[付録] ニュースと感想 (123)

[ 2007.10.20 〜 2007.11.19 ]   

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● ニュースと感想  (10月20日)

 ワーキングプアの問題の根源を指摘する。その根源は、古典派の倒錯である。
  → nando ブログ 「ワーキングプア & 古典派の倒錯」


● ニュースと感想  (10月22日)

 「自動車の販売減少」について。
 自動車の販売台数がどんどん減少している。ここのところずっと前年割れ。しかも、5%〜10%もの大幅減。
 では、その理由は? 読売の記者の見解では、次の通り。
 「自動車の魅力がなくなっているから、自動車が売れない。ITは進歩しているのに、自動車はあまり進歩しない。もっと自動車の魅力が増すようにすればいい」
 (読売・朝刊・経済面 2007-10-21 )

 馬鹿げた話。個別の企業についてなら、「自社商品の魅力を増せばいい」と言える。しかし業界全体については、同じことは言えない。そもそも、自動車に限らず、あらゆる商品が売れなくなってきている。そういう本質を見失うようでは駄目だ。
 思う出すといい。バブル期には自動車はどんどん売れた。なぜか? 自動車の魅力が増したからか? 違う。あらゆる商品がバンバン売れた時代だったからだ。個別の商品の魅力とは関係がない。……こういうふうに理解するのが、経済学的認識だ。
 では、どう考えればいいか? 

 (1) 少子高齢化
 第一に、少子高齢化がある。若者人口が減って、高齢者人口が増えてきている。免許を新たに取得する人口は少し増えるだけだが、自動車運転をやめる高齢者がどんどん増えてきている。
 要するに、自動車を買う人口の総数が減ってきている。これでは、売れ行きが減るのは当然だ。
 なおかつ売れ行きを増やしたければ、国民の所得を増やすしかない。(それなら売れる。)

 (2) 不景気
 では、国民の所得は増えるか? いや、増えるどころか、減ってきている。若年層では、ワーキングプアのような人々が増えている。つまり、
 「車を買いたくても、買う金がない」
 のだ。これこそが問題の本質だ。
 この本質を見失って、「自動車の魅力を増せ」と述べても、何の意味もない。スカイラインクーペや、GTRは、とても魅力があるが、買いたくても買えない。前者は 400万円で、後者は 800万円(かつ維持費が毎年 100万円)だ。普通の若者に買えるわけがないでしょう。年収 200万円がざらなのに。
 年収 200万円の若者に、魅力満点の自動車を見せつけても、自動車が売れるようになるのではなく、人々の飢餓感や不満が増えるだけだ。むしろ、そんなことはしない方が、世のため・人のためだ。

 結論
 「品物が売れるためには、供給の側が努力すればいい」
 と思うのは、浅はかである。それは企業の論理(供給側の論理)であって、経済の論理(需要と供給の論理)ではない。
 問題の根源が需要の側にあるときに、供給の側がいくら努力しても、何の意味もないのだ。
 ここで、トヨタなどがなすべきこととがあるとしたら、ただ一つ。次のことだ。
 「労働者の給料を増やして、総需要を増加させる」
 しかし現実には、逆のことをやっている。自分の企業利益を増やすために、労働者の賃金を切り下げている。これでは、お客となって勝ってくれる人の所得が減るばかりだ。
 つまり、自動車が売れない本当の理由は、トヨタなどが給料を上げないでいることなのだ。自動車会社は、自分で自分の首を絞めているのである。
 このことを指摘するのが、経済学というものだ。
 ひるがえって、「自動車の魅力を増しなさい」「生産性を上げなさい」などと述べるのでは、人々を不幸にするだけだ。経済学者のやることではなく、経済学者のフリをする悪魔のやることだ。


● ニュースと感想  (10月23日)

 ワーキングプアの問題との関連。
 チンパンジーと人間の知性を探るための、面白い実験がある。
  → nando ブログ 「チンパンジーと人間」
( ※ 人間がいかに愚かであるかが、この話からわかる。人間の頭はチンパンジー並みなのだ。だからこそ人々は今も不況に苦しむ。)


● ニュースと感想  (10月24日)

 「防衛省の疑惑と日本ミライズの社長」について。
 防衛省の疑惑が持ち上がっている。元事務次官が、山田洋行の元専務(現・日本ミライズ社長)と、癒着していたという。
 ま、それはそれでいいが、どうして元専務の名前を出さないんでしょうねえ? 呆れてしまう。
 ま、「個人情報の漏洩ないし報道は好ましくない」と思っているのかもしれない。だったら、次のように、既知の情報だけを書けばいい。
 「癒着の相手は、山田洋行の元専務である。元専務は、日本ミライズの現社長である。」
 「日本ミライズ(宮崎元伸・社長)は、かくかくしかじか」
 こういうふうに、別の箇所で別々に述べれば、単に既知の情報を提供するだけだ。どうってことはないですよね。ネットにも出回っているし。というか、日本ミライズが自分で情報を公開しているんだし。(私もそこから得た。)
 
 日本のマスコミって、馬鹿じゃなかろうかね? 隠したつもりでも、隠していないんだから、ちゃんと書けばいいのに。
 頭隠して尻隠さず。それでいて、隠したつもり。

 [ 付記 ]
 日本ミライズについては、私はかねて「いかがわしい」と思っていた。昨年9月に設立されたばかりの会社が、日本の防衛省の、ある機種の取引を独占できるなんて、あまりにも唐突に過ぎるからだ。しかも、その後、「この会社は防衛省と取引できるだけの実績がない」ということで、一般競争入札をとりやめて、あえて随意契約でこの会社と取引することに決めてしまった。
 まったく、メチャクチャである。どうにもいかがわしい。ただし、これは、私だけが「いかがわしい」と思ったわけではあるまい。誰もが「いかがわしい」と思ったはずだ。(記事を読んだならば。)
 問題は、その先である。そう思ったならば、調査すればいい。私が調査することはできないが、新聞記者ならば調査ができる。机の前にいたって、電話一本で、あちこちから聞き取ることができる。すると、次のことがわかる。
  → zakzak
 つまり、山田洋行の元専務の仕事ぶりは、明らかに異常であったわけだ。となると、そこに、何らかの癒着か何かがあると見るのが当然だろう。
 とすれば、今回の事件の発覚は、単に頼るまでもなかった。マスコミ関係者ならば誰でも、簡単に見出せたわけだ。
 にもかかわらず、マスコミは、「自分で探り出そう」とは思わなかった。あろうことか、今回の元専務の名前のように、あえて必要情報を隠蔽するらする。
 こういうマスコミの隠蔽体質と無能さこそ、問題である。「元専務はおかしい」とか「事務次官は癒着した」とか、そういうふうに他人を非難するより、「真実を見出そうとしなかった」という自分の愚かさをこそ、反省するべきだろう。

( ※ ま、経済でも何でも、自分の無知に気づかないところに、根源的な問題があるのだが。)


● ニュースと感想  (10月25日)

 「防衛省の癒着への対処法」について。
 防衛省の前・事務次官の癒着ぶりが次々と明らかになっている。省内権力を握り、業界と癒着して、利権を得る。ミニ田中角栄という感じだ。
 となると、これを排除しようとした小池百合子の方針は、正しかったことになる。とはいえ、これを排除しようとして、自分もまた排除されてしまった。  (^^);
 つまり、正しいことをしようとしても、敵の戦力を見誤ると、勝つことができない。では、どうするべきだったか? 

 理はこちらにあるのだから、理で攻めればいい。つまり、相手には理はなく、権力がある。そういう相手に、権力で攻めても、うまく勝てない。理で攻めるべきだ。
 では、どうするべきか? 論戦をするか? いや、それじゃ、書生論だ。
 私ならどうするか? こうする。
 「相手の癒着ぶりを探って、それをマスコミにリークする」
 たとえば、しがらみのない若手を「大臣直属」にして、事務次官の癒着ぶりを調査させる。「省内Gメン」みたいな肩書きをつけてもいい。
 もちろん、これがバレると、つぶされる。だから最初は、「事務次官を調査する」とは言わずに、「経理全般の調査をする」というふうな名目をつけて、ゴマ化す。で、実際に、そうする。そのあと、二カ月ぐらいして、相手の警戒がゆるんだところで、事務次官の癒着ぶりを、こっそり調査する。すると「日本ミライズ」との癒着ぶりがすぐにわかる。それを、マスコミにリークする。

 ここまで読めば、わかるだろう。今回の事件は、誰かがリークしたのだ。誰かとは、誰なのか? リークすることで利益を得る人だ。それが具体的にどの人物であるかは、ここでは意味をもたない。別にその人は、悪いことをしているわけじゃない。

 教訓。
 人事の分野では、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)している。裏では権謀術策がうごめいている。それを知り尽くしたマキャベリストだけが勝利を得る。きれいごとばかりを言っている女は、あっさり、はじきだされる。
 教訓になりますね。理系のことしか考えていないと、同じ目に遭うかもしれませんよ。ほら、中村修二みたいに、成果を挙げても、食い物にされかねない。……日本中の技術者が、みんなそうですね。食い物にされている。
 日本の技術者はすべて、いわば、ワーキングプアと同様なのである。自分の富を奪われて、その分、貧しくなるのだが、自分の富を奪われていることに気づかない。チンパンジーと同じ。
  → 10月23日 「人間とチンパンジーの実験」


● ニュースと感想  (10月26日)

 「サブプライムローンと合理的期待形成仮説」について。
 10月23日の「人間とチンパンジーの実験」の項では、こう述べた。
 「人間がいかに愚かであるかが、この話からわかる。人間の頭はチンパンジー並みなのだ。だからこそ人々は今も不況に苦しむ。」
 これは日本経済についての話だが、同じような愚かさは米国経済にも当てはまる。それはサブプライムローンだ。
 本項で述べることの要旨は、「古典派は駄目だ」「市場原理万能主義は間違っている」ということだ。そのことを、「サブプライムローン」という切り口から扱う。

 まず、ノーベル賞経済学者のマイロン・ショーンズは、次のように述べている。
 サブプライム問題が起きる前、金融市場の価格変動は穏やかで静かな状態が続いていた。世界各国の中央銀行が金融機関をしっかり管理しているという安心感もあった。市場にはこの安定した状態が永遠に続くだろうという思い込みがあったが、それが間違っていた。
 ところがサブプライムローン問題が市場に大きなショックを引き起こしたため、投資家は不安になっていっせいに売却に走り、買い手がいない混乱状態に陥った。
   ……
 市場参加者がいっせいに同じ行動を取り始めると、結果は予測しがたい。
(朝日・朝刊・経済面・コラム 2007-10-23 )
 ここではまともなことを述べているように見える。なるほど、これは、「古典派の反省」という意味でなら、正しい。
 たとえば、「天が回転する」と思い込んでいる人々に対して、「いや、そうじゃないんだ、大地(Earth)が回転しているんだ」というふうに反省するという意味では正しい。ただしそこには「Earth は球体だ」という概念はない。……つまり、間違いを反省してはいるが、いまだに真実( Earth は惑星だという概念)は得ていない。真実に近づいてはいるが、真実を得ていないのだ。
 上記の見解も同様だ。

 まず、上記の見解は、次の見解への否定としては正しい。
 「市場は予測できる。なぜなら市場の人々は、常に、合理的に行動するからだ。」
 これは「合理的期待形成仮説」である。古典派の大好きな概念だ。その根拠は、次のことにある。
 「最も合理的な行動が、最も利益を得るのだから、人々は最も合理的な行動を取るはずである」
 このこと自体は間違いではない。ただし、これには、前提がある。次のことだ。
 「市場が変動しなければ」
 これは、次のことと、ほぼ等価である。
 「人々がいっせいに同じ行動を取らなければ」
 
 具体的に考えよう。
 人々がいっせいに同じ行動を取らなければ、市場は変動しない。そのなかで、一人一人は、最も合理的な行動を取るはずだ。そうしている限り、市場は安定していて、最善の状態に落ち着く。
 これは別に間違いではない。ただしここにはあくまで最初の前提があることに注意しよう。一般に、古典派の主張は、すべて、この前提の上に成立する。
 このことはしばしば、揶揄される。「経済学者は何事についても、『……であると仮定しよう』と言ってから、結論を出す」と。この「『……であると仮定しよう』と言ってから、結論を出す」というのが、古典派の流儀だ。

 しかしながら、現実には、その前提は成立しない。すなわち、次のことがある。
 「人々がいっせいに同じ行動を取る」
 こういうことがあると、古典派の前提が崩壊する。それまでの安定していた状況が一挙に変動して、まったく別の状態に移る。……たとえば、「サブプライムローンは安全だから、この債権をどんどん買おう」と思っている人が多い状況から、「サブプライムローンは危険だから、この債権をどんどん売ろう」と思っている人が多い状況へ。
 こういうふうに、状況が一挙に変動して、まったく別の状態に移る。そして、その理由は、「前提が崩壊したから」だ。つまり、「人々がいっせいに同じ行動を取る」ということがなくなったからだ。
 詳しく言うと、次の通り。
 こういうふうにして、「状況A」で安定していたのが崩壊して、「状況B」へと移る。(「状況A」は、サブプライムローンで安定していた状態。)
 では、なぜ、こういうことが起こったか? もちろん、その理由は、「前提が崩壊したから」だ。つまり、「人々がいっせいに同じ行動を取る」ということがなくなったからだ。

 一般に、古典派の原理は、「状況が安定している」という過程でのみ成立する。たとえば、「サブプライムローンを人々が信じている」という、中短期的な期間では成立する。その2年間ぐらいには、状況は安定している。
 しかし、それが、永続するわけではない。つまり、古典派の主張が成立するための前提が満たされなくなれば、古典派の主張はもはや成立しないのだ。
 こういうふうに反省するのが正しい。

 [ 付記 ]
 では、反省したあとで、どういうふうに真実を取ればいいか? 
 実は、それを示すのが、「マクロ経済学」だ。
 「人々がいっせいに同じ行動を取る」のではなく、「人々がいっせいに別の行動に転じる」
 こういう事柄を扱うのが、マクロ経済学だ。
 で、そうすると、何がわかるか? 簡単に言えば、こうだ。
 「人々がいっせいに別の行動に転じるとき、その時期がいつかは予測しがたいが、その過程や結果は科学的に予測できる」

 比喩的に言おう。
 映画館の隅で、火がチラチラと燃えている。あるとき、誰かがそれに気づいて、さっさと逃げ出す。そのことに気づいた数人も、どんどん逃げ出す。やがて、多くの人がどんどん逃げ出す。大多数の人が逃げ出すと、狭い入口に殺到して、誰も通り抜けられなくなり、残された全員が焼け死ぬ。
 ここでは、「いつ事件が起こるか」は、予測できない。しかし、「どういうふうにして事件が起こり、どういう結果が起こるか」は、予測できる。そこには常に同じパターンがあるのだ。
 こういうことを研究するのが、マクロ経済学だ。一方、古典派は、次のように主張するだけだ。
 「『映画館で火が燃えていない』と仮定しよう。その仮定のもとでは、人々は映画を見ているのが最も利益にかなう。ゆえに、合理的な人々は、誰もが映画を見る」
 しかし、「『映画館で火が燃えていない』と仮定しよう」と言ったって、実際に火が燃えていれば、その仮定は無効になる。にもかかわらず、いつまでも仮定にこだわって、誤った結論を出すのが、古典派だ。

