[付録] ニュースと感想 (115)

[ 2006.11.07 〜 2006.12.16 ]   

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● ニュースと感想  (11月07日)

 「学校の成果主義」について。
 学校にも成果主義を適用しよう、という発想が出た。
学力テストで予算に差 足立区教委、小中学校4ランクに
 東京都足立区教委は、区立小中学校に配分する07年度予算で、都と区の教委がそれぞれ実施している学力テストの成績に応じて各校の予算枠に差をつける方針を固めた。小学校計72校、中学校計37校をそれぞれ4段階にランク分けし、最上位は約500万(中学)〜約400万円(小学)、最下位は約200万円にする予定。都のテストで同区が低迷していることなどから、学校間競争をさらに促す必要があると判断した。
 これらの成績と校長からのヒアリング結果を8対2の比率で数値化し、各校の「実績」とする。満点は小学校が165点、中学校が170点で、上位から順にA(全体の1割)、B(同2割)、C(同3割)、D(同4割)のランクに区分けする。
 予算枠はAランクの中学校で約500万円、小学校で約400万円。B、Cと減らし、Dランクは小中学校ともに約200万円にする。各校が「特色づくり予算」について申請すると、ランクの枠内で認める。
( → 朝日新聞 2006-11-04
 これに対しては、予想通り、賛否両論である。「成果主義でやる気を出して学力アップ」という肯定派と、「教育の機会均等に反する」という否定派とがある。
 朝日の解説には、「学校間格差がいっそう広がる危険性がある」という型通りの見解も出ている。しかし、これに対しては、「格差が広がって何が悪い。できる子がどんどん良くなるのはいいことだ」という小泉流の反論もあるだろう。(経済問題で小泉はそう主張してきた。)

 以上はまあ、経済音痴のたわごとだと受け流すこともできる。驚いたのは、有名な経済学者の見解だ。こうある。(朝日・社会面)
 伊藤隆敏・東大教授(マクロ経済学)は、競争によって努力を引き出すことは基本的に好ましい、という立場だ。
 「足立区教委の考え方も理解できる。予算の競争を促す要素が組み込まれていると、学校のやる気も高まるだろう」
 これが経済学者の見解だろうか? バカじゃなかろうか? こんな経済音痴の阿呆が経済財政諮問会議の議員を務めているのかと思うと、暗然とする。
 以下、理由を列挙する。
 以上では、論理の破綻を示した。では、正しくは? 根源的に言えば、こう理解するのが正しい。
 朝日は「格差の拡大がいけない」というが、格差の拡大それ自体は、良くも悪くもない。
  ・ 上位がそのままで、下位がもっと下がるならば、悪い。
  ・ 下位がそのままで、上位がもっと上がるならば、良い。
 朝日は前者に着目し、小泉は後者に着目するが、どっちもどっちだ。頭の認識が正確ではない。(学校に行って勉強し直しなさい。)

 大事なのは、格差ではなくて、各人の能力発揮である。できる子はさらにできればいいし、できない子もちゃんとできるようにすればいい。そして、そのための方法は、何か? 各人がやる気を出すことか? 違う。学校が十分な教育環境を整えることだ。
 各人(各企業)がやる気を出せばいい、というのは、ミクロ経済学の考え方である。
 学校(政府)が環境を整える、というのは、マクロ経済学の考え方である。
 そして、各自がやる気を出すかどうかは、あくまで各人に任せればいい、というのが、正しい方策だろう。「やる気を出せ」と声をかけるのはいいが、「やる気を出したら金をやる」というふうにするのは、とんでもないことだ。やる気を出した人が得をするのは、あくまで市場原理の枠内でやればいい。つまり、「やる気を出した人が学力アップという成果を得る」というふうにすればいい。それだけだ。これが正しい経済学的な理解だ。「成果主義で金を与える」という発想は、経済学にはなじまない発想なのである。(どちらかと言えば、市場原理に反して、共産主義に属する。)

 では、市場原理を貫徹するとすれば、どうなるか? こうだ。
 「価格は市場における需要と供給で決まる。需要の高いところでは、価格が上がる。……したがって、学力の高い学校では、授業料が上がり、かつ、教師の給与も上がる。学力の低い学校では、授業料が下がり、かつ、教師の給与も下がる。」
 「学校レベルでの取捨選択という競争を起こすと同時に、教師レベルの取捨選択という競争も起こす。人気の教師は大教室で多くの生徒を受け持って高所得。不人気の教師は小教室で少数の生徒を受け持って低所得。あまりにも不人気なら解雇。」
 これが市場原理である。これはこれで、成立するだろう。特に良し悪しは言えまい。良い点もあれば、悪い点もある。全体的に見て、どう評価するかは、政策判断の枠内だ。
 (なお、学校間の格差については、次の資料がある。 → 赤旗「成績上位校に生徒集中」

 [ 付記 ]
 解説しておこう。本項のポイントは、ミクロとマクロの発想の違いだ。
 「インセンティブを与えれば全員の能力が向上する」というのは、ミクロ経済学の発想ではありがちである。とはいえ、それは、企業には成立するが、人間には成立しない。(前半の箇条書きで示したとおり。)
 ここでは、何がおかしいか? ミクロの問題はミクロの問題であるから、政府が介入する必要はない、というのが基本である。とすれば、余計に介入すれば、それは市場に介入する発想(政府介入主義)になるだけだ。金持ち優遇の介入は良くないし、かといって、貧乏人優遇の介入も良くない。(その意味では、足立区も朝日も、ともに間違い。)
 では、どうすればいいか? 正しくは、市場に介入することではなくて、全体状況を整備することだ。政府・自治体は、個人のやる気には介入する必要はなく、やる気のある個人が実力を発揮できるように環境を整備すればいい。たとえば、週休二日制をやめるとか、補習をするとか、教師の雑用を省くとか、貧しい生徒に奨学金を整えるとか。……そういうふうに教育環境を整備することが正しい。学校という組織に何らかの金を与えればいいという問題ではないのだ。
 そもそもの話、「学校のやる気」というような馬鹿げた発想をするところに、根源的な馬鹿らしさがある。これを日本に援用すると、どうなるか? こうだ。  「日本の景気を良くするには、日本経済に金を与えればいい。そうすれば、日本経済がやる気を出すだろう。ゆえに、量的緩和で、金をじゃんじゃん垂れ流せばいい。金をじゃんじゃん垂れ流せば、日本経済にやる気が増える」
 馬鹿丸出し。比喩としての「擬人法」で理解するならまだしも、正気でこういうことを考えているのだから、ほとんど狂人である。
 こういう狂人が、「量的緩和」とか「インフレ目標」とかを主張する。「金さえばらまけば経済は良くなる」という発想。そこに欠けているのは、「真面目に働く」とか「真面目に勉強する」とかいう本質的な理解だ。
 「働かなくても、勉強しなくても、金さえばらまけば、やる気が出るのでうまく行く」
 馬鹿丸出し。働くことや勉強するという本質を抜きにして、やる気だけで片付けている。やる気だけで済むなら、世の中、何も問題はないだろうに。
 結論。
 大切なのは、働くことや勉強するという本質だ。それを活発にすることが大切だ。やる気などは二の次である。やる気などはなくても、働くことや勉強するということが活発であれば、それでいいのだ。
 日本シリーズの新庄の言葉を学ぶといい。「野球を楽しめ」と彼は言った。だからリラックスして、実力を発揮して、チームは勝利した。相手チームは違った。「何が何でも勝とう」と、やる気満々だった。そのせいで、気力が体を縛って、がんじがらめになってしまった。やる気がありすぎるせいで、固くなって、実力を発揮できなかった。
 大切なのは、やる気ではなく、実力を発揮することだ。気持ちではなくて、結果が大事なのだ。これこそが本質である。マクロ経済学の理解は、そういうことを教える。愚かな経済学者は、経済学のことを忘れて、やる気という精神訓話ばかりをする。
 今の日本には、経済学は欠けており、精神訓話があるだけだ。そういう方針で、経済政策が取られている。気違い国家。

 [ 余談 ]
 じゃ、どうすればいいか? 
 新庄を首相にすればいいかもね。  (^^);


● ニュースと感想  (11月09日)

 「ライブドア裁判」について。
 堀江被告の被告人質問が始まった。各紙でも報道されているが、だいたい予想されたとおりの内容で、特に新味はない。ただ、その口調は、かなり中立的なので、ひところの魔女狩りふうの偏向報道は、かなり減ってきたようだ。(私の著書の効果があったのかも。……  (^^); )

 なお、ここまでの公判をまとめた記事があるので、紹介しておこう。
 裁判での主な争点
【争点1・偽計、風説の流布】
 検察は株式交換の比率1:1は不当な評価であり、第三者の算定の事実もないと主張。堀江被告側は企業価値の評価の問題で虚偽性はないと主張。
【争点2・粉飾決算】
 検察は投資事業組合の実態がダミーであり、実態はライブドアだったと主張。堀江被告側は、組合は独立したもので、実態もあったと主張。
【争点3・粉飾決算】
 検察は売り上げに見合う作業がなかったと主張。堀江被告側は、一部では売り上げに見合う作業があったと主張。実際の作業がされていないものについては、堀江被告は関与せず、実態を知らなかったとしている。
(フジサンケイ ビジネスアイ) ( → Yahoo ニュース
 これらの争点を受けて、マスコミは「有罪か無罪か」と論じている。
 では、有罪になるか無罪になるか? 私の見解を示そう。

 はっきり言って、有罪か無罪かは、裁判官の価値観しだいだ。個人の価値観に依存するので、何とも言えない。
  ・ 「あらゆる悪を懲らしめる」というタイプ → 有罪
  ・ 「事件の本質を追究する」というタイプ → 無罪・微罪
 以前は、前者だと思えてきたが、最近は、後者の傾向も見て取れるので、何とも言えなくなった。裁判官に聞いてみてください。   (^^);

 ただし、である。私の本当に言いたいことは、こうだ。
 「有罪でも無罪でも、どっちでもたいして違いはない。しょせんは小悪にすぎない。大事なのは、小悪を小悪と認識することであって、有罪か無罪かではない」
 たとえば、信号無視についての裁判なら、「有罪か無罪か」を論じるべきではなく、「その罪の大きさが裁判に値しない」ということを論じればいい。犯罪事件そのものを論じるのではなく、犯罪事件についての扱い方を論じればいい。── つまり、「小を大と見なす錯覚があった」ということを論じればいい。
 しかしながら、このことに、まだマスコミは気づいていない。いまだに「有罪か無罪か」を論じるばかりだ。……この意味で、マスコミは、いまだに錯覚から脱してはいない。錯覚のさなかにいるとは言えないが、錯覚から脱してもいない。「錯覚」という病気については、「治りかけ」「病み上がり」「半病人状態」ということになる。

 なお、マスコミの一部には、「国策捜査」というふうに検察を批判する人もいるが、見当違いだろう。まず「国策」という言葉が悪い。また、検察が勝手に「暴走捜査」をしたとしても、そのこと自体は、たいして大問題とはならない。ちなみに、例のロシア関係の外交官が「国策捜査」で逮捕されたとしても、日本にはまったく影響がなかった。鈴木宗男がどうにかなったぐらいのことであるにすぎない。六千億円の損害などは発生しなかった。
 今回の問題は、検察の「暴走捜査」ではなくて、それをきっかけにして起こった社会的な「錯覚」である。これこそが、上場廃止や株価暴落を通じて、六千億円の損失をもたらしたのだ。── そして、その「錯覚」をもたらしたのは、検察というよりは、マスコミなのである。なぜ? 真実を報道せずに、虚偽ばかりを報道したからだ。
 虚偽の報道。これこそが社会的な錯覚の理由である。仮に、マスコミが、当初から「小泉の波立ち」を紹介していたら、このような錯覚は拡大しなかったはずだ。(本サイトでは事件の起こった直後に、速くも今回の摘発のうさんくささを指摘している。 → 1月19日 など)
 結局、諸悪の根源は、真実を報道せずに虚偽ばかりを報道するマスコミである。「国策捜査」などと騒いでいるマスコミは、自らの犯罪を隠蔽しているだけにすぎない。(自分の責任を回避して、他人のせいにしているだけだ。)

 [ 付記1 ]
 最近では、偏向報道がかなり減ってきた。このことは、たまに目につく偏向報道と比較するとわかる。たとえば、これだ。
   → Yahoo ニュース
 スポーツ報知の記事。いかにも偏向している記事だ。こういう記事は、現在では、突出して見える。それだけ、他のマスコミは中立的になった、ということ。換言すれば、他のマスコミだって、数カ月前には、こういう偏向報道をしていたんですよね。たぶん、本人は忘れちゃったんでしょうけど。健忘症。

 [ 付記2 ]
 最近の公判の詳細情報がある。
   → ライブドア・ニュース
 これを読むとわかるが、弁護側の主張はただ一つ、こうだ。
 「堀江被告には犯意がなかった」
 なるほど、犯意はなかったのだろう。それは実証できると思える。しかし、検察が述べているのは、「犯意があった」ということだけでなく、「犯罪をなした」ということだ。そこでは「錬金術」という言葉を使って、(何ら実証なしに印象だけで)「ホリエモン or ライブドアは莫大な富を奪い取った」という決めつけをしている。
 なのに、この検察の決めつけ(思い込み・錯覚)に対して、弁護側は何ら反論しない。単に「犯意はなかった」と述べているだけだ。つまり「犯罪をやっていません」とは述べていない。細かな法的論議だけはやっているが、「六千億円を盗んでいません」とは一言も言わない。
 一般的に言おう。検察が「こいつは人殺しをした」と求刑したときに、弁護側が「殺す気はなかった」ということを証明しても、「殺害」の罪は免れない。「故殺」が否定されて、「過失致死」が認定されるかもしれないが、しょせんは殺人である。だったら、有罪になってしまう。
 仮に、あなたが「殺人罪」で訴えられたとしよう。「私は殺していません」と訴えて、それが認められるなら、無罪になるだろう。しかし、「私は殺していません」と訴えずに、ただ「殺す気がありませんでした」と述べるだけでは、有罪は免れない。
 つまり、犯意を否定するだけでは、駄目なのだ。弁護側は、肝心の点を怠っている。駄目ですね。ヤメ検は駄目検。


● ニュースと感想  (11月09日b)

 「米国の選挙」について。
 民主党の勝利と共和党の敗北が確定した。理由は、ブッシュのイラク政策。
 マスコミはどうせ「ブッシュの敗因はイラク政策だ」というふうに述べるのだろうが、ちょっと他人事すぎるんじゃありませんかね? かつてブッシュのイラク政策を支持した人々は、自分のことをどう思っているんですかね? 
 この機に、ちゃんと反省してもらいたいものです。

 [ 付記 ]
 特に、読売は問題だ。つい先日も、世論調査をして、
 「日本の自衛隊のイラク派遣については『評価する』という意見が『評価しない』という意見を上回った」
 という結果を発表した。
 しかし、「評価する/評価しない」というのは、普通なら「良し/悪し」で調べるのを、歪めた形で調べることになる。ただの誘導尋問であるにすぎない。何とかしてプラスの数字を高めようとした、誘導尋問。
 反省ゼロですね。あくまで「イラク戦争は正しかった」と主張したいわけ。(ま、読売において、諸悪の根源が誰であるかは、衆知ですけどね。……そういえば、小久保は逃げちゃいそうですね。ま、小久保が逃げても逃げなくても、視聴者は巨人から逃げていくでしょうけど。あの人のせいで。)


● ニュースと感想  (11月10日)

 「米国の選挙と日本」について。
 米中間選挙について「誤りを認めよ」と題した朝日の社説。
 今回の選挙は、ブッシュ大統領のイラク政策に対する事実上の信任投票と言われた。
 ブッシュ氏はまず、イラク戦争の誤りを率直に認めることから、政策の転換に踏み出すべきではないか。
( → 朝日・社説
 「誤りを認めよ」というのは、誰にいっているのかと思ったら、米国大統領に言っているんですね。呆れたものだ。
 日本の新聞が他国の大統領に「誤りを認めろ」なんて、越権がすぎるんじゃないですかね? 日本人は米国大統領の選挙権を持っているんですか? 日本はいつから米国の一部になったんでしょうね。   (^^);

 「誤りを認めろ」というような、意思・判断に関することは、外国人が出しゃばって言うものではあるまい。単に政策について「賛成・反対」を言うだけでいい。「誤りを認めろ」というふうに注文をつけるのは、米国の国民ならばしてもいいことだが、外国人が口を出すべきことではないのだ。
 それより、日本人は、日本人自身について語る責務がある。「誤りを認めろ」という矛先は、米国大統領に向けるべきではなく、日本の政治家に向けるべきなのだ。批判するべき相手を間違えている。
 たとえば、小泉前首相にインタビューして、イラク問題について問い質すべきだろう。「もう首相じゃありませんから」とインタビューを拒否したら、「あなたは衆院議員じゃないんですか? 政治家を辞めるんですか? 議員としての責務を果たさないなら、さっさと辞職届を出しなさい」と論じるべきだ。同様に、あちこちの保守派の論客にも、インタビューをするべきだろう。当然、逃げる人も出てくるだろうから、「インタビューを拒否して逃げ回った人の一覧」というのも掲載するべきだろう。「威勢のいいことをいっていたくせに、いざ不利になると逃げ回る卑怯な連中の一覧」である。こういう連中こそ、最初は戦争をけしかけておいて、いざ戦争になったら、真っ先に逃げ出すに決まっている。
 保守派の論客であるなら、「イラク戦争は正しい(米国民は間違っている)」とあくまで自説を固持するか、あるいは、「自分は間違っていました(米国民は正しい)」とシャッポを脱ぐか、どちらかにするべきだ。
 なのに、たいていの保守派は、返事をしないで逃げ回るか、「言われなくてもわかっているから言わないでくれ」と逃げ回るか、どちらかだ。ひどいものだ。反省ゼロ。
 で、こういう連中を追いかけることにこそ、マスコミの意義がある。パパラッチみたいなことをするなら、安倍首相にぶら下がりたいなんていうふうに(ダッコちゃんみたいな)要求をするより、あちこちの論客を追い回せばいいのだ。イラク戦争開始時には、あちこちの論客が騒いでいたから、それを探ればいいのだ。(代表格はナベツネ。)

 [ 付記1 ]
 朝日もひどいが、読売はもっとひどいよね。
  ( → 読売・社説
 かつては「友人である米国を信じよう」と述べていたくせに、今では「嘘つき米国のブッシュなんか他人です」という口調。相手が盛んなときにはおべっかを使ってすり寄るくせに、相手が落ち目になると他人のフリ。情けないね。

 なお、毎日(など)は、けっこうまともです。
  → 毎日新聞 「イラク政策の誤り認める ブッシュ大統領」

 [ 付記2 ]
 でもまあ、こういうことを言い出すと、「ライブドア事件の端緒で騒いでいたマスコミ自身を追求しろ」というふうになるから、マスコミは「過去の失敗の追求」というのは、やりたがらないのかも。少なくとも、自国では。……でもって、当たり障りの内容に、外国人ばかりをあげつらっているのかもね。
 マスコミなんて、口先ばかり善人面をしているが、つまりは自己反省能力のない厚顔無恥な連中ばかり。
 「おれは正義だ」と叫んでいるが、鏡を見ればわかるように、その顔には「悪党」「詐欺師」「煽動家」と書いてある。

 [ 付記3 ]
 オマケで一言。それは、共和党敗北の、本当の理由だ。誰も書かないが、私が本当の理由を書く。
 それは、「選挙の不正をしなかったこと」である。今回の選挙は、ブッシュは直接関与しなかったから、不正をしなかった。そのせいで、公正な結果が出た。
 しかしながら、過去の大統領選(特にブッシュの一期目)のように、選挙でインチキをしていたなら、今回の結果はひっくりかえっていたはずだ。
 実を言うと、今回は、ブッシュは、イラクのフセインの裁判ばかりに目を奪われていた。こっちでインチキをすることに熱中していた。で、まんまと、フセインに死刑判決を下して、成功したと思い込んでいた。
 そのせいで、肝心の米国でインチキをしそこなったのである。これが共和党敗北の本当の理由。   (^^);


