[付録] ニュースと感想 (90)

[ 2005.06.24 〜 2005.07.06 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

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       9月22日 〜 10月11日
      10月12日 〜 11月03日
      11月04日 〜 11月27日
      11月28日 〜 12月10日
      12月11日 〜 12月27日
      12月28日 〜 1月08日
    2002 年
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       4月17日 〜 4月28日
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       7月11日 〜 7月19日
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       4月26日 〜 5月11日
       4月26日 〜 5月11日
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    2005 年
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         6月24日 〜 7月06日

   のページで 》




● ニュースと感想  (6月24日)

 「米国の南堂久史?」について。
 日本では私は変人扱いされて孤立しているが、外国には、私に似た人がいるようです。

 (1) 米国の南堂?
 サイトの紹介。自国企業について悪口や批判を言う米国人のサイト。たとえば、「米国製品がダメなのはデザインがダメだから」という趣旨の英文エッセーがある。下記。
  → http://paulgraham.com/usa.html
 ※ 英文です。翻訳サイトなどをご利用下さい。 翻訳補助 もあります。

 (2) 韓国の南堂?
 韓国人のくせに、日本人を擁護する人も、少しはいる。有名なのは、「親日派の弁明」を書いた人。
   → 検索「親日派の弁明」

 で、彼は、どうなった? 韓国で袋田叩きになっている。  (^^);

 (3) 日本の反権力者の運命
 反権力になるにしても、私みたいに、意見を出すだけなら、まだ大丈夫。実際に証拠を握ったら、どうなるか? 暗殺されるようだ。実際、殺された議員がいる。犯人は不明だが、少なくとも、殺されたのは事実だ。
   → 事件の大略
   → 検索「石井議員の殺害」
 国会議員である彼は、大きなネタをつかみ、「いよいよ暴露してやるぞ」「だけど危険に襲われかけている」と言い出した直後に、殺害された。
 実際に逮捕されたのは、自首してきた下っ端のチンピラだから、当然、上のボスの命令でやったことになる。そのボスは、誰か? というより、ボスは誰の依頼を受けたのか? ……もちろん、闇のなか。
 ところが、遺族は、それじゃ収まらない。アメリカ人のジャーナリストが調査に乗り出した。なぜ? アメリカ人なら、殺されないはずだから。(日本のマスコミは、与党関係者に殺されるのが怖くて、黙っているが。)
 この話の詳細は、今週号の、週刊 SPA のマンガに書いてある。マンガといっても、フィクション漫画ではなくて、ジャーナリズム漫画。ぜひ、読んでください。(作者は、さかもと未明。倉田真由美じゃない方。……要するに、外国人と女性漫画家ならば、真実を暴露しても、殺されないで済む。私が同じことをやったら……怖いですねえ。)

 [ 付記 ]
 最後の話について、「まさかあ」と思う人は、甘すぎる。これと同様の例は、過去に何度もあった。たとえば、検察官が、検察庁の腐敗を暴露しようとしたら、逮捕されてしまった。とたんに、マスコミは、腰が引けた。その直前まで、「政府の腐敗を暴露する検察官」とヒーロー扱いして報道の予定を立てていたのに、逮捕のとたんに、「汚職検察官が逮捕される」と報道した。実は、濡れ衣だったんですけどね。
  → 検索「検察官の逮捕」
 要するに、「暴力団に嘘の虚術をさせて、逮捕させる」という手口だ。( → 本人の弁明
 特高と同じ手口。これをやられたら、どんな人物だって、逮捕できる。……でもまあ、彼は、殺されなかっただけ、まだマシだ。図に乗っていたら、日本政府に殺されていたはずだ。石井議員みたいにね。
 ついでに言うと、マスコミがどれをもほとんど報道しないのは、殺されるのが怖いから。そして、もう一つ。(今の)マスコミの使命は、真実の報道ではないからだ。……ウォータゲート事件の米国人記者とは、正反対。
 だから、私がうるさくしゃべっているわけ。私がしゃべらなくなると? レジ袋で、国民を抹殺するかも。  (^^);
 私がレジ袋をかぶって死んでいたら、政府に殺されたのだ、と推定してください。


● ニュースと感想  (6月24日b)

 「ブルーレイと HD-DVD 」について。
 次世代のDVD規格をめぐって、二つの規格がしのぎあっている。ソニーの「ブルーレイ」(BD)と、東芝の「HD DVD」だ。マスコミも侃侃諤諤、かまびすしい。
 私も外野から、ちょっと口を挟むことにしよう。私の個人的な予想では、次のようになる。
 「BD と HD は、ともに次世代技術とされるが、両者は競合しない。機能の面では競合するが、市場では競合しない。生産方式の面から、HD は、現状の DVD と競合する。その意味で、HD は DVD のシェアを奪っていく。機械の製造コストもたぶんほとんど同じで、現在のパソコンの DVD ドライブは、HD ドライブに置き換わっていく。その場合、最初は、録画は DVD で、再生は DVD と HD の兼用。このまま、しばらく続く。BD は、コスト的に、太刀打ちできない。先行した会社が高値で販売するのみ。……数年後になると、プレステ3の BD 大量生産の効果が出てくるので、BD も価格が下がる。そのころにようやく、HD から BD へ交替する。というより、BD が追加される。」
 つまり、こうだ。
   DVD → DVD+HD → DVD+HD+BD

 このあと、長い時間を経て、CD、DVD、HD の順でだんだん消滅する。いや、消滅しないかも。


● ニュースと感想  (6月24日c)

 Openブログにいろいろと記述を追加しました。(迷惑メール対策の話など。)
 こちらをご覧ください。
  → Open ブログ


● ニュースと感想  (6月25日)

 「シュレーディンガーの猫」をめぐって、先日の分(物理学における意味)に続いて、新たな話を公開した。

 (1) 短い加筆
 表紙ページの後半に、核心となる話を加筆した。短いが、重要。
   → 該当箇所

 (2) 長い加筆
 先日公開した「物理学における意味」のページに、補足的な話を加筆した。専門的だが、重要。
   → 該当箇所
   ( ミクロとマクロ / 量子力学の範囲 / 力と空間 )

 (3) 新ページ
 「観測問題」に絞ったページを、新たに公開した。内容的には新味はないが、厳密に話を展開したので、観測問題にこだわる専門家にとっては、役立つだろう。
(細かい話なので、読むのはしんどいかも。ただし、図で説明してあるので、本質をつかみやすい。これを読むと、物理学者がどこで論理ミスをしていたかが、よくわかる。)
   → 観測の意味


● ニュースと感想  (6月25日b)

 「パソコン情報の流出」について。
 原発の情報が流出した。点検会社の従業員のパソコンが、ウィニーのウィルスに関せしていたのが原因。( → 朝日記事1朝日記事2
 あれやこれやと情報が出回っているが、私としては、3点を指摘したい。

 (1) 雇用の問題
 まず、雇用の問題がある。それは、どういうことか? そもそも、こういう現状がある。
 「業務用のパソコンと、個人のパソコンとが、分離していないこと」
 では、なぜ? 「在宅勤務を会社が認めることがある」なんていうふうに解説されることもある。しかし、言葉がきれいごと過ぎる。「在宅勤務」なんてのを認めている会社は、ほとんどないはずだ。というのは、「家で残業しました」という申告があっても、それを確認する方法がなくて、残業手当を取られ放題になりかねないからだ。それをやめるには、残業を認めないことだが、そんな会社が、今どきあるとは思えない。
 だから、ことの本質は、こうだろう。
 「残業が多すぎて、会社では処理しきれなくなるので、自宅での作業を認める。同時に、サービス残業扱いにして、残業手当を浮かせる」
 こういう法律違反の状況が前提としてある。だから、解決策は、「法律を守ること」だ。つまり、こうだ。
 「業務用パソコンについては、自宅での利用を認めない。パソコンの社外持ち出しは禁止。それでは仕事が処理しきれないのなら、残業を前提とした雇用を見直して、社員をたくさん雇用する。」
 これが正論。違法な雇用を前提とした状況で、情報流出が起こったとしたら、犯罪者がしっぺ返しを受けただけだ。「かわいそうに」ではなく、「ざまあみろ。悪に報いが下ったのだ」と見なすのが正しい。

 (2) 費用負担
 業務用のパソコンには、個人の自宅での利用を禁止するべきなだ。しかるに、それが原理的にできない、という状況もある。それは、「パソコンが私物である」場合だ。つまり、会社が費用を負担しないので、会社としては規制できない、という状況だ。
 実際、パソコンの代金を会社が払わず、私物のパソコンを業務用に使う、ということが、非常に多い。たとえば、こうだ。
 社員「僕のパソコンは、古くて遅いんですよ。新しいのに買い換えてください」
 会社「古くても、それを使いたまえ。どうしても新しいパソコンが使いたければ、自分の金で買いたまえ」
 社員「じゃ、自分で買います。ストレスが溜まるよりはマシだ。能率も上がるから、昇給の手当で何とかなるさ」
 こうして、社員は、私物のパソコンを業務用に使う。そのあと、自宅に持って帰る。会社としては、「ダメだ」と言いたいが、言えないんですよね。会社の金で買ったパソコンじゃないから。
 結局、会社が小金をケチるから、情報流出が起こるわけだ。「ざまあ見ろ、法律違反をしてケチった報いだ」と嘲笑してやればいい。
( ※ これを読んだ読者は、「うちの会社もそうだ」と思ったら、会社側にはっきり要求しましょう。「だから、業務用のパソコンの費用は、会社で全額出してくれ。今すぐ、最新型のパソコンを購入してくれ」と。……けど、最近は、ちっともCPUの性能が上がらない。「古くたって最新型と変わらないじゃないか」と言われかねない。  (^^); )

 (3) 抜本的対策
 さて。そういう話とは別に、情報保持の点から考えよう。抜本的対策は、あるか? 朝日の記事(朝刊 2005-06-24 )は、「抜本的対策はない」と書く。記者はよほど利口なのだろう。ではなくて、よほど利口だと自惚れているのだろう。ろくに調べもしないで断言するのだから。
 もちろん、抜本的対策は、ある。情報問題では、どんな点であれ、「いたちごっこ」みたいなものだから、「全面的なお手上げ」なんてことはない。簡単に正解を言えば、こうだ。
 「情報漏洩を防衛するための監視ソフトを使うこと」
    → google 検索  (情報はたくさんあります。)
 監視ソフトを使えば、従業員のパソコンの状態を監視できる。たとえば、「山田太郎が利用中のパソコンには、ウィニーがインストールされています。情報漏洩の恐れあり」という警告を出す。というわけで、監視ソフトがあれば、抜本的な対策にはなる。(完璧ではないにせよ、抜本的だ。)
 なお、朝日の記事では、「ウィニー用のウィルス防止ソフトの更新が遅れた」という意味の解説があるが、見当違いだ。ウィニーのウィルスが悪いのではない。ウィニーそのものがウィルスなのだ。こいつはパソコン内の情報(ファイル)を、持主に断りなく、勝手に送り出す、という機能がある。しかも、著作権法違反の、犯罪行為だ。ウィニー自体がウィルスである。(朝日自体も、嘘情報を頒布するから、ウィニーみたいなものだが。)
 だから、対策としては、ウィニーそのものを排除することが先決だ。特に、業務用のパソコンでは、そうだ。要するに、「ウィニーを利用していた」という状況があったなら、それ自体が問題なのである。

 (4) 根本問題
 とはいえ、抜本的解決を取ったところで、それで万事解決するというわけでもない。なるほど、システムからの意図せぬ情報の流出なら、防げるだろう。しかし、意図した情報の流出は、防ぎようがないからだ。
 今回の事例は、そうだった。従業員がシステム内の情報をあえて抜き出して、その情報(データ)を自宅のパソコンに移植して、仕事を続けたのだ。その後、自宅のパソコンを踏み台にして、ウィニー経由で、外部に流出した。
 だから、根本的な問題は、ウィニーではなくて、「意図した流出」そのものにある。そして、その根本的な問題は、 (1) から生じたのだ。
 ゆえに、根本は、「システムがどうのこうの」という問題ではなくて、雇用の問題であるわけだ。情報技術者やシステム管理者がどうこうすればいいという問題ではなくて、経営者が違法な雇用形態をやめることが大事なのだ。
 なお、今回、処分されるべきは、従業員ではない。経営者だ。ここのところを勘違いして、「従業員の不道徳が問題だ」なんて書く記事は、核心を逸らしている。(どこの新聞社がそうかは言いませんが。……威張りたがりの記者がいる新聞社だとしたら、言わずもがなかな。  (^^); )