 [ 補足 ]
 比喩をはずして説明すると、次の通り。
  ・ 最初の安定した状況 (過剰消費の状況。バブル的な状況。)
  ・ それが崩壊する状況 (過剰消費の終わる状況。バブル破裂の状況。)  日米とも、この二つが当てはまる。で、その結果、どうなるか? また、どうすれば、問題を解決できるか? 
 それについては、経済学の教科書を読んで、じっくり理解すればいい。詳しくは、「経済学講義」で述べたとおり。


● ニュースと感想  (10月27日)

 「NOVAの倒産」について。
 英会話のNOVAが倒産した。被害者多数。受講生も外国人教師も大損。ただし政府は、「介入しない」という方針。「いちいち倒産の被害者に補償していたら、国の財政がもたない。そもそも市場原理に任せるべきだ」という方針。(朝日・夕刊・社会面 2007-10-26 )
 この方針は、倒産したあとの方針としては、正しい。しかし、倒産する前に、もっとなすべきことがあっただろう。
 実は、NOVAの悪徳商法は、ずっと前から話題になっていた。「金を集めてもろくに授業をしない」とか、「途中解約しても返済しない」とか。……こういう不評がいっぱいある、ということは、その時点で、その企業は「アウト」になって退出するべきなのだ。にもかかわらず、放置しておいた。せいぜい「是正勧告」をしたぐらいだ。かくて、その後も次々と、被害者が増えた。あげく、大型倒産に拡大して、莫大な損害が出るハメになった。
 似た例は、他にもたくさんある。

 (1) ライブドア
 ライブドアを倒産させるくらいだったら、不正経理が疑われた時点で、金融庁と証券取引等監視委員会が調査して、是正させれば良かったのだ。あれほどの大事件にして、六千億円もの損害を発生させる必要はなかった。

 (2) 食品擬装
 最近でも、「賞味期限切れの擬装」や「原材料の擬装」(比内鶏など)をやらかしている企業が、話題になった。で、調べてみたら、擬装をしている会社は山のようにある。ただし、いずれも、罰則なし。ただの「是正勧告」だけ。……つまり、「悪のやり得」である。

 結論。
 この世の経済的な営為には、犯罪的な行為がや山のようになる。ならば政府は、それを是正するべきだ。そうすれば、被害が拡大することもない。また、罰を加えることで、将来の被害を抑制できる。
 にもかかわらず、現実には、何ら処罰を加えない。そのせいで、相も変わらず、次々と大型の被害が続く。

 [ 付記 ]
 では、その理由は? 古典派の言う「小さな政府」である。「民間企業は善人なのだから、市場原理に任せて、何もしないで放置しておくのがベストだ。そうすれば現状は自然に最適化する」という発想だ。
 その結果は? 政府の無策に乗じて、悪の企業が悪を重ねる。NOVAだけじゃない。あらゆる企業がそうだ、とも言える。
 たとえば、トヨタやキヤノンは、擬装請負をやらかした。それでも罰を食わない。悪を放置する、というのが、保守派の経済政策なのである。
 で、人々は、どうなるか? 悪に食い物にされて、ワーキングプアになる。
 ではなぜ、人々は、それを放置するか? その理由は、先に述べたとおり。つまり、人々が、チンパンジー並みの頭しかもたないからだ。
   → 10月23日の「人間とチンパンジーの実験」


● ニュースと感想  (10月27日b)

 「ライブドアの新社長」について。
 ライブドアの新社長が決まった。平松社長は退任。(各紙報道 2007-10-25 )
 これについて私に何かコメントを期待する人も多いだろうが、私としては特にコメントはしない。私は別に、ライブドアに関心があるわけじゃない。ライブドア事件における国民の狂信に関心があるだけだ。
 比喩的に言えば、殺人事件で死んだ被害者に同情しているわけじゃなくて、殺人を犯した殺人者の狂気に関心があるだけだ。「この狂人はふたたびおかしなことをするんじゃないのか?」とか、「この狂人は自分を傷つけていても気がつかない」とか。
 
 ま、それはそれで、すでに何度も述べたとおり。
 で、特に今回、被害者側についてコメントするなら、次の通り。
 「ライブドアが自力でいくら更生しようとしても、ちょっと無理である。なぜなら、問題の根源は、ライブドアの業績が悪化したことではなくて、世間が魔女狩りという狂気をなしたことだからである。問題の根源は、別にあるのだ。この根源を見ないで、ライブドアが自力で更生しようとしても、見当違いである」
 比喩的に言おう。
 自動車に轢かれてケガをした人がいた。で、その人は、「今後は自動車に轢かれても大丈夫であるように、健康を高めよう」と思って、しきりにボディビルなどをした。「これで健全になれば、もう大丈夫だろう」と思った。
 しかし、そんな努力をいくらやっても、無駄である。次から次へと自動車(世間の誤解)が押し寄せてくれば、自力で更生することなどはできない。自動車事故の原因は、被害者の側にあるのではなく、轢いた自動車の側にある。
 ま、本人が勝手に自動車の前に飛び込んだのなら別だが、今回は、自動車が暴走して、人間に突っ込んだだけだ。そういうときに、人間の側がいくら努力しても、見当違いの努力にすぎない。
 ライブドアの新社長は、企業再生の経験のある人物で、「だからこそライブドア債権にはうってつけだ」と思われているらしい。
 とんでもない勘違いだ。ライブドアは業績不良で赤字を出したわけではない。世間の誤解のせいで攻撃にさらされただけだ。なのに、再建屋を新社長にしても、やっていることが、全然見当違いである。

 ともあれ、狂気は続く。


● ニュースと感想  (10月28日)

 「韓国人の狂気」について。
 狂気(前日:ライブドア問題)のついで。
  → 日韓併合前後 朝鮮半島写真館
 右翼のサイトだが。写真は事実。
 ま、右翼というのもあまり好きではないが、韓国人の狂信の方がよほどひどい。狂気という言葉がぴったり。

 [ 付記 ]
 だけどねえ。
 韓国人を非難する日本人だって、やはりおかしい。韓国人は世界で一番、日本人と遺伝子的に近い存在だ。ほとんど兄弟関係にある。あっちの方がご先祖様に当たるから、韓国人が兄で、日本人が弟、というような関係。(もしくは、父と息子。)
 韓国人を非難するのは、天に向かって唾を吐くようなもので、自分に跳ね返ってくる。ま、兄弟喧嘩みたいなものです。
 歴史的に見れば、日本の方が進歩していたわけで、日本の方が兄に当たる。利口な兄としては、兄をひがむ馬鹿な弟に喧嘩を売られても、いちいち喧嘩を買わない方が賢明だ。「出来の悪い弟だ」と思いながら、面倒を見て上げた方がいい。喧嘩を売られて喧嘩を買えば、馬鹿に見えるが、喧嘩を売られて優しくして上げれば、立派に見える。……ま、それは困難だとしても、少なくとも、馬鹿ガキの相手にしなければいい。「売り言葉に買い言葉」なんか、しちゃ駄目ですよ。
 これが賢者の態度。


● ニュースと感想  (10月28日b)

 「現代と過去のミステリー」について。
 たまたま見出された話題だが、次の番組があったそうだ。YouTube で見ることができる。
  → ツインタワー崩壊の疑惑を追え(世界まる見え!テレビ特捜部)1
  → ツインタワー崩壊の疑惑を追え(世界まる見え!テレビ特捜部)2

 9・11テロでビルが倒壊したが、その理由は何か? 「テロリストが飛行機でビルに突入したからだ」というのが定説。しかし、これについては、以前から疑問が上がっていた。ビルのそばにもう一つ、高層ではない「第7ビル」というのがあったのだが、これもまた同時に崩壊しているのだ。つまり、飛行機が突入していないのに、あたかも飛行機が突入したかのように、一挙に崩壊している。これは以前から「謎だ」と言われていた。
 そこでビデオを検証すると、その崩壊の仕方は、どう見ても「内部からダイナマイトで破壊する」という、通常のビル倒壊の場合とまったく同じである。つまり、「第7ビル」は故意に内部からダイナマイトで崩壊されたらしい。
 で、よく見ると、例のツインタワーもまた、内部から爆薬で崩壊したとしか思えない、という証拠がたくさん挙がってきた。
 ここまで来ると、相当に疑惑が強まる。で、あとは、動機だ。動機を探ると、まさしく見つかった。
 「ビルのオーナーが、直前にビルを買収して、超高額のテロ保険に加入した。しかも、このオーナーは、第7ビルのオーナーでもあった」

 この状況証拠によって、明白な根拠が得られる。つまり、「80億ドル(1000億円)もの保険金詐欺」である。
 その理由は? そのままだと、アスベスト対策で莫大な工費がかかるが、倒壊させてしまえば、一挙に大金が手に入る。買収金額との差額で、数百億円が、あっという間に手に入る。

 ここまで聞くと、「そんな馬鹿な」と思う人が多いだろう。「大量の人命を失わせてまで、自分の金儲けをするなんて、そんな悪魔みたいなことをする人がいるわけがない」と。
 しかし、人間、自分が破綻の危機に追いつめられると、悪魔のようなことをするものだ。

 さて。
 実を言うと、過去に似た例がある。それは、タイタニック号の沈没だ。
 タイタニック号は、なぜ沈没したか? 「氷山に衝突したからだ」というのが定説である。しかしこれは正しくないようだ。状況証拠その他からして、どう見ても、これは保険金詐欺である。
 つまり、「氷山に衝突した」というのは事実だとしても、それは、事故ではなく、故意だったのだ。あえて沈没させたのだ。その根拠は、次の通り。  こうして、「保険金詐欺」の実例として、有名なタイタニック号の事件があるわけだ。
( 出典 → タイタニック号の悲劇◇本当に事故?
 ※ 孫引きふう。本当の出典は、上記のサイトで紹介されている書籍。

 [ 付記 ]
 実は、タイタニック号は、氷山に正面衝突をしても平気なようになっていた。ところが船長の判断で、氷山をかすめるようにして、船腹をかすった。そのせいで、大量の水が傷口から流れ込み、想定外のことで、沈没してしまった。正面衝突していれば沈没しなかったはず。船首は頑丈なので。けが人は出ても、溺死者は出なかったはず。つまり、目論見違いで、莫大な死者が出たらしい。
 では、今回の高層ビルの爆破はどうか? 「死者なし」ということはありえそうにないから、あえて死者を出してもいい、というつもりだったのだろう。
 なお、テレビで見ると、ビルの持主は不動産王のラリー・シルバースタイン。名前と顔からして、ユダヤ人っぽいという気がしたが、ネットで調べたら、やはりユダヤ人である。確認済み。
 やっぱりね。キリスト教徒の発想じゃない。私は別に反ユダヤ主義ではないが、…… ユダヤ人のなかにはこういう人もいそうだ、という感じ。パレスチナ人をどんどん殺して平気でいるような人たちだし。パレスチナ人も米国人も、どっちを殺してもたいして変わりはない、というのは、歴然たる事実。「米国人の命の方が大事だ」なんて思う人は、人種差別みたいなものだ。

 ( 関連サイト → 第7ビルは爆破されたか・シルバースタイン
 ( 関連サイト → 恐怖収集 「世界貿易センターで働いていた4000人のユダヤ人は、前もって警告を受けていたので当日は出勤せず被害にあわなかった」という噂。)


● ニュースと感想  (10月28日+)

 前項(9・11テロの真相)のつづき。
 あれの首謀者は誰か、という話題がある。「実行者はアルカイーダで、不動産王が協力した」というのが基本だが、「その背後にアメリカの政府と軍がいて、協力した」という説もある。理由は「さもなくば、そんな大がかりなことはできない」というわけ。

 ここで私の新説。
 「本当は飛行機突入は、アルカイーダが単独でやった。ただし、不動産王とアメリカ政府は、それを知りながら、それを止めなかった。むしろ、これ幸いと思って、見て見ぬフリをして、便乗した」
 なぜ止めなかったか? 理由は二つ。
 不動産王は、それを知ったら、「しめた」と思って、保険金をかけた。さらに、万一のために、爆破装置をしかけた。
 アメリカ政府は、それを知ったら、「しめた」と思った。「どうせたいしたことにはならないさ。飛行機が突入しても大丈夫なように建築計がなされているからね。安心。それより、これをきっかけに、イラク戦争を始めよう。アルカイーダの背後にイラクがいる、という宣伝をしよう」
 嘘みたいだが、前例はある。それは「真珠湾攻撃」だ。「ほう、日本がせめてくくるのか、では、それを知っても、放っておこう。これで参戦できて好都合だよ」と思って、ほったらかしておいた。で、現実には、予想以上の大惨事になったのだが、ともあれ、それをあえて見逃したのだ。
 9・11テロも、それと同様でしょう。アメリカ政府は「どうせ百人ぐらいしか死者は出ないだろう。そのくらいは仕方ない。どうせイラクと戦争すれば、莫大な死者が出るんだ。百人ぐらいは仕方ない。戦死者の一部にすぎない。どうってことないさ」
 と楽観していたんでしょう。で、見逃したんでしょう。たぶん。(……あくまで仮説。)


● ニュースと感想  (10月29日)

 「BIS規制への評価」について。
 かつて銀行にBIS規制が導入され、景気に影響を及ぼした。これについての検証記事がある。(朝日・朝刊・特集面 2007-10-27 )
 その趣旨は、次の通り。

 邦銀は「薄利多売で」融資を拡大させた。利幅を低くして、やたらと融資量を増やした。しかしこれはリスク管理の面で危険である。自己資本比率に対して一定の倍数までに融資を制限するべきだ。── 欧米各国の銀行はそう考えた。
 こうして、その方針のBIS規制が導入された。日本の銀行を狙い撃ちにしていたが、まずは英米で導入し、そこに邦銀を誘おう、という方針を取った。当時の日本は国際協調を重視していたので、受け入れざるを得なかった。
 ただし、あまりにも厳しいので、「せめて株価の含み益を自己資本比率に入れてくれ」と泣きついて、「株価の含み益のうち45%だけは自己資本比率に入れる」という妥協案で合意した。
 ところが、こいつがくせ者だった。88年に詳細決定、93年に規制スタートとなったが、バブルが破裂した。89年にピークを迎えた株価は、90年以降、急落した。そこへBIS規制がかぶさった。施行は93年だが、実際には前もって銀行は規制の方針に従った。銀行は、株式含み益の減少に伴い、貸出総額を減少させた。すなわち、貸し渋り。
 こうして、「株価下落 → 貸出総額減少 → 投資縮小 → 景気悪化」というふうになった。
 その後、景気悪化にともない、「株価下落」が起こったので、悪循環が生じて、株価と景気悪化がどんどん進んだ。

 以上が、記事の要旨。
 実は、記事にはそれほどわかりやすく書いてはいない。上記は、私がわかりやすく核心を書き直した。(記事には、核心が書いていない。無味乾燥な事実が書いてあるだけ。)
( ※ なお、海外銀行の意図は、実は「自分たちの市場を食い荒らされたくない」というのが本音である。それが証拠に、「国際市場でなく国内市場に限るならば、BIS規制は導入されない」というふうになっている。)

 さて。上記の記事について、私のコメントを加えよう。
 記事に書いてあることは、「もっともだ」と思える。少なくとも、マネタリストならば、そう思うだろう。しかし私としては、「無効」という判定をする。すなわち、「このBIS規制は、たしかに景気悪化の効果を及ぼしたが、その効果を発揮する場面がなかったので、現実には悪影響はなかった」と判定する。
 比喩的に言えば、「毒を食わそうとして、毒を皿に盛ったのだが、相手が満腹で毒を食べなかったので、毒殺はなされなかった」というふうになる。悪いことをしたからといって、悪い影響が出るとは限らないのだ。

