[付録] ニュースと感想 (122)

[ 2007.9.16 〜 2007.10.19 ]   

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● ニュースと感想  (9月16日)

 「サブプライムローンとマネタリズム」について。
 米国の景気は、サブプライムローン問題による悪化が起こっている。これについて読売新聞で竹森俊平が解説している。(読売・朝刊・1面 2007-09-10 )
 サブプライムローン問題は、よく知られたとおり、低所得者向けの債権を優良債券と見せかけてきたのが発覚したことだ。その手口は、次の二通り。
  ・ 当初は金利を低くして、破綻者のいない優良債権に見せかける。
  ・ 多数の債券をまとめて、リスクを下げて、優良債権に見せかける。
 記事では、後者について(のみ)指摘しているほか、1997年のころのアジア通貨危機とも関連づけしている。あのころも似たような不良債権問題があった。「化けの皮が剥がれる」というような形で。……なるほど、その類似性に目をつけたのは、なかなかおもしろい。
 記事では最後に、「市場は、世界経済は、どこへ行くのだろうか?」という一文で終わっている。要するに、何もわからないらしい。経済の混迷はわかっているが、現状の描写をするだけで、何も結論を出せないらしい。

 そこで、私がかわりに結論を出して上げよう。せっかく竹森俊平が問題提起をしたのだから、解答抜きでは詰まらないし、私が解答を示して上げる。
 その解答とは? 「責任は竹森俊平たちにある」というものだ。正確に言えば、「マネタリズムを主張するマネタリストに責任がある」というものだ。
 アジア通貨危機であれ、サブプライムローンであれ、その根源には、マネタリズムがある。
 第一に、「アジア通貨危機」の根源には、レーガノミックスの「強いドル」という金融操作があった。これはドルの価値を高めるために、金融を引き締めて、金利を上昇させるものだった。過剰に金融を引き締めることで、経済が歪んだ。そのあと、歪みを是正する形で、アジア通貨危機という噴出が起こった。……これは、いわば、(プラスチック板の)下敷きをどんどん歪めたあとで、あるとき突発的に、歪みが是正されるようなものだ。
 第二に、「サブプライムローン」の根源には、グリーンスパン時代の「金利低下」という金融操作があった。これは景気の悪化を防ぐために、金融を緩和して、金利を過剰に下落させるものだった。市場金利はゼロ近辺にまで下がった。その一方、資金が不動産市場に流れ込んで、不動産バブルが起こった。不動産価格は上昇していったので、「土地転がしで儲けよう」と思った人々が、かなりの高金利で不動産を購入した。そこでは「不動産バブルの継続」が前提となっていたが、バブルが破裂したあとでは、高金利を払えなくなった低所得者が次々と破綻した。これが「サブプライムローン」の問題だ。……これは原理的に、日本のバブル破裂と同様である。つまり、「資金の過剰流入による資産インフレとその破裂」だ。

 こうして二つの現象を比べると、そこには共通したことが見出される。それは、こうだ。
 「マネーで経済を動かそうとする、極端なマネー重視主義」
 つまり、マネタリズムである。経済の全体を、マネーという一部だけで動かそうとする。犬がシッポを振るのではなく、シッポが犬を振ろうとする。そうやって過剰にシッポを振りすぎたあげく、シッポが振り切れてしまうような歪みが生じる。

 経済の本質は何か? 「マネーだ」と経済学者は考える。しかし、違う。マネーはただの介在物にすぎない。経済の本質は、生産活動である。つまり、人間が労働をして、機械などの道具を使いながら、まさしく商品を生み出すことだ。それが経済だ。
 なのに、労働も機会も無視して、「マネーだけを操作すればいいのさ」と思いながら、金融を過剰に操作した。あるときは、金融を過剰に引き締め、あるときは、金融を過剰に緩和した。
 なるほど、経済にはマネーは必要だ。しかしここでは、経済活動の大小にともなって、マネーの必要量が変動するだけだ。その逆ではない。
 比喩的に言おう。人間の運動量の大小にともなって、食事の必要量が変動する。しかし、だからといって、食事の量を変動させると、運動量が変動するわけではない。いっぱい運動すれば、いっぱい食べるが、しかし、いっぱい食べたからといって、いっぱい運動するわけではない。
 これが経済とマネーの関係だ。しかしながら、マネタリストは、そのことを理解しない。経済とマネーを同等と見なす(ほぼ正比例の関係があると見なす)。つまり、マネーを増やせば経済が拡大する、と見なす。……かくて、経済が悪化したときには、「マネーを増やせばいい」という発想を取る。そのあげく、どうなるか? いわば、運動不足の人に、大量の食事を食わせるようなことをする。その結果は? もちろん、破綻だ。
 これがまあ、一般に、バブルという問題だ。サブプライムローンもまた同じ。

 要するに、根源は、「経済をマネーで動かそう」というマネタリストの発想にある。竹森俊平は、マネタリストである。彼らの一派こそが、サブプライムローンの問題の主犯である。
 ここまで理解すれば、彼がなぜ真相をつかめないのか、明らかだろう。刑事が犯人だからだ。……つまり、「犯人は誰か?」という捜査を、当の犯人に委ねたからだ。犯人が事件を捜査している限り、犯人がつかまるはずはない。当り前。

 [ 付記1 ]
 もう少し本質を示そう。
 経済というものは、マネーだけで操作するべきものではなく、あらゆる方法で生産量を操作するべきものだ。特に有効なのは、増減税だ。これはまあ、犬で言えば、犬の胴体を動かす方法に相当する。主たる方法である。
 一方、マネー操作というのは、シッポだけを操作することだ。なるほど、シッポはつかみやすいので、シッポを操作するのは楽である。しかし、楽だからといって、シッポばかりを操作していても、非本質的すぎる。そんなことをやれば、失敗しがちだ。
 「犬を止める」というぐらいの小さなことならば、シッポをつかむだけでいい。しかし、もっと大きなことを、シッポをつかむだけでやろうとすれば、シッポが犬を振り回すかわりに、シッポがちぎれてしまうだけだ。そういう矛盾が起こる。
 マネーによる操作は簡単で、扱いやすいのだが、その効果は、限定的だ。にもかかわらず、マネーだけで経済全体を動かそうとすると、経済が歪んでしまう。……それがマネタリズムの問題だ。

 [ 付記2 ]
 記事では、副次的な話題として、IT企業への投資をめぐって、「夢と危険」ということにも触れている。成功者は大きな利益を得るが、大多数は失敗する。ハイリスク・ハイリターン。これについても指摘している。
 「なぜ経済学者が失敗の危険性を指摘しないのか?」という疑問を出して、「個別の特殊例には経済学者は何も言えない」というような弁解に終わってしまっている。「一般的な危険性について警告しない」といことや、それどころか「ITで景気回復」という父祖を吹聴してきたことについては、何ら釈明しない。(もちろん釈明できないからだろうが。無責任。)
 なお、この話題は、主たる話題との関連性は低いような気もする。「ハイリスク・ハイリターンは新規分野の開拓に必要だ」というような結論になってしまっている。ただの市場原理主義。これはつまらん。


● ニュースと感想  (9月17日)

 「ワーキングプア」について。
 「ワーキングプア」や「格差の拡大」がずっと話題になっている。自民党の総裁選でも、総裁候補の福田が若者たちの状況に共感して、「希望をもてる社会に」などと述べている。
 しかし、大切なのは、希望というような心理ではなくて、政治だ。すなわち、現状の改革だ。では、そのためには、どうすればいいか? ……その本質を示す。
 → nando ブログ 「ワーキングプア の本質」


● ニュースと感想  (9月18日)

 科学においては、本質をつかむのは難しく、表面的なものにばかりとらわれやすい。では、なぜそうなのか? それは、新しい発想を取りにくいからだ。それというのも、古い発想にとらわれがちだからだ。
 これはつまり、「しがらみ」にとらわれる、ということだ。
  → Open ブログ 「しがらみ (1)」


● ニュースと感想  (9月20日)

 「ワーキングプアの現実」について。
 ワーキングプアの現実については、誤認があるようなので、解説しておく。( nando ブログのコメント欄の 引き写し。)

 まず、次のような意見が寄せられた。
 「フリーターであっても最小限の凍えることなく清潔で餓死しないだけの生活レベルを維持できることがほとんどだと思います。」

 それに対して、私は次のように答えた。

 本当にそうなら、誰も問題にしません。
 今日( 2007-09-19 )の朝日新聞の生活面を見てください。ネットカフェ難民の例が出ています。
 夫婦で共稼ぎだが、就職試験を受けても軒並み断られる。ネット難民となり、まともに衣食住が保たれなくなり、睡眠時間が三時間で、寒さの中で震えたりして、肺炎になる。お金もなくなり、残された道は自殺のみ。
 この人は幸い、民間の救助団体の世話を受けて、生活保護を受けることができたので、命は救われる。しかし九州だったら、生活保護は受けられないので、自殺するしかないでしょうね。
 なお、自殺しない場合は、肺炎や心不全などによる浮浪者の自然死として扱われます。これは苦しいだけなので、避けた方が無難です。自殺の方が、よほどお勧めです。
 
 ひどい国。
 それでいて、「奴らはやる気がないんだから、死ぬのが当然だ」と言い張る人々が多い。狂気。

 ──

 ついでですが、こういう大多数の人々を「狂人」と呼ぶと、私みたいにトンデモ扱いされて、非難されます。
 ヒトラーの時代でも、現在でも、苦しむ人々を虐待することこそ、正常だと見なされるのです。狂人の国では、正気の人は狂人扱いされます。


● ニュースと感想  (9月20日b)

 しがらみから脱するには、どうすればいいか? その方法について語る。
  → Open ブログ 「しがらみ (2)」


● ニュースと感想  (9月21日)

 しがらみから脱するには、どうすればいいか? その心構えについて語る。
  → Open ブログ 「しがらみ (3)」


● ニュースと感想  (9月22日)

 戦争について経済学的に考える。「戦争には、不況を解決する効果がある」というのは、本当か? もしそうだとすれば、「不況を解決するには、戦争をすればいい」ということになるのか? 
  → nando ブログ 「戦争の経済学」


● ニュースと感想  (9月27日)

 「朝日の記事の、です・ます体」について。

 ちょっと忙しくて、まともに書く時間がないので、前に書いたままの駄文を掲載します。朝日の悪口。

 朝日の記事には、どうにも気持ち悪い文体の記事がある。
 経済面の経済一話という特集形式の記事だが、これが毎日毎日、やたらと猫なで声で、読者にすり寄ってくる。つまり、記事の冒頭に、猫なで声で語るリードを付ける。
 いやらしいですねえ。気持ち悪いですねえ。……新聞なら、もうちょっとまともなことをする努力はしないんでしょうか?
 「記事にとって一番大切なことは情報の信頼性だ」ということがわかっていないんでしょうか? ワイドショーの真似ばかりする、猫なで声の気持ち悪い新聞。それが朝日だ。あの猫なで声のリードを読むたびに、気持ち悪くなる。げげっ。

 外岡秀俊という朝日の総責任者についても、言っておきたいですね。元・文学新人賞の受賞の経歴があるのだから、新聞世界で最悪の文体にするのは、やめてほしいですね。新聞においては「客観的記事と主観的意見の区別が大事だ」というイロハを、記者の各人に徹底してほしい。
 とにかく、記事において、「……です」「……ます」と読者に語りかけるのは、新聞記事のイロハを踏みはずした狂気的な行動だ。そのことを、記者各人に教えてやってほしい。
 つまり、「記事とはエッセーじゃないんだ」ということだ。記事を変に文学調で書くのは、気持ち悪いだけだから、やめてほしいものだ。


● ニュースと感想  (9月28日)

 「福田首相への評価」について。
 福田康夫首相についての評判は、おおむね、次の通りであるようだ。
 「そこそこ実務的にできそうだ。堅実。ただし小泉のような決断力や斬新さはなくて、党を壊すようなこともない。保守本流ふうで、古い自民党への回帰」
 一言で言えば、「凡庸」だろうか。ま、見た目が凡庸だから、そういうふうに評価するのかもしれない。
 では、私はどうか? 

