[付録] ニュースと感想 (87)

[ 2005.05.12 〜 2005.05.29 ]   

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● ニュースと感想  (5月12日)

 「イラクの日本人拘束」について。
 イラクでまた日本人が拘束された。ただし今度は、一般の民間人ではなくて、武装した警備員。経歴は、元兵士(元自衛隊員)で、自衛隊員以上の高度な軍事能力をもつから、傭兵に近いが、攻撃をする傭兵とは違って、民間施設を守るという点では警備員だ。
 これを見て、「何より人命第一だから、日本政府が救助せよ」という人道派の論調(朝日)もあるし、「高給をもらっているから、自己責任で」という保守派の論調もある。で、私は? もちろん、例によって、どちらでもない。どっちにも反対する。

 (1) 人道派への批判
 自発的に戦地に向かった武装員に対して、「政府が助けてあげよう」なんていうのは、かなりお門違いだ、というのは、当然だろう。この点では、保守派の論旨ももっともだ。
 とはいえ、「無視せよ」というのも、変だ。だから、通常の業務内で対応すればよい。「海外で泥棒の被害にあった」「海外で重病にあった」という人に対応するのと同程度の対応をするべきだろう。その程度で十分。この一人の人命は、JRの事故死者の百人分に相当するわけではない。

 (2) 保守派への批判
 どちらかと言えば、保守派の主張の方が、よほどおかしい。そもそも、この日本人警備員は、イラク復興の民間企業を警備するために働いていた。それも、危険な土地で、あえて軍隊のようなことをやっていた。
 とすれば、彼のやっていたことは、日本の自衛隊がやるべきことだったのだ。どうせ自衛隊を派遣するのなら、軍人として、危険な土地で警備をすればよい。ところが現実には、日本の自衛隊は、サマワという安全な土地の、隔離された安全なところ(鉄条網の内部)に引きこもっていて、外に出て行かない。自分では警護せずに、外国の軍隊に警護してもらっている。
 警護するために出掛けて、警護してもらっている。腰抜け。どうせ400億円も使うなら、イラク人のために使えばいいのに、その金を自衛隊の維持費に食いつぶしてしまっている。いない方がまだマシだ。
 こういう腰抜けが何もしないでいるから、かわりに、自衛隊がやるべきことを、あの日本人警備員がやったわけだ。それを見て、「自己責任だから政府は放置せよ」なんて主張するのは、ちゃんちゃらおかしい。
 たとえて言おう。JR西日本の事故が起こった。それを見て、JR西日本の社員は、その場にいたのに、救助作業を投げ出して、さっさと会社に戻ってしまった。仕方ないので、現場にいた乗客が、苦しんでいる人々を助け出した。そのとき、危険な作業をしたせいで、ケガをしてしまった。……すると、どうなるか? 「自己責任」を唱える保守派は、こう主張する。
 「危険な作業をしたのは、自己責任だ。乗客はそんなことをやらなくてもいいのに、あえてそんなことをやった。だから、政府としては、何も補償をしなくていい。全部、本人の責任だ」
 なるほど、理屈としては、その通り。民間同士の問題に、政府がいちいち介入する根拠はない。しかし、である。そもそも、こういう事故が起こった根本原因は、JR西日本の体質にある。その体質は、どこかか来たか? 政府の方針だ。「JRを民営化すればすべてうまく行く。市場原理で利益優先体質になるから、問題はなくなる」なんていう方針を、政府が取った。そして、利益第一の経営者を選任した。つまり、一番の原因は、自分にある。なのに、その結果として生じた自己の尻ぬぐいをした乗客を、非難する。……これでは、「恥知らず」という言葉が、ぴったりだろう。
 これはたとえ話だ。とはいえ、このたとえ話と同様のことが、保守派の「自己責任」という論調だ。

 結語。
 「自己責任をしきりに唱える連中は、自分自身が最も無責任」

 [ 付記 ]
 要するに、こうだ。「あの日本人はイラクには行くべきではなかった」という主張は、たしかに成立する。たぶんその通りだろう。
 しかし、「自衛隊は行くべきだ」と主張して、同時に「あの日本人は行くべきではなかった」と主張するのは、とんでもない恥知らずだ。平和主義なら平和主義を貫徹するべきだし、軍事主義なら軍事主義を貫徹するべきだ。都合のいいところだけつまみ食いするのは、恥知らずと言うしかない。そういうご都合主義を取ることを、「コイズミる」と言う。


● ニュースと感想  (5月12日b)

 「ライブドアとJR西日本の事故」について。
 ライブドアの問題に関連して、次のように述べたことがある。( → 3月02日d
 ライブドアの事件をきっかけに、「外国資本の支配」を危惧する声が上がっている。そのせいで、「ポイズン・ピル」(毒剤)という方式も提案されている。しかし、何のためであるかを、よく考慮しよう。
 「外国資本の支配」は、必ずしも悪いことではない。たとえば、日産は(なかば)ルノーの支配下になったし、三菱はベンツの支配下になっていたし、マツダはフォードの支配下にある。で、それで、何か悪いか? 国益に反したか? むしろ、国益に適っている。三菱は再建に失敗したが、日産もマツダも再建に成功した。誰もこれらを失敗例だとは見なさない。
 一方、旧来の経営者のもとでは、これらの企業はずっと駄目だった。日産もマツダも三菱もダメだった。三菱に至っては、今や、ふたたび古い経営者のもとに戻ってしまっている。
 企業が外国資本の支配下になることは、少しも悪いことではないのだ。それよりは、古い経営者の支配下で、赤字を垂れ流す方が、ずっと悪いのだ。例としては、ダイエーの中内支配や、西武の堤支配がある。
 実は、これは、JR西日本の事故にも当てはまる。こういう事故が起こった理由について、「企業が安全対策をおろそかにしたからだ」という主張がしばしば見られる。ではなぜ? その前に、「企業が利益しか見なかったから」という問題がある。その前に、次の二つの問題がある。
  ・ 「民営化すれば万事うまく行く」という古典派の発想。
  ・ 「民営化したあとで、古い経営者が退陣しない」という現状。
 前者については、 5月09日b に述べた。
 後者については、こう言える。── JR西日本の経営者は、古臭いダメな経営者だ。こういう古い経営者は、さっさと退陣するべきだった。ダイエーの中内と同様。ところが、「古臭い経営者を退陣させる」という本来の市場経済のシステムは、正常に働かなかった。なぜなら、「敵対的買収をやめさせよう」という日本の風土(封建主義経済)のもとで、正常なシステム(資本主義経済)は罪悪視されてきたからだ。まともなことをやって犯罪者呼ばわりされるなら、やらないほうが利口だ。
 というわけで、資本主義経済が阻害されたせいで、封建主義経済がのさばり、古臭い無能な経営者がいつまでも経営の座に鎮座する。正常な経営交替がなされない。
 
 先日、ライブドアによる買収を非難した経済関係者がたくさんいる。こういう連中は、JR西日本のダメな経営者を擁護していたのも同然だ。日本の企業で、いつまでたっても不祥事が絶えないのは、ダメな経営者を退陣させるシステムが働いていないせいである。
 だから、JR西日本の事故は、起こるべくして起こった事故だ。当然ながら、今回の事件に、話は限らない。今後も次々と、不祥事は起こるだろう。雪印の牛肉詐欺も同様だし、トラックメーカーの欠陥や違反走行も同様だし、不祥事は今度も何度も何度も起こるはずだ。古臭い経営者が退陣しないせいで。それを擁護する日本経済のシステムのせいで。

 [ 付記 ]
 ライブドアによる買収について、「金ですべてを片付けようとするのは、けしからん」という素人の論調が結構あった。あきれたものだ。資本主義では、株式の保有は、金ですべてを片付けるのがベストである。それ以外にやるとしたら、情実でやるしかない。あるいは、古い経営者をのさばらせておくしかない。最悪。
 たとえば、ライブドアが千億円で企業を買収したとしよう。それを見ると、「千億円も使いやがって。マネーゲームをして、けしからん」という感情的な反発が出そうだ。
 しかし、千億円も使うのならば、当然、馬鹿げたマネーゲームなんかをやるはずがない。緻密な損得勘定があるはずだ。そして、万一その予定が狂ったとしても、それで失敗するのは、投資をした当事者だ。これは一種の経済活動である。第三者がそれをとやかく言う必要はない。
 たとえば、トヨタは毎年、設備投資や研究開発投資に、1兆円以上の金をかけている。これを見て、第三者が、「そんな大金を出すのは馬鹿げている」と主張しても、まったくの無意味である。素人の第三者が口を出しても仕方がない。トヨタとしては緻密な損得勘定をした上で、それがベストだと思っているから、そうしているだけだ。ケチな第三者が「そんな大金を使うのはけしからん」なんて感情的に反発をしても、「余計なお世話」というものだろう。
 ライブドアがどんな経済活動をしようと、それはライブドアの勝手だ。自分の金で、自分で経済活動をする。他人がそれをどう思うかは、それは他人の勝手だが、いちいちマスコミ上で「けしからん」なんていう感情的な発現をするべきではあるまい。そういうのを「出過ぎた真似」と言う。そんなくだらないたわごとを言うくらいなら、ホリエモンの向こうを張って、自分で数百億円お金を動かして、最適の経済活動をすればよい。「どうだ、おれはこんなに上手に金を使っているぞ」と、誇ればよい。しかるに、数百億円どころか、家庭における1万円でさえ、奥様の許可を得なければ使えないような千円亭主には、ホリエモンのことを批判する資格はないのだ。そんなことを言えば言うほど、奥様に馬鹿にされるだけだ。
 「あんた、そんなことを言っている暇があったら、自分の稼ぎを増やしたらどう?」
 で、そうなったら、こう返事をするんでしょうね。
 「いや、だからさ、ホリエモンの批判をして、原稿料を稼いでいるんだよ」
 すると、奥様が鼻であしらう。
 「なーんだ、あんた、ホリエモンのおかげで小銭を稼いでいるの? で、いくら稼いだの? 百億円?」


● ニュースと感想  (5月13日)

 「敵対的買収」について。
 企業買収に当たって、「敵対的買収」という言葉がしばしば使われるが、この言葉は錯覚をもたらす。「敵対的」なんていう言葉は使わないで、「競争的」とか「競合的」とかの言葉を使う方がマシだ。そうすれば、企業の売買が、市場原理におけるただの競争的な活動にすぎない、とわかる。
 一般に、企業の経営権(つまり株式)の売買は、ただの経済活動にすぎない。それは市場経済という競争的な市場における、当り前の現象だ。たとえば、IBMが中国の企業にパソコン事業を売却して、日本の高度なノートパソコン技術が中国の企業のものになってしまったが、これを外部がとやかく言っても仕方ない。ただの経済活動にすぎない。
 経営権の売買では、競争が起こることもある。それは、一般の市場において、耐えず競争があるのと、同様だ。たとえば、トヨタと日産とホンダは、自動車市場で激しく競争している。これを見て、外部の人が「各社は敵対的な関係にある」なんて非難するのは、お門違いだ。ライバルが競争関係にあるのは、市場原理に置いては当然のことだ。
 「敵対的買収」という言葉を使う人は、市場経済の原理そのものを否定していることになる。馴れ合いと各社協調だけを守ろうとしていることになる。それはただの談合主義にすぎない。
 日本テレビの株をめぐって、ライブドアとフジテレビが競合したとしても、それは、自動車市場で日産とトヨタが競合するのと、まったく同様のことだ。なのに、フジテレビを基準にして、「敵対的」とか「ホワイトナイト」とかの言葉を使うのは、愚の骨頂だ。それは、たとえば、こう主張するのと同様だ。
 「自動車市場はトヨタの寡占状態が続いている。日産やホンダが魅力的な新車を出して、トヨタの市場を奪うことは、敵対的な行為だ。日産やホンダが金に飽かせて値引きをして市場を奪うとしたら、金銭至上主義という資本主義の悪い面が出ている。もっと良心的になるべきだ。今までのシェアを守るべきだ。トヨタの独占を阻害するべきではない。もし、日産やホンダがトヨタの市場独占を崩すような敵対的な行為をしたならば、それに対抗する競争阻害の政策(ポイズンピルふう)を導入して、過剰な競争をやめさせるべきだ。そうすれば、トヨタの経営者は安泰だからだ。従来の経営者の地位を守るために、競争阻害政策を導入しよう!」

