[付録] ニュースと感想 (98)

[ 2005.12.09 〜 2005.12.21 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

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       10月22日 〜 11月14日
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         12月10日 〜 12月21日

   のページで 》




● ニュースと感想  (12月09日+)

 「シュレーディンガーの猫」のページを、一新しました。
 内容的には変わりありませんが、わかりやすく整理されています。最初のページでは、簡単な要約を掲載しているので、短い文書を読むだけで、ざっと理解できます。


● ニュースと感想  (12月10日)

 「誘拐対策の愚案」について。
 児童の誘拐対策のため、「スクールバスを運営する」という案がある。たとえば、一台 3000万円のバスを9台も購入し、さらに、運営費として数千万円を払う。額は巨額である。なぜかというと、送り迎えにボランティアを頼みたくても、ボランティアはなかなか見当たらないからだ、という。(読売・朝刊・社会面 2005-12-09 )
 愚劣の極み。論理の倒錯。
  ・ 民間のボランティア …… 無償
  ・ 自治体による運営  …… 莫大な支出
 この両者を対比して、前者が無理だから、後者にする、というわけ。で、肝心の正解が抜けている。
 「民間の有償の運営」
 これが最も低コストだ。なのに、その正解が、すっぽりと抜けている。「民間人にはびた一文出さないが、自分たちは高額の浪費をしてもいい」という発想。愚劣の極み。論理の倒錯。

 さらに解説しておこう。
 「民間の有償の運営」
 これが正解である理由は、次のことによる。
 ここでは、「遊休していた人員や設備を稼働させる」という政策が取られる。これは、マクロ的な発想だ。
 こういう発想がないと、「何でもかんでも、政府が手取り足取り」というふうになる。いわゆる「構造改革」とは正反対。「福祉の向上」に名を借りた、「無駄な行政の拡大」である。
 で、こういうことをやる大馬鹿な連中がいるから、小泉の「構造改革」なんていうスローガンにだまされる小馬鹿な連中も増えるわけだ。
 
 [ 付記 ]
 クイズ。次の二人のうち、どちらがマシでしょうか? 
  ・ 国民の金を大幅に浪費しながら、わずかな利益を国民に還元する阿呆。
  ・ 国民をだまして「得をさせた」と錯覚させる、狡猾な詐欺師。
 前者は、善意に基づいて、国民の利益を増やそうとする阿呆。(結果は逆)
 後者は、計算づくに基づいて、自分の利益を増やす詐欺師。(結果は狙い取り)
 どちらがお好みですか? 


● ニュースと感想  (12月11日)

 「オタクと少女犯罪」について。
 例のゲーム批判についての蛇足。私の意見について、ネット上で批判を見た。
 「南堂は支離滅裂だ。オタクが少女犯罪をするなんてことはないはずだ。例の広島の事件でも、犯人はオタクというより異常なペルー人じゃないか」
 と。その趣旨は、まったく、その通り。だからもともと、こういう批判があることを想定して書いてある。もちろん、「オタクならば少女犯罪をするものだ」という趣旨にはなっていない。
 ただ、誤解を招く余地があることは、留意していた。それでも、その点については、説明をしなかった。そこで、説明しておこう。
 簡単に言えば、こうだ。
 「オタクならば少女犯罪をする」
 のではなくて、
 「オタクならば、現実の正常な(成熟した)女性と交際できない」
 である。まともな人間であれば、現実の彼女と○○したり××したりする方が、よほど楽しい。そういう生物としての正常な方向を逸脱して、変態な方向に進むことを、私は危惧している。
 比喩的に言えば、こうだ。
 「生まれたばかりの猿に、温かなぬいぐるみを与えると、それを親だと思い込んで、成長してからもぬいぐるみばかりにすがりつく」
 これは、すりこみ(インプリンティング)の一種だが、こういう形で、生物としての正常な形態を逸脱して、異常な方向に走ってしまう。……同様のことが、オタクにも当てはまる。女性と(性的に)○○したり××したりすることは、生物の繁殖に役立つが、画像やフィギュアの萌えちゃんにいくら憧れても、生物の繁殖に役立たない。それゆえ、オタクの行動は、生物の正常な行動を逸脱している。つまりは、「生物としてこわれている」のである。

 で、生物として壊れたような行動を取ると、さまざまなおかしな行動を取るようになる。それでも、普通は、たいして問題は起こらない。
 とはいえ、稀に、とんでもない方向に進む人も出てくる。こういう連中と、少女犯罪を犯す連中とは、どちらも「生物としてこわれている」という点で、共通するのだ。
 だから、私の主張の趣旨は、「生物として壊れないようにしよう」「正常な人間になろう」「精神を正常に発達させよう」ということだ。それだけが私の主張の趣旨だ。
 ここからは、「オタクはみんな少女犯罪をする」というような結論は出てこない。ただし、オタクというものは、表面的に表れた言葉だけを理解して、奥にある論理を結びつけることをしない。いちいち噛んで含めるように教えてあげないと、物事をちゃんと理解できない。
 というわけで、彼らのために、本項では噛んで含めるようにして記述した。とにかく、私の主張の趣旨は、「生物として壊れないようにしよう」「正常な人間になろう」「精神を正常に発達させよう」ということだ。
 もう一つおまけで言えば、「オタクは下劣だ」と非難しているのではなくて、「病気を治して健康になりましょう」と治療したがっているのだ。いじめているのではなく、優しくしたがっているのだ。(だけど、オタクには、誤解されてしまう。)

 [ 付記 ]
 (1)
 精神的に未発達な人間が、自分と同様に成熟していない少女を好むのは、きわめて自然なことである。それは、オタクであれ、異常性欲者であれ、同様だ。両者は同じグループに含まれるが、等号では結ばれない。正常な人間から見ればどっちも異常者だが、異常者のなかでは両者は区別される。
 (2)
 生物として壊れた人間が増えると、成熟した女性と交際しようとせずに(あるいは交際しても気味悪がられて破局するので)、少子化が進む。それは社会的にも、困ったことなのである。
 (3)
 あなたがまともな人間であるかどうかは、国語力を調べるとわかる。次のテストをご覧ください。
  ATOK による日本語チェック
 これは最後に採点表が付いているが、かなり大甘である。何しろこの問題は、たかが大学入試の普通レベルにすぎないからだ。大学入試の数学の問題に比べれば、はるかに平易である。満点で当然。……で、5点以下なら、オタクの要素は十分にある。言語能力の欠落。

 [ 余談 ]
 ゲーム・萌えのオタクとは別に、軍事オタクというのもある。前原がそうだ。ほかの政治のことは一切ほったらかして、軍事の拡張ばかりに熱中している。自衛隊の強化やら、憲法改正やら、米国への従属やら、中国との戦争ごっこやら、軍事のことばかりが報道されていて、それ以外のことは一切やらない。軍事オタク。
 こういうオタクを見れば、「ひどいものだ。ただ一つのことしか考えられない。思考が偏っている。国民を幸福にするという肝心のことをすっかり忘れている」と気づくだろう。
 ただし、他人から見ればそうなのだが、本人はさっぱりそれに気づかない。「自分は正当だ」とあくまで思い込む。どんなオタクも、そういうものだ。
 なお、萌えのオタクがどれほど女性から気味悪がられているかということは、女性の書いたあちこちの随筆や漫画を読むとわかる。(たとえば週刊「SPA!」の倉田真由美の漫画。)……オタクというものは、その性質ゆえに、女性に気味悪がられて、なかなか恋人ができなくなるし、たとえできても破局しがちなのだが、そのことにさっぱり気づかなくなっている。「彼女がいない → 萌えにはまる → 彼女がいない → 萌えにはまる」という悪循環。
 だから、この悪循環を脱するようにと、私は勧告しているのだが、オタクというものは、なかなか萌えの泥沼から脱することができないのだ。で、かわりに、自己を正当化する。「自分は正しい!」と。前原同様。他人に指摘されても、どこが間違っているのか、さっぱりわからないわけだ。
 オタク「南堂はゲームや萌えちゃんのことも知らずに、オタクを批判するから、けしからん! ぼくちゃんは正しい!」
 前 原「南堂は軍事のこともろくに知らずに、軍事オタクを批判するから、けしからん! ぼくちゃんは正しい!」


● ニュースと感想  (12月11日b)

 「言語能力と思考能力の不足した判決」について。
 「ビラ配りを住居心外だから有罪にする」という判決が出た。(各紙・夕刊 2005-12-09 ,朝日社説 10日
 ネットでは情報が少ないが、新聞ではかなり情報がある。で、集合住宅の通路に入って、各戸の新聞受けにビラを投じたのが、「住居侵入」に当たると認定された。
 馬鹿馬鹿しくて話にならない。言語能力と思考能力の不足した判決である。以下、説明。

 まず、集合住宅の通路というのは、半分公共の場所だから、ここを「住居」と見なすのは、拡大解釈だろう。「住居」というのは、人が生活して暮らすための場所である。不特定の見知らぬ人間(居住者の友人や宅配便業者を含む)が通る場所は、戸外に近く、住居とは呼びがたい。いくら屋内で、管理者がいるとしても、そこを「住居」と呼んで、「住居侵入」と見なすなんて、頭がイカレているとしか思えない。
 また、そこを住居と見なすのであれば、新聞受けにビラを投じたことは、特に「住居侵入」ではあるまい。通路が住居であるならば、新聞受けも住居であるから、「住居侵入」にはならず、「住居内の移動」になるだけのことだ。
 要するに、あるときは「通路は住居だ」と認定し、あるときは「通路は住居外だ」と認定する。論理が矛盾している。
 さらに言えば、「新聞受けにビラを入れることが住居侵入」に相当するのであれば、新聞配達や郵便配達もまた、「住居侵入」になってしまう。
 さらにまた、各戸を誰が訪れるかは、各戸の人が自分で決めるべきであり、それにもかかわらず、管理者が「ここを通ってよい」とか何とか勝手に裁定することは、権限の逸脱である。一般に、「奥まった土地までの経路」となる通路は、管理者の権限が及ばずに、奥に住んでいる人の自由に任せられる。これは民法上の規定ないし判例による。各戸の外の管理者が勝手に「通ってはいけない」なんて決める権限はないのだ。

 ただし、以上のすべては、二の次の話にすぎない。肝心の話は、こうだ。
 「たかがビラ配りをしたぐらいで、警察に逮捕され、75日間も留置場に留め置かれた。あげく、解雇されてしまった」
 こんなことを許容するのは、民主主義の国家ではない。たかが「有罪でも20万円程度」のことで長期にわたって逮捕し、その一方で、交通事故で人に大ケガをさせてもあっさり釈放されるなんて、本末転倒であろう。非民主的な独裁国家。
 どれもこれも、小泉が悪い。小泉が「米国に忠誠を誓うために、イラクへ自衛隊派遣」なんて騒ぐから、こういう独裁国家になる。「独裁者のフセインを打倒せよ。そのためには、ありもしない大量破壊兵器をあると偽って戦争しよう」なんて主張する、そういう独裁者が日本にいるわけだ。独裁者と独裁者が喧嘩し合って、そのせいで、日本から民主主義が奪われる。反対の意見を上げると、逮捕される。
 私もまた、そのうち、逮捕されるかもしれない。
 「国道は国のものだ。ここを管理しているのは国だ。国の許可を得ないで通ったから、おまえを逮捕する!」
 かくて、私は逮捕されそうだ。独裁国家における反逆者として。


● ニュースと感想  (12月12日)

 「『立ち上がる』という言葉」について。
 → Open ブログ
 この Open ブログをしばらく読んでいない方は、久しぶりにご覧ください。年賀状の情報などもあります。


● ニュースと感想  (12月12日b)

 「少女殺害事件の3回目」について。
 またも少女殺害事件。連続して、3回目。こうなるともう、ただの偶然とは思えない。現代という世相に応じた事件だろう。(80年代以前にはなかった事件。)
 2回目のは猟奇的な殺人かもしれないが、3回目のは犯人が同志社の学生だから、脳が先天的におかしいというよりは、後天的に脳の発達が歪んでいたからだ、と思える。
 後天的に脳の発達障害を起こすものというのは、そうやたらとあるものではない。酒や麻薬のやりすぎで脳を破壊することもあるが、今回のはそうではないようだから、単に、性格の(精神の)発達障害だろう。
 続報によると、犯人は、関西の早稲田・慶應とも言える同志社大学でも、成績は上位1〜2割に入るという。これは、知能が優れているだけでなく、しっかり勉強できるだけの頭があったことになる。そこいらの人間よりは、ずっと優れた脳をもってたことになる。
 ただし、先天的には優れていても、後天的には脳の発達が不十分だった。経験による人格形成がまともにできなかった。赤ん坊のころからテレビばかり見ていた子供がまともな人格にならない(人格が破壊される)のと同様だ。
 こうなると、原因として疑わしいのは、やはり、アレしかないですよね。

 [ 付記1 ]
 識者は再発の予防策として、「教室に監視カメラを」なんて叫んだりするが、今回の事件では、監視カメラをOFFにして犯行に及んでいた。計画的犯行に見えるが、実行後は逃げずにさっさと自分から110番通報してきたのだから、利益を狙った計画的犯行というのとは違うだろう。「教室に監視カメラがあれば予防できる」というのは、見当違いだ。
 この手の犯人は、「計画的に合理的に行動する」と見るより、「人格が破壊されたせいで、自分で自分を制御できなくなっている」と見るべきだ。脳で言えば、左脳や右脳の知能がイカレているのではなくて、前頭前野の制御能力が発育不全になっている。……従来からある「粗暴犯」(脳全体が先天的に劣悪である)というのとはタイプが異なる。
 こういう犯人の犯行に対処するには、「犯人はほとんど狂人だ」ということを前提とするしかない。監視カメラなんか、無意味である。犯行を抑止することはほとんど不可能だ。対処は、次のいずれか。
  ・ 犯罪者そのものを、あらかじめ領域から排除する
  ・ 犯行開始後に、エスカレーションを防ぐ。
 そのいずれにも、「誘拐防止機器」は、それなりに役立つ。

 [ 付記2 ]
 こう書いたあとで、続報が出た。
「『あっちへ行って』と言われ、かっとなってやった」「日ごろから相性が悪かった」。京都府宇治市の学習塾「京進」宇治神明校で10日朝、同市立神明小6年堀本紗也乃さん(12)が刺殺された事件で、逮捕された塾アルバイト講師の萩野裕容疑者(23)は、府警の調べに、犯行の動機をこう話した。
( → Yahoo ニュース
 これが犯行の動機だという。「喧嘩の動機」ならわかるが、「殺人の動機」である。……つまり、事件の本質は、「自己の制御・抑制ができなくなったこと」だ。それが本質だ。
 ここでは、「小さなきっかけ」と「きっかけを殺人にふくらませる原理」との区別をしよう。その原理こそが問題だ。人格形成の阻害。


● ニュースと感想  (12月12日c)