 まず、安倍首相への私の評価はどうだったかというと、最初から「駄目」であった。人間としても政治家としてもまったく信頼性がなく、最低の評価であった。そのことを本サイトにも書いたことがありそうな気がしたのだが、検索しても、書いてなかった。「評価する気にもなれない」と書いただけだった。身近な人々に低評価を語っていただけだった。
 ちっ。ちゃんと書いておけばよかった。何しろ当時は、安倍首相への賛美がいっぱいあったのだから。ちゃんと書いておけば、今ごろ威張れたのに。   (^^);

 そこで、その轍を踏まないために、福田首相への評価を、いま書いておこう。
 私の評価は、以下の通り。

 「見た目は凡庸だが、なかなか頭が切れる。決断力はないが、人の言葉に耳を傾ける能力がある。そして、それこそ、実は政治家( or トップ)にとって最も重要な能力である。小泉のように独断専行するのは、本来のあり方ではない。人々の意見を聞いた上で、そのなかで最善と思えるものを自らの判断で選ぶことこそ、本来のあり方だ。そして、その能力は、福田にはある」
 「この意味で、福田は、近来では稀に見る優れた首相だ。田中、三木、福田赳夫、大平、鈴木、中曾根、竹下、宇野、海部、宮沢、細川、というあたりは古い時代だった。いかにも首相っぽい人が多い。そのあと、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉、安倍、という順になったが、これらはどれもひどい連中だ。これらの連中に比べれば、福田康夫の方がずっといい」
 「古い時代のころ(正確には海部まで)は景気がよくて、その後はずっと悪かった。だから首相が福田になると、景気も古い時代のころのように戻って、景気回復するかもしれない。……財政再建のために増税、なんて言ったりしなければ。」
 「というわけで、見た目とは逆に、案外、優秀な首相となって、長期政権となるかもしれない。次期衆院選では、民主党が惨敗、ということもありえなくもない」
 (馬鹿な安倍首相ならばよかったのに、と地団駄を踏んでも、後の祭り。)

 [ 付記 ]
 で、何が言いたいか? 二つある。
 一つは、私の予想だ。(前述の通り。)
 もう一つは、「人は見た目で決まる」ということは必ずしも当たらない、ということ。というか、安っぽい見かけにだまされてはいけない。私には、安倍なんて馬鹿な詐欺師にしか見えなかったし、福田は真面目な実務家でありながら老獪さがある、と見えた。……見かけというのは、それを見抜ける人に取ってこそ重要なのだ。「純ちゃん素敵、カッコいいー」なんて騒いでいるようでは駄目なのだ。


● ニュースと感想  (9月29日)

 「ミャンマーの軍政」について。
 ミャンマーの軍政が問題になっている。国民を弾圧する軍事独裁。日本人のカメラマン一人も死亡。(……流れ弾で死亡、と当初は報道されたが、実は至近距離で撃たれたと判明したようだ。各紙報道。)

 さて。この問題(軍事独裁の問題)を、どう解決するか? 通常は、次の二通り。
  ・ 国連決議。(例は多数。対ミャンマーを含む。)
  ・ アメリカによる武力行使 (例。対フセイン)
 
 前者は、通常は無効である。後者は、かえってひどい破壊をもたらすことが多い。(例。イラク。)

 では、理想は? 次の例に見られる。
  ・ 幕府の無血開城。(薩長軍への降伏。)
  ・ イギリスのウィリアムズ1世のロンドン無血勝利。

 その意味は? 圧倒的な武力で首都を包囲して、相手の戦意をなくす、ということだ。初めから勝負がわかっていれば、無駄な闘争はしない、ということだ。……ここでは、時間をたっぷりかけることも必要だ。(兵糧攻めふう。)

 そこで、私の提案としては、これを応用するといいだろう。
  ・ ミャンマーの周囲には外国がある。
    (ラオス、タイ、中国、ブータン、インド、パキスタン)
  ・ これらの外国との国境付近で、外国の側に緩衝地帯を設立する。
  ・ 緩衝地帯に日本が多額の援助をして、反政府軍を組織させる。
  ・ 反政府軍は圧倒的戦力により、無血のまま、少しずつ支配領域を増やす。
  ・ 五年ぐらいかけて、支配領域を増やして、首都を包囲する。
  ・ その時点で、無血開城。

 [ 付記 ]
 なお、この方法を使うためには、政府軍を軍事的に圧倒する必要がある。そのために必要なものは、次の二つだ。
  ・ 政府軍の戦車を壊滅させるための対戦車ヘリ
  ・ その後に政府軍の歩兵を圧倒する戦車
 後者は誰でも思い浮かぶが、前者はなかなか思い浮かばない人が多い。対戦車ヘリは、日本の自衛隊にもあることはあるが、非常に軽視されていて、配備数もごく少ない。おまけに予算削減の煽りを受けて、調達数が減る。イージス艦やステルス戦闘機なんていう金食い虫に金をかけるせいで、肝心の対戦車ヘリには金が回ってこない。……なんか、本末転倒ふうだ。

 日本の自衛隊の方針は、「一点豪華主義」である。換言すれば、「おいしいものを少しだけ食べるせいで、いつも腹ぺこで、カロリー不足でふらふら」である。……こういう軍が、強いか弱いかは、実際の戦争ですぐにわかる。
 もしかしたら、自衛隊の食事も、そうかもしれない。朝昼抜きで、夜には大トロの寿司を一カンだけ。「一日に千円の食費だから絶対に不足はない」と大いばり。
 戦力、捨てるす。
( ※ そう言えば、銃の弾薬も全然不足しているらしい。訓練でも実弾発射の制限がある。そのせいで、まともに技量もつかない。ひどいね。自衛隊って、軍隊というよりは、軍隊ごっこなんでしょう。だから、外に出掛けても、イラクで穴掘りをしたり、インド洋で給油をしたり、ということぐらいしかできない。もともと戦闘能力はなし。……軍人は軍隊ごっこ。政治家は戦争ごっこ。おままごとみたい。)
( ※ 「おままごとでは人は死なない」ということはないので、念のため。相手は死なないが、こっちは死ぬ。その実例が、今回のカメラマン。防弾チョッキもつけずに銃口に身をさらす。……平和呆けしていると言われても仕方ない。最低限、胸には鉄板をつけておくべき。アルミ板じゃ駄目ですよ。)


● ニュースと感想  (9月30日)

 「闘牛の廃止」について。
 スペイン(バルセロナ)の闘牛が今年限りで廃止されるという。来年からは開催されない。理由は観客の激減。闘牛反対を唱える動物愛護運動の影響もあるという。(朝日・朝刊・国際面 2007-09-28 )
 これに出ていた動物愛護運動の言い分によると、こうだ。
 「牛はおとなしい草食動物なのに、勝手に殺すなんて、残酷だ」
 しかしこれには、事実への誤認がある。

 牛というと、普通、北海道にいるホルスタインみたいな乳牛を思い浮かべるだろうが、これは家畜である。「犬」と聞いて、かわいいチワワを思い浮かべるようなものだ。どっちみち、人間が勝手に品種改良して、家畜や愛玩動物にしたものであるから、形質はきわめて穏和である。
 その一方、その動物の本来の姿である野生種は、きわめて獰猛だ。犬ならば、野生種に当たるオオカミは非常に怖い。人間を食い殺すこともある。虎みたいな猫科の動物なら、あまり頭は働かないから、まっすぐ襲いかかってくるのを避ければ、何とかかわせる。しかしオオカミは違う。ちょっとかわしたぐらいでは、またすぐに襲いかかってくる。とても敏捷で、とても賢い。何らかの道具(棍棒など)を使わないと、オオカミには太刀打ちできない。(有名な小説「野生の叫び声」などを参照。この本はすばらしい。)
 では、牛はどうか? 牛もまた同様だ。牛の野生種は、バッファーローのようなものだと思えばいい。「体つきは太った大型の馬みたいで、頭はケンタウルスと同様」という感じだ。単純に言えば、「太った大型の馬の頭にツノが生えている」というようなものだ。もちろん、すごく怖い。馬ならば、おとなしいというより、臆病である。しかし、牛というものは、本来は非常に荒々しくて怖いものだ。……そして、その性質を利用したのが、闘牛である。近年では、野生種は少ないから、家畜を転用することもあるようだが、本来の闘牛では、野生種に近いものが使われるはずだ。
 で、何が言いたいか? トリビアみたいなものだ。ただし、その真意は、こうだ。
 「家畜がおとなしいからといって、その姿を本来の姿だと思ってはいけない。家畜というのは、人間が勝手に改良した姿だ」
 「何事であれ、見かけだけで決めてはならない。かわいい牛だって、本来は獰猛なのである。かわいい女房だって、若いときはかわいくても、年を取れば獰猛になる」
 それが言いたかったのね。  (^^);

 [ 付記 ]
 残酷と言えば、闘牛よりも、もっと残酷なものがある。それは日本の「相撲」だ。闘牛ならば牛を殺すが、相撲では人を殺す。しかも、殺した者の仲間同士で、ギルドを作って、たがいにかばい合って、真相を曖昧にしようとする。
 嘘だろうって? いや、新聞報道によると、こうだ。
 「弟子を殺した親方は、相撲協会の理事会で、『お騒がせして皆さんにご迷惑をかけました』と理事に詫びたが、遺族に対しては責任を認めなかった。それを理事たちは追認した」
 マフィアと同じですね。殺した遺族には詫びないで、マフィア同士で仲間に「お騒がせしてご迷惑をかけました」と詫びる。で、他のマフィアは、「仲間に謝ったから許してやろう」と思う。……被害者に対する配慮など、ひとかけらもない。むしろ、「何とも言いようがありません」とだけ述べて、謝罪を言うのをあえて拒否する。
 牛を殺す闘牛と、人を殺す相撲マフィア。どっちが残酷か? 

( ※ 最新の報道によると、親方も相撲協会も、事件を小さくまとめようとしているようだ。しかし、私は携帯を指摘したい。携帯を真っ二つに割っていたという事実。これこそ重要だ。外部への連絡を絶ち、証拠湮滅を図る。「情報がない」ことではなく、「情報をなくすようにする」ということが重要だ。……私としては「真っ黒」という裁定を下す。ただし罪状は「殺人」ではなく「傷害致死」である。私が判決するなら、親方は懲役10年、兄弟子は懲役5年。……ただし、相撲協会が決定するなら、起訴猶予または無罪。)
( ※ 一方、国の対応は、理想的である。「文部科学省は……同省が認める財団法人の資格も取り消す構えだ。国から見放された場合、大相撲は「国技」の看板を失うことから、協会側も対応策を検討し始めた。」 → 日刊スポーツ


● ニュースと感想  (9月30日b)

 タミフルによる異常行動の原理が解明されたようだ。
 このことを取り上げながら、科学における「独創的な研究」や「意見の多様性」について言及する。
 → Open ブログ 「意見の多様性」


● ニュースと感想  (10月02日)

 「不況対策と生産性向上」について。
 ワーキングプアや格差の拡大について、先日も述べたが、その続き。
 不況対策として「生産性向上」という方策は、有効か? 実は、無効である。
  → nando ブログ 「不況対策としての生産性向上」


● ニュースと感想  (10月03日)

 前日公開した分( nando ブログ )で、最後のあたりに、[ 付記 ] をいくつか追加しました。(いくつかに分けて、何度か追加しました。)
 現状では、 [ 付記7 ] まであります。お暇ならば、読み落とした分を探して、お読み下さい。


● ニュースと感想  (10月05日)

 「ツバルと日本」について。
 ツバルは、南太平洋に浮く国家で、サンゴでできた九つの環礁・島からなる。地球温暖化による海面上昇で最初に沈む国と言われる。
 この国の居住者が、海外に移住したがっているのだが、受け入れ国がない。どこの国も「自国で就業できる能力」を要求するのだが、そんな能力をもつ人はほとんどいない。かくて、島の水没と住民の溺死の危機が迫っている。
( 参考記事は、朝日・夕刊 2007-10-04 )
(ネットの画像は → 朝日のサイト