● ニュースと感想  (11月10日b)

 → Open ブログ「環境ブラ」


● ニュースと感想  (11月11日)

 → Open ブログ「ディーゼル」
 → Open ブログ「バイオエタノール」


● ニュースと感想  (11月12日)

 「会社は誰のものか?」について。
 「会社は誰のものか?」という議論がある。(以下の話は、朝日・夕刊・文化面 2006-11-09 )
 この問題については、次に二つの説が対立している。
  ・ 会社は株主のものだ。法的にはそうだ。
  ・ 会社は従業員や消費者のためにある、という面もある。
 この問題を解決しようとして、内橋克人は次のように述べる。
 「会社は二階建て構造だ。二階は会社組織で、株主が所有する。一階は会社資産で、会社が所有する」
 もうちょっとわかりやすく言えば、「二重構造」だろう。「外側は会社で、内側は会社資産」というわけ。
 もっともらしい理屈だが、そんなこと、いちいちいわれなくたって、誰だって知っています。「外側/内側」を「二階/一階」と言い換えただけ。つまらん。
( ※ 内橋克人は、これを「二階では会社はモノとなり、一回で破壊者はヒトとなる」つまり「会社は二重性をもつ法人だ」と説明している。だが、これはやはり、ただの言い換えであって、つまらん。いくら別の言葉で言い換えをしても、何かがわかったわけではなく、わかった気がするだけだ。文学ごっこみたいなものである。)

 では、正解は? 
 実は、この問題は、問題自身に曖昧さがあることに起因する。その曖昧さを解消して、正確な問題に書き直せば、次のようになる。
  ・ 会社は誰が所有するのか? 
  ・ 会社は誰が所有する物体か? 
 前者に対しては、「株主が所有する」と答えてよい。実際、株券を売買することで、株主は会社を売買できる。この意味で、売買の権利である所有権は、株主が所有する。
 後者に対しては、「誰の所有する物体でもない。なぜなら会社は物体ではないから」と答えればいい。会社は、物体ではない。では何かと言えば、「社会的な場」である。この社会的な場を用いて、従業員が生産活動をなし、消費者に経済物を提供し、利益から株主に配当をする。── そのような「社会的な場」であって、物体ではない。自動車や宝石や鞄のような物体ではない。
 ただの物体であれば、所有者が好き勝手に処分していい。ゴミ箱に捨てようが、トンカチでぶちこわそうが、所有者の勝手だ。しかし、「社会的な場」は、物体ではない。何らかの責任がともなう。もちろん、ゴミ箱に捨てるようにして、勝手に倒産させていいわけではない。「おれのものだからおれの好きなようにする」ということは許されないのだ。ただの物体ではないのだから。

 以上からわかるのは、こうだ。
 「会社は誰のものか?」という問題は、問題そのものが曖昧である。そのせいで、両義的な解釈がされる。ある人は「誰の所有?」という点について答える。ある人は、「物ではない」という点について答える。答えるポイントが異なっている。それというのも、問題そのものが曖昧だからだ。

 こうして、最初の問題には、解決がつく。つまり、こうだ。
 「問題そのものが間違っている」
 したがって、問題を書き直して、正確な問題にすれば、あとの答えは、自動的に出てくる。すなわち、
  ・ 会社の所有権は、株主にある。
  ・ 会社は、物体ではないので、社会的な責任をともなう。
 その上で、次のように答えることもできる。
 「会社は、誰のためにあるか? もちろん、会社が役立つような、あらゆる人のためにある。比喩的に言えば、チョコレートは誰のためにあるか? チョコレートが好きなすべての人のためにある。それと同様だ。会社は誰のためにあるか? その会社が役立っているあらゆる人のためにある。消費者や、従業員や、経営者や、株主や、はたまた税を得る国民全体など。……そのすべてのためにある。」
 当り前ですね。

 この件で、本質は、何か?
 要するに、問題をきれいに書き直せば、正解は簡単に出る、ということだ。問題が複雑に見えるときは、答えが複雑であるからというよりは、問題自身のうちに複雑さや曖昧さがあることが多い。問題をシンプルに書き直せば、答えもまたシンプルに得ることができるのだ。

( ※ なお、関連記事あり。たいして関連性はないが。 → 8月04日


● ニュースと感想  (11月13日)

 「社会問題と利己的遺伝子」について。
  → Open ブログ 「社会問題と利己的遺伝子」
  → 「優勝劣敗とは


● ニュースと感想  (11月14日)

 「戦争と平和の理論」について。
  → nando ブログ 「戦争と平和の理論」


● ニュースと感想  (11月15日)

 「イラク人質事件の後日談」について。
 イラク人質事件について、後日談を記した。
   → 該当箇所

 ( 戦争と平和と錯覚の話。)


● ニュースと感想  (11月15日b)

 「米軍基地の移転先」について。
 在日米軍の基地(岩国)をどこに移転するべきか、という話題がある。
米海軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機の移駐に関して、政府は11日、艦載機による夜間離着陸訓練(NLP)などの恒常的施設について、艦載機の移駐先である米海兵隊岩国基地(山口県)から約180キロ圏外で新たに選定する方針を固めた。
 硫黄島は基地から遠い上、途中には故障した際の不時着場所がないこともあって、米政府は、恒常的な訓練施設の設置を日本側に求めている。
 候補地については、〈1〉周囲に急峻(きゅうしゅん)な山がない〈2〉近隣住民に対する騒音被害が少ない〈3〉天候が1年を通じ比較的安定している――などの条件が求められており、今後の選定作業は難航することが予想される。
( → 読売新聞
 私が思うに、候補地は二つある。
 (1) 冬季と夏期に分けて、夏期は北方四島。(北海道という案もあるが。)
 (2) 竹島(韓国と係争中)
 いずれにしても、係争中の島だ。こういう領土を、米軍に任せてしまえばいい。特に、竹島はお勧め。日本も韓国も、どちらも譲る気はないはずだから、米国に占拠してもらえばいい。で、あとは、「守ってもらうこと」の代金[= 滑走路建設費など]の支払額の問題となる。
 これは総額で数千億円になりそうだ。では、誰が払うか? 
 「日本の領土だ」と思うのであれば、日本が全額を支払う。韓国が「韓国の領土だ」と思うのであれば、韓国が全額を支払う。両国が「半分ずつ」と思うのなら、半額ずつ支払う。
 私のお勧めは、半々です。「シュレーディンガーの猫」と違って、金の支払いは「半々」が可能です。  (^^);

 [ 付記 ]
 竹島は、日比谷公園ぐらいの大きさの断崖絶壁の島。
 場所的には、岩国からかなり近いので、うまく条件に合致する。
 人間が居住するのは、不可能ではない。人間のためには、地上施設のほか、水中に潜水艦みたいな施設を置いても良さそうだ。
 軍事施設は、大型の浮遊滑走路を止めておけばいい。離着陸訓練の施設を置くぐらいなら、できると思う。たぶん。
 (日本海の荒波が問題なら、ホバークラフトみたいに、本体を水面よりも高く位置させればいい。
 図形でいうと     工    という感じである。中央の横線は水面で、上半分が滑走路で、下半分が浮力用の浮き。こうすると、波の影響を受けにくい。)


● ニュースと感想  (11月15日c)

 「国家間の憎悪と友情」について。
 朝日新聞に「朗朗(ランラン)」という天才ピアニストが紹介されていた。(朝刊・コラム「ひと」欄 2006-11-14 )
 この人は、ホリエモンに似ている(もっとハンサムだが)ということで、名が知られている。( → 画像
 それは別として、この記事では、興味深いことが書かれてあった。幼少のときに日本のコンクールで優勝して以来、日本のことが好きになり、毎年日本を訪れるという。同じく郷土で誕生した小沢征爾(日本人だが)を尊敬しており、小沢と同じように日中友好の架け橋となりたいという。
 立派ですね。中国人の多くが「アンチ日本」を唱えているときに、大多数とは反対の声を上げる。ううむ。感服した。私もこういうふうに大人物でありたい。世間が「アンチ中国」を唱えているときには、客観的に中立の立場なんかを取らず、中和剤として、逆の「友好的」な立場を取りたい。「親中派」と文句を言われそうだが、そんな偏見は「いや、私は友好建設派だ」というふうに主張して、文句を一蹴したい。
 朗朗は、仙台の町がとても気に入ったという。それを言えば、私だって、中国の桂林は(行ったことがないけれど)大好きだ。アルプスやナイアガラよりも好きだ。ニューヨークやパリなんて比べものにならない。世界で一番好きな場所が桂林かもしれない。(だけど、これと並ぶ名勝の三峡は、ダムのせいであちこちが水没しちゃうんですよね。悲しい。)

 ま、世間が偏向しているときには、私はあえて逆の意見を言って、世間を中和させようとすることがある。しばしば、ある。そのせいで、「トンデモ」呼ばわりされたりするんだが。 ……  (^^);
 ブッシュのイラク戦争開始や、イラク人質事件の際には、私は世間に逆らって、少数派の立場を貫いた。この二つの事件については、世間は私の方にすり寄ってきたようだ。ライブドア事件では、どうだろうか? まだ一年もたっていないから、まだまだ決着はつかない。
 他にも、科学の分野で、いろいろありますね。どうなるでしょう?  (^^)


● ニュースと感想  (11月16日)

 燃料電池の燃料となる資源の話。
  → Open ブログ 「燃料電池の死2」


● ニュースと感想  (11月16日b)

 「ガス管のカルテル」について。
 ガス管のカルテルが公取委に摘発された。
 各社は04年秋、原料となる原油やナフサの価格高騰を理由に、相次いでPE管や継ぎ手類を11月から値上げする方針を打ち出し、顧客のガス会社などと交渉に入った。値上げ幅は10%前後から15%程度だった。
 05年秋にも、各社は再び11月出荷分から同程度の値上げを表明。理由はやはり原油やナフサ価格の高騰だった。
( → 朝日コム
 紙の新聞の記事では、「原油値上げがあっても、各社は我慢して、価格を上げずにいるべきだ」という公取委幹部の見解があった。(朝日・夕刊 2006-11-14 )
 しかしねえ。それを言うなら、燃油運賃はどうなんですか? 原油値上げを完全に転嫁しているじゃないですか。しかも、その額を明示せずに、あとでぼったくる。これこそ公正な競争を否定し、不当表示をするもので、不当販売だ。
 公取委は、摘発する対象を、間違えている。原油値上げの価格転嫁なんか、摘発する必要はない。それを明示しないで隠しているという、不当表示こそを、摘発するべきだ。
   → 燃油運賃


● ニュースと感想  (11月17日)

 「製品事故の公表」について。
 製品事故を公表するべきか? 朝日・社説は、次のように言う。
 製品の事故 企業名の公表が原則だ
 消費生活用製品安全法の改正案が国会に提出され、衆院で可決された。法案は参院に回っている。
 大きな事故の前には、予兆となる小さな事故がいくつも起きている。報告すべき範囲はできるだけ広げるべきだ。
 メーカーからの報告を待つだけでは、漏れがあるかもしれない。この際、利用者の声を集め、報告をチェックする仕組みをつくってはどうか。それには国民生活センターとの連携を強めればいい。
( → 朝日・社説 2006-11-15
 何でもかんでも公表してしまえ、という発想である。しかし、整理されていない情法を、やたらと公表すれば、「風評の被害」が発生する。たとえば、カイワレ大根だ。大腸菌汚染という濡れ衣を着せられたせいで、産業が全滅してしまった。今ではスーパーでカイワレ大根を買うことができない。いったん消費が激減すると、生産も激減し、産業が壊滅するので、その後に需要が生じることもない。悪循環。蟻地獄。……こういうことが起こるのだ。
 似た例では、テレビ朝日が「汚染された野菜」という偽情報をばらまいて、その地方の野菜がまったく売れなくなった、ということもある。
 とにかく、マスコミなんていうものは、やたらとセンセーショナルに報道するばかりなのだから、何でもかんでも情報公開すればいいというものではないのだ。情報伝達には、それなりの責任がともなう。そのことも理解していないから、ライブドア事件のような馬鹿げた事件も起こる。この事件では、カイワレ大根産業のかわりに、ライブドアが大被害を受けた。そのことについて、マスコミはまったく反省していない。「やたらと情報公開せよ」と主張する前に、その罪を自分で反省することの方が先決だろう。過去を直視するべし。

 では、製品事故については、どうすればいいか? 私は、次のように考える。
 この問題こそ、検察が摘発するべきだ。すなわち、次のように。
 「何らかの製品事故があったとして、その製品事故があらかじめ公表されていたのであれば、以後の事故は、ただの製品事故の問題として、刑事責任を免責される。故意ではなく、過失にすぎないからだ。また、企業の過失は、(情報を生かさなかった)消費者の過失とかなり相殺されるからだ。一方、その製品事故があらかじめ公表されていないのであれば、(悪質な)情報の隠蔽があったと見なして、犯罪と見なす。死者が出れば殺人罪。けが人が出れば傷害罪。この咎により、経営者を逮捕し、刑事罰を科する」
 要するに、こうだ。「隠さなければ、技術者の責任があるだけで、企業の義務は金銭的な賠償のみ。隠せば、経営者の責任となり、経営者が刑事罰を食らう。企業は、正当な賠償のほか、高額の慰謝料を払う」。
 こういうところこそ、検察が出て、刑事罰を科すればいい。そのことで、悪質な欠陥と悪質でない欠陥とが、企業自身の責任で峻別される。
 実例を示す。三菱自動車の車輪の欠陥であれば、これを隠蔽した経営者は、殺人罪で起訴されるべきだ。一方、カイワレ大根の経営者は、何も隠蔽したことにならない。なぜなら、死者も病人も出ていないからだ。せいぜい大腸菌がいただけで、病人などは一人も出なかった。また、大腸菌自体が、カイワレ大根のせいではなかった。
 
 自社の製品のことは企業がよく知っている。だから企業自身に情報を管理させればよい。そして、その情報が管理が正しいかどうかについては、あとでちゃんと責任を取ってもらう。そういうシステムがあればいいのだ。
 「何でもかんでも報道・公表すればいい」
 というのは、マスコミの無責任・無自覚からくる驕りである。まずはライブドア事件のデタラメ報道を反省してもらいたいものだ。


● ニュースと感想  (11月17日b)

 「テロリストの根源」について。
 NYテロを引き起こしたアルカイーダは、ただの悪のテロリストなのか? 実を言うと、アルカイーダは、米国自身が育てたのである。つまり、鬼子だ。
 詳しい話は:
   → nando ブログ 「戦争と平和の理論」の【 追記 】

 ( ※ 先日に書いた分の後半に加筆した。)


● ニュースと感想  (11月18日)

 「ライブドア事件とマスコミ」について。
 ライブドア事件を扱った「ヒルズ黙示録」の続編(ヒルズ黙示録・最終章)が、朝日新書で発売された。まだざっと目を通しただけで、細部まで読み切ったわけではないのだが、とりあえずの感想。
 この感想を書く前に、他の読者ブログを読んで見た。
今回の事件の根幹にあるのは、派手な事件の摘発で地盤沈下を食い止めようとする検察首脳と、それに迎合した東京地検の大鶴特捜部長の出世主義だという見立ては辛辣だ。
( → 該当ブログ
 これは「検察が悪党だ」という立場。「あれもこれもみんな検察が悪い」という立場。
 検察っていうのは、そんなに悪意の固まりの人々なんでしょうかね?
 そう感じたあとで、いざ本を買って読んでみたら、やはりその意を強くした。

 この本では、「検察ばかりが悪い」というふうに書いてある。しかし、そうか? いや、肝心のことが書いてない。それは「世間やマスコミもまた、ライブドアを悪党と見なした」ということだ。検察だけが突出していたわけではない。世間やマスコミもまた同調していたのだ。なのに、「検察だけが悪い」と書くのでは、あまりにも視点が偏っている。(要するに、自社の姿が見えていない。マスコミ人の限界ですかね。)

 この本では「自分(マスコミ)は悪くない」という立場から、「検察だけが悪い」というふうに批判している。しかし、私はそうは思わない。むしろ、検察は「善意ゆえに悪をなした」のである。
 悪をなした人には悪意があると思うのは、あまりにも単純だ。善意ゆえに悪をなすことはある。正義感ゆえに悪をなすことはある。(錯覚ゆえに。)── それが人間性の本質というものだ。

 こういう人間性の本質を理解しないで、「悪いことをしたやつは悪党だ」という決めつけをするのは、しょせんは、同じ穴のムジナなのである。
  ・ 検 察  「悪いことをしたホリエモンは悪党だ」
  ・ 批判者 「悪いことをした検察は悪党だ」
 どっちもどっち。自分だけが正しいと思い込んでいる。自分自身について無反省である。それゆえ、正義をなしているつもりで、悪をなしているのだ。
 検察への批判者は、検察を批判していることで、自分は正義をなしているつもりだ。しかし、「本当は錯覚があるだけだ」という真相を隠蔽して、虚偽をばらまいている点(「何でもかんでも検察が悪い」というふうに嘘をついている点)(「錯覚だ」という意見さえも隠蔽している点)で、同じ穴のムジナなのである。

 要するに、ホリエモンに対する「魔女狩り」のあとで、検察に対する「魔女狩り」をやらかそうとしても、何にもならない。大切なのは、「魔女狩りの方向を反対にすること」ではなくて、「魔女狩りそのものをやめること」である。そして、そのためには、人々が自らの「錯覚」について理解する必要がある。
 マスコミの大勢は「ホリエモンへの魔女狩り」をするし、マスコミの一部は「検察への魔女狩り」をしようとする。こういう連中が「錯覚」についてまったく言及しないせいで、いつまでたっても、ライブドア事件の真実は世間にひろがらない。
 ライブドア事件の真実が世間にひろがるためには、人々全体が、「検察の過ち」のかわりに、「自分たちの過ち」つまり「錯覚」について理解する必要があるのだ。

 比喩的に言おう。ブッシュ大統領は「大量兵器」の嘘をついた。これを批判する際、「ブッシュ大統領は、おのれの我欲に駆られた悪党だ」と批判している限りは、真実はわからない。だが、「ブッシュ大統領が嘘をついたので、米国民はだまされた(錯覚した)」と気づけば、ようやく真実がわかるのだ。
 ライブドア事件もまた同様。検察だけを責めても仕方ない。だまされた国民全体の錯覚を指摘しない限り、いつまでたっても真相は明らかにならないのだ。

 [ 付記1 ]
 この本では、あらかじめ「スジをつくり、そのスジに合致した証拠と供述で、無理やりこじつける」という検察の手法を批判しており、「大鶴(特捜部長)個人をあまり責めても仕方なかろう」と述べている。(215-216頁)
 それはそうかもしれない。しかし、この著者自身が、似た立場にある。「(ライブドアを悪人に仕立て上げるという)スジをつくり、そのスジに合致した証拠と供述で、無理やりこじつける」というマスコミの手法があるのに、その手法を批判しない。
 つまり、同じことをやっていても、検察については批判するが、自社については批判しない。ほとんど二重基準である。あるいは、他人の欠点には目が向くが、自分の欠点には目が向かない。……だったら、本人が、大鶴と同じ立場にある。大鶴が「組織の一員として、組織には逆らえない」のであれば、この本の著者自身、「組織の一員として、組織には逆らえない」のである。何しろ、マスコミ批判の一言もないのだから。
 目くそ鼻くそを笑う。馬鹿馬鹿しいと言ったら、ありゃしない。物事の本質を隠しているという点では、大鶴も、この本の著者も、大同小異である。結局は、二人そろって、世間をあざむいている。
 検察は「(犯罪事件の)きっかけ」であるライブドア自身を批判して、事件の本質を見ない。この本の著者は、「(社会事件の)きっかけ」である検察だけを批判して、事件の本質を見ない。どっちにしろ、事件の本質を見ない。というか、隠蔽している。目くそ鼻くそ。