 「3Dアニメと2Dアニメ」について。
 ディズニーが3Dアニメに専念し、2Dアニメから撤退する、という報道があった。これについて、「日本のアニメは宮崎駿の2Dアニメがあるから当分は大丈夫だが、日本でもそのうち3Dアニメばかりになるかもしれない」という趣旨の記事があった。(3週間ほど前の朝日新聞。)
 しかし、この件は、心配いらない、と思う。次のことがあるからだ。
 「3DのCGで書かれた人間は、極端にデフォルメされた幼児向けのものしか、面白くない。リアルなCGで描かれた人間は、不気味すぎる。そういうCG映画もあるが、人間が不気味なので、さっぱり受けない」
 3DのCGで書かれた人間というと、しいて言えば、ファイナルファンタジーのような3D漫画チックなもので、これなら、いくらか受け入れられる。しかし、これがどんどんリアルになっていくと、どんどん不気味になる。リアルになればなるほど、情報量の不足がはっきりして、人間らしくなくなり、気持ち悪くなる。

 まともな人間が漫画を見ておもしろがるのは、それが漫画チックであり、リアルではないからだ。漫画を漫画としてみているからであり、リアルな人間の代替としては見ていない。画像をリアルにすればいいというのは、歪んだ発想だ。
 というわけで、まともな大人を描く作品では、2Dのアニメが衰退することはない、と言えよう。一方、幼児向けの作品では、デフォルメされた3Dが流行るだろう。幼児向けの作品(および精神未熟な人向けの作品)では、「リアルっぽいものがいい」という発想は成立する。
 とはいえ、まともな大人にとっては、アニメはアニメにすぎないのだから、リアルさなんて気持ち悪いだけだ。当然、2Dが主流だろう。最近、ヤギと狼を描いた童話ふうのアニメが上映されているが、こういうふうに、リアルさよりも芸術性で訴える作品こそ、好ましい。大人にも、観賞に堪える。(ディズニーの3Dは、大人の観賞に堪えがたい。幼稚すぎ。……もともと対象年齢は5歳ぐらいだが。)

 [ 付記 ]
 正常とオタク(萌え)との違いは? 
 前者は、漫画を漫画としてみているので、漫画を現実の女性とは区別している。後者は、フィギュアを現実の女性の代替として扱うので、現実とフィギュアとをなかば混同している。
 後者の気味悪さは、男性を女性に置き換えると、はっきりする。
 前者の男性は、現実の女性のかわりに、女性フィギュアをいじるばかりなので、恋人ができない。後者の女性は、現実の(自分の)赤ちゃんを育てるかわりに、キューピー人形をあやすばかりなので、(自分の)赤ちゃんを死なせてしまう。
 男性の役割放棄と、女性の役割放棄。ほとんど同様である。どっちも異常。ただし、オタクというものは、萌えオタクであれ、キューピーオタクであれ、自分が異常であることに気づかない。
 かくて世の中には、異常な人間が蔓延する。あげく、ときどき、変な事件が起こる。ちょっと変な人間が百万人いれば、そのうち何人かは特別おかしくなるものだ。確率的な原理。……オタクには理解できないでしょうけどね。
 ( ※ 参考。美少女フィギュアのサイト。  その1 , その2
 (色物なので、真面目な人は見るのをやめましょう。  (^^); )

  【 追記 】
 「萌え趣味」について。
 女性と交際するためには、最低限の条件として、「萌え趣味をやめる」ということがある。これは、「女性に気味悪がられない」という意味もあるが、より根源的に、「好みのタイプを間違えない」ということがある。
 萌え趣味になると、現実の女性にも萌えっぽいのを求めるようになる。しかし、現実の女性は、そんなタイプはいない。いるとすれば、あえてコスプレをやるコスプレギャルだろうが、それだって、フィギュアやアニメの萌えちゃんとは全然違う。
 趣味の方向が全然狂っているわけだ。手っ取り早く言えば、変態趣味である。だから、女性と交際するには、何よりもまず、萌え趣味をやめることが必要だ。変態趣味をやめることが必要だ。
 「私は萌えファンです」と称して、ブログを公開している人がけっこういるが、こういうのは、「私は変態です」と称しているのと同然である。そして、それは、すごく勇気があるから自分の事実を公開しているのではなくて、自分が悪趣味の変態であることを理解しないでいるからなのだ。……救いようがないですね。
 だから、女性と交際するためには、何よりもまず、自分の変態さを理解することが先決であり、次いで、その変態趣味をやめることが必要だ。そうして初めて、ロリっぽい好みを捨てて、成熟した女性に関心をもつようになる。すると、
「本当は萌えが趣味だが、我慢して現実の女性と付き合おう」
 なんて思わずに、
「萌えなんて、幼稚で、下らないね。現実の女性こそ、すばらしい」
 と思うようになる。
 結語。
 現実の女性と交際するためには、現実の女性を好きになることが第一歩となる。バーチャルな萌えちゃんなんかを好きになっているようでは、いつまでたってもその日は来ない。
 萌えオタクのために教えておくが、現実の女性のすばらしさとは、容姿のかわいらしさにあるのでもないし、×x××できることにあるのでもない。
 カミュという作家は、こう言った。「愛とは女性の体を抱き締めることだ」。── この言葉の意味を実感することが、愛を理解することだ。

( ※ ついでだが、現実の女性に萌えっぽさを求めると、ロリ趣味・少女趣味になる。しかし少女は、ふだん「萌え〜」なんて叫んでいるオタクを相手にしてくれない。「気持ち悪い」と言って、逃げ出す。そのあげく、少女相手の犯罪が起こる。それが前項の事件だ。)

 [ 追記 ]
 最新情報によると、例の大学生は、こう弁明している。
 「(あの子が)いなくなれば楽になると思った」
 「(あの子がいると)バイトに影響が出ると思った」
 失恋した男が女性を攻撃したときの弁明そのものだ。なるほど。やはり、萌えマニア or ロリマニアだったんですね。
 犯人の自宅から、どのくらい萌え画像が出てくることやら。誰か報道すればいいのに。


● ニュースと感想  (12月12日d)

 「恋愛指南」について。
  バーチャルな萌えちゃんじゃなくて、現実の女性と恋愛するには? 
  一般に、経験と失敗を繰り返すしかない。ざっと、百回ぐらい。
 「一回目に申し込んだ女性と最初からうまく行く」と思うのは、虫がよすぎる。
 では、能率を上げて、百回という回数を減らすには? あちこちから知識を得ればよい。本を読むのもいいが、次のサイトもある。
  → 7月18日
   ( 参考情報。…… 5月14日b
 つまり、ずっと前から、ちゃんと恋愛指南しているわけだ。小泉の波立ちって、ホントに、何でも書いてあって、役立ちますねえ。ちょっと検索すれば、何でもかんでもすぐにわかる。

 [ 付記 ]
 女性と交際するときの、成功のコツは? こっそり教えましょう。それは、男性に対するのと、ほとんど同様である。「優しく、誠実に、謙虚に」である。簡単に言えば、「思いやり」だ。
 逆に、嫌われるコツは? 「自己中心主義」(ジコチュー)である。そうなるためには? ゲームばかりやっていれば、そうなれます。

 だからね。「女性にモテるコツは?」という質問には、こう答える。「ゲームをやめること」だ。
 ゲームのかわりに、スポーツであれ、読書であれ、普通に人間らしいことをやっていれば、その趣味を通じて、交際の範囲が広がり、女性との交際もできるようになる。逆に、ゲーム・マシンとお付き合いしているばかりじゃ、永遠に悪循環の蟻地獄から抜け出せない。

 結語。
 基本原則は、「習うより慣れろ」だ。魚に泳ぎを覚えさせるには、水に入れればよく、いちいち泳ぎ方を教える必要はない。それと同様だ。自分で経験して覚えるものだ。逆に、「恋愛ゲームでシミュレーションをすれば恋愛も万全」なんていう発想は、根源的に狂っている。知識を得るために少しやるならともかく、これだけで済ませて片付けるのは、「畳の上の水練」と同じである。愚の骨頂。


● ニュースと感想  (12月13日+)

 前日分への追記。
   → 「萌え趣味について


● ニュースと感想  (12月13日++)

 「ゲームと標語」について。
 昔、寺山修二は、こう言った。
 「書を捨てて街に出よう」
 今、それに習って、私はこう言おう。
 「ゲームを捨てて、バーチャル界の外に出よう」


● ニュースと感想  (12月13日)

 「ディーゼルの嘘記事」について。
 読売に、ディーゼル車の嘘記事が出た。(読売・日曜版 2005-12-12 10:39 )
 最初から最後まで、嘘八百のデタラメづくし。これほど嘘だらけで塗り固めた記事は、初めて見た。たぶん、ディーゼル噴射装置を宣伝するボッシュ社の広告を見て、広告をそのまま記事に仕立て直したのだろう。詐欺師の宣伝をそのまま記事にして、読者を詐欺のカモに仕立て上げよう、という記事。あまりにも悪質なので、指摘しておこう。

 最初に、根本的な誤解がある。
 「日本ではディーゼルが不人気だが、欧州では人気が高い」ということには、根本的な誤解がある。この件は、先日も述べたとおり。一部抜粋すると、こうだ。
 「まず、日本と欧州とでは、事情が異なる。日本では、「狭い日本、そんなに急いで、どこへ行く」という調子で、市街地走行が大半だ。しかし、欧州では、アウトバーンのように、高速道路が多い。(欧州は大半が平原だから、高速道路がたくさんある。日本とは地形が異なる。」( → 8月24日
 さらに、今回の新聞記事について、個別に指摘しておこう。
 誤 → 正 の順で示す。
  1. 「日欧の評価が逆な理由は、(ディーゼル車と)ガソリン車との特性の違いある」→ 車の特性の違いではなく、日欧の地理的な環境の違いによる。日本製と欧州製とで、車の特性が違うわけではない。
  2. 「ディーゼル車とガソリン車の違いは、燃料に使う軽油とガソリンの性質の違いに寄るところが大きい」→ 燃料の違いではなく、燃料の着火方式の違い。機械の違い。(ガソリンのオクタン価を高めてディーゼル燃焼させても構わない。)
  3. (ディーゼルは)構造も単純なため、ガソリンエンジンよりも熱効率が良く、燃費もいい」→ 構造が単純だからではない。構造が単純なのは2サイクルだが、熱効率も悪く、燃費も悪い。構造が複雑な4サイクルが、熱効率も良く、燃費も良い。正しくは、「圧縮率が高いから」である。これにより、熱力学の基本原理により、熱効率が上がる。……記者は、物理学の教科書の「熱効率」の箇所を読み直しなさい。(オットーサイクルという語も学ぶべき。)(ついでに言えば、ディーゼルでなくてミラーサイクルエンジンでも、同様のことは可能だ。)
  4. 「エンジンの高出力化も図りやすい」→ エンジンの高出力化は原則として困難。ディーゼル車の出力はガソリン車よりもかなり低い。ただし、大排気量化によって、絶対出力そのものは大きくできる。しかし、そんなことをやれば、エンジンが馬鹿でかくなり、自動車としての実用性がなくなる。……船舶の巨大エンジンは、ディーゼルで何万馬力もあるし、大型トラックの巨大エンジンも、ディーゼルで何百馬力もあるが、これを「自動車の高出力化」と称するのは、とんでもない。
  5. 「ノッキングなどの誤動作が少なく」→ ディーゼルはノッキングがないのではなく、ノッキングを着火として組み込んでいるだけのことだ。また、ガソリン車でも、最近のは電子制御だから、ノッキングなどは起こらない。ノッキング検出器が付いているからだ。
  6. 「粒子状物質・黒煙の排出量が多い」といった短所は、最新技術で改善しつつある。→ いくら改善しつつあっても、絶対量はかなり悪い。87%の削減だから、13%は残っている。まだまだ汚い。有毒ガスだ。いわば、百万円を盗む泥棒が、13万円盗むだけに改めたからといって、これを「87%の削減だから劇的な改善です」「善行です」と称するのは、詐欺的な詭弁である。
  7. 「地球温暖化問題への関心が高い西欧では」→ 長距離走行(ロングドライブ)の多い西欧では。つまりは、世界のためではなくて、自分の燃料代の節約のためだ。地方における長距離連続走行では、ディーゼルの効果が大きく、都会における短距離走行では、ハイブリッドの効果が大きい。(ほぼ常識。なのに記者は、こんなことも知らないんだね。呆れる。)ちなみに、日本でも、北海道では、長距離走行(ロングドライブ)が多いので、ディーゼル車は普及している。
  8. 日本では「排ガスのすす=公害」というイメージが強い → イメージじゃないでしょうが。現実の問題でしょう。ふざけるな、と言いたいね。水俣病の猫も、サリドマイドの問題も、現在の多大な花粉症も、ただの「イメージ」なんですかね? そう思うのなら、ディーゼル車の排ガスを、たっぷり胸に吸い込んでみるがいい。どうせイメージにすぎないのだろうから、やってもいいでしょうが。実行してから、記事を書くべし。
  9. 「燃料の軽油は日本ではガソリンより安い」 → 単に税が低いだけだ。安いのではなく、安くしているだけだ。(税の減免だから補助金を与えているのと同じだ。)実は、ガソリンも軽油も、原価はたいして変わらない。ただし軽油の方が、かなり税が低い。国民の健康を悪化させ、花粉症の被害を拡大するものほど、かえって税が安いのだ。そこを見失っている。(なぜそうするか? 国民は花粉症で数千億円の薬代〜数兆円の能率低下という損害が出るが、ディーゼル車を使う産業界だけは、数百億円の利益が出る。国民に莫大な損失を与えて、産業界だけは少しの利益を得る、という構図。日本の政府は、国民のためでなく産業界のためにあるから、こういう馬鹿げたことをやる。)
  10. 「最も低公害なのは、ディーゼルハイブリッド」→ ディーゼル同士なら、ディーゼルよりは、ディーゼルハイブリッドの方がいい。だが、他にも、ガソリンハイブリッドもあるし、ミラーサイクルもあるし、電気自動車もあるし、天然ガス車もあるし、エタノール車もある。これらをすべて無視した暴論。泥棒は殺人よりもマシだから、泥棒は正しい、という理屈。
  11. 「2009年にはディーゼル車の排ガスはガソリン車と同程度まで浄化される見通しだ」→ そのころには、ガソリン車はもっとずっと改善されているのだから「アルキメデスのパラドックス」ふうである。追いついたと思ったときには、相手はもっと先に進んでいて、永遠に追いつけない。……ついでに言えば、いくらか追いつけると見えるのは、最高水準のディーゼル車だけだ。それ以外の大多数のディーゼル車は、ずっと悪い。最善のディーゼル車を、最悪のガソリン車と比較して、「並んだ」と称する。詭弁。
 結局、最初から最後まで、嘘だらけの記事。真実はまったく書いてなくて、真実とは正反対のことばかりを書いている。
 詐欺的なボッシュ社の宣伝を丸写しした提灯記事。最悪なのは、理系の知識がまったくない記者が、技術的な記事を書いて、しかも、専門的な誰からもチェックを受けていない、ということだ。
 読売の自動車記事は、毎週連載しているが、毎度毎度、基本的な誤解に満ちている。専門知識のある読者から見れば、噴飯ものの記事ばかりだ。即刻、連載をやめるべし。そうすれば、虚偽の報道がなくなる。
 どうしても連載するのならば、まともな知識のある人が自力で記事を書くべきだ。「他人の書いた広告やカタログを丸写ししてお茶を濁す」というような、下らない最悪の記事ばかり連載するのは、絶対にやめてもらいたい。(読売の記事が毎度毎度、広告やカタログの丸写しだということは、一目瞭然である。広告を記事と称するフリーペーパーになってしまっている。有料のくせに。)
 朝日のコンピュータ記事も、毎度毎度ひどいものが多いが、最近は、悪化がいくらかは収まってきたようだ。読売の自動車記事は、メチャクチャにひどい。史上最悪レベル。その効果は、「公害を広めて、日本を公害だらけにすること」である。
 たとえて言えば、「水俣病を広めよう」「サリドマイドを拡大しよう」というのと同様。それに似て、「花粉症を拡大しよう」という記事を掲載している。悪魔的。