 昔、ユダヤ人がナチスに虐殺されようとしたとき、どこも受け入れそうになかったが、日本の外交官である杉原千畝が、本国の方針に逆らってビザを発給したため、大量のユダヤ人が人命を救われた。
 しかしながら、現在の世界では、杉原千畝に相当する人はいない。誰も助けようとせず、ツバルの人々は見殺しにされそうになっている。

 そこで、私が提案しよう。ただし、「人道支援」というきれいごとは語らない。「自分のお金をプレゼントして、他人の命を救いましょう」というのは、きれいごとだが、自分自身でその金を払うのならともなく、他人の財布を当てにするのでは、あまりにも調子がよすぎる。私はそういうお調子者の発想を取らない。
 では、どうするか? 知恵を使う。次のように。

 ツバルの人々が外国に移住したがっている。では、彼らが移住したあと、ツバルはどうなるか? もぬけの殻になる。だから、それを代価として、ちょうだいすればいい。この代価と引き替えに、住民を引き受ければいい。
 具体的には? 「ツバルを吸収合併する」ことである。
 ツバルと日本が外交交渉して、この合併を法制化する。内容は、次の通り。
 ただし、頭の悪い人がやると、次のようになる。
 「ツバルをハワイのようにしようと思って、超高層ビルを建てる。サンゴの環礁が一挙に崩壊して、すべて沈んでしまう」

 なお、現実にありそうなシナリオは、次の通り。
 「日本がそうしようとしたら、韓国が先んじて、ツバルを高額で買収しようとする。それを見て、中国がもっと高額で買収しようとする。そこへ米国が乗り出して、買収する。……その間、日本では与党と野党が、衆院と参院で喧嘩しあっている」

 [ 付記 ]
 最後の二つの話は、ネタです。本気にしないように。
 いやね。私の話には冗談がいっぱい含まれるのだが、冗談を冗談として理解しないで、まともに反発する人が多すぎるんですよね。
 朝日新聞で、「アベする」というコラムが掲載されたら、「朝日は記事を捏造している」という大騒ぎがあったそうだ。
( → zakzak
 大騒ぎの2ちゃんねるの文書のコピーは、私もちょっと前に見たことがあるのだが、URLは失念したので書けない。ただ、あれを見て思ったのは、「朝日たたき」に熱中しているネット右翼のアホさ加減。
 書いているのは、民間のコラムニストであって、朝日自身ではないのだが、その区別もできないようだ。勝手に「朝日は妄想をしている」と騒いでいる。
 というか、元のコラムそのものが、冗談半分ふうなので、いちいち騒ぐほどのこともないと思えるが。
 こんなことだと、おちおち冗談も言えない。冗談を言うと、「その言葉が真実である証拠を示せ!」と大批判されかねない。
 冗談が真実である証拠なんか、あるわけないんですけどね。とにかくまあ、ネット時代では、まともに文章を読める人が少なくなってきている。ひどいものです。


● ニュースと感想  (10月06日)

 「タクシー運賃の値上げ」について。
 タクシー運賃の値上げ認可が各地で進んでいるが、東京でもその方針だという。
 ( → ニュース1ニュース2ニュース3

 要するに、こうだ。
 「構造改革と規制緩和で景気回復、という小泉政権の方針で、タクシーの規制緩和をしたら、新規参入者がどっと増えた。そのせいで、供給過剰(台数過剰)となり、タクシーの乗車率が下がった。かくて、運転手の賃金が大幅に低下した」
 ( → 資料
 「そこで、運転手の賃金を改善するために、タクシーの運賃を値上げする。これで運転手の給料は向上するだろう」

 しかし、この主張は、経済学的には、まったくメチャクチャである。その理由は、次の通り。

 (1) 規制緩和という方針
 そもそも、最初にあったのは、規制緩和という方針であった。
 では、規制緩和の意味は? 「競争激化による、状況の改善」である。そして、その狙いのうちには、「競争による価格低下」が含まれる。
 とすれば、規制緩和によっては、タクシー運賃は値下げするのが本当の姿であるはずだ。現状のように、供給過剰であれば、運賃は上がるよりは下がるのが本当であるはずだ。
 なのに、現実には、運賃を上げようとする。これでは本末転倒だ。「価格低下」を狙った政策を取って、その政策の狙い通りに競争が激化したら、今度は「競争が激化した」という理由で、狙いとは逆の「価格上昇」を推進する。
 結局、「自由競争」を狙ったあげく、実際に自由競争が進んだから、「それではまずい」と思って、「社会主義的な公定経済」を狙っているわけだ。
 自己矛盾。愚の骨頂。
 だったら、最初から何もしない方がマシだった。あるいは、元に戻す方がマシだ。(たとえば、規制緩和をやめて、タクシーの台数を制限する。これならまだマシだろう。運賃値上げよりは。……ただし、規制緩和という方針がまったくの間違いであったのがバレてしまうので、政府は恥ずかしくて実行できない。それだけのことだ。)

 (2) 運転手の給与
 そもそも、今回の方針は、効果があるのだろうか? 「運賃値上げ」で、運転手の給与は改善されるのだろうか? 
 いや、そんなことはありえない。なぜなら、仮に給与が改善されれば、それを見て、新たに参入者がどっとたくさん押し寄せるからだ。
 つまり、現状は、「規制緩和」のせいで新規ドライバーがどっと参入したのだが、そのあと、給与が改善されれば、それを見て、新規ドライバーがどまたっと参入する。これでは決して、運転手の所得は改善されない。

 (3) 結果
 では、運賃値上げは、経済学的には、まったく意味がないか? いや、そんなことはない。意味はある。では、どんな意味が? 次の二点だ。
 第一に、運転手の給与はかえって下がる。「儲かるぞ」と思った新規ドライバーがどっと参入して、労働者がさらに過剰になるからだ。供給過剰がさらに進んで、さらに賃金水準は低下する。(ま、そのうち、安定するだろうが、せいぜい、現状維持だろう。現状よりもよくなることなど、あり得ない。なぜなら、ワーキングプアや失業している人々が押し寄せるからだ。)
 第二に、タクシー会社には利益がたっぷり入る。なぜなら、運賃値上げと、運転手の賃金低下との、両方が起こるので、両者の差額として、タクシー会社の利益が増えるからだ。
 結局、「労働者は貧しくなり、会社はますます儲かる」というふうになる。そして、これは、現状の「格差の拡大」と同じ構図である。

       *     *     *     *     *     *     *

 さて。以上で、話はいったん終わる。このあと、より本質的に考えよう。
 この問題の本質は何か? 
 実は、タクシー業界がどうなろうと、そんなことはどうでもいい。あくまで一部の業界のことにすぎない。大事なのは、この問題が、日本全体の典型になっているということだ。
 その意味は、次のことだ。
 「日本中で失業者が増大しているときに、タクシー業界だけで状況を改善しようとしても、無効である。なぜなら、たとえタクシー業界だけで状況を改善しても、それを見た大多数の人々がタクシー業界に参入するので、またしても状況は悪化してしまうからだ。タクシー運転手の給与を上げても、それを見たワーキングプアなどがどんどん参入するから、タクシー業界だけで状況を改善しようとしても、無効である。この問題を解決するには、国中の全員の状況を改善するしかない」

 比喩で言おう。
 アフリカで、目の前にいる百人が飢餓状態である。それを見て、どうするか?
 一案は、目の前にいる百人にパンを与えることだ。では、それで解決するか? 解決しない。なぜなら、パンを与えられた百人を見て、他のところからたくさんの人々が大量に押し寄せるからだ。飢えた人々が新たに何万人も来る。だから、目の前にいる百人にパンを与えても、無効である。
 では、どうすればいいか? アフリカ中の何億人に、全員にパンを与えればいいか? いや、それは無理だ。そんな金はない。
 では、どうするか? パンを与えるよりも、仕事を与えればいい。── そして、それがつまりは、マクロ経済学の発想だ。

 よく言われる言葉がある。「魚を与えるよりも、釣り竿を与えるべし」と。
 その通り。目先の魚やパンを与えるよりも、魚やパンを稼ぎ出す手段を与えるべきだ。それが正しい方策だ。
 ここでは、目の前にいる特定領域の人々だけに、いくばくかの金を恵んで上げればいいのではない。彼らに与えるべきは、金ではなくて、労働機会だ。

 タクシー運転手に与えるべきものは、金ではない。タクシーの客が多くの金を払えばいいのではない。客がいくら余分に払っても、その金は、タクシー運転手ではなく、元締めである会社経営者の懐に入るだけだ。
 タクシー運転手に与えるべきものは、労働機会だ。すなわち、タクシー運転手なんかやらなくても済むように、他の自動車工場や電器製品工場やサービス産業の店などで働けるような、労働機会だ。特定の一部における労働機会ではなく、国中のあらゆる職場における労働機会なのだ。……そして、そういうものを与えるということこそが、マクロ経済政策なのだ。
 タクシー運転手の状況を改善する方法は、社会主義政策ではない。すなわち、タクシー業界に国家が介入して、国家が市場価格を歪めるということではない。代わりに、マクロ経済政策である。すなわち、総需要の増加である。そして、それは、総所得の増加を通じてのみ、可能となる。
( 理由は、別のところで示したとおり。)


● ニュースと感想  (10月07日)

 「マクロ政策の意味」について。
 nando ブログ「不況対策としての生産性向上」に寄せられたコメントに対する、質疑応答。

 まず、次のコメントが来た。
 いろいろ納得することは多いです。
 ただ、疑問が二つほどあります。

 1 環境制約があるから、需要増はまずいのでは。
先に僕自身の考えを…車を作れば確かに環境問題は悪化するが、太陽電池や風力発電を作れば環境問題は改善する。

 2 国際競争がある以上、生産性が常に向上していなければ国自体が潰れるのでは?
 いや、経済を動かしている人々が目的としているのは「民の幸福」ではなく「国際競争に勝利し、富裕層が儲かり、国が強くなる」ことでは。だから生産性の向上はそれ自体が目的であり、格差が広がり国民が貧しくなることは最初から容認しているのでは。
 「今は嵐なのだから、たくさん鞭打って強く漕がせ、役に立たない者はどんどん海に放り込んで船を軽く速くして競争に勝て、そうしないと沈むぞ」という論理にどう反論できるでしょう?
 僕は、そこまで弱肉強食に徹し、弱者を捨てる世界は生きるに値しない、としか反論しようがないです。
このコメントに対する私の解答は、次の通り。

> 1 環境制約があるから、需要増はまずいのでは。

 需要増加は、物質消費の増加を意味しません。金銭の増加を意味するだけです。たとえば、安価な大型RV車のかわりに、高価なハイブリッド車を購入すれば、需要は増えて、環境は改善します。
 金額と物質量は比例しません。

> 2 国際競争がある以上、生産性が常に向上していなければ国自体が潰れるのでは?

 生産性は、国が何を言おうが言うまいが、毎年ほぼ一定量で向上します。民間が勝手に努力するので。
 なお、国がつぶれるということはありません。国民生活が途上国のように貧しくなるだけです。現状の選択肢は、先進国で失業して餓死するか、後進国で貧しい暮らしで生きるか、ということです。
 ただし、私は、どちらもお勧めしません。「需要増加」という方策を取れば、問題はすべて解決するので。(つまり、国の力で、選択肢を増やすわけ。詳しくは下記で。)

> 「今は嵐なのだから、たくさん鞭打って強く漕がせ、役に立たない者はどんどん海に放り込んで船を軽く速くして競争に勝て、そうしないと沈むぞ」という論理にどう反論できるでしょう?