 結語。
 経営者の二重基準(ダブルスタンダード)。
 「国は民間企業の経営に介入するべきではない。規制緩和を推進すべし」
 「国は民間企業の経営に介入して、何としてもおれたちの経営権を守ってほしい。たとえば、市場原理に違反するポイズンピルを、導入させてほしい。おれたちの自分勝手な規制を認めてほしい」


● ニュースと感想  (5月13日b)

 「FireFox と Thunderbird」について。
 FireFox と Thunderbird という話題のソフトについてのコメント。

 (1) FireFox
 ブラウザ。わりといいソフトだが、タブブラウザとして使うには、ちょっと不便。「Tab Mix」というソフトを使うといいようだ。
 日本語版は、この語で検索すれば見つかる。「裸電球」というサイト。
 インストールは、ファイルを FireFox の画面にドラッグしてから、「ツール」−「拡張機能」で設定する。ちょっとあちこち設定しないと、うまく新規タブに開けない。
 なお、その前に、「Shift + クリック」のかわりに、「Ctrl + クリック」によって、リンクを新規タブに開く方法もある、と覚えておこう。この方法を使えば、あまり不自由しないかも。

 (2) Thunderbird
 メーラ。わりといいソフトだが、セキュリティ設定が強烈すぎて、初心者には向かない。たとえば、Windows の具合が悪くなったときに、「システムの復元」でマシンの状態を元に戻すと、Thunderbird のメールファイルが古い時点に戻ってしまう。5月5日に異常を起こして、5月1日のシステムへ復元すると、その間のメールがすべて消失してしまう。いったん消失したメールを回復する方法はない(らしい)。システムを5月5日に戻しても、消えたメールは消えたままだ。
 これというのも、セキュリティ設定が強烈すぎるせい。メールファイルのバックアップを取るのも、初心者には簡単ではない。
 初心者なら、EdMax という無料メーラの方が、ずっといいですね。フォルダごとコピーしておけば、バックアップは可能です。また、古いメールは独自ファイルに保存されるが、これは(拡張子が txt ではないが)テキストファイルなので、grep 検索も可能だ。
 当然ながら、パスワードなんかはないから、セキュリティは最低。しかし、そのおかげで、バックアップもしやすい。普通の人には、こちらの方がずっといい。普通の人には、こちらをお勧めします。

 Thunderbird ってのは、MSふうのソフトである。やたらと無用な高機能がたくさんあって、HTMLメールなんかを標準にしているが、使いたくもない邪魔な機能が多すぎる。普通の設定に直すだけで、一苦労だ。おまけに、バックアップを取るのも面倒だ。
 これは、(セキュリティが強固なので)会社で業務用に使うにはいいもしれないが、普通の個人には使いにくいですね。お勧めしません。

 [ 付記 ]
 ちょっと知識のある人にお勧めなのは、電信八号です。
 ソフトは:
   → 電信八号
 設定法は:
   → 電八 各種設定ガイド

 【 追記 】( 2005-05-14 )
 電信八号には、エディタ部がない。併用するエディタが必要。いろいろあるが、たとえば、次のエディタ。
   → 電八エディタ


● ニュースと感想  (5月14日+)

 前項の最後 に、追記した。(電信八号用のエディタの紹介。)


● ニュースと感想  (5月14日)

 「韓国の女優」について。
韓国の女優といえば、チェ・シラこそ、絶世の美女です。今はもうちょっと年を食ってしまったし、人妻になってしまったが、十数年前なら、韓国の女優として女王としてふるまっていた。
 という記述を、11月05日c で記した。ただしここでは、画像を示せなかった。しかし、最近ようやく見つけたので、少しだけリンクを示しておく。画像1もけっこうきれいですけど、若いころ(画像3,4のころ)は、はるかにきれいだった。チェ・ジウなんか問題じゃないですね。

   → チェ・シラ の 画像1画像2画像3画像4画像5
     ( 参考 : 画像6一覧

( ※ 余談ですけど、Junko に似ていますね。  (^^); )
( ※ チェ・ジウは、尽くすタイプみたいですね。チェ・シラは、独立心が強そうですね。)

  【 追記1 】 ( 2005-05-15 )
 画像2は、画像1と実質的には同じなので、削除しました。
 また、環境によっては、エラーが起こる可能性があるので。(私は問題がなかったが。)……詳細は、下記で。
   障害報告のブログ

 念のため、改めてアクセスしてみたら、「アクセス禁止状態」になっていた。このサイトはいつのまに、おかしな状況になっていたらしい。ふうむ。サイトが変な菌に感染して、病気になったんでしょうか。……今はお亡くなりになりました。

 と書いたが、そのあとでまた確認したら、障害が発生する状況になっていた。ゾンビ復活。気持ち悪いですね。

  【 追記2 】 ( 2005-05-15 )
 チェ・シラの画像の、オマケ編。さらにいっぱい画像があります。(ただし質の良いものは、ないようです。)
   → 韓国 google 画像「チェ・シラ」一覧


● ニュースと感想  (5月14日b)

 「変態性愛ゲーム」について。
 テレビゲームなどで変態性愛ゲームがある、という件について、前に何度か、批判的に言及した。( → 1月06日2月27日 〜 ,3月14日b
 今回また、変態男が出た。少女を監禁して、少女に首輪をはめて、自分を「ご主人様」とよばせて、変態性愛を強いていたという。部屋からは変態性愛ゲームがたくさん出てきたという。(各紙・夕刊 2005-05-12 )
 これはもう、まったく、ゲームのせいですね。だいたい、そういう変態チックなことは、普通の人の頭では発想できない。だから昔は、こんな犯罪は、ほとんどなかった。たまにあると、「サド侯爵事件」というふうに、世間をにぎわす大問題となった。まるで宇宙人でも見るような感じだ。
 ところが今は、この程度の変態は、少しも珍しくない。あちこちの映画やマンガにも、この手の変態男は、ちょいちょい現れる。通常、「変態」というふうに馬鹿にされるだけだ。だが、他人を馬鹿にして見るのではなくて、自分が本格的にはまってしまう連中もいる。
 もちろん、以前なら、そんなことはできなかった。はまるべき対象がなかったからだ。マンガで買おうとしても、よほどの変な本屋にでも行かなければ、買えなかった。しかるに今は、容易に変態ゲームを入手できる(らしい)。秋葉原やゲームショップには、この手のゲームがあふれている(らしい)。インターネットでも容易に購入できる(らしい)。── 私は現物を見たことはないので、推測しかできないが。そうらしいですね。
 
 いやですねえ。自分の娘( or 彼女)が、この手の変態オタクに誘拐されて、変態の対象にされたら、……と思うと、ぞっとする。
 やはり、この手の変態ゲームは、規制するべきだと思う。「経済の自由! 規制緩和!」と反対する連中もいるだろうが、ま、暴力団関係者なんかが、いくらそういう反対を言っても、やはり、規制するべきだろう。ピンクちらしを振りまくのよりは、ずっと悪質だからだ。だいたい、変態ゲームの内容そのものが、なかば犯罪的である。
 
 ま、私がこういうことを言うと、ネットにあふれている変態オタクが、「南堂の野郎が、オレたちの大好きな変態性愛を、邪魔しようとしている!」と怒り狂うだろうが、やはりまあ、こういう犯罪の温床みたいなのは、規制するべきでしょう。ついでに言えば、殺人ゲームも、規制するべきでしょう。
 とはいえ、「発禁」というのは憲法違反になってまずいから、「大量購入者の登録制」みたいなのをやるとよさそうだ。たとえば、年に1つならともかく、10以上も変態性愛ゲームを購入する人は、公的な管理機関に登録する。自動的に監視対象にする。
 今回のオタクも、変態性愛ゲームを大量に購入した時点で、監視対象にしておけば、犯罪を未然に防げたはずだ。

 [ 付記1 ]
 どうせゲームをやるなら、リアルな恋愛ゲームをやりましょう。無料でできるのもあります。下記。
  → サンマリエの 恋愛ゲーム

( ※ ActiveX が有効でないと、 Start ボタンが現れない。)

 [ 付記2 ]
 ところで、サンマリエにせよ、ツヴァイにせよ、あるいは一般の恋愛ゲームにせよ、この手の恋愛ゲームは、無意味とはいわないが、相当にピンボケである。そこではこういう思い込みがある。
 「女性はこういうことをすると喜ぶ」
 これは相当ひどい勘違いだ。どんな点であれ、そのような思い込みは、現実にはほとんど成立しない。そこでは、一番大切なことが見失われている。それは、こうだ。
 「女性というものは、人それぞれである。」
 同じことをしても、ある女性は喜び、ある女性は喜ばない。女性は一人一人、個性がある。それは、男性に一人一人、個性があるのと同様だ。
 女性との交際で一番大切なのは、相手の気持ちを理解することだ。「こうすれば女性はきっと喜ぶだろう」なんていう勝手な思い込みを、一方的に押しつけてはならない。「自分はまだこの人をよく理解できていない」と反省した上で、「この人をよく理解しよう」と努力することが最優先となる。

( ※ ついでに言えば、女性が男を扱うときも同様だ。「尽くしてあげれば男は喜ぶ」と思い込んでいる女性もいるが、残念でした、人それぞれです。喜ぶ男もいるが、喜ばない男もいる。ちなみに、私は、喜びません。私が喜ぶのは、どういう女か? 本日の別項を参照。)


● ニュースと感想  (5月15日)

 「光触媒」について。
 光触媒(酸化チタン)による有機物の分解、という技術がある。あちこちで報道されている。
 そこで、用途を考えたが、うまい用途がある。洗面所の陶器だ。大きな器のある陶器が、二種類ありますね。一つは顔を洗う洗面器。もう一つはムニャムニャ。これらは有機物の付着がひどくて、汚れが目立つ。
 光触媒の技術で、何とかなりませんかねえ。ついでに、風呂場の壁面も全部これにすると良さそうな気がするが。

 できれば、汚いオタクも、汚いマスコミも、汚い企業も、汚い政治家も、光触媒で全部、浄化できませんかねえ。クリーンな日本にしたいですね。


● ニュースと感想  (5月15日b)