 では、なぜか? それは、金利を見ればわかる。
 金利はどうだったか? もし銀行の融資総額の減少の悪影響があったなら、資金について「供給減少」の影響が出るので、「金利高」になったはずだ。現実には、そうではなかった。金利は大幅に低下した。異常なほどの低金利になった。(1%程度)
 つまり、銀行はBIS規制によって「供給減少」をなしたのだが、その影響は出なかったのだ。なぜなら、それを上回る規模で、「需要減少」があったからだ。バブル破裂後、財テク(株式投資)のための資金需要もなく、土地神話信仰(不動産投資)のための資金需要もなくなった。さらには、景気悪化の影響で、人々の消費意欲も大幅に減退した。この状況で、資金市場には急激な「需要減少」があった。だから、銀行が少しぐらい「供給減少」をなしても、ほとんど影響はなかったのだ。その証拠が、「金利低下」である。
 こうして、BIS規制には、「景気悪化をもたらす効果・意図はあったが、その効果は実際には発揮されなかった」という結論が出る。
 結論、終わり。

 注記しておこう。
 たしかに、貸し渋りや貸し剥がしなどがあって、中小企業などでは被害が出た。しかし、マクロ的には、たいしたことはない。金利低下があったのだから、大企業は投資を拡大することができたはずだ。
 また、大規模な都市銀行はBIS規制の範囲にとらわれても、中小銀行や地方銀行はBIS規制の範囲外だったのだから、大企業はそちらから資金を得ることもできたはずだ。
 ともあれ、この時点では、金利は大幅に低下しており、BIS規制の影響はほぼ皆無だったのだ。
 だから、この当時の景気悪化の理由は、「BIS規制による投資総額の減少」ではなかった。ここでは、「資金供給の低迷」があったのではなく、「資金需要の低迷」(消費低迷による投資低迷)があったのだ。資金では「供給」よりも「需要」の低迷があったのだ。そして、その証拠が「市場金利の低下」である。

 あの当時もそうだが、マネタリストというものは、「資金供給の低迷が景気悪化をもたらす」というふうに考えていた。そのせいで、「銀行が融資をできるように、不良債権処理をせよ」というふうに主張した。しかし、そんなことは嘘だ、とわかるのだ。市場金利を見れば。 ( → 2002年10月03日
 あのころ、マネタリストたちは「不良債権処理を急げ」と主張した。そして、今や、不良債権処理は片付いた。で、それで、銀行は大幅に融資を拡大したか? 否。相も変わらず、投資は低迷している。実際、金利はゼロ近辺のままだ。つまり、資金需要がない。
 では、なぜ? BIS規制のせいか? 不良債権処理が済んでいないせいか? いや、それらは、「供給低迷」を意味するだけだから、逆の意味でしかない。正しくは、「(資金の)需要の低迷」があるからだ。そして、それは、「消費の低迷」を意味する。

 資金の面においても、「需要と供給の関係」を理解することが必要だ。「需要」が縮小しているときに、いくら「供給」を増やしても、効果はまったくない。効果があるのは、「価格を下げる余地がある場合」に限られる。価格を下げることができれば、供給増加にともなって、価格下落が起こり、需要増加も起こる。しかし、価格下落の余地がない場合には、供給増加は何の意味もない。
 このことは、金融市場では、「流動性の罠」として知られる。以前、何度も説明したとおり。
 ( → サイト内検索 「流動性の罠」
 
 ま、ともあれ本項では、過去のおさらいみたいなことをした。結論としては、「資金の供給だけで説明しようとするマネタリストの間違いを理解しよう」ということ。
( ※ その根源は? 投資と消費の関係を正しく理解しない、というマネタリストの方針にある。何でもかんでも、資金量だけで説明しようとする。貨幣数量説という、馬鹿みたいに単純なモデル[実は間違い]を神のように信奉して、現実の「投資と消費の関係」という複雑な関係を分析しない。……わかりやすく言えば、多変数の複雑なモデルで示されるべきことを、ごく簡単な一次式のモデルで近似する。そのせいで、メチャクチャな結論が出る。にもかかわらず、それを真実だと思い込む。かくて、破綻。非科学の極み。……ただし、ものすごく複雑な数式を使うことで、数学的だと自惚れている。)


● ニュースと感想  (10月30日)

 「朝日新聞の大ボラ」について。  低福祉・低負担でもなく、高福祉・高負担でもなく、中福祉・中負担にしよう、というアイデアがある。「これで万事解決」という、朝日新聞のうまい(?)アイデア。
 これについて論評する。
  → nando ブログ 「中福祉・中負担」


● ニュースと感想  (11月02日)

 「輸入品の物価上昇」について。
 輸入品の物価上昇が続いている。ガソリンなどの石油製品や、小麦などの農産物や、小麦などを原料とする食品(麺類など)。
 これらについては、「海外の相場が上昇したからだ」と解説され、「ゆえに仕方ない」という言外の論調を含ませるのが普通だ。しかし私は、これは妥当ではない、と考える。

 私の考える本当の理由は、こうだ。
 「過度の円安による、輸入物価の上昇」
 本来ならば、これの効果がずっと前から現れていてよかったはずだ。日本はここ十数年、ずっと円安政策を取ってきたのだし、円は過度に安くなっていた。その分、輸出企業はボロ儲けした。ただ、その分、輸入品価格は上がって当然だったのだが、あまり上がらなかった。その理由は、不況によるデフレ効果だ。すなわち、労働者の労賃が切り下げられた。そのおかげで、輸入物価の上昇が相殺されて、物価上昇は目に見えて現れなかった。
 ただ、近年では、労賃も下げ止まって(最低賃金付近まで来て下げようがなくなり)、相殺の効果が薄れてきた。こうなると、輸入物価の上昇が、もろに打撃を与えることになる。

 では、どうすればいいか? 「さらに労賃を下げればいい」と古典派は考えるだろう。しかしそんなのは邪道である。つじつま合わせにすぎない。
 正しくは? 病気に対する症状をなくすようにつじつま合わせをすればいいのではなく、病気そのものを治療すればいい。すなわち、不況を解決すればいい。
 では、どうやって? 

 ここで、従来から取られてきたのは、マネタリズムの政策である。
 「金利を低下させれば、景気が回復する」
 しかしそんな政策は、十何年続けても、まったく効果がなかった。それどころか、逆効果があった。
 「過度の低金利のせいで、円安が起こる」
 すなわち、今回の物価上昇は、次の経路をたどった。
  1. 景気回復をめざした低金利政策
  2. 過度の円安
  3. 輸出企業は潤うが、消費者は輸入物価に苦しむ
 この順で、輸入物価の上昇が起こった。これまでは、その効果が(労賃切り下げにより相殺されていたので)目に見えなかったが、今でははっきりと見えるようになった。
 ここで、「どうして見えるようになったか」を考えるのは無意味である。なぜなら、ここでは、「ごまかしが利かなくなった」だけであって、「本来のあるべき姿に戻っただけ」だからだ。「なぜ本来の姿に戻ったのか」を考えても意味がない。「その本来の姿はどうして起こるようになったのか」を考えるべきだ。そして、その理由は、誤った金利政策(過度の低金利政策)である。……そして、それこそが、これまでの日本の経済政策であった。その結果が、次の二つだ。
  (i) 景気は回復しないまま。(メリットなし)
  (ii) 輸入物価は上昇する。(消費者にはデメリット)

 では、どうすればいいのか? 簡単だ。誤った経済政策とは反対の政策を取ればいい。対比すれば、次の通り。

 《 誤った政策 》
 「金利を下げればいい。それで景気は回復する」
  (現実には、そうならない。すぐ上に述べた (i)(ii) が起こるだけ。)

 《 正しい政策 》
 「金利を上げる。それで円安が是正され、輸入物価はおおむね下落する」

 なお、正しい政策について詳しく言うと、次の通り。
 「金利がゼロのとき(流動性の罠)のときには、投資意欲そのものが減退しているのだから、低金利政策を取っても、意味がない。換言すれば、金利を上げても、特に問題はない。それよりは、消費を増やすことで、景気を回復させるべきだ。そのことで、結果的に、投資意欲が増えるので、投資もまた増える。(景気回復のスパイラルが起こる。)」

 比喩的に言えば、次の通り。
 「食欲のない病人の前に、いくらたくさんの美食を並べても、無意味である。美食をタダにしても、無意味である。美食をタダで与えることで効果があるのは、健康の人に対してだけだ。この場合には、美食の値段を下げればいいのではなく、病人の病気そのものを解決することが大事だ。」
 ここで、「食欲のない病人」とは「投資意欲の減退した企業」のことである。だから、企業に対して「投資意欲を増やすこと」が根本対策だ。そして、そのことは、「消費の増加」によってなされる。

 まとめ。
 正しい政策は、「金利上昇と減税」。それによって、消費だけが増える。投資については、金利はもともと影響しない。(0%と1%のような違いがあっても、結果はほとんど変わらない。3%ぐらいまで上げても、ほとんど変わらない。ここでは金融政策はほとんど意味がない。)
 間違った政策は、「低金利の維持」。この場合、効果はないまま、輸入物価の上昇だけが起こり、国民生活を直撃する。(ただし輸出企業だけはウハウハである。結果的に、金と富は輸出企業に死蔵されるようになるので、金のめぐりが悪くなって、国内経済は停滞する。)

 [ 付記1 ]
 本項の要点を一言で言えば、次の通り。
 「金利を下げれば景気が良くなる」というマネタリズムの政策を取っているので、現状は良くなるどころか悪くなる
 ヤブ医者の処方に従って、病気に対する間違った処方を取るので、病気は改善するどころか悪化する。

 [ 付記2 ]
 では、なぜ、こういうこと(付記1)が起こるのか?
 マネタリズムの政策は、「金利の高いとき」つまり「インフレのとき」には有益だからだ。こういうときには、金利をいじることで、景気を操作できる。だからそれを「正しい処方」だと信じ込む。
 しかし、金利の高いときに有効であった政策が、金利の低いときにも有効だとは言えない。── そこを勘違いしているせいで、間違った対処を取るようになる。
 比喩。
 「冬には衣服を調整することで、体温をうまく維持できた。ゆえに、夏でも、そうなるはずだと信じて、夏にもそうした。ただし、すっかり裸になると、もはやそれ以上は調整の余地がなくなった。にもかかわらず、裸でいればいい、とだけ考えたので、水を浴びるとか、木陰にはいるとか、そういう対処を取らなかった。そのせいで、裸のまま日射病で死んでしまった。」
 これを称して、「馬鹿のひとつ覚え」と言う。今の日本の経済政策そのものだ。(マネタリズムを崇拝する馬鹿。オウムの信者と同様。)

 [ 付記3 ]
 本項で述べたことは、広い意味では、経済学における「錯覚」である。間違ったものを正しいと信じ込む。そして、その理由は、その間違いが完全な間違いではないからだ。ある場合には、正しい。それゆえ、人々はそれを信じてしまうのだ。「ある場合には正しかったのだから、常に正しい」と。


● ニュースと感想  (11月03日)

 前日分へのオマケ。
 麺類が揃っていっしょに値上げするのは、なぜか? 独禁法違反みたいだが。……
 実は、その理由は、「麺類、みな兄弟」あるいは「麺類、みな商売」だからである。
( ※ 何のこと? ただダジャレが言いたかったんですね。すみません。)

 [ 付記 ]
 「人類みな兄弟」は、シラーの文句である。ベートーベンが第九に採用したことで有名になる。……笹川が考えた文句ではない。念のため。


● ニュースと感想  (11月03日b)

 「日本シリーズ」について。
 中日が日本ハムに勝って優勝した。だが、どうにも違和感がある。
 そもそも中日はセリーグの2位である。これが日本一だというのは、わけがわからん。レギュラーシーズンが無意味になる。
 セリーグでは、巨人の方が1位になったのだが、優勝祝賀パーティーなどでだらけてしまった。巨人がなまくらになったところで、3位の阪神と戦ってきた中日が出てきて、あっさり巨人に3連勝。……これじゃ、下位チームに有利になる仕組みになっているようなものだ。おかしい。

 そこで、万事を解決するために、対案を示す。次のようにしたい。
  1. セとパの1位同士がぶつかる。2位同士、3位同士も同様。
  2. 1位同士は5試合または7試合。2位同士、3位同士は3試合。
  3. 1位同士の勝者が、レギュラーシーズンの「年間王者」となる。(従来の日本シリーズと同様。日本一を意味する。)
  4. 2位同士、3位同士の勝者は、たがいに対戦して、その勝者が、1位同士の勝者とぶつかる権利を得る。
  5. その勝者は、「最高勝者決定戦」というような特別試合を行ない、勝った方が「最高勝者」となる。「年間王者」とは別の称号だ。
  6. どっちが偉いかは、特に定めない。で、それぞれ、別のテレビ局が放送して、それぞれ巨額の金を球団側に支払う。将棋の名人と竜王のようなもの(新聞社別)だ。
 つまり、一番が二つあるわけだ。これなら、現状のように、「弱い方が一番になる」という、おかしなことはなくなる。しかも、スポンサーが二つ付く。

 [ 付記 ]
 アメリカの場合は、国土が広大なので、三つの地区に分かれて地区戦を行なう。だから、別途、ポストシーズンの試合によって、真の米国一を決める。
 しかし日本では、三つの地区戦なんかないのだから、現行のクライマックスシリーズみたいなものは、本来不要であるわけだ。敗者が勝ち上がる仕組みは不要。……ただし、それだと、商売のうまみがないというのであれば、別途、日本シリーズとは別のカップ戦をつくればいい。それだけの話。
 妙にごちゃごちゃとしたシステムを作るから、「二位のチームが日本一になる」なんていう馬鹿げたことが起こる。
 なお、2004年のレッドソックスもそうだったが、あれはまあ、「やむを得ない」というところだろう。今年のロッキーズもワイルドカードだったが、これが優勝していたら、興醒めも甚だしい。……秋だけ強いチームが一番になるのは、どうもおかしいですよね。非本質的。)

( ※ ま、私見を言えば、「お情けで仲間に入れてもらった客は、たまたま幸運が続いて勝てても、ちょっとは遠慮しろ」ということ。「分をわきまえろ」というのでもいい。ま、こんなことを言うと、あれこれと文句が来そうだが。あくまで私見です。)


● ニュースと感想  (11月04日)

 「日本シリーズと市場経済」について。
 前項で述べたことについて、「レギュラーシーズンよりもクライマックスシリーズの方を重視した方がいい」という見解もある。そこで、注釈しておこう。
 もし「レギュラーシーズンよりもクライマックスシリーズの方を重視した方がいい」という見解を取るとしたら、レギュラーシーズンの試合は、「クライマックスシリーズのための予選」にすぎなくなる。しかも、そこでは、「1位から3位まで」がほぼ同等の資格を有する。(正確に言えば、1位だけが不利。3位は経済的に損。2位が一番得。今回は、この原理にしたがって、中日が優勝した。)
 しかし、である。このような原理は、根本的におかしい。そのことを示す。

