[付録] ニュースと感想 (95)

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● ニュースと感想  (9月27日)

 「増税がやってくる」について。
 小泉の勝利を受けて、いよいよ増税がやってくる。06年の増税(定率減税の半減)はすでに決まっていたが、追い打ちをかけて、07年の増税(定率減税の全廃)もなされそうだという。(朝日・朝刊 2005-09-14 )
 「景気が回復基調だから、さっそく財政再建を」
 という発想だ。ちょっとはまともに思えるが、まったく間違った発想である。これはつまり、次の発想と同じだ。
 「肺結核になって、ペニシリンを打ったら、状況が少し改善した。そこで、来月からは、ペニシリンを打つ量を半減しよう。再来月からは、全廃しよう」
 病気が治りきらないうちに、こういう方策を取ると、治りかけた病気がぶり返す。正しい措置は、こうだ。
 「病気が完治するまで、治療をやめない」
 これが最も効率的な方法だ。金もかからないし、日数もかからない。一方、「途中でやめる」という方法を取ると、目先の金は節約できるが、病気がぶり返すので、トータルのコストは大きくふくらむ。……例はある。橋本増税による不況悪化だ。これは、いつか来た道である。

 そもそも、「景気回復」が真実であるなら、まず、「金利の引き上げ」が必要だ。どのくらい挙げるかはともかく、少なくとも、「ゼロ金利」なんていう異常な状況は、脱しなくてはならない。最低でも、1%。できれば、2%。……この程度の金利水準になるくらいでないと、経済の実態はとても回復基調にあるとは言えない。
 ところが、現実は、金利ゼロである。病気でいえば、「寝たきり」の状態だ。同じ「寝たきり」でも、「最悪の寝たきり」から、「いくらかマシな寝たきり」になった。それだけのことだ。「病気が治った」とはとても得ない。その証拠が、「ゼロ金利」である。
 とすれば、こういう「寝たきり」の状況で、「消費だけを狙い撃ちする」という処方を取ると、病人の一番弱いところを攻撃することになる。たとえて言えば、体力が衰弱しきっているときに、金の節約を名目に、絶食させるようなものだ。まずは体力向上のために、食事を豊かに取らせるべきなのに、逆に、「金の節約」を名目に、病人の食事を奪う。……最悪だ。
 
 結語。
 景気がいくらか底打ちしたからといって、現状はいまだに「寝たきり」である。健康になったわけではない。増税というふうに経済を最も痛めつける方針は、取るべきではない。まずは「金利の上昇」(平常水準に戻すこと)が先であり、「増税」はそのあとに来る。
 なぜか? 「増税」は、基本的には、インフレ対策(物価上昇対策)なのである。過熱した需要を冷やすためのものだ。物価がどんどん上昇して困るときには、「増税」が必要だ。しかしながら現在は、物価上昇どころか、物価下落が起こっている。こういうときに必要なのは、「減税」であって、「増税」ではない。
 現時点では、消費が増えないまま、投資ばかりが拡大している。このままだと、供給過剰で、景気はふたたび下向きになるだろう。だから、 「景気が回復基調」であると思うのであれば、過熱気味の「投資」を抑制するべきであり、逆に、不足気味の「消費」を抑制してはならない。
 「定率減税の廃止」というのは、いくらか治りかけた経済を、ふたたびどん底に突き落とそうとする政策だ。最悪の政策である。決して取ってはならない政策だ。

 [ 付記 ]
 にもかかわらず、それを取る政権が、今回の選挙で生まれたわけだ。詐欺師と馬鹿の戦いの末に、馬鹿が負けて、詐欺師が勝った。その意味は?
 岡田首相による「日本破滅」(スタグフレーション)という暴走は避けられたが、小泉首相による「日本自滅」(不況再来)が先に待ち受けている。どっちにしろ、日本経済は破綻する。
 日本経済は、ダイナマイトで自爆することは避けられたが、銃を心臓に向けて自殺することになる。……どちらが良かったか? 私は何とも言えませんね。


● ニュースと感想  (9月28日)

 「増税と景気腰折れ」について。
 前項でも述べたとおり、来年には大規模増税が来る。その理由は、「デフレを脱却しつつあるから」という政府・日銀の楽観的な見込み。
 で、どうなるか? 思い起こすといいのは、2000年夏の日本経済だ。やはり「デフレを脱却しつつある」と見込んで、ゼロ金利を解除した。その直後に、景気はふたたび奈落の底へと落ち込んでいった。
 このあと、マネタリストは「日銀がゼロ金利を解除したからだ」と大合唱した。しかし、である。たったの 0.25%の金利引き上げが、それほど大規模な景気悪化を起こすはずがない。そもそも、銀行の貸出残高は、ゼロ金利解除の前後で、ほとんど変わっていないのだ。とすれば、ここでは、ゼロ金利解除の効果は、ごく限定的だったことになる。
 その意味は、何か? こうだ。
 「いくらか景気が回復しつつあるように見えても、それは中短期的な景気循環・景気変動の一種にすぎない。人が歩きながら周期的に左右にわずかに傾くように、経済も進みながら周期的にわずかに好転したり悪化したりする。その理由の多くは、外需である。輸出が増えて、景気が良くなる。輸出が減って、景気が悪くなる。……で、今回は、原油高のせいで、輸入コストが上がるから、輸入が増えるのと同じことになり、輸出の減少と似た効果が出る。具体的には、国内所得の減少だ。所得の減少が、じわじわと効果を出し、国内消費を減らす。一方で、企業の投資は過熱気味だから、供給過剰・需要不足という、需給ギャップがふたたび発生しやすい。

 結語。
 「いくらか景気が良くなったから、デフレ脱却と見て、増税する」
 というのは、いつか来た道である。
 「いくらか景気が良くなったから、デフレ脱却と見て、ゼロ金利解除」
 というのに、よく似ている。ただし、実質的な効果は、はるかに悪い。ゼロ金利解除の場合は、景気に対するマイナス要因は、心理的なものを覗いては、ほとんどなかった。それにもかかわらず、景気は自律的に(周期的に)大幅に悪化していった。一方、今回は、増税および原油高という莫大な悪化要因がある。それに加えて、景気が自律的に(周期的に)大幅に悪化していく。ダブルパンチないしトリプルパンチだ。
 そこで、私は前もって、こう予想しておこう。
 「来年の大増税にともなって、日本の景気はふたたび大幅に悪化していく」
 と。そして、その根源は、こうだ。
 「企業の利益向上ばかりを見て、国民の所得の不足を見ていない。国民から企業に所得が移転しているから、企業の利益が好決算になっているだけなのに、それを景気回復と誤認しているから、病気を健康と誤認する。本来ならば国民の所得を増やすことで、内需を拡大するべきなのに、逆に、国民の所得を奪うばかりだから、需要が増えず、健全な成長過程に乗らない。」
 要するに、物事の本質(経済全体)を見ず、物事の半面(企業の側)だけを見る。そのせいで、病気の治療をするべきときに、それとは正反対の処方をやる。あげく、病気がぶり返して、奈落の底へ。
 詐欺師を信じたツケですかね。……というか、詐欺師にだまされた国民の自滅。自業自得か。


● ニュースと感想  (9月29日)

 「EU憲法の拒否」について。
 フランスとオランダが、国民投票で、「EU憲法の条約」の批准を拒否した。(各紙・夕刊 2005-05-30,2005-06-01 )で、これについて、「EU推進派が急ぎすぎた。しかしそのうち、市民の理解が進むだろう(だからEC憲法はやがては成立するだろう)」という趣旨の解説を出す新聞もある。(朝日・朝刊 05-30,06-03 )
 しかし、この解釈には、私は否定的である。EUというものは、そもそも基本的に、推進するべきものではないのだ。そしてまた、経済的には、非常に有害なのである。

 (1) 基本
 EUという理念は、独仏の争いや、第一次世界大戦などを背景に、二十世紀初頭のころの欧州で気運が高まった。それに指導的な役割を果たした人物の名は、「ミツコ」という香水の名といっしょに語られる。また、映画「カサブランカ」とも関係する。( → ミツコgoogle
 ただし、そういう歴史的背景には、あまり言及しないでおく。ともあれ、「平和のため」という理想主義で、EU(元は欧州共同体EC)という理念が生じた。その発想は、「国家というものがなくなれば、国家間の戦争もなくなるだろう」というものだ。
 
 この発想を信じている人は、とても多い。とはいえ、私は否定的である。なぜならこの発想は、一種のテロリズムだからだ。
 「国家のせいで戦争が起こるから、国家を解体してしまえ」
 という発想は、
 「人間のせいで戦争が起こるから、人間を絶滅させてしまえ」
 という発想と、五十歩百歩だ。理想主義と狂気とは、紙一重である。(馬鹿と狂気は、紙一重。……天才じゃないです。)このことは、たとえ話で言うと、こうなる。
 「山田家と佐藤家とは、隣り合わせである。両家は喧嘩が絶えない。そこで、のび太が、こう提案した。『双方の間には、壁がある。この壁のせいで、境界がある。だから、この壁を崩せばいい。両方が仲良く暮らせばよい』と。」
 山田家と佐藤家は、ためらっていた。そこでのび太はさっそく、見本を示すことにした。自分の家の、隣家との境界を、崩した。そして隣家との間で、自由に行き来するようになった。
 「これで仲良しだ。まるで一つの家族のようだ」
 と、のび太は自慢した。そして、ときどき、隣の家のお風呂に入った。そこには、きれいなお姉さんがいた。のび太は大喜びだった。ところが、しずかちゃんが、それに気づいた。「エッチねえ! もう、のび太くんの顔なんか、見たくない。絶交!」
 教訓。いくら友好を深めるにしても、よその家族との間では、プライバシーというものはある。
 この話から、こう言える。
 国家間に壁があると、国家間の対立が起こりやすい。だからといって、「壁をなくしてしまえ」というのは、暴論だ。急ぎすぎなのではなくて、まったくの暴論なのだ。
 家と家との間なら、壁はない方がいいにせよ、垣根はあった方がいい。高い厚い壁は困るが、壁がないのがいいのではなくて、低い薄い壁(垣根)はあった方がいい。なぜなら、家族というものは、それぞれ独自の生き方をするからだ。「原始共産主義」のような生活は、文明社会では不可能なのだ。

 欧州各国は、異なる歴史と、異なる言語とがある。たとえ人種的にはほとんど同一だとしても、歴史と言語が異なれば、文化は異なったものとなる。その独自の文化を尊重するべきだ。多様な文化を統一することは、好ましいことではなくて、まずいことなのである。
 米国ならば、歴史は浅いし、言語はほぼ一種類だ。たとえ人種的には多様であっても、歴史と言語が同一ならば、文化は同一になる。そこでは、統合はしやすい。……しかるに、欧州は、米国とはまったく異なる事情にある。むやみやたらと統合すればいい、ということにはならない。
 例示しよう。日本と米国は、かなり国民感情が似ている。が、だからといって、「日本を米国の一部にしよう」というような提案は、日本の独自性(歴史・言語・文化)を抹殺するものであるから、とんでもないことだ。
 日本を米国の 51番目の州にしようとすれば、小泉は喜ぶだろうし、米国かぶれの保守は連中も喜ぶだろう。「これで僕らもアメリカン」と思って、「 I am a American 」と間違った英語を口に出すだろう。しかし、多くの国民は、小泉のように尻尾を振ることはあるまい。

 結局、私の判断は、こうだ。
 「高い厚い壁は、なくした方がいいが、壁を完全になくすというのは、暴論である。はっきりとした境界を保つために、垣根のようなものは必要だ。それが独自性(ないしアイデンティティ)を保証する。……とはいえ、国家間では、なるべく自由に交流できるようにするべきだ。その意味で、壁はなくて、行き来のたやすい垣根のようなものがあるといい。」
 要するに、「壁あり/壁なし」というような、「白か/黒か」という発想のかわりに、もっと柔軟な発想を取るわけだ。

 (2) 経済
 今回のフランスの拒否について、背景を推測しておこう。
 この「ノン」という国民の評価は、EU憲法そのもの(法律)に向けられたのではなくて、EUという体制に向けられたものだろう。そして、その根源にあるのは、欧州の通貨統合の失敗だろう。
 この件は、次項で述べる。


● ニュースと感想  (9月30日)

 前項の続き。「欧州共通通貨(ユーロ)」について。
 欧州の通貨統合は、失敗した制度だ。不況・失業増などを国民は実感している。で、なぜ失敗したかと言えば、この制度は経済的に、間違った有害な制度だからだ。
 ここでは、「統一すること」自体が問題だというよりは、「間違った形で統一すること」つまり「古典派(マネタリズム)の通貨システムに統一すること」が問題なのだ。
 わかりやすく言えば、ヒトラーやムッソリーニのいない欧州に統一することが問題なのではなくて、ムッソリーニのゆな独裁者のいる体制に統一することが問題なのだ。
 仮に、欧州がマネタリズムではなくてタンク法の体制に統一するなら、現状よりは良くなるだろう。しかしながら、マネタリズムの体制に統一している限り、欧州はいつまでたっても不況の蟻地獄から脱せない。こんな蟻地獄に統一しようという理念は、国民に否定されて当然なのだ。「統一はすばらしい」という理想主義では済まないのだ。

 ただし、である。「マネタリズムに統一」と「タンク法で統一」とは、まったく趣旨が異なる。
 「マネタリズムに統一」の場合は、方法がマネタリズムになるだけでなく、通貨が九通通貨になる。一方、「タンク法に統一」の場合は、方法はタンク法になるが、通貨は共通でなくなる。必ずしも国ごとに別々になる必要はないが、所得水準ごとに異なる通貨が必要となる。換言すれば、所得水準ごとに、異なる通貨政策を取る必要がある。
  ・ 所得水準の高い国 …… 低い成長率。低い金利で、低い物価上昇率。
  ・ 所得水準の低い国 …… 高い成長率。高い金利で、高い物価上昇率。
 この二通りだ。そして、この二通りを取らない場合は、折衷的な政策となる。その場合、先進国では、こうなる。── 「所得水準の高い国 …… 高めの成長率を想定して、高めの金利と財政緊縮。」
 この場合、経済は必然的に、緊縮政策が続く。当然、景気後退が長く続き、失業率は高くなる。その一方で、所得水準の低い国では、低めの金利と高すぎる成長率が続く。それは、(所得水準の低い国の)企業にとっては好ましいことだが、(所得水準の低い国の)国民にとってはつらいことだ。いっぱい働いても、物価上昇のせいで、生活が苦しくなるからだ。
 現状は、まさしく、そうなっている。すなわち、こうだ。
  ・ 所得水準の高い国 …… 景気後退が長く続き、失業率は高くなる。
  ・ 所得水準の低い国 …… 企業はありがたいが、国民の生活は苦しい。
 要するに、共通の通貨は、共通の通貨政策をもたらすから、最適の通貨政策(経済政策)を取れないのだ。
 たとえて言うと、さまざまな病気に対して、共通の治療法しか取れないから、それぞれの病気に対して最適の治療法を取れないのだ。せいぜい「寝て休んでいなさい」ぐらいしか、言えない。そのせいで、いつまでも病気が続く。……それが現状だ。

 比喩的に言おう。国同士でなく、家同士で考える。すると、こう言える。
 「所得差のある家同士では、自由往来は成立しない」
 このことを、たとえ話で示そう。
 ビバリーヒルズの豪邸同士で、バーベキューパーティをやっている。「どなたでも自由に来て、パーティを楽しんでください」と言う。どの家もパーティをやるので、みなが「自由往来」を楽しんでいる。ただし、ビバリーヒルズの隣の領域には、貧乏人がいる。彼は主張する。「ビバリーヒルズの壁を撤廃せよ。おれたちもパーティに自由に参加させよ」
 ビバリーヒルズの人々は、とりあえず、パーティ以外には貧乏人を参加させた。すると貧乏人はふたたび、「パーティにも参加させよ」と要求する。
 ここでビバリーヒルズの人々は迷った。「自由往来という理念を守るべきか? 廃棄するべきか? また、域外の人々を排除するのは、差別にはならないか?」
 彼らは、ぐだぐだ悩んで、結論を出せない。そこで私が一発、こう答える。
 「所得差のある人々の間では、そもそも、自由往来なんていう理念は成立しない。人は誰しも、自分の家を守る。何でもかんで自由往来でも開放すればいい、というものではない」
 このたとえ話で示したいことは、こうだ。
 「自由という言葉にだまされるな。自由で大切なのは、精神の自由だ。金の自由ではない。まして、他人の富を奪う自由ではない。自分の富を守るために、他人を排除することは、悪でも何でもない」

