[付録] ニュースと感想 (119)

[ 2007.4.01 〜 2007.5.21 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

    2001 年
       8月20日 〜 9月21日
       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
       1月09日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月03日
       2月04日 〜 2月21日
       2月22日 〜 3月05日
       3月06日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月31日
       4月01日 〜 4月16日
       4月17日 〜 4月28日
       4月29日 〜 5月10日
       5月11日 〜 5月21日
       5月22日 〜 6月04日
       6月05日 〜 6月19日
       6月20日 〜 6月30日
       7月01日 〜 7月10日
       7月11日 〜 7月19日
       7月20日 〜 8月01日
       8月02日 〜 8月12日
       8月13日 〜 8月23日
       8月24日 〜 9月02日
       9月03日 〜 9月20日
       9月21日 〜 10月04日
       10月05日 〜 10月13日
       10月14日 〜 10月21日
       10月22日 〜 11月05日
       11月06日 〜 11月19日
       11月20日 〜 12月02日
       12月03日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月24日
       12月25日 〜 1月01日
    2003 年
       1月02日 〜 1月13日
       1月14日 〜 1月24日
       1月25日 〜 1月31日
       2月02日 〜 2月11日
       2月12日 〜 2月22日
       2月23日 〜 3月07日
       3月08日 〜 3月16日
       3月17日 〜 3月25日
       3月26日 〜 4月06日
       4月07日 〜 4月14日
       4月15日 〜 4月24日
       4月25日 〜 5月10日
       5月11日 〜 8月11日
       8月19日 〜 10月23日
       10月24日 〜 11月28日
       11月29日 〜 12月12日
       12月13日 〜 12月17日
       12月18日 〜 12月26日
       12月27日 〜 1月02日
    2004 年
       1月03日 〜 1月16日
       1月17日 〜 1月22日
       1月23日 〜 2月01日
       2月02日 〜 2月08日
       2月09日 〜 2月14日
       2月15日 〜 2月24日
       2月25日 〜 3月09日
       3月10日 〜 3月19日
       3月20日 〜 4月12日
       4月13日 〜 4月23日
       4月24日 〜 4月25日
       4月26日 〜 5月11日
       4月26日 〜 5月11日
       5月20日 〜 5月29日
       5月30日 〜 6月14日
       6月16日 〜 7月01日
       7月03日 〜 7月27日
       7月28日 〜 8月21日
       8月22日 〜 9月27日
       9月28日 〜 10月22日
       10月23日 〜 11月08日
       11月09日 〜 11月16日
       11月17日 〜 12月12日
       12月13日 〜 1月07日
    2005 年
       1月08日 〜 1月16日
       1月17日 〜 1月29日
       1月30日 〜 2月14日
       2月15日 〜 3月02日
       3月03日 〜 3月17日
       3月18日 〜 4月02日
       4月03日 〜 5月11日
       5月12日 〜 5月29日
       5月30日 〜 6月07日
       6月08日 〜 6月23日
       6月24日 〜 7月06日
       7月07日 〜 7月25日
       7月26日 〜 8月14日
       8月15日 〜 9月06日
       9月07日 〜 9月26日
       9月27日 〜 10月21日
       10月22日 〜 11月14日
       11月15日 〜 12月09日
       12月10日 〜 12月21日
       12月22日 〜 1月14日
    2006 年
       1月15日 〜 1月26日
       1月27日 〜 2月12日
       2月12日b〜 2月26日
       2月27日 〜 3月08日
       3月09日 〜 3月13日
       3月14日 〜 3月24日
       3月25日 〜 4月14日
       4月15日 〜 6月03日
       6月04日 〜 6月26日
       6月27日 〜 7月09日
       7月10日 〜 8月10日
       8月10日 〜 9月04日
       9月05日 〜 9月15日
       9月16日 〜 9月27日
       9月28日 〜 11月06日
       11月07日 〜 12月16日
    2007 年
       1月01日 〜 2月23日
       2月24日 〜 3月18日
       3月19日 〜 3月31日
         4月01日 〜 5月21日

   のページで 》





● ニュースと感想  (4月01日)

 「道徳の成績評価」について。
 道徳を正式強化にして、成績評価の対象にしよう、という政府の方針がある。
 政府の教育再生会議は29日の学校再生分科会(第1分科会)で、「道徳の時間」を国語や算数などと同じ「教科」に格上げし、「徳育」(仮称)とするよう提言する方針を決めた。「教科」になれば、児童・生徒の「道徳心」が通信簿など成績評価の対象になる可能性がある。
( → 朝日com
 この方針は自己矛盾を含んでいる。
 そもそも、成績評価の基準は、「競争原理」である。「他者に勝とうとすることで、各人が切磋琢磨する」ということだ。
 一方、道徳とは、「公共または他者のために、自己の損得を抑制する」ということだ。
 前者はエゴイズムの推進であり、後者はエゴイズムの抑制である。求める方向が正反対だ。
 とはいえ、両方があるということは、別に、矛盾ではない。人間はこの双方の方針を時と場合によって切り替えて使えばよい。勉強のときにはエゴイズムを発揮して自分のために努力すればよく、弱者が困っているのを見たときはエゴイズムを抑制して自分が親切にして上げればいい。
 ただし、切り替えるのではなく、同時にやるとしたら、矛盾になる。道徳の発揮を成績評価するということは、エゴイズムのために道徳をやるということであり、「エゴイズムを抑制するためにエゴイズムを利用する」というふうになる。これは自己矛盾だ。やれば、崩壊してしまう。制度が崩壊するか、生徒が崩壊するか、どっちかだ。制度が崩壊しなければ、生徒が崩壊する。本来ならば優しく育つはずの子供が、成績をよくするということのためだけに道徳を発揮するようになる。当然、道徳の評価がなされない場面では、「成績がよくならないから、道徳を発揮するのはやーめた」というふうになる。

 教育というものは、確かに大切だが、包丁や刀と同じで、使い方を間違えてはならない。自己の能力を高めるための教育は、エゴイズムを利用していい。しかし、道徳心を高めるための教育は、エゴイズムを利用すると逆効果になる。
 「何でもかんでも競争原理で解決」という悪しき市場原理主義が、根源にある。古典派経済学は、道徳というものをも、根本から汚染してしまっている。
 日本の伝統的な儒教精神や公徳心は、どうなってしまうのか? 「自分の損得のために優しさを発揮する」なんて、真の保守派が聞いたら、嘆くだろう。「カネ、カネ、カネ、の風潮が道徳にまで及んだのか」と。

 [ 付記 ]
 関連する話題。いわゆるボランティア活動についての授業には、問題がある。「ボランティアを強制するのは自己矛盾だ」という反対論と、「ボランティア教育はやはり必要だ」という賛成論と。二つある。
 私としては、次のようにするべきだと考える。
 「授業そのものは実施する。何もしないでいい、ということはない。ただし、各人が何をするかは、あくまで、各人に任せられる。」
 つまり、授業の実施そのものは、強制的。ただし、内容は、自発的。
 たとえば、「老人ホームの訪問」という授業をやる。そこで、お年寄りの話を聞いてもいいし、世話をしてもいいし、施設の掃除をしてもいい。はたまた、何もしないで、ただ傍観して坐っているだけでもいい。どれをやるかは、あくまで各人の自発的意思に任せる。(ただし、サボって英単語の記憶なんかをすることは禁止。その場合には単位を与えない。)
 なお、やったあとで、翌週あたりに、各人の感想を少し語るといい。作文にしてもいい。「のんびりして眺めているだけだと、楽でした」という感想でもいい。それを発表させると、級友たちから総スカンが来るだろうが、これもまた教育。
 なお、生徒が恥ずかしがっていて、何もやらないと困るから、最初の五分ぐらいは、強制する形で体験させてもいい。体験授業。そのあと、実際にどうするかは、各人に任せる。……ここでは、他人のためになることをする、という喜びを味わわせることが大事。
 ついでに、小学校のそばの横断歩道で、黄色い旗を上げたり下げたり、というのをやってもいいですね。年少の子供たちのためになることをやって、かつて自分たちが恩恵を受けていたことを知る。

 こういうことを思うと、道徳教育が一番必要なのは、政府の大人だな。彼らこそ道徳心が完全に欠落している。だからこそ「道徳を成績評価する」という発想になる。
 彼らは、道徳の成績が、最低点ですね。  (^^);

 ( ※ 4月01日だからといって、嘘をついているわけじゃありません。なぜなら、私は道徳心があるので。 …… これだけが嘘。

  【 追記 】
 あとで気づいたのだが、実はこれと同趣旨のことは、前にも述べたことがある。
  → 2004年12月24日


● ニュースと感想  (4月02日)

 マイクロソフトの Word2007 を評価する。
  → Open ブログ 「Word2007 評価」


● ニュースと感想  (4月03日)

 「韓国人の慰安婦問題」について。
 韓国人の慰安婦問題についての私の見解。
 「この問題については道徳的に反省するべし」
 という見解が左翼からは出るし、一方では右翼からは、
 「歴史的にはこれこれの事実だ」
 という歴史的な反駁がある。
 ま、どっちかと言えば、後者の方がマシだが、だからといって私が後者に賛成するわけではない。
 私の指摘したいことは、次の二点だ。

 (1) 戦争と植民地
 慰安婦の問題は、戦争問題ではない、ということ。これを戦争問題として扱う人が多いが、これは植民地問題である。なぜ? 韓国とは交戦状態にはなかったからだ。韓国は日本の味方であり、半・植民地ふうだった。だから問題は「植民地としてはどう扱うべきだったか」というふうになる。で、「イギリスや米国の方が人道的だった」というふうに主張するのであれば、イギリスのアジア人虐待や米国の黒人奴隷がすばらしい、というふうになる。だから日本は、アメリカで反省する方がいいだろう。「慰安婦を奴隷にしなかったのはまったく遺憾であります。慰安婦には金を払いましたが、米国を見習って無償で徴発して奴隷扱いにするべきでした。また、米国のイラク人虐待のように性的虐待するべきでした。まことに申し訳ありません。あの当時は米国人を見習って、奴隷にするべきでした」……こういうふうに米国議会で陳謝するべきだろう。
 なお、私は右翼のように「日本の正当性を主張する」という立場を取らない。日本反省するべきだ。陳謝するべきだ。ただし、その形は、上記のような形にするべきである。
 ついでに最後に一発、こう述べるといいだろう。
 「米国もまた反省して、米国領土をインディアンに返還するよう、希望します。そのために日本が努力してこそ、日本は真に植民地行政を反省したことになるからです。これからは米国領領土から、侵略者たる白人を追放することに、精一杯努力することを誓います」と。

 (2) 喧嘩と錯覚
 ただし、物事の本質を見るならば、日本と韓国のどちらの国益が大事か、ということは、あまり重要ではない。
 たいていの人は「自国が大事」と考える。だから、韓国人は「韓国が偉い、日本はダメだ」と主張し、日本人は「日本が偉い、韓国はダメだ」と主張する。……こういうふうに、両者を客観視するといいだろう。その上で、自分は喧嘩には参加しない方がいいだろう。
 で、高みの見物をしながら見ると、どうなるか? 次のことがわかる。
 「この問題は、歴史の問題ではなくて、社会心理の問題である。洗脳とか錯覚とか、そういう問題である。(ライブドア事件にも似ている。)……要するに、韓国人が日本を攻撃したがり、日本人はそれに反発して逆攻撃する。根本は、韓国人の錯覚だが、その錯覚を指摘するかわりに、その錯覚にまともに反発するところに、日本人の愚かさがある」
 右翼みたいに、正面から論じても、同じ土俵で喧嘩するだけだ。そして、喧嘩というものは、双方が傷つけ合うものだ。何のプラスも生まない。単に「どっちのマイナスが少ないか」というだけだ。第三国から見れば、「馬鹿な兄弟が喧嘩している」としか見えない。
 ここでは、喧嘩することの馬鹿らしさを指摘する方がいい。根源的には、韓国人の錯覚がある。「何でもかんでも日本が悪い」という錯覚。ただの植民地政策を戦争問題と勘違いする錯覚。その錯覚で世界中を塗りたくろうという倒錯。……で、それに対して、何もしないで、なすがままになっている日本政府の愚かさ。この愚かさは、ホリエモンの愚かさと同様だ。自己の正当性を唱えるだけ。社会全体の錯覚を解消しようとしない。だから、錯覚した社会のなかで、敗北する。
 ともあれ、「植民地問題と戦争問題を混同するな」というふうに、錯覚から覚醒させるべきだ。ま、日本の植民地政策は、悪いとこもあったし、良いところもあった。それを歴史的に認識することは、歴史的には大切だろう。が、それを現在に持ち込んで、政治的に利用しようとするのは、我田引水である。……そういうふうに、問題を冷静に扱うように、指摘すればいい。
 しかるに現状は、ひどいものだ。「日本は悪くはない」と主張するばかり。これじゃ、「私は何も悪いことはしていません」と主張したホリエモンと同じだ。墓穴を掘ることになる。
 「ホリエモンは悪党だ」と主張した社会全体が、ホリエモンと同じ立場になっている。狂気の社会。