 [ 付記2 ]
 最後に、虚偽と真相を記せば、こうだ。
 著作で述べたとおり、ライブドア事件とは、「誰かが何をなした」という事件ではなくて、「社会全体が錯覚をした」という事件なのだ。犯罪事件ではなくて、社会心理の事件なのだ。……ここでは、六千億円という損失が生じたのが問題なのであって、帳簿の付け方が正しいかどうかが問題なのではない。
 特捜も、この本の著者も、マスコミも、事件の本質を隠蔽している。こういう無反省な正義漢ヅラする連中こそ、断罪されねばなるまい。国民をだました罪で。

 [ 付記3 ]
 もう少し解説しておこう。
 この本では、「検察が悪い」という趣旨で、「組織の硬直性」ないし「組織エゴ」というふうなものを批判している。
 しかし、こういう類の「組織の問題」なら、どの官庁にも当てはまる。どこの官庁にだって、「組織の硬直性」ないし「組織エゴ」はある。それをいちいちあげつらっても、仕方ない。
 検察は、組織の欠陥ゆえに失敗したのではないのだ。では、なぜ失敗したのか? 検察は、「勘違い」ないし「錯覚」ゆえに失敗したのだ。具体的に言えば、フジテレビや錬金術サイトのデタラメな告発を信じて、あっさりと引っかかってしまったのだ。(その理由は、経済学的な無知。詳細は、著作「ライブドア・二重の虚構」に書いてあるとおり。)
 ここでは、検察は、「勘違い」や「錯覚」をなした。そして、これは、(どの官庁にも当てはまるような)組織の問題ではなく、(どの人間にも当てはまるような)人間性の問題なのだ。
 検察が何かを間違えたとすると、「検察が悪い」「検察という組織が悪い」と人は思いがちだ。違う。検察の組織を別の組織に変えたところで、同じことである。その証拠に、マスコミもまた、同じ失敗をなした。また、日本中の全員が、同じ失敗をなした。……ここでは、組織の問題があったのではなく、人間性の問題があったのだ。
 そうだ。組織の問題ではなく、人間性の問題があった。だからこそ、あらゆる官庁組織が間違えたのではなく、あらゆる日本人が間違えたのだ。ライブドア事件というのは、検察という一組織だけの問題ではなくて、日本人全体の問題なのだ。
 ここでは、日本中が勘違いした。錯覚しやすいという人間性ゆえに。「独りよがりな正義感」と「経済学的な無知」を基盤として。……こういうふうに、人間性の問題として理解しない限り、物事の本質は見えてこないのだ。

( ※ 本項は、11月09日の続きである。そちらも参照。)


● ニュースと感想  (11月19日)

 「ライブドア事件をめぐる書評」について。
 前項では、「ヒルズ黙示録・最終章」についての感想を述べた。ついでに、ちょっと視点は変わるが、この本全体についての感想を述べておこう。
 この本全体についての感想は、こうだ。
 「細かいことばかりを追っていて、全体像がまったく見えない」
 全体像としてせいぜい、「検察の暴走」という点があるだけ。それも、ほんの少し書いてあるだけ。それ以外は全体像はまったく見えない。あくまで個々の小さな現象ばかりを追っている。
 ま、それをおもしろがる人も多いだろうが、こんなことでは物事の本質はまったく見えない。

 特に最後の箇所を読んで、その意を強めた。この著者の経済認識は、こうだ。
 「現代日本の経済現象は、世代間対立である。年寄りは遊んで大金を得て、若年世代は就職氷河期で苦しんでいる。年寄りが泥棒をしているのだ。(ライブドアはそれに風穴を開けようとしたが、できなかった。)」
 (引用ではなく、南堂のまとめた要旨。元の文章は 221頁。)

 馬鹿じゃなかろうかね? 年寄りが金を得ているというのであれば、バブル期の年寄りの方がよほど多くの金を得ていた。今は年寄りだって、年金は削られるし、医療費負担は多くなっている。生活保護を打ち切られて、餓死する年寄りだっている。年寄りがウハウハと言うことはないのだ。日本中が貧しくなっているのだ。
 そのなかで、若者に極端にしわ寄せが来ている、ということはある。そのくらいなら言える。
 ただし、若者なら、今の年寄りが若かったころに比べれば、ずっと幸福である。彼らが若いころには、自動車も手にできなかったし、肉もまともに食べられなかった。風呂は銭湯だし、エアコンなんて夢も同然だった。一方、今の若者は、ケータイもコンピュータも iPod も楽しんでいる。それでいて、「年寄りに奪われている」だって? 冗談も休み休みにしてほしいね。
 いいですか? 今の日本は、半世紀前には、ガレキの山だったのだ。何一つなかったのだ。それが、現在のように、先進国になれた。それはたったの半世紀でなしたことだ。では、だれが、そんなすばらしいことをなしたのか? ベトナムや中国の人たちは、いまだに貧しいままなのに、なぜ今の日本人だけは、こんなに豊かになれたのか? 今の若者たちの努力のおかげか? まさか。今の若者たちがこんなに豊かになれたのは、年寄りに文明社会を与えられたからなのだ。そして、今の若者たちがたいして所得を得られないのは、富を奪われたからではなく、単に働いていないからなのだ。若者たちが奪われているのは、富ではなくて、働く機会だけだ。
 そして、働く機会を奪ったのは、年寄りではなく、政府である。ここの点、勘違いしないでほしいね。

 この本の著者は、現代の日本を構築した年寄りに対する「感謝の念」がない。半世紀前には想像もできないほど豊かな生活を送っているのに、そこにいくらか難点が生じたからといって、その難点を(濡れ衣ふうに)年寄りのせいにして、年寄りを泥棒扱いする。自分たちの得られる豊かな社会は、年寄りが与えてくれたものなのに、それを与えてくれた年寄りを泥棒扱いする。
 まったく呆れたものだ。今の若者が自分たち自身で(自力で)この日本という社会をゼロから作ったとでも思っているのだろうか? とんでもない勘違い。今の日本の景気低迷という問題は、年寄りたちの責任ではない。
 過去の歴史を見るがいい。年寄りたちは、彼らが退職するまでの間(1945年〜1990年)に、十分に働いてくれた。これ以上ないほど、十分に働いてくれた。ただし、その後の世代が、1990年以降に、経済を破壊してしまったのだ。経済を破壊したのは、年寄りたちではなくて、その後の世代なのだ。
 そして、その責任者は誰かと言えば、その後の世代のうち、労働者ではなくて、政府であり、さらに、それを放置するマスコミである。まずは政府が経済政策を失敗し、かつ、修正の方法を誤った。さらにマスコミが、間違った政策ばかりを提案した。「不良債権処理」「ゼロ金利」など。……そのどれ一つとして効果はなく、どちらかと言えば逆効果ばかりがあった。マスコミの誤報こそ、景気低迷を続けた真犯人の一つなのだ。
 要するに、この本の著者は、自分が真犯人であるにもかかわらず、「責任はあいつだ」というふうに、年寄りに責任をなすりつけている。本来ならば感謝するべき恩人を、犯人扱いして、自分の身代わりに仕立て上げようとしている。
 これではまったく、極悪人も同然だ。ただし、多くのマスコミ連中は、根が性悪なのではなく、経済的に無知であるからだ。馬鹿というものは、そういうものなのである。自分が悪をなしていると気づかないまま、しらずしらず悪をなしてしまう。
 こういう愚かな人々のために、本当の真実は何かを教えたいが、一言では書き記せない。そこで、私の書いている次の著作で、記すことにする。乞う、ご期待。

  【 追記 】 (特に読まなくても良い。)
 本項のことは、「ヒルズ黙示録・最終章」に対する批判としては、ただの「重箱の隅を突ついただけ」というふうに見えなくもない。そこで、なぜこんなことを書いたのかを、解説しておく。

 この本の著者は、ライブドア事件全体を「世代間の対立」というふうにとらえている。
  ・ 旧体制を打破しようとする若い新興勢力 (ライブドア・村上ファンド)
  ・ 旧体制を維持しようとする老いた旧勢力 (検察・フジテレビ)
 なるほど、いかにもわかりやすい図式だ。しかし、あまりにも安直である。こんなふうに「世代間対立」という図式でとらえるのでは、ライブドア事件については何もわかっていない、と言えるだろう。
 そもそも、「世代間対立」というものが仮にあるとしても、それが「ライブドア事件」という形を取った理由は、さっぱりわからない。はっきり言って、「こじつけ」であるにすぎない。何でもかんでも「世代間対立」のせいにしているだけだ。電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも。
 で、こういう安直な図式による説明を否定するために、この安直な図式を正面切って否定したわけだ。
 「ライブドア事件の本質は、(老若対立という)安直な図式で説明できるものではないぞ」
 というふうに。
 この本の著者は、結局、ライブドア事件を見ても、本質がまったくわかっていない。単に善玉と悪玉を見つけて、「あいつが悪い」というふうに決めつけているだけだ。人間性の本質というものがまったくわかっていないし、経済的な原理もわかっていない。ただ、そういうことについて言及するのは、前項でなした。本項では、著者の主張する(老若対立という)安直な図式を、正面切って否定したわけだ。
 結局、「世代間対立」というものはたしかに些末なことではあるのだが、著者が勝手に「世代間対立」という些末なものを基本原理に据えているから、「そんなことはないぞ」と、本項で否定したわけだ。
 かくて、私はわざわざ、些末なことを取り扱ったわけだ。(些末なものが基本原理だと誤解されているから誤解を正す、ということ。)


● ニュースと感想  (11月19日b)

 「建築設計疑惑」について。
 建築設計疑惑(ヒューザー事件)については、事件の全貌がほぼ判明したようだ。(朝日・朝刊・第三社会面 2006-11-17 )
 つまり、この事件は、姉歯建築士の単独犯行である。他の会社(建築会社やチェック会社)は、まんまとだまされた格好だ。もちろん、おのれの能力の低さゆえにだまされたわけだから、何らかの責任は免れまい。しかしその責任は、「能力の低さ」「だまされたこと」という責任であり、経済活動における責任だ。
 自動車で言えば、「欠陥自動車をあえて作って事故を起こさせた」という罪ではなく、「能力の低さゆえに品質がちょっと劣る自動車を作った」という罪だ。そのせいで、悪意のある人が、弱点をつく形の悪用をなしたが、それは自動車会社の責任ではない。
 要するに、姉歯建築士以外には、刑事責任はない。で、他の会社に責任があるかのように摘発した検察は、行き過ぎだったことになる。弁護側が「国策捜査だ」というふうに批判するのも、むべなるかな。(ただし「国策捜査」というのは行き過ぎだ。そんな国策など、あるはずがない。ただの「誤認摘発」である。)

 それにしても、マスコミには呆れるね。事実が判明したのであれば、そのことについて「要点をまとめる」という形で、しっかり報道するべきだろう。今回の記事のように、大きな記事の一部に埋没させるべきではない。
 そしてまた、自分たち自身の誤報をも、修正しなくてはならない。「あの報道は間違いでした。検察の言い分を鵜呑みにしてしまいました」と。
 その上で、謝罪するべきだろう。「関係者各位には多大なるご迷惑をおかけして、名誉を失墜させてしまいました。ここに深くお詫びします」と。
 マスコミというのは、良心のかけらもないんでしょうかね。

 [ 付記 ]
 ただし、私もいくらかは、お詫びしなくてはならないようだ。あの当時、マスコミ報道を信じて、「関係各社もグルだった」というふうに思い込んでしまった。この点では、私も軽率であった。ゆえに、私としては、ここで(関係者に)お詫びします。ぺこり。
( ※ といっても、関係者はもともと、私のサイトなんか読むはずはないんだけど。  (^^); )

 余談だが、「ライブドア事件は、ヒューザー事件を隠蔽するための国策捜査だ」と述べた著作者がいた。あれは、私ではなく、どこかの元国税調査官です。勘違いしないでくださいね。


● ニュースと感想  (11月20日)

 「マスコミの罪と景気」について。
 ライブドア事件であれ、イラク人質事件であれ、なぜ私はかくも大々的にこだわるのか? この事件そのものが巨大であるからか? 違う。それを扱う人々(社会全体)が巨大であるからだ。
 本当は、ライブドアがどうなろうと、人質だった人々がどうなろうと、そんなことは大した問題ではない。つぶれる会社は無数にあるし、事故や自殺で死ぬ人も無数にある。そっちの方がよほど大問題だ。ただし、ライブドアやイラク人質事件では、犯人が違った。犯人は「日本人全体」だったのだ。それゆえ、これは「日本の狂気」の問題なのである。
 
 では、この「日本の狂気」を正すには、どうすればいいか? 正しい見解を出して、狂気を一掃すればいい。では、そのためには? 正しい見解を世間に知らしめればいい。
 しかるに、現実は、どうだったか? ただ一種類の意見しかなかった。
 「ライブドアは巨悪だ」
 「人質だった三人は自己責任を知らないわがまま野郎だ」
 こういう意見ばかりが出回った。世間は一色に染まった。そういう一色の意見を一刺しするような意見も、散発的になら、いくらかはあった。(ライブドア事件の「国策捜査」論や、イラク人質事件における高橋源一郎の意見だ。)しかしいずれも、日本人の狂気を指摘したものではない。「どこかの誰かが何かをすればいい」というふうに述べただけであって、あくまで他人事である。「われわれ自身の過ち」というふうに述べた見解はなかった。

 現実は上記のようだった。では、その責任は、誰にあるか? 世間にただ一種類の見解しか出回らないことの責任は、誰にあるのか? 日本が事実上の報道規制状態にあり、ほとんど独裁専制体制にあることの責任は、誰にあるのか?
 政府か? いや、政府は報道規制などしていない。(北朝鮮じゃあるまいし。)……とすれば、その責任は、マスコミにある。自由な報道体制があるのに、一種類だけの報道をしないことの責任は、マスコミにある。マスコミは、ただの「ウケ狙い」「視聴率狙い」で、受ける報道ばかりを掲載した。「世の中の大勢を占める意見を掲載することが正しい」と信じて、多数派の意見だけを掲載して、少数派の意見を無視した。自分の金儲けのために。要するに、ほとんど売国行為である。国が破壊されるのも放置して、自分の小金ばかりを稼ごうとする。
 こういう手前勝手な連中が、ライブドア事件でも、「検察が悪い」(マスコミは悪くない)というふうに、手前勝手な見解の本を出して、世間をたぶらかして、小金を得ようとする。「日本の狂気が問題だ」というふうに述べたマスコミは、まったく皆無だ。

 だからこそ私は強調する。「ライブドア事件などを、どこかの小さな事件としてみるのではなく、他人の誤りの事件としてみるのでもなく、われわれ自身の過ちとして理解せよ」と。つまり、「真実を見よ」と。
 こういうふうに反省することは大切だ。なぜなら、自分自身の過ちを理解しない限り、自分自身の行動を正せないからだ。

 ここで、話題を飛ばして、日本経済全体に焦点を当てる。すると、日本経済全体にも、同じ問題があるとわかる。つまり、ただ一種類の意見ばかりが出回るせいで、日本は狂気状態にある。そのせいで、いつまでたっても、不況から脱せない。
 たとえば、朝日の記事を見よう。次のような見解が出ている。(ネットにはない。)
 「景気は回復しつつあるが、腰折れ状態だ。企業は先んじて景気回復を果たしたが、それが個人には波及していない。景気回復を企業から個人に波及させることが大事だ」(朝日・朝刊 2006-11-19 )
 こういう見解ばかりがやたらと出回っている。で、その結果は? 「とにかく企業の景気回復をどんどん拡大しよう。そうすれば、個人にもやがて波及するだろう」という主張のもとで、「企業減税・個人増税」という方針が取られつつある。しかし、そんなことでいいのか? もちろん、間違いだ。こんなことをやればやるほど、個人の所得が減るせいで、総需要は縮小する。
 これがマクロ的な認識だ。にもかかわらず、そういうマクロ的な認識を、まったく掲載しない。単に古典派ふうの市場原理万能主義ばかりを掲載する。一種類しかない報道のせいで、日本全体が自分で自分の首を絞めている。

 同様のことは、次の記事にも見られる。
 「フリードマンが死去した。……今の不完全な市場経済システムでは解決できない問題は多い。だが、20世紀には市場メカニズムのかわりになるものは結局、見つからなかった。市場原理を否定するのではなく、それを徹底するなかで、格差などの問題を解決できるかどうか。21世紀に残されたフリードマン氏からの宿題だ」(朝日・夕刊・コラム 2006-11-19 。小林慶一郎)
 ここにもマクロ的な視点が欠けている。正しくは、こうだ。
 「市場原理はミクロの原理。マクロにはマクロの原理。マクロの問題には、ミクロの原理をどう使おうと、まったく無効である」
 比喩的に言おう。風邪に効くのは風邪薬であって、解熱剤ではない。しかるに、小林という医者は、こう主張する。
 「風邪を治そうとして解熱剤を飲んでも、あまり有効ではあるまい。しかし、私の薬箱をいくら見ても、解熱剤以外の風邪薬が見つからない。ゆえに、解熱剤を否定するのではなく、それを徹底するなかで、風邪のさまざまな症状を解決できるかどうか。それが現代の課題である」
 とんでもない勘違いだ。薬箱に風邪薬が見つからないとしたら、それは、あんたの薬箱が乏しいだけだ。となりの「マクロ経済学さんの薬箱」を見れば、ちゃんと風邪薬がある。(市場原理以外の景気回復策がある。)……だから、それを使えばいいのだ。
 では、そうするためには? もっと広い視点をもてばいい。自分の薬箱だけでなく、他人の薬箱にも目を配ればいい。一種類だけでなく、多種類の意見を取ればいい。そして、そういうことこそ、マスコミの果たす役割なのである。すなわち、「正しい情報の提供」だ。

 現実には、マスコミはただ一種類の報道しかしない。ライブドア事件でも、イラク人質事件でも、景気対策でも、マスコミは権力べったりで、保守派の意見しか報道しない。世間には保守派とは違う見解がちゃんとあるし、ネットにも出回っているのに、ただ一種類の報道しかしない。すなわち、マスコミは、「さまざまな情報の提供」という使命を失って、「政府の見解のプロパガンダ」しかやっていないのだ。
 そして、これこそが、「日本の狂気」の根源だ。マスコミは、暴走する世論に水をかけるかわりに、暴走する世論に火をけしかけているばかりだ。

 だからこそ、私は、そういうマスコミとは逆の見解を示し、そういうマスコミを批判する。「狂気を捨てよ」と。「正気を戻せ」と。
 ライブドア事件やイラク人質事件で世論が暴走したときは、世論はどこかの「いけにえ」を火祭りにしただけだった。しかし、そういう状況を放置しているせいで、不況(景気低迷)という状況をも放置する。そして、ここでは、「いけにえ」となるのは、どこかの他人ではなくて、自分たち自身なのだ。自分たちの狂気を放置するせいで、自分たち自身を火祭りにあげているのだ。── その狂気を指摘するのが、私の意図だ。

( ※ ここでは意図のみを説明した。実際の詳しい話は、長い経済論となるので、次の著作を参照。それまで待ちきれない人は、最近の格差社会の現状をレポートした書籍がいくつかあるので、そちらを見るといい。あちこちの新書でいろいろと出ている。本質は書いていないが、事実としての現象は書いてある。)