 [ 付記1 ]
 「(HDなしの)シン・クライアントを使う」という案もある。しかし、「シン・クライアントを使えば抜本的な解決になる」というのは、とんでもない浅はかな発想だ。素人にはわかりやすいが、ちょっと頭を働かせれば、「良いアイデアではない」とわかる。
 HDなしのパソコンというのは、頭のないロボットみたいなもので、脳味噌のない記者のようなものである。馬鹿なりの美点もあるが、馬鹿なりの短所もある。
( ※ なぜかと言うと、HDに入っているのは、データだけではなく、レジストリもあるからだ。では、レジストリ情報もサーバーで出し入れすれば、大丈夫か? そのとおり。とはいえ、現実には、そういうソフトはほとんどない。その状況は、検索でわかる。まともなソフトは、一つだけであるようだ。 → 該当ソフト 。……だから、こういうことを無視して、「シン・クライアントを使えばいい」なんていう記事は、嘘八百である。なお、このソフトでは、ユーザー数の上限が 200だから、大手企業には向かない。状況は甘くない。おまけで言えば、管理するコンピュータが狂うと、社内のパソコンがすべて使い物にならなくなる。企業が脳死状態になる。危険ですね。対策も大変。)
 
 [ 付記2 ]
 「ウィルス対策で、OSを変更する。Windows でなく Linux や Mac にする」という案もある。これは別の問題。別のところで示す。
 → Open ブログ 6月24日

 [ 付記3 ]
 IPA では緊急情報を流したが、これはどうも、「当たらず障らず」で、インパクトが弱すぎますね。無難すぎる。サボっているだけかも。
 → 該当ページ


● ニュースと感想  (6月26日)

 「クレジットカード情報の流出」について。
 VISA やマスターカードなどの情報が流出して、不正利用が判明しつつある。(朝刊・各紙 2005-06-23 ごろ。)
 カード会社といえば、情報流出には最も神経を使っている会社なのだが、それでも今回のように、関連会社を経由して情報が漏れてしまうことがある。また、いったん除法が漏れたら、不正使用を阻止する方法がなかなか見つからないようだ。

 実は、この問題は、「身元確認の方法がない」ということに本質がある。一般に、パソコンやサーバーなどにあるコンピュータの情報は、どこからか漏れてしまうものだ。水が漏れることがたまにあるように、情報が漏れることがたまにある。
 だから、こういう問題が起こることを念頭に置いた上で、「身元確認をしっかりとやる」というふうにするのが、原則だ。だいたい、仮に情報の漏洩がないとしても、クレジットカードを盗まれることもあるし、スキミング詐欺という方法で情報を盗み見ることもある。……これらの問題をすべて解決するには、「身元確認をしっかりとやる」ということ以外にはない。
 では、それは、可能か? 可能である。カード情報とは別に、個人情報を用意して、それと照合すればいいのだ。たとえば、IDカードを使う。IDカードに対して、暗証番号を入力すると、一定の識別コードが出てくる。その識別コードから得た情報と、クレジットカードの情報とを照合して、「合致」か否かを確認する。……これらの過程は、すべてネット上で暗号を経由してなされるので、業者にはわからない。業者にわかるのは、「二つのカードが合致するかどうか」だけである。(カード以外に、パスワードも要求される。)

 というわけで、情報時代において、不正使用をなくすためには、「身元確認」もまた、電子化することが必須なのだ。それをやらずにいれば、今後もどんどん、不正な詐欺ないし泥棒みたいな行為が氾濫するだろう。そして、その分は、保険料の値上げという形で、カード利用者にのしかかる。いや、カード使用料金は徴収できない制度になっているから、カードを利用しない人にも、カードの不正利用の料金が上乗せされる。……要するに、「カードでも購入できます」と書いてあるデパートやスーパーや電気店などで買物をするすべての客にとって、不正利用のコストがのしかかる。
 泥棒は情報化時代の環境に適しているが、政府や一般国民は情報化時代に取り残されている。そのせいで、遅れている人々が、食い物にされるのだ。
( → 次項を参照。)


● ニュースと感想  (6月26日b)

 「住民基本台帳の閲覧」について。
 住民基本台帳の閲覧について、総務庁の調査があった。閲覧の7割が営利目的だという。( → ニュース検索 ,朝刊・各紙 2005-06-23 )
 これについて、制度の是非について、賛否両論がある。
 「悪用の例があるから、原則として非公開にするべきだ。個人情報の秘密を守るべきだ。」
 「もともと、個人の身元を確認するために、現行制度ができた。その趣旨をないがしろにする」

 通常は、前者ばかりが言われる。当然ながら、後者の意見もある。世論が偏っているので、私としては、後者の意義を説明しておこう。
 一般に、どんな制度であれ、長所と短所がある。片方だけを見ていては、物事の真実がわからない。たとえば、こういう説がある。
 「子供を育てると、育児費がかかる。これはデメリットだ。ゆえに、デメリットを解決するためには、子供を生まないのがベストである」
 こういう発想では、デメリットだけが強調され、メリットが無視される。こんな偏った発想からは、まともな主張は出ない。……しかるに、現状では、こういう偏った狂気的な意見が多数派であるようだ。

 現行制度は、「個人の身元確認」というメリットのために、「最低限の情報を公開する」という趣旨でなされた。これは、「所得の公開」または「所得税の公開」というような、個人情報の公開とは、まったく異なる。単に個別に身元を確認するだけだ。
 仮に、この制度がなくなると、どうなるか? 「自分が自分であること」を誰もが証明できなくなれば、「他人になりすます」ということが可能になる。第三者は、身元を確認することができなくなるから、誰かが誰かの名前を偽っても、その「なりすまし」を見破ることができなくなる。
 たとえば、あなたの名前で、誰かが借金して、そのツケをあなたに回す。「ツケを払っておいてね」と。で、あなたは、「そんなことをした覚えはない」と主張するだろうが、あなたの弁解は採用されない。なぜなら、あなたの名前で借金した人が、あなたではないということを、証明する手段がないからだ。
 これは、詐欺師にとっては、とてもありがたいことだ。というわけで、「個人の身元確認」というメリットがなくなると、国民はとても困るわけだ。
 これを解決するとしたら、借金とかクレジットカードとか、その手の現代的な経済活動が停止され、「現金販売」だけが可能になる。たとえば、ネットで買い物することも不可能になるし、ネットの料金を銀行引き落としで払うこともできなくなる。すべては、「現金販売」だけだ。それ以外に、詐欺を防止する方法がない。

 現代の経済活動は、「個人の身元を保証する」ということを前提として、成立している。その前提を破壊すれば、現在の経済活動そのものが、成立しなくなる。
 つまり、「現在のシステムは、デメリットがあるからダメだ」という理由で、システムを廃棄すれば、現在のシステムのメリットもまた、使えなくなるわけだ。
 要するに、「デメリットだけ見て、メリットを見ない」という半面的な見方だと、「育児費がかかるから、子供を殺してしまう」というような結果を招くわけだ。(イソップ物語みたいですね。)

 さて。ここまでは、現状の指摘だ。一方、私の主張は、次の通りだ。
 問題を整理しよう。要するに、現状の制度には、メリットとデメリットがある。で、「デメリットがあるから、システムを捨ててしまえ」というのが、多くの意見だ。そこで、私としては、こう主張しよう。
 「システムを捨てるのではなく、メリットを残して、デメリットだけを小さくするべし」

 具体的に言おう。
 まず、メリットは、「個人の身元確認」だ。これは、メリットであるから、そのまま残す。誰かが借金をしたりクレジットカードを利用したりするとき、そのために、一人一人について、身元を確認できるようにする。
 一方、デメリットは、「無差別的な情報の獲得」だ。これは、デメリットであるから、制限すればよい。何らかの方法で。

 ここで、メリットとデメリットとは、まったく別のことだ、ということに注意しよう。
 前者は、一人の個人についての、身元の全情報だ。(住所氏名など。)……この情報は、その一人については、必ず必要だ。
 後者は、多くの人々についての、身元の全情報だ。(住所氏名など。)……この情報は、一人一人については、必要ではない。通常、性別と生年月日と住所だけがわかればよい。だから、この情報だけを、自治体がパッケージ販売すればよい。次のように。

 山田花子 ,女 ,××年××月××日 ,××県××市××町××××
 川島太郎 ,男 ,××年××月××日 ,××県××市××町××××
   :        :              :


 この部分情報だけは、公開してよい。
 一方、公開してはならない情報もある。次のことだ。
  ・ その個人の家族が誰であるかという情報。
  ・ その個人と家族との関係(続柄)
 これらは、一人一人ずつの場合には個別に公開してもいいが、一挙に大量に公開するべきではない。
 また、一挙に大量に情報を利用する場合には、情報の利用料として、一定の料金を徴収する。そして、その料金を、市民の一人一人に還元するといいだろう。たとえば、1回10円として、20回の利用があったら、200円を個人に還元する。選挙のときにでも、その分の金券を払えばよい。

 以上のようにすれば、問題のほとんどは解決するだろう。
 逆に、身元確認をしないとどうなるかは、前項の「クレジットカードの不正利用」という話を参照。


● ニュースと感想  (6月26日c)

 「シュレーディンガーの猫」について、新たに追記した。「シュレーディンガーの猫の本質」という話。
 この問題で、「物理学者は、どこでどう論理を間違えたか」という、論理ミスの核心を明らかにする。論理において、大いなる勘違いがあったのだ。
   →  該当箇所 【 補説 】
  

● ニュースと感想  (6月27日)

 「イタリアの夏ファッション」について。
 日本の「クールビズ」が海外でも話題になっているという。褒めるわけではなくて、嘲笑の口調。小泉の青いクールビズは、私も「みっともない」と思っていたが、海外でも「アロハで勤務」なんて口調で馬鹿にされているらしい。(朝日・朝刊・海外面 2005-06-25 )
 では、海外では、どんな服装が流行っているのか? ファッションの本場のイタリアでは?
 ネットで調べてみたら、こうであるらしい。
 「イタリアでは、イタリアンカラーのワイシャツ」
 具体的な画像は、これ。
   → イタリアのシャツのネット販売
 国民性が現れる。日本では、これを着るわけにはいかないですね。たぶん、つまはじきにされる。……ネット上の私みたいに。   (^^);

 [ 余談 ]
 将来、歴史的に回顧すると、小泉首相の業績は、次の二点だけだろう。
  ・ 靖国参拝  (不沈空母で名を残した中曽根首相と同様。)
  ・ レジ袋の有料化 (お犬様で名を残した徳川綱吉と同様。)
 これが大々的に宣伝した「構造改革」の、なれのはて。


● ニュースと感想  (6月27日b)

 「レジ袋と夏服」について。
 レジ袋と夏服(クールビズなど)とは、関係がある。
  ・  「レジ袋をやらない人に割り引き」 ……まとも。
  ・  「レジ袋をやる人には有料化」   ……まともではない。
 これと同じことは、夏服にも適用できる。「省エネのための任意のクールビズ」なら、まともである。ただし、これが行き過ぎると、強制化となる。あげく、クールビズが過激化して、男性のスカートが義務づけられる。次の姿のように。
  → 検索 「男性のスカート」
 このうちのどこかのページには、実物の写真がある。ハンサム1名、凡人1名。怖い物みたさで見たい人もいるだろうが、……お勧めしません。食後に見るのは、やめた方がいいです。


● ニュースと感想  (6月27日c)

 「レジ袋の有料化」について。
 しつこいようだが、レジ袋の話。これまでは「馬鹿げている」というふうに、理屈の面から指摘したが、「馬鹿だ」と言われても、人はなかなか認めないようだ。「へえ、そうですか」と聞き流してしまいそうだ。そこで、もっと実効性のある話をしよう。  私はこう提案する。
 「レジ袋の有料化のかわりに、レジ袋の課税をするべし。さらに、ペットボトルやプラスチック包装も課税をするべし」
 有料化だと、5円ぐらいの金は、企業の懐に入る。「資源節約」の趣旨を考えると、これはどう考えても、おかしいですね。たとえて言えば、交通違反の罰金が、自動車メーカーに入るようなものだ。
 「交通事故の防止のために、交通違反は有料化するべし。運転手が交通違反をするたびに、警官の徴収した罰金を自動車メーカーがちょうだいする。これによって交通違反は減るので、これは良いことだ。」
 おかしいですね。罰金は国が取るのでなくては、意味がない。……というわけで、レジ袋も、金を徴収したら、その金を国が取るべきだ。
 ただし、である。「有料化でなく、課税にするべし」……というふうに風向きが変わると、販売店は大あわてだろう。「それじゃ客が減る」と。
 ここで、ようやく、真実が暴露される。「本当は、資源節約が目的じゃなくて、ただのカルテルが目的だった」と。(前にも指摘したとおり。)