 最後に一言。
 環境の改善のためになすべきことは、ガソリン車をディーゼル車に変えることではない。無駄な自動車の運転をやめることだ。個人の運転では、かなりの部分が、無駄なドライブである。ちょっとした買物にさえ車を使うことが多いが、これを、自転車に変えれば、それだけで、莫大な効果が生じる。
 つまりは、無駄な自動車運転を促進する読売の記事自体が、環境悪化をもたらすのだ。「燃費の改善に努めよう」なんていうバカ記事を書くよりは、「自動車をなるべく運転しないようにしよう」と書くべき。あるいは、せめて、「できるだけ小排気量の軽自動車やリッターカーにしよう」と書くべき。「大排気量のランドクルーザーやベンツEクラスは、ディーゼルだから、燃費がとてもいい」なんて書くのは、嘘八百である。

 [ 付記 ]
 排ガス対策の先進地は、欧州ではなく、カリフォルニア州だ。そこでの主役は、ディーゼル車ではなく、ハイブリッド車だ。
 こういう基礎情報さえ知らないから、「欧州こそ最先端だ」という思い込みのすえに、とんでもない誤報を記す。げに無知は恐ろしきものなり。

 [ 余談 ]
 おまけで言えば、似た詭弁は、他にもある。「レジ袋の有料化」という説。レジ袋を有料にして、レジ袋の使用量をやめる。その代わりに、厚い材質のゴミ袋を使うか、ゴミ袋を使わないでゴミをあたりに散乱させる。その一方で、ガソリンや軽油を、レジ袋の何万倍も浪費する。……こういう「環境悪化」を「環境保護」と称する。
 マスコミというのは、有害な誤報ばかりを宣伝する。で、それに洗脳されて、国民はだまされるばかりだ。警告する人は、ごく少数。


● ニュースと感想  (12月14日)

 「東証の発注ミスへの対処」について。
 東証で株の発注ミスの事件があった。「61万円×1株」と「1円×61万株」とを間違えて、警告が現れたのだが、それを無視して継続したら、300億円の損害が発生した、という事件。
 この事件への対処として、ミスをした証券会社の側は、取引中止の前の直前の価格にさらに10万円以上を上乗せして支払う予定だという。引用すると、
 「 みずほ証券の株式大量誤発注をめぐる問題で、東京証券取引所の株式清算業務を行う日本証券クリアリング機構は12日、買い注文が成立した投資家に8日の終値(ストップ高の77万2000円)より14万円高い91万2000円で強制的に現金決済する方針を固め、関係者に提示した。損失額はみずほ証券が当初想定していた270億円を上回り、400億円を超す見通しだ。」( → 朝日新聞
 これで大金をもらえる投資家はウハウハだろうが、その分、他の人々が損を受けることになる。他人のミスに乗じて、ありえないはずの利益を得ようとする、詐欺師もしくはクレーマーみたいな連中が、濡れ手で粟のボロ儲け。
 こういうことは本来ならばありえない。なぜなら、通常、裁判となるが、裁判所は逸失利益として「得べかりし利益」を考慮する際、「他人のミスに乗じた利益」なんてものは「社会的不公正」として認知しないからだ。「正常な取引で生じるはずの利益」として、3万円ぐらいを認定する程度だろう。それが常識だ。
 しかるに、会社側は、数百億円もの金を、詐欺師もしくはクレーマーのような連中に与える。なぜか? 自分たちの責任を裁判で追及されたくないからだ。これはまあ、「自分の失敗を隠すため、総会屋の口ふさぎに、会社の金を勝手に流用する」というのと同じである。(業務上の横領と同様だ。)

 翌日の「事故3題」を参照。下っ端の職員は、ささいなミスを咎められて懲戒免職になるが、経営のトップは、どんなに大事件が起こっても、容易に責任を問われない。自分で自分の責任を取ることはない。責任を取らされないためなら、会社の金を何百億円も無駄にすることも厭わない。
 今回のミスでは、ミスそのものには、経営者の責任はほとんどない。しかし、会社の金を莫大に無駄にするということは、経営者の責任なのだ。

 [ 付記1 ]
 と書いたあとで、さらに、東証のシステム不備が露見した。「取引中止を受け入れないシステム設計だった」という。
 だったら、責任は、東証にある。みずほの側が賠償に応じる必要はない。ただし、元もと賠償の必要がないのだから、みずほが勝手に賠償したなら、それを東証に押しつけるのも、正当ではない。
 とはいえ、根源的には、システム設計をしたした会社(富士通)に責任があるんでしょうね。でもって、あっちこっちで大あわてして、払わなくてもいい 400億円を無駄に支払う。
 本来なら、どうするべきか? 高くても、77万2000円を払うだけでよい。現実には、取引解消の手続きと、3万円の支払いをする(77万2000円を受け取り済みなら3万円を上乗せして返却する)だけでよい。
 それで客は損するか? いや、買いたいものを買えなかっただけから、ちっとも損はしない。(パソコンを1円で売る、という誤表記に応じた客が、パソコンを1円で買えなくても、実害が生じるわけではない。ズルで得をできなかっただけ。)
 で、それでもまだ、「どうしても株式が欲しい」とごねる客には、裁判で訴えてもらえばよい。その後、裁判になってから、大量の株式を買ったみずほの側が、市場で株を売却して、株価を下げておいて、1株65万円ぐらいにしてから、その65万円の株を「はい、どうぞ」与えればよい。77万円の現金のかわりに、65万円の株。

 [ 付記2 ]
 他人の下らないミスに乗じて、さんざん金を得ようとするのは、セコすぎる。「得られるはずの利益」なんてものを計算するのだろうが、しかし、「正常ならば得られるはずの利益があったのに、相手のせいで妨害された」というのとは違って、「相手が異常なミスをしたら得られるはずの利益」なんてものは、正当とは認められないのだ。
 例。誰かが財布を落とした。それを猫ババしようとした人が、財布に手を伸ばしたら、財布を落とした本人に、手を踏んづけられた。そこで、猫ババしようとした人は、文句を言った。
 「これはおれが猫ババできたはずだ。あんたのミスに乗じて、おれが利益を得るはずだった。その利益を得ることができなくなったのだから、その分の『得べかりし利益』を支払え」
 これはまあ、とんでもないクレーマーみたいなものだ。誰だって、こんな奴の言うことは、聞かないだろう。しかし、みずほと東証の経営者だけは、素直に聞いて、金を支払うのだ。なぜか? 「どうせ会社の金だから、おれが損するわけじゃない。そもそも、おれのミスがばれたら、おれの評判が落ちる。だったら、会社の金を流用して、ミスを隠蔽する方が、賢明だ」
 で、その効果は? 会社が損をした分、一般職員が、「業績悪化」を理由に、賃下げの憂き目に合う。顧客である融資先もまた、サービス低下の損を受ける。たとえば、みずほ銀行の融資先が、融資金利を勝手に引き上げられる。「いやなら不渡りで倒産だね」と言われて。(似た例はすでに多数ある。)
 あこぎなツケ回し。ツケを払うフリをするが、自分の財布で払うわけじゃない。


● ニュースと感想  (12月14日b)

 「株価と市場原理」について。前項の続き。
 前項では、東証の発注ミスについてあれこれと論じたが、その本質としてある原理的なことを書けば、こうだ。
 「市場で決まる株価は、正当な価格であるとは限らない」
 経済学者は、「市場原理は絶対だ」と思うから、「市場で決まった価格は正当だ」と思い込む。しかし、少数の商品しか扱わないような市場(特定銘柄の株の取引の市場)では、商品数が少ないゆえに、売り手と買い手の操作で、市場は大いに歪められる。たとえば、10万株しかないところに、20万株の買い注文や売り注文が出れば、市場で価格は決まるが、そんな価格は正当な価格ではありえない。バーチャルな価格とも言える。なにしろ、ここでは、「商品がないのに商品の価格がある」という奇妙な事態が生じているからだ。ありもしない架空の商品をめぐる、実在の価格。チェシャ猫の笑いみたいなものです。チェシャ猫は存在しないのに、ニタニタ笑いだけは存在する、というわけ。
 例の終値の77万円ほどの価格は、「売却は架空のものなのに、購入は実在のもの」という変な原理から、異常に価格が高騰しただけだ。これには実体的な意味づけがない。実体的な意味づけとしては、初値の65万円程度が正当であろう。
 かくて、リアルな65万円を見失い、ヴァーチャルな77万円をリアルだと思い込む。そして、そのわけは、「市場価格は正当だ」「市場原理は絶対だ」と思い込むことによる。
 そして、こう信じる阿呆を利用して、詐欺師のような連中が暗躍する。「ありもしない架空の株を先物取引で購入したり販売したりする」という手口で、市場を勝手に操作して、ボロ儲けした連中もいる。
 その例が、ボロ儲けの金で議席を買ったと言われる、糸山栄太郎・元国会議員だ。この手口はあまりにも汚いので、今日では法律で禁止されている。やれば逮捕される。
 で、今回、91万円を頂戴するのは、糸山栄太郎と同様の連中だ。とはいえ、この連中は、金には汚いが、違法であるわけではない。卑しいだけだ。ほぼ違法と言えるのは、無駄に会社の金を浪費する、経営者連中だ。


● ニュースと感想  (12月15日)

 「東証の発注ミス」について。
 東証の発注ミスについては、「事件の原因を探りたい」という声が出ているが、いまだにわかっていないようだ。簡単なことなので、ここに記しておこう。こうだ。
 「人為エラー(ヒューマン・エラー)に対する防護策ができていなかった」

 人間というものは必ずどこかでミスをする。多数の人間が合計で百万回の作業をやれば、そのうち何百回かは小さなミスが起こり、何回かは大きなミスが起こる。これは必然である。……だから、このことを前提として、システムを設計しなくてはならない。しかるに、それができていなかった。このことが、根源である。
 こういう理由で起こる事故はこれまで何度も起こってきた。列車事故であれ、飛行機事故であれ、ヒューマン・エラーによる事故は、何度も何度も起こってきた。そのたびに、「ヒューマン・エラーをなくそう」という努力がなされてきた。しかしながら、ソフトウェアの分野では、人命に関わることがないので、ほとんど無視されてきた。そのあげく、300億円の損害だ。

 今回の事件で言えば、「警告を無視する」というヒューマン・エラーが出るのは予想されているのだから、さらに防護策を採るべきだった。例。
 このくらいの警告は、当然、必要だ。それがないから、 300億円の損害が起こる。つまりは、「それをやるとどうなるか」をチェックしないから、ちょっとした操作でとんでもない大事件が起こる。
 で、これは、あらゆるソフトについて、一事が万事。また、ソフトだけでなく、あらゆる製品開発について、一事が万事。

 [ 付記 ]
 ついでに言えば、政府の経済政策もそうである。
 「その政策をやると、デフレが悪化して、30兆円の損害です。それでもいいですか?」
 経済学者がちゃんと警告しないから、15年も不況が続く。15年の間に警告した人はほとんどいない。(私が例外。)
 たいていの人は、「きっとそのうち回復するさ」とハーメルンの笛吹きをやるばかり。「構造回復で景気回復」「量的緩和で景気回復」「不良債権処理で景気回復」
 一事が万事。

 [ 追記 ]
 あとで判明したところでは、富士通のシステム設計に問題があったようだ。これは「取引解除」を受け付けなかった問題。これはこれで、別の問題。本日別項。


● ニュースと感想  (12月15日b)

 「事故3題」について。
 最近の事故をめぐる話題。

 (1) 松下の石油温風器
 松下の石油温風器の事故。ゴムホースの劣化のリコールでゴムホースを交換したら、ゴムホースがはずれたせいで死者が出た。大騒ぎとなり、対処は、1台5万円を払って全商品4万台の回収。200億円。宣伝費にも 50億円。(朝日・社説 などによる。)
 最初の修理の時点で、「このホースははずれやすくて危険だ」と現場の声が上がったのに、無視したせい。「ちゃんと締めれば大丈夫だ」と強弁して、「ホースの接合の箇所が短すぎる」という指摘を、故意に無視する。あげく、大損して、企業イメージをそこなう。
 では、なぜ、こういうことが起こるのか? 