 [ 付記 ]
 余談だが、イラク人質事件における高橋源一郎の意見は、まったく説得力がない、と思う。たとえば、次の文章だ。
彼らの力を超えたものに拉致された。あのね、そういう時のために、わたし たちは政府とか役人とかを雇っているわけです。「海外危険保険」を税金を出し て買ってるわけ。まあ、ガードマンみたいなもんですよ。そしたら「保険は効き ません」といわれちゃった。どうやら、わたしたちは詐欺にあったみたいなんで すねえ。
 これは、「政府は人質を救出せよ」という見解である。しかし、私は、この見解には賛成しない。多くの人だって、賛成しないだろう。こんな見解を出す人がいるから、非難論者が付け上がって、「人質はけしからん! 甘ったれている!」と非難するのだ。
 はっきり言っておく。人質がつかまったのは、たぶん、想定の範囲内だろう。「ひょっとしたら、そういうこともある」という覚悟があったはずだ。だから、人質自身は、強制された「ヤラセ」を除けば、「助けてくれ」とは言っていないはずだ。
 高橋源一郎の言う弁護は、マトはずれだ。政府は人質を救出する必要などはない。なすべきことはただ一つ、「人質を非難しないこと」である。彼らは危険を覚悟で赴いたのであるから、助けてあげる必要はないが、だからといって、彼らを非難するべきでもない。
 仮に、非難することがあるとしたら、実際に救出したあとでのことだ。「こんなに手間をかけさせやがって」と、きつくお灸を据えるのはいい。父親が子供にお灸を据えるように。ただし、それは、実際に救出した場合のことだ。
 救出しないのであれば、何も迷惑を受けていないのであるから、非難するべきではない。── これが私の主張だ。つまり、「救出もするな、批判もするな」ということだ。
 ひるがえって、「救出はしないが、非難だけする」という政府や一般人の意見は、私とは異なる。
 また、「救出するべきで、非難はしない」という高橋源一郎の意見は、私は異なる。
 政府や一般人も、高橋源一郎の意見も、どちらも、一種のエゴイズムである。私の主張は、「そういうエゴイズムを捨てよ」ということだ。
 そして、大切なのは、このような意見のどれか一つをうまく選ぶことではない。このような意見をめぐって、どれが正しいかを、しっかりと論議することだ。
 しかるに、現実には、そうはならなかった。世間には一種類の意見が圧倒的だった。それに対するアンチテーゼとして、高橋源一郎の子供じみた幼稚な意見が出たが、それは結果的に、燃えさかる世論に油を注いだだけだった。
 こういうときにこそ、マスコミがおのれの機能を発揮して、さまざまな見解を登場させるべきだった。実際、ネット上では、私の見解などがあちこちで論議を呼んでいた。しかるにマスコミは、機能停止状態だったのである。そしてまた、ライブドア事件においても、マスコミは機能停止状態だった。……その機能停止状態は、不況の継続する今現在でも、続いている。

 ついでに言及しておこう。
 最近では、「景気回復の腰折れ」ということを、何度か報道している。しかし、「景気回復の腰折れ」ということなら、一年以上前から、私が何度も警告しておいたことだ。「家計の所得の増大がなければ、総需要がふくらまないから、景気回復などはあり得ない」と。なのに、この一年間、マスコミは「もはや不況は脱した。景気回復が実現しつつある。どんどん景気は回復するだろう。企業の景気回復が家計に波及するだろう」という、甘い夢ばかりを報道していた。嘘ばっかり。
 マスコミの機能停止は、人質三人やライブドアを不幸にするだけではない。日本人全体を不幸にするのだ。アリ地獄の底から抜け出せないようにしているのだ。そこから抜け出すべき「正しい情報」を報道しないことで。
 そして、その例の一つが、「ライブドア事件でも検察以外には目をふさぎっぱなし」という、例の著者がいるわけだ。この著者を典型として取って、マスコミの愚かさを指摘したわけだ。目をふさぎ、口をふさぐマスコミは、猿みたいなものだ、というふうに。

 最後に、繰り返しておく。ライブドア事件であれ何であれ、悪いのは、検察や当局ではない。国民の錯覚を放置するマスコミである。特定の組織が行動をちょっと間違ったことが問題なのではない。国民全体をだまして錯覚させているマスコミこそが真の巨悪なのだ。── ライブドアを摘発した検察は決して悪魔的ではないが、国民全体をたぶらかしたマスコミは悪魔的なのである。


● ニュースと感想  (11月21日)

 「 ディレクトリの移転」について。
 本サイトは、ページ容量が 15MB を越えてしまいました。
 そこで「ニュースと感想」のうち、古いファイルの一部を、別のディレクトリに移しました。詳しくは、下記の通り。

    ───────────────────────

 《 以下は特に読む必要はありません。 》

  従前 : http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/
  新規 : http://www009.upp.so-net.ne.jp/izumi/

 たとえば「ニュースと感想(1)」というページは、こうなります。

  従前 : http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/96a_news.htm
  新規 : http://www009.upp.so-net.ne.jp/izumi/96a_news.htm

 従前の URL にアクセスすると、移行用のファイルが開きます。すると、
   「お待ち下さい ....
 という表示が1秒間だけ表示されたあとで、移転先のファイルが開きます。
 というわけで、特に問題はありません。

   ( ※ 移転したファイルは、最初の一年分です。)
   ( ※ 新規ディレクトリ[倉庫用]には、直接アクセスしない方がいいでしょう。)


● ニュースと感想  (11月21日b)

 「フリードマンの死」について。
 マネタリズムの泰斗であるフリードマンが逝去した。そこで、この人物について、私なりに評価しておこう。
 フリードマンは私にとっては最大のライバルと言える。(なんてことを言うと「威張るな」と怒られそうだが。  (^^); )
 私の経済学説は、マクロ経済学の完成であり、つまり、ケインズが道半ばで挫折したことを、完成させることであった。一方、フリードマンは、ケインズとは正反対の立場にあり、古典派の重鎮である。
 図式的に言えば、右派は従来の古典派があったところで、フリードマンがその道で完成させた。左派は何もないところでケインズが分野を開拓し、その道を半分だけ進んだところで挫折した。現状では、右は完成状態、左は半分完成状態。で、経済学の世界は、フリードマンの 一派が圧倒的である。
 で、私は何をやったかというと、ケインズの挫折したことを、完成させた。と同時に、その完成点において、フリードマンと融合させた。マクロとミクロを統合し、古典派とケインズ派を統合した。(具体的にどうやったかは、昔の原稿[ニュースと感想]を読めばわかる。あまりにも多岐にわたっていて、簡単には読み切れないだろうが。)
 
 で、この視点から、フリードマンを見ると、彼は好敵手であったことになるが、同時に、重大な階段を構築していたことになる。人はいきなり無から全部を構築することはできない。ケインズの業績も、フリードマンの業績も、私はなしえなかった。私のなしえたことは、この二人のあとを継いで、その先の分だけを構築したことだ。百メートル走で言えば、百メートルのうちの後半の50メートルを走っただけだ。
 というわけで、フリードマンの業績は、未完成ながらも、経済学の分野では非常に大きな業績であった、と言えよう。

 では、なぜ、私はフリードマンの 一派であるマネタリストを、しばしば口汚く批判するのか? それは、彼らのなしたことが問題なのではなく、なさなかったことが問題だからだ。
 彼らの学説はいまだに未完成状態であった。にもかかわらず、その未完成状態の学説を、あたかも完成した神のごとき理論と信じた。学説は欠陥(つまり穴)だらけであるにもかかわらず、「おれたちの理論は完璧だ」と信じて、批判の声に耳を貸さなかった。唯我独尊。

 要するに、フリードマンの学説は、あまりにも支持されすぎたことが問題だったのである。どうせなら、もっと支持されずに、「いくつかある学説の一つ」という位置づけになっていればよかった。なのに、「完璧な学説」「絶対的な主流派」というふうに扱われて、わが世の春を謳歌し、他の意見を踏みにじった。そのせいで、経済学全体の発達が、阻害されてしまった。
 強者があまりにも強すぎたことが、学問全体を停滞させてしまったのだ。

 このことは、進化論的に考えると、よくわかる。
 ダーウィン説に従えば、こうなる。
 「強者は優秀だから強者なのだ。そのまま強者として、支配を続けていればいい。もっと正しい意見が出れば、その意見が新たな強者として、新たに支配権を握るだろう」
 しかし、こんなことが成立しないのは、マイクロソフトの独占状態を見ればわかる。強者は強者ゆえに、新たな登場者の芽を、徹底的に叩きつぶす。自らの支配権を脅かすものを、徹底的につぶす。ゆえに、たとえ新たに優秀なものが出現しても、簡単に叩きつぶされてしまうのだ。
 クラス進化論に従えば、こうなる。
 「新たな登場者が出現するためには、多様性を許容する環境が必要だ。多様性が許容されればこそ、その多様なもののなかから、次世代の芽が存在できる。それが少しずつ発展していった末に、いつかは現在の最強者をしのぐようになる」
 これはもちろん成立する。そして、それだからこそ、マイクロソフトは執拗に、次世代の芽をつぶそうとしてきたわけだ。

 経済学の世界も同様である。フリードマン 一派の権勢があまりも強力であるせいで、他の学説は許容されがたい。ケインズ派はニッチのような領域に押しやられてしまった。増して、他のまったく毛色の異なるような学説は、存在する場所すらない。こうして、フリードマン 一派の強力さが、経済学全体の進歩を停滞させる。……多様性が許容されないところでは、進化は起こらないのだ。
 
 結論。
 フリードマンの成果は確かに立派だった。ただし、学界では、あまりにもこれが強く受け入れられすぎた。そのことはフリードマン自身の責任ではなく、学界の責任である。つまりは、人類全体の責任である。
 フリードマンは、経済学を大きく進歩させると同時に、その次の進歩を停滞させてしまったのだ。その功績は大きいが、同時に、その副作用も大きかった。その副作用は、フリードマン自身のせいではなく、人類の愚かさのせいではあるのだが。ともあれ、フリードマンの影響は、良くも悪くも、あまりにも大きなものであった。

( ※ で、私のやったことは何かと言えば、フリードマンのせいでできた「錯覚の壁」を打破することだ。とはいえ、世間がフリードマンを信じ切っている状態では、「錯覚の壁」を打破することは、なかなか容易ではない。真実が見つからないからではなく、真実が理解されないからだ。……世間が「錯覚の壁」に覆われているせいで。)
( ※ フリードマンの主張のどこに問題があるか? それは、フリードマンの主張自体というより、古典派の主張の問題として、指摘される。詳しくは、私の次の著作で。二カ月ぐらい先になりそう。予定よりも遅れているのは、中身がとても濃くなったため。面白い話題を扱うつもりが、深い真実を扱うように、拡張・拡大されたせい。)


● ニュースと感想  (11月22日)

 「法人税の減税」について。
 法人税の減税が実施される見込み。5000億円に加えて 4兆円。その分、一般国民の負担が起こる。(消費税の増税)
 法人税下げ、明記を検討 政府税調07年度答申
 政府税制調査会(会長・本間正明阪大教授)が、法人税率を引き下げる必要性について、12月にまとめる07年度税制改正答申に明記する方向で検討していることが20日、わかった。08年度以降の大幅な企業減税に道筋をつける文言の盛り込みが検討されている。
 12月初めに安倍首相に答申の形で提出する予定だ。07年度答申には企業減税の第1弾として、減価償却制度の見直しによる07年度中の減税が盛り込まれる見通しだった。これだけでも5000億円規模の減税につながる。
 さらに、日本経団連の御手洗冨士夫会長は今月13日、地方税分を含む39.54%(標準税率)の法人実効税率を「(アジアや欧州並みの)30%をめどに考えるべきだ」と述べた。法人税率を10%引き下げることで、減価償却の見直しによる減税のほかに4兆円を上回る規模の企業減税の実施を要望したものだ。
 そのツケは消費税の増税幅のかさ上げという形で国民負担に跳ね返ってくる可能性がある。
 穴埋めには計算上、消費税率の2%引き上げが必要になる。
( → 朝日・夕刊 2006-11-20
 景気回復のためには、企業の減税をすればいい、というのが古典派の主張。その親玉に位置するのが、たぶん、フリードマンだろう。
 一方、それとは逆の主張をするのが、マクロ経済学者。「企業増税、消費者減税」を主張する。その親玉に位置するのは、公共事業を主張するケインズではなくて、たぶん、私(南堂)だろう。  (^^);

 古典派の主張は ──
 「企業がどんどん黒字になると、労働者もどんどん所得が増えるので、景気はどんどん良くなる」
 私(南堂)の主張は ──
 「企業が過度に黒字になると、労働者がそのぶん赤字になるので、かえって景気回復の芽がそがれる。景気は低迷する」
 
 いずれも、1〜2年前の主張。現実はどちらが正しいでしょう? 今は景気回復で国民はウハウハでしょうか? 

 [ 付記 ]
 前々日に述べた話を再掲すると、次の通り。
 最近では、「景気回復の腰折れ」ということを、何度か報道している。しかし、「景気回復の腰折れ」ということなら、一年以上前から、私が何度も警告しておいたことだ。「家計の所得の増大がなければ、総需要がふくらまないから、景気回復などはあり得ない」と。なのに、この一年間、マスコミは「もはや不況は脱した。景気回復が実現しつつある。どんどん景気は回復するだろう。企業の景気回復が家計に波及するだろう」という、甘い夢ばかりを報道していた。嘘ばっかり。
 マスコミの機能停止は、人質三人やライブドアを不幸にするだけではない。日本人全体を不幸にするのだ。アリ地獄の底から抜け出せないようにしているのだ。そこから抜け出すべき「正しい情報」を報道しないことで。
 国中そろって狂気状態。マスコミのせいで。


● ニュースと感想  (11月23日)

 「ソフトバンクと航空会社の詐欺」について。
 ソフトバンクが先日、詐欺的商法で話題になった。だが、もっと悪質なのがある。航空会社だ。ソフトバンクは、詐欺商法だったが、航空会社は、明白な詐欺だ。それは先日に述べた「燃油運賃」というやつだ。( → 9月30日10月16日
 ソフトバンクは、客に損をさせていない。「お得ですよ」と言って、実際には得をさせなかっただけだ。しかし航空会社は、客に明白な損をさせている。2万円程度の実損をもたらしている。
 ソフトバンクは、取る金の情報を隠していたわけではなく、小さな文字でこっそり示していただけだ。しかし航空会社は、取る金の情報を何も述べていない。せいぜい「燃油運賃(「燃油サーチャージ」という変な用語を使うこともある)がかかりますよ」と言うだけで、実際にはあとでどのくらい追徴されるかを明示しない。
 ここでは、千円取ろうが、二万円取ろうが、航空会社の腹しだいである。「いくらでも好きなだけボッタクリ」というやつだ。で、「大騒ぎにならない程度で、なるべく高い額をふんだくってやろう」としているわけだ。ひどい詐欺である。
 マスコミはソフトバンクの詐欺的行為のときばかり大騒ぎしたが、むしろ、航空会社の明白な詐欺について大騒ぎするべきだろう。……困ったことだ。グルなんですかね。


● ニュースと感想  (11月23日b)

 「日の丸ジェット」について。
 三菱重工が国産ジェットの開発をしているが、販売量の確保のために苦労しているらしい。
 ( → 読売新聞1読売新聞2
 国産ジェット機の開発というのは大切で、YS11 の後継のようなものである。是非とも成功させたい。しかしながら、商売下手で、なかなかうまく行かないようだ。
 そこで、私が「売るコツ」を教えよう。

 売りにくい商品を売るコツは、何か? 通常は、こうだ。
  ・ 性能の良さをPRする。
  ・ 値引きする。
 どちらも正道だが、利口なやり方ではない。今回の三菱の方針は、「サービスアップと値引き」だが、利口なやり方ではない。

 では、利口なやり方とは? こうだ。
 「こっちはあなたのを買ってあげるから、あなたもこっちのを買って」
 具体的には? 欧州ならエアバス社。米国ならボーイング社。これらの会社が、「自社の飛行機を買ってくれ」とうるさくいっているのだから、「よし、買ってあげよう。そのかわり、こっちのも買ってくれ」と言えばいい。
 たとえば、エアバスの大型ジェット機を1兆円分買ってやるから、日本の小型ジェット機を2千億円分買ってくれ、というふうに。
 で、エアバスは、どうするか? 日本のジェット機を買って、自社ブランドでOEM販売すればよい。日本はエアバス社に、販売手数料を払うが、そのくらいは、自社で販売しても販売コストがかかるのだから、仕方ないだろう。

 この方法が可能なのは、OEMの相手が自社で同等商品を作っていない場合。今回は? 大丈夫だ。ライバルの小型機の会社は、ブラジル、カナダ、イスラエル。したがって、エアバスとボーイングはライバルにならない。先方は喜んで、日本の国産ジェット機を売ってくれるだろう。
 名案ですね。

 [ 付記 ]
 このために必要なのは、日本の航空機製造会社(三菱重工など)と航空会社( JAL,ANA とが肩を組むこと。国策でやれば、可能だろう。双方が得になる工夫をすればいい。
 要するに、知恵があれば、日本全体が儲かる。知恵がないと、買いたたかれて、日本全体が損をする。その場合には、ブラジル、カナダ、イスラエルが得をする。
 なお、ブラジル、カナダ、イスラエルが同等の戦略を取った場合には、この三国との間で、国家の体力勝負となる。当然、多くの航空機を購買する日本が、圧倒的に有利。楽勝。
( ※ 米国と欧州がいないところでは、知恵を使えば楽勝だ、ということ。知恵がなければ、汗をかくか、値引きするか。……馬鹿丸出し。)


● ニュースと感想  (11月24日)

 「ライブドア事件の近況」について。
 ライブドア事件に関して、注目すべき出来事が三つあった。
  1. ソフトバンクの金融子会社が、80億円の税逃れで、修正申告。この会社は、ライブドアのニッポン放送株の買い占めのときに登場した北尾吉孝・最高経営責任者が代表を務めていた。( → 東京新聞
  2. ライブドア(平松社長)が、金融部門を一括売却した。売価は 175億円。(ただし多額の債務も込み。債務負担を合わせるともっと巨額になる。)( → 各社報道,ライブドア・ニュースの会見記事
  3. 堀江被告の公判では、ホリエモンがさんざん検察をけなしていた。(各紙報道)
  4. 熊谷被告が検察を大々的に批判した。「検察が示したシナリオは私の知る事実と全く違うもの。ありもしないマネーロンダリングや脱税などの情報をマスコミにリークして世論を形成するなど、悪意に満ちた捜査手法は今も信じがたい。検察庁が風説を流布し、信用を毀損(きそん)するのは許される行為ではない」( → Yahoo ニュース
この四つについて、順に論じよう。

 (a) 別の脱税事件
 ライブドアとは別の事件で、80億円の税逃れがあった。こっちは、ライブドアの 53億円に比べれば、額は大きい。また、ライブドアが余計に税を払ったのに対して、こちらは税を払わなかった(国の金を盗んだ)ということなのだから、悪質性は高い。こちらがちっとも問題にならないということも、世論や検察の異常さを浮き上がらせる。
 この事実に着目しよう。要するに、ライブドア事件というのは、今回のソフトバンク系列の脱税の事件と同程度かそれ以下であるような、ささいな事件にすぎないのだ。

 (b) 金融部門の売却
 事件のそのものは、ささいな事件である。しかし、その後に、株価の暴落が起こった。ここでは、六千億円の損失が生じた。
 ただし、この損失は、簿価における損失である。実際に六千億円の金が消えてしまったのではなくて、帳簿の上で消えただけだ。市場価格が暴落したから、計算上の富(市場価格 × 株式総数)という計算値が暴落しただけだ。
 したがって、将来、市場価格が元に戻れば、六千億円の損失は消えるはずだった。このことは、「ライブドア・二重の虚構」に述べたとおり。(著作 127頁の最後を参照。)
 しかしながら、このような悪夢の状態が続くと、悪夢が現実に化してしまう。(著作 131頁の最後を参照。)
 今回の平松社長の措置は、まさしく、そのことだった。悪夢を現実にすることだった。六千億円の価値を取り戻すことは、決して不可能ではない。ライブドアの名誉が回復し、日本経済全体が回復すれば、ライブドアの時価総額が六千億円になることは、十分にあり得る。しかしながら、その資産を一括して売却すれば、どうなるか? その資産は、時価で額が確定してしまう。株で言えば、「底値売り」での確定だ。六千億円に戻るはずのものは、175億円で売却された。こうなると、もはや六千億円に戻ることは不可能である。すなわち、悪夢が現実に化してしまったのだ。
 この売却は、不可逆的な破壊行為である。ライブドアはもはや完全に破壊された。二度と戻ることはない。いったん死んだ子供は息を吹き返すことはない。
 比喩的に言おう。検察や東証やマスコミは、ライブドアに致命傷を与えたのだが、まだライブドアは死んだわけではなかった。このあと治療を受けて、傷を治せば、奇跡的に復活することも可能だった。しかしながら、最後に平松社長が「とどめ」を刺したのだ。もはや心臓は止まった。ライブドアは死んだ。あとに残るのは、死体としての赤字ポータルサイトと、遺産としてのわずか数百億円だけだ。金の卵を生むダチョウは、完全に刺し殺されたのである。それも、ライブドア自身の社長によって。
 オウンゴール。自殺点。

