[付録] ニュースと感想 (91)

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● ニュースと感想  (7月07日)

 「経済と人生」について。
 古い話になるが、朝日の be (土曜版 2005-05-28 )に、珍しく、よい話が掲載されていた。( → 朝日のサイト
 ワタミ(和民)というチェーン店の社長が、介護産業に進出して、価格破壊をもたらして、介護サービスを劇的に向上させているという。「そんなことして、あんたに何の得があるの」と老人たちに言われるが、「喜んでいただきたいんです」(つまり老人たちの笑顔が嬉しい)と答える。
 さらに記者が話を聞くと、彼の生きがいはこうだ。
 「自分の存在対効果を高めること」
 「人間として生まれたからには、多くのいい影響を社会に与えたい」
 この意味を、記事は「使命感」というような言葉で解説している。しかし、記者は、この意味がよくわからないようだ。せっかく良い相手に恵まれても、相手を理解できない。
 そこで、私が説明しておこう。

 「存在対効果」というのは、「費用対効果」をもじった言葉だ。これはあまり正確な表現ではない。そこで私が正確に言い換えれば、こうだ。
 「自分の存在価値を高めること」
 わかりやすく言おう。どこかの誰かが年収百億円を得ても、それは別に、彼の存在価値を高めない。彼の家族にとってはありがたいだろうが、社会にとってはありがたくも何ともない。実際、彼がある日ポックリ死んだとしても、誰一人、嘆き悲しんだりしないだろう。(肉親としての悲しみならあるだろうが、社会的な意義を嘆き悲しむ人はいないだろう。)
 しかし、ワタミの社長は違う。彼がある日、ポックリ逝ってしまったら、彼の介護産業の業務が停滞してしまう。そのことで、莫大な数の老人が、大被害をこうむる。……つまり、それだけ、彼の社会的な価値は大きい。
 たとえて言おう。日産のゴーン社長が3年前にポックリ逝ったら、日産の社員は顔色を失うだろう。それと同様に、和民の社長がポックリ逝ってしまったら、多大な老人が顔色を失う。どちらにしても、それだけ、周囲の人々にとって大きな価値がある。
 これがつまり、「自己の存在価値を高める」ということだ。そして、その価値は、自分にとっての価値ではなくて、他者にとっての価値だ。
 彼は、自己の利益を求めようとはせず、自己の価値を高めようとする。── では、何のために? 
 古典派経済学者は、「人の目的は自己の利益を増すことだ」と信じている。だから、彼らは、ワタミの社長の人生観を理解できまい。ただし、どちらがより人間的であるかは、明らかだろう。
 古典派経済学者の発想では、「人間はただの利益増大マシンだ」となる。「利益を増やすことだけのために人間は存在する」というわけだ。だから、それをめざさないワタミの社長は、古典派の理論からはずれる。ゆえに、理解できない。
 では、ワタミの社長は、自己の利益ではなくて、何を求めているのか? 私が答えよう。「それは充実感だ」と。自己の価値を高めるとき、人は充実感を味わう。たとえば、家庭内でも、妻や子を愛するとき、人は充実感を味わう。同様に、社会の弱者を愛するとき、人は充実感を味わう。なぜなら、そのとき、彼の命は、彼一人分の価値ではなくて、何人分もの価値をもつようになったからだ。── 彼は、利益を得るかわりに、価値を得たのだ。
 利益など、いくら得ても、充実を味わうことはない。「利益を増やすことだけのために人間は存在する」ということは、決して、ありえないのだ。仮に、そう信じれば、間違ったことを信じたあげく、虚しい人生を送ることになる。
 ドン・ファンは、いくら多くの女をたぶらからしても、決して、みちたりて充実することはない。一方、妻子を愛し、妻子のために自分が何かを与えたとき、人は充実感を味わう。そのとき、彼の生命は、彼一人を超えて、より大きなものとなる。

 [ 付記1 ]
 経済の世界では、逆に、おのれの利益を追求する人々もいる。たとえば、マイクロソフトのビル・ゲイツがそうだ。「世界最大の富豪」と報道されて、マスコミの経済記者は彼を神のごとく崇拝する。
 しかし、彼がいくら金銭的に成功しても、誰一人、彼を尊敬しない。彼を羨ましがる貪欲な貧乏人はいるが、彼を尊敬する人は一人もいない。なぜか? ビルゲイツは自分の富を増やしたが、社会の富をさして増やさなかったからだ。増やすよりは、バグによるトラブルで、社会の富を減らしてきた。私だって、Windows のトラブルの生で、これまでどんなに多大な浪費をしてきたことだろう。
 結局、「世界中の利益を損なって、自分だけが儲ける」というようなことをやっても、得られるのは、満足ではなくて、利益と軽蔑だけだ。
( ※ ただし、反論もあるかもしれない。「それでもゲイツには功績がある」と。ま、ある程度は、そうかもしれない。しかし、よく考えよう。ゲイツがいなければ、別の誰かが、別のOSを開発して普及させたはずだ。たとえば、OS2のような。)

 [ 付記2 ]
 ゲイツとは正反対のことをする人々もいる。フリーソフトの作者たちだ。(私もその一人だ。)
 これらの作者は、なぜ、自分にとって一文の足しにもならないことをやるのか? 自分の利益のためではない。社会全体の利益を増すためだ。そのことで、自分の存在価値を高めるためだ。自分の利益を高めることが喜びなのではなくて、社会の利益を高めることが喜びなのだ。
 おそらく古典派経済学者は、「馬鹿め」と非難するだろう。こういう経済学者は、エゴイズムを唯一の原理だと信じている。ま、何をどう思おうが勝手だが、それを人に押しつけるのだけは、やめてもらいたいですね。古典派がエゴイズムで生きようとするのは勝手だが、社会のために生きている人々を否定しないでもらいたいものだ。


● ニュースと感想  (7月07日b)

 「貴乃花の経営と人生」について。
 若貴兄弟の話の続き。
 貴乃花があれほどにも遺産にこだわったのは、なぜか? そう思って頭をひねって考えたら、ひらめいた。裏の事情があるのかもしれない。
 「貴乃花の相撲部屋は、収入不足で、財政ピンチ。このままでは相撲部屋の維持が不可能。親方が失業」
 これは貴乃花にとって、最悪の悪夢だ。栄光に輝いた横綱が、ただの失業者になってしまう。いや、それだけならまだいいが、赤字を出した破産者として、社会的に犯罪者ふうに扱われてしまう。
 しかも、この可能性は、かなりある。もともと、相撲部屋というのは、収入は少なく、支出が多い。新人ばかりそろっていて、十両や前頭などの関取がいないと、部屋の維持はほとんど不可能だ。たとえば、高見山(ジェシー)が親方だったときに曙が部屋に入ったが、曙はろくに風呂にも入れなかったという。小さな風呂なので、曙が入ると、お湯があふれてしまう。身を上げると、風呂にお湯はほとんどない。漫画チックだ。……それほど貧乏だった。
 今の貴乃花の部屋も、それに近い状況かも知れない。後援者(タニマチ)を切り捨ててから、赤字の補填もままならない。
 経営と人生とは関係する。経営が破綻状態であれば、人生も破綻状態になりがちだ。彼があれほどにも暴走したのも、根っこには赤字があったのかもしれない。彼は暴走して自ら墓穴を掘ったというより、もともと赤字という墓穴が足元に大きく広がっていたのかもしれない。


● ニュースと感想  (7月08日)

 「経済と社会道徳」について。
 電車で席を譲った高校生が、「せっかく席を譲ったのに、お礼を言わないなんて、高齢者はけしからん」という投書があった。(読売・朝刊・投書欄 2005-07-06 )  これに似た話は、一休さんにあったはずだ。
 一休さんは、何かをもらっても、例の一言も言わず、ふんぞりかえる。相手がそれを詰ると、反論する。
 「じゃ、あんたは、お礼を言ってもらいたいから、善行をしたんだね」
 「いや、そうじゃないんですが」
 「いいかね。あんたは私のおかげで、善行をできたんだ。善行をできたのは、私のおかげなんだから、私に感謝するべきだね」
 「なるほど。それもそうですね。ありがとうございます」
 というような話。
 こう書くと、「また南堂がホラを吹いている」と思われるかもしれないが。  (^^); ……出典は覚えていないので、ご存じの方がいたら、教えてください。私はたしか、子供のころに幼児本で読んだと思う。

 ま、それはそれとして。
 くだんの高校生は、次のことを理解するべきだ。
 「高校生は、電車賃を、ほぼ半額しか払っていない」
 だから、高校生は、本来なら席に座る資格なんかないのだ。ずっと立っているのが当然だ。私だって、高校生時代には、たいていは立っていた。
 だから、くだんの高校生は、こう述べるべきだったのだ。
 「席をどうぞ」
 「ありがとう」
 「いや、とんでもない。本来は席に座る資格なんかないのに、これまでずっと坐っていました。申し訳ないと思います。どちらかと言えば、お礼を言うのは、こちらです。」
 他人に文句を言うより、感謝をしましょう。貴乃花になるより、若乃花になりましょう。


● ニュースと感想  (7月08日b)

 「レジ袋の有料化」について。
 レジ袋の有料化については、すでに何度も述べたが、報道の観点から、「どう報道するべきか」をざっと説明しよう。
( ※ これは、次項 で「レジ袋の有料化」をめぐって、朝日新聞の社説や態度を批判することと、関連する。)

 まず、世の中には、賛否両論がある。これが基本だ。両者をまとめてみると、だいたいこうなる。
 要するに、議論がまったく噛み合っていない。
 反対派は、「そんなことをやっても無意味だ」と反対しているのに、賛成派は、その論議をすべて無視して、「有料化すればすべては改善する」と素朴に信じて、「どうしてそうなるか」という過程をまったく無視している。
 簡単に言えば、「右手で節約して、左手で浪費しているときに、右手だけを見れば、節約した気分になれる」ということだ。これが「有料派」の主張。
 一方、反対派は、全体を見ようとする。その真意は、こうだ。
 「目の前にある1を節約することにとらわれるのではなく、目に見えないところにある百を節約するべきだ。(つまり、表面でなく本質を考えるべきだ。)」

 具体的なイメージで言おう。こうなる。スーパーでの会話。
 レジ袋有料・賛成派。……「あたし、環境に優しくしますのよ。レジ袋が有料化されたので、買い物袋を持ってゆきますのよ。これで資源が節約されますわ。偉いでしょう。ね?」
 レジ袋有料・反対派。……「ふうん。なるほどね。あんたはたしかに、レジ袋を節約した。それは認めよう」そして指差す。「でも、あんたのその買い物カゴには、何があるんだね? でかいポリ袋。おおきなゴミ袋を買ったじゃないか。ゴミ袋は、レジ袋よりもずっと厚くて大きいから、ずっと多くの資源を無駄にする。さらに、だ。今日は雨だ。で、傘にはポリエチレンの透明な傘袋をかぶせている。ここでレジ袋と同じぐらい資源を無駄にしている。さらには、レジ袋を節約したものを気軽に運べるようにと、自動車を運転してきたじゃないか。その分、ガソリンを無駄にした。」
 「いいじゃないの。レジ袋を節約したんだから、そのくらいの贅沢は、許されるでしょ」
 「しかもだ。あんたは普段、パソコンやテレビの電源は付けっぱなしだし、クーラーはガンガン効かせっぱなしだ。石油資源で言うと、レジ袋で 0.1グラム節約して、かわりに、2000グラムぐらい無駄にしている。それでどうして、環境に優しいんだね?」

 要するに、論議のマトになっているのは、「部分を見るか/全体を見るか」ということだ。
 しかし、いつまでたっても、議論は噛み合わない。反対派は「両手を見よ」と主張しているのに、賛成派は「左手だけを見る」というふうに主張しているからだ。
 レジ袋賛成派というのは、頭が特定の信念に凝り固まっているのである。自分の信じる特定の信念だけが正しいと思い込んで、他の一切を受け入れない。……貴乃花と同じ。一種の狂信だ。
 仮に、彼らにまともな頭があったなら、賛否両論について議論するだろう。しかし、レジ袋有料化の賛成派というものは、論議を拒絶するのである。「最初に有料化ありき」なのだ。狂人とは、そういうものだ。( → 次項 の朝日 )


● ニュースと感想  (7月08日c)

 「マスコミと反骨精神」について。
  朝日といえば、政府に対する反骨精神の盛んなマスコミだとばかり思っていたが、それは昔の話で、今はすっかり骨を抜かれてしまったようだ。現在の朝日の方針は、こうだ。
 「まず、政府に賛成する。その上で、少しだけ修正案を出して、マスコミの面目を保つ」
 で、その本質は何かと言えば、こうだ。
 「政府案における難点を隠蔽する」
 たとえば、政府がAという案を出したとき、Bという案を出さない。かわりに、A’という修正案を出す。そのことで、Aという案における根本的な難点を隠蔽する。単に小さな難点を示すことで、大きな難点を隠す。
 これが現在の朝日の体質だ。

 例として、レジ袋を取り上げる。朝日の社説(朝刊 2005-07-07 )では、レジ袋の有料化を取り上げて、「賛成である。ただし問題はその仕組みだ」と述べて、有料化の方法をあれこれと論じている。
 ここでは、「有料化の是非」という根本問題は回避され、「まず有料化ありき」という結論を頭ごなしに押しつける。なぜなら、政府べったりが朝日の体質だからだ。「政府案を正しいか正しくないか論じる」というマスコミの基本使命を忘れてしまっている。
 まともな新聞ならば、どうするか? 政府案に対しては、「まず批判の目を向ける」というのが、マスコミの使命だ。なぜなら、政府は常に権力として大きな力で政策を押しつけてくるのだから、それに対するチェック機能が必要だからだ。政府がAという政策を出したなら、それに対するチェック機能を誰かがなさなくてはならない。それがマスコミの使命だ。マスコミには反骨精神(批判の目)が絶対に必要なのだ。逸れなくば、社会が専制社会になってしまう。(たとえば共産党独裁の中国や北朝鮮のように。)
 昔の朝日には、そのチェック機能があった。しかるに、今の朝日には、そのチェック機能がない。なぜ? 反骨精神が根本的に失せているからだ。「小泉は善、政府は善、だから政府には批判の目を向けない」というわけだ。
 これは、政治的な思想の問題ではなくて、言論人としての態度の問題である。なぜか? 世の中で論議になっている問題には常に賛否両論があるからだ。
 そもそも、朝日がレジ袋の問題を取り上げたのは、なぜか? 全員が賛成しているのなら、論じる必要はない。これが問題になっているのは、賛否両論があるからだ。たとえば、ネット上を見れば、たくさんの賛否両論があふれている。簡単に探るなら、読売新聞の掲示板における読者論議がある。( → 該当サイト
 こういうふうに、世の中には、賛否両論がある。賛成派には賛成派の主張があり、反対派には反対派の主張がある。どこでどう論議が噛み合っていないかもわかる。なのに、朝日は、そういう対立をまったく無視する。初めに「政府案に賛成」という基本方針があり、論議を回避する。「AかBか」というふうに世間で論議しているときに、その論議を回避して、「A(政府に賛成)」をまず選び、そのあとで、「修正案」という形で、自説を主張したつもりになる。
 ひどいものだ。新聞というものを、自分の独自の見解を出すための場だ、と勘違いしている。自分の独自の意見をちょっとだけ出せば、自分の役割を果たせる、と思い込んでいる。で、「真実の報道」という基本的な使命を見失い、「AかBか」という論議を消し去り、「Bという反対意見」を報道しない。
 このようなマスコミは、大政翼賛会と同じである。あるいは、人民日報かプラウダと同じだ。最低だ。
 マスコミというのは、反骨精神がない限り、一文の価値もないのだ。朝日の記者は、自分が何のために朝日に入社したのか、根本的に反省するべきだ。いったい、何のために入社したのか? 政府の犬になるためだったのか? 情けないといったら、ありゃしない。小泉は米国の犬だが、そのまた犬が朝日だ。犬の犬。……これはもう、犬というより、犬に寄生するノミかシラミのようなものである。