 (2) 東武の運転士の懲戒免職
 東武の運転士が「運転席に(自分の)子供を入れた」という理由で、懲戒免職になる。「処分が重すぎる」という同情論が多数寄せられたが、「安全のためには厳しくするしかない」という理由で撤回せず。(1カ月ほど前の事件。)
 同情するかどうかは、関係ない。処分が重いかどうかも、関係ない。処分をするということ自体が狂っている。
 第一に、「運転席に子供を入れた」ということはない。運転席の後ろで子供が泣きわめいているから、叱りつけようとしてドアを開けたら、そこをするりとすり抜けて、子供が運転席に入って、ごろりと床に横たわって、泣き続けた。仕方なく、そのまま発射させた。つまり、「運転席に子供を入れた」のではなくて、「運転席に子供が入った」のである。……この伝で言えば、あらゆる犯罪行為に対して、管理者が「おまえが故意に入れた」という責めを負うことになる。たとえば、NYテロでは、テロリストの責任は無視され、ビル管理者がNYテロの最終責任を負わされることになる。(こんなことがまかり通ったら、以後、対策として、とんでもない管理社会になってしまう。自由は消滅する。例。駅からゴミ箱が消える。駅で全員がボディチェックを受ける。)
 第二に、管理責任を問われるなら、当然、上級管理者や社長も処分されるべきだ。末端の一人だけを処分してお茶を濁すのはとんでもない。最小限、社長も減収1カ月は必要だろう。そうしないのは、責任転嫁。
 第三に、安全性なんか、関係ない。子供が泣きわめいて横たわっていても、どうということはない。自動車や飛行機の運転とはまったく違うのだ。(識者の指摘がある。)それでも強いて「万一のこと」を考えて処置をするのであれば、(実害のない)子供を外に出すために、列車のダイヤをメチャクチャに崩すしかない。そんなことでいいんですかね? 
 第四に、「列車のダイヤを崩すと処分する」という体制がある。ちょっとしたミスをすると、すぐに処分される。これが最も肝心だ。
 第五に、今後のことが心配だ。こういう厳しい体制があると、以後、職員は「ほんのささいなミスでも、たちまち懲戒免職だ」と多い込む。すると、気を張りつめて「絶対にミスをするまい」と思うかわりに、萎縮して、「ミスをしたら、ミスを決して悟られまい。ばれたらクビだ。絶対にばれないようにしよう」と思う。……ミスの隠蔽を促進する。

 (3) JR西日本の大事故
 先日、JR西日本の大事故があった。百キロを超える速度で運行して、カーブで脱線して、マンションに激突して、死者が多数。
 この事故では、会社側の厳しい管理体制が問題となった。「ちょっとしたダイヤの遅れでも、厳しく処分する」という体制である。そのせいで、運転士は、遅れを取り戻すために、超高速で突っ走ることを迫られた。あげく、脱線。

 まとめ。
 松下と東武とJR西日本の事件は、いずれも、根っこは同じである。こうだ。
 「厳しい管理体制があるため、ミスが見つかったら、ミスを隠蔽しようとする。」
 事故を防ぐには、小さなミスを小さなミスのうちに対処するべきだ。そのためには、小さなミスをなるべく多く発見する必要がある。そのためには、ミスを露出させる体制が必要だ。
 しかるに、「小さなミスにも大きな厳罰」という体制だと、ミスを露出させるどころか、ミスを隠蔽する体制ができる。その結果、小さなミスが対処されないまま残るので、最後には大きなミスの大事件が起こる。「厳しくすれば済む」という安直な経営体制が、かえって会社を悪化させる。
 これは、ほとんどの会社に共通する体制だ。社長が威張り散らしている会社ほど、そうである。IT系でも、富士通なんか、その典型だろう。当然、大事故が起こりやすい。実際、先月あった東証のシステム障害(プログラムミスによるシステム停止の混乱)の事件でも、富士通の厳しい労務体制が背景にあった。
( → Open ブログOpen ブログ のコメント[2005年11月11日 16:55])

 結語。
 「部下を厳しく律する」という発想の根っこには、安直な能力主義がある。それは「能力主義」という名の責任転嫁にすぎない。つまりは、ただの経営放棄だ。……「経営責任を果たせなければ、(部下でなく)私自身が辞任する」と述べたのは、日産のゴーン社長。それとは正反対ですね。


● ニュースと感想  (12月16日)

 「株価の異常」について。
 例の発注ミスの株価が、異常に高騰している。百万円を超える価格だ。(14日・終値。)
 これを見て、ああだこうだという解釈が出るだろうが、たいして意味はない。前日の分で述べたとおり、実体的には少数しかない株に、全国民の注目が集まったために、大量の買い注文が入っただけだ。要するに、株がもてあそばれているだけだ。実体経済とは関係のないところで、勝手に株価が形成される。
 こういうのは、短期的にはさんざん変動するが、長期的には、当然の値に収束するものだ。似た例としては、NTTの株がある。発行直後に、「政府のやることだから間違いはない」という思惑で、全国民の注目が集まり、大量の買い注文が入った。そのあげく、255万円を越える株価が付いた。で、どうなったか? そのあとは毎日毎日、下落の一途だ。最終的には、どんどん下がったあげく、50万円ぐらいに落ちた。ここでようやく、実態に即した株価になって、一応、底値となったようだ。
 そして、この「毎日どんどん株価が下がる」というのは、異常でも何でもなく、「毎日どんどんメッキ(虚飾)が剥がれる」というだけのことだ。虚偽が真実に近づいていっただけのことだ。
 今回も、当面はしばらく、暴騰するだろう。しかし、それだけのことだ。
( ※ ただし、基本的にはそうでも、細かく言うと、少し違う。デイ・トレーダーたちが、この株価に注目して、1分2分の単位で、利ザヤを稼ごうとしているのだ。つまりは、仕手株による、だましあいである。実体経済に即した株価ではなくて、投機的な思惑による、心理的なマネーゲーム。麻雀で金をかけるかわりに、株式市場で金をかけるわけだ。……というのも、寺銭が、株式ならずっと安くて済むから。とはいえ、こういうのは、バクチの一種である。「いかにして他人をだまして、他人の財布の鐘を巻き上げ野郎か」と思う連中のマネーゲーム。「損か得か」と言えば、頭のいい人は得をするかもしれないが、まともな人間のやることじゃない。「頭はちょっといいけれど良心のない連中」のやることだ。下手をすると、「自分は利口だ」と自惚れたあげく、「もっと利口な連中に金を巻き上げられる」というふうになる。カモは自分をカモだとは思わないから、カモになる。……馬鹿馬鹿しくなってきますね。)


● ニュースと感想  (12月16日b)

 「法律と裁判」について。
 戦争直後に法律を守って餓死した裁判官の話は有名。その記事がある。
 47年10月11日、配給以外の食べ物を拒否した東京地裁の山口義忠判事が栄養失調で死亡した。判事の日記には、こう記されてあった。
「食料統制法は悪法だ。ソクラテスが悪法だと知りつつも、その法律のために潔く刑に服した精神に敬服している。自分はソクラテスならねど食料統制法の下、喜んで餓死するつもりだ」(読売朝刊・社会面 2005-12-14 )
 見上げた精神だ、と褒めるつもりはない。死んでしまったらしょうがないでしょう。愚直というよりは、愚劣。では、理論的に、そのどこがおかしいか? うまく指摘できない人が多いようだから、私が指摘しておこう。そこには次の発想がある。
 「法律は必ず守らなくてはならない」
 これは勘違いだ。正しくは、次の通り。
 「法律はなるべく守らなくてはならない。どうしても守れないような特別な事情のあるときには、守らないのも、やむを得ない。ただし、守らなくていい、というわけではない。かわりに、守らなかったことについて裁判を受ければよい」
 そもそも法律を守れない人がいるから、裁判所というものがある。誰もが法律を守るのであれば、裁判所は必要ない。「絶対に法律を守れ」という発想は、裁判所の存在意義そのものを否定している。

 で、今回の東証の事件との関連は? 
 「原則や規則があるから、それを絶対に遵守すべきだ。さもなくば株式市場への信頼が揺らいで、市場が見放される」
 というのが関係者の発想だ。しかしながら、とんでもない。本来の正常な事態とは異なる例外的な事態について、杓子定規に規則を当てはめても、そんなことで市場が信頼度を増すことはない。上記の裁判官でも、彼が餓死したことで、裁判所への信頼は増さなかった。それどころか「人間らしさをもたない機械的な冷酷な連中だ。こんな奴らの判決を信頼できるものか」というふうに、裁判官への信頼は激減した。
 東証も同様だ。「正常な対処ができない」という能力不足(臨機応変ができない能力不足)をさらけ出しただけだ。
 
 [ 付記 ]
 では、どうするべきか? 法律や規則の想定していない外的な事情については、裁判で決めるのが原則である。それでどうなるかは、12月14日b に示したとおり。ここでは繰り返さない。
 私が裁判官だったら? 「三方一両損」みたいな感じにしよう。顧客は利益を得られない損。証券会社は発注ミスをしたことの責任で損。東証はシステム不備の責任で損。富士通は欠陥システムを納入したことの責任で損。……比率は1:1:1:7ぐらい。富士通の責任が最大だ。(駄目な独裁経営者が諸悪の根源。12月15日b の最後に述べた通り。)


● ニュースと感想  (12月17日)

 「少女犯罪と萌えマニア」について。
 例の同志社大の学生は萌えマニア・ロリマニアだろう、と私は推定していた。そして実際にそうであることが確認された。最新の週刊誌に「あの犯人は萌えマニア・ロリマニアだ」という記事が出ているから、そちらを読むといいだろう。たとえば、週刊朝日。
 私のオタク批判・ゲーム批判については、「少女殺害とオタクは関係ないじゃないか。ペルー人はオタクじゃないぞ」なんていう意見も出たようだが、いやいや、同志社の例でわかるように、オタクはちゃんと少女殺害と関係がある。「少女殺害犯はみんなオタクだ」という極論は成立しないが、「オタクの異常度が高まると少女殺害をすることもある」という説はそこそこ成立するのだ。
 同志社大の学生だって、オタクになっていなければ、少女殺害なんか、しなかったはずだ。因果なことに、生まれたときに萌えちゃんがあふれていたせいで、彼は人生を棒に振った。もし三十年前に生まれていれば、変な趣味をもたなかっただろうから、殺人犯にならずに済んだはずなのに。

 [ 余談 ]
 私はどうして、萌えマニアやロリマニアを批判し、ゲームマニアを批判するのか? 理由は? 
 いじわるだからか? 性格がひねくれているからか? 悪口ばかり言いたがるからか? 自分に優越感を感じて、他人を低脳扱いしたいからか? ゲームに恨みがあるからか? でなければ、ゲーム会社の利益を減らそうとしているからか?
 あなたに立派な思考力があるならば、「小泉の波立ちとはどういうサイトであるか」を考えたとき、ちゃんとわかるはずです。ただし、正解は、選択肢としては示されていません。自分の頭で生み出す必要があります。目に見える画像のなかから正解を選択するのではなくて、目に見えない頭のなかの言葉によって正解をひねり出す必要があります。
 正解は、こちら。↓

【 私はどうして、萌えマニアやロリマニアを批判するのか? その理由は、下記。
 一つの理由は、前にも述べたとおり、読者を「ゲームづけ」から救ってあげたいからだ。とはいえ、私は、ボランティア活動をやりたいるわけではない。このサイトでは、ボランティア活動をやっていることになるかもしれないが、それが第一の目的ではなくて、それは副次的な目的だ。
 もう一つの理由は、私がそういうことをしたいからだ。これこそが真の理由だ。では、なぜ、そういうことをしたいのか? そのわけは、こうだ。
 「世間の人々が真実について黙っているときに、私としては真実を指摘する声を上げたい。」
 つまりは、一種の天の邪鬼である。もともと、小泉の波立ちというサイトの趣旨が、そうであった。たとえば、小泉が出たてのほやほやである弱者であるときには、小泉を守って抵抗勢力にたてつこうとする。小泉が権力者として横暴を尽くすときには、横暴な小泉にたてつこうとする。たいていの人が「長いものに巻かれろ」とばかり、強者を批判せずに口を閉じているときに、私としては、わが身かわいさなんていう立場を捨てて、小泉を大々的に批判する。「こいつは詐欺師だ」と。
 同様に、たいていの人がゲームを批判しないでいるときに、私はあえて大々的に批判する。たいていの親は、「育児なんて面倒臭い。うるさい子供をおとなしくさせるには、ゲームでも与えておけば手間がかからない」というふうに育児をサボりたがる。たいていの馬鹿ガキは、「僕はゲームをやりたいんだ。僕は正しいんだ」とまったく反省能力をなくしている。こういう馬鹿大人や馬鹿ガキに、「お前はこういうことをやっているのだ」と真実の姿を突きつけたいのだ。ちょうど、小泉の「構造改革で景気回復」という嘘を指摘するように、「ゲームはすばらしい、ゲームで幸福になれる」という嘘を指摘したいのだ。つまりは、構造改革やゲームや萌えちゃんというものが描き出す虚構を、「偽物だ」と指摘したいのだ。
 「しかし、あんたは本当に、ゲーム中毒の人に対する思いやりがあるのか?」という疑問を、私に向ける人もいる。冗談ではない。私は優しい言葉で、馬鹿親や馬鹿ガキを救うつもりはない。救うとしたら、尻をひっぱたいて、ひいひい泣かせながら、救うのだ。「優しく救ってほしい」なんていう連中には、「甘ったれるな」と言いたい。(萌えマニアほど、そういうふうに甘ったれる。)
 私が優しく扱いたいのは、社会的な弱者だけだ。たとえば、萌えマニアに殺される少女だ。こういう弱者には、優しくしたい。そのために、萌えマニアには、冷たい水をぶっかけてやるのだ。「冷たい水はいやだ」なんて言っている連中は、発想を根本からひっくり返した方がいい。頭を冷やすべきだ。
 そして、これが、本サイトの方針だ。「優しく扱ってほしい」と思うのなら、冷たい私の水ではなくて、悪魔の与える甘美な媚薬を飲みなさい。で、そういう甘美な媚薬の具体的な例が、甘ったるい萌えの虚像だ。(すると、骨抜きにされ、魂を抜かれ、そのあげく、一部の人は暴走する。)
 ただ、私の方針に対して、「そんな厳しいことを言うと、読者に反発されて、効果がなくなるぞ」という反発も出るかもしれない。なるほど、その通り。反論は、出るだろう。そして、それこそが、私の狙いなのだ。── 勘違いしてほしくない。私の狙いは、読者の頭を洗脳することではない。私の思うとおりに読者を操ろうとすることではない。逆だ。「自分の頭で考えてもらうこと」だ。そのためには、反発してもいいのだ。むしろ、反発してもらって、読者に自分の意見をちゃんと論理的にまとめてもらいたいのだ。そういうふうに「ああだこうだ」と考えてもらうことが、私の狙いだ。
 そして、考えるためには、画像は必要なく、言葉だけが必要だ。なぜか? 抽象概念は、画像にはならず、言葉でしか表現できないからだ。本当に大切なものは目に見えないからだ。(だから私は「本を読め」「文章を書け」と勧告する。)
 そして、私が以上のようなことをギャーギャーとしつこくわめくには、理由がある。それは、こうだ。── 私がゲームや萌えマニアをことさら批判するのは、マスコミがちっとも批判しないからだ。マスコミは権力者におもねるだけでなく、流行におもねる。ITやゲームや流行を「すばらしい」と持ち上げるだけだ。(オウムなどの宗教が神を称えるごとく。)
 たとえば、ゲームについてマスコミが報道する記事は、たいていがこうだ。
 「PS3 と Xbox360 (と任天堂)のどれが最もすばらしいか?」
 こういう記事ばかりがあふれている。そこで私は、こう書く。
 「どれもがクズだ。ゲーム機なんか、みんな捨ててしまえ!」
 これは世論に反逆する記事だ。そして、政府に迎合しないマスコミも、大衆には迎合する。大衆という猫が愚かな行為に走っているとき、誰もがこの猫に鈴を付けたがらない。だから私が、猫に鈴を付けるのだ。
 とはいえ、そんな風変わりことをするのは、私だけだから、たちまち大衆の目の敵にされる。「南堂はトンデモだ」という声が湧き上がる。ゲーム機であれ、イラク人質事件であれ、大衆に敵対するのは大変だ。とはいえ、私はドン・キホーテのごとく、怪物に立ち向かうのだ。駄馬に鞭を当てて。ヘイホー。】