 各人は、競争するしかありません。
 しかし、国の政策では、「需要増加」という選択肢が追加可能です。

 これはつまり、比喩で言うと、嵐のなかで「船を増やす」ということが可能です。そうすれば、全員が救われます。
 では、なぜか? なぜそんなふうに「船を増やす」ということが可能なのか?
 それは、現状が不況だからです。不況のときには、需要が一時的に減っているだけです。だから、需要を元の水準に戻すことで、元の経済状況に戻ります。
 船で言えば、船はもともとあったのだから、別に、新たに船を新造する必要はありません。船は漂流して、ちょっと横にズレているだけだから、その船を元に戻すだけでいいのです。……つまり、経済状況を、元の状況に戻すだけでいいのです。
 
 ただし、経済状況を元に戻すためにどうするか、というのが問題です。
  ・ 古典派 …… 自由放任で最適化する。何もしないでいい。
  ・ マクロ経済学 …… 国のマクロ政策が必要だ。漂流した船を戻すために、何らかの操作が必要だ。

 状況を元に戻すために、政府が最善のことをするべきか否か、という違いがあります。
 ここで、「すべてを神の御心に任せて、政府は何もしないでいるのがベストだ」と信じているのが、古典派です。古典派の方針によれば、「そうすれば各人がたがいに他者を船から蹴り落とそうとするので、船の乗員の状況は最適化する」ということになります。

 なるほど、船員の各人を救うためなら、各人が努力すればいいでしょう。「自分だけが助かればいい」と。
 しかし、船員の一人でなく、船員の全員を救うためには、船長の特別な方針が必要です。「救命船を使って、そこに乗った人が助かればいいのではない。救命船を使って、漂流している別の船を引っ張ってくるべきだ」と。
 こうして、別の船を引っ張ってくる(需要を元通りに戻す)という方針が、マクロ政策です。そして、それは、各人がいくら努力しても無駄なことであって、船長(政府)のみが決断して実行できることなのです。
 [ 付記 ]
 なぜ、各人がいくら努力しても無駄なのか? 
 それは、各人が「自分の利益のために」というエゴで動くからだ。その場合、各人は、自分が生き残るために、他人を蹴落とそうとする。結果的に、蹴落とされる人々はどんどん増える。(ワーキングプアなど。)
 一方、別の船を引っ張ってくるというのは、「自分の利益のため」ではなくて、「全体の利益のため」という行動である。
 ここでは、「自分の利益のために」という古典派の原理を、全面否定する必要がある。それがマクロ経済学の本質だ。


● ニュースと感想  (10月08日)

 「アフガン対策」について。
 自民党が給油作戦の継続を貫徹しようとするのに対して、民主党はかねて反対しているが、小沢党首は「給油ではなくてアフガン駐留ならばいい」と言い出している。その理由は、「給油ならば米国支援だ(ゆえに集団的自衛権に抵触する)が、アフガン駐留ならば国連支援だ(だから問題ない)」ということだ。
 これを評価しよう。

 まず、自民党が給油作戦の継続を貫徹しようとすることの意味を考えよう。それは建前では「平和のため」であるが、本音は「米国の提灯持ちをすること」である。だから、何の実効性もない給油だけをして、形だけでも「米国を支援していますよ」と取りつくろいたいわけだ。本当に給油が必要なら、金だけ出して、あとは民間の業者に給油させたって同じことなのだが、あえて自衛隊の船で給油をすることで、「米国を支援していますよ」と示したいわけだ。これはつまり、「実際には戦わないが、形の上だけ戦う」ということだ。……ま、そんなに悪いことではない。「名だけを与えて、実を与えず」ということだから、「名を捨て実を取る」ということに相当する。

 一方、小沢の方針は、逆だ。「名を重視して、実を捨てる」というものだ。これでは、形の上では格好いいが、実質的には大損である。金もかかるし、人命も失われる。馬鹿げている、としか言いようがない。「ええかっこしいするんじゃねえ」と関西人から怒鳴られそうだ。
 
 では、どうすればいいか? 私としては、次の二点を示したい。

 (1) 傭兵
 民間の船に給油をさせるのに似ているが、民間の兵士に武力活動をさせればいい。つまり、傭兵を雇えばいい。
 で、これを、日本の旗の下で行動させる。これなら、日本人の人命は失われず、また、タリバンと対決できる。
 ただし、普通の傭兵は、まずい。フランスの雇った傭兵というのは、すごく強かったらしいが、高給だったし、あこぎだったし、評判がよくない。
 では、どうするか? 現地の国民を雇えばいい。つまり、アフガンの人々を雇用して、政府軍に仕立ててしまえばいい。これを「日本とアフガン政府の合同部隊」とする。金は日本人が全面的に出す。これで、日本が派兵したのと同じ効果が出る。いや、百倍ぐらいの効果が出る。なぜなら、自衛隊というのは、実戦経験がないので無力だし、その上、やたらと金食い虫だからだ。同じ金を使えば、百倍ぐらい強い兵力を維持できる。どうせ、最新兵器なんか使わないで、カラシニコフみたいな小銃でゲリラ戦をやるぐらいなんだから。また、最新兵器を奪われたら大変だから、最新兵器なんか使わないのがもともとベターだ。
 最悪のシナリオ。
 「日本の最新兵器である戦車その他で武装した自衛隊を派遣したら、弱すぎて、あっさり負けてしまった。そのあと、戦車などを奪われてしまって、それが逆に政府軍を攻撃した。日本の最新兵器で武装したタリバンは、非常に強力になった。自衛隊を派遣した日本軍は、世界中の非難にさらされた。」

 (2) アメとムチ
 ただの軍事的な戦術だけでなく、政治的な戦略・政略も必要だ。それは、こうだ。
 「タリバンが攻撃すればするほど、タリバンが実質的に損をするようにする」
 この方針のもとで、具体的には、次のようにする。
 「タリバンが攻撃したら、援助におけるイスラム支援金を減らす。攻撃してくれば攻撃してくるほど、イスラム支援金を減らす。……そのために、あらかじめ、イスラム支援金を半分ぐらい用意しておく。たとえば、1千万ドルの援助を決めておいて、そのうち半分をモスク建設費用にする、と公約しておく。ただし、タリバンが攻撃してきたら、モスク建設の費用を、政府軍に回して、政府軍の武装教化に役立てる」
 タリバンとしては、次の二つの選択肢がある。
  ・ 何もしない → どんどんモスクが建設される
  ・ 攻撃する  → モスク建設が消えて、政府軍が武装教化する
 つまり、攻撃すればするほど、自分たちを破壊する結果になる。馬鹿らしくて、やっていられなくなる。

 [ 付記 ]
 ただの「民生支援」なんかじゃ、あまり意味がない。「イスラム支援」をあらかじめ用意しておいて、それを増減させることが大事だ。「民生支援」の場合、それが増えようが減ろうが、タリバンにとっては痛くも痒くもない。どちらかと言えば、「民生支援」は減った方がいい。というのは、タリバンは、国民の学歴を低くしたいからだ。さもないと、高学歴の人々が増えて、年長の自分たちは蔑まれてしまう。彼らにとっては、国が平和で発展することは、好ましくないのだ。武力しか能のない連中は、武力社会が好きなのだ。……ま、ブッシュや安倍もそうだけど。
 ブッシュも安倍もタリバンも、民生支援なんて、大嫌いなのである。こういう連中に対して、「民生支援」なんて言っても、馬耳東風。まったく無効。正しくても、無効なのである。(で、彼らの耳に入りやすいのは、「イスラム支援」とか「キリスト教支援」とか「靖国支援」なのである。どれも同じ。)


● ニュースと感想  (10月09日)

 「陪審制」について。
 陪審制が導入される。そこで、これがどんなものかを国民に啓蒙するために、テレビで模擬裁判が示されていた。最高検察庁の監修ということで、しっかりとしたお墨付きのある番組。(「行列のできる法律裁判所」2007-10-07  放送分)
 ( → 紹介ホームページ
 これを見ると、まるで「12人の怒れる男」を、和風のお涙ちょうだいにした感じだ。面白いといえば面白いが、これが陪審制の実態だとしたら、あまりにもひどい。呆れはててしまった。素人のつくった番組ゆえの欠陥かとも思ったが、そうではなく、最高検察庁の監修だということだから、現実にこうなるわけだ。となると、陪審制というデタラメな法律判断が、これからはのさばることになる。

 あらすじを紹介しよう。
 妻の不在の間に、夫が愛人を自宅に入れていたら、妻が帰宅して目撃する。妻は怒りのあまり、思わず、そばにあったハサミをつかみ、愛人の腹部を刺す。愛人は深さ八センチの重症。……で、問題は、「殺人未遂か、傷害罪か」ということ。論点は、「殺意があったかか否か」ということ。
 で、ああだこうだと論議するのかと思ったら、「殺意があった」ということはほとんど議論もされずにあっさり認定されてしまい、単にお涙ちょうだいの心理的背景があった、と判明して、執行猶予になるだけ。
 要するに、ここでは「事実認定についての法律論議は何もなされなかった」ということが重要だ。
 これが素人判断の結果である。

 では、ここで、まともな法律的な議論がなされたら、どうなるか? 「殺意の有無」について論じられる。では、「殺意」とは? 「殺してやりたい」という意思か? 違う。ここが、法律的には重要な点だ。
 たとえば、妻が怒り狂って、「こんな奴を殺してやりたい」と思いながら、水をぶっかけたとする。ここでは、「殺してやりたい」という意思はあった。しかしながら、「水をかぶせる」という方法では、人を殺すことはできない。それゆえ、どんなに「殺してやりたい」という意思があっても、水をかぶせたことには、「殺意」は認定されない。殺意が認定されるためには、その行動が殺害をもたらすことが必須の条件である。
 では、ハサミで人を刺すというのはどうか? これは、どう考えたって、ただの傷害行為であって、殺人行為ではない。たとえば、日本刀とか出刃包丁とかで深く切りつけるとか、あるいは、心臓を狙うとか、そういう方法を取れば、「命を奪う」という意思があったと認定される。しかしながら、鉛筆の先で相手の手を刺すぐらいでは、命を奪えないから、「命を奪う」という意思があったとは認定されない。
 さて。今回の事例では、どうか? そのへんの事務用のハサミ(先もとがっていないし、長さもたいしたことはない)で、腹のあたりを刺しただけだ。これでは、傷害行為にしかなるまい。仮に私が事務用のハサミで殺意をもったとすれば、腹のあたりなんかは狙わない。そんなことをしても、ちょっと傷つけるぐらいで、そのあと、相手に逆襲されて、自分が殺されるかもしれないからだ。仮に私が殺意をもっていたとすれば、まずは、相手の目をつぶす。そして、相手の目がつぶれたあとで、相手の心臓を突き刺す。また、どうせならば、ハサミなんていう弱々しい道具は使わない。そばに割れた陶器の破片があるのであれば、それを使って、相手の喉元を切る。──こういう行為が、殺意である。

 要するに、今回の事例では、法律的な意味での「殺意」はない。にもかかわらず、「殺意」というものを「殺してやりたい」という意思だと思い込んだ市民たちが、勝手に「殺意」という言葉を誤解して、勘違いした法律解釈を下す。
 これでは、あまりにもひどい。まったく(法律的には)殺意のない人が、殺意があると勝手に誤認されてしまうわけだ。素人判断で。

 こういうふうに、法律用語を素人判断で勝手に誤認することが許されるのであれば、それはもはや、法治国家ではない。法というものが意味をなさないからだ。「殺意とは何か」ということは、判例などではっきりと定まっているのに、そういうことを無視して、勝手に素人判断で決めつける。メチャクチャの極みだ。
 こんなことになると、以後、とんでもないことになりそうだ。

 例1。
 「よくも浮気したわね。あんたなんか死んじゃえ! 呪いをかけてやる!」
 これで恨みをもった妻が、藁人形に釘を打ち付けて、呪い殺そうとした。従来の裁判では、「法律的な殺意はない」という判決が出るが、陪審制では「殺意があった」となる。
 で、そのあと、夫が交通事故で死んだとしたら、この妻は「夫を呪い殺した」という理由で、死刑になるかもしれない。

 例2。
 あなたが上司にしかられて、腹が立ってしかたがない。そこで、紙に落書きを書く。上司の絵を描いて、そこに自動車を書き加えて、上司が交通事故で死んだ絵を描く。「ざまあみやがれ、死んでしまえ」と思って、溜飲を下げる。
 で、そのあと、上司が交通事故で死んだとしたら、あなたは「上司を呪い殺した」という理由で、死刑になるかもしれない。