 結語。
 欧州の「共通通貨」には、以上のような問題が根源的にひそむ。その根源を無視して、「欧州統合という理想はすばらしい」なんていう解説を掲載するようでは、マスコミは、真実を告げるというより、単に「全体主義の犬」になっているだけである。
 そう言えば、かつて、似たようなことを言った政治家がいた。
 欧州統合という理想ないし夢想は、これと同様だ。
 ただし、そういう指摘は、イヤミに思えるかもしれない。「おれたちは別に、全体主義で統一しようとしているんじゃないぞ。むしろ、人類の理想をめざしているんだ」と。
 そこで、さらに説明しよう。

 欧州の人々は、自由という言葉に束縛されているのだ。いわば、鎖にがんじがらめになるように、自由という言葉にがんじがらめになっているのだ。自由でありさえすれば、何でもかんでもうまく行くと思い込む。自由経済というものが何をもたらすかも理解しないで、経済的な知識もゼロで、単に「自由にすれば万事うまく行く」と信じている。
 そういう無知な愚かさが、複雑な現実に、手ひどい「しっぺ返し」を受けるのだ。「自分は利口だ」と自惚れたあとで、複雑な現実がその愚かさをひっぱたたくのだ。
 国民は、その痛みを、おのれの肌を通じて自覚している。だから「ノン」と答える。ところが、国民の痛みを理解しない理想主義者が、「おれたちの理想は正しいのだから、『ノン』と答えるのはおかしい」と勝手に主張するのだ。

( ※ ついでに言えば、日本も同病である。日本のマスコミも政治家も、古典派の「自由経済」という概念に、がんじがらめになっている。不況対策の正しい手段を取れない。その一方で、国民は、痛みを実感している。)
( ※ では、なぜ、「自由」がいけないのか? 直感的に一言で言えば、「愛」がないからだ。国民に対する人間的な優しさが欠けているからだ。だから、理念と数字ばかりを見て、現実を無視することになる。どんなに悲惨な状況があっても、「この理想は正しいのだ」と思い込む。……歴史的には、何度も何度もあったことだ。)
( ※ 所得差に応じた通貨統合、という話については、前にも述べた。  → 12月25日1月01日b3月04日b

 [ 付記 ]
 欧州共通通貨「ユーロ」の解体論議が出ている。イタリアやドイツの閣僚から、ユーロからの離脱が提唱されている。現在は共通の金利(2%)となっているが、各国の金利を別にして、「イタリアはゼロ程度、独仏は1〜 1.5%、スペインは3%が適切だ」という提案もある。これに対して、欧州中銀の一人は、「馬鹿げている」と反論し、「欧州圏内では、インフレ率と成長の格差は大きくない」と説明している。(朝日・朝刊・経済面 2005-06-08 )
 まず、基本を押さえよう。現状では各国で、単一通貨であるがゆえ、金利は同じである。一方、あるべき金利水準は、異なる。ここには矛盾がある。「単一通貨」というメリットと、「単一金利(金利に差を付けることができない)」というデメリットが、対立している。両者は相容れない。それが矛盾だ。
 では、どちらが優先されるか? それは、メリットとデメリットの比較だ。「単一通貨」のメリットは、さまざまな換算がなくなることだ。これは実務上の便利さだ。「単一金利」のデメリットは、景気の調整が困難になることだ。これによって不況という巨大な被害が発生する。その被害は、だいたい、戦争の被害と同じぐらい、巨額である。(失業率が10%を上回るから、生産能力が10%以上も縮小する。戦争並みだ。当然ながら、失業自殺を通じて、人命も多大に奪われる。)
 だから、まともな判断力があれば、「単一金利」なんていう政策を取るはずがない。では、なぜ、そんな狂気的な政策を取るか? それは、欧州中銀の一人の説明からわかる。
 「欧州圏内では、インフレ率と成長の格差は大きくない」
 これは、マネタリズムの発想だ。金利を「インフレ率と成長率」だけで決めようとする。「インフレ率と成長率」を見て、「その値が高ければ金利を上げ、その値が低ければ金利を下げる」という発想を取る。それがマネタリズムの発想だ。このことによって、インフレやデフレを調整しようとする。
 しかしながら、この発想には、限界がある。それは、こうだ。
 「一国における中期的な変動には適用できる」
 「所得水準の異なる国では適用できないし、長期的にも適用できない」
 たとえば、日本で言えば、高度成長期には、「7%の成長率と、7%の高金利」というふうにして、経済はうまく制御できた。一方、1990年代後半〜2000年代では、「0%に近い低成長率と、0%に近い低金利」というふうにした。……状況が異なれば、最適の金利も異なる。どちらに対しても中間的な「3%程度の金利」なんてことにしたら、経済の最適化はできない。もしそうしたら、高度成長期にはとんでもないインフレが発生しただろうし、1990年代後半〜2000年代ではとんでもない不況になっていただろう。
 では、どうして、こういう違いが生じるか? 答えを言おう。こうだ。
 「マネタリストは、最適の金利水準というものがあると考える。しかしながら、金利には、最適の金利水準などは存在しない。金利とは、絶対水準によって効果が決まるものではなくて、上げるか下げるかという変動幅によって効果が決まる」
 たとえて言おう。摩擦のない状況で自動車が走っているとする。慣性によって、一定速度だ。ここで、アクセルを踏むと加速、ブレーキを踏むと減速。このアクセルとブレーキの効果が、金融政策の意味だ。速度が低すぎれば(景気が冷えていれば)、アクセルを踏む。速度が高すぎれば(景気が過熱していれば)、ブレーキを踏む。そのようにして、速度の最適化がなされる。……ここでは、アクセルを踏むかどうかは、速度の絶対値には依存しない。なぜなら、最適の速度などは、存在しないからだ。高速道路では、時速 100キロ。危険な山岳地帯では、時速30キロ。最適速度は、それぞれ異なる。状況に応じて、最適速度は異なる。単一の最適速度などは存在しない。なのに、最適速度が存在すると信じて、「常に時速 50キロ」などと決めれば、高速道路では遅すぎるし、山岳地帯では速すぎる。
 マネタリズムは、まったく間違った発想を取るがゆえに、現実に不適切な政策を取る。間違った前提からは、間違った結論しか得られない。── ここに、現在の欧州の根本的な問題がある。

 [ 補足 ]
 なぜマネタリズムは、間違った発想を取るか? 古典派だからだ。需給曲線の発想に縛られて、ミクロ的な発想で、IS−LM みたいな曲線で、貨幣量と生産量の関係をモデル化する。しかしながら、現実には、そんなモデルはまったく成立しない。
( → 詳しくは 7月26日 。また、7月25日4月21日 も参照。)


● ニュースと感想  (10月01日)

 「年金の強制徴収」について。
 年金の納入率は 63%だという。(朝日・朝刊 2005-06-04 )
 で、年金制度改革や社会保険庁の改革をめぐって、「社会保険庁と国税庁を一体化して、年金を強制徴収せよ」という意見がある。(朝日・朝刊・社説 2005-06-02 )
 しかし、この意見は、おかしい。「国民の3分の1を犯罪者のように扱う制度は、根本的に狂っている」と認識するのが先決だ。仮に、徴収がうまく行かなかった場合、まさか、国民の3分の1を監獄に入れるわけにも行くまい。
 そもそも、この意見は、強制徴収のコストをまったく無視している。うまく徴収できても、徴収コストが15%ぐらいかかる。うまく徴収できなかった場合には、コストだけがかかって徴収量はゼロだ。
 ま、それでも、得た金が国庫に入るのならば、残りの85%の分だけが黒字になる。しかし現実には、違う。歳入が 100だとすれば、徴収コストが 15で、本人にそのまま年金として支払う分が 100で、年金に対する国庫補助が 5〜10ぐらいある。合計して、100の歳入に対して、125〜130の歳出だ。大幅に無駄になる。しかも、国庫補助の分は、別に無駄ではなくて、ただの福祉だが、徴収コストの 15の分は純然たる無駄である。
 やればやるほど、国庫の赤字が莫大に増えるわけだ。

 となると、強制徴収を大幅に実施した場合、他の人の年金水準は大幅に切り下げる必要がある。一つは、徴収コストの分。もう一つは、年金に対する国庫補助の分。
 たとえば、月に20万円もらえる夫婦なら、月に15万円まで、もらえる年金を下げる必要がある。強制徴収というのは、それほどにも、他の人々に損害をもたらす制度だ。強制徴収で利益に比べて、その何倍ものコストを、無駄に発生させる。
 コスト意識がないと、こういう馬鹿げたことを主張するようになる。朝日の論説記者ってのは、小学校で算数を習っていない連中ばかり。

 [ 付記 ]
 強制徴収した場合、納入期間が25年に満たない人の場合、強制的に没収されることになる。国家による強奪だ。犯罪とも言える。年金料さえも負担できないような、一番弱い連中を狙って、ことさら金を収奪する。マフィア並みですね。血も涙もない。いや、むしろ、弱者狙いであるから、悪魔的だ。


● ニュースと感想  (10月02日)

 「年金の本質的矛盾」について。
 年金制度については、「現状のままでは制度が破綻する」という意見がある。(たとえば、朝日・朝刊・特集面 2005-06-13 )
 しかし、よく考えると、この話はおかしなところがある。というのは、次のことがあるからだ。
 「年金制度の加入者が増えると、年金受給者に対する国庫負担が増える。逆に、年金制度の加入者が減ると、年金受給者に対する国庫負担が減る」
 このことから、冒頭の意見は、次のことを意味する。
 「国は、国庫収入が増えると困る。逆に、国庫収入が減ると好ましい」
 つまり、「金が増えると悪い。金が減ると良い」というわけだ。これは、おかしな話だ。 ( → 4月09日 にも同趣旨 )

 この矛盾(?)は、次のように解釈すれば、ほぐすことができる。
 「制度の破綻と、金銭的な損得とは、別問題である」
 このことから、こう結論できる。
 「年金加入者が減ると、制度が破綻する。しかし、制度が破綻するからといって、とくに大騒ぎする必要はない。金が消滅してしまうわけではなく、逆に、金が増えるからだ」
 似た話を示そう。倒産しかけた企業がある。この企業が倒産すると、企業は破綻する。しかし、破綻した方が、利益になる場合もある。それは、企業が無駄に赤字を垂れ流している場合だ。ここで、「破綻させるのは駄目だ」と大騒ぎしても無意味である。破綻すると、その企業に勤めている労働者は一時的に困るだろうが、労働者が他の企業で雇用されるなら(つまり不況でなければ)、破綻は、別に、悪いことではないし、むしろ、良いことだ。
 この話は、ぴったりの比喩ではないが、「破綻と損得(善悪)とは別だ」ということを示す例となる。

 年金制度に戻って考えよう。
 年金加入者が減ると、制度が破綻する。で、破綻すると、どうなるか? 何百兆円という莫大な金が、一挙に消滅してしまうのか? いや、そんなことはない。制度が破綻しようがどうなろうが、それは金の損得とは別のことだ。
 では、正しくは? こうだ。
 「年金加入者が減ると、金は年金制度から、個人の手元に移動する」
 つまり、金が左から右へと移動する。それだけのことだ。で、左(年金制度)の方では、金が消えるので、「大変だ、大変だ」と年金制度の関係者は騒ぐ。しかし、そのとき同時に、右(個人の手元)の方では、金は増えている。左で百兆円減れば、右で百兆円増えている。差し引きして、トントンである。何も損は生じていない。
( ※ 正確に言えば、右で百兆円増えたとき、左では百兆円でなく80兆円減るだけだ。差額の20兆円は、年金についての国庫負担分だ。年金加入者が減ると、その分、国庫負担が減る。その分が20兆円。)
 図示しよう。

           国庫         国民
 制度OK   ■■■■■    _____
             ↓          ↓
 制度ダメ   ■____    ■■■■■
         「四つ消えた!」
         と大騒ぎする

 年金制度が破綻すると、国民(若者世代)の金が、国庫から国民へと移る。すると、年金制度の側を見ている限りは、四つの■(80兆円)が消えたので、「大変だ、大変だ、制度が破綻する」と大騒ぎする。しかし、そのとき、国民の側では百兆円増えているのだから、ちっとも大騒ぎする必要はないのだ。

 では、具体的には、どう対処すればいいのか? 簡単だ。こうすればいい。
 「国民の側に移った金を、国庫の側に戻す」
 これだけのことだ。いったん移動した四つの■(80兆円)を、国庫の側に戻す。それだけで、年金制度の破綻は免れる。
 しかしながら、現実には、この方策は実行ができない。なぜか? 現在の年金制度は、そのことを拒否するからだ。つまり、国民の側が「金をまとめて納入します」と申し出ても、「いや、ダメだ、受け取れないね」と国庫の側が拒否する。
 つまり、「未納期間が十年間あるので、利子を付けてまとめて支払います」と国民が申し出ても、政府は「いや、ダメだ。未納の分は、あとでまとめて支払うことを禁じる。きみが払いたいと言っても、受け取れないね」と拒否する。( → 資料。つまり、後納できる期間は十年間に限られ、しかも、あらかじめ申し出た場合に限られる。孟子でない場合は、「未納」として扱われ、後納はできない。)

 後納できないこと。国民が金をまとめて払いたがっても、政府が受け取りを拒絶すること。国民が「不況のときには現在の生活を守り、好況のときにはたっぷり払う」と申し出ても、政府が拒絶すること。── このことこそが、年金制度の破綻の根本原因である。年金制度の破綻の根本理由は、年金制度に制度的な欠陥があるからだ。つまりは、責任があるのは、制度を歪めている政府である。政府が馬鹿だから、政府は自らの馬鹿さを、国民の責任にしている。それが現状だ。
 そして、もう一つ、マスコミにも責任がある。マスコミはしきりに嘘を並べ立てる。「個人年金に加入するよりは、国民年金に加入する方が、お得ですよ」と。── これは、とんでもない嘘八百だ。これは、古典派経済学と同じ錯覚にとらわれている。それは、次の前提である。
 「所得が一定であれば」
 この前提が満たされるならば、マスコミの解説は成立する。古典派の理屈で言えば、確かにその通り。所得が一定であれば、利子収入だけで、損得は決まる。利子収入が多い国民年金の方が、得である。
 しかし、現実には、この前提は満たされない。不況のときには、所得が著しく低い。たとえば、若者世代では、フリーターが多くて、月に十万円程度のアルバイト収入で暮らしている人も多い。これらの人々が、無理に年金に金を払ったら、どうなるか? 大変なことになる。アパートの家賃を払えなくなって浮浪者となって風邪を引いて死ぬとか、電気代を止められて冷蔵庫の肉が腐って食中毒で死ぬとか、病院に行く金がなくて病死するとか、生死にかかわることさえある。だから、政府やマスコミが言っているのは、こういうことだ。
 「老後の生活を心配するために、金銭勘定の損得で、現在の金を払え。そのためには、餓死してもいい」
 つまり、「生死」よりも「損得」が大事だ、ということだ。しかし現実の人々は、「老後の得」よりも「現在の生命」の方が大事である。なぜなら、今現在、死んでしまえば、「老後の得」などはありえないからだ。
 ところが古典派経済学によれば、「常に所得は十分にあって、死ぬことはないと仮定しよう。その仮定のもとでは、損得を考えればいい」というふうになる。で、国民は、馬鹿らしくなって、
 「ふん。死んだあとでも生きていると仮定する? たわけたことを言うな」
 と感じる。かくて、年金納付をやめて、現在の生存を選ぶ。そして、それは、正常なことなのだ。将来、景気が回復したら、そのときになってまとめて、多額の年金料を支払えばよい。景気というものは、3年間ぐらいで、正常化させることができるのだから、それでいいのだ。そして、3年間のつなぎのためには、国庫が国債を発行して、一時しのぎをすればいい。それだけのことだ。