 というわけで、「有料化のかわりに課税を」という正論を、世論に広めよう。これなら、ついつい洗脳されがちな消費者にも、理解できるはずだ。よほど阿呆でなければ、だが。
 そしてまた、ペットボトルやプラスチック包装にも、同様の課税を適用しよう。これはつまり、「炭素税」にほとんど等しい。……そして、資源節約が目的ならば、これが正道なのだ。(あちこち全部、炭素税で増税したあとで、まとめて、消費税の値下げの原資に当てる。これなら、問題なし。)

 [ 付記 ]
 上記のことから、重要な指摘ができる。
 「レジ袋の有料化と、スパム・メールは、そっくりだ
 謎をかければ、こうだ。
 「レジ袋の有料化とかけて、スパム・メールと解く。その心は?」
 答えは、こうだ。
 「どちらも社会全体に大迷惑をかけて、自分が少しだけ利益を得ようとする。」
 ( → 3月23日 にも同趣旨。)
 (レジ袋の場合、利益を得るのは、販売店。迷惑を受けるのは、消費者全体。)

 具体的なイメージでたとえれば、こうだ。
 「ビルにある黄金を盗みたい。しかし、店員とガードマンが厳重に警戒しているので、盗みにくい。そこで、ビルを爆破して、ぶっとばす。ビルはガレキの山。そのなかで、消防隊員にまぎれて、1万円分ぐらいの黄金を盗み出す」
 つまり、自分が1万円の得をしたいから、他の人々に莫大な損をかける。たとえそうしても、自分だけは得をするから、それでいい、というわけ。
 レジ袋の有料化で、レジは混雑するし、労働コストは上昇するし、レジ袋代は余計に取られるし、買い物袋持参の割引はなくなるし、あらゆる面で消費者は損をするはずだが、販売店だけはちょっとだけ得をするはずだ。(売上げは減るだろうが、利益率はほんのちょっとだけ上がるはずだ。)……と企業が思う。で、その企業エゴのために、テロを実行する。
 そのテロが、レジ袋の有料化だ。
( ※ ちょっと調べたところ、レジ袋のコストは1円以下だ。「だから、5円にすれば、たっぷりと儲かるはず」と信じて、「レジ袋の有料化」に賛成する店主が多い。馬鹿丸出しですね。「値上げで利益が増える」と思うのなら、店内の全製品を値上げすればいいんだが。……正しくは、商品の値段が下がり、同時に、買物の回数が減る。 → 6月21日c

 [ 余談 ]
 spam mail の語源については、こちら。
  → 英辞郎Wikipedia


● ニュースと感想  (6月27日d)

 「異常気象と原油高」について。
 地球温暖化で異常気象が続いている。その一方で、最近、原油高になっている。この両者は、もちろん、深く関連する。どちらもエネルギー消費が多大だから起こる。
 とすれば、原油高という現象は、地球温暖化の阻止のためには、かなり大きな効果があることになる。実際の生産量が抑制されていると、「需要の増加に対して、供給の増加がほぼ頭打ちになる」という形で、市場原理が働いているだけだ。
 原油高は、経済的にはデメリットがあるが、環境保護の意味では、無駄な消費を減らす効果がある。たとえば、無駄なドライブがなくなり、一挙に莫大なガソリン消費が減る。相当、大きな効果があるだろう。

 さて。レジ袋の有料化は、どのくらいの効果があるでしょうか? 比較してみましょう。  (^^);

 [ 付記 ]
 「レジ袋の有料化」というのが、ただの珍説ないしトンデモにすぎないのは、「それによってどのくらい資源が節約されるか」という定量的な計算がない、ということからわかる。
   資源節約量 = レジ袋の節約量 − ゴミ袋の消費量
 この値は、ほとんどゼロか、かえって「逆効果」となる。というわけで、レジ袋の有料化は、まったく無意味なのだ。……原油高の効果と、定量的に比べてみましょう。

 [ 余談 ]
 「省資源のために、レジ袋を有料化しよう」
 なんてのがまかり通ったら、次は、こうだ。
 「少子化の対策のために、no sex を有料化しよう。男性には原則として2日に1回の行為を義務づける。それを満たさない男性からは、1回分につき一定の料金を徴収する。独身ならば、百円。夫婦ならば、千円。」
 これだって、「正しい行為 を普及させるための有料化」という政策である。このおかげで少子化が解決すれば、めでたしめでたしだろう。(奥さん連中だって、「嬉しいわ」と喜ぶかも。)
 馬鹿げている? いや、レジ袋の方が、よほど馬鹿げていますね。
( → 6月17日 にも、似た趣旨の冗談。)


● ニュースと感想  (6月28日)

 「降水量の低下」について。
 降水量が低下している。これはなかなか興味深いことなので、ネット上で、ちょっとだけ情報を得てみた。私が見出したのは、気象庁のサイトだ。
 このサイトの「北日本、東日本と西日本の少雨に関する全般気象情報 第2号」というページの後半には、次の情報がある。
北日本、東日本と西日本の少雨に関する全般気象情報 第2号
 平成17年6月20日15時15分 気象庁発表


 北日本、東日本と西日本では少雨傾向が続いています。今後、雨は降りま すが少雨状況を解消するようなまとまった雨は少なくとも向こう1週間程度 は予想されていません。このため、少雨の状況が続く見込みですので水の管 理や農作物の管理などに十分注意して下さい。
  (以下、省略)
 ちなみに、去年の6月の気象も変だったが、その気象と比較してもいいだろう。ともあれ、もう6月も月末に近いし、もうすぐ7月。今年はほとんど空梅雨みたいだ。

 [ 付記 ]
 これを書いたあと、掲載を遅らせてグズグズしているうちに、「少雨」という記事が朝日に掲載された。(朝日・夕刊・社会面 2005-06-25 )
 遅れて済みません。
 でも、新たに、「大雨」の注意報も出ました。(6月27日)

 [ 補足 ]
 上記の引用で、読点のないひどい悪文は、原文のままです。
 国語力が最低みたいですね。国語のお勉強をすると良さそう。
 さらに言うと、インターネットのお勉強もした方がいいようです。上記の紹介ページは、一週間後に、名称を変更してありました。ページの名称をしばしば変更するらしく、直接リンクが不可能です。困ったことだ。


● ニュースと感想  (6月28日b)

 「燃料電池車」について。
 燃料電池について、朝日に、とんでもないデタラメ記事があった。「燃料電池がガソリン車並みの価格になるのは、15年後」という記事。(朝日・朝刊・経済面 2005-06-25 )
 で、記事の根拠は? 自動車会社の技術者がそう言ったから。で、それを鵜呑みにして、書いているわけ。ここでは、記事を書くときの鉄則が守られていない。
 「一つの情報を書くときには、二つのソースで裏付ける」
 ウォーターゲート事件のときでは、この鉄則が守られた。だから、記者の報道は、間違いがなかった。

 ところが、朝日の記者は、「企業や政府の言い分を、そのまま報道する」というふうにしている。だから、記事が嘘のオンパレードになる。虚報だらけ。
 比較してみよう。
 ハイブリッド車が技術的に開発可能になったのは、1960年代だ。この時点で、ガソリンエンジンはあったし、電気自動車の技術もあった。というわけで、既存の技術を組み合わせるだけで、ハイブリッド車はできた。ただし、実用化するには、「効率を高める」という壁があった。効率が高くない限り、ハイブリッドにしても意味がない。そこで、アトキンソンサイクルという技術を開発したが、これとて、既存のガソリン車の技術と実質的にはまったく同じだった。要するに、効率を高めるというわずかなことをめざして、何十年もかかって、1997年にプリウスが出た。ただし、次のことに注意しよう。
 「プリウス発売から8年たった現時点でも、ハイブリッド車はガソリン車並みの価格になっていない。ガソリン車よりも、50〜80万円ぐらい高い。」
 発売から8年たっても、ガソリン車並みにならないのだ。
 一方、燃料電池車は、どうか? 現時点では、動くことは動く。ただし、動いているのは、実際に量産化できる仕組みとはまったく異なる先行実験車だけだ。実際に量産化するための技術は、まったく開発されていないのだ。なのに、記事では、「燃料電池がガソリン車並みの価格になるのは、15年後」と書く。まったくのデタラメである。
 では、真実は? 技術者の言う「15年後」というのは、ただの技術的な目標期限にすぎない。それはつまり、「できれば15年後」という意味であり、「どんなに早くても15年間は無理」という意味だ。だから、正確に書くなら、「ずっと先であり、見通しは立たない」と書くのが正しい。
 
 一般に、15年も先のことなど、誰にもわからない。インターネットやCPUの発展は、15年前にはわからなかった。最近のCPU技術の停滞も、5年前にはわからなかった。15年も先のことがわかるのは、占い師だけだ。
 要するに、朝日の掲載面は、占い師の占い記事を、科学的な真実のごとく報道する。これぞ「トンデモ」の見本である。……たぶん、技術音痴だから。

( ※ 技術者ならば、「15年後の予想」なんてものがまったく当たらない、ということは、誰でも知っている。朝日の記者には、その常識がない。経済部の記者は、技術のことをまったく知らない連中が、技術のことを書く。……ま、それはそれで仕方ないが、問題なのは、それをチェックする仕組みがないことだ。素人が素人原稿を書くのは仕方ないが、素人記事を紙面に掲載するのは、組織として重大な欠陥がある。……三菱の欠陥トラックと同じ。)
( ※ この組織としての欠陥は、「二重チェックの鉄則を守らない」という形で現れる。どうしようもない組織ですね。基本中の基本がイカレている。「電話でちょっと専門家に尋ねる」ということすらしていないのだから。……たとえば、社内の科学医療部の記者か次長にチェックしてもらうだけでも、ずっとまともになるはずなのだが。)
( ※ ハイブリッドの実用化のためには、どのくらいの時間がかかったか? それを知るには、その前の「アトキンソンサイクル」の開発期間も含めて計算する必要がある。かなり長い期間だ。二十年以上かもしれない。……そして、燃料電池の開発には、その何倍もの期間がかかるはずだ、と推定できる。)

 [ 補説 ]
 ハイブリッドなどの自動車技術について、欠かせない用語がある。
 「アトキンソンサイクル」「ミラーサイクル」「兼坂」
 この三語だ。とても重要である。ネットで検索すれば、いろいろと情報を得ることができる。
 このうち「兼坂」というのは、兼坂弘という技術者が、長年、強く提唱していたもの。「リショルム・コンプレッサー」という圧縮機といっしょに使うと、高燃費・高出力の、理想的なエンジンができる、と提唱された。
 しかしながら、リショルム・コンプレッサーは、加工が難しい。で、なかなか実用化しなかった。
 兼坂弘という技術者は、エンジン技術の神様と呼ばれることもあったが、とんでもない変人と見なされることもあった。ただし、この変人の言葉をまともに受けて、ミラーサイクルエンジンを(一応)実用化してしまった会社がある。マツダだ。……ただし、作っても、商品的な魅力が乏しくて、売れなかった。(技術的にもちょっと中途半端だった。)
 一方、売れるかどうかは別として、しっかり基礎研究をしていた会社もいくつかあった。特に、トヨタだ。そして、トヨタは、兼坂弘がうるさく提唱した技術を基盤にして、ハイブリッド車を実用化した。兼坂弘がうるさく提唱しなかったなら、「アトキンソンサイクル」「ミラーサイクル」の技術は実用化せず、従って、ハイブリッド車も実用化しなかったはずだ。
 変人技術者のいうことをしっかりと聞いた会社だけが、次世代の勝者となる。旧来の技術だけにとらわれていた会社は、トヨタから技術を買うハメになる。

 教訓。
 画期的な技術というものは、最初に萌芽が出た段階では、おかしな変人ふうの技術に見えるものだ。

( ※ 上記では、技術の用語を示したが、説明はしない。かなり難解な技術なので、簡単に説明できそうにない。原理なら説明できるが、どうしてメリットが出るかは、けっこう難解である。……エンジン技術の素人は、首を突っ込まない方が、いいですね。)

 [ 余談 ]
 自動車の冗談ネタ。韓国車が日本車のデザインをパクっている、という話。笑える。(画像がたくさんある。)
  → 参考サイト


● ニュースと感想  (6月28日c)

