年アメリカ



スタンリー・キューブリック監督 キュア・デュリア

「ま、今年のうちにはこれ、見なおしておかないとと思ったわけだけど、さすがに今見ると、最初のサルの場面はいかにも長いような気がしない?」
「まあねぇ・・すみからすみまでよく覚えてるから。モノリスに触ったり匂いを嗅いだりなめようとしたり・・バクみたいな動物がどっしゃーん!って倒れたり。もう、またか、って感じ。長いし(笑)」
この映画は決して古くはならないだろうけれど、いつまでも新しいってわけじゃないと思うなあ・・
「まあ、これだけ見続けられてる映画じゃね」
「ていうか僕にとっては、この映画には、詭弁をロウするようで恐縮だけど、あまりにも『謎』がなさすぎてね・・自分の中で発酵しないし成長もしないし、つまり自分自身のなかで作品が塗り変わっていかないんだよ
「わたしの場合は、さっきも言ったけど、もう全部覚えてるから、そういう意味で作品として生まれ変わっていかないの。このへんからこの角度でスペースシャトルが飛んでくる、っていうのがシッカリ頭に入ってるの(笑)」
「なるほど・・このへんでグラスが割れる、とかね。でも、僕の言いたいことも分かるでしょ? この映画はものすごい合理主義で出来ていて、徹底的なまでにストイックすぎて、ヒューマニストの僕には味気ない。ま、そこがこの映画の古くならない良さなんだけど」
「とはいえ、モノリスとは何か? とか、どうしてボーマン船長はロココ調の部屋で老人になってるのか? とか、最後のスターチャイルドってナニ?とかさ。いろいろネタはあるじゃない」
「まあね。そんなものはどうでもいいんだよ(笑)。ていうか、要するにモノリスみたいな発想自体が、これはカトリックだ、一神教の天地創造的発想だなって思うわけで、HALの反乱なんて人工知能のノイローゼでしょ。ロココ調の部屋の意味は良く分からないけれど、でも僕には真の『謎』っていうふうには感じられない。ただの思わせぶりにすぎないように思えるんだな」
「でも最初にこれ見た時は、やっぱりそれなりにショックだったし熱狂しなかった?」
「そりゃ熱狂したよ・・造形のリアリズムや意表をつくヨハン・シュトラウスとかにはね」
「まあいつの頃からか、わたしも、このモノリスって一体なんだろ?っていうような思いはいつの間にか忘れて来ちゃったのは事実。最初は、ええーナニこの映画?って感じだったけれど、だんだんボケーって見るようになっちゃってねぇ」
「それは僕も同じ。それは僕の言ってることとほとんど変わらないと思うなあ・・つまり実はこの映画はハダカの王様で、内容はそれほど大したものじゃないってこと。確かに映画は映像の芸術で、その意味ではこの作品は大したものだ、偉大な造形美と前人未踏の撮影技術によって永遠の金字塔と呼ばれるに相応しいよ。でもようやく本格的な宇宙時代を迎えた人間が作るような映画じゃない・・発想は、産業革命時代のものだ」
「そこまで言うからには相当の理論武装がありそうだけど(笑)・・それ始めたら、長くなるでしょ(笑)」
「いや・・(笑)2バージョンありまして、どっちがいい? 長いのと短いのと」
「短いの」
「それじゃ一言で済ますと、この映画は主人公が人間の科学技術文明で、宇宙そのものではなかったってこと。不可知論を前提として、人間性を無機物扱いとしながら謎めかして舌を出してる感じがする・・それって実はちっとも宇宙的じゃにいって思うわけ」
「なんとなく言いたいことは分かるよ・・宇宙の無限とか永遠とかいったものは、実はあんまり感じられないのね。これは不思議なことだけれど、宇宙船のなかの息詰まった場面ばかりが続くせいか、なんとなく窮屈な感じはするの」
「それと関係するかどうかは分からないけど、この映画に描かれているのは基本的に人間の科学技術がジタバタする姿であって、しかも、それにもかかわらずスターチャイルドとかいって最後まで人間の姿を崩そうとしない思想がイヤッていうくらいに伝わる。宇宙船がサルのホネの延長線上にあるとすれば、人間はどこまで進化したって所詮はサルだし、科学技術がどんなに進んでもノイローゼで気がヘンになるってわけだ。で、実はそれって人間中心のツジツマ合わせでね。進化論と産業革命を反語的に復習してみせただけ。そんな19世紀的発想を超越した宇宙の摂理、みたいなものへの眼差しがない。だからロココ調の部屋でディナーを食べたりする場面で平気で『謎』めかして見せたりする。あの場面では三人くらいボーマン船長が出てくる。どんどん歳をとってる。だからなんだ? と僕はいいたい。いや意味づけはいくらでも出来るだろうけれど、それはむしろこの作品に唯一無二の思想がないからだ。無いというのが言い過ぎだとしたら、思考停止、途中放棄と言い換えてもいいよね」
「・・それって、長い方のバージョンに入りつつない?(笑)。言いたいことはよく分かるけど、じゃあ宇宙の摂理、なんてものを描いた映画があったかしら?」
「地上にも宇宙の摂理はありうるだろうとは思うね。要するにセンス・オブ・ワンダーってことだよ。人間には知り得ないものがある、ってことをまざまざとあからさまに見せつけようとしてるこの映画は、実はあまり驚異的な味わいがしないってこと。ま、僕自身も不可知論者だからっていうこともあるけど」
「まさかホドロフスキーとかじゃないでしょうけど(笑)。あるいはタルコフスキーの映画には、時々、そんなものが感じられることはあるけどね・・」
「とにかく、この映画は素晴らしい。それは実は無条件で(笑)僕も認める。ある究極の到達点であるとは思う・・とはいえ出来すぎで、自分から額縁に入ってしまった作品でもあるな」
「・・で、まあ、それはともかく、こういう映画を撮った監督が最後に<アイズ・ワイド・シャット>みたいなのを撮るとは、当時、誰も思わなかったでしょうね」
「ははあ。ま、そうだけど僕はあんまりキューブリックには辛く当たりたくないなって気もするんだけれどね。彼は思想家ではなくて、造形美術家だから。それに寡作だし。晩年はものすごく孤独だったんじゃないかな、って、勝手に思ってるんだけれどもね」(2001.8.8)

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