 [ 付記 ]
 慰安婦の問題を戦争問題としてみるなら、問題はとっくに決着している。戦争に関する補償は全部一括して、韓国政府に支払っているからだ。これは当然であって、日本政府が韓国人のあらゆる被害者を一人一人調査するのは不可能だから、当時の韓国政府に委ねる形で、一括して支払ったわけだ。
 ところが韓国政府はその金を被害者には支払わず、国家の開発資金に投じてしまった。とすれば、被害者に支払われた金を盗んだのは、韓国人全体である。だから慰安婦の補償費は、現代の韓国政府が支払うべきなのだ。過去の韓国政府が盗んだ分を、現在の韓国政府が支払う。……これが当然だ。
 ところが現状では、日本政府にもういっぺん金を払えという主張がある。これは金の二重取りである。人道問題云々というより、国際条約を遵守するかどうかという問題だ。金を二重に取りたいのであれば、二重に取りたいと要求すればいい。しかし、一度払ったものを払っていないかのように言う(そしてもう一度取ろうとする)のは、ペテンである。
 私としては、人道的見地から、韓国人にまた金を払うのは、悪くはないと思う。ただし、そのためには、韓国人がペテンをして二重取りしているということを明白にすることが前提だ。「人道的見地から国際条約を無視する」ということを認識することが前提だ。
 現状では、「人道、人道」ということを唱えながら、ペテンをする人々がのさばっている。しかもそれが世界規模にひろがっているようだ。世界規模の錯覚。
 政府が馬鹿だから、錯覚した相手と同じ土俵に立って、錯覚のなかで対抗している。馬鹿丸出し。あげく、「日本人は強姦魔だ」というような印象が世界中にひろがる。情けないったら、ありゃしない。
 ついでに言えば、これは、韓国人への批判ではない。真実を真実として訴えることのできない、政府の馬鹿さ加減を批判しているのだし、また、相手と同じ土俵に乗って戦う愚をする保守派の人々の馬鹿さ加減をも批判している。相手と同じ土俵に乗って戦うとしたら、その点で、すでに負けている。相手の挑発に乗る馬鹿。喧嘩をする時点で、すでに負け。
 比喩。あなたのところに喧嘩好きの人が来て、「この馬鹿、色キチガイ」と非難した。それに対してあなたは、どうするか? 
  ・ 挑発に乗って、「おれは馬鹿じゃない、おまえこそ馬鹿だ」と正面から喧嘩する。
  ・ 挑発を避けて、「この人は喧嘩っ早い。昔からこれこれ」と真相を暴露する。
 前者の場合、まわり中の人から批判されて、あなたは孤立する。後者の場合は、相手の馬鹿さが暴露され、あなたの賢明さが称賛される。
 「戦わずして勝つ」── これが賢明な道だ。「戦って勝つ」というのは、けんかっ早い粗暴な男の態度。どちらも傷ついたら、第三者が喜ぶだけなんですけどね。

 で、第三者とは? たとえば、金日成です。「こっちはまだ戦後賠償をもらっていないぞ。とりあえず、2兆円ぐらい寄越せ」と言い出しかねない。で、韓国人や(それに賛同する)米国人の主張が正しいとしたら、日本はそのくらいの金を北朝鮮に払う必要がある。拉致の解決は、そのあとでしょう。順序から言って、そうなりますね。
 漁夫の利。誰かが大喜び。

  【 追記 】 ( 2007-04-12 )
 中国や韓国が日本を批判するのに怒って、まともに喧嘩を買おうとする単細胞の保守派が多すぎる。2ちゃんねるに国粋主義者が多いのは知っていたが、知識人にもけっこう国粋主義者が増えているようだ。
 ま、私も、昔は似た意見をもったことがある。朝日を筆頭に、左翼の知識で日本を洗脳しようとするマスコミが多かったから、それに対して反駁する形で、国粋的な意見をもったこともある。だが、この手の連中が増えすぎるなら、私は同調するつもりはまったくない。「朝日は間違いを訂正せよ」という論者も多いが、ふん、弱い者いじめをして、何が楽しいんだか。政府に反発する少数のマスコミをつぶして、日本中をすべて読売みたいに御用新聞にすれば気が済むのか? 「政府万歳」と唱えるプラウダや人民日報みたいな新聞だらけにすれば嬉しいのか? ……こういう「反政府のマスコミつぶし」をしたがる連中は、2ちゃんねるだけで吠えていてほしいものだ。

 では、私の見解は? 
 中国や韓国は確かに、錯覚状態に陥っている。(上述) そのせいで、日本は国際的には不利な状況にある。しかし、この不利な状況は、日本が沈黙しているからであって、中国や韓国のせいではない。中国や韓国を責めるのはお門違いだ。まともに反論しない日本政府をこそ責めるべきだ。(まして、朝日を責めるなんて、とんだお門違いだ。)
 私の見解を一言で言えば、こうだ。
 「中国や韓国が日本を攻撃するのは、日本の国益に合致する」
 嘘みたいな話だが、これはけっこう妥当である。なぜか? 仮に、中国や韓国が日本を崇拝したら、どうなるか? すると、中国や韓国は、第二の日本になるだろう。
 思い返すがいい。日本は戦後、急成長した。その理由は、何か? 米国を憎悪するかわりに、米国を崇拝したからだ。大量の人々が米国に留学したり、米国企業と提携したりして、技術その他を大幅に吸収した。そのおかげで、廃墟同然だった日本が、短期間で米国に並ぶ水準にまで到達した。……ここでは、憎悪のかわりに崇拝があったからこそ、短期間で大幅に相手の美点を吸収できたのだ。
 逆に、日本が米国を憎悪していたら、どうなったか? 戦前・戦中の日本を見るがいい。「鬼畜米英」と呼んだりして、米国の情報を得ることを拒んだ。英語を学ぼうともせず、技術情報を学ぼうともしなかった。ミッドウェー海戦を決したレーダー技術に至っては、日本の技術である八木アンテナの技術を、米国経由で知るありさまだった。つまり、あまりにも情報的に孤立しており、世界の流れから寸断されていた。
 これに似ているのが、現在の中国や韓国だ。新幹線技術を見ればわかるとおり、日本の技術を導入するのをためらっている。これは、「進んで米国の技術を導入しよう」とした日本とは、正反対だ。「米国からあらゆるものを貪欲に吸収する」という態度を取った日本は、戦後に短期間で急成長した。一方、「日本から吸収するのはなるべく慎む」という態度を取った中国と韓国は、成長の度合いを著しく損ねている。
 中国や韓国が日本と喧嘩することは、日本にとってはたいして損ではないが、中国や韓国にとっては大損である。学べるはずの技術を学べないのだから。かろうじてこっそりと真似しているだけだ。こんなことでは、成長の速度は、大幅に遅れる。
 そして、中国や韓国の成長速度が大幅に遅れることで、日本の企業はライバルの脅威を免れることができる。現実を見よう。たとえば、サムスンは、日本の企業を大きく凌ぐほどの大企業になった。現代自動車も、すでに日産自動車を上回るほどの評価を得ている。国同士で喧嘩している状況でさえこうなのだから、韓国が日本から本格的に技術導入をしたら、短期間で日本に追いついてしまうだろう。そうなったら、日本の企業の多くは、韓国企業の後塵を拝することになる。
 要するに、韓国が日本に喧嘩をふっかけてくることは、韓国が自分自身の血を流すことになる。それは日本にとっては有利なことなのだ。(ライバルがのさばらないので。)
 とすれば、「日本は韓国人を慰安婦にして売春婦扱いした」というような誤報を垂れ流せば垂れ流すほど、韓国人は頭がカッカとするので、日本は有利になることになる。だから、どんどん嘘をついて、韓国人を怒らせればいいのだ。ついでに中国人も。怒りっぽい奴らは、どんどん怒らせてしまえ。 (^^)
 ただし、である。そのことで、欧米における日本の評価が下がるのは、まずい。カッコ悪い。そして、その問題は、欧米においてちゃんと宣伝をすれば済むことだ。その問題解決は、日本政府の役割である。

 まとめて言おう。日本に最も好ましいのは、次のことである。
  ・ 民間やマスコミは、デタラメを垂れ流して、韓国人・中国人を怒らせる。
  ・ 政府は、真実を訴えて、欧米社会で日本の正当性を訴える。
 これが日本にとっても最も利口な方針だ。しかしながら、現実には、その逆をやる人が多い。
  ・ 民間やマスコミは、真実を報道して、韓国人・中国人の嘘を指摘する。
  ・ 政府は、真実を指摘しないで、欧米社会で日本の恥をさらして黙っている。
 やるべきこととは反対ですね。


● ニュースと感想  (4月04日)

 本日は特に話題はないのですが、次のソフト(ベータ版:未完成版)を公開しました。
 ソフト自体は完成していますが、インストーラが不完全です。
 素人向けではないので、素人はご遠慮下さい。

  → Open ブログ 「ベータ版公開」
  ※ 略字と正字のチェックをするソフトです。文中に「辻」や「葛」のような文字が含まれていた場合、それを検出します。


● ニュースと感想  (4月05日)

 経済学の教科書(ふうの電子書籍)を、無償公開します。
 詳しくは、下記のページで。
   → 経済学講義


● ニュースと感想  (4月06日)

 しばらく(ちょっと)お休みします。疲れたので。
 その間は、前項の文書をご覧ください。


● ニュースと感想  (4月08日)

 石油節約とアイドリングストップの話。
  → Open ブログ 「石油節約」

 前日分だが、ケータイ電話料金は詐欺だ、という話。
  → Open ブログ 「ケータイ料金の詐欺」


● ニュースと感想  (4月12日)

 中国人や韓国人が日本に対して怒っていることへの、対処の方法。
  → 4月03日 【 追記 】


● ニュースと感想  (4月18日)

 「米国の銃乱射事件」について。
 米国で銃乱射事件があった。
米バージニア州西部ブラックスバーグにある同州立バージニア工科大学で16日午前発生した銃乱射事件の死者は32人、負傷者は少なくとも30人に上った。
( → Yahoo ニュース

 校内での乱射の約2時間前に、犯人と見られる男が学生寮で女子学生と言い争っており、仲裁に耳も貸さない様子だったことが目撃されている。どうやら女子学生が他の男とデートしたことを疑った犯人が、怒りに任せてその場で女性と仲裁者の二人を射殺、その後、学校に乗り込み、教室内で銃を乱射したもようだ。犯人は大量の弾薬をもち、銃弾を詰めたベストを身に着けていたという。
( → Yahoo ニュース
 これを見てマスコミは「米国の暗部が出た」「銃社会の問題」などと論評している。ま、妥当な見解だろう。ただし、そういう話だけだと、本サイトの読者は満足しないはずだ。ひねった見解を聞きたがるだろうから、私の見解を示す。

 米国は日ごろ、「テロを撲滅」と唱えて、飛行機への搭乗などでうるさいほど警戒している。たとえば、ペットボトルを没収するので、機内にペットボトルを持ち込めない。(日本国内便も同様?)
 米国の犬である日本も同様のことをするから、日本発の国際便では、(ペットボトルがないので)数時間もの間ずっと水を飲めなくて、乗客はとてもつらい思いをするそうだ。( → ブログ感想
 こういうふうに、あれやこれやと禁止して、「テロを撲滅」と唱える。しかしその発想は、まったく尻抜けである。そのことが今回のことからわかった。いくらテロリストを警戒しても、肝心の国内で銃乱射事件が起こって、テロと同様のことが起こるわけだ。

 その本質は? 「米国は銃社会である」と言ってもいいが、同じことをこう言い換えてもいい。「米国そのものがテロ国家である」と。
 誰でも銃を持てて、誰でも平気で銃を乱射できる、なんていう状況を放置する国家は、まさしく、テロを容認する国家である。「テロをしてはいけない」という法律があっても、「テロをする銃をいくらでも所有していい」となっているのだから。これを比喩で言えば、「誰でもご自由にサリンをお持ち下さい」とか、「誰でもご自由に核兵器をお持ち下さい」とか、そういうふうに大量破壊兵器を野放しにするのと同様である。まさしく、テロ国家。

 で、米国は、「自分自身がテロ国家である」ということに気づいていない。これが肝心だ。そのせいで、イラクでテロ活動をしてイラクを破壊し、その手のの手が、ブーメランみたいに返ってきて、自分自身を破壊するのである。
 テロ国家の手は、イラクのような外国を破壊するだけでなく、自分自身をも破壊してしまう。自業自得。自己破壊。── そのことが、今回の事件から得られる教訓だ。
 で、米国は相変わらず、「これは他人のせいだ」と言い張って、自分のせいだとは思わないのだろう。「おっ。犯人は中国人か。これは中国の陰謀だ」と言い張って、中国に戦争をふっかけるかもしれない。(セルビア事件と第一次世界大戦みたいなものかな。)(で、そのあとで、「犯人は中国人ではなく韓国人だ」と判明する。)
 まったく、狂人というのは、手に負えないね。今回の事件で、狂っているのは、銃乱射の犯人じゃない。米国そのものだ。

