[付録] ニュースと感想 (129)

[ 2008.4.24 〜 2008.6.14 ]   

  《 ※ これ以前の分は、


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       4月24日 〜 6月14日
         6月15日 〜 7月**日

   のページで 》





● ニュースと感想  (4月24日)

 「スティグリッツの米国経済分析」について。
 読売のコラムで米国経済分析がなされていた。(読売・朝刊・経済面 2008-04-17 )
 「なかなか鋭い意見だな」と感服したら、スティグリッツへのインタビュー記事だった。なあんだ。当然というべきか、さすがというべきか。  (^^);
 今、米国経済がひどい。ドル安やら原油高やら。では、どうして? これに、スティグリッツが答える。
  1. 住宅バブル崩壊による資産価値の下落がきっかけだ。( → 日本に似ているね。)
  2. しかし、その根源がある。
  3. 国債発行残高が6兆ドルから9兆ドルに増加。(ブッシュ時代の01年から08年で)。
  4. 貯蓄率はほぼゼロで、国債は海外に引き受けてもらっている。財政赤字は08年で 4000億ドル。
  5. 理由は、イラク戦争による財政負担。3兆ドル(300兆円)。(2003〜2017年)
  6. その内訳は、戦費,傷病兵への障害給付・生活保障,傷病兵の介護への家族負担による生産性低下。
  7. また、イラク戦争をきっかけとした石油価格高騰。3倍以上に暴騰。富が産油国に移転する損失。
  8. 金融では、FRBの対応も駄目。グリーンスパン前議長のころ、住宅バブルの引き締めが送れた生で、住宅バブルが膨張した。
 なお、最後の金融では、住宅バブルの危険性を、私も前に指摘していた。スティグリッツもそのころ指摘していたはず。(だから批判しているわけだ。)
 で、そのころ、クルーグマンは? ……たぶん、「インフレ目標」を唱えるのに熱中していて、景気刺激と低金利を唱えていたから、私やスティグリッツみたいに金融引き締め派ではなかったはずだ。たぶんね。


● ニュースと感想  (4月25日)

 自治体は古紙リサイクルを推進している。古紙回収場から古紙をちょうだいした民間業者を、裁判で訴えて、有罪にしたりする。
 では、なぜ、そんなに古紙リサイクルにこだわるのか? そこには「利権」がからんでいるからだろう。
  → Open ブログ 「古紙リサイクルと利権」


● ニュースと感想  (4月25日b)

 「日本は米国に次ぐ世界第2の経済大国である」と思われてきた。しかし、本当にそうか? 実は、嘘八百である。
  → nando ブログ「一人あたり国民所得」


● ニュースと感想  (4月26日)

 「ガソリン値上げ」について。
 ガソリンが値上げまたは品切れになりそうだ、という見通しの記事があちこちで出ている。(各紙報道)
 というわけで、今のうちに、さっさと買っておいた方がいいでしょう。満タン。
 知人に聞いたところでは、28日あたりに満タンにしようと思っている人が圧倒的に多いようなので、28日には客が殺到して売り切れ……になるのではなく、その前日(27日)にとっくに売り切れになっているだろう。
 となると、遅くとも26日には満タンにしておくといいでしょう。そのあと、また少し使ったなら、使った分だけ補充すればいい。
 「ギリギリまで待とう」
 という性格の人は、大損することになりそうなので、ご注意あれ。

( ※ ちなみに、25日には、ガソリン価格は底値になっているようだ。123円あたり。26日の夕方までもつかどうかは、不明。)

 [ 付記 ]
 私の予想では、もっと早く値上げになると思ったのだが、頭の悪い人が多いらしくて、なかなかみんな買い急がないようですね。そのせいで、価格が下がったまま。スタンドもなかなか売り惜しみしない。
 みなさん、わざわざ損をする道を取っている。「合理的期待形成仮説」なんて、全然成立しないようだ。人は合理的には行動しない。
 では、人は、どう行動するか? 「他人のフリ見て、自分も真似る」ということであるようだ。
  ・ 消費者 ……「みんなが買わなければ、自分も買わない。みんなが買うなら、字分も買う」
  ・ スタンド …… 「よそが安値なら、自分も安値。よそが高値なら、自分も高値」
 これだと、「全国一斉に急激に品切れ」という結果になる。馬鹿みたい。なんだか、レミングを連想してしまう。


● ニュースと感想  (4月27日)

 有害サイトの規制について法制化の動きが出ている。これについてソフトバンクの孫正義社長が反対しているが……
 → Open ブログ 「有害サイト規制」


● ニュースと感想  (4月28日)

 経済分野で、「グローバリゼーション」という言葉が話題になる。その割には、この概念は曖昧だ。そこで、問題を整理して、核心を探る。
  → nando ブログ 「グローバリゼーションの意義」


● ニュースと感想  (4月29日)

 ハヌマンラングールという猿の「子殺し」について。(前出の「ライオンの子殺し」の発展編。)
  → Open ブログ 「ハヌマンラングールの子殺し」


● ニュースと感想  (4月29日b)

 「海外の日本語教育拠点」について。
 外務省が、独立行政法人を通じて、海外の日本語教育拠点を増やす計画を進めている。中国の「孔子学院」や、独語の「ゲーテインスティテュート」の日本語版。名称は今後、公募する予定だという。
    ( → 朝日新聞 2008-04-26 )
 少し前の報道では、「紫式部学院」という名前が一案だということだったが、これはダサイですね。だいたい、知名度が不足しすぎる。そもそも、「孔子」「ゲーテ」の真似をしようとする、という安直な姿勢が根本的に駄目だ。

 まず、私が Google で調べたところでは、「紫式部」「芭蕉」も、知名度が低すぎる。村上春樹の方がずっと上だが、それとて、あまり知名度は高くない。孔子やゲーテならば、世界中の人が知っているが、そういう具合には行かない。

 さて。そもそもなぜ人名を使うのか? それは、一般名詞だと、国ごとに名称が異なってしまうからだ。たとえば「日本語学校」という名前ならば、国ごとに表記が異なってしまう。それだとまずい。だから、人名を使うことで、固有名詞にしたいわけだ。(「学院」のような部分は一般名詞でもいい。)
 で、ここまで考えてみると、何も固有名詞には限らない、とわかる。とにかく海外でも知られている単語を使えばいいのだ。たとえば、「ニンジャ」とか「マンガ」とか「サムライ」とか。……この観点でいろいろと調べたところ、うまい単語が一つだけ見つかった。それは、この単語だ。
    → Wikipedia 英語版の項目
 独立の項目なっているくらいだから、広く知られているのであろう。項目もとても大きい。芭蕉などよりもはるかに大きい項目だ。
 さらに各国語を調べると、フランス語とスペイン語にも、この表記のままで項目がある。世界中で通じる日本語だと見なしていいだろう。
 私としては、これがお勧め。
( ※ ただし、私が推薦しても、政府は絶対に言うことを聞かない。だから、興味のある人は、大量に推奨して下さいね。数が問題。)


● ニュースと感想  (4月30日)

 ネット上のデジタル著作権の問題。
 YouTube などの無断引用にどう対処するべきか? 
  → Open ブログ 「デジタル著作権の問題」


● ニュースと感想  (4月30日b)

 「ガソリンと小麦粉」について。
 ガソリン価格の暫定税率の廃止と復活が話題となっている。
 さて。「消費者物価の上昇」というニュースがあった。消費者物価が久々に大幅に上昇したが、その理由は、輸入物価の上昇のため。特に、石油と小麦粉。(各紙・夕刊 2008-04-25 )
 ここで、「石油が値上がりしたのなら、ガソリン税を下げよ」という声もあるが、それよりはむしろ、「小麦粉の価格を下げよ」という方が理にかなっている。つまり、
 「ガソリン価格を引き下げるかわりに、小麦粉の価格を下げよ」
 これが私の主張だ。以下、理由を示す。

 そもそも、石油値上がりを理由としたガソリン税の引き下げには、論拠がない。なぜなら、ガソリン価格は、公定価格ではないからだ。社会主義国家ならば、公定価格があるので、輸入価格の上昇の分、政府が差額を負担して、値上がりをしないようにするべきだろう。しかし、日本は社会主義国家ではない。ガソリン税の公定価格などはありえず、自由市場で決まるのだから、輸入価格の値上がりを理由として、政府が何らかの負担をすることはありえない。

 では、小麦粉はどうか? 実は、小麦粉には、このことは当てはまらない。小麦粉の場合、もともと、おかしな「政府課徴金」というものがかかっている。
 おおざっぱには、次の式で成り立つ。
   (輸入品) 国内販売価格 = 輸入価格 + 政府課徴金
   (国産品) 国内販売価格 = 国内買い上げ価格 − 補助金
 ここで、輸入品と国産品とがほぼ同じ価格になるように、価格を定めている。
 たとえば、輸入品が1万円で、国産品が3万円で、市場価格が2万円だとしよう。輸入品には、1万円を課する。国産品には、1万円の補助金を与える。こうして、市場価格は2万円になる。
 ここで、「国産品に与える1万円という補助金の原資は、輸入品に課する1万円によってまかなう」というふうにしている。こうして、政府自身の負担はなしに、国産小麦の自給が達成される……というわけだ。

 さて。ここでよく考えよう。
 「政府自身の負担はなし」
 というのは、いわば、「小麦特別会計」だ。「道路特別会計」みたいなものである。
 で、「小麦特別会計」を原則とすれば、
 「輸入価格が上がった分、販売価格(政府売り渡し価格)を上げる」
 ということが必要となる。仮に、販売価格(政府売り渡し価格)を上げなければ、政府課徴金という収入が大幅に減ってしまうので、国内農家に与える補助金の原資がなくなってしまうからだ。
 これが今の政府の理屈である。たいていのマスコミも、そのように論じている。

 しかし、である。よく考えてみよう。そもそも「小麦特別会計」なんていうものは必要ないのだ。
  ・ 輸入品には一定の課徴金をかける
  ・ 国内農家には一定の補助金を与える
 この二つは、本来、別のことである。だから、本当は、「小麦の価格は一定(2万円)にする」という前提のもとで、次のようにするべきだ。
  ・ 輸入品にかける課徴金は、市場価格(2万円)との差額の分だけ。
   (つまり、輸入品が1万円から2万円になったら、課徴金はゼロ。)
  ・ 国内農家には一定の補助金を与えるが、その原資は一般会計から。

 課徴金は、国内農家を保護するためにあるのだから、輸入価格の値上げに応じて、課徴金を上げる必要はない。輸入価格が上がったなら、輸入品の競争力が低下しているのだから、その分、課徴金を減らせばいいのだ。それだけのことだ。
 一方、国産小麦の保護は、国全体の問題なのだから、特に小麦を食べる人だけが負担する必要はなく、すべての国民が等しく負担すればいい。つまり、一般会計から負担すればいい。……そして、その原資は、「道路特別会計」の余剰金を回せばいい。

 つまり、以上のすべてをひっくるめると、「道路特別会計の金を浮かせて、ガソリン引き下げに当てるかわりに、小麦粉の価格引き下げに回す」というふうになる。
 これが私の提案だ。
 ( ※ 「後期高齢者医療制度の分はどうするんだ?」というツッコミは勘弁してほしい。  (^^); あれはあれ。これはこれ。)

 [ 付記 ]
 論拠が不足していると思うのであれば、下記のサイトを参照。
 (細かい論拠なので、いちいち見なくてもいいが。)

 (1) 政府の小麦売り渡し価格
  →  FujiSankei Business i.
 