 [ 付記 ]
 米国の記者が「取材源を明かさなかった」という理由で収監された。(報道 2005-07-07 )
 ことの是非は別として、こんなことが起こるのは、米国だから。日本では、起こらない。なぜなら、日本の記者は、反骨精神がないから。政府に噛みつくような記者はいないから、もともと逮捕されるはずもない。飼い犬ばかりで、くーんくーん、と鼻声を上げるばかり。


● ニュースと感想  (7月09日)

 「アメリカの記者の逮捕」について。
 アメリカで取材源を秘匿した記者が逮捕された。これをめぐって、日本のマスコミも、「報道の自由を守れ」という趣旨のことを論じている。たとえば、朝日は、「報道の自由」を全面的に打ち出している。(朝刊・社説 2005-07-08 )
 この社説では、反省しているところも、少しある。「安易な匿名報道に頼るべきでない」ということだ。取材源が、名を明かさない(匿名の)政府高官であったことから、匿名報道を戒めている。しかし、問題の根源は、そんなところにあるのではない。
 問題は、これが「個人情報の流出」にあたる、ということだ。マスコミはここのところを、完全に誤解している。
 例の記者によって報道されたことは、「A夫人がCIAの情報員(スパイ)だ」ということだ。ところが、朝日はこれを、逆に主張している。「CIAの情報員の名前が暴露された」というふうに。つまり、政府の秘密情報であるスパイの氏名が漏洩された、と。
 馬鹿げた話だ。こんな下っ端のCIA情報員の氏名など、報道する価値は、まったくない。仮に、それが報道する価値があるとしたら、このA夫人が犯罪を犯したとか何とか、そういう特別なことをなした場合だ。単に正常な業務をしていたからといって、いちいち情報を暴露することが大切であるなら、CIA情報員の全員の氏名を暴露するべきだし、そのために努力するべきだろう。そしてまた、「CIA情報員の名前を暴露することは、国家のためになる」という理由を明示するべきだろう。(まるでアルカイダの主張ですね。)
 
 今回の機密漏洩では、政府の情報が漏らされたのではない。個人の情報が漏らされたのだ。
 「この仕事をなした情報員の氏名は、××である」
 と報道されたのではなくて、
 「××の仕事は、CIAの情報員である」
 と報道されたのだ。政府の機密が漏洩したのではなくて、個人の機密が漏洩したのだ。この点を勘違いしてはならない。(朝日は勘違いしている。実際には弱い個人を踏みにじっているのだが、自分は強い政府に歯向かっているのだと、勘違いしている。ドン・キホーテ並みの、壮大なる妄想。)

 結果的には、どうか? この機密漏洩では、政府にとっては痛くも痒くもないが、CIA情報員であるA夫人にとっては致命的なほど痛い。今後、生命の危機を感じて、夜もおちおち眠れないだろう。下手をすると、精神科のお世話になったあげく、鬱病になって、自殺するかもしれない。

 マスコミには、自戒が必要だ。自らの力は、強大な権力に対抗するための力なのであって、弱い一人の個人を攻撃するための力なのではない。たとえ相手が公務員だからといって、特定の個人を攻撃するために、その力を用いていいわけではない。そのような力の行使は、力の乱用だ。
 力の乱用は、世界を破滅させる。「スターウォーズ」でも見て、反省するべきだ。

 [ 補説 ]
 事件の奥を探ってみよう。すると、本質がわかる。これは「報道の自由」なんかとは、何の関係もない。
 今回の記者は、イラク戦争の前には、ブッシュ政権の関係者から情報をもらって、「フセインは核開発をしている」という嘘情報をさんざん掻き立てた。この人物のせいで、戦争への気運がかきたてられ、アラブにおいて何千か何万かの人命が奪われた。負傷者は何十万人にもなる。そのうち、百分の1ぐらい責任があるとしても、そんじょそこらのテロリストよりは、はるかに巨大な責任がある。(ロンドンの多重テロの場合は、十人ぐらいの実行犯で、数十人の使者だから、テロリスト一人あたりでは死者数人ぐらいの責任だ。)
 こういう人物が、今回もまた、政府から情報をもらって、個人情報漏洩という犯罪的な記事を書いたのだ。
 くだらん。要するに、政府の都合で、うまく踊らされているだけだ。政府の操り人形のようなものである。マスコミの本来の務めは、政府に対する反骨精神であるはずなのに、それとは逆に、政府の走狗となってしまっている。こんな記者に、「報道の自由」なんて言葉を冠したら、自由が泣いてしまう。
 ま、この記者も、朝日新聞も、政府の提灯持ちである読点では、同じ穴のムジナだ。だから、朝日がこの記者を擁護するのは、自己憐憫と同じで、しごくもっともだ。とはいえ、一般読者は、朝日の主張なんかにだまされてはならない。朝日というのは、真実を告げる新聞ではなくて、権力の手先となって、国民を洗脳したがっているだけだ。
 レジ袋を見てもわかる。  (^^);

 [ 補足 ]
 レジ袋が有料化されたら、朝日新聞は雨の日になるたびに、新聞袋の有料化と称して、十円ぐらい余計に請求するつもりです。レジ袋の有料化に賛成した人々は、雨の日ごとに、十円玉に貯金しましょう。最近は、梅雨らしくて、雨が多いから、ずいぶんぼったくられそうですね。
 あ、その前に、朝日を解約しますか。それが賢明かも。


● ニュースと感想  (7月09日b)

 「ロンドンの多重テロと朝日」について。
 ロンドンの多重テロについて、小泉が「強い憤りを覚える」と声明を出した。これは誰もが予想するとおり。注目点は、朝日だ。こう述べている。(朝刊・社説 2005-07-08 )
 「(五輪決定の)喜びから悲しみへ、ロンドンは一夜にして暗転した。」
 「G8に代表される先進諸国への憎悪が背景にあると見るべきだ。テロへの怒り悲しみを、われわれも共有したい。」
 要するに、朝日が主張したいのは、こういうことだ。
 「われわれにもアラブ人にも憎悪がある。それをさらに膨張させよう。」
 つまりは、「憎悪のスパイラル」である。で、現実は、まさしくそうなっている。憎悪が憎悪を呼び、テロがテロを呼ぶ。アメリカが国家でテロをやれば、アラブも個人でテロをやる。アメリカが数千人を殺せば、アラブも数十人を殺す。……まさしく、「憎悪のスパイラル」である。で、その「憎悪のスパイラル」を、止めるどころか、さらに膨張させよう、というのが、朝日の主張だ。……狂ってますね。テロリストの主張そのままだ。

 朝日の社説は、上の引用部で、「悲しみ」という言葉を使った。ここでは、こう述べていることになる。
 「われわれには、悲しみがある。」
 ただし、アラブ人には悲しみを認めない。つまり、こう述べていることになる。
 「アラブ人は悲しみを感じない猿にすぎない。アラブ人は憎悪を感じるだけだ。悲しみを感じるほど賢いのは、先進国の人間だけだ。」
 人種差別ですね。こういう人種差別が、第二次大戦(大東亜戦争)を引き起こす理由となった。「黄色い猿」と蔑視する人種差別が、欧米のアジア進出と植民地化政策をもたらし、それが、対抗する日本の中国進出をもたらし、欧米と日本の衝突に結びついた。
 人種差別は、かつては第二次大戦(大東亜戦争)を引き起こし、現在では各地でテロを引き起こす。こういう馬鹿げた状態を何度も繰り返しながら、いまだに反省の一つもできず、「憎悪のスパイラル」を膨張させようとする。情けない。

 正しいことは、何か? 憎悪ではない。悲しみだ。それは、自己への悲しみだけでなく、他者への悲しみでもある。ロンドンの被害者への悲しみだけでなく、アラブの被害者への悲しみでもある。……そういう「他者への悲しみ」を持たない人間だけが、憎悪の火を燃え上がらせる。
 憎悪は世界を破滅させる。そのことを理解するべきだ。世界を救うものは、憎悪の火ではなくて、悲しみの涙なのだ。熱い火ではなく、鎮める水なのだ。

 [ 付記 ]
 返す刀で、保守派も批判しておこう。読売や小泉は、「テロには毅然たる態度で」と主張する。ま、保守派の主張だから、そんなものだろう。しかし、その真意は何か? 彼らが主張したいことは、要するに、こうだ。
 「アルカイーダなどのテロリストが、ロンドンの民衆を数十人も殺すのは、悪いことだ。」
 「アメリカの国軍が、イラクの民衆を何千人も殺すのは、良いことだ」
 つまり、保守派が「テロはけしからん」と言っているとき、テロそのものを非難しているのではなく、テロの実行者がアルカイーダであることを非難しているだけだ。同じく市民殺害をするにしても、実行者がアルカイーダでなく米国であれば、非難するどころか、大歓迎するだろう。
 「アメリカがテロをやった。市民をたくさん殺害した。すばらしい。日本は断固として、これを支持しよう」
 というふうに。実際、そうだった。たとえば、ファルージャでは、アメリカ軍がイラクの民衆を四百人以上も殺害した。これも明白なテロ行動である。で、これを、非難したか? いや、アメリカ軍による殺害だから、日本はこれを支持した。要するに、テロそのものが悪なのではなくて、アメリカ軍以外がテロをやるのが悪なのだ。……それが保守派の論理である。
 アルカイーダは、アメリカへの憎しみを、ロンドンの民衆に向ける。アメリカの国軍は、アルカイーダへの憎しみを、イラクの民衆に向ける。……どちらもひどい倒錯だ。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というならわかるが、「坊主憎けりゃ、豆腐屋が憎い」というようなもので、とんでもないトンチンカンだ。被害者はとんだとばっちりを受ける。
 アルカイーダであれ、アメリカ軍であれ、その憎しみは、狂気の沙汰だ。そして、それを支持している狂人の仲間が、日本の保守派だ。
 なお、私がこんなふうに保守派を批判すると、保守派は反発するだろう。「おまえはテロリストの味方をするのか」と。その単純な発想には、呆れるほかはない。
 仮に、「敵か、味方か」という発想しかできないのであれば、狂気の行動を取るハメになるだろう。たとえば、「テロリスト撲滅のため」という名分で、アラブに原爆を百発ぐらい落とすことになるだろう。数十人殺されたのが悔しいという理由で、数億人を殺すことになるだろうだ。ロンドンの一部で阿鼻叫喚の地獄になったのが悔しいという理由で、アラブの全体を阿鼻叫喚の地獄にすることになるだろう。
 そして保守派は、まさしくそう主張したとき、自分が悪魔であったことに気づくのだ。

 [ 補足1 ]
 報道された記事を見ると、「殺されたから殺せ」と言わんばかりの、非難の口調が多い。まったく、呆れるね。まるで、虐殺を楽しんでいるかのようだ。
 しかし、虐殺を楽しむのであれば、現実でなく映画にしてもらいたいものだ。「宇宙戦争」という話題の映画がある。トム・クルーズ主演。講評を引用しよう。
 この映画のメインテーマはあくまで破壊なのだ。  大虐殺のための大虐殺を楽しめる人なら、この映画に興奮するはずだ。『宇宙戦争』は大惨事を描く映画の新基準を定めた。非常に恐ろしく、その描写は詳細を極め、すさまじい。人をぞっとさせることにかけては贅沢に作られた作品だ。
 この引用元( HOT WIRED )には、めらめらと燃える大破壊の跡がある。こういう破壊の画像を見たい人は、喜んで見るといいだろう。喜んで見るとき、自分の本性が露わになる。

 [ 補足2 ]
 本文の話(前述)を引き継ごう。
 憎悪は世界を破滅させる。そのことは、これまで何度も、映画や文学で描写されてきたことだ。最新作の「スターウォーズ」でも、そういうテーマが扱われている。
   → 検索(スターウォーズ・憎悪・悲しみ)
 憎悪とは何か。戦争とは何か。善とは何か。善がいかにして悪に変じて、人々を殺すか。……そういうことを、よく考えるといいだろう。

 [ 補足3 ]
 では、正しくは、何を選べばいいのか? 簡単だ。その一日前に、何があったか、思い出せばいい。オリンピックの決定だ。そして、オリンピックの理念は、こうだ。
 「憎しみよりも、愛を。戦いよりも、平和を」
 古来、オリンピックの勝者に与えられるのは、金メダルでもなく、マネーでもない。平和の象徴としての、ただのオリーブの冠だけである。
  → google 検索
( ※ ついでだが、野球がオリンピックから落ちこぼれたからといって、嘆くべきではない。「日本にはメダルの可能性があったのに」なんて言う連中は、カネの亡者ならぬ、金メダルの亡者。)
( ※ オリーブの冠を、月桂冠と混同しないように注意。)

 [ 補足4 ]
 ジョン・レノンの Imagine を思い出そう。
     Nothing to kill or die for.
     And no religion too.
     Imagine all the people
     Living life in peace.
  → 和訳つき サイト
 注記。「 no religion (to kill or die for)」と補って理解すること。


● ニュースと感想  (7月09日c)

 「ロンドンの多重テロとジョーク」について。
 ロンドンで多重テロが発生した。いやになりますねえ。どうせまた日本政府や英国政府が、「あいつが悪い、あいつが悪い」と大声で非難するはずだ。貴乃花そっくり。
 で、どうしてこうなったかというと、双方が貴乃花状態だからだ。「タカ・タカ」状態または「貴・貴」状態である。若がいないのが、悲劇の根源。

 こういう馬鹿げた状態を理解するには、ジョークを読むのが一番いい。次のサイトは、ジョーク集だ。今回のテロを予言したような話がある。
    → ジョーク集 (その3)
   「二人のアラブ人が、ワシントン発ニューヨーク行きの飛行機に乗った。一人は窓側、……(以下略)」
 事実はジョークをなぞる。


● ニュースと感想  (7月10日)

 「テロと爆弾とゴミ箱」について。
 ロンドンで多重テロがあったという理由で、鉄道でゴミ箱が撤去されている。困ったことだ。( → 読売
 前から、「駅にはゴミ箱がなくて不便だ」と思っていたが、今度の事件で、ふたたび本格的にゴミ箱が撤去される。
 この方針の馬鹿らしさ。

 (1) 空き缶入れ
 ゴミ箱を撤去するなら、空き缶入れも撤去するべきだろう。で、同時に、缶飲料の販売も停止するべきだろう。
 ところが、「缶飲料が売れないと困る」という理由で、空き缶入れは撤去しない。馬鹿げた話だ。

 (2) ゴミ箱の可能性
 そもそも、ゴミ箱なんかに、爆弾を入れるはずがない。そこを根本的に勘違いしている。
 なるほど、過去には、ゴミ箱に爆弾を入れた例がある。しかし、それは、テロリストではなくて、いたずら犯がやったからだ。ゴミ箱に入れれば、そばにいる人は少しだから、被害が少ない。また、爆弾の影響力は、ゴミ箱によってかなりそがれる。……というわけで、被害を少なくするために、ゴミ箱に入れたわけだ。
 テロリストは、「被害を少なくするため」なんていう目的はないから、わざわざ殺傷力を減らすために、ゴミ箱に爆弾を入れるはずがないのだ。当然、人のたくさんいる列車に爆弾を入れる。
 今回のテロでも、爆弾は「小包」の形で、車内(網棚など)にあったのだ。地下鉄の爆弾は、すべて列車内で爆発したのであって、ゴミ箱で爆発したのではない。
 というわけで、ゴミ箱を撤去することのメリットは、皆無である。

 (3) 逆効果
 それでも心配性の人は、懸念するだろう。「皆無ということはあるまい。ほんの少しでも、ゴミ箱に爆弾が入っている可能性があるのなら、爆弾を撤去するべきだ」と。
 なるほど、そうかもしれない。で、そうだったら、どうなる。犯人は、こうするはずだ。
 「(殺傷力を低くするために)ゴミ箱に爆弾を入れよう。どこかにゴミ箱はないかな? あれ? いくら探しても、ゴミ箱はない。それじゃ、仕方ない。列車の網棚に置こう。そうするしかないな」
 これじゃ、逆効果だ。被害を減らすどころか、被害を増やす。人のいないゴミ箱のなかで爆弾が破裂するかわりに、人のいっぱいいる電車のなかで爆弾が破裂する。
 