 「記事の盗用」について。
 TBSの部長がホームページで、読売や朝日の記事から盗用したコラムを書いていたという。で、読売は、これを大々的に批判する。(読売・朝刊・社説 2005-05-13 )
 呆れたものだ。「目くそ耳くそを笑う」とは、このことだ。だいたい、今の新聞記事はすべて、盗用を前提に成立している。そのことを忘れてしまったようだ。
 通常、新聞には、他社の後追い記事が出る。たいてい、こういう書き出しで始まる。
 「××××××ということが、○○日、明らかになった」
 明らかになった? 事件が勝手に姿を現したんですか? 冗談じゃない。明らかになったのではなくて、人が明らかにしたのだ。そして、その「人」とは、「他社の人」のことだ。それを隠すために、こういう不自然な文章を書く。ちなみに、各社のサイトで、この手の情報を検索してみるがいい。「明らかになった」という検索語から、山のように検索されるはずだ。
 たとえば、毎日新聞が化石の捏造を事件を解明したときも、毎日新聞の名を出さずに、「……ことが明らかになった」というような言葉で報道したのが、たいていの新聞社だ。これだって、立派な盗用である。

 さらに言えば、有名人の著名な言葉を勝手に無断引用することもある。朝日にはしばしば、この手の無断引用があった。たとえば、堀口大学の翻訳の「私の耳は貝の殻」云々の言葉を、堀口大学の名を出さずに、無断引用したことがある。私がそれを指摘したら、「ごめんなさい」という返信が来たが、「著作権者の了承を得ました」というだけであって、紙面では「無断引用をしました」というお詫びは掲載されなかった。
 この手の無断引用は、しょっちゅうだ。たとえば、天声人語で、俳句などを、「小学六年生の句である」というふうに、名を出さずに無断引用をすることがあった。これも私が指摘してやったら、その後は著者の名前を出すようになったが、天声人語の著者であった当人以外にはまったく引き継がれなかった。
 
 はっきり言っておく。新聞というのは、無断引用のオンパレードだ。そして、その根っこには、無署名記事というのがある。個人的な見解のコラムや解説でさえ、無署名で書くことがある。呆れたものだ。無責任。
 一般に、マスコミというものは、他人を批判してばかりいて、自分への反省がまったく欠落している。そういうものだ。

 ええと、……当然、私もそうですね。たぶん。他人を批判してばかりいて、自分への反省がまったく欠落している。そういうものですね。  (^^);

  【 追記 】 ( 2005-05-17 )
 無断引用と引用と転載との区別がわかりにくいかもしれないので、注釈しておく。
 私も「無断」というのが、昔はよくわからなかったが、実は、「断りを入れる」というのは、「作者の許可を得る」という意味ではなくて、「読者にお断りをする」という意味だ。

 正しい引用 …… 引用である旨を記述して、出典を明示する。(学術目的の部分引用であれば、著作権法により、許容されている。中傷目的はダメだが。)
 無断引用  …… 引用である旨を記述せず、あたかも自分の記述であるように著述する。

 先の新聞の例で言うと、「……ことが明らかになった」というのは、それを読んだ読者は、「ふうん。事実が自動的に明らかになったのか。で、朝日新聞がそういうことを、うまく見つけたのか。偉いなあ」と思うだろう。しかし本当は違う。
 たとえば、石器捏造事件では、毎日新聞社が調査して報道した。で、そのあとあたかも自社で見出した記事であるかのように報道したのが、他の新聞社だ。朝日にいたっては、「神の手」という記事を書いて、さんざん捏造をヨイショする記事を書き連ねてきた。
 ここでは、「毎日新聞社が調査報道をした」という事実を明示せず、あえて意図的に隠蔽している。真実の報道をせず、真実を糊塗している。そこを私は問題視しているわけだ。
 「無断」というのは、「著者の許可を得る」という意味ではない。「毎日新聞が調べた」というような事実を隠して、他人の手柄を横取りすることだ。こんなことは、当然、倫理的にも法律的にも許されない。ただし、マスコミの世界では、悪しき慣習として続いているだけだ。

 なお、この件は、本項に記述したことと、同趣旨である。
 “堀口大学の名を出さずに、無断引用したことがある。私がそれを指摘したら、「ごめんなさい」という返信が来たが、「著作権者の了承を得ました」というだけであって、紙面では「無断引用をしました」というお詫びは掲載されなかった。”
 と本項に記した。ここでは、朝日は、「許可を得た」と居直っているが、私が問題視しているのは、紙面で著者名を明示しなかったことだ。結局、最終的に、著者名はとうとう掲載されなかった。こういうことを「無断引用」という。


● ニュースと感想  (5月15日c)

 「Yahoo 検索」について。
 ネット検索の第一位は、他を圧して、Yahoo 検索がトップだという。
 ふうん。 google かと思ったが、そうではないらしい。ま、初心者が多いから、いちいち google まで行かないのかも。ポータルサイトですべて片付けるわけだ。
 
 それはそれでいいけど、Yahoo 検索の精度の悪さは、何とかならないものですかねえ。以前は google の検索エンジンを使っていたのに、今度は自社製エンジンになったから、精度が非常に悪い。やたらとゴミ情報が入る。たとえば、「 amazon:×××」なんていう商業サイトがやたらとヒットする。広告ばかりだ。げっ。
 基本的には「サイズの小さいページを優先する」という、昔の検索エンジンの手法にのっとっている。いやですねえ。「サイズの小さいページは、情報量が少ないから、実は役立たずであり、ほとんどはゴミ情報にすぎない」という事実に反して、ゴミ情報ばかりを拾うわけだ。
 このお馬鹿な検索エンジンを改良するように、何とかできないものですかねえ。たとえば、「商業サイトのランクを下げる」とか。……でも、儲けるために、わざとやっているのかな? MSみたいな発想だ、と思ったが、ソフトバンクふうの発想かも。
 ま、こんな「ゴミ検索」をする検索ページは、使わなければいいわけだが。

( ※ その点、goo は最近、けっこう良くなりましたね。カテゴリーの方をうまくやれば、Yahoo をしのげるかも。)
( ※ 私だったら、カテゴリーで、検索エンジンと人力を組み合わせて、「最適のカテゴリー検索」をつくるんですけど。Yahoo や goo のカテゴリー検索は、ゴミばかりだし。ヒット率の低い無名サイトばかりが、やたらと登場する。)


● ニュースと感想  (5月16日)

 「IT技術のビジネス」について。

 (1) コンビニ検診
 ネット経由の人間ドック(検診キットを郵送で受け取って返送する)というのがあるそうだ。検索すればわかる。たとえば、尿検査だと、3500円。
 これは、なかなか、いいアイデアですね。なかなか便利だし、「いちいち病院まで行くのは億劫だが、健康が気になる」という人に向いている。
 TRONの坂村健は、「トイレに尿検査(測定)装置をくっつけて、それを毎日、電子的に病院に送る」というような電脳ハウスを提言していたが、これだと数十万円かかるし、機能は貧弱だし、そのくせ、毎日毎日、同じようなデータを送る。まったくの無駄。
 すべてをITで済ませようとするより、ITと古い技術の融合をする方が、ずっと賢明だ。なかなか教訓的。

 (2) 立ち読みページと書評ページ
 ところで、amazon というのはなかなか便利らしいが、立ち読みができないのが難点だ。どうして立ち読みページを作らないんでしょうねえ。
 たとえば、amazon が「立ち読みフォーム」というのを作成して、そこに「立ち読み用の文章」というのを、「数百字×数ページ」ほど入力すればよい。入力するのは、出版社または著作者。こうすれば、立ち読みページが簡単に作れるのだが。ついでに、目次ページも作るとよい。
 利用したい著者・出版社は利用すればいいし、利用したくなければ利用しなければよい。通常、宣伝になるから、利用するでしょう。読者としても、さわりの文章を読めて、便利だし、購入意欲をそそられる。

 ついでに言えば、amazon にはどうして、書評ページがないんでしょうねえ。ちょっとだけコストをかけて、書評を書くプロの評論家を選任して、書評を書いてもらえばいいのだが。で、その書評を読んで購入した人がいたら、その読者には1%ぐらい割引をして、2%ぐらいを書評者に支払う。これだと、メリットが多大だ。
  ・ 読者は有益な情報を得て、割引も受ける。
  ・ 評論家は、貧しいさなかで、小遣い稼ぎができる。
  ・ ダメな評論家は自動的に淘汰される。
  ・ amazon は、新規に購入意欲をもつ客を獲得できる。
    (もともと購入意欲のある客ではなかった人に買わせる。)

 いろいろとメリットがあります。ビジネスモデルになりそう。


● ニュースと感想  (5月16日b)

 「食料ゴミの排出抑制」について。
 食料のゴミが大量に排出されているという。店で廃棄される分と、家庭で廃棄される分をあわせて、全体の半分近く。店のうちでは、コンビニの廃棄量が非常に高く、26%ほど。一方、スーパーでは、コンマ以下(1%未満)。大差がある。……これは、米国の話だが、日本でも同様だろう。(朝日・朝刊・社会面 2005-05-15 )
 コンビニでは大量に弁当などが廃棄される。その一方で、スーパーでは、ほとんど廃棄されない。なぜなら、スーパーでは、閉店前に値引きセールをやるから。また、店内で必要量だけを調理して、余分に生産しない、というシステムも理由がある。(これは、いわゆるカンバン方式に近い。在庫量を最小限にするシステム。)
 
 こうしてみると、コンビニというのは、非常に無駄の多いシステムだ。それでいて、コンビニは、スーパーをずっと上回る利益を上げている。ヨーカドーよりも、ファミリーマートの方がずっと利益が多いし、株価総額も高い。
 要するに、コンビニは、(値引きせずに)商品の高値を維持して、大きな利益を上げているわけだ。その裏では、大量の廃棄物が出る。馬鹿げた話だ。

 では、なぜ、こういう馬鹿げたことが起こるのか? それは、こうだ。
 「現在の経済システムが、廃棄物を大量に出す経済活動を、税制面で優遇しているから」
 要するに、政府が「廃棄物を出せば税金を免除してあげます」という制度を取って、「廃棄物をたくさん出しましょう」と推進している。だから、現実に、そうなる。良心的なスーパーは損をして、あこぎなコンビニが儲かる。……つまり、なるべくように、なっているだけだ。馬鹿が「もっと馬鹿になろう」と努力しているから、どんどん馬鹿になるだけだ。何の不思議もない。

 根源は? こういう馬鹿げた制度をやめればよい。具体的には? こうだ。
 現在の税制では、廃棄物を出すと、税が大幅に免除される。たとえば、百円の商品を作成して、普通に売れば、当然、利益にたいして税がかかるし、途中の生産過程でも消費税という形で売上げ比例の税がかかる。ところが、廃棄してしまえば、税が一切免除される。消費税の分は、免除される。当然、それまでにかかる流通経費の分も、免除される。通常ならば、生産の過程で、エネルギーを浪費したり、排ガスを出したりして、社会に負担をかけるから、その分、消費税の形で、経済活動に税がかかる。税がかかる分、余分な経済活動は抑制される。かくて、無駄な生産はなくなる。ところが、売らずに廃棄してしまえば、消費税などは一切かからなくなるし、利益の面でも「損金処理」の形で補助金を得る(所得税が減免される)から、「破棄物を出せば出すほど、税を減らします」という形で、補助金を出していることになる。
 たとえば、百円の商品を十個売ると、その分の税がかかる。ところが、九個売って、1個を廃棄すると、1個分の消費税は払わなくなり、また、損金処理の形で、九個のうちの八個分ぐらいの税が免除される。かくて、税は1個分ぐらいしかかからなくなる。税が大幅に免除される。
 ま、コンビニの利益率が非常に高いのは、「税が免除される分だけ、利益率が高い」と思えばよい。どんどん無駄を出すから、どんどん税が免除され、どんどん利益が出るわけだ。