 (2) 国際小麦価格の高騰
  → 読売新聞
 「世界最大の穀物市場である米国のシカゴ商品取引所では、小麦の先物価格が9月に入って1ブッシェル(約27キロ)=8ドルを超え、最高値を更新しておる。2年前の2倍以上に上昇しておるんじゃ」
 「日本は、国内で消費される小麦の約9割にあたる約500万トンを輸入に頼っておる。政府は輸入小麦のうち、パンやうどんなどに使う主要5銘柄を商社を通じて全量買い入れ、その約半分の額を上乗せして製粉会社などに売り渡す制度を導入しておる。売り渡し価格は買い入れ価格の約1・5倍じゃ。上乗せ分は国内の小麦農家の助成金に充てておる。政府は今年度、海外の値動きを柔軟に反映させる狙いから、この制度を55年ぶりに改めたんじゃ。売り渡し価格は年間を通じて固定しておったが、今後は年2回見直す。今年度は4、10月に見直し、4月は平均1・3%上がり、24年ぶりに値上げされた。10月はさらに平均10%値上げされる。1トン=4万8430円から、5万3270円になるんじゃ」
 「制度には、国内農家を保護する側面もある。24年も売り渡し価格を値上げしなかった一方、市況の上昇で買い取り価格は値上がりしたため、96年度以降、助成金の原資を差額で賄えなくなり、麦全体で一般会計から年200億〜500億円の補てんを続けている。」
 (3) 政府の課徴金
  → 池田信夫ブログ
 政府は国際相場の2倍近い価格で売っていることになる。
 要するに今回の政府売渡価格の値上げの原因は、「自給率」を高めるための農業補助金の原資が不足したからなのだ。……(*
 したがって小麦を安定して低価格で供給するのに必要なのは「食糧安全保障政策」なんかではない。関税と農業補助金を廃止して輸入を自由化すれば、小麦の価格は半分になる。」……(**
 注記しておこう。
 上の (*) の下線部は、正しくない。「不足したから」ではなくて、「このままでは不足するから」である。それが正しい。もともと不足しているわけではなくて、放置すると不足する、というだけのことだ。
 また、(**)も、相当に粗っぽい議論だ。現状は「関税」よりも「課徴金」の方が問題であるし、また、輸入を自由化したって、世界的な生産量不足の状況があっさり解決するわけでもない。むしろ、供給面での増産が必要だ。( → 2月08日
 なお、この人はやたらと「市場原理ですべてうまく行く」と主張するが、世の中、そんなに単純ではない。(この件は次項でも述べる。)
 とはいえ、農業保護論者の「自給率を上げさえすればいい」という見解は、トンデモである。たとえば、下記を参照。いろいろとデータがある。

 (4) 小麦の価格調整の詳細 (数字のデータつき )
  → 瀬尾佳美BLOG


● ニュースと感想  (5月01日)

 2題。経済学と生物学。

 (1) 経済学
 市場原理主義の限界を示す。
   → Open ブログ 「市場原理主義の限界」

 (2) 生物学
 生物の本質は、「遺伝子が働くこと」だが、「遺伝子が働かないこと」もまた、生物の本質である。(一見、矛盾するようだが。)
  → 生物と遺伝子 (その4)[ 分化の意義 ]


● ニュースと感想  (5月02日)

 次の項目に  【 追記 】 を加筆しました。
  → 自分の遺伝子 8 (解説C)

 ※ 「自分の遺伝子」という学説は、万能の理論であるがゆえに、何も説明していないのに等しい、という話。インチキ論理の見本。


● ニュースと感想  (5月03日)

   ワーキングプアの問題は、市場原理主義で解決できるだろうか?
 実は、ワーキングプアの問題は、市場原理主義で解決できるどころか、市場原理が生み出した弊害なのである。
   → nando ブログ 「ワーキングプアと市場原理主義」


● ニュースと感想  (5月07日)

 東京と大阪の知事はどちらが上か?  (賢さではなく、アホさで。)
   → nando ブログ 「東京と大阪のアホ知事」


● ニュースと感想  (5月09日)

 外国人労働者については、導入・拡大することに、賛成論と反対論がある。そこで、この問題を考える。
   → nando ブログ 「外国人労働者の本質」


● ニュースと感想  (5月12日)

 ワーキングプアについて、「高齢者のせいだ」という曲解があるので、批判的に指摘しておこう。
   → nando ブログ 「ワーキングプアと高齢者」


● ニュースと感想  (5月14日)

 「経済学と経営学」について。
 経済学と経営学とは、どう違うか? これを考えよう。
 たいていの人は、「どっちも似たようなものだ」と思うかもしれないが、実は天国と地獄ほどにも違う。およそ対極的なものだ。
 なるほど、他の分野から見れば、「どちらも金儲けのことを考える」と見えるだろうし、「違いはせいぜい対象の範囲だけだ。経営学は一企業で、経済学は国全体」というふうに思うぐらいだろう。
 ま、それは間違いではないが、学ぶ側から見れば、根本的に異なる。次のように。

  ・ 経営学 …… 自分が儲ける方法を考える。
  ・ 経済学 …… 他人が儲ける方法を考える。

 経営学は、企業や個人が「いかにしたら自分は儲けることができるか?」を考える。そして、「ああだ、こうだ」と方法を探そうとする。学べば学ぶほど、金儲けができるだろう。(実際に儲けることができるかどうかは別として、「金儲けができるだろう」と人々は信じている。ま、いくらかは当たっている。千円ぐらいしか儲からないとしても。)
 
 経済学は、どうか? 実は、経済学をどんなに学んでも、ちっとも儲からない。実際、金持ちになった経済学者など、ほとんど皆無である。ケインズはけっこうも受けたが、あれは、経済学で儲けたのではなく、余技でやった株式投機で儲けただけだ。学問で金儲けなど、できるはずがない。
 つまり、経済学とは、自分が儲けるための学問ではない。では何かと言えば、国全体が儲けるようにするための学問だ。それで利益を得るのは、自分ではなく、国民の全体である。そして、自分としては、そのうちの微小な一部分を得るだけだ。(1億人がいれば、1億分の1を儲けるだけだ。)

 というわけで、経営学と経済学は、全然異なる。この点、誤解しないように。
 「他人を貧しくしてでも、自分だけは儲けたい」と思うようなエゴイスティックな人々は、経済学を学ぶべきではない。むしろ、経営学を学ぶか、あるいは、詐欺師に学ぶ方がいい。
 そして、経済学は何のためにあるのかというと、次の二通り。
  ・ 古典派経済学 …… エゴイスティックな人々の行為を正当化する。「これで全員が豊かになれます」と嘘をつく。
  ・ 古典派経済学 …… エゴイスティックな人々の行為を正当化しない。「好況のときには、それでいい。だが、不況のときには、貧富の差が拡大するだけだ。全員が豊かになることなどありえない。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる(ワーキングプアになる)」と真実を語る。

 [ 付記 ]
 嘘つきの古典派経済学者の例は、前項のリンク先( nandoブログ )で述べた。そちらを参照。


● ニュースと感想  (5月14日b)

 常用漢字の改定が予定されているという。そのこと自体は問題ない。  問題は、字体だ。どういう字体を用いるべきか? 
   → Open ブログ 「新常用漢字」


● ニュースと感想  (5月15日)

 「ダルビッシュに騒ぐアメリカ人」について。
 日本ハムのダルビッシュに「第2の松坂だ」とアメリカ人が騒いで特集している。
  → ESPN の特集ページ
 写真もある。
 日本語は、このページから直接ダウンロードできるが、pdf ファイルである。
 クリックしても うまく開けないときは、「名前を付けて保存」で保存すること。(右クリックしてから。)


● ニュースと感想  (5月16日)

 「ダルビッシュと日本マスコミ」について。
 前項で紹介した話(日本語)は、米国人記者が記したもの。(ユーモアのある文体からして明らかだが、署名もある。)
 これを読むと、次の趣旨の話がある。
 「ダルビッシュはドラフト指名のとき、日本ハム以外の他球団からは嫌われたので、指名されなかった。イラン人(混血)であることが問題視されたため」
 ま、一種の人種差別のようなものだ。

 これを読んで、腑に落ちましたね。というのは、私は長年、次の疑問を持っていたからだ。
 「阪神はなぜ、ダルビッシュを指名せずに、能見を指名したのか?」
 この年、ダルビッシュは「松坂以上の素材」というふうに、大騒ぎされていた。マスコミの事前予測では、多くの球団からの指名が予想された。ところが、ドラフトが近づくにつれて、刃がこぼれるように、次々と各球団が脱落していき、特定の希望枠の1位指名の人を指名するようになった。
 ところが、最後にひとつ、阪神が残った。阪神は、1位指名の選手を巨人と競合して、破れてしまい、1位指名する選手がいなくなった。となると、当然、クジ引きに参加して、ダルビッシュのクジ引きに参加するはずだ。……と誰もが思った。ところが、どういうわけか、阪神はダルビッシュのクジ引きに参加することを、自ら放棄した。かわりに、能見というクズ選手を1位指名した。

 このことがまったく腑に落ちなかった。確率2分の1で黄金を引き当てることができるのに、なぜまたわざわざクズ選手を選んだのか? どこの球団からも指名されなかった売れ残りのクズ選手を選ぶことに、何か理由があったのか? 
 しかし、今にしてようやく、その理由が判明した。「イラン人差別」である。なるほど、そういう理由であれば、どれほど優れた選手であろうと、阪神は指名しないだろうね。巨人もそうだろうし、他の球団もそうだ。で、それだからこそ、日本ハムだけが無競争で指名できたわけだ。松坂以上の素材を。

 さて。問題は、ここからだ。
 そういう事情があったのであれば、そのことをマスコミはちゃんと報道するべきだった。「どうしてダルビッシュを指名しなかったんですか?」ととことん問い詰めて、本音を聞き出すべきだった。「実はイラン人(混血)が嫌いだからです」という本音を。
 しかしまあ、日本のマスコミには、そういうことは無理だろう。彼らは、「真実の報道」などは、二の次である。「球団と持ちつ持たれつ」という、腐った関係にある。だから、球団が嫌がることなど、書くはずがない。特に、臭い匂いのするようなところの話は、書くはずがない。読者受けもしないだろうから。
 というわけで、日本のマスコミというのは、まったくあてにならないのである。米国人の記者から話を聞いてようやく、真相がわかるわけだ。

 教訓。
 日本社会の真実を報道してもらいたければ、日本のマスコミには頼らず、米国のマスコミに頼れ。   (^^);


● ニュースと感想  (5月16日b)

 先日の「新常用漢字」の項目に、【 追記 】を書き加えた。
 興味のある人は、お読み下さい。
   → Open ブログ 「新常用漢字」 の 【 追記 】

  ※ 候補の漏れなどを示す。たとえば、次の文字は、必要だろう。
    「炒 菫 斑 雫 雀 覗 穿 猥 蝕 癪 濤 漲 溢 嘩 慄 曖 堵 塵」

● ニュースと感想  (5月17日)

 「中国の地震被害への救助」について。
 中国の地震被害へ向けて、日本の救助隊が出発した。早くも人命救助を始めているという。
 しかし、である。本当に今なすべきことは、それだろうか? それでなしうるのは、数人か数十人ぐらいの救助でしかない。焼け石に水。スズメの涙。もっと有効な方法はないだろうか? 数万人にも上る死者やケガ人の人名を救う方法はないだろうか? そう考えた方がいいだろう。
 ここで、経営的な発想が出現する。金儲けをするとき、どうすればいいか? たいていの人は、「自分が働けばいい」と考える。しかし金儲けの未知は、自分が働くことではなく、他人を働かせることだ。つまり、経営者になることだ。
 それと同様のことが成立する。被災者を救うには、自分の腕で救うのではなく、他人の腕で救うようにすればいい。自分の腕で救えるのは、せいぜい数人だ。しかし何千人もの力を借りれば、何万人もの命を救える。
 だから、ここでなすべきことは、自分自身で命を救うことではなくて、無駄に休んでいる多大な他人の腕を働かせることだ。ここに本質がある。
 ここまでわかれば、あとは、ただの方法論だ。具体的には、次の方法がある。
 「大量の医薬品や医療器具を送付する。そこには中国語訳と英訳の解説も付けておく。そのことで、医薬品不足になっている状況で、被災者の命を救う」
 現地には医者はかなりいる。ただし医薬品がまったくない。病院も壊滅したから、手術台もメスも電源も機械もない。だから、そういうものを送付することで、大量のケガ人を救える。また、ヘリコプターがあれば、中国人の医者を運ぶこともできるだろう。