 そもそも、スポーツとは、何か? 「健全なる健康増進」などというのは嘘っぱちだ。基本的には「闘争本能の発揮」である。こいつを利用して人殺しをすることもあるが、こいつをスポーツに消化させることもある。基本的には、生物のオスのステロイドの影響下にある。
 で、そうとなったら、相手に対して「何が何でも勝利する」という意欲が発揮されるべきだ。そして、そういう意欲があるからこそ、人々はスポーツの試合を熱狂的に見る。
 しかるに、「1位から3位までが同じ」だとなったら、どうなるか? 「勝っても負けても同じ」なんて言う試合を、誰も熱狂的に見るはずがないだろう。

 実は、このことは、経済における市場原理とも共通する。「勝っても負けても同じ」なんていう状況下では、誰もまともに競争をしない。
 たとえば、あなたがセールスマンだとする。初めは、次の状況にあった。
 「6人のセールスマンがいて、最優秀の一人には報奨金が一千万円出る。2位以下にはには、ごくわずかだけの報奨金が出る。二つのチームがあって、それぞれのチャンピオン同士で競争する特別競走があり、そこで勝つと、さらに五百万円の報奨金が出る。」
 ここでは、あなたは眼の色を変えて、必死に競争するだろう。少なくとも、チームの一位を狙うはずだ。日々が苛酷な競争となる。所長としては、「面白い競争だ」と思って眺めるだろう。
 次に、次の状況に変わった。
 「1位から3位までが、どれも三百万円もらえる。差はない」
 ここでは、あなたは3位を狙うだろう。つまり、ギリギリセーフを狙って、なるべく怠けるだろう。日々がだらけきった競争となる。所長としては、「詰まらない競争だ」と思って眺めるだろう。

 初めに戻る。
 スポーツというのは、闘争心を発揮する場なのだ。だからこそ、人々は、熱中して見る。「この一瞬の燃焼」を見るために。
 一方、「長期的に3位に入ればいいさ」なんていうのは、闘争心を発揮する場ではない。そういうのは、母親が子育てをするときには、なかなか好ましい方針ではある。「子供を育てるには、あくせくしないで、のんびりと長期的に行ったりと育てましょう」というわけだ。それはそれで正しい。しかし、そんなものを見ても、男の闘争心は満足しない。当然、金を払ってみる人はいない。
 人々が闘牛を見るのに金を払うのは、そこに命を賭けた戦いがあるからだ。だからこそ金を払う。
 人々が母親の育児を見ようともしないのは、そこには「この一瞬の燃焼」がないからだ。だから、見たいとは思わないし、むしろ、見たくないとさえ思う。
( ※ もし「そんなことはないぞ」と思う人がいたら、保育士にでもなって、オシメを取り替えるのを喜んでみているといい。……紙パンツかな。)


● ニュースと感想  (11月05日)

 「小沢党首の辞任」について。
 民主党の小沢党首が辞任を表明したことで、政界に激震が走っているようだ。話の経緯は、次の通り。
  1. 自民党と民主党の「大連立」が首相から小沢党首に提案された。
  2. 民主党が自民党に「拒否」の返事をする。
  3. このことが「大連立の不成立」というふうに報道されて、大騒ぎになる。
  4. 「民主党が拒否したのは当然だ」という声が、民主党内のあちこちから湧き上がる。一方、自民党内では好意的な意見が多い。(……朝日報道による。)
  5. 翌日(2007-11-04)の読売などの朝刊で、「実は小沢党首から首相に持ちかけた」というスクープ記事が報道される。(官邸筋からのリークらしい。)
  6. 小沢党首が辞意を表明する。
 とんだドタバタ騒ぎだ。で、こういうドタバタ騒ぎを見ると、頭が混乱して、よくわからなくなる人が多いだろうから、私がきれいに整理して見せよう。

 まず、世間の評判で言えば、「小沢はとんでもないことをした」という声が圧倒的だろう。特に、民主党支持者では。
 ただし、理屈だけで言えば、「大連立」という案は、たしかに考えられる。なぜなら、二大政党がぶつかりあって、政治が停滞するというのは、まさしく問題だからだ。(小沢の主張するとおり。)
 では、問題は? これが選択肢として与えられただけでなく、一挙に決めてしまおうとしたことだ。
 ここには、「民主主義」というものへの理解がない。

 そもそも、民主主義とは何か? 「独裁制」の正反対だ。たった一人がすべてを決めるのではなく、多数が合議して決断を下す。
 ところが、小沢がやったことは、それとは正反対である。ここに、彼の根本的な難点がある。また、問題の本質も、この彼の難点に起因する。

 小沢が好きなのは「トップダウン」だ。そして、これは、必ずしも悪いことではない。実際、トップダウンで成功している企業は、たくさんある。(特別に優秀な経営者がいる場合。)
 では、小沢の場合、どこに問題があるのか? 彼が特別に優秀ではないということか? 違う。次の差だ。
 「行政組織と議会」
 行政組織というものは、企業組織と同様で、何らかの業務をなす一体化された組織だ。そこでは、組織の運営法の一つとして、「トップダウン」という方式も成立可能だ。
 では、議会は? 議会は、何らかの業務をなす一体化された組織か? 違う。そこでは、多数の多様な意見がせめぎあう場だ。そして、意見のせめぎあのあげく、最終的に一つの意見に集約される。その方法は、「トップダウン」ではなく、「多数決」だ。……これが民主主義というものだ。
 だから、小沢の問題は、行政組織の方法を、議会の場に持ち込んだことだ。行政組織では成立する「トップダウン」は、議会の場には成立しない、と気づかないで。

 では、彼は、本来ならばどうすれば良かったか? 
 なるほど、「大連立」というのは、一つの選択肢である。ならば、それを選択肢として示した上で、議員の全員に呈示すれば良かった。その上で、議員たちが侃々諤々と議論して、最終的に何らかの結論を下せば良かった。……ここにおいて、党首の役割は、限りなく小さい。党首は、何らかの意見を押しつけるのではなく、単に議員たちの意見を整理するだけでいい。いわば、意見の整理をするだけで、自分では意見を言わない議長のように。
 にもかかわらず、彼は、そうしなかった。まるで大統領か独裁者のように、議員たちの意見を自分の意見に染め上げようとした。そのあげく、それに失敗して、辞任せざるを得なくなった。……ここには、彼の政治家としての根本的な欠陥がある。

 実は、これと同様のことは、前にもやったことがあるのだ。それは、「自社連立」である。この場合、小沢が「自社連立」をしかけたわけではない。「どうせ自社連立なんかできっこない」と思い込んで、細川・小沢・羽田などとの連立だけで突っ走って、社会党を切り捨てた。で、切り捨てられた社会党は、頭に来て、小沢たちとの連立を離脱した。その後、社会党は自民党と連立した。かくて、政権交替が起こった。
 この場合も、小沢は自分の意見を他人に押しつけた。仲間である社会党などの意見を聞くことなしに、勝手にトップダウンで物事を推進した。「おれに付いてこい。突いてこられないやつは、切り捨てる」という方針だ。で、そのあげく、社会党は、切り捨てられて、自民党とくっついた。そのせいで、細川・小沢・羽田などはそろって政権から切り捨てられた。
 それと同様だ。今度は、「おれに付いてこい」といったあと、民主党から小沢が切り捨てられた。

 こういうことは、すべて、小沢の人間性から来る。それは、「空気が読めない」(KY)ということだ。(流行語ですね)
 本来ならば、政治家というものは、空気を読んで仕事をするものだ。「まわりがどう思っているか」を機敏にとらえて、その空気にふさわしい行動を取るべきものなのだ。逆に、「自分で空気を変えてしまえ」なんていうのは、とんでもない勘違いだ。自分が独裁権力をもっているならばいざ知らず、そうでなければ、独裁者のようにふるまっても、最終的には自分が切り捨てられるだけだ。
 要するに、「空気を読める」ということが、何よりも大切なわけだ。特に、政治家にとっては。
( ※ なお、普通のサラリーマンにとってもそうだ。ちょっと役立つ話。)

 なお、今回の顛末で、結果はどうか?
 実は、結果はたいしたことがない。菅直人あたりが党首になって、それで解決するだろう。だいたい、小沢は、党首には向いていない。国会論戦も下手だし。いずれ辞任するべきだったし、今回の辞任は時期的にも妥当だろう。「なるべくようになった」というだけだ。
 小沢は、選対部長だけやっているのが、最適だ。党首の柄ではない。やめて良かった、というべし。将来、「小沢首相」なんてことになったら、それこそ目も当てられないしね。

 [ 付記 ]
 小沢自身は、報道を全面否定している。引用すると、次の通り。
 もう一つ。中傷報道に厳重に抗議する意味において、考えを申し上げる。福田総理との党首会談に関する報道について、報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、強い憤りをもって厳重に抗議したい。特に11月3、4両日の報道は、まったく事実に反するものが目立つ。
 私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、今回の連立構想について、小沢首謀説なるものが社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されている。いずれもまったくの事実無根。党首会談、および会談に至るまでの経緯、内容について、私自身も、そして私の秘書も、どの報道機関からも取材を受けたことはなく、取材の申し入れもない。
 それにもかかわらず事実無根の報道がはんらんしていることは、朝日新聞、日経新聞を除き、ほとんどの報道機関が、自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられない。それによって、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な中傷であり、強い憤りを感じる。
 このようなマスメディアのあり方は、明らかに報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思う。報道機関が政府与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争に突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ。
 また、自己の権力維持のため、報道機関に対し、私や民主党に対する中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥じるところがないか、自分自身に問うてもらいたい。
( → 朝日のサイト
 ま、事実無根の点もあるのかもしれないが、だったら「それは嘘だ」と述べて、堂々と反論すればいい。そうしないで、やめてしまうのだから、「負け犬の遠吠え」でしかあるまい。
 私の推定では、次の通り。
 「本当は、実質的には、報道の通り。ただし、形式的には、違う。万一、バレたときのために、『私の方から申し出たんではありませんからね』というふうに、念を押しておく。あうんの呼吸で」
 ほら、よくあるでしょう。賄賂の受け取りで。「これは私の方から要求したんじゃないからね。あくまできみの方が自発的に申し出たんだからね。私はいやいや受け取るだけなんだよ。わかっているね?」と告げながら、賄賂を受け取る。……それと同じです。
 男女の仲でも、よくある話。「あなたが旅行に行きたいっていうから、いっしょに旅行に行って上げるのよ。私の方から要求したんじゃないわよ」と女が言う。しかし、実質的には、女が旅行を要求している。「旅行に連れていってくれないのなら、私の方も何もして上げない」と言って。
 世の中、そういうものです。腹の探り合い。

 ( ※ なお、裏話としては、読売の「渡辺社主が黒幕・張本人だったらしい」という報道もある。なるほど。十分、ありそうだ。 → 中日新聞


● ニュースと感想  (11月07日)

 「地震保険と固定資産税」について。
 自民党と民主党の対立の一つに、地震の被災者への保障をどうするか、という問題がある。民主党案だと、被災者の家屋にも保障するということだが、これだと、私有財産を政府が保護することになるので、ちょっとおかしい。「泥棒に金を盗まれた間抜けに対して、政府がその金を補填する」というようなものだ。筋が通らない。が、だからといって、被災者を放置するのも、非人道的だ。
 つまり、筋の通らない金だから、出すのもまずいし、出さないのもまずい、というわけだ。なかなかうまい解決案がない。

 そこで、過去の分はともかくとして、将来への対処を提案する。こうだ。
 「政府が全国民に対して、強制的に地震保険に加入させる。その保険料としては、固定資産税(家屋分)を充てる」
 この制度のもとでは、次の結果になる。
 「固定資産(家屋分)への税金をたくさん払っていた人ほど、地震の際の補償を多額に受けられる」
 たとえば、「1億円の家屋だ」と認定されて、その分の固定資産税を払っていた人は、1億万円の損害に対して、相応の分の金額を国からもらえる。(たとえば八千万円をもらえる。)同様に、五千万円とか、三千万円とか、千万円とか、それぞれの額に応じた金額をもらえる。
 一方、現行では、次のようなことが起こる。
 「固定資産税を払うときには、千万円という評価額だったが、地震が起こったら、二千万円という評価額になって、二千万円を国からもらう」
 または、こうだ。
 「固定資産税を払うときには、1億円という評価額だったが、地震が起こったら、古い建物なので千万円の価値しかないと評価された」
 いずれにせよ、理屈が通らない。そこで、固定資産税の評価額と、地震のときの評価額とを、一致させる。

 こうすると、どうなるか? 
 普段から国民は「地震のときの評価額を多くしてもらいたい」と思って、「固定資産税の評価額を高くしてもらいたい」という気持ちがいくらか生じる。というわけで、固定資産税を負けてもらおうという邪な気持ちが減る。その分、国や自治体の固定資産税の収入は増える。……つまり、いざというときには支払いが増えるが、その分、平時には税収が増える。これなら、筋が通る。
 以上が、私の案だ。

( ※ なお、この方式をとった場合、国民の家屋が頑丈であるほど、国家の支払額が減る。だから国家としては、家屋の耐震性に多大な関心を払わざるを得なくなる。結果的に、国民の家屋は、どんどん頑丈になるはずだ。たとえば、免震構造が普及する。)

 [ 付記 ]
 ただし、注意。鉄筋コンクリートや鉄骨住宅などと、平凡な木造住宅とでは、耐震性が異なる。そこで、耐震性に応じて、固定資産税の地震保険料に相当する分も、少し変えるといいだろう。あるいは、家屋への補償額を変える。
 たとえば、木造住宅にしていた人は、多めの税を払うか、地震のときの補償額が減るか、いずれかだ。
 この点(国民の側の利害)からも、免震構造は普及するだろう。

 [ 参考 ]
 以上は私の提案だが、別途、与野党は新たな方針で一致したようだ。
被災者支援法改正案が成立へ 自公民協議まとまる
 地震や台風などの大規模災害に被災した住宅本体の再建支援を認めるための被災者生活再建支援法改正案が、今国会で成立する見通しとなった。
 同法は阪神大震災をきっかけに98年に制定された。住宅が全壊したり、大規模半壊したりした場合は、生活必需品などに最大100万円、住宅の解体・撤去などに最大200万円、合計300万円までが支給される。今回の改正案では、支給上限額は現行通り300万円だが、これまで認められていなかった住宅本体にも適用を広げる。さらに、上限額を受け取ることができる年収は現行の原則500万円以下から800万円以下まで緩和。世帯主の年齢による支給制限も撤廃する。
 民主党が参院に提出した改正案は、支給対象を半壊にまで広げ、上限を500万円に引き上げて住宅本体への適用を認める内容。今年1月以降に起きた災害にも適用することとしている。これに対して与党は、上限は300万円のままとするものの、大規模半壊と全壊については住宅本体への適用を認める改正案を衆院に提出している。
( → 朝日のサイト


● ニュースと感想  (11月07日b)

 「民主党の大連立」について。
 小沢党首が辞任をひるがえすかもしれない、という記事が出回っている。  ふうむ。もしそうなると、カッコ付かないですね。男が一度やめるといって、やめないとなるとね。みっともない。「武士に二言はない」という言葉もあったっけ。
 ま、それはさておき。

 世間では、「大連立はとんでもない」という見解が多い。「次期総選挙が成立しなくなるから」という理由だ。しかし、それは理屈にならない。
 なぜか? 次の案があるからだ。
 「次期総選挙の少し前まで、期間限定で、時限的な大連立をなす」
 これはこれで、特に悪くはないと思う。
  ・ 政治の安定(混迷の逆)
  ・ 民主党の政権担当能力を訴えることが可能。
 だから、これはこれで、成立する。

 ただし、いきなりトップダウンで決めるのは暴挙である。党内で意見の醸成をする必要がある。それはつまり、国民の声を聞くということでもある。今回は、それがなされなかった。とはいえこの問題をクリアすれば、そのあとは、なくもないはなし。
 私が思うに、そもそも自民党としては、「自衛隊の給油」は何が何でもやらないとまずい、と思っているはずだ。何しろ、米国の犬ですからね。
 で、それを「何が何でも」と思っているのであれば、民主党としては、取引をするのがベターでしょう。給油ぐらい、別に、どうってことはない。それを与えて、かわりに、別の何かを引き出せばいい。ギブ・アンド・テーク。

 「何でもかんでも反対」というのでは、国政が停滞するだけだ。最悪。
 つまり、次のような転換が好ましい。
 「これまでなら、自民党の政策だけが、百%実施された。しかし今後は、民主党の政策も40%ぐらいは実施される。国民は、それを見て、どっちがいいかを、次期総選挙で判定する」
 これならフェアじゃないでしょうか? 

