[付録] ニュースと感想 (93)

[ 2005.08.15 〜 2005.09.06 ]   

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● ニュースと感想  (8月15日)

 「政党とWebサイト」について。
 各政党のWebサイトを比較すると、面白いだろう。このネタで誰かが話を書いてもいい。私がいちいち書くまでもないですけどね。
 案の定、一番駄目なのは、自民党。その駄目さ加減は、接続するとわかる。いや、接続できないかも。トラブルに遭遇したい人向け。
 他の政党も、合格点は付けにくいが、公明党は、比較的まとも。
 共産党は、笑えるというか、ホラーというか。……「リング」みたいなホラー体験が味わえそうだ。(皮肉ですけど。)
 URLは、あえて記しません。すぐにわかることだし。
 暇な人は、このネタで、あちこちを検索すると良さそう。今後も、ネタになりそうですしね。あちこちで各人が自分で書いてもいいし。


● ニュースと感想  (8月15日b)

 「略字の地名」について。
 JISの漢字改定にともなって、略字の地名をもつ自治体が困っている、という話も聞く。この問題は、簡単に解決できる。
 → Open ブログ (略字の地名)  ,  Open ブログ(字体の統一)


● ニュースと感想  (8月16日)

 「略字と戦争」について。
 15日は終戦記念日。いろいろと記事が出回っている。
 さて。戦争をまた起こすには、どうすればいいか? 私が一つ、提案しよう。それは、変な略字を使うことだ。
 韓国の大統領は、盧大統領(盧武鉉)だ。昔も、盧大統領(盧泰愚)がいたが。
 で、この大統領の名前を「盧大統領」と書かずに、「戸大統領」と書く。ついでに、「盧溝橋事件なんかなかったよ。戸溝橋事件ならあったけどね」とすっとぼける。……理由は? 略字だ。
   蘆 → 芦
   盧 → 戸
 というわけだ。(ついでだが、この種のことを、「部分字形の統一」という。それを貫徹しようというのが、略字論者の主張である。)
 たとえば、「鴎外」の「鴎」も、「冒涜」の「涜」も、この「部分字形の統一」に依拠している。だから、「盧大統領」は「戸大統領」になってしまう。
 当然、韓国国民は、怒り狂う。一点しんにょうの点が一つか二つかというようなものではないからだ。「侮辱されたぞ! 戦争だ!」
 かくて、略字による戦争の発生。  (^^);

( ※ この件、前にも同じネタを書いたことがある。 → 略字侃侃諤諤

 [ 付記 ]
 もっと詳しい例を示すと、次の通り。
    蘆 櫨 爐 艫  廬
    芦 枦 炉 舮  *(unicode  5E90)
 それにしても、略字主義者である朝日はどうして、「戸大統領」と書かないんでしょうねえ。まったく不思議です。媚びたのかな。「朝日文字による、日韓戦争勃発」なんて、面白そうですが。


● ニュースと感想  (8月16日b)

 「広島の原爆」について。
 爆発の前後で比較した写真がある。
 記事は Yahoo ニュース
 その URL からたどるホームページは混雑しているが、該当のページは、ここ。
 http://www.globalsecurity.org/wmd/ops/hiroshima02.htm
 マウスを載せたり離したりすると、画像が入れ替わる。

 さて。それとは別に、「原爆は正しかった or やむを得なかった」と見なす意見が米国世論では半数ほどだという。「戦争の勝利のために虐殺が正当化される」という理由。
 まあ、そんなものでしょうけどね。少なくとも、こう自覚してほしいものだ。
 「これはナチスのアウシュビッツと同等か、それより悪質だ」
 原爆投下を正当化するなら、ナチスのアウシュビッツ(ユダヤ人虐殺)を非難するのはやめてもらいたいものですね。なぜなら、「戦争の勝利のために虐殺が正当化される」というのなら、同じことがナチスによる虐殺にも成立するからだ。
 また、ナチスのやったことを「人道的に許容しがたい犯罪」と見なすなら、原爆投下だって「人道的に許容しがたい犯罪」である。
 
 つまり、一方では「戦争の勝利のために正当化される」と主張して、他方では「非人道的だから悪だ」と主張するのは、論理的に、二重基準である。(というより、二枚舌というべきか。ジキルとハイドふう。二重人格。)
 ま、アメリカ人なんて、そんなものだが。日本人も、似たようなものかも。
 「靖国にまつられた英霊は神聖である! あの戦争に参加した日本軍の戦士は善だった!」
 「ソ連に殺害された犠牲者がいる! あの戦争に参加したソ連軍の戦士は悪だ!」
 殺す側にまわったときは「すばらしい」と称賛し、殺される側にまわったときは「相手は悪だ!」と非難する。
 ま、中国や韓国もそうですしね。日本もそうだし、アメリカもそうだし、ソ連もそうだ。
 だから、戦争が、いつまでたってもなくならないわけだ。今でもイラクでやっているしね。
 人類の本性かも。

 [ 余談 ]
 クイズ。
 「人類が絶滅するのは、いつでしょう?」
 このクイズに正解を示したと判明した人には、地球上のすべての富を差し上げます。(生きていればね。)
 
 ついでだが、次のクイズには、解答が容易でしょう。
 「人類を絶滅させる国は、どの国でしょう?」
 その能力をもつ国は、ただ一つですからね。しかも、「核兵器をぶっ放す気がある」と大統領が公言しているんですから。


● ニュースと感想  (8月17日)

 「戦争の是非」について。
 靖国参拝をした閣僚がいて、マスコミで報道された。こういうのを見て、「靖国参拝はけしからん」と誰かが言うと、「英霊に対する敬意が足りない!」と保守派が怒り狂う。毎度繰り返される論調だ。
 で、この馬鹿げた対立の根源を指摘しておこう。

 戦争の是非とは、次のことだ。
 「大戦中の戦死者は、殺して殺された。そのことは、是か非か?」
 すると、こう答える
  ・ 右翼 …… 「是である。祖国を防衛することは正しい!」
  ・ 左翼 …… 「非である。他国を侵略することは正しくない!」
 どちらにしても、「殺したこと」に対して、免責・正当化したり、非難したりする。
 では、私は? その両者を否定しよう。つまり、こう答える。
 「大戦中の戦死者は、殺して殺された。そのことは、是でも非でもない。彼らは、殺さなければ殺される、という状況に追い込まれた。その状況で、殺すこと(戦うこと)の是非を問うても、無意味である。殺さずに殺されればいいわけではない。かといって、殺したことが正当化されるわけでもない。是でも非でもないのだ」
 では、どう判定するべきか? 戦死者については是非を判定せず、そういう状況に導いた人々(当時の人々全員)を判定するべきなのだ。「戦争に導いたから非」と。
 そして、その責任を負うのは、犠牲となって死んだ人はなく、生き残った人々だ。そこには、勝者も敗者もいる。そして、生き残った人々の子孫が、現時点のわれわれだ。
 だから、「非」のすべては、現在のわれわれ全員が負う。日本人の全員が負い、また、中国や韓国や米国など、地球上の全員が負う。戦勝国が免責されるわけでもなく、敗戦国が免責されるわけでもない。
 大戦で死んだ人々には、罪があるかもしれないが、彼らは死ぬことで、その罪を贖った。しかし、生き残った人々は(そしてその子孫であるわれわれは)、生きているがゆえに、その罪を贖っていない。ならば、罪を贖うべきなのだ。どうやって? 戦死者を崇拝することで? 違う。戦死者の前で、「ごめんなさい」と頭を垂れることでだ。

 結論を言おう。
 靖国の前で、「あなた方は祖国を守るために戦ったので立派でした」と称賛するべきではない。また、靖国の外で、「あなた方は他国を侵略するために戦ったので不当でした」と非難するべきではない。では、どうするべきか? 称賛も非難もしないで、かわりに、「あなた方を死なせてしまいました。あなた方の犠牲の上に、われわれは生きています」と頭を垂れるべきなのだ。
 つまり、戦死者に対しては、称賛や非難などの評価をするべきではないのだ。「良い」とか「悪い」とかの評価をするべきではないのだ。かわりに、悲しみと悔やみを感じるべきなのだ。
 マスコミは終戦記念日に、やたらと「戦争の良し悪し」を数字で示そうとする。しかし、数字で示せば示すほど、数字にはならなかったものが、すり抜けてしまう。そのすり抜けてしまったものが、真実だ。
 「良い」とか「悪い」とかは、現在の事件についてなら、意味がある。なぜなら、良し悪しを評価することで、現在の事件を操作できるからだ。小泉の行動であれ、ブッシュの行動であれ、世論が「良し悪し」を判定すれば、政府の行動を民衆が操作できる。しかし、過去の出来事については、世論が「良し悪し」を判定しても、過去の歴史的事件を誰も操作できない。過去について良し悪しを評価することは、まったく無意味なのだ。いくら評価しても、兵士も犠牲者も決して生き返らないのだ。
 だからこそ、生き返らない過去の人々には、悲しみと悔やみを感じるべきなのだ。それ以外の数値な判定は、本質を逸らすだけだ。

 [ 付記 ]
 ただし、「本質を逸らすこと」が、政府の狙いである。靖国の論議に巻き込んで、肝心の景気対策などから目を逸らさせるのが、小泉の目的。「郵政改革」も同様だ。こんなことは、日本の命運からすれば、どうでもいいことにすぎない。なのに、それを、最大の問題点であるかのごとく見せかける。
 これは、詐欺やスリのテクニックだ。相手の財布から十万円を盗むときは、目先に別のものをものをちらつかせればいい。詐欺師・小泉の、面目躍如。
 で、どうなる? 戦争再発かも。どうも小泉は、口先では「戦争を繰り返してはならない」と主張するが、実際にやっていることは、「戦争を繰り返すこと」となっている。

 [ 補説 ]
 逆に、本質を示そう。本質は、マクロ経済学の発想ないし原理から、よくわかる。
 そもそも、「殺すか殺されるか」という状況では、「是」とされる解答(正解)は存在しないのだ。ここでは、「戦争」という「状況」が悪い。だから、状況を変えるのが正解だ。
 なのに、「状況」を前提とした上で、「戦うのが正しい」とか「戦わないのが正しい」とか、そういう選択に陥って、堂々めぐりしているのが、現状だ。
 たとえて言おう。あなたが地獄の前に立っている。「火あぶりで死ぬか? 熱湯で茹で殺されるか?」という選択肢がある。「どちらが正解か?」と悩んでも無駄である。「地獄に行く」という状況そのものが間違いなのだ。状況を変えるのが正解だ。
 それがわからないで、「どっちの地獄がいいか?」と論争しているのが、右翼と左翼である。勝手に地獄に堕ちなさい。
  ・ 右翼 …… 「戦うのが正しい!」と叫んで、戦地で殺して殺されるべし。
  ・ 左翼 …… 「戦わないのが正しい!」と叫んで、戦地で殺されるべし。
 私は? 「そもそも戦争にならないようにする」というのが正解でしょう。でもまあ、これは、いつの時代でも、少数派だ。今だって、「イラク戦争は正しい」とか「対テロ戦争は正しい」とかいう、好戦派が主流だ。朝日だって、対テロ強硬論だ。……いつか来た道。
  → 戦争再発という中国世論調査


● ニュースと感想  (8月17日b)

 「民主党の政策」について。
 民主党のふがいなさを見ていると、腹が立ってきますね。政権獲得のチャンスだというのに、マスコミからは「与党の対立に埋没している」と皮肉られるありさま。で、民主党はマスコミに、「うちもちゃんと扱ってくれ」とお願いするありさま。情けない。
 報道されたければ、報道される内容を示せばいい。内容がからっぽだから、マスコミに相手にされないだけだ。それというのも、党首の頭がからっぽだからだ。……そこのところを、自覚してほしいですね。

 民主党がなすべきことは何か? こうだ。
 「大型減税を必ず実施します。13兆円減税。国民一人あたり、10万円。子供だろうと老人だろうと、払います。4人家族なら、40万円。これで一挙に、景気回復だ!」
 すると与党が「財源は?」と党から、「将来の増税」と答えればよい。景気回復がなされれば、減税の分をまかなって、お釣りが来ます。
 とにかく、今みたいに「名目成長率が 0.03%」なんて状態を続けている限り、財政は破綻する。それより一挙に景気回復することが必要だ。
 「損して得取れ」
 これをキャッチフレーズにしよう。「米百俵」なんていう精神訓話に比べれば、ずっと科学的だ。

 [ 付記1 ]
 ただし、難しくて、わからないかもしれないが。特に古典派には、この原理はまったく理解できないはずだ。頭が悪いので。
 古典派の基礎原理は、簡単に言えば、「二点を結ぶ最短距離は直線である」というものだ。こういう発想からは、「迂回経路」という発想は出てこない。山を登ろうとするときは必ず一直線に登ろうとして、多大な努力を費やし、結局、何十年もかかってしまう。それが現状。
 「(目先の)得して、(総計の)損取る」
 これが古典派。彼らは「自分たちは数学的だから絶対に正しい」と自己弁護する。

 [ 付記2 ]
 8月14日では、民主党の馬鹿げた政策として、「高速道路の無料化」を指摘した。16日の読売朝刊によると、さらに馬鹿げた方針として、「消費税の増税」という政策を掲げている。(年金財源のため。)
 狂気的ですね。「減税」を示すときに、「増税」を示す。馬鹿らしい。民主党は死んでしまいなさい。いや、馬鹿は死んでも直らないか。
 「年金財源のため」ならば、「消費税の増税」ではなくて、「年金納付の廃止」(公的負担)というふうに示すべきだろう。同じことを言うにも、「増税」という言葉で言うのは、気違いじみている。言葉を使うだけで、景気が冷える。しかも、「増税」は、時期的に後回しにするべきなのに、これでは、「今すぐ」の増税になってしまう。
 やはり、馬鹿は死んでも直らない。「日本を、あきらめない」なんていう白痴的な用語をする時点で、すでにこの党は脳死している。
 「お前はもはや死んでいる」
 と宣告したいですね。


● ニュースと感想  (8月17日c)

 「文字規格の歴史」について。
 今回の文字規格の騒動の背後にある、根源的な問題を指摘する。かなり重要な話。一点しんにょうがどうのこうのというより、はるかに巨大な問題がひそんでいるのだ。
  → Open ブログ (8月16日)

 [ 参考 ]
 あまり関係のない話だが、靖国神社で字体が混在している、という話。文字にうるさい人向け。
  → http://d.hatena.ne.jp/funaki_naoto/20050813#p1


● ニュースと感想  (8月18日)

 「文字規格の話」について。
 前日分の話(歴史)を公開したあとで、さらに続きとなる話も公開した。
 もうすでにご覧になっているかもしれないが。
   → Open ブログ
  「歴史(続き)」および「異体字タグ」という話。

  ※ 読者(マック利用者)による感想もある。


● ニュースと感想  (8月18日b)

 「新聞のスポーツ記事」について。
 ヤンキースの松井が逆転3ランを打った。この記事をネットや新聞で、あちこち読んでみたが、ついでにニューヨーク・タイムズの記事も読んだ。
  → http://www.nytimes.com/2005/08/15/sports/baseball/15yankees.html
 ( ※ 英文。もしかして、会員登録しないと読めないかも。登録は無料。)

 で、感想は? 
 日本の新聞記事との違いに、愕然としましたねえ。球場の熱狂した雰囲気がよく現れている。雨などの自然描写。観衆の熱狂。……球場の空気が感じられる。まるでその場にいるかのようだ。これこそ「報道」の醍醐味だろう。
 それに引き替え、日本のスポーツ記事は、何か? 「情報の伝達」ではなくて、「意見の開陳」になっている。「監督はこうするべきだった」というふうな戦術の離しばかり。情報の伝達ではなくて、意見の発表の場だ。
 馬鹿でもわかるような「4打数1安打」というような数字と、監督気取りになって威張っている記者の意見。まったく、素人っぽい記事だ。そこらの八百屋のオヤジの野球談義と、ちっとも変わりはしない。当然、聞かされる方は、「下らない意見を聞いてやる代金」を取ってもいいはずだが、どういうわけか、下らない意見を聞かされた読者が金を払う。