 結局、現状の問題は、こうだ。
 「後納を認めないこと」(未納として扱うこと)
 「景気対策をやらないこと」(間違った対策をすること)
 この二つだ。いずれにせよ、政府が悪い。政府がこんな馬鹿なことをやめれば、年金問題はあっという間に解決する。私が首相なら、こうする。
 「後納を認める。ただし市中金利よりも少し高い利子を追徴する」
 「景気対策をやる。大幅な所得税減税。(景気回復後に増税)」
 これで、年金問題は、一挙に解決する。数十兆円の穴があいているとしても、その金は、後納によって追徴すればいい。別に、どうってことはない。金が右から左に移るだけだ。そのことで、国民は、損をするどころか得をするのだから、喜んでそうするだろう。(現状では、政府がそれを拒否するが。)

 なお、問題の根源を示そう。それは、こうだ。
 「常に一定額の納入を義務づけること」
 これは、サラリーマンや公務員にはうまく適用されるが、自営業者や失業者には適用が困難だ。なぜなら、所得が変動するからだ。そして、所得が変動する理由は、景気の変動である。景気の変動の理由は、政府の経済政策の失敗である。政府の経済政策の失敗の理由は、政府が古典派経済学(サプライサイドやマネタリズム)を採用していることだ。
 古典派経済学を採用する限り、景気の変動は必ず起こるし、また、不況になったら脱出できない。結局、年金制度を破綻させている原因は、政府の信じる経済理論にある。
 この根源を無視して、「強制徴収せよ」なんていうのは、とんでもない本末転倒だ。政府がおもらしをしたあとで、国民に尻ぬぐいをさせる。
 しかも、マスコミは、このことをしきりに推進する。「年金の強制徴収をせよ。脱税のように扱え」と。つまり、国民の三分の一を脱税犯のように扱って、数千万人を監獄に入れようとする。……暗黒国家ですね。


● ニュースと感想  (10月03日)

 「阪神優勝と失敗学」について。
 阪神が優勝した。その試合で敗北した巨人の選手は、さっさと試合場をあとにした。しかし高橋由伸選手だけは、その場に残って、阪神選手が歓喜に湧く様子を目に焼きつけていた。「この悔しさをしっかりと心に刻みつけよう」として。他の選手は、優勝の騒ぎを見る屈辱に耐えがたくて、尻尾を巻いて逃げ出したが、高橋選手だけは、屈辱を心で深く味わおうとしたのだ。

 さて。話は転じて、失敗学の話。
 日航が鷹巣山の事故の残骸を実物保存する、という報道があった。(先月末)。「過去の失敗を心に刻みつけて忘れまい」ということを目的とする。これは「おのれの失敗を直視しよう」という姿勢だ。日本の企業には珍しい態度である。不思議に思っていたが、朝日に関連する情報の記事があった。(朝刊・第三社会面 2005-10-02 )
 実は、日航の方針の二カ月ほど前に、全日空が同様の方針を表明したという。34年前の雫石事故の残骸を実物保存する。狙いは、日航と同様だ。実は、こちらが先で、こちらを日航が真似したらしい。
 で、全日空の方針は、27歳の女性社員の提案がきっかけだったという。これが最初にあったわけだ。

 この話からは、いろいろと教訓を得られる。と同時に、冒頭の(高橋以外の)巨人の選手の態度にも、いろいろと「他山の石」とすべき点が窺える。
 読者もいろいろと考えてみるといいだろう。

 [ 付記 ]
 上記の女性社員の提案について、ついでに言及しておこう。
 一般に、どんな提案であれ、最初は一人の頭に思い浮かぶ。多くの人たちの頭に同時に珍しい提案が思い浮かぶということはない。
 ただし、日本という国では、こういうことはなかなか認めがたい。たとえば、どこかの変人が、文字コードで「字形の変更」という提案をすると、「トンデモだ」という大合唱が起こって、彼を攻撃する。その後、政府がその方針を採用して、国の方針として定めると、今度は正反対の合唱が起こる。「あいつが提案したんじゃないぞ。本当はたくさんの人の頭に同時にその提案が発生したんだ。そんな提案は常識的じゃないか。誰にだって思いつくはずだ」
 採用決定前には「トンデモだ」とゲテモノ扱いして、採用決定後には「常識だ」と当然視する。まったく正反対の理由で、変人を批判する。……これが今の日本である。
 「赤信号 みんなで渡れば 怖くない」
 「青信号 一人で渡れば トンデモだ」
 なお、本件(全日空の社員の提案)では、朝日の記事は、提案者の実名を挙げて報道した。この朝日の態度は、非常に立派だ。「発案者を重視する」という態度があってこそ、世の中は進歩するからだ。「個の抑制」なんていう態度からは、決して進歩は起こらない。
( ※ 本項では、朝日を褒めているが、褒めるばかりではない。別の箇所では、朝日をけなしている。 → Open ブログ 「バカ記事の批判」」

● ニュースと感想  (10月04日)

 「靖国参拝の違憲判決」について。
 靖国参拝の違憲判決が出た。二つの判決が出たが、一つは「私人としてだからOK」であり、もう一つは「公人としてだから駄目」だ。どっちにしろ、「公人としては駄目」であり、違いは「私人か公人か曖昧にする」という首相の態度を「私人」と見るか「公人」と見るかの違いだけ。見方の違いだけ。公的参拝が違憲であるという点では、もはや異論の余地はないようだ。また、小泉自身、「公人としてではない」と主張している。
 
 靖国論議は、これまでも何度か書いてきたから、本項では割愛する。過去分を見たければ、下記で。
   → 過去ログ
 で、靖国論議とは別のことを、本項では書こう。

 (1) 違憲
 小泉は「裁判所の判断は間違っている。そんなのは無視してやる」と息巻いている。しかし、これは、公務員として、あるまじき態度だ。「公務員は日本国憲法を尊重する義務がある」というふうな文句が憲法に書いてあったと思う。(うろ覚え。)
 ま、それはさておき、首相が「裁判所の言うことなんか無視してやる」と息巻いて、いいんでしょうかねえ。普通の市民ならともかく、首相たるものが。……この伝でえうと、国家公務員はみんな法律違反となる談合でも何でもやり放題になり、判決が出ても、「裁判所が間違っている」と言い逃れることが可能だ。で、「最高裁までは 」と言い逃れて、あげく、最高裁まで行って、敗訴が決定すると、「最高裁が間違っている」と言い逃れる。
 小泉ってのは、頭は悪くても、男らしい正義漢かと思ったが、本当は、負けてもジタバタするような卑劣感であったわけだ。「潔い」という言葉とは正反対の、「往生際の悪い」下劣な男であったわけだ。「精神が腐っている」と言えよう。

 (2) 私人と宣伝
 「私人である」と言い逃れているが、「内閣総理大臣」と記帳して、どうして私人なのか? 頭がイカレているとしか思えない。本人は、公用車の利用などについて、「オペラの観劇と同じだ」などと述べているが、オペラの劇場で、「内閣総理大臣」と記帳しているわけではあるまい。また、一般人に混じって、普通の席に着いているのだろう。(周辺の席はSPがいるのだろうが。)ま、その場合は、私人である。
 一方、舞台に上がって、「内閣総理大臣の小泉首相から花束贈呈があります」と紹介されて、プリマドンナに花束を贈ったら、それはもはや私人としての行為とは言えない。ここでついでに握手することもあるだろうし、それを「職務」というふうに決めつけることはできないが、職務の延長上にある行為であろう。(それが証拠に、内閣総理大臣の肩書きを失ったら、そういうことはできない。)
 ま、公人と私人との区別には、中間的な領域があって、曖昧さがあるところもある。とはいえ、プリマドンナとの握手ぐらいなら、たいていの人は目くじらを立てないだろう。
 一方、次のような行為もある。
 「小泉がテレビのCMに出演して、『内閣総理大臣、小泉純一郎です』と自己紹介して、画面にドリンクを示して、『私は毎日これを呑んで、元気ハツラツです』と叫ぶ」
 これはもはや、私人としての行為とは言えない。本人はそのつもりだとしても、ここで「内閣総理大臣」という言葉を使って自己紹介すれば、それはもはや私人としての行為ではない。
 とすれば、次の行為も、同様だ。
 「公明党の神崎が首相になってから、神崎首相がテレビのニュースに出て、『内閣総理大臣、神崎です』と自己紹介してから、画面に創価学会の総本山の寺を放映させて、社寺の仏像(?)の前で頭を下げて参拝する」
 これはもちろん、創価学会を普及させるための宗教活動である。私人としての行為ではない。
 次の行為も同様であろう。
 「小泉がテレビのニュースに出て、『内閣総理大臣、小泉純一郎です』と自己紹介してから、画面に靖国神社を放映させて、『私はここに参拝します』と語って、祭壇(?)の前で頭を下げて参拝する」
 これも、私人としての行為とは言えない。靖国神社を宣伝するための宗教活動である。
 
 結語。
 プリマドンナとの握手ぐらいなら、曖昧な公私混同みたいなことがあってもいい。しかし、宗教活動については、「公務としては駄目」ということがはっきりと憲法に記述してあるのだから、曖昧さを残すようなことがあってはならない。公私の区別をはっきりとする必要がある。オペラの観劇なら、公用車を使っても構わないが、靖国参拝のようなときには、報道陣を大々的に引き連れてテレビで大々的に報道されるようなことがあってはならない。
 仮に、私人としての行為であるなら、「私人としての行為だからテレビで放映しないでくれ。そっとしておいてくれ」と要求するべきだろう。たとえば、「小便をするのは私人としての行為だから、テレビで放映しないでくれ」と頼めば(頼まなくても)、テレビは放映しない。靖国も、私人としての行為であれば、「放映禁止を」と頼むのが当然だし、自分自身、予告なしに、こっそりと参拝するべきだろう。(小便と同様である。)
 小泉のやっていることは、「私人の行為」と称しながら、公衆の面前でわざと堂々と見せびらかしているようなものだ。いわば、「小便は私人の行為だ」と称しながら、テレビにわざわざ出演して、テレビカメラの前で小便をするのと同様だ。……露出狂。
 小泉というのは、破廉恥な「露出狂」も同然である。でなければ、もっと悪い。総理としての肩書きを利用しながら、「私人である」と嘘をついているわけで、国民全体をだましている大嘘つきだ。
 ま、こういう「嘘つき」ないし「詐欺師」というのが、小泉の本質であろう。「露出狂」よりも、ずっと悪質である。

  【 追記 】 ( 2005-10-04 )
 「違憲判決」と上記では述べたが、法律用語では、これは不正確であったようだ。「判決」の本文と、それ以外の説明文における文章とは、異なるからだ。後者は、「判決」でなく「判断」と書かれることが多い。
 この二つは、法律的には、(形式的・法律的に)異なる。とはいえ、普通の人から見れば、「裁判所は文章全体で、こういうことを語っている」というふうに見ているだけだから、おおざっぱに「判決」と呼んでも、さして間違いとは言えまい。(法的効力の点では違うが。ただ、本項は、法律論を述べているわけではない。)
 なお、各社のニュースでは、「判断」と書くことが多い。
( ※ この「追記」は、読者からのご指摘を受けて、加筆した。)


● ニュースと感想  (10月04日b)

 → Open ブログ 「エネルギー消費効率」


● ニュースと感想  (10月05日)

 「財政赤字とマネタリズム」について。
 マネタリストの竹森俊平が次のように主張している。(読売・朝刊・1面コラム 2005-10-03 )
 「団塊の世代が07年から09年にかけて引退するので、家計貯蓄率が急落する。そのせいで資金供給が細るので、景気回復にともなう(企業の)資金需要をまかなえない。だから、その分は、外資に頼るしかない。現在は金余り状態で、日本は外国に資金を貸しているが、今後は逆に、外国から資金を借りるしかない。だから、外資が国債を買ってくれるように、過国債の魅力を高めよう。」
 なるほど、論理的には、整然としている。では、その結果、どうなるか? 
 現在では、どんなに多額の借金がふくらんでも、それは日本国内の貸し借りにすぎない。主として高齢者が貯蓄して、国民全体が(財政赤字の形で)借金をしているが、しょせん、国民間の貸し借りだから、国民全体としては、借金していることにはならない。「国民間の配分の差」があるだけだ。これは本質的には「日本が借金している」のとは違う。日本政府ないし日本国民は莫大な借金を負っているが、それと同額、国内の誰かが債権を持っている。赤字と黒字は釣り合っている。
 しかるに、外資から金を借りたら、どうなるか? 国民全体が、外国から金を借りることになる。ここでは、日本政府ないし日本国民は莫大な借金を負っていて、かつ、かなりの額、国外の誰かが債権を持っている。これは本質的には「日本が借金している」ことになる。……そして、この状態が行き過ぎると、最終的には、アルゼンチン化して、国家財政が破綻する。
 竹森俊平は、「米国だって赤字を垂れ流しているが、経済は好調である」と主張して、「赤字の垂れ流し」を是認している。しかしこれは、認識が正反対だろう。一般に、「赤字を垂れ流す」ときには、経済は好調なものであり、逆に、「赤字を減らして財政再建に努める」ときには、経済は悪化するものだ。彼は経済学のイロハさえも知らないようだ。
 「赤字の垂れ流し」というのは、短期的には好況をもたらす。たとえば、現在のアメリカがそうだし、破綻する数年前のアルゼンチンもそうだ。いずれもその時点では、借金をして浪費をすることで、「わが世の春」を謳歌していられる。しかし、その間も、借金はどんどん雪だるま式にふくらんでいく。そして、あるとき突然、破綻が起こる。
 実は、「バブル膨張 → バブル破裂」という日本の歴史も、原理的には同様の構造にあった。バブル時代は過剰消費して「わが世の春」を謳歌したが、あるとき突然、破綻する。
 これらに共通することは、「永遠の借金などはありえない」ということだ。そして、それが「国内だけの借金」であるならば、本質的には大きな問題とならないが、「外国との借金関係」であるならば、本質的に大きな問題となる。国家経済の破綻。アルゼンチン化。

 だから、「資金が不足するから、外国資金に頼れ」という竹森俊平の主張は、根源的に狂っているわけだ。では、なぜ、彼はそういう狂った主張をするのか? ── それが問題となる。
 実は、それは、彼の発想の根源が理由だ。それは「マネタリズム」の発想である。すなわち、こうだ。
 「経済を好況にするには(生産量を増やすには)、金利を下げるべきだ」
 ここでは、生産量を決めるものは、「金利」だけである。それゆえ、生産量を拡大するためには、「金利」を下げるしかない。そのためには、外国からの借金が必要となる。(国内だけで資金を増やす量的緩和は、物価上昇を起こすので、これは却下。)

 実は、この発想が根源的に狂っている。すなわち、マネタリズムの発想が、根源的に狂っている。では、正しくは? 
 「生産量を増やすには、金利を下げる必要はない。増減税によっても、生産量を調整することができる。(タンク法の発想)」
 この発想のもとで、次の結論が出る。
 「企業の需要をまかなうには、量的緩和も必要なく、外資も必要ない。国内の貯蓄率を上げるだけでいい。ただし、生産量が一定のまま、貯蓄率を上げると、消費が減って、逆効果になる。ゆえに、生産量を増やしながら、増えた生産量の範囲内で、貯蓄率を上げればよい」

 上のことをわかりやすく言おう。こうだ。
 GDPが 500兆円だとする。その後、資金需要が 20兆円増えたとする。その 20兆円を、どうまかなうか?
 マネタリストは、こう考える。「日銀が 20兆円を出すか、外資が 20兆円を出すか、どちらかだ。前者だと、物価上昇が起こり、インフレとなり、まずい。ゆえに、外資に頼ればいい。外資が 20兆円を貸してくれればいい。そうすれば、利上げが起こらないので、低い金利のもとで、経済は順調に成長する」── この場合、真の借金が雪だるま式にふくらむ難点には、目をつぶっている。アルゼンチン化することに、目をつぶっている。これは、「サラ金から借りれば、毎日が幸福だ」という発想である。
 マクロ経済学者は、こう考える。「成長のために必要な資金は、自分自身が働いて生み出せばいい。すなわち、大切なのは、働くこと(生産活動をすること)だ。GDPが 500兆円から 530兆円に増えれば、手元の金が 30兆円増える。その金を、消費ばかりに回さず、20兆円を投資に回せば、投資のための 20兆円の資金をまかなえる。必要な資金は、誰かから借りるのではなくて、自ら働いて生み出すべきなのだ。……ただし、働ける状況が整っていないことがあるから、働ける状況を整えるためにだけ、資金を借りてもいい。その借りた資金は、働けるようになった時点で、ただちに返済する」
 これは要するに、「中和政策」である。不況のときに借金して、好況のときに返済する。不況のときには減税をして、好況のときには増税をする。そのことで、国民がたくさん働けるようにして、国全体の生産量を増やす。国全体の生産量が増えるから、外国から金を借りなくても、自らの成長のための資金をまかなえる。(ただし、その際、目先の贅沢のために消費しないで、将来の成長のために投資する必要がある。)