 結語
 ゴミ箱を撤去するというのは、テロリストの犯罪の被害を高めよう、としていることに相当する。ゴミ箱を撤去する連中は、テロリストの仲間なのだ。彼らは被害を広げようとしているのだ。

( ※ たとえて言おう。ゴミ箱にサリンをぶちまけるのと、列車内でサリンをぶちまけるのと、どちらの被害が大きいか? 「列車内でサリンをぶちまけるべし」と思う人は、それを助けるために、ゴミ箱を撤去するといいだろう。そうすれば、否応なしに、列車内でサリンをぶちまけざるを得なくなる。……例のサリンの被害者が増えたのも、ひょっとしたら、ゴミ箱がなかったせいかも。???? )


● ニュースと感想  (7月10日b)

 「貴乃花と株取引」について。
 貴乃花はどうやら、株で大損を出したらしい。7月07日bでは、騒動の理由として、こう推測した。
 「貴乃花の相撲部屋は、収入不足で、財政ピンチ。このままでは相撲部屋の維持が不可能。親方が失業」
 この推測は、どうやら当たっていたようだ。というのは、私がこう書く以前に、彼が株で大損を出したことは知られていたからだ。(私は寡聞にして知りませんでしたが。)
  → 検索 (貴乃花の株取引の失敗)
 つまり、マスコミの推測では、株取引の失敗で、8億円〜15億円の損失を出していたという。それは何とか完済したともいうが、そんな大金がどこから出てきたかについては、まったく報じられていない。「断髪式の金」という指摘もあるが、断髪式でそれほどの大金が出るはずもない。
 なお、貴乃花のもとには、黒服(スジ者)の関係者がうろついていたこともあったらしい。目撃者の証言がある。となると、このころ、おかしな金融関係者に返済を迫られていたのかもしれない。で、父親に泣きついて、父親の資産を担保に、まともな金融機関に乗り換えたのかも。で、それでも、まだまだ借金は残っていることになる。スジ者への返済は済ませたが、まともな金融機関への借金がある。となると、莫大な資金が必要になる。……それが、今回の騒動の、根源かもしれない。
 で、何が言いたいか? 貴乃花の話ではない。株取引で人生を破壊されることの悲惨さだ。「株取引はすばらしい経済活動だ」なんて大々的に称賛する新聞(ひところの朝日の「ウイークエンド経済」)もあるが、 こういう阿呆に踊らされると、貴乃花みたいになるわけだ。悲惨。

 [ 付記 ]
 何だってまた、貴乃花の株取引の話を取り上げるか? 実は、これは、典型的な例となるからだ。話が前後するが、実は、次項(明日)の話が本題。そこでは「株取引」の話をする。そちらが本題。本日の方は、一種の余談。
( ※ 明日の話題は、「マネーゲームは何も生まない」ということ。それにひきかえ、若乃花の方は、実際の事業をやっている。何かを生産している。こちらの方がずっとまともだ。)
( ※ なお、マスコミの虚報は、何も生まないというよりは、害悪を生んでいる。これは最悪ですね。)

 [ 余談1 ]
 余談の余談みたいだが、マスコミを批判しておこう。
 若乃花が相続放棄を表明して以来、マスコミも貴乃花も、これだけに関心が集中しているようだ。貴乃花はぐだぐだ言っているが、要するに「本当に相続放棄がなされるのか確信を持ちたい」(話がうまく行き過ぎたので疑心暗鬼である)ということだ。で、その本質は、何か? こうだ。
 「あれほど騒ぎ立てた悪口は、実はただの口実にすぎなかった。本心は、遺産の独り占めだった。それだけが狙いであった」
 これは、誰もが気づいているし、マスコミも気づいているし、貴乃花も気づいている。なのに、マスコミはちっとも報道しない。「すべてはただの遺産狙いだ」というのは、明々白々なのだから、そう論じればいいのに、マスコミは口に出さない。まるで、猫の首に鈴を付けるのを怖がっている、臆病なネズミだ。本当のことを書く度胸がない。「王様は裸だ」と口に出せない。……情けないね。

 [ 余談2 ]
 さらにオマケで、貴乃花の人生について、アドバイスをしておこう。(余計なおせっかいだが。)
 貴乃花はさんざん悪口を並べ立てたのだから、いまこそ、「自分は遺産目当てではない。正義の目的で騒ぎ立てたのだ」と表明するべきだ。そして、「自分も相続放棄をする」と表明するべきだ。そうすれば、世間は貴乃花に喝采を送るだろう。
 実を言うと、それこそ、貴乃花にとって最善の道である。私はそうすることを強くお勧めする。なぜなら、そうすれば、次のようになるはずだからだ。
   ・ 「相続放棄」の名目で、世間の支持を得る。
   ・ 遺産はすべて、兄に押しつける。
   ・ ついでに、自分の借金も遺産といっしょに、兄に押しつける。
   ・ 差し引きして、借金の方が多そうだから、かえって得をする。
   ・ 兄は我慢して、弟の借金を引き受ける。
   ・ 兄は才覚で、弟の借金を返済する。
   ・ 兄は相撲部屋を立て直して、弟子を一人前にする。
 結局、借金と苦労を全部兄に押しつけて、自分はゼロからスタートすればいい。普通の兄なら、そんなことは決して引き受けないだろうが、若乃花なら、弟思いだから、引き受けてくれるだろう。……ただし、そのためには、前もって、貴乃花は兄に対して、頭を下げる必要がある。これが一番の難関。  (^^);
 ま、結局、自己破壊をすることになりそうだ。

 [ 余談3 ]
 ついでに蛇足。「薬物(ステロイド)との関係はどうなんだ」という読者の疑問がありそうなので、一言。
 薬物の影響は、抑制が利かなくなり、粗暴になることだ。これは、悪影響の有無には、直接の関係はないのだが、悪影響の発現の仕方に、関係がある。
 というわけで、私は、貴乃花を批判しているのではなくて、哀れんでいるのである。かわいそうに。(若乃花と同じ気分です。)(ただし、貴乃花を破壊したのは、どこかのテロリストではなくて、薬物を飲んだ自分自身である。自業自得かな。)


● ニュースと感想  (7月11日)

 「マネーゲームの風潮」について。
 デイ・トレードで金を大儲けしている人がいる。で、これに文句を言いながら羨ましがっている記事があった。例によって朝日だが。「マネー至上主義」という標題。(朝日・朝刊・特集 2005-06-26 )
 記事では、マネーゲームの風潮を揶揄しながら、最後に、製造業者の感想を掲載する。「額に汗を流して働かずに金儲けをするという風潮がひろがると、人はまともに働かなくなる」と。
 ここには、とんでもない誤解がある。

 「額に汗を流して働かずに金儲けをする」というのは、悪いことでも何でもない。むしろ、良いことだ。人類の進歩の過程は、ずっとこの道筋をたどってきた。昔は、百姓であれ、石炭労働者であれ、額に汗を流して働いて、そのあげく、食うや食わずやだった。いまでは、クーラーの効いた部屋で、汗も流さずに働く人が多い。それは決して、悪くはない。もちろん、机のパソコンに向かうだけで金儲けをする人もいるが、それも悪くはない。
 また、投資家を全体としてみれば、世間に余っている余剰な資金を利用して、有効な事業に投資して、社会の富を増やしているのだから、これも決して悪くはない。具体的にイメージを浮かべよう。
 資産家A ……「金を、女遊びや、ギャンブルや、海外旅行に使う」
 資産家B ……「金を、投資に向ける。その投資で、誰かが有益な生産活動をする」

 前者は、自分の金を使うだけであり、良くも悪くもない。
 後者は、自分の金を誰かのために使い、あとになって、成果の何割かを受け取る。彼は何割かを受け取るが、金を借りた方も何割かの利益を得る。増えた分の利益を、両者で分けあうが、社会全体で見れば、明らかに利益が増えている。

 だから、投資家が投資をすることは、決して悪いことではないし、むしろ、良いことなのだ。「マネーゲームはけしからん」というのは、「酒や女に金を使え」ということであり、むしろ、その方が良くない。
 では、マネーゲーム問題は、何か? 

 投資家全体では、投資は良いことだ。ただし、投資家全体のうちの部分を見ると、得をする投資家と損をする投資家がいる。もっとはっきりと言えば、五分五分ではなく、一部の勝者と、残りのカモだ。
 マネーゲームで設ける人は、いる。ただし、それは、ごく少数である。その少数の人間だけが、勝者となる。一方、「自分も勝者となれる」と信じて参入する、大多数がいる。これらは、カモである。
 たとえて言えば、宝くじやギャンブルだ。多くの人は、「自分も勝者となれる」と信じて、宝くじやギャンブルにのめりこむ。そのあげく、損をする。これらは、カモである。
 
 この原理は、次の一言でまとめることができる。
 「マネーゲームは、ゼロサムである。」
 どこかで百万円のプラスが出れば、どこかで百万円のマイナスが出る。差し引きして、総和は、ゼロである。これが原則だ。
 一般に、(長期的な投資はともかくとして) 短期的な投機では「ゼロサム」という原理が成立する。「マネーゲームで儲かる」というのは、「短期のゼロサムゲームで、勝者は儲けた」というだけのことだ。つまりは、「バクチをやったら、バクチの勝者は儲けた」とうだけのことだ。
 ここで問題点は、何か? 「勝者は汗を流さずに勝ったからけしからん」ということではなくて、「勝者の陰には、敗者がいる」ということだ。だから、朝日の指摘は、見当違いだし、むしろ、有害なのである。「勝者がいるぞ、だけど、うまいことをやったやつは、けしからん」というふうに羨ましがりながら妬むことではなく、「彼らはたまたま勝っただけで、いつ破綻するかわかったものじゃない」と真実を指摘することだ。
 五分五分のサイコロ博打を百万人がやれば、五十万人が得をして、五十万人が損をする。バクチを二回やっても、二十五万人が得をする。というわけで、投資家全体のうち、何千人かが大儲けしたとしても、別に不思議ではない。……ま、ちょっとは才気のある人なら、大儲けすることもできるだろう。ただし、その陰には、「才気があったのだが、不運のせいで大損した」という人もいる。一般に、ギャンブルというものは、どんどん儲かることも続くが、あるときいっぺんに破綻すると、それで「ジ・エンド」となる。ただし、その場合は、自分では自慢しないので、新聞記事にはならないが。「馬鹿なやつ」と軽蔑されるだけだ。

 新聞の目的は何か? 真実を報道することだ。「ギャンブルはゼロサムゲームだから、勝者と敗者がいる。勝者もいるが、敗者もいる。誰もが儲かるわけではない。勝者は、敗者の金を奪っているだけだ。あなたがわけもわからずに参入すれば、カモになる可能性が極めて高い」と危険性を指摘することだ。
 詐欺師には詐欺師のテクニックがある。詐欺師のテクニックも知らずに、アマチュアがプロの詐欺師と詐欺ゲームをやろう、なんて思うのは、途轍もなく危険なことだ。
 正しい新聞は、そのことを指摘する。朝日がどういう新聞かは別として。

 [ 付記1 ]
 長期的には、株式投資は、若干の利益を得る。しかしそれは、株価収益率に相当するものであって、マネーの金利とたいして違いはない。
 マネーゲームで大金を生むのは、株式投資ではなくて、ゼロサムゲームである。そこでは、誰かが得して、誰かが損をする。
 例外的に、ゼロサムなのに誰もが得をすることがある。それが「バブル」だ。誰もが得をする。ただし、それは、思い込みにすぎない。みんなが「儲けた、儲けた」と喜んでいるが、やがて、「富はどこでも増えていない」と気づく。そのとき、バブルが破裂する。
 こういう事実を指摘するのが、マスコミの使命だ。……朝日はそれとは正反対のことをやっているが。よほどカモを増やしたいらしい。詐欺師の手先。

 [ 付記2 ]
 本質をわかりやすく示すために、たとえ話を述べよう。
 朝日の記者が賭博場に行った。サイコロでバクチをしている。で、彼は、取材することにした。
 「誰か、金儲けした人はいますか?」
 すると、全員が手を上げた。一人は1円しか儲けていないが、他の人は少額から多額まで、いろいろと儲けている。そのうち、うまい記事を書けそうな相手として、最も金儲けした人にインタビューした。
 「どうやって儲けたんです?」
 「イカサマさ」と答えたのは、詐欺師。
 「サイコロの目を盗み見たんだよ」と答えたのは、インサイダー。
 「圧力と脅迫さ」と答えたのは、村上 fang 代表。
 インタビューを受けて、朝日の記者は、こう書いた。
 「マネー至上主義がはびこっている。お金を回すだけで巨利を得る連中が増えている。嘆かわしい。額に汗を流して働く風潮は、どこへ行ったのか」

 さて。この記事は、とんでもないデタラメだ。次の点で。
 「お金を回すだけで巨利を得る」というふうに書いている。しかし、正しくは、こうだ。
 「マネーゲームでは、ゼロサムである。利益もあるが、それと同額、損がある」
 「利益を得た人もいるが、損をした人もいる。」
 「インタビューをした全員が、利益を得ていた。しかし、マネーゲームに参加した全員が、利益を得たのではない。前回利益を得た人が、次の機会に参加できるだけだ。」
 「つまり、残っているのは、利益を得た人だけだ。破綻した人は、すでに退場したから、そこにはいない。それだけのことだ。決して、全員が利益を得たのではない。目に見えないところに、大損をして苦しんでいる人が、たくさんいるのだ」
 これが真実である。しかるに、朝日新聞は、真実を隠蔽して、目に見えるところだけを記述する。そして「全員が利益を得る」という趣旨で書いてから、「マネーゲームは道徳的にはけしからん」というふうにだけ書く。そう書けば、「道徳的にはけしからんかもしれないが、マネーゲームをすれば、合法的に、楽して金を稼げるんだな」と思う人がたくさん出てくる。
 そうやって、錯覚を増やす。……とんでもない扇情記事だ。まるで悪魔の手先のような記事だ。決して、悪魔にだまされてはならない。

 [ 付記3 ]
 念のために注記しておこう。「マネーゲームをやると損をする」と述べているわけではない。ゼロサムなのだから、損をするとは限らない。実際、ボロ儲けしている人もいる。
 問題は、「儲けている人だけを見る」という見方で、「だから自分も儲かる」というふうに錯覚することだ。この錯覚が問題だ。
 「誰もが損をする」ということはない。儲かった人はいる。だからこそ、錯覚が生じる。「他人は得をした、だから自分も得をする」というふうに。ゼロサムの原則を忘れて、「右手でプラス、左手でマイナス」のときに、右手のプラスだけで見ようとする。
 本項が述べていることは、「株は必ず損をする」ということではない。「真実を見よ。錯覚するな」ということだ。なぜなら、朝日のような悪魔的なマスコミは、しきりに錯覚を掻き立てるからだ。

( ※ なお、本項と同趣旨の話は、過去にも書いた。→ 4月01日b , 4月30日 [付記], 9月23日 [余談], 5月21日b。  …… これらはいずれも、ゼロサムと詐欺師の話。)

 [ 余談 ]
 貴乃花がしきりに悪口を言っているのを見て、「なぜだろう?」と不思議がっている人がいる。わかりったことではないか。彼はこう言っていたのだ。
 「あいつは悪い。正しいのはおれだ」
 その意味は、こうだ。
 「あいつは悪い。ゆえに金を得る権利はない。おれは正しい。ゆえに金を得る権利がある。だから遺産は全部、おれのもの」
 つまり、こうだ。
 「俺のものは俺のもの 人のものは俺のもの だから地球は俺のもの なんでもかんでも いただき」  (ひょっこりひょうたん島の歌詞より。 (C) 井上ひさし  → 該当サイト
 貴乃花は、株取引で、大損をしたあげく、こういう人物になりはてた。大いなる錯覚のあげく、こういうふうになりはてた。
 貴乃花は、さんざん悪口を言っていた。そのあげく、今や、過去の自分の恥ずべき行為を、相手のせいにしている。「おれが悪口を言ったのは、おれのせいじゃない。相手が悪口を言われないように努力しなかったからだ。おれが悪口を言ったのは、相手のせいだ。相手が悪い」というふうに攻撃している。(つまり「黙っていたのが悪い」と。)
 いやですねえ。マネーゲームなんかをやると、人相が卑しくなるので、注意しましょう。