 日本にも、まともなスポーツ記事は、出てこないものでしょうか? 筆者の意見ばかりを押し出すのではなく、その逆に、筆者は陰に隠れる。かわりに、現場の雰囲気様子がありありと描写される。記者は消え、選手と球場が目の前に浮かぶ……そういう記事を読みたいですねえ。
(……ただし、そうするには、ものすごく力量が必要だ。スポーツ記者には無理かもね。……朝日でも、欧州支局長なら、元小説家だけあって、けっこう書く力はあるんだが。でも、あの人は欧州にいるから、日本のことは書かない。)

 [ 付記 ]
 そもそも、朝日の体質は、「自己の論調を読者に押しつけること」であるから、本項で述べたことは、朝日の記者にはまず無理。読売は? 言わずもがな。「****の論調を読者に押しつけること」ですからね。「****」には適当な四文字を入れてください。)

 [ 補足 ]
 と書いたあとで、半日後に、日刊スポーツの記事があった。
  → 該当記事
 これ、NY times に似ている。まるで、パクリだ。……どう見ても、「NY times の記事を読んでから、あとで真似して書いた」としか思えないんですけど。……いいんでしょうかねえ。(ただし、下手なパクリだが。)
 それにしても、英字新聞を読みながら、半日後に自己流に下手にリライトするだけで記事が書けるなら、新聞記者なんて必要ないと思うが。
 ただし、「共同発」なんていう、まったく同一文面を掲載する朝日や読売よりは、ずっとマシかも。これは、パクリではなくて、ただのコピペですから。


● ニュースと感想  (8月18日c)

 「プロ野球と経済学」について。
 阪神の成績が低迷している。で、これは実は、経済学の発想に似ている。阪神と中日の違いは、「古典派的/マクロ経済学的」という違いだ。
 阪神の監督の発想は、こうだ。
 「最優秀の選手を、最大限に使えば、最強のチームができる」
 中日の監督の発想は、こうだ。
 「最優秀の選手が常に調子がよいとは限らない。そのときそのときで、調子の最もよい選手を使う。その分、レギュラーの選手を適当に休ませる」

 前者の発想では、優秀な選手がいても、出ずっぱりで、疲れてしまう。疲れのせいで、成績は急降下だ。7月・8月になると、2割ちょっとしか打てなくなったりする。それでも、「4月以降の平均打率では、チーム内ではトップクラスだ」という理由で、低い打率にもかかわらず、出ずっぱりだ。
 後者の発想では、疲れた選手を休ませて、その分、調子のいい控え選手を使う。優秀な選手は、たとえ優秀でも、出場しないことがある。

 両者の発想の違いは、何か? こうだ。
 前者は「優勝劣敗」である。個々の選手に着目して、選手を最適化する。AならA、BならBを取る。優秀なものを出場させて、劣悪なものを退場させる。どれが優秀かといえば、もちろん、常時の成績で決める。結果的に、「優者」が出ずっぱりで、「劣者」は出場できない。
 後者は、「チームの総力」である。個々の選手としては力量の劣るものを使うことがあってもいい。とにかく、チームの総力が最強となる組み合わせを取ればいい。AかBか、ではなくて、「選手全体をどの組み合わせにするか」が問題となる。もちろん、「全員が四番」なんていうチーム編成だと、チームとしては機能しなくなるから、そんなのは駄目だ。

 結論。
 「今後、阪神のチーム成績は急落し、中日のチーム成績は上昇するだろう。巨人も、全員が四番なんていうチーム編成を何とかしないと、強者ばかりを集めてチームとしては弱者になったままだ」
 ……と書いたのが、実は、7月の下旬でした。このころ、阪神と中日のゲーム差は7ゲームぐらいあり、「阪神の独走優勝か」という記事があふれていた。しかし、現実にはどうなったかは、ご存じの通り。ひところは、ゲーム差が 0.5 まで縮まった。
 書いた話を公開しないでいるうちに、現実が予想を超えて進んでしまった。でもまあ、予想が当たったから、私としては「よし」としよう。(「黙っていたんじゃ予想にならないぞ」という声もありそうだが。すみません。  (^^); )

 では、今後の予想は? 
 やはり、阪神は駄目でしょうねえ。高齢の主力を休ませないので、打棒が湿りっぱなし。いくら守っても、点が入らない。ま、少なくとも、ひところのように「阪神の独走」はありえない。
 ただし、阪神がマクロ経済学の方法を取れば、阪神の独走になりそうだ。……すると? 独走では、野球が詰まらない。詰まらないのは、詰まらない。やはり、阪神は負けた方が、国のためになります。   (^^);

 さて。日本の経済は? 不況が続いた方が、国のためになるかどうか。…… (^^);


● ニュースと感想  (8月19日)

 「文字規格と正書法」について。
 私の示した「字形の変更」について、批判の意見があったので、この批判に答える。
 批判した文書は、こちら。
   → ある個人のブログ

 その要旨は、これまで何度も指摘したのと同じで、
 「字形の変更はしないでいい。正字体を追加すればいい」
 という主張。

 処置はわかる。ただし、この人がいったい日本語をどうしようとしているのか、そのことを自分でも理解していないようなので、私が整理しよう。
 上記の主張を取った場合、論理的に可能なのは、次のどちらかだ。

 (1) 日本語は略字を原則とする。正字を使いたい人だけが正字を使うが、
   ただし、正字使用はあくまで例外的な措置である。
 (2) 日本語には、略字も正字も原則を立てない。
   誰がどういう字体を使うかは、まったく個人の自由である。

 前者の場合は、「略字主義」となる。これに対しては、私はまともに論争する気はない。文句があるなら、「正字を基本とする」という方針を定めた国語審議会にいうべきだ。

 後者の場合は、「混合主義」となる。この場合、日本語は正書法を失う。たとえば、「辻妻」や「冒涜」に対しては、略字と正字が混在する。同様に、通常の常用漢字についても、正書法がなくて、新字体と旧字体とが混在する。たとえば、次の例を見よう。
   「字体と仮名遣いの変遷が続くと」
   「字體と假名遣いの變遷が續くと」
 ここでは、前者は新字体で、後者は旧字体(正字)。通常の現代文は、前者に統一されている。ところが、「字体は任意にする」というふうになると、それぞれの文字について、二つの字体が混在して流通することになる。──つまり、「正書法の否定」である。

 正書法を否定すると、多様な処方が可能となる。それは書き手にとってはとても便利だが、読み手にとっては非常に具合が悪い。
 (常用漢字の範囲内で)新字体と旧字体がチャンポンになった文章というのは、私にとっては気持ち悪いのだが、そういう非統一の状況をあえてもたらそうとするのが、上記の説だ。

 ──

 実は、この人は、こう考えている。
 「おいおい移行してくはずなので、10年単位の長いスパンで移行していくのが得策ではないか。素人考えだけど。」
 要するに、(2) の「混合主義」だ。しかし、そんな状況にすれば、正書法がなくなるので、文字遣いは混乱の極みとなる。「正書法を否定する」というのは、文明の低い国の政策なのだ。
 だいたい、そういう方針が貫徹されたら、どうなるか? 一つの文字に対して、一つの字体でなく、二つの字体でもなく、百か千ぐらいの字体が許容されて、各人が勝手にバラバラの字体で書いたら、どうなるか? それでも彼は、「書き手の自由が尊重される」と喜ぶのだろう。──しかし、読み手にとっては、大迷惑だ。

 ──

 なお、国語審議会の方針は、こうだ。
 「常用漢字と人名漢字(既存分)は、新字体。それ以外は、正字体」
 これは正書法を定めた方針だ。私も、この方針を支持する。

 ※ ついでに言えば、この方針は、私の独自の方針ではなくて、国語審議会の方針だ。この方針を否定したいのであれば、国語審議会に言うべきであって、私に文句を言っても仕方ない。
 ※ つまり、私の提案は、「国語審議会の方針」を実現するための、技術上の仕組みであるにすぎない。「国語審議会の方針」の是非については、論じていない。「南堂久史は国語の正格主義者だ」という指摘が上記のサイトにあったが、こんなことを批判しても、意味がない。それを批判したいのであれば、国語審議会を初めとして、「正しい日本語を使いたい」という全員を批判するべきだ。
 ※ 要するに、「正しい日本語を使いたい」というのは、私の独自の発想ではない。私はそういう立場を支持するが、この立場は、世間の大多数の立場である。私の独自の立場ではない。「南堂久史は国語の正格主義者だ」ということで、私を批判しても、見当違いだ、というしかない。
 ※ たとえて言うと、私は「政府が所得税を取る」という仕組みを支持するが、「南堂久史がそういう方針を支持するのはけしからん」というふうに私を批判しても、お門違いでしかない。「政府が所得税を取る」という仕組みを支持しているのは、私だけでなくて、世間の大多数であるからだ。私に文句を言っても仕方ない。
 ※ とはいえ、私が「納税の方法」という技術的な方法(電子的な方法)をうまく考案したとしたら、その人は、私を批判するんでしょうね。「政府が所得税を取るのは、南堂のせいだ。南堂のせいで税金を取られるんだ! けしからん。絶対に許せん!」というふうに。……技術者はつらいですねえ。(こうやって権力者は末端の技術者に責任転嫁をする。そして民衆はそれにだまされる。)

 ──

 本項の話の核心を示しておこう。
 例のサイトの発想は、こうだ。
 「言葉遣いは自由なのだから、個人の自由に任せるべきだ」
 私もその発想を尊重する。私としても、自由を大切にしたい。お上が規格を頭ごなしに押しつけるなんていうのは、まっぴら御免だ。
 しかし、そういう自由は、「文章内容の自由」に限るべきだ。「文章の書き方」ぐらいは統一した書き方にしてくれないと、文章の基本である「意味伝達」という機能が阻害されてしまう。つまり、各人は好き勝手なことをいくらでも言えるが、言っていることが相手にちっとも伝わらない、という状況になってしまう。
 たとえて言おう。方言がある。日本に多様な方言があるということは、それ自体は自由の一種である。私はこれを否定しようとは思わない。「方言をつぶせ」なんてことは言わない。ただし、「標準語の存在を否定せよ」という方針が取られたら、異なる方言を使う人々で意思の疎通をできなくなる。
 だから、言葉の使い方については、「標準規格」が何としても必要なのだ。「標準規格は自由を阻害するから、標準規格を廃止して、各人の自由にせよ」というふうにしたら、言葉そのものが機能をなくしてしまうのだ。
 結局、私の方針は、こうだ。
 「言葉の使い方は、標準を定めて、これに統一する。ただし、言葉で何を語るかは、徹底的に自由にする」

 自由という言葉の意味を勘違いしてはいけない。言論の自由とは、「辻」の字形の点の数を一つにするか二つにするかというような、そんなことのためにあるのではない。この世界のすべてについて自由な発想をするという、精神の自由のためにある。
 そして、精神の自由のためには、言葉は規格化されている方が、かえって好都合なのだ。各人が勝手にバラバラな用法を取っていれば、意思の疎通が阻害されるがゆえに、精神の自由はかえってそこなわれるのだ。
 形式の自由は内容の自由をそこない、形式の厳格化は内容の自由をもたらす。
 ( ※ これと同趣旨のことは、ゲーテも言っている。)

 [ 付記 ]
 本項では、元の批判者に対して、批判を浴びせることが目的なのではない。この批判が典型的なので、多くの批判者の代表として、取り上げるに値すると思ったからだ。
 なお、この批判に対して返答することで、私の思想がいっそう明確化された。その意味では、この批判をなしてくれた人には、感謝したい。


● ニュースと感想  (8月19日b)

 「文字規格」について。
 次の二つの話題があります。
   ・ 狂気の文字規格 1 (人名漢字)
   ・ 狂気の文字規格 2 (欧文記号)
 → Open ブログ


● ニュースと感想  (8月20日)

 「略字主義と略字マニア」について。
 「略字主義」という言葉について、ちょっと概念の混乱があるかもしれないので、整理しておく。あえて別の言葉を使って区別すると、次の二通りがある。

  ・ 略字統一主義
  ・ 略字許容主義

 前者は「略字に統一する。正字を追放する」という立場だ。略字を標準とする。
 後者は「世間は正字でも、自分は略字」という立場だ。正字を標準とする。

 両者の違いは、何か? 前者が、次の立場を取ることだ。
 「《正字が標準である》という現状(出版物の現状)を改革する。」
 つまり、急進的な国語改革である。そして、それは、とうてい実現不可能な改革であるから、「現状維持」と「急進改革」との双方が対立して、混乱が起こる。

 比喩的に言おう。次の立場がある。
 「日本語なんて、後進国の言葉だ。英語こそ先進国の言葉だ。英語はカッコいい。頭のいい人はみんな英語がペラペラだ。だから、英語を原則としよう。日本語なんか、廃止してしまえ。日本の言語は、英語を標準として、日本語を土着民族の下層階級語とするべきだ」
 まあ、こういう国は、確かにあります。インドやシンガポールの名を上げるつもりはないが(なんて言って書いちゃった  (^^); )、植民地の支配政府の言語を崇拝する、という立場は、確かに存在する。
 たとえば、敗戦後の日本の、こういう立場だ。
 「米国人は憧れのマトだ。レーガンやブッシュこそ理想の政治家であり、アメリカ人の歌手こそ理想の歌手だ。それに比べて、日本人は、ダサイ。日本人はアメリカ人の真似をしよう。たとえば、レーガンの真似をして、カウボーイハットをかぶり、馬に乗ることこそ、世界で最先端の先進的な行為だ。何でもかんでも、アメリカの真似をしよう」
 また、たとえば、最近の日本語音痴である若者たちの歌だ。
 「へい! 僕らは love。未来は明るい dream!」
 なんていうチャンポン言語を、恥ずかしくもなく使うような、幼児言語趣味。根っこでは「国際性」と「アメリカン」とを混同している精神がある。「アメリカ人の真似をすることこそ、真の国際化である」というわけだ。

 で、こういう植民地根性ないし幼児的言語趣味のもとで、「英語を標準にしよう」という方針が立てられたとする。……で、その方針は、現実に実現が可能か? もちろん、可能ではない。昨日まで日本語を話していた人々が、急に明日から英語をペラペラとしゃべることはできない。つまり、
 「言語について新しい規格を強引に導入すれば、二つの規格が併存するだけである。元の規格から新しい規格に自動的に変更されることはなく、二つの規格の混乱だけが起こる」
 ということだ。

 「略字を標準にしよう」というのも、これと同様である。もともと略字も正字も使っていない人々ならば、変更は容易だ。なぜか? どうせ、「冒涜」というような漢字を使わない(使えない)から、略字も正字も関係ないからだ。
 しかし、今も毎日、常用漢字以外の漢字をたくさん使っている人々がいる。それらの人々は、出版物を見ながら、正字だけを見ている。たまに略字を見ることもあるし、パソコン画面で略字を見ることもあるが、そのときはいちいち頭のなかで「略字から正字へ」というふうに変換しているのが普通だ。たとえば、「冒涜」という文字を見たら、「何だ、この変な文字は?」と思ってから、略字を正字に変換して、「ああ、あの字のことか」と修正しているわけだ。(もっとも、誤字に慣れきってしまっている人もいるだろう。汚れちまった悲しみ だね。)

 何だか、話が拡散してしまった。すみません。とにかく、上記の赤字部分が、言いたいことだ。で、話の初めに戻ると、

  ・ 略字統一主義
  ・ 略字許容主義

 前者は、過激な急進改革主義で、社会に混乱をもたらす。私はこれを批判している。
 後者は、標準には関係なくて、個人的に略字を楽しもうというものだ。たとえば、略字で印刷したり、略字で画面表示したりするが、それはあくまで自分で文字を使う範囲のことであり、世間一般にはその方針を強要しない。具体的に言えば、年賀状などで私的な文書を書くときには、略字を使うこともあるが、学術論文や業務文書など、フォーマルな文書を使うときには、自分の好みを押し通さずに、世間の標準にしたがって正字を使う。つまり、「公」と「私」の区別をする。この方針は、「略字フォントを私的に使う」ということで実現できる。……私はこれを批判しないし、かえって擁護する。