 さて。ここで問題だ。いったいなぜ、米国はこういう狂気の状態になったのか?
 それは、米国憲法で銃の所有が公認されているからだ。そして、それというのも、開拓時代に銃を保有するのが当然だったからだ。それというのも、米国そのものがインディアンを殺害して侵略した、侵略国家だからだ。
 今の米国人は、テロリスト(インディアンを殺した侵略者たち)の末裔なのである。で、テロリストが武器を保有するのは当然である。つまり、テロリストの末裔たちが、過去のテロの名残としての制度を捨てられないせいで、自分で自分を傷つける行為をするわけだ。
 米国が銃の所有を認める制度を捨てられないのは、米国人がテロリストの末裔だからだ。米国は、過去のテロ行為(侵略行為)の復讐を受けているのだ。

 [ 付記 ]
 それでもテロリスト(の末裔)たちのために、サービスしてアイデアを送ってあげよう。彼らが頭を働かせれば、銃を捨てられなくとも、妥協案をとることができるはずだ。次の(1)(2)のいずれかように。

 (1) 拳銃の保有を禁止する。
 つまり、ライフル銃のような長い銃だけを許容する。長い銃だと、大学に入るときには、すぐにバレる。バッグに入れているなら、取り出すときに、まわりの人が気づいて、取り押さえることも可能だ。また、動かすのが困難なので、背後から襲いかかれば、犯人を倒しやすい。……というわけで、銃乱射事件は、起こりにくい。
 特に、連発を禁止して、二発までのライフルにすれば、乱射事件はまず起こらない。3発目を詰めるときに、犯人が取り押さえられるからだ。

 (2) 拳銃の口径を制限する。
 仮に拳銃を認めるにしても、その口径を制限するべきだ。これは非常に重要である。拳銃は、口径により、まったく別の銃になるといってもいいぐらいだ。
 22口径なら、心臓などの急所を狙わない限り、人を殺すことは困難だ。ケガをさせるに留まる。銃弾はたいてい、体内で留まる。
 38口径なら、人を容易に殺せる。銃弾はたいてい、貫通する。胴体を撃てば、腹から背中に突き抜ける。そのあと、出血多量で死ぬことになる。ハンカチで傷口をふさいだりするが、血はどんどん流れていく。
 45口径なら、殺傷力は強大だ。相手がとても大柄でも、銃弾は必ず貫通する。貫通するというよりは、銃創(傷口)が大きく開く。爆破されたような感じになる。
 さらに上の44マグナム(ダーティ・ハリー愛用)だと、動物のサイや自動車をも止めることができる。自動車のエンジンブロックが壊れてしまうようだ。すごいですね。撃った本人も反動で後方に吹っ飛ぶ感じだ。
 なお、重さは長さの三乗に比例するから、口径が倍になると、重さは8倍になる。写真で見るなら、→ このページ
 
 「口径を制限する」というと、「それじゃ大柄の強盗を止めることができない」という反論が出るだろうが、ふん、そんなのはほとんど無意味だ。なぜなら、口径が大きくても、強盗を止めることはできないからだ。理由は:
  ・ たいていの人は銃を撃った経験がないので、いざというときに撃てない。
  ・ たとえ引き金を引いても、たいてい、はずれる。(上にはずれる。)
 要するに、素人が銃をもっても、いざというときに強盗が来たって無意味なんです。銃というのは、撃つためにあるんじゃなくて、「撃つぞ」と脅かすためにある。強盗としては、自分の目玉に銃弾が当たると怖いから、脅された段階で引き下がる。「撃たれてものしかかる」なんているのは、よほど肝っ玉の据わったマフィアぐらいだ。で、マフィアが相手なら、こっちがどんな銃をもっても、しょせんはかないません。
 
 私としては、拳銃よりは、スタンガンの方が効果的だと思いますよ。こっそり隠しておいて、相手が近づいたら、「ビビッ」とやって、吹っ飛ばす。
 実際に拳銃を撃つのは、とてもお勧めできませんね。一発目を撃った直後に、相手にぶんなぐられて、あとは殺されるのが関の山だ。
 でなければ、あらかじめ、何十発も撃つ訓練をするしかない。そこまでやる人は、あまりいないでしょう。
(……以上は米国人向けのガイド。書いても無駄だったか? 日本語を読めるわけじゃないし。とすると、これは拳銃オタク向けの雑談だったかも。  (^^); )

 おまけで一言。
 現実には、拳銃どころか、自動小銃という名のマシンガンも許容されている。これは米国では、10年間だけ禁止されていたが、その後に再び許容状態に戻った。気違いじみたテロ国家。
 自動小銃なら、映画のランボーが銃を乱射するのと同じ。一秒間に数十発を打ち込んで、自動車さえもあっという間にボロボロにして炎上させる。そういうのを、誰でも所有できるわけだ。これを大学で使ったら、どうなることやら。……つまり、テロ(の実行条件)が許容されているわけだ。飛行機以外では。  (^^);


● ニュースと感想  (4月19日)

 「スポーツ特待生」について。
 ドラフト(希望枠)指名選手に五億円もの金が流れていた事件が発覚したが、その前に、西武への入団を確約した早大生の事件が発覚した。その早大生の出身高校で、特待生の制度があったことが発覚したので、この高校を高野連が除名にすると騒いでる。で、マスコミは今度は「高野連はおかしい」と主張している。
 特待生制度をすべて悪と決めつけられるだろうか。
 特待生制度は、ほかの学校にも広がっている。勉強はもちろんのこと、ほかのスポーツでも優秀な生徒の授業料や入学金を免除する私立高校は少なくない。なかには寮費も無料という学校もある。
 学校からすれば、勉強やスポーツに秀でた生徒を集めることで独自色を出し、学校の知名度をあげたい。生徒からすれば、勉強の成績や得意な競技で授業料などを免除してもらえれば、家庭の負担が減る。そうしたことを全く否定することはできまい。
( → asahi.com

 サッカー、卓球、陸上……。野球以外の競技では広く認められている制度だ。野球だけが、日本学生野球憲章違反だとして学費や寮費などの免除が受けられる特待生制度を禁じている。
 高野連は「勧誘に金銭が絡んだり、第三者が介入したりするおそれがある」と説明する。特待生待遇をしないよう会長通達を1年半前に出したのは、現場になお、この制度が存続していることを高野連としても承知していたからだろう。
 もちろん、選手の高校進学にあたり、行きすぎた勧誘や利益供与、ブローカーの介在などがあってはならない。
 だが、それは、どの競技にも言えることだ。もはや、野球だけが主要なプロスポーツとされる時代でもなくなった。
 「なぜいまだに野球だけが」という現場の疑念を、高野連は真摯(しんし)に受け止め、検討に入るべきだろう。
( → 読売新聞
 言っていることは妥当だし、私が前に早大生の事件のときに言ったこと( → 3月12日b )と同様だ。だから、今回の社説に関する限りは、私も賛同する。(というか、社説の方が私に賛同している。)
 しかし、問題は、早大生の事件との整合性だ。あちらの事件では、やはり「スポーツ奨学金」の意味で西武が金を出したが、ここではマスコミは球団と学生を指弾している。こちらでも、今回の社説と同様に、奨学金としての意味があり、特に問題はないはずなのに、態度が正反対だ。
 つまり、二重基準。不整合。矛盾。二枚舌。── そういう問題がある。

 一般的に言おう。
 学業を理由とするのであれ、スポーツを理由とするのであれ、(企業や学校が)奨学金を出すことは決して悪いことではない。むしろ、授業料を高くする国の方針の方が、ずっと悪い。こちらが悪なのであって、この悪を相殺しようとする奨学金は、悪ではなくて善なのだ。
 なお、その善の行為をなすときに、金を出す方には何らかの魂胆があるかもしれない。「あとで入団してくれ」とか、「学校の売名になる」とか。……だとしても、それはちっとも悪いことではない。
 「あとで入団してくれ」というのは、ただの青田買いである。これは、悪ではなくて、ルール破りにすぎない。そして、そのルールとは、ただのカルテルである。カルテルを破ることは、業界内では悪であるが、一般民衆にとっては善である。(比喩的に言えば、暴力団の掟を破って、仲間を裏切り、世間に善をもたらすようなものだ。テロリストが仲間を裏切るのと同様。仲間には悪だが、世間には善。)
 「学校の売名になる」というのが悪であるなら、早大で特待生ふうに入学した、佑ちゃん(ハンカチ王子)や愛ちゃんだって、やはり同様に悪党だということになる。片や世間のヒーローやヒロインであり、片や別の早大生は大悪党と見なされる。……マスコミの態度はメチャクチャだ。

 最後にひとつ、お馬鹿なマスコミのために、論理矛盾を指摘しておこう。
 読売の社説では、「勧誘に金銭が絡んだり、第三者が介入したりするおそれがある」という懸念を示している。だが、これは、話が逆だ。
 「勧誘に金銭が絡んだり、第三者が介入したりするおそれがある」のは、特待生の制度がない場合である。制度がなければ、入学時に多額の金額を裏金として出したり、第三者が介入したりする恐れがある。だが、特待生の制度があれば、堂々と授業料免除や奨学金を受ければいいのであるから、入学時の裏金や第三者の介入という恐れはない。
 比喩的に言おう。公共事業の入札のときに、「随意契約」や「指名入札」にするなら、裏金が流れたり政治家が介入したりする恐れがある。しかし完全に公正な入札がなされれば、裏金が流れたり政治家が介入したりする恐れはない。
 だから、「勧誘に金銭が絡んだり、第三者が介入したりするおそれがある」という問題をなくしたいのであれば、特待生制度をやめればいいのではなく、特待生制度を堂々と導入すればいいのだ。なのに、現実には、その逆だ。論理が狂っている。論理的思考ができない。頭の方向が正反対だ。
 なお、この狂気の論理がまかりとおったら、「金銭が絡んだり、第三者が介入したりするおそれがある」ということを理由に、公共事業の一般入札はすべて廃止され、すべては談合と政治家の決定により、裏取引で決まることになる。

 で、ここまで考えて、やっとわかった! 高野連というのは、土建業者と同じで、談合をやっている連中なのだ! 裏で汚い金をくすねているのだろう。だから、あえて、メチャクチャなことをやっているのだ。
 で、マスコミもまた、同様なのだろう。その証拠。新聞社は、新風舎の詐欺を指弾しない。なぜ? 新風舎から莫大な広告費をもらっているから。同じ穴のムジナ。詐欺師と一蓮托生。


● ニュースと感想  (4月20日)

 「銃砲と暴力団の対策」について。
 長崎市長が射殺されたことに関して、マスコミや政治家は「暴力反対」とか「銃砲所持の禁止」とかの主張をしている。しかし、「暴力反対」と言って暴力がなくなるはずはないし、また、「銃砲所持の禁止」と主張して厳罰に処しても、自殺する気でいる犯人を抑制できない。
 (ついでだが、今回のように公の場で銃砲を発射した場合には、「無期又は三年以上の有期懲役に処する」とのことだ。だが、ひどい殺人罪ならば無期懲役または死刑なのだから、銃器の問題にはならない。)

 では、今回の犯人は、自殺する気でいるとしたら、狂人だったのか? いや、狂人だとは思えない。むしろ怨恨による正気の殺人だと思った方がいい。ここで、その怨恨というのが問題となる。

 朝日の記事によると、同種の暴力団のトラブル(行政とのトラブル)は、とても多いようだ。しかも、そのすべてに共通していることがある。それは、金をめぐるトラブルだ、ということだ。
 しかも、この金は、1億円を儲けようというような欲の張ったものではなくて、数十万円から数百万円程度の、比較的少額の金であることが多い。とても命をやりとりするほどの金ではない。── そして、そこにこそ、本質がある。
 1億円をめぐるトラブルなら、取れなくても暴力団はあっさり諦めるだろう。1億円を取るのをやめて、どこかで千万円ぐらいを取って、それで我慢するはずだ。しかし、数十万円から数百万円程度の金だと、あっさり諦めるわけには行かない。なぜなら、その金は、自らの生存のための金だからだ。その金がなければ、生活費を得られない。つまり、餓死する(人生が破綻する)。つまり、命を失う。……となれば、その金を得られなければ、「相手を殺して自分を死ぬ」という方針を取るのは、ごく正常なことである。どうせ死ぬなら、自分一人で死ぬよりは、自分を死ぬハメにした相手を殺して自分も死ぬ方がマシだ、と思うだろう。

 ここに本質がある。これは人間性の本質だ。こういう人間性の本質を見抜くことが大切だ。
 犯人は悪ゆえに殺人をしたのではない。生きようとして生きられなかった(人生が破綻した)がゆえに、自分といっしょに他人を道連れにしただけだ。しかも、その他人とは、そこらにいる通りすがりの第三者ではない。犯人の人生を破綻させたことについての最高責任者である(実際にそうであるというよりは、犯人がそう思い込んだ、ということ)。
 だから、心理的な事情は、こうだ。犯人が殺人をなしたのは、彼が根っからの悪人であるからでもなく、彼が狂人であるからでもなく、彼が窮状に追いやられたからだ。そのあげく、窮鼠猫を噛む、というふうになったのだ。
 ここでは、心理学でもよく示されるように、心理が突発的に変化する。連続的に少しずつ変化するのではなくて、追いつめられたあげくに突発的に過激な行動を取るようになる。