 (c) 堀江公判
 堀江被告の裁判では、ホリエモンが検察とさんざん対決していた。おそらく、「無罪」を勝ち取ろうとして、全精力を傾けているのだろう。
 しかし彼は、方針を根本的に誤った。なぜか? たとえ無罪または微罪を勝ち取ったとしても、肝心のライブドアがもはや実質的に消滅してしまったからだ。七千億円の価値のあったものは、事件によって六千億円の損失が計算上で発生し、その後、平松社長によって、数百億円の損失が加算されて、さらに、全損失が確定した。
 結果的に、ホリエモンは、ほぼ全財産をなくした。千億円もあった富は、もはや大部分が紙屑に近い。
 つまり、たとえ法的には勝利することができたとしても、経済的には完全敗北である。それというのも、自分が検察と戦うことばかりに熱中して、肝心のライブドアのことをほったらかしていたからだ。
 彼が狙うべきことは、何であったか? 自身の法的な無罪か? 違う。ライブドアの名誉を回復することだ。にもかかわらず、ホリエモンは、そうしなかった。自分の法的な無罪ばかりにこだわって、ライブドアの濡れ衣を晴らすことをまったく狙わなかった。
 狙いそのものが根源的に間違っていた。裁判に熱中して、経済を忘れた。致命的なミスを犯した。このことは、私が何度も指摘したのに、その言葉を聞く耳がなかった。塀の中から、塀の外に出たのに、パソコンを操作してネットの声を聞くことができなかった。ホリエモンの敗北の理由は、ネット上の情報をうまく利用できなかったことだ。

 (d) 熊谷の検察批判
 この点では、ホリエモンよりも熊谷被告の方が、はるかに賢明である。彼は、検察の方針をまさしく批判した。ホリエモンにはできなかったことを、まさしくなした。
 方針を見る限りは、熊谷被告はホリエモンよりもはるかに賢明だ。ただし、残念ながら、読む本を間違えているせいで、方針がズレている。彼の方針は、「検察批判」であるが、その方針は、「国策捜査の批判」である。「国策捜査」とは言わないが、その趣旨で述べている。つまり、「検察は悪意があった」と。(上記引用を参照。)
 しかし、「検察に悪意があった」ということは、立証できまい。実際、そんな悪意など、あるはずがない。何だって検察が、ただの一市民である熊谷被告などを、いちいち苦しめる必要があるのか? そんな悪意など、あるはずがない。検察はサディストなんかではないのだ。ロシアのプーチンならば、自分を批判する市民をスパイを使って暗殺するらしいので、サディストだと言えるだろう。しかし日本の検察は、そんなことをするはずがない。そんな悪意などがあるはずがない。
 なのに、ありもしない悪意を、「ある」と述べて検察を批判する熊谷被告の見解は、裁判長からはほとんど無視されるだろう。「被告の妄想だ」と。
 こういう勘違いは、「国策捜査」を主張する人のよくやる勘違いだ。たとえば、「ヒルズ黙示録・最終章」( 218頁)には、こうある。
 「出世志向の強い大鶴(特捜部長)」
 「大きな犯罪を意図的に見逃しているとしか思えない。大鶴特捜部長は、そういう正義にもとる手法をとっている」
 ここでは検察の特捜部長を「意図的に悪をなしている」というふうに描写している。しかし、そういう「悪意」など、あるはずがないのだ。そんな極悪人が検察のトップにいるはずがない。たとえて言えば、オウムの麻原が「検察のトップが極悪人だから、自分を罠にハメたのだ」と言うようなものだ。このような主張は、「負け犬の遠吠え」と同じである。まったく、説得力がない。

 結語。
 では、どうするべきだったか? 真実を明かせばいいのだ。すなわち、こうだ。
 「検察は、悪意ゆえにライブドアを摘発したのではなく、過剰な正義感ゆえにライブドアを誤って摘発したのだ」
 と。つまり、「国策捜査」があったのではなく、「錯覚」があったのだと。── これならば、容易に納得できるだろう。

 たとえ話。( → 類似事件
 検察が検問をしていたら、検問を突破して逃げていく自動車があった。怪しいな、と思って追いかけたら、その自動車からパンパンとピストルで発射してくる。そこで、「こいつはギャングだ」と警察が思い込んで、大々的に取り締まり、先で待ちかまえていて、バズーカ砲で自動車を爆破した。自動車は高速道路から落ちて、下のタンクローリーにぶつかり、あたりは炎上して、死者が百人も出た。ただし、運転手は、その前に投げ出されていたので、逮捕した。「死者百人をもたらした極悪人」という罪状である。しかし、とらえてみた相手は、あどけない女子中学生だった。子供だった。女子中学生は、本当は無免許違反がバレるのが怖くて逃げていただけなのだ。ピストルだと思ったのは、オモチャにすぎなかった。── ここでは、警察が被告を破壊したのは、なぜか? 女子中学生が巨悪だったからか? 警察にとてつもない悪意があったからか? いや、どちらでもない。警察にあったのは、「巨悪だ」と思う錯覚だったのだ。錯覚がとてつもない破壊活動をもたらしたのだ。

 上の話は、たとえ話だが、こういうことは、よくあるものだ。警察であれ何であれ、人は容易に勘違いをなす。悪でもないものを悪だと思い込む。(イラク人質事件もそうだった。)
 ライブドア事件では、検察がなしたのは、ただの勘違いだったのである。その真実を見極めることが大事だ。
 熊谷被告やAERA記者が検察を「悪意ある悪党」と見なすのは、検察がライブドアの経営者たちを「悪意ある悪党」と見なすのと同じである。どちらも勝手に「悪意ある悪党だ」と思い込んでいる。── そういう錯覚に気づかない限り、真実は見えてこない。
 そして、真実を訴えることができない限り、検察も被告もどちらも勝利を得ることはできない。どちらも虚偽を訴えているのだから、どちらも勝利を得ることはできないのだ。

 ライブドア事件の結果は、どうなるか? 難しいところである。裁判長としては、二通りの虚偽のなかから、どちらかを選ぶ必要がある。「被告は悪党だ」という虚偽と、「原告(検察)は悪党だ」という虚偽。どちらも虚偽である。どちらも真実でない。── うまく選びようがない。
 私としては、「ライブドア裁判はただの茶番だ」としか言いようがない。
 結果としては、ライブドアはオウンゴールで自滅した、という事実だけが残る。

 [ 付記1 ]
 いわゆる「国策捜査」論と、「錯覚」論とは、どう違うか? その本質を対比的に示せば、こうなる。
 誰かが悪をなしたとき、「そこには悪意がある」と思うのは、あまりにも単純すぎる。逆に、正義感ゆえに悪をなしてしまう、ということはしばしばあるものだ。
 ちなみに、私は、人生においてこれまで数え切れないほど、失敗を重ねてきた。意図とははずれることを、何度もなしてきた。クズ箱にゴミを放り投げて、ゴミがクズ箱からはずれてしまう、というようなことも含めて。とにかく、意図とは異なることを、数え切れないほどなしてきた。
 人間は失敗する生物である。そのことを理解することが大切だ。人間の本質として。
( ※ 私がゴミをクズ箱に入れるのを失敗したとき、他人はなんと言うだろうか? 「ゴミをクズ箱の外に置くなんて、とんでもない悪意がある!」と非難するだろうか? それとも、ただの下手な失敗だと認めて、「下手くそ」と笑うだろうか? ……これをどう思うかで、あなたの人間性がわかる。……なお、いちいち非難するような女を妻にもつと、そこには地獄が待ちかまえている。それがまあ、日本の現状だ。)

 [ 付記2 ]
 参考記事。
 インターネットのブログ上でも、今回のLD事件に関して検察を批判する書き込みが圧倒的に目立っていると思う。一方にあるマスコミによる検察ベッタリの記事展開にも、“マスコミ不信”を思わせる苛烈(かれつ)な批判論調が多いことは私の想像を超えたものだった。
( → ライブドア・ニュース
 検察が間違っていることは、もはや多くの人々の目にも歴然としているのだ。ただ、その間違い方が何であるのかを、正しく認識する必要がある。悪意ゆえに、特定の誰かを破壊しようとしているのか? それとも、勘違いゆえに、たまたま破壊活動をしてしまった(そのあとで取りつくろうとしているだけ)なのか? ── ここを勘違いすると、見当違いの検察批判となり、論旨の全体が崩壊する。

( → 11月18日 にも同趣旨の話がある。)


● ニュースと感想  (11月24日b)

 前項の最後に [ 付記1 ][ 付記2 ] を、あとで書き足しました。


● ニュースと感想  (11月25日)

 「著作への読者書評」について。
 著作「ライブドア・二重の虚構」について、次のような読者書評があった。( → Amazon
 最初に記しておくが、ここに述べられている考えや見方は優れているし、面白い。同意する点も多いし、よい例えであるというくだりも多々ある。
 しかし乱文とはこのことであろう。本を書いて売る、というのは著述のプロがすることであり、読者は購入して読むのである。推敲が全くなされていないのではないかと思われるような、誤字そして繰り返しの多い記述。こういうものをお金をとって売らないで欲しい。ホームページにでも載せておけばよいのである。 生まれて初めて、読んですぐにゴミ箱に投げ込んだ本であった。
[ 評点は最低 ★☆☆☆☆ ]
 厳しいですね。  (^^);
 ところで、誤字がそんなにたくさんあるとしたら、修正したいと思います。気づいた点があれば、どなたであれ、ご連絡いただけると幸いです。

 なお、既存の誤字は、次の箇所で示されています。
   → 正誤訂正のページ

 このページでは、すでに読者から何度か指摘を受けた分が、すでに掲載済みです。
 さらに誤字があるようでしたら、次のブログに記述しておいてください。
   → nando ブログ [受付07]

 [ 付記 ]
 ついでに、私からも、相手の誤字を指摘しておきます。
 読者書評には、「よい例えであるというくだりも多々ある。」という文句があります。この箇所です。
  (誤) 例え
  (正) 喩え

● ニュースと感想  (11月25日b)

 「ビッグプロジェクト」について。
 スパコンである「地球シミュレータ」の後継機を開発しようというビッグプロジェクトがあるそうだ。これについての話。
 → Open ブログ 「ビッグプロジェクト」


● ニュースと感想  (11月25日c)

 「ゴジラと対決するのは?」について。
 「松坂大輔の愛称は何にするか?」という話題で、ボストンはにぎわっているという。一つ、面白い記事を見つけた。
 「松井がゴジラなら、松坂はモスラだ」
   → 和文記事 ( cf. 英語の類似記事

 笑えた。久しぶりに、いい話を聞いた。
 (オチを解説しておくと、ゴジラはモスラに負けちゃうんです。センスのいいジョークですね。)(私が先に見たのは、英文記事だが、これは松坂じゃないモスラ。)


● ニュースと感想  (11月26日)

 「モデルと数式」について。
 物理学において、「数式さえあればよく、モデルなんか必要ない」という主張がある。これについて、否定的に示す。つまり、「モデルは大切だ」という話。
  → 細々とした周辺的な問題 「モデルの重要性」


● ニュースと感想  (11月27日)

 「ライブドアの解散」について。
 ライブドアはどうやら解散する道を進みそうだ。
   → ライブドアニュース
 この記事でも指摘しているとおり、重役はほとんどが外資から出るし、外資はこのあと事業資産の売却を求めそうだ。そして、それは、外資としては、とても賢明なのである。
 なぜか? 外資が買った株価の価格は、百円ぐらいだ。一方、資産は、もっと高くなる。もしかしたら、百五十円ぐらいになるかもしれない。で、百円ぐらいで買ったものを、百五十円で売れば、ボロ儲けである。買ったのは今年の春だから、一年間で5割の儲けなら、大成功だ。
 というわけで、外資としては、さっさと解散してしまった方が得なのである。そこで、どんどん事業資産を切り売りしようとするわけだ。で、その狙いで、重役を送り込んだわけだ。(暗殺者みたいなものかも。)

 一方、大多数の一般株主はどうなる? 損か得か?
 たいていの人は、三百円以上で買ったはずだ。となると、百五十円で解散なら、大損だ。損はしたくない。だから、たとえ十年の塩漬けでも、株価が回復する方を求めるだろう。どうせゼロ同然の金利なのだから、十年の塩漬けでも我慢できる。とにかく、損だけはしたくない。じっと我慢して、捲土重来を期したい。これが一般株主の気持ち。
 しかし、外資としては、そんな一般株主の気持ちなんか、知ったこっちゃない。さっさと短期で利益を上げたいのだ。なぜなら、そうしてこそ、(当面の)自分の業績になって、自分のボーナスが増えるからだ。自分のボーナスが二千万円ぐらい増えるかもしれない。だから、さっさとライブドアを解体したいわけだ。目先の利益のために。

 で、そのためにうってつけなのが、平松社長である。最初はうまく操っておいて、最後にはポイ捨てしてしまうわけだが、そういう阿呆な社長としては、平松社長は最適だ。
 というわけで、平松社長は外資に操られたあげく、ライブドアを解体し、最後には、自分も捨てられる。そして外資だけは、短期間に莫大な利益を上げて、そのあとは担当者がさっさと日本から逃げ出すわけだ。「短期で大儲けしました」という勲章を得て、そのあと担当者は、タヒチでバカンスでもするわけだ。寒い日本なんか飛び出して、タヒチでバカンス。
 「うまく食い物にできたな。阿呆な国民がいると、大儲けできて楽だよ。馬鹿な検察を利用して、馬鹿なライブドアを食い物にできた。うひひ」
 そばには水着の美女がたくさんいて、外資の社員にウインクを送っている。その美女は全部、彼のもの。なぜなら、愚かな検察とライブドアのおかげで、大金を儲けたから。

 [ 付記 ]
 この話のポイントは何か? こうだ。
 「外資は、会社全体としては、ライブドアの株を長期で保有した方が得である。しかし、外資の担当社員・個人としては、ライブドアの株を短期で売り払った方が得である。自分だけの業績になるからだ。会社が儲かるかどうかより、自分の業績が上がるかどうかだけが大切だからだ。」
 こうして、個人の損得という狭い視点から、多くの人々に莫大な損をもたらす。つまり、多くの人々に莫大な損をもたらしても、自分だけが得をすればいい。(合法であれば。)── これが資本主義社会のルールである。
 ここでは、「視野が狭い」という点が重要だ。では、それは、非難するべきことであろうか? 
 実は、ホリエモンであれ、ヤメ検弁護士であれ、検察であれ、マスコミであれ、誰もかもが、「自分の損得」という狭い視野だけで、物事を見ている。ホリエモンは自分だけが無罪になればいいのだし、ヤメ検は自分が勝訴すればいいのだし、検察は被告を敗訴させればいいのだし、マスコミは事件をネタにして視聴率や部数を稼げばいい。それがライブドア事件の本質的な問題だ。
 物事を見るのに、狭い視野だけを取り、広い視野を取らない。── こういうことが、日本全体を悪化させる。そして、こういう問題を扱い、物事の真実を指摘するのが、本サイトの意図である。
 その意図を理解すれば、ホリエモンであれ、誰であれ、十分な利益を得るのだが、現実にはそうでないから、大損をする。── 要するに、外資の社員が勝手にボロ儲けをするのは、彼が悪質だからではなくて、他の人々が愚かすぎることが原因だ。
 ひょっとしたら、外資の社員だけは、本サイトを読んで、真実を見抜いていたのかもしれない。そして、他の人々は、本サイトを読まないから、大損をする。── 真実を見抜くかどうかで、愚か者になるか、愚か者を利用できるか、という差がつくのだろう。
( ※ だからといって、外資の社員を褒め称えることは、しませんけどね。)


● ニュースと感想  (11月28日)

 「知事になる資格」について。
 和歌山県の知事選で、民主党が候補を擁立できず、不戦敗になる見込みだという。( → 朝日新聞
 そこでネットを調べてみたのだが、知事選の立候補資格(つまり被選挙権)は何かというと、「満 30歳以上の日本国民」というだけで、在住地は制限されない。どこに住んでいてもいいのだ。(ちょっと意外でした。)

 このことを民主党は知らないのだろうか? 知っていれば、日本中のどこからでも、候補者を選べるはずだ。別に地元出身でなくてもいいし、落下傘候補だと言われてもいい。多少は不利かもしれないが、知名度があれば問題ない。少なくとも、不戦敗よりはマシだろう。
 たとえば、候補者として、南堂久史にする……というのは冗談だが。とにかく民主党には、先の衆院選で負けた元衆院議員がたくさんいるのだから、そのうちの一人を選べば良さそうなものだ。
 人材不足だったら、タレントを選んでもいい。たとえば、島田紳助でも。(というのも冗談だが。)
 タレントを選ぶというのは、案外、いいかもしれない。というのは、「お飾り」にしてしまえばいいからだ。「普段はタレントだけに専念してください。知事の実務はすべて、党の方で面倒を見ます」ということにしてしまえばいいのだ。
 石原慎太郎や横山ノックみたいに、自分が知事の権力をふるうと問題だが、ただのお飾り知事であれば、有害どころか有益である。こういうタレント知事って、よさそうですよね? 実例を挙げれば、小倉優子とか。(というのも冗談だが。)
 ま、レーガンやブッシュだって大統領になれるし、ブッシュと来たらイラク戦争までぶっぱじめる始末だ。それよりは小倉優子の方がよほどマシである。(これは冗談ではない。小倉優子が戦争をするなら、たぶんコリン星を相手にするはずだから。……あれ、違うかな?)