 「ハイブリッドとディーゼル」について。
 「ハイブリッドとディーゼルのどちらを推進するべきか?」という問題が、しばしば話題になる。
 私の提案を言えば、こうだ。
 「技術の良し悪しは、政治が判断するべきことではない。政治が判断するべきこととは、結果だけだ」
 従って、技術に応じて課税方針を変えるべきではなくて、結果としての排ガスだけを見て課税方針を変えればよい。具体的には、こうだ。
 ディーゼルの場合には、どうか? 
 炭素税は割引になる。燃費が3割良いとしたら、炭素税は3割減る。なお、この炭素税は、灯油や火力発電やレジ袋にも、同じ割合で課税となる。通常、価格の数%だろう。
 環境税は、黒煙粒子などに応じて、高率に課税される。これは当然だ。炭素の排出は、「公共物の損壊」に当たるので、それに応じた罰金となる。黒煙ガスの排出は、「人々の健康を損ねること」に相当するので、病原菌をまき散らすテロや、浄水場に青酸カリを垂れ流すテロと、同様に扱われる。当然、高率の罰金となる。
 ただし、黒煙粒子をほとんど出さないディーゼルなら、環境税はほぼゼロのまま、炭素税の割引だけがある。
 これがつまり、「結果で判断する」ということだ。

( ※ ディーゼルについての最新情報 → 外国部品メーカーのページ )


● ニュースと感想  (6月29日+)

 量子テレポーテーションについての話を、新たに公開しました。やや専門的。
   → 「観測の意味」 の追記
     ( 波動関数の収束とEPRパラドックス )

 ここで初心者向けに、簡単にあらましを示せば、次の通り。
 「波動関数の収束」という概念は、問題となる。量子力学では普通、「波動関数の収束」という概念を使う。たとえば、量子テレポーテーション。すると、収束の現象が超光速で起こることになる。それは不自然だ。(相対論に反する。だからアインシュタインは、「波動関数の収束」という概念に疑念を表明した。)
 この問題は、どう解決されるか? 実は、「波動関数の収束」という現象そのものが、否定されるのだ。そして、「波動関数の収束」という現象がもともとないのだすれば、「波動関数の収束」が超光速で起こることもなくなる。
 ここで、「波動関数の収束」という概念そのものを否定するのは、シュレーディンガーの猫の観測問題の場合と、基本的には同様だ。両者は、同じ発想で、解決が付く。……というより、問題の根源は、同じ錯覚にある。
 通常は、「アインシュタインは間違っていた」と片付けられる。そうではない。本当は、間違っていたのは、アインシュタインではなく、量子力学者なのだ。
 だから、量子力学者は、シュレーディンガーの猫を見て、自縄自縛になっている。自分の愚かしさに気づかないで、「並行宇宙説」などを唱えている。現代の量子力学者は、みんなトンデモなのだ。(例外は、アインシュタインと私だけだろう。)


● ニュースと感想  (6月29日)

 「人権擁護法案」について。
 何人かの読者から、「人権擁護法案について取り上げてくれ」というメールが来た。しかし、私としては、特に言及することはない。
 だって、結論はわかりきっているじゃないですか。誰でもわかることを、いちいち言及するつもりはありません。
 この要望は、私ではなくて、マスコミ各社に提出するべきでしょう。というわけで、あしからず。

 [ 付記 ]
 私が取り上げる主張は、限られている。原則として、「政府と世間の人々は一致した意見を出しているが、私だけは、政府と世間に反対する意見を出す」というような場合。(これを「天の邪鬼の原則」という。たとえば、レジ袋。私と同種の意見は、ごく少数派だ。)
 政府と世間とで、意見がはっきりと対立している場合には、私としては、特に何も言いません。勝手に双方で喧嘩して決めて下さい。
 なお、その喧嘩みたいな仕事をやるために、税金で給料をもらっている人もいます。野党がそうです。私は別に、税金で給料をもらっているわけじゃないしね。横から口を出しません。

 [ 補足 ]
 根本的に言えば、こう言える。
 「私(本サイト)は、政治活動を目的としていません」
 では、何を目的としているか? 
 「世間の人々の目が曇っているときに、その曇りを払いのけて、真実の姿を見せる」
 つまり、真実を示すこと。それだけが、本サイトの目的だ。真実を知ったあと、人々がどうするかは、政治の問題であって、私の問題ではない。
 世間には、真実を見出す人もいるし、見出された真実をあまねく伝える人もいるし、伝えられた真実にもとづいて行動する人もいる。
 私の役目は、そのうちの最初だけだ。以後のことは、私の役目ではない。……仮に、私が政治的な行動のために立ち上がるとしたら、「真実の発見」の方は、お留守になる。
 本サイトは、政治的な意見を、世間に拡大するためにあるのではない。読者の数だって、ごく限られている。
 
 昔々、キリストと、十二人の使徒がいました。十二人の使徒は、キリストの言葉を広めて、世界中に何億何十億という信者をもたらしました。これを聞いて、ある人は疑問に思いました。
 「どうしてキリストは、自分も使徒にならなかったのだろう? 彼もまたキリストの使徒になれば、キリスト教の信者の数は、12分の1だけ増えたはずなのに」
 さあ。本当にそうでしょうか? 


● ニュースと感想  (6月29日b)

 「平均年収」について。
 平均年収のデータ。2003年。
    → 職種別平均年収  (インテリジェンス社調査)
 このページは、IT産業だが、他の産業については、リンクをたどればわかる。
 やっぱり、景気悪いですね。  (^^);

 なお、見やすくはないが、次のサイトもある。
    → 職種別平均年収 (パソナ社調査)


● ニュースと感想  (6月29日c)

 「成果主義の実態」について。
 「成果主義をどうしたらいいのかわからないで、企業は迷走している」という記事がある。( → 朝日のサイト
 
 阿呆な上司が勝手に勤務判定して、「減給です」なんて決めつけたら、部下はたまったもんじゃない。で、どうしたらいいかわからず、迷走している。

 この問題は、簡単だ。
 「社内でフリーエージェントにする」
 これで、自動的に、適材適所になる。うまく部下を集めて業績を上げた管理職は、どんどん権限を増やして、どんどん部下を増やす。駄目な部下しか集められない管理職は、淘汰される。……これは、一種の市場原理だ。

 現在の成果主義は、部下が評価されるだけで、上司は評価されない。そこに難点がある。
 で、当然ながら、重役もまた、成果主義で評価される。社長も同様。駄目な社長は、成果主義で、解任だ。

 となると、成果主義を一番嫌がるのは、重役と社長でしょうね。現状なら、いくら無能でも、地位は安泰なんだから。


● ニュースと感想  (6月29日d)

 「成果主義とジーコ」について。
 企業の「成果主義」と、ジーコの監督術は、よく似ている。原理はともに、こうだ。
 「すべてを個人の責任に帰する」
 企業が業績を上げたり下げたりするのは、個々の社員のせい。サッカーチームが勝ったり負けたりするのは、個々の選手のせい。すべては、個人のせい。
 この発想だと、上に立つボスの責任が、まったく無視されている。経営者は何ら責任を取らないし、サッカーの監督も何ら責任を取らない。経営者は「すべては社員しだいだ。私は何も口出ししない」と経営を投げ出し、監督は「すべては選手しだいだ。私は何も口出ししない」と指示を投げ出す。……無責任の極み。
 では、なぜ? 自由を重視するから? いや、むしろ、無能だからだ。何も指示をできないから、何も指示しないだけだ。「指示をするのを我慢する」なんてことはない。

 だから、企業の「成果主義」の本質は、こうだ。
 「経営者の無能を、末端の社員の責任に帰すること」
 これが本質である。この点を、間違えないようにしよう。
 なお、多くの人は、こう誤解している。
 「自分の力で企業の業績を上げたら、給料が上がるはずだ」
 これは、大いなる勘違い。その証拠は、青色LEDのせいかを否定する、経団連の経営者の言い分を聞けばわかる。正しくは、こうだ。
 「企業全体の業績が下がったら、それを社員の責任にすること」
 当り前ですね。経営者はみんな、その意味で「成果主義」という言葉を使っている。勘違いしないようにしましょう。


● ニュースと感想  (6月30日)

 「個人行動と状況」について。
 個人行動と状況の関係を考えよう。これは、「個人主義」と「全体調整」の問題である。経済における「古典派経済学」と「マクロ経済学」の問題に相当する。(「状況」というのは、「政策」といってもいい。状況を決めるのは政策だから。)
 まず、「個人主義」に対置するものとして、「全体主義」が想定されることがある。「個人が独自の判断で行動すること」と、「国が上から押しつけて国民に強制すること」とが、対極的な概念と想定される。そして、「上から押しつけられるよりは、自発的に行動するべきだ」という結論が出る。(朝日あたりがよく、こういう趣旨の見解を出して、国民を洗脳しようとする。)
 なるほど、ヒトラーや、ムッソリーニや、スターリンや、東条英機のいたころなら、こういう対比もできた。しかしながらこれは、第二次大戦前の、古臭いアナクロニズムだ。もはや時代遅れだ。

 「全体主義」にかわるものとして、「全体調整」という発想がある。これは、全体を調整するが、一人一人には干渉しない。一人一人の行動は、あくまで一人一人で決める。ただし、全体の調整は、別途、行なう。決して、自由放任にはしない。
 比喩的に言おう。保育所の幼児を、歩道を歩かせて、A地点からB地点に移動させるとしよう。次の対比が可能だ。
  ・ 一人一人の行動に任せる。幼児の自由意思で、移動させる。
  ・ 幼児の全員を、ゆるいヒモでくくる。ヒモで引っ張って、移動させる。
 前者だと、行動はバラバラになり、うまく移動させることができない。
 後者だと、ヒモのなかの位置は幼児の自由意思に任せられるが、全体の位置は、ヒモでおおまかに決まる。だから、ヒモを引っ張ることで、うまく移動させることができる。
 この違いは、「個人主義/全体調整」という形で、対比される。
 ( ※ もちろん、「古典派経済学/マクロ経済学」に相当する。)

 さて。このことを、いくつかの現象に適用してみよう。次のような例がある。

 (1) レジ袋
 レジ袋の問題の根底にあるのは、「個人主義/全体調整」という対比だ。レジ袋の有料化に賛成する意見は、こういう原理に基づく。
 「環境の改善は、一人一人の行動で決まる。一人一人が環境改善のための行動を取ってこそ、環境改善はなされる」
 いかにも、もっともらしいが、正しくない。現実には、一人一人がレジ袋を節約しても、大した量にはならない。もともと、レジ袋の量など、たかが知れている。一人が一日に1グラム消費したとしても、石油の消費量全体においては、たいした節約にはならない。
 ここで根源にあるのは、何か? 次のことだ。
 「個人で操作できる量は、限られている」
 このことは、先に 6月21日c (3) でも、こう述べた。
 レジ袋ばかりに目くじらを立てても、資源の節約などは実効性がない。実効性を上げるには、莫大な石油資源のうちのごくわずか(……)でなく、石油資源全体を節約するべきだ。(……)
 一方、目先の一つ一つを制御しようとするのが、古典派の発想だ。「一人一人が努力すれば、全体が良くなる」という発想だ。しかし、(……)いくら一人一人が努力しても、一人一人が努力で操作できるのは、レジ袋だけだ。
 資源節約という狙いはいい。しかし、そのために、個人が操作できる量は、レジ袋の量ぐらいでしかない。「だから、できる限りのことをやろう」と論者は主張する。しかし、いくらそんなことをやっても、操作できる量はもともと小さいのだから、たいして意味はないのだ。
 それよりはむしろ、国が政策として、(ごく一部分のレジ袋のかわりに)石油資源の量全体を調整すればいい。そうすれば、個人は資源節約のために何も努力しないでも、大幅に資源節約が可能となる。(たとえば、炭素税の導入。)

 先の比喩に戻ろう。幼児の一人一人が、移動のために努力しようとする。しかし、一人一人が操作できる範囲は、「隣の子にぶつからないように移動すること」だけだ。その裁量の余地は、30センチぐらいしかない。その30センチの範囲で、一人一人が最大限の努力をしても、ほとんど効果はない。
 それよりはむしろ、ヒモでくくって、全体を移動させるべきなのだ。そうすれば、一人一人は、30センチという裁量の範囲内で、何をやってもいい。先に進んでもいいし、遅れてぐずついてもいい。それでも、一人一人がわけもわからずに勝手に行動している間に、いつのまに、全員が目的地に達している。
 なぜか? ヒモでくくると、「全員がいっしょに動く」という行動がなされるからだ。たとえ5センチであれ10センチであれ、全員がいっしょに動く。そうすると、裁量の余地は減らないまま、目的地に近づける。一方、「全員がいっしょに動く」という行動がなされなければ、一人だけが最大限の努力をしても、30センチ移動しただけで、限界に達する。
 というわけで、「個人行動に任せる」という方法ではできないことが、「全体調整」をすることで可能になるのだ。