 この部分を選択して、コピーして、エディタに貼りつければ、ちゃんと見えます。

 [ 付記 ]
 アニメの宮崎駿監督の息子が、ファンタジー小説のアニメ化。
   → ニュース
 どうやら宮崎駿監督の指導もあるようだ。けっこう期待できる。こういうのなら、広い年齢を対象とした、優れた作品になりそうだ。
 宮崎駿の作品と、テレビゲームとの違いを、よく考えてほしいですね。ここを勘違いすると、オタク監督のアニメみたいになる。
cf.「イノセンス」という作品。いかにもオタク好みのようだったが、商業的には失敗。……画像はきれいだったが、感動させる心がない。「ハウルの動く城」との差に注意して欲しい。……両者の違いは? 何かを訴えるためにアニメを使う人と、アニメを使うために適当な話をこねあげる人、という違い。テレビゲームで「3D画像がすごい」なんて熱中しているのは、オタクだけだ。本質を見失っている。)


● ニュースと感想  (12月17日b)

 「何のために異を立てるか」について。
 本サイトの基本方針を示しておこう。それは、「真実を示すこと」を目標として、そのために、「複数の視点」を提供することだ。
 「南堂久史はどうせただの天の邪鬼で、勝手なことを言っているだけだろう」
 と思っている人も多いだろうが、そうではない。(天の邪鬼であることを否定はしないが。  (^^); )
 私は、別に、単に世論に対して反論を出したいわけではなくて、世論が単一の発想に凝り固まっているときに、それへのアンチテーゼを出して、世の中に複数の視点を提供したいだけだ。たとえば、世間が「白」という意見一色に染まっているときに、「黒」という意見を出して、複数の意見を提供する。すると、人々は、二つの意見を読んで、「白だ」とか「黒だ」とか「灰色だ」とか、いろいろと論議をなすことができる。
 ここで、私は「白だ」という件については何も言わず、単に「黒だ」とだけ言う。なぜなら、「白だ」という意見は誰もが何度も聞いているから、いちいち言う必要はないからだ。(陳腐。)
 で、私の「黒だ」という意見を聞くと、「南堂の言っていることは極論すぎる」という反論も出るが、それはそれでいい。極論だと思うのなら、中間的な「灰色」や「ねずみ色」の意見を取るのもいい。私は別に、「黒だけが正しい」と主張しているのではなくて、「黒という意見を存在させる」ということを目的としている。存在しなかったものを存在させることが目的である。その意見を世間一般に押しつけることが目的ではない。私の意見を強要することが目的ではなく、読者に二つの意見の間で考えてもらうことが目的だ。

 ところが、主流派の人には、こういう発想はなかなか理解できない。彼らの主張の目的は、「白だ」という自分の意見を絶対的と見なして、異論をすべて封殺することにある。複数の意見の存在を拒否して、単一の意見に染め上げることにある。つまりは、「言論や発想の独裁体制」である。思想の独裁主義。思想の反民主主義。
 こういう発想は、政治の世界では、非常に強い。たとえば、日本では、保守派の意見が大半を占めているが、それだけでなく、少数派の意見を認めず、弾圧しようとする。
 たとえば、よくやるのが、読売や産経新聞で、世の中で朝日新聞だけが異を立てると、しきりに攻撃する。別に、朝日が権力を握っているわけではないし、自民党と保守派が権力を握っていて、自分たちの好きなようにやっているのだが、それに対して反論が出ると、たちまち弾圧しようとする。「異なる意見を歓迎しよう」というのではなく、「異なる意見を封殺しよう」とする。でもって、しきりに、朝日攻撃をやる。朝日の意見が気に食わないのなら、その意見について個別に反論すればいいのだが、ほとんど人格攻撃のような形で、朝日という存在そのものを批判する。なぜか? 自己とは異質の存在を許容できないからだ。
 
 政治の世界ではこういうことはよくあるが、驚いたことに、最近では、個人が勝手に朝日の批判をやったりする。ネットには朝日批判のサイトが乱立しているし、イラク人質事件では政府批判をする人々を猛烈に攻撃した。
 こういう連中は、政府の片棒を担いでいるだけであり、何か有意義なことをやっているわけではない。政府が「こうしよう」と思っているときに、その露払いの形で、政府による国民弾圧に加担する。で、それに抵抗する人々をも、いっしょに攻撃する。……つまりは、政府の犬である。
 日本政府は米国の犬だが、日本国民のうちの保守派もまた日本政府の犬である。犬の犬だから、犬というよりノミみたいなものかもしれないが。
 で、世間にこういう風潮があふれているから、私はあえて、主流派に異を立てるわけだ。誰も彼もが犬の犬(ノミ)になろうとしているから、私はそれとは別の立場を取ろうとしているわけだ。それは、「人間としての立場」つまり「自分の頭でものを考える」という立場だ。
 そして、そのために、複数の視点を提供する。世間では、経済であれ、政治であれ、テレビゲームであれ、特定の流派に染まる傾向が強い。多数派が「白だ」と言えば、全員がそれを信じがちだ。そこで、私は、あえて異を立てる。……それが私の立場だ。ただし、その場合、たいていは「トンデモ」と呼ばれるが。(裁判で吊し上げられないだけ、ガリレオよりはマシですかね。)


● ニュースと感想  (12月18日)

 「カネボウの再生と解体」について。
 カネボウの再生計画が決まった。売却先は、花王。(各紙報道 2005-12-17 )
 で、これはいったい、何なのか? 政府はこれを「構造改革」とか「産業再生」とか称した。「産業再生機構がこういうことをやれば景気回復」という主張で会う。しかし、産業再生機構のやったことは、何だったか? カネボウの再建か? いや、帳簿をきれいにして、解体・バラ売りしただけのことだ。それを単に「再生」と称する。
 これは、日産ゴーン流の「企業再生」とはまったく異なる。むしろ、村上ファンドの狙う解体・バラ売りと同じである。
 こんなものを「再生」と称する産業再生機構など、何の価値もない。(しいていえば、国民をだまして、小泉の支持率を上げることだけが効果だった。詐欺師の道具。)

 「産業再生機構は、カネボウの粉飾決算を整理して、帳簿をきれいにした」という説もある。しかし、結局のところ、全部をまとめれば、花王が払う金は、4400億円程度である。そして、この額は、「産業再生機構が乗り出す前に、花王が支払うと予定していた額」と、まったく同じである。
 要するに花王が4400億円程度を払って、花王が(日産のゴーンのように)カネボウを再生する、という点では、まったく同じである。違うのは、次のことだ。
 「二年ほどの期間に産業再生機構が帳簿を検査して、それを再生と称した。産業再生機構が、自分の手柄と称することができた」
 「しかしながら、二年ほどの間に、経営革新はほとんど進まなかった。つまりは、貴重な期間を無駄にした」

 ま、巡り巡って元の木阿弥、ということであれば、特に悪くはなっていない。とはいえ、これを「すばらしい」と称するのは、愚劣の極みだ。とんでもない錯覚。
 産業再生機構という組織は、ただの無駄なのである。民間ができることに、政府が無駄に介入しただけだ。ま、しいていえば、政府は4200億円程度を投入して、4400億円程度を花王から受け取るから、200億円程度の利益を上げたことになる。しかし、これでは、外貨預金の金利程度にすぎない。しかも、その利益の分のいくらかは、産業再生機構の職員の人件費に食われてしまった。

 まとめ。
 産業再生機構という組織は、何の効果もなかったが、そこに巣くう連中が、職を得て給与をもらえる、という効果だけはあった。死者にむらがり、死者を食い物にする。ハイエナみたいなものか。

 [ 付記 ]
 以上のことを書いたのは、実は、二週間ほど前だ。
 で、17日になって朝日新聞を開くと、私の意見とほぼ同趣旨の産業再生機構批判がデカデカと掲載されている。これにはびっくり。
 朝日はこれまで何度も、「産業再生機構で景気回復が実現できそうだ、万歳」という提灯持ちの記事を掲載していた。政府の犬であったわけだ。それがどういう風の吹き回しか、政府を堂々と批判している。
 なぜか? たぶん、二年たって、ようやく、妄想と現実との食い違いを理解できたのだろう。最初は「馬券を買えば必ず当たりますよ」という夢をさんざんふりまいてきたが、二年たって、レースが終わってみれば、馬券がはずれ馬券であることが判明した。で、結果がわかったあとで、「何だ、ハズレじゃないか」と文句を言っているわけだ。
 ま、結果がわかったあとでなら、馬鹿でも結論はわかる。そういうことのようだ。どうせなら、二年前に、同じことを書けばよかったのに。「小泉の波立ち」には、ちゃんと書いてあったのだから。
 二年遅れ。今回の記事は、二年も遅れた記事だ。特ダネとは正反対。周回遅れ。二年も。( → 過去記事の一覧
 ま、それはただのイヤミだが、こういうふうに見解を百八十度転換したからには、そのことをちゃんと説明するべきだろう。「以前はずっと白と言っていきましたが、一転して今度は黒と主張することにしました。その理由はこれこれです」と。
 で、その理由とは? 「私たちは馬鹿でした」と告白することだ。それができないから、昨日の自分を他人のごとく扱って、知らぬ顔の半兵衛でいられる。


● ニュースと感想  (12月18日b)

 「前原民主と自民党」について。
 民主党は、前原以前は「自民党は違います。公明党みたいに第二自民にはなりません」と言っていた。しかし今では党首が、「自民党と同じです」と言っている。というか、「小泉自民党よりももっと自民党的です」というふうに言っている。すっかり変節してしまった。
 で、「だったら自民党と合体しろ」と思うのが当然だろう。実際、小泉首相は、「民主党と合併したい」と申し出た。つまり、「民主党を吸収したい」と。これを前原は即座に拒否した。だが、おかしなことだ。「自民党と異なるから」という理由で合併を拒否するのならわかるが、もはや自民党と同じことを主張しているのだから、別々の党になる必要はない。
 この件に関する限り、民主党の吸収を申し出た小泉は、まったく正当である。論理的にも政治的にも、まったく正しい。私はいつも、小泉批判をしているが、この件に関する限りは、小泉に全面的に賛同する。小泉にとっては、そうすれば「大政翼賛会ふうに挙国一致政党を作れる」という思惑なのだろうが、ま、そういう個人的な思惑は別として、その方針は誰にとってもまったく正しい。前原としては、本来、この申し出を受け入れるべきである。私が同じ立場だったら、即座に受け入れますね。で、前原の立場としては、防衛大臣になります。それで前原は満足でしょ。他の保守派だって、民主党を吸収できれば、大万歳であるはずだ。

 さてさて。
 ここまで読んだ読者は「変だな」と思うだろう。「いつものヒネリが書いてないぞ。ピリリと辛い話がないぞ」と訝しむだろう。その通り。肝心の話は、これからだ。
 こうやって誰もが満足するように「挙国一致政党」ができたとしよう。で、そのあとで、それが分裂してしまえばいいのだ。合体後の分裂。
 巨大政党は、いったんできれば、分裂するのが、世の常である。デタラメぞろいの自民党と民主党(似た者同士)の合体政党が、いったん形成されたあとで、あらためてに分裂してしまえばよい。これはちょうど、細川新党ができたころの状況だ。あのころは、細川や小沢などの小政党が分立していたが、中選挙区制だったからだ。今なら、小選挙区制だから、大政党が二つできるはずだ。
 で、そのあとは、「小泉や前原などのタカ派」と「もうちょっとリベラルなハト派」とに別れるだろう。それで、振り出しだ。ガラガラポンとなる。かくて、政治は解体・再構成される。
 現状は? 「自民党という看板」(と血縁)だけで、地方では議員が決まってしまっている。こういう現状を、何とかしたい。どうせ国民は、「改革」という言葉に弱い。小泉が退陣したあとは、どうせまた古臭い自民党政治が続くのだろうから、やはり、解体・再構成した方がいいのである。
 それにしても、前原には、驚いた。ハトのフリをしていながら、党首になったらタカの一辺倒だ。これほどにも仮面をかぶっていたとは、私も想像していなかった。まったく、大した詐欺師である。小泉以上の詐欺師だね。
(ただし、早くもそれを暴露してしまったところが、小泉に比べて小物である。愛称は「小泉」ならぬ「マイクロ泉」か。……このサイトがいつの日か、「マイクロ泉の波立ち」になることは、あるのでしょうか?)

  【 追記 】
 小泉が「合併したい」と申し出た、というのは、ちょっと正確ではなく、実は「大連立したい」ということであった。ま、上記では事実関係がちょっと狂っていたが、話の大筋には影響しないので、特に訂正はせず、ここに注記しておくだけに留める。
 これが小泉流の「構造改革」の正体だ。


● ニュースと感想  (12月18日c)

 「前原の『公の精神』」について。
 民主党の定期党大会で、前原が挨拶した。「短絡的な競争原理でなく、公の精神を」と提唱している。17日の朝日のサイトにも簡単な報道があるが、民主党のサイトには全文が掲載されている。一部抜粋しよう。
 これからも、短絡的な競争原理、表面的な効率化の流れと言わざるを得ない面というものに、われわれは毅然として立ち向かっていかなければなりません。BSEの問題然り、アスベストの問題然り、様々な事案で垣間見られる問題というものに、われわれこそが真剣に取り組んでいかなければならないと考えております。
 「官」であれ、「民」であれ、守らなければならない倫理観。いわば、「公(おおやけ)の精神」というものが急速に失われつつあります。その傾向は、子どもを守り、お年寄りを敬うという、日本の地域社会に根付いていた特徴、地域や職域の絆といった伝統的な日本の良さ、強みの崩壊にもつながっています。
 私たちは、公正で誠実な政府を樹立をし、財政再建に真剣に取り組むと同時に、不要不急でムダな歳出を生み出すメカニズムそのものは根絶していかなければなりません。「官」には効率化、「民」には公共性を求めることによって、「官でもなく、民でもない」、「公(おおやけ)」を追求する。あるいは「官であれ、民であれ」、守らなければならない「公(おおやけ)の精神」を追求し、日本固有の良さ、強さ、特徴を引き出すことを目標としております。このことが、短絡的な競争原理、表面的な効率化を追い求める自民党との根本的な違いであると、私は自負をしております。
 もっともらしいことを言っているようだが、根本的に勘違いしている。自民党批判としては正しいが、自分の主張としてはまったく正しくない。
 前原の発想は、こうだ。「官も民も駄目だから、双方を足せばいい。足して二で割るとまずいから、足して二で割らなければいい」
 ま、小学生並みの頭である。誰でも思いつく発想。そして、そういう発想をするのは素人に限られ、物事の本質を何も理解していない。
 例。「ソースも醤油も駄目から、ソースと醤油を両方かければ大丈夫」
 例。「砂糖も塩も駄目だから、砂糖と塩を混ぜて使えば大丈夫」
 ど素人の発想。