● ニュースと感想  (7月11日b)

 「憎悪か愛か」について。
 世界各地で、争いが起こっている。テロの争いや、靖国の争いなど。……しかし、大切なのは、争いよりも愛だ。
 わかりやすく言えば、野郎同士で喧嘩するよりも、美女と見つめあっている方が、ずっといい。そのことを、美女の画像を見て、実感しましょう。
  → Open ブログ ( 2005年07月10日 ) に、美女画像のリンク。

 いやあ、美人って、ホントにいいですね。じゃ、さいなら、さいなら、さいなら。 (^^)/~~~


● ニュースと感想  (7月12日)

 「米国の住宅バブル」について。
 米国の住宅バブルの危険性が、一部で指摘されている。日本では、指摘するマスコミは少ないが、米国のマスコミではかなり報道されており、それを引用する日本のエコノミストもいくらかいる。
 二つ、引用しよう。
 「米国では昨年1年で住宅価額が1兆ドルあまりも高まり、その約7割が現金化(FRBの調査)され、実需となって消費や追加住宅建設に回る。」「米国住宅バブルには日本の超金融緩和も少なからずかかわっている。」( 朝日新聞・夕刊・経済気象台 2005-07-06 。朝日のサイト にもある。)
 「住宅の過熱を示す指標は多い。未着工なのに販売済みの住宅戸数は現在九万戸に迫り、過去最高だった七〇年代を上回る。家計に占める住宅ローン残高も跳ね上がり、限界が近いと指摘される。」「米国の住宅資産価値は米国内総生産(GDP)の一四五%に相当する。これに対し、米株式市場は八〇%強。ネット株バブル当時でも一三〇%だった。」(日経金融新聞の一部。個人のブログ から、孫引き。)
 なお、米国の金利の変動については、最近のグラフがある。( → 該当サイト
 また、最近の円相場は、かなり低くて、1ドル=112円程度である。「昨年5月以来の円安になった」という報道もある。( 2005-07-07 )

 さて。これらを見て、私の解釈を示そう。
 
 (1) 原因
 原因の第1は、FRBの利下げだろう。日本のバブル時代に近い。景気があまり回復しないという理由で、過剰に金融緩和をするが、大量のマネーは、実需(設備投資)に向かわず、資産市場に向かう。かくて、資産インフレが起こる。つまり、「バブル」である。

 (2) 結果
 資産市場に入った金の多くは、「資産の売却益」または「資産の売却益の見込み(将来の受け取り)」の形で、消費に向かう。そのせいで、消費が増えて、一応、景気がいい。「おこぼれ」の効果が出ているわけだ。
 これがいわゆる「バブル景気」である。

 (3) 歪み
 バブルの本質は、何か? 実体経済を超えて、ゆがんだ形で経済が膨張することだ。その歪みは、二つある。
 一つは、資産インフレである。資産には適正価格がある。無限に価格が上昇することはない。当然、いつかは、価格は頭打ちになり、下落し、元も適正価格に戻る。そして、下落しはじめたときがバブルの破裂の開始だ。
 もう一つは、過剰なマネーだ。実体経済には適正な貨幣量がある。適正な波形量を超えた分が、過剰なマネーだ。その分のマネーは、バブルの破裂とともに、縮小する。逆に言えば、過剰なマネーが、バブルを引き起こす。
 というわけで、この二つは、表裏一体である。

  (4) 本質
 この歪みは、減税による消費と比べると、はっきりする。
 減税の場合には、多くの国民が減税を受けるが、同時に、その分、国債が発行されるので、国債所有者が国債購入の形で、消費を減らす。一般的に言えば、こうだ。高齢者が、千万円の金をもっているとき、その千万円の金を、今すぐ全部使うことをやめて、国債を購入する。国は、国債を売却して得た式で、国民に減税をする。この場合、マネーの総額は変わらない。高齢者が消費をするかわりに、国民一般が消費をする。そして、その後、国民一般が毎年少しずつ増税で金を払い、高齢者が毎年少しずつ国債償還で金を得る。……これが減税の場合だ。正常なら、こうなる。
 資産インフレの場合には、そうではない。多くの国民は、「将来得るはずの利益」をアテにして、勝手に消費を増やす。「千万円のはずの住宅が、二千万円になったから、千万円の利益を得たことになる」と帳簿で計算して、千万円のうちの何百万円かを消費に回す。しかるに、その後、いざ住宅を売ろうとしても、二千万円では売れない。一部の住宅だけなら高値で売れるが、全員が高値で売ろうとすれば、住宅は暴落するからだ。……これは、ネズミ講と同じである。ネズミ講が膨張している間は、全員が得をしたと錯覚していられるが、ネズミ講の膨張が止まると、「全員のプラスマイナスの総和はゼロである」(ゼロサムである)ということが判明する。土地取引というのは、しょせんはゼロサムにおけるマネーゲームであるから、全員が利益を得るということはありえない。誰かが千万円を得すれば、誰かが必ず千万円を損する。ただし、その損を将来に先送りしていると、全員が得をしたと錯覚していられる。そして、最後に、バブルが破裂したとき、損が一挙に襲いかかる。これもまた、ネズミ講の破綻と同様である。( → 前にも述べた。2月12日 「バブルとネズミ講」)

 (5) 予想
 米国の住宅バブルは、いつかはじける。それは当然だ。なぜなら、バブルは、何も生産しないからだ。先のITバブルのときには、「生産性の向上」という裏付けがあった。しかるに、住宅バブルでは、富はまったく増えない。要するに、米国の土地は少しも広くならない。ま、利便性だけなら年に3%ぐらいの向上はあるだろう。しかし、年に数十%も上昇する住宅バブルほど、土地の価値が上昇したわけではない。なのに、住宅バブルは、そのくらいたくさんふくらんでいる。当然、いつか、バブルははじける。

 (6) 影響1
 その結果、どうなるか? 米国のバブル景気は消滅して、景気が悪化する。それは当然だ。
 で、日本への影響は? 輸出企業を中心に、いくらか影響を受けるだろう。日本の景気回復が、内需拡大でなく外需拡大であったからには、当然だろう。頼みの綱が、消えてなくなる。

 (7) 影響2
 実需だけでなく、金融の面でも、影響がある。米国のバブルが破裂すれば、ドル暴落が起こりそうだ。
 というのは、現状では、米国の高めの金利を見込んで、日本から大量の資金が流出しているからだ。(米国国債の購入など。)……そのせいで、異常な円安となっている。しかるに、バブルが破裂すれば、今よりずっと円高になる。となれば、輸出企業には、「米国の需要減」だけでなく、「ドル安」「円高」というショックが襲いかかる。ダブルパンチだ。当然、日本にも、大きな影響が出る。
 おまけに、三つ目がある。急激にドル安・円高になれば、米国の国債を購入している日本の銀行などは、莫大な為替差損をこうむる。こういうことは、かつてもあった。あのころ、米国の国債を購入したあと、ドルの暴落が起こって、莫大な損失を出した。で、さんざん懲りて、「もう二度と米国の国債なんか買うものか」と反省した。しかるに、最近の日本のゼロ金利に耐えきれず、反省をけろりと忘れて、米国の国債をい購入するようになった。ふたたび、大規模に為替差損が発生する。その分は当然、日本の景気を悪化させる。

 (8) 対策
 これらへの対策としては、どうするべきか? 個々の企業で言えば、バブル破裂と円高を予想して、対処しておくべきだろう。米国国債なんかは、暴落する前に(または円高になる前に)、さっさと売却するべきだ。
 国家レベルでは、日銀は過剰な量的緩和をやめるべきだ。これは何度も、私が指摘したとおり。日銀が莫大なマネーを出しているから、マネーが米国に移って、住宅バブルを引き起こす。
 マネタリストは、それに反対する。「量的緩和をやめれば、日本の景気回復が腰折れする」と。いやいや、とんでもない。量的緩和をやめても、減税をすれば、むしろ景気は順調に回復するのだ。それこそが正解である。

 結語。
 減税をやらずに、すべてをマネーの量だけで片付けようとするから、マネーが異常にふくらんで、資産インフレを引き起こす。そして、その先にあるのは、バブル破裂である。
 経済というものは、マネーだけに着目するべきものでなく、実体経済の生産量に着目するべきものだ。本質を見失い、表面的なマネーだけで片付けようとするから、バブルの膨張を正しいことだと錯覚するようになる。
 バブルがふくらむときには、経済学者の妄想がふくらんでいるのだ。

 [ 補説 ]
 もっと大きな視野で、本質をとらえよう。
 米国で資産インフレが起こったのは、資金が大量に供給されたからだ。では、なぜ? 景気が望ましい水準に上昇しなかったからだ。雇用状況はあまり芳しくなく、景気の刺激が望ましい。また、物価も、あまり上昇しない。そこで、資金を大量に供給した。(日本のバブル時代に似ている。)
 では、その根源は? ブッシュ減税の効果が尻切れトンボに終わったからだ。なぜ? やはり、「金持ち減税」であったせいだろう。金持ち減税の「おこぼれ」のおかげで、生産活動はいくらか増えたが、しょせんは、「おこぼれ」にすぎなかった。根源的な経済規模拡大にはならなかった。というわけで、せっかくの減税も、効果は不十分になり、やがては尻切れトンボに終わった。そこでかわりに、金融緩和がなされ、その末に、バブルが起こったことになる。
   とすれば、なすべきことは、「金持ち減税」のかわりに、「均等減税」をなすことだったのだ。そうすれば、経済規模が全般的に拡大しただろう。一部の金持ちが所得を得て民衆が貧乏になるかわりに、民衆が金を得て消費を増やし、経済規模が大きく拡大しただろう。……それが正しい政策だった。
 結局、ブッシュ減税が間違った減税であったことで、その間違いの分が、資産インフレという歪みになって現れたわけだ。


● ニュースと感想  (7月13日+)

  (1)
 正誤のご指摘などを受け付けるサイトを開設しました。
  → nando ブログ

  (2)
 正誤訂正。
 前日分の正誤訂正。
   (誤) 「金持ち増税」
   (正) 「金持ち減税」
 修正しました。



● ニュースと感想  (7月13日)

 「プラスチックマネタリズム」について。
 日本では、マネタリズムの政策が無効になっている。いくら利下げをしても量的緩和をやっても、民間の投資は増えるどころか減るばかりだ。ここ数年、ずっとそうだった。
 そこで韓国のマネタリストは、うまい方法を考えた。「企業が投資をしないのならば、消費者が投資をすればいい。消費者の投資とは、消費の先食いのことだ。つまり、金を借りて、クレジットで消費することだ。これによって、消費が増えるので、景気は回復するはずだ」
 この方針で、「クレジットカードによる消費の優遇」に乗り出した。政府はクレジットカード利用の促進のために、あれこれと政策を打ち出した。クレジットカード減税やら、限度額の撤廃やら、カード発行基準の緩和やら。……おかげで、消費の拡大は大幅に進んで、景気は急速に好転した。98年には成長率はマイナス6.7%だったのに、個人消費が急に増えて、失業率も半減した。
 では、これで、大成功だったか? いやいや、そうはならなかった。カードによる消費拡大は進んだが、消費の拡大が過剰に進んで、借金漬けになった国民が多大に増えた。支払い延滞者は 400万人。経済活動人口(つまり大人)の6分の1にあたる。六人に一人が、カード破綻、という状況だ。彼らは破綻者の扱いで、経済行動を管理されることになった。健全な返済計画を立てることになり、そのせいで、消費活動は停滞する。03年から04年に書けて、民間消費の伸び率は2年続けてマイナスになる。これは韓国史上初めてのことだ。
( ※ ここまでの話は、朝日新聞の記事による。朝日・朝刊・経済面 2005-05-27 )

 まとめて言うと、「クレジットカードによる消費の先食いは、一時的には効果があったが、しょせんはただの先食いであるから、数年後には先食いした分を相殺するために、消費を減らすハメになった」ということだ。……わかりやすく言うと、「消費バブル」である。「先食いと相殺」という点では、日本のバブルおよびバブル破裂と、同じ構図だ。
 ただし、このことの本質は、バブルではない。マネタリズムだ。「企業が投資に金を使ってくれないのなら、消費者が投資ふうの先行消費に金を使ってくれればいい」というわけだ。企業には現金を融資するが、消費者にはクレジットカードで融資する。マネーの形態が違うだけだ。……これを「プラスチック・マネタリズム」と呼ぼう。(クレジットカードは現金と違ってプラスチックだから。)

 プラスチック・マネタリズムの間違いは、マネーがプラスチックであったことではない。マネタリズムの発想そのものが間違っている。ここに根源がある。
 まず、「投資と消費とは違う」ということが大事だ。投資ならば、事業活動を通じて、その投資の分を営業利益によって回収できる。しかし消費ならば、回収することはできない。せいぜい、将来の消費を抑制するだけだ。かくて、消費の縮小が起こる。……ここでは、投資と消費の原理的な違いを理解しよう。単に「先食いすればいい」というものではないのだ。

 さらに、本質的なことがある。「プラスチック・マネーの消費量は、人によってバラツキがある」ということだ。たとえば、多くの人が堅実に所得内で消費するのに、六人に一人は所得を大幅に上回って過剰消費する。国民の間で、消費態度にバラツキが生じる。一部の人はあまりにも過剰に消費し、多くの人は消費が少ないままだ。
 たとえて言おう。ある病気が流行った。そこで医者は、全国民に、「薬を与えるから、毎日一錠ずつ飲みなさい」と処方した。すると、どうなったか? まさしくそのとおりにすればよかった。ところが、マネタリズムの経済学者が、こう言った。「薬の総量だけが大事だ。総量さえ調整すればいい」と。政府はその方針に従って、最も低コストで済ます方法を取った。6分の1の人々に薬を大量に与え、残りの人々には薬をほとんど与えなかった。6分の1の人々は薬を飲み過ぎて体調を壊して重病人となり、残りの人々は薬を受けられないまま衰弱したままだった。
 これが韓国の状況だ。「薬(マネー)の総量さえ管理すればいい」ということはないのだ。「全員に適正な量」ということが重要なのだ。

 では、「全員に適正な量」ということは、どうすれば実施できるか? そのことは、簡単だ。「全員一律の減税」である。これならば、全員が適正量の金を受け取り、全員が適正量の消費を増やす。「全員一律」が大切なのだ。そのことは、薬の場合と、同様である。
 「全員一律」が大事だということは、韓国の失敗を見て急に気がついたわけではない。私は、最初のころから、そう主張している。( → 第3章
 韓国政府は、ようやく、「減税」の方針に転じたという。(朝日の記事による。)つまり、「プラスチック・マネタリズム」を捨てたことになる。では、日本は? 2周、遅れていますね。いまだに「投資の拡大」という古臭いマネタリズムを主張している。このあと、「消費の拡大」というタイプのマネタリズム(プラスチック・マネタリズム)に移行して、その後、「減税」というマクロ政策にたどり着くんでしょうか。……2周先の韓国に追いつくのに、何年かかることやら。少なくとも、小泉と竹中が退陣してからの話になりそうだ。また、たとえ二人が退陣しても、プラスチック・マネタリズムを採れば、状況は良くなるというより悪くなる。まともな首相ならば、最初から「減税」を取るが、それはいつになることやら。……現在の人々がみんな定年退職したあとのことかも。


● ニュースと感想  (7月14日)

 「土地マネタリズムと不良債権処理」について。
 不良債権処理進んで、不良債権の残高の割合が半減したという。そこで、朝日の社説はこう言う。
 「問題は解決しつつある。歓迎すべきことだ。しかし、公的資金の導入を受けた銀行の責任は重い。同じ間違いを繰り返さないために、どうしてこういうふうになったかを調べて、失敗の原因を検証すべきだ」(朝日・朝刊・社説 2005-05-27 )
 「失敗の原因を検証すべきだ」というのは、先日の社説と同じ態度。 ( → 5月28日 「キトラの失敗の原因を検証すべきだ」)
 しかし、こういう態度こそ、無責任である。なぜなら、反省が欠落しているからだ。(これも、キトラと同様。)