 マネタリズムの発想とマクロ経済学の発想は、かくも大きく違うのだ。そして、マネタリズムの発想に従うと、日本は外国から莫大な借金を負い、最終的には、アルゼンチン化して、破綻する。
 マネタリズムの経済学者ほど、危険なものはない。彼らの意見は、悪魔の声だ。その声に従うと、何年間か、すばらしい幸福を味わえる。働きもしないのに、どんどん金が湧いてでて、すばらしい贅沢をできる。……しかし、その後、きまぐれな借金取りがやってくる。「今までは黙っていたが、そろそろ返してもらおうか」。そのとき、国家経済が破綻する。アルゼンチン化。

 マネタリズムの優しい声は、悪魔の甘美なささやき。


● ニュースと感想  (10月06日)

 「国債暴落」について。
 景気回復のあとでは、国債暴落が予想される。なぜ? 次の理由だ。
  「景気回復 → 資金需要増大 → 市場金利上昇 → 債券価格下落」
 これはもちろん正しい。問題は、「国債暴落はよいことか悪いことか?」ということだ。このことを考えてみよう。

 世間では国債暴落を心配する。次のように。
 「国債が暴落すると、国債を保有している銀行などが、大損をする。その分、その損のツケ払いが国民にまわってくる」
 これは事実である。では、それは、良いことか悪いことか? 単純に考えれば、「悪いことだ」と思うだろう。素人ならば、なおさらだ。しかし、マクロ経済学的に考えてみよう。
 マクロ的には、債券の価格が下落した場合、債権者が損をこうむる。では、その分の金は、どこへ行ったのか? 空へ消えてしまったのか? もちろん、そんなことはない。債権者が損をすれば、その分、債務者が得をする。マクロ的には、トントンである。
 では、債務者とは、誰か? 国債ならば、国債の債務者は国民全体である。民間の社債ならば、企業である。銀行からの長期固定金利融資という形の再建ならば、債務者は、住宅ローンを受ける個人や、設備投資の融資を受ける企業である。これらの人々は、市場金利が上昇した分、古い債務の金利が据え置かれることで、実質的に得をする。
 では、トータルすると、どうなるか? 「債権者 → 債務者」という形で、富の再配分が起こったことになる。要するに、「金を貯めた人が損をして、金を使った人が得をする」という形だ。そして、国民全体では、たったの1円でさえ無駄に消えることはない。たとえれば、こうだ。誰かが1円を損して、他の誰かが1円を得することはある。しかし二人をまとめれば、損得なし。……こういうふうに、「全体を見れば損得なし」ということが、日本全体を見れば成立する。単に、「配分の変更」があるだけだ。

 では、配分の変更は、良いことか悪いことか? 実は、良くも悪くもない。なぜなら、それは、とうに告知されていて、誰もが自分の責任で行動しているからだ。(自己責任。)
 ここでは、「金を貯めた人が損をして、金を使った人が得をする」ということが明示されている。だから、「得をしたければ、金を貯めずに、金を使えばよい」とわかる。この告知を得たあとで、各人は、次のいずれかを取ると判断をする。
  ・ 得するために、金を使う。
  ・ 損してもいいから、とにかく金を貯める。
 前者を取れば得をする、とわかっている。だから、前者を取ればいいはずだ。しかし、現状は、後者が多い。だから、需要不足となり、不況が続く。逆に、前者が増えれば、需要が拡大して、不況を脱する。……こういうことを理解するべきだ。
 なお、前者の場合、おおまかには「誰もが得をする」というふうになる。ただし、それは、空から金が降ってくるからではない。労働量が増えるからだ。そして、その結果、国全体では、生産量が増えて、富が増えるのだ。

 結語。
 「国債暴落が起こると、莫大な損が発生する」という心配がある。しかし、それは、物事の半面を見ているだけだ。もう半面では、ちょうど同額の得が発生する。全体を見れば、損得なしだ。ただし、配分の変更が生じる。そして、その原理を知って、人々が「得をしよう」という行動を取れば、まさしく不況を脱して、ほぼ全員が得をするようになる。(その代わりに失うものは、金ではなくて、時間である。……労働量の増加。)
 国債暴落は、景気回復にともなって必然的に起こる現象であり、良くも悪くもない。マクロ的には、そう言える。

 [ 付記 ]
 ただし、国債暴落が急激だと、「混乱が起こる」というマイナス面はある。この問題を回避するには、「急激な物価上昇を避ける」ために、「量的緩和を過剰になさないこと」が必要だ。……この件は、何度も述べたとおり。
 世間では、「景気回復を確実にするために、量的緩和を続けることが必要だ」などと述べているが、これは正解とは正反対の政策である。それは国債暴落を促すだけだ。
 正解は、「量的緩和を縮小して、早めにゼロ金利を脱すること」である。ゼロ金利が長く続けば、それだけ、その後の金利の急変動が大幅になる。図形で示せば、だいたい、次のようになる。
   量的緩和を継続:  _/ ̄  (金利は急激かつ大幅に上昇。国債は大暴落)
   量的緩和を縮小:      (金利はなめらかに少しずつ上昇)
 なお、量的緩和を縮小しても、景気回復を促進するには、もちろん、「減税」をすればよい。

( ※ 国債暴落についての似た話[去年] → 10月04日12月08日 )
( ※ 増税や国債返済については、「財政再建」の話題で、先日も長々と詳しく述べた。 → 11月21日 以降 ,12月13日 以降 ,1月17日

  【 追記 】
 前項と本項とを比較するといい。話の趣旨が違っているようにも見えるが、それは、国内と国外との差があるからだ。(開放経済と閉鎖経済の差。)
 本項で述べたことは、「対内的な(国民間での)借金関係があっても、あまり問題はない」ということだ。
 前項で述べたことは、「対外的な(外国からの)借金があると、大きな問題がある」ということだ。
 だから、財政赤字がどんどん拡大することは、一概に「良い/悪い」とは言えない。国内でなら、政府に財政赤字が拡大しても、その分、国民(債権者)には黒字が増える。国外なら、政府に財政赤字が拡大すると、その分、外国(債権者)に黒字が増える。……両者はまったく別のことだ。「国全体として見たときに赤字があるか否か」という違いがある。
 比喩的に言おう。ある家の家族内で、息子が借金して、その借金の金を父が貸しても、たいして問題ではない。一家全体では、借金はないからだ。あくまで家庭内の問題にすぎない。一方、息子が借金して、その借金の金をサラ金業者が貸せば、おおいに問題がある。一家全体で、借金があるからだ。これはもはや家庭内の問題ではない。
 両者の違いを理解しよう。


● ニュースと感想  (10月07日)

 前項の続き。「バブル再燃」について。
 前項では、「量的緩和なんかやらない」ということが肝心だ。ところが最近、あらためて「インフレ目標の実施を」なんていう主張が出てきている。
 この方針だと、「量的緩和を過剰に」という現状が追認され、やはり、上記の悪弊が出る。下手をすると、再び、バブル膨張とバブル破裂になるかも。
 不況のときならバブルが膨張してもいいだろう、と思うのは、早計だ。現状では、企業業績が改善している。これはつまり、「稼働率が向上している」ということであるから、「余剰生産力がなくなっている」ということと同義である。となると、消費が急に拡大した場合、企業は生産を十分に増やせない。
 だから、大切なのは、「需要の突発的な急拡大をしないこと」である。ところが、過剰な資金が滞留していると、眠っていた資金が急に目覚めることがある。すると、こうなる可能性がある。
  何らかの需要拡大 → 投資拡大 → 需要拡大 → 投資拡大 → 需要拡大 → ……
 というふうに、スパイラルが生じる。ここで、大量の資金が急に投資につぎこまれると、一部は資産市場にも流れ込んで、バブルになるかもしれない。で、その後、バブルにともなって物価が急上昇し、それを防ぐために高金利政策が取られ、そのとたん、バブルが破裂し、ふたたび急速に景気悪化して、ふたたび長い不況期に突入する……というふうになりかねない。
 というわけで、「需要の突発的な急拡大」をもたらすような、大量の資金の滞留は、まずいわけだ。
 大量の資金の滞留は、国債にいいては「国債暴落」を意味し、実体経済においては「景気過熱」とその後の失速・墜落を意味する。やばいですね。
 ついでに言えば、これらの原理のすべては、「マネタリズム」という現在の主流派の経済学が間違っている(限界がある)ことによる。マネタリズムは、ある程度の景気変動にはうまく適用できるが、大幅な景気変動には適用できない。それどころか、逆効果があり、経済を破壊する。……素人療法みたいなものです。軽い病気にはうまく効くが、重い病気には逆効果。「軽い病気のときにはうまく行ったから、重い病気のときにもうまく行くだろう」と信じて、しきりにやる。しかし、いくらやっても、全然効果ががない。効果がないのに、効果があると信じて、十三年。いまだに事実を理解できない無知蒙昧。そんな彼らが日本経済を動かす。十四年目。


● ニュースと感想  (10月08日)

 「阪神買収と村上ファンド」について。
 村上ファンドが阪神電鉄の株を買い占めている。タイガースの球団を上場しようと目論んでいるようだ。この件は、ライブドアの件によく似ているが、実は、事情はまったく正反対である。「買い占めは自由経済に任せるといい」ということにはならない。
 この問題を理解するには、本質を考えるといい。すると、次のことがわかる。
 「ライブドアの場合には、事業展開の一環として、球団買収があった。しかし村上ファンドの場合には、投機的な売り抜け(つまりマネーゲーム)のために、親会社の株式買収がある」
 その違いは、何か? 「全体としての増減があるか」という観点から見たとき、ライブドアの場合には全体としてプラスになるが、村上ファンドの場合には全体としてマイナスになる。ただし、全体としてマイナスになるとしても、村上ファンドだけは大きな利益を得ることができる。それも、短期間に。── これは、詐欺師の手口である。

 世間は詐欺師の手口を理解しないらしいから、私が教えておこう。
 一般に、ハゲタカファンドは、「安値で買って、価値を高めてから、数年後に高値で売る」というふうにする。この場合は、全体としての価値が高まるから、問題はない。むしろ、好ましい。
 一方、村上ファンドは、「安値で買ってから、数カ月後に、高値で売り抜ける」というふうにする。どうやって? 市場で売れば、高値で売るどころか、安値で売るしかない。そこで、売る相手としては、当の会社自体にする。そうすれば、当の会社は大損するが、村上ファンドだけは大儲けだ。
 では、どうやって? 当の会社が短期間に大幅に価値を高めることはできない。しかし、当の会社が短期間に大幅に価値を下げることはできる。このことを、脅迫の材料にする。「おれの言うことを聞かないと、お前の価値を大幅に下げてやるぞ」と脅迫して、「いやなら、高値で引き取れ」と強要する。……詐欺というよりは、脅迫である。
 今回の場合は、こうだ。
 「球団の株を上場しても、それ自体は、特に損得はない。たとえば、百億円の価値の物を百億円で売って、親会社が百億円を手に入れれば、親会社は損得がない」
 ここまでは、普通の市場原理である。ただし、その先が違う。詐欺師は、次のようにする。
 「市場に出た株式のうち、51億円分を高値で買い占める。そのあと、この51億円分の株式を、倍の百億円で引き取れと要求する」
 こう要求されたら、親会社としては、「はい」と承諾するしかない。なぜか? ここには、次の原理があるからだ。
 「球団の価値は、市場にとっての価値に比べて、親会社にとっての価値は、ずっと大きい」
 球団の価値は(たとえば)百億円にしかならないだろう。それは、市場価値である。つまり、経済的に独立採算性を取った場合の価値だ。一方、親会社にとっては、市場価値をはるかに上回る価値がある。それは、宣伝効果や付随効果だ。(優勝セールの価値や、電車に乗ってもらう価値。)……こういう価値があるから、親会社にとっては、全体で百億円の2倍か3倍の価値がある。となると、たとえ高値でも、その株を引き取るしかない。なぜなら、もしも球団が他の地方に移転したら、親会社は倒産しかねないからだ。
 こうして、脅迫が成立する。……たいていの人は、この脅迫の目論見に、気がつかない。詐欺師が「友好的にふるまいますよ」と述べると、信じてしまいがちだ。しかし、詐欺師については、その言葉で判断するべきではなくて、その歴史で判断するべきだ。……もちろん、村上ファンドは、「脅迫で金をむしり取る」ということばかりをやってきた歴史がある。
 詐欺師にだまされないように、勧告しておこう。

 [ 付記 ]
 具体的には、どうすればいいか? 私としては、「増資」をお勧めする。ただし、「第三者割り当て増資」ではなくて、「時価発行」である。前者は、裁判所で否定されるだろうが、後者ならば、問題ない。株の時価が異常に高くなっている(500円程度から千円程度に倍増している)のだから、時価発行をして、阪神は大幅な差益を得ることができるはずだ。その株式を村上ファンドが買ったとしても、別に問題はない。たとえば、千円の価格で、千億円を振り込む。しかし現実には、5百円の価値しかないものだ。村上ファンドは、差し引き、5百億円の損。
 球団としては、あとは「お好きなようにして下さい。社長でも何でも勝手に決めて下さい」と言えばよい。……そして、こういうふうに「居直られる」「丸投げされる」ことを、詐欺師は最も恐れる。その場合、脅迫が成立しなくなるからだ。
 一方、「村上ファンドが怖い、怖い」とあわてていたり、「何としても経営者の立場を守らなくちゃ」と思っていると、詐欺師の思う壺である。その場合は、詐欺師がまんまと、短期間で数百億円を稼ぐこともできる。
 詐欺が成立するか否かは、経営者が会社を私物化しているか否かで決まる。経営者が「どうぞご自由に」と言った場合には、詐欺師は自分で自分を相手にすることになるから、その場合には、詐欺師には莫大な赤字だけが残る。

( ※ ついでに言えば、プロ野球連盟が何らかの対策を取るというのは、正しい処置である。これもまた、詐欺ないし脅迫を成立させなくする効果がある。)

  【 追記 】
 詐欺師もひどいが、詐欺師にだまされる方のカモだって、結構ひどい。
 プロ野球の「エクスパンション・ドラフト」が話題になっている。戦力均衡のためには、これが必要だ、という話。ソフトバンクの王監督も、この必要性を訴えている。何しろ、楽天との試合では、「26対1」みたいな、ひどい一方的な得点差になってしまって、試合が壊れてしまったらだ。これじゃ、プロの試合ではない。アマとの親善試合みたいなもんだ。こんなのを見せて、金を取るのなら、プロ野球自体が詐欺である。
 村上ファンドという詐欺師にだまされる方のカモだって、ファンをだます詐欺師であるわけだ。
 これをなくすには、「エクスパンション(拡張)ドラフト」が必要だが、オーナー会議は、「村上ファンドへの対抗策」といきまくばかりで、肝心の「まともな試合をやる」ということの方は、ほったらかし。……自分たちの身分にかかわることには、大至急で対処するが、ファンのための措置は、ほったらかし。
 で、私はやはり、楽天に、こう忠告しておこう。
 「捨てゲームをやれ」
 と。もう少し正確に言えば、この言葉は、野村監督に向けて言っているのではなく、オーナーに向けて言っている。オーナーは、野村監督に、こう要求するべきだ。
 「主催試合では、勝率5割以上を実現せよ。そのかわり、敵地試合での勝敗は、勝とうが負けようが、どうでもいい」
 つまり、敵地での試合は、相手チームを儲けさせるだけだから、そこではクソゲームをやればよい。それで困るのは、相手チームであって、自チームではない。だいたい、相手チームは、そうなることを、自ら望んでいるのである。「29対1で勝てば嬉しい」と思っているのだから、まさしく、そうしてやればいいのだ。場合によっては、深夜の2時ごろまでやって、得点は百対ゼロでもいい。
 とにかく、相手がクソゲームを望んでいるのだから、まさしくクソ選手を使ってクソゲームをやってやればいい。(客は来なくなるだろうが。)で、自分たちの主催試合では、まともな接戦の試合をやればよい。(客は来るだろう。)……これが、まともな経営判断である。オーナーは監督に、そう要求するべきだ。
 なお、倫理的な批判もあるかもしれない。しかしそもそも、まともな戦力のないチームは、好もうと好まざるとにかかわらず、どうしても捨てゲームが生じてしまうのだ。だったら、その捨てゲームを、地元でなく敵地に配分する方がいい、というのが、ここで示した提案だ。……つまり、上記では、「捨てゲームをやるかやらないか」が問題となっているのではなく、「捨てゲームを敵地と地元のどちらに配分するか」が問題となっているだけだ。
( ※ 相手チームも楽天に対して捨てゲームをやることも、ありそうだ。しかし、だとしても、それはそれで、問題はない。当の相手チームが優勝できなくなるだけだ。楽天としては別に痛くも痒くもない。楽天は、どっちみち、何試合にいっぺんかは、こてんぱんにやっつけられるのだから、こてんぱんにやっつけられるかわりに、こてんぱんにやっつけるようになったとしても、かえって面白いぐらいだ。要するに、「捨てゲームをやったら客が来なくなる」というのは、まともな戦力のあるチームに限られる。)
( → 12月31日