 正しくは? 
 「官は官のなすべきことをきちんとやり、民は民のなすべきことをきちんとやる。自分のやるべきことをきちんとやればよく、他人のやるべきことをやっても意味がない」
 前原が例に挙げた建築偽造の問題では、民において「公の精神」が足りないことが問題なのではない。官がやるべきことをきちんとやらないから、民がおのれの欲望に従って暴走しただけだ。ここでは、市場原理というシステムそのものが歪んでいるのではなくて、「市場原理に任せさえすれば万事OK」というふうに野放しにしていたから、市場原理が暴走しただけだ。市場原理をきちんと制御すればいいのであって、市場原理そのものを否定する必要はない。
 そして、市場原理を制御するのは、官の役割であって、そこが欠けていたから、今回の偽造事件は起こった。つまりは、官のデタラメさが原因だったのであって、民がデタラメだったわけではない。99.99%の民は、きちんとしている。ただし、例外的に、0.01%ぐらいの歪んだ連中がいる。そういう歪んだ連中を制御するのが、官の役割だ。民の全体に「公の精神をもて」というのは、お門違いだ。
 前原の主張は、国がやるべきことを放棄して、民間の自浄精神に任せよ、という発想である。「各人がしっかりしろ」という発想だ。その発想のもとで、国民の精神をたたき直そうとする。99.99%の民は、きちんとしているのだが、0.01%ぐらいの歪んだ連中がいるせいで、「お前たちの精神をたたき直してやる」と言って、権力者が精神棒で活を入れようとするわけだ。
 これは、いわゆる伝統的な大和魂の「保守主義」である。呆れたものだ。戦前の大和魂の精神主義が、今になって復活している。まるで70年ぐらいの前のものだ。時代錯誤。……そういう方針が進むと、ついには戦争が勃発する。ありそうな話だ。

 結語。
 前原というのは、ただの伝統的な保守主義者である。民主党にいるのが不思議なぐらいで、どちらかと言えば、「愛国党」にでもいる方がふさわしい。街宣車に乗っている右翼の連中と大差はない。ちょっとオブラートに包まれているだけで、精神的にはガチガチの保守である。

 [ 付記 ]
 クイズ。
 Q 「民主党と自民党の違いは、何でしょう?」
 A 「民主党は自由民主党に比べて、自由が足りないだけ
   ↑ ↑ ↑ ↑  範囲選択をすると、文字が見えます。

 [ 補足 ]
 市場原理との関係で言っておこう。市場原理そのものが間違いなのではなくて、「市場原理さえあれば済む」という発想が間違っている。で、どうすればいいかというと、市場原理を捨てるかわりに、市場原理に加えてマクロ経済学の処方を行なえばよい。「経済は民間に任せておけばそれでいい」と思って政府がサボるのではなくて、政府が自分のなすべきことをきちんとやればよい。つまり、マクロ政策を。
 ところが前原は、政府がなすべきことをやらずに、民間に「公の精神を」というふうに求める。とんでもないことだ。これでは政府のサボり主義は、ちっとも改善されていない。
 しょせんは前原は、「市場原理主義」の一派なのである。「市場原理のちょっと足りないところを改良します」というわけだ。そして、これは、前原の根本的態度でもある。「自民党の足りないところをちょっと改良します」と。
 で、それだけで、自民党との差を明示したつもりになっている。こういうのを「目くそ鼻くそ」という。本人は差を得意になって主張しているつもりだが、他人から見れば「どっちもどっち」「同じ穴のムジナ」であるにすぎない。
 いずれにせよ、「政府のやるべきことをやらない」という無責任主義は、ちっとも変わらないわけだ。


● ニュースと感想  (12月19日)

 「ダム建設の中止」について。
 ちょっと古い話だが、「いい加減な計画のダム建設は駄目」という判決が出た。当然と思える判決であるが、政府(農水省)は、素直に納得していない。「控訴するかどうか検討中」とのことだ。( → Yahoo ニュース
 こういう馬鹿なことを言っているのは、政府そのものである。その責任者は、もちろん、小泉だ。
 しかし、小泉のスローガンは、何であったか? 「構造改革」だ。しかるに、「構造改革」とは正反対の「政府の無駄遣い」を、堂々と推進しているのが、今の内閣だ。
 どうせ「構造改革」を主張して、「政府の無駄遣い」を排除するのであれば、「ダムは無駄」というスローガンにのっとって、全国の大半のダム計画を見直すべきだろう。しかるに、そうもしないで、「郵政事業の民営化」や「道路公団の民営化」で、お茶を濁そうとする。
 本質的には? 民営化というのは、単に、「政府の無駄」を「民間の無駄」に転じるだけのことだ。「無駄の解消」は、なしえない。なぜなら、郵政事業への「民間の参入」がないからだ。実質的には「無駄の解消」がないものを、「構造改革」と称する。それでいて、「無駄なダム」には、莫大な浪費を続ける。


● ニュースと感想  (12月19日b)

 「親子電話の盗聴」について。
 親子電話(固定電話のコードレスタイプ)は、盗聴のされっぱなしだという。電波がデジタル暗号化されていないので、そのまま電波が垂れ流しにされているため。盗聴されたあげく、脅迫されることもあるという。欧州ではほとんどがデジタル暗号化されているが、日本では価格のせいもあって、普及せず。ただし、ケータイは、デジタル暗号化されている。(朝日・朝刊 2005-12-17 )

 対策として、「ユーザーがメーカーにかけあえ」という意見が記事にあったが、メーカーに良心を期待するなんて、根本的に狂っているだろう。市場原理からして、良心のためにコストアップを我慢する、なんてことはありえない。
 また、建築偽装事件からしても、そういう性善説は成立しない、とわかる。

 正しい対策は、こうだ。
 「規制によって、表示を明白にする」
 何でもかんでも放置すればいい、ということはない。逆に、何でもかんでも規制すればいい、ということもない。正しくは、「表示をきちんとする」ことだ。つまりは、「詐欺的な行為をなくすこと」だ。

 具体的には、次の表示を義務づける。
 「この電話機は、盗聴防止対策がなされていません。誰でも自由に、この電話の内容を盗聴できます」
 この表示を店頭で大々的に表示することを義務づける。こっそりカタログの隅っこに記述するだけでは駄目だ。それでは詐欺と同様である。

 結論。政府が民間の取引に介入する必要はない。しかし、政府が民間の詐欺を阻止する必要はある。建築偽装事件であれ、盗聴電話の放置であれ、政府が「虚偽表示」を放任しているところに、根源がある。
 「自由放任・規制緩和」も「政府介入・規制強化」も、どちらも駄目だ。それが私の何度も繰り返したことだ。
( → 11月25日 にも同趣旨)


● ニュースと感想  (12月19日c)

 「ソニーと中国」について。
 ソニーのデジカメが中国で「不合格」扱いされた。ソニーともあろうものがそんなことをやるはずがない、というのが常識だろう。また、ソニー自身も「不具合などはない」と弁明している。

 実は、この背景には、重要な事実がある。
 「中国で圧倒的に人気のあるデジカメは、ソニー製品である」
 ということだ。日本では、画質の点から、キヤノン製品が最もブランド力がある。特に、男性ではそうだ。一方、女性では、サイズ・重量の点から、ソニー製品の人気が高い。
 で、中国では、ソニー製品が圧倒的に人気がある。実を言うと、販売シェアでは、中国の国産品の方がずっと強い(安いから)のだが、人気の点では、ソニー製品が強い。
 となると、中国が自国製品の売上げを増やして、自国製品のブランド力を高めるには、どうすればいいか? そういう国家的戦略の見地から、いろいろと事情を分析できるだろう。

 なお、この背景には、小泉の政治姿勢がある。ソニーがこういう「濡れ衣」を着せられたのは、自業自得だとも言える。「靖国万歳、中国なんか糞食らえ」と小泉が言っていれば、相手からも「糞食らえ」というふうにやられるのは、当然だ。自分がぶん殴れば、相手からもぶん殴られるのは、当然だ。自分はぶん殴っておいて、相手の痛みを理解しなければ、その痛みをいつか自分で味わうハメになる。それだけのことだ。
( ※ 一般に、保守派とは、「ぶん殴ってやれ。そうすれば、いい気分だ」とだけ主張して、「あとで相手からお返しにぶん殴られる」ということを予想しない人のことだ。で、あとになって、相手からぶん殴られると、「予想もしなかった」と驚く。つまりは「イケイケどんどん」のこと。典型は前原。)

 というわけで、ソニーとしては、(政府を支持する)経団連の会長として、馬鹿な人物でない別の人物に期待するしかないですね。おすがりしましょう。さて。その人物は、誰でしたっけ? 

 [ 付記 ]
 キヤノンはなぜ、やり玉に挙げられなかったか? キヤノン製品はソニー製品よりも優れていたからか? 
 「イエス」と思った人は、残念でした。正解は、こうだ。── キヤノンは中国で現地生産をたくさんやっていて、中国経済にとても貢献しているから。例はプリンタ・トナーやデジカメ生産。
 中国人は信義に厚いから、味方を攻撃することはありえないのだ。
 キヤノンは、中国の味方であるが、では、日本の敵か? いや、日本の味方でもある。日本では無人化やセル生産で高付加価値の生産をして、一方で中国では労働集約的な生産をしていている。こうして各国でうまくやっている。頭いいですね。(だからあれよあれよというまに、株式時価総額では、IT業界でトップになってしまった。)
 一方、「中国では人件費が安くて、日本は負けてしまう。日本人労働者の賃下げこそ、不況の解決策だ」なんて主張していた人もいる。こういう能なし経営者が誰かは、ここでは言いませんが。
 実はね。今でも同じことを主張している人は多い。「景気は回復したが、賃上げをすると国際競争力がなくなってしまう」と主張する人たち。そのバカバカしさは、前にも指摘したことがあるので、ここでは述べない。


● ニュースと感想  (12月20日)

 「燃料電池の現状」について。
 パソコンなどのための小型の燃料電池は、ひところ期待をもたせたが、実現は容易でないようだ。目標にどんどん近づくどころか、目標がどんどん遠ざかってしまう。

 この種の小型の燃料電池は、2003年の発表で開発が済んでいた。(最先端の会社での開発報告。)
http://www.toshiba.co.jp/about/press/2003_03/pr_j0501.htm
 「 開発品は平均 12W、最大 20Wの出力が可能です。高濃度のメタノールを使用すれば、約5時間の発電が可能になります。また、燃料カートリッジを交換することで、連続して電源供給が可能となるため、従来のリチウムイオン電池のような充電時間が不要となります。今後は2004年中の製品化を目指し、開発を継続します。」

 製品化は 2004年の見込みだったのだが、現実には、どうか? 2005年末の現時点では、こうだ。
 該当会社での検索

 最新の情報は2005年9月で、こうだ。
 http://www.toshiba.co.jp/about/press/2005_09/pr_j1601.htm

 要するに、パソコン用の5ワットの燃料電池は実用化のメドがまったく立っていないらしい。メドさえない。かわりに、わずか 100ミリ・ワット( 0.1ワット)の携帯用音楽機器のための燃料電池だけがある。それさえも、2007年以降の製品化らしい。(うまく行けば、の話だが。うまく行っても、リチウム電池に勝てるかどうかははっきりしない。リチウム電池なら「機械を充電器に置くだけ」で充電できるが、メタノールをガソリンのようにタンクに入れるのは結構大変だ。)

 この手の燃料電池は、だいたい同じものを、高校の化学部が実験室で作ることもできる。ごく安直なものだ。にもかかわらず、なかなか製品化ができない。たぶん、メタノールという腐食性の強い化学薬品のせいで、製品の耐久性が問題となるのだろう。ここがなかなかクリアできないのだ、と思える。
 これが燃料電池の状態だ。それでいて、自動車用の燃料電池という圧倒的に困難なものを、「2010年の実用化をめざす」と自動車業界はホラを吹いて、それを新聞はまともに報道する。飛行機でいえば、模型飛行機さえ満足に製品化できない状況なのに、セスナ機の製品化を言い出すようなものだ。ホラ吹き。
 確かに、実験室レベルなら、燃料電池はあれこれとできている。しかし、実験室レベルと製品化との間には、天地ほどの開きがあるのだ。たとえば、アポロが月に到達したのは1960年代だが、いまだに宇宙旅行は商業ベースに乗っていない。あえて値を付けるなら、ソユーズに乗ったTBS社員の旅行費(名目は協賛金)が2億円とも言われる。近い将来の富豪向けの(ホリエモンも予約したらしいもの)が 2000万円とも言われる。(数字はいずれも曖昧。)
 こんなのは、とうてい、製品化にはなっていない。1960年代にちゃんと実現したことが製品化されるのと、2000年になってもろくに実現しないことが製品化されるのと、どちらが早いか? 

 [ 付記 ]
 で、どうすればいいか? 「燃料電池と核融合は、製品化には期待しない方がいい」というのが、私の立場。いつかは実現するにしても、私立ちの生きている時代のことではあるまい。
 現時点で期待すべき自動車は、水素自動車と、(キャパシタの)電気自動車と、エタノール車だろう。似ているようでも、メタノール車にはあまり期待しない。
 ま、燃料電池車に期待するくらいなら、流星号にでも期待したいですね。
( ※ この冗談、まるでオタクですね。ついでだが、軍事オタクやプラモデルオタクは、ちっとも有害ではない。なぜか? 現実の女性と干渉しないからだ。萌えオタクは、現実の女性よりも萌えちゃんを愛して、稀に現実の女性を殺すこともある。一方、プラモデルの戦車オタクがどのタイプの戦車を愛そうと、現実の女性とは何ら関係がない。チョロQマニアも、現実のポルシェ・マニアも、萌えオタクとはまったく異なる。)


● ニュースと感想  (12月20日b)

 「危険性の論理」について。
 何らかの危険性を帯びた事象について、論理的な詭弁が広く出回っている。注意しよう。
 典型的なのは、古くからある公害問題だ。水俣病では、政府や企業は、こう強弁した。
 「有機水銀と水俣病とに因果関係があることは証明されていない。証明されていないことに基づいて処置するのは非科学的だ。ゆえに、有機水銀を垂れ流すという現状を変えなくてよい」
 似た例は、煙草にも言える。
 「煙草と肺癌とに因果関係があることは証明されていない。証明されていないことに基づいて処置するのは非科学的だ。ゆえに、煙草ですばらしい幸福になれると宣伝する現状を変えなくてよい」
 ま、その後、因果か関係があることは証明されたが、そのときになって規制をしても、過去における被害はなくならない。

 ここにおける詭弁は、どこにあるか? 「悪いと証明されていないことは悪くないから許容される」というふうに論じていることだ。正しくは、「安全だと証明されていないことは、危険性を感じたら、すぐに停止するべきだ」である。
 こんなことは、誰でもわかるだろう。ところが、このことを理解しないのは、エゴイスティックな企業だけではない。多くの学者が、この手の主張をしている。
 「炭酸ガスの排出と、地球温暖化とは、因果関係があると証明されていない。ゆえに、炭酸ガスをどんなに排出しても構わない」
 ここでは、論理が倒錯している。正しくは、こうだ。
 「炭酸ガスの排出と、地球温暖化とは、因果関係がない(無関係である)と証明されていない。一方で、危険性を疑う根拠は、たっぷりある。実際に、被害はどんどん続出しており、主因として疑わしいのは、炭酸ガス以外にない。こいつが最も疑わしいのだから、こいつの量を現状維持に留めるべきだ。むやみに増やすべきではない」
 ところが、ここを屁理屈の論理にして、「有罪だと決まっていないから無罪」というふうに主張する。で、この「地球破壊」という史上最大の犯罪について、野放しにしようとする。ほとんど狂気の沙汰である。
 で、いつか、この犯人が「有罪だ」と証明されたとしよう。で、地球が破壊されたあとで、「処罰します」と言ったとして、それで済むか? もちろん、済まない。たとえば、カトリーナ水害で死んだ三千人の命は、決して戻らない。
 