 銀行の不良債権の問題は、何か? 銀行経営のどこに問題があったか? 正解を言おう。
 不良債権の問題は、銀行経営の問題ではない。なぜなら、一つか二つの企業が倒産したのなら、そのような駄目な企業に融資した銀行の責任だが、日本中の企業が赤字になって、日本中でたくさんの企業が倒産したなら、それは銀行の責任ではないからだ。
 不良債権の問題は、「どうして駄目な企業に融資したか」ということではなくて、「どうして多くの企業が駄目になったか」ということだ。銀行資金の融資先の選択(= 銀行の融資資金の配分)の問題ではなくて、融資先の経営の問題なのだ。
 本質的に言えば、融資というマネーの問題ではなくて、生産活動という実体経済の問題なのだ。そして、それは、国全体で変動するときには、マクロの問題である。それは決して、銀行のマネーの問題ではない。

 なのに、ここを勘違いして、「実体経済の問題ではなくて、銀行のマネーの問題だ」と考えているのが、朝日の発想だ。(朝日のなかでも小林に洗脳された一派の発想。)
 こういうのは、「金本位制」ならぬ「土地本位制」または「資産本位制」に従うマネタリズムだ。これを「土地マネタリズム」と呼んでもいいだろう。「土地マネタリズム」は、こう主張する。
 「バブル破裂で地価が激減して、そのせいで担保価値がなくなり、融資を回収できなくなった。銀行の見通しが甘かったからだ」と。
 つまり、不況の責任を、政府の経済運営の失敗と見なさず、銀行の経営の失敗の責任と見なす。そして、「銀行の責任を追及せよ。検証せよ」とわめきたてる。そのことで、肝心の主犯である政府の責任を見逃す。

 では、なぜ、こういう間違いを犯すのか? 実は、「土地マネタリズム」の根源は、「土地」あるいは「資産」を重視することではない。土地のかわりに別のものを取ればいいのではない。「マネタリズム」という発想それ自体に問題がある。なぜか? 経済というものは、貨幣的な現象ではなくて、実体経済における生産活動の問題であるからだ。なのに、それを理解しないで、何でもかんでもマネーで片付けようとするところに、マネタリズムの根源的な錯誤がある。


● ニュースと感想  (7月14日b)

 「不良債権処理と銀行のエゴイズムと」について。
 私はすでに何度か、こう述べた。古典派的な「利益重視」「エゴイズム重視」は駄目だ、というふうに。(大意。)
 さて。このことは、経済一般にも当てはまる。そこで、特に、朝日と読売の経済部の記者に喚起しておこう。なぜなら、マスコミの経済面の記事は、やたらと、「利益重視こそ大事だ」という論調だからだ。
 たとえば、「不良債権処理が進んだのはすばらしい」と称賛する記事があふれている。(5月下旬ごろ。)
 しかし、勘違いしてはいけない。「不良債権処理が進んだ」ということは、「銀行が過剰に利益を上げた」ということであり、「その分、高金利になって、銀行の得た利益の何倍もの投資が抑制された」ということだ。要するに、日本全体の景気回復を犠牲にして、銀行だけが利益を増やしただけだ。

 仮に、こんなことがすばらしいのであれば、銀行はみんな高利貸しになればいい。年利5%どころではなくて、年利30%ぐらいにして、生産活動をする企業から、大幅に利益を収奪すればいい。そうすれば、銀行はますます太り、生産活動をする企業はますますやせ細る。
 今のマスコミにあふれているのは、こういうデタラメな「エゴイズム礼賛」ばかりだ。彼らは日本を救おうとしているのではなく、日本を破壊しようとしているのだ。エゴイズムを礼賛することで。つまり、「弱肉強食」の原理で、強者が弱者を食いものにして太ることを、無条件で是認することで。


● ニュースと感想  (7月15日)

 「靖国問題の注釈」について。  靖国をめぐる後藤田正晴へのインタビューが掲載された。(朝日・朝刊・特集 2005-07-13 )
 これを読むと、問題の混乱があるようなので、整理と解説をしておこう。

 (1) A級戦犯
 A級戦犯をめぐる扱いで、概念が混同しているようだ。というのは、A級戦犯には、二つの意味があるからだ。
  ・ 戦勝国(連合国)の国民に対する責任
  ・ 敗戦国(日本)の国民に対する責任
 この二つは、別のことだ。なのに、概念が混乱している。
 東京裁判で裁かれたのは、前者が理由だ。これは「勝者による裁判」であるから、たしかに問題がある。広島や長崎に対するトルーマンが裁かれないのは、もってのほかだろう。あるいは、不公平すぎるだろう。
 では、だからといって、A級戦犯は無罪になるか?
 前者の意味では、日本には権限がなかったのだから、何だかんだいっても、始まらない。これを拒否するのであれば、戦争を継続するしかなかった。「勝者による裁判は駄目だ」というのであれば、「ずっと戦争をし続けよ」と主張することになる。馬鹿げている。いずれにせよ、これは、当時の日本の問題であるから、今さら歴史を否定しても、仕方ない。
 一方、後者の意味では、どうか? 実は、これは、まったくなされていない。本来なら、日本自身が、A級戦犯を問題視するべきだった。とはいえ、これは、犯罪としての問題ではなく、政治としての問題だ。戦争の遂行は、権力者にその責任がある。政治責任が。……なのに、その責任を、これまでずっと無視してきた。ここに問題がある。本来ならば、国会などで、非難決議をするべきだったのだ。
 「東条英機以下の権力者は、日本国民を地獄に突き落とした」
 と非難決議するべきだったのだ。そうすれば、「A級戦犯か」というような議論なしに、これらの人物を「神」として崇めることの是非が、判明するはずだ。(でも、頭の悪い小泉にはわからないかもしれないが。 (^^); )

 (2) 慰霊の新施設
 慰霊の新施設を作ることをめぐって、靖国から問題視する声が上がっている。しかし、これは、とんでもないことだ。
 だいたい、「英霊を崇める権限は、自分たちだけにある」なんて、どんなツラを下げて主張できるのか? 戦没者に対する悲しみの心は、子孫たる国民の大多数が共有する。その悲しみの念の権限を、自分たちだけで独占しようとするのは、とんでもないことだ。
 当然ながら、慰霊はいつでもどこでも、そうしたい人がそうしたいときに、なせばいい。もちろん、そうしたい場でなせばいい。それは、靖国でもいいし、自宅でもいいし、寺でもいいし、新施設でもいい。どこであれ、慰霊の気持ちをいだくことはできる。
 靖国は、納骨の場ではない。遺骨を納める場ではない。慰霊の場であり、精神の場だ。とすれば、慰霊の施設が、日本のあちこちにできたとしても、まったく問題ではない。
 日本のあちこちの山や海岸に行くと、「戦没者への慰霊碑」という石碑がときどき目につく。こういう慰霊碑は、日本中にたくさんある。そのすべてを廃止して、靖国だけに慰霊施設を独占させよ、というのは、とんでもないことだ。
 「新施設は駄目だ」と主張する人は、まず、これらの慰霊碑を目に入れるべきだ。
  → 画像検索 (慰霊碑)

 [ 付記 ]
 この記事では、小泉が参拝を「個人の信条で」というふうに説明していることを取り上げて、「個人と総理の区別」をした中曽根康弘と対比している。
 実は、ここに、小泉という人物の本質がある。彼は、一国の首相である前に、一個の個人である。そして、その個人が、首相としての職務に、優先する。「自分が何をしたいか」ということを優先させて、「首相としての職務」を個人の信条に従属させる。
 政治の私物化。……これが小泉の本質だ。「景気回復」をそっちのけにしての「郵政改革」も、これで理解できる。要するに、一国にとって何が大切かが問題なのではなくて、自分が個人的にどんな「政治ごっこ」をしたいかだけが問題なのだ。
 政治ごっこをする幼児首相。


● ニュースと感想  (7月15日b)

 「ブログのデザイン」について。  ブログのデザインを格好良く決めたい人は、次のサイトで、デザイン・テンプレートを入手して、ご利用下さい。私のデザインしたものです。
  → ブログテンプレート Seesaa

  ※ Seesaa というブログ会社の専用です。他のブログには使えません。
    ただし、ブログは、この会社が一番お勧めです。無料。


● ニュースと感想  (7月16日)

 「都市開発」について。  六本木の都市再開発の計画が示された。「東京ミッドタウン」という名称。
   → 産経新聞三井不動産

 開発理念は「日本のデザイン力」で、デザイン活動を重視した場にするという。(朝日・朝刊・経済面 2005-07-15 。配置図つき。)
 さて。似たような都市開発は、他にもいろいろとなされている。画像情報は下記。
   → 筑波学園都市お台場レインボータウン横浜みなとみらい

 これらの都市開発について論じよう。私の結論は、こうだ。
 「これらの都市開発では、建築家が図面でデザインしたものであるに過ぎず、人間が実際に住むには不適切である」
 これは、よく言われる話である。私の独創的な意見ではない。しかし、何度も言われながら、建築家は同じ失敗を何度も繰り返す。
 建築家にとって、建築とは何か? ただのデザインである。彼らは本当は彫刻家になってデザインをやりたかったのだが、芸術家になるには才能が不足していたので、建築でデザインごっこをやる。で、そこでは、形だけが優先され、実用性はまるきり無視されるから、人にとっては暮らしにくい。多くの人が迷惑を受けているのに、建築家はちっとも反省しないで、「デザイン、デザイン」とだけ言い立てる。
 今回の六本木の計画もまたしかり。こうして東京は人間無視の無機的な近未来都市になる。たぶん、人間ではなく、ロボット向けなのだろう。
 具体的には、どこがどうまずいか? こうだ。
 要するに、「エリア分け」などの(机上の)概念のせいで、人間にとっては最悪の場所である。ここにいて快適なのは、自動車で移動して高級レストランで食事するエグゼクティブだけだ。足で歩いて、気ままに買物をしよう、と思う人にとっては、ここは地獄である。めざすものは何もなく、クタクタになるまで歩かされて、何も得られない。
 どこでもそうだ。筑波でも、レインボータウンでも、みなとみらいでも。……で、今度また、同じような都市ができる。
 都市再開発というより、都市奇形化と呼ぶべき。

 [ 付記 ]
 「美しい街」という言葉で思い浮かぶのは、映画「去年マリエンバートで」。そのロケ地は、マリアンスケ MARIANSKE という語で検索できる。画像も見つかる。


● ニュースと感想  (7月17日)

 「お金の儲け方」について。  ネットでお金を儲ける方法がある。いわゆる「アフィリエイト」というもの。読者がクリックすると、ホームページまたはブログの開設者にお金が入る。
 これは、広告がうざいので、私は自分のブログからは消しておいたのだが、消す前に残していた部分のおかげで、いつのまに入金があった。20円だって。  (^^);
 大々的に展開すると、もうちょっとお金が入りそうだ。月に何万円か、稼ぐ人もいるようだ。特に、商品紹介のサイトだと、クリックの効率が高いらしい。
 で、そういう人は、どうすればいいか? 「アフィリエイト」を自由に設定できるブログやホームページを持つことだ。一番お勧めなブログは Seesaa だ、というのは定評がある。これは私の意見ではなくて、世間の定評だ。(私自身はやったことがないので、何とも言えませんが。)

 ただし、Seesaa は、ブログのテンプレートが最低で、見映えが悪すぎる、というのが、定評だ。しかし、この問題は、私のサイトのテンプレートを使うことで、解決ができる。
   → ブログテンプレート Seesaa
 このサイトは、一昨日にも紹介したが、本日新たに、装いを一新した。この装いを含むテンプレートは、そのうちいつか、新たなテンプレートとして登場する予定。
 このサイトのテンプレートを使って、お小遣いを稼ぐことができます。  (^^);
( ※ テンプレートとして、「きれいなヌードのテンプレート」を仮公開中。)

 [ 付記1 ]
 私はなぜやらないか? 私はハシタ金には興味がないんです。マクロ経済学者が扱うのは、百兆円単位の金だ。その1兆分の1みたいな金には、関心がない。逆に、古典派は、こういう金を貯めることをこつこつとやろう、と主張する。そのあげく、日本経済に、百兆円単位の損失を与える。
 小泉も竹中も、百兆円単位の金を扱うには、向いていない。百円単位が適切だろう。……彼らには、お小遣いを上げるだけで、十分だ。

 [ 付記2 ]
 私はアフィリエイトはやっていないつもりだったが、改めて自分のサイトを見てみたら、アフィリエイトがついていた。知らぬまに。
 普段は Firefox と adblock を使っているので、アフィリエイトの広告が表示されない。しかし、MS-IE で見ると、表示される。
 これでようやく、わけがわかった。そういうわけだったのか。ふむふむ。……とりあえず、サンプル用に、現在のアフィリエイトを残しておきます。見たい人は、見てください。別に、クリックする必要はありませんが。  (^^);
( ※ ついでだが、アフィリエイトをやるのなら、amazon がとても効率が高いらしい。やっている人は多いですね。……私はとにかく、やりませんけど。一番訪問者の多い「小泉の波立ち」には、今後も広告は載せません!! )
( ※ 私はなぜ、小遣い稼ぎをやらないか? 「金より女」が私のポリシーだ。  (^^); )


● ニュースと感想  (7月17日b)

 「経済財政白書」について。  経済財政白書が発表された。「日本経済はバブル経済崩壊後の低迷から脱却した」と明言している。そして、「この先の成長は、生産性の向上による」と主張している。(各紙・夕刊 2005-07-15 )
 ここで発表されたことは、二重の意味で間違っている。根本的に狂っているのだ。

  (1) 評価
 第1に、評価だ。「すばらしい状態になった」と自慢しながら評価するのは、とんでもないことだ。「ここまでずっと無為無策できました」と反省するべきなのだ。「構造改革をした効果がありました」というふうに嘘を述べないのはいいが、「構造改革なんてのは口先三寸で、実は何もしなかったのですが、いつのまにか、最悪の状況ではなくなったようです」というふうに述べるべきだ。
 要するに、天気の評価と同じである。日照りのときに「日照りを何とかしてくれ」と農民が為政者に頼んだ。するとコイナカという為政者は、「構造改革」と唱えるだけで、何もしなかった。南堂という変人は、「潅漑施設を作って水を導入せよ」と提案したが、為政者はまったく聞く耳をもたなかった。かくて、状況は、悪化していくばかり。……ただし、五年たつと、いつのまにか、日照りは収まった。被害はこれ以上、悪化しなくなった。すると、為政者が、自慢した。
 「これは、われわれの政策のおかげである。もはや日照りの時期を脱却したと宣言する。この先の見通しは明るい。われわれのすばらしい成果だ」
 で、南堂久史という変人が、質問する。
 「で、あんたの政策ってのは、何だったんですか? 『ほーほけきょ』と泣くことだったんですか? 『コーゾーカイカク』と泣くことだったんですか?」
 するとコイナカは、こう答える。
 「われわれの政策とは、自由放任である。つまり、何もしないことだ。小さな政府にして、民間の自助努力に任せることだ」  「へえ。無為無策ですか。……ジーコと同じだね。赤ん坊の方がまだマシかな。なぜなら、どうせ何もしないとしても、赤ん坊は給料がいらないからね。」
 
 (2) 縮小均衡
 以上のことは、ただの態度の問題だから、経済の実態とは関係ない。馬鹿が自分を「利口だ」と威張ることは、態度の問題ではあるが、実態の問題ではない。では、実態では、どうか? 馬鹿がまさしく馬鹿である問題は、どうか? 
 これについては、先の「日照り」のたとえ話を考えよう。
 日照りが続いたあとで、日照りが収まった。食物はろくに残っていなかったが、山には果実やドングリがあったので、人々はかろうじて餓死を免れるようになった。では、このとき、状況は改善したのだろうか? 
 実は、為政者の「無為無策」という方針のまま、五年たったとき、人口は半減してしまっていた。人々が餓死してからだ。かくて、食物は半分しかなくても、人口が半分であるせいで、かろうじて需給は均衡した。これ以上、餓死者は出なくなった。縮小均衡である。
 これを見て、為政者は自慢した。
 「どうだ。需給は均衡した。状況は改善したのである。われわれが自由放任の政策を取ったせいで、過剰な人間がどんどん餓死していった。かくてついに、均衡が実現したのである。このあとは、あらたに人間を誕生させればいい。せっせと子作りに励もう。ただし、赤ん坊を生んでも、赤ん坊は生産性がゼロである。だから、赤ん坊を教育して、ほんの数年間で、大人の労働をできるようにしよう。赤ん坊の労働成長力いかんで、今後の日本の成長は決まる」
 馬鹿げた話だ。せっかくの立派な大人を「余剰だ」という理由でどんどん餓死させておいて、今度は大人を「必要だ」という理由で「赤ん坊を促成で大人にせよ」と主張する。人間を捨てて、人間を誕生させる。……まるで人間を試験管で促成栽培できると信じているようだ。狂気の沙汰だ。