 ここまで理解すれば、物事の本質もわかる。
 事件の根源は、(犯人のように)精神が少し歪んだ暴力性のある人間がいることではない。そういう人間がいるのはどうしても避けられない。人間社会というのは、そういうものだ。で、「だから厳罰に処せよ」と主張したところで、もともと死ぬ気でいる人間には何の効果もない。
 事件の根源は、こういう人間がいることではなくて、こういう人間を窮状に追いつめる社会にある。その社会とは? 学歴も低くて暴力性の高い人間が、うまく生きる権利がない、という社会だ。
 古典派経済学者は、「能力のある人間が報われる社会にせよ」と言う。では、能力のない人間は、どうすればいいのか? 能力の有無は、天の配剤であり、一人一人の人間がどうすることもできない。古典派経済学者が野球をしてもイチローや松坂のようにはなれないように、そこらの暴力団員が経済学を研究しても大学で職を得ることはできない。そこらの暴力団員にできることと言えば、町工場で働くことぐらいだ。しかし、町工場で働けば、今は生活保護費以下の金しか得られないことが多い。ワーキングプア。

 要するに、社会そのものが、暴力団員になるような社会の底辺層を虐待している。虐待された低学歴の人々には、ワーキングプアになるか、ワーキングプアにもなれないか、いずれかしかない。ワーキングプアにもなれないとしたら、餓死するか、犯罪予備軍の暴力団員になるか、犯罪実行軍の泥棒になるか、いずれかしかない。
 これが現在の社会だ。とすれば、社会の底辺層から、ときどき暴発する人が生じるのは、きわめて当然のことなのだ。(正当だと弁護するつもりはないが、そういうふうになるのは避けがたい。)

 とすれば、解決策は、ただ一つ。銃器を制限することではなくて、景気をよくすることだ。暴力団員が正業に就けるように、雇用の場を大量に用意することだ。「金利がゼロ程度」というような状況を「景気回復」と呼んでゴマ化すのではなく、金利が自然に4%ぐらいにまで上がるような経済状況を整えることだ。そうしてこそ、「暴力団を辞めて正業に就きなさい」というふうに誘導することができる。
 現実は、そうなっていない。単に「暴力を許すな」と叫ぶ人ばかりが多い。要するに、そういうマスコミ連中は、「社会の底辺層は死ね」「無能なものは死ね」と言っているに等しい。「おれは有能だから儲ける資格があるが、無能な者は生きる資格がない。おまえたちは死ね」と言っているに等しい。
 殺人を容認する悪党は、むしろ、マスコミや政治家だ。今回の犯人は、他人を殺して自分も死ぬ気でいたが、マスコミや政治家は、他人(弱者)を死なせて自分だけはぬくぬくと生きて大金を稼いでいる。

 [ 付記 ]
 読売の報道によると、この犯人はセルシオに乗ったり高級腕時計をもっていたりして、けっこう優雅な生活を送っていたようだ。だが、これは過去の名残で、現実には経済的に困窮していたようだ。
 ま、どっちみち、この人が正業に就くことは難しい。なぜなら、この人に限らず、中高年は正業に就くことが難しいからだ。若くても、派遣社員がせいぜい、というところ。失業者はかなり減ってきたようだが、アルバイトが増えているぐらい。膨大な数に上るアルバイトや派遣社員が正社員になるのは、まだまだ無理です。
 明け方に少しだけ日が射したからといって、それをもって「今は夏の真昼です。陽光が燦々と照っています」と称するのは、とても無理です。(だけど政府とマスコミは、いずれもそう称したがる。超楽観主義。別名、ペテン。)


● ニュースと感想  (4月21日)

 字体チェック用のソフトを公開します。
 先日はベータ版を公開しましたが、このたび、正式版を公開します。
  → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/soft/jitaichk.htm


● ニュースと感想  (4月23日)

 「三角合併」について。
 三角合併が導入されるという。これは、次のように説明される。
 三角合併とは、会社を合併する際、消滅会社の株主に対して、対価として、存続会社の株式ではなく親会社の株式を交付して行う合併のこと。平成17年に成立した新会社法では、消滅会社の株式の対価について、存続会社の株式ではなく、現金その他の財産(例えば親会社株式。外国会社の株式ということもありうる)を用いてもよいことが明確化された。
( → 野村證券
 上記の説明はちょっと変である。「現金」を払うのであれば、ただの買収(TOB)と同じだからだ。「三角合併」というのは、通常、親会社株式を対価とする。特に、外国会社の株式である場合が、問題となる。

 さて。これは、経済問題というよりは、株主にとっての問題だから、私は興味がなかった。ところが、読売(朝刊・1面・コラム 2007-04-22 )で、竹森俊平がこれを論じている。私は「ほほう、どういう論旨かな」と思って、呼んでみたが、あまりにもメチャクチャな論旨なので、呆れてしまった。
 その論旨は、こうだ。
 「三角合併は、市場原理を強化するので、善である」
 つまり、何もしないと、旧来の会社がそのまま存続するが、外国の会社が参入して、買収してしまえば、市場競争が強化される。優勝劣敗という原理が強化される。ゆえに、善である── という論旨だ。
 こういうのを、我田引水という。

 竹森俊平が述べているのは、「外国の会社が日本の会社を買収することは善である」ということであり、その理由が「市場原理による優勝劣敗」だ。しかし、それは、話題となっていることとは違う。「外国の会社が日本の会社を買収することは善か悪か」ということは、話題になっていない。かわりに、次のことが話題になっている。
 「外国の会社が日本の会社を買収するときに、その対価は、現金であるべきか親会社の株であるべきか」
 たとえば、(架空の話だが)自動車会社のいすゞが米国のGMに買収されるとしよう。ここで、いすゞの株主には、二通りの可能性がある。
  ・ 現金でいすゞの株を買収される
  ・ GMの株でいすゞの株を買収される
 前者ならばTOBであり、後者ならば三角合併だ。で、後者の場合、いすゞの株主は、GMの株を日本国内では売れないので、売るためにはわざわざ米国の証券市場にまでもっていかないとならない。それではいすゞの株主が困る。……というのが、問題の是非だ。
 ところが竹森俊平は、その論点を逸らしてしまう。「いすゞがGMに買収されれば、市場競争が進んで、優勝劣敗が進むので、日本経済にとっては好ましい」と主張する。
 
 論点逸らし。これは「私有財産制」という資本主義の制度を否定してよいかどうか、ということを問題にしているときに、「国にとっていいから善である」というふうに主張している。
 これはまあ、中国共産党の発想である。「国家にとって善であるから、個人の私有財産の権利を制限してしまえ」というわけだ。共産主義丸出し。
 で、その共産主義の発想を是認するために、「市場原理」という資本主義の原理を持ち出す。……自己矛盾。

 まとめ。
 三角合併が善か悪か、という問題は、株主利益の保護の問題であるから、私としては特に論じない。
 ただし、この問題を、国家経済の損得の問題で論じるのは、まったくお門違いである。問題の本質を逸らしてしまっている。個人の損得の問題を、国家の損得の問題に移してしまっている。
 論点逸らし。論理のデタラメ。……こういうことをやる人は、経済学者でもないし、学者でもない。ただのペテン師である。
 ( ※ で、ペテン師の論考を堂々と1面に載せる新聞は、ペテン師のための新聞である。

 [ 付記 ]
 似た話題がある。MBOの不正の話題。( → 朝日com )(朝日・朝刊・経済面 2007-04-22 )
個人株主どう守る 経営陣による自社株買収
 経営陣らによる自社株買収(MBO)が波紋を投じている。一部の個人株主は「株の買い取り価格が安すぎる」と反発、適正価格の決定を裁判所に申し立てた。
 レックスHDはMBOに先だつ昨年8月、06年12月期決算予想を下方修正した。その1カ月後には、株価が半値に急落。
 「株価を引き下げる狙いで業績を下方修正したのでは」という。
 これは、ひどい不正ですね。ペテンと同様だ。旧来の株主は大損だ。
 だけど、竹森俊平なら、「市場原理の強化による、日本経済の改善」を理由として、株主利益を損なうことを是認するだろう。

 ライブドアのホリエモンも、竹森俊平を証人として呼べばよかったのにね。彼のトンデモな屁理屈を使えば、経理の不正をうまく正当化できそうだ。そうすれば無罪になれたのに。
 検察は小悪を巨悪に見せかけることに成功したのだから、弁護士だってうまくやれば小悪を無罪に見せかけることに成功するかもしれない。……そのために必要なのは、ペテンの能力だ。


● ニュースと感想  (4月24日)

 「捏造の捏造」について。
 テレビ番組で「納豆ダイエット」の捏造が報道されたが、それに類似する話として、「NHKの『ためしてガッテン』の番組内容も捏造している」という週刊現代の記事があった。
 これについては、すぐにNHKが反論した、という記事があった。4月9日ごろ。( → 記事
 ただ、新たに、NHKのサイトで、詳細な解説を見た。
   → ためしてガッテン

 これを見て、驚きましたねえ。週刊現代の記事は、誤解というどころじゃない。捏造である。
 つまり、「NHKは捏造をした」という記事を捏造している。(!)
 
 マスコミがひどいのは承知していたが、ここまでひどいとはね。

 [ 付記 ]
 「NHKは番組を捏造した」という記事を、週刊現代は捏造した、という話を南堂が捏造した、……ということはありません。(出典は明示してある。)


● ニュースと感想  (4月26日)

 「中国の2ちゃんねる」について。
 中国人や韓国人が日本に対して怒っていることに関連して、面白い話を読んだ。週刊誌の SPA の最新号にある、さかもと未明の漫画に出てくる話。中国人と結婚した日本人女性の話によると、一般の中国人は日本に反感を持っていないらしい。
  ・ 南京虐殺なんか「何それ?」という感じ。(若者は昔のことなんかどうでもいい。)
  ・ 日本と喧嘩すると、「日本企業が撤退すると職がなくなるから困る」と怯える。
 
 なるほど。もっともである。普通に働いて仕事をしている人であれば、政治なんかより日々の生活費のことが重要だから、そういうふうに思うのは当然だ。合理的思考。
 
 さて。中国人や韓国人が日本に対して怒っていることについては、対処の方法を、4月12日に書いた。( → 4月03日 【 追記 】
 ここでは、こう書いた。
  「中国や韓国が日本を攻撃するのは、日本の国益に合致する」
 逆に言えば、「中国や韓国が日本を攻撃するのは、中国の国益に合致しない」となる。で、そのことを、普通の中国人はちゃんと理解しているわけだ。
 ではなぜ、「中国や韓国が日本を攻撃する」というのが、大きく話題になるのか? それが問題だ。
 で、私がひらめいたのは、こうだ。
 「日本はけしからん、というふうに中国で大騒ぎしているのは、中国版の2ちゃんねらーである」
 彼らは、自分では働かないから、日本を攻撃したって、ちっとも困らない。で、暇な時間に、パソコンと向かいあって、日本を攻撃することで、憂さ晴らしをしているのだろう。
 一方、それに反発して「中国の馬鹿野郎」と騒いでいるのも、(本家たる)日本版の2ちゃんねらーなのだろう。
 結局、両国の2ちゃんねらー同士で、喧嘩し合っているわけだ。

 ここから、ちょっと飛躍して(誇張して)結論すると、こうなる。
 「日本でも中国でも、相手国の悪口を言っているのは、まともな正業に就いていないネット・オタクばかりである」
 ここで、「〜ばかりだ」と言い切るのは、誇張がすぎるかもしれない。でもまあ、そういう傾向はあるだろう。
 たとえば、小林よしのりのような漫画家も、多くの保守派の評論家も、自分ではまともな実用品を生産していない。農産物も工業製品も生産していない。単に言葉や漫画を書いているだけだ。
 要するに、彼らは、正業に就いていない。だから、日中関係が破壊的になっても、ちっとも困らないわけだ。
 ちなみに、最新のニュース。
 対中貿易、初めて対米上回る 06年度の統計
 財務省が25日発表した06年度の貿易統計(速報)で日中間の貿易額が日米間を初めて上回り、中国が日本の最大の貿易相手国となった。日中貿易は香港を含めれば04年度から日米を上回っているが、中国本土単独で米国を抜くのは戦後初という。日本の貿易全体では、輸出から輸入を引いた貿易黒字が前年度比16.4%増の9兆540億円と2年ぶりに増えた。
 輸出入合計の貿易総額は対中国が25兆4276億円で、対米国の25兆1608億円を上回った。
 対中国は輸出額、輸入額とも8年連続の増加。輸出は前年度比21.2%増の11兆3145億円で、ゲーム機や家電向けの電子部品の輸出が好調だった。輸入は同13.0%増の14兆1131億円で、衣類や携帯電話が大きく伸びた。  対米では、乗用車などの輸出が好調で貿易黒字は同13.5%増の9兆960億円となり、85年度以来過去2番目の金額を記録した。 ( → 朝日com
 以前、「米国がくしゃみをすると、日本が風邪を引く」と言われたことがあったが、それを上回る関係が日中間に成立しているわけだ。
 とすれば、日中が大喧嘩して得をする人など、日本にはほとんどいないと言える。先日に述べたように、ただの中国による対日的な嫌悪感に留まっている限りは、中国が損をするだけだ。しかし、本格的に喧嘩をしたら、日本も中国も大変なことになる。たとえば、国交断絶したら、大変な経済混乱になる。(百円ショップもみんな倒産するから、消費者も困る。)
 こういう恐怖は、まともに正業に就いているのであれば、わかるはずだ。たとえば、ソニーやキヤノンや日産の社員であれば、「うちの中国工場はどうなるんだろう。操業停止になったら、莫大な赤字が出るぞ」とすごく心配になるはずだ。
 しかしながら、まともに正業に就いていない人は、違う。自分では何も生産しない連中は、他人に喧嘩を煽って、大喜びするだけだ。
 これ、2ちゃんねらーなり。是弐局番者也。


● ニュースと感想  (4月27日)

 常温核融合は、トンデモだったのか? その真相は? 
  → Open ブログ 「常温核融合の真相」


● ニュースと感想  (4月28日)

 シュレーディンガーの猫についての新しいページを公開しました。
   → 「重ね合わせ」とは何か?