 こうして、藁人形だの落書きだのが、犯罪になって、死刑になる。これが先進国のあり方だろうか? たとえあなたが無実でも、陪審制の下では、あなたは死刑になるかもしれない。……なお、「そんなの関係ねえ!」と叫んで、裸で拳を振り回しても、無駄である。
 
 [ 付記1 ]
 本項では、陪審制のデメリットを指摘した。
 ただし、陪審制にもメリットはある。まともなメリットというよりは、職業裁判官制度のデメリットを打ち消すメリットだ。(最悪よりはまだマシだ、という意味。)
 実際、現在の職業裁判官制度には、デメリットがある。裁判官の常識にとらわれすぎるせいで、市民常識が欠落している、ということだ。もっとはっきり言えば、公務員の発想に凝り固まって、お上のやることばかりを是認する、という偏向だ。
 たとえば、次のような、不当な裁判の例がある。
  → http://www.jca.apc.org/kokubai/tenran.html
 また、これ以外にも、検察の起訴した刑事事件の99%が有罪になる、という調査もある。これは日本が傑出して高く、諸外国には見られない例だ。
 また、「自白が安易に認定されやすい」という問題も、かねて指摘される。
 また、「冤罪で有罪となった人が、あとで無罪と判明する事件がたくさんある」という例もある。
 以上から見て、日本の裁判官は、あまりにも検察よりに偏りすぎている。つまり、「疑わしきは罰せず」ではなくて、「疑わしきは罰する」になってしまっている。
 とすれば、このような現状を変えることは、必要だろう。(たとえば、ライブドア事件では、職業裁判官でなければ、無罪になった可能性が十分にある。……ただし、あの弁護士では無理だが。)
 
 [ 付記2 ]
 というわけで、陪審制には、それなりのメリットはある。が、だとしても、陪審制が最善だとは思えない。私としては、次のようなことを提案する。
 このような方針を取れば、法律音痴によるメチャクチャな法律解釈はなくなるはずだ。基本的な法律知識ぐらいは理解されるはずだ。(現状の陪審制ではとても無理。法律知識はゼロのまま、常識だけで勝手に判断する。メチャクチャ。)

 [ 付記3 ]
 余談だが、現状の裁判所は、なぜ、検察の言うことを鵜呑みにするのか? 
 それは、検察があまりにも無能だからだろう。彼らはまともに犯罪を立証できない。せいぜい被告人の自白を示すだけだ。で、その自白というのは、本人が書いたものではなくて、操作担当者が勝手に作文したものだ。(この点は、しばしば話題になる。日本で「自白調書」と呼ばれるものは、外国語に訳されると「捜査官のエッセー」という意味の言葉になる。本人の任意性がゼロ同然だからだ。)
 で、こういうふうに検察が無能だから、その無能さを指摘すると、犯罪者は全員、無罪になってしまう。それでは大変だ。そこで、犯罪者であるとしても犯罪者でないとしても、すべて、区別ができないまま、まとめて「犯罪者」と認定する。それ以外に、どうしようもないからだ。もともと区別ができないから、すべて監獄にぶち込むか、すべて釈放するか、どちらかしかない。当然、すべて監獄にぶち込むしかない。(さもなくば犯罪者が野放しになる。)
 というわけで、裁判所で、無実の人々がことごとく有罪だと認定されるのは、当然なのである。検察の無能ゆえに。

 [ 付記4 ]
 なお、陪審制とは別に、もう一つ、現状への是正策がある。それは、次のことだ。
 「国民が自分で判決を下すのではなく、不当な判決を下した裁判官を国民が排除する」
 つまり、国民が裁判官を評点して、「政府の方ばかり見ていて、国民を無視する」というような裁判官を、排除してしまえばいい。
 これは非常に賢明な方法だ。実際、どこの企業でも、似たことをやっている。
 「会社の重役は、下級社員の個別の業務を見て、評定する。下級社員の仕事ぶりが駄目であるときは、上司である自分がかわりに仕事をするのではなく、駄目な社員を排除して、優秀な社員に任せる」
 これはまあ、一種の市場原理である。ここに市場原理を適用するのは、正しいことである。一方、「上司が代わりにやる」とか、「国民が代わりにやる」とか、そう言うのは、一種の社会主義政策である。独裁制という最悪よりはマシかもしれないが、およそまともな制度ではない。
 陪審制とは、法の場における社会主義政策(正確には原始共産主義政策)である。まともな文明人のやることではなくて、未開民族のやることである。……そう言えば、未開社会では、陪審制と同じことをやっている。素人がわいわい言って決めるだけで、法の専門家などは存在しない。そこでは、法というものは出番がなく、常識だけで決められる。
 人類社会はどんどん退化していくようだ。


● ニュースと感想  (10月10日)

 「殺人未遂と傷害」について。
 前項で述べたこと(陪審制)について、読者から疑問が来た。「殺意を否定するのはおかしい」という趣旨である。
 しかし、私は別に、殺意を否定しているわけではない。殺意の意味を法的に論じている。ここでは、「殺人未遂と傷害」、つまり、「殺人と傷害致死」の未遂罪について、法的な違いが問題となる。
 「殺人未遂と傷害」の法的な違いというのは、かなり微妙な問題である。だからこそ、法律分野ではしばしば話題になるし、今回の番組でも取り上げられたわけだ。
 ただ、私としては、「その肝心の主題が番組では扱われていないぞ」というふうに指摘した。ここを誤読しないでほしい。
 私は「傷害とはどういうものであるか」ということを説明したが、「必ず傷害にするべきであり、殺人未遂ではあり得ない」というふうに判決を下しているわけではない。そういう判決を下すのは、裁判所のやることであって、私のやることではない。
 私が前項で指摘したのは、「論じよ」ということであって、「こういう判決を下せ」ということではない。この点、誤読しないでほしい。
 また、あらかじめ、法律書などで、「殺人未遂と傷害」ないし「殺人と傷害致死」の法的な違いについても、勉強しておいてほしい。

 この件、下記のブログでも取り上げた。
   → nando ブログ
 ※ 最後のコメント欄を参照。

 [ 付記 ]
 「ハサミで刺せば人を殺すこともできるから、それなら殺人罪だ」
 というのが読者の見解だが、そんなことだったら、どうなるか? 夫婦喧嘩で妻が夫に皿を投げつけたって、殺人未遂罪になる。
 「こんなもん投げて、危ないじゃないか。腹にぶつかって、ケガをしたぞ。打ち所が悪かったら、死んでしまうかもしれない」
 それを聞いて、警察が現れた。「殺人未遂罪で逮捕する!」
 夫は青ざめた。「そ、そ、そんな。誰もそんなことを望んでいませんよ」
 警察は拒絶した。「うるさい。法律では殺人未遂になるんだ」
 夫は抗議した。「そんな馬鹿な!」
 警察はせせら笑った。「たしかに、馬鹿げているよ。しかし、これまではプロが判断したが、これからはアマが判断するのさ。傷害致死なんていう概念も知らないし、殺人未遂と傷害の区別もつかない。だからあんたの妻は、殺人未遂だよ。懲役10年ぐらいは覚悟するんだな。はははは」

 その後、交通事故を起こした別の人が逮捕された。
 「彼は自動車を運転した。自動車を運転すれば、事故を起こして、人を死なせる可能性があるとわかっているくせに、自動車を運転した。ゆえに、自動車を運転したという時点で、殺人未遂となる。彼は明らかに殺意があった。ゆえに、自動車を運転して交通事故を起こしたことにより、この運転手を殺人未遂に処するべきだ」


● ニュースと感想  (10月10日b)

 「物価上昇率の意味」について。
 原油値上げによる効果で、食料品などの物価が上昇しつつある。一方で、景気は悪く、デフレ脱却はできていない。これについて、朝日の社説が論じていた。
 原油相場が上がったから「カップヌードル」が値上げされるという。……原油高が農産物まで高騰させているのだ。……原油高で国際的にバイオ燃料の需要が急増した。原料のトウモロコシが値上がりし、トウモロコシへの転作で作付けが減った小麦や大豆も値上がり。
 ……
 下落の最大の要因は、薄型テレビやパソコン、デジタルカメラなど技術革新が速いデジタル製品の指数が、1年前より2〜3割下がっていることだ。製品の性能が向上すると「価格下落」とされることがあるのだ。 たとえば、性能が2倍となったパソコンの新製品が旧製品と同じ10万円で売られたら、指数では半分の5万円へ下落とみなされる。
( → 朝日・朝刊・社説 2007-10-08 ,asahi.com
 着色部分に着目。
 「製品の性能が向上すると「価格下落」とされることがあるのだ」という箇所はよい。朝日もようやく気がつくようになったか、と少し感心した。しかし、そのあとがよくない。
 「たとえば、性能が2倍となったパソコンの新製品が旧製品と同じ10万円で売られたら、指数では半分の5万円へ下落とみなされる。」
 そんなことはありません。馬鹿じゃなかろうか。いったいどこからそんな変な数値が出てきたのか? 正しくは、次の通り。
 「新製品が出ると、旧製品が一時的に 10万円から8万円に低下する。半年間で20%も下落する。ただし、一カ月後には、旧製品は消滅する。旧製品を買おうとしても、買うことはできない。それでも数字上では、半年間で 20%も下落したので、一年間では、40%近くの下落と見なされる。(正確には 1 − 0.8^2 = 0.36 )
 要するに、性能向上による一時的な相場下落だけを見て、物価下落と見なすわけだ。それは間違いである。性能の向上の分がそのまま物価下落になるわけではない。
 実際、物価の下落率は、性能の向上率とは何ら関係がない。昔ならば CPUの向上率は急激だったが、2〜3年前ならば CPU の向上率は低迷していた。それでも、新製品が出るたびに、旧製品は大幅に下落した。旧製品は、旧製品であるということだけで、大幅に価格低下を起こすのだ。性能の上昇率とは関係ない。
( 参考  → 5月20日b

 以上は、物価上昇率についての初歩的な勘違いへの指摘である。
 一方、もっと本質的なことを述べよう。それは、物価上昇率の意味である。
 社説を見ると、次のような認識がある、とわかる。
 「物価上昇率が上がると、インフレで、物価上昇率が下落すると、デフレである。物価上昇率が低迷する状態から、上昇する状態になることで、景気は改善する」
 これは間違いである。一般的には「必ずしもそうとは言えない」という形で限定的に否定されるが、特に今回の状況においては(間違いがまさしく適用される場合に該当するので)「完全に間違っている」と言える。

 物価上昇率には、次の二つの意味がある。
  ・ 需要増加による、市場価格の引き上げ。  (インフレ)
  ・ コストアップによる、市場価格の押し上げ。 (スタグフレーション)

 前者の場合、需要の増加により、市場価格が引き上げられる。企業業績は向上する。景気は改善する。
 後者の場合は、コストの上昇により、市場価格が押し上げられる。企業業績は悪化する。景気は悪化する。

 つまり、同じように物価の上昇があっても、需要の増加による場合(インフレ)と、コストアップによる場合(スタグフレーション)とは、まったく異なる。この違いに気づくことが必要だ。

 現状は、どうか? (好況としての)インフレではなくて、(海外の原油価格の上昇による)スタグフレーションである。……ここにおいては、状況が改善するのではなく、状況が悪化する。実際、物価上昇があっても、国民の総所得は増えない。名目所得は据え置かれたまま、物価上昇率の分だけ、実質所得が低下するだ。