 この問題の本質は、「縮小均衡」という概念で説明される。
 需要が不足すると、需給ギャップが生じたとしよう。このあと、二通りの処置がある。
 第1に、「需要」を増やすことだ。「需要」を増やす形で均衡をもたらせば、経済は正常化する。別に何も問題はない。元に戻るだけだ。
 第2に、「供給」を減らすことだ。せっかくある機械をぶちこわしたり、せっかくの労働力を解雇して破壊することだ。一種の経済テロである。
 この二通りのどちらでも、「均衡」は達成される。そして、私は前者を主張するが、コイナカくんは後者の方法を取った。かくて、日本には、大量の餓死者(失業者)が出た。
 で、このあと、失業者がまともな労働者になればいいわけだが、そんなことは、簡単ではない。覆水盆に返らず。たとえば、若者で言えば、せっかくの大事な二十代を、ただのフリーターとして過ごしてしまったせいで、貴重な経験を重ねる機会をなくした。具体的に言うと、金型業界は今は好調だが、大量のリストラをしたせいで、高齢者ばかりになり、次世代の労働者が育っていない。このままだと、高齢者が退職したあとで、日本経済そのものが崩壊しかねない。
 コイナカくんのやったことは、経済テロである。日本の生産力を「過剰だ」という理由で次々とぶちこわしていった。そして、それを、「過剰なものを破壊したぞ」というふうに、大々的に自慢するのである。需要を増やすべきときに、逆に、供給を減らして、それを自慢するのだ。経済テロ。
 たとえて言おう。あなたの給料が減った。そのとき、あなたには、二つの道がある。一つは、減ったものを増やすこと。つまり、給料を増やすこと。これなら、元に戻る。もう一つは、給料が減った状況に合わせて、状況を均衡させること。たとえば、給料が一人分だから、妻と離婚する。あるいは、妻を餓死させる。で、そのあとで、状況が改善したら、離婚した妻(あるいは死んだ妻)をふたたびよみがえらせようとする。

 政府は「過剰が消えた」と自慢する。しかし、「過剰が消えた」というのは、いわば、妻を離婚または死別で失うのと、同じことだ。それが縮小均衡だ。
 大切なのは、均衡ではない。元の状況に戻すことだ。給料が減ったなら、給料を増やすことだ。減った給料に合わせて人数を給料に均衡させることではない。
 政府はここを勘違いして、「均衡状態になった」と自慢する。……狂気の沙汰ですね。

( ※ 余談だが、朝日は例によって、「自由こそすべて」という古典派の立場から、小泉を支持している。[社説・16日]。「一つの内閣のできることは限られている」というふうに述べて、上記の成果を是認している。ひどい不幸な目に遭わされて、さんざん幸福を奪われたのに、それがストップしたという理由で、「もうこれ以上は不幸にならない」と喜んでいる。不幸になればなるほど、不幸がストップしたときの喜びが大きいという理由で、不幸にしてくれた相手を称賛する。……マゾですかね。)

 [ 付記 ]
 では、どうすればいいか? 財政白書は「小さな政府を」と提言する。しかし、この発想そのものが、根源的に狂っている。それは経済学の主張ではないからだ。
 そもそも、「小さな政府」とは、何か? 
 ケインズ流の公共事業(政府の浪費)をやめることを意味するのであれば、それは正しい。
 マクロ経済学の景気調整をやめることを意味するのであれば、それは正しくない。「無為無策」を主張するのは、ジーコと赤ん坊だけでたくさんだ。
 いわゆる「小さな政府」論は、この両者をごっちゃにしている。つまり、こうだ。
 「大きな政府は、無駄な公共事業をやるので、悪い。ゆえに、小さな政府にして、無為無策でいることがいい」
 これは理屈になっていない。たとえれば、こうだ。
 「金持ちの親は、無駄な浪費をたくさんやるので、悪い。ゆえに、貧乏な親にして、出費を最小にして、家族を餓死させるのがいい」
 では、正解はは? こうだ。
 「手持ちの収入のなかで、最適の配分をすればよい。無駄を削減して、必要な経費を出す」
 要するに、「無駄をやるのはいけないから、必要な経費も出さずに、何もしないのがいい」ということにはならない。なのに、「小さな政府」論は、ここを勘違いしている。論理の倒錯。……政治的なキャッチフレーズ(嘘のプロパガンダ)にはなるが、経済学にはならない。


● ニュースと感想  (7月18日)

 「恋愛情報サイト」について。
 電車男みたいな「ネット恋愛」や、「萌ちゃん」みたいな「バーチャル恋愛」がはやっているが、リアルな恋愛の方が大切だ。その実例を読みたい方は、こちらをどうぞ。(お暇な人向け。)
   → 結婚をすれば過去を忘れられますか
   → 2人の男性から1人を選ぶ
 後者を読むと、少子化を解消できそうです。少子化の根源も推測できる。(理由はオタクじゃないみたいですね。)

( ※ この二つのページのあるサイトは、「教えて goo 」と中身は同じだが、こっちが本家。なお、「今週妻が浮気します。」というのが有名だが、これは、一般受けするだろうが、IQの低い人向けの話です。電車男と、大同小異。私のページを読む人には、お勧めしません。ドタバタ調ですね。)
( ※ このサイトは、先日の「トイレの話」から検索で見つけたもの。このサイトでは、何でもかんでも、よろず相談を受け付けている。パソコンで困ったら、このサイトで相談しましょう。……ただし、回答者のレベルは、保証できませんが。)

 参考。恋愛初級者向けの基礎指南。
   → 理系のための恋愛論
 私がざっと見たところ、イロハのイみたいな話。それすらも知らない人には、役立つかも。算数で言うと、1桁の足し算の段階。役立つかどうかは、人それぞれ。

 参考。次のサイトもある。これはなかなか、まともなことを書いている。ためになることも多い。
 → 朝日 com 恋愛相談
    ※ 右上をクリックすると、過去の質問の一覧が表示される。
       特に、これは面白い。 → No. 423
       これに対する正解は、私は知っているけど、教えてあげません。  (^^);
    ※ 一般的にいえば、恋愛の基本原則は、「適材適所」である。
       万人に適する共通処方を考えるより、相性を第一に考えるべきだ。


● ニュースと感想  (7月19日)

 「血液型と性格」について。
 血液型と性格について、雑談ふうに述べておこう。(この話題の記事が、読売新聞・朝刊 2005-02-23 にあった。朝日・夕刊 2005-01-18 にもあり、「民放で血液型番組が過熱していて、自粛を求める動きがあった」という趣旨だった。少し前の週刊 AERA にも、似たような話があった。)
 「血液型と性格」については、世間で結構話題になっている。全面肯定したり、全面否定したり、どちらかに極端になることが多いようだ。しかし本当は、そのどちらも正しくない。
 まず、血液型と性格に、関係が「あるか/ないか」と言えば、「どちらも正しくない」、あるいは、「あるとないの中間である」というのが正解だろう。
 まず、「まったく無関係だ」ということはない。性格というものは、太っているとか痩せているとか、頭がハゲかどうかとか、美貌かどうかとか、そういう肉体的なことに、いくらか影響される。とすれば、血液型だけがまったく無関係だ、ということはないだろう。
 しかし、だからといって、「血液型が性格のすべてを決める」というのも、行き過ぎだ。特に、「気が強い」とか「わがままだ」とかいうのは、「血液型とはまったく関係ない」と言ってもいいだろう。
 
 では、正しくは? 次のように言えるだろう。
 (1) 違いは微妙である。統計的に見ても、「その傾向が強い」ということが言えるぐらいであり、白黒を決めるようなわけには行かない。
 (2) 血液型は、性格というよりは、相性を示すのに適している。

 特に、後者に着目すると、血液型の性格診断はかなり有益だ。自分とは反対の血液型の人に対して、その血液型の性格をよく理解するのに役立つ。つまり、同じ性格を見ても、見る人の受け止め方で判断が異なる、ということを理解するのに役立つ。
 例を示そう。
 要するに、「他者の理解」と「自己の反省」のために、血液型の知識は役立つ。ひるがえって、他者を非難するために血液型診断を使うのは、血液型診断の誤用である。民放のテレビを見ると、この手の非難の応酬や、一方的な決めつけが多いが、とんでもないことだ。
 科学というものは、込み入った現実を分析しながら正確に理解するためにあるのであって、込み入った現実を勝手に単純化して誤解するためにあるのではない。

 「馬鹿とハサミは使いよう」とも言う。核技術や電子技術も、使い方しだいで、悪にも善にもなる。血液型診断も、同様だろう。誤用すれば害だらけだが、うまく使えば結構役立つ。
 「相手を非難するためでなく、相手をよく理解するために、血液型診断を使う」
 というのが、取るべき態度だ。「血液型ですべてがわかる」というのは非科学的だし、「血液型なんてまったくのデタラメだ」というのも非科学的だ。良し悪しを一方的に決めつけず、上手に使えばよい。

 [ 余談1 ]
 では血液型の話を、どういうふうに使うと、上手に使えるか? 
 たとえば、私の例がある。自分とは反対の血液型の美人ちゃんと、血液型を話題にして、「こうだね、ああだね」と反対の性格を噛み合わせて、うまく仲良くなれました。凹と凸みたいなもので、反対だとかえってうまく噛み合います。一方、ぶつかりあう場合もありますが、そこで血液型の知識を使うと、喧嘩しないで済みます。どういうときに相手が怒るか喜ぶか、ちゃんと予想がつきますから。
 血液型の知識をうまく使うと、おたがい、理解し合えるし、許し合えます。「人間、完全な性格などはない。自分も相手も一長一短だ」と悟ることで、人間性をよりよく理解できます。
 ついでだが、「あいつはの血液型は 型だから、ひどい性格だ」と決めつける人がいる。そういう偏見をもつ人は、根源的な人間性に欠陥がある。そんな欠陥人間は、A型でも、B型でも、AB型でも、O型でもない。AHO型とでも言うべき。

 [ 余談2 ]
 「自分と同じ血液型が偉い」なんて主張する連中は、下らない連中が多いね。そういう連中は、「オレは利口だ、オレは利口だ」と威張っているばかりで、まったくの厚顔だ。こういう連中とは、付き合いたくないね。
 逆に、「自分とは違う血液型の友達と知り合いたい。特に、自分とは正反対のタイプの血液型の友達がほしい」と思う人は、他人に寛容で、自分に厳しい。友達にするなら、こういうタイプがいいね。
 なお、「女性にモテるにはどうすればいいか?」という質問をたまに受ける。そこで、答えよう。服装やヘアスタイルなんか、関係ない。見てくれよりも重要なのは、人柄だ。大事なのは、次のことだ。
 「自分のことを自慢したりしない。逆に、相手のことを理解しようとする。」
 この方針からすると、テレビの血液型番組というのは正反対だ、とわかる。まったく、テレビで血液型の番組を作るのは、ひどい連中が多いようだ。こういう連中は、尊大な人々ばかりなのだろう。こういう連中は、男に嫌われるだろうし、当然、女性にもちっともモテないでしょうね。同じ血液型の同性だけという狭い世界で、つるんでいればよろしい。

 [ 余談3 ]
 なお、典型的なタイプになる場合と、そうでない場合とがある。たとえば、「典型的な 型」である男性と、「典型的な 型」である女性との場合だと、血液型の相性の話がなかなかうまく適合するものだ。
 一方、そうでない人(血液型のタイプにうまく当てはまらない人)もいる。こういう人には、血液型の話はうまく適合しないから、血液型だけで決めつけるべきではない。
 たとえて言うと、青と赤とはまったく別の色だが、世の中には、灰色っぽい青の人もいるし、灰色っぽい赤の人もいる。こういう人に、「青だ」「赤だ」とタイプを当てはめても、あまりうまく話が適合しない。

 [ 余談4 ]
 ついでに言うと、血液型とはまったく別の次元で、「強気/弱気」というのもある。これはこれで、けっこう重要な性格の区別法であるから、こちらも重視するといいだろう。
 ( 例 )
 Q 南堂久史の性格は? 
 A 「強気か弱気か?」と言えば、明らかに「強気」である。
   一方、血液型で言うと、
      ・ 傍若無人で非協調的  …… イエス
      ・ 細かなことを気にする  …… イエス
      ・ 複雑で、統一性がない …… イエス
      ・ 単純で、愛を重視する …… イエス
   どの血液型だかさっぱりわかりませんね。  (^^);


● ニュースと感想  (7月20日)

 「ゴミの持ち帰り」について。
 札幌のモエレ沼公園については、7月01日c の最後 でも軽く言及した。このモエレ沼公園で、ゴミが広く散乱しているという。理由は、「ゴミの持ち帰り」を名分として、公園内にゴミ箱を置かないから。( → 朝日・朝刊・投書欄 2005-07-18 )
 ひどいですねえ。美しい公園が、ゴミだらけ。投書者は、「ゴミの持ち帰りは当然だ」と主張して、利用者のモラルを問題にしているが、モラルで済ませようとしても、現実は変わらない。どうしても現実を変えるなら、次の二通りのどちらかだ。
  ・ ゴミを捨てた人を、法律違反として、逮捕する。
  ・ ゴミを捨てないように、システムを整える。

 前者の場合、莫大な警察官を配備して、違反者をどんどん逮捕する必要がある。罰金を払えない人は、監獄行きだ。たくさんの監獄を建設する必要もある。……こうなったら、あちこちでポイ捨てした人がどんどん逮捕され、日本は暗黒社会になるかも。(でもまあ、シンガポールではやっているが。また、千代田区の「煙草ポイ捨て禁止条例」もあるが。罰金2千円。……ただしこれは、対象領域が限定されている。神戸市だと、罰金2万円。)

 後者は? 簡単だ。
  ・ 公園の出口に、ゴミ箱を置く。
  ・ 公園内にも、ゴミ箱を置く。ただし、利用は有料。レジ袋一つ分で、百円。
 これを見たら、誰だって、公園の出口でゴミを捨てるでしょう。これで、公園内はきれいになる。

 現状は? 「莫大なゴミを、家まで持ち帰りましょう」だ。で、何のために? 何のためでもない。ただの無意味なスローガンのためだ。「家まで持ち帰る」なんてことは、何の必要もなく、むしろ、不衛生なだけだ。夏なら、衛生上の問題がある。こんなことを推進するのは、狂気の沙汰だ。
 レジ袋有料化といい、ゴミの持ち帰り運動といい、まったく意味のないことを、ただのスローガンのために実施する。馬鹿げている。
 そういえば、「構造改革」という無意味なスローガンもあったな。だまされて洗脳される国民と、だまして国民を洗脳する首相とは、相性がいい。いつも仲良し。


● ニュースと感想  (7月20日b)

 「無線通信の新技術」について。
 公衆的な無線LANなどの新技術が話題になっている。通常は、特定のアクセスポイントの近辺で使用する。ただし、それだと、自動車などで移動しながら使うのに不便だ。そこで、強力な電波を発する基地局を使って、移動しながらでも使えるようにする、という新技術があるそうだ。WiMAX または モバイルWiMAX という。読みは「ワイマックス」。また、「iBurst」という技術もあるという。読みは「アイバースト」。(朝日・朝刊・経済面 2005-07-18 )