● ニュースと感想  (11月29日)

 本日はお休みです。


● ニュースと感想  (11月30日)

 本日もお休みです。


● ニュースと感想  (12月01日)

 本日もお休みです。


● ニュースと感想  (12月02日)

 「村上ファンドの公判」について。
 村上ファンドの村上被告の公判が始まった。ここでは、被告側は「無罪」を主張した。その論旨は、「ホリエモンが株を買うと述べたことをまったく信じていなかったので、インサイダー取引には当たらない」ということ。一方、検察側は、「村上被告は直前にライブドア幹部(特に宮内)から話を聞いて、ライブドアの株購入の意図を知っていた」と主張した。(各紙報道 2006-11-30 夕刊,翌日朝刊)

 さて。ここで、私なりに、事件の核心を述べよう。こうだ。
 この事件の本質は、「インサイダー取引」というよりは、「詐欺」である。村上側が株の購入を持ちかけ、その話にライブドアが乗っかったあとで、村上側がさっさと売り抜けて、ライブドア側に損失をもたらした。
 つまり、村上側が不正な利益を得て、ライブドア側が損をこうむった。そういう形の詐欺だ。

 一方、これを検察側は「インサイダー取引」と見なす。「あらかじめ重要な情報を得て、それによって不正な利益を得たから」ということだ。しかし、この趣旨には、難点がある。

 (1) 誰の情報か
 村上側はこの情報を不正に知ったというのは、不自然である。その情報はもともと村上側が与えた情報だからだ。「この株を買うべし」という情報は、ライブドアが秘密でもっていたのではなくて、村上側が与えた情報なのだ。そのあと、ライブドアが「不確定」から「乗り気」に変えた。そうふうに「気が少し変わった」だけのことだ。村上側は「未知の情報を得た」わけではない。この意味で、「インサイダー取引には該当しがたい。(詐欺には該当する。引っかけたことになるので。)

 (2) 確定/非確定
 村上側は、自身の弁明の通り、ライブドアの方針を「確定」とは見なしていなかった。未確定の情報を得たとしても、それが「インサイダー取引」の「重要情報」にあたるかどうかは、疑義が多い。たとえば、製薬会社が特殊な新薬を開発している、という情報があるとしよう。その開発に「成功した」という確定情報ならば、経営にとってプラスの情報なので、重要情報だ。しかし、単に「開発中」という未確定情報ならば、プラスかマイナスかわからない情報なので、重要情報ではない。……一般に、未確定の情報は、重要情報ではないのだ。
 ただし、これは、裁判で強く争われることになるだろう。そこで私としては、特に決定的なことは述べないでおく。未確定情報ですね。  (^^); 
 とはいえ、一つ、問題点を指摘しておこう。仮に未確定情報の入手がインサイダー取引であるとすれば、それによって得た利益は「不当利得」として国家が没収するべきだ。同様に、この未確定情報によって村上ファンドが損をこうむった場合には、国家が損失を補填するべきだ。こう言うと、「馬鹿な」と憤慨する人が多いだろうが、理屈上は、そうなって当然だ。仮に、「彼が利益を得たときは犯罪だが、彼が損失をこうむったときは犯罪ではない」というのであれば、ほとんど二重基準である。あるいは、結果を見てからの、後出しじゃんけんのようなものである。法的な妥当性はともかく、理屈からしてまともな理屈とならない。ほとんど「こじつけ」である。……ま、そういう「結果を見てからのこじつけ」というにおいがあり、今回の摘発ではぷんぷんとにおう。

 (3) 一般投資家の損得
 一番大事なことがある。これが「インサイダー取引」であるならば、一般投資家に損害(利益機会の逸失)があったことになる。例を示そう。どこかの製薬会社が新薬を開発したので大儲けしそうだ、という内部情報があったとする。この内部情報を利用して、先買いした人がいたら、その人は、他の投資家(になれる人)の利益機会を先取りして盗んだことになるので、インサイダー取引に該当する。
 では、村上ファンドは、どうだったか? 村上ファンドが何もしなければ、該当の株は少しも上がらなかったので、誰も損得はなかった。実際には、村上ファンドがライブドアを引っかけたので、株価が急上昇した。結果的に、多くの一般投資家は、釣られる形で、大儲けをした。損をしたのは、安値で株を買い占めることが出来るはずだったライブドアだけだ。つまり、ライブドアが大損して、その分、村上ファンドが大儲けして、一般投資家もそれに乗る形で大儲けした。── ここでは、一般投資家は、得べかりし利益を逸失したのではなくて、村上ファンドの詐欺に便乗する形で儲けたのだ。そして、このような形で得られる利益には、「得べかりし利益」としての正当性はないのだ。(殺人や強盗で得られる利益には正当性がないのと同様。「殺人の利益を警察に妨害された」と主張して、警察に対して損害賠償を求めることはできない。それと同様。)
 村上ファンドを批判する人はしばしば、「やつらはインサイダー取引で一般投資家に損失をもたらしたから悪だ」と述べる。だが、その主張は、てんで見当違いであるわけだ。

 結語。
 真相は、以上の通り。つまり、この事件は、「インサイダー取引」ではなく「詐欺」としてとらえた場合に、真相が判明する。
 村上ファンドのやったことは、確かに経済犯罪ではあるが、それは、「インサイダー取引」という形の犯罪ではなく、「詐欺」という形の犯罪である。実際、村上被告本人が、「ライブドアに大損させて悪かった」と述べているではないか。「そのつもりはなかったんだよ」と弁解しているが、要するに、意図があったかなかったかを弁解しているだけで、実質的に詐欺をしたことは本人もわかっているのだ。村上ファンドが損をさせたのは、ライブドアであって、一般投資家ではない。一般投資家は、損をしたどころか、得をしたのだ。つまり、ここでは、「インサイダー取引」などはない。
 この事件を「インサイダー取引」として摘発するのは、検察の経済音痴と見なすべきだろう。その点では、ライブドア事件と五十歩百歩だ。
 当然ながら、これらの経済事件を理解するには、正しい経済知識が必要となる。枝葉末節的な法律論議をしている限りは、物事の真相を捉えられない。

 [ 付記 ]
 ライブドア事件でも、法律論議よりは、核心的な真実を示すべきなのだ。すなわち、「すべては検察の錯覚によって摘発がなされたのだ」と。── これこそが大事なのだが。
 しかしながら、現実には、そうならない。ホリエモンの弁護士の方針のせいで。となると、このまま些末な法律論議だけで終わっちゃうんでしょうかねえ。
 ホリエモンも、今からでも遅くはないから、「ライブドア・二重の虚構」を読んだ方がいいですよ。そうすれば最後に大逆転で勝てるかも。


● ニュースと感想  (12月03日)

 「村上ファンドの詐欺」について。
 前日分の続き。
 村上ファンドの事件は、やはり「詐欺」と見なすのが妥当であると思う。実質的に詐欺であるというだけでなく、法的にも詐欺と見なしていいと思う。
 なぜなら、村上側がライブドアを誘ったときに、「あとで裏切ってやれ」という意識が必ずあったはずだからだ。どうして? それが当然だからだ。素人ならばいざ知らず、プロの投資家ならば、あらゆる場合を想定するはずだ。当然、ライブドアの目論見がうまく行かないで、過半数を握れない状態になったときに、自分がさっさと売り逃げする、という選択肢は想定されていたはずだ。そして、それをまさしく、実行した。当然のことをなしただけだ。とすれば、当然のことを、想定していないはずがない。……というわけで、「裏切る」ということは、もともと当然の選択肢に入っていた。そのことをわきまえた上で、ライブドアを誘った。これは当然、詐欺である。裏切ることを念頭に置いた上で誘ったのだから。
 村上側はあとになって、「仕方ないんだ、気が変わったんだ」というふうに弁明している。しかし、「気が変わったんだ」というのは、弁明にならない。そんな弁明が成立するのであれば、この世に詐欺は存在しなくなる。
 たとえば、結婚詐欺師が、「本当は結婚するつもりでした。ただ、途中で、気が変わっただけなんですよ」と弁明して、それが認められるか? まさか。「最初から結婚するつもりなんかなかったくせに、女から金を受け取ったんだろう」と見なされるに決まっている。
 村上も同様。最初から金をだまし取ることを念頭に置いた上で、ライブドアから金をむしり取っただけだ。ただ、直接的にむしり取ったのではなく、市場を通じて間接的にむしり取った。そういう違いがあるだけだ。
 仮に、村上側が「途中で気が変わったので、ライブドアに損失をおかけします」というのであれば、裏切りの迷惑料みたいなものを払ってもいいはずだ。しかし、払う気など、あるはずがない。もともと裏切るつもりだったのだから。「絶対に裏切りません」というつもりなど、あるはずがないのだから。それでいて、ライブドアを誘った。「うまいカモだな。甘ちゃんだな」と思って引っかけた。これは当然、詐欺になる。

 結論。
 村上ファンドの犯罪は、インサイダー取引ではなく、詐欺である。その詐欺は、結婚詐欺と同様に、初めから予想していた詐欺だ。れっきとした詐欺である。これをインサイダー取引と見なすような起訴は、妥当でない。判決を下すのであれば、「無罪」が妥当であろう。その後、あらためて「詐欺」で起訴された場合には、「一事不再理」で却下するのが妥当であろう。


● ニュースと感想  (12月03日b)

 「中国の残留孤児への判決」について。
 中国の残留孤児が放置されてきたことに対して、国家賠償をなせという判決が出た。(各紙夕刊 2006-12-01 )
 この判決では、北朝鮮の拉致問題との落差が指摘されている。拉致被害者については大々的な措置が取られているのに、残留孤児についてはほったらかし。ひどい落差である。
 では、どうして、こういう落差があるか? 理由は、次の対比だ。
 つまり、北朝鮮の拉致問題で政府があれほどにも大騒ぎするのは、拉致被害者のためを思って騒いでいるのではなくて、北朝鮮を糾弾するために、拉致被害者を利用しているだけのことなのだ。自分の利害のために拉致被害者を利用しているのであって、拉致被害者のために騒いでいるわけではないのだ。
 同様に、中国の残留孤児で政府があれほどにも問題を放置するのは、騒ぐと自分の責任が糾弾されるからだ。自分が糾弾されると困るので、ほったらかしにしているわけだ。

 私としては、今回の事件でようやく、長年の疑念が解決された、と言える。いやね。長年、ずっと不思議に思っていたんですよね。中国の残留孤児に対して、どうしてあんなに人でなしの態度を取れるのだろう、と。今からに十年ぐらい前でしょうか。日中国交回復のあとで、中国の残留孤児が多いに問題になった。国交が回復したのだから、置き去りにされた日本人をさっさと引き取ればよかった。戦争直後には、引き取るだけの金がなかったし、その後は国交断絶で、引き取ることが不可能だった。しかし国交回復のあとでは、引き取ることが可能になった。当然、見捨てられた日本国民を、日本に引き戻すぐらいのことをしてもいいはずだ。そのための費用は数万円でしかない。日本国民に対してこのくらいの金をかけるのは当然だろう。
 しかしながら日本政府は、孤児の大部分を見捨てた。毎年少しずつ招くだけで、引き取る人数はあまりにも遅々たるペースだった。引用すると、こうだ。
 旧満州国で、終戦時の混乱から保護者が死亡したり生き別れになったりして帰国できずに残された人々。昭和47年の日中国交正常化以降、民間団体による肉親捜しが本格化し、56年には国による集団訪日調査が始まった。厚労省によると、今年10月31日現在で2507人が永住帰国したが、現在も約300人が中国で生活している。中高年になって帰国したため日本語の習得が不十分な人も多く、約7割が生活保護を受けているとされる。
( → Yahoo ニュース
 要するに、日本政府は、(れっきとした日本人である)残留孤児を見捨てたのだ。北朝鮮の拉致被害者との差は、犯人ないし責任者が、どっちの政府であるか、という差だけだ。
 で、「犯人が北朝鮮ならば、犯人は悪」と大騒ぎし、「責任者が日本政府なら、責任者は善」と責任を免除する。被害者のことなんか、どうでもいいのである。要するに、政治家が手前勝手に利用できるかどうか、という違いでしかない。
 そういうわけだったんですね。だから、残留孤児に対して、あれほどにも人でなしの行為が取れたわけだ。

 やっと納得が行った。政治家というのに期待したのが、もともと間違っていたわけだ。政治家というのは、自分のために国民を利用するのであって、国民のために自分が奉仕するのではない。だからこそ、残留孤児に対しては、あれほどにも無慈悲にふるまえたわけだ。日本政府がこれまで残留孤児に対して、メチャクチャに残酷なことをしてきたのは、まったく当然のことだったのだ。つまり、悪魔が悪行をなすのは当然であって、悪魔に善行を期待する方が間違っていたわけだ。
 で、日本政府が「北朝鮮は拉致をするから悪党だ」と非難しているのは、善が悪を非難しているのではなくて、悪と悪とがたがいにいがみ合っているだけなのだ。で、どっちが、いっそうひどい悪か? こっちの悪は、自国民を放置して犠牲にする。あっちの悪は、他国民を拉致する。……ううむ。どっちも悪だが、どちらが狂気的かといえば、こっちの方が狂気的でしょうね。自国民を犠牲にするなんて、信じられない狂気的な悪である。
 北朝鮮に対して、「拉致をやったから悪である」なんて非難するのは、よほどおめでたい連中であろう。北朝鮮は、確かに悪をなしたが、他国民に対して悪をなしただけ、よほど正気である。また、数にしたって、数人ぐらいだ。自国民を二千人以上も犠牲にする日本政府に比べれば、北朝鮮の悪なんてスズメの涙にすぎない。
 そのことを、今回の判決は教える。

 [ 付記 ]
 私としては、長年の疑念が氷解して、やっと納得できた思いだ。
 これまでは「日本政府は正気だ」と思っていたから、自国民を犠牲にするということがずっと理解できずにいた。実は、日本政府は、正気じゃなかったんですね。ただの政治エゴで動いていた狂気の連中ばかりだったんですね。
 ま、オウムの連中であれ、日本政府の連中であれ、自国民を犠牲にして平気でいる連中というのは、世の中には確かに存在するものだ。で、そういう狂人が政権を握る、ということも、確かにありうるのだ。
 だからこそ自民党は必死になって、「NHKは北朝鮮を非難しろ」と命令するわけだ。何のために? 自己の悪を隠蔽し、自己を正当化するために。
 悪を正当化するためにはマスコミによって国民を洗脳すればいい。── そのことは、金正日であれ、自民党であれ、ナベツネであれ、独裁者は誰もがよく知っているのである。


● ニュースと感想  (12月04日)

 「プーチンとフセイン」について。
 元ロシア人である英国人が暗殺された(らしい)事件で、プーチン大統領の関与が強く疑われている。これは、直接証拠がまだ見つかっていないというだけのことで、プーチン大統領が暗殺を指令したのは、まず間違いないことだろう。新聞によれば、放射物の痕跡がロシアの飛行機から見つかったし、放射物のコストは46億円もかかるということだ。また、被害者への暗殺指令がロシア情報機関からから発されていたことは、その情報機関の出身者からもともと警告されていた。となると、ロシア政府が指示していたことは間違いない。
 また、暗殺の目的もはっきりしている。大統領が現在、ライバルを次々と粛正中なのだ。当然、その一環として、うるさいハエの一つとして、たたき落とされたのだろう。犠牲者は今回の人だけではなく、他にもたくさんいるのだ。というか、プーチン大統領の政敵は、全員が排除されつつある。(たとえば、12月02日のニュースでは、ライバルの筆頭にあたるガイダル副首相が毒物中毒にかかったそうだ。)

 結局、ロシアでは、(ソ連の)ゴルバチョフの改革がクーデターでひっくり返されたあと、エリツィンが台頭したが、その後にプーチンという独裁者が出たことで、「共産主義から独裁体制へ」という変遷が起こったことになる。そこに現れた独裁者は、元KGBの長官である。つまり、暗殺などを指揮する組織の長官だった人物が、大統領になったわけだ。(なお、組織の名称はKGBと少し違うが、実質的にはそうである。)

 ここで、プーチンとフセインを比較してみよう。どちらも独裁者である。大量破壊兵器がある。他国に出て、暗殺または侵略をなした。……世界にとっては有害であることこの上ない。
 では、この人物を排除するために、戦争をするべきか否か? フセイン排除のために、イラクに戦争ををしかけるべきか? プーチン排除のために、ロシアに戦争をしかけるべきか? 
 私としては特に結論を出さない。みなさん、よーく考えて下さいね。特に、小泉さんと安倍さんは、どうするべきか考えて下さいね。
 あ、別に、考えるまでもないか。……つまり、日本の首相の結論は、「米国大統領の判断に従います」と答えることだけですね。「はいはい、わんわん」と答えて、シッポを振ることだけですね。
 彼らには、脳はなくて、シッポがあるだけでした。そうなんだ。わかりきったことでした。私としたことが、うかつでした。  (^^);


● ニュースと感想  (12月04日b)

 「錯誤捜査」について。
 ライブドア事件と村上ファンド事件における検察の方針はしばしば批判される。その検察の方針は、世間では、「国策捜査」と呼ばれることが多い。私はこの言葉について批判して、「暴走捜査」「組織エゴ捜査」などの言葉を提案したが、今改めて考えるに、これは「錯誤捜査」と呼ぶのが妥当だ、と思える。(「捜査」の部分は「摘発」に置き換えてもいい。「錯誤」という用語が肝心。)
 比較して述べよう。
 この両者には、「悪意/善意」および「賢明/愚か」という対比がある。
 「国策捜査」を唱える人は、「検察は賢明だ」と思い込んでいる。そこで、賢明である組織がほぼ無実である相手を逮捕するとしたら、悪意があるせいだ、と思い込む。
 「錯誤捜査」を唱える私は、「検察は善意だ」と信じる。悪意の固まりである人間が一人だけいるということはあるとしても、検察組織の全体が悪意の固まりであるとは思えないからだ。ただし、いくら善意だとしても、人は勘違いをすることがある。そして、勘違いのせいで、ほぼ無実である相手を逮捕するということも、十分にあるだろう。

 比喩的に言えば、「穴に落ちたのはなぜか?」ということだ。人が自動車で進んで、穴に落ちた。それを見た人々は、どう思ったか? 
 世間の大半は、「穴を掘った奴が巨悪だからだ」と大騒ぎした。(よく調べると、単に道路工事をしていただけかもしれないのだが。)
 一部のマスコミは、「(運転手が)国策で落ちたのだ」と主張した。つまり、「(運転手は)賢明だが、あえて穴を狙って、わざと落ちたのだ」というわけだ。穴に落ちれば、自分自身がひどい被害を負う危険もあるが、大事件を起こせば、世間を騒がせるので、宣伝になる。そこで、その宣伝効果を狙って、あえて穴に落ちたのだ、というわけだ。「時代の区切りをつけるため、あえて国策で穴に落ちたのです」というわけだ。
 一方、南堂だけは、「(運転手が)勘違いして穴に落ちたのだ」と主張した。つまり、(運転手は)狙って穴に落ちたわけではなく、「そこは正常な進路だ」と思い込んでいたのだ。よく見ないで、思い込みと見込みだけで、勝手にそこに進んだ。本当は穴があるのに、穴はないのだと勘違いした。かくて、錯誤によって、穴に落ちてしまったのだ。── これが「錯誤捜査」だ。

 実態が「国策捜査」であるならば、「検察の悪意」を論証する必要がある。── そして、そのことは、まず不可能だ。プーチンのいるような独裁国家ならいざ知らず、民主主義国家においては、「検察の悪意」などはありえないのだ。「検察の悪意」を主張するのは、麻原のような負け犬ふうの犯罪者の遠吠えである。
 一方、実態が「錯誤捜査」であるならば、「検察の錯覚」を論証する必要がある。── そして、こういう「錯覚」ないし「勘違い」は、検察に限らず、多くの人に例がある。たとえば、最近話題になったが、元マイクロソフト副社長の古川という人の勘違いがそうだ。( → 検索 )。ともあれ、検察であれ誰であれ、錯覚して間違うことはある。それこそが、「ライブドア・二重の虚構」で示そうとしたことだ。
( ※ で、錯覚に対して「悪意」だの「国策」だのを主張するのは、野暮というものである。古川という人だって、悪意や社策でそんなことをやったわけではない。)

 ともあれ私としては、今回の二つの事件の本質は、「錯誤捜査」であると思う。その見解を、無理やり他人に押しつけることはしないが、とりあえずはそういう見解を提出しておこう。
 読者のみなさんは、「そういう見解もあるのだ」と理解した上で、その見解について、「自分はこう思う」というふうに、自分の頭を使って考えてほしい。それがつまりは、「ライブドア・二重の虚構」の意図したことだ。

 [ 付記 ]
 より根源的に言うなら、検察がどうであろうと、そんなことはたいして意味がないのだ。検察が悪であろうと悪でなかろうと、それは検察の問題であるにすぎない。もっと問題なのは、世間全体だ。世間全体が「ライブドアは巨悪だ」と信じている。マスコミのその趣旨で報道してきた。
 この状態で、「検察は悪だ(国策捜査をしている)」と主張しても、世間は、「ふうん。ライブドアは巨悪だが、検察も巨悪なのか。どっちも巨悪だな」と思うだけだ。で、世間は、自分自身が錯覚していることを、いつまでたっても自覚しないわけだ。
 そういうことでは、真実は理解されないままだ。ここでは、検察がどうのこうのというより、世間そのものの錯覚を是正する必要がある。原告と被告が争っているのを、おもしろがってみている視聴者がいるときに、指を視聴者に向けて、「あなたが真犯人だ」と指摘する必要がある。(というのはちょっと言いすぎだが。)
 とにかく、原告と被告が争っているとき、悪はそのどちらかにあるのではない。それらとは別の領域に悪はあるのだ。bad ではなく wrong である悪が。……この事件では、そこに本質がある。


● ニュースと感想  (12月05日)