 以上に、核心がある。
 なのに、社説は、そのことに気づいていない。お気楽に能天気に、次のように語るだけだ。
 小泉政権以来、政府は「デフレ脱却宣言」をめざしてきた。消費者物価指数をプラスにしようという目標だ。
 物価下落が続いてきたため、企業も小売店も値上げを打ち出しにくいムードが強かった。最近の値上げラッシュが、それを方向転換させるのかどうか。
 政府も日銀も、物価と景気の見方を変えた方がいいかもしれない。「二極化した物価」は、より複雑で高度な政策運営を求めているようにみえる。
 「物価と景気の見方を変えた方がいい」ということではない。「物価と景気の見方を根底的に理解していないと気づくべきだ」ということだ。
 比喩的に言おう。小学生が足し算と引き算を学んだが、掛け算と割り算ができていない。ここで、どうすればいいか? 「足し算と引き算についての知識を変えた方がいい」ということか? 違う。「掛け算と割り算についての知識を正しく得る方がいい」ということだ。
 物価上昇率について、朝日は勘違いしているわけでもないし狂っているわけでもない。単に知識がないだけだ。大人の阿呆でもなく、大人の狂人でもなく、ただの無知な子供である。そこには罪はない。ただし、自分が無知な子供であると認識するぐらいは、なした方がいい。無知な子供が「自分は利口な大人だ」と自惚れるとしたら、その時点で、初めて狂人となる。(なお、「自分は無知な子供だ」と自覚していれば、何の問題もない。その後、ちゃんと勉強すればいいだけだ。)


● ニュースと感想  (10月10日+)

 前項の「物価上昇率」についての補足。
 「じゃ、パソコンの物価上昇率は、どう計算すればいいのか?」
 という質問には、こう答える。
 「すぐに品切れになって店頭から消えてしまう旧製品の値段なんかは、調べない。代わりに交替で市販される新製品の値段を調べる」
 この方法ならば、次のことがわかる。
 「1995年以降の数年間は、価格が急激に低下したが、2000年以降は、パソコンの実勢価格はほとんど変わらない。CPUもハードディスクもメモリも、性能は急激に向上したが、人々が実際に払う金は、ほとんど変わらない。……当然ながら、ケース(筐体)だって、性能も値段も変わらない。CPUのクロック数は変わるし、ケースのデザインも変わるが、価格はほとんど変わらない。」
 
 なお、政府の方針がいかにインチキであるかは、次のことからわかる。
 「衣料品については、売れ残り商品のバーゲンセールの価格を取らない。衣料品のバーゲンセールならば、3割4割は当り前、5割も7割も引くことさえある。なのに、そういう数値は取らない。そのくせ、パソコンについてのみ、売れ残り商品のバーゲン価格を取る。……二重基準のインチキ調査法」


● ニュースと感想  (10月11日)

 「米国の人種差別」について。
 米国では、日本人は人種差別をなされるか? 
 これについて、私は漠然と、次のように考えていた。
 ところが、これはまるきりの大はズレであった。素人のヤマカンは当てにならない。  (^^);

 ヤンキースとレッドソックスの掲示板をけっこう見てきたが、次のことが判明した。(明白に現れた結果。ちょっと見ただけの印象ではない。)
 この違いは、どこから来るのだろうか? 私の想像では、次の通り。  ま、そんなところじゃないですかね。

 で、何が言いたいか? 人種差別の根源を知りたいのか? ……いやいや、そんな大それたことまで、話題を広げたくありません。今はとりあえず、ちょっと触れただけ。「そんなのはおかしいぞ!」といちいち非難しないでくださいね。……やたらと、そういう非難をする人が多いが。
 私が言いたいのは、次のことだ。
 「日本人は人種差別なんかされない、と思って、ニューヨークに行くべからず。あそこは最大の人種差別都市である。白人よりも、黒人に差別される。……『何もしていないのにぶんなぐられて財布を奪われた』なんて言って泣き面を書かないようにしよう。あそこでは、日本人であるというだけで、罪なのである。ご注意あれ」

( ※ よく中国人が「日本人はおれたちを差別した!」と騒ぐが、あんなものじゃないですよ。ニューヨークにおける日本人差別は、「軽蔑」というよりは、「憎悪」に近い。生きて帰れたら、それだけでも、ありがたいと思うべし。)

 [ 付記 ]
 ネットで参考情報を探したら、次のブログがあった。私の主張を裏付ける。
  → ニューヨークにおけるアジア人差別

  【 追記 】  ( 2007-10-15 )
 人種差別について、その後、さらにあちこち調べた。すると……
 やはりニューヨークが特別にひどいようだ。日本人だけでなく、韓国人も差別される。インディアンも同様。黄色人種一般が差別されているようだ。
 比較して、ロサンゼルスやカリフォルニアやシアトルなどでは、親日的と思える点もある。
 その他の各地は、内陸の保守的な場所でも、一般的に、人種差別は特にないようだ。もともと日本人は物珍しいことが多いし、「ふうん」と思うぐらいで、特に差別感情はないようだ。人種差別はいけない、という教育も進んでいるし。(ど田舎の牧童まではわからないが、都市部では大丈夫らしい。)
 しかるに、ニューヨークだけは違う。あそこは、どうも、ストレスのかたまりになった人が多いらしくて、ほとんどハーレムのような感じだ。精神がささくれ立っている感じ。町中、2ちゃんねらーみたいな人が多い感じだ。
 というわけで、米国に住むなら、ニューヨークだけはやめた方がいいでしょう。ときどき観劇に行くぐらいならいいが、街に住むのだけはやめた方がいい。

(ま、言われなくたって、あんな物騒な町に住みたがる人はいないと思うが。……ということは、昔から常識だったが、近年では、犯罪発生率は劇的に低下しているようだ。とはいえ、人情までは、そう簡単には変わらないだろう。)
(ニューヨークの犯罪発生率が高いのは、ハーレムがあるからというよりは、母子家庭が多いせいであるようだ。父なしの貧しい家庭で、シングルマザーに育てられた貧しい黒人。それが怒り狂って、日本人に矛先を向ける……という感じだ。これがフリーセックスの結果ですね。カッコ悪い。それをカッコいいと思うのは、村上春樹の読み過ぎかも。  (^^); )


● ニュースと感想  (10月12日)

 「冤罪と責任」について。
 冤罪事件で無罪判決が下った。もともとずさんな調査で有罪判決を出したあとで、のちにたまたま真犯人が見つかったので、冤罪がはっきりした、というわけ。
( → 読売・社説毎日・記事 ,詳しくは読売新聞・朝刊・社会面 2007-10-11 )

 で、上記社説などでは「県警はしっかりしろ」という趣旨で述べているが、そう言う対処で済む問題ではないだろう。なぜ裁判所や弁護士は真相を見抜けなかったのか? 読売の記事を見ればわかるが、ここでは警察は、証拠を捏造しているのだ。で、捏造した証拠に基づいて、有罪判決が下ってしまった。
 としたら、裁判所や弁護士を責めても仕方ない。証拠を捏造した警察を攻めるべきだろう。だいたい、証拠の捏造というのは、犯罪である。今回の事件は、ただの冤罪ではない。警察の証拠捏造という犯罪事件なのだ。
 なのに、そのことを示さないで、「警察はしっかりしろ」と叱咤するなんて、馬鹿げているとしか言いようがない。それで済むなら、警察は存在する必要はないのだ。なぜなら、悪質な犯罪者に対しても、「しっかりしろ」「真面目にやれ」と単に語るだけで済むからだ。

 警察の存在意義は、何か? 「犯罪をやるな」と諭すことではない。「犯罪をやったら処罰する」という実行性をもたすことだ。……そして、それは、警察による犯罪に対しても当てはまる。警察が犯罪を犯したならば、警察を処罰するべきなのだ。
 なのに、マスコミも誰も、そのことを主張しない。誰もが「警察だけは犯罪をしても見逃してあげよう」と思う。超優しい。警察にだけは。……で、私だけは「警察の犯罪を処罰せよ」と主張するが、そうすると、どうなるか? 「こいつはトンデモだ」という攻撃がわんさと押し寄せてくるんだろうな、たぶん。

 教訓。
 国民が他人をちゃちなハサミで傷つけたら、殺意がなくても「殺意あり」と認定されて、ひどい重罪になる。
 警察が国民を傷つけたら、悪意があっても「悪意なし」と認定されて、まったく処罰されない。
 国民は卑しい蛆虫、警察は偉い殿様。……なぜか? 国民がそうしたがっているから。(それを批判すると、「トンデモ」と非難される。)

 [ 付記 ]
 なお、証拠捏造の内容は、次の通り。
 普通の証拠捏造だと、現実は「Aだ」であっても、「Bだ」というシナリオに沿って、「Bだ」という物質を捏造する。
 今回は、もうちょっと手が込んでいる。現実は「Aだ」であるが、「Bだ」という別の証拠しか出てこない。そこで「Bの方法で犯罪をやりました」と無理やり自白させて、「自白したから有罪だ」という判決を出すように仕向けた。ただし、「Bの方法で犯罪をやる」というのは、現実には不可能なことだった。それでも、「Bの方法で犯罪をやりました」という自白があり、現実に犯罪があったから、たとえその方法による犯罪が不可能であっても、「こいつは犯人だ」と断定された。
 この方法だと、どんな人間でも有罪に仕立てることができる。
 例。
 「私は家にいたので犯罪はできません」
 「では、自白しろ。『家にいながら念力で犯罪をしたのだ』と。自白しないと、ひどい目にあわせるぞ」
 「仕方ない、自白します」
 その後、裁判では、「こいつは自白したし、実際に『家にいた』という証拠がある。ゆえに、こいつが犯人だ」となる。
 こうして、無実であることの証拠が、犯人であることの証拠に転じてしまう。

 あとで思うと、以上の比喩はあんまり良くないかも。もっと典型的な証拠捏造もある。次の通り。
 「被告は現実には現場に行っていないのに、現場の図面を見せながら、現場の図面を書かせて、『私はこの現場を前から知っていました。だからこの図面を書きました』と言わせて、図面を提出させた。」
 これは明らかに証拠捏造ですね。ただし、実際に書いたのは被告だから、警察が直接手を下したわけではない。今回の証拠捏造では、すべて、警察は被告に「ニセの証拠をつくらせる」という形でやっており、警察自身が手を下したわけではない。そこが巧妙。……悪質とも言える。
 警察というのも、ずいぶんずる賢くなったものだ。

 [ 注記 ]
 本項で何が言いたいか? ただの皮肉(イヤミ)である。それだけ。
 ここを勘違いして、「堂々たる学術的な警察批判だ」などと思って、正面から批判を寄越さないように。……最近、この手の半畳を入れる人が多くて、面倒臭い。


● ニュースと感想  (10月14日)

 「IHIの粉飾詐欺」について。
 IHI(旧称・石川島播磨重工)の決算が下方修正されたことで、株価が暴落している。ストップ安。理由は、経理内容の悪化が一挙に大量に発表されたこと。これまでは「超優良企業です」という経理を示していたのに、「実は万病をたくさんかかえていました」というふうに経理を一変させる。病気(事業内容の悪化)は、とてもたくさんあり、書ききれないぐらいだ。その一方で、年初には公募増資をしていた。その時点では「超優良企業です」というふうに述べて、高値で株を売りつけた。その七カ月後、「あれは何から何まで間違いでした」と訂正したわけだ。記者に問われた社長は弁解して、「あのときは何も知りませんでした。今になって急にすべて判明したんです」と述べる。しかし記事では、「すべてが急に判明するなんて、おかしい。だいたい、アラブにおける事業内容の悪化は、三年前のことじゃないか。どうして今になって急に判明するんだ」と指摘する。
( ※ 詳しい内容は、朝日新聞・経済面 2007-10-13 )