 なるほど、メリットはあるだろう。では、デメリットは? 「心臓のペースメーカー」という問題がある。この件は、前にも述べた。
 携帯電話は、それ自体が強力な電波発信機(放送局)であるから、そこから出る電波のせいで、ペースメーカーが異常を起こすことがある。特に、ペースメーカーは、携帯電話のように短期間で買い換えられるものではなく、何年もずっと埋め込まれたものであるから、古い機種に対する対処が必要だ……という話。( → 3月22日b

 で、冒頭の新技術をちょっと調べて見た。どうも、基地局の電波発信方式の改善ばかりだ。(指向性の電波発信。)
   → 参考情報1参考情報2
   局側の発信はともかく、端末の発信では、強力な電波を発するようだ。となると、何らかの対処が必要だろう。
 一律に「禁止せよ」とは言わないが、携帯電話などの端末については、「強力な電波の発信」を禁止するべきだ。ただし、車両のアンテナ(屋外のアンテナ)については、禁止しない。どうせそんなところには、ペースメーカーは近づかないからだ。……こういうふうにすれば、端末は小さな電波で済むから、システム全体を禁止する必要はなくなる。

 [ 付記 ]
 ともあれ、新技術については、デメリットを十分に理解しよう。
 たとえば、ペースメーカーへのトラブルについては、次の報告がある。
   → 124機種のうち8機種のペース・メーカーが誤動作
 しかしながら、政府は、次のように述べている。
   → 無線LANやRFIDの電波がペースメーカーに与える影響は軽微
 つまり、いい加減な、小規模の限られた調査だけをして、「大丈夫です」とお墨付きを与えて、事実を隠蔽し、ペース・メーカーの利用者の生命を危険にさらす。……殺人犯かテロリストみたいなものだ。
 これを聞いても、「ふん、おれは知ったこっちゃないね、まだ若いし」と思う人も多いだろうが、さにあらず。今は高齢化社会だ。あなただって、今は良くとも、年を取れば、ペースメーカーのお世話になるかもしれない。あなたが「ふうっ」と一息ついて、シルバーシートに座ったら、同じシルバーシートの隣席に坐っている若者が、ケータイを取りだして、話をしようとする。あなたが「やめてくれ」と頼むと、若者は「うるせえ。政府が認めた機械だ」と言って、電源オン。とたんに、あなたのペースメーカーは異常を起こして、心臓がストップ。おじゃん。
 特に、グルメ三昧で、肥満気味または酒飲みの人は、要注意。(私は違いますが。  (^^); )


● ニュースと感想  (7月20日c)

 愛知万博では、いろいろと新技術が紹介されている。ただし、問題点もあるだろう。

   → Open ブログ (7月19日の箇所)


● ニュースと感想  (7月21日)

 「スパイウェアと情報漏れ」について。
 スパイウェアの記事がある。「添付ファイルをクリックしたら、スパイウェアがインストールされてしまった。知らぬまに、銀行のパスワードを盗まれて、銀行口座から金を引き下ろされた」という例。(週刊朝日・最新号)

 別にあわてて騒ぐことじゃなくて、昔から想定されていたことだ。ネットバンキングなんて、危険がいっぱいなんだから、原則として、やるもんじゃないんですよね。クレジットカードの利用も同様だ。
 とはいえ、ネットでのクレジットカードの利用をやめると、いろいろと不便なこともある。そこで、対策を示しておこう。
 何だか、面倒ですねえ。
 どうしてかというと、現在のパソコンが根本的に駄目だからだ。「一つのOS上であらゆる作業をできる」という「高機能」を追求したから、その高機能を利用して、スパイウェアなどのウィルスが暗躍するわけだ。
 だから、根本対策としては、「高機能」とは逆の、「機能の遮断」というシステムを備えたOSを作成すればよい。その具体的な例は、先に述べた。「マルチOSマシン」という概念である。 ( → 12月12日c
 これはつまり、上の「古いパソコン」を、ソフト的に、一つのパソコン内に組み込むことだ。
 パソコンAのなかに、別のパソコンBが、仮想的に存在する。両者のOSは分離している。両者の通信は、メールなどのデータのみが可能となり、ソフト的な制御はできない。パソコンAは、普段、ネットでもメールでも、普通に使って良い。一方、パソコンBは、ネットバンキングなどの専用マシンだ。……しかも、パソコンBは、ただのソフトではなくて、仮想マシンである。パソコンAのOSの制御を受けない。もちろん、パソコンAの内部のウィルスやスパイウェアの制御を受けない。パソコンAからパソコンBに伝わるのは、データ(文字・画像データ)だけであり、ユーザーの確認・認証を受けたものだけだからだ。
 こういうパソコンは、できないものですかねえ。つまり、マルチOSマシンをもたらすOSがあればいい。Mac あたりが頑張ってくれれば、相当、シェアが伸びるはずなんだが。

( ※ パソコンBというのは、特に複雑なOSである必要はない。単にネットバンキングなどの操作だけができればいい。昔のワープロ専用機並みの能力があれば十分だ。むしろ、いろいろと余計な機能を組み込むと、有害無益だ。)

 [ 付記 ]
 現状はどうか? 提案とは対極の状況にある。特に、政府・官庁のサイトがひどいようだ。引用すると、こうだ。
 「現状、Webを閲覧利用するにあたって、JRE(Javaの実行環境)のインストールを求められるのは、民間商用サイトにおいてはめったにないことだと言ってよい。それに対し、政府系の電子申請システムを利用しようとすると、大半のケースでJREのインストールを求められる。これは、ファイルに対する電子署名の処理をクライアント側で行うようにしたこと、採用したXML形式による署名のためにJavaライブラリが充実していることなどが原因だろうか。」( → 高木浩光のページ(このサイトはなぜだか、つながりにくい。「再読込」でつながる。)
 要するに、Windows などのパソコン環境において、さらに特別なソフトをインストールしないと駄目、ということ。しかも、そのインストールしたものが、バクがあったりするから、ちょいちょいアップデートの必要がある。もう、メチャクチャである。
 本来ならば、その逆にするべきだ。「文字データとパスワードの認証」という最低限のことだけを整備しておく。つまり、携帯電話でもPDA(のような単純なマシン)でも簡単に接続できるようにする。そして、それと同様の仮想マシンを、パソコンで(別のOSの上で)使えるようにする。

 これができない限りは、物理的にマシンを切り離すしかない。つまり、二台のパソコン、という案だ。(これは、しばしば言われる提案だ。私も以前、似た話を述べたことがある。)


● ニュースと感想  (7月21日b)

 「錯視のサイト」について。
 朝日新聞 be 日曜版の記事にあった「錯視」の画像が、本人のサイトで紹介されている。
  → 該当サイト
 円形の画像が回転して見える。ただし、視野の周辺部のみ。(視野の中央部は除く。)
 本人の解説( pdf ファイル)もあるが、原理については、特に何も書いていないようだ。ただの紹介のみ。(学界でも定説はなく、意見は百花繚乱であるようだ。)

 私なりに、おおまかに原理を推測しておこう。この錯視には、残像( afterimage )が影響しているはずだ。また、「眼球は常に微動している」ということもある。
 一般に、周辺視野では、青の感受性が高い。また、黄色は、青の補色に近い。(本当は「青 ←→ 橙」、「黄 ←→ 紫」だが、似たようなものだ。)
 ただし、具体的に、どういう原理でどういうふうになるかという細部は、不明。


● ニュースと感想  (7月22日)

 「ファイル交換ソフト」について。
 Winny や WinMX などのファイル交換ソフトがある。このソフトの提供者が違法と認定された、という報道があった。( → 検索
 これに関連して、「ファイル交換ソフトは読者にとっては有益だ」という視点からの記事が出た。あれやこれやと、ファイル交換ソフトを擁護する。(朝日・朝刊・特集 2005-07-20 )

 たとえば、計量経済学者の調査を示す。ファイル交換される数と、CDの売上げ数とを、比較して、こう結論する。
 「ファイル交換をする人は、どのみちCDを購入しない」
 で、何が言いたいか? 「だから、ファイル交換を制限しても、CDの売上高は増えない」ということだ。
 しかしながら、この結論は、現実に反する。CDの販売数量は、年々、低下しているのだ。楽曲の利用者は、iPod などの普及のせいで大幅に増えているのだが、音楽会社の手取りはかえって減ってしまっている。このままでは、音楽会社が消滅する危険もある。
 比較すると、30年前には、音楽会社は非常に栄えていた。レコードがたくさん売れて、金がどんどん入ってきて、世間をにぎわす楽曲もたくさん流れた。で、今は? 音楽の好みは分散化されて、特定のアーティストに人気が集中するということはなくなったが、それでも、全体としては、音楽はかつてと同様に栄えている。しかしながら、音楽を作成する側の収入は、大幅に減ってしまった。経営困難になった企業も多い。グラモフォンという企業は、最高レベルのブランドを誇る会社だったが、経営難から身売りされてしまった。日本でも、つぶれたり、つぶれかけたりしたレコード会社は、たくさんある。

 では、なぜ? 著作権が十分に保護されていないからだ。読者が「自分はタダで著作物を使いたい」という方針を取り、国家がその方針を維持するから、著作権者ばかりが割を食う。そのせいで、著作権者がどんどん衰退する。
 これは、一国全体を見れば、タコが自分の足を食うようなものだ。タコの口(くち)は、「おれは何か食えればいい」とだけ考えて、足のことなど考えていない。だから、自分の足をどんどん食う。やがて、足が消えて、本体が消えれば、タコの口も消滅してしまうのだが、そこまで頭が働かない。「今さえ良ければいいさ」と考えて、目先のものをどんどん食い尽くす結果、やがては、本体を消滅させてしまう。
 で、こういう方針を擁護するのが、たとえば、今回の朝日の記事だ。

 大切なのは、読者が今の時点で「足を食うこと」ではない。「食うもの(著作物)が存在すること」である。そして、著作物を存在させるには、著作権者の権利を擁護することが、絶対に必要だ。
 だいたい、どうしても金を払いたくなければ、著作権フリーのものだけを利用すればよい。たとえば、ネット上には、素人の作曲した音楽がたくさんある。それだけを聞いていればいいだろう。
 一方、プロの手間暇かけた高品質の音楽もある。これらを無料で勝手に利用することは、泥棒だ。
 朝日の記事(22日)には、「私的複製は著作権法の範囲内だ」という視点で、ユーザーの利点ばかりを掲げているが、何か、とんでもない勘違いをしているようだ。
 「私的複製は一般ユーザーの権利である」
 というようなことは、決してない。あらゆる権利は、著作権者にある。ただし、一般ユーザーには、私的複製をすることが、容認されているだけだ。容認されていることと、自己の権利があるということは、まったく別のことだ。
 仮に、「私的複製は一般ユーザーの権利である」とすれば、著作権者が自己の作品を公開停止にすることも、禁止されるだろう。そうなれば、一般読者が、その著作物を見ることができなくなるからだ。しかし、著作権者が自己の作品を公開停止にすることは、任意である。あらゆる権利は、著作権者にある。似て食おうが焼いて食おうが、本人の好き勝手だ。
 たとえば、私がこのページに何を書くかは、私の好き勝手である。一方、「読者には、小泉の波立ちを読む権利がある。ゆえに、毎日執筆し、毎日無償で公開せよ」などと読者が私に要求することはできない。仮に、そんなことになったら、日本は暗黒国家だ。
 著作物については、著作者が全能の権利を持つ。それがつまり、「表現の自由」ということだ。
 この原則を無視して、著作者よりも社会や読者を優先する立場を取ると、言論や芸術は衰退してしまう。そして、実際、音楽産業は衰退してきているのだ。そのうち、プロの音楽家がすべて消滅してしまうこともあるかもしれない。
 だからこそ、著作物については、「金を払うかどうか」よりも、「著作物が存在するかどうか」つまり「著作権者の立場が守られるかどうか」が、最優先の課題となるのだ。
 要するに、「泥棒行為」を正当な権利のごとく扱うようでは駄目だ、と言える。

 参考として、話を付け足しておこう。
 駄目な国の例として、中国や旧ソ連がある。芸術家は政府公認となり、公務員となり、生活は保障されたが、国家全体は、「言論の自由」のない管理国家となってしまった。……「タダならいい」という発想の行きつく先は、こういう管理国家だ。そこでは、「タダであることが前提された」という類の作品が流通し、「自分の力で作品を書いて販売する」という道はふさがれる。
 朝日の記事が推進しているのは、こういう暗黒国家だ。表現の自由を推進するはずのマスコミが、表現の自由をつぶす方法をせっせと推進しているのだ。

 [ 付記1 ]
 前述の計量経済学者の調査について、経済学的に説明しておこう。
 この調査では、ファイル交換される数と、CDの売上げ数とを、比較して、こう結論する。
 「ファイル交換をする人は、どのみちCDを購入しない」
 ここから、こう主張する。
 「だから、ファイル交換を制限しても、CDの売上高は増えない」
 しかしながら、この主張は、成立しない。なぜか?
 この主張は、「ファイル交換をする人の数が一定であれば」ということが仮定されている。しかしながら、その仮定は成立しないのだ。
 問題は、「ファイル交換をする人が何をするか」ではない。「ファイル交換をする人」の数が増えていることだ。「ファイル交換をする人がCDを買うか買わないか」が問題になっているのではなくて、「ファイル交換をする人が増えていること」が問題となっている。
 たとえて言おう。こういう主張がある。
 「病気で寝ている人は、どのみちスポーツに金を払わない」
 そこで、こう主張する。
 「病気の人を寝かせても起こしても、スポーツに払う金は同じだ」
 なるほど、特定の病人については、その通りだ。A病院のB棟にいる患者C氏をどう扱おうが、スポーツに払う金は同じだ。しかし、日本全体を見れば、「病気の人を治療して健康にする」ことによって、スポーツに払う金は増える。(逆に言えば、日本中の人を風邪で病気にすれば、スポーツに払う金は減る。)
 上記の計量経済学者は、計算法は正しくても、論理を間違えているのだ。
 この手の誤りは、古典派経済学者が、至るところでやらかしている。「全体量の変化を無視して、全体量が一定であると仮定する」という誤りだ。

 [ 付記2 ]
 「私は著作物の私的複製なんかしない。自分で作成したもの(ビデオ撮影したDVD)だけを使う。だから、著作権の保証金を、一般のDVD料金に上乗せして払うのは、おかしい」
 という主張もある。これは、まったく、もっともな主張である。……とはいえ、結論がまったく間違っている。
 「だから金を払いたくない」
 というのは、正しくない。
 「だから、DVD機器を利用しない」
 というのが正しい。DVD機器は、著作権のあるものを私的複製することもある、ということを前提にして、大量に製造販売されたものだ。そのせいで、安価になっている。これを利用しなければよい。かわりに、「著作権のないものだけを作成する」という独自規格の機器を利用すればいい。
 たぶん、機械は1台1億円以上になり、媒体は1枚百万円ぐらいになるだろう。そういうものを使うべきなのだ。
 通常のDVD機器や媒体がごく安価なのは、「私的複製をしてよい」ということが前提となっているシステムだからだ。そのシステムを拒否して、そのシステムの「安価」というおいしいところだけつまみ食いしようとするのは、とんでもない発想だ。
 たとえば、「美人だが金がかかる」という女がいる。このあと、どうするか? 
  ・ この美人を得て、金を払う。
  ・ この美人を諦めて、金のかからない女を選ぶ。
 どちらかにするしかあるまい。「この美人を得て、金を払わない」というふうになると、二人の関係が破綻する。「いいところだけつまみ食いしよう」という自分勝手な発想は、成立しないのだ。
( ※ なお、美人はDVDのこと。便利で安価なDVDシステムに、8円ぐらいを余分に払うか。あるいは、余分の8円を惜しんで、超高額の性悪女みたいな機器を使うか。)
( ※ 本項は、美人妻と結婚して金に困った横綱を、皮肉るために述べているのではありません。)


● ニュースと感想  (7月23日)

 「Yahoo と広告とアフィリエイト」について。
 Yahoo の決算が出た。また大幅に伸びた。売上高が400億円弱で、利益が200億円弱。利益率は約50%。これはネット広告の市場が伸びたせい。(各紙・朝刊 2005-07-21 )
 まったくボロい商売をやっているものだ。先行者の知名度を生かして、市場の大半を握る。ゲイツ流・孫流の経営方法。(違法すれすれの行為も含む。)ま、それとは別に、google は別の方法で、広告でボロ儲けをしている。( → ニュース