 では、対策は? 当然ながら、税を免除しなければよい。廃棄した商品の分については、全額の損金処理を認めず、1〜2割については「無駄」と見なして、課税すればよい。理屈は、こうだ。
 「たとえ売れ残ったとしても、その分は、値引きすれば売れたはずだ。たとえば、 百円の商品を、廃棄しないで値引きして売れば、2割ぐらいの値段で売れたはずだ。売れた物を売らないで廃棄するのは、企業の勝手だが、その勝手な行為に関しては、損金処理を認めない。損金処理を認めるのは、必要な経済活動の分だけだ。廃棄するのは、必要な経済活動ではなくて、社会に有害な活動だから、損金処理を認めない」
 この制度が取られると、どうなるか? コンビニは、無駄を減らす。通常の商品は現状よりも3%ぐらい高くなり、その一方で、売れ残りの商品は捨てずに値引きされる。まずは10%引きになり、その後に30%引きになり、その後に50%引きになる。それでも売れない分だけが廃棄されるが、その分は、スーパーの例からもわかるように、コンマ以下だ。かくて、社会全体で、無駄が減る。
 要するに、コンビニも、スーパーでやっているのと同様のことをやればよい。そして、そのためには、何か特別のことをやる必要はない。「コンビニが廃棄物を出すことに対して、政府が補助金を出して、どんどん推進する」という馬鹿げたことをやめるだけでよい。
 なお、こうすれば、政府の税収も増える。一石二鳥だ。ついでに言えば、貧しい人は、コンビニで値引き商品を買えるから、一石三鳥だ。

( ※ 私が値引き商品を買いたいから……ではありません。)
( ※ 私がコンビニで好きなのは、ファミリーマートの百円菓子です。安くておいしいですね。セブンイレブンは、おでんの臭いが立ちこめるのが、どうにも困る。)

  【 追記 】 ( 2005-05-16 )
 「コンビニ会社が儲けているのは、コンビニ会社が、フランチャイズ店のオーナーから搾取している(暴利をむさぼっている)からだ」
 という指摘が、読者から来た。
 ふむふむ。それはそうなんですよね。私は知らないわけじゃない。私の親戚もコンビニを経営していて、そのへんの事情はさんざん聞かされてきたから、そのことは知っている。
 だけど、それとこれとは、話は別。コンビニは、売れ残り商品の値引きが、(原則として)できないんです。フランチャイズの契約で、勝手な値引きはできないことになっている。「全国一律、均一商品、均一サービス、均一価格」というわけ。
 実を言うと、品揃えさえ、自由な創意を禁じられている場合もある。金太郎アメ戦略。いやですねえ。

( ※ なんでコンビニ会社は、そうするか? もし値引きを許容すると、コンビニ間で、値引き競争が起こる。すると、二つのコンビニから粗利をむさぼるコンビニ会社は、粗利の合計が減ってしまう。だから、コンビニ間の競合を避けるために、値引きを禁じる。……かくて、信じられないほど、大量の廃棄物が出る。大量の廃棄物が出たって、別に、コンビニ会社は困らない。環境が汚れて、人類が困るだけであり、コンビニ会社は困らない。それに、費用は、ちゃんと税金で減免を受けるしね。……ものすごく、頭がいいですね。まるで、悪魔みたいに。)


● ニュースと感想  (5月16日c)

 「日本と米国の自動車産業」について。
 米国の自動車産業が低迷しているので、トヨタが救いの手を差し伸べる、という趣旨の報道がある。
 まるでトヨタが善意の神様であるかのような報道だが、冗談じゃない、これは、トヨタが嘘つきであることを証明しているだけだ。なぜか? トヨタは、こう言っていたはずだ。
 「円高になると、自動車産業の国際競争力が低下して、自動車が売れなくなる。そうなると困るから、政府・日銀は円安政策を取るべきだ。市場に介入して、過度の円安に導くべきだ。現状では、大幅な黒字が出ているが、もっともっと黒字を維持するために、円安政策を継続せよ」
 つまり、「自由経済」ではなくて、「国家介入による統制経済」で、為替市場に介入して、強引に国際競争力を維持しよう、というわけだ。「国による救いの手がほしい」と述べているわけだ。
 で、国がそれに応じて、円安政策を維持した。その規模は、50兆円を超える。呆れたものだ。これほどの大金を投入して、強引に円安を維持した。そのおかげで、ようやく自動車が売れたと思ったら、「それは日本の自動車会社が優秀だからです」と言い張る。つい先日までは、「輸出企業は劣悪な弱小企業だから国の援助がほしい」と泣きついていたくせに、うまく黒字を出したら、「おれたちが優秀だからだ」とふんぞりかえる。呆れるね。
 こういう馬鹿げたことをやめるために、ドル購入のために費やした50兆円を差し戻すべきだ。外貨預金を引き出して、ドルの暴落を引き起こすべきだ。ま、1ドル=70円ぐらいにしてみましょう。その状況で、「おれたちは偉いんだ」と言い張るがいい。
 だいたい、それが、自由主義経済では当然のことである。中国に「介入をやめよ」というのならば、日本自身、過去の介入の分をきれいに清算するべきだ。どうしても外貨資産をもちたいのだれば、当面、ドルを売却して、ユーロを購入すればよい。
 米国の自動車産業に技術供与する、なんてことをして威張っている暇があったら、自由主義経済を貫徹すべし。国による介入の分を、きっちり清算するべし。
( ※ 威張っていた顔が、たちまち青ざめそうだ。)


● ニュースと感想  (5月16日+)

 先日の画像リンクについての追記。
 および、オマケの画像一覧。
    → 該当箇所


● ニュースと感想  (5月17日)

 「弱いワシ(eagles)」について。
 楽天イーグルスが負けっ放しで、勝率が2割以下。ひどいですねえ。
 だけど、戦力がまったく不足しているわけではない。試合の中盤までは頑張っているのだが、中盤以降に、投手が崩れて、ボロボロに負けてしまう。毎度毎度、「前半はいいが、後半は崩れる」という状態。(読売・朝刊・スポーツ面 2005-05-16 )
 だったら、「捨てゲームをやれ」と述べた私の言うとおりにすれば良かったのに。( → 12月31日3月16日3月30日
 とすると、やはり、選手のせいじゃなくて、監督のせいですね。投手を試合ごとに、「強弱」の組み合わせで出すから、毎度毎度、負けてしまう。試合ごとに、「強強」と「弱弱」の順にすれば、1勝1敗に近づけるのだが。

 [ 余談 ]
 次期 Windows の異常発生画面では、楽天イーグルスのチームカラーが採用されることになるらしい。嘘みたいで、ホント。
 「Windows が異常を起こして動かなくなりました」という状況は、現在では青色画面で示されるが、次期 Windows では、楽天イーグルスのチームカラーになるようだ。ちまたでは「レッド」と言われているが、レンガ色みたいで、楽天イーグルスのチームカラーであるようだ。(いわゆるクリムゾン・レッド。由来については省略。)
 画像は、下記で紹介されている。
   → がんばれゲイツ君 216 (終わりのあたりのリンク)


● ニュースと感想  (5月17日b)

 「鉄道の安全対策」について。
 JR西日本の事故のあとで、安全対策がいろいろと提案された。そのなかで、おかしな提案があるので、指摘しておこう。それは、こうだ。
 「車体の側面強度を高める」
 その目的は? 車体の側面で衝突しても、車体がつぶれないことだ。今回の事故では、側面から衝突して、ぺしゃんこになったから、それを防止しようというわけだ。

 まったく、素人の発想である。「ぺしゃんこになると困るから、ぺしゃんこにならなければいい」という発想だけがある。その結果、どうなるかを、全く理解していない。科学的な発想の欠落。
 では、どうなるかを、教えよう。次の通り。
 最後の点以外は、違いをもたらさない。「つぶれて死ぬ」のが「衝突して死ぬ」というふうに、死因が変わるだけであり、生死そのものは変わらない。
 一方、最後の点は、重要だ。柔らかい車体がビルにぶつかれば、車体がつぶれるだけだが、硬い車体がビルにぶつかれば、ビルが倒壊する。このことは、先に新聞でも報道されていた。(箇所と日付は失念。たぶん読売。)

 結語。
 「事故になっても、車体さえ大丈夫なら、それでいい。人間が死ぬかどうかは問題ではない」
 という発想。これは、本末転倒であり、物事の表面しか見ていない。(読売・社説 2005-05-16 がそうだ。)

 [ 付記 ]
 この結論のような発想は、一般に、ありがちである。似た例は、こうだ。
 「不況になっても、企業さえ黒字なら、それでいい。人間が失業して死ぬかどうかは問題ではない」
 今の古典派経済学者は、この方針を取っている。特に、マネタリズムは、こうだ。
 「不況になったら、量的緩和さえすれば、それでいい。その金が実際に貸し出されるかどうかは問題ではない。(かえって減っているのが現実だが、それでもいい。)」

 どこでもそうだが、とにかく、結果を無視して、「この手段を取ればいい」という発想。科学実証主義の正反対。結果が実証されることは全く必要なく、自分の言いたいことだけ言い放っていればいい、というわけ。
 JR西日本の経営者の体質と比べてみても、大差はないですね。
 「企業は利益だけを出せばいい。安全性なんか、知ったこっちゃない」
 同じ穴のムジナ。目くそ鼻くそ。


● ニュースと感想  (5月17日c)

 コンビニの廃棄についての追記 → 該当箇所


● ニュースと感想  (5月18日)

 「鉄道の安全対策」について。続き。
 JR西日本の事故について、少し補足しておく。
 前に「フェイル・セーフ」という概念について述べた。( → 10月26日b
 この概念を、今回の事故についても、適用するといいだろう。つまり、こうだ。
 「脱線しても大被害が起こらないようにする」
 脱線防止策として、「ガイドレール」という対策がある。レールの内側(または外側)に車輪を押さえるためのガイドレールを付けて、脱線しにくくする。これはこれで、一案だ。(朝日・朝刊・社会面 2005-05-17 )
 ただし、それとは別に、「ガードレール」という対策もある。九十九折りになっている道路の脇にある柵である。(レールという名前だが、レールではなくて、柵である。)
 これは、ごく細い柱で支えるだけだが、非常に有効だ。たとえば、ものすごく重たいトラックが崖に落ちそうになったときでさえ、それを防ぐことができる。なぜ細い柱で有効か? 脱線したあとでは、正面衝突の形になるが、脱線する直前であれば、横方向にかかる力は非常に小さいからだ。
 JR西日本の事故では、ビルに衝突したときには、正面衝突だったので、ものすごいエネルギーがかかった。しかし、脱線しかけたときなら、横方向にかかる力は小さいから、小さな柱のガードレールで防止できる。