 こういうことは、人類は何度も繰り返してきた。水俣病だけではない。何度も何度も、「間違っている」と指摘したことを「まだ科学的に決着していない」という理由で野放しにして、莫大な被害を受けてきた。
 ま、「人類が馬鹿なだけだから自業自得だ。ざまあ見ろ」という解釈もあるかもしれない。しかし、馬鹿なのは科学者であり、被害を受けるのは一般人だ。両者をちゃんと区別するべきだろう。地球破壊の煽動者と被害者を混同するべきではあるまい。

 さらに言えば、最大の被害者は、人類ではなくて、絶滅した生物たちである。人類の勝手な行動のせいで、数限りない生物種がどんどん絶滅してきた。今また、温暖化のせいで、どんどん絶滅していく。なぜか? 理由は、こうだ。
 「温暖化の速度は百年ぐらいの間に急激に進むが、生物がその環境の変化に追いつくにはあまりにも変化が早すぎる」
 自然淘汰などで環境に適応するには、数十万年の時間が必要だ。数十年では足りない。珊瑚がどんどん絶滅していくとき、珊瑚が居場所を変えるには、現状はあまりにも変化が急激すぎるのだ。
 このような急激な環境変化は、恐竜の絶滅期にもあった。あれは一年か二年のことというより、もうちょっと長い期間のことではあったが、その間に、恐竜の全部が滅びた。
 ま、その変化が、地球自身の変化ならやむを得ないが、人類が勝手に大多数の生物を絶滅させていいはずがない。そのようなことは、最終的には、人類自体に跳ね返る。
 その意味は? 現代の人間が未来の人間の環境を破壊する、ということだ。われわれが破壊しているのは、自分自身の環境ではない。環境が悪化したころには、われわれは寿命で死んでいるだろう。しかし、われわれのせいで、われわれの子孫は着実にひどい環境に住むことになる。現代が未来を破壊するのだ。
 これは、自覚と良心の問題だ。それゆえ、ブッシュと小泉には言うだけ無駄だろう。彼らの頭にあるのは、現代の米国大統領の威信を傷つける中東の大統領だけであり、地球全体を傷つける(ことを推進する)本人ではないのだ。

 [ 付記 ]
 ついでに言えば、ゲームや萌えの危険性も、似たような事情にある。ゲームや萌えをやったからといって、今すぐその人の人格が破壊されるわけではない。しかし、「危険性が科学的に証明されていないから」という理由で、ゲームや萌えに入りびたっていれば、やがては何らかの問題が起こる。問題が起こってから「やめておけばよかた」と騒ぐべきではなく、問題が起こらないようにするべきなのだ。
 私が今、ゲームや萌えについて警告するのは、ゲームや萌えの人々自身を攻撃することが目的なのではなく、将来の被害者の発生を防止することが目的なのだ。……その被害者とは、彼ら自身かもしれないし、殺される少女かもしれない。
 ともあれ、私は、「危険性が証明されていないから放置せよ」という楽観的な態度は取らない。たとえ厳密さが欠けていても、強く危険性を警告する。「危険が実現してからでは遅い」からだ。
 地球が破壊されてから警告しても手遅れだ。少女が殺害されてから警告しても手遅れだ。
 しかし、萌えマニアには、何を言っても無駄であろう。萌えマニアの頭にあるのは、萌えちゃんのスカートの内側だけであり、現実の少女を傷つける人々の内面のことではないのだ。


● ニュースと感想  (12月21日)

 「警告の対象」について。
 私がオタクの悪口を言っている(オタクの行動ではなく人間性を攻撃している)と見える箇所がある。で、オタクは、怒り狂うようだ。
 しかし、こういう話は、オタクに向けた話ではない。むしろ、オタクでない人に向けた話なのだ。つまり、「オタクは駄目だ」とオタクを非難しているのではなく、「こういうオタクにならないように注意しましょう」とオタク以外に警告を発しているわけだ。
 この点を混同しないようにしてほしい。さもないと、オタクが怒って、「ゲームのことをろくに知りもしないで、おれたちオタクを非難するな」というような結論を出す。
 以下では、三つの話題を取り上げて、この件を語ろう。
( ※ オタクが読むと、ますます怒り狂うだろうから、オタクは読まない方がいい。世間一般に広く目を向けるべしという趣旨の本サイトは、引きこもりがちのオタクには向いていない。オタクは部屋に引きこもっていればいい。本サイトの趣旨は、「健康になるために外で運動をしましょう」というものである。病んだオタクを、無理に戸外に連れ出して運動させることではない。病んだオタクは、もはや手遅れだ。治療を拒否するのだから、治しようがない。……以下は、オタクになっていない人向けの話。)

 (1) 少女殺害の大学生
 例の少女殺害の大学生が萌えマニア・ロリマニアであったことを示す記事がさらに出ている。最新号の週刊現代など。周囲からの証言がある。
 オタクたちは「あいつがおれと同類だ」とは認めたがらない。とはいえやはり、「生身の成人女性よりも虚構の女性に興味がある」という点で、あの大学生はオタクたちとほぼ同類なのである。
 「オタクとかけて、例の殺害犯と解く。その心は?」というようなものですな。
 萌え趣味・ロリ趣味というのは、「現実の少女に自分の幻想を投影すること」と言えるだろう。対象が「アニメ/フィギュア/生身の少女」という違いはあるが、本質的には、虚構を現実の代替と見なしてはまりこむ。その点では、ゲームマニアと、同じ範疇に入るだろう。

 (2) 変態中年男
 単なるロリータ趣味の変態男、というのもいる。たいていは中年で、昔からこの手の変態はけっこう多い。( → 逮捕されたニュース
 こういうのは、「気持ち悪いな」と思うだけで、吐き気がするというほどのことはない。なぜか? こういう変態は、あくまで相手を現実の人間として見ているからだ。まともな成年女性に相手にしてもらえず、抵抗しない少女を相手にする。だから、もし、高級娼婦が無料サービスしてくれたら、ホイホイとそっちに乗り換えるだろう。
 しかし、オタクは違う。高級娼婦が無料サービスしてくれても、「現実の女性には興味がない。虚構の萌えちゃんの方がいい」と言い出すはずだ。
 要するに、まともではないのだ。生物として、どこかの部品が狂っているのである。そして、それは、彼がもともと先天的にイカレた人間として生まれたからではなくて、後天的に環境の影響を受けて歪んでしまったからなのだ。
 そういう環境(現代特有の状況)の影響を、私は問題にしている。そして、これは、矯正して正常化することが可能であるがゆえに、強く警告しているわけだ。世間の人々のためにも、本人のためにも。
( ※ とはいえ、オタクを洗浄することは、とても困難である。風呂に入らない人間に「風呂に入れ」と勧告するようなもので、なかなか彼を洗浄できない。)

 (3) 女性監禁事件
 女性監禁事件を犯した犯人の公判があった。女性を監禁して、「メード」「家畜」と呼んでいたという。( → Yahoo ニュース
 実は、女性を監禁して、「メード」「家畜」と呼ぶ、なんていうのは、オタクの萌えゲームでは、珍しくもない。だからオタクの感想は、「こういうゲームをやったからといって、自分が現実にそういうことをやるわけじゃないよ」というものだろう。そういうふうに主張して、自己弁護したつもりになる。しかし、こういうのは根源的に狂っている。まともな正常人なら、こういう事件を聞くと、「吐き気がする」と思うものだ。「自分は違うよ」なんていう感想をもつことはない。当り前すぎるからだ。オタクが異常であるのは、こういうものを見て「吐き気がする」と感じられなくなっている点だ。どこが異常であるかを、まったくわかっていない。ま、壊れた人間が、自分が壊れていると、自覚できるはずもないが。
 彼らが誤解しがちなので、改めて指摘しておこう。私が言いたいのは、こうではない
 「女性を監禁してメード扱いするのは、萌えっぽいので、けしからんことだ。そういうことはやってはいけないのだ。萌えマニアは、悪いやつらだ」
 保守派ならば、そういうふうに善悪で非難するだろうが、私はそういうふうに善悪で非難することはない。かわりに、こう言う。
 「萌えマニアに『メード好きになるな』と言っても、無駄である。彼らはそもそも、はまっており、壊れてしまっているからだ。壊れた人間に、何を言っても、無駄である。むしろ、壊れていない人間に、『壊れないようにしよう』と注意するべきだ」
 ついでだが、あの大学生だって、私が「萌えマニアをやめよ」と言っても、絶対に聞き入れなかったはずだ。壊れた人には、何を言っても無駄だ。

 結語。
 私の主張は、オタク向けの意見ではない。もはや壊れた人向けではない。まだ壊れていない人、あるいは、いくらか壊れかかった人向けだ。まだ壊れていないのであれば、泥沼から足を引くことができる。
 オタクというものは、「現実の女性よりも萌えちゃんの方がずっと素敵だ」と思ったり、その傾向が昂進したあげく、「現実の女性は萌えちゃんと違って、僕の言うことを素直に聞いてくれないから」という理由で、首に縄を付けたり、殺害したりする。で、実際にそうなってからでは、手遅れだ。だから、それを避けるために、「中毒にならないようによう」と警告しているわけだ。
 この警告は、必要である。なぜなら、私のような奇特な少数派を除けば、世界は萌えとオタクであふれているからだ。実際、先の異常犯罪は、いかにも異常なのだが、この手の異常趣味の萌えゲームは、常識的な世界でも、けっこう頻繁に見られる。いちいちオタク向けのサイトに行くまでもない。たとえば、「ちょっとフリーソフトでも使おうかな」と思って vector のサイトに行くと、この手の広告が否応なしに目に入って、知りたくなくても知るハメになることもある。
 「ご主人様。私をぶってください。ああ。かいか〜ん」
 なんていうやつだ。げげげ。
 ただのサドマゾなら、自分自身でも異常性愛であることを自覚して、世の中の隅っこで隠れて棲息するから、まだ危険性は少ない。しかし現代という時代では、萌えゲームがあふれ、人目に触れるところでも堂々とのさばり、そのなかで、人々は子供時代からむしばまれ、知らぬまに感染して、あげく、ときどき、異常犯罪が発生するのである。
 ま、「オタクはみんな異常犯罪者だ。ゆえに××太郎は破廉恥だ」というふうに、個人攻撃をすることはないが、現代というこの時代の異常性を、私は強く指摘したい。
 あちこちで異常犯罪が起こっても、オタクは関連性をことさら無視しようとする。「あれは、ただの気違いのせいであって、オタクは関係ない。だからオタクのことは、いちいち気にしないでくれ」と。だが、私は、「現代という時代の異常性を、はっきり認識すべし」と強く警告を発する。オタクを非難するのではなく、現代のこの異常性を指摘する。
 なぜか? 下手をすると、全員が、オタク化して、反発しかねないからだ。「南堂は、地球破壊をしているという理屈で、おれたち人類を非難している。けしからん。地球破壊の方法も知らないし、知識もろくにないくせに、おれたち人類を非難するなんて、けしからん。環境破壊問題については口をつぐめ。環境破壊を放置せよ」というふうに。……人類のオタク化。こうなったら、大変だ。萌えオタクが子供を生まないで滅びるのは仕方ないが、人類が滅びたら大変だ。
( ※ オタクへの警告は、前日の「地球温暖化の危険の警告」と同様だ。地球であれ人々であれ、壊れてからでは遅いのだ。)


● ニュースと感想  (12月21日b)

 「批判の対象」について。
 私の「テレビゲーム批判・萌え批判」について、これを「オタク批判」と解釈する人からネット上でいくらか反論が上がった。で、これらのネット上の反論はいくらか読ませてもらったが、正面から反論ないし訂正すべきことは特にないので、個別には論じない。かわりに、一般論を述べる。

 まず、私の「テレビゲーム批判・萌え批判」は、「オタク批判」(オタク個人への批判)ではない。彼ら個人を「馬鹿なやつらだ」と批判しているのではなくて、「テレビゲームや萌えキャラに熱中するのはやめましょう」という形で、オタク的行動を批判しているだけだ。彼らがその行動をやめれば、それでもう何も問題はない。彼らが「そうだな」と思って、テレビゲームのかわりに読書に勤しみ、萌えキャラにほおずりするかわりに現実の女性に話しかけるようになれば、何も問題はない。それだけのことだ。(とはいえ、彼らを密室の外に引っ張り出すのは、とても困難だ。)

 では、何をことさら批判しているかと言えば、直接の対象は、現代の世相である。だいたい、「ゲーム機なんか捨ててしまえ」と私が言ったからといって、ことさら私ばかりが目立つような状況が、おかしいのである。昔なら、「テレビなんか捨ててしまえ。一億総白痴化だ」と警鐘を鳴らした人がいると、賛否両論が湧き起こったが、今ではゲーム器の批判をする人はほとんどいない。で、たいていの親は子供にゲーム機を与えるから、小学生の段階から、暇を見てはゲームボーイみたいな形態ゲーム機ばかりをやっていて、友人とのコミュニケーションもろくに取らないし、親子間のコミュニケーションもろくに取らない。全員がそうだとは言わないが、そういう例が非常に目立つ。
( ※ なお、ここでは該当しない例外を注記したが、一般に、私は、こういう例外事例について留保の注記をしない。この件は後述。)

 また、より広く一般論で言うと、オタク批判に限らず、私の語っている批判(悪口)は、学術論文ではない。では、何かと言えば、「面白おかしく読むエッセー」である。
 私は別に、彼らを論理的に論破するために、論理的な学術論文を書いているわけではなくて、面白おかしく誇張しているだけである。ここに相当の誇張があることは、読めば誰でもすぐにわかるはずだ。「オタクは少女殺人をしがちで危ないし、気持ち悪いし、恋人もできないぞ」と語っているからと言って、誰もかもがそうだというわけではない。例外的な人はたくさんいるだろう。ただ、いちいちそういう例外まで考えると、冷たい学術論文みたいになって、ちっとも面白くない。読んで退屈だ。だから私は過激に誇張して書く。最も典型的な例にハイライトを当てて、他の周辺的な話題をばっさり切り捨てる。
 で、そうすると、「例外を見ていない」というふうな批判が起こる。しかしまあ、もともとそうなっているのだから、そんな批判を言われても見当違いである。
 ついでに言えば、これは、政治についての悪口にも当てはまる。私はさんざん小泉や自民党の悪口を言ってきたが、それはもちろん誇張である。カリカチュアの誇張漫画みたいなものだ。