 ※ すでに公開した「シュレーディンガーの猫の核心」というページの続編で、解決編です。


● ニュースと感想  (4月30日)

 量子力学について、「力とは何か?」という新しいページを公開しました。
  → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/force.htm


● ニュースと感想  (5月03日)

 「スポーツ奨学金」について。
 高校野球で、奨学生が授業料減免を受けていたことが問題視されたが、この選抜高校野球が混乱しているという。
( → Yahoo ニュース

 呆れたものだ。私は先に( → 4月19日 )、西武球団から金をもらった大学生の件について、奨学金をもらう好ましい生徒のことを指摘して、どっちも似たようなものだと書いたが、これを逆の方向に解釈しているようだ。「大した悪ではないから全員無罪」という私の主張とは逆に、「大した悪でなくても全員有罪」というふうにしている。頭が狂人的。
 
 さて。ここで面白い話がある。
 こういうふうに生徒のことをあげつらう大人たちというのは、よほど清潔なのだろう。もちろん、金品を受け取ることのない、清廉な聖人君子であるはずだ。だからこそ、家計の援助のために奨学金をもらった善良な生徒を批判するわけだ。
 では、こういう大人たちは、どのくらい清廉なのか? ちょっと調べてみた。
   → 高野連の規約
 すると、次の条文が見つかった。
 「第22条  役員は、有給とすることができる。」
 ほう。有給であるわけだ。金をたっぷりもらっているわけだ。ご立派なものです。自分はそれほど金をもらっているからこそ、生徒に金をもらうのを禁じるわけだ。(厚顔無恥というのはそういうものだ。)
 で、その金は、どこから得たのかというと、生徒の野球を食い物にする形で、金を得ているわけだ。金をもらっているというよりは、高校野球で入った金(甲子園の入場料や企業からの寄付金など)を、勝手に操作して、自分たちの懐に入れているわけだ。……ま、ピンハネをするようなものだ。(女のヒモみたいなものですかね。)

 ま、それでも、本人がよほど優秀だというのならば、異論はない。高校野球をやっているあらゆる高校生が「ありがとう」と感謝するようなことをしているのであれば、大幅に高給でも誰も文句は言うまい。
 で、現実は? 世間の常識から外れることをして、各界から非難囂々(ひなんごうごう)だ。
 では、彼らはなぜ、そういう非難を聞いても、まともに反省できないのか? 
 役員名簿を見て、合点が行った。年齢のせいです。75歳です。ボケているんですね。

 [ 余談 ]
 老人会長は、自分はいつまでも若々しいぞ、と自慢した。そして相手に言った。  「私がボケていると思ったら、いつでもそう告げてくれたまえ。そう言われたら、いつでもさっさと辞任するつもりだよ」
 相手は答えた。「ボケてから言っても、遅いでしょう」
 会長は再度、質問した。「それじゃ私は、どうすればいいのだね?」
 相手はゆっくり首を振った。「今さら私が何を言っても、手遅れです」


● ニュースと感想  (5月03日b)

 「スポーツ奨学金・その2」について。
 問題を整理して、次の三点を指摘しておこう。

 (1) 授業料の減免
 「野球を理由に金をもらうのがいけない」というのが高野連の主張だが、これは話を取り違えている。「金をもらう」のではなく、ただの「授業料の減免」である場合がほとんどだ。
 「野球の上手な選手が年に数百万円ももらう」というようなプロ行為ならば問題だろうが、「授業料の減免」ならば、どうってことはあるまい。そもそも、それを言い出したら、公立高校の生徒はみんな税金によって授業料の減免を受けている。全員が奨学金をもらっているのに等しい。高野連の主張を取り入れるのであれば、公立高校をすべて出場禁止にするべきだろう。(本末転倒だが。)

 (2) みんないっしょ
 高野連の指針だと、「一般生徒と同じ条件で奨学金を与えるのならばいい」ということになっている。これだと、公立高校は引っかからない。
 しかし、この方針は、つまりは、「みんないっしょ」ということだ。あることについて、それ自体の良し悪しが問題なのではなく、みんなといっしょであるかどうかということだけが問題となる。
 奨学金で金をもらう(というより減免される)としよう。そのこと自体は、よくも悪くもない。ただし、一般生徒とは別にもらうのであれば、それは悪。一般生徒といっしょにもらうのであれば、それは善。── ここでは、「みんないっしょ」ということだけが、善悪を決める基準となる。
 これは高校野球の体質だ、とも言える。「連帯責任」ふうの理屈。野球部には関係のない不良が一人暴力事件を起こすと、野球部が連帯責任を食って出場禁止になる、というやつだ。……過剰な倫理観。
 要するに、高校野球関係者は、「自分だけいい子ぶっていたい」というだけだ。それで、野球部員を泣かせるわけだ。

 (3) 法律違反
 朝日新聞のスポーツ面( 2007-05-03 )の主張(記者の個人的な主張を一般記事の体裁を取る姑息な方法の記事)を見ても、高野連の今回の方針には、まったく根拠がないとわかる。「これこれの根拠があります」というのは、どれもこれもあやふやな根拠ばかりだ。
 それよりは、反対の方向で、明確な法律違反も見られる。それは、「いったん奨学金を与えるという方針を示したあとで、その奨学金を撤回すると、民事上の契約違反になる」ということだ。民法の法律違反となる。
 で、高野連の方針が推進されると、こういうれっきとした違法行為が推進されることになる。しかも、お金がないので、授業料を払えなくなり、退学せざるを得なくなる生徒が多くある、ということだ。(別の記事)

 まとめ。
 過剰に善を唱えると、かえって社会を悪化させる。
 たとえば、「白川の水の清きに住みかねて、元の濁りの田沼恋しき」というのがあった。
 また、「お犬様」を過剰に大切にする、徳川綱吉の「生類憐みの令」というのもあった。
 どちらも狂気的だが、今回の狂気的な事件も、それに匹敵するだろう。


● ニュースと感想  (5月04日)

 「スポーツ奨学金・その3」について。
 この問題については、朝日と読売の論調が正反対だ。
 前項で述べたように、朝日の論調は、高野連を支持する。一方、読売の論調は、高野連を激しく批判する。(どちらも 2007-05-03 の朝刊)
 ここでゲスの勘ぐりをしよう。どちらの論調も、実は、自分の利益を狙っているのだ。
 どっちも自分の利益のために論陣を張っているわけだ。
 なお、私としては、自分の利益はないが、今回はたまたま、読売の論調と重なった。(私の意見を書いたあとで読売の記事を読んだ。)

 さて。
 では、対策として、どうすればいいか? 読売みたいに、批判していればいいか? いや、もっと現実的な対策を考えよう。とりあえず、次の提案をしておこう。
 [ 付記1 ]
 その他、次の案もある。
 「授業料の減免を『金品の受け取り』と見なすのであれば、それを税務署に『贈与税の対象だ』と訴えさせる」
 もちろん、こんな「授業料の減免」については、税務署は「金品の受け取り」とは見なさない。支払いを免除されることと、贈与されることとは、異なるからだ。
 たとえば、百万円のものを90万円で買うということは、10万円を贈与されたということではない。(税逃れを狙った極端な値引きでなければ、贈与とは見なされない。)
 とにかく、奨学金の「授業料免除」を「贈与」と見なすのは、税務上、メチャクチャである。
 ということは、高野連は、「不正経理」を主張しているのと同様だ。ライブドアの経営者は、税金を脱税するかわりに、税金を払いすぎるという不正経理をしたことで、逮捕されてしまった。だったら、似た理屈で、高野連の会長も逮捕してしまえ。メチャクチャな会計処理を主張している(&実行させようとしている)からだ。
 逮捕したあとは、監獄で、ホリエモンと同居させるといいだろう。

 [ 付記2 ]
 真面目に考察しよう。物事の本質を考える。
 この問題の本質は、次のことではない
 「生徒は、金品を受け取っていいか」
 なぜなら、学力のある生徒は、奨学金を受け取ることは、悪ではなくて善だからだ。むしろ、奨学金を受け取らずに、高等教育を受けられない方が、社会的に悪しきことである。
 とすれば、この問題の本質は、次のことである
 「学力のある生徒は金をもらっていいが、運動能力のある生徒は金をもらってはいけない」
 つまり、頭と体との間の、差別だ。頭のいい人は偉くて立派だ(だから金をもらっていい)が、体のいい人は下賤で卑しい(だから金をもらってはいけない)、という発想をする差別だ。同じことをしても、一方は善で、他方は悪。こういう差別だ。
 高野連や朝日は、差別主義者なのである。
( ※ ちなみに、これは私の利害とは関係がない。私は、頭に比べて、体力は著しく劣る。……しかしながら、それだからこそ、運動能力のある人をも尊重したい。私は朝日みたいな差別主義者や尊大野郎とは違うので。……朝日の記者は、東大卒が多くて、頭でっかちで、運動能力がない人が多い。そのせいで、エリート臭をきかせて、差別主義者になる。……読売だって、巨人関係者が威張っていますけどね。  (^^); )


● ニュースと感想  (5月05日)

 「科学的な態度」という副題で、私のサイト(特に物理学など)の意図を説明する。
 科学一般の心構えのような話。
 → http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/aim.htm
   (タイトルは「本サイトの意図」)


● ニュースと感想  (5月06日)

 「理念と現実認識、あるいは、スポーツ奨学金」について。
 理想と現実とは異なる。理想をめざす理念と、現実への認識とは異なる。この両者を混同すると、ほとんど狂人になる。── このことは、いろいろな面で適用されるが、次の三つの点で重要だ。
  ・ スポーツ(特に、スポーツ奨学金)
  ・ 政治や経済
  ・ 学問
 以下で論じよう。

 (1) スポーツ(特に、スポーツ奨学金)
 昨今のスポーツ奨学金の問題については、何度か述べてきた。では、その根源は? そう考えると、次のことが本質だとわかる。
 「利益供与をプロ活動だと思い込む」
 アマチュア選手に利益供与することで、それをアマのプロ活動だと思い込む。たとえば、特待生として奨学金を月2万円もらうと、それをアマのプロ活動だと思い込む。
 しかし、これは勘違いだ。生徒は月2万円もらっているのではなく、支払う額が2万円減るだけだ。生徒と学校の関係で言うと、学校が生徒に金を払っているのではなく、生徒が学校に金を払っている。
 生徒の方が学校に金を払っているのだから、これはプロ行為ではない。では、何か? 生徒は教育を(部分的に無償で)もらっているのである。金ではなくて教育をもらっているのだ。
 仮に、特待生にならなければ、生徒は他校に行くか進学を諦めるか、どちらかだ。全部の学校が特待生をやめて、公立でも受け入れてくれなくて、仮定にお金がなければ、進学を諦めるしかない。つまり、教育をもらえない。
 だから、問題は、「金品を与えることの是非」ではなく、「無償で教育を与えることの是非」である。
 ま、それを「けしからん」と見なすのなら、それはそれで一理あるだろう。「スポーツ能力があるからといって教育をもらうのはけしからん。そういう奴には、教育を受ける権利はないのだから、高卒のまま社会で働け」という主張は、それはそれで一理ある。だが、それならそれで、そういう主張をすればいいのだ。
 なのに現実には、「教育をもらうのは、金品をもらうことだ」と思い込んで、「プロ行為だ」と思い込む。……ここには、論理倒錯がある。
 高野連も、朝日新聞も、頭の論理が狂っている。金品と教育の区別がつかなくなっている。この論理倒錯が、問題の根源だ。