 まとめ。
 災害救助というと、自分の力で他人の命を救おうとする。しかし、自分一人でできることは、限られている。「助けてあげよう」という善意はいいが、善意ばかりがあって、頭が働かないと、結果的には、多大な人命をみすみす死なせることになる。
 大切なのは、善意ではなくて、人命を救うという結果である。そして、その結果のためには、善意よりも、合理性が必要なのだ。そこでは、「可哀想だ」という感情よりも、「こうすればこうなる」という経営的合理性が必要となる。……簡単に言えば、自分の手足を動かす末端の社員の視点ではなく、大勢の手足を動かさせる経営者の視点が。

 [ 付記1 ]
 実を言うと、これは、経済学の問題にも似ている。
 古典派経済学者は、こう考える。
 「一人一人が自分のできる最大限のことをなせばいい。そのことで全体状況も改善する」
 マクロ経済学者は、こう考える。
 「一人一人がバラバラになしているだけでは、全体状況がうまく改善するとは言えない。全体状況をうまく調整するような、調整者の役割が必要だ。そこでは一段高いところから、神のような視点で物事を考えることが必要だ。……それはたやすいことではないが。」

 [ 付記2 ]
 この問題は、次のようにも考えることができる。
 「ボトルネックがあるときには、ボトルネックの甲斐性をしない限り、物事は改善しない」
 たとえば、ガソリンが不足して自動車が動かないときに、自動車の性能をいくら高めても、何にもならない。ここで必要なのは、ガソリン不足を解消することなのだ。そこを最優先に考える必要がある。各人がバラバラに行動しているだけでは駄目なのだ。
 災害救助でも同様だ。医薬品の不足が決定的なボトルネックになっているのだから、ここを改善するだけで、全体状況は劇的に改善する。他の箇所をいくら改善しても、たいして効果はない。
 日本経済でも同様だ。需要不足が決定的なボトルネックになっているのだから、ここを改善するだけで、全体状況は劇的に改善する。他の箇所をいくら改善しても、たいして効果はない。
 中国であれ、日本であれ、問題の所在は同じである。そして、問題の所在を理解しないまま、見当違いなところばかり改善しようとしている、という点も同様である。

 [ 付記3 ]
 現地では道路の復旧もままならないようだ。それだったら、自衛隊の工兵部隊が出動して、道路の復旧をしたらよさそうだが。それが仕事なんだから。

( ※ 参考情報 → zakzak 「中国人の熱烈歓迎」


● ニュースと感想  (5月18日)

  英語の早期教育について、見解を示す。
 英語教育は、小学5・6年で必修化されるが、現状は不十分である。では、どうすればいいか? 
  → nando ブログ 「英語の早期教育」


● ニュースと感想  (5月19日)

 「市場原理が医療崩壊をもたらす」という話題について。
  → nando ブログ 「市場原理と医療崩壊」


● ニュースと感想  (5月20日)

 「スティグリッツの経済分析」について。
 スティグリッツの経済分析が、インタビューの形で、朝日に掲載された。(朝日・朝刊・オピニオン面・コラム 2008-05-19 )
 話の内容は、前に示したこととほぼ同じ。( → 4月24日 ) 「どうしてまた同じ内容を……」と疑問に思ったが、前回は読売の記事で、今回は朝日。同じ内容を、朝日は一カ月遅れで掲載しているわけだ。ま、朝日の読者には、読む意義はある。

 今回の記事では、目新しい話が一つある。次のことだ。
 「流動性がジャブジャブの解きに、金融政策は効果がない。住宅価格が下落しつつあるときに、さらに金融緩和をしても、借りる人がいない」
 ここでは、金融政策の限界が示されている。これは私が何年も前からずっと主張してきたことだ。スティグリッツもようやく、私と同じことを主張するようになった。(なお、ほとんどの経済学者は、私やスティグリッツとは反対で、「金融政策で不況解決」という嘘ばかりを唱え続けている。それが嘘だと判明したあとでも、嘘だと認めない。)

 なお、スティグリッツが私に完全に追いついたかというと、そうでもない。
 「金融政策は駄目だから、財政政策を使うしかない」
 と述べている点は正しいのだが、具体的な政策として掲げられているのが、旧来型の財政政策ばかりだ。(ほとんどケインズ政策ふう。公共事業ばかりではないが。)
 しかし私は、別のものを唱える。「金融政策と財政政策のミックス」である。それが「タンク法」による「中和政策」だ。
( → 詳しくは別ページ。これらの用語をGoogle で検索すれば、すぐにわかる。)


● ニュースと感想  (5月20日b)

 「中国の地震への対処」について。
 中国の地震については、先に述べた。( → 5月17日 )
 そこで述べた懸念が、現実化しつつある。消毒薬や医薬品の不足で、多大な人命が奪われつつあるようだ。救助隊がないというよりは、物資の不足のせいで。
 その一方で、日本の救助隊は、せっせと働いて、遺体ばかりを掘り出している。あまり書きたくはないが、救い出したもののほとんどは遺体であるそうだ。その総数もわずかである。焼け石に水。
 どうせなら「遺体だ」と判明した時点で、他の箇所に移れいいものだが、行きがかり上、どうしても最後までやり遂げる。かくて、遺体を掘り出してばかりとなり、よそにいるケガ人は無視されて、ケガ人はいつしか遺体に成り代わる。
 
 さて。これらはすべて、他人事ではない。わが身に起こることだ。つまり、他山の石である。
 これは日本の地震対策の訓練だ、と思えばいい。そして、日本にいつか地震が起こったとき、これと同じことが起こる。
  ・ 医薬品や物資の不足。そのせいでけが人が救われないで死んでしまう。
  ・ 救助隊は、遺体ばかりを掘り出すのに熱中して、生きている人を救わない。
 このことが今回、判明したわけだ。
 とすれば、中国を救おうとしないで、平然としている人々は、「明日はわが身だ」ということに気がつかないような、お気楽者であるわけだ。
 その例が、読売新聞だ。中国の地震をほったらかして、「アフガンで人命救助をしよう」というようなことを唱えている。なるほど、そうすれば、アメリカのご機嫌が取れるからですね。
 自分の命が危険だとわかっても、あくまでもアメリカのご機嫌取りばかりを考えている、お気楽者。「能天気」そのものだ。
 
 [ 付記 ]
 政府はようやく、医療部隊を派遣することにしたらしい。( 2008-05-19 各紙・夕刊)
 ずいぶんと遅れているが、それでもしないよりはマシだ。ただし、注意。これで済むと思ったら、大間違いだ。医療部隊というのは、やはり数が限られているから、焼け石に水である。だから、むしろ、大量の物資を送るべきなのだ。医薬品や消毒薬など。さらには、浄水器も。


● ニュースと感想  (5月21日)

 「中国の地震からの教訓」について。
 中国の地震への救助隊は、結局、成果ゼロで終わった。生存者の救出はゼロで、遺体の発見(収容も?)が総計で約 20体だという。三日目に収容した遺体数は 14体。( → 読売新聞日経 など。)
 成果がゼロだったことについては、「生存率が大幅に低下するとされる 72時間が経過した後で、タイミングが遅かった」という解説もある。(読売)

 しかし、そうではない。なぜなら、次のことがあるからだ。
 「やれることをやっていない」

 読売の記事によると、「やるべきことはやった」と救助隊は言っているようだが、とんでもない。やるべきことをやっていない。なぜなら、次のことがあるからだ。
 「やるべきでないことをやっている」

 救助隊は、生存者を救出するかわりに、遺体の収容をした。そんな無駄なことをやっていれば、遺体の収容に能力を奪われるから、生存者を救出することができなくなる。
 だから、問題は、次のことだ。
 「やるべきことと、やるべきこととの、区別ができていない」

 これが最も重要なことだ。
( ※ 今回では「 72時間」という制限が話題になったが、仮にその制限がなくても、救出できた人員数は、きわめて僅少だっただろう。たとえば、24時間後に到着してその後の 72時間までの 48時間のあいだに、何ができたか? たぶん、生存者が 10人と、遺体が 20体ぐらいだろう。どうせ労力の大半は、遺体の搬出に費やされる。生死の区別をしないからだ。)

 では、具体的にはどうすればいいか? たとえば、次のようにすればいい。
 「救助犬が現場に向かい、対象者の生死を確認する」

 具体的には、専用の脈拍計のようなものをうまく使って、対象者の脈拍を測定する。それによって対象者の生死を確認することができるはずだ。そして、「死亡」が確認されたら、もはやその場を去って、別のところに移動すればいい。遺体の収容のために多大な労力を費やす必要はない。目の前の一人の生命を救うことは大切だが、目の前の一人の死者の遺体を収容することは大切ではない。目の前の遺体に力を奪われれば、目の前にいない多数の命が奪われる。
 だからこそ、生死の選別が絶対的に必要なのだ。
( ※ トリアージという発想に似ている。これは怪我の重さの選別。)
 
 現実には、それができていない。
 なるほど、救助犬ならば、今回も使われた。( → 記事
 しかしながら、それは、あくまで「生存者を捜すため」であって、「生死のわからない人の生死を確認にするため」ではない。つまり、ここでは、救助犬の役割が根本的に狂っているわけだ。救助犬が活躍すればするほど、救助隊は無意味なことに労力を奪われるハメになる。

 結局、今回の出来事の教訓は、何か? こうだ。
 「小規模災害への対策ばかり考えていて、大規模災害への対策ができていない」

 小規模災害への対策ならば、現状でもいいだろう。たとえば、5人が生き埋めになって、その5人を助けるためなら、現状でもいいだろう。
 しかし、大規模災害への対策は、現状では駄目だ。1千人の被災者がいるときに、5人ぐらいを救う能力があっても、焼け石に水である。目の前の5人(たぶん遺体)を救うことに熱中すればするほど、残りの 995人の生命は奪われる。

 現状では、「(救助の)需要が供給を大幅に上回る」という状況への対処が、根源的に欠けている。そのことを、今回の事件は、教えてくれる。
 つまり、「情けは人のためならず」である。中国人の生命を救おうとするとき、そのことは、中国人の生命を救うだけではない。それができないおのれの無力さを思い知らされることで、最終的にはおのれの生命をも救うことにつながる。
 逆に、「イラク人を殺してやれ」「イラクの石油利権を奪ってしまえ」と思った米国は、自分自身の生命を奪われ、自分自身の富を奪われる。

 今回の中国人救出を見て、「反日の中国人が死ぬのは、いい気味だ。ざまあみやがれ」なんて思っている人もいるかもしれないが、そういうふうに考えていると、結局は、自分で自分の首を絞めるハメになるのだ。……愚かな人間ほど、そういう傾向がある。
 ひるがえって、昔の人は、賢明だった。「情けは人のためならず」という言葉を残してくれた。
( ※ ただし現代の若者はこれを聞いて、勘違いする。「情けは人のためにならないのか。じゃ、情けをかけちゃいけないんだな」と。  (^^); )


● ニュースと感想  (5月22日)

 「地震と経済学」について。
 前項では、中国の自身の話をした。ただ、何のためにこういう話をしたか、わかっていない人がいるかもしれないので、解説しておこう。(単に自身の話をしたいだけではない。)
 これは実は、「経済学的な発想」の必要性を訴えている。
  ・ 目の前の貧者一人を救うこと
  ・ 国全体の貧者を大量に救うこと
 この二つはまったく別のことだ。つまり、次のことは成立しない。
 「目の前の貧者一人一人を、順々に救っていけば、国全体の貧者を救うことができるだろう」
 このことは成立しないのだ。全員を救うためには、一人一人を救おうとしても、キリがない。むしろ、全員を一挙に救おうとする手段が必要だ。
 しかしながら、古典派経済学者は、このことに気づかない。だから、こう考える。
 「国民の一人一人が自分で自分を救えばいい。そのためには市場原理と生産性の向上があればいい。あくまで一人一人の問題だ」
 そういうことは、ありえないのだ。なぜなら、不況というものは、一人一人がいっせいに馬鹿になった(サボりだした)ということの結果ではないからだ。国全体の状況が一挙に悪化したときに、一人一人がいくら努力しても駄目なのだ。
 たとえば、医薬品が足りないときには、各人が「おれがもらうぞ」と思って、各人が弱肉強食で奪い合っても仕方ない。ここでは「医薬品の全体量が不足している」という全体状況があるのだから、「医薬品の全体量を増やす」(被災地で)ということが絶対的に必要なのだ。全体状況の改善が絶対的に必要なのだ。個人が努力すればいい、というものではない。また、救出隊や医療隊が頑張ればいい、というものでもない。そもそも、足りないのは、医者ではなくて、医薬品なのである。救出隊や医療隊を送るのは、根源的に間違った対策だ、と言える。
 「部分的な改善をいくら足しても、全体の改善にはならない」
 このことを理解しよう。なるほど、通常の状況ならば、
 「部分的な改善を足せば、全体の改善になる」
 と言える。しかし、地震や不況(バブル破裂)などで、状況が一挙に悪化したときには、もはや個別の努力を足すだけでは不足するのだ。