● ニュースと感想  (10月09日)

 「詐欺師と無責任」について。
 二人の詐欺師の話をしよう。
 一人は、「アガリクス詐欺」だ。「アガリクスで癌が治った」という嘘記事を書いて(書かせて)書籍で刊行し、同時に、アガリクスを販売してボロ儲け。あげく、薬事法違反で、逮捕された。(大々的に報道されたとおり。)
 さて。これを見て、読売のコラムは、宣伝の片棒を担いだ名誉教授を批判した。「名前を貸しただけで本の内容は知らない」と弁解した名誉教授に対して、肩書きだけだけを貸すのは無責任すぎる、という趣旨である。(読売・朝刊・編集手帳 2005-10-06 )
 話の趣旨は、もっともである。しかし、読売に、そんなことを言う資格があるんですかね? 自分自身の立場を振り返ってみるがいい。
 小泉は靖国参拝に関して、こういう趣旨の弁解を述べた。
 「これは私的参拝である。総理大臣という肩書きは、肩書きを書いただけで、その肩書きには意味がない」
 これは、先の名誉教授に、そっくりである。どちらにせよ、自分の肩書きを、使うべきでないところで勝手に使ったあげく、「そんなの意味ないよ」と弁解している。本来なら、アガリクスの宣伝であれ、靖国の記帳 or 宣伝であれ、そういうところには、自分の肩書きを書くべきではないのだ。なのに、勝手に書く。ま、書いたなら書いたで、それに責任を取るなら、まだわかる。しかし現実には、書いたことに責任を取らずに、「そんなの意味ないよ」とすっとぼける。……無責任の極み。

 この二人の無責任男に共通するのは、「どちらも詐欺師のようなものだ」ということだ。二人の詐欺師。二人の無責任男。……日本の面汚し。
 ま、それはそれでいい。どの国にも、そういう詐欺師はいる。ただしね。そのうちの一人に拍手を送り、そのうちの一人をけなすのでは、ダブルスタンダード(二重基準)でしょうが。二枚舌というべきか。……それが保守派の読売の態度だ。
 詐欺師を称えるなら称えるでいい。詐欺師を批判するなら批判するでいい。ただし、どっちかにしてほしいですね。悪人なら悪人らしく、悪を推奨すればいい。善人なら善人らしく、善を推奨すればいい。しかし、靖国詐欺を称えながら、アガリクス詐欺を批判するのでは、立場が矛盾している。
 いい子ぶって、善人のフリをするのは、やめてもらいたいものですね。


● ニュースと感想  (10月10日)

 「前原への評価」について。
 民主党の新党首である前原には、どう評価するべきか? 
 9月26日に、「軍事オタク」である傾向を皮肉った(おちょくった)が、残念なことに、このおちょくった内容の通りに進んでいる。
 ま、それはそれとして、もっと広範に眺めよう。前原は、「憲法問題」を扱う党内機関を設置したりして、しきりに憲法改正にいそしんでいる。ま、それはそれで、特に悪いことではない。問題は、そればかりに専念して、肝心の経済問題がほったらかしだ、ということだ。
 たとえて言うと、栄養失調で死にそうな病人が、栄養をとることを忘れて、戦闘機のプラモデルごっこに熱中しているようなものだ。本末転倒というか、オタク過ぎるというか。……

 私は最初のころは、まだよくわからなかったので、「前原は日本のクリントンになれるか?」と期待したこともあったが、これはどうやら、買いかぶりすぎていたようだ。両者には、あまりにも大きな差がある。それは、知能指数の差だ。クリントンは、秀才中の秀才と言える知能指数であったが、前原は、どうも、京大の落ちこぼれぐらいの水準であるようだ。で、「お前の頭じゃ学者になれないから、政治家にでもなれ」と恩師に言われて政治家になったのはいいが、恩師は「せいぜい県会議員」と思ったらしいのに、あれよあれよというまに、国会議員の頂点付近まで、一挙に上り詰めてしまった。(恩師の思惑違い。)……で、この出来損ないの落第生が、大学ではできなかった法律研究をするために、憲法研究会みたいなのを突くって、法律ごっこをやっているわけだ。
 政治家の責務は何か? もちろん、政治である。例えば小泉は、そのことをわきまえていたから、「構造改革」という方針を立てた。この方針自体は、正しい方針ではなかったが、「この分野で方針を立てる」ということだけは、わきまえていた。ところが、前原と来たら、分野をわきまえない。病人は病気を治すのが先決だ、ということも理解しないで、戦闘機のプラモデルごっこに熱中している。……知能指数が低すぎ。政策の優先順位をまったくわきまえない。
 日本では、多大な若者たちが、「失業」や「ニート」という形で、人生を破壊されている。「まともに就業できないので、結婚できないし、子も産めない」と悩んでいる若者は、とても多い。なのに、それをほったらかして、前原はどうでもいいことばかりを、しきりにやっている。何が大切かを、ちっともわきまえない。
 法律バカ。軍事オタク。……表現の仕方はいろいろあるが、簡単に言えば、「優先順位を付けられないほどの、判断力不足」である。単純に言えば、知能指数が低すぎ。

 [ 付記 ]
 前原のまわりには、何とか言ってあげるような参謀は、いないもんですかねえ。彼は、独断専行タイプなんでしょうか。そんな感じ。
 ついでに言えば、将たる器は、こう考える。
 「決める前には、他人の話をよく聞く。決めたあとは、自分がすべての責任を負う」
 しかし前原って、その反対かも。
「決める前には、自分がすべてを選ぶ。決めたあとは、すべての責任を他人に負わせる」
 で、そのための隠れミノが、憲法などの調査会かな。


● ニュースと感想  (10月11日)

 「パキスタンの大地震」について。
 パキスタンで大地震があり、死者が3万人ぐらいになるらしいと言われる。医者も薬も不足しており、早急な援助が望まれるが、日本政府は、ちょっとした医師団を派遣するだけで、大規模な援助などは行なわない。もちろん、自衛隊が災害救助に出向くこともない。

 首相官邸での小話。
 「総理、猪口議員がご面会です」
 「そうか。……やあ、よく来たね。きみも小泉チルドレンだ」
 「は〜い。私も小泉チルドレンですよ。私って、総理さんのファンなんです」
 「そうだよね。僕ってモテモテなんだ。で、今日は何の用だい?」
 「パキスタンの大地震があったので、国際問題を考える私としては、何とか対処を……」
 「何とかって?」
 「例えば、自衛隊の派遣です。このまえ、イラクで被害が出たら、是非とも助けるために、自衛隊を派遣するって言ったじゃないですか。サマワに給水部隊とか。……だったら、パキスタンにも、給水部隊を」
 「駄目駄目、パキスタンなんかに、自衛隊を送れないよ」
 「どうしてですか?」
 「イラクじゃないからだよ」
 「イラクじゃないと、どうして駄目なんですか?」
 「だって、ブッシュちゃんが、やりたがらないからだよ」
 「どうしてやりたがらないんですか? イラクのときには、やりたがったのに」
 「あのときは、再選がかかっていたからね。今度は違う。今じゃ、イラク問題は、かえって大統領の足を引っ張るんだ。パキスタンなんかに援助をするくらいなら、自国のハリケーンの被害に対処しなくっちゃ」
 「困ったなあ。ブッシュさんしだいだなんて。……民主党の前原さんなら、何とかやってくれるかもしれませんよ」
 「無理、無理。彼は僕以上に、米国崇拝だからね。彼の興味があるのは、集団安保だけ。僕が自衛隊を派遣したのは、給水のためだけど、前原が自衛隊を派遣するのは、ドンパチやるためだよ。彼が自衛隊をパキスタンに派遣するとしたら、地震対策のためじゃなくて、戦争のためさ。……たとえば、ブッシュがパキスタンの核疑惑に対処するために、米軍を派遣したら、前原も自衛隊を派遣して、さっそく戦争をおっぱじめるんだ。」
 「そうかなあ」
 「そうさ。だから前原はあんなに、集団的自衛権にこだわっているのさ」
 「ふうん。与党党首も駄目。野党党首も駄目。……じゃ、パキスタンの大地震の被害に対処するには、どうすればいいんですか?」
 「政界にいる限りは、どうしても駄目だね。やるなら、ネットにでも行ってくれ。『小泉の波立ち』になら、『パキスタンの被害に対処せよ』と書いてあったよ。そっちへ行ってくれ」
 「いやよ。私は南堂なんか、嫌いなんです」
 「おやおや、どうしてだい?」
 「だって南堂のやつ、私のことを 政界 debut した debu って言ったんですよ。絶対、許せないわ」


● ニュースと感想  (10月11日b)

 「災害対策と自衛隊」について。
 日本の災害対策はお寒い限り、という記事(投稿)があった。先の大地震では、エレベーターに閉じ込められた人がたくさん出たが、その現状はいまだに変わらない。政府は改善方針を示したが、対策は遅々として進まない。想定では、30万台ものエレベーターが停止したあと、管理会社の職員が現場に達するまで、数日はかかると見られている。(読売・朝刊・解説面 2005-10-07 )
 では、どうすればいいか? 二つの対策がある。

 (1) サバイバル・キット
 一つは、サバイバル・キットだ。水や食料や簡易トイレなどのサバイバル用品を、エレベーターの上部などに据え付ける。いざというときには、それを使えるようにしておく。特に、最低限でも、水は重要だ。夏場だと、停電したエレベーターの内部は、40度の高温にもなる。水がないと、生命にかかわる。

 (2) 自衛隊
 消防署の職員だけでは足りないので、自衛隊の職員にも、エレベーターからの救助をやってもらおう。
 ここで思うのは、自衛隊員を「災害救助部隊」として再編する、ということだ。ありもしない戦争のために、しきりに準備するよりは、必ず数年に一度はどこかで発生する大地震のために、自衛隊員を訓練しておくべきだろう。
 現状は、どうか? 銃剣で相手を刺し殺す訓練とか、匍匐(ほふく)前進とか、そんなことばかりやっている。まったく、時代錯誤だ。このハイテク時代に、そんなことをやっても、まったく無意味なのだが、60年前と同じ訓練ばかりやっている。で、人を殺すための(無意味な)訓練はそれなりにやっているのだが、人を救うための訓練はろくにやっていない。災害に出動しても、付け焼き刃ふうに、その場しのぎで人海戦術を採るだけだ。技術ある災害専門家としての行動は、取りたくても取れない。エレベーターを動かす知識もないし、電気やガスをいじる知識もない。ただの素人集団だ。いるだけ邪魔かも。
 というわけで、国民の生命を守るためにはまったく役立たずの自衛隊を、災害救助隊にもなれるように、根本的に改組しよう。「役立たずの自衛隊なんか、行革と公務員削減のために廃止しろ」とは言わないが、せめて、役立つように、業務ないし訓練を、抜本的に改革しよう。

 結論。
 国民の生命を救うこと。これこそ、政治家のなすべきことだ。それは、憲法改正の法律ごっこをやることでもないし、集団安保で米国にゴマをすることでもない。自国民を大量に死なせる状況をほったらかして、健保改正やら集団安保やら、そんなことをやっている政治家は、国民に対する裏切り者も同然である。唾棄すべき存在だ。
( → 10月10日の野党党首を参照 )


● ニュースと感想  (10月12日)

 「情けは人のためならず」について。
 パキスタンの地震については、政府の対応は遅れている。地震が発生したのは8日なのに、11日でもいまだに「対応を検討中」であるにすぎない。(11日・夕刊・各紙。11日夕方のネットニュースでも同様。)
 たぶん、連休が挟まったせいだろう。ともあれ、どんなに大事件があっても、政治家や官僚にとっては、自分たちの休暇の方が大事であるようだ。

 このことから、政府の問題がわかる。そして、同時に、この問題が、国内にいるわれわれ自身にも当てはまる、ということがわかる。
 例。200X年の夏に、日本で大地震があった。「支給、救援を」という声が、各地で上がった。しかしながら政府の対処は、後手に回った。3日たっても、いまだに、「対処を検討中です」と言うばかり。そもそも、総理が対処を命令しないと、自発的に組織的に行動するシステムが存在していないのだ。(総理が病気になったり、総理自身が地震の被害に遭遇したりしたら、政府そのものがマヒするシステムである。)……かくて、次々と死者が発生した。当初は1万人かと思えたが、やがて、3万人、4万人、と死者は増える。やがて、恐るべきことが起こった。伝染病の発生である。水やトイレがこわれたままなので、あちこちで不衛生な状況となり、そのせいで、伝染病が発生したのだ。赤痢。コレラ。ペスト。しかも、医療機関は、破壊されたままである。かくて、伝染病による虹被害で、死者は1千万人に達した。
 「M総理。どうしたらいいんです。決断して下さい」
 「そんなこと、今ごろ急に言われたって、困るよ。もっと前もって練習していなかったの?」
 「いやあ。2005年に、パキスタンの地震があったんですけどね。あのときには、郵政法案に忙しくて、パキスタンのことはほったらかしだってんです。で、訓練をしていないから、今になっても、どうしたらいいのか、わからないんです」
 「それ、『情けは人のためならず』って言うんだよ」
 「さすが総理。よく言葉をご存じです」
 「そうでしょ? 演説はうまいんだ、僕は。政治のの能力はともかくね。…………、さっそく、SLごっこをしようっと」
 「地震問題は?」
 「みんな死んだあとで、考えればいいさ。それまでは、首相官邸に、引きこもっていよう。ここなら、安全だしね。オタクってのは、引きこもりが得意なのさ」
 「そういえば、総理は、2005年の秋にも、パキスタンをほったらかして、引きこもっていましたね」
 「あのときは、野党だったからね。別に、誰にも文句を言われなかったよ。……いや、一人だけうるさいやつがいたな。南堂とかいうトンデモ野郎が。あのうるさい口を封じる方法はないものかねえ」
 「パキスタンに派遣しちゃえばいいのでは?」


● ニュースと感想  (10月12日b)

 「トイレのない地下鉄」について。
 タイのバンコクでは、援助で作られたきれいな地下鉄があるが、おかしなことに、トイレがないという。よく調べたら、トイレはあるのだが、閉鎖されている。理由は「テロの防止」だ。そういうことを勧告したのが、タイの米国大使館。米国の言いなりのタイは、その勧告を聞いて、トイレを閉鎖した。……ただし、記者が調べたら、米国自身は、地下鉄のトイレを閉鎖してはいない。大使館の勇み足。(朝日・朝刊・国際面 2005-10-08 )

 そういえば、どこかの国も、米国の言いなりですねえ。特に、某与党党首と、某野党党首は、そうだ。となると、日本もそのうち、トイレが閉鎖されるかも。
 「もっちゃう! トイレはどこ?」
 「トイレはありません」
 「じゃ、どこでやればいいの?」
 「どこでも駄目です。我慢して下さい」
 「我慢できないよ〜。生理現象なんだから」
 「文句を言うなら、米国に言って下さい」
 「あーっ。あっ、あっ」
 かくて、漏れ漏れ現象が発生。あたりに異臭が漂う。地下鉄で、サリンならぬ異臭事件が続発。テロみたいなものです。