 私が真面目に書くときは、たとえば、二年ぐらい前のマクロ経済学の論説(モデル論)や、別のサイトにある生物学・物理学・数学の話がある。とはいえ、これらは、専門家でも容易に理解しがたい。(たいていの専門家が誤解してしまう。)……ここでは、真面目には書いているが、理解しがたいし、面白おかしくもない。
 
 で、何が言いたいか? 
 私が政治や世相について面白おかしく書くときは、大いに誇張しているのだから、その誇張について、揚げ足取りをしても、ピントはずれだ、ということだ。たとえば、「小泉は犬だ」と言ったとき、「いや、犬じゃないこともあるぞ。狼やライオンであることもある」という批判は成立する。しかし、そんなこと、いちいち言われなくてもわかっているんだから、「誇張が不正確だ」というような批判を寄越されても困る。
 問題は、何であれ、細かな事実の実証ではない。「ゲームや萌えキャラにはまるのは良いのか悪いのか」という、根源的な大問題だ。この大問題を論じる人は、私以外にはほとんどいない。せいぜい、「ゲームのやりすぎに注意しましょう」なんてお茶を濁す(煮え切らない)人がいるだけだ。
 「ゲームや萌えキャラなんか、根本的に駄目だ。少しやるのなら構わないというより、まったくやらないのがベストだ。ゲームや萌えキャラなんか捨ててしまえ」と(過激に)言う人は、私以外にほとんどいない。そこで、私は、この問題を取り上げるために、ことさら過激に語る。
 ついでに言えば、小泉についても、「彼は詐欺師だ」と過激に語る。誇張とは、そういうものだ。

 ここで、「南堂の過激な表現は不正確だ」という批判は、それはそれで正しいのだが、しかし、そう思うのであれば、私の誇張した話なんか読まないで、退屈な学術雑誌の専門論文でも読んでいればいいのだ。私の話を専門論文扱いすることが間違っている。こと、世相や政治に関する限り、私の話のほとんどは、過激な悪口(誇張)がとても多い。まともに字面通りに受け取ってはならない。たとえば、「小泉は犬だ」と私が書いたとき、「彼は人間だ。シッポをもたないから」なんて言わないでほしい。

( ……そもそも、こんなことは言わずもがなであるはずだが。「言葉の表現には隠喩や換喩などの比喩がある」ということは、文章をよく読んでいる人には、すぐにわかるものだ。だが、オタクというものは、言葉を字面どおりに受け取りがちだ。つまりは、目に見えるものしか見ようとしない。……困ったことだ。)
(ついでに言えば、最後の「犬」の話もまた、誇張である。念のため。間違えられそうなので、注釈しておく。……ただし、オタク[および幼児]向けの、専用の注釈。)

 [ 付記1 ]
 レトリック(文章技法)における「誇張」とは、何か? ただの嘘八百か? 真実とは正反対の虚偽または誤りのことか? そう思う人は、誇張の文例を読むと、「そんなことはないぞ」と反発する。
 実は、誇張とは、次のことだ。
 「現実の事例は、白か黒かがはっきりとせず、モザイク状だったり灰色だったりする。簡単に割り切れるものではない。そういうものを正確に表現することは困難だ。そこで、きっぱりと白か黒かと断言して、物事の典型をすくい上げる」
 たとえば、正確に語ろうとすると、こうなる。
 「これはですねえ、白の点もあるし、黒の点もあるし、日によっては白や黒が灰色になることもあるしねえ。また、見る人によっても違うし、何と言いますかねえ、……」
 あるいは、こうなる。
 「それは黒ではなくて、紺色である。黒と紺色とはまったく違う色である。ここやあそこが、こんなに違う。うんちくがこれこれあれこれ」
 一方、私は典型的に誇張して、こう語る。
 「まっ黒だ」
 で、これを読んでオタクたちは、非難する。「ゲームはまっ黒じゃないぞ! 南堂の言っていることは、ちっとも正確でない。南堂の嘘つき野郎!」と。……ま、その主張は、案外、正しいかもしれない。誇張として読めば。

 [ 付記2 ]
 オタクの主張はけっこう読ませてもらったが、私の感想を言えば、「どうでもいい細部を問題にしていて、肝心のことから論点を逸らしている」となる。例が適切でないとか何とか、そんなことはどうでもいい。彼らの主張指摘している点は、よくわかるが、それは、私の挙げた例があまり適切ではない、ということだ。ま、それはそうだ。私は別に、ゲーム論を論じているわけではないのだから、引用したゲームが適切でないのは、当り前だ。
 「どのゲームが有害か」という観点からすれば、私の主張はまったくの見当違いであろう。それは「ゲーム論」としてみる立場だ。
 しかし私は、ゲーム論なんかしていない。どのゲームがどうだろうと、まったくどうでもいいことだ。引用例がまずかろうが適切だろうが、どうでもいいことだ。肝心なのは、「ゲーム一般がどうか」ということである。「このゲームはこうで、あのゲームはこうで」というのは、オタクの土俵である。私はその土俵には乗らない。
 「このゲームはこうで、あのゲームはこうで」というのを読みたければ、私の話を読まずに、オタクの話を読めばいいのだ。仲間同士で狭い世界で馴れ合っていなさい。それがオタクの歩む道。

 [ 付記3 ]
 「どのゲームがどうだろうと、まったくどうでもいい」と述べたが、なぜか? その件は、いちいち述べるまでもないだろう。すでに百回も繰り返したことだからだ。まともな読解力があれば、誰にでもわかる。小学生にすらわかる。
 しかし、小学生並みの読解力もないのが、オタクだ。そこで、百一回目の繰り返しをしておこう。こうだ。
 「私が述べているのは、ゲームではなくて、ゲーム中毒だ。ゲームという商品がどうのこうのということはまったく関係なく、(ゲームをきっかけに)ゲーム中毒となった人間がどうであるかを述べている」
 ゲーム中毒の人間が、ファイナルファンタジーで中毒になろうと、別のゲームで中毒になろうと、ゲームの違いなど、どうでもいいことだ。私はただ、中毒になったことだけを問題視する。そのために、いろいろと、適当にいい加減に例を引く。すると、「例の弾き方が適切でない。そのゲームはうまく当てはまらない。当てはまるのはむしろこっちだろう」というふうにうんちくを傾けて得意になるのが、オタクだ。
 どうしようもないですね。手のつけようがない。××につける薬はない、というやつ。
( ※ もう少し詳しく説明すると、「私はゲームとゲーム中毒の因果関係を証明しようとしているのではない」となる。ところがオタクは勝手にそう勘違いして、「その説では因果関係を証明していないぞ」と、鬼の首でも取ったように批判する。何を勘違いしているんだか。)

 [ 余談 ]
 ただし、最後に一言。オタクの気分もわからないではない。アル中の泥酔者が、酒の飲み過ぎで酩酊して、酒酔い運転をして、轢き逃げ殺人を犯したとしよう。それを見て、「アル中にならないようにしよう。特に子供のうちから酒を飲ませるのはやめよう」と私がキャンペーンを張ったとしよう。すると、たいていの酒飲みは、反発するだろう。「酒を飲んだからといって、誰もが殺人を犯すわけではない。たしなむ程度なら問題ないはずだ。アル中反対のキャンペーンなんてとんでもない。私は酒を飲んでも、殺人なんかしない。酒と殺人とは何の関係もないはずだ。非合理な主張はやめよ」と。
 ここでは、論理の倒錯があるのだが、しょせん酔っぱらいの頭には、論理の倒錯はわからないのである。私が「アル中は駄目だ」と主張すると、「酒のことも知らないで酒を論じるな」と論点をずらす。思考が酔っぱらっている。ゲームオタクや萌えオタクも同様。
 こういうオタクには、私としては、「もう壊れちゃっているですね」と同情するだけだ。非難するかわりに、哀れむだけだ。……かわいそうに。(だから萌えちゃんに慰めてもらうのかな?) 

 [ 追記 ]
 以下、追記するが、細かな話なので、特に読む必要はない。
 次の意見があった。
 少し解説しておこう。
 (1) については、アニメ萌えとオタク萌えとの区別について、前に述べた。2次元アニメはあくまで虚構だから、虚構が現実の代替となることはないのだ。「漫画ファンだから現実の女性に興味がない」という人はまずいないが、「オタク萌えから現実の女性に興味がない」というオタクはたくさんいる。前者と後者に違いは、「生物として壊れているか否か」である。後者ばかりになったら人類は絶滅する。私は人類を滅亡から救おうとしているのだ。(大げさですね。)
 (2) この対比はまったく無意味だ。本質を見失っている。「オタクから少女殺害に走ったケース」ではない、というのは正しい。だからといって、「犯罪者が別の少女殺害という犯罪に走ったケース」というのは正しくない。最初はスリか強盗でもやっていた犯罪者が、急に気が変わって少女殺害をしたわけではない。彼が犯罪に走ったのは、たまたまの結果ではなく、普段の生活環境が要因(副因)となっている。それこそが問題だ。私は別に、「オタクはみんな少女殺人をやる」と言っているわけではない。「オタクは異常だ。異常度が高まると、問題が起こることがある」と言っているわけだ。単なる白黒の二分法をしてるわけではない。(白から黒に変化する過程を見ている。)
 あの大学生も、自分のなかで萌えの悪魔がどんどんふくらむまでは、少女殺害なんて他人事だと思っていただろうに。(そう言えば、ペルー人も、自分のなかの悪魔云々と言っていましたね。)
 なお、二分法に戻るなら、AかBかではなく、AかつBだ。つまり、「犯罪性と萌え性の共存で少女殺害となることもある」となる。「主因が犯罪性か萌え性か」という選択は、意味がない。どっちが主因であろうと、しょせん少女が殺されることには変わりはない。少女が殺されたあとで、「主因は萌え性ではなくて犯罪性だ」と釈明しても、何の意味もない。
 以上について、私の言うことがわからなければ、自分でも娘をもった上で、その娘を、狂気的なオタクに殺されてみればいい。「こうなったのは、彼がもともと犯罪者であったのが原因で、彼がオタクであったのが原因ではない。だから恨まない」と言えるだろうか? 娘をもってから考えてみるがいい。
 とはいえ、そもそもオタクは結婚できないから、娘をもつことはないのかもね。想像すらできないのかも。目に見える画像ばかり見ているので、自分の頭で想像することができなくなっている。
( ※ 萌えオタクに似たタイプは、実は、昔も少しいた。それは「人形マニア」や「マネキンマニア」だ。現実の女性を愛さず、少女ふうの死人のような人形を、ひたすら溺愛する。ま、それを芸術にまで高めたオタクもいるが。いずれにせよ、その異常性は、明らかだろう。発狂しないのが不思議なぐらい。……戦車オタクと人形オタクの差は、どこにあるか? よく考えてみましょう。また、人形マニアの男性と人形ファンの少女との差は、どこにあるか? よく考えてみましょう。)
( ※ 念のために言っておくが、以上では、オタクである個人を攻撃しているわけではない。オタクの生活態度や思考法を批判している。山田太郎がオタクであるとすれば、山田太郎を攻撃しているのではなく、山田太郎の生活習慣を攻撃している。彼が生活習慣を改めれば、それでいいのだ。……なぜ? そうすれば、萌えオタクによる少女殺害はなくなるからだ。先天的な精神異常の狂人による少女殺害は防げないかもしれないが、普通の人間が萌えオタクになったあげくの少女殺害は防げるからだ。それだけでいいのだ。)


● ニュースと感想  (12月21日c)

 ソニーのデジカメの続報。
  → ニュース記事朝日記事
 何だかよくわからない話ですね。これがあれと、どういうふうにつながるのか。


● ニュースと感想  (12月21日+)

 「オタク論議の補足」について。 (この件、場所はここだが、記述は 12月23日)
 私の主張をよく理解できない人が多いようなので、最後にわかりやすく述べておこう。

 まず、基本的には、「誇張云々」の箇所で説明済み。典型的な重度の例を示しているだけであって、軽度の人については言及していない。それだけのことだ。
 比喩的に、お酒で考えてみるとわかる。たいていの人はお酒を飲むが、一部にアル中の人がいる。子供のころからさんざんお酒を飲んでいると、アル中になる危険性が高い。あげく、稀に、酔っぱらい運転で殺人を犯す。……これを、どう見るか? 

 オタクの意見は、
「世の中にはもともと酔っぱらい運転をする人間(犯罪者)がいるのだ。一般人では、酒と酔っぱらい運転とは無関係だ。ゆえに犯罪者以外は、子供のころからどんどん酒を飲んでも構わない。子供をアルコール漬けにしよう」

 私から見たオタク像は、
「自分はまだアル中にはなっていないせいで、酒はまったく無害だと信じて酒びたりになる人。(一部は精神的インポになる。i.e. リアルな女性に興味なし)」

 オタクから見た南堂は、
 「酒を飲むと誰もが酔っぱらい運転をすると主張して、酒を全面禁止しようとする偽善者。非論理的な馬鹿。酒と酔っぱらい殺人の絶対的な因果関係を証明せよとオタクが要求しても、それを無視する、自分勝手な奴」

 どれが誤解でどれが真実かは、読者の判断にお任せします。(なお、精神的インポになったのがどのオタクであるかは、本人の名誉のために、名を伏せます。なぜなら、彼はいつかオタクを脱して、精神的インポでなくなるかもしれないので。)

     * * * * * * * * * * * * * * * * *

  【 追記1 】
 別の意見もあるようだ。次の通り。

 オタクから見た南堂は、
 「×という飲み物が、酔うものか、腹を下すものか、胃に穴をあけるものか、致死性の毒なのか、カロリーが高く過剰摂取禁物のものなのか、調味料なのか、ただの無害の液体か、その区別がまず出来てない人。そして×について的外れな意見を書き続けている。×という飲み物が何なのかちゃんと見てねとオタクや非オタクが要求しても、それを無視する、思考停止に陥った可哀相な人」

 これはオタクから直接寄せられた見解。これに対する私の見解は、こうだ。
 「×という飲物は、度が過ぎなければ有害でないが、度が過ぎれば有害なもの。ただし、適度で済ますことが困難なもの。子供のうちからやりすぎると、度が過ぎることがしばしばあるもの」

 オタクの定義をすると、
 「×とは何かということをあらかじめ決めてしまって、度が過ぎるという程度概念を理解できない人」
 「さまざまな×の違いをマニアックに語ることに陶酔しているが、その自分の姿が他人にどう見られているかに気づかない人」

 いくら言っても理解してもらえないようだが、「×とは何か」ということは、私は論じていない。「度が過ぎないようにしよう」「中毒にならないようにしましょう」と言っているだけ。  もう少し詳しく言うと、「×とはこうだ」という、天下り的な決めつけをやめよう、ということ。一つのものが複数の意味をもつことに気づこう、ということ。

  【 追記2 】
 オタク問題について、オタクからさんざん批判が来た。詳しくは、下記を参照。
   → nando ブログ
 面倒臭いので、もう書かない。



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「小泉の波立ち」
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