 評価しよう。「ガードレール」という方法には、次のメリットがある。
  ・ 設置コストが非常に少ない。(危ないカーブだけ)
  ・ 即時に実施できる。
 一方、電子的な安全システムや、車両の改善では、こうは行かない。安全システムの設置コストは非常に高いし、車両の改善には多大な時間がかかる。
 結局、頭を使えば、人命が助かる。

 [ 付記1 ]
 スピードコントロールの安全システムには、多大なコストがかかるそうだ。これは、不思議ですねえ。ただの情報制御に、どうして超高額の金がかかるんだか。たぶん、比較すれば、こうだ。
 (1) 現状
 中央制御方式。車両が速度超過したら、中央制御で、車両の速度をコントロールする。数百億円以上のコスト。
 (2) 対案
 分散制御方式。車両が速度超過したら、車両内部のコンピュータの制御で、車両の速度をコントロールする。はるかに低額のコスト。
 頭を使えば、税金の無駄がなくなる。

 [ 付記2 ]
 朝日の記事では、「地震のときにどうやって列車を止めるか」という話があったが、別に、列車を止める必要はないし、脱線を防止する必要もない。用は、被害が出なければいい。それだけのことだ。発想の転換をしましょう。
 「脱線しないための設備」には巨額のコストがかかるが、「脱線しても被害が出ないための設備」ならば比較的低額で済む。柵みたいなものをいっぱい立てるだけでいい。場合によっては、ただの柱(と柱を結ぶワイヤ)だけでもいいかもしれない。新幹線の場合、鼻先は角張ってなくて丸っこくなっているから、柱に正面衝突することは、まずありえないからだ。


● ニュースと感想  (5月18日b)

 「鉄道と時間厳守」について。
 鉄道の事故が起こったのを見て、「われわれも鉄道に時間厳守を求めるべきではない」という意見がよく出る。しかし、これは、見当違いでしょう。
 別に、客が時間厳守を求めたから、事故が起こったわけではない。経営者が運転手に時間厳守を強いたことが原因だ。しかも、その根っこには、ゆとりのないダイヤがある。
 要するに、経営者の安全軽視というデタラメ経営が問題だ。なのに、事故を乗客の要求のせいにするのは、責任転嫁にすぎない。
 「乗客が無理な要求をしたら、安全性のために、断固としてつっぱねる」という経営が正しい。「乗客が無理な要求をするからだ」なんていう主張は、ただの責任転嫁だ。あるいは、乗客の側の自虐だ。
 ついでに言おう。「欧州では時間厳守なんかはない。十五分ぐらいの遅れはざらだ」という声もあるが、何でもかんでも欧州かぶれにすればいい、というのは、見当違いだ。だいたい、日本の近郊線は、片道30分ぐらいでしかない。それでどうやって15分も遅れるのか? ありえないだろう。
 欧州で列車時刻が遅れるのは、長距離線で駅間距離も長いことが多いからだ。日本だって、北海道あたりのローカル線なら、時間の狂いがあってもおかしくない。一方、3分ごとに停車して、停車時間が1分間もあるのなら、大幅な狂いなんか出るはずがない。要するに、「若干の狂いが出ても、狂いを吸収する」というダイヤになっている。
 とにかく、事故の原因は、経営者の安全軽視というデタラメ経営だ。「われわれが態度を改めよう」なんていう馬鹿なことを言うくらいなら、経営者をさっさと退陣させるべきだ。諸悪の根源は、JR西日本の「天皇」ともいわれる相談役にある。こいつをさっさと追放するべきなのに、いまだにふんぞりかえって、院政を敷いている。フセインか金正日みたいなやつだ。(週刊誌に出ている。)
 ま、週刊誌というのは、嘘も多いから全面的には信じられないが、とにかく、現在および以前の経営者に百パーセントの責任がある。乗客のせいではない。仮に乗客のせいだとしたら、死んだ乗客に対して、「あんたたちが時刻厳守を強いたから、あんたたちは死んだんだよ」と批判することになる。とんでもないことだ。死者が浮かばれない。


● ニュースと感想  (5月18日c)

 「価格コムのプロテクト」について。
 価格コムのネットが、外部からの攻撃を受けて、ウィルスに感染したので、機能を停止したという。(各紙・朝刊 2005-05-17 )
 記事によると、会社側は「最高レベルのセキュリティ対策を取っていたのに」と落胆している。しかしまあ、それは、考えが甘いんじゃないでしょうかね。普通の会社のやる最高レベルのセキュリティ対策と、最高の犯罪者の犯罪行為。たとえれば、(たかが)普通の警備会社による最高レベルの警備と、怪盗ルパンによる犯罪。……勝負はハナから見えている。
 そこで、ヒントを教えよう。ルパンがいやがるのは、「防護策」ではなくて、「トラップ」だ。どんなに強力な壁を作っても、壁というものは、破られる。しかし、わざと破りやすい壁をつくっておいて、その先に罠(トラップ)を用意しておけば、侵入者をうまくつかまえることができる。
 頭のいいセキュリティというのは、そういうものだ。価格コムは、頭が悪い。たぶん、セキュリティ対策として、価格コムで最安値を出したセキュリティ会社に頼んだせいでしょう。

 [ 付記 ]
 このころに、価格コムに接続した人は、ウィルスに感染した危険があるので、注意しましょう。ま、とりあえずは応急手当で、「システムの復元」をするといいかな。いや、価格コムではさっそく、ウィルス駆除のソフトを出している。新聞記事では、肝心のこのことはあまり書いていないようだが。
 上記サイトでは、「ウィルス検出ソフト」というのがある。15MBもあるソフトで、不思議だったが、他のウィルスも一挙に検出するようだ。けっこう時間がかかる。でも、ついでにいろいろ検出してくれるから、それはそれでいい。(私のパソコンでは、大丈夫でしたが。)(だけど、このソフトの使い方は、どこにも書いてない。あっちこっちいじる必要がある。素人は操作法に迷いそうだ。)

 なお、これでウィルス検出をすると、私の作成した「ワープロ機能拡張セット for Word95」による「標準.dot」というファイルが、「マクロウィルスの可能性あり」と表示される。疑わしいわけだ。
 だが、この警告は、気にしなくてよい。理由は省略するが、ウィルスに似たマクロがあるだけであって、ウィルスに感染しているわけではない。
 要するに、「可能性あり」と警告しても、「可能性はあっても感染はしていない」ということで、無視してよい。一種の誤警告である。(「標準.dot」についてのみだが。)



● ニュースと感想  (5月19日)

 「恐竜の進化」について。
 「鳥は恐竜から進化した」という朝日の記事。(朝日・朝刊・特集 2005-05-17 )
 例によって、一方的な意見の記事である。通常、解説記事というものは、賛否両論たる複数の意見を出して、問題点を浮かび上がらせるものだが、朝日はいつも、片面の記事だけを出す。だから、問題点や対立点が、隠蔽される。「真実を探求しよう」という姿勢は全くなく、「自分の信じる説だけを読者に押しつけよう」という姿勢だけがある。唯我独尊。
 仕方ないので、私が、問題点を指摘しておこう。
 これらを考えれば、鳥の進化は、次の形しか、ありえない。

          古鳥類
    恐竜 <
          獣脚類 ── 鳥形恐竜 ── 走鳥類 ── 小型鳥類

 記事はこういう説をまったく無視して、次の説だけを示す。

          古鳥類 ── 小型鳥類 ── 走鳥類
    恐竜 <
          獣脚類 ── 鳥形恐竜 ── (絶滅)

 これでは、矛盾だらけだ。(列挙したとおり。)


● ニュースと感想  (5月19日b)

 「景気の見込み」について。
 経済統計の速報。内閣府が5月18日に発表した国民所得統計1次速報によると、次の通り。

 2005年1〜3月期の実質国内総生産(GDP)は、前期比で、
  実質  …… +1.3% (年率換算 5.3%)
  名目  …… +0.6%
 2004年は、
  実質  …… +1.9%
  名目  …… +0.7%
 なお、GDPデフレーターは、前年同期比でも、前年比でも、−1.2%。

 これを見て、「景気は回復基調にある」という楽観的な見方もあり、「いや楽観できない」という慎重な見方もある。
 私の見解は? 「どっちも馬鹿げている」だ。要するに、「折れ線グラフによる先行きの見通し」なんていうのは、株価であれ何であれ、素人の判断にすぎない。そんな素人判断は、無意味だ。馬鹿げている。
 だいたい、経済というものは、短期的には変動するものだ。そんな短期的な変動を見て、一喜一憂するのは、馬鹿げている。
 「下がったあとで、上がった。だからこのあとずっと、上がるだろう」
 というのは素人判断。逆に、
 「下がったあとで、上がった。だからこのあと、反動で下がるだろう」
 というのが経済学的な玄人判断。
 要するに、短期的な変動は、延長されるのではなくて、打ち消される。というわけで、冒頭の二つの見方は、ともに正しくない。

 では、正しくは? 
 「短期的な効果は打ち消される」
 という原則に基づいた上で、あらゆる条件を緻密に検分すればよい。すると、次のことがわかる。
 短期的に一喜一憂する。馬鹿馬鹿しいといったら、ありゃしない。

 では、中長期的に言えば、どうか? 私の判断は、こうだ。
 「景気は縮小均衡状態に達して、その後、いくらか戻りつつある。明らか二足打ちはしているので、この先どんどん悪化することはないが、だからといって、急速に回復することもない。失業者と半雇用者(フリーターや派遣などの非正規社員)が大量に残ったまま、なかなか解消しない。それでも、企業だけは、黒字になって、ウハウハだ。縮小均衡。企業は喜び、国民は不幸。……ただし、これを見て、古典派経済学者は景気回復と判断する。長期的にはこれでいい、と。ただし、人々は、長期的にはみんな死んでしまう。」

 なるほど、現状の状況が続けば、長期的には、失業者と半雇用者は解決するだろう。しかし、そうなるのは、ずっとあとのことだ。現代の失業者と半雇用者が60歳を過ぎたあとかもしれない。だから、さっさと景気回復の努力をすればよい。そのための方策は、何度も述べたとおり。

 [ 付記 ]
 折れ線グラフの見方。次の折れ線グラフがあるとしよう。いったん下がってから、しばらくして、いくらか上がる。では、次に、どう進むか? 