 つまり、嘘をついて、金をだまし取る。── これは、「詐欺」ですね。明白に。……警察ないし検察がどうして出てこないのか、不思議でならない。
 さて。ここで私が指摘しておこう。「これはライブドア事件に似ている」と。
 まさしく、その通り。経理をちょろまかして、株主から金をぶんどる。悪さの方法も、被害者の存在も、ライブドア事件にそっくりだ。
 ただし、明白に違うところもある。
 まず、ライブドア事件では、被害者は実質的にはいなかった。なぜなら、会社が赤字のときに黒字にゴマ化したが、それは一時的なことに過ぎず、一年後には会社は黒字になった。(ここで経理のゴマ化しがあったら犯罪だが、そのことはとうとう実証されなかった。つまり、本当に黒字であったようだ。)また、赤字の額も、もともと小額であるにすぎなかった。(見せかけの黒字の額はかなりあったが、元の赤字の額は少額だった。)
 一方、今回の事件では、ひどく巨額の赤字があり、それを黒字に粉飾した。(正確に言えば、大幅赤字である内容を「黒字だと思っていました」というふうに、知らんぷりをして、赤字を表面化させなかった。)
 さらに言えば、ライブドア事件では「意図は悪質」ではあっても、手法は「違法すれすれの合法」と見なすこともできそうであり、まったくの犯罪とは違った。一方、今回の事件では、「三年前の事業内容の悪化」をまったく知らなかったはずがなく、それを嘘で塗るたくることからして、ものすごく悪質である。完全に、詐欺の意図がある。合法だと言い逃れる余地はない。

 で、何が言いたいか? IHIをいじめたいのか? いや、そんなことで私は一企業をいじめたくはない。世の中には悪人はいっぱいいるのだから、そんなのをいちいちいじめても仕方ない。
 私が言いたいのは、「IHIとライブドアの類似性」である。IHIは、ライブドアに似ている仲間のうちでも、NECその他に比べて、圧倒的に悪質かつ巨額である。犯罪内容はよく似ており、しかもずっと悪質だ。NECその他は「ライブドアと同様の方法で、もうちょっと巨額」というだけだった。つまりは、「大規模なペテン師」というようなものだった。しかしIHIは違う。似ていても、「強盗傷害」と「強盗殺人」ぐらい違う。
 なのに、世間もマスコミも、ライブドアのときには大騒ぎしたくせに、似ているIHIには大騒ぎしない。……イカレている。
 そして、その理由は? 検察が動かないからだ。マスコミは検察の後を追うだけだから、検察が何もしないと、自分でも何もしない。
 では、検察は、なぜ何もしないのか? マスコミが何もしないからだ。マスコミが何もしないと、大事件だとは思わないので、検察も動き出さない。
 つまりは、検察とマスコミの間に、「ニワトリと卵」の関係がある。

 ここまで読めば、ライブドア事件の本質も見えてくる。
 あの事件の本質は、「何らかの悪があったこと」ではない。検察とマスコミの間に、「ニワトリと卵」の関係があったことだ。……つまり、「犯罪狂想曲」をいっしょになってスパイラル的に膨張させたことだ。
 それはつまりは、「魔女狩りがあった」というふうに言える。(詳しくは拙著「ライブドア・二重の虚構」を参照。)
 また、この「ニワトリと卵」の根底には、騒ぎに火をつけたフジテレビの「悪の企み」がある。検察とマスコミは、まんまとそれに乗せられて、「犯罪狂想曲」をいっしょになってスパイラル的に膨張させたわけだ。

 [ 付記 ]
 この「スパイラル」という関係は、重要である。マクロ経済学の基本となる。「需要と供給と所得のスパイラル」という関係。これは「原因と結果」という古典派ふうの発想とは異なる。
( ※ 詳しくは → 経済学講義 ……ここで、「卵」という語で検索。)


● ニュースと感想  (10月15日)

 「人と施設」について。
 公園の噴水で遊ぶ子供の声が「騒音」になるとして、噴水の運転停止を命じた判決があった。東京地裁八王子支部。この決定をめぐり、市民の間で論議が起きている。
 同支部の決定を受けて、2日に噴水を止めた西東京市に対し、12日夕までに電話やメール、ファクスなどで92件の反響があった。そのうち86件は「子供の遊び場がなくなってしまう」「子供の声が消えると、街がさみしくなる」など、子供の側に立ったもので、「(噴水停止を求めた)女性の気持ちもわかる」という意見は2件だけだった。
 一方、噴水の停止を求めた60歳代の女性は30年以上前から住んでおり、1991年ごろに心臓の手術を受けた後、不整脈や不眠の症状が出て、今も療養中。市の観測によると、噴水で遊ぶ子供の声は、女性の自宅周辺では60デシベルで、この地域の基準(50デシベル)を超えていた。
 同公園の建設費は約101億円。女性の代理人、中杉喜代司弁護士は「子供に騒ぐなと言っているのではなく、公園の設計ミスを直してほしいだけだ」と言うが、西東京市では「今後の対応については検討中」としている。
( 読売新聞・夕刊 2007-10-13 ,読売のサイト
 ここでは、次の選択が迫られている。
  1. 噴水を継続して、高齢者が被害を受ける。
  2. 噴水を止めて、子供が楽しめなくなる。
  3. 噴水を移転して、どちらもありがたくなる。ただし、多額の税金が無駄遣いされる。
 で、「どうしたらいいんでしょう?」というふうに新聞は問いかけているようだが、どれもこれも正解だとは思えない。理想的なのは、次のことだ。
 「子供は噴水を楽しめて、しかも高齢者にはうるさくなくて、しかも税金の無駄遣いはない」
 では、そんなことは可能か? 可能だ。次のようにすればいい。
 「高齢者を、公園から離れたところに引っ越しさせる。引っ越しの移転移用のみ、市が負担する」
 つまり、市には、次の二つの選択肢がある。
 ま、必ずしも後者がいいとは限らないが、とりあえず、後者についても検討するべし、というのが私の結論だ。
 その意味は? 「頭を使うべし」ということだ。
 頭は帽子のためにあるんじゃない。

 [ 付記 ]
 ただし、私が何か提案しても、いきなり「トンデモだ」と非難して、頭ごなしに否定する人が多い。思考停止になっているんですね。彼らにとって、頭は帽子のためにあるようだ。……いや、ヅラかな。

 [ 補説 ]
 住宅地と小学校が隣接していると、住民にとっては小学校がうるさくて仕方がない、という問題がある。この問題を、どう解決するべきか? 
 簡単だ。経済原理に任せればいい。
 「小学校のそばは、地価が下がる。その分、低い住宅コストで済むことができる」
 「それでもいい、と思う人だけが、小学校のすぐそばに住むようになる。具体的には、昼間は会社や大学に出掛けている独身者だ。」
 こうして、若い独身者と、そうでない人々とが、自然に最適の場所に住み分けるようになる。その意味は? 「市場原理による最適配分」である。土地と住民の組み合わせを最適化するには、市場原理に任せるのが一番なのだ。
 今回の老人の場合には、「もう若くはないから小学校のそばには住めない」ということらしいから、老人福祉の一環として、離れたところに住めるように、移転費用を出して上げればいい。……いや、老人福祉の一環というよりは、公園の設計ミスの修正費のかわりというべきかも。


● ニュースと感想  (10月16日)

 「新聞の後追い記事」について。
 マスコミでは、特定の1社が特ダネをスクープしたあとで、他社が後追い記事を書くことがある。その場合、「……ことがわかった」というふうに、わざと書き方をぼかすことが多い。
 その例がある。
 大相撲の序ノ口力士だった斉藤俊(たかし)さん(当時17)=しこ名・時太山=が名古屋場所前の6月26日、愛知県犬山市でけいこ後に急死した問題で、直後に遺体をみた犬山署が事件性は全くないと判断し、刑事訴訟法に定める司法検視をしていなかったことがわかった。また、遺体が運ばれた同市の犬山中央病院は死因を急性心不全と診断していたが、同署は虚血性心疾患と変更して発表していた。
 ……
 同署は死因を虚血性心疾患と変更して発表した。急性心不全は事件性の有無にかかわらず、急に心臓が止まった「状態」を示す。一方、虚血性心疾患は狭心症や心筋梗塞(こうそく)を含む病名であるため、事件性のない病死を意味する。
( 朝日新聞・夕刊 2007-10-15 ,asahi.com
 これは後追い記事である。詳しい内容は、同日発売の「週刊現代」に詳しく書いてある。朝日および他社は、週刊現代の記事を見て、あわててその内容を確認して(裏を取って)、簡単な記事を書いたようだ。
 しかし、このような書き方は、問題がある。
 実際、今回の記事でも、「週刊現代」という肝心要の情報が抜けている。そのせいで、読者としては、よくわからないままだ。「何だか画竜点睛を欠く感じの記事だなあ」と感じるばかりだ。たとえば、「なぜ警察署は死因を替えたのか?」という疑問が生じるだろう。
 実は、詳しい内容は、週刊現代に詳しく書いてある。相撲部屋と警察署長とが、汚職関係にあって、馴れ合っているので、警察署はあえて情報を歪めて、存在した犯罪を存在しないかのごとく、隠蔽したのだ。
 そういうことは、週刊現代に、詳しく書いてある。また、今回の事件そのものが、週刊現代のスクープであって、本来ならば事件とはならずに埋もれていたはずだ、ということもわかる。
 ここで、私は「……こともわかる」と書いたが、これは自然現象として書いているわけではない。「……を読めばわかる」というふうに、ちゃんと出典を示している。
 確率ではない。 痰、。警察署は、犯罪を隠蔽したが、朝日は、事実を隠蔽している。そして、どちらかと言えば、マスコミのこういう隠蔽体質の方が重大なのだ。

 ともあれ、「……ことがわかった」と書くような書き方では、事実を報道するマスコミとしての使命は果たせておらず、隠蔽体質が暴露されるばかりだ。


● ニュースと感想  (10月17日)

 「医療派遣」について。
 医療派遣がいくらか解禁されるようだ。条件としては、派遣元が病院である場合に限り、都道府県の許可を得ることが必要だという。
 深刻化する医師不足に対応するため、厚生労働省は15日、医師ら医療従事者の人材派遣をへき地以外の病院にも拡大する方針を決めた。
 同日、労働政策審議会の部会で了承された。ただし、同部会でも民間派遣業者の参入を懸念する声があがったことから、地域医療を担う人材確保に必要と判断された病院に限り、都道府県を通じた派遣を認めることにした。
 ……(中略)……
 医療機関からの派遣の要請を受け、都道府県に設置された医療対策協議会が必要と認めた場合、都道府県内の主要な医療機関から人材を確保して派遣するという仕組みになる。
 まず、前提として、次のことがある。(記事にもある。)
 「労働者派遣法では、(医師や看護師など)医療業務の人材派遣は禁止されている」
 なぜ禁止されているか? ま、一種のお役所判断である。で、これを、本項では問題にする。医療業務の人材派遣は、制限するべきか? 