 だから、話の整理をすれば、こう言える。
 「私は、略字統一主義(急進改革派)を批判するが、略字許容主義(略字マニア)を批判していない。正字を追放して略字を強制する方針(急進改革派)を批判するが、だからといって、略字を追放して正字を強制する方針(略字マニアの弾圧)を取るわけではない。」
 つまり、私の立場では、正字を標準とするが、標準外で略字を使うことも許容される。この点を誤解しないようにしてほしい。
( ※ つまり、前日分のサイトの「日本語正格主義者」という批判は、当たらないわけだ。標準以外の使用も許容されるのだから。要するに、例外がどうのこうのという問題ではなくて、標準がどうのこうのという問題なのだ。)

 [ 付記1 ]
 前日分のサイトでは、新たな記述があった。(2005-08-19) 引用しよう。
「国語審議会の決めた正字体=正しい日本語」として説明しているのは、南堂氏の責任において、でしょう。国語審議会が正字体を「伝統的」で「正統」な「正しい日本語」と呼んでいるのかどうか知りませんが、そういった脚色によって、本来は「スムーズに情報伝達するための字形」であったはずの正字体を「伝統」と「正統」の名でデコレーションするのはどうか、と言っているのです。
 この問題は、前にさんざん論じたことだから、私ははしょっていたのだが、門外漢の人には初めてだろうから、改めて説明しておく。
 「正字体」というのは、「正統」な「正しい日本語」のことではない。多くの人はそう感じているが、そうではない。「正」は、「正しい」right という意味ではなくて、「正規の」regular という意味である。「正選手」というのと同じである。スタメンと同様。要するに「標準」のこと。
 私であれ誰であれ、「正しい文字を使え」という意味で正字使用を主張している人は、まずいない。そういう人は、(×「正字正仮名」)「旧字旧仮名」主義者と言われ、非常に例外的である。ほとんどの人の主張は、単に「標準規格を定めてそれに統一せよ」ということだ。その標準規格が、略字であるか正字であるかは、どちらでもいい。具体的には、常用漢字は略字と同じ新字体でいい。これを「正しい文字ではないから駄目」なんて主張することはない。
 略字が駄目なのは、それが「正しい文字ではない」からではなくて、regular ではないからだ。regular でないものを勝手に標準に採用すると、それまで regular だった別のものとの混乱が起こる。
 私が「日本語を愛する」というのは、「古いものを愛する」ということではなくて、「ちゃんとした日本語を存在させる」という意味であり、「日本語を崩壊させたくない」という意味だ。「正統的/非正統的」という発想ではなくて、「存在/崩壊」という差だ。

 参考資料 :
 → 正字とは何か (これはテキストファイルです。HTML ではありません。)
 → Q&A の Q31

 [ 付記2 ]
 概念の混乱を防ぐために、注釈しておこう。私は「正しい文字を使え」と主張することがある。ただし、その意味は、「俗字は駄目」ということではなくて、「誤字は駄目」ということだ。具体的に言うと:

  ・ 誤字(人名異体字)
     …… 書き間違いの文字(「功」「邊」「齋」の誤字など)
  ・ 俗字(簡易慣用字体1)《 正式案 》
     …… 唖頴鴎撹麹鹸噛繍蒋醤曽掻痩祷屏并桝麺芦蝋弯
  ・ 俗字(簡易慣用字体2)《 試案 》
     …… 遡辻祇(祀)渕桧壷噛讃櫛曽痩薮楕涛祷祢絣砺(芦)蝋
         篭卉(隙)掻薩煎(欝)頴澗(厩)惧荊靱纒兎桝臈(臘)

 最後の例からわかるとおり、私の提案では、略字の「辻」は許容されている。これを禁止したのは、国語審議会であって、私ではない。では、私が「どうしても駄目」「正しい文字を使え」と言っているのは、何か? ただの書き間違いの誤字にすぎない「人名異体字」だ。
 例。「はしご高」は、人名以外にも慣用の例(高島屋の屋号に似た文字がある)があるので、許容する。
 例。「中内功」の「エ刀」は、ただの書き間違いなので、許容しない。

 にもかかわらず、人名異体字(誤字)は、新JISには非常に多く含まれている。( → Open ブログ 狂気の文字規格 1)
 ( 参考 → Open ブログ コメント 簡易慣用字体 正式案と試案の違い)

 [ 補足 ]
 上記のサイトでは、私が「生死にかかわる大問題」と述べたことを問題視している。だが、これは、誤解がある。私がいいたいのは、こうだ。
 “字体の変更をしないで、正字体の追加をした場合、「文字の消失」が起こる。たとえば、正字の「榊原」が「 原」になる。”
 ここでは、標準的な文字が消滅する。だから、まさしく「生死にかかわる」と言えよう。たとえば、次の例文。
 「森鴎外は、巷で僅かな儲けを得よという指摘を、冒涜と感じて、怒りの漣に溢れる表情をした。それを見た薩摩の男は、生命の危機に瀕したと感じて、その場を這い出し、襖を開き、脱兎のごとく遁走した。楢の木のところまで来て、おのれの迂闊さを察して、安堵の溜息を吐いた」
 ここでは、多く(16字)の略字が使われている。これらの略字に対して、正字を別のコードポイントで使うと、従来の環境では、その16字が欠落してしまう。穴だらけの虫食い文になる。── これがつまり、「(文字の)生死にかかわる」ということだ。
 このような「混乱」ないし「崩壊」を避けたいわけだ。正字をお手本として、「これが正しいからこれにしろ」と強制しているわけではない。

( ※ 余談だが、この手の誤解は、非常に多い。「南堂久史はこういうふうに主張しているから、けしからん」という批判がたくさんあるのだが、実は、私はそんなことを主張していないのだ。人々は勝手に「南堂久史の虚像」を作り上げて、その虚像を批判している。困ったものだ。……だから私はあちこちで、「トンデモ」と呼ばれるのだが。)


● ニュースと感想  (8月20日b)

 「コンドームと浣腸」について。
 変態性欲の話ではありません。(下半身の前と後、という意味ではありません。  (^^); )
 マスコミ(特に朝日)というのは、思い込みが強すぎる。自己を反省できない。だから独りよがりのことばかり書いて、それに気づかない。19日の朝刊には、次の意味の記事があった。
 「コンドームメーカーのオカモトが、イチジク浣腸という会社の子会社になる」
 え? と思いましたねえ。世界的な大メーカーが、浣腸メーカーの子会社になるなんて。逆じゃないの? 
 ネットで調べたら、やはり、その通り。浣腸メーカーは、買収するのではなくて、される方だ。なのに、記事では、その逆のことを記述している。……実を言うと、文章でなくて、図で示しているからだ。
   「オカモト → イチジク」という買収
 というふうに。しかし、これじゃ、意味が誤解される。独りよがりな記事だから、まともに情報が伝達されない。
 そういえば、前日分でも、似た話を書いた。書き手が「こういうふうに書きたい」という勝手なことばかりやっていては、意味伝達の機能が阻害されて、まともに意味が伝わらなくなる。
 言語の公的表現のためには、「私」ego を抑えて、「公」の立場を取る必要がある。それを理解できないと、「自由」を唱えながら、ただの「デタラメ」になる。自由とデタラメの区別をしよう。さもないと、朝日みたいなデタラメばかりを書くハメになる。
( ※ 「私」ego を抑えるべし、なんていう主張をすると、感情的に反発して、頭に血をのぼらせる人々がとても多い。[特定の誰かのことを言っているわけではありませんが。]……そういう短絡的な発想をしないようにしましょう。一般に、そういう発想をするのは、わがままな一人っ子のお嬢様に多い。これには何度、泣かされてきたことか。  (^^); )


● ニュースと感想  (8月21日+)

 前日分の補足。
 いったん訂正したあとで、再訂正します。訂正の書き直し。
 「子会社化する」「子会社になる」が、前日分では記述が反対になっていました。該当箇所を訂正しました。
 訂正してお詫びします。二重の恥さらしみたいですが。  (^^);;;


● ニュースと感想  (8月21日)

 「漢字論議の続き」について。
 漢字は統一されていた方がいい、というのが私の見解だ。
 一方、それに対して、不統一になっている状況もある。たとえば、朝日新聞だ。「略字は駄目」という方針が取られていないから、結果的に、同じ文字を略字と正字で使う。例としては、次のページ。
  → 胡錦濤主席、「抗日戦勝60周年展」を参観
  → 胡錦涛主席、小泉発言を前向き受け止め タイ紙報道
 中国の主席の名称が、正字と略字の双方で書かれている。しかも、うまく検索ができなくなってしまっている。「胡錦濤」で検索すると、前者のページはヒットしない。(「胡錦」ならヒットする。)
 とにかく、こんなふうにチャンポンに文字を使うようだと、情報伝達もまともにできなくなる。あげく、論理が錯乱して、とんでもないメチャクチャ論理を出すようになりそうだ。

 [ 付記 ]
 例の批判サイトから引用。
 南堂氏の考えは一種の懐古主義の様なものでしょうか?
正しい日本語と云うものは戦中迄の国語教育の象徴的な云い方だと思います。 私的には、正字好きですよ。
 私の考え方は、どちらかというと、革新主義です。懐古主義なんて、大嫌いだ。昔の日本語を「正しい日本語」と見なす発想も嫌いである。
 ただし、「正しい日本語なんか存在しない」という発想は、もっと大嫌いだ。「誰でも勝手に好き勝手な言葉遣いをしていい」なんていう混乱主義は、ただの阿呆の発想だとしか思えない。そういうことを主張する人物は、正しい日本語のかわりに、チンパンジー語でも話していればいいのだ。(過激で済みません。)
 言葉には規範がある。規範をはずれた私的な誤用を、反省するのならともなく、「誤用をしてもいいんだ」なんて居直るような人とは、口を利きたくないですね。そもそも、口を利いても、言葉が伝わらないでしょう。私の使った標準的な日本語を、相手は理解する能力がない。相手の使ったメチャクチャな言葉を、私は理解する能力がない。……かくて、言語の伝達は不可能となる。
 だから、私が言いたいのは、「規格化するか否か」ということだけだ。新しいか古いかと言えば、私は古いのは嫌いである。個人的に言えば、JISの第一水準は、正字をやめて、全部新字体にしてほしいと思う。その方が使いやすい。
 ただし、私一人がそう思っても、世間の人々はそれに賛同しない。また、新字体に規格化するための条件も、満たされない。その条件とは、こうだ。
 「JISの第一水準を常用漢字にして、世間で使うことにする。新聞やテレビでも、現在の常用漢字(約2000字)だけでなく、新たな常用漢字(JISの第一水準の約3000字)を使うことにする。使ってもいいという意味ではなくて、日常的に3000字を頻繁に使うようにする。(「終えん」「安ど」なんていう仮名書きはやめて、「終焉」「安堵」と漢字で書くことにする。)」
 この条件が満たされればいい。しかし、満たされない限りは、世間には正字と略字と仮名書きの3種類が混在することになる。(通常は正字と仮名書きで、例外的にパソコンでは略字、という現状通り。)……こういうふうに混在するのだけは、まっぴら御免だ。それが私の立場だ。
 だから、私の嫌いな順位は、こうだ。
   (1) 嫌い :チャンポン(同じ文字に二つの字体を共用する)
   (2) 中立 :常用漢字の枠は同じで、字体のみを一方に統一
      (常用漢字は新字体、常用漢字外は正字)
   (3) 好き :新字体 3000字に統一 (常用漢字の拡張)
 私が批判しているのは、(1)である。(2)は現状。(3)は拡張案。
 ただし、私は (3) を主張しない。できるはずがないから。2000字だって、ろくに読み書きできない人が多いのに、3000字なんて、無理でしょう。
 いや、そもそも、漢字どころか、ひらがなの日本語さえ、怪しくなってきているぞ。最近は。やたらとカタカナばかりが増えている。

 [ 余談 ]
 先に紹介したサイトのご本人はていねいに対応してくれるのだが、そこにコメントを書く人のなかには、「南堂久史はけしからん」という非難を浴びせている人もいる。
 まあ、私としては、いちいち誤解や非難の対応しているとキリがないのだが、それはそれとして、こういう非難を見ると、「南堂久史がいかに多大な攻撃にさらされてきたか」が、よくわかるだろう。思えば、上記のサイトのご本人も、最初は怒り狂っていたはずだ。(南堂の主張ではないことを、南堂の主張だと勘違いして。)
 このコメント欄には、珍しく私の味方も現れている。ただ、5年前には、私の味方は、(ほら貝を除けば)皆無だったと言ってもいい。雲霞のごとく押し寄せる非難を、一人で振り払わねばならなかった。国語審議会の方針も、JISの規格委員会のおかしな方針も、あらゆる難点はすべて南堂久史の責任であるかのごとく非難され、「けしからん」「トンデモだ」という大合唱だった。(特に、「何とかの舟」とかいうサイトの人は、メチャクチャな詭弁の難癖をふっかけてきたり、自分の失態を他人のせいにして責任転嫁したりして、ひどい迷惑をもたらしたものだ。文字コードの論争で金儲けした人は、この人ぐらいだろうが、最大の加害を正字派にぶちまけたのも、この人だ。悪いやつほど、金儲けが上手。正字派の二人は、金儲けが下手。)
 男はつらいよ。葛飾柴又。……あ、「葛」の字が出た。略字派の主張に従うと、寅さんは「葛飾柴又」がうまくパソコン漢字で出せないはずだったのだが。寅さん、よかったね。  (^^);

 [ 注釈 ]
 ちょっとお願いがあります。
 私に非難を浴びせるのは構わないのですが、それについて、第三者(たとえば例のサイト主)を巻き込まないでください。そこのコメント欄を荒らすと、ご本人が怯えてしまうと思います。普通の人は、文字コード関係者みたいな野蛮な人種とは、お付き合いがないので、びびってしまいます。  (^^);
 「南堂の馬鹿野郎」と書きたいときには、ご自分のホームページやブログでお書き下さい。他人のブログで喧嘩みたいなことを始めないで下さいね。
 例のサイトの方には、下品な争いに巻き込んでしまったことを、お詫びいたします。申し訳ありません。
 まあ、国語審議会の「正字」の方針も、JISの規格の「包摂」の方針も、電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、小泉のヘアスタイルのウェーブも、みーんな南堂が悪いのでしょう。ただ、小泉の波立ちの読者は、「南堂の馬鹿野郎」と言いたいときには、第三者を巻き込まないでくださいね。
 例のサイトのコメントを見ると、アンチ南堂主義の人が、相当メチャクチャな難癖を付けていますが(いちいち指摘する気はないけれど)、そういうことをしたい場合は、ご自分のサイトに書きましょう。「それでは他人の目に触れないじゃないか」とお思いでしたら、Nando ブログ にご記入下さい。このブログに、「読者の意見のリンク」という箇所を新たに用意したので、ご自分の意見を、賛否構わずリンクしてください。たとえば、「南堂の悪口を書いたので、是非お読み下さい」と書いて、リンクを置いておくといいでしょう。南堂の悪口を読みたい人が、読んでくれるはずです。
 ついでですが、リンク先で喧嘩が始まっても、私はそこまでは責任もてません。


● ニュースと感想  (8月22日)

 「半面の認識」について。
 文字規格の話について、ネットでの反響を探ると、やはり、文句を言う人の方が圧倒的に多い。「南堂という真犯人が名乗り上げた」というふうに書いている人もいる。……逮捕されて、磔(はりつけ)になるかも。  (^^);