   \_/

 楽観主義者は、「このあとずっと右上がり」と主張する。(竹中など。)
 悲観主義者は、「上がったから、このあと、下がる」と主張する。
 私は、「どっちでもない。そんな短期のブレを考えるのは無意味だ」と主張する。
 ま、ランダムウォークみたいなものです。確率論に似ている。ブラウン運動とか、マルコフ・チェーンとか、そのような数学理論が当てはまりそうだ。……ホントはちょっと違って、変動には理由があるが、おおざっぱには、似たり寄ったりである。要するに、一時的な変動に、一喜一憂するべきではない、ということ。
 たとえば、夫が妻のご機嫌を見て、「昨夜は怒っていたが、今朝はごきげんだな? このあとどうなるだろう?」と想像しても、たいていは無意味であることが多い。女性というものは気まぐれに怒ったり喜んだりするものだ。……ま、男だって、そうですけどね。上司のご機嫌なんて、メチャクチャの極みだ。これを折れ線グラフで判断しても、まったくの無駄。景気も同様だ。
( ※ 本当は、景気はこれほどメチャクチャではないが。ま、似たり寄ったり。とのにかく、一喜一憂するべきではない。四半期の数字なんかにとらわれず、もうちょっと広く見て、数値をならしましょう。)

 [ 補足 ]
 より本質的には、こう言うべきだ。
 「物価下落がまだまだ続いている( 1.2% )。だから、デフレ脱却はまだまだだ」
 だいたい、「物価下落があるから景気が悪い」と主張するならともかく、「物価下落があるから、その分、実質成長率が高まったのだ。デフレがひどくなればなるほど、景気は良くなる」なんていう主張は、詭弁そのものだ。
 この件は、次項で述べる。(翌日分)


● ニュースと感想  (5月20日)

 「名目成長率と実質成長率」について。
 名目成長率と実質成長率については、先に、2月24日 (以降)で、こう述べた。(一部抜粋。)
 名目GDPを物価上昇率で補正することは、インフレのときには有意義だが、デフレのときには有意義ではない。
 インフレのときに物価上昇率が上がるのは、「貨幣価値が下落しているから」と見なせる。
 デフレのときには、「貨幣供給量縮小による貨幣価値上昇」は、起こっていない。ここでは、「量的緩和」がなされているのだから、「貨幣供給量縮小」は起こっていないのだ。デフレのときは、貨幣供給量は影響要因とはなっておらず、単に「需要の縮小」だけが影響要因となっている。
 だから、デフレのときには、「貨幣供給量の変動を理由とする貨幣価値変動(物価変動)」に対する「補正」は、不要なのである。
 同じく物価変動があるとしても、インフレのときの物価上昇は、貨幣供給量の変動によるものであり、デフレのときの物価下落は、貨幣供給量の変動によるものではない。
 デフレのときには、物価下落が起こるが、それは別に、貨幣価値が上がっていることを意味するのではなくて、売り手が苦しんでいることを意味するだけだ。つまり、売り手が損して、買い手が得をしているだけだ。
 このことを誤解すると、「物価が下落すると、国民の生活は豊かになる」というふうに主張することになる。(読売新聞・朝刊・3面 2005-05-18 )
 その主張のどこがおかしいか? 「消費者の面だけしか見ていなくて、生産者の面を見ていない」ということだ。
 たとえば、こうだ。
 インフレのとき、100円のものが 108円になる。消費者は8%の損だ。ただし、通常、金利も8%ぐらいなるし、賃上げも10%ぐらいになるから、特に損得はない。
 デフレのとき、100円のものが 95円になる。消費者は5%の得だ。では、その得は、どこから生じたか? 読売ならば、「金が天から降ってきた」とでも信じるのだろう。しかし現実には違う。消費者が5%損した分は、生産者が5%の値下げで負担しているだけだ。生産者と消費者の配分が変更されるだけだ。
 さて。単に配分が変更されるだけならば、デフレの場合も(インフレの場合と同様に)、大した問題とはならない。ほとんどの人は働いているから、消費者として十万円得をして、生産者として十万円損をするのなら、損得はない。ところが、現実には、そうはならない。では、どうなるか? 
 デフレの場合には、「コスト割れ」という現象が発生する。(トリオモデルを参照。)
 その場合、ある程度の利益率の低下は可能だが、ある程度を超えると、負担に耐えきれなくなり、企業が倒産する。企業は「百億円の生産をして、0.1%の赤字を出す」という活動をやめて、「会社を倒産させて、生産活動を停止する」という道を選ぶ。(選びたくなくても、銀行が無理やり、選ばせる。)……こうして、生産停止を通じて、「縮小均衡」に近づいていく。
 こういうふうに倒産が続出すると、マクロ的には、GDPがどんどん縮小していく。ただし、個別企業を見ると、「赤字を出して生産する」から、「何もしない」というふうに移行するから、質は「マイナス」から「ゼロ」へと転じて、質は改善する。
 倒産企業が出た場合、不況でなければ、その分、新規企業が出るから、問題ではない。ところが、不況のときには、GDPがどんどん縮小していき、需要がどんどん宿主していくから、新規企業が出る余地がない。結局、スパイラル的に、GDPがどんどん縮小していく。つまり、「質の向上」と引き替えに、「量の縮小」が起こる。

 まとめ。
 インフレとデフレは非対称である。
 インフレのときには、倒産を通じた「GDPの縮小」はない。単に物価上昇があるだけだ。この場合には、物価上昇による「貨幣価値の下落」を補正するために、実質成長率を取ればよい。一種の統計的な補正だ。
 デフレのときには、倒産を通じた「GDPの縮小」がある。物価下落があるとき、「貨幣価値の上昇」はなくて、「生産者と消費者の利益配分」が変更されるだけだ。だから、「貨幣価値の上昇」を補正するために、実質成長率を取ればいいだろう、と思うのは、勘違いだ。なぜなら、貨幣量の縮小を通じた「貨幣価値の上昇」などはないからだ。
 
 わかりやすく言おう。デフレのとき、さまざまな物品の価格が下落する。日用品もどんどん得をする。それを見て専業主婦は、「デフレって素敵だわ」と信じる。ところが、その裏では、会社に勤める亭主が損をしている。妻が十万円の得をした分、亭主は十万円の損をする。差し引きして、損得はない。ただし、損得とは別に、「量の縮小」がある。それは、次のいずれかの形を取る。
  ・ 労働時間の減少を通じた、給与の減額
  ・ 雇用の場の減少を通じた、失業。
 ここでは、所得が減ったとしても、労働時間も減るから、損得はない。ただし、損得はないとしても、働くことができなくなるのだ。損得とは別の問題が発生するのだ。
 典型的に言えば、多くの若年労働者や女性労働者が該当する。彼らはフリーターや派遣社員として、低賃金労働で働く。月収十万円ぐらいの人も多い。彼らは、デフレのとき、損か得か? 損も得もない。十万円分を働いて、十万円の金を得るだけだ。その意味では、その得はない。ただし、デフレが解決すれば、彼らは二十万円分を働いて、二十万円の金を得る。
 このどちらでも、損得はない。実際、企業としては、「十万円分を働いた労働者に、十万円の金を渡す」のも、「二十万円分を働いた労働者に、二十万円の金を渡す」のも、企業としては損得はない。とはいえ、この二つで、幸福度は全く異なる。
 要するに、経済とは、「損か得か」ではなくて、「働いて金を得ること」つまり「生産活動をすること」が可能であるかどうか、ということだ。それがマクロ的な視点だ。
 しかるに、古典派の経済学者は、「デフレもインフレも、損得はないから、どっちだっていいさ。物価上昇率の補正だけをすればいいさ」と考える。
 彼らは、物事の本質を見ない。「生産活動をするかどうか」「失業率が高いかどうか」というのが本質なのに、それを見ないで、表面的な統計数値の変動について補正の計算することばかりを考えている。だから、「デフレだと、物の値段が下がっていいな」とほざいていられるのだ。「失業」という弊害を無視して。


● ニュースと感想  (5月21日)

 「物価上昇率の計算法の歪み」について。
 デフレのときには、物価上昇率がマイナスなる。ただし、これには、歪みがある。
 たとえば、しばしば、「パソコンの価格が大幅に下落したから」と説明される。具体的には、1年間で30%を超えるほどの下落率だ。これが物価上昇率という指数にかなり影響している。
 一方で、パソコンについて、別のデータもある。パソコンの販売台数と売上高だ。計算上の特殊要因を除けば、2004年は、前年比で、台数も額も前年と同程度だという。(読売・朝刊・経済面 2005-01-27 )
 これは、物価上昇率の計算と、矛盾しますね。要するに、あえて「型落ち」の旧型製品の価格を見るから、物価上昇率の計算でパソコンの価格が過剰に下落したように計算される。かくて、不正確な物価上昇率が算出される。
 このことは、前にも指摘したが、はっきりとデータで証明されたわけだ。(正しくは、「質の向上」があっただけ。)
( → 2月24日11月20日b5月20日b

 [ 余談 ]
 上の記事は、古い日付です。すみません。ネタ箱に保存しておいた、古い話を引っ張り出しました。前項との関連で。


● ニュースと感想  (5月21日b)

 「資本主義の自己矛盾」について。
 敵対的買収の阻止のために、ポイズン・ピル(毒剤)などの買収防止策を取る企業が増えているという。(読売・朝刊・経済面 2005-05-20 )
 さて。本質的に考えてみよう。株式とは、何か? 「企業の経営権の一部」のことだ。たとえば、全体の1%の株式を保有すれば、全体の1%の経営権を握ることになる。この値が50%を超えるか、それ以下でも多数派になった場合には、経営権を握ることができる。それを裏付けとして、株価というものが発生する。
 ところが、「敵対的買収の阻止」がなされたとしたら、その株式には、「経営権」が存在しないことになる。株式の意味をもたない株券だ。ただの配当しかもらえない。
 こんなものは、もはや、株式ではなくて、ただの低利回りの債券(社債のようなもの)にすぎない。当然、価値は激減する。「元本保証はなくて、利回りはわずか」なんてものは、まともな価値はない。
 具体的に言おう。2000円の株は、「将来誰かに2000円で売れる」ということを前提として株価が付いている。ところが、誰かが「2000円で買おう」と言ったら、取締役が「その場合は株式を無効にしますよ」と言い張る。としたら、2000円で買ってくれる人(会社)がいなくなる。ババ抜きでいえば、最後にババを引いてくれる人がいない、ということが明白になる。当然、価値がない。
 
 ポイズン・ピル(毒剤)などの買収防止策を取るということは、株式が株式であることを否定して、株式の価値を下げていることだ。
 資本主義というものは、「株式を多数もった人が経営権を握る」というシステムだ。なのに、それを否定すれば、資本主義を自己否定することになる。「資本主義を原理としながら資本主義を否定する」という方針を取った会社は、「人間でありながら人間であることを否定する」ようなものであって、自分自身の存在基盤を否定することになる。その株券はほとんどゴミに近くなる。値段もまともに付かなくなる。
 ポイズン・ピルというのは、他人に食われまいとして、自分自身に毒を入れることだ。そのあげく、自分自身に毒が回ってしまうのだ。


● ニュースと感想  (5月21日c)

 「サマータイム」について。
 サマータイム法案を出すとか何とかいう記事がしばしば出る。何か言おうかと思ったが、ネットで検索してみると、たいていの人が反対している。国民の大半が反対している制度をあえて導入しようとする連中がいるのだから、呆れたもんだ。
 
 ここで、私の天の邪鬼精神が頭をもたげる。みんなが反対するなら、私は賛成しよう。サマータイム法案を成立させるべし。その根拠は、こうだ。
 「国民が反対する制度を無理に導入すれば、国民が怒り狂う。やるべきことをやらずに、やらない方がいいことばかりをやる政府。小泉の支持率はがた落ち。政権交替。かくて、景気回復。」
 どうです? 「サマータイム法案の導入による景気回復策」……名案でしょう。迷案かな? 