 「国策捜査と錯誤捜査」について。
 前日の分では、「錯誤捜査」の話をした。ここで、国策捜査と錯誤捜査という二通りの認識の違いは、何をもたらすか? ただの認識の違いだけか? いや、世論に対する訴求度(または信頼性)の違いがある。
 「国策捜査だ」と主張するのであれば、「検察は賢明だが悪意があった」ということになる。これは、「検察は悪の組織だ」という主張だ。しかし、「検察は悪の組織だ」という主張は、悪の組織スペクターの出てくるスパイ映画か、子供向けの漫画の世界の話だ。荒唐無稽で、とうてい信じがたい。説得力がまったくない。麻原が「検察は悪の組織だから私を逮捕したのだ」と主張したら、「馬鹿な被告だ」と思われるのが関の山だ。ライブドアの被告だって同様だ。世間はそんな主張をまったく信じないだろう。被告が「検察は悪の組織だ」と主張すればするほど、世間からは見放されるだけだ。(第三者が主張しても同様で、白い目で見られるだけだ。)
 「錯誤捜査だ」と主張するのであれば、「検察はついつい間違えてしまったんです」ということになる。これは、「検察はたまたまミスをしてしまった」という主張だ。これなら、十分に説得力がある。「なるほど、人は誰しもミスをするものだな」と思って、世間は納得できる。そのあとで、「だったら、間違いを認めて、頭を下げなさいよ。いつまでも強弁しないで、さっさと謝りなさい」と批判するだろうが、しかし、官僚というものは、どの世界でも、なかなか頭を下げないものだ。そもそも、世間が「謝れ」といわないうちに、官僚が自分から「間違えました、ごめんなさい」などと、言うはずがない。そんな例は、これまで一度だって、なかっただろう。(たまにあるとしたら、菅直人が映ず事件で「ごめんなさい」と謝ったことぐらいだ。これは官僚ではなくて政治家が謝った例。あまりにも珍しいので、大々的に話題になった。)

 結局、「国策捜査だ」と主張している限りは、世間は「犯罪者の味方が吠えている」と思うだけで、誰もそんな主張を信じない。だからその主張は見捨てられる。一方、「錯誤捜査だ」と主張すれば、世間は「なるほど」と耳を傾けることが出来る。だからその主張が受け入れられることはある。
 被告側としては、世論に聞いてもらえるような、信頼度の高い主張をした方がいい。「検察は悪の組織だ」なんていうことを主張しても、荒唐無稽すぎて、誰も信じてくれない、と理解するべきだ。
 しかしながら現実には、被告側は「検察は悪の組織だ」と主張し、検察側は「ライブドアは悪の組織だ」と主張する。嘘と嘘とがたがいにぶつかりあう。……ここには真実は一つもない。かくて、どっちが勝っても、真実は現れない。
 こんな裁判はただの茶番である。それでマスコミは視聴率を稼げるだろうが、こんな茶番を見て「どっちが勝つか」なんていうことを話題にするのは、馬鹿げている。二つの競技のどちらが勝とうと、結局は真実は現れないのだから、そんなことに注目しても何の意味もないのだ。
 だから私としては、「どちらが勝つか」「どちらが正しいか」という世論の話題に対して、「そういう問題自体が馬鹿げている」と答えておこう。そういう認識が、第三者たる傍観者の取るべき立場だと思う。原告と被告がともに狂っているからといって、それを見る第三者まで狂うべきではない、というのが私の見解。

 [ 付記1 ]
 ここでは検察を「悪の組織ではない」というふうに述べているが、検察を是認しているわけではない。検察は、悪の組織というよりは、硬直した組織なのだ。悪意をもって悪をなしているというよりは、間違えて穴に落ちて馬鹿馬鹿しくあがいているだけなのだ。前日分でも述べたように、 bad ではなく wrong なのである。
 で、 wrong なものを見て bad だと思うのは妥当でない、というのが、本項の趣旨だ。ここでは、検察を是認しているのではない。検察は確かに駄目だが、どういうふうに駄目であるのかを正しく理解するべきだ、と言いたいのだ。見当違いの批判をすると、批判そのものが説得力を失う。それが「国策捜査」論だ。
 比喩的に言うと、クラスのドジなデブを指差して、「こいつはとんでもない悪党だ。こいつのせいで、クラス対抗リレーで負けたのだ」と非難するようなものだ。なるほど、こいつのせいでクラス対抗リレーで負けたのだろう。が、だからといって、むやみに彼の悪意を非難するのは、お門違いというものだ。それでは真相は判明しない。

 [ 付記2 ]
 ライブドア事件についてのまとめとなる特集記事があった。(読売・朝刊・特集面 2006-12-04 )
 ここでは、事件の核心となる不正経理の容疑(投資組合の利益が、売上げになるか資本金になるか、ということ)について、会計士の組合は、「今年9月に基準が出来たが、それ以前は基準がないのでグレーであり、裁判所の判決しだい」と述べた。
 で、裁判では、検察と弁護側とが「ブラックだ」「ホワイトだ」と論じ合っている。だが、私としては、「そんなことを論じること自体が無意味だ。グレーなのだから」と答えたい。
 検察としては「有罪」の判決を求めたいのだろうし、弁護側としては「無罪」の判決を求めたいのだろう。ただし、私が裁判官なら、どちらも取りたくない。むしろ、「このようなことはグレーなのだから裁判にはなじまない。ゆえに、公訴棄却とする」と述べたい。そして、「検察はこのようなことを、法的に起訴をするべきではなかった。むしろ、金融庁が行政処分を下すべきだった」と追記したい。
 しかしながら、弁護側は、そういう主張をしない。となると、裁判所としては、どうしても、白か黒かの決着をつけなくてはならない。そうなると、まったくの白とは言えないから、何らかの黒にせざるを得ないだろう。(微罪かもしれないが。)
 マスコミは現在、「白か黒か」「有罪か無罪か」ということばかりを興味深く論じている。しかし私としては、「そのようなことを論じること自体が無意味だ」と主張したい。この事件は、白黒を決めるべき事件ではなく、事件にすること自体が間違っている出来事だったのだ。ライブドアの経理操作は、(行政的に)是正させるのが妥当であって、(法的に)罰したり許容したりするようなことではないのだ。── 私としては、そう主張したい。
 しかしながら、こういう意見は、あまりにも少数である。世間ではこういう結論を採る人は非常に少ないし、論理的にこの結論を提出する人はほとんど皆無であろう。……で、読者のみなさんは、どう思いますか? よーく考えて下さいね。
 ま、「南堂なんて、たった一人で変なことを言う奴だから、ただのトンデモだ」と思う人が多いでしょうけどね。   (^^);


● ニュースと感想  (12月06日)

 「国策捜査と××策捜査」について。
 前日の分で、「国策捜査」と「錯誤捜査」という用語で対比を示した。私としては検察には「悪意」はなかったと思うし、単に「(誤認する)愚かさ」と「(方針を変更できない)硬直性」があっただけだと思う。
 だが、あえて「国策捜査」ふうに悪意を見出すなら、その悪意は、国または検察とは別のところに見出される。そこで、「国策捜査」のかわりに、「フジ策捜査」と呼ぶのであれば、私としても同意できる。
 というわけで、「国策捜査、国策捜査」と騒ぐマスコミ連中には、「フジ策捜査と言え」と指摘してやりたい。……でも、彼らは、聞かないかも。何しろ、同業者のよしみがあるから。同じ穴のムジナですもんね。

( ※ 「フジ策捜査」と「錯誤捜査」は、ほとんど同義である。引っかけたのが誰であるか、引っかかったのが誰であるか、という違いがあるだけだ。つまり、表現の仕方が違うだけ。実質は同じ。)


● ニュースと感想  (12月06日b)

 「錬金術」について。
 近未來通信の詐欺事件が話題になっている。「豊田商事の再来だ」という声もある。似た例として、平成電電もある。
 これらはれっきとした詐欺と言っていいはずだが、総務省が騒ぐだけで、検察は騒がないようだ。マスコミの騒ぎ方も、皆無ではないにせよ、通り一遍である。
 それで思い出したことがある。ライブドア事件では当初、検察もマスコミも「詐欺だ」と大騒ぎしたのだ。このとき、「錬金術」という言葉も使われた。
 だが、「錬金術」というなら、近未來通信や平成電電の方こそ該当する。ライブドアには該当するまい。そのせいで、最近では、マスコミでも「錬金術」という言葉はほとんど使わないようになったようだ。

 マスコミはそろそろ、反省してもらいたいですね。かつて「錬金術」という言葉を使ってあれほど大騒ぎしたのは、いったい何だったのか、と。ありもしないことを根拠に非難するのは、誹謗中傷・名誉毀損に当たる。つまり、犯罪だ。
 仮に、普通の企業(トヨタ・ソニーなど)を相手に、ありもしない理由で「錬金術だ」と非難したら、その人は「誹謗中傷・名誉毀損」ないし「営業妨害」の罪で訴えられるだろうし、その罪ゆえに有罪の判決が下るだろう。そして、ライブドアを相手にそういう犯罪をなしたのが、マスコミだ。
 今でもライブドア事件をめぐって、マスコミはけっこう騒いでいる。週刊朝日・最新号でも、ホリエモンの長文インタビューが掲載されている。こういうことを記事にするなら、自分自身のかつての報道についても検証するべきだろう。今になっては、「錬金術だ」と大騒ぎしたことを忘れた顔をして、「投資組合の利益の経理の記入の仕方」なんていうみみっちいことばかりを報道しているが、当初の記事は、そんなみみっちい記事ではなかったはずだ。「数千億円を盗んだ詐欺」(錬金術)という容疑だったはずだ。……その容疑は、いったい、どうなったのか? 
 今になって、知らぬ顔の半兵衛をして、自分自身の過去に蓋をして、「経理がどうのこうの」「国策捜査がどうのこうの」なんてことばかりを報道するマスコミは、自分自身の臭いところに蓋をしているわけで、あまりにも非倫理的かつ厚顔無恥である。
 ホリエモンのささいな身辺ネタなんかを報道するかわりに、過去の自社の莫大な報道について自己検証するべし。……仮にマスコミに良心があれば、の話ですけどね。
( ※ かつてのライブドア事件の真犯人は、マスコミである。ゆえに私はマスコミに、「自首しろ」と勧めているわけだ。良心があれば、自首してもいいはずだが。)

 [ 付記1 ]
 マスコミは「犯罪の報道だから、あの報道は正当だった」と弁明するだろうが、その弁明は成立しない。なぜなら、その弁明が成立するのは、検察の容疑となる犯罪だけだからだ。たとえば、不正経理とか、(実際にはなかった)マネーロンダリングとかなら、検察がリークした話なので、報道することは正当だ。
 しかし検察は、「錬金術」または「詐欺」という容疑で捜索したのではない。したがって、「錬金術」または「詐欺」という形で勝手にマスコミが報道したのは、正当ではないのだ。
 似た例で言うなら、ライブドアについて「殺人をやった」とか「婦女暴行をやった」と報道するのも、正当でない。そういうのは明らかに虚偽報道である。それと同様の報道が、「錬金術」または「詐欺」という報道だ。これらの報道が虚偽報道であったことは、今日ではもはや明白だろう。ただし、マスコミは、忘れたフリをしているのだ。── そこで私が「忘れたフリをするな」と、イヤミったらしく指摘しているわけだ。(いじわる婆さんみたいに。)

 [ 付記2 ]
 錬金術などはなかった。とすれば、ライブドア事件とは、何だったのか? 
 結局、莫大な富を奪った人などは、どこにもいなかった。しかしながら、莫大な損失が発生した。トータルでは、莫大なマイナスだけが発生した。
 とすれば、これは、「金が右から左へ流れた」という詐欺ではなくて、単純な「損害発生」の事件だったのだ。簡単に言えば、検察と東証とマスコミがグルになってやった、経済テロという破壊行為だったのだ。(盗みではなくて、破壊行為である。間違えないように。)
 この意味で、ライブドア事件とは、「ライブドアが巨悪をなした」(金を奪った・詐欺をした)という事件ではなくて、「ライブドアが巨悪をなしたと人々が思い込んだ」(妄想ゆえにライブドアを破壊した)という事件だったのだ。
 こういう形でライブドア事件を位置づけることが出来るわけだ。なお、「検察が邪悪だった」という国策捜査論では、巨額の損害を説明できない。検察が巨額の金を盗んだわけではないからだ。検察が摘発したのは、「風説の流布」および「不正経理」という容疑でだ。「錬金術」(巨額の詐欺)という容疑を唱えたのは、マスコミである。このマスコミの虚偽報道から、巨額の損失が発生した。検察の言う「風説の流布」および「不正経理」という容疑から、巨額の損失が直接的に発生したのではない。
 だから、巨額の損害を説明するには、どうしても、(マスコミを主因とする)「錯覚」という概念を基礎に据える必要がある。


● ニュースと感想  (12月07日)

 「IT詐欺」について。
 近未來通信と平成電電の事件では、政府は対策として、「通信事業の業務が正常であるかをチェックする」という方針を打ち出している。(各紙報道)
 しかし、これは見当違いだろう。今回の問題は、事業が不良であったこと(採算が赤字であったこと)が問題なのではない。採算が赤字であれば、株式の出資者が損をするだけだ。今回の事件は、そういう問題ではない。
 では、何か? 今回の事件は、投資家が被害を負っているが、この投資家は、株式の投資家ではない。では、事業の投資家か? そうでもない。名目は事業の投資家であるが、今回の被害は事業の赤字ではないからだ。
 では、今回の被害は、どういう形で生じたか? ズバリ言えば、「ネズミ講」である。
 今回の投資家は、「マルチまがい」とも言われるが、正確には、「ネズミ講」と同様のタイプである。投資家Aが、別の投資家Bを勧誘すると、Bの払った金は、一部はAに入るが、残りは会社に入る。
 会社がこの金を事業に使っていれば、犯罪にはならない。そのあと、事業で黒字になるか赤字になるかであれば、事業の問題となるだけだ。
 現実には、会社に入った金は、事業には(ほとんど)使われなかった。会社が勝手に使い果たしてしまった。この意味で、豊田商事と同様である。エンロンにもちょっと似ている。(エンロンの場合は、もうちょっと手が込んでいる。いったんデリバティブに投資しているからだ。)
 ともあれ、ここでは、投資家Bの出した金は、事業に使われたのではなくて、会社に盗まれた。その意味で、典型的な詐欺事件である。
 ここでは、投資家は、次の投資家から金をもらう。(投資家Bが、今度は投資家Aの立場になって、新たに勧誘した投資家から金をもらう。)こうやって、盗みの発覚を遅らせて、かわりに、被害者をどんどん増やしていく。……この意味で、詐欺のタイプは「ネズミ講」である。
 ここでは、事業がなされているのではなく、(事業なしに)自転車操業がなされている。近未來通信では、ほとんどが自転車操業であった。平成電電では、初期は事業もあったらしいが、やがては事業がどんどん減っていって、自転車操業が主となった。
 いずれの場合も、事業は非常に少ない。とすれば、事業を正常化・健全化しても、まったく意味はない。実質的にありもしないものを、いくら正常化・健全化しても、意味はないのだ。むしろ、「詐欺」「ネズミ講」「自転車操業」をなくすことが重要だ。
 要するに、なすべき対処は、「一般投資家による勧誘」を禁止するべきだ。投資家は、会社または投資組合に投資するのならばいい。しかし、「投資家が別の投資家を勧誘して、その勧誘に対して紹介料を払う」というのは、ネズミ講になるのだから、こういうことを禁止するべきなのだ。(現実には合法である。)

 以上が本質的なことだ。現実には、政府はまったく見当違いのことをしているし、マスコミも見当違いのことを報道している。検察も、詐欺師を摘発しないで、詐欺師でもないものを詐欺師扱いしている。(ライブドア事件。)

 逆に言えば、こういう馬鹿な世間を逆用することで、あこぎに金儲けをすることも可能だ。社会が「悪を許容する」というのであれば、その欠陥社会に乗じて、人様の金を盗み取ることで、大儲けをすることが可能だ。
 だから、あなたが悪賢ければ、第二の近未來通信を設立すればいい。そして、投資家の間でネズミ講のシステムを構築して、たっぷりと儲ければいい。ITでは人目につきすぎるから、健康食品とかバイオとか美容装置とか、そういう分野で、インチキ商法をすれば、さんざん儲けることが出来るだろう。
( ※ ただし……最後には、牢屋に入る可能性もあり。馬鹿な検察は、法的に無実の人間をも、勘違いして逮捕することがある。いったん逮捕されたら、検察と裁判所はグルになっているから、たとえ無実でも、有罪になってしまう。)
( ※ そういう危険はあるが、ま、その前に、高飛びしてしまえば大丈夫。近未來通信や平成電電の社長は、さっさと高飛びしてしまうのが、身のためだな。で、ほとぼりの冷めたころに、帰ってくればいい。どうせ日本人は忘れっぽい。)


● ニュースと感想  (12月07日b)

 「ユニバーサルサービス」について。
 固定電話のユニバーサルサービスのために、ケータイに毎月7円の課金がなされる、という。 (各紙報道)
 7円ぐらいならケチるまでもない、という人が多いだろうが、金額は別として、わけがわからないんですよね。なんでこんなことをやるのか。よく考えてみよう。

 まず、「固定電話の負担をケータイ電話で補填する」というのが、今回の制度だ。しかし、これは根源的におかしい。
 そもそも、ケータイの利用者が負担するのは、「ケータイ電話が固定電話と同等のものとなっている」という発想なのだろう。ならば、ケータイを利用できる地方の人は、固定電話なしでも、ちゃんとケータイで通話が出来るわけだ。だったら、ケータイ電話だけを利用すればいい。そのためにコストがかかるのであれば、ケータイ電話の利用者のために、若干の補助をすればいい。ケータイと固定電話との価格差の分だけ、補助をするわけだ。これなら、安価で済む。しかるに、固定電話を遠隔地までずっと敷設するサービスをするなんて、山間僻地では、非常にコストがかかる。そんなことをするのは馬鹿げている。
 
 たとえば、近郊の山岳地(奥多摩の山頂など)では、ケータイが通じる。こういうところでの通話は、ケータイの方が圧倒的に低コストで済む。(事実上、コストゼロ。)なのに、山岳地に固定電話が伝わるようにしたら、莫大なコストがかかる。そういうのは、どう考えても馬鹿げているだろう。で、そのために、ケータイ電話の利用者が金を払うというのは、馬鹿げていることの重ね塗りだ。

 人口密度の低いところでは、無線だけに統一する、というのが、どう考えても合理的だろう。電話が固定電話しかない時代であれば、固定電話を敷設するという形のユニバーサルサービスがあっていい。しかし、固定電話とケータイ電話とは(利用目的で)代替可能であるのだから、どちらか一方があれば済むのだ。僻地では当然、ケータイ電話だけのユニバーサルサービスがあればよく、固定電話のユニバーサルサービスなどは必要ない。
 つまり、ユニバーサルサービスそのものは重要であるが、それが固定電話によるユニバーサルサービスある必要は全くなく、逆に、ケータイ電話のユニバーサルサービスこそがあるべきなのだ。
 だから、固定電話の施設を僻地に敷設して、その設備費をケータイ電話の利用者に押しつけるよりは、ケータイ電話の施設を僻地に敷設して、その設備費を固定電話の利用者に押しつければいい。──これならば、納得できる。

 本当をいえば、固定電話なんて、なくなってしまっても構わないものだ。IP電話サービスが普及すれば、光ファイバーや電灯線経由で、IP電話が利用できるようになるかもしれない。そうなったら、現代のタイプの固定電話というものが消滅するかもしれない。そんな時点で、ケータイ電話の利用者がサービス料金を負担するなんて、馬鹿げている。
 現状では、ケータイの料金が馬鹿高いから、固定電話だけを維持する人も多い。だが、ケータイ電話がやがて劇的に安くなる可能性もある。特に、「市街地領域でしか発信できないタイプのケータイ」というのが出て、劇的に安くなる可能性がある。(僻地に通話するときは非常に高い価格になるが。)
 数十年先なら、固定電話は消滅している可能性が高い。そんなものを維持するためにケータイから金を出すなんて、馬鹿げている。

 [ 付記 ]
 なお、仮に、固定電話のユニバーサルサービスが本当に実現する必要があるのであれば、日本中の至るところに有線でケーブルを引く必要がありそうだ。
 たとえば、富士山頂。各地の無人島。各地の山岳地帯。(日本の平野部は2割程度だから、山岳地帯は莫大な面積になる。)
 こういうところに本当に「ユニバーサルサービス」をやる気なんですかねえ。嘘でしょ? 無線ならば何とかなりそうだが。(まさか、途中で無線変換はしないですよね? それでもいいけど、だったら最初から無線端末を使えば済むことだし。)