 いろいろ読んで思うに、彼らの主張の特徴は、こうだ。
 「字形の変更を実施することにともなうデメリットを主張する。現状変更のデメリットを最小にしたいと願う」
 で、その本質的な意味は、こうだ。
 「字形の変更を実施しないことにともなうデメリットを主張しない。現状維持のデメリットを無視する」
 比喩的に言えば、こうだ。
 「プログラムに、バグがある。バグがあるプログラムをいっせいにに変更すると、混乱が起こる。バグのあるプログラムを取るかどうかは、ユーザーに任せるべきだ」
 というわけで、実質的には、バグのあるプログラムが普及した状況を維持しようとする。(漢字で言えば、略字を原則とした状態を、維持しようとする。)
 なるほど、それならそれで、変更のデメリットを避けることはできる。しかし、そこでは、「現状維持のデメリットを認識しない」というふうにしている。つまり、物事の半面しか見ていない。

 このことは、次の認識で、典型的だ。
 「字形の変更をすると、一点しんにょうの辻さんが文句を言う」
 じゃ、字形の変更をしなければ、問題ないのか? いや、こうなるはずだ。
 「字形の変更をしないと、二点しんにょうの辻さんが文句を言う」
 もうちょっとわかりやすく言おう。「榊原」さんには、字画が「ネ」と「示」(略字と正字)とが、双方いて、ほぼ半々だ。電話帳を見ても、同窓会名簿を見ても、ほぼ半々である。で、現状では、パソコンでは「ネ」の方だけだ。一方、今後は、「示」の方だけになる。
 では、どちらにすれば、問題がなくなるか? もちろん、どちらにしたって、問題はなくならない。あちらが立てば、こちらが立たず。── これが、今回の問題の、焦点だ。

 で、私は、「人名ついてはどうしようもないから、普通の日本語の方針だけで決める」というふうに主張した。
 ところが、略字主義者は、そういうふうには認識しない。かわりに、こう認識する。
 「普通の日本語のことなんか、どうでもいい。着目するべきは、人名だけだ」
 こういうふうに、範囲を特定領域だけに絞る。さらに、その上で、
 「略字さんのデメリットには着目するが、正字さんのデメリットについては着目しない」
 というふうに、半面の認識をする。

 かくて、「略字が正しい。略字ならば、何も問題はない。現状維持なんだから、新たな問題の発生を防げる」と主張する。
 なるほど、確かに、「新たな問題の発生を防げる」と言える。しかし、「現在の問題を解決する」ことはできないのだ。

 物事については、半面だけの認識をしては、真実を理解できない。曲解した上で、誤解だけをなすようになる。── こういう誤解をやる人は、非常に多いので、注意しよう。(誰がやっているとは、あえてあげつらわないが。いえ、Open ブログ で指摘した詭弁上手の人のことだ、とは言いません。)

 [ 付記 ]
 この件については、先に別の論拠でも説明した。再掲すると、次の通り。
 コンピュータ関係では、「データの互換性が大事だ」としばしば言われる。それはその通りだ。ただし、そのことが成立するには、次の前提がある。
 「元のデータ規格が正当な規格である」
 しかるに、この前提が満たされない場合がある。すなわち、
 「元のデータ規格が根本的に狂った規格である」
 こういう場合に、データの互換性を保つために、あえて規格をそのまま維持すると、根本的に狂った状態が続くので、狂いがどんどん蓄積していく。その被害もふくらむ。
( → 該当箇所


● ニュースと感想  (8月22日b)

 (1) 2004JIS の無償フォント
 Windows Vista を待たなくても、2004JIS の無償フォントを使える。
  → Open ブログ (8月22日)

 (2) 補遺
 文字規格の問題の補遺。落ち穂拾いのような話。あちこちにある反論に答える。
  → Open ブログ (8月21日)


● ニュースと感想  (8月23日)

 「量子コンピュータ」について。
 量子コンピュータがときどき話題になる。ただ、その表現には、どうも違和感を覚える。
 「量子コンピュータは、既存のコンピュータ(ノイマン型のコンピュータ)に比べて、圧倒的に高速の計算ができる」
 これはかなり不正確な表現であると思う。ほとんどデタラメに近い。

 たとえば、通常のCPUのベンチマークテストをやらせたとする。アプリを開くのでもいいし、動画ファイルの圧縮でもいい。そういう普通の作業をやらせたら、量子コンピュータは、従来型のコンピュータに比べて、どのくらい早くなるか? 実は、圧倒的に遅くなる。
 はっきり言えば、量子コンピュータの計算能力は、大部分の場合において、ノイマン型よりも、圧倒的に遅いのだ。  ただし、ごく例外的な場合には、圧倒的に速い。それは、たとえば、次の場合だ。
 「大量のデータから検索語を見出す」
 「シラミつぶし形の探索で正解を見出す」
 要するに、こうだ。
 「与えられた条件を用意しておいて、その条件に合致するものを、一つ一つシラミつぶし形に探索する場合」
 この場合には、圧倒的に高速になる。なぜか? 量子で高速処理するからか? 違う。
 「直列処理するかわりに、並列処理するから」
 これは、処理方法が違うだけだ。

 たとえて言おう。トラックが荷物を1トンずつ運ぶ。トラックは1時間に1往復。荷物は1万トンあるので、1万回、往復する必要がある。「1万回か、ずいぶん時間がかかるな」と思ったら、ある業者が、「1万分の1の時間で実行できます」という。コストはかかるが、とにかく、超高速で作業を済ませてくれるという。そこで、任せてみたら、確かに実行できた。すると、これを見たマスコミは、大々的に報道した。
 「超高速のトラックが開発された。この方式を使うと、いくらでも高速で荷物を運ぶことができる。原理上、光の速度を上回ることも可能だ。かくて、相対性理論が成立しないことが、証明された」
 しかし、本当は、そうじゃない。1台のトラックが超高速で動いているのではなくて、1万台のトラックが普通の速度で動いているだけだ。並列処理しているだけだ。ただし、並列処理した作業を、1台のトラックに換算すると、換算上、1万台の速度のように換算されるだけだ。……にもかかわらず、マスコミは、並列処理による作業量を、直列処理の方式に勝手に換算する。あげく、「1万倍の速度だ、超高速だ」と書き立てる。
 
 量子コンピュータは、夢のコンピュータなんかではない。特定の場合に、高速に探索できる、というだけだ。実用的な用途としては、検索ぐらいしか思い浮かばない。google の検索なんかだと、今では「全世界のデータから、0.36秒で検索しました」というふうに表示されるが、この検索が超高速になるおかげで、今度は「全世界のデータから、0.000001秒で検索しました」というふうになるだけだ。0.36秒の短縮効果。(私には実感できないと思いますが。)
 
 量子コンピュータが興味深いとしたら、「NP完全」あるいは「しらみつぶし法」のような、数学的な興味ぐらいだろうか。普通の人には、全然、関係ないですね。
 「夢の高速コンピュータ」なんていう嘘でたぶらかすのは、やめてほしいですね。それよりは、こう書くべきだ。
 「CPUの高速化は、最近、頭打ちになりかけている。かつてのような倍々ゲームの高速化は、終焉を迎えた。その理由は、熱である。デュアル・プロセッサが話題になっているが、これも、発熱の問題を解決しない限り、高速化は頭打ちとなる。(プロセッサが2台になると、発熱もほぼ2倍になるから。)……今後の高速化は、回路の細かさではなくて、発熱に制限されるので、もはや倍々ゲームの高速化は望めなくなった。これからは地味な発熱対策によって、少しずつ高速化があるだけだ。」

 [ 付記 ]
 では、将来は? 私の希望的予測を記しておくと、こうだ。
 「デュアル・プロセッサを利用した、デュアルOSのパソコンが登場する」
 つまり、バイオスレベルで、OSを切り替える。具体的には:
 「マックとWindowsの双方を起動する。普段は片方を使うが、ときどき別の方を使う。操作法は、画面上でアイコンをクリックすること。すると、バイオスレベルでOSが全部切り替えされる。」
 この方式のミソは、二つのOSがともに作動中だ、ということ。たとえば、Windowsからマックに切り替えたとき、マックの方はすでに作業状態になっていることが可能だ。(つまり、いちいち初期起動の状態に戻らない。)
 具体的に言うと、Windows のビジネスアプリを普段は使っているが、ときどき、OSを切り替えて、マックのブラウザを使ったり、マックのヒラギノを使ったりする。……これで、危険な MS-IE を使わずに済むし、汚いMSのフォントを使わないで済む。さらには、一点しんにょうの「辻」さんは、ヒラギノの略字フォントを(異体字変換の機能で)使うことで、いくらでも自由に、好みの字体を印刷・表示できる。(また、字体情報を組み込んだファイル形式を使うことで、字体情報つきの文書を他人に渡すこともできる。……相手もマックのヒラギノをもっていればOK。)
 マックは(高価なので)ちょっと無理でも、Linux とか、専用OSを組み込んだブラウザとか、いろいろと想定できる。……でも、よく考えると、マックはあまり高くない。高価なはずのヒラギノフォントが付属しているからだ。
( ※ ついでだが、超漢字もある。Windows 上でエミュレーション動作もできるようになった。いつのまに、けっこう進歩したんですね。……値段はともかく。かくて、坂村健の大ボラは、予定期限を大幅に超過しながらも、とにかく達成された。いつのまにか、彼も定年に近くなったようだが、とにかく、退職前に、間にあった。オオカミ少年の「明日オオカミが来るぞ」という予言は、彼が老人になったときに、達成された。)
( ※ Linux は? 安いのも含めていろいろありますが、素人が安いのをあわてて買うと、ヤケドしそうだ。素人向きでないことは確か。)


● ニュースと感想  (8月23日b)

 「太陽系の第十惑星」について。
 少し前に話題になった「太陽系の第十惑星」について、朝日の記事が続報を示している。ただの解説だが。(夕刊・科学面 2005-08-19 )
 この件については、私も前に述べたことがある。( 8月03日 )……が、それはそれとして、新たな見解を示しておこう。
 「この新天体は、惑星か否か」
 これが論争となっている。「惑星だ」「いや、小惑星だ」という意見が、侃侃諤諤。ただし、論争では、白黒の決着がつかない。なぜなら、土俵が違うからだ。
  「惑星だ」   …… 大きさで決める。見かけで決める。
  「惑星じゃない」…… 出自で決める。由来で決める。
 評価基準が違うから、決着はつかない。

 で、私の新たな見解は、こうだ。
 「惑星かどうかは、ただの言葉の定義の問題だから、科学の問題ではなくて、言葉の問題にすぎない。ゆえに、論争しても、無意味」
 その上で、こう提案しよう。
 「この新天体には、惑星でもなく小惑星でもなく、『準惑星』という名称を与える」
 つまり、「白か黒か」という論争で決着がつかないときに、「灰色だ」という新たな選択肢を与える。
 どうです? いいアイデアでしょう? これで、天文学者の不毛な論争が片付く。まったく、何一つ発見をもたらさないような、言葉の使い方の論議など、ほとんど無意味である。不毛。
 ついでに言えば、たいていの惑星は、不毛です。緑豊かなのは、地球だけ。……ただし、それも、温暖化で破滅するまでの話だが。(ちょっと大げさです。……額面通りにとらないでね。)


● ニュースと感想  (8月24日)

 「ディーゼルとハイブリッド」について。
 新型ディーゼル社について、「これはすばらしい、環境にも優しい」という主張がしばしば見られる。要するに、こうだ。
 「燃費の点では、ガソリン車よりも、かなり良い。高速道路では、ハイブリッド車をも上回る。炭酸ガスを出さないので、地球に優しい」
 「排ガスの点では、昔のディーゼルよりも、ずっと改善された。9割以上の改善だ」
 こういうのを、詭弁という。まともに聞いてはいけない。比較対象を自分の都合のよいように、勝手に利用しているからだ。比較対象を変えれば、こうなる。
 「燃費の点では、既存のディーゼル車と比べて、たいして改善されていない」
 「排ガスの点では、ガソリン車よりも、ずっと悪い」
 ま、これはこれで、比較対象が偏っている。

 だから、本当は、両方をひっくるめて解釈するのが正しい。そうすれば、偏りのない判断が得られる。

 さて。それはそれとして、私なりの見解を示しておこう。それは、こうだ。
 「ディーゼル車の良し悪しは、日本と欧州とでは、事情が異なる。欧州でディーゼル車が普及しているからといって、その真似をしようとするのは、浅はかだ」
 「日本でディーゼル車を使うなら、ディーゼル・ハイブリッドのみが、真に効果的だ」
(比較対象は、「ガソリン・ハイブリッド」と「ディーゼル・非ハイブリッド」)
 
 解説しよう。
 まず、日本と欧州とでは、事情が異なる。日本では、「狭い日本、そんなに急いで、どこへ行く」という調子で、市街地走行が大半だ。しかし、欧州では、アウトバーンのように、高速道路が多い。(欧州は大半が平原だから、高速道路がたくさんある。日本とは地形が異なる。)
 高速道路の走行なら、そばに人はいないし、一定速度で動くだけだから、ディーゼルがよい。市街地の走行なら、そばに人はいるし、加速・減速を繰り返すので、ディーゼルだと黒煙が出やすくて、まずい。
 ただし、ディーゼル車にハイブリッドを組み合わせると、事情が一転する。「速度の変動する市街地ではモーター走行し、定速走行のときにはディーゼルで(発電しながら)走行する」というふうにできるので、排ガスもきれいになる。
 世間には、「ディーゼル車を税で優遇せよ」なんていう声もあるが、とんでもない。ディーゼル車はガソリン車よりは、ずっと汚いガスを出して、花粉症の原因となるのだ。古いディーゼル車を新しいディーゼル車に置き換えるならともかく、ガソリン車をディーゼル車に置き換えば、確実に環境は悪化する。だから、むしろ、「ディーゼル・ハイブリッド」を普及させればいいのだ。これなら、ガソリン車と比べても、遜色ないだろう。(まだ存在しないので、はっきりとしたことは言えないが。)

 [ 付記1 ]
 さて。上記の問題をすべてクリアしたとしても、さらに決定的な問題が残る。こうだ。
 「軽油と灯油の不正使用」
 ディーゼル用の高純度の軽油のほかに、粗悪な灯油を流用する例が、あとを絶たない。軽油だと税がかかるが、灯油だと税がかからないからだ。かくて、ディーゼルが異常燃焼を起こして、黒煙をもうもうと吐き出す。
 「最新のディーゼルはきれいです」というのは、建前だ。現実には、違法な脱税行為のせいで、黒煙を出す犯罪者がわんさといる。
 この問題を解決するには、「灯油と軽油の税率格差の縮小」がどうしても必要だろう。灯油はもっと高い税率にしていい。軽油は……どうでしょうねえ。今でも低すぎる気がするが。
 となると、「灯油と軽油の税率格差の縮小」が困難であるという理由で、「ディーゼル車は推進しない」というのも、一つの政策だ。
 あれこれ考えるに、「これこそ」という唯一の決定案はない。いずれも、帯に短し襷(たすき)に長し。……とりあえずは、問題点を指摘するだけにとどめておこう。この件については。

 [ 付記2 ]
 いろいろ考えると、純粋なモーター駆動である電気自動車の方が、有望かもしれない。ディーゼルエンジンのかわりに、蓄電池を載せるわけだ。長距離走行でなければ、これでも足りそうだ。(長距離走行だって、途中でパーキングエリアで充電できるなら、特に問題はないが。)
 最近の記事によると……
 スバルが電気自動車を開発し、2010年に発売予定。(朝日・朝刊・経済面 2005-08-19 。ネット記事も。引用しよう。
充電は家庭用電源と同じ100ボルトで4〜5時間ですみ、従来の半日から短縮される。1回の充電による走行距離は120キロで、最高速度は時速120キロ。竹中社長は「月2000台売れれば価格は150万円に抑えられる」と話す。
 読売にも、同種の記事が二つある。( → 読売のサイト
 
 電気自動車といえば、石油危機の1970年代に「石油いらずの次世代の自動車」ともてはやされた。すぐにも実用化されそうな報道だったし、技術的にも難しいとは思われなかったし、先行開発車も走っていたが、そこそこ実用化されるのは、35年後の 2010年である。
 今の燃料電池車は、先行開発車もまともに走っていないような状況で、「あと5年で実用化」という報道ばかりが出回っている。メーカーは要するに、「だから補助金をいっぱいくれ」と言っているだけなのだが、マスコミはそれにだまされて税金泥棒の片棒を担ごうとする。ホラを吹いて金を盗む、という詐欺師ばかり。