 そもそも、無差別の人材派遣は、好ましくない。大量の労働者があぶれているときに、派遣が行き過ぎると、「需要不足・供給過剰」のもとで、市場原理が行き過ぎて、価格(労働価格つまり賃金)が暴落してしまう。……これがつまりは、「賃金が生活保護費以下になる」というワーキングプアの問題だ。
 そこで、何らかの制限が必要だ、という発想が生じる。
 ただし、である。先にも述べたことがあるが、ワーキングプアの問題を解決するには、「最低賃金を上げる」というような方法は、弥縫策(びほうさく)にすぎない。つまりは、表面だけの対策である。むしろ、根源的な対策が必要だ。それは「需要の増加」である。

 では、医療業務の場合は、どうか? そこでは「需要不足」はあるか? いや、むしろ、「需要過剰・供給不足」の状況にある。ここでは、「人材派遣の制限」をすることで、「労働条件の悪化」が起こることはあり得ない。
 似た例がある。バブル期には、季節工の賃金が、正社員の賃金を上回った。ほんの数年間の間だけだったが、その間だけは、季節工という臨時職員の賃金の方が高まった。労働力不足のせいで、労働市場では、スポット価格が上昇したわけだ。
 同様のことは、医療業務にも当てはまるだろう。「需要過剰・供給不足」の状況では、派遣の賃金は非常に高騰するはずだ。それが当然である。
 ただし、そこに都道府県などが介入すると、「適切な価格はこのくらいだから、賃金は低めにしておけ」というふうに、価格低下の圧力がかかるだろう。そのせいで、派遣を受けたがる医師は少なくなるだろう。結果的に、へき地などに派遣される医師は減って、へき地は十分な医師を得られなくなるだろう。(ただし、医師を雇う費用だけは低下する。賃金の低下と、来る医師が減ることとで、医療コストは大幅に低下するだろう。ただしその何倍も、医療サービス低下による損失が発生するだろう。)

 まとめ。
 派遣の本質は、労働需給を市場の実勢に近づけることである。それは、「供給過剰」という状況では、労働者の賃金を下げる効果がある。一方、「需要過剰」という状況では、労働者の賃金が上がるのを邪魔する効果がある。
 この違いに気づかないまま、むやみやたらと派遣を制限すると、該当の分野で、需給不一致が起こる。必要なところに十分な供給が行き渡らなくなる。
 だから、一般労働者に対しては、派遣の制限は(どちらかと言えば)ある方がよく、医療労働者に対しては、派遣の制限はない方がいい。ただし現実には、その逆になっている。
( ※ イヤミの比喩。高熱の患者には解熱剤を与えるべきで、低体温の患者には体温を上昇させる措置を取るべきだ。それが正しい。ただし現実には、その逆になっている。高熱の患者には体温を上昇させる措置を取り、低体温の患者には解熱剤を与える。それが現在の政策だ。)


● ニュースと感想  (10月18日)

 「サブプライムローンと住宅バブル」について。
 米国のサブプライムローンについてはあれこれ話題があるが、野村HDが 1500億円近くもの巨額の損失を出して、あげく、事業撤退するという。
 野村HD、米「サブプライム」で損失増…事業から完全撤退
 証券最大手の野村ホールディングスは…… 「サブプライムローン」関連事業で、2007年7〜9月期に730億円の損失を追加計上すると発表した。  すでに発表済みの損失と合わせ、サブプライムローン関連の損失額は1〜9月の合計で1456億円に達することになる。  これに伴い、……野村は米国の住宅融資証券の関連事業から完全撤退する。 ( → Yahoo ニュース
 この件を受けて、私としては、次のように結論を下したい。
 「こうなることは、もともとわかっていたことだ。本サイトで『米国の住宅バブルの破裂』として、すでに指摘されていた。本サイトをちゃんと読んでおけば、1500億円もの損失を出さないで済んだ。日々のデイトレードに血道を上げるだけでなく、長期的な経済学的認識をしよう。一日一日のトレードばかりを見ていると、数年単位の変動を見失う。そのせいで、最終的には、大幅な損失を出すことになる。」
 日々のトレードばかりを見ていると、日々の小規模の損失を先送りするばかりだ。そのせいで、蓄積する大規模の損失を見失う。それゆえ、結局は、大幅な損失を出すことになる。
 結論は、以上の通り。
 一方、詳細は、以下の通り。

 (1) サブプライムローン
 サブプライムローンとは何かは、下記で示したとおり。
   → 9月16日 「サブプライムローンとマネタリズム」
 肝心の所だけ引用すれば、次の通り。

 “ サブプライムローン問題は、よく知られたとおり、低所得者向けの債権を優良債券と見せかけてきたのが発覚したことだ。その手口は、次の二通り。
  ・ 当初は金利を低くして、破綻者のいない優良債権に見せかける。
  ・ 多数の債券をまとめて、リスクを下げて、優良債権に見せかける。”

 (2) 住宅バブル
 では、サブプライムローンの本質は何か? 根底にあるのは、米国の住宅バブルだ。これは、日本のバブル期のバブルと同様である。
 「金が余っている → 金の使い道を探す → 実需(設備投資)には需要があまりない → 資産市場に向かう → 資産インフレ」
 ただし、過度に資産インフレが進むと、みんなが資産インフレを危惧するようになる。そこで、その危惧を鎮めるために、「大丈夫ですよ、懸念はありませんよ」という口先で、詐欺師がだます。それがまあ、サブプライムローンの本質だ。
 つまり、次のように対比される。
 真実:
 「住宅バブルが進んでいるから、住宅関連に金を貸すのは危険です」
 虚偽:
 「サブプライムローンの設計にすれば、住宅関連に金を貸すのは安全です」

 こうやって、詐欺師は口先巧みにだまして、危険なものを安全に見せかける。で、その巧みな口先を信じた野村は、危険なものに 1500億円も貸し出した(投資した)。「それによって高利の利回りを得られるぞ」と欲を出して。
 しかしそれは詐欺師の思う壺であった。詐欺師は野村に損をさせながら、自分は手数料という甘い汁をすすった。
 一方、日本では、本サイトが危険性を指摘していた。「米国の現状は住宅バブルだ。住宅バブルはいつかはじけるぞ。危険だぞ」と。
   → 2005年7月12日
 一部引用すると、次の通り。
 “ 米国の住宅バブルは、いつか はじける。それは当然だ。……住宅バブルでは、富はまったく増えない。要するに、米国の土地は少しも広くならない。ま、利便性だけなら年に3%ぐらいの向上はあるだろう。しかし、年に数十%も上昇する住宅バブルほど、土地の価値が上昇したわけではない。なのに、住宅バブルは、そのくらいたくさんふくらんでいる。当然、いつか、バブルは はじける。”
 
 結論。
 本サイトを読んでいれば、大損をしないで済む。本サイトを読まなかったり、「あいつはトンデモだ」と思っていると、大損をするハメになる。

 [ 付記 ]
 もう少し詳しく述べよう。
 住宅バブルが破裂すると、あちこちに影響が出るが、そのうちの特別な一例として、サブプライムローンの問題が露見したわけだ。
 なぜかというと、サブプライムローンでは、問題が増幅されるからだ。先の (1) の箇所を見ればわかるように、ここでは問題が増幅される。本来は住宅を買う能力のない低所得者が、無理をして住宅バブルを買う。そのせいで、当時は購入者が過剰にふくらむ。一方、現代では、住宅バブルが破裂しかかると、返済できなくなった人が増える。無理をした低所得者で、無理が破裂する。こうして、問題が最初に続々と露見する。
 拡大期にも、破裂期にも、サブプライムローンでは問題が増幅される形で露見する。
 当然ながら、このあと、続報の形で、他の部分でも、住宅バブルの破裂が露見するだろう。うまく行けば、その破裂はなだらかで、経済成長によって吸収されるので、「ひどい悪化」ではなくて、「低い経済成長」という形だけで済むかもしれない。ま、どっちみち、「宴の後」である。甘い汁をすすったあとは、ツケ払いの時期が来る。
 日本では? いったんツケ払いをするハメになったあと、対処を間違えたせいで、泥沼から足を抜け出せずにいる。泥沼から出るには、正しい方法を取ればいいのだが、下手にあがくばかりだから、泥沼から抜け出せない。
 そして、その根源が「マネタリズム」にあるということは、上記の(1)(2)のリンクの箇所(引用元)で説明したとおり。


● ニュースと感想  (10月19日)

 「亀田兄弟の報道」について。
 亀田兄弟と父親の問題が話題になっている。反則示唆をしたというような話題。また、マスコミ批判をする人もいる。「亀田兄弟を悪役ヒーローに仕立てて設けようとするテレビ局の金儲け戦略」というような批判。
 私としては「くだらない」と思っていたが、謝罪会見があったあとで、この謝罪会見を朝日が批判している。「たったの十分間では足りない。本人の言葉もない。18歳の未成年だからという言い分は身勝手だ。ちゃんと会見せよ」というふうに。(朝日・朝刊・スポーツ面 2007-10-18 )
 呆れたね。この期にいたって、今なお「自分の商売のために亀田兄弟を利用したい」と思っている。で、「会見で記事を書きたかったのに、会見が不十分だから、記事をいっぱい書けない」と不平を出している。私としては「まだ懲りないのか」と言いたいね。
 こんな連中は、最初から無視すれば、それで十分。社会的に話題になったとしても、小さなベタ記事で報道すれば十分。会見が短ければ、その分、記事を小さくすれば済むだけの話。「記事を大きくできない」というふうに、ぐちゃぐちゃと書かないでほしい。書けば書くほど、亀田兄弟に利用されるだけだ。(ああ、私もこんな事書いてちゃって、心苦しい。……書きたくないんだけど。朝日の悪口だけを書きたいんだけど。でも「K兄弟」と書いたんじゃ、わけがわからないし。)
 
 なお、記事の誤解も指摘しておこう。記者会見で無言であったことに対して、「18歳の未成年だからという言い分は通らない」というような批判は、通らない。ここでは、「心の病人だから」という理由だけがあり、「未成年だから」という理由は関係ない。一般に、強い外因性ショックを受けると、鬱状態になる。すなわち、無言になり、体の動作がきわめて鈍くなる。これは精神医学の常識だ。
 このような病人に対して、鬱状態を非難すれば、病人は元気になるのではなく、かえって症状が悪化する。下手をすると、自殺する。
 だから、朝日のやろうとしていることは、ほとんど殺人に近い。ここで、「え? 別に、人を殺す意図はなかったんです」と弁解しても、通らない。マスコミの人間ならば、当然理解しておくべきことだからだ。マスコミは「自らメディアという凶器を使っているのだ」と自覚する必要がある。その自覚がないようでは、報道人失格だ。
 報道人としての自覚。これが本項で述べたかったことだ。
(誰かの悪口を言って喜びたいわけじゃありません。私は朝日たたきをして喜ぶ2ちゃんねらーではないので。いじめたいのではなく、叱責しているだけ。期待の表れ。「叱られた」とすねないように。子供じゃないんだから。)

 [ 付記 ]
 ボクシングが不人気だ、ということが根底にあるようだが、そもそもプロ・ボクシングというのは、スポーツではない、と私は思う。あれは残酷な闘牛よりもはるかに残酷な見せ物である。
 スポーツならば、通常、やればやるほど健康になるものだが、プロボクシングは、やればやるほど健康が破壊される。あしたのジョーでも明らかなとおり。
 スポーツにするならば、「10カウント・ノックアウト」みたいなことはやめて、「ノックアウト一回で即、決着」にするべきだ。そもそも、健康を破壊するようなノックアウトなんていうことが起こることからして不健全である。柔道で言えば、「首を絞めて、相手の意識がなくなるまでやる」というふうに、生命を危険にさらすものだ。フェンシングや剣道で言えば、真剣を使って相手の内臓を突き刺すようなものだ。プロレスで言えば、反則の凶器を使って相手の脳天をかち割るようなものだ。プロ野球で言えば、故意の死球によって相手チームの選手を壊滅させるようなものだ。
 ボクシングであれ何であれ、スポーツの基本は「ポイント制」であるべきだ。「ノックアウト制」なんてのを取る限り、プロ・ボクシングというのは絶滅されるべきだ。実際、プロボクシングが禁止されている先進国もある。
 ついでだが、ボクシングというのは、原則としてプロ(つまり仕事)にはなれない。ユーリというプロのチャンピオンがいたが、彼の生活はあまりにも惨めで、時ぶんっじしんで記者に「みじめだろ」と語ったほどだ。通常、最高でも千万円を2〜3回ぐらいもらって、そのあとはお払い箱。パンチドランカー症(つまりパーキンソン病)になって、ふらふらして、廃人のようになる、というのが、晩年の人生だ。
 こんなものは廃止した方がいいだろう。どうしてもやるなら、プロではなくてアマが弱いパンチでポイントの取り合いをするだけ。当然、ヘッドギアはつけたまま。……その場合、ちっとも客は呼べないが、それが当然だ。剣道だってフェンシングだって柔道だって、プロでやっている人はいない。プロになれるとしたら、引退後に道場を開いて、プロ教師になることぐらいだ。(現役のプロ選手ではなくて、引退後の仕事。)ま、それが、スポーツでは常識。プロ野球やプロサッカーは、あくまで例外。例外を一般化するべきではない。
( ※ 物事の根底には「何事も一芸を磨けば大金持ちになれる」という、誤った俗信がある。そんなこと、あるわけないんだが。優秀なのに貧しい芸人や学者なんて、掃いて捨てるほどいる。その一方で、優秀でなくても金をもらえる公務員も、掃いて捨てるほどいる。金儲けが狙いなら、公務員になるべし。  (^^); )








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「泉の波立ち」
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