 (2) 政治や経済
 これと似たことは、朝日の社説にもある。5月3日に、憲法記念日の特集として、朝日が社説を21本も掲載した。これを「すごいぞ」と自慢している。口あんぐり。社会の情報を報道することでもなく、複数の見解を報道するのでもなく、自分の主張ばかりを掲載して、それでお金をもらう。
 これじゃ、話が逆だろう。読者は誰かの主張を聞かされるためにお金を払っているわけじゃない。誰かの主張を無理やり聞かされるのならば、むしろ、読者がお金をもらいたいくらいだ。……こういう倒錯的なことをする朝日というのにも呆れる。
 何事であれ、物事には、長所・短所がある。ならばそれを列挙して比較するのが、公正な立場だ。しかるに、そうしていない。
 個別の論議に着目しよう。どこがダメかというと、「費用対効果」というような計算がまったくできていない。たとえ話ふうに言うと、「燃料電池車はすばらしいから、ガソリン車を廃止してすべて燃料電池車にしてしまえ」というような主張だ。そのためにどれほど莫大なコストがかかるかを無視している。……こういう方針が、社説のすべてに共通する。
 たとえば、「地球温暖化を阻止せよ」と主張しながら、「原発には反対する」というものだ。……しかし、こんな主張が成立しないことは、馬鹿でもわかる。実際、国連は朝日の主張とは逆に、「原子力発電を増やせ」という方針を取っている。( → Yahoo ニュース ,朝日1面記事 2007-05-05 )
 一般的に言うと、朝日には、次の問題がある。
 「理念ばかりにとらわれて、現実を無視する」
 朝日は、特定の理想主義に駆られて、自分のお好みのことを主張するばかりだ。書生論議ですね。
 このことは、朝日のすべてに共通する体質だ、とも言える。先のスポーツ奨学金もそうだ。「アマが金をもらうのはいけない」という理念ばかりにとらわれて、「現実には金ではなくて教育をもらっているのだ」ということを見失う。

 (3) 学問
 ただし、ここでは、朝日批判をするのが目的ではない。朝日と同じことは、多くの学問分野の学者にも当てはまる。
 「この学問ではこの見解が成立している」
 と思い込むと、それに対する異論には一切耳を傾けない、という態度だ。自分の理念とするものだけを信じて、異論を受け付けない。異論を聞くと、「トンデモだ」と批判するばかりだ。
 その一例は、前述の「常温核融合」だ。より一般的には、前項で述べたこと(科学的な態度)が当てはまる。
 人間というものは、かくも守旧的なのである。IT時代に、技術はどんどん進歩していくが、人間の頭だけは旧態依然たる概念を好みたがるのだ。
 頭が固い。頭がハード。もっと頭をソフトにしましょう。


● ニュースと感想  (5月08日)

 「戦争と平和」の話。
  → nando ブログ「戦争と平和の理論2」


● ニュースと感想  (5月09日)

 「さまざまな不正経理」について。
 日興コーディアルとライブドアを比較する論調は多かったが、朝日の社説もこれを論じている。両者を比較して、責任追及のアンバランスを問題視している。(社説 2007-05-08 )
ライブドアの堀江貴文前社長らは同種の不正決算で実刑判決を受けた。二つのケースを比較して「取り扱いが不公平だ」「大手企業は目こぼしして、新興企業には厳しく当たるのか」といった批判である。
 たしかに、日興の利益水増しは2年間で420億円だが、ライブドアは50億円強であり、けたが違う。まして証券会社は、市場が公正なものになるよう上場企業を指導する立場にあり、一般企業以上の自己規律が求められる。
 ……
 元長崎地検次席検事の郷原信郎・桐蔭横浜大法科大学院教授は指摘する。
 「日興の社外調査委員会がまとめた事実関係の報告書からは、社長らが違法な会計処理と認識していたかどうかは微妙で、刑事処罰の対象にすることは難しいと思っていた。違法性の認識では堀江前社長も同程度と考えていたが、堀江前社長が有罪なら、日興も刑事事件としての立件ができる可能性がでてくる。」
 ……
 捜査当局も、明るみに出た不正については、世間へのアピール度合いから事件を選んでいる、と見られるようなことがあってはならない。
( → 朝日com
   見解は世間並みであり、いくらかまともになったと言える。だが、この扱い方はいろいろとおかしい。

 (1) 社説の意義
 この問題は、社説なんていう誰も読まないようなコラムに書くべきことではなく、まともな記事で解説するべきことだ。社説は意見であり、記事は情報提供。情報提供なしで社説を書くのは、新聞の方針からしておかしい。
 朝日は一般に、報道と主張の区別ができていない。報道するべき記事ではやたらと自己主張をするし、自己主張するべき社説ではやたらと(記事にない)独自情報を書き込む。……本末転倒だ。
( ※ ついでだが、今春から社説は長くなりすぎたようだ。以前のように、もっと短めにするべきだろう。最近は元に戻ったかも? )

 (2)
 日興コーディアルとライブドアを比較して、「日興コーディアルの方が罪が重い」という認識は、正しい。しかし、「だから両方とも監獄にぶち込め」という方針は正しくない。そんなことを言ったら、あちこちの会社をみんな監獄にぶち込む必要が出てくる。
 たとえば、(会社ではないが)「数百万円もする浄水器を買った」と勝する小海議員がいる。これもまた不正経理だ。こいつも逮捕する必要があるだろう。
 ついでに言えば、どんな会社だって、叩けば少しは埃が出る。完全無欠な経理をしている会社など、ほとんど一つもないと言える。朝日だって同様だろう。どこかで難点があるはずだ。そのたびに検察が入って、業務が制限されて、それでいいのか? そんなことで民主主義が守れるのか? 
 ささいな微罪に、特捜が乗り込んで来るというのは、戦前で言えば特高が乗り込んでくるようなもので、民主主義の弾圧になる。独裁国家の社会だ。……で、そういうのを抑制するのが新聞社の使命なのに、逆に、民主主義を弾圧して、検察の横暴やら独裁主義やらを推進しようとする。そんなことでいいのか? 
 日興コーディアルとライブドアを比較して、「日興コーディアルの方が罪が重い」という認識をするのはいいが、その先の結論が逆方向では、ほとんど狂人である。「あ、信号が赤だ」と正しく認識したあとで、「(停止でなく)突っ走れ」と思って、交差点に飛び込む狂人のようなものだ。

 (3)
 似た問題は、高校野球の特待生にも当てはまる。高野連はとうとう、方針の変更を打ち出した。「あまりにも違反者が多いので、このままじゃダメだ」と思ったらしい。
 ここでは、「違反者の数が多いから」なんていう軟弱な姿勢を取るのも情けない。まるで「泥棒の数は多いから、泥棒を赦免する」というようなものだ。
 正しくは、「微罪または無罪だから処罰しない」である。違法性がないことは、たとえ理想には合致しなくても、許容するべきだ。勝手に自己流の理想(高貴なアマチュアリズム)を押しつけるべきではない。
 そもそも、高貴なアマチュアリズムというのは、貴族の理想である。それは庶民者の理想ではない。貴族の理想を掲げて、庶民を虐待する、という倒錯が、根源にある。
 高野連は、とうとう、現実との乖離に悩んで、方針の撤回を打ち出した。しかるに朝日は、「特待生や関係者処罰するべし」という方針を、今のところ撤回しない。

 まとめ。
 何でもかんでも処罰すれば問題が片付く、と思い込むのは、愚かである。日興コーディアルとライブドアであれ、スポーツ特待生であれ、浄水器の不正経理をした国会議員であれ、人間というものは、多かれ少なかれ、何らかの金に汚されている。金について完全にきれいだ、という人などはいない。
 にもかかわらず、微罪について「大々的に処罰せよ」という方針を取れば、現実が歪んでしまう。「金をとらずにきれいにしよう」などと主張するのは、カスミを食っている連中か、貴族階級か、どちらかに限られている。
 なお、そのうちの最たる例が、社説を書く人々だ。下らない意見を書くだけなら、2ちゃんねるかブログに書けばいい。それを、高貴たる新聞社に掲載して、金を取る。こういう最低の連中こそ、処罰するべきだろう。とりあえずは、解雇した方がいい。新聞に社説なんかいらない。(社員のブログがあればいい。)
( ※ 朝日の社説については、前にも批判した。 → 5月06日 の (2)

 [ 付記 ]
 ついでにイヤミ。
 朝日はどうも、「自分は清廉潔白だ」と思い込みすぎている。「自分は清潔だ、立派だ、偉い、聖人君子だ」と思い込みすぎている。しかしそれはすべて自惚れであるにすぎない。本当は、新風舎の例を見てもわかるとおり、汚い詐欺師に金をもらって提灯記事を書くようなことをして、詐欺師の片棒をかつぎながら、詐欺師から金をもらっているのだが。
 自分の汚さを自覚できないから、自分を清廉潔白だと思い込む。つまりは、自己認識能力が欠如しているわけだ。── 自己認識の欠如による自惚れ。朝日の体質は、これだ。
( ※ 「ほう、それじゃ南堂と同じだな」と言わないでください。  (^^); )


● ニュースと感想  (5月10日)

 オタクなどの「ひきこもり」をめぐる真面目な情報。オマケで、冗談つき。
 → Open ブログ 「ひきこもり対策」


● ニュースと感想  (5月12日)

 「外国人労働者の研修」について。   【 重要 】
 外国人労働者の研修の制度を是正しよう、という動きがあるという。実習生扱いで低賃金で雇用していたのを、労働者として雇用するようにして、最低賃金制度を適用する。厚労省のこの方針に対して、経産省は反対しているという。理由は、労働者として雇用すると、研修という目的が達成されなくなるからだ、とのこと。(朝日・朝刊・1面 2007-05-11 。ネットにはない。)
 厚労省の方針の(政治的な)是非は別として、経産省の主張は論理的に破綻している。このことを指摘する。

 「労働者として雇用すると、研修という目的が達成されなくなる」という主張が問題だ。これは、素人論理としては成立するが、経済学的に成立しない。
 「労働者として雇用すれば、労働者扱いするから、学生扱いするのをやめて、企業は研修をしなくなるだろう」というのが、経産省の論理だ。これは素人の論理だ。
 企業が研修するか否かは、外国人の名目(書類上の形式)が「労働者」であるか否かによるのではない。書類上の名目で、企業の研修内容が変わるわけではない。当り前でしょうが。たとえ「研修生」という名目でも、現実には低賃金労働者として雇用している。こういうふうに、「建前と現実との乖離」が問題となっている。ここで「名目」の方を「研修生」にしておけば内容が労働から研修になる、というのでは、「建前と現実との乖離」の解決策にはなっていない。問題の所在を根源的に勘違いしている。
 比喩的に言おう。「社員」という名目で雇用したら、その社員は犯罪行為を働いた。こいつは犯罪者だ。そこで対策委員会が「犯罪者への対策」という問題を検討することにした。すると経産省が反対した。「犯罪者と呼ぶと、犯罪が起こる。ゆえに、犯罪者扱いすることには反対。社員と呼んで、社員として扱うべきだ。そうすれば、犯罪行為がなくなる」……まわりの全員は、唖然とした。

 では、素人論理を離れて、経済学的に考えれば、どうか? 
 この問題を解決するには、外国人労働者に対する名目をどうすればいいかが問題なのではなく、外国人労働者の労働内容そのものを変えればいい。すなわち、低技能の単純作業をやめさせて、高技能の労働(旋盤加工など)をやれるようにすればいい。そのために必要なのは、何か? もちろん、技能訓練だ。では、技能訓練のためには、どうすればいいか? ── ここが実は肝心のことだ。
 企業が技能訓練をするには、企業の善意に頼ればいいか? 阿呆は物事を善意で考えるが、経済学的な頭があれば経済学的に考える。すなわち、善意ではなく、損得で考える。では、損得で考えると? 
 企業が技能訓練をするようにさせるには、「技能訓練をした方が得、しない方が損」という状況にすればいい。では、その状況とは? 「労働者に高賃金を払う」ということだ。つまり、「高い生産性と高い賃金」というセットだ。これのみが、企業にとっては成立する。一方、「低い生産性と高い賃金」は成立しない。したがって、企業は否応なしに、労働者に技能訓練をせざるを得ない。もし技能訓練をしなければ、解雇するしかない。(つまり、外国人労働者を受け入れない。)
 現実はどうか? 「低い生産性と低い賃金」というセットだ。この状況のまま、停滞している。それが問題となっている。

 ここまでわかると、重要なことに気づく。それは、こうだ。
 「外国人労働者の問題は、日本人全体の問題と同じだ」
 つまり、「高い生産性と高い賃金」をめざすときに、「企業収益の改善のためのリストラ」という形で、「低い賃金」ばかりを実施している。そのせいで、「低い生産性と低い賃金」という形になっている。それでいて、「生産性の向上」なんてことばかりを叫ぶ。
 これでは本末転倒だ。問題の根源は、次の選択にある。
  ・ 低い生産性と低い賃金
  ・ 高い生産性と高い賃金
 この二つのうちのどちらかしかあり得ない。そして、高い生産性は、高い賃金を通じての見、実現する。(前述の通り。高い賃金を払うことで、高い生産性が否応なしに実現する。それ以外の企業は淘汰される。)
 なのに実際には、「低い賃金」ばかりをとるから、「低い生産性」にとどまってしまう。いくら口では「高い生産性」を唱えても、現実には、(「低い賃金」を通じて)「低い生産性」を実現してしまう。