  【 追記 】
 小沢党首の辞任撤回が固まってきたようだ。これを受けて、「恥さらし」などと指摘する声も上がっている。(朝日・朝刊・社説 2007-11-07 など。)
 ただ、その理由問題だ。「二大政党制ならば対立するのが当然だ」という声が多いが、こういう声の上に批判している人が多い。しかし、それ肌道でない。
 「二大政党が対立する」というのは、二大政党制の悪しき弊害として知られている。すなわち、国政の停滞である。特に現状では、衆参両院が異なる状況だから、単に対立していたら、法案は一本も通らない。日本の政治は脳死状態になる。それでいいのか? 
 「喧嘩していればいい」というのは、ガキの態度だ。大人というものは、妥協をする。双方が「どちらも負けたくない」と思っている限り、得られるものはゼロだ。双方が「少しずつ譲歩する」と思っている限りは、双方は1を得られないが0.6を得るので、全体としては、(0.6+0.6)/2 = 0.6 で、そこそこの利得を得る。そして、この利得は、双方にとっては不満だとしても、国民にとっては最善であることが多い。
 だから、「妥協」というのは、とても大切なのだ。ガキにはわからないだろうが。
 とすれば、妥協の形の一つとして、「大連立」というのも、選択肢の一つになる。ま、形はどうであれ、何らかの連立政権の形にしないと、日本の政治は脳死状態になる。そのことがわかっていない人が多いようだ。
 小沢の問題は、大連立を唱えたことではない。大連立を、議員に提案もしないで、いきなり一人で突っ走ったことだ。
 小沢のやったことは間違ったことなのだが、どこが間違っているのかを勘違いしてはならない。比喩的に言えば、彼は、百メートル走でフライングをしたことが問題なのであって、百メートル走に出場したこと自体が問題なのではない。「間違いだったから出場そのものをやめてしまえ」という態度を取ると、メダルを一つももらえない。
 そろそろガキの態度を卒業するべきだろう。

( ※ 「**のやったことは間違ったことなのだが、どこが間違っているのかを勘違いしてはならない」というのは、ホリエモンについても当てはまる。日本はどこもかも錯覚している。)


● ニュースと感想  (11月08日)

 民主党の小沢の迷走についてのコメント。前日分への追記。
  → 該当箇所


● ニュースと感想  (11月08日b)

 「犯罪と量刑」について。
 「犯罪者には重罰を」という見解があるが、実はそうとは言えない、という話。
 強姦をした兄弟に対して、兄に懲役20年、弟に懲役16年を言い渡した、という判決があった。(集団強姦、強姦強盗)
   → zakzak
 これで犯罪を防ごう、というのが裁判所の狙いのようだが、私はこれはまずいと思う。なぜなら、これでは殺人と同程度の罰だからだ。となると、合理的な犯罪者の頭に浮かぶのは、次のことだ。
 「どうせ罰が同じならば、相手を殺した方がいい。相手を殺せば、強姦罪で訴えられることもない。目撃者がいないから、重大な証拠を隠滅できて、犯罪が発覚しにくい」
 これはまことに合理的な判断である。通常、殺人事件は、何らかの動機がある。殺すことで「利益を得る」とか「怨恨を晴らす」とか。で、その目的を理由にして、捜査がなされる。
 しかし本件では異なる。「証拠湮滅」が動機である。それ以外は、行き当たりばったりだ。となると、普通の捜査では、犯人は見つからないだろう。実際、殺人事件の半数弱は、犯人が見つからない。行きがかり上の強姦殺人となると、まず逮捕は無理だろう。
 
 というわけで、「裁判所が重罰を科するせいで、かえって殺人事件が増える」という結果になる。皮肉。

 [ 付記1 ]
 だからといって「強姦犯に甘くせよ」と述べているわけではない。「何事も適正に評価せよ」と述べているだけだ。「好き嫌いで大小を決めるな」とも言える。
 たとえば、鉄筋コンクリートの鉄筋を抜いたり、賞味期限切れの食品を販売したり、まぜもののニセ食品を不当表示したり、……というような、(場合によっては人命にも関わるような)大犯罪に対しては、ほとんど罰が科されない。「公表するだけ」という処分で済ませるのが普通だ。
 そういう巨悪(知能犯)はあっさり見逃されて、そこいらの阿呆なチンピラの発情した結果だけを処罰しても、この世から犯罪が消えるわけではない。たとえば、発情して荒れ狂った猛犬に対して「銃殺する」という処分を下したところで、猛犬の発情が消えるわけではない。それよりは、知能犯の犯罪を取り締まる方が、よほど重要だ。
 たとえば、07日の判決で、例の耐震建築擬装の姉歯被告への判決が出た。懲役五年。実に軽い。もし地震があったなら、ビル倒壊によって数百人の死者が出たかもしれないし、それを覚悟の上の犯罪だ。しかも現実に、多くの人々が建物の建て直しなどで、数千万円の損害を出している。莫大な数の人々の人生が破壊されてしまった。彼がほんの数十万円の利益をかすめるために、何百億円もの損害をもたらし、かつ、数百人の人命を危険にさらした。……それでいて、これほどの軽い罰だ。
 罰の大小のバランスが崩れている。

 [ 付記2 ]
 なお、「重罰を科すれば犯罪がなくなる」なんて思っている人は、頭がよほどおめでたい。「罰をしなければ犯罪が野放しになる」ということは言えるが、「罰をどんどん重くすれば犯罪がなくなる」ということはないのだ。その区別ができない人々が、見当違いのことをなす。
 どうせなら、おかしな判決をした裁判官を、みんな監獄にぶち込めばいい。そうすれば、おかしな判決がなくなる。……ということはないですけどね。

 結論。
 馬鹿は死んでも直らない。


● ニュースと感想  (11月09日)

 「社会保障と増税」について。
 政府税調が「増税で社会保障を」という提言をしたが、国民ではそれに不同意の声が多いという世論調査が出た。

 まず、政府税調の見解。
政府税調、消費増税提言へ「社会保障維持に不可欠」 政府税制調査会は2日、社会保障制度を維持するには、消費税の税率引き上げが必要になるとの意見で一致した。
 社会保障費をめぐっては、基礎年金の国庫負担を09年度までに現在の3分の1から2分の1に引き上げることが決まっているほか、将来も医療費のさらなる増大などが見込まれており、財源の確保が課題になっている。
 政府税調は政府・与党が掲げる「税体系の抜本的改革」の一環で、9月から主な税目の検討を開始。この日の会合では、進行役の吉川洋・東大教授が、少子高齢化で今後も社会保障給付の増大が見込まれていることや、全体の給付が負担を上回っている状況などを説明。「社会保障を持続可能にするには、消費税を上げざるを得ないのではないか」と提起。出席者の大勢の賛同を得た。
( → 朝日com
 これに対して、朝日新聞が世論調査をした。
消費増税「必要」43%、「不要」49% 本社世論調査
 朝日新聞社が3、4の両日実施した全国世論調査(電話)によると、消費税の引き上げが「必要だ」と答えた人は 43%、「必要はない」は 49%で意見が分かれた。一方、社会保障の財源を確保するために消費税の引き上げが必要だという考え方に「納得できる」人は 36%で、「納得できない」が 54%にのぼった。政府・与党は社会保障の財源確保のためだとして国民の理解を得ようとしているが、必ずしも賛同は広がっていないようだ。
 社会保障の財源確保のための消費税引き上げに「納得できない」と答えた人は 30代で 61%、50代で 55%、70歳以上で 42%と、20代を除けば若い年代ほど多い。現在の社会保障の受益者である高齢層に比べ、将来の受益者である若年層で反発が大きいという結果だった。
( → 朝日com
 ま、この提案については、「わかっちゃいるけど、納得できない」という感じだろうか。で、私としては、大事なことを二つ指摘しておこう。

 (1) 詭弁
 第一に、詭弁がある。ゴマ化されないようにしよう。
 「増税で社会保障」というのを聞くと、何だか「当然だ」という感じがするが、ここには詭弁がある。なぜか? 
 仮に「1兆円の増税で、1兆円の社会保障増加」ならば、公正である。国民としては、損も得もないので、特に文句を言う筋合いはないだろう。(ま、若い人は損で、高齢者は得だ、という面はあるが。とはいえ、自分は損をしても、親が得をするのならば、親への仕送りが減るから、どっちみち同じことだ。)
 しかし、である。「1兆円の増税で、1兆円の社会保障増加」ではない。「1兆円の増税で、0兆円の社会保障増加」である。つまり、社会保障費は増えない(それどころか減る)。だが、それにもかかわらず増税をするわけだ。……なぜ? 社会保障費はもともと数十兆円の規模になっているから、その莫大な金額のうちの一部(特に赤字の穴埋め分)に、増税の金を使うだけだからだ。
 要するに、現実には「増税だけ」がある。ただし、それをうまく言いくるめて、話をゴマ化しているわけだ。
 論理的に言うなら、「税の増加で、社会保障費の増加」である。しかし現実になされるのは、「税の増加で、社会保障費の維持」である。
 要するに、「税額と、社会保障費額」ならば釣り合うし、「税額の増加と、社会保障費額の増加」でも釣り合うのだが、「税額の増加と、社会保障費額(維持)」ならば釣り合わない。……そこをうまくゴマ化しているわけだ。詭弁。
( ※ 比喩。あなたのボーナスが1万円増えた。その1万円をどうするか? 女房が言う。「あなたはもともと毎月2万円、半年で 12万円ももらっている。その12万円のうちの1万円を埋めるために、この1万円を使うわ。あなたのために使うんだから、文句はないでしょ?」……こうして女房は、浮いた1万円を、自分の小遣いにする。こっそりと。馬鹿な亭主は、どこがどういう詭弁だか、論理がわからない。)
( ※ これを読んで「笑い話だ」と思うなかれ。現実の日本国民は、この詭弁にだまされている。誰も気がつかない。朝日も、この詭弁を「正論だ」と思って、馬鹿げた世論調査を堂々とやっている。どうせなら、インチキ女房の世論調査でもやればいいのだが。)

 (2) 真相
 では、真実は? 
 増税に対応するのは、社会保障費そのものではなくて、社会保障費の増額である。そして、現実には、それはなされずに、単に「赤字の解消」のためだけに使われる。
 すると、正論ふうに言うならば、こうなる。
 「増税をしないのであれば、赤字が出る分、社会保障費を減らす」
 なるほど、正論だ。しかし現実には、そうならない。むしろ、こうなる。
 「赤字を垂れ流して、財政赤字を拡大して、社会保障費を維持する」
 では、その結果は? 
 「もちろん、悪だ。赤字の垂れ流しなんて、けしからん」
 これがまあ、冒頭で述べた政府税調の方針だ。(だから「増税すべし」という結論になる。)
 しかし、である。これは、財務省のような財務屋(帳簿屋)の見解ではあるが、経済学の見解ではない。財務屋ならば、赤字を出さないことが最優先だが、経済学では、赤字を出したり黒字を出したりして、経済を調整することが可能だ。
 では、どうするべきか? 
 まずは、赤字の意味を考えよう。こうなる。
 「財政赤字とは、貨幣量の増加を通じて、物価の上昇を意味する」
 だから、トレードオフの関係は、次の二つだ。
 「増税による損か、物価上昇による損か」
 一般に、インフレ期であれば、「物価上昇が駄目」となるので、「増税によって物価上昇を抑制する」という政策が正しい。過熱した景気を冷やして、経済を正常化するわけだ。
 一方、不況期ではどうか? 「物価上昇を抑制するため」という効果は、必要ない。むしろ、有害だ。となると、「増税」というのは、有益であるどころか、むしろ有害なのである。

 まとめ
 「増税」には、結果は二通りあるとわかる。増税の効果は「物価上昇の抑制」だが、その結果は、インフレ期には好結果をもたらし、不況期には悪しき結果をもたらす。その二通りの違いを理解することが大事だ。(経済学的理解。)
 しかしながら、経済学を理解しないで、帳簿だけで考えると、常に「赤字は駄目」つまり「増税は正しい」となる。その結論は、インフレ期にはうまく正解に一致するが、不況期には正解とは正反対になる。
 経済学を理解しないで、帳簿だけで考えると、経済を破壊する。不況期の今は、「増税によって物価上昇を抑制する」というような政策を、取ってはならないのだ。むしろ、「増税を抑制して、減税を推進して、物価上昇をもたらす」という政策を取るべきなのだ。経済を拡大するために。
 実を言うと、増税も減税も、国民にとっては特に損得はない。(王様などが勝手に無駄遣いをするのでなければ。)増税と減税の意味は、「経済を縮小するか拡大するか」ということだけだ。(いわゆる「タンク法」の発想。)にもかかわらず、人々は、「増税は損、減税は得」というふうに思い込む。ここに、根源的な勘違いがある。経済音痴は、身を滅ぼす。(特に不況期の増税で。)

 [ 付記 ]
 減税をすると、物価の上昇が起こる。ただし、物価の上昇は、今現在において起こるとは限らず、将来において起こることもある。特に、不況期はそうだ。本来ならば、現在の大量の財政赤字によって、物価上昇が起こるはずなのだが、そうはならず、単に財政赤字の垂れ流しが起こっている。
 なぜか? 財政赤字の幅が、多すぎるからではなく、少なすぎるからだ。そのせいで、「現状の悪化を食い止める」という効果はあるにせよ、「現状を好転させる」という効果がないままだ。ここでは、「だったら財政赤字をやめてしまえ」(増税せよ)と思うべきではなく、「だったら財政赤字を倍増してしまえ」(それで一挙に不況を脱せよ)というふうになる。
 このことは、過激に思えるかもしれないが、ただの真実である。
 一般に、医学では、病気の治療において、薬を半減することは、好ましくない。「何も飲まない」というのよりはましだが、「治療する」という効果が損なわれて、いつまでもダラダラと半病人のままとなるからだ。
 たとえば、あなたが結核の患者だとする。ストレプトマイシンを飲むと、結核が治るはずだ。ここで、お金が足りなくて、薬を半減すると、どうなるか? 直りもせず、悪化もせず、いつまでもダラダラと半病人のままだ。すると増税論者は、こう思う。「半分飲んでも効かないのなら、無意味だ。このままダラダラと薬を飲み続けていても、無限に薬代がかかるだけだ。だったら、薬を飲むのを、やめてしまえ。そうすれば、薬代が浮くから、現状よりも良くなる」じゃしかし、そんなことをすれば、病人が死んでしまうだけだ。正しくは、「薬を半減するのをやめて、必要量を飲むこと」である。そうすれば、一挙に病気が治り、その後は薬代は不要になる。
 金をケチると金を無駄にするが、金をケチらなければ金を無駄にしない。これが経済学の理解だ。その知恵のない馬鹿者は、いつまでも無駄に金を捨て続ける。