 (2) 戦争の兵士
 戦争の兵士も同様である。過去の戦争でもそうだが、ここでは特に、自衛隊のイラク派兵を取り上げよう。
 自衛隊員の一人一人が、「イラク派兵は好ましくない」と思ったとする。では、イラク派兵をやめるために、「自分は派兵に参加しない」と決断すればいいだろうか? 
 古典派ならば、「イエス」と思うだろう。「一人の自衛隊員が派兵に応じないと決断すれば、派兵に参加する兵士が一人もいなくなるから、派兵は中断される」と。
 しかしながら、現実には、そうはならない。先に「派兵する」という政府の決定がある。仮に、自衛隊員の全員が派兵に反対しても、政府は派兵を強行するだろう。すなわち、新たに高給で、「派兵に応じる素人」を募集して、素人をイラクに派兵するだろう。……それは、かえって危険なことだ。たぶん、素人ゆえに、死者も多大に出るだろう。
 だからこそ、「素人に任せて死なせるよりは、プロである自分が危険を覚悟で行く」と自衛隊員は思う。婚約者たちは、「行かないで」と泣くが、「きみにはつらい思いをさせるが、仕方ない」と思って、自衛隊員は派兵に応じる。……これは決して、金のためではない。実際、多くの自衛隊員は、遺書を用意して、イラク派兵に出向いた。彼らは決して、自分の利益のために出向いたわけではない。また、政府や小泉のの利益のために出向いたわけではない。彼らには、「派兵をやるかやらないか」という選択肢はないのだ。「派兵をやる」という前提の上で、危険な地に「素人である他人が出向くか/プロである自分が出向くか」という選択肢しかない。そして、後者を選ぶ。
 まことに立派な行動である。銃後でふんぞりかえって威張っている首相とは、正反対だ。
 そして、第二次大戦中の兵士もまた、これと同様だったのだ。彼らには、「戦争を継続する/戦争をやめる」という選択肢はなかった。彼らにあるのは、「仲間を生かす可能性を高めるために戦うか/戦わずにあっさり敗北して全員で死ぬか」という選択肢しかなかった。……だから、彼らは、与えられた選択肢のなかで、最善の行動をしただけだ。
 また、戦争参加について言えば、「(兵士として)戦争に参加するか/戦争に参加しないか」という選択肢はなかった。彼らにあるのは、「徴兵されて戦うか/徴兵逃れをして銃殺されるか」という選択肢しかなかった。
 ただし、古典派の発想をする人々は、そうは考えない。こう考える。
 「一人一人の兵士が戦争をやめようと決断すれば、戦争は起こらなかったはずだ。当時の戦争の責任は、当時の兵士にもある」
 これは、とんでもない見当違いだ。一人一人の兵士には、戦争遂行の是非を決める権限はなかったのだ。そして、限られた範囲内で、戦地に立った。何のために? 侵略するためか? まさか。侵略するために命を賭ける愚か者はいない。彼らが戦地に立ったのは、自らが死ぬためだ。その意味は、「愛する家族の命を守るため」である。── それが真実だ。そのことは、戦士に立つ人々の気持ちをつづった一次資料を見ればわかる。(「きけわだつみのこえ」など。また、読売・朝刊・投書面 2005-06-29 にもある。)
 結局、ここでは、何が大切か? 次のことだ。
 「旧日本軍の行為について、中国や韓国などの外国が『日本は侵略したから反省せよ』と主張する。しかし、その『日本は侵略した』ということについて、兵士の一人一人には、何ら責任はない。彼ら一人一人には、それを左右する力はなかったからだ。」
 というわけで、「中国や韓国が『謝れ』と文句を言ったから、侵略責任を認めて、謝ろう」なんていう態度は、根本的に狂っているわけだ。そのような態度は、いわば、当時の兵士の一人一人を「侵略者」として非難するようなものだ。しかし、当時の兵士の一人一人には、何ら責任はなかったのだ。

 (3) 状況と参加者
 ただし、「中国や韓国が『謝れ』と文句を言ったから、侵略責任を認めて、謝ろう」というのは間違いだとしても、その逆も正しくない。「中国や韓国が『謝れ』と文句を言っても、つっぱねてしまえ」というのも、正しくない。
 では、どうするべきか? 「中国や韓国の痛みを理解せよ」というのが、私の主張だ。日本の兵士の一人一人に侵略の意図はなかっただろうし、彼らにあったのは祖国の人々への愛だけであっただろうが、だとしても、その行為によって、アジア諸国の人々に被害が生じたというのは事実だ。だから、その痛みを理解するべきだ。
 「謝れ」と言われて謝る必要はないが、だからといって、「ふん」と言ってふんぞりかえる必要もない。相手の痛みに共感する優しさが、人間として必要だ。それなしには、相手とまともに付き合えない、と理解するべきだろう。
 正確に言えば、日本の戦死者も、アジアの戦死者も、ともに被害者なのである。とすれば、被害者同士で、たがいに心を通わせ合うべきだ。被害者同士で憎み合うべきではないのだ。もちろん、喧嘩し合うべきでもないのだ。

 (4) 戦犯と靖国
 では、加害者とは、誰か? それは、「戦争」という状況をもたらしたものだ。つまり、戦争の遂行を決定した権力者だ。だから、戦争の責任は、当時の権力者にある。彼らだけに責任があるのであって、戦争に参加した一人一人の兵士に責任があるわけではない。
 このことは大切だ。戦争という状況では、責任があるのは、「戦争」という状況をもたらした者(権力者)にある。そして、戦争という状況において、戦争に参加した一人一人の兵士には責任はない。戦争の遂行を左右する権限はなかったから。
 戦争の責任は、戦争の遂行を決めた政府の指導者だけにある。政府の指導者は、A級戦犯とほぼ同義だ。(完全なる同義ではないにせよ。)だから、戦犯を批判するのはいいが、戦没者を批判するべきではない。
 靖国問題を語るときには、政府に属した戦犯と、戦没者とを、はっきり区別するべきだ。戦没者は、30センチの枠内で、わずかに身を動かしたにすぎない。戦没者の全体をヒモでくくって、戦争遂行に駆り立てたのは、政府に属した戦犯である。両者のなしたことは、まったく別のことだ。
 靖国神社や右翼は、「戦没者は英霊だ」とか、「あの戦争はアジア解放のための自衛戦争だ」とか、そういう好戦的なことを主張する。それは、まったくの間違いとは言えない。なぜなら、一人一人の兵士にとっては、まさしくそう感じられたからだ。靖国神社や、あるいは遺族会が、「アジア解放のため」と主張したとき、それは、当時の政府の政策についているのではなくて、一人一人の兵士がどう感じたかを述べているだけだ。
 靖国参拝のとき、一人一人の個人としての兵士を慰霊するのであれば、何の問題もない。しかし、戦争遂行に駆り立てたA級戦犯もいっしょに慰霊するのであれば、大きな問題が生じる。
 ここでは、「一人一人の行動」と「全体の行動」とを区別しないから、問題が生じる。そして、あえて区別するまいとしているのが、小泉だ。A級戦犯と一般兵士とを区別しないまま、いっしょに慰霊する。

 結語
 本項のことを一言でまとめれば、こう言える。
 何か都合の悪いことが起こったとき、それを末端の一人一人の責任にするな。真の責任者を見出せ。それは、悪しき状況を作り出した者だ。

 戦争遂行ならば、末端で銃を取る一人一人の兵士の責任にするな。戦争を遂行する国家の方針を見よ。
 不況ならば、末端で生産活動をしている一つ一つの企業の責任にするな。国の力で企業の供給を改善しようとする「構造改革」を口にするな。需要を縮小させている政府の経済政策を見よ。
 省資源ならば、末端でレジ袋を受け取る一人一人の消費者の責任にするな。国中で資源を無駄にしている政府の政策を見よ。
 企業ならば、業績の変動を、末端の一人一人に転嫁するな。成果主義という名目で、業務上の不成績の責任を部下に負わせるな。上司の経営責任を見よ。
 しかるに、現実は、その反対である。上に立つ者が、下に責任転嫁する。何か都合の悪いことが起こったとき、それを末端の一人一人の責任にしてしまう。そういうことが、日本中の至るところで、まかりとおっているのだ。小泉も、政府も、企業も、上司も。……そのことを、本項は指摘する。

 [ 付記1 ]
 だから、靖国の問題と、レジ袋の問題には、どちらも共通する基盤がある。それは、「古典派/マクロ」という違いだ。
 「石油資源の節約」という目的に対して、「一人一人の行動」と「全体の行動」とを区別しないと、ひたすら無意味に、「レジ袋の有料化」という愚策をやろうとする。
 「戦争の遂行」を認識するときに、「一人一人の行動」と「全体の行動」とを区別しないと、一般戦没者とA級戦犯とを区別できないで、靖国の合祀を推進する。
 かくて、どちらにせよ、ほぼ同じ事情にある。個と全体の区別ができないことから、ひどい愚策がなされる。
 個と全体の区別をすることが、本質的に大切なのだ。そのためには、古典派的な発想に代えて、マクロ的な発想が必須なのだ。

 [ 付記2 ]
 古典派的な発想が大好きなのが、朝日新聞である。彼らは、「個人の行動に委ねれば、すべては万事うまく行く」と信じる。それで、サッカーでも、ジーコの「自由放任・無為無策」という方針を支持する。経済でも、小泉の「自由放任・無為無策」という方針を支持する。
 彼らには、「全体主義」と「全体調整」の区別ができない。ファシズムとマクロ経済学の区別ができない。だから、「個人主義と自由主義で、万事うまく行く」と単純に考える。
 無知ほど恐ろしいものはない。

 [ 補足 ]
 念のため、注釈しておこう。本項で述べたことの核心は、こうだ。
 「大切なのは、状況であって、一人一人の努力ではない」
 ここを勘違いするのが、古典派だ。たとえば、「不況を解決するには、個々の企業が最善の努力をすればいい」と考える。── とんでもない勘違いだ。こういう勘違いから、「合成の誤謬」が発生する。
 古典派の理論は、無能な権力者の責任転嫁を、正当化するためにある。だまされないように、注意しよう。
( ※ もちろん、過去だけでなく、現在でも、この勘違いがまかり通っている。「資源を節約するためには、一人一人が努力すればいい」というレジ袋節約運動がそうだ。それよりは、状況を転換する方が、ずっと有効なのだが。……たとえば、炭素税。自動車のアイドリングや電気機器の休止電力。こういう無駄があり、こちらの方がはるかに巨大だ。なのに、それが放置される。)


● ニュースと感想  (6月30日b)

 物理学のページの追記は、前日(28日の夜)に公開しました。
 ただしその後、さらにいくつかのことを補足しました。(「補足4」まで。)
 29日の早朝の時点で、最新版になっています。


● ニュースと感想  (7月01日)

 「天皇陛下の慰霊」について。
 天皇陛下がサイパンで慰霊をした。「戦没者の碑」や「バンザイクリフ」(万歳の崖)の前で黙祷したほか、「おきなわの塔」や「韓国平和記念塔」にも立ち寄って拝礼をした。(各紙・夕刊 2005-06-28 )
 ここでは明らかに「慰霊」ということが感じられる。真に慰霊をする気があるのであれば、こうするべきだろう。一方、靖国参拝は、何と称すべきか。「慰霊」に名を借りた、別のことであることは確かだ。では、何か? もちろん、政治利用だ。だから小泉は、頭を下げるかわりに、ふんぞりかえっている。
 
 政治家が最低の人種であるから、天皇陛下がその尻ぬぐいをするわけだ。まったく、何というひどい国なんでしょうね。小泉がいるというだけで、日本人であることが恥ずかしくなる。それを清らかに拭ってくれるのが、天皇陛下だ。(もちろん、皇后陛下も。)
 日本という国が何をなすべきか、政治家はもうちょっと頭を働かせて考えてほしいものだ。道路公団の幹部は血税を食い物にするし、自民党の国会議員は戦没者の霊を食い物にする。どっちも同じ。……死体を食い物にする、地獄の鬼に似ている。