 ついでだが、イラクでは、米国が「フセインの独裁専制の政治から、国民を守るために」という名分で戦争を始めたが、現時点では、イラクでは、フセイン時代よりも事情は悪化しているそうだ。フセイン時代には、少なくとも生命の危機はなかったが、今では街中を歩くだけで、生命の危機にさらされる。国家が破壊されたも同然だ。……すべては「正義の使者」と自称した、ブッシュのおかげである。
 となると、日本もそのうち、「正義の使者」たるブッシュのおかげで、イラクのようになるかもしれない。

 「M総理。日本が北朝鮮の危機にさらされています」
 「よし、米国大統領の支援を受けよう」
 さっそく、米国の部隊がやってきて、「テロリスト撲滅」の行動に乗り出した。かくて、イラクでやったのと同じことをやりだした。すなわち、どれがテロリストがわからないまま、あたり構わず、日本国民を撲滅しだした。頭に来た日本国民は、武器を取って、米国兵を追い出そうとした。かくて、戦闘の発生。東京は破壊活動にさらされる。街中を誰も歩けなくなる。そこで米国崇拝のM総理は、
 「自衛隊で武器を取り締まれ!」
 と命令を出した。自衛隊がそうすると、自衛隊に向けて、石やゴミが放たれた。さらには、生理的な異臭を放つ○○○爆弾が放たれた。日本の首都は、○○○のせいで、肥溜めのような状況になった。それを見て、M総理は、快哉を叫んだ。
 「ばんざーい! どこもかも臭くなったら、地下鉄が臭いのは、問題ではなくなる。これで地下鉄の構内のどこでも、したいときに○○○をすることができる。地下鉄にトイレがない問題は、解決した! ばんざーい」
 すると側近が、こうささやいた。
 「良かったですね、総理。SLファンの面目が立ちます。……やはり、SLファンってのは、スカトロファンのことだったんですね」


● ニュースと感想  (10月13日)

 「集団安保・集団的自衛権」について。
 「集団安保」ないし「集団的自衛権」という言葉は、間違って使われている。このことをはっきりと指摘しておこう。
 読者は私の見解を読んだあと、「集団安保」ないし「集団的自衛権」に、南堂は反対しているのだろう、と想像しているかもしれない。ただし、正しい意味で使うのであれば、私はこの概念に反対しない。そして、正しい概念とは、次のことだ。
 「米国の領土が、中国のミサイルやロシアの戦闘機で攻撃を受けたとき、日本は米国の味方となって、中国やロシアと戦争をする」
 このような救援行動は、米国の同盟国として、十分に容認できる、と思う。「米国を見殺しにして、中国またはロシアによる世界侵略を放置せよ」とは言わない。

 しかし、である。政界で言われている「集団安保」ないし「集団的自衛権」という言葉は、上記の意味で使われているのではない。むしろ、間違って使われている。次のように。
 「朝鮮有事の事態では、米国が北朝鮮を攻撃するときに、日本は米国に協力するべきだ。自国の領土や武器を、米国のためにせっせと提供するべきだ」
 ここでは「集団的」という言葉は成立するが、「安保」または「自衛」という言葉は成立しないはずだ。なぜなら、朝鮮有事という事態は、米国本土に対する侵略行為ではないからだ。北朝鮮が爆撃機を米国に飛ばすわけでもないし、ミサイル艇を米国に航行させるわけでもないし、テポドンがICBMになって米国に到達するわけでもない。
 ま、北朝鮮が韓国を侵略することなら、あるかもしれない。しかし、それは、韓国への侵略であって、米国への侵略ではない。だから、米国が北朝鮮攻撃をするとき、「米国との集団安保」は、日本が協力することの理由にはならないのだ。(「韓国との集団安保」ならともかく。なお、ついでに言えば、日本は韓国とは同盟関係にはない。同盟関係があるどころか、喧嘩関係がある。こんな状態で、日本が軍事的に何かをするのは、本末転倒だろう。)

 前原を初めとする戦争オタクは、「集団安保」ないし「集団的自衛権」という言葉を、「集団戦争権」の意味で使っている。「米国が勝手に侵略行為をはじめたら、それを米国の自衛活動と見なして、日本も米国の侵略行動に協力するべきだ」というわけだ。狂っている。
 たとえば、アルカイーダのビンラディンが米国のビルを破壊したら、それをイラクによる米国侵略と見なして、米国防衛のために、イラクの市民を大量に虐殺していい、というわけだ。……気違いじみているが、昔も似たことはあった。ブッシュに似た顔のヒトラー(いわばチョビヒゲつきのブッシュ)は、勝手に被害妄想に陥ったあげく、自国は侵略されているという妄想に耽って、あたり構わず攻撃していった。攻撃された方から見れば、れっきとした侵略なのだが、ヒトラーにとっては、自衛のための活動だった。で、こういう行為にのっかって、「ヒトラーの自衛活動のために、集団安保ないし集団的自衛権で、日本も協力しよう」と言い張った連中が当時もいた。(三国同盟)
 歴史は繰り返す。バカな戦争オタクは、侵略を自衛と言いくるめて、「自衛」の名称で、侵略を行なう。欧州侵略のヒトラーしかり。イラク侵略のブッシュしかり。パレスチナ侵略のイスラエルしかり。……で、それらの侵略に対して、「集団的自衛権」を唱えるおつむの弱い政治家が、いつの時代にも誕生するわけだ。
 でもって、阿呆な国民は、詐欺師のデマに引っかかって、「自衛のために」という名称で、喧嘩っ早い他国の戦争に無理やり引っ張り込まれるわけだ。

 [ 参考 ]
 民主党の集団安保の関連記事は、朝日新聞(朝刊・4面 2005-10-12 )にもある。
 前原の意見は → 読売新聞の過去記事

  【 追記 】
 「集団安保」というのが、具体的にはどういうことを意味するか、よくわからない人が多いようだ。そこで、具体的な例として、歴史的な事実を例に取って、説明しよう。
 1950年〜1953年にかけて、朝鮮戦争という事件があった。大韓民国(韓国)軍と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)軍の間で、武力衝突を機に起こった国際紛争である。1950年6月25日北緯38度線付近で、最初の衝突が始まった。これはさらにエスカレートして、実質的には米軍と中国軍の戦いになった。
 ここで、日本の取るべき態度としては、次の二つがある。
 戦争とは、単に攻撃することだけを意味するのではない。攻撃されて命を失うことを意味する。それが戦争の現実だ。
 ところが、SLマニアの馬鹿な政治家は、戦争をゲームの一種と思い込んでいる。首相官邸に引きこもって、命令を出して、「100ポイント獲得! やったぜ!」なんて喜ぶだけだ。……彼にとっては、米国に与えてもらうポイントだけが重要なのであり、国民の人命が失われることなど、まったく念頭にないのだ。
 白痴政治家。


● ニュースと感想  (10月13日b)

 「村上ファンドと前原党首」について。
 私は小泉のことを「詐欺師だ」とかねて指摘してきたが、もっと本格的な詐欺師が二人いる。村上ファンドの村上と、民主党の前原だ。
 10月09日には「二人の詐欺師」と題して、アガリクス詐欺の名誉教授と小泉を掲げたが、それとは別の「二人の詐欺師」がいるわけだ。

 (1) 村上ファンド
 この件は、翌日分で。

 (2) 前原
 もう一人の詐欺師は、前原だ。
 彼の主張するのは、「集団的自衛権」である。よほどこればかりやりたがっているようだが、これは「自衛権」という言葉で、事実を隠蔽する詐欺の手口だ。
 こんなのを「自衛権」と呼ぶのであれば、歴史上の戦争はすべて「自衛権」で片付いてしまう。第二次大戦のころで言えば、
  「日本の満州侵略」 → 満州に対する集団的自衛権
  「日本のシンガポール攻略」 → シンガポールに対する集団的自衛権
 この伝で言えば、真珠湾であれ何であれ、すべて「集団的自衛権」で解決してしまう。
 だから、「集団的自衛権」というのは、詐欺的な言葉だ。通常は、「侵略」とか「攻撃」とか言うべきところを、「自衛権」という言葉で塗りたくっているだけだ。
 例。強盗があなたの家に入って、あなたの金品を盗み、目覚めたあなたをぶん殴って、逃げ去る。その言い分。「おれは失業してお金がない。これは、世間のせいだ。だから、世間から、金をいただくのは、おれの生存のためには、仕方がない。これは自衛のための正当な行為だ。また、目覚めた相手に通報されると困るので、ぶん殴るも、自衛のための正当な行為だ。」
 こうやって、自分の犯罪を「自衛権」という言葉で、塗りたくる。メチャクチャな論理であるが、それと同じことが、「集団的自衛権」にも当てはまる。
 そもそも、「米国軍が攻撃を受けたら、それを支援する」というのが、「集団的自衛権」ないし「集団安保」の発想である。これはつまり、「強盗がよその家に入って、鉄砲をぶっ放したとき、相手の家の人から反撃されるかもしれないから、その反撃を封じよう」というものだ。これはもはや「強盗の共犯」と同じであり、「自衛」の名には値しない。……にもかかわらず、それをやろうと一所懸命になって努力しているのが、前原だ。
 だから、本当ならば、彼はこう言うべきだ。
 「米国の世界支配のための武力行為に加担して、他国の自衛権を封じよう。他国の自衛活動をすべて『テロ』と呼び、『テロ撲滅』の名目で、あらゆる侵略活動を正当化しよう。そのために、日本は米国の腰巾着になって、自衛隊を派遣して、他国民を殺害しよう。しかし、外国に出て殺害活動をするのは、憲法違反になる。そこで、憲法を改正して、自衛隊による殺害活動を『自衛』と呼べるように、これを『集団的自衛権』という名称にしよう」
 これが彼の本音である。そして、その理由は、こうだ。
 「大事なのは、日本の国益である。米国に徹底的に従属することが、日本の国益だ。米国が右と言えば、日本も右。米国が左と言えば、日本も左。悪魔に魂を売り渡して、金が儲かるなら、悪魔に魂を売り渡すべきだ。米国に魂を売り渡して、金が儲かるなら、米国に魂を売り渡すべきだ。国益重視! 金儲け重視!」
 こうやって、金儲けのために、国民をだまそうとする。詐欺師の手口。黒を白と言いくるめる。

 結語。
 日本には、経済の世界にも、政治の世界にも、とんでもない詐欺師がいる。小泉という詐欺師のやったことは、甘い夢を振りまいたあと、自民党の議席を増やしただけだった。しかし、前原という詐欺師のやることは、「日本をすばらしくする」という夢さえも振りまかず、単に「自衛権」という言葉で、日本を軍事の泥沼に引きずり込むことだけだ。……ブッシュはイラク戦争に踏み込むことで、洪水対策をほったらかしにして、カトリーナやリタの被害で国家を破壊した。前原も同様のことをやろうとしている。地震対策(→ 前々項)をろくにやることもなく、戦争ごっこばかりに夢中だ。国家を滅ぼそうとしているのも同然だ。
 ブッシュと前原に共通するのは、「軍事マニアである亡国の徒」だということだ。これに比べれば、大言壮語するだけで、単に実績がないだけの小泉など、まだしもかわいらしい詐欺師にすぎない。小泉は、日本を救うことはできなかったが、日本を破壊することだけはなかった。イラクに給水部隊を派遣したが、実弾は一発も撃たなかった。しかし、ブッシュと前原は違う。この二人は、実弾をドンパチ撃つのが、趣味なのだ。その趣味に付き合いきれますかね? 


● ニュースと感想  (10月14日)

 「村上ファンドとマスコミ」について。
 朝日は村上本人にインタビューして、彼の言い分を大々的に記事にしている。ひどいものである。詐欺師の言い分を堂々と掲載して、読者を洗脳しようとしている。たとえて言えば、オウムの麻原にインタビューして、オウムの宣伝を一方的に掲載するようなものだ。狂気的。マスコミとしての倫理もへったくれもない。
 そこで、解毒剤のために、私が指摘しておこう。

  (1) 11日の記事(朝日・朝刊 2005-10-11 )
 記事では村上の方針を「フェアに行動する」「経営改革を迫る」というふうに伝えている。しかしこれは、詐欺師を「改革者」というふうに、虚偽の宣伝をしているだけだ。
 
 第1に、「フェアに行動する」というのは、嘘八百だ。記事を読めばわかるとおり、村上本人が主張している「フェア」というのは、「法律を守ること」である。「法律を守ること」を「フェア」と判断するというのは、常識からまったくはずれている。「法律を守ること」というのは、「法律さえ守れば何をやってもいい」ということであり、「フェア」という概念の対極にある。なぜなら、「フェア」とは、「法律を守るだけでなく倫理的でもある」という意味だからだ。
 サッカーであれ、プロ野球であれ、「フェア」という概念による紳士的なエチケットが習慣的に成立している。それは単に「ルールを守る」ということ以上の紳士的なことだ。ここで「ルールさえ守ればフェアなんだ」なんて主張をするのは、根源的な勘違いがある。
 そして、こういう勘違いが起こる理由は、本人がいつも「法律をはずれるすれすれのことをやってやろう」と考えているからだ。例えば、脅迫をするとき、「言うことを聞かないと大損させるぞ」と言うと犯罪(脅迫)になるが、「私の提案に従うと儲かりますよ」と言うと犯罪(脅迫)にならない。そうやって、同じことをやるにしても、口先だけを変えて、法律違反にならないようにする。……これを「フェア」と称しているだけだ。しかし、犯罪すれすれのことを「フェア」と称するのだから、詐欺師の手口である。

 第2に、「経営改革を迫る」というのも、嘘八百である。だいたい、外部の人間がちょこっと口を出して、「たちまち抜本的な経営改革ができる」なんてことが、あるはずがない。カルロス・ゴーンの仕事を見てもわかるとおり、抜本的な経営改革のためには、最高度の知識をもった人間が、日夜弛まず努力して、ようやく実現できることだ。鉄道の知識どころか経営の知識さえもないただの詐欺師が、外部からちょこっと口を出して、阪神電鉄の経営が劇的に改善する、ということなど、とうていありえない。
 ついでに言えば、村上本人は、「経営には介入しない」と言明している。なのに「経営の改革者」と見なすのは、本人も主張していない虚偽を勝手に宣伝することになる。

  (2) 12日の記事(朝日・朝刊 2005-10-12 )
 村上の宣伝文句(個人広告)を堂々と記事にして掲載までしている。その趣旨は、「上場するかどうかについて、ファンの声を聞く」ということだ。
 これを聞いて、朝日はスポーツ面などで、「ファンの声を聞くのはよいことだ」などと称賛している。詐欺師にだまされる阿呆とは、このことだ。
 そもそも、経済学の基礎知識があるなら、資本主義のイロハを思い出そう。それは、こうだ。
 「経営責任は、金を出した資本家がすべてを負う。儲ければ、自分の儲け。損をすれば、自分の損。千億円を出して、それを二千億円に増やすのも、千億円をすべてスッカラカンにするのも、すべては自分の責任」
 これが原則だ。ここにおいて、「ファンの声を聞く」という選択肢など、ありえない。仮に、「ファンの声を聞く」という選択肢をして、千億円をスッカラカンにしてしまったら、どうするのか? そんなことをするのは、ただの無責任野郎にすぎない。「ファンの声を聞く」というのではなく、「全責任を自分が負う」というのが正しい。
 一方で、個別の経営については、「消費者の声を聞いて経営をする」というのが正しい。プロ野球のリーグがどうのこうのとか、チームの運営をどうのこうのとか、そういう細かなことでは、消費者(ファン)の声を聞くべきだろう。
 この二つは、まったく異なる。個別の経営は経営者が行なうが、経営者の選任は資本家が行なう。そして、資本家が、全責任を負う。
 ところが村上ファンドは、この二つをごちゃ混ぜにする。あげく、こう目論む。
 「上場問題については、自分の意の通りに進まないから、反対者の意を封じるために、『ファンの声を聞け』と主張して、世論を引きつけよう」
 こうしてファンの声を、都合のいいときに都合のいいところだけ利用する。そのあと、相手の声を封じてまんまと上場に成功したら、一転して、こういうふうに言う。
 「おれたちの狙い通りになったんだから、ファンなんてもうお払い箱だよ。あとは全部、おれたちの好き勝手にするんだ。何しろ、上場して、株を買い占めたからね。あとは全部、おれたちの意のままさ。株式の過半数を握っていないファンの意見なんか、聞く必要はないね。過半数を握れば、何でも好き勝手にできるんだ。それがつまり、法律に従うということだ。これがフェアな行動だ」
 かくて、ファンは、「上場」のときには都合よく利用され、いったん利用されて用済みになったらポイと捨てられるわけだ。バカな女は、詐欺をやる男の嘘にたぶらかされ、うまく利用されて財産をむしり取られたあとで、捨てられる。(バカな阪神ファンも、うまく利用されたあとで、すべてを失うハメになるだろう。 → 翌々日分を参照。)
 