● ニュースと感想  (5月24日)

 「中国の地震・その後」について。
 中国の地震のあと、日本の医療隊が到着した。しかし、まったくの見当違いだったという。
 被災地での現場での救急処置を想定して、移動できる簡易エックス線検査や応急外科手術などの装備をかかえて乗り込んだ。しかし実際には、現場から都会の病院への搬送がひっきりなし。そこで、都会の病院で、大量の被災者を救助することにしたという。そのせいで、簡易エックス線検査や応急外科手術などの装備はまるで無駄。たしかに、現場では医師が不足しているので、医師そのものは歓迎された。しかし、簡易エックス線検査や応急外科手術などの装備は、てんで役立たずだったのだ。(読売・朝刊・社会面 2008-05-23。ネットにはない。)
 
 要するに、「救急医療チーム」という発想そのものが、根源的に狂っていたことになる。現場で処置するべき瀕死の患者よりは、まだまだ十分に生きている人の方が圧倒的に多かった、ということだ。というのは、瀕死の患者は、とっくに死んでしまったからだ。「救急医療チーム」が必要なのは、当初の1日〜2日程度だけ。それより遅れて行くのなら、普通の医者が手助けに行けばいい。ただし、物資は圧倒的に不足しているから、物資もまた別に送付した方がいい。

 まとめて言えば、「すべて後手に回っている」である。すぐさま送るべき救助隊を、数日後に送った。間に合わないとわかったあとで、救急医療チームを送ったが、これもまた間に合わなかった。
 ついでに言えば、医者不足なのは、日本の救急医療だって同様だから、あえて中国に出向く必要もない、とも言える。どうせなら物資だけ大量に送る方が、現地の負担も減るし、よほど役に立つだろう。お金を送る方がマシかもしれない。現地で看護婦を大量に雇えるようになるだろうから。
 すべてがトンチンカン。だから、最初から私が述べていたように、物資だけ送る方がマシなんですよね。「金だけ贈るなんて失礼だ」と考えて、「命をわが手で救ってあげよう」と思えば思うほど、かえって死者が増える。……下手な考え休むに似たり。
 経済学とは、ただの金のめぐりのことだけを言うのではない。金のめぐりを通じて、人間の生命をも救う。そのことを理解しよう。

 [ 付記 ]
 朝日の特集コラムに、面白い話があった。(朝刊・社会面 2008-05-23 )
 コンビニの店長が、万引き犯を見つけて、懲らしめるために蹴飛ばして痛めつけてやったら、犯人は骨折がもとで死んでしまったという。傷害致死で逮捕。事情を調べてみると、万引き犯は普段はどこかのお店で余り物をもらって暮らしていたという。ところがその日は余り物をもらえなかったので、空腹にたえかねて、万引きしてしまったという。
 これは終戦直後の話みたいだが、現代の話である。ひどいものだ。この犯人が特別悪質なわけではない。たかが百円程度のおむすびか何かを万引きしただけだ。飢えてパン一切れを盗んだ、ジャン・バルジャンみたいなものだ。……つまり、もとは善人何に、たまたま飢えに耐えかねて、パン一切れか何かを盗んでしまう。そのせいで、人生を狂わされ、あるいは、命を奪われるハメになる。
 この人が悪いのではない。こういう人々を大量に生む社会が悪い。いや、社会が悪いのではなく、政府の経済政策が悪い。
 悪しき経済政策は、善人を追いつめ、人々の人生を破壊する。中国では地震が人々の生命を破壊したが、日本では政府が人々の人生を破壊する。
 経済学の正しい知識を得ることは、本当に大切なことなのだ。なぜなら、金は生存の基盤であるからだ。


● ニュースと感想  (5月24日b)

 ダビング 10という規格をめぐって、迷走が起こっているようだ。  そこで、これに対処するため、私なりの解決案を示す。
   → Open ブログ 「ダビング 10 への対処」


● ニュースと感想  (5月26日)

 ジェネリック薬(後発薬・ゾロ薬)は、なぜ安いのか?
 「先発薬は、研究開発費などのコストがかさむから、高くなる」
 という説があるが、この説はまったくの間違いである。
  → nando ブログ 「ジェネリック薬はなぜ安いか?」


● ニュースと感想  (5月27日)

 (1)
 米国の火星探査機が、無事に着陸して、画像を送信してきた。その画像。
  → Open ブログ 「火星探査機 フェニックス」

 (2)
 英語学習の方法。
 先日、「英語の早期教育」という項目を記したが、その最後に、「英語学習の方法」というのを加筆した。
  → nando ブログ 「英語の早期教育」 の最後


● ニュースと感想  (5月28日)

 「死刑廃止と朝日社説」について。
 長崎市長の殺害事件で、殺人犯に死刑判決が下った。これについて、朝日社説が判決への賛成を主張している。
 「類例のない極めて悪質な犯行」と断罪した。
 これは民主主義を根幹から揺るがす犯行だ。到底許しがたい――。
 暴力で言論や政治活動を封じようというのは、民主主義に対するテロである。
 民主主義に対するテロや暴力をいっそうはびこらせるのか。
 テロを憎み、暴力団を追いつめる。今回の判決を機に、その思いを新たにしたい。
 判決はさらに「市長を逆恨みした犯行の動機は、暴力団特有の身勝手きわまりないもので、酌量の余地は全くない」と述べた。その通りだと思う。
( → 朝日社説 2008-05-27 )
 こうして「死刑」を完全に支持した。しかしこれは、日ごろの主張とは違っている。
 要するに、今回言っていることは、日ごろの主張とは正反対だ。論理矛盾。情けないね。
 で、どうしてこうなるか? それは、殺されたのが身内だからだ。マスコミにとって政治家というのは、ふだんは敵対者であるが、外部のテロリストを相手にしたときは、身内となる。言ってみれば、朝青龍と白鵬のような関係だ。ふだんはライバルだが、外部を相手にしたときは仲間となる。白鵬としては、「朝青龍をぶんなぐってやりたい」と思うところだろうが、いざ朝青龍が殺害されたら、青ざめて、その殺人犯をつかまえてこてんぱんにしてやりたくなるはずだ。

 とすれば、その違いは、こうだ。
 「見知らぬ他人が殺されたときには平然として『死刑廃止』を唱えるが、身内が殺されたときには青ざめて『死刑賛成』に転じる」
 これが今回の朝日の社説の意義だ。

 こうして、本質がわかる。
 死刑廃止の是非とは、何か? 犯罪と人命をめぐる理念の問題か? 違う。「他人の悲しみを理解するかどうか」の問題なのだ。心における「他人への共感度」の問題なのだ。一般に、優しい人は、他人の気持ちを理解する。テレビゲームばかりやっているようなわがままな人は、他人の気持ちを理解しない。
 他人の悲しみを理解しなければ、「どうせ他人事さ」と思うので、建前だけを信じて、「人の命は大切だ」と述べる。そうして「自分は人道的な善人だ」と思って、いい気になっていられる。
 ただし、その人も、いざ自分の身内が殺されると、とたんに物事は他人事ではなくなる。悲しみがまさしくありありとわがこととして感じられ、自分がまさしく殺されるのではないかという恐怖にとらわれる。そして、そのときようやく、殺人とはどういうものであるかを、身をもって理解する。
 こういう人は、自分の身内が殺されると、「死刑に賛成」というふうに急に転じる。
 ただし、彼はあくまで従来の「死刑反対」という立場を取りたいから、論理矛盾を避けるために、こう思う。
 「他人が殺された事件では死刑反対だが、身内が殺された事件では死刑賛成。自分に関する場合だけの死刑賛成」
 なるほど、これなら、論理的な矛盾はない。しかしそこにあるのは、「独りよがり」というエゴイズムだ。そして、それは、「他人の命を奪っても構わない」と信じる殺人犯と同じなのだ。
 死刑賛成であれ、死刑反対であれ、それはあくまで普通の人の論理だ。しかし朝日のように、「他人の被害については死刑反対、自分たちの被害については死刑賛成」というようなエゴイズムは、殺人犯と同様の身勝手な発想である。……そのことに気づくことが大切だ。

 [ 付記 ]
 わかりやすく言おう。
 「死刑廃止論者」というのは、「殺人犯」の同類なのだ。殺人犯は、「自分が人を殺すのは構わないが、自分が殺されるのはイヤ」と思う。死刑廃止論者は、「他人の命が奪われたときには死刑はイヤだが、自分の身内の命が奪われたときには死刑は当然」と思う。  ここにあるのは、エゴイズムの発想だけだ。そこには「他人への共感」というものが欠けている。つまり、優しさというものが欠けている。だから死刑廃止論者は、殺人事件の被害者のものすごい悲しみを、平然として無視できるのである。彼らには他人の悲しみを無視するという冷酷さがある。ほとんど人でなしだ。……そして、そういう彼らの冷酷さは、自分の身内についてだけには適用できないから、自分の身内についてだけは「死刑賛成」というふうに転じるのだ。日ごろの主張とは正反対のことを主張しながら。


● ニュースと感想  (5月29日)