● ニュースと感想  (12月08日)

 「戦争と平和の理論・続き」について。
 ネパールの内戦停戦と、米軍のイラク撤退についての話題。
     →戦争と平和の理論 「追記2」

● ニュースと感想  (12月09日)

 「ライブドア事件の裁判の見通し」について。
 週刊新潮の最新号で、ライブドア事件に関してホリエモン批判が掲載されている。要するに、「微罪かもしれないが、社会的な影響(損失)の多額さゆえに、ホリエモンは有責だ」というもの。
 なるほど。これはこれで、一理がある。けっこう信じる人が多そうだ。で、裁判官もこの理屈を取りそうだ。検察としても、この結論なら、不服はないだろう。弁護士としては、法的な「無罪」(微罪)ということにこだわるばかりで、社会的な影響(損失)についてはまったく論じていないから、どうしようもあるまい。……となると、このおかしな結論(つまり「実質無罪でも刑罰は重罰」という結論)が出そうだ。
 で、よく考えると、「国策捜査」論というのもまた、「検察が悪い」という形で、「ホリエモンは微罪だ」ということを論じるばかりだ。しかし、「検察が悪い」といくら主張したって、検察が六千億円もの金を奪ったわけではないし、私利を肥やしたわけではないのだから、説得力がない。

 結局、法的な面に着目して、「微罪」ということを主張するばかりでは、裁判官や世論は、「なるほど、微罪だね。でも影響が多大だから、重罰にするよ」というおかしな理屈で、重罰になってしまう。
 要するに、法律面ばかりを論じている発想(法律馬鹿の発想)では、裁判官や世論から「うっちゃり」を食って、「実質無罪でも刑罰は重罰」という結論を浴びせられてしまうわけだ。
 ……というふうになるでしょうね、たぶん。私の見込みでは。

 で、それを避けるには、どうするべきか? 法律面ばかりを論じないで、「社会的な影響(損失)」の面に着目すればいい。そして、それをもたらしたのは、ライブドアではなくて、社会全体の錯覚なのだ、と気づけばいい。……つまり、「ライブドア事件とは、不正経理という違法行為によって生じた大損害の事件ではなく、社会心理の混乱によって生じた大損害の事件なのだ」と気づけばいい。
 比喩的に言えば、地震が起こったあとで、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という噂が生じて、多数の在日朝鮮人が殺害されたとすれば、その殺害事件は、地震による事件ではなくて、社会心理による事件なのだ。ライブドア事件における六千億円の損害もまた同様。これは地震によるものでもなく、不正経理によるものでもなく、社会心理の混乱によって生じた事件だ。
 しかしながら、弁護士もマスコミも、その真実に着目しない。単に法律面に着目するばかりだ。で、「微罪だから無罪だ」と主張したり、「微罪だけど重罰だ」と主張したりする。些末な法律ばかりに着目して、真実を見ないわけだ。氷山のてっぺんだけを見て、水面下の部分を見ないわけだ。……これでは、真相は目に入らないから、真相を見て判断することはできないわけで、間違った判決が下るしかない。

 結局、有罪になろうと無罪になろうと、その判決は間違った判決である。ライブドア事件の判決については、どのような結論が出ようと、「間違った判決が出る」ということだけは、すでに確定していると言える。あとは、その間違い方が、どういう間違い方になるか、という差だけがある。

 [ 付記1 ]
 私としては、「微罪(実質無罪)だけど重罰」という判決を、一番可能性の高いものとして、予想したい。
 この判決が出た場合、誰もが満足するだろう。検察としては、名分はともかく、重罰を取れるので、「名より実を取る」という方針で、満足だ。世間としても、「ホリエモンの野郎、ざまあ見ろ」と言えるので、満足だ。弁護士としても、「自分は法的に実質無罪をかちとった。あとは裁判所が偏向した判決を下したのが悪いだけだ。裁判所の偏向が悪いのであって、自分は悪くはない。自分は勝利したのだ」と言えるから、満足だろう。(もともとそういうことだけが目的だったのだし。)
 一人、割を食うのはホリエモンだが、馬鹿なヤメ検を選んだのだから、自業自得というべき。馬鹿を信じれば沈没するのはやむを得ない。「ホリエモンは人を見る目がない」というのが定評だが、まさしく実証されたことになる。

 [ 付記2 ]
 株主としては、そういうホリエモンを信じたのが馬鹿だった、と思って、諦めるしかないかもね。
 ホリエモンには逆襲のチャンスはたっぷりとあったのに、馬鹿なヤメ検を信じて、ヤメ検と心中することになった。そういうホリエモンが悪いんだから、株主としても諦めるしかないだろう。……あと、平松という無責任な社長[どうやらフジテレビと結託しているらしい]もいるしね。
 株主としては、「運が悪い」といって片付く問題ではないのだが、責任の3割ぐらいは、ホリエモンと平松社長にある。恨むんだったら、この二人を恨みなさい。( ……なお、間違っても、私を恨んでは駄目ですよ。   (^^); )


● ニュースと感想  (12月10日)

 「戦争と狂気」について。
 真珠湾攻撃の日が来ても、最近ではあまり反省や回顧の声は上がらないようだ。十年ぐらい前までは記事で大々的に取り上げられたし、数年前までは社説でも取り上げられた。しかし今年は、朝日・社説にはあるものの、読売・社説にはない。ともあれ、朝日の社説を取り上げよう。(一部抜粋)
 開戦65年 狂気が国を滅ぼした
 それにしても、日本はなぜあのような暴挙に走ったのか。
 冷静に考えれば、勝ち目がないことぐらい分かりそうなものだ。だが、体を張って「待った」をかける政治家も軍首脳もいなかった。
 指導者だけではない。昭和史に詳しい作家の半藤一利さんは、真珠湾の日に人々が何を語り、書いたかを調べたことがある。「マスコミは戦争をあおり、国民も『やった、やった』と熱狂した」
 日本中を「狂気」が覆っていたといえよう。……「あんなことは絶対に二度と起きない」と言い切ることはできまい。
 どうすれば、踏みとどまれるのか。狂気に包まれる前に、現実に目を見開くことはできるのか。
 ともすれば私たちの周囲から戦争の記憶は薄れがちである。だが、あの狂気やその種はこの世界からなくなったわけではない。過ちは今もどこかで繰り返され、戦争の悲惨は続く。
( → 朝日のサイト
 狂気に着目したのはいいが、狂気を他人事だと見なしているが根本的に間違っている。あの戦争ではどこかの他人が発狂したのではない。まさしく日本人全体が発狂したのだ。つまり、われわれが発狂したのだ。そのことを理解していないのが、根本的に狂っている。(つまり、現在の朝日自身が狂っている、と理解できないわけだ。狂人は自分を狂人だと自覚できない。)
 そこで私が、狂人たちのために、「現在の日本人全体が狂っている」と何度も指摘しているわけだ。
  1. イラク人質事件 (無実の人質を日本中で苦しめる発狂)
  2. ライブドア事件  (微罪の事件を日本中で大騒ぎして莫大な損失を発生させる発狂)
  3. イラク戦争    (ありもしない大量破壊兵器を「ある」と信じて戦争を始める発狂。
  4. 構造改革    (無効な経済政策を「有効だ」と信じる発狂・妄信)
  5. 景気回復    (ありもしない景気回復を「ある」と信じる発狂・妄想)
 こういうふうに日本中が狂ったまま、混乱の奈落に落ち込んでいる。特に、四番目と五番目は深刻で、自分で自分自身を攻撃・破壊している。

 そして、こういう狂気状態を知るために、ライブドア事件は象徴的な意味合いがある。ここにこそ最も狂気状態が現れているからだ。
 たとえば、先の社説から引用すると、
 「マスコミは戦争をあおり、国民も『やった、やった』と熱狂した」
 というのがそうだ。これは「戦争」を別の言葉に置き換えれば、まさしく半年前のライブドア事件の日本の状態だ。今ではいくらか正気が戻りかけているようだが、半年前の狂気状態をまったく反省していない。
 そもそも、半年前と現在とで、人々の人格が別人になっている、ということにすら気がついていない。半年前には「ライブドアは極悪非道の大犯罪者だから徹底的にやっつけろ」と狂気的に喚いていたのだ、ということを今やすっかり忘れている。「現在は冷静になった」とだけ思い込んで、当時は狂熱状態だった、ということを忘れている。そのせいで、「現在もまだ狂熱のあとの余熱状態にある」ということを自覚しない。半ば残る狂気を自覚しない。

 どうすれば狂気を避けることが出来るか? その方法は、「自分たちが狂気にとらわれている」と自覚することだ。
 社説のように、「どうすれば、踏みとどまれるのか。狂気に包まれる前に、現実に目を見開くことはできるのか」というのは、自分を正気だと自惚れているという点で、根本的に間違えている。自分を正気だと思っている限りは、決して狂気から脱することはできない。狂気から脱するためには、「今や狂気にとらわれている」と自覚することが必要であり、そのためには「今や狂気にとらわれているぞ」という声に耳を傾けることが必要だ。そのための声が、「ライブドア・二重の虚構」という声だ。長々と記してある、一冊の本としての声だ。

 戦争の際に、戦争の狂気を避ける方法はある。あの当時、戦争を批判する声は、少数ながらあった。その少数の声に、耳を傾ければよかった。イラク人質事件・ライブドア事件事件・構造改革などの発狂の際には、これらの発狂を指摘する声は、少数ながらあった。その少数の声に、耳を傾ければよかった。……そして、人々が耳を傾けるには、マスコミがその情報発信機能を発揮すればよかったのだ。
 現実には、どうだったか? イラク人質事件・ライブドア事件事件・構造改革などの発狂の際には、これらの発狂をいさめるどころか、これらの発狂を煽動した。それがマスコミだ。

 どうすれば日本の発狂を防ぐことが出来るか? その方法は簡単だ。マスコミが「発狂の責任は自分たち自身にある」と気づくことだ。「指導者のせいで戦争が起こった」などと思っている限り、いつまでたっても真実は見えてこない。あの戦争は、指導者がいやがる国民を無理に戦争に駆り立てたものではない。そういう面もいくらかはあるにせよ、国民が自ら戦争を歓迎した、という面が多い。(特に、連戦連勝であった、開戦時には。)
 何でもかんでも指導者に押しつければいいものではない。たとえ指導者が間違ったとしても、その指導者の誤りを是認している国民にも責任はある。そして、その指導者の誤りを国民が是認するに至るように、情報を操作したマスコミにこそ、最大の責任がある。
 あの戦争のときの国民の状態を、朝日は「狂気」と呼んだ。私はライブドア事件の時の国民の状態を「錯覚」と呼んだ。どちらにしても、ほとんど同義である。いずれにせよ人々は、真実を見失い、現実とは別のものを信じ込んでいる。
 だからこそ、私はいま、「ライブドア事件では錯覚に着目せよ」と叫ぶわけだ。狂気から脱するために。そして、それは、「検察が悪い」とか何とか、他人の責任にしている限りは、決して達成しえないのである。

 では、どうすればいいか? 狂気を脱するためには、まずはわれわれ全体が「われわれ全体は間違っている」と反省する必要がある。狂気を脱するためには、自分自身の狂気を自覚する必要がある。「あいつが悪い」というふうに他人のせいにしている限りは、決して狂気を脱することはできない。……そのことは、あの戦争においても、現在のライブドア事件においても、同様である。

 では、狂気を脱するために、われわれが反省するとして、そのためには、どうすればいいか? それへの答えを一言で言うなら、こうだ。
 「喧嘩をしないで、真実を直視する
 現実には、そうではなかった。
 先の大戦では、日本も米国も「自分が正しい、相手は間違っている」と主張するだけだった。「植民地を争奪する競争がある」という歴史的事情を直視しなかった。
 イラク人質事件では、保守派とリベラルが「米国は正しい/米国はけしからん」というふうに対立するばかりで、人質自身はその対立に巻き込まれた犠牲者だ、という政治的事情を直視しなかった。
 ライブドア事件でも、検察と弁護側が「有罪だ/無罪だ」というふうに対立するばかりで、「法的な違法よりも社会的な騒動で損害が発生した」という社会心理的な事情を直視しなかった。
 いずれの場合も、対立する双方が、喧嘩するばかりで、「真実の解明」はほったらかしだった。かくて、誤解と錯覚が膨張し、真実は隠蔽される。それが過去の例だ。
 そして、それゆえ、私は主張するわけだ。「勝つぞ負けるぞと喧嘩をしないで、真実を直視するべし」と。
 で、真実を直視するためには、それを指摘する声(「今まさしく錯覚している」と指摘する声)に耳を傾ければいいわけだ。目や耳をふさがず、目や耳を開けばいいわけだ。ただそれだけのことでいいのだ。……現実には、それができていないが。

( ※ 翌日分に続く。)


● ニュースと感想  (12月11日)

 「戦争と狂気・その補足」について。
 前日分の補足となる話を三つ。次の(1)(2)(3)だ。

 (1) 景気回復
 前日分の最後では、こう結論した。
狂気を脱するためには、自分自身の狂気を自覚する必要がある。「あいつが悪い」というふうに他人のせいにしている限りは、決して狂気を脱することはできない。……そのことは、あの戦争においても、現在のライブドア事件においても、同様である。
   この結論は、今後の景気回復についても当てはまる。
 現状の景気低迷を、他人のせいにしている[もしくは景気循環という自然現象のようなものがあると信じている]限りは、決して景気回復は実現しない。「この状況の責任は自分たち自身にある」と理解したとき、ようやく景気回復の方法を理解して、その手段を取るようになる。
 困難から脱するためには、困難から脱せる時期を待てばいいのではなく、困難から脱する手段を自ら取るべきなのだ。
 そして、そのためには、「今は錯覚している」という声に、耳を傾ければいいのだ。そのための役割が、情報発信機関としてのマスコミの役割だ。( ※ 現状のマスコミは、ただの政府の広報機関または視聴率獲得の機関になってしまっているが。)

 (2) バブル
 ついでにもう一つ、狂気の例を示しておこう。近年では特大級のやつを。── それは、80年代のバブルだ。あれもまた、ひどい狂気だった。「日本経済は世界最強だ」と信じて、地価と株価がどんどん膨張するのを放置しておいた。ほんとうは金融緩和による資産インフレであったのに、マネタリズムの処方を信じたせいで、むやみとバブルを膨張させた。
 で、今になっても、「あれはマネタリズムを信じたゆえの狂気だ」と気づかないまま、まだマネタリズムを信じて、量的緩和だの何だのを信じている。バブル期の狂気を反省すらしていない。(金融緩和が過度であったのは日銀のせいだ、と主張するだけで、他人のせいにしているだけ。自分のせいだとは気づかない。)
 実はバブル期にも、バブルを問題視している人は、少数ながら存在した。私もそうだ。しかしバブル期には、そういう少数派の意見は無視された。せいぜい、「ちょっとした警告があるから、ちょっとだけ注意しよう」と思っただけだった。大火事のさなかに、「ボヤに注意しよう」と思うぐらいのことだ。かくて大火事は放置された。最初は一室だけだった火事は、やがてビル全体( = 日本全体)を大火事にしてしまった。
 で、そのあとあわてて、水をかけて消火したら、あとはビルの残骸だけがあった。それがバブル破裂後の不況だ。そのあと、マネタリストは、「消火の仕方が悪かったのだ。少しずつ消火すれば大丈夫だったのだ」と主張する。馬鹿げた話だ。大火事のあとで、どういう消火の仕方を考えても駄目だのだ、と気づかない。大火事そのものが破壊の根源だったとは気づかない。……狂人とは、そういうものだ。自分を正常だと思っているので、自らの狂気を指摘されても、聞く耳をもたないのである。
 バブル期も、現在も、人間は同じ。歴史上でも最大なのが、先の大戦であった。結局、人間というものは、いつの時代も同じなのである。狂気にとらわれ、世界を破壊したがる。大戦時にはアジアと自国を破壊し、バブル期には自国経済を破壊し、ライブドア事件ではライブドアを破壊した。……いずれも狂気による破壊行為だ。それに気づかない限りは、何度でも繰り返す。
 そして、それだからこそ、私は警鐘を鳴らす。しかしながら、狂人の耳には馬耳東風なのだ。聞く耳をもたないというより、聞きたくないのである。自分を否定するような悪口は。誰しも、悪口には、耳をふさぐ。だからこそ、狂気は蔓延するわけだ。

 (3) 特攻
 参考として、さらに別の例を示す。朝日新聞・夕刊の特集コラム「特攻」だ。( 2006-12-09 )
 特攻隊について、「桜のイメージで特攻を美化した。当時の軍国主義がうまく利用した」という趣旨の談話がある。ついでに「今の米国の星条旗もそれに相当する」という趣旨の談話もある。
 これを「軍が国民をだまして利用する」という趣旨であるなら、いちいち取り上げる必要もないことだ。軍があれやこれやとプロパガンダをして、国民を戦争に駆り立てるのは、ただの常識である。誰だって知っている。戦争とは、国と国とが戦うことである。それと同じぐらい、常識的なことだ。
 一方、ここでは、肝心のことが抜けている。当時の国民の意識だ。「軍が国民を利用した」という趣旨の談話では、「国民は利用された」ということになる。それはつまり、「当時の国民は馬鹿だから、だまされた。今の私は利口だから、その馬鹿さ加減ががわかるぞ」ということだ。これはとんでもない自惚れだ。
 当時の人々は馬鹿ではない。軍に利用されていることぐらい、気づいている人はたくさんいた。特に、戦争の後期ともなれば、「この戦争は負け戦だ」と気づいている人はたくさんいた。特に、軍人であれば、帰還しない仲間がたくさんいることで、かなり多くの人は気づいていただろう。
 特攻であれ、ただの歩兵であれ、当時の兵士のかなり多くは、負け戦だと自覚していた。自覚しながら、それでも戦ったのだ。その理由は? 一つは、そうするしかないからだ。国全体の戦争を、たった一人で動かすことはできない。もう一つは、祖国の人々への愛だ。
 もちろん、その他に、「天皇陛下のため」という洗脳された意識もあっただろう。そういう意識は、「愚かだ」と見なしてもいい。しかし、それだけでなく、正気の人々もいた。正気であっても、戦い、そして、死んだ。── その事実を直視するべきだ。決して愚かさゆえに死んだわけでもないし、決してだまされて死んだわけでもない。自分にとっては無駄死にだとわかっていて死んだのだ。これらの人々にあったのは、祖国への愛であり、未来の日本への愛だ。その愛を受けて、われわれは生きている。そして、今のわれわれは、死んでいった祖先に対して、感謝の念を捧げるかわりに、「あいつらは馬鹿だからだまされたんだよ」という軽蔑の念を送る。
 こういう傲慢さ。それゆえ、今のわれわれは、自分たちが錯覚していることに気づかない。自分たちは利口だと思い込んでいるから、自分たちの愚かさに気づかず、自分たちが自分たち自身を破壊していることに気づかない。
 こういうわれわれと、過去の祖先と、どちらが馬鹿であるか、どちらがだまされているか、よく理解するべきだ。
 過去の祖先は、米国を攻撃した。それを見て、今のわれわれは「勝ち目がないのに、無謀だ、馬鹿だ」という趣旨のことを語る。(上記の朝日の社説。)
 それでいて今のわれわれは、敵を攻撃するかわりに、自分自身を攻撃して破壊しているのである。

 なすべきことは、「過去の祖先は軍にだまされた」というふうに、祖先を軽蔑することではない。むしろ、「今現在の自分たち自身が錯覚しているのだ」と自覚することだ。── 過去の祖先の多くは政府・マスコミに利用されていることに気づいていたが、今のわれわれの多くは政府・マスコミに利用されていることに気づいていない。どちらが愚かであるかは、一目瞭然であろう。


● ニュースと感想  (12月12日)

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● ニュースと感想  (12月16日)

 このあとしばらく、お休みします。年末は多忙なので。
 再開の予定は、年明けです。

  ※ ときどき散発的に、何か書くかもしれません。事件があれば。
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