● ニュースと感想  (8月24日b)

 「アイドリング・ストップと冷暖房」について。
 トラックが長時間停車中にアイドリングをストップしないのは、エンジンによる冷暖房を止めないため。そこでエンジンのかわりに、外部装置から電源を補給する、という案がある。ところが、うまく行かない。
  ・ トラックの冷暖房装置は、エンジンの力で動くので、外部電源があっても無効。
  ・ そこでかわりに、外部電源で働く装置一式を、新たに装着する必要がある。
 これだと、新規装置の費用を数年で回収できるらしいが、いやはや、何とも無駄なことである。燃料代は節約できるにしても、装置製造にけっこう無駄なものがかかる。

 ここで、すぐに思い浮かぶ代案は、こうだ。
 「外部電源で作動する(動力源が二種類の)冷暖房装置を付ける。」
 これなら、誰もがすぐに思い浮かぶ。しかし、トラックの買い換えが必要なので、長い時間がかかる。

 そこで私の案は、こうだ。
 「電気じゃなくて、冷気または暖気をホースで室内に送る」
 これなら、低コストだ。また、トラックだけでなく、ミニバンなどでも使える。
 この場合、必要な装置は、肝心の冷暖房の装置のほかには、「無線式のコントローラー」だ。室内で無線式のコントローラーを作動させて、外部にある冷暖房装置の郷土を切り替える。できれば、コントローラーを自動式にして、温度調節も自動にする。ついでに、課金も自動でやる。
 注意すべきことは、こうだ。
 「装置には、Windowsを使わないこと」
 もしWindowsを使うと、ウィルスがまぎれこんで、冷暖房が暴走したり、課金がメチャクチャになったり、トラブルが予想される。そして最後はお決まりの文句だ。
 「それは仕様です」
 あるいは、たまにストップすると、こうだ。
 「不正な処理がなされたので、作動を停止します」

 じゃ、アップルにすればいいか? ううむ。それだと、すごくカッコいい装置ができそうだ。ただし、冷暖房コントローラーだけでなく、トラックもアップル製にする必要があるだろう。  (^^);


● ニュースと感想  (8月25日)

 「レジ袋とペットボトル」について。
 「レジ袋の有料化」の話の続き。
 どうせやるなら、「ペットボトルの課税」の方がいいですよね。
 そもそも、「レジ袋の有料化」によって「レジ袋の削減」を狙うにしても、代案がない。かわりに、どうしろというのだ? 通勤の帰りにデカい買い物袋をもっている人はいない。手で持ち運ぶわけには行くまい。また、ゴミ袋がなくなるが、ゴミ袋を購入するのでは、かえって資源の浪費となる。

 一方、ペットボトルなら、代案がある。鉄またはアルミ缶またはガラス瓶の利用だ。これならちゃんと効果がある。
 なお、「ペットボトルだって回収される」という意見もあるだろう。しかし、リサイクル推進派は、回収したペットボトルを熱エネルギーとして燃やしたり、繊維にして再利用することを許さず、あくまでペットボトルとして再利用することにこだわる。これだと、ものすごい無駄だ。
 しかも、回収されなかった分がある。これが問題だ。あちこちの海に浮遊して、魚や取りを殺す結果になる。その点、鉄やアルミなら、海に出ても沈没するから、生物に被害をもたらさない。また、長期的的には、分解されて消滅するから、ちっとも問題ではない。
 「その点では、ペットボトルと同様に、レジ袋も問題だ」と思うかもしれないが、レジ袋には、代用品があまりない。鉄やアルミの袋でレジ袋を作るわけには行くまい。
 なお、「レジ袋として、プラスチック袋の変わりに、紙袋にする」というのでしたら、私は賛成します。ちょっとコストが上がるが、たいしたことはないだろう。何だったら、古新聞紙の袋だっていいし。  (^^);

 というわけで、本気で環境保護のことを思うのならば、「レジ袋の有料化」よりは、「レジ袋を紙袋にしよう」と叫びましょう。……でもまあ、「リサイクル推進派」と言われる人々は、「そんなの、オシャレじゃないわ」と拒否するでしょうけどね。「エコ・マークのバッグならオシャレだけど、古新聞の買い物袋なんて、ダサイから、いやよ。おしゃれなエコ・マークのバッグじゃなくちゃね。エコ・マークのバッグを付くためにすごくエネルギーを浪費しても、そんなのはどっちでもいいの。ただのファッションだもん。自分が良いことをやっている気分になるのが大事。実際に資源が増えるかどうかなんて、そんな数字のことは知らないわよ。数字のことは言わないで。頭が痛くなるから」と。
 かくて、現実的効果を無視したファッション政策がまかり通る。ファッショ政策かも。


● ニュースと感想  (8月25日b)

 「民主党のキャッチフレーズ」について。
 今度の選挙では、民主党が勝つかもしれないとかつて予想したが、現時点の趨勢では、「自民党の圧勝」であるようだ。民主党は完全に選挙戦で埋没している。自滅である。オウン・ゴール。
 それというのも、頭の空っぽな党首が、独断専行しているからだ。たとえば、キャッチフレーズは、「日本を、あきらめない」という幼稚園児の言葉遣い。あまりにも馬鹿げていると思ったら、当初の決定は「もっと大事なことがある」だったという。それを岡田党首が勝手に差し替えたのだという。で、党内には、「元の方がよかった」という不満が渦巻いているという。(読売・朝刊・特集・3面 2005-08-24 )
 ただし、「もっと大事なことがある」というのは、要点をつかんではいるが、言葉としてはあまりにも弱すぎる。「Aだ」と語るべきときに、「Bではない」と語っても、言葉の訴求力が弱い。
 記事によれば、民主党のコンサルタントは外資系の広告会社だ。外資系では、キャッチフレーズの言葉遣いが下手でも、仕方ないかもしれない。外資系を選んだという点で、頭が弱いのかも。

 で、このままだと、頭の弱い党首のいる野党が、完敗して、選挙が詰まらなくなる。そこで、私が、無償サービスしよう。馬鹿なキャッチフレーズをやめて、こっちのキャッチフレーズを使うべきだ。すなわち、こうだ。
 「名ばかりの改革を斬れ!」
 説明を求められたら、こう答える。
 「小泉は改革をするといいながら、4年間に何一つ改革をやっていない。改革をするかしないかという審判は、4年前になされた。しかるに、4年間に、何もやっていない。今は、改革をするかしないかではない。改革をできたかどうかだ。4年間に何もできなかった者が、今後にまともなことができるはずがない。言葉だけの改革にだまされるな。公約違反は責任を取って辞任するべき。嘘つきは切腹すべし。ぐずぐずしているなら……斬り!」
 こう言って、日本刀を振り下ろせばいい。……岡田は素浪人の扮装をするべきだ。
( ※ 上記キャッチフレーズには、著作権がありますが、民主党に限り、利用は無償です。他の政党には、[選挙用には]使用を禁じます。盗用は、不可。報道目的なら、問題なし。)
→ ポスターの見本


● ニュースと感想  (8月26日+)

 前日分への付け足し。民主党のポスター(案)・その2。

  → ポスターの見本
 キャッチフレーズは、「減税で好況か 増税で不況か」。

 ※ 参考資料。「自民党は増税を隠している」という趣旨の記事。(朝日・朝刊 2005-08-25 )。


● ニュースと感想  (8月26日)

 「ネットバンキングのセキュリティ」について。
 ネットバンキングのセキュリティについて、被害者に保証する」という方針を、りそな銀行が打ち出した。(読売・朝刊 1面)
 これは、好ましい方向だ。なぜなら、ネットバンキングの被害が出ることの責任は、個人にあるというより、セキュリティの甘いシステムを運営する銀行側にあるからだ。責任者が補償するのは、当然である。
 ただし、注意。補償のためのコストを「保険料」の形で負担するのでは、結局、預金者がコストを負担するのと同じことになる。これでは、何の意味もない。では、どうすべきか? 
 私の提案は、こうだ。
 「ネットバンキング専用のブラウザを開発する
 MS-IE はセキュリティが甘い。かといって、Firefox なら大丈夫と思うのも甘い。( → 参考記事
 いろいろとある問題を解決する方法の一つとして、ブラウザの設定を変える、という手もある。( → 参考記事
 とはいえ、ネットバンキングのたびごとに、セキュリティを強固に設定して、その後にまた解除する、というのでは、面倒臭くて仕方ない。

 これらの問題を一挙に解決するのが、上記の提案だ。しかも、この専用ブラウザを開発することで、コストアップどころか、コストダウンになる。なぜなら、上記の保険料に当たるコストを、削減できるからだ。

 とはいえ、その前提は、「銀行が被害に補償すること」である。というわけで、正しい方向に向かう第一歩として、今回のりそな銀行の方針を歓迎しよう。
( ※ ただし対象は、法人ユーザーのみ。個人ユーザーは別。その意味で、現状はまだまだ未熟である。)


● ニュースと感想  (8月26日b)

 「郵政民営化の方法」について。
 郵政民営化に当たっては、与党も野党も、次のことを前提にしている。   「民営化が状況を改善する」
 しかし、このことは、成立しない。以下で説明しよう。

 まず、現状を見よう。宅配便とゆうパックを比べると、ゆうパックの方が少し安い。これは、免税などの措置があるからだ。だから、現状では、宅配便業者にとっては、不公正な状況にあり、宅配便業者にとっては脅威だ。とはいえ、国民から見れば、免税されている分だけ安いことになる。国による補助金と同じ。
 ここで、国による補助金の分を廃止すると、宅配便業者とほぼトントンになる。としたら、現在の郵政公社には、宅配便業者と同等の経営改善がなされている、ということになる。どっちみち、大差はあるまい。としたら、いくら経営を改善しても、劇的に経営状態が良くなる、ということはない。
 「民営化が状況を改善する」
 ということは、ただの夢想である。それで良くなることもあるが、悪くなることもある。

 なお、悪くなった例なら、たくさんある。
 (1) 米国の電力民営化。「料金が劇的に下がる」と言われた。一時は競争激化によってそうなったが、その後、倒産した企業が続出し、以後、市場は寡占状態になった。電力料金は十倍ぐらいに上がった、とかいう話を小耳に挟んだこともある。(典拠ははっきりしない。数字も不正確かも。この件、調査不足。倍率はどうでもいい。)
 (2) 日本のJR西日本。徹底的な合理化を進めたあげく、安全対策がまったく疎かになった。賃下げばかりに熱中して、あげく、先日の大事故。死んだ乗客にとっては、百円ぐらいのコストカット効果を代償として、生命を奪われたことになる。

  「民営化が状況を改善する」
 ということは、ただの夢想である。そんなことで状況が劇的に改善することはない。
 ただし、「民間企業の参入」なら、「競争激化」または「無競争の廃止」という効果があり、かなり大きな効果が見込める。
 で、今回の方針は? 「民間企業の参入」か? 違う。「郵政の民営化」だ。こんなことには、ほとんど意味がない。馬鹿げている、としか言いようがない。ここにあるのは、経営の改善ではなくて、「経営の改善」という人々の妄想だけである。

 [ 付記 ]
 それでもまだ、「郵政の民営化」にこだわるなら、現実的な方法を考えた方がいいですね。強引にゴリ押しするよりは、軟着陸をめざす方がいい。私だったら、こうする。
 「従業員の雇用保障。全員を公務員として、公務員のまま派遣社員とする。雇用は保障される。」……公務員のまま派遣社員となるか、新会社の正社員となるかは、各人の自発意思に任せる。(派遣社員なら、身分は安泰だが、昇給は制限される。正社員なら、その逆。)
 「地方の郵便局が廃止されるという懸念については、郵政事業に課税して得られる金を、基金に入れて、地方自治体に配分して、廃止されないような補助金に回す。」……具体的には、A村の郵便局が廃止されそうになったら、A村が補助金を出して維持させるか、または、A村自身が郵便局を運営して、赤字分を埋め合わせる。そのコストは、一般財源の形で、地方補助金として受け取る。
 後者の場合、面白い現象が起こるはずだ。郵政業務を請け負った自治体は、宅配便事業と合体させる。ヤマトと佐川と日通とゆうパックと一般郵便物を、いっぺんに一台のトラックで配達する。トラック5台の手間が、1台で済む。かくて大幅な業務改善。(過疎地に限るが。)


● ニュースと感想  (8月27日)

 「郵政民営化の経済効果」について。
 郵政民営化については、私はあまり論じないできた。というのは、どっちみち、大した問題ではないからだ。日本経済全体から見れば、微々たる問題である。経営を改善しても、大した効果はない。日本経済全体にとっては、スズメの涙のような規模だ。(NTTやJRの民営化は、かなり効果があったとはいえ、日本経済全体にとっては、大した問題ではない。郵政民営化というと、専売公社の民営化ぐらいの効果しかないだろう。微々たるもの。)
 さて。それにもかかわらず、「郵政民営化はすばらしいから推進せよ」という主張がある。特に、マスコミに朝日の社説もそうだ。引用しよう。
 郵政改革の最大の眼目は「資金の流れを官から民に変えること」である。郵便貯金や簡易保険の資金で国債を大量に買うことが、無駄な公共事業や特殊法人の温存につながっているからだ。
 自民党(案)は…… 郵貯や簡保の信用の裏付けとなる政府保証を打ち切り、民間企業にすることで、資金量の縮小をねらっている。民営化された金融2社は、国債以外への投資を増やすだろうから、経済の活性化にもつながるとしている。
 金融2社が実質的に政府系企業であり続ければ、暗黙の政府保証がついていると受け止められ、資金量ももくろみ通りには縮小しない恐れもある。
 社説では、「政府が赤字国債を垂れ流す限り、郵政をどういじっても資金は官に吸い上げられるという反論はある。だが、右から左に国債を買う巨大な国営銀行があっては財政の規律を緩めてしまう」という反対論も紹介しているが、こちらの方が正しい。その理由を示す。

 社説の論旨は、「市場原理」というものを、まるきり理解していない。供給と需要のどちらか一方を見ているだけだ。
 ここでは、「需要が決める」という発想がある。国債の買い手である郵政公社が、国債の発行規模を決める、という論旨だ。
 一方、「供給が決める」という発想もある。分野は違うが、不良債権処理を唱える人々は、その立場を取る。つまり、「金融システムである銀行の資金供給能力が、民間の投資総額を決める。だから、民間の投資を増やすには、金融システムを改善すればいい」というわけだ。
 この二つは、立場がまったく正反対である。ところが、この両者を同時に主張する、自己矛盾した論者もいる。それが朝日新聞だ。(小林慶一郎一派)……自己矛盾に気づかないで、せっせと論旨を主張する。悲しいね。

 さて。この馬鹿げた認識の理由は、簡単に説明できる。それは、こうだ。
 「物事の半面だけを見る」
 あるときは「需要」だけを見て、「郵政民営化」と主張する。あるときは「供給」だけを見て、「不良債権処理」と主張する。どっちみち、「需要と供給のうち、片方しか見ていない」という点では、同じである。

 では、正しくは? 物事の両面を認識することだ。すなわち、「市場には、需要と供給の双方がある」という認識である。では、需要と供給の双方があると、どうなるか? こうだ。
 「需要が増えたり供給が増えたりすると、需要や供給の増減がストレートに反映するのではなくて、価格調整によって数量が調整される」
 つまり、需要(または供給)の数量を増やすと、ただちにその分だけ均衡点の数量が増えるのではなくて、需給関係で決まったところの数量になる。元の増減がストレートには反映しない。価格による調整を受ける。
 これが「市場原理」である。経済学のイロハである。このイロハを理解しないのが、「郵政民営化」「不良債権処理」の主張だ。
 では、イロハによると、事実はどう説明されるか? こうだ。

 (1)「不良債権処理」では、いくら資金供給を改善しても、まったく無効である。なぜなら、不況期には、資金供給はまったく問題ないからだ。むしろ、金余りである。その証拠が、ゼロ金利だ。(価格がゼロであるということは、供給過剰であることを意味する。)