● ニュースと感想  (11月10日)

 「食品添加物の影響」について。
 漫画の「美味しんぼ」(週刊スピリッツ・2007-11-05 日発売)に、食品添加物の話題が書いてある。
 食品添加物は、国の審査で、安全だとされているが、実はそんなことはない、という話。
 比喩的に言うと、次のようなものかな。
 「青酸カリやヒ素やトリカブトなど、さまざまな毒物を、致死量の1万分の1ずつすくい取って、それを百種類混ぜる。その百種類の複合毒を、毎日、食べさせる。食べる人は、少しずつ衰弱していく」
 ま、怖い女房の亭主殺し。さらに、母親が子供を殺しているようなものですね。

 よくあるが、「弁当をつくるのは面倒だから、コンビニで買いなさい」という母親が多い。しかし、それだと、子供は毎日毎日、毒物を食わされているわけだ。
 で、その結果は? 神経を破壊されて、切れやすい子供になる。……しばしば言われるが、親が子供をないがしろにすると、子供が不良になりがちだ、ということだ。その原因は、案外、こういう食品のせいなのかもしれない。

 結論は?
 「安いものにろくなものはない」ということだそうだ。安くするためには、クズのような食品を使うしかない。しかしそんなものは、食べられてものじゃない。だから食品添加物で、ゴマ化して、味を調え、見かけをきれいにする。
 これは、一種のペテンですね。で、そのペテンに引っかかって、大勢の人々は、毒物を食わされる。その一方、コンビニは大儲け。コンビニの儲け頭は、弁当だという。利益率がとても高い。……ゴミを高値で売っているのだから、当然か。
 まともなものを食べるとしたら、ちゃんと金を払って高い弁当を食べるか、さもなくば、自分で手作りするしかない、ということらしい。
 母親の手作り弁当がベスト、というのが漫画の結論。
 
 で、私が言いたいことは? 
 世の中は擬装にあふれている。建築擬装や、ハムや牛乳だけじゃない。白い恋人や、どこかのまんじゅうみたいなものもそうだが、とにかく、あっちこっちに、擬装があふれている。で、「自分は引っかからないぞ」と思っている人も、コンビニ弁当を買って、引っかかっているわけだ。
 コンビニ弁当なんかいっぺんも食べたことがない、という人は少数派だろう。私もときどき、サンドイッチを買う。あれは大丈夫だったんだろうか? ……怖い。


● ニュースと感想  (11月12日)

 「食品添加物の意義」について。
 前項では、食品添加物ついて述べたが、それについて誤解する人もいるようなので、説明してこう。
 誤解は、次のようなものだ。
 「食品添加物に危険性があるといっても、普通の食品にだって何らかの危険性はある。醤油や塩や酒だって、大量に取れば有害だ。食品添加物ばかりを危険視するのは、おかしい」
 しかしこれは論点がズレている。なぜか? 前項では、次のようには述べていないからだ。
 「あらゆる食品添加物は危険だから、あらゆる食品添加物を一切廃止せよ」
 代わりに、次のように述べている。
 「『食品添加物はまったく安全だから、どんなに大量に摂取してもまったく問題ない』ということはない。不要な食品添加物を大量に摂取することはやめよう。しかしながら、現代では、知らず知らず、そうしてしまっていることが多い。なぜなら、不要な食品添加物が大量に含まれた食品にも、そのことが表示されないからだ」
 このことを、次の二点で説明する。

 (1) 表示
 第一に、「表示するか/表示しないか」という問題がある。酒ならば、「酒です」と表示されているから、飲む人はそれが酒であるとわかっていて、酒を摂取する。その上で、一定限度までは取るとしても、大量に取るようなことはない。
 しかしながら食品添加物では、そうではない。表示されないから、大量に摂取しても、消費者は知らされないことが多い。
 ペテンですね。

 (2) 不要性
 食品添加物といっても、いろいろある。たとえば、腐敗を止めるための薬品ならば、ある程度は有益だろう。最近のパンはほとんど腐らないが、昔のパンは三日ぐらいですぐに腐ってカビだらけになってしまった。こういうふうに腐敗やカビを防止するものは、腐敗やカビの食品を食べるよりはマシだから、有益性がある。……こういうものまで「一切廃止せよ」とは誰も言っていない。
 問題にしているのは、安全性を向上させることなく、単に「味を調えるため」の添加物だ。そして、その目的は? 「まずくて食べられないような粗悪品の味をゴマ化すこと」である。その目的は、「コストの低下」だ。結果として、得られるものは、次の二つだ。
  ・ メーカーの利益の拡大
  ・ 消費者の支払金額の低下
 この意味で、両者に利益がある。では、デメリットは? 
  ・ メーカーには、デメリットは何もない。
  ・ 消費者は、自分の健康を害する。

 比喩的に言おう。悪魔が人に「魔法の薬」を売った。それを飲んだ人は、ものすごく幸福になった。ただし、彼は幸福ではあったが、自分の命を縮めることになった。最終的に、彼の命は失われ、悪魔に奪われた。
 ここでは、人は目先の幸福感を代償として、命を奪われる。その一方、悪魔は何も損をすることがなく、自分の目的を達する。

 これがつまり、企業と消費者の関係だ。そして、その「魔法の薬」が、食品添加物である。この「魔法の薬」は、クズ食品を高級食材に変えるという、魔法の力をもつ。

 で、何が言いたいのか?
 「魔法の薬は危険だから、食品添加物を一切廃止せよ」と言いたいのか? いや、それは、「何でもかんでも危険」というふうに大騒ぎをした、例のデマゴーク本の作者の態度だ。前項では、そういうふうには言っていない。
 前項で言いたいこと(美味しんぼの作者と同じ言い分)は、次のことだ。
 「悪魔が甘い言葉で人をだますときには、悪魔だけを責めても仕方ない。目先の利益を追いたがる消費者にも問題がある。『消費者は神様だ』などと自惚れるべきではない。むしろ、『消費者は自らだまされたがっている』と反省するべきだ。やたらとコスト重視で、安物ばかりを狙って、健康を害する。そういう愚かさを、自分自身で反省するべきだ。他人を責めて『これを禁止せよ』と騒ぐ前に、自分自身で『自分の命を守ろう』とするべきだ。……ただし、そのためには、表示がきちんとしている必要がある。その表示をきちんとすることだけは、正しくなすべきだ」

 要するに、悪魔にだまされて自分の命を売るかどうかは、各人の責任である。だまされて命を売りたい人は、勝手に売ればいい。ただし、自分の命を売るかどうかについて、その判断のよすがとなるための、表示だけは正しくなされているべきだ。
 現実には、そうはなっていない。悪魔はこっそりと秘密を隠して、人の命を奪い放題である。かくて、人々は、「安い、おいしい」と喜びながら、毒まんじゅう(いや、毒弁当か)を食わされ続ける。
 ま、そういうものを食いたい人は、段ボール入りの肉マンとは言わないまでも、ネズミの肉と食品添加物でつくったような、肉マンやハンバーグを食べていればいい。
 なお、私は、人々に「食うな」とは言わない。食いたければ、勝手に食えばいい。ただし、「ネズミの肉と食品添加物でつくってあります」と表示することだけは、最低限、必要だ。(現実には、少なくとも食品添加物については、表示の必要はない。)(ただし、「絶対にない」という完全否定ではなくて、「百%あるとは言えない」という部分否定。)

 [ 付記 ]
 発想の方法としては、次のことに注意。
 「単に有無を考えるのではなくて、可変量の部分を変える」
 たとえば、どんな食品にも有害性はいくらかはあるが、これをなくすことはできないから、普通の食品は「可変量」ではない。「固定量」「定数」と見なして、考察の対象外とする。
 一方、食品添加物は、「可変量」である。つまり、あってもなくてもいい。むしろ、ない方がいい。そして、それは、自由に変更できる。コンビニの安物弁当や、着色たくあんなどを食えば、大量の食品添加物を摂取する。自宅でつくった漬け物ならば、塩ぐらいしか添加されない。食品添加物を「大量」にするか「ゼロ」にするかは、可変的だ。ならば、その可変量を最小限の量にまで減らした方がいい、というのが、前項の趣旨だ。
 ここでは、「あらゆる食品添加物をゼロにせよ」と述べているのではなく、「不要な分の可変量についてだけゼロに近づけるといい」と述べている。
 もちろん、個人の方針だから、強制ではない。命よりも金の方が大切な人は、自由に食品添加物を摂取していい。……ただし、親が子供にそうさせるのは、問題だ。それは親による子殺しのようなものだ。親にはその権利はない。親が子供にコンビニ弁当を買い与えて、平然としているのは、子殺しをして、平然としているようなものだ。……そこで、「表示」の必要性が問題となる。


● ニュースと感想  (11月14日)

 「円高の影響」について。
 円高の影響は、どうか? 新聞を見ると、次のような見解がしばしば見られる。(読売・朝刊・経済面 2007-11-13 )
 「家計は輸入物価の下落で楽になるだろうが、輸出企業は採算性が悪化するので、全体としては、日本経済に悪影響を及ぼすだろう」
 いかにもありふれた見解である。しかしそう語る彼らは、もともとは、こう語っていたはずだ。
 「円安政策を続ければ、輸出企業の採算性が向上する。その影響が家計に流れ込んで、景気は回復するだろう」
 では、本当にそうなったか? 否。トヨタもキヤノンもボロ儲けをしたが、儲けは企業に溜まるばかりで、労働者には還元されなかった。企業の収益性は、ここ数年、劇的に向上したが、労働者の賃金水準は、低下するばかりである。
 たとえば、速報によると、実質成長率は若干の向上だが、労働者の賃金水準は若干の低下である。( 2007-11-13 の夕刊)
 要するに、次のシナリオは成立しない。
 「円安 → 企業業績の向上 → 労働者の賃金向上 → 景気回復」
 これが嘘であると判明しているのにもかかわらず、こういう嘘を信じて、次のように結論するわけだ。
 「円高だから、景気は悪化する」
 エコノミストがいかに嘘つきぞろいであるか、という見本。

 では、正しくは? 
 「輸出企業は採算性が悪化するが、輸入企業は採算性が向上するので、トータルでは企業業績はたいして変わらない」
 「家計は、輸入物価の下落の影響があるので、助かる」

 たとえば、石油や小麦の値上げは相当相殺されるので、この冬に予定されていたさまざまな値上げ(ラーメンなど)は、大幅に減じるかもしれない。ガソリン代も安くなりそうだ。
 では、企業は? 企業にとって大事なのは、円安かどうかよりは、内需が拡大するかどうかだ。もともと日本経済における外需の占める割合はあまり大きくない。外需ばかりに頼って「景気回復」のシナリオを立てること自体が、根本的に狂っている。
 比喩的に言うと、個人の給料が大幅に減じているときに、残業手当や家族手当の増額ばかりを狙っても、本体の下落を埋めることはできない。あるいは、企業にしてみれば、本業の業績が悪化しているときに、副業にせっせと励んでも、たいしたことにはならない。
 景気回復の本体は、内需の拡大である。それを放置して、外需頼みの方策を取っても、基本的には方針が狂っているのだ。

 まとめ。
 現状は、「外需による景気回復」というシナリオにしたがって、異常な低金利や異常な円安の政策が取られている。しかしそれは誤った政策だ。
 だから、円安を是正して、円高に持ち込むのは、正しいことである。
 一方、景気対策としては、「円高で景気回復」という姑息な(?)方針を取るよりは、「内需拡大で景気回復」という王道を取るべきだ。
 したがって、「円高で景気悪化」なんていう心配をするのは、見当違いである。円高は円高、景気は景気。別のこととして、最適の方針を取ればいい。景気対策のために円のレートを異常に動かすというのは、邪道である。
 ゆえに、円高で「これで景気が悪化する」と騒ぐことはない。実際に景気が悪化するかもしれないが、それは、円高のせいではなくて、政府の無為無策のせいである。責任転化をするべきではあるまい。

 [ 付記 ]
 円高については、少し前にも述べたことがある。そちらを参照。
   → 11月02日
 その項目の趣旨を言えば、こうだ。
 「企業は、収益の改善を国民に回すべきだ。しかし、そうなっていない。そのせいで、輸入物価の上昇が、国民生活を直撃する。そのせいで、景気も悪化しそうだ」
 しかし本日の時点では、こう言える。
 「サブプライムローンの影響のせいで、米国の株価が暴落し、そのせいで、米国ドルの低下が起こり、円高が起こった。おかげで、輸入物価が公民生活を直撃する、という効果が減じた。おかげで、国民生活は助かる。だから、景気の悪化も、いくらか免れそうだ」
 単純に言えば、「スタグフレーションという最悪の事態を免れることができる」ということだ。
 ただし、お馬鹿なエコノミストは、それを理解できない。企業の収益性のことばかりを考えて、国民の財布が直撃される、ということを理解できない。現実には、原油価格の上昇などがあれば、国民の財布は小さくなるわけだから、自動車などはどんどん売れなくなるはずなのだが、そういうことは理解できないで、「輸出に不利だ」というふうにだけ考える。
 古典派経済学者には、マクロ経済学の発想が欠けている。では、マクロ経済学の発想とは? 「国民所得の影響」である。国民所得が減少すれば、内需もまた減少する。……しかし、古典派経済学者は、そのことを理解できないのだ。なぜか? 「国民所得は一定であると仮定する」からだ。
 ははは。冗談みたいだが、ホント。
 「まず、神様は存在すると仮定しよう。すると……」
 というような論理である。数学で言えば、
 「 0=1 であると仮定しよう。すると……」
 というようなものだ。


● ニュースと感想  (11月15日)

 「中国の情報規制」について。
 中国が五輪前のイメージアップのため、都合の悪い情報について報道規制することにしたという。
 北京五輪イメージ守れ、と中国が報道規制
 13日付の香港の英字紙サウスチャイナ・モーニングポストは、複数の中国メディア関係者の話として、メディア規制を担当する共産党中央宣伝部が先週、国内メディアに対し、来夏の北京五輪のイメージ悪化につながる報道を禁止する通達を出した、と報じた。
 同紙によると、通達は、中国の大気汚染や食の安全問題など4項目を「好ましくない報道」と指摘。国内メディアに対し、これらについて肯定的な報道を行うよう指示しているという。
( → 2007年11月13日 読売新聞
 ひどいものだ、と思ったが、似た話を聞いたことがあるぞ。そうそう、日本自体が、そうでした。数日前の項目を参照。「食品添加物を入れても表示しないでゴマ化しているのはけしからん」……と書いたばかり。
 しかるに、けっこう頭のまともな人でさえ、「食品添加物は安全です。いくら食べても安全です」と言い張る始末。( nandoブログのコメント欄 )
 中国人も日本人も、同じ発想をするようだ。だから日本や中国ばかりが、やたらと大量の添加物を使っている。欧米ではそんなことはないんですけどね。
 ま、「食品添加物は安全だ」と思う人は、「made in 中国」の食品を食べればいい。食品添加物がたっぷり入っているらしいから。もちろん、農薬も。……こういうのは、今ではほとんど売れなくなって、スーパーでも中国製の食品は激減してきたのだが、「どうせ安心だし、中国製のは安いからいいさ」と思って、毒まんじゅうみたいなのを食べる人も多いようだ。
 ま、「やめろ」とは言いませんがね。報道規制・表示規制された状況で、自分だけが「安全だ」と思っても、その妄想が真実である保証はない。自分の主張に、命を賭けるかどうか。……ご自由にどうぞ。