 ついでだが、靖国参拝の賛成派は、自説にこだわる限り、是が非でも、天皇陛下を非難するべきだろう。なぜなら、天皇陛下は、靖国以外のところで慰霊をなされたからだ。それは、靖国参拝派の意見に、真っ向から対立する。
 自説を貫徹するなら、その矛先を、韓国や中国でなく、天皇陛下に向けるべし。それだけの気概があればね。どうせその気概はないだろうが。
( ※ 靖国参拝派なんてのは、口先だけの威勢が良くて、いざとなったら逃げ出す連中である。その典型が、小泉だ。見ればわかりますね。……彼が英国留学した理由は、いろいろと噂されている。 → 検索


● ニュースと感想  (7月01日b)

 「貴乃花の意図」について。
 貴乃花問題の本質を考えよう。
 「どっちが正しいか?」と考える人は、「貴乃花の言うことはもっともだ。たしかに若乃花は色気違いだから、若乃花は悪い。ゆえに、貴乃花が正しい」と結論しがちだ。女性だと、そう思う人が多いらしい。
 だけど、貴乃花が言いたいことは、「どっちが正しいか」ということではない。「おれが正しい、あいつが間違っている」と口先では述べているが、それは彼の狙っていことではない。そんなことをいくら語っても、出演料をもらえるだけだ。くだらん。別に、テレビタレントになることが目的じゃ、ないでしょう。
 貴乃花が求めていることは、ただ一つ。こうだ。
 「遺産を全部、おれに寄越せ」
 これだけをひたすら狙っている。そのために、「遺産の半分を狙っているやつは、遺産相続者として、失格だよ」と訴えているわけだ。それだけのことだ。
 これを「兄弟喧嘩」と見るのは、まったくの間違いだ。(前出 → 6月15日b

 で、私は、何を言いたいか? こうだ。
 「一般に、言葉で言っていることと、意図していることとは、同じではない」
 ある人が「AはBだ」という命題を主張しているとしよう。彼の狙っていることは、その命題自身ではなくて、その命題が受けいられたらどうなるか、ということだ。
 靖国も同様だ。小泉が「英霊は立派だ」と唱えるとき、その本音は、「私を支持してくれ」ということだ。
 レジ袋も同様だ。スーパーが「環境を保護しよう」と唱えるとき、その本音は、「消費者から巻き上げた金を、国庫に納入せずに、おれの財布にかすめとろう」ということだ。
 で、愚かな人々が、「省資源のため」と言って有料化のカルテルに賛成したり、「英霊のため」と言って小泉を支持したりする。……だまされているんですね。

 [ 付記 ]
 貴乃花の部屋がピンク色に統一されつつあるという。( → Yahoo ニュース
 あんまり、まともじゃないですね。女性ならともかく、男性がこうするなんて。……やはり、ステロイドの影響で、脳の性的なバランスが崩れているのかも。
 なお、(特に誰とは言いませんが、一般に言って)粗暴な性格で、自己を制御できないというタイプがあるが、こういうタイプは、ピンクを好むことが結構あるようだ。高校生ぐらいの若者でも、暴走族なんかだと、こういう傾向が結構ある。……まともな大人になると、そうではなくなるのが普通だが、ステロイドをやった場合には、どうなることやら。

( ※ ステロイドは、男性ホルモンを含む、一群のホルモン物質の総称である。男性ホルモンだけに限らない。ただし化学構造はそっくり。)


● ニュースと感想  (7月01日c)

 「フラッシュとホームページ」について。
 フラッシュについては、「評判が悪いので使うのをやめよう」という話があった。( → がんばれゲイツ君 1
 私も同感なのだが、「ちゃんと使えばいい」という反論もある。
  → 反論のページ

 ただ、調査してみたところ、世の中にはまともにフラッシュを使っているところなど、ほとんどない。どのサイトでも、あるだけ邪魔だ。
 なぜかと言えば、フラッシュは、しょせん、情報提供の道具ではなくて、動画で遊ぶための道具だからだ。あればあったで便利な点もあるかもしれないが、それは実用性ではなくて、遊びのため、または、無駄のためにある。そう考えていいだろう。で、私のサイトでも、ちょっと遊んでみた。
  → フラッシュのページ   (サイズは 11KB)
 ちょっと面白いが、情報提供という面では、まったくの無駄である。ユーザーの時間を奪うだけだ。……だから、強制的に見せることはしません。

 [ 余談 ]
 札幌に「モエレ沼公園」というのができた。なかなか興味深い。で、ちょっと調べてみようとして、ネットで検索して、該当のサイトにたどり着いた。
 しかしこれは、ひどいホームページだ。フラッシュもひどいし、画面サイズも大きすぎるせいで 800 x 600 では正常に見えない。最悪なのは、それぞれの写真ページにたどり着くのに、メニューのフレームに記述していないことだ。そのせいで、ページを見るたびに、いちいち目次ページにバックする必要がある。最悪。
( ※ ところで、それはそれとして、ここにある「ガラスのピラミッド」は、ルーブルのパクリとしか思えないのだが、どうなっているんでしょうねえ? → 検索
( ※ 公園の画像を見たいときは、google のイメージ検索で「モエレ沼公園」を検索するといいでしょう。)


● ニュースと感想  (7月01日d)

 Open ブログ に話がたまったので、ご覧ください。
  → Open ブログ


● ニュースと感想  (7月02日)

 「文章採点ソフト」について。
 文章採点ソフトについて、前に言及したことがある。その趣旨は、「コンピュータで人間の文章を採点するなんて、とんでもない。やれば、メチャクチャになる」ということだ。( → 2月19日

 さて。現状の文章採点ソフトは、ほとんど馬鹿である。しかし、「馬鹿とハサミは使いよう」という。馬鹿なソフトも、用途を限れば、使い道があるはずだ。たとえば、上記ページでも、一例を示した。「OCRソフトの文章校正」である。
 一方、本項では、次のことを提案したい。
 「悪文の発見」

 ある文について、名文か否かを判定することはできなくても、悪文か否かを判定することはできる。(成績が3の凡人は、成績が5の人を優等生を判定できなくても、成績が1の劣等生を判定できる。上にいるものは、下にいるものを理解できる。)
 この原理に基づいて、次の用途がある。

  ・ 迷惑メールの発見
  ・ 掲示板での悪質な書き込み

 迷惑メールの判定に、「文章採点ソフト」を使うといいだろう。これによって、精度が向上する。現在の迷惑メールフィルターは、精度が少し低い。文体レベルではなくて、単語レベルで検出していることが多い。だから、もうちょっとお利口にして、文体レベルで検出できるようにするといいだろう。

 掲示板での書き込みも、同様だ。暴言が書き込まれたら、文章採点ソフトで1秒ぐらいかけて採点して、駄目な書き込みは拒絶するといい。これで、ネットにあふれる「便所の落書き」が、かなり減るだろう。

 [ 付記1 ]
 文体の検出というのは、いわゆる「人工知能」の技術である。「人工知能」というのは、「考える機械」ではなくて、「考えるフリをする機械」である。より正確に言えば、「考えるフリをする機械で動くソフト」である。ここでは、一種のパターンマッチング技術となっている。

 [ 付記2 ]
 迷惑メールの検出では、次のようにするといい。
 一次段階で「迷惑メールかもしれない」と粗く検出されたメールに対して、二次段階で文章採点ソフトが高精度で判定する。その後、いったん検出すれば、そのパターンが登録されるので、以後は一次段階で検出されるようになる。
 なお、迷惑メールについてはOpen ブログでも言及した。

 [ 付記3 ]
 掲示板への書き込み制限については、注意すべきことがある。ここで制限するのは、「自分のサイトへの書き込みを(他人に対して)制限する」という趣旨だ。「世間の人々の発言を一切禁止する」という言論弾圧ではない。
 ところが、このような言論弾圧をやっている会社もある。MSの中国関係のブログだ。文章採点するわけではなくて、ごく単純に、「民主主義」や「自由」などの語が含まれていると、「駄目」となるらしい。
 詳しくは、ネットのあちこちで報道されているので、そちらを参照。たとえば、下記。
   → がんばれゲイツ君ほら貝 Jun23 , HOT WIRED


● ニュースと感想  (7月02日b)

 「総合学習」について。
 総合的学習に対する評価。小中学生の保護者では、肯定的な評価が7割近いが、中学校担任では否定派が過半数を占めたという。(朝日・朝刊 2005-06-19 , → 朝日のサイト
 これを、どう解釈するか? 「賛成か、反対か」と考えるのが、普通の発想。私の発想は、いつもと同様で、「どちらでもない」だ。つまり、「どちらも間違っている」だ。

 本質を考えよう。総合学習の狙いは、何か? 理科や算数などの個別の教科ではとらえきれないような、横断的・総合的な発想をすることだ。
 で、「だったら、全部ひっくるめて、ごった煮のような教科を作れ」というのが、総合学習の発想だ。図で書くと、

国語算数理科社会

 というのが、以前だった。これが、次のようになる。

総 合 学 習

 しかし、これは、やってみると、ただの「ごった煮」であるにすぎない。ごちゃごちゃかき混ぜたにすぎない。たとえて言おう。中華料理とか、フランス料理とか、和食とか、いろいろあるが、それだけでは、味が偏る。そこで、中華料理とフランス料理と和食とを、ごちゃごちゃに混ぜて、新たな料理を作る。「お寿司に、オレンジソースとバターをかけて、中華のスープで煮込む」というような具合だ。とんでもないことになる。
 要するに、「専門的ではダメだから、ごちゃ混ぜにすればいい」という単純な発想では、うまく行かない。保護者はそれでうまく行くと思い込んでいるから、「賛成」と答えるが、現場の教師は、「そんなに甘いもんじゃない」と否定的になる。「それだったら、従来のように、数学なら数学をきちんと勉強した方がいい」という解答になる。
 とはいえ、それはそれで、やはり弱点がある。  
 では、正しくは? 
 この問題は、「専門か、混ぜるか」という発想ではダメだ。横方向ではなく、縦方向で考えるべきだ。次のように。

総 合 学 習
国語算数理科社会

 つまり、二階建てである。基礎としての「国語・算数・理科・社会」を学んだ上で、その応用編として、総合学習がある。

 この図は、何を意味するか? 一見したところ、先の二つの図を合体しただけに見える。しかし、違う。大事なことは、こうだ。
 「単独の教科である必要はない」
 そうだ。総合学習は、その授業だけがあればいいのであって、「総合学習科」という単独の教科は必要ない。そしてまた、総合学習の授業は、それぞれの教科の上にあり、それぞれの教科を基礎とする。
 
 具体的な例を挙げよう。

 (1) 従来
 「総合学習の教科があります。さてと。どんなことをしようかな。あまりいい教材がないから、適当に、社会見学でもして、お茶を濁しておこう。福祉施設の見学をして、作文を書かせて、絵を描かせて、ついでに計算もさせて、これで一丁出来上がり」
 こんなお手軽な授業だったら、やらない方がマシだ。

 (2) 新方針
 何か一つのテーマを決めて、とことん調べよう。
 たとえば、原爆問題。これを調べる。すると、たくさんの課題が見つかる。
  ・ 英語の文献調査
  ・ 被害者の被害の統計調査
  ・ 被害と医学の関係
  ・ 原爆の悲しみを語った詩
 これらのすべてが、原爆の全体像を示す。その全体像は、とうてい、一つの教科の枠内では、片付かない。だから、これまで習った勉強を総動員して、とことん研究しよう。

 これが総合学習の本来のあり方だ。基礎的な教科の上に、実践的な応用がある。その応用こそ、総合学習の場だ。総合学習の本質は、「ごった煮」ではなくて、「応用」なのである。つまり、「学問と現実との接点」だ。
 この本質を理解することが大切だ。

 [ 補説 ]
 「基礎と応用」という関係にあるわけだから、応用的な科目で、総合学習の方式を取り入れるのが、原則となる。
 では、応用的な科目とは? 基礎的な科目は、英数国だ。それ以外が応用的な科目だ。
 具体的な例としては、たとえば、こうだ。
 (1) 理科
 生物の方面を調べるときに、化学的な知識が必要となる。たとえば、植物の生長を調べるとき、化学のホルモンの化学構造の理解。さらに、生長のグラフの数学的な処理に、数学的な知識が必要となる。天文学でも、数式処理が必要となる。機械的な工作でも同様。
 (2) 社会
 一つの国について、歴史や地理や文学や言語の理解を、総動員する。また、さまざまなデータの統計処理に、コンピュータによる数式処理を利用する。ネットでの検索には英語を使う。かくて、英数国の知識がすべて必要となる。


● ニュースと感想  (7月03日)