● ニュースと感想  (5月21日d)

 「次期 Windowsの赤画面」について。
 赤画面の見本画像
  → 該当サイト(英文。ページの中ほどに画像がある。)

 なんだか、血の色みたいですねえ。気持ち悪い。  (^^);
 ついでだが、似た画像がいくつかあって、いろいろと微妙に色が違うようだ。本当の色は? そんなもの、モニタしだいです。

( ※ ただし、このサイトの内容は、冗談みたいですね。  (^^); )


● ニュースと感想  (5月22日)

 「中田と宮沢りえのキス写真」について。
 サッカーの中田と宮沢りえのキス写真を講談社が掲載して、それを裁判所が「無罪」と判決した。(裁判は刑事ではなくて民事だから「無罪」というのは不正確だが。ま、要するに、「法律違反でないから、賠償責任がない」ということ。2005-05-19 朝刊各紙。)
 判決によると、別の会社と中田が係争していて、その係争を報道するという形を取るゆえ、公共の利益に合致するから、「無罪だ」という理屈。

 これは、変ですねえ。論理が狂っている。報道することと、問題の写真を掲載することとは、別でしょう。報道するなら、合法的に(写真掲載なしで)報道すればいい。合法か非合法かわからないものについて、「報道のためなら写真掲載してもいい」という理由で合法と見なすのでは、論理が循環論法になっている。「合法だと仮定すれば合法。ゆえに合法」というような理屈だ。

 この理屈がおかしいことの証明。仮におかしくないとすると、こうなる。
 「殺人犯を報道することは、公共の利益に合致する。ゆえに、有罪か無罪か未定である殺人という行為を、マスコミは真似してやってもいい。殺人犯が幼女を十人殺害したとすれば、その非道さを報道するために、マスコミが幼女を三人殺してもいい。三人だけの殺人は、数も少ないし、報道目的であるなら、公共の利益に合致する。ゆえに、報道目的の殺人は、合法的である。」
 馬鹿げている。論理の錯乱。
( ※ ついでだが、プライバシー権のほか、肖像権もありそうですね。)

 [ 付記 ]
 論理は別として、この問題の本質は、「個人情報の保護」だ。今は「個人情報の秘匿」が重視されている。市民の住所や電話番号や生年月日でさえ、保護の対象となる。なのに、キスの写真を報道するのが許容されるなんて、どうなっているんでしょうね。時代錯誤だ。
 「第三者のいる場だ」と裁判所は述べているが、第三者がいたとしても、路上のような「公の場」ではなくて、ただの店内だ。こんな理屈でプライバシー写真を公開することが許されるのだれば、女湯の「覗き」写真はすべて是認されることになる。女湯には第三者がいるんだから。
 出歯亀判決。プールにおける赤外線のスケスケ写真も、女学校におけるロリコン・オタクの変態による写真撮影も、ヌーディスト・ビーチにおける写真撮影も、どれもが無罪判決が出そうだ。例の手鏡でスカートを覗いた経済学者も、この裁判所で判決を受ければ、無罪になったはずなのにね。

 [ 余談 ]
 さて、何でまた私が、中田のことをいちいち書くか? 私がおせっかいだからか? そうじゃない。  こんなことになったら、私もいつまた、マスコミの餌食になるか、わかったものじゃない。もしかしたら、ハセキョーや矢田亜希子とキスするかもしれないのに、その写真を雑誌に掲載されたら、困るじゃないですか。
 あなただって、そう思うでしょ? 自分がそんな立場になったら困る、と。カミさんが怖いな、と。……楽しく想像しましょう。  (^^) (~ε~)

 [ 参考 ]
 前項(赤画面)も、冗談みたいですが。


● ニュースと感想  (5月22日b)

 「量的緩和」について。
 日銀が「量的緩和をゆるめる」(下限割れ容認)という方針を出した。(各紙・夕刊 2005-05-20 )
 これについて、単に報道するだけならいいのに、マスコミはやたらと批判的だ。「量的緩和はデフレ対策のためにあるのだから、デフレ脱却までは維持するべきだ」というような意見。(読売・社説 2005-05-21 が代表的。)
 また、「量的緩和の効果を検証するべきだ」という記事もある。(朝日・朝刊)

 私の見解を述べれば、こうだ。
 「量的緩和はデフレ対策には『まったく無効』であった。しいて効果の率を言えば、マイナスであった。物価上昇率は常に1〜3%程度のマイナスを保ち、銀行の貸出残高も同程度のマイナスを保った。
   量的緩和の効果 = (経済指標の上昇幅)/(量的緩和の幅)
 この値は常にマイナスであったわけだ。「効果があったかどうか検証するべきだ」と述べるマスコミは、お馬鹿というしかない。自分で計算すれば、ただちに「マイナス」という結論が出る。日銀に質問するよりは、小学校で割り算の仕方を習う方がいい。
 それにしても、朝日などの記者は、ずいぶん低学歴なんですねえ。小学校も卒業していないらしい。

 量的緩和の効果は、正しくは、ゼロである。量的緩和の効果とは関係なく、デフレが続いている。それだけだ。
 量的緩和は、効果がないのだから、やっても、やめても、どちらでも同じである。それが結論だ。
 ただし、現状ではまったく同じだが、将来では、差が出る。将来的には、デフレが解決し、そのとき、物価上昇が起こる。その幅は、量的緩和の有無による。量的緩和があれば、物価上昇が大幅になる。量的緩和がなければ、物価上昇が小幅になる。それだけが違う。

 まとめ。
  ・ 量的緩和あり …… 現状は不変。将来は大幅な物価上昇。
  ・ 量的緩和なし …… 現状は不変。将来は小幅な物価上昇。
 つまり、量的緩和をやめた方がいいのは、将来の物価上昇(インフレというよりはスタグフレーション)を防ぐためだ。
 ここで、「将来のインフレ防御よりも現在のデフレ脱却が優先する」という論理(読売社説)は、成立しない。理由は、次の二点。
  ・ 量的緩和を維持しても、デフレ脱却効果はゼロ。(しいていえばマイナス。)
  ・ 将来起こるのは、インフレではなくて、スタグフレーション。
   (スタグフレーションは、不況下の物価上昇。経済の破壊。最悪。)

 [ 付記 ]
 なお、企業の利益は増しているが、これは、構造改革とは関係なくて、生産性の向上が毎年2%ぐらいあるのだから、数年もたてば、利益が出るようになるのは、当然だ。
 ただし、企業がいくら利益を出しても、その金を従業員に渡さなければ、総所得が増えないから、総需要も増えない。ゆえに、総生産も増えない。すると、企業の出した利益の資金は、金融市場で眠るだけになる。……この場合、量的緩和によって資金が無駄に眠るのと、同じ効果が出る。(死に金が出るせいで、景気回復効果がそがれる。)


● ニュースと感想  (5月23日)

 「レジ袋の有料化」について。
 スーパーなどが「レジ袋の有料化を法制化してほしい。環境保護のために」と要望しているそうだ。(朝日・朝刊・経済面 2005-05-21 )
 これが環境保護になるかどうかは、別の話題にする。かわりに、経済学の用語として、コメントしておこう。
 仮に「環境保護」のためだとすれば、「レジ袋に課税」という形になる。課税すれば、その分、レジ袋はいくらか減るだろう。一方、「レジ袋の有料化」では、金が消費者から販売者に移るだけだ。中期的には、その分、商品の価格が下がるから、価格の違いはさして生じない。一方、中期的でなく短期的には、企業がレジ袋の代金だけ、利益を増やす。
 要するに、スーパーなどの本音は、「環境保護を名分にして、その分、利益を増やしたい」ということだ。このような行為は、販売価格の協定であるから、経済学では「カルテル」と呼ばれる。常識。
 カルテルでなくて環境保護を目的とするなら、消費者の払った金を販売者でなく国に渡す必要がある。
 この二つを混同してはならない。対比すれば、こうだ。
  ・ 環境保護 …… 課税
  ・ カルテル …… 有料化
 環境保護をやるのなら、課税。利益増のための有料化をやるのなら、カルテル。そのどっちかだ。有料化(価格協定による値上げ)を「環境保護」と呼ぶのは、とんでもない詐欺的な詐称である。だまされてはならない。
 例。「自動車による環境破壊を阻止するために、自動車の販売台数を減らしたい。だから、協定による値上げを認めてほしい。できれば、法律化してほしい」……これによって、自動車会社各社は、協定を結んで、全製品をいっせいに3割値上げ。高級車を買えなくなった人々は、やむなく小型車などに買い換えたので、たしかに環境保護の効果はあった。かくて各社は、国民の富を大幅に盗み取った。合法的な泥棒。……あげく、各社は、「どうだ、環境保護をして、偉いだろう」と威張った。盗人たけだけしいとは、このことだ。
( ※ だまされる馬鹿なマスコミが増えそうだ。)

 [ 付記1 ]
 冒頭でも述べたが、環境保護の効果について述べよう。
 レジ袋を有料化すれば、レジ袋は減る。そのかわり、有料のゴミ袋を買うハメになる。ちょっとゴミが出ただけでも、大きなゴミ袋を使うので、資源は大幅に無駄になる。
 どうせなら、「ゴミ袋を使わない」ということを決める方が良さそうだ。実を言うと、昔(数十年前)には、ゴミ袋は使われず、バケツみたいな形のゴミ箱を使っていた。各家庭ごとにゴミ箱を集積所に集める。ゴミの担当者が、ゴミをゴミ箱の蓋を開けて収集車に入れて、カラになったゴミ箱を各家庭が自宅に戻す。
 これは、(容器について)究極のリサイクルです。そのかわり、ものすごく面倒臭い。不衛生で、臭い。
 今回のスーパーの要望も、臭い要望だ。鼻つまみ。

 [ 付記2 ]
 私の私見を言えば、レジ袋の有料化というのは、一種の「趣味」か「精神病」である。偏執症。他のことを一切無視して、レジ袋ばかりにとらわれる。
  ・ レジ袋は減らすが、大型のゴミ袋はほったらかし。
  ・ レジ袋は減らすが、自動車は(ミニバンで)ガソリンをがぶ飲み。
  ・ レジ袋は減らすが、食品の透明な小袋は大量に出す。
  ・ レジ袋は減らすが、新聞には山のような(紙の)チラシが折り込まれる。
 身のまわりには資源の無駄遣いが大量にあふれている。なんだってまた、レジ袋ばかり、気にするんだか。そんなのよりは、別のことをやった方がいいだろうに。(以下で述べる。)

 [ 付記3 ]
 レジ袋の有料化よりも有効な方法がある。家電製品の「待機電力」を削減することだ。こっちの方が、ずっと効果的だ。
 たとえばテレビは、待機電力としてかなりの電気を食う。パソコンのモニタならば、「自動的にモニタの電源を切る」というのがあるが、テレビにはそれがない。夜間は無駄に電気を食いっぱなし。ここでは、CPUだけに電気を流して、CPUが時間制御をして、待機をOFFにすればよい。そうすれば、夜間の待機電力を大幅に削減することができる。その後、朝になったら、待機をONにする。
 なお、家庭の待機電力は、1家庭で平均 100w 程度。4500万世帯で、450万 kW。( → 出典
 機器の使用時間を1日2時間とすれば、待機時間は残りの22時間。掛け算して、1日の使用電力は、9900万 kWh。つまり、1億 kWh。
 石油に換算するには? 電力を10kWh使うと、石油を1.12リットル消費する。( → 出典
 計算すると、1日に1億 kWhだから、1日に1千万キロリットル。
 レジ袋に換算すると、何枚でしょう? ……ま、とにかく、待機電力では、レジ袋で何十枚分も、石油を浪費している。それでいて、レジ袋を1枚だけ節約して、かわりに大型ゴミ袋を使っても、ほとんど意味がない。

 [ 付記4 ]
 レジ袋による省エネというのは、精神運動ですかね。昔から日本人の好きなやつ。竹槍精神。……で、それで、戦争に負けたんだっけ。  (^^);
 正しくは? 省エネというのは、下らない犠牲によってなすものではなくて、技術によってなすものだ。日本人がいくら資源を節約しても、中国やアメリカで資源を浪費している限り、地球規模ではほとんど無効である。
 もうちっと頭があれば、レジ袋なんかを節約するより、熱帯雨林の砂漠化を防ぐ方が先決だ、と気づくはずだが。……主婦の頭だと、家庭のことしか、考えられないんでしょうね。思考の省略。省資源ならぬ省思考。……いや、節約しているのではなく、もともとないのかな? 猿みたいなもので。
 ま、主婦が「自分にできることをやる」という心がけは、悪くはない。(そのために有料ゴミ袋を購入して資源を浪費する、という馬鹿らしさはさておいて。)問題は、マスコミだ。主婦が主婦らしいのはともかく、マスコミが主婦らしくして、どうするんですか。そんなマスコミ記者は、記事を書くかわりに、まな板で料理をするべし。
 え、できない? 仕事で忙しくて、料理ができない? だから、コンビニで既製品の弁当を買う? それでもって、弁当容器のプラスチックを排出する? その弁当容器を購入するときに、レジ袋を辞退するから、環境保護? 大きなプラスチックを排出して、小さなレジ袋を節約? ……本末転倒じゃないの? 