 (2)「郵政民営化」では、いくら資金需要を改善しても、ほとんど無効である。新会社が国債を買わなければ、国債の発行量がストレートに減るのではない。まず、(買い手の減少により)国債の発行価格が下落する(利率は上昇する)のだ。たとえば、民間発行の社債よりも、国債の利率の方が、高くなる。信用度の高い国債が、民間社債よりも、高利回りになる。
 この状態で、新会社が、国債を買わないで、民間社債を買うとしたら、どうなる? 確かに、資金が民間に回る。おかげで、民間企業向けの「利率低下」の効果で、民間企業は活性化されるだろう。しかし、そのための資金は、どこから出たか? 新会社が、利率の高い国債を買わないで、利率の低い国債を買ったからだ。つまり、新会社が、自分で赤字をひっかぶって、民間企業に金を援助したからだ。
 結局、こうだ。「郵政民営化」をやると、資金が国債購入から民間に回るので、たとえば、民間企業には、十兆円分の投資促進効果が出る。その分、経済は活性化される。ここまでは、論者の主張するとおり。で、問題は、そのためのコストとなる資金はどこから出たか、だ。……民営化論者は、そのことをまったく考えていない。いわば、「金は天から降ってくる」という論理である。しかし、本当は、そうではない。民間企業が得をする分のコストは、新会社がひっかぶっているのだ。民間企業が十兆円の得をするとしたら、新会社が十兆円の損をひっかぶっているからなのだ。(こうして、帳尻が合う。金は天から降ってこない。)

 ただし、正確に言うと、損をひっかぶるのは、新会社ではなくて、国民である。なぜか?
 第1に、新会社が十兆円の赤字で倒産をしたら、その赤字の負担は、国民に回る。
 第2に、新会社は、国債を購入しないで、民間の社債を買う。同じことだが、民間社債の利率が下がるが、国債の利率が上昇する。国債の利率が上昇したら、その利払いをするのは、国民である。企業が利払いを減らして、その分、国民が利払いを増やす。企業が得をして、その分、国民が損をする。……たとえば、民間企業が「社債の利払いが十兆円減った」と喜んでいる間に、国民が「国債の利払いが十兆円増えた」と苦しむことになる。……これが本質だ。
( ※ なお、厳密に言うと、この帳尻は合わない。そこで、帳尻あわせが必要となる。その帳尻合わせの分が、新会社の負担する分となる。例。企業が十兆円の得。国民が8兆円の損。新会社が2兆円の損。新会社が倒産したら、その2兆円も国民の損。……差し引きして、帳尻は合う。)

 モデル的に示そう。右手から左手に、富を移す。ここで、左手だけを見ると、「富が増えた」と喜ぶ。しかし右手も見れば、「左手が喜んだ分、右手が苦しんでいるだけ」となる。……ここで、右手は国民、左手は企業。国民から企業に富を移すことで、企業の経営状況は改善する。
 民営化論者は「企業を幸福にするぞ」と主張する。その主張は、確かに正しい。しかし、正しいがゆえに、国民を不幸にするのだ。
 国民はだまされてはならない。マスコミが「企業を幸福にするぞ」と主張するとき、「だから自分たちも幸福になる」と思い込む。それは大いなる錯覚だ。「企業が喜び、国民も喜ぶ」ということにはならない。「企業が喜び、その分、国民が苦しむ」というふうになるだけだ。(金は天から降ってこない。)

 核心を述べよう。正しい経済政策とは、マクロ政策である。すなわち、全体の富を増やす政策だ。わかりやすく言えば、企業と国民の利益の総計を増やす政策だ。しかるに、企業だけとか政府だけとか、一部だけを見る発想を取ると、「企業は富んで、国民は貧する」とか、「政府は富んで、国民は貧する」とか、そういう「富の配分の変更」だけが生じる。
 古典派の経済政策は、いずれもそうだ。「企業の利益を増やす」と言うことばかりを狙っている。全体の富を増やすことを狙っていない。だから、やればやるほど、国民は苦しくなるのである。
 詐欺師の経済学と、それにだまされる国民たち。詐欺師が右手から左手にボールを移したとき、左でだけを見て、「ボールが増えた」と喜ぶ国民たち。……錯覚が破滅をもたらす。

 [ 付記1 ]
 もうちょっと単純化して示すこともできる。
 「利下げをすると、企業の投資が増えるから、すばらしい。景気は回復する」
 とマネタリズムの論者が主張する。しかし、そのとき、企業に渡る金は、天から降ってくるわけじゃない。利下げで企業が得する分、預金者は損をする。片方は得をして、片方は損をする。……なのに、得する方だけを見て、「得だ、得だ」と大騒ぎする。
 ま、「利下げで景気刺激効果がある」というのは、嘘ではない。とはいえ、上記の理屈のように、「得だけがある」という主張は、とんでもない嘘八百だ。
 それと同じ嘘八百の理屈が、「郵政民営化」の根拠である。

 [ 付記2 ]
 要するに、「改革はすばらしい」というふうに言っている首相は、自分の理念によっているだけであり、何の実効性も上げるわけではない。彼は理念に酔って、自己陶酔する。国民はそれに乗って、自分もまた彼の理念に酔う。……妄想国家。


● ニュースと感想  (8月28日)

 「岡田・民主党の方針」について。
 選挙の予報が出た。朝日も読売も、「民主党の惨敗」である。勝ち目はまったくない。(朝刊 2005-08-26 )
 で、民主党は、どうするか? 二通りの道がある。
  ・ ただちに方針を転換して、勝つための道を進む。
  ・ 負けるとわかっていて、この道をそのまま進む。
 どうするかは、党首しだいだ。分けて考えよう。
 党首が菅直人ならば、前者の道を取るだろう。彼は積極的だし、発想も柔軟だ。悪く言えば「尻が軽い」だが、政治家としては「風見鶏」ふうで、嗅覚が鋭く、優れた資質である。
 党首が岡田ならば、後者の道を取るだろう。彼は消極的だし、発想も硬直的だ。……たとえて言うと、戦艦大和だ。大型戦艦は完全に時代遅れだと判明していたのに、一度決めた道を変えることもできず、何年もかけて無駄なものを建設する。やっとできた思ったら、最初の航海であっけなく、簡単に撃沈される。

 岡田はどうするか? この二つの道のうち、後者を取るだろう。……間違っていると自分でもわかっている道を、あえて進むわけだ。こだわりゆえに。
 ここまで考えると、先日のキャッチフレーズもわかる。
 「日本を、あきらめない」
 普通の人には、まったく意味不明に思える。誰も「諦める」なんて思っていないのに、何でこんなことを言うのか? しかし、よく考えると、判明する。
 長嶋が「ネバー・ギブアップ」というキャッチフレーズを使ったのは、「試合に大敗しそうなときにも、決して諦めない」という意味だ。これと同様である。岡田としては、もともと「大敗しそうだ」というふうに認識しているわけだ。つまりは、実質的な「敗北宣言」である。普通の人は、「民主党が負ける」とは思っていなかった(勝敗不明だった)のだが、岡田だけは「大敗する」と決め込んでいた。その上で、「大敗するにしても、決して諦めないで進む」というポーズを取るわけだ。そして、その真意は、こうだ。
 「大敗するとわかっていても、あえてこの道を進む。方針を変えない。断固として」
 戦艦大和主義。それが例の「日本を、あきらめない」という宣言だ。つまりは、「柔軟性の欠落」という宣言だ。
 こういう人物が日本の首相となったら、どうなるか? 「大失敗」とわかっている政策でも、断固として継続するだろう。「わかっちゃいるけど、変えられない」と言って、同じ政策を取りつづけるだろう。あげく、戦艦大和のごとく、自己と日本をいっしょに沈没させるだろう。

 以上は予想だ。予想とは別に、今後、日々の事実を検証していくといい。こういうふうに。
 岡田は「敗北」という予想が出たあとで、党の方針を変更できるか。変更できるだけの柔軟性があるか。簡単に言えば、例の狂気のキャッチフレーズを変更できるか。……私の予想は、「ノー」だ。彼はずっと、このキャッチフレーズをお人形のように抱きしめながら、ひたすら狂った道を進むだろう。地獄または破滅に至る道を。
 彼が日本の首相にならなかったことを、私はこの上なく幸運に思う。小泉はまったくの無能であり、ただの口先男にすぎないが、少なくとも、「自己もろとも、日本を破滅させる」という陶酔に陥ることはなかった。常に(ありもしない)勝利だけを語り、敗北をめざすことはなかった。……小泉はただの詐欺師だが、岡田は妄想に凝り固まった狂信者である。オウムの麻原や、ナチスのヒトラーと、同種のタイプだ。
 この種の人間の特徴は、破滅するとわかっている道を、強引に突き進むことだ。そのキャッチフレーズが、こうだ。
 「**を、あきらめない」

( ※ 岡田党首がキャッチフレーズを変えたとしたら、私の判断が間違っていたことになるので、お詫びする予定です。……ま、そうはならないでしょうね。「ありえな〜い」)

 [ 余談 ]
 それにしても、「**を、あきらめない」なんて、いかにも後ろ向きの発想だ。「何かをしない」という否定の形の言葉でなく、肯定の形の言葉で語れないのか。「何かをしない」ではなく、「何かをする」と語れないのか。
 情けない。私の例のポスター案では、「名ばかりの改革を斬れ」という語句を示した。同じことを岡田流で表現すると、幼児ふうな言葉遣いで、こうなる。「はっきりしていない改革をやらない」。
 当然、「じゃ、何をやるんだ」と突っ込まれる。で、口もごもご。たぶん、こう言うだろう。「道路公団廃止、高速道路の無償化」。すると、「じゃ、道路公団の国営化だね。公団主義から、社会主義に転じるわけか」と突っ込まれる。
 勝ち目ないですね。

 [ 付記 ]
 岡田の美点は、ただ一つ。「負けたら辞任する」と表明したことだ。これだけは、立派。最初から負けることを前提にした発想が、見事に結実する。


● ニュースと感想  (8月29日)

 「道路公団の改革」について。
 小泉流の「構造改革」というのは、そもそも経済的には何の意味もない。成功しても失敗しても、景気には(スズメの涙程度しか)影響しない。とはいえ、それはそれとして、改革自体の是非を問うなら、こう語るべきだろう。
 「郵政公社の改革よりも、道路公団の改革をせよ」
 道路公団は、談合で、莫大な金を無駄にしていることで知られる。さらに、給与も、民間水準よりも20%も高くて、しかも、現在は公開しているその水準を、民営化後には公開停止にするという。(読売・朝刊・コラム 2005-08-28 )
 郵政公社の職員はかなり薄給だし、効率もクロネコヤマトと比べてひどく劣るわけではない。一方、道路公団は、高級で、かつ、無駄のかたまりだ。……とすれば、こここそ、改革の本丸であるべきだ。
 「名ばかりの改革を 斬れ!」
 と語ったあとで、  「道路公団を斬れ!」
 と語って、具体策として、
 「完全なる民営化! 国費投入額を、数兆円の規模で、大幅に削減する!」
 と公約すればいい。カッコいいですね。こうやったら、岡田民主党は、拍手大喝采だ。

 さて。現実の岡田民主党は、どう主張しているか? 実は、正反対のことを主張している。
 「道路公団の国営化! 全額を国費でまかなって、そのための超巨額の費用を、国費で分担する!」
 これすなわち、十兆円ぐらいの増税に相当する。莫大な増税をやって、その分で、高速道路を利用する宅配便業者や郵政公社のトラックに、「料金免除」するわけだ。……何やっているんですかね。

 本当のことを言おう。
 実は、民主党の「高速道路の無償化」という政策は、道路公団と郵政公社とが協力して、自分たちの利益を保全するために、民主党を洗脳したのだ。この二つの後者が、「小泉流の改革を阻止するにはどうするといいか?」と頭をひねらしたとき、「馬鹿な民主党を引っかけてやればいい」と思ったのだ。そして、「高速道路の無償化をやると、国民が喜んで、票が伸びますよ」と、悪魔のようにたぶらかしたのだ。
 すると、民主党は、どう思ったか? もちろん、素直に信じて、たぶらかされた。このとき、民主党は、何を見失ったか? 真実だ。つまり、こうだ。
 「無償化で利益を得るのは、国民ではなく、宅配便などのトラック業者だ」
 「無償化の費用を分担するのは、国税を払う国民だ」
 こういう真実を隠蔽して、道路公団と郵政公社が、国民の金を数兆円規模で吸い上げる。悪魔のごとき悪知恵だ。それに、民主党は、まんまとたぶらかされてしまった。

 [ 余談 ]
 道路公団と郵政公社は、まんまと「してやったり」と思い込んだ。「馬鹿な民主党をだますのは簡単さ」と舌なめずりして。
 しかし、彼らにも、誤算が一つあった。それは、民主党があまりにも馬鹿すぎた、ということだ。そのせいで、民主党は、目の前にぶら下がった政権を、勝手に取りこぼしてしまった。「日本を、あきらめない」という幼児語で。
 かくて、悪魔のごとき二つの公社は、「無償化」によって莫大な利益をかすめ取るはずだったのだが、現実には、引っかけた相手が馬鹿すぎたせいで、目論見には失敗したのである。
 悪魔のごとき二つの公社は、さっそく、自民党にすり寄った。あとに残されたのは、馬鹿な幼児語を語るおっちゃんだけ。
 

● ニュースと感想  (8月29日b)

 「つくば遷都」について。
 つくばエクスプレスが開業した。それで思うのは、
 「だったら、つくばに遷都してしまえ」
 というアイデア。過密解消とか地震対策とか、いろいろとメリットはありそうだ。ひょっとして、公共事業効果もあるかも。やるなら不況の今ですね。
 長期的には、遷都はいつかはやらなければならない課題だ、という気もする。どうせやるなら、その時期は今だ、という気もする。
 ま、思いつきですけど。……小泉の思いつき政治よりは、マシでしょう。岡田の思いつきキャッチフレーズに比べれば、…… うひひひ。あんまり弱い者いじめをしない方がいいかも。泣き面にハチだと、かわいそう。
 だけど、南堂に哀れまれるようじゃ、おしまいかも。  (^^);


● ニュースと感想  (8月30日)

 「財投債の廃止」について。
 郵政民営化に関して、「根源の財投債を廃止せよ」という意見が、あちこちで出ている。
 「郵政民営化なんかしても、たいして効果はない。それより、根源の財投債を廃止して、無駄な出費を減らせ」
 というわけだ。たとえば、民主党。
 これはまあ、単純な郵政民営化に比べれば、いくらかマシである。しかし、郵政民営化だって、もともとの狙いは同じである。
 「郵政民営化 → 財投債の縮小」
 という経路である。これは、政府の方針。
 以上については、朝日新聞に解説がある。( → 該当サイト

 さて。ここでは、二つの意見が対立しているように見える。だが、本当は、どちらも大差はない。単に順序が違うだけだ。たとえて言えば、
 「風呂のあとで飯」
 「飯のあとで風呂」
 というような違いだ。あるいは、
 「カレーライス」
 「ライスカレー」
 というような違いだ。大差はない。

 ひるがえって、もっと広い目で見よう。すると、両者に共通する点に気づく。その共通する点は、こうだ。
 「金さえいじれば、経済は思うがまま」 ……(*
 こういう金銭至上主義(マネタリズム)の発想だ。これが両者に共通する。この発想のもとで、改革のために、郵政民営化を経由して財投債を減らそうとしたり、あるいは、直接的に財投債を減らそうとしたりする。