 「森永卓郎の医療改革」について。
 医療改革には、どうすればいいか? 森永卓郎が医療改革の提案をしている。いちいち紹介するほどの内容はないのだが、ジョークとしてなら楽しめる。
   → 森永卓郎の医療改革
 内容は、次の通り。
  1. 現状分析。「政府は医療費の赤字を削減するために、国民負担を上げようとしている。しかし、それよりは、コストを下げるべきだ。」
  2. 対策。「コストを下げるにはどうすればいいか? 需要と供給の関係を考えればいい。需要が増えているから価格が上がる。価格を下げるには、供給を増やせばいい。すなわち、医師の数を増加させればいい。」
  3. 具体策。「医師は足りなくても、歯医者は余っているから、歯医者を医師にすればいい。これで医師の供給増加が可能。また、開業医はボロ儲けしているから、開業医の儲けを減らしてやればいい」
  4. 提案。「2級医師というものを導入する。初診の患者の話を聞くだけ。ここで必要なのはコミュニケーション能力だけだから、年収 300万円の薄給で雇える。これで医療費も抑制できるし、失業対策にもなる。一石二鳥だ。」
 こんなもの、まともな人がまともに読むわけがない。ただのジョークにしかならない。しかし、わからない人もいるだろうから、解説しておこう。
  1. 現状分析。「コストを下げるべきだ。」 → これだけは正しい。
  2. 対策。「価格を下げるには、供給を増やせばいい。すなわち、医師の数を増加させればいい。」 → 馬鹿じゃなかろうか? 医療費とは「医師に払う金」(医師の給与)のことではなくて、やたらと高額な薬や機器があるからだ。もう一つ言えば、「無意味な治療をなす」ということがある。無駄な手術を一回やるだけでも、百万円単位で千万円以上も吹っ飛ぶことがある。それで余命が半年延びるだけ、とか。
 このあと、個別に論じよう。
 (1) 「歯医者を医師にする」
 → 口あんぐり。歯医者というのは医者になれない出来損ないのことを言う。どうせなら「お医者さんごっこをする幼稚園児に医者になってもらう」と言う方が、まだしも気の利いたジョークだ。
 (2) 「開業医はボロ儲けしている」
 → そんなことはない。それが可能なら、勤務医は誰だって開業医になっているはずだ。現実には、勤務医が開業医になることはできない。なぜなら、莫大な開業資金が必要だからだ。最低でも 5000万円。それだけの現ナマを用意できる勤務医がいるか? 銀行から借りるにしても、やはり現ナマは2000万円ぐらいは必要だ。しかも、それは最低限でしかない。……現実には、たいていの勤務医は、開業医になりたくてもなれない。では、どうして開業医がいるかというと、世襲である。親の開いた医院を、子に継がせる、というふうにするわけだ。……こうして、わけがわかるだろう。「世の中の医者はどうして子に医院を継がせたがるか」という理由が。それは、「償却の済んでいない医院を子に償却してもらおう」ということだ。そうして、二世代に渡って償却することで、ようやく、勤務医以上の所得を得ることができる。(年収 2000万円とかね。)
 ついでに言えば、開業医だって、真面目にやっていると、あまり儲からない。金儲けが目的なら、けっこう汚いことをやる必要がある。「開業医は開業医だからボロ儲けしている」ということはない。「開業医は悪魔に心を売り渡しているからボロ儲けしている」というのが正しい。
 だから、開業医を冷遇しても、それだけでは問題の解決にはならい。むしろ、冷遇すれば冷遇するほど、開業医は悪魔の道に足を踏み込む。
 (3) 「2級医師というものを導入する」
 → 医者とは何かを本質的に理解していない。医者の問診とは、最も重要なものだ。ここで話を聞き出して、隠れていた病状を探り出す。患者にとってはただのおしゃべりのように思えるかもしれないが、医者にとってはフルに頭を発揮させている場面なのだ。「ときどきちょっと胸がむかつくんですよね」というような何気ない話から、非常に重要な病気の兆候が得られたりする。
 だから、「2級医師」ならぬ「準医師」というものを導入することはあってもいいが、彼が自分で判断することは絶対にあってはならない。彼はあくまで医師の指揮下にあって、医師の手足として働くだけでいい。それ以上のことをなしてはならないのだ。馬鹿がむやみに頭を働かせれば、そのせいで患者は死ぬ。だから、馬鹿は頭を働かせてはならない。許されるのは、たとえば、「レントゲン技師」「注射担当者」などだ。彼らは、何をなすにしても、自分の頭を働かせて判断してはならない。患者とコミュニケーションをするのであれば、自分から何かを質問してはならない。そして自分から何かを質問できないのであれば、そこではもはや問診は成立しない。だから、森永の言う「2級医師」というものは、存在意義がない。

 こうして、彼のジョークはわかった。あまりにも無知な素人のたわごとにすぎない、と。
 では、どうすればいいか? 

 私としては、次のように考える。
 「医療費の負担を減らすには、医療費のコストを減らすしかない。そして、そのためには、医療サービスを下げるしかない」
 これは当然だ。今の医療には、明らかに過剰な面がある。それは、次のことだ。
 「どうせ余命がわずかな高齢者のために、あまりにも巨額の高度医療を施す」
 こんなことをどんどん続けていれば、いずれは財政がパンクするのは当然のことだ。医療技術がどんどん進歩していけば、医療に一件1億円とか 10億円とかかかるようになるかもしれない。それでいて余命が1カ月伸びるだけ、というようなこともあるだろう。これでは、医療の財政が破綻するのは当然だ。 …… (*

 だから、私としては、次のようにするべきだと思う。
 「生涯の医療費の上限額を定める。上限額を超えた分については、負担率を漸増させる」
 たとえば、こうだ。
  ・ 生涯の医療費が 3000万円までは負担率が 30%。
  ・    同   3000 〜 5000万円では負担率が 40%。
  ・    同   5000 〜 8000万円では負担率が 50%。
 こういうふうに負担率を上げる。こうすれば、効率の悪い高額な医療は避けられるようになるだろう。
 ただし、このような上限は、高齢者に限られる。60歳ぐらいまでは、上限なし。あるいは、上限を非常に高く設定する。

 [ 付記1 ]
 なお、この概念では、「混合診療」も必要になりそうだ。ただ、そこまで話を進めると、細かくなりすぎるので、私としては論じない。私は医療専門家じゃないので。
 ともあれ、本項で述べたいことは、先の (*) の部分である。

 [ 付記2 ]
 前にも別項で述べたが、「要介護者については(選択制で)海外での介護を受ける」という方式も導入したい。
 医療についても、「海外での医療」という選択肢もありにしたい。特に、救急ではない慢性の患者については。(たとえば脳梗塞のあとのリハビリ。)

 ※ 一般に、寒い日本で暮らすよりは、暖かな南洋の土地で暮らす方が、よほどリハビリの効果がある。ま、室内から出ないような重度の患者は別として。
 なお、室内に閉じこもりの場合、建物の建造費が高くつくから、ベッド代がすごく高くつく。一泊 5000円なら月に 15万円。だったら、既存の部屋を借りた方が安くつくはず。特に、南洋のアジアならば。
 それに、病院のベッドって、個室以外は、プライバシーが全然ないんですよね。私ならば、そんなところはいやだ。私ならば、海外で介護を受けたい。特に、若くてピチピチの看護婦さんのいるところ。(日本では看護婦さんもだんだん少子高齢化しつつある。看護婆さん。いやだなあ。)

 [ 余談 ]
 本項は、森永卓郎を批判しているわけではないので、念のため。
 だいたい、素人のたわごとなんかを、いちいちまともに批判するわけないでしょうが。世の中には(有名人である)素人の、ほんのたわごとを聞いて、鬼の首でも取ったように批判する人もいるが、私はそんな不粋なことはしません。素人をいじめて、何が面白いんだか。
 私は批判の矛先を向けるのは、原則として、政府と巨大マスコミだけです。馬鹿な素人をあげつらうようなイヤミなことはしません。(たしかにイヤミはイヤミだけれど。 ……  (^^); )


● ニュースと感想  (5月29日b)

 → Open ブログ 「太陽光発電」


● ニュースと感想  (5月30日)

  有機EL照明が実用化される見込み。
 → Open ブログ 「有機EL照明」


● ニュースと感想  (5月30日b)

 「中国の地震とテント」について。
 中国の地震被害のあとで、物資の援助として、テントを送付するという。これは、どういう意味があるか? 
 朝日新聞(朝刊・2面 2008-05-29 )によると、被災者は 1500万人で、必要なテントは 330万。しかるにすでに配布されたのは 60万だけ。うち、外国の各国(米国を含む)から送られたのは、20万。(これから計算すると、不足分は 270万。)
 読売によると、日本の自衛隊にも要請されたが、自衛隊では四苦八苦しているという。引用しよう。
 「防衛省によると、全国の基地・駐屯地で保有するテントは6人用が約2万張り、14〜15人用が約1000張り。防衛装備品であるテントを中国に無償で提供するには、物品管理法に基づき、管理元を防衛省から外務省に移し、その上で外務省が所管のJICAに譲渡し、中国に譲渡するといった手続きも必要だ。」( → 読売 )  要するに、最大でも2万程度。270万に比べて、スズメの涙である。

 その一方、価格は、とんでもなくかかるらしい。1〜2人用の小型テントなら1万円程度だが、5人ぐらいが入れて居住できるようなテントだと3〜6万円ぐらいはかかる。
  → テントのカタログ その1その2
 総計だと、 4万円 × 2万 で、8億円。これは日本が支援を表明した「5億円」という規模をあっさり上回る。  (^^);
 
 まとめ。
 日本が送付するテントの数量は、圧倒的に少なくて、不足する。
 それでいて、そのためにかかる金額は、巨額すぎる。

 では、その本質は? こうだ。
 「テントが過剰品質過ぎる。日本人向けに、あまりにも高額なものを用意するから、金がかかる割には、数量不足になる」

 ま、外交面での宣伝効果もあるから、やらないよりはやった方がいい。しかし、ただの宣伝だけのためにやって、実効性がほとんどないとなると、これは詐欺みたいなものである。「人道支援」ではなくて、「人道支援を名目にした広告」であるにすぎない。(広告で儲ける Google みたいなものですかね。  (^^); )

 ──

 では、どうすればいいか? 簡単だ。
 「安いものを大量に用意する」
 その方法は、こうだ。
 「中国国内で、テント用に使えるような厚い生地を大量に調達して、生地だけを大量に頒布する。あと、クリップや釘なども。とりあえずは、それで雨や風や日射しをしのいでもらう。最後に、用済みになったら、物置にでも転用してもらう」
 具体的な発注は、国内ではなく中国内で発注すればいい。そうすれば、朝鮮特需で湧いた昔の日本のように、中国も特需で湧く。中国の景気が良くなれば、その分、日本でも景気がいくらか良くなる。
 
 簡単に言えば、こうだ。
 「4万円のテントを一つだけ贈って、人道支援をした気分になるのをやめる。かわりに、中国国内で、千円の生地を 40個発注して、それを贈る」
 一人だけを豪華なテントに住ませるかわりに、40人をそこそこの自作テントに住ませる。豊かな気分になれる人を一人生み出すかわりに、最悪になる多数の人々を救う。

 これはまあ、「ワーキングプアを救う」という発想と同じだ。……とはいえ、日本でもそれができないのに、中国でそれができるとは、思えないな。
 逆に言えば、中国人さえも救うことができないのであれば、日本人の同胞を救うことはできない。「救おう」という意思はあっても、救うための知恵がないからだ。結果的に、金を浪費するだけ。


● ニュースと感想  (5月31日)

 「中国の地震とテント」について。
 中国の地震への援助物資を送るために、自衛隊機を派遣する予定だったが、中国構内の反対が強くて、断念することになったそうだ。(各紙報道 2008-05-30 )
 ま、そんなことになりそうだ、という気もしていた。とはいえ、中国の人々も、けっこうガキが多いんですね。2ちゃんねらーみたいだ。  (^^);

 そこで、私としては、次のことを指摘したい。
 「中国に贈るテントは、自衛隊のテントである。だから、テントを渡すときには、『これは自衛隊のテントですよ』と大声で指摘するべきだ」
 何のために? いやがらせのため……じゃないです。  (^^);
 いったん自衛隊のテントを渡したあとで、「なんだ、これは自衛隊のテントだな。よくもだましたな」と恨まれないようにするためです。あらかじめ、同意を得ておきましょう。こっそり隠してテントを渡すと、あとでかえって恨まれますよ。良いことをしても、恨まれるハメになる。
 そうならないように、あらかじめ大声で訴えておきましょう。

( ※ 「なるほど、イヤミも筋金入りだな」なんて言わないで。  (^^); )
 

● ニュースと感想  (5月31日b)

 次の二つの問題をともに示す。

  → Open ブログ 「地球温暖化と日本」
 ( ※ 地球温暖化の影響は日本自身にも及ぶ、という話。ニュースの紹介。)

  → Open ブログ 「アフリカの未来」
 ( ※ アフリカの人道援助をすると、アフリカは豊かになるが、そのせいで、人口爆発が起こり、地球環境は悪化する、という指摘。)

 ま、人道援助をするのもいいが、援助したあとで、人口爆発が起こり、あとで恨まれるハメにもなりかねない。「おれたちの国がこれほどにも人口が増えて、全員が地獄の生涯を送る結果になったのは、日本がやたらと人道援助をしたせいだ。そのせいで、こんなに人口が爆発して、苦しい生涯を送る結果になったんだ。地獄の生涯を」と。
 そうならないように、あらかじめ大声で注意しておきましょう。


● ニュースと感想  (6月01日)

 「お知らせ」の項目から、次をご覧ください。
  → Open ブログ 「電球形蛍光灯の嘘」


● ニュースと感想  (6月02日)

 水泳用の水着の謎を、科学的に示す。
  → Open ブログ 「魔法の水着はなぜ速いか?」


● ニュースと感想  (6月02日b)