● ニュースと感想  (11月15日b)

  省エネ技術がいろいろとあるが、これと太陽熱利用の話を関連させて述べる。
  → Open ブログ 「省エネと太陽熱」


● ニュースと感想  (11月16日)

 「中毒学」について。
 食品添加物についての話題。
 毒物の毒性を見るための指標として、「最大無作用量」という概念がある。これは、何か? 
 一般に、「動物実験で毒性が見られる量」というのを見る。特に、「一日に一定量を取り続ける」という場合で見る。そして、毒性が表れるギリギリの量を「最大無作用量」と見なして、そのの百分の1ないし千分の1という安全係数をとって、「安全な量」と見なす。
 で、多くの人は、「安全な量だから安全だ」と思い込むわけだ。しかし、ここには誤認がある。

 「最大無作用量」というのは、「毒性のあるギリギリの量」ではない。「毒性が目に見えて表れるギリギリの量」だ。たとえば、ギリギリでは、下痢・嘔吐・貧血・皮膚障害などの症状がある。そういう中毒症状が現れる。
 では、ギリギリ以下の量では、毒性は全くないのか? 違う。「毒性が目に見えるほどではない」ということだ。
 たとえば、ヒ素だと、5〜50mgで中毒症状をおこす。致死量は5〜7mg/kg である。では、5mg 未満ならば中毒症状を起こさないから安全か、と言えば、そうは言えないだろう。もちろん、その百分の1ならば絶対に安全だ、とも言えないだろう。たとえ目に見える中毒症状はなくても、何らかの問題が起こっているはずだ。
 一般に、生体は、かなり丈夫である。部分的に細胞が損傷しても、生体自体は不具合を隠す。やがて、細胞の損傷が非常に多大になると、生体自体の不具合がはっきりと現れる。たとえば、器官の全細胞の1%ぐらいの損傷では、問題が隠蔽される。そのせいで中毒症状は現れない。やがて、器官の全細胞の10%ぐらいが損傷すると、中毒症状が現れる。ここで、全細胞の1%ぐらいの損傷がある場合、症状は露見しなくても、たしかに損傷は起こっているのだ。それは決して「安全だ」ということを意味しない。
 要するに、今のたいていの中毒実験は、細胞レベルや遺伝子レベルの実験をせずに、生体レベルの実験をするだけだから、毒物の危険性がかなり隠蔽されているわけだ。
 で、その結果は? 目に見えない問題が潜在することになる。人はやたらと目に見えることばかりに注目するが、目に見えない問題だってあるのだ。
 たとえば、近年、男性の精子の量が減少しているとか、不妊の夫婦が増えているとか、そういう問題がある。ここには、何らかの有害な人造物質の影響が考えられる。というのは、精子をつくる機能(造精機能)というのは、比較的損傷を受けやすいからだ。(……とはいっても動物実験では、造精機能のチェックまでしているとは思えませんがね。)
 また、少し前にも述べたが、「子供がキレやすくなる」という神経面での影響も、比較的 露見しにくい。(たとえば、アルツハイマー病を起こさせる物質があったとして、その悪影響は、動物実験では見過ごされるだろう。)
 
 とにかく、タミフルの場合でもそうだが、研究者というものは、自分の研究しやすい研究だけをして、それで「真実を見極めた」と思いがちだ。たとえば、「実験ではタミフルの有害な効果は見出されなかったから、タミフルは有害ではない。人間の脳には影響しない」というふうに結論しがちだ。彼らは決して、「自分の実験が貧弱だった」とは思わない。自分の実験を絶対視するがゆえに。……自惚れゆえに。自然の前で頭を垂れる謙虚さが不足するがゆえに。
 ま、生まれたときから、頭に毒が回っているようなものである。だから毒のような薬の影響を平然と見逃して、平気でいられるわけだ。
 さらには、あろうことか、「大丈夫だ、大丈夫だ」と言い張って、他人に毒物を食わせようとするわけだ。チッソ擁護の大臣みたいに。
 ( ※ そう言えば、水俣病でも、猫が狂ったという神経毒が露見しても、「猫が死んだわけじゃない」とか、「猫が下痢をしたわけじゃない」とか、そういうふうに言い張って、「生命への影響は皆無である」と言い張った研究者がいた。いやですねえ。……ま、今でもそうだが。)

 なお、誤解を避けるために、少し注釈しておこう。
 ヒ素を減らすべきだと言っても、ヒ素はもともと自然界に微量に含まれるから、ヒ素の含有量をゼロにするというのはちょっと無理だ。(たとえば、水道水の基準値は 0.01mg/L だ。)自然界にある量を、あえて徹底的に排除しようとしても、コストがべらぼうになるので、そこまで求めるのは酷だろう。
 しかし、である。だからといって、あえてヒ素を添加する必要はないはずだ。特に、ヒ素によって「保存性がよくなる」というような長所があるのならともかく、売り手にとって「クズ野菜の見映えがよくなって、味がよくなって、値段を高くして売りつけることができる」というような、詐欺的な商魂のためであれば。

 結論。
 以上のことから、次の三つのことをポイントとして述べておこう。
 第一に、「研究者の実験は正しい」というふうに、実験を絶対視してはいけない、ということ。(前述の通り。)
 第二に、何事であれ、定量的に見ることが大事だ。「添加物を使うか否か」というような、「イエス/ノー」の二者択一で考えるべきではない。「添加物を廃止するのは無理だから、ノーではない。ゆえに、イエスだ。したがって、野放図に使ってもよい」と思うのは、早計である。論理になっていない。
 第三に、「可変量か固定量か」という問題がある。この件は、先にも述べたとおり。自然界のヒ素の量は、固定量だから、制御不能であり、論議しない。しかし、人間があえて添加するヒ素であれば、それは制御可能な量であり、可変量だから、そんなヒ素はなるべくゼロにするべきなのだ。

 [ 付記1 ]
 大リーグの松井秀喜やイチローは、しばしば「自分には制御できないことで思い悩まない」と言う。「自分で制御できることについては努力するが、自分で制御できないことについては思い悩まない」というわけだ。
 こういう態度を、一般人もまた取るべきだ。自然食品に含まれるヒ素の量を考えても仕方ない。しかし、弁当に含まれるヒ素の量ならば、あえて「ヒ素入り」弁当を食べるよりは、「ヒ素なし」弁当の方を食べるべきなのだ。選択が可能なのだから。
 とはいえ、現実には、その選択が困難になっている。「ヒ素入り」というような表示の義務がないからだ。ここに問題がある。……そのことを、私や「美味しんぼ」は指摘している。ここでは、問題は、あくまで個人の方針の問題だ。
 ただ、個人の方針が制限されるように、情報操作がなされている。そういう問題が、現代の日本にはある。
 ま、そういう情報操作の話を理解しないで、「自然食品にもヒ素は入っているぞ」というふうに、トンチンカンな話をする人もいるが。

( ※ なお、以上では「ヒ素」というのは、あくまでも比喩である。現実には、面倒くさい化学物質の名前となる。「ジエチルオキシクロモヘキサゴン酸ナトリウム」とか何とかいうふうな。ま、一応、そういうふうに考えてほしい。)

 [ 付記2 ]
 とんちんかんな解釈をする人だと、次のように考えるだろう。
 「健康に影響がなければ、食品添加物は自由に許容されるべきだ。そんなの勝手だろう? 健康に悪いことでなければ、自由にするのが自由主義経済だ」
 これは、「こいつは危険だ、こいつは危険だ、大変だあ、オオカミが来るぞ」というふうに、やたらと危険をがなりたてるオオカミ少年を、批判する意見である。
 しかし、私( or 美味しんぼ)の趣旨は、そういうプロパガンダ(オオカミ少年)ではない。むしろ、次のことだ。
 「食には、擬装がある。その擬装は詐欺と同じである。そういう詐欺的な行為を許すべきではない」
 たとえば、豚肉コロッケを「牛肉コロッケ」と称したり、ただの鶏肉を「比内鶏」と称したり、賞味期限切れのまんじゅうや菓子や牛乳を販売したり、……という手合いがいる。こういうのは、別に、人命を損なうわけではない。健康には何ら影響がない。……で、それをもって、「健康には影響がないから、いくらでも自由に表示させていい」と思う人もいる。しかし、そんな詐欺的な欺瞞は、許容するべきではないのだ。
 一般に、食では、擬装が容易である。その代表が、食品添加物だ。食品添加物というのは、擬装のためにある、と見なしていいだろう。
 だからこそ、「そういう擬装にだまされないようにしよう」と、本欄などでは指摘する。ところが、それを故意に読み替えて、「健康には影響がないから、食品の擬装は正しいことである」というふうに言いくるめる詭弁家もいる。……でもって、例によって、私が口をすっぱくして、「だまされないようにしよう」と繰り返すわけだ。

 結論。
 この世はすべて、ペテンと幻想である。ライブドアしかり、牛肉コロッケしかり。でもって、時たま「だまされないようにしよう」と警鐘を鳴らす人が出るが、それに対しては、見当違いな根拠から、「あいつはトンデモだ」というような批判をする人が多い。……かくてこの世は、ペテン師がまかり通る。
 「ペテン師は人を殺していない。ゆえに、ペテン師は正義の善人である」
 というような、トンチンカンな理由によって。

 [ 余談 ]
 食品添加物によっていかに上手にペテンができるか、ということは、美味しんぼに書いてある。まるでペテンの教科書だ。……毒物の教科書ではないので、念のため。あくまで、詐欺の教科書である。
 逆に言えば、この方法を取れば、あなたもまた上手に、ペテン師になれる。もしもあなたが食堂を経営するのであれば、こういう手練手管を用いれば、客をうまくだまして、ボロ儲けができる。ネズミの肉や、腐った肉や、小便の引っかかった肉や、客の食い残しなどを使って、そこに食品添加物をかけて、「本日の特売品」と称して、安く売ればいい。客は喜んでゴミを食う。客もあなたも、大喜び。
 でもって、こういう危機的な食の状況に対して、警鐘を鳴らす人もいるのだが、世間では誰も耳を傾けない。
 だから、あなたが悪魔のように卑劣な心をもつのであれば、食品添加物によって儲ければいい。それで健康を害するのは、あなたではなくて、世間の人々だ。世間の人々がどうなろうと、知ったことではあるまい。
 で、そう思っている悪魔のような連中が多いから、世の中にはペテン食品が山のように出回る。そしてまた、万一発覚しても、たいていは「警告書一枚」で済まされるものだ。だから、バレるまでは、平気でゴミを食わせていても大丈夫だ。
 げげげ。……となると、身を守る方法は、たった一つしかあるまい。 (信用できないものは、一切食わないことだ。)

  【 追記 】
 問題を平易に示すために、例示的に述べよう。
 ここに、硫酸銅の結晶がある。これを大量に飲めば死んでしまう、とわかっている。ただし、この溶液は色がきれいなので、見た目はおいしそうなジュースに見える。では、これを飲むべきか否か? 動物実験の結果では、小量を飲む限りは問題ない、とわかっている。ただし、動物実験がどの程度まで正確であるかは、国の基準で保証されているだけだ。(私は「そんなものは信頼できない」と述べているが、「国のやることはすべて正しい」と述べている人もいる。)
 で、あなたはどうするか? 硫酸銅の溶液を毎日毎日、少しずつ飲む気があるか?
 私としては、次のように主張する。
 「飲むかどうかは、各人の勝手である。『色がきれいだから飲みたい』と思う人がいるのであれば、勝手に飲むがいい。それで健康を損ねるとしても、自業自得であり、私の知ったこっちゃない」
 ま、ここまでは、ありふれた結論だ。大事なのは、次のことだ。
 「自分自身が飲むのは構わないが、自分の子供に強制的に飲ませるのは、やめるべきだ」
 「硫酸銅をナスの着色料に使って、ゴミのようなクズ野菜をおいしく見せかけて、弁当に入れておいて、そのこと(硫酸銅を含むこと)を明示しないで、勝手に消費者に食わせるような食品は、強制的に食わせるのと同じことであり、許容されるべきではない。それは詐欺と同じだ」
 以上が、私の主張だ。一方、次のことは、私の主張ではない。
 「硫酸銅は絶対的な有害物である。それをほんの小量でも飲めば、たちまち死んでしまう。自然界には硫酸も銅も含まれていない。だから、自然食品を食べている限りは、まったく安全である。人工の食品だけが有害だ」
 こんなことは述べていない。勘違いしないように。……こういうふうに勘違いのエセ論理の批判をして、硫酸銅を飲ませて、ボロ儲けをしよう、と企んでいる連中もいるが。

 [ 補記 ]
 「添加物」というと、ごく小量だけ添加されているように思えるかもしれないが、そうとは限らない。大量に添加されていることもある。特に、味の調整のための添加物は、大量になることが多い。
 代表的なのは、次の二点。
  ・ 大量の酸と糖分。(甘酸っぱい食品に多い。ジュースが代表。)
  ・ 大量のリン酸。
 このどちらも健康に有害であることがわかっている。
 大量の糖分は成人病などの元凶だ。塩分も同時に含まれることも多く、塩分の悪影響もある。
 リン酸は骨の成分を溶かしてしまうので、老人には骨粗鬆症の原因だし、子供には成長の阻害物となる。にもかかわらず、「味の調整のために必要だ」ということで、大量に添加されている。( → 紹介サイト
 ここで、注意。これらのもの(酸・糖分・リン酸)は、毒物ではない。「これらを飲むと死んでしまう」というようなことはない。むしろ、人間にとって必要な成分だ、と言えそうだ。とはいえ、これらを味の調整のために非常に大量に摂取すれば、健康には有害なのだ。
 にもかかわらず、現状は、それが許容されている。たとえば、(非果汁の合成の)ジュースを飲めば、知らず知らず、大量のリン酸を取ってしまう。
 だからこそ、「こういう添加物だらけの食品を取らないようにしよう」という心がけが必要なのだ。
( ※ その一方で、「毒じゃないから大丈夫」と大量に摂取する人もいる。すでに脳が溶けてしまっているのだろう。)


● ニュースと感想  (11月17日+)

  【 追記 】
 今度は「船場吉兆」の擬装が話題になった。「まったく、次から次へと、よく出るものだ」と思う人も多いだろう。だが、これは偶然ではない。起こるべくして起こったことなのだ。なぜ? 
 この件は何度も述べたとおり。日本中がすべて擬装だらけなのである。あらゆる食品産業において、擬装は放置されている。というのも、罰則がないから、やり放題なのだ。
 そのメチャクチャさの加減は、「警察が摘発する」ということからもわかる。食品の表示を警察が摘発する? 冗談じゃない。そんなことは警察がやることじゃない。企業の本来の業務が詐欺的であるとするならば、その企業を担当するための政府部門(今回ならば農水省や厚労省)がやるべきなのだ。そのために、これらの政府部門はあるのだから。
 で、これらの政府部門は何をしているかというと、もちろん、食品擬装のチェックなどをしている。しかしながら、法律上、取り締まりの権限がまったくない。調査することもできるし、悪を露見させることもできるのだが、悪を露見させても、やめさせる権限がない。(現状では、警告を三度重ねないと、処罰できない。処罰も、刑事罰ではなくて、軽い行政罰だけ。)
 要するに、日本の取り締まり体制が、「擬装のやり放題」を認めるようになっている。そこにこそ、根源がある。
 そしてまた、この擬装は、特定の悪徳業者だけがやっているわけではない。ほとんどの食製品で、「添加物による擬装」がなされている。このことを何度も指摘したわけだ。
 ま、たいていの人は、「ブロイラーを比内鶏と称するのはけしからん」「ただの牛肉を但馬牛と称するのはけしからん」と思いながらも、「自分はそんなに高いものを買わないから、そんなの関係ねー」と思っているだろうが、あにはからんや、そんなの関係あるのだ。毎日食べているような食品(コンビニ弁当や即席食品など)にも、たっぷりと添加物が含まれて、人間の健康を損ねる。さらには、キレやすくなったりする。
 してみると、2ちゃんねらーやオタクが、コンビニ弁当や即席食品などを大量に食べたあげく、キレやすくなるのは、当然なのかもしれない。(……あ、また書いちゃった。どうも、一言多くて済みません。)