 「日本の近代史」について。
 日本の近代史をちゃんと勉強してみると、靖国問題の背景について、人々がいかに無知である、よくわかる。細部にとらわれすぎる傾向もあるので、大きな流れをちゃんと理解しておいた方がいい。

 (1) 真珠湾攻撃の前後
 まず、大東亜戦争を「一つの戦争」というふうに見るべきではない。あの戦争は、真珠湾攻撃に始まったわけではない。それ以前に、日中戦争という、長い戦争が続いていた。それに対してアメリカが介入したことから、日米開戦が起こったわけだ。

 (2) 日中と日韓
 また、日中と日韓とを、一つにまとめてみるべきではない。韓国の場合は、独裁者による専制体制が続いており、日本の支配はその独裁体制を打破したという意味があった。「侵略」という言葉はあまり適当ではない。もともと民主的な体制などはなく、むしろ逆だったからだ。
 一方、中国では、事情は異なる。非漢民族による清朝が打倒されたあとで、中国はいくらか内乱状態にあり、そこに乗じて、日本が食指を伸ばした。そもそも、それ以前の清朝時代から、日本は明白に侵略を重ねていた。日清戦争や二十一カ条要求は、その具体的な例だ

 ただし、このような侵略行為は、日本だけにあったわけではなく、欧米諸国も同様だった。ことさら日本だけが「謝れ」と非難される筋合いはない。日本だけが非難されるのは、江沢民政権(天安門事件以降に独裁体制を確立して民衆弾圧をする政権)の邪な意図があったからだろう。
 とはいえ、だからといって、日本が「私の手は汚れていません」と居直るのは、筋違いだ。日本の手は確かに血で汚れているからだ。歴史資料によると、一九三七年以降の日中戦争では、日本人戦死者は70万人ほどになったが、中国人戦死者は1000万人にものぼると言われる。(ともに軍人だけでなく一般人をふくめた数字。)……というわけで、中国人はまさしく、痛みを感じているわけだ。

 要するに、中国の対日非難は、政治的にも道義的にもおかしいのだが、だからといって、「中国は悪い」ということは、「日本は正しい」ということを意味しない。欧米に対する日本の戦争には、やむにやまれぬ事情もあったが、それ以前の対中侵略には、弁解しがたいものだ。「列強の極東進出に対抗する」という名分はあったが、だからといって中国人にとっては「自国が日本に侵略されていい」ということにはならない。
 とはいえ、中国の自立を助けたのもまた、日本である。孫文などが清朝を打倒して、民主中国を確立しようとしたとき、日本という場所はかなり貢献した。日本がまるきり中国と敵対していたわけでもない。

 まとめ
 歴史というのは、非常に複雑である。その複雑な歴史の流れを、よく理解することが大切だ。特に、「自分は全面的に正しい」と主張すると、歴史の複雑さを見抜けず、歴史を単純な形に歪めてしまう。……その典型が、中国や韓国の反日教育である。同時に、日本における保守派の論調もまた、その典型だ。どちらも「自分は全面的に正しい」とだけ主張する。そのせいで、目が曇る。見たいものだけを見て、見たくないものを見ない。(左翼もそうだし、右翼もそうだ。)
 歴史においては、どちらか一方だけが全面的に正しい、ということは、まずありえない。複雑なものを複雑なまま理解しよう。真実を真実のまま理解しよう。決して、思い込みによって、真実を見る目を曇らせてはならない。
 これはまあ、私が常に言っていることではあるが。


● ニュースと感想  (7月03日b)

 「清音と濁音」について。
 濁音「ば」(ba)に対応する清音は、「は」(ha)ではなく、「ぱ」(pa)であるという。「ダーリンは外国人」のモデルとなった外国人男性の指摘。( → 該当ページ
 言語学のお勉強。言語の歴史。……一般に、日本の古語については、日本人は何も知らない。学者ですら、知らないことが多い。外国人の方が、ずっとよく知っている。

 ついでにもう一つ。同じサイトにある話。日本では昨今、ヨン様ブームがあったが、かつてはもっとすごい韓流ブームがあったという。江戸時代のことで、漢詩に関連してのことだが。( → 該当ページ


● ニュースと感想  (7月03日c)

 「英語のヒヤリング」について。
 大学入試では、英語のヒヤリングが重視されている。これはこれでいいのだが、過度に重視するのは好ましくない、と思う。なぜか? ヒヤリングの能力が国全体で高まることはいいが、個人レベルの評価法としてはあまり適していないからだ。
 学力というものは、「勉強すれば能力が高まる」というもののみ、評価するべきだ。先天的な能力は評価するべきではあるまい。しかるに、ヒヤリングは、どうか? この能力は、幼児の時期に、大半が決まってしまう。脳の音声のパターン認識能力は、幼児の時期に形成されるからだ。遅くとも、小学校まで。中学校以降では、ひどく苦労して、効果は少ない。
 また、財力が大きく影響する。ヒアリングの高価な機器を購入した親の子供は有利で、貧乏人の子供は不利だ。
 それでも、ヒヤリングが全員に必須だ、というのなら、まだわかる。しかし現実には、そうではない。商社マンならいざ知らず、たいていの理系の技術者は、英文の読解力と作文力が最優先であり、ヒアリングの能力はそこそこあれば十分だ。
 
 以上の点をかんがみて、次のように提案したい。
 「ヒアリングと英作文を、選択できる」
 たとえば、幼児期に英国で過ごした文系の子供は、得意なヒヤリングを選択すればよい。幼児期にヒヤリングをする環境がなくて、相対的に不利な教育環境にある理系の子供は、英作文を選択してもよい。あえてヒアリングを選択すれば不利になるが、それでもよければヒアリングを選択すればよい。
 とにかく、「これがいいから、これを全員一律で」というのは、日本人の悪い癖だ。(特に朝日は、その傾向があり、日本人全体を洗脳したがる。)
 しかし私の方針は、「さまざまな個性を重視して、多様な人材を育てよう」ということだ。

 [ 付記 ]
 企業では英語力を重視して、社員に英語習得を要請しているところがあるという。(朝日・夕刊・1面 2005-04-06 )
 これに似た話だが、「富士通が社員に英語重視と成果主義を実施したら、業績が急速に悪化した」という話がある。 ( → 11月18日11月18日
 ま、商社なら英語重視もいいが、メーカーでは英語重視で技術無視だとろくなことはない、ということだろう。


● ニュースと感想  (7月03日d)

 「『指摘する』という言葉」について。
 新聞記事を見ると、「指摘」という言葉がやたらと出てくる。「××氏は……と指摘した」というふうに。この言葉の使い方が、まったく間違っている。
 この言葉は、本来、自分以外のどこかにある欠点を暴露するためにある。たとえば、
 「変人経済学者が、政府の欠陥を指摘した」
 というふうに。ところが新聞記事を見ると、自分自身のことにまでこの言葉を使っている。たとえば、
 「××社は、自社の今後の収益について、増収増益になるだろうと指摘した」
 というふうに。ここでは自分自身のことを見通すのに、「指摘」という言葉を使っている。馬鹿げている。
 要するに、今の新聞記事では、「言う」のかわりに「指摘する」という言葉を使っている。なぜ? 「言う」だと、漢字変換のときに、「行った」や「いった」となりがちで、困るのかもしれない。しかし、それなら、「語る」「述べる」「示す」などの用語を使えばいい。
 記事で頻繁に使う用語ぐらい、ちゃんとした用語を使ってほしいものだ。特に、朝日がひどい。……これはたぶん、朝日の校正部(整理部)が、サボっているせいだろう。なぜ? 見出しに寒いダジャレを使うことに熱心であるせいで。遊ぶことに熱中しているから、肝心の仕事はサボりっぱなし。
 小泉に似ていますね。


● ニュースと感想  (7月03日e)

 「量子力学の理論と現実」について。
 科学雑誌「ニュートン」の最新号(2005年08月号)に、「真空中では量子がたえず誕生したり消滅したりしている。エネルギーと質量との間でたえず転換している」という話が特集されている。で、これを「不思議だ」と評価している。
 不思議に思うとしたら、理論が根源的に狂っているからだ。つまり、「量子は粒子である」と考える理論がおかしい。シュレーディンガーの猫であれ、二重スリットであれ、はたまた Hartree 近似であれ、現代の量子力学はいずれも、「量子は粒子である」ということを前提としている。そこで、現実を観測して、「不思議だ」と思うわけだ。
 「不思議だ」と思う前に、「自分の理論は間違っている」と認識するべきだろう。つまり、「量子は粒子である」と考えるかわりに、「量子は質量とエネルギーの間で相互転換し、量子は粒子と波の間で相互転換する」と考えるべきだ。……それ以外に、正解はない。なのに、現実は、二つの立場が分裂している。
  ・ 量子は粒子である。 (普通の量子論)
  ・ 量子は 波 である。  (場の量子論)
 二つの立場があり、統合されていない。……こんな状態では、「量子は波と粒子で相互転換する」という現実を、まともに認識できまい。
 ニュートンの記事を読んで、現代の量子力学のいい加減さを、はっきりと理解しましょう。

( ※ 正しくは → 二重スリットと観測問題


● ニュースと感想  (7月04日)

 「大学の制度改革」について。
 大学の制度が、旧態依然としていて、なかなか改革が進まないそうだ。(読売・朝刊・コラム。 2005-07-03 など。連載中。)
 なかなか良い指摘だが、一番肝心な話が抜けている。それは、経済的な視点だ。
 大学の教授たちが、身分の保証に汲々としていて、ちっとも自己改革をしない、というのは、その通りだ。ただし、それを単純に米国と比較しても、何の意味もない。なぜなら、経済的な状況が、まったく違うからだ。
 日本では、どうか? 給与を、大企業と比較してみよう。

  ・ 教授  …… 係長〜課長
  ・ 助教授 …… 主任〜係長
  ・ 講師  …… 平社員
  ・ 助手  …… 臨時雇用社員
  ・ 院生  …… 奴隷

 これが実状だ。一方、米国だと、教授クラスなら、日本の重役並み。使える資金も潤沢だ。日本だと、うまく予算が下りないことがあり、そういうときに、他の項目の予算を転用すると、犯罪者扱いされる。最悪。
 こういう状況がある。今は教授でも、下手をすれば、奴隷か失業者である。とすれば、教授たちが身分を守るのに汲々としているのも、仕方あるまい。教授たちを責めればいい、というものではないのだ。
 基本には、日本の科学行政の貧困がある。日本という国が、最優秀の科学者たちを冷遇してきたから、科学者たちは地位保全ばかりに夢中になるのだ。……で、自らの地位を脅かすような、新しい理論には目もくれず、研究は旧態依然のものになりがちだ。革新的な理論など、なかなか出てこないし、たとえ出ても、つぶされる。
 日本の研究者が先天的に、そろって馬鹿ぞろいである、ということはありえない。後天的に、馬鹿ぞろいになるようになっているのだ。そういう環境が用意されているのだ。……その根源に気づかない限り、いつまでたっても、状況は改善されない。


● ニュースと感想  (7月04日b)

 「大学の講義の改善」について。
 大学の講義は、今も昔も、旧態依然だ。高校や予備校ではどんどん進歩しているのに、大学教授は百年前からほとんど変わっていない。で、大学生は文句を言う。……こういう状況が、五十年ぐらい続いている。ひどいですねえ。
 最近では「学生による評価」というのを実施することもあるが、あまりポピュラーではない。そうするだけの意欲が大学にない。(というより、大学教授にない。)
 そこで提案。ここは情報化技術を使いましょう。学内専用の掲示板(パスワードつき)を使って、教授の評価を、学生が書き込めばいい。
 「小田教授の講義はひどい。板書にも書かずに、口述するだけ」
 「中田教授の講義はメチャクチャだ。数式を書いていったかと思うと、『あ、失敗した』といって、最初から証明を書き直す。下準備なんかちっともしていない」
 「大田教授の講義は、ダジャレばっかりで、話の本筋からそれてばっかりだ。受けを狙っているようだが、教育と漫才を勘違いしている」
 こういう掲示板を使って、学外にも広く公開するといいだろう。何らかの効果があるはずだ。教授だって、恥をかきたくないでしょうしね。

 [ 付記 ]
 パスワードつきの無料掲示板は、たくさんある。大手のプロバイダでは、多くが用意している。会員IDを要求する理由は、通りすがりの一般人を拒絶して、掲示板荒らしが行なわれないようにするため。
 というわけで、コストはゼロで、掲示板を利用できる。大学生にはぴったりだ。


● ニュースと感想  (7月04日c)