 さて。これを「指をくわえて黙っているのは悔しい」と思う人のために、アフィリエイトというものがある。自分のホームページまたはブログに、広告画面を置いて、それをクリックした人が買物をすると、サイト主である自分にお金が入る、というものだ。
 これには二つのタイプがある。プロバイダ(ホームページまたはブログの管理会社)が、広告に、関与するものと関与しないものだ。
  ・ プロバイダが関与しない …… サイト主が自分で広告を選ぶ。
  ・ プロバイダが関与する   …… プロバイダが広告を選ぶ。
 後者は、設置する手間がいらない。たとえば、Seesaa というブログ会社では、初期設定で、この広告画面が現れるように設定されている。別に何も設定しなくても、この広告が現れるようになっていて、広告内容が自動的に更新される。同じ広告がずっと現れるわけではないので、注目率が高く、その分、広告の成功率が高いらしい。
 アフィリエイトは、有料のプロバイダでは問題ないようだが、無料のプロバイダでは、自社の広告だけを認めて、サイト主であるユーザーが自分で勝手にアフィリエイトを設置することを認めていないこともあるようだ。(Livedoor では最近すったもんだがあったらしい。)とはいえ、ユーザーの設置するアフィリエイトをしっかり認めているブログもある。Seesaa と FC2 がそうだ。この二つのブログが人気だ。(口述の参考ページなどによる。)

 さて。本項の記述の目的は、読者にアフィリエイトをお勧めすることか? そうではない。小遣い稼ぎをするかどうかは、各人の勝手であり、私は関与しない。
 私が言いたいのは、「こういう商売もある」ということだ。たとえば、Seesaa というブログ会社は、無料でブログを提供してくれていて、ユーザー独自のアフィリエイトを認めてくれたりして、ユーザーにとってはとてもありがたい。では、なぜ、この会社はこんな無料サービスを提供するのか? ただの善意で?
 違う。これはこれで、ちゃんと商売になるからだ。自社設置のアフィリエイトが自動的に設置されることで、自社にも金が入る。ユーザーにも金が入るが、ブログ会社にも金が入る。ユーザーにとって有利であればあるほど、ユーザーが増えるから、ブログ会社も(率ではなく総額で)たくさんの金が入る。……というわけで、ブログ会社もちゃんと商売になっているわけだ。
 で、それというのも、プロバイダの運営費が今はとても安くなっているからだ。パソコン代も安いし、ネット接続料も安いから、サーバーの運営費はすごく安い。で、ちょっとした広告代ぐらいで、十分に商売にになる。……かくて、Yahoo の真似をして、金儲けをすることが可能になる。
 Yahoo は自分でプロバイダとサイト主を兼ねているが、これを分離することで、多くの人々が、Yahoo の物真似みたいなことができて、金儲けができるわけだ。

 こういうふうにして、アフィリエイトなどの広告が増えると、ネットは広告だらけになるが、それはそれで、ことさら悪いことではない。
  ・ ユーザーは、広告で小遣いを得る。
  ・ ブログ会社は、小遣いを渡す前に、手数料を得る。
  ・ 広告会社は、高額の Yahoo よりも低額の料金で、小口の広告を出せる。
 三者がそれぞれ得をする。しかも、読者は、無料でブログを読める。……結局、いいことずくめだ。( Yahoo にとっては市場独占ができなくて困るが。)

 結局、何が言いたいか? こうだ。
 「(アフィリエイトなどの)広告掲載というシステムが用意されたおかげで、高機能のブログを無料で利用することもできる」
 広告というものは、決して、社会の有害物ではない。民放のテレビを見ると、「うるさいCMばかりで困る。こんなものはなくしてしまえ」と思うかもしれないが、そう思ったら、NHKのように有料化されるか、あるいは、民放そのものがなくなってしまう。
 コンテンツ(情報番組など)というものは、決して、無からは生じないものだ。誰かが手間暇かけて発生させる必要があるし、そのためには、読者が何らかの対価を払う必要がある。その対価を払う方法が、「金を払う」ことのかわりに「広告を見る」ことだ。
 広告というものは、決して、社会の有害物ではない。それはメリットとデメリットをともに持つ一般物である。「デメリットがあるから、広告なんか捨ててしまえ」という発想を取ると、本体のコンテンツそのものが失われてしまう。
 マスコミの記事にはしばしば、「読者こそが王様であり、読者にすべては奉仕するべきだ」という論調があるが、そんな発想を取ると、コンテンツの作製者が奴隷となり、コンテンツそのものが失われてしまう。
 大切なのは、読者が偉いかどうかではない。読者が存在できることだ。つまり、コンテンツが作成されることだ。そして、コンテンツが作成される環境を整えるには、「広告」はとても有効なのだ。(残るのは「有償化」しかない。)

 [ 付記 ]
 というわけで、私は、「ネットで小遣い稼ぎをする」という風潮を、非難することはない。そういう風潮があるからこそ、そのおこぼれをもらって、私は Seesaa にあるOpenブログを、「広告なし」で利用することもできる。(この場合も、Seesaa は別に損をしない。というのは、その分、Seesaa ブログが宣伝されるからだ。)
 ただし、勘違いしてもらっては困るのだが、「ネットで小遣い稼ぎをする」という風潮を、推進しているわけでもない。その証拠に、私は、Openブログを、「広告なし」にしている。
 広告というものは、必要悪の一種なのである。なくなっては困るが、あればいいというものでもない。なぜなら、やたらと広告を掲載すると、サイトの趣旨が、広告の影響を受けるからだ。「金儲けをしてやろう」という色気がでると、記事がしらずしらず歪んでしまう。たとえば、「トヨタの悪口を言うと、広告のクリックが減るな」なんていう判断が働く。……これじゃ、私が日ごろやっているマスコミ批判が、おのれの身に跳ね返ってしまう。
 というわけで、私としては、広告を掲載しない。小金は手に入らなくても、痩せ我慢である。武士は食わねど、高揚枝。  (^^);

 [ 補足1 ]
 アフィリエイトをやりたい人は、ネット上で検索するといい。アフィリエイトのやり方について、いろいろと知識を得ることができる。この件について専門的に解説したブログもたくさんある。たとえば、こうだ。
   → 参考ページ1参考ページ2参考ページ3

 [ 補足2 ]
 客の立場で考えよう。私が調べたところでは、アフィリエイトを経由する商品は、その分、値段が高くなっていることがある。(特に、高額の商品の場合。)
 たとえば、eMachine というパソコンは、販売会社の直販に比べて、amazon の価格は、少し高い。「amazon 経由で誰かがパソコンを買うと、その3%がおれの手元にはいるから、おれはボロ儲け」と思う人もいるだろうが、その分、客は損をする。サイト管理者は自分の利益を上乗せして、客に紹介販売しているわけだ。……サイト管理者は、高値販売に関与していることになる。別に、悪いことではないが、客にとっては損である。(ただし、必ずしも損ではない。なぜなら、それで eMachine を購入した場合、何も知らずに店頭で高額の国産マシンを買うよりは、ずっとマシだからだ。)
 また、楽天のアフィリエイトの料率を見ると、15%ぐらいの手数料をくれる店もある。「ずいぶん気前がいいな」と思うかもしれないが、実は、そういう店は、「いかがわしい」という感じの商品を売っていることが多い。原価が10%で、粗利益が70%ぐらいで、残りの20%ぐらいを、販売店に回す、という感じだろう。クソ商品を高値でつかませるわけだ。そのために、ブログ主を犬のように利用する。  (^^);
 ま、とにかく、アフィリエイトというのをやると、資本主義の経済システムの内部に、自分も取り込まれることになる。言論の自由を守り、中立化していることは、困難になる。……マスコミというものが、思考を汚染されがちなのは、資本主義の宿命なのかもしれない。そして、それだからこそ、私がいつも口をすっぱくして、喚起を促しているわけだ。

 [ 補足3 ]
 なお、アフィリエイトをまともにやる気なら、「ユーザのためになる」という方針を貫いた方がいいだろう。クソ商品を並べると、サイトの信用度が薄らぐ。そしてまた、もっと大切なのは、サイトの内容自体を高めることだ。
 そして、サイトの内容を高めることの、目的が重要となる。自分の小遣い稼ぎが目的か? もっと別のことが目的か? ……私の場合は、後者だ。自分の財布だけに千円札を入れることが目的なのではなくて、日本人全体の財布に一人あたり数十万円か数百万円を入れることが目的だ。そして、そのことは、可能なのである。マクロ経済学を利用すれば。
 逆に言えば、マクロ経済学を理解しないから、日本人はこの十数年間、数百兆円の富を失ってきた。そのあげく、かわりに、アフィリエイトで百円玉を稼ぐハメになったのだ。


● ニュースと感想  (7月23日b)

 「レカミエ夫人」について。
 レカミエ夫人は、フランス史上最高の美女ともいわれ、しばしば肖像画に描かれた。その肖像を、ブログのテンプレートにした。この美女の肖像画を、あなたのブログに飾ることができる。( Seesaaブログ限定だが。)

  → ブログテンプレート Seesaa 「レカミエ」
  (「サンプル」という語をクリックすると、サンプル画像のページに飛ぶ。)

 ともあれ、フランス史上最高の美女の画像は、ここにある。


● ニュースと感想  (7月25日)

 「コジェネとハイブリッド」について。
 コジェネは有望な技術だが、まだまだ実用化にはほど遠いようだ。モニターを対象とする実験的な事業はなされているが、コストが高く、普及価格の十倍ぐらいするらしい。(朝日・朝刊・特集 2005-07-21 )
 コジェネは、十年ほど前に大々的に提唱されて以来、技術開発は進んだ。それでも、このありさまだ。
 とすると、燃料電池というのは、まだまだ先のことになりそうだ。「普及価格の十倍」になるのさえ、あと十年ぐらいはかかりそうだ、という見込みだからだ。……遠い夢の夢。

 さて。その一方で、面白い技術がある。「ハイブリッド車に充電して、電気自動車にする」というアイデアだ。
 私はこれを自分で思いついたとき、「うまいアイデアだ」と思った。だが、あにはからんや。ネットを見ると、同じことを考えた人が、すでにいた。
  → 『プリウス』を改造、家庭のコンセントから充電可能に
 トヨタはこの提案に批判的である。ふうむ。なるほど。トヨタというのは、頭が悪い。こういう先行的な技術を見たら、さっさと取り込んでしまうのが利口なのだが。
 トヨタがやらないのなら、日産やホンダがやればいい。トヨタのハイブリッド技術は、そのうち過去の遺物になるかもしれない。

 なぜか? 私が考えたのは、「充電することでガソリン代を浮かす」ということではない。「充電することで石油資源を節約する」ということだ。次の経路。

 夜間の余剰発電(風力発電・原子力発電) → 夜間に自動車に充電 → 昼間に自動車を走らせる

 これだと、燃料電池よりも、さらに効率的なエネルギー利用となる。だいたい、燃料電池というのは、コストがかかるし、環境にも害がある。なぜなら燃料の水素を作成するのに、けっこうエネルギーを必要とするからだ。その点、風力や原子力なら、環境の面ではかなり有利である。

 結語。
 究極のクリーン自動車は、燃料電池車ではなくて、電気自動車(充電式自動車)である。それは「ハイブリッド車」という形で実用化するのが、最も実用的だ。普段は電気とモーターで走り、急加速をするときだけガソリンエンジンを使う。……この方が、燃料電池車よりも、ずっと実用化が早い。燃料電池車と違って、私たちが生きているうちに実用化する可能性が高い。
 アホなトヨタはやらないかもしれないが、利口な自動車会社はこれをやりましょう。
 
  【 追記 】 (2005-07-25 )
 注釈しておくと、本項で述べた「コジェネ」は、家庭用の小型のコジェネ。それが実用化段階に達していないことを述べている。一方、大規模施設では、かなり前から実用化されているという。( nando ブログに来た読者のコメントから。)
 ついでに言うと、コジェネについては、私は肯定的である。ただし、「家庭用」という方針は、まずい。効率が低いからだ。「大規模で」「マンションなどで」というのが、私の主張だ。この件は、前にも述べた。( → 1月24日 [ 付記 ] )
 なお、本項の趣旨は、「コジェネは困難だ」ということではなくて、「簡単なコジェネすら、(家庭用の)実用化は容易ではない。新技術の開発というものは、一朝一夕には行かない」ということ。で、「燃料電池なんていう夢の技術を宣伝する、新聞社の妄想にはだまされないようにしよう」ということ。


● ニュースと感想  (7月24日b)

 「google マップ」について。
 google マップの使い方。
  → Open ブログ ( 07月23日)


● ニュースと感想  (7月25日+)

 前日分への追記
  → 該当箇所

 すみません。記述が不正確でした。ぺこり。


● ニュースと感想  (7月25日)

 「中国通貨の切り上げ」について。
 中国の通貨が切り上げられた。幅は2%。(各紙・夕刊 2005-07-22 )
 まず、評価しておくと、これは「正しい」と評価できる。
  ・ 時期はなるべく早く (歪みの是正のため)
  ・ 切り上げ幅は小幅で (最初は小幅でよい)
 というのが私のお勧めの処方だったからだ。その意味で、今回の中国の決断は、なかなか妥当であった。(できればもっと早い方がよかったが。)

 さて。問題は、別のところにある。エコノミストの判断は、たいていこうだ。
 「日本にとっては、中国通貨が切り上げられた分、中国からの輸入品が高額になる」
 これは正しくない。なぜか? ここでは、次のことが仮定されているからだ。
 「日本の通貨は、ドルと連動している。」
 この仮定は、成立しない。中国通貨(元)が切り上げられれば、日本の円は、どうなるか? 
  ・ 円はドルと連動して、元に対して割安になる。
  ・ 円は元と連動して、ドルに対して割高になる。
 エコノミストの判断は、前者である。しかし現実には、前者ではなく後者になっている。ますこみにで回るエコノミストの判断は、とんでもない間違いであるわけだ。(古典派流の間違い。「……は一定であれば」と勝手に仮定するから。)
 こういう間違いをしないように、注意しよう。

 [ 付記1 ]
 理論的に言うなら、前者と後者の中間になるのが当然である。
 なお、通貨レートの根源は、貿易収支だ。米国みたいに赤字を垂れ流している国の通貨は、もっと大幅に切り下げられた当然なのだ。

 [ 付記2 ]
 日本への影響という面で言うなら、「損得の影響はなし」というのが正しい。どっちみち、固定レートが永久に続くはずはないからだ。可能な道は、次の二つ。
  ・ 通貨レートがなだらかに少しずつ変動する。
  ・ 通貨レートが固定されていたあとで、一挙に大変動する。
 この二つしかない。ところが、巷にあふれる論調は、次の二つだ。
  ・ 通貨レートが変動する。
  ・ 通貨レートが変動しない。(永久に)
 後者は、原理的にありえない。なのに、ありえないものを想定して、比較している。馬鹿げている。

 [ 付記3 ]
 この馬鹿げたことをやる、という愚を犯したのが、以前の日本だ。
 「円安はいい」という主張をずっと取った。あげく、急激な円高を招いた。で、円高不況が来た。すると、マネタリズムの「量的緩和」という処方を取った。かくて、バブルの膨張。資産インフレ。妄想のあげくの過剰消費。……やがて、夢から醒めて、借金に気づく。とたんに、消費の急減。生産量と所得の急減。デフレスパイラル。……その穴から、いつまでも脱せない。
 すべての根源は、「円安はいい」「ずっと円安にすべし」という馬鹿げた主張による。ありもしないものを求めた結果、現実にしっぺ返しを受けた。……そして、そのことに、いつまでたっても気づかないのが、現状だ。愚かなマネタリストは、相も変わらず「量的緩和」のような金融政策ばかりを主張している。
 「自分は正しい」と信じている無反省な人間は、決して自分の誤りには気づかないものだ。


● ニュースと感想  (7月25日b)

 「デジカメ」について。
 デジカメの使い方。
  → Open ブログ ( 07月24日)







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「小泉の波立ち」
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