 外国人労働者の問題は、日本国民にとってわが身の問題である。そのどちらに対しても、同じ間違い(誤った経済的処方)をしている。そのせいで、日本はひどく停滞した状況になってしまう。愚かな状況。

 [ 付記 ]
 外国人労働者の問題の本質は、こうだ。
 「彼らは現状では、奴隷と同じである」
 古代ギリシアにも奴隷はいたし、近代アメリカにも奴隷はいた。奴隷を酷使することで、他の人々が豊かな生活を享受できた。
 そのことは、現代の日本にも当てはまる。奴隷の代表は、外国人労働者である。(最低賃金以下なので。)……一方、二番目の奴隷(準奴隷)となっているのが、他の国民である。(最低賃金並みの人が多いので。)
 「自分は違うぞ」と思う人も多いだろうが、「残業手当をもらえない」という状況は、まさしく奴隷扱いだ。こういう奴隷の愚かさは、自分が奴隷になっていることに気づいていないことだ。
 その証拠。自民党に票を出す人がすごくたくさんいる。東京都だって慎太郎が過半数の支持を得た。
 奴隷であることに気づかない奴隷というのが、一番愚かなのである。


● ニュースと感想  (5月13日)

 「村上ファンド事件」について。
 村上ファンド事件で、検察側の休憩があった。「悪質だ、嘘つきだ」というふうにさんざん述べているようだが、肝心の起訴事実である「インサイダー取引」ということの裏付けは、はなはだ心許ない。「悪党だ、悪質だ」と感情的に訴えるばかりで、「これが犯罪要件をなしているか」ということの裏付けは稀薄である。
 常識的に見れば、村上が「聞いちゃった」時点では、ライブドアはまだ株購入の決定をしていないのだから、インサイダー取引の要件をなしていない、と見るのが妥当だろう。
 とはいえ日本の裁判所はメチャクチャである。11日の判決でも、橋本派の日歯連献金疑惑でも、一審判決をひっくり返した二審判決が出た。これなど、メチャクチャの極みであるが、とにかく「検察の言うことを是認する」というのが日本の裁判所の体質であるから、村上が「犯罪を犯していなくても有罪判決が出る」というふうになったとしても不思議ではない。

 さて。それはそれとして、法的に見るよりも、物事の本質を見てみよう。
 村上のやったことは、法的に見る限り、「インサイダー取引」の要件を満たしていないはずだ。しかしながら、村上のやったことはまったく問題がないかと言えば、そうではない。どこか悪賢い悪質なところがある。では、それは、何か? 
 それは、(私が何度も言っているように)「ライブドアを引っかけた」ということだ。だましたことだ。その内容は、こうだ。
 表面では、「日本放送の株式を取って、経営権を取得するのを目的として、共同戦線を張る」というフリを見せしながら、実質的には、「ライブドアを裏切って、株を高値で売り抜ける」ということだ。つまり、ペテンないし詐欺だ。
 で、こういうペテンないし詐欺があったとすれば、その前提のもとで、「インサイダー取引」ということが成立する。初めからだますつもりで共同戦線を張ると見せかけて、相手の「買うぞ」という情報だけを得て、最終的には裏切って、「先に売り抜ける」ということをしたわけだ。
 では、本当に、そういうペテンないし詐欺があったのか? ── それが、どうも、微妙である。村上は最初は、「共同戦線を張る」というつもりがあったのかもしれない。「あまり高値にならないところで、ライブドアに株を売る」というつもりだったのかもしれない。しかしながら本当は、「そういう気持ちもなくはないが、本音では、こっそり裏切ってやろう」と最初から企んでいたのかもしれない。
 どちらか? どうも、微妙である。人の気持ちだから、白黒がはっきりつきにくい。最初からだますつもりだったのか、結果的にだますことになってしまっただけなのか、微妙である。
 で、その微妙なところを放置して、「最初からだますつもりだった」という前提をとり、その前提の上で、「インサイダー取引をした」というふうに論理を立てているのが、検察側の主張だ。ところが、その前提のところが、まったく言及されていない。「最初からだますつもりだった」という前提を、言及することなしに、勝手に想定してしまっている。
 これでは、論理としては、砂上の楼閣に等しい。一番起訴のところをほったらかしておいて、その上の論理をいくら精密に構築しても、すべては砂上の楼閣だ。
 村上が、最初からだますつもりがなくて、「結果的にだましてしまった」ということなのならば、何を聞いていようが、インサイダー取引にはならない。「共同戦線を張ったあとで、途中で気が変わって、裏切った」というだけのことだ。そして、それは、倫理的には悪でも、犯罪とはならない。
 この一番基本的なところをほったらかして、その上の細かなところばかりを論じている、というところに、この裁判の無意味さがある。すべては砂上の楼閣をめぐる論議である。無意味。
 要するに、有罪か無罪かを論じても、すべては無意味なのだ。本質を論議していないのだから。

 [ 付記 ]
 「気が変わって裏切る」というのは、非倫理的ではあるが、法的には犯罪要件をなさない。強いていえば、「契約違反」という民事上の問題が発生するだけだ。
 他の例で言おう。次の例がある。
 「男と女が婚約していた。男は女に高額な指輪をプレゼントしていた。いよいよ結婚式を挙げるという段取りで、女は婚約を解消して、別の男と結婚してしまった。男は頭に来た。慰謝料を要求した。(ここまでは当然。)のみならず、過去にプレゼントした高額な指輪や装身具などの返還を要求した。『指輪を返せ!』と」
 これは「行列のできる法律相談所」にあった話。ゲストの女タレントは「ケチな男」と批判していた。で、実際の判決は、「返さなくてもいい」ということになるらしい。
 つまり、「気が変わった」というのは、せいぜい慰謝料の問題であって、たいして悪いことではないのだ。もちろん犯罪にもならない。
 村上の場合も、「男を裏切った女」と同じぐらいの扱いに見なすのが妥当だろう。ま、もともと裏切ってやるつもりもあったのかもしれないし、もともと裏切って指輪をもらおうとする悪賢い女みたいなものなのかもしれない。だからこう言う人物を「悪賢い悪党だ」と非難するのは妥当である。が、だからといって、「刑務所にぶち込んでやる」というのは、あまり妥当ではない。
 だいたい、村上ファンドのおかげで損した株主というのは、いるんですかね? インサイダー取引の発想だと、「村上が勝手に売り抜けたから、他の株主はもっと高値で売り抜けることが困難になった」という理屈になる。しかし、本当は、村上ファンドがライブドアをだましたおかげで、他の株主も実際以上に大儲けできたことになる。他の株主は詐欺師のおこぼれをもらったことになる。「もっとおこぼれをもらえたはずだ」と訴えるのは、本末転倒だ。
 で、そういう本末転倒の論理を構築しているのが、検察だ。仮に検察の態度が正しいのであれば、最大の被害者であるライブドアを救済する必要があるだろう。しかし検察は被害者たるライブドアの方を犯罪者扱いしてきた。自己矛盾。
 要するに検察は、あっちもこっちもむやみやたらと犯罪者に仕立てることに夢中になっているから、首尾一貫した論理ができていない。あっちでは「こいつは白だから悪だ」と主張し、こっちでは「そいつは黒だから悪だ」と主張して、別々の基準(二重基準)で罪を構築しようとしている。論理的矛盾。
 検察の仕事は、犯罪者を摘発することではなくて、ありもしない犯罪を捏造して犯罪者をでっち上げることなのだ。つくづく、そう思いますね。
( ※ で、そういう論理的なデタラメを指摘できない人々にも、困ったものだ。枝葉末節の法律論議ばかりをしていて、物事の本質を見失う。情けないことだ。)
( ※ とはいっても、他の分野の人々も同様ですけどね。経済学もしかり。物理学もしかり。)


● ニュースと感想  (5月13日b)

 (1)
 あちこちで事故が起こっている、という問題を解決するための、社会的な方法。経済学的な視点が必要だ、とわかる。
 → Open ブログ 「安全確保の方法」

 (2)
 ミッキーマウスのガールフレンドは、猫かネズミか? 
 → Open ブログ 「ミニーマウスは猫?」


● ニュースと感想  (5月16日)

 「Google とディズニー」について。
 Google とディズニーランドを比較する。
 ディズニーランドをめぐる二つの話を示す。泣ける話とメチャクチャな話。
  → Open ブログ 「Google とディズニー」

 ついでだが、この宇宙はなぜ3次元なのか?」という話題も、直前の項目にある。
  → Open ブログ 「3の神秘」


● ニュースと感想  (5月17日)

 「狂人の殺人事件」について。
 高校生が母親を残虐な方法で殺害した、という事件があった。その手口を微に入り細をうがつように報道するマスコミが多い。まったく、ひどいね。
 特に朝日はひどい。夕刊に特別デカい活字で「こういう仕方で殺害した」と書く。見出しを読んで、吐き気がした。
 そもそもこの事件は、精神病を患っている狂人の事件だ。まともな判断力の働かない人間のやったことだ。というか、もはや人間でさえない、とすら言えそうだ。壊れている。
 で、そういう人物もたまには登場するだろうが、だからといって、その手口をいちいち細かく報道する必要はない。一部のイエロー・ジャーナリズムならともかく、朝日のような全国紙のやることじゃない。
 今回の事件では、犯行をなした高校生が狂人であるだけでなく、朝日そのものが狂気の渦にとらわれている。朝日自身が反省するべきだ。自分の頭に「狂人」と書いた紙片を貼りつけるべきだ。
 オマケで一言。読者に苦痛をかけた分、慰謝料を払いなさい。いやですか? いやなら、読者を失いますよ。

 教訓。
 朝日を購読すると、吐き気を催すようなハメにさせられるばかり。ひどい罰が待ち受けている。苦痛を受けたいマゾの狂人は、サドの狂人が書く新聞を購読しましょう。ひどい目に遭うことができます。

( ※ 朝日は「自社への反省」というような記事をときどき書くが、細かなことばかりを書いてお茶を濁す。今回のようなひどい記事を、どう反省するのか? 見物であるが、どうせまるきり無視するに決まっている。政府のアラ探しをすることばかりに熱中して、自分自身のアラには無反省。朝日的体質。)


● ニュースと感想  (5月17日b)

 「成功体験にとらわれること」について。
 人は成功体験にとらわれる。一度あることは二度ある、と思う。二度あることは三度ある、と思う。三度あることは四度ある、と思う。「三度目の正直」とは思わない。かくて、ひたすら成功体験にとらわれる。人間の思考は、かくも硬直的なのである。
 これは、世の中の馬鹿者の話ではない。理系の学者もまた同様である。
  → Open ブログ 「成功体験の縛り」

 ※ オマケで、「ギャンブル必勝法」を示す。


● ニュースと感想  (5月18日)

 「日韓・日中問題」について。
 日韓・日中には、対立の問題がある。これには「中国政府や韓国政府が国民を洗脳した」という歴史的背景があるのだが、どうも、それだけでは話は済まないようだ。
 「パッチギ」という映画があり、5月18日 に日本テレビ系で放送される。
   → 日本テレビ 
 読売新聞・夕刊 2007-05-17 二も詳しい番組紹介記事がある。Wikipedia にも解説がある。
 要するに、日本人と在日朝鮮人との民族対立があって、そこをロミオとジュリエットみたいな恋愛が絡むのだが、その背後に民族対立が深刻にあることに気づく……というストーリー。

 で、私が思ったのは、こうだ。
 「中国や韓国が日本人をかくも憎むのは、その根っこに、日本人による差別感情がある」
 これは歴史的に否定しがたい事実だ。ひところは鎮静化したが、最近になって、右翼やネットマニアなどがやたらと中国人や韓国人を蔑視している。こういうふうに、日本人にはどうしようもない差別感情がある。……だから、相手も感情的になって、日本を罵るようになるんですね。

 ま、その根っこで言えば、日本が発展して、中国や韓国は発展しなかった、ということがある。国の発展のレベルを、人間の出来・不出来に還元するわけだ。「日本が発展しているのは、日本人が優秀だからだ」というふうに。(それが本当なら、いつまでたっても不況を脱せない現代日本人は大馬鹿だが。)

 ともあれ、人間というものは、かくも差別感情にとらわれやすいのである。愚かしくも。……で、そのせいで、国家間の対立が起こる。情けないですねえ。しかも、そういう根源的なことに気づかないで、名目だけで勝手に論理をいじっている。(本当は根っこに差別感情があるのだ、という感情面に気づかない。)
 要するに、日韓対立や日中対立について、ああだこうだと理屈を述べても、ただの建前論議にすぎないのだ、ということに気づいた方がいい。

 実は、これは、子供の喧嘩と同じである。憎いから喧嘩しているだけだ。で、憎い理由は、次のことと同じだ。
 「金持ちの息子が、貧乏人の息子を、馬鹿にする。馬鹿にされた方は、馬鹿にした方を憎む。憎まれる方は、自分がなぜ憎まれたのかを理解しないで、反撃する。……かくて、馬鹿げた子供の喧嘩が続く」