 結語。
 以上のように、「村上ファンドが何か立派なことをやる」というのは、嘘八百だ。奴らはただの詐欺師にすぎない。にもかかわらず、朝日の記事は、「村上ファンドは改革をする正義の改革者だ」というふうに宣伝する。(というか、村上本人の言葉を丸写しする。無償広告ですね。)

 [ 付記1 ]
 村上ファンドが阪神の経営改革をすることなど、絶対にありえない。会社経営の経験もないど素人が、経営の指南をするなど、笑止千万である。女性ニュースキャスターを経営トップに据えたバカ会社があるが、阪神がそれと同じように馬鹿なことをやれば、「経営改革」の名で会社を倒産させかねない。たとえば、「優良な土地資産を利用して、経営拡大をしたあげく、不良債権にして、全部倒産」というふうな。
 これは、お笑いのようだが、お笑いではない。近畿圏では、「関西空港」というネタで、このお笑いを現実にしてしまった。第三セクターなどを使って、巨額の損失を発生させて、近畿圏の住民に負担させている。ひどいものだ。これで喜ぶのは、バカにするネタができて喜ぶ、吉本興行だけだ。

 [ 付記2 ]
 IT産業で株価詐欺を働いた連中が、「風説の流布」を理由に逮捕された。( → ニュース検索
 これは明らかな犯罪的な行為だが、村上ファンドのやっていることも、大同小異である。その本質は、共通する。
 「実質的には企業業績は何も良くならないのに、企業業績が良くなるという見込みばかりを世間に流布させて、株価を過度に吊り上げて、売り抜ける」
 こうやって、ほんの数カ月で、莫大な金をかすめとろうとするわけだ。詐欺師の手口である。
 とすれば、新聞社は、こういう詐欺を指摘して、「だまされるな」と警告をならすべきだ。なのに、朝日みたいな二流新聞は、逆である。「村上本人はフェアな行動を取る経営改革者だ」と称賛する。
 実は、株式業界には、「あの企業はすばらしい」という風説を流して、素人の提灯買いを推進しようとする、悪徳なミニコミ誌が蔓延している。それと同様なのが、朝日新聞だ。
( → 10月08日 「阪神買収と村上ファンド」)

 [ 付記3 ]
 村上ファンドの狙いは何か? 「ファンの声を聞いて上場」という立派な名分の裏で、ひそかに何を企んでいるか? つまり、隠された真の狙いは、何か? ── それを暴露するのは、明後日の分で。


● ニュースと感想  (10月15日・16日・17日)

 都合により、お休みします。

 cf. コンピュータの用語の話 → Open ブログ


● ニュースと感想  (10月18日)

 「村上ファンドと経済原理」について。
 最近では、村上ファンドが阪神だけでなくTBSの株式も買収したり、楽天がTBSの株式を買収したりして、話が混乱しているようだ。
 そこで、話を戻して、村上ファンドによる阪神の問題に絞ろう。この問題についても、世間は評価に戸惑っているようだ。だいたいは、次の二通りに大別される。
 「自由主義経済では、何をやろうが、勝手である。あわててジタバタする守旧派の古臭い経営者の方がおかしい」
 「愛するタイガースが村上ファンドなんかに買収されるのはまっぴら御免だ」
 しかし、いずれの反応も、物事の核心を逸らしている。話はむしろ、経済学の原理でとらえるべきだ。

 まず、結論としての評価を言えば、こうだ。
 「村上ファンドによる阪神の株式の買収は、その良し悪しを論じても無意味である。これは良し悪しの問題ではない」
 これはどういうことかというと、「球団の株式の買収は、合法的だ」ということだ。その意味で、村上本人が「フェアである」というのは、(ある意味では)成立する。「違法行為ではないから、他人が良し悪しを論じても仕方ない」という意味で。
 つまり、他人が「良い」とか「悪い」とか論じても、まったく無意味である。彼の行動を阻止する権利は、誰にもない。
 たとえば、「阪神を買収して、タイガースをオリックスに売却して、オリックス・タイガースにする」ということを実行したとしても、それはまったく合法的なことである。何千億円かの莫大な金があれば、それを実行できる。他人がそれを法律的に阻止することはできない。阻止するとしたら、彼以上の金を出して、金によって阻止することだけだ。
 結局、物事を経済現象としてとらえる限りは、金の力がすべてを決める。それが資本主義の原理である。他人としては、「良い」とか「悪い」とか論じるのではなくて、「金を出す」か「金を出さないか」で対抗することしかできない。(ま、それがいやで、買収対抗策というのもあるが。それはまた別の話。)
 
 では、ここで肝心なのは、何か? 次のことだ。
 「村上ファンドの行動を、他人が『良い』と評価してはならない」
 なぜこのことをここで述べるかというと、「良い」と評価する人が、結構いるからだ。
 「球団を上場するのは、それはそれで、一理ある」
 「球団を上場すれば、球団は株主であるファンの声を聞くようになる」
 「村上ファンドは、旧態依然たる球界への、改革者だ」
 これらの意見は、あまりにもお人好しに過ぎる。「詐欺師にだまされる」というのと同義である。
 
 はっきり言っておこう。村上ファンドは、球界の改革者でも何でもない。単に「マネーゲームで自己利益を増やそうとしている」だけである。自己の利益を増やそうとしているだけだ。それ以上でもなければ、それ以下でもない。彼を「改革者」というふうに「良い」という評価を与えるとしたら、とんでもない勘違いである。
 では、なぜ「勘違い」であるのか? 実は、そこに、核心がある。この核心を一言で言えば、こうだ。
 「自由競争による市場原理は、全体の最適化をもたらすとは限らない」
 これは、古典派的な経済原理の否定を意味する。仮に、これが成立するとすれば、次のことが言える。
 「村上ファンドが自己利益をめざせば、世間全体にとっても利益になる」
 しかるに、現実には、これは成立しない。かわりに、次のようになる。
 「村上ファンドが自己利益をめざせば、世間全体にとっては不利益になる」
 そして、なぜそうなるかといえば、次のことが成立するからだ。
 「エゴイストは、全体の利益を食い物にして、自分の利益だけを増やそうとする」
 これは、自由主義経済の病的な例である。その病的な例は、「マネーゲームによる投機」という例で、しばしば現れる。そして、その典型的な例が、村上ファンドだ。
 具体的に示そう。
 「村上ファンドが自己利益をめざせば、世間全体にとっては不利益になる」
 ということは、次の形を取る。(前にも述べたとおり。)
 「阪神球団を買収したあとで、阪神球団を移転または売却すると阪神電鉄を脅迫して、市場価格以上の高値で引き取らせる」
 これが詐欺師または脅迫者の手口だ。実際、村上ファンドは、TBSに対しては、早くもこの手口を使っている。「買収資金を融資するから、経営者が株式を高値で引き取れ」と。ここでは、特に脅迫はなされていないが、そのうち、脅迫すれすれのことがなされるだろう。「いうことを聞かないとひどい目にあわせるぞ」というふうに。

 ま、ここまでは、阪神ファンには関係のない話だ。しかし、阪神ファンに関係のある話もある。次の形だ。
 「阪神球団を、オリックスに売却する。球団本拠地を、大阪球場に移転する。そのあと、甲子園球場を解体して、更地にして、マンション用地などにして、バラ売りする。」
 この手口を使った場合、会社側には、一時的に、巨額の現金資金が入る。その大部分を配当に回せば、一時的に、株価は急騰する。そこで売り抜ければ、村上ファンドは、ごく短期間で、莫大な巨利を入手する。
 ただし、残った阪神球団は、もぬけの殻の状態だ。甲子園球場は、跡形もなく、ただのマンション群になる。阪神球団は、オリックス球団となって、しぶちんなオーナーのもとで、Bクラスを争うようになる。入場料はかなり高額になる。現状では甲子園球場はほぼ満席だが、満席だということは、入場料が低めだということだから、入場料を大幅にアップして、球団側の利益を増やす。
 要するに、ファンはさんざんふんだくられて、奴隷のごとく扱われる。その一方で、村上ファンドだけは、短期間で数千億円も入手する。差し引きすれば、
    阪神圏の大衆  →  村上ファンド
 というふうに、数千億円の資金が移転する。詐欺師みたいな連中ばかりが「濡れ手で粟」ふうに巨利を入手し、だまされた大衆が莫大な損をこうむる。

 あまりにもひどい手口だ。ただし、これは、「合法的」である。ここでは、「合法的な泥棒」のように形で、泥棒と同然のことがなされる。そして、それは、「資本主義」というものに必然的にともなうことなのだ。

 では、われわれは、どうするべきか? もちろん、事実を直視すればいい。すなわち、
 「資本主義は、合法的な泥棒と同然のことが許容される」
 と理解すればよい。そうすれば、
 「資本主義は、放置すれば、自由によって最適化される」
 という夢想ないし錯覚に、だまされないで済む。それが肝心だ。
 ところが、現実には、マスコミには、夢想ないし錯覚があふれている。「村上ファンドは改革者だ」と称えたり、「彼に任せれば球団はファンの言うことを聞くようになる」と称えたりする。これは、泥棒に金を盗まれるのを容認するのと同じであり、愚の骨頂と言えよう。
 こういうマスコミの洗脳に、だまされないことが肝心だ。(だから私が喚起する。)

 [ 付記 ]
 「自由主義経済のもとでは、強者が弱者( or 大衆)の利益を奪う」ということを示したのが、マルクスである。彼はこのことを「搾取」という言葉で説明した。
 「搾取」という言葉は、今日では時代遅れに思われ、「エゴイズムで金儲けをするのが立派だ」という風潮が強い。たとえば、朝日新聞社の週刊朝日や週刊AERAは、「株で大儲けしよう」という記事をちょいちょい掲載する。ここでは、「社会のために何かをしよう」という発想は全くなく、単に「うまいこと立ち回って、自分だけが金儲けをしよう」というふうに発想する。
 これは村上ファンドと同じ発想である。そういうふうに、「社会の富をかすめとって、自分だけが儲ければいい」といつも考えているから、そういうことを実行する村上ファンドがすばらしく思えて、こういう連中を称える記事を掲載するわけだ。「彼らが旧弊の球界を改革して、ファン本位のプロ野球を構築する」というふうに。そのあげく、甲子園球場を解体され、阪神タイガースを解体され、さらには横浜やら楽天やら2リーグやら、あれやこれやを解体されたあとで、「あれれ、こんなはずじゃなかったのに」と、大あわてするわけだ。
 しょせん、村上ファンドは、自分たちの利益のためだけに行動しているのだが、彼らを勝手に「ファンのために行動する正義の騎士」というふうに称えて、あとでだまされたとわかったあとで、泣き面をかくわけだ。……いや、自分たちが泣き面を書くだけならまだしも、馬鹿なマスコミは、詐欺師の片棒を担いで、ファンを大いに泣かせるわけだ。


● ニュースと感想  (10月19日)

 「パリーグの優勝システムと村上ファンド」について。
 パリーグでロッテが優勝した。昨年に続いて、2位のチーム。さらに言えば、昨年は、最後の1イニングまでは同点であり、最後の1イニングだけで決着した。今年は、それよりは1イニング長いが、やはり、最後の2イニングだけで決着した。……つまり、1年の戦いはほとんど無意味であり、最後の1イニングか2イニングだけを見れば済んだ、ということ。この件は、昨年も示したとおり。( → 昨年10月19日
 いかにも馬鹿らしいが、この馬鹿らしさの本質は、別のところにある。次のことだ。
 「優勝するには、1位が不利で、2位が有利だ、ということ」
 どうしてかというと、1位のチームは、2位と3位のチームの戦いの愛だ、休んでいるせいで、試合ボケしてしまうからだ。実際、ホークス(ソフトバンク)は、最初の3試合では調子が上がらなかった。3試合目の最後になって、ようやくエンジンがかかったが、これでは相当にハンディキャップを負っていることになる。
 要するに、実力がほぼ同等の2チームがあった場合、「2位が優勝して、1位が準優勝する」というシステムが、現行のシステムだ。「強いものが優勝する」のではなく、「弱い者が優勝する」というシステムだ。まったく、馬鹿げている。

 だから、ホークスが優勝するには、次のようにするべきであった。
 「シーズンの最後は、1位になるのを避けるために、わざと負けて、2位になる」
 こうすれば、プレーオフで有利な2位になれる。そうすれば、ホークスは優勝できたはずだ。馬鹿正直に1位を狙ったから、二年連続して、優勝を逃すハメになった。
 だから、ホークスは来年は、終盤にはあえて「わざと負ける」という戦略を取って、2位になるようにめざせばいいのだ。また、ロッテが1位になりそうになったら、今度はロッテがわざと負けて、2位になろうとすればいいのだ。……かくて、「わざと負ける」というチームが二つも出てくる。馬鹿げた八百長試合みたいなものだ。

 では、どうして、こういう馬鹿げたことが起こりがちなのか? それは、こうだ。
 「システムそのものが間違っているときには、間違ったシステムに適合するために、あえて間違った行動をするのが、状況に応じて最適の行動となる」
 スポーツというものはそもそも、勝利をめざす競争だ。ところが、システムが狂っていると、当面の試合では勝利よりも敗北の方が、有利になることがある。システムが馬鹿げていると、馬鹿げた行動が最善となる。……そして、それが現在のパリーグの「プレーオフ」の制度だ。
 これを改善するには、「1位のチームには無条件で1勝または2勝を与える」というふうにすればいい。そのことは、しばしば、指摘されている。
 ところが、いくら指摘されても、まともな制度に改善できない。馬鹿な連中が馬鹿なシステムを維持している。……馬鹿ぞろいであるせいで、八百長が起こりやすくなる。
 ともあれ、「弱いチームほど勝つ(優勝する)」というシステムは、ゴミのようなものであり、まともに見るのも馬鹿らしい。八百長かイカサマみたいなものであり、純然たるスポーツとは違う。それでもホークスの王監督は、純然たるスポーツをやろうとしてふるまい、そのせいで、敗北した。敗北の美学。
 逆に、他の連中は、現状を変えようとしないのだから、腐っている。パリーグの野球は、スポーツとは言いがたい。八百長かイカサマみたいなものであり、下らないギャンブルのようなものである。野球を冒涜している、とさえ言える。(連中が馬鹿ぞろいだから、詐欺師に狙われたりするのかも。)

  【 追記 】 (2005-10-20 )
 プレーオフ制度の問題点は、球界でも話題になっているようだ。
<1>レギュラーシーズン1位チームに与えられるアドバンテージ(現行は2位に5ゲーム差以上で1勝)の付け方<2>1位チームが半月近く実戦から離れる日程面の問題<3>2位チームと3位チームに大差が開いた場合どうするか――などを対象とし、プレーオフの方式見直しを検討することを明らかにした。 ( → Yahoo 読売新聞ニュース
 私としては、次のことを提案したい。
 「2位と3位とで試合をするとき、同時に、1位と4位とでも試合をする。前者は5試合。後者は7試合。ただし、2位の方にはあらかじめ1勝を与え、1位の方にはあらかじめ2勝を与える」
 これは一つの例だ。とにかく、下位チームの方に、何らかの形でハンディキャップを付ければよい。


● ニュースと感想  (10月19日b)

 「小泉の靖国参拝」について。
 小泉が「私的参拝」と称して、靖国参拝をした。つい先日は、裁判所の方針に異を立てて、さんざん「自分は正しい、裁判所は間違っている」とわめいたくせに、前言をひるがえして、ちゃんと裁判所の見解にしたがったようだ。どうせなら、「前言は間違っていました」と語るべきなのだが。マスコミは、そこを突っ込まないんですね。甘い。
 さらに言えば、小泉は「私的参拝」と称して、そのことばかりを強調する。しかし、「靖国にA級戦犯が合祀されている」という点については、マスコミは小泉に対してあまり突っ込まない。説明を求めようとしない。甘い。
 ま、マスコミが愚かなのは、毎度のことだから、それはそれとして、私の見解を示しておこう。