 「クラスター爆弾の禁止」について。
 クラスター爆弾を禁止する条約が可決された。( → 読売新聞 2008-06-01 )
 これに対して、軍事的観点から、「代替兵器を開発せよ」というような見解を出す保守派もいる。
 問題は代替兵器だ。
 条約案の対象外となる目標識別能力付き最新型爆弾は、ピンポイント攻撃には適しているが、広い範囲を攻撃し、「面を制圧する」ことはできない。島国の日本にとって重要な、敵部隊の上陸を阻止する効果は小さいという。
 完全な代替兵器を探すのは簡単ではない。
( → 読売・社説 2008-06-01 )
 ここには勘違いがあるので、指摘しておこう。
 クラスター爆弾というのは、自衛のための兵器ではなくて、攻撃のための兵器である。
 たとえば、敵の部隊を足止めするために、敵国にクラスター爆弾をばらまく。そのあと、不発弾のせいで民間人の被害者が出るとしても、民間人は敵国人だから、こっちの知ったこっちゃない。「軍人だけでなく民間人を殺してもいいのさ。敵国人ならば」という米国流の発想に基づく兵器だ。
 ま、これはこれで、一理ある。悪魔のような残酷な人間が使うためにふさわしい兵器だろう。
 一方、これを防衛用兵器として、自国で使うと、どうなるか? 「敵部隊の上陸を阻止する」というのが自衛隊の言い分だが、これはまったくの間違いである。

 (1) 敵を阻止することはできない
 日本の国土は非常に広い。海岸線も非常に広い。大陸に国境が一本だけあるような国とは違うのだ。この広大な海岸線をすべて守ることなど、絶対に不可能である。なぜなら、たった一箇所でも穴があいたら、そこが「蟻の一穴」となって、次々と上陸されてしまうからだ。
 まず、クラスター爆弾を日本の海岸線のすべてに落とすことなど、不可能に決まっている。そもそも、それだけの弾薬がないからだ。また、漏れなく落とすことも不可能だ。必ず「やり残し」の場所が生じる。
 また、仮に、クラスター爆弾を日本の海岸のすべてに落としたとしよう。たとえそうしたとしても、やはり、敵部隊の上離陸を阻止することはできない。一時的に阻止したとしても、敵が地雷破壊装置の装甲車みたいなものを何度か走らせれば、そこに幅のある「蟻の一穴」ができるから、結局、上陸を阻止することは不可能なのだ。

 (2) 自国民を阻止してしまう
 一方、自国民は、どうか? クラスター爆弾を日本の海岸線のすべてに落としたら、日本人が海岸線の外に出ることが不可能になってしまう。しかも、このことは、一時的ではなく、長期的に続く。「あそこに爆弾が落ちているな」と思えば、怖くて誰も近づけないからだ。
 当然、輸出入は不可能となり、食料も石油も輸入できなくなる。また、あちこちの漁船も、海に出て量をすることができなくなる。
 ま、「港だけはクラスター爆弾を落とさない」ということも考えられるが、だとしたら、その港を制圧されたあと、やはり、上陸を阻止することができなくなる。

 結論。
 「クラスター爆弾で敵軍上力を阻止しよう」という発想は、「尻抜け」の発想にすぎない。
 実は、クラスター爆弾というのは、「あっても使えない兵器」である。少なくとも、国内では使えない。なお、国外で敵軍を制圧するためには使えるが、自衛隊は国外で敵軍を制圧する(侵略する)ことはありえないから、その使途もない。
 自衛隊がこんなものをもっているのは、百害あって一利なしだ。仮に、敵軍が上陸しかけたとして、そのとき、自衛隊が海岸線にクラスター爆弾をばらまいたら、どうなるか? 敵軍には効果がないが、日本国民はひどい目に遭う。つまり、日本国民を殺すのは、敵軍の軍隊ではなくて、自衛隊のクラスター爆弾だ、というふうになる。
 だから、「あっても使えない兵器」のことなど、いちいち考慮する必要はない。「代替兵器を探そう」と求める必要もない。こんなものは、もともと使い道のない兵器なのだから。
 なお、下手な考えをして、「新型クラスター爆弾を使おう」などと思ったら、やはり、ひどいことになる。「北朝鮮軍が近づいたぞ」などという噂が出ただけで、日本中の海岸線が封鎖され、あちこちで子供が自衛隊の新型クラスター爆弾のせいで死ぬ、というようなことが起こる。
 「新型であれ何であれ、クラスター爆弾は侵略のために使うのであって、防衛のためには使えない」
 この本質をはっきりと理解しておこう。
( ※ 理解しないと、自分で自分を殺すハメになる。勘違いによる自殺ですね。……馬鹿は死ななきゃ直らない、ということかな。ま、それで死ぬのは、自衛隊ではなくて、一般国民だ、というところが皮肉。)

 [ 付記 ]
 実を言うと、防衛のためにも、使途はある。それは、「基地のまわりを封鎖する」という使途だ。これならば、意味はある。とはいえそれは、通常は、地雷で行なう。クラスター爆弾なんか使う必要はない。
 クラスター爆弾というのは、本質的に、侵略のための兵器なのだ。というか、敵国の民間人を巻き添えにするための兵器なのだ。たとえて言えば、東京大空襲で、一般市民を大虐殺するようなもの。そういう悪魔のための兵器である。
 「悪魔のための兵器の代替兵器は?」と考えるような連中は、根本的に頭がイカレている、としか思えない。そんなものだったら、まだしも毒ガスのような化学兵器の方がマシである。フセインの方がよほど人道的だ。
 「大量破壊兵器を所有するフセインを処刑するためにイラクを侵略してもいい」
 という理屈が成立するのであれば、
 「悪魔の兵器を所有する日本の首相を処刑するために日本を侵略してもいい」
 という理屈が成立する。そのことをわきまえておこう。
( ※ なお、こういうふうに「正義のためには侵略してもいい」という屁理屈をこねたのは、私ではなくて、米国の大統領と日本の首相である。勘違いして、私に文句を言わないでほしい。)


● ニュースと感想  (6月03日)

 ガソリン価格が急騰しているので大変だ、というニュースがあふれている。だが、本当にそうか? 円レートとの比較で見ると、本質は別のところにある、とわかる。
  → nando ブログ 「ガソリン価格と円レート」


● ニュースと感想  (6月04日)

 「資材値上げの影響」について。
 原油や鉄鋼などの資材が値上がりしている。これが、企業と消費者の双方に影響するので、大変だ、という見解がある。
 世界的な資源高が、鉄にも及んでいる。自動車や家電などの価格にも波及しかねない。
 自動車業界のコストは、他の原料上昇なども含めて1兆円近く増えると予想される。北米市場の不振や円高などに加えて、鉄の値上げは経営の重荷となろう。
 だが、どこまで価格転嫁を抑止できるか。仮に値上げに踏み切れば、ただでさえ、国内の自動車販売が低迷している中で、買い控えを招き、販売不振に拍車がかかりかねない。今後、難しい判断を迫られる。
 電機業界なども、コスト増を吸収する努力とともに、価格転嫁を模索するだろう。
 家電製品などにも値上げが波及すれば、食料品やガソリンの値上げなどと同様に、国民生活を直撃する。
( → 読売・社説 2008-06-03 )
 ここでは、企業と消費者の双方を心配しているが、心配する方向が間違っている。

 (1) 企業
 企業なら、あまり問題はない。
 第1に、世界各国の企業がいずれも同じ条件になるのだから、日本企業だけが困る、ということはない。
 第2に、価格上昇による需要減少は、ほとんど意味がない。そこで起こるのは「売上げ減少」ではなくて、「ダウングレード」であるにすぎないからだ。つまり、高級車をやめて、低価格車にシフトする。それだけのことだ。売上げそのものが急減するわけではない。
 売上げそのものに影響するのは、原材料価格ではなくて、国民所得である。景気が良ければ自動車はバンバン売れるし、景気が悪ければ自動車はあまり売れない。こちらの方がずっと重要だ。どうせ心配するなら、こっちを心配するべきだ。……とにかく、「景気対策」が最重要。「資材の値上げ」など、ほとんど意味がない。
( ※ ただし、短期的には、「値上げしたな」という感じが出るので、一時的な需要減少を招く。しかしそれも、短期的な気分の影響にすぎない。)
( ※ そのくらいのことだったら、自動車の品質を向上させる方が、よほど効果的だ。魅力的な新車を出したりね。……たとえば、ホンダのフリードは、なかなか魅力的だ。逆に、日産の車は、グリルがカッコ悪い、というだけのせいで、売れない車が多すぎる。ひどいデザイン。どうせならセレナみたいなグリルにすればいいものを、あえてノートだのラフェスタだのティーダだの、ひどいグリルにするから、売れる物も売れなくなる。)

 (2) 消費者
 消費者も、資材の値上げなんて、ほとんど関係ない。ダウングレードすればいいからだ。たとえば、アルファードを買うのをやめて、フリードを買う。クラウンを買うのをやめて、ティアナを買う。……こういうふうにダウングレードすれば、それで問題ない。
 だいたい、今の車は、カローラみたいな車でさえ、一昔前のベンツよりもずっと高性能だ。カローラで十分なのだから、いちいちクラウンみたいなものを買うのをやめればいい。それで済むことだ。
 電器製品もまた同じ。特別高級なケータイを買わなく立って、最低限のケータイでも済む。コンピュータだって、最低クラスのコンピュータでけっこう十分だ。さまざまな家電製品も同様。
 今の自動車や家電製品は、一昔前の最高価格のものよりも、もっと性能がいい。性能あたりの比較で言えば、価格は大幅に低下している。だったら、資材価格上昇のせいで、製品価格が数パーセント程度上がるとしても、対し的にするほどのことじゃない。
 それよりは、心配するべきは、自分の所得の方だ。こっちの方がよほど重要だ。

 まとめ。
 資材価格の上昇なんか、いちいち気にするほどのことはない。企業でも消費者でも同様だ。肝心なのは、景気だ。これこそが、企業収益や国民所得を直撃する。こっちの心配をする方が、よほど大事だ。

 比喩。
 読売太郎という人は、「オオカミが来る」と大騒ぎしていた。しかし、実際に来たのは、かわいらしい赤ちゃんオオカミにすぎなかった。その一方で、台風が来たので、村を直撃して、村は荒廃した。読売太郎が「オオカミが来る」と大騒ぎしたせいで、肝心の台風対策がなおざりになったから、村は荒廃してしまったのだ。


● ニュースと感想  (6月04日b)

 アフリカの開発援助をするために、「ネリカ米」というものを利用しよう、という動きが始まっている。しかし、である。ネリカ米だけでは足りない。人は米のみにて生きるにあらず。
  → Open ブログ 「ネリカ米だけで足りるか?」
 ( ※ アフリカの開発支援や、緑の革命との、関連。)
 ( ※ 後半には、経済学の話もある。先進国の経済への教訓など。)


● ニュースと感想  (6月05日)

 「グッドウィルの悪徳商法」について。
 グッドウィルが二重派遣をしていた、ということで、糾弾されている。「違法行為だ」と。
 警視庁は3日、……職業安定法違反(労働者供給事業)幇助(ほうじょ)などの疑いで逮捕した。
また、東和リース元常務江川隆一容疑者(47)=板橋区小豆沢4丁目=を同法  二重派遣は雇用責任の所在があいまいで、マージンの二重取りになるなど問題が多いが、派遣業で横行しているとされる。刑事事件になったのは初めて。
 グッドウィルから派遣された労働者5人を27回にわたり、港湾荷役会社の笹田組(横浜市)と太洋マリーン(港区)に二重派遣し、両社の指揮下に置いて東京港の埠頭(ふとう)で働かせた疑い。
 ( → 朝日新聞 2008-06-03 )
 では、二重派遣なければいいのか? 派遣は、一重ならば良くて、二重ならば悪なのか? つまり、ピンハネは、一重ならば良くて、二重ならば悪なのか?
 こう考えてみれば、物事の本質がわかるだろう。一重であれ二重であれ、ピンハネなんてものは褒められたものではないのだ。
 比喩的に言うと、頬を片方ぶつのは善で、頬を両方ぶつのは悪だ、と述べているようなもの。馬鹿げた話。
 したがって、「一重ならば良くて、二重ならば悪だ」という論調の記事は、全然、本質を突いていない。それは単に、「形式的に合法か否か」を問うているだけだ。