 しかし、である。両者の前提としている(*)の発想が、そもそも根本的におかしいのだ。本当は、金をいじっても、それで片付くほど、現実の経済現象は簡単ではない。
 たとえば、道路公団を見れば、
  「財投債 → 道路公団」
 という図式がある(らしい)。で、ここで、「財投債を絞れば、道路公団の無駄はなくなる」という発想だ。あまりにも短絡的だろう。現実には、こうなる。
 「財投債を受けない分、道路公団が自己の債券発行で、民間から資金を得る。そのためには、借りる利率が上昇する。上昇した分は、値上げによって、利用者(ドライバー)にツケ回しをする。あるいは、民主党の提案(無償化)のように、政府に全額を要求する」
 これだと、国民にとっては、かえって悪化したようにも見える。ただし、本当は、良くも悪くもなっていない。財投債の分で改善して、利用者の分で改悪する。差し引きして、チャラである。……本質的に言えば、しょせん、無駄の量は同じだから、財投債やら値上げやら、負担の形がどう変わろうと、無駄の総額は同じなのである。要するに、マネーの負担方式を変更するだけだ。「財投債の無駄を減らして、利用者の無駄を増やす」という形で、無駄の負担方法を変える。それだけのことだ。底抜け論理。

 結局、無駄を根源的になくするには、マネーをどういじっても駄目だ。無駄の発生そのものをなくすしかない。たとえば、無駄だらけの道路公団を抜本的に改革する。「民営化すれば済む」なんていう発想では駄目だ。下手をすると、独占企業が誕生することで、道路料金が大幅に上昇して、国民は大幅に損をするかもしれない。(米国では、そうなった。電力や航空が大手に独占され、料金は大幅に上昇した。民営化によって、寡占体制が成立し、国民は大損だ。)

 一般的に、古典派の経済学者は、「すべて市場に任せよ。政府の介入をなくせ」と主張する。しかし、そんな単純な処方で済むほど、経済は甘くはない。米国の民営化のように、寡占体制が成立することもある。また、必要な政府の政策がなされなくなることもある。
 例を示せば、つくばエクスプレス(新常磐線)だ。やり方にまずいところはいくらかあるが、根本的には、つくばエクスプレスは絶対に必要な路線であり、むしろ、もっとずっと早く建設されているべきだった。というのは、常磐線は、もともと最悪の混雑率にあったからだ。かつ、筑波という肝心な都市との路線が不十分なせいで、一国全体の経済に悪影響を及ぼしていた。(東海道新幹線が途絶えると損害が起こる、というのに似ている。)
 ここで、古典派経済学者なら、どう主張するか? こうだ。
 「つくばエクスプレスは、民間にすべて任せよ。民間で採算割れを危険視して、財投資金を寄越せといっても、びた一文与えるな。国家にどんな損害が発生しても、そんなことはどうでもいい。民間鉄道事業者の採算性だけが大事だ」
 つまり、民間鉄道事業者が、「二十年も採算に乗らないのなら、やる気はないね。財投が得られるのならともかく」と尻込みしたら、「それは当然だ。つくばエクスプレスの建設を阻止せよ」と主張するわけだ。
 局所を見て、全体を見ない。一社の損得だけを見て、国全体の損得を見ない。── これが古典派の特徴だ。こういう発想は、日本を破壊する。

 結語。
 大切なのは、財投債というマネーではなくて、本質的な無駄の有無である。また、見るべきは、一部企業や公社の損得ではなく、日本全体の損得である。── こういう発想なしに、マネーと個別の企業・公社だけを見て、「財投債を減らせば日本は良くなる」という発想は、あまりにも単純すぎる。世の中、財布の制御だけで片付くほど、単純ではないのだ。
 学校に行って、マクロ経済を勉強し直しなさい。

 [ 付記 ]
 特に、民主党はそうだ。小泉は経済知識ゼロだが、民主党は誤った経済知識に汚染されている。正しいことを主張しているつもりで、見当違いの有害なことを主張している。
 財投廃止は、目標であって、手段ではない。財投は、強制的に廃止するべきものではなくて、無駄を減らすことで自然に減らすべきものだ。そこを勘違いして、「財投を減らせば日本は良くなる」という発想を取ると、無駄と同時に必要な経費まで削られ、かえって状況は悪化する。
 例。「あいつは薬代と称して、無駄なビタミン剤ばかり購入している。まったくの無駄だ。ゆえに、薬代の支払いをいっさいやめる」 → その結果、必要な薬代まで出せなくなり、本人は死んでしまう。あげく、「薬代の節約に成功した。万歳!」と大喜び。
 つまりは、本末転倒。

 [ 補説 ]
 民主党はマネタリズムの発想を取っているので、こう主張する。( → 該当ページ
 「小泉内閣に歳出削減に取り組む意思がない以上、郵便貯金銀行と郵便保険会社は国債・財投債を買わざるを得ず、国民のお金は官から民へと流れない。」
 これは、量的緩和論や不良債権処理論と同じで、「金詰まり」という発想だ。これは根源的に狂っている。仮に、この説が正しければ、民間企業は金不足で困っているはずだ。当然、市場金利も高騰しているはずだ。ところが、現実には、金は余ってジャブジャブである。もちろん、金利はゼロ金利だ。
 つまり、現実には、「金詰まり」などはない。なのに、「金詰まり対策」をしようとするのが、民主党のマネタリズム政策だ。これは根源的に狂った現実認識に基づいており、根源的に狂った政策だ。「雨が降らないので水が足りない」というときに、「水不足」を解決するかわりに、「日照不足」を解決する、という方策だ。あっち向いてホイ。
 「企業は金不足で困っている」というのが民主党の認識だが、そんな狂った認識をしている限り、いつまでたっても、まともな経済政策はできない。
 小泉は経済音痴(経済を知らない素人)だが、民主党は経済狂人(経済を誤解して勝手にいじくり回す)である。……こういう民主党に、ぴったりの言葉がある。こうだ。
 「気違いに刃物」


● ニュースと感想  (8月31日)

 「郵政論議」について。
 郵政民営化の問題で、小泉首相が「対案を出せ」と言うと、岡田はまともに答えられないありさま。以下、引用。( → 引用元

小泉 岡田代表に聞きたい。民間にできることは民間にと言いながら、なぜ郵政民営化に反対なのか。

岡田 郵便は国が責任を持って行うが郵貯、簡保については民営化が筋だ。

小泉 それならなぜ、国会の審議中に対案を出さなかったのか。そんなこと一度も言っていない。政府の民営化法案に反対し、公社のままがいいと言う。選挙になったら、「簡保、郵貯は民営化が筋」と。なぜ国会で議論しなかったのか。

岡田 対案という意味では、法案の形では出してないが、基本的に(郵貯の)規模を段階的に縮小すると、国会で質問している。

 しどろもどろだ。カッコ悪いですね。私だったら、こう答える。

小泉 南堂代表に聞きたい。民間にできることは民間にと言いながら、なぜ郵政民営化に反対なのか。

南堂 またも郵政か。郵政オタクだな。郵政、郵政、と、九官鳥のように繰り返すのはやめてもらいたい。あんたは郵政大臣か。

小泉 私は日本国の首相だ。馬鹿にしないでもらいたい。

南堂 では、お聞きするが、首相の仕事は何か。

小泉 もちろん、一国の政治を統率することだ。

南堂 あなたがやっているのは、一国の統率ではなくて、郵政事業の統率だけではないか。一国の景気対策をするべきときに、肝心の仕事をほったらかして、「ああせい、こうせい」と言うかわりに、「ゆうせい、郵政」とばかり言っている。

小泉 いや、郵政改革こそ、最重点の構造改革だ。

南堂 そんなに郵政が大事だったら、郵政大臣になるべきだ。もとい、郵政公社の社長になるべきだ。選挙後といわず、今すぐ、首相を辞任するべきだ。そして、郵政公社の社長になるべきだ。……そうだね。私が首相となったら、あなたを郵政公社の社長に任命することを確約しよう。それで、思う存分、郵政民営化をやればいい。さあ、さっさと辞表を出したまえ。

 こうして、私だったら、小泉の郵政民営化を推進するために、小泉を辞任させる。


● ニュースと感想  (8月31日b)

 「失業率」について。
 失業率の実態を示す記事があった。次の通り。
 「失業率は低下しているが、就業人口は増えていない。就業を諦めて、雇用に応募しない人が増えているせいで、失業者にカウントされる人が減っているだけだ。雇用状況はほとんど改善していない」(朝日・朝刊・経済面 2005-08-29 )
 このことは何度も指摘されてきたし、私も何度も指摘してきたが、このたびようやく、朝日でも明白に記事になったわけだ。実態としての数字・グラフつきである。元ネタは総務省統計局のデータ類。

 元のデータをよく見ると、一昨年から今年にかけて、就業者はだんだん向上しているように見える。そこで早計な人は、「景気は回復している」と即断しそうだ。しかし、それは勘違いというものだ。「良くなっている」のではなくて、「悪さが減っている」だけにすぎない。マイナスの幅が減ってきているだけで、プラスになっているわけではない。それがここ数年間の実績だ。
 ただし、昨年から今年に書けて、ほんの僅かながら、微増になっている。とはいえ、この程度の微増では、「通常の景気変動の範囲」でも起こるから、たいして意味はない。わかりやすく言えば、「中期的にマイナス1%」という改善であるとき、短期的には上下2%ぐらいの変動があるから、良いときにはプラス1%ぐらいになることもある。それだけのことだ。「短期的にプラス1%」というのは、「景気回復」とは見なされない。「中長期にプラス1%」か、「短期的にプラス3%」か、どちらかが必要だ。そして、そのどちらも、現状では満たされていない。
 現在は中国向けの輸出などが好調だから、たまたま外需などが理由になって、一時的な好況にあるだけだ、とも見なせる。そのうち、中国の通貨が切り上がったり、原油の高騰の効果が出たり、米国景気が悪化したりすると、その影響を受けて、じわじわとまた景気が悪化していくかもしれない。

 ともあれ、
 「失業率よりも就業率が重要だ」
 という点は、ちゃんとわきまえておこう。朝日の記事は、今回は珍しく、正しい情報を伝えた。……ただし、自前の記事ではなくて、外部の大学教授の指摘を丸写ししただけだが。  (^^);
 朝日の記者さん。ちゃんとこの記事を見て、勉強しましょう。「失業率が低下したから、景気は回復しつつある」というようなデタラメ記事を何度も掲載することは、今後は慎みましょう。最悪の時点と比べて「それより向上している」なんて書いても、駄目です。前年比も、駄目です。重病人と比べて軽病人を「健康だ」と書くのは、嘘八百だ。詐欺のようなものだ。正しくは、
 「正常な時期と比べること」
 である。いや、むしろ、
 「本来あるべき姿と比べること」
 が必要だろう。たとえば、高齢者や中年女性は、最初から就職を諦めているが、こういう人たちが正常に働ける状況こそ、あるべき経済状況なのだ。そして、政治とは、それをめざすべきなのだ。それは可能なのだから。(働ける人が働く、というのは、ごく当然のことだ。天から金が降ってくるような手品は必要はない。)
 
 物事の本質を理解しないと、目先の数字を見て、「上がった、下がった」と大騒ぎする。経済というのは、株取引ではないのだから、上がったか下がったかなどは、関係ない。企業の利益が増えたか減ったかもさして関係ない。では、何が問題か? ── 「働ける人が働く」という正常な状況にあるかどうか。それだけが問題だ。
 そして、これを、「マクロ的な認識」と呼ぶ。


● ニュースと感想  (9月01日)

 「レジ袋とタクシー」について。
 レジ袋のかわりに、タクシーを節約してはどうか? 
 という話を聞いても、落語みたいで、何のことやら、さっぱりわからないかもしれない。そこで説明しよう。こうだ。
 「タクシーはやたらと街中を無駄に走っている。そのせいで大量の石油を無駄にしている。その量は、レジ袋に比べて、圧倒的に多い。無駄の比率で言えば、ほとんど無限大かもしれない。なぜなら、レジ袋は有益だが、タクシーが空車で走るのは純然たる無駄だからだ。……そこで、タクシーが空車で無駄には視するのを、やめさせる。これにて、大量の石油(または天然ガス)を節約できる」
 趣旨はよい。方法は? 簡単だ。IT技術である。すなわち、こうだ。
 「客はケータイを使って、無線でタクシーを呼び出す。無線で呼び出すと、料金は割引。タクシーの運転手は、それまで、路上駐車で寝ていればいい」
 要するに、無駄に走っても、路上駐車で寝ていても、得られる金額は同じ。だったら、寝ていた方がマシだ。昼間は路上駐車で半分ぐらい寝ていて、その分、早朝や深夜に働く時間を多くする。
 ときどき、昼間にタクシーの運ちゃんが路上駐車で寝ているのを見るが、こういうのは、ずっと寝ているわけだから、けっこう無駄。それよりは、空車で走っている時間に、寝ていればいい。
 この方法の要点は、「ケータイを使う」ということだ。今ならこの方法が有効だ。この方法で、莫大な石油資源を節約できる。
 レジ袋? 馬鹿馬鹿しくて、話にならない。


● ニュースと感想  (9月01日b)

 「水力発電とハイブリッド車」について。
 家庭用の水力発電機が開発された。百万円〜百五十万円。( → 朝日の記事詳細
 小型水力発電、というのは盲点だった。風力発電や燃料電池や電気自動車に目を奪われていたが、小型水力発電というのも選択肢の一つだ。まずは、この発想に、拍手したい。
 ただし、実用性という点では、現状では無理だ。百万円もするのでは、コストを回収できない。会社のサイトでは、十数年でコストを回収できると記しているが、金利や設置費や維持費を無視した計算であり、すべてを計算すると、回収は永遠に不可能だろう。たぶん、壊れる方が先だ。というのは、タービン(水車)というのは、とても壊れやすいからだ。また、年間数百台という販売台数からして、小規模すぎて、商業ベースに乗る量ではない。

 発想はいいが、実用性に問題がある。とすれば、実用化のための工夫をすればいい。私の案は、こうだ。
  ・ 価格を20万円程度に抑える。この目標価格が先だ。
  ・ 水車は、分離して、場所に応じて、手作りする。
  ・ 手作り水車の製作は、途上国の技術者に任せる。
  ・ 発電機は、中古ハイブリッド車の廃棄モーターを使う。
  ・ 製作のほとんどは、途上国で行ない、販売も途上国。
  ・ メーカーは、技術的な指導だけを行ない、工場を持たない。

 これだと、高精度ではなく低精度のものを、大量かつ安価に製作できる。水車はちょいちょい壊れるだろうが、壊れるたびに修理すればいい。肝心なのはモーターだ。これだけをしっかりと防水処理しておけばいい。

 初期のプリウスは、発売後7年を経て、そろそろ廃棄車が出回りかけてきている。ここからモーターを取りはずすと、かなり高出力の発電機ができる。こいつを廃物利用すれば、非常に安価な発電機を製作できる。
 プリウスは、自動車本体はボロになっても、モーターは生き残ることができる。モーターは消耗品ではないからだ。ところどころ、すり減った部品をちょっと交換するだけで、新品同様に、立派な発電機となる。
 虎は死して皮を残す。プリウスは廃車になってモーターを残す。これが最善のリサイクルだ。

 [ 付記 ]
 通常の換気扇や冷蔵庫のモーターを使う、という案もあるが、これは駄目だ。せいぜい百ワットのモーターだから、発電も百ワットにしかならない。一方、ハイブリッド車のモーターは、最大 50kWぐらいの発電をすることもできる。
 どうして違いがあるか? 磁石とコイルが特別強力になっているからだ。それを支えるための軸受けなども頑丈になっている。水車はいい加減でもいいが、モーターはちゃんとしたものを使うことが大事。そのためには、ハイブリッド車のものを使うのが、最善だろう。一方、特注品を使うと、ものすごくコストがかかる。
 ついでだが、今回のメーカーの陥った罠は、「効率」だ。自社製タービンを使うと、少しの水でも、効率よく発電できる。その意味で、変換効率は、非常に高い。技術者は、鼻高々だろう。
 しかし、そのタービンは、数年で壊れる。ゴミや汚れが付着すれば、掃除が大変だ。掃除をしなければ、効率が落ちる。すべてうまく行ったとしても、コスト・パフォーマンスは、とても悪い。
 大事なのは、効率ではない。メンテナンスと、コストパフォーマンスだ。そのためには、簡素な低効率の水車を、途上国でオーダーメード製作するのが、最善なのだ。
 冒頭の会社の製品は、数百台規模の生産。これだと、コストのほとんどが「開発費」と「製作設備費」に回ってしまっている。実用化は、ほとんど意味がない。ちょっとでも儲かりそうになったら、ライバルが出て、たちまちつぶされてしまうだろう。
 この会社は神鋼電機という小さな会社だが、心意気はいいだけに、下手な経営でつぶれないようにしてもらいたいものだ。そして、つぶれないための最善の方法は、「(大量生産でなく)小量生産の品は、ファブレスでやる」ということだ。