 [ 付記 ]
 実を言うと、中国人は別として、韓国人と日本人は、非常に似ている。ほとんど血を分けた兄弟と言ってもいい。
 歴史的には、渡来人である弥生人は、当時の先進国である朝鮮から来た人々であり、彼らが後進国であるヤマト民族を教化しながら混血していった。今日の日本の発展は、朝鮮文化を基礎としているのだ。(しかも、その朝鮮文化は、中国文化から来たものである。)
 顔つきなどを見ても、日本人と韓国人は、ほとんど区別がつかない。中国人だと、かなり違うんですけどね。日本人に似ているのは、韓国人が一番で、次がモンゴル人。台湾人も部分的にそうだ。ここまでは日本の一部と見なしてもおかしくないぐらいだ。それ以外(中国人やベトナム人)は、いくらか違う。
 特に顕著なのは、言語だ。「日本語は世界的に見て孤立した言語だ」という学説もあるが、実は、日本語と韓国語は、文法的には非常に近い。ちなみに、「機械翻訳」をやってみると、日本語と韓国語はまるで人間が普通に訳したようにきれいに翻訳される。こういうことは、「日本語と英語」との間ではまったく成立しない。日英間で機械翻訳すると、まるで気違いが訳したような意味不明の文章になる。点数で言うと、30点ぐらい。一方、日本語と韓国語の機械翻訳だと、どこが間違っているのかまったくわからない。もしかしたら全然間違っていないのかもしれない。そのくらいきれいに翻訳される。
 ( ※ 日本語を知らない韓国人が、機械翻訳による日本語で投稿した、という文章を読んでみての感想。)
 一説だが、「英語とドイツ語とは方言ぐらいの違いしかない」という説がある。この伝で言うと、「日本語と韓国語とは方言ぐらいの違いしかない」という説も成立しそうだ。確かに、ハングルとひらがなは違うが、これらが成立したのはかなり後代になってからのことだから、そのくらいは仕方ない。(漢字は両国で共通している。)
 
 結論。
 「日本と韓国とは兄弟のようなものだ」と理解した方がいい。その上で、「しばらく生き別れで暮らした兄弟のようなもので、境遇の違いがある」と理解しよう。日本というガキは、金持ちにもらわれたので、とても豊かな生活を送れる。自分の力で豊かであるわけではなく、親の力で豊かでいるだけなのだが、そこを錯覚して、自分が優秀だから豊かなのだと思う。一方、韓国というガキは、貧乏人にもらわれたので、とても貧しい生活を送る。日本というガキを見て、「テレビゲームばかりしている馬鹿なオタクじゃないか」と軽蔑しながら、相手に軽蔑されるので、腹が立って仕方ない。そこで、相手のアラ探しをして、「昔はこういう悪さをしたじゃないか」というふうにあげつらう。日本というガキは「そんなの時効さ」と知らんぷりをするので、ますます韓国というガキの怒りに火を注ぐ。韓国というガキは、怒り狂って、あることないこと吹聴する。日本というガキは、それに反発して、喧嘩を買う。
 ひどい馬鹿兄弟。


● ニュースと感想  (5月19日)

 「数学のジョークとネタ」について。
 数学についての冗談など。「血液型じゃんけん学」もあります。
  → Open ブログ 「数学ネタ」


● ニュースと感想  (5月19日b)

 「立てこもり殺害事件」について。
 銃をもって立てこもった犯人が警察官を殺害する、という事件が起こった。これをめぐって政府は「銃犯罪を厳罰に処する」という方針を出した。だが、根本的に方策を間違えている、と思う。
 犯人はこの時点で死刑になることを覚悟しているのだから、厳罰に処するなんていっても無意味だ。いくら罪を重くしても無意味。死刑が二倍になっても死刑である。無限大の二倍は無限大。……こういう計算ができないんでしょうかね? 
 というわけで、政府の方針はダメ。

 では、どうすればいい?
 今回の対処で一番ダメなのは、「説得する」という立場を取ったことだ。警察官が土下座をするなんて、最悪だ。無防備の姿をさらけ出して、銃撃される。馬鹿も休み休みにしろ、と言いたいくらいだ。
 では、どうするべきか? 私としては、むしろ、心理的に考えるべきだ、と思う。具体的には、こうだ。
 「最初は、相手の頭に血が上っているのだから、何もしない。説得しても火に油を注ぐだけだから、相手の頭の火が沈静するのを待つ」
 どんな喧嘩だって、そうだ。喧嘩している相手にまともに説得しても無駄。怒りが沈静するまで待つ方がいい。すくなくとも、48時間ぐらいは待つべきだ。相手が眠ればそれでいいし(落ち着くだろうし)、相手が眠らなければ疲れてやがてダウンするだろう。そこを急襲することも可能だ。
 で、それまでは、遠巻きにして見守る。決して近づかない。(……今回は、その原則に反した。警察の対処の誤り。)

 その後の対処は、二通り。
  ・ 説得を続ける。(見込みがあれば、続ける。)
  ・ 狙撃する。(見込みがなければ、狙撃するしかない。)
 前者は、被害が出ていない場合。時間を延長する。
 後者は、被害が出た場合。特に、人質の人命に関わる場合。それなら、ライフルによる狙撃もやむを得ない。(今回の場合、相手が銃を外に向けて顔を出している時期があったから、十分に狙撃は可能だった。たとえば、警察官が土下座して、そこに犯人が銃を向けた瞬間に、狙撃することが可能だった。)(自衛隊などには、遠距離の射撃の得意な人がいて、オリンピックに出場したりする。肝心のときに役立てないようでは、困りますね。 → ライフル射撃教会 ,競技感想 )

 なお、犯人を狙撃する場合は、50メートル以上離れたところから行なう。換言すれば、50メートル以内には決して近づかない。
 今回の警察官の行動は、最悪である。一人目は家のすぐ前まで来たし、二人目は 20メートル程度のところに立っていたという。馬鹿も休み休みにしてほしい。
 なお、一人目の方も、ひどい馬鹿のようだ。最初に女性から電話があって、「父は興奮しているから来ないでください」と言ったのに、あえて踏み込んでいるのだから。それとも、馬鹿だったのかな? 「あの銃はオモチャです」という女性の弁解を信じたのかも。実は女性はすでに銃で撃たれてケガをしていたのだが、それを確認しないで。……そのあと、「オモチャなら平気さ」と思って、銃砲の前に立つ。しかしそんなことをしたら、犯人はパニックになって、思わず銃を撃ってしまうものだが。
 
 結論。
 今回の被害は、銃をもった相手をなめすぎたことから来た、警察の失敗である。今後、二度とこういうことが起こらないように、マニュアルを整備するべきだ。私の上記の内容のように。

 [ 付記 ]
 「防弾チョッキの隙間から銃弾が入って死んだのは不運だった」というふうに報道されるが、こういう事件はこれまで何度も起こってきた。どこかの例だったが、脇の下の隙間から銃弾が入って死んだ(または大ケガをした)という事件もあったはずだ。その他、顔を狙われることもあるし、足や手を狙われることもある。また、跳弾(跳ねた銃弾)が予想外の方向から来ることもある。
 だから、銃をもっている相手には、決して近づかないことが重要だ。
 ともあれ、今回の事件は、「不運」では済まされない。起こるべくして起こった事件である。確率1%ぐらいの事件が何十回も起これば、ときどき被害が出るのは自明のことである。「確率1%の事件が起こったのは不運だった」などと述べる阿呆は、確率というものをまるきり理解していないことになる。
 損失が無限大になる事件については、「確率1%」というのは非常に大きな値だ。そのことがわからない阿呆は、確率1%でロシアンルーレットをやるといい。決して「不運」では済まされない、ということに気づくだろう。……百人がやって、そのうちの一人の頭が吹き飛ばされたときに。
( ※ なお、ここでは対策は、「ロシアンルーレットをやらないこと」である。拳銃をもつ人を厳罰に処する、という法案を出すことではない。勘違いしないようにしよう。……今の日本は、勘違いする阿呆が多すぎ。)

 [ 参考 ]
   → 合法的な銃器購入の手順 のサイト。
 13万円でライフルを買えます。拳銃はともかく、ライフルならばけっこう安全。ライフルっていいですね。私もこの店でライフルを買いました。…… というのは嘘だけど。


● ニュースと感想  (5月20日)

 「スポーツ奨学金と詭弁」について。
 この問題をめぐる二題。ともに詭弁をもてあそんでいるので、指摘する。

 《 問題編 》
 (1)
 朝日の投稿面 2007-05-17 に、「スポーツ奨学金は悪だ」と見なす見解が掲載された。要旨は次の通り。
 「スポーツ奨学金があると、中学生はスポーツばかりやるようになり、学業がおろそかになる。実際、スポーツ奨学金をもらっている生徒は、一般入学の生徒と違って、馬鹿ばかりだ。」
 つまり、「プロ制度があるようなもので、スポーツで金をもらうことばかり考えるようになる」と見なして、「学業優先」ということがなされなくなり、本末転倒だ、というもの。
 一見、もっともらしい。では、そのどこがおかしいか? 考えてみてください。
 (2)
 金をばらまいてきた巨人をかかえている読売新聞は、「火の粉を払え」とばかり、スポーツ奨学金を是認しようとしてきている。その身勝手さには呆れるばかり。では、どこが身勝手なのか? 具体的に指摘すると、どういう点か? 考えてみてください。

 《 解答編 》
 (1)
 「スポーツ奨学金がある → 生徒の学業がおろそかになる」
 というのが、論者の主張だ。しかしながら、この両者には、因果関係がない。相関関係はあるが、因果関係はない。
 その証拠に、スポーツ奨学金をやめると、どうなるか? 奨学金を受けない生徒は、勉強に熱中して、学力が上がるか? いや、逆だ。
  ・ 奨学金を得られなくなると、進学できず、就職するので、学力はかえって下がる。
  ・ 日ごろの生活も無関係。学業は授業中のこと。スポーツの練習は放課後のこと。完全に独立している。「放課後に猛訓練するから、日中の授業をまともに受けなくなる」ということはない。
 さて。前述 (1) の詭弁だが、その論拠は、比喩的に言うと、次のようになる。
 「貧しい生徒に奨学金を与えると、生徒の親が安心しきって働かなくなる。むしろ、貧しい生徒からは、莫大な金を徴収するべきだ。そうすれば、親は焦って、金儲けをするようになる。したがって、競争原理が働いて、貧しい親はみんな金持ちになる」
 馬鹿げた発想。……ところが、この馬鹿げた発想は、経済財政諮問会議でしばしば提案される。歪んだ市場競争原理。
 詭弁を見抜きましょう。
 (2)
 読売は自分がまともなことを言っていると思っているようだが、西武の裏金の問題のときにはどうだったか? あのときはやはり「ダメだ」と批判していたではないか。
 西武の裏金は、西武だけの問題だった。しかし、スポーツ奨学金は、日本中の問題だ。それだけが違う。一人で赤信号を渡ると世間から大々的に非難されるが、みんなで赤信号を渡れば非難されない。……それだけのことだ。車の通っていないところで赤信号を渡るぐらい、たいして問題ではないはずなのだが。むしろ、赤信号を渡ることで、その先にいる弱者を救うことができるなら、かえって好ましいことであるはずなのだが。
 あるとき、スポーツ奨学金をもらっている生徒が、貧血で気を失った。そのせいで、横断歩道の途中で、倒れてしまった。そばからトラックが寄せてくる。それを見た男が、大急ぎで救助して、歩道に戻した。ところが彼は、世間から大々的に非難された。「おまえは赤信号を無視した! ルール違反だ!」
 彼の名は「西部」(にしべ)という。この男を世間は大々的に非難した。朝日という男が急先鋒で、読売という男もいっしょに非難した。弁護したのは南堂という男だけだった。
 その後、調べてみると、非常に多くの高校のそばで、同様のことが起こっていると判明した。世間はコロリと態度を変えた。「信号を無視して人命を救助することは良いことだ。きつすぎるルールの方がおかしい! ゆえに、高校のそばでは、ルールを変えた方がいい」と。
 しかし、「そもそも最初から人々は間違っているのだ」ということに気づく人は、どこにもいなかった。誰もが「自分は正しい」と信じており、自分の誤りに気づく人は一人もいなかった。
 結果は? まとめてみると、南堂という男が「トンデモ」と呼ばれただけだった。


● ニュースと感想  (5月21日)

 「超バーチャルリアリティ」について。
 通常のバーチャルリアリティを越えた、はるかに強力なバーチャルリアリティ。
  → Open ブログ 「超バーチャルリアリティ」

 その一方で、現実の方は逆に、仮想的(虚構・嘘八百)になっている。嘘を前提とした現実。
  → Open ブログ 「バーチャル軍事」








   《 翌日のページへ 》





「泉の波立ち」
   表紙ページへ戻る    

(C) Hisashi Nando. All rights reserved.