 【 告知 】
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   → Open ブログ の 7月04日  または  表紙  


● ニュースと感想  (7月05日)

 「ロボットの実用化」について。
 トヨタが家庭用のロボットを2010年ごろに発売する予定だという。(朝日・朝刊・1面 2005-05-31 ,朝日のサイト
 朝日は「夢の実現」というふうに楽観的に記述しているが、「悪夢の実現」ですらある。良い面もあるが、悪い面もある。
  ・ ロボットにぶつかってケガをする
  ・ 倒れたロボットに踏みつぶされる
  ・ ロボットの突起に目をつぶされる
 いろいろと問題がある。なぜか? ロボットは通常、金属製だからだ。なお、「表面を柔軟な素材で被覆している」恐竜型ロボットもあるが、そういう「愛」や「優しさ」のある発想は、トヨタにはない。頭の発想が硬いせいで、ロボットの体も硬い。
 この件、詳しい話は、前にも述べた。( → 3月08日

 [ 付記1 ]
 記事では「将来の少子化や労働力不足に対処」なんて言っている。しかし、これはむしろ、「失業増加」に効果があるんじゃないでしょうかねえ。朝日の記事は、どれもこれも、「企業にとって損か得か」という視点で書かれていて、国民の視点がないが。(古典派だから。マクロ音痴だから。)
 「ロボットで接待業」なんて用途があるが、接待業ならば、老人が最適だ。ろくにサービスもできないぶっきらぼうの若者より、ていねいな老人の方がずっと好ましい。今は老人が珍しいが、社会に老人がいっぱい進出すれば、若者と老人との隔たりが減るだろう。(どこかの広告写真にあったが、今の日本では20歳以下の若者はごくごく少数派だ。)

 [ 付記2 ]
 省力化のためなら、汎用のロボットなんかより、単機能の機械による機械化の方がずっと便利だ。
 たとえば、マクドナルドを見よう。「百円ハンバーガーは安いから買おうかな」と思って入りかけると、いつ見ても、客が行列をなしている。それでも並ぶと、一人が片付くのに3〜5分ぐらいかかるので、自分の番になるまで、ものすごく時間がかかる。自分の番になっても、出来上がるまで待たされる。うんざりだ。だから、「もう二度と来るものか」と思う。かくて、マクドナルドは、客の回転率を下げて、売上げを減らす。
 ここでちょっと頭を働かせば、問題は簡単に片付く。

  ・  購入  →(券売機)→
     ↓         
  ・  並ぶ         
     ↓         
  ・ 受け取る ←(調理場)←


 つまり、客が券売機で券を買った時点で、情報が調理場に流れて、すぐに調理する。客が列に並んでいる間に、調理する。客が窓口に並んだときには、もう商品が焼き上がっているから、金を払うだけで、すぐに商品を受け取れる。かくて、客は待たずにすぐ買えて嬉しいし、店は回転率が上がって嬉しい。
 しかも、ここでは、接客ロボットなんか、必要ない。券売機を用意して、調理場と電子的に情報伝達するだけでいい。ハイテクではなく、ローテクがあればいい。
 高度な技術などは必要ない。知恵だけがあればいい。

 教訓。自分の頭で考える能力のない人間が、ロボットに頼りたがる。人間の白痴化。人間のロボット化。

 [ 余談 ]
 ネット・サーフィン(死語?)をしていたら、たまたま、オタク関係のページにまぎれこんでしまった。オタクというものが何を好むのなのか、初めて実態をはっきり知った。
   → 美少女フィギュアのサイト  その1 , その2
  (色物なので、真面目な人は見るのをやめましょう。  (^^); )
 これを見てどう思うかは、人それぞれでしょうから、私からは評価しませんが。……なんかね。男のオママゴトみたいなんですよね。私自身は、笑ってしまいました。(不謹慎?)
 こんなのを見て喜ぶ人が多いのならば、日本の少子化は当然だ、という気もしますね。


● ニュースと感想  (7月05日b)

 「ぎこちないロボット」について。
 現時点で「最高水準」と自称するアンドロイド(人型ロボット)の動画がある。( 13.6MB )
   → 動画をダウンロードするサイト
 人の動きを真似したというが、あまりにもぎこちない。「死者が動いている」という形容がぴったり。不気味なこと、この上ない。( → 同種の感想
 
 では、どうして、ぎこちない動きをするのか? ロボット技術が未熟だからだ。では、どこがどう未熟か? 生物とはまったく別の原理で動いていることだ。では、その原理とは? こうだ。
 「このロボットでは、個々の動作部(筋肉に相当する)を、個別に制御している」
 一方、生物では、こうだ。
 「生物では、複数の動作部(複数の筋肉に相当する)を、セットで制御している」
 たとえば、「右手を挙げる」という動作がある。ロボットでは、そのためのモーターを一つずつ個別に制御する。しかし人間は、そんなことをしない。特定の筋肉を動かすのではなくて、「手を右に上げる」ということに相当する複数の筋肉を同時に動かす。それは、生物にとって最も負担の少ない動作でもある。
 要するに、生物の動作とは、パターン運動なのだ。「右手を挙げる」という一個の動作には、それに対応する複数の筋肉の作用がある。意思と筋肉とは、一対多の関係であるが、一つの意思が多くの筋肉を動かしているのではなくて、一つの意思が一つのパターン動作をONにしているにすぎない。一つのパターン動作と多くの筋肉とを結びつけているのは、大脳ではなくて、小脳である。

  大脳  →  小脳  →  筋肉
  意思     パターン    動作
  一つ      一つ      複数

 これが人間の場合。ところが、ロボットでは、最初から最後まで、直結的に制御する。……ここが、人間とロボットの違うところ。
 まともなロボットは、パターン制御が必要となる。現在のロボット技術は、そこまで進歩していない。発想が根源的に狂っている。そのせいで、CPUを無駄にたくさん働かせて、愚劣な動きしかできない。
 このあたり、話はかなり複雑になる。簡単には述べきれない。本項では、原理だけを述べた。
( ※ 同種の話 → 5月14日b


● ニュースと感想  (7月05日c)

 「イランの大統領選挙」について。
 イランの大統領が決まって、経歴がどうのこうのと報道されている。しかし、そもそも、どうしてこの人物が当選したのか? 保守派(宗教派)の最強硬の人物であり、こんな人物が当選するとは、とうてい信じがたい。国民は改革派が多数なのだから。民主主義が成立しない大統領選なんて、あるのだろうか? 
 この事情は、主要な新聞ではさっぱり報道されない。たとえば、朝日のサイトを検索しても、まともな記事はなかった。「保守派の二人の候補者が対立している」という情報だけ。だが、マイナーな新聞では報道されていた。
  → 東京新聞産経新聞
 要するに、改革派は、「資格審査」という障壁で、すべて除外されてしまったらしい。ふるいにかけられたわけだ。
 こうして、民主主義が有名無実となる。……ひどいですね。
 そう言えば、日本の民主主義は、1票の重みが3倍を超えたり5倍を超えたりしている。噴飯もの。有名無実。イランみたいですね。


● ニュースと感想  (7月05日d)

 マウスの話を、Open ブログにいろいろと書きました。
   → Open ブログ
 マウスにこだわる人は、ぜひ、お読み下さい。(昨日の日付の更新なので、すでに読んでいるかもしれませんが。)


● ニュースと感想  (7月06日)

 本日分としては、他のサイトにもいろいろと記述しました。次のページをご覧ください。

 (1) Open ブログ
 キーボードの話。
 → Open ブログ

 (2) 量子力学
 先日も紹介したように、量子力学の話を書いた。( → 7月03日e ) これに関連する話を、新たに追加した。
 シュレーディンガーの猫に関連して、量子力学には「コペンハーゲン解釈」というものがある。「観測が状態を決定する」という解釈だ。たとえば、「二重スリットのどちらのスリットを粒子が通るかは、光を当てて観測することで、決定する」という解釈だ。
 この解釈については、私は前から否定していた。かわりに、別の解釈を出しておいた。「波と粒子の相互転換」という解釈だ。(「二重スリットと観測問題」のページで示した。)
 以上で示されたのは、二つの解釈がある、ということだ。では、どちらが正しいのか? 通常は、「解釈の違いにすぎない」と言われるだけだ。しかし、1997年の実験では、「コペンハーゲン解釈が成立しない」とわかる。
 人が観測するから、電子が発生するのではない。人が観測しなくても、電子は発生する。観測したから電子が発生したのではなくて、電子が発生したから電子が観測可能になっただけだ。
 つまり、「観測が状態を決定する」という解釈は、実験によって否定されたわけだ。
 この新たな実験(カシミール効果の実験)について、次のページで紹介した。
  → 「観測の意味」ページの[ 付録 ]
  → 「物理学における問題」のページの[ 付録 ]


● ニュースと感想  (7月06日b)

 「靖国神社の実状」について。
 靖国神社に参拝するのは当然だ、と思った人が、この五月、実際に靖国神社に行ったときの感想。(朝日・朝刊・投書欄 2005-07-05 )
 「遊就館という軍事博物館に入ったときでした。そこでは、軍歌が流れ、明治以降の日本の参戦記録が展示され、どれもが戦果を称え、自衛のためと強調していた。A級戦犯といわれる人たちは、昭和殉難者という神になってまつられているとのことでした。」
 これはただの事実報告。著者の所感は省略した。どういう所感かは、言うまでもあるまい。
 ま、靖国参拝を正当化する主張をするのはともかく、「戦争の反省のため」というふうに、虚偽を主張するのは、やめてもらいたいですね。「戦争の美化のため」と、はっきり正直に語るべきだ。誰が見ても、靖国の実状はそうなのだから。
 虚偽の上に立つ主張は、すべてが無意味である。

 [ 参考 ]
 ネット上の情報。遊就館の実態。
http://members.jcom.home.ne.jp/kashii-ke/babel/04-10/wind.htm
http://blog.nojijizm.jp/archives/5591864.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/26_01_0.html

 画像は、下記。
http://www.tekipaki.jp/~label/mc4126/tokusetu2/yuusyuukan.htm
http://homepage3.nifty.com/tompei/Yuusyuukan.htm
 これらの画像を見ると、軍事オタクの博物館であるようだ。「栄光の日本軍」という感じ。過ぎし日のノスタルジアを感じているのだろう。


● ニュースと感想  (7月06日c)

 「若貴騒動の決着」について。
 若貴騒動が決着したようだ。兄の側が全面的に譲って、弟にすべてを渡した。
 弟としては、すべてを独占することができた。狙い通りなので、「目的を達成した」と大喜びだろう。
 ともあれ、これで、善人と悪人の区別は、あまりにあからさまな形で、明白になったわけだ。普通の遺産争いに置き換えれば、すぐにわかる。
 「兄弟二人がいて、弟が遺産の独占を主張し、喧嘩になった。と思ったら、兄は沈黙を守り、喧嘩にならない。最後には、兄が相続放棄して、遺産すべてを弟に譲った。」
 弟の方は、兄の分まで、すべて奪わなくては気が済まない。兄の方は、自分のものをすべて弟に譲る。……善人と悪人の区別が、これほどはっきりとコントラストをなすのも、珍しい。たいていは、醜い兄弟争いになるものだが。

 なお、解説しておこう。弟の方はすべてを独占できた。これを見て、「うまいことやりやがったな」と思ったあげく、「自分も真似しよう」と思って、やたらと攻撃的になる人もいるかもしれない。しかし、決して、貴乃花の真似をしてはならない。彼は、他人を破壊しただけではない。その前に、自分自身を破壊したのだ。
 兄が譲ったのは、弟があまりにも哀れだからだ。弟の方は、人格を崩壊させてしまって、廃人同様である。兄は、「あんなふうにはなりたくない」と思って、哀れんでいるのだろう。で、精神病の医療費のかわりに、金を恵んであげたようなものだ。
 しかし、精神病の患者になって金をもらっても、そんなのは少しも嬉しくないはずだ。たぶん、貴乃花も、いくら金をもらっても、決して満足は得られないはずだ。今後も、相撲協会の内部で、権力争いをしたあげく、「すべてを得るまで譲らないで攻撃する」という態度に出て、最終的には、社会から抹殺されるだろう。
 いくら金を得ても、廃人になってしまっては、おしまいだ。

 [ 付記 ]
 貴乃花は精神病の患者ふうだが、本人はそう思ってはいまい。彼の頭のなかでは「栄光の横綱時代」のイメージが輝いているのだろう。そして過ぎし日のノスタルジアを感じているのだろう。





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「小泉の波立ち」
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