 派遣労働者の本質は、何か?
 古典派経済学者は、次のように言う。
 「労働形態を自由化することで、定期的・固定的な労働形態に多様化をもたらし、人々が労働生活を自由に選べるようにする」
 これは、必ずしも間違いではない。ただし、その前提には、次のことがある。
 「労働需給が十分に均衡していること。特に、有効求人倍率が、1倍をかなり上回っていて、人々が自由に労働を選べること」
 しかし、現実には、そうなっていない。有効求人倍率は1倍を少し上回るぐらいであるから、当然、はみ出る人が多数出る。高齢者、女性、低学歴の人、体力の弱い人、不美人の女性、妊婦、子持ち女性、……など。
 すると、どうなるか? これらの人は失業同然のありさまになるから、そのせいで、仕方なく、賃金水準を切り下げるハメになる。
 そして、賃金水準を切り下げるための手段として、「派遣」というシステムが生じる。
 
 つまり、現状の「派遣業」とは、「労働形態を自由化するため」にあるのではなく、「賃金水準を切り下げるため」にある。そして、賃金水準を切り下げたことによって得られた利益を、雇用企業と派遣会社とが分けあう。
 例。
 本来ならば、労働者の給与は月給 20万円。しかし、労働市場では、失業者があぶれているので、これを雇うことにする。自社で雇うと、月給 20万円を払うハメになるが、派遣会社を経由すると、月給 10万円を払うだけで済む。ただし、派遣会社に、手数料として、月給 3万円にあたる額を払う。それでも、差し引きして、7万円の儲け。
  ・ 労働者   …… 10万円の損
  ・ 派遣会社 …… 3万円の得
  ・ 雇用企業 …… 7万円の得
 これが、派遣というシステムの本質だ。つまりは、労働者の富の収奪である。

 より本質的に言えば、次のようになる。
 「景気が悪いときには、労働者が余っているので、賃金を切り下げることが可能になる。そこで、賃金を切り下げることで、企業が利益を得る。このとき、企業の利益は改善するが、それは、企業が体質改善をしたからではなくて、単に労働者の富を収奪しているからにすぎない」
 つまり、こうだ。
 「景気が悪いときには、派遣というシステムは、労働者の富を収奪しているためのシステムになる」
 これが本質だ。ただし、古典派経済学者は、このことを理解できない。「景気が悪いときには」という前提が、彼らの思想からは、すっぽり抜け落ちているからだ。


● ニュースと感想  (6月06日)

 石油と食料の価格が高騰している。しかも、さらに上昇する見込みだ。(中国やインドの需要が急増するので。)
 この問題を解決する方法は、ないのか? 実は、ある。
  → Open ブログ 「資源危機の解決」


● ニュースと感想  (6月06日b)

 「死刑廃止と新聞報道」について。
 朝日がまた「死刑廃止」の記事をデカデカと掲載した。(朝日・朝刊 2008-06-05 )
 もう、こればっかり。うんざりする。自社の方針が「死刑廃止」だからといって、そのキャンペーン記事ばかり掲載しないでほしいものだ。読者が金を払っているのに、朝日は自分の発想の押しつけばかりをする。話が反対だろう。自説の宣伝をするのであれば、朝日が読者に金を払うべきだ。新聞社がこんなことをやっていると、そのうちネット新聞に乾杯してしまうだろう。自分で自分の首を絞める馬鹿。
 そもそも朝日は、文字のサイズを拡大して、記事情報の量を削減した。それでいて、社説の文字数は変えないから、社説の面積ばかりが拡大して、記事の量は激減した。そのわずかな記事のなかで、自説を宣伝するのだから、読者にとって有益な記事の量は、ほとんど半減だ。(ちょっと誇張気味だが。  (^^); )
 今回もそうだ。せっかく最高裁で、国籍法の違憲判決が出たというのに、そっちの特集も組まないで、死刑廃止ばかりをデカデカと唱える。あまりにも無意味・無駄。
 そもそも、死刑廃止というものは、記事にする価値がない。なぜなら、合理的な結論はすでにはっきりしているからだ。こうだ。
 「死刑廃止をするかどうかは、各人が自分で決める」  …… (
 人は、自分の命については自分で決めることができるが、他人の命については口出しできない。これが原則だ。となれば、具体的な処置としては、次のようにするべきだ。
 「自分または自分の家族が殺された場合について、犯人を死刑にするか死刑免除にするかを、あらかじめ申告しておく。裁判所はそれに基づいて判決する」
 たとえば、あなたの家族が殺されたとする。最愛の妻がレイプされて切り刻まれ、最愛の子供が血みどろになって殺されたとする。相手の犯人は平然として、「人を殺して何が悪い。殺すのはおれの趣味なんだ。漫画のデス・ノートが好きなんだから、仕方ないだろう」とニヤニヤしている。……こういう殺人犯をどうするかは、あなたがあらかじめ決めておく。裁判所は「死刑」という判決を下すだろうが、あなたがあらかじめ「死刑免除」(自分の事件に関しての死刑廃止)を申告しておけば、この犯人は、死刑にならならない。

 以上のようにすれば、何も問題はないはずだ。すべての人が納得できる。
 まず、死刑賛成論の人は、自分に関する事件については死刑存続になるので、文句はない。他人の家族が死んだときに、死刑免除になるとしても、そんなことは他人の勝手だから、別に構わない。
 また、死刑廃止論の人も、同様だ。自分に関する事件については死刑廃止になるので、文句はない。他人の家族が死んだときに、死刑存続になるとしても、そんなことにはそもそも口出しする資格がない。(他人の心の痛みを理解するならば。…… (*) )

 唯一の問題点があるとすれば、この (*) の点だ。死刑廃止論者は、他人の心の痛みを理解しない。家族を殺された人の心の痛みを理解しない。だから、自分の家族が殺されたわけでもないし、自分の心が痛むわけでもないのに、他人の家族の問題に口出しして、「おまえは家族を殺されても我慢しろ」と命じる。
 要するに、死刑廃止の問題は、「他人の心の痛みに口出しするかどうか」ということなのだ。そういう傲慢なエゴイスティックな発想をなくせば、問題は自然に解決する。「各人がどうするかを決める」という上記の方法( )で。
BR>  [ 付記 ]
 ついでに、「死刑免除を申告したのは誰か」を自己申告して公開できるようにするといいだろう。
 たとえば、あなたがそれを自己申告して公開する。すると、殺人犯は、それを見て、「こいつは死刑免除論者か。じゃ、こいつを殺せば、おれは安全だな」と思うので、殺人犯はあなた(またはあなたの家族)を殺す。そして、この殺人犯は、決して死刑にならない。……こうして、日本では死刑が行なわれなくなる。
 かくて、死刑廃止は、自然に実現される。つまり、死刑廃止論者の望みが実現する。また、死刑賛成論者は、自分や家族が「死刑ゆえの抑止効果」によって殺されなくなるので、彼らも満足する。……誰もが満足できるようになる。
( ※ この案は皮肉だが。  (^^); )

  【 追記 】
 読者の感想と、それへの返答。

> 自分自身が他人の心の痛みの分からない人間である、と断罪されることには、やはり耐えられないものがあります。

 そうでしょう? そういうふうにして、痛みを感じてもらうことが、目的です。わが身をつねって、人の痛みを知る。
 家族を殺された人の痛みは、その程度のものじゃないですよ。自分が死にたくなるほどの痛みですよ。その痛みを想像してみてください。

> 南堂様にとって、こんな私の気持ちは、他人の心の痛みにはなりませんでしょうか。

 あえて痛みを与えようとしているのです。小さな痛みを。言葉だけの痛みを。……そのことで、他人の巨大な痛みを想像する心を持ってほしいのです。
   
 [ 補足 ]
 なお、誤解されるとまずいのだが、私は次のように述べているのではない。
 「残虐な殺人犯は何が何でも死刑にせよ。たとえ遺族が許容しても、何が何でも死刑にせよ」
 こういうふうには述べていない。「死刑免除の権限は遺族だけにある」と述べている。すべてを遺族に委ねているのだ。そして、私が言いたいことは、「遺族の権限を奪うな」ということだ。殺人犯をどうするかは、故人を失った遺族だけに権限がある。その権限をさしおいて、死刑廃止論者が「死刑を免除しろ」と押しつけるのは、差し出がましい。……そういうことを述べているのだ。つまり、「恥を知れ」と。
 たとえば、あなたの家に火をつけられて、あなたがぜん財産をなくしたとする。そのとき、よそから善人が現れて、「犯人を許してあげなさい。ほんの出来心だったんだから、すべて許してあげなさい。どうせあなたの財産はもはや戻らないのだから」と言ったとしよう。それであなたは、「はいそうですか」と納得できるか? いや、「人の気持ちも知らないで、勝手なことを言うな!」と思うだろう。
 だから、「人の痛みを知れ」というのが、本項の趣旨だ。そして、それができない人に向かって、「恥を知れ」と言いたいわけだ。

 [ 参考 ]
 死刑廃止については、最近も次の二箇所で論じた。だいたい同趣旨。
  → 12月22日4月23日


● ニュースと感想  (6月07日)

  食糧危機の問題に対処するには、米や稲(たとえばネリカ米)だけでなく、イモを考慮するべきだ。
  → Open ブログ 「食糧危機とイモ」


● ニュースと感想  (6月07日b)

 「東京と大阪のオリンピック」について。
 東京がオリンピックの候補地の先行で、一次選考をトップで突破したという。これで「何としてもオリンピックを」というふうにマスコミは論じている。(朝日も読売も。)
 しかし、オリンピックというのは、数千億円もの金を食うのだ。それを忘れているのだろうか? ちゃんとそっちを報道してもらいたいものだ。たとえば、次の事実がある。
 競技施設整備費が 3249億円。運営費が 1790億円。招致活動費が 55億円。 ざっと 5000億円だ。
( → nandoブログ
 こんなに莫大な金を、たかがお祭り騒ぎにかける必要があるのか? あまりにも馬鹿げている。
 
 ここで、大阪府を思い出そう。大阪は 2008年のオリンピックに立候補した。ただし、2001年の選考で、落選した。
 ここでは、「残念なことだ」という報道が多かったが、本当に残念だったのか? 仮に「大阪オリンピック」が実現していたら、大阪府は今ごろ、5000億円もの出費をしなくてはならない。そんなことをする余裕があるのか? 