 まず、「私的参拝」というのは、ちょっと問題がある。小泉はあえて「総理大臣である小泉純一郎が私人として参拝する」と語り、冒頭に「総理大臣である」という修飾句を付け足す。これでは純粋に「私的参拝」とは言いがたい。
 ま、それでも、全般的には「私的参拝」と見なしていいだろう。その意味で、今回の参拝は、「合憲」と見なせる。彼が宗教活動をしているという点は、今回に限っては、許容される。誰にも批判はできない。(少しは批判の余地はあるが。)

 ただし、問題は、そこにあるのではない。「靖国にA級戦犯が合祀されている」という点にある。正確に言えば、こうだ。
 「靖国にA級戦犯が合祀されているのに、その靖国に首相が参拝する」
 だから、「靖国に参拝する」という点では、今回の行為は問題ではないが、「A級戦犯が合祀されているところに参拝する」という点では、今回の行為はやはり問題だ。そして、中国や韓国が問題視しているのは、この点だ。

 靖国参拝の賛成論者は、「英霊のまつられているところに首相が参拝するのは当然だ」と主張する。これはひどい勘違いだ。「英霊のまつられているところに首相が参拝してはいけない」なんて、誰も主張していない。たとえば、「無名戦士の慰霊碑」というものができたとして、そこに首相が参拝することを、誰も批判はしない。
 批判者が批判している理由は、「靖国が靖国であること」にあるのではなく、「靖国にA級戦犯が合祀されている」ということにある。比喩的に言えば、こうだ。
 「ドイツ軍兵士の慰霊碑のYというところがある。ドイツの首相がそこに参拝しようとしたが、そのYという慰霊碑には、ヒトラーもいっしょに含まれていることが判明した。そこで、とりあえず、このYという慰霊碑には、首相は参拝しないことにした」
 この例では、Yという慰霊碑に参拝すること自体が問題となっているのではなく、Yという慰霊碑にヒトラーがいっしょに含まれていることが問題となっている。だから、Yという慰霊碑からヒトラーを分離すればいい。そして、分離されるまでは、Yという慰霊碑に参拝することを控えればいい。── そういう問題だ。
 この例では、「ヒトラーに参拝するか」ということが問題となっているのであって、「Yという慰霊碑に参拝するか」ということが問題となっているのではない。その違いに、注意しよう。

 似た例を挙げよう。「ヤス栗」という美味しいお菓子がある。このお菓子を、首相は大好きなので、首相はこのお菓子を食べようとした。ところが、このお菓子に、「A級すっぱい」という毒物がいっしょに含まれている、と判明した。とすれば、毒物を除去するまで、このお菓子を食べるのを控えるべきだろう。いくら「このお菓子が好きだ」と言い張っても、そんなことは無意味である。ここでは、お菓子が美味しいかどうかが問題になっているのではなく、毒物が入っているかどうかが、問題となっているからだ。

 以上のことからわかるように、「英霊に敬意を払うのは当然だ」という主張は、勘違いである。それは、A級戦犯という焦眉の点を無視して、話題になっていないことを論拠としている。それはいわば、「ドイツの慰霊碑に参拝すべきだ」と論じながら、ヒトラーを無視するようなものだ。あるいは、「ヤス栗は美味しい」と論じながら、毒物を無視するようなものだ。そういう発想は、論点をずらしており、勘違いをしているのだ。
 そして、彼らがいくらか論点をずらそうとしても、中国や韓国はだまされない。「日本の首相が、中国や韓国を破壊した張本人に頭を下げている」という事実を、直視する。……つまり、中国や韓国は、首相の詭弁にはだまされないわけだ。
 小泉という詐欺師は、詭弁を使って、日本国民をだまして、まんまと大量の議席を獲得した。そこでふたたび詭弁を使って、中国や韓国の国民をだまして、中国や韓国を破壊した張本人に頭を下げていることを正当化しようとする。しかし、残念ながら、中国人や韓国人は、日本人ほど馬鹿ではないのだ。
 ついでだが、日本国民は、最近になって、「自民党にはあんなに議席を与えるんじゃなかった」と反省している人が増えているらしい。馬鹿な国民。

 [ 付記 ]
 ついでに、改善策を示しておこう。次の措置(一方 or 両方)が望ましい。
 「靖国でない非宗教的な慰霊碑を建立する」
 「靖国がA級戦犯を分祀する」
 後者は、国が頼んでも神社が実施しない。そこで、うまい手立てを取るといい。次のことだ。
 「A級戦犯の遺族が、自発的に、靖国に対して分祀を要求する。そのために、民間の関係者が、遺族に働きかける。『お国のためにそうしてくれ』と。……当然、保証金を払う。遺族に(多くて)1億円程度。そのための費用は? 経団連が払う」
 どうです。これだと、経団連が払う費用は、(多くて)10億円程度。一方、日中・日韓関係で、貿易が非常に好転するから、日本経済全体では、莫大な利益を得る。それも、今年だけでなく、今後ずっと。
 ひるがえって、現状では、毎年毎年、莫大な損害をこうむる。たとえば、「中国に建設する超高速鉄道を日本製にできない」とか何とか、その種のことだ。……ごくおおざっぱな推測で言うと、小泉が靖国参拝することで、日本国民は全員が毎年1万円ぐらいの損をこうむっている、と推測できる。馬鹿な首相のせいで、貿易が阻害されるので、国民は大損するわけだ。
 小泉は、郵政民営化によって日本経済を好転させることにはまったく成功しなかった。だが、靖国参拝で日本経済を悪化させることには大成功した。

  【 追記 】 (2005-10-20 )
 「分祀」については「不可能だ」という主張もある。読者からの意見を引用すると、次の通り。
南堂さんの改善策の分祀ですが、野中氏などがこれを盛んに主張していま したが、この策は成立しません。  なぜかというと、分祀というのは神道では「株分け」であって「取り除く」 ことではないからです。そのため、仮に分祀してもA級戦犯は靖国に宗教的には 残ります。
 この件は、私も考えたことがある。その上で、上記の件については、こう言えると思う。
 「靖国神社の側では、あれこれと主張するかもしれないが、一般の人々の側では、分祀したからそこにはA級戦犯はいないと主張できる」
 つまり、解釈の違いがあってもいい、というわけだ。そして、そのわけとして、次のことが成立するように思える。
 「分祀や合祀というのは、精神的なものである。物質的に遺骨をどこに納骨するかという問題ではなくて、精神的に人々がどう考えるかという問題だ。心の問題である。だから、考え方しだいで、どのようにも解釈できる」
 このことを前提とした上で、次のように結論できそうに思える。
 「靖国内部または外部に、適当な別の慰霊施設をつくって、そこにA級戦犯を祀ることにして、靖国にはいないことにする。こうすれば、靖国に参拝しても、A級戦犯に参拝したことにはならない」
 なんだか、こじつけみたいな感じだ。しかし、こういうことができそうに思えるのは、分祀や合祀というのが、精神的なものであるからだ。究極的には、A級戦犯に対する人々の意識(なかんずく政治家の意識)の問題だ、とも思える。
 中国や韓国が批判するのは、そこだ、とも言える。彼らは本当は、靖国のことなんか、どうでもいいのかもしれない。A級戦犯をも「英霊」と見なすような、無反省な右翼政治家の意識を問題にしているのかもしれない。
 となると、問題を根源的に解決するには、中国や韓国の反日キャンペーンを正さないといけないのだろうが、そのためには、前提として、日本が中国や韓国の感情を踏みにじるような傲慢な態度を捨てる必要がある。すなわち、二国間の有効を構築するためには、両国が自分自身を反省するような謙虚な態度が必要となる。しかるに、靖国問題があるせいで、これが「日本は傲慢だ」というふうに中国と韓国に見えてしまう。靖国問題がトゲのように突き刺さっているせいで、根源的な解決ができないでいる。
 靖国参拝というのは、それ自体が問題だというより、友好関係を構築する阻害物となっていることが問題だ、とも言えよう。……そして、それに気づかないで、単に「総理大臣が私的に参拝するのだからいい」と言って、うわべでゴマ化すようなことをしている政治家は、あまりにも政治的なセンスが欠落している、と言えよう。
 こういう政治家は、戦前に日本を戦争に導いた、愚かな軍事政治家にそっくりだ。「ひとりよがりの主義・主張を唱えたあげく、日本を破滅に導く」という点で、現代の愚かな政治家も、戦前の愚かな政治家も、共通する。


● ニュースと感想  (10月20日)

 「村上ファンドの余談」について。
 村上ファンドをめぐる話の、落ち穂拾い。細かな余談。

 (1) ファン投票
 村上ファンドは上場について、「ファン投票」を提案した。ここでは、「ファンの声を聞く」という美名を唱えた。
 その後、スポーツ紙がファンの声を調査すると、大多数が「上場反対」である。一方、インターネットで賛否を問うと、オタクが一人で複数回答したせいらしく、「上場賛成」が大多数である。( → asahi.com
 これを見て、普通の人の発想は、こうだ。
 「ネットに住んでいるネット中毒の人は、普通の人間の常識とは違う、非常識の人間が多い」
 ところが、村上ファンドの側は、このデータを見て、「インターネットを使ったファン投票」を提案した。( → SANSPO
 これはつまり、「普通の人が反対なら、普通の人の意見を聞くかわりに、ネット中毒の人の意見だけを聞けばよい」というわけだ。
 つまり、Aを提案して拒否されたら、今度はB。Bを提案して拒否されたら、今度はC。単に自分の目的(自己利益の拡大)に好都合な主張を、その場その場で、手当たりしだいで取るだけだ。まったく、節操がない。主義も原理もありはしない。
 こういう無節操な連中を称えて、「彼らはファンの声を重視している」と評価するのが、お馬鹿なマスコミだ。

 (2) 甲子園球場
 「球団の上場」の本当の狙いは、何か? 甲子園球場の売却だ。なぜなら、マネーゲームを重視するなら、短期的な利益を上げる最高の方法は、「資産の売却」であるからだ。
 例えば、日産自動車は、倒産しかかったとき、手持ちの土地を売却して、現金を得た。三菱自動車も同様だ。「現在使っている土地を売却して、現金を入手したあとで、現在使っている土地を賃貸で使う」というようなこともやる。……ともあれ、こうやると、短期的に現金収入を得る。
 ま、倒産しかかった企業なら、仕方ない。しかし、阪神の場合は、「甲子園球場を売却して、その利益を、株主配当に回す」ということをやりたがっている。こういう裏にある企みを見抜くように注意しよう。

 (3) オリックス
 この裏にはオリックスがいる、と見ても良さそうだ。阪神を上場して、その株をオリックスが引き取る。甲子園を売却して多額の現金収入を得て、その後、阪神を大阪球場に引っ張ってくる。で、名称を、「オリックス・タイガース」にする。
 村上ファンドの資金の多くを出しているのは、オリックスだから、こういう筋書きは、十分に考えられる。
 だいたい、オリックスのオーナーは、サラ金業者と(まったく同じではないにせよ)ほぼ同類であるにもかかわらず、政府の諮問会議の議長になったりして、政府にやたらと影響力を及ぼすという、黒幕的な人間である。大銀行の頭取でさえ、政府の諮問会議の議長になったりはしないのに、サラ金業者の一種みたいな人間が、政府の方針に介入するのだから、よほど暗黒の力をもっているのだろう。
 何しろ、オリックスは、近鉄をたぶらかして、近鉄球団を無償で獲得してしまったのだ。楽天が近鉄を買えば、近鉄には20億円が入ったはずなのに、近鉄は、自球団を楽天に売らず、オリックスに無償譲渡してしまった。
 ここでは、やはり、相当に暗黒の力が働いていたはずだ。……で、その暗黒の力が、村上ファンドを通じて、阪神に伸びているのだろう。

 (4) 不動産投資
 村上ファンドとしては、最悪の場合でも、長期保有して、不動産の売却益を狙っている、と思える。この場合、不動産を短期で売買すると、多額の課税がかかるが、株式の売買だと、ほとんど税金がかからない。というわけで、「合法的に土地値上がり益の節税」というのを狙っている、と考えられる。
 ただし、それが成立するには、「阪神が自社の土地を売却する」ということが必要だ。いつまでも売却しないで、含み益ばかりをもっていても、株価は上がらないからだ。株価が上がるには、土地を売却することが必要だ。
 というわけで、村上ファンドとしては、「甲子園球場の売却」を狙っているのは、まず間違いないだろう。

 [ 付記 ]
 阪神の不動産の含み資産は、7000億円。株式総額は、現在価格で2500億円程度だが、半年前なら 1200億円程度。……現状のまま株を維持すれば、村上ファンドは損をするが、阪神を買収して解体して切り売りすれば、村上ファンドは大儲けする。
 というわけで、村上ファンドの狙いは、阪神解体・バラ売りである。(そして、その裏には、オリックスがいるはずだ。)


● ニュースと感想  (10月21日)

 「靖国と国益」について。
 靖国問題について、次のことを主張したい。
 「靖国問題については、日本の国益を考えるべきだ」
 これはどういうことかというと、次のことを意味する。
 「保守派は普段はやたらと『国益、国益』と唱えて、屈服による対米従属を主張するのだから、靖国問題でも同様に『国益、国益』と唱えて、屈服による対中従属を主張すればよい」
 つまり、次のような二重基準をやめるべきだ、ということ。
 どうせなら、次のようにした方が、まだマシだ。
 こちらの方が、よほどまともである。そして、これは、私だけの偏屈な理屈ではない。世界の標準だ。イラク戦争では、世界の大多数の人々は、米国の理不尽な戦争に反対した。「戦争の是非」を論じて、「戦争は非」と認定した。一方、日本の保守派は、「戦争の是非」を論じるのを避けて、単に「国益」だけを唱えて、「対米従属が国益だから、たとえ非なる戦争でも対米従属するべし」と主張した。
 そんなに「国益」が大事なら、あくまで「国益」を重視すればいいのに、靖国問題になると、国益を大いに損ねてまで、中国と無駄な喧嘩をする。「国益」重視とは正反対の主張だ。
 二枚舌。

 [ 付記 ]
 オマケで言えば、民主党の前原ってのは、どうしようもない党首ですね。国会討論でも、「対米従属」ばかりを主張して、沖縄県民の利益を無視する。「対米従属」だけを主張するなら、政府の犬も同然だ。国会で政府の犬になる宣伝をしても、何の意味もない。国会がただの犬小屋になるだけであり、国会から論議が消えてしまう。
 国会とは、何か? 与党と野党とが異論を出して対抗することだ。なのに、前原と来たら、与党の犬になることしかできない。そんなに犬になりたければ、わんわんと吠えていればいいだけだ。国会に出てきてまで、政府のヨイショをしても、仕方ない。
 ついでに言えば、英国であれ、フランスであれ、ドイツであれ、対米従属などしないが、日本よりもずっと良く、米国との二国間関係を保っていられる。正確に言えば、こうだ。
   英・仏・独 …… 米国とは、「友人同士」という関係
   日本    …… 米国とは、「主人と犬」という関係
 従属することによってしか保たれないような関係は、真の友人関係ではない。そんなこともわからないのだろうか。たぶん、前原には、本当の友人など、一人もいないのだろう。彼にいるのは、彼が従う目上の人と、彼に従う手下との、二通りだけだ。だから、彼には、さもしい国家関係しか、発想できないのだ。
 前原という人間を評価すれば、こう言える。
 「愛も友情もない、冷たい打算だけの男」
 つまり、村上ファンドの村上と、同じ類の人間である。顔は違うが、人種は同じ。……坊ちゃんふうのハンサムボーイだが、だまされないように、注意しましょうね。要するに、しょせんは、愛もないし、他人の痛みに気づく優しさもない、冷酷漢にすぎない。村上が「金、金」と言うように、前原は「国益、国益」と言うだけだ。エゴイズムのエゴの部分が違うだけで、どっちもエゴイストであることは同じ。
( ※ ひるがえって菅直人は、人間的にずっとまともだ。抜けているところもあるけれどね。)

 [ 参考 ]
 靖国問題については、昨年の話もある。核心的なことは、そちらに記したので、そちらを参照。
   → 昨年 6月02日







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「小泉の波立ち」
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