  【 追記 】
 読者からの指摘があったので、丸写ししておく。
9月1日付「水力発電とハイブリッド車」について。の記事中「この会社は神鋼電機という小さな会社だが、心意気はいいだけに…」とありますが、神鋼電機は神戸製鋼所のグループ企業で資本97億円、04年度売上812億円なので、小さな会社というのは当たらないと思われます。
 ま、そういうことです。


● ニュースと感想  (9月02日)

 「燃料電池と炭酸ガス」について。
 燃料電池については、「水素と酸素を反応させるだけだから、炭酸ガスを出さない」という意見が多いが、どっこい、これは正しくない。水素を発生させる過程で、炭酸ガスが出る。
   メタン +  水  → 水素 + 炭酸ガス
    CH4  + 2H2O →  4H2 +  CO2
 そこで、「だから、どうせ燃料電池をやるなら、水素の発生には、メタンではなくて、風力発電や太陽発電などを利用すべきだ」という結論を出す。(ここまでは、朝日・夕刊・株式面・コラム・経済気象台 2005-08-31 )
 
 さて。風力発電や太陽発電にすれば、問題なしだろうか? そうかもしれないが、これだったら、結局は、燃料電池車は「自家発電」ではなくて、ただの「充電池」として使っているのと同じことだ。
 そして、「充電池」として使うのなら、「電気自動車」とまったく同じであり、むしろ、性能的には劣ることになる。なぜなら、「電気自動車」なら、現状でもニッカドやリチウムなどの電池があるし、また、「キャパシタ」という実用化寸前の方式もあって、これらの方がずっとコスト安になるからだ。

 燃料電池車という名前の「電気自動車」について、もう一度よく考えた方がいい。燃料電池車は、最善でも「電気自動車」と同じであり、また、現状では、炭酸ガスを排出するがゆえに、温暖化の弊害がありすぎる。
 なお、私のお勧めは、「風力発電 + キャパシタ」である。最悪が「燃料電池車」だ。

( → 6月10日b 「キャパシタ」,サイト内検索


● ニュースと感想  (9月02日b)

 「Winny と情報流出」について。
 Winny に感染するウィルスのせいで、また情報流出があったそうだ。私物パソコンを経由する情報流出。
 「またか」という感じ。こういうことは、今後も何度も続出するだろう。会社としては、「私物パソコンを禁止する」というかわりに、「私物パソコンに Winny を入れることを禁止する」という方針を取るべきだ。
 また、この方針に反して、情報流出があった場合、本人に責任を取らせるべきだ。第1に、懲戒免職。第2に、損害賠償。1億円ぐらい、ふんだくってもいい。

 「それじゃかわいそうだ」なんて思ってはいけない。こういう犯罪的行為を通じて、あなたの大事な情報が、ネットにばらまかれる危険があるのだ。たとえば、クレジットカードの番号とか。あるいは、内緒にしたホテルの利用歴とか。  (^^); 


● ニュースと感想  (9月02日c)

 「自由の画像」について。
 自由とは何か? 他人よりも多くの利益を得ることか? できるだけ多くの金や富を得るために地上であくせくと競争することか? 
 違う。自由とは、これだ。
   → 「自由」をテーマとした画像
      ※ 横 1024 の画面解像度で、ご覧ください。
      ※ スクロールすると、画像が全部見えます。

 ( これは、ブログ用のテンプレートのサンプルです。)
 ( 利用法は → テンプレート配布サイト


● ニュースと感想  (9月03日)

 「郵政民営化」について。
 小泉の「郵政民営化」という方針を受けて、世間では話題が沸騰している。小泉が責めて、岡田がしどろもどろだ。(前出。)
 ここで、私の見解をまとめておこう。郵政民営化は、無効である。なぜなら、小泉流の「郵政民営化」が意味するのは、こうだからだ。── 「国営事業が、民間の独占事業になること」
 大事なのは、むしろ、「民間参入」だ。たとえば、クロネコヤマトが郵便事業に参入することだ。
 なのに、事実は、逆だ。たとえば、郵政公社がコンビニでクロネコヤマトのシェアを奪っている。民が官の独占領域に参入するのではなく、官が無税という立場を利用して民の領域を食いちぎっている。── つまりは、社会主義化ふうの政策。
 これでは、「市場競争の推進」どころか、「(不公正競争による)市場競争の破壊」でしかない。状況は、改善するどころか、悪化する。

 結論。
 大事なのは、「郵政民営化」ではなくて、「民間参入」である。「民間参入」なしで、単なる「郵政民営化」だけでは、害だけがあり、益はない。そして、現状は、そうなっている。
( 関連情報 → 8月26日b

 [ 余談 ]
 比喩を加えると、次の通り。
 「この患者(郵政大臣)は、病気だ。抜本的な治療が必要だ。どこが悪いか? 核心である心臓が悪い。ゆえに、手術して、心臓を人工心臓に交換することが、最善の方法である。これぞ、構造改革!」
 小泉という医者は、この方針のもとで、さっそく手術した。まずは、悪い心臓を剔出した。そこで、「これで悪い部分は出したぞ」と主張して、あとは、ほったらかし。人工心臓を入れるのは、ちっともやらない。かくて、患者は死んでしまった。
 それでも小泉医師は、こう主張した。
 「悪い部分を剔出するところまでは成功した。目的は達成された。ゆえに、手術は成功である」
 すると新聞は、こう報道した。
 「患者は死んだが、手術は成功した。構造改革は、大成功!」


● ニュースと感想  (9月03日b)

 「ミシシッピの氾濫」について。
 米国のハリケーン被害では、ミシシッピで、氾濫の水害が出ている。莫大な被害だ。
 なぜか? ハリケーンが来た時点では、被害はたいしたことはなかった。いくら雨が降っても、雨ぐらいでは、別に溺れて死ぬことはなかった。そんなにすごい雨が降るはずがない。
 ところが、台風が去りかけたときに、堤防が決壊した。そのせいで、湖および運河から、大量の水が流れ込んだ。そもそも、この地帯は、水面よりも低い土地だから、堤防が決壊すると、あたりは完全に水没する。
 
 被害の主因は、ハリケーンの水ではない。もともとあった湖の水だ。ここを勘違いしてはならない。
 で、ハリケーンは何をやったかというと、もともと9割まであった水に対して、さらに1割ちょっとの水を加えた。そのせいで、10割の水準を超えて、堤防が決壊した。……だから、単に「ハリケーンのせいだ」と認識するのは、正しくない。

 では、どう対策すればいいか? 地球温暖化を防いで、ハリケーンを起こさなくすることか? いやいや、そんな悠長なことをやっていたら、いつまでたっても対策はできない。なすべきことは、ただ一つ。堤防をもうちょっと強固にすることだ。それだけのことだ。たとえば、堤防のために千億円の金をかけて、百兆円の被害を防ぐ。……ごく当り前のことである。まともな頭があれば、こうするはずだ。

 ではなぜ、そのことがなされなかったのか? まともな頭がなかったからだ。で、変わりに、どう考えていたか? こうだ。
 「小さな政府! 政府は小さければ小さいほどよい。そうすれば、民間経済が活性化する。政府の仕事は最小限にしよう!」
 この信念で、堤防事業の金を削りに削った。堤防が必要なのは、ハリケーンが来たときであり、ハリケーンが来ていないときには、堤防はただの無駄である。無駄なものは、削減した方がいい。……こう考えて、堤防費用を削ったのだ。
 で、ハリケーンが来たら? 「堤防が必要だ」とわかったが、残念ながら、「一日で購入できる堤防セット」というものは、どこにも販売していない。「必要なときに購入すればいい」と思ったが、必要なときにはうまく購入できない。「堤防がほしい、堤防がほしい」とわめいても、後の祭りだ。
 これがすなわち、「小さな政府」主義だ。必要なものまでも削る、という愚の骨頂。目先の1円の得にこだわり、長期の千円の損を無視する。

 ついでだが、この愚かな「小さな政府主義」というのは、米国だけの話ではない。日本の自民党や民衆党も、同様だ。一方、社民党や共産党は、「大きな政府」で、やたらと福祉を大きくしようとする。(これは別に良くも悪くもないが。)

 で、変人である南堂は? 「小さな政府」でも「大きな政府」でもない。「効率的な政府」だ。つまりは、「1円を惜しむ」のでもなく、「十円を無駄遣いする」のでもなく、「1円の出費で多額の得」を狙う。

 [ 付記 ]
 実を言えば、この発想は、経済学にも適用される。
  ・ 小さな政府  …… 目先の歳出を減らす  (財政均衡主義)
  ・ 大きな政府  …… 目先の歳出を増やす  (公共事業主義)
  ・ 効率的な政府 …… 目先で少し損してから、あとで大きな得を得る。
 どれが一番賢明でしょうか?
 なお、比喩的に換言すれば、こうだ。
  ・ 小さな政府  …… 堤防費用を惜しむ。(水害を招く。)
  ・ 大きな政府  …… 無駄な堤防を作りすぎる。
  ・ 効率的な政府 …… 必要な堤防だけを作る。
 どれが一番賢明でしょうか? 日本はどの政策を選んでいるでしょうか? 


● ニュースと感想  (9月04日)

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● ニュースと感想  (9月05日)

 「米国のハリケーン被害」について。
 ハリケーン被害では、死者は数千人と見込まれ、被害は数兆円と見込まれている。(11兆円という試算もある。妙に半端なのは、「千億ドル」の直訳。)……ほとんど戦争被害だ。
 これについて、「イラク戦争に血道を上げていたせいだ」という批判が米国のあちこちで上がっている。
 私としては、「他人の不幸に乗じて、自説をまくし立てる」ということは、したくない。「ざまあみろ」と言うようで、えげつないし、下品だからだ。とはいえ、そういう批判を聞くと、その批判が当たっていることに、同意せざるを得ない。
 前々日では、「小さな政府のせいだ」と指摘した。ここで、「小さな政府」というのは、単独で生じたのではなくて、「大きな軍隊・小さな政府」という形で生じたからだ。予算が限られているなかで、軍事費用に多額の金が食われ、そのせいで、一般財源が削られた。今回の堤防決壊でも、堤防整備の必要性は5年も前から言われていたという。ところが、必要性はわかっていても、金がない。金がないのは、イラクで殺人のために金を使ったから。……結局、イラク人を殺すために金を使ったから、イラク人を数千人も殺すついでに、自国でも数千人を殺す結果になったわけだ。イラクで数兆円も破壊したついでに、自国でも数兆円も破壊したわけだ。
 つまり、ちゃんとつながっている。「因果はめぐる」という形。

 で、私がこう指摘したのは、なぜか? 「ざまあ見ろ」と言うためではない。「同じ愚を繰り返すな」と言うためだ。マスコミは「被災者救援を」と述べている。しかし、目先はそれでいいとしても、現状が続く限り、別のハリケーンが来たとき、別の堤防が決壊して、別の被害が出る。その愚を繰り返すべきでない。
 そのためには? 堤防などの費用を積み増すしかない。しかし、その資金を、どうするか? 通常なら増税だが、増税をやれば、景気が一挙に悪化する。日本も大被害だ。「ハリケーンのせいで日本の景気が大幅悪化」というふうになりかねない。(他人事じゃないですね。)
 というわけで、すべてを丸く収めるには、「イラクからの撤退」(戦争費用の節約)しかない。米国はイラクからさっさと撤退するべきなのだ。……これは私がずっと前から主張していたとおり。

 米国は、真の友人である南堂の意見を聞いていれば、今回の莫大な被害に遭わずに済んだのだ。なのに、おべっかつかいのイアーゴーまたは小泉みたいな人物の心地よいお追従を聞いていたせいで、こういうひどい目にあった。
 今回の被害は、テロも同然であり、比喩的に「ハリケーン・テロ」と呼ぶにふさわしい。そのテロをもたらしたのが、いったい誰であるか、よく理解した方がいい。そのテロリストを捜すなら、空港などで莫大な人物をカメラで探索をする必要はない。テレビのスイッチをひねるだけでいい。米国の政治ニュースを見るたびに出てくる人物がいる。その猿顔の人物こそ、真のテロリストだ。
 このテロリストを排除するべし。さもないと、現状維持のせいで、同じテロが再来する。


● ニュースと感想  (9月06日)

 「衆院選の趨勢」について。
 04日ごろの新聞報道によると、民主党の惨敗はほとんど確定したも同然である。自民党(というより小泉)の支持率が高く、民主党は非常に低い。かつ、決定的なのは、民主党の党首が「このまま方針を変えない」というふうに声明していることだ。自滅の維持。
 これは、戦艦大和ふうである。この件は、8月28日 にも述べたが、そこで予想した通り、自滅の方針を維持する。なぜ? 岡田がアホだから。
 他にも、惨敗の理由はある。決定的なのは、こうだ。
 「小泉が郵政民営化を唱えて攻撃してかかってきているときに、まともに勝負しないで逃げている」
 相手は正面から太刀を振り下ろしてきている。で、岡田は何をしているか? 刃を交わして受け止めるならともかく、しきりに逃げ回っているだけだ。郵政問題で勝負を避けて、年金や少子化で対抗しようとしている。
 情けないね。「勝負を避ける」という点で、もはや、小泉に負けている。戦う前に負けている。戦いを避けているのだから。……こんな人間に、一国の命運を任せるわけには行くまい。誰もがそう思う。だから、逃げ回る岡田の負け。
 岡田は、小泉に対すると逃げ回るが、味方に対しては、威張り散らす。「おれがボスだから、おれの言うことを聞け」と独裁的にふるまう。で、「このままじゃ惨敗ですよ」と言われても、聞く耳をもたず、「日本を、あきらめない」と幼児語を口に出して、絶滅の方針を維持する。

 はっきり言おう。小泉の脇は、隙だらけだ。郵政民営化では、民間参入という肝心の点が抜けている。景気の点では、増税という大失態がある。失敗ばかりだ。そんなに脇の甘い相手を対して、攻撃することもできず、逃げ回るだけ。……岡田ってのは、最低だね。
 仮に、私だったら? もちろん、正面から戦う。相手が太刀を振り下ろしてきたら、それを受け止める前に、さっと身をかわして、隙だらけのところに、横向きにさっと刃を向ける。
 「胴あり、一本!」
 という宣告を受けたあとで、こう語る。
 「名ばかりの改革を、斬れ!」 ( → 8月25日b
 そして、太刀を収める。

 残念ながら、岡田には、相手を斬る能力がない。かくて、政権は、現状維持だ。
 で、結論は? ── 本サイトは、名称が「小泉の波立ち」から「岡田の波打ち」に替わる可能性がありましたが、もはやその可能性はほとんどゼロです。   (^^);

 [ 付記 ]
 政策論争の例を示す。
 小泉は、選挙の封書の例にして、「郵便局だと 120円、民間業者だと 80円」というふうに具体的な数字を挙げて、郵政民営化を正当化している。で、国民はそれを聞いて、「なるほど」と思う。
 しかし、本当は、「民間参入」はないのだから、「郵便局だと 120円、民間業者だと 80円」というのは、郵政民営化の根拠にはならない。現状では、「(独占会社である)郵政会社だと 140円、民間業者は市場のどこにもなし」というふうになるだけだ。(一般郵便物だと。)
 つまりは、小泉の論法は、「まやかし」である。ここを「まやかし」と指摘すればいいのに、指摘することもできない。
 小泉は頭のいい詐欺師だが、岡田は詐欺師の前で口を閉じている馬鹿だ。詐欺師と馬鹿では、どっちがいいか? ……今回の選挙では、それが問われる。







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「小泉の波立ち」
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