 ちなみに、現在の大阪府がどんな状態であるかは、ご存じの通り。「財政再建団体」に転落することを阻止するため、必死の歳出削減に取り組んでいる。さまざまな住民サービスが根こそぎ削減されつつある。(必要度の高いものはかろうじて残されるが、それ以外は大ナタだ。)……しかも、それで削減できるのは、千億円以下だし、また、当然の分だけだ。この上さらに 5000億円もの出費をすることになったら、大阪府の住民は非常に悲惨なことになるだろう。
 大阪だけではない。長野冬季オリンピックのあった長野では、さんざん悲惨な状態になっている。だから田中・県知事が、歳出削減であれやこれやと奮闘するハメになる。(住民サービスは激減だ。)
 
 こうしてみると、「オリンピックは、住民にとっては、ただの厄災だ」とわかる。ま、たとえて言えば、地震が襲いかかるようなものだ。その地震は 5000億円もの損害をもたらす。
 なお、オリンピックがあると、公共事業がなされるが、それをもって「すばらしい」と思うのは、早計だ。それはいわば、「地震が来ると、震災後の復興のために、莫大な建設事業がなされるから、地震はすばらしい」と歓迎するようなものだ。
 要するに、無駄な事業など、しないに越したことはない。「事業があるから経済効果があってすばらしい」と思うのは、悪魔だけだ。悪魔ならば、地震で建物を破壊したり、オリンピックで大騒ぎをさせたりして、人々の富を莫大に奪うだろう。そのあとで、復興などのために、さんざん仕事をさせて、「仕事が増えてよかったですね」とだます。とはいえ、その仕事は、実質的にはタダ働きにすぎない。地震の後で復興のために金を遣うのも、お祭り騒ぎのために金を遣うのも、何も富を残さない。いくら金回りがよくなっても、それで潤うのは悪魔だけなのだ。(悪魔の名前は 土建業者。)

 こういう問題がある。こういう数千億円規模の無駄にこそ注目するべきなのだ。数百円ぐらいのタクシーのリベート(ビール1本)ぐらいに、目くじらを立てているときじゃないのだ。


● ニュースと感想  (6月07日c)

 「タクシー接待と報道」について。
 タクシー接待問題を新聞があれこれと論じている。タクシー券を使う公務員が個人タクシーから金品を受け取るのはけしからん、という話。
 情けないですねえ。このくらいの役得ぐらい、目くじらを立てるほどでもないのだが。たいていの会社で、このくらいのことはやってますよ。新聞社ってそうじゃないの? 調べてごらんなさい。たとえば、企業の新製品の発表会で、朝日や読み瑠璃の貴社に、パブリシティという名前の品物が渡される。昔はボールペンぐらいだったが、どんどんエスカレートして、 iPod ぐらいの価格の高価な品物が渡されることもあるらしい。
 要するに、同じ穴のムジナ。批判するなんて、ちゃんちゃらおかしい。ついでに言えば、旅行手当でちょっと旅費を浮かせるとか、マイレージを溜め込むとか、その手の役得なら、日本中に至るところにある。
 この程度(たかだか千円札数枚で済む程度)の役得にいちいち目くじらを立てるより、もっとまともなことを考えられないんでしょうかねえ。

 まず、この事件では、物事の本質は、「リベート」だ。そして、リベートならば、もっと巨大なものがいくらでもある。たとえば、防衛次官の問題では、彼が数百万円のリベートを得て、特定の会社に数千億円もの便宜を図っていた。数千億円ですよ。一方、タクシー券の場合は、どっちみちタクシー券を使わざるを得ない。で、その相手を、法人でなく個人タクシーにした、というだけのことだ。国に対しては一円も損をさせていない。こんなことで目くじらを立てても、何も改善しない。

 なお、目くじらを立てすぎると、ろくなことはない。
 「なるほど。公務員として倫理を正せばいいのか。法律を守ればいいのか。……じゃ、これまではもらわなかった残業手当を請求します。不払い残業は違法なので、残業手当を払ってください」
 こう言われたら、どうする? 千円程度の役得を奪い取ることはできても、かわりに数万円もの残業手当を払う必要が出てくる。藪蛇だろう。

 マスコミが報道するべきことは、こんなみみっちいことじゃない。もっと大規模なことだ。たとえば、前項(本日別項)の「オリンピック」の問題だ。そちらを参照。


● ニュースと感想  (6月08日)

 (1)
 日本語と英語をチャンポンにした歌詞はみっともない、という話。(英語力の不足をさらけだす。恥ずかしい。)
  → nando ブログの 該当箇所

 (2)
 レジ袋の有料化をめぐる話題。
 なお、東京都のゴミ袋は、専用のゴミ袋が指定されていたが、廃止の方針が決まった。
  → Open ブログ 「レジ袋の有料化」
    ( その後半 …… 新たに加筆した。)

 (3)
 食糧危機への対策として「自給率を高めよ」という声がある。しかし、これは、妥当ではない。
  → Open ブログ 「食糧危機と自給率」


● ニュースと感想  (6月09日)

 (1)
 ガソリン価格が急騰しているように見えるが、歴史的に見ると上がっているどころか下がっている、という話。
( ※ 先日の話への追記)
  → nando ブログ 「ガソリン価格と円レート」 追記

 (2)
 人が生きるとは、どういうことか? われわれは何のために生きているのか? 生命の価値をめぐって、深く考える。
  → nando ブログ 「終身刑の是非」


● ニュースと感想  (6月10日)

 「死刑と大量殺人事件」について。
 通り魔大量殺人事件が起こった。秋葉原で、車と刃物で無差別殺人して、七人が死亡し、十人が重軽傷。(各紙報道 2008-06-09 )
 これと死刑廃止の問題とを関連づけて考える。
  → nando ブログ 「死刑と大量殺人事件」


● ニュースと感想  (6月11日)

 秋葉原のオタク殺人事件のをめぐる二題。

 (1)
 どうしてオタク事件は起こったか? その原理を探る。
  → Open ブログ 「因果関係と増幅」

 (2)
 どうすればオタク殺人事件をなくせるか? その本質的な対策を探る。
  → nando ブログ 「オタク殺人の防止法」

 ──

 (3)
 スピード社に負けたミズノの担当者が、しきりに負け惜しみの屁理屈をこねている。その情けなさを指摘する。
  → Open ブログ 「ミズノの惨敗の釈明」


● ニュースと感想  (6月12日)

 (1)
 スピード社の水着について、朝日が社説を書いた。ところがこれが、私の書いた文章にそっくり。この件について、下記の記述を追加した。( → Open ブログ
( ※ 後日記。……朝日の社説 2008-06-11 に、本項と同趣旨の話が掲載された。
「強烈に締め上げることで体の凹凸を滑らかにしたのだ」「大胆な発想の転換」「国内メーカーは完敗だった。着心地を重視し、体を動きやすくして選手の能力を発揮させる。それが国内メーカーの考え方だ
 ほとんど本項の丸写しに思えるのだが、違いますかね? 私以外には同趣旨のことを言った人はいないようだし。……そう言えば、NHKもどこかのブログを丸写しにして話題になったが、二の舞ですかね?」)
 ま、盗用したとしても、強く非難する気はないが、倫理的に変じゃないでしょうかね? そもそも、自分で考えたはずがないのだが、「誰々の意見」というふうに引用元が全然書いてないところが怪しい。
( ※ 引用元がスピード社じゃないことは確実。スピード社の文章は全然違う文章なんだから。スピード社はうまく自社宣伝をしているだけだが、私はそこを本質的に探った。だから表現が全然違う。……朝日の社説は、私の表現の方を採用している。「強烈に締め上げることで体の凹凸を滑らかにしたのだ」というふうに。)

 (2)
 私のことを「オタクを批判している」と思う人も多いようだが、何度も言うとおり、私はオタクを救済してあげたい。そこで、オタクを救済するために、オタクの治療法を示す。
   → Open ブログ 「オタクと対人関係」
   → Open ブログ 「オタクのための恋愛講座」

 ※ オタクのためにこんなに親切にしてくれる人は、他にはいませんよ。  (^^);


● ニュースと感想  (6月13日)

 戦車という兵器は必要か? これについては専門家のあいだでも議論が分かれているという。特に「不要だ」という見解を列挙しよう。
  → Open ブログ 「戦車は必要か?」


● ニュースと感想  (6月14日)

 (1) 燃油運賃
 燃油特別付加運賃という詐欺商法は廃止されることになった。総額表示に変わる。
  → nando ブログ 「燃油運賃」の「後日記」

 (2) オタク
 引きこもりふうのオタクには、抗うつ剤が有効だろう、という話。
 (オタクは気違いだ、と非難しているわけではない。)
  → Open ブログ 「オタクと抗うつ剤」


● ニュースと感想  (6月14日b)

 「無国籍児とDNA鑑定」について。
 無国籍児がいる問題について、読売社説が「DNA鑑定で解決せよ」と論じている。
 離婚後300日以内に生まれた子は「前夫の子」とみなす民法772条の規定が障害となって、生まれてからずっと戸籍がなかった兵庫県内に住む27歳の女性が、男児を出産した。
 親子2代で無戸籍となる恐れがあったが、法務省は婚姻届と男児の出生届を受理することとした。男児は夫の戸籍に記載された。
 無戸籍児救済に向けての第一歩だろう。しかし、女性は出生届が出されていないため夫の戸籍に記載されず、無戸籍のままだ。
 DNA鑑定によって親子の鑑定が簡単に出来る時代だ。DNA鑑定書など一定の書類があれば、裁判手続きを経ずに、再婚した夫の子として出生届を認める特例法を制定してもよいのではないか。
 新しい時代に見合った法の運用によって、無戸籍児の救済を進めていく必要がある。
( → 読売新聞
 いかにももっともらしいが、この判断はあまり妥当ではないと思える。ま、DNA鑑定があれば正確さの点で勝るが、論理的に考えるならば、必要のないことだ。だいたい、そんなことを言い出したら、普通の夫婦だって、「DNA鑑定を」と要求されかねない。そんなことになったら、かなり多くの夫婦が破綻しかねない。せっかく(偽りのもとで)幸福を維持している夫婦がけっこうあるのに、わざわざ国が幸福を破壊することもあるまい。

 社説はどうも、「外国人女性の子供」と「日本人女性の子供」とを、混同しているように思える。
 「外国人女性の子供」ならば、「DNA鑑定」は妥当だろう。たとえば、フィリピン女性の娘が出現して、「私の父親は日本人です」と訴えたとして、その言葉が本当かどうかは日本政府にはわからない。そこで、DNA鑑定を要求したとしても、特におかしくない。で、DNA鑑定の結果が、「その日本人は父親ではありません。父親はどうもフィリピン人らしいですよ」という鑑定が出たら、日本国籍を与えなければいい。
 一方、「日本人女性の子供」ならば、「DNA鑑定」は必要ない。上記の社説の例で言えば、その子供は「フィリピン人の子供」ということはありえず、前夫の子であるか、現在の夫の子であるか、どちらかだ。どちらであるにしても、日本人の子だ。ゆえに、日本国籍をもつのが当然だ。また、日本国籍をもったとしても、父親がいるのだから、父親に養育義務が生じるので、日本政府には特に負担はかからない。ここでは、「父なし子」が国籍確認を求めているのとは、事情が違うのだ。

 結局、「どっちにしたって日本人の子」なのだから、「子が日本国籍をもつ」のは当然のことである。
 仮に、「たとえ日本人の子だとしても、どっちの男の子だかわからないのであれば、日本国籍を与えない」というようなことになれば、あちこちで大問題が発生しそうだ。たとえば、あなたの妻にも当てはまるかも。   (^^);
 あなただって、昔つきあった女性の子が、本当はあなたの子を生んでいた、ということもあるかもしれないぞ。 (これぞホントの冷や汗。  (^^); )

 というわけで、論理が大事なので、DNA鑑定などは必要ない。むしろ、やばい。それが私の結論だ。(私の鑑定です。DQN鑑定。……で、この鑑定が必要なのは、読売です。 (^^) )

 [ 付記 ]
 法的論議で言おう。
 「婚姻中の妻の子の父親は、その夫だと推定する」という法的規定がある。この規定の下で、「夫だ」という推定がなされてしまうから、それを拒むことゆえに、戸籍がつくれなくなってしまう。
 ならば、話は簡単。「婚姻中の妻の父親は、その夫だと推定しなくてもいい」というふうにすればいい。つまり、「未婚の母」(父親不明)と同じにすればいい。未婚の母の場合も、子に国籍は与えられるのだから。
 一般に、子に国籍を与えるときには、子の母親の国籍だけが日本であればいい。子の父親の確認は、子の国籍には無関係なのだ。
 したがって、読売のように「本当の父親とのDNA鑑定」なんてのは、もともと必要ないのである。必要なのは、子の母親の国籍証明だけだ。

 [ 参考 ]
 国籍法の規定を示しておこう。
日本では国籍法で、父親か母親が日本国民なら子も日本国民とすると規定されている。従来は父系からの取得しか認められなかった(父親が日本国民である・そう証明出来る場合のみ、子も日本国民)が、フジ子・ヘミングやアメラジアンのような例が出たため、1985年に改正され父系母系どちらの国籍でも選べるようになった。これを父母両系血統主義と呼ぶことがある。例外的に“日本で生まれて両親の行方がわからなかったり、国籍がない場合は日本国籍を与える”として出生地主義が用いられる。
( → Wikipedia「血統主義」)
 国籍法に従えば、DNA鑑定なんて必要ないのである。







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「泉の波立ち」
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