( ※ 「比内鶏や但馬牛の擬装がなぜ可能なのか? なぜバレないのか?」と思う人もいるだろう。実は、そこでは味の調整のために、添加物が使われているからだ。添加物こそは、擬装の主役なのである。……人々は「名前を偽っている」と思うだけだろうが、名前を変えるだけならばすぐにバレる。バレないのは、味も変えているからだ。そして、味を変えるために、添加物が使われる。……こういう関係がある。擬装と添加物の、切っても切れない関係が。このことを、はっきりと理解しておこう。)


● ニュースと感想  (11月17日)

 「混合診療」について。
 混合診療を解禁するべきか否か、ということが話題になっている。一律禁止することが違法だ、という判決が出たあとで。
 混合診療とは何かは、ここでは記さないので、わからなければ Wikipediaなどで調べてほしい。
 その是非の論についても、上記リンクにあるので、そちらを読んでほしい。賛否両論があることがわかる。
 特に重要なのは次の二点だ。

 【 賛成 】
 癌などの生死に関わり時間が限られている病気では、保険適用外の有望な治療法があっても、保険適用までの時間を待てないことが多い。(ゆえに、解禁するべき。)

 【 反対論 】
 患者の立場から、どの治療法が有効か判断するのは困難である。(ゆえに、解禁するべきでない。)

 以下で述べることは、この賛否両論を踏まえているので、あらかじめ、そちらを読んで理解してほしい。

 私の見解を言おう。次の通り。
 この賛否両論は、どちらも妥当である。たがいに矛盾しない。だから、その双方を生かす策を取ればよい。具体的には、次の通り。
 「効用が厳密に確認されていなくても、効用がおおまかに推定されて、しかも、特に害悪がないと認められるものについては、許可制の下で許可する」

 ポイントは、次の4点。
 (1) 禁止せず
 あえて推進する(保険でまかなう)ことはしないが、禁止しない。現状のように、「一律禁止」というふうに、強引に禁止しない。

 (2) 許可制
 禁止しないが、野放しにもしない。許可を必要とする。怪しげな民間療法は、許可申請のあとではねつけられる。一方、効用が未確認だが、有効らしいのは、はっきりと確認されなくても、一応、許可する。

 (3) 表示
 効用が未確認であるものは、どの程度まで効用が確認されているかを、明白に表示させる。そのことを、許可の条件とする。怪しげな表示をするものは、「詐欺」と見なされて、許可を取り消される。

 (4) 自己負担
 効用が未確認であるものは、国庫の負担とはせず、患者の自己負担とする。つまり、自由診療だ。その狙いは、国庫負担の減少である。あくまで金の問題だ。健康の問題ではない。
 
 [ 付記1 ]
 上記で4点を説明した。そこで大事なのは、次のことだ。
 「金の問題と、健康の問題とを、混同しない」
 現状では、この問題を混同している。やたらと許可しないのは、何のためであるのか? 健康に有害であるからか? 国の金を節約するためか? 患者の金を節約するためか?
 現状では、これらが混同されている。そのせいで、「患者の金を節約させるために、自由診療を禁止して、患者の命を奪えばいい」という結論(混合診療の禁止)が出る。
 なるほど、そうすれば、たしかに患者の金は救われるが、しかし患者の命は救われない。命がなくなったあとで、金だけが残っても、何の意味もあるまい。……そういう論理的な倒錯がある。
 だから、以上の提案のようにすればいいのだ。この4点が何を意味するかを、じっくり考えてほしい。いちいち解説しないので。

( ※ 念のために言うと、本サイトの趣旨は「こうしろ」と押しつけることではなくて、提案をして、読者に考えてもらうためである。読者に対して、「考えるヒント」または「考える土台」を与えることだ。……「その提案にはこういう些細な難点がある」というふうな、重箱の隅ふうの揚げ足取りをしないでほしい。いちいち難癖をつける暇があったら、自分の頭で改善策を提案してほしい。とにかく、「自分の頭で考えること」こそ、本サイトがかねて推奨していることだ。)

 [ 付記2 ]
 論点とは別に、発想に勘違いがあることを、一つ指摘しておこう。
 「混合診療が認められると、金持ちばかりが先端治療を受けられるので、不公平だ。」(だから健保だけにするべきだ。)
 これは理屈になっていない。
 (1) 「幸福な人と不幸な人がいるのは不公平だから、全部不幸にしてしまえ」というのは、メチャクチャである。「ともに貧しくなる」という共産主義の発想。はっきり言えば、気違い。
 (2) 現状では、「すべて自由診療にすることのできる富裕層だけが、自由診療を享受する」というふうになっている。「全員が公平」(誰もが健保だけ)ということはない。「ともに貧しくなる」ということは成立していない。

 というわけで、現状を正しく認識することが大事だ。現状は決して「公平」ではない。


● ニュースと感想  (11月18日+)

 前日分の最後に、追加分を加筆しておいた。( 船場吉兆の話。…… 前日に追加したので、すでに読んだかも。)
  → 【 追記 】の箇所


● ニュースと感想  (11月18日)

 「産科システムの崩壊」について。
 日本の産科(出産医療)体制がひどいことは、かねて知られてきたし、本サイトでもかねて指摘してきた。おおむね、次の二点。
  ・ もともと産科医が少なくて、産科は激務である。
  ・ 警察が医療過誤を摘発するので、産科医がますます減る。
 このうち、後者は、状況をいっそう悪化させる副次的要因であり、前者が主因だ。このうち、前者の方を重視するといいだろう。

 一方、別の問題が生じていることが、新たに報道された。
 助産所2割が嘱託先決まらず廃業の危機
 助産師が扱うお産の安全性を高めようと、助産所に対し、緊急時の妊婦の搬送先となる「嘱託医療機関」の確保が来年4月から完全に義務付けられるが、全国の助産所の約2割は嘱託先がいまだに決まっていないことが日本助産師会の調査でわかった。
 産科医不足にあえぐ病院などの医療機関側が、妊婦受け入れの余裕がないとして嘱託の申し出を断るケースが相次いでいるためだ。同会では「このままでは、休・廃業を余儀なくされる助産所が続出する」と危機感を強めている。
 今春施行された改正医療法では、来年4月からは、産科・産婦人科及び小児科を診療科目に持ち、入院施設もある医療機関への嘱託が決まらないと、お産を扱えないようにした。
 しかし、同会が先月実施した調査では、所属する全国263の有床助産所のうち、嘱託医療機関が決まっていないのは52か所(19・8%)に上った。
 日本産婦人科医会は当初、「(産婦人科医は)心身ともに疲労しているところに、さらなる負担を強いられる」として、嘱託の受け入れに消極的な姿勢を示していた。
( → 読売新聞・夕刊・1面 2007-11-17 )
 いかにも馬鹿丸出しという感じである。では、問題の根源は、どこにあるのか? 
 それは、経済学の用語を理解すると、はっきりする。すなわち、「合成の誤謬」である。各人がそれぞれ最適をめざすせいで、全体状況が悪化するのだ。つまり、良いことをなそうとすればするほど、状況が悪化するのだ。
  ・ 助産所については、「嘱託医療機関との連携で質の向上を狙う」という方針を取った。
  ・ 嘱託医療機関の方は、「いっぱい引き受けると破綻するから拒否する」という方針を取った。

 つまり、助産所も、嘱託医療機関も、ともにそれぞれ最適のことをなしている。しかるに、そのせいで、全体状況が悪化するのだ。……まさしく、「合成の誤謬」である。

 では、それを解決するには? もちろん、マクロ経済学と同様の発想をなせばよい。すなわち、「全体を調整する」という発想だ。個別の最適化をめざすのではなくて、全体を最適化する。
 そのことは、本件では、次のことを意味する。
 「助産所や嘱託医療機関を個別に最適化するのではなく、出産医療システム全体を最適化する」
 ここでは全国的なシステムを調整する、というマクロ的な発想が必要だ。その上で、次のようにする。
 「助産所や嘱託医療機関の連携を整備する」
 現状では、嘱託医療機関は、一方的に患者を受け入れることになるから、嘱託医療機関は嫌がる。しかし、「嘱託医療機関から助産所へ」という流れをつくれば、問題は解決する。すなわち、「重症の産婦は嘱託医療機関へ、健康な産婦は助産所へ」というふうに。しかも、それぞれの連携を、きわめて緊密にする。できれば、同じ建物内にあることが好ましい。
 こうして、正解がわかる。そして、そのためには、経済学の発想が必要となる。

 実を言うと、最初に述べた点にも、経済学の原理が適用される。
 「もともと産科医が少なくて、産科は激務である。→ そのせいで、ますます三回が減る」
 これは、マクロ経済学における「スパイラル」の構造だ。悪循環といってもいい。状況が悪いから、さらに状況が悪化する。
 こういうときには、どうすればいいか? 個別に産科医を増やすための措置を取ればいいか? たとえば、「産科医になった医者はたくさんのお金を上げます」と。
 現状では、そういう個別の政策が取られている。しかし、そのような政策は、有効ではない。不況期に個別の小さな政策が有効ではないのと同様である。いくら「IT振興の補助金」などを出しても、不況解決には効果がないが、それと同様だ。
 国家規模のスパイラルを解決するには、個別に小さな政策を出せばいいのではなく、スパイラルを一挙に逆転させるだけの大規模な政策が必要だ。要するに、「素越すずつ補助金を出す」というようなしみったれた政策では、焼け石に水であるから、大量の水を一挙に浴びせかければいいのだ。その方針の一つが、助産所の整備だ。
 このようなさまざまな政策を、一挙に大量に行なうこと。そのことのみが、産科医療の崩壊を解決する。一つまた一つとしみったれた政策を小出しにするのでは、絶対に駄目なのだ。

 結語。
 日本の出産医療体制は、崩壊寸前である。それは国家を揺るがすような、大規模な問題だ。この問題を解決するには、国家的な大規模な政策出動が必要である。
 それが是非とも必要だ。さもなくば、日本は崩壊しかねない。下手をすると、大量の子供が死亡したり、妊婦が死亡したりする。さらには後遺症を残す新生児も出るかもしれない。
 にもかかわらず、政府は、そのことをやっていない。

 [ 余談 ]
 では、政府は、何をやっているか? 最優先でやっているのは、自衛艦による給油である。これを国家の最優先の課題としている。
 呆れたものだ。国家が崩壊するかどうかという瀬戸際に、石油の無料サービスという無料ガソリンスタンドの整備にばかり熱中している。どうせなら「石油の無料サービス券」でも配布すれば、それで片付く問題なのだ。(つまり、民間業者にやらせて、そのツケだけを支払う。)……しかるに、そんなことばかりに熱中して、国家の崩壊を放置する。
 気違いと呼ぶべきか、阿呆と呼ぶべきか。精神症的。そう言えば、国会では、「記憶にありません」という健忘症の症例ばかりが話題になる。


● ニュースと感想  (11月19日)

 朝日のIT記事はわけがわからん、という話。(朝日批判)
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● ニュースと感想  (11月19日b)

 「産科医の不足」について。
 前日分では、「産科システムの崩壊」という話題で、システム全体の話題を述べた。そこでは、一つだけ言及していなかったことがあった。次のことだ。
  ・ 警察が医療過誤を摘発するので、産科医がますます減る。
 これは、「副次的な要因」と見なして、特に言及しなかった。本項では、これについて言及する。

 この問題は、医療システム全体からすれば小さな問題だが、長期的には非常に大きな問題となる。なぜかというと、このことは、「新たな産科医の誕生が減る」ということを意味するからだ。
 「新たな産科医の誕生が減る」ということは、現時点では、あまり大きな影響をもたらさない。過去の産科医がたくさんいるからだ。しかるに、「新たな産科医の誕生が減る」ということが長年にわたって続くと、長期的には産科医が激減する。

 このことを示したデータがある。読売新聞地方版(神奈川版・朝刊 2007-11-18 )による記事。
 「横浜市立大の医学部生のうち、産科医を第一志望とする学生は、たったの4%だけ。嫌われる要因は、勤務実態がハードなことと、訴訟リスクが高いこと。産科医志望に変えるための条件として、『絶対に刑事責任に問われないこと』を挙げた学生が 26% いる。」
 一番の理由は、「仕事がハードであること」なのだろう。ま、わかる。労働者としてみれば、睡眠時間が4〜5時間ぐらいしかないような生活を続けていては、自分が死んでしまうから、そんな生活は、いくら金を積まれてもお断り、ということだろう。その上、たとえ生きていても、監獄送りになるのでは、踏んだり蹴ったりだ。

 さて。このうち、「激務」という点については、前日分で言及した。こちらは主たる要因である。
 次いで、「訴訟リスク」(刑事訴追)がある。こちらは副次的な要因である。では、これを解決するには、どうすればいいか? 

 もちろん、警察が摘発しなければいいのだが、それには、どうすればいいか? 立法措置を取るべきか? そんな悠長なことを言っていると、長年にわたって放置されることになる。
 私は、次のことを提案する。
 県知事が声明する。「本件では、産科医が刑事訴追されることは、絶対にありません」と。その裏付けとして、「もし産科医が刑事訴追された場合には、私が辞任します。また、賠償金や慰謝料などを、私が個人的に支払います」と。
 ま、現実には、県知事が辞任することはない。県知事が県内の警察や検察に指示を出して、訴追を停止させるからだ。というか、訴追をしないように、あらかじめ指示するからだ。ただ、それでも、間違って訴追してしまうことがあるかもしれない。そして、そのときの担保として、「そうなったら私が辞任します」と声明しておけばいいのだ。大々的に声明して、記者会見をして、広く産科医の窓口でPRしておけばいいのだ。
 これで解決する。仮に、どこかの県知事がそのような声明をしたならば、たいていの産科はその県知事を信頼するだろう。そして、他の県で勤務することをやめて、その県で勤務するようになるだろう。
 こうして、その県内に限っては、産科医不足の問題は、大幅に緩和される。各県がこぞって同様のことをすれば、ま、それはそれでいい。そのあとは、いよいよ、医療システムの改善に本腰を挙げればいい。
 ともあれ、「訴追しない」という県知事声明があればいい。そして、そのことは、単に言葉が一つだけあれば足りる。予算は一円も必要ない。言葉一つで、人間の生命が大幅に救われるのだ。
 そして、そのことをなすために必要なのは、「知恵」と「勇気」である。……とはいえ、それこそが、政治家には最も欠けているものなのだが。






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「泉の波立ち」
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