(レジ袋についての過去の項目。 → 11月04日b5月25日d

  【 追記 】 ( 2005-05-25 )
 ゴミ問題について、次の記述がある。
 「プラスチックは今、家庭ゴミの6割を占めており、 これをいかに減らしていくかがゴミ処理の最大の課題なんです」( → 出典サイト
 要するに、レジ袋どころではなくて、家庭のプラスチックゴミが問題だ、ということ。……この件は、本文でも同趣旨のことを、いくらか述べておいた。
( ※ 上記の出典サイト には、他にも、おもしろい話がある。特に、電池の箇所。)
( ※ なお、ついでに、次も参照。 → 百円電池の比較


● ニュースと感想  (5月23日b)

 「ペットボトルのリサイクル」について。
 ペットボトルのリサイクルには、二通りある。
  ・ 回収した樹脂を高純度で再生して、ペットボトルに使う。(高コスト)
  ・ 回収した樹脂を低純度で再生して、繊維製品に使う。(低コスト)
 後者だと、不純物が混じっていてもいいから、低コストだ。で、放置すると、後者ばかりになる。前者には使われない。かくて、リサイクルの輪が成立しなくなり、「リサイクル」という概念が不成立になる。これじゃダメだよ、後者でなくて前者を推進しよう……という趣旨の記事が出た。(朝日・夕刊・3面・特集 2005-05-21 )
 こういうのを「自縄自縛」という。「リサイクル」という概念に縛られたあげく、「石油の浪費を減らす」という目的(本質)を忘れてしまうわけだ。
 仮に、高コストである前者を推進した場合、どうなるか? こうだ。
  ・ 回収した樹脂を高純度で再生して、ペットボトルに使う。(高コスト)
  ・ ただの石油(もしくはエチレン)から、繊維製品を作成する。
 前者では、ペットボトルを作成するとき、高純度の素材(PET)が必要なので、純度を高めるために高いコストをかける。つまり、無駄なエネルギーを消費する。
 後者では、繊維製品を作成するとき、本来ならば純度の低いリサイクル製品で済むのに、あえて高純度な素材(エチレンなど)を使うので、ここでも高コストになる。当然、エネルギーも無駄になる。

 資本主義社会では、原則として、市場原理により「最適配分」が実現する。最も低コストなものを選ぶようにすれば、配分の最適化がなされ、無駄なエネルギーの消費が少なくなる。なのに、国が勝手に「こうしろ」と命令すれば、無駄がどんどん進み、無駄にエネルギーが消費される。愚の骨頂。(国家統制経済は、社会主義で失敗が明らかになっている。今日、これをやっているのは、北朝鮮とキューバぐらいだろう。それを真似しようとしているわけ。朝日は。)

 [ 付記 ]
 たとえ話。旭新聞の提案。
 「石油資源の節約のためには、ガソリン車を廃止して、燃料電池車にするのが最善である。ゆえに、国は、燃料電池車を推進するべきだ。しかし、1台1億円もかかるので、現状では、とうてい実現できない。そこで、国は国費を投入して、燃料電池車に補助金を与えるべきだ。そうすれば、無駄にガソリンを食うことはなくなる」
 たしかに、その通り。ただし、燃料電池車は、走行のためにはエネルギーをあまり食わないが、製造のためには莫大なエネルギーを食う。白金を地中から発掘して精製したり、特別な格納容器を高エネルギーで加工したり。……1億円分のコストがかかるからには、ものすごく莫大なエネルギーを消費する。

 たとえ話。夕日新聞の提案。
 「部屋の空気が汚いとき、空気を浄化するには、浄化装置でクリーンにすればいい。」
 たしかに、その通り。ただし、ある部屋の空気を浄化するために、隣の部屋で浄化装置を動かして、そこで室内発電機が莫大な排ガスを出すのでは、「右の部屋は少しクリーンになるが、左の部屋はすごく汚染する」というふうになるだけだ。ここではいくら「右の部屋がクリーンになった」と言っても、無意味である。


● ニュースと感想  (5月24日)

 「狂牛病と牛肉」について。
 狂牛病と牛肉の話題(輸入禁止か解除か)をめぐって、料理マンガの「美味しんぼ」(週刊ビック・コミック・スピリッツ・最新号)に、興味深い主張が出ていた。
  ・ 現在の検査体制はきわめてずさんである
  ・ だからといって反米的な態度で反牛肉というのも困る
  ・ ゆえに、しっかりした検査態勢を築くのがよい
 という趣旨。なるほど。


● ニュースと感想  (5月24日b)

 「独創的な個人を隠蔽する新聞報道」について。
 「日本が発明したラーメン」という言葉を記した記事がある。(朝日・夕刊・3面 2005-05-21 )
 これは嘘だ。こういう嘘を、堂々と新聞で報道しないでほしいですね。では、正しくは? ラーメンを発明したのは、特定の個人である。日本という抽象的な国が発明したわけではない。当り前でしょうが。
 もし、「日本で発明された」というふうに書くのならば、曖昧で不正確なだけだ。しかし、「日本が発明した」と書くのならば、虚偽ないし虚報である。ここでは、独創的な個人の成果を隠蔽している。(ひどい言葉で言えば、盗んでいるようなものだ。)
 なお、参考サイトには、次の言葉がある。
人間にとって一番大切なのは創造力であり、発明・発見こそが歴史を動かす」という安藤百福の熱い思いの結晶が この「インスタントラーメン発明記念館」です。
 着色部は、まったく、そのとおり。
 同様のことは、芸術や科学の創造活動にも当てはまる。たとえば、モナリザを描いたのは、フランスではなくて、ダビンチである。交響曲「運命」を作曲したのは、ドイツではなくて、ベートーヴェンである。相対性原理を提出したのは、米国またはドイツではなくて、アインシュタインである。……ここでは個人名を国名で代替することは、完全なる間違いだ。
 個人の成果を弾圧する、フセイン的な新聞。それは、どの新聞社でしょうか? その新聞社には、ちゃんと固有名詞があります。それは「日本」という抽象的な国じゃありません。
 でも、ひょっとしたら、こういう「独創性のある個人を弾圧する」というのは、日本全体の体質かも。先の青色LEDの判決でも、この方針で、メチャクチャな判決が出たしね。

 [ 余談 ]
 ついでに一言。「人間にとって一番大切なのは創造力であり」というのは、企業における人間の扱い方に限る。もっと広く人間一般について言えば、「愛が大事」というのが私の立場だ。「愛」は「公正さ」や「正義」という形にもなるが、いずれにせよ、「自己の利益だけにこだわらない」ということが大事だ。先のJR西日本の事故を参照。
 なお、創造力について言えば、「愛のある創造力」はいいが、「愛のない創造力」は良いとは言えない。ラーメンの発明には貧乏人に対する愛があるが、原爆の発明には愛がない。こんな創造力は、まっぴら御免だ。殺人機械をいくら発明しても、何の意味もない。むしろ、有害だ。


● ニュースと感想  (5月24日c)

 「自動車の比較記事」について。
 読売の日曜版に、自動車の比較記事が連載されている。これが最悪。単にカタログデータを比較して、メーカーの担当者の一方的な言い分を伝えるだけ。ユーザーからの評価もなく、単に長所だけを並べている。長所と短所があるとき、長所だけを書いて、短所を隠蔽する。メーカーの宣伝だけをして、ユーザーにとって必要な情報を隠蔽する。
 要するに、広告記事だ。これはまぎれもなく広告なのだから、「記事の体裁を取った広告」と表現するべきだ。「記事」と書くのは、新聞の倫理コードに反する。こんなことが許されるのであれば、自動車以外にすべての商品の宣伝記事を書いて、それを「記事」と称することになる。最悪。
 読売は、この記事を書くことで、自動車会社から金をもらっているはずだ。たぶん、「記事を掲載してあげるから、広告を出稿してください」というような間接的な形で。ひどいね。

 なお、マスコミにだまされないために、何を読めばいいかを、教えておこう。まともな情報は、ネットにある。たとえば、これだ。
   → ユーザーによる評価(掲示板ふう)
 このサイトは、なかなかいいですね。読売の記者も、せめてこれを読めば、正しい情報を書けたはずだ。たとえば、小型車については、次のように。
 「フィットは室内が広いが、その分、乗り心地が最悪」
 「ノートはデカいくせに室内が広くないが、その分、乗り心地がいい」
 「ノートは自動車としては優れているが、シートがひどい」
 「ヴィッツは、あらゆる点で無難だが、値段が高い」
 「VWのポロは、自動車として高品質だが、故障が多い」
 「BMW MINI は、長所も短所もあり、魅力的だが、値段が馬鹿高い」
 私だったら、どの車を選ぶか? なかなか決めかねるが、フィット以外だということは確かだ。友人の先代ポロに乗せてもらったら、とても高品質なのにびっくりした。ただし彼は「パワーがない」と文句を言って、新型ポロに買い換えた。
 ただし、小型車というジャンルは、私はあまり好きじゃない。ジャンルがはずれるかも。

 [ 付記1 ]
 なぜ私は小型車が嫌いか? 
 通常、安全性の審査では、時速55キロで正面衝突させる。しかし小型車の場合、慣性の法則により、吹っ飛ばされる。大型高級車と小型車が55キロで正面衝突した場合、大型高級車には40キロの安全性が適用され、小型車には70キロの安全性が適用される。
 で、「だから大型高級車にすればいい」と結論しているのではなくて、「小型車にはいっそう高い安全性が求められる」と結論する。ショートノーズ(ボンネットが短いこと)なんて、最悪。メーカーの安全性軽視の体質が現れている。ユーザーを馬鹿にしているね。馬鹿にされて満足する人が、小型車を買う。
 ついでに言えば、大型トラックというのは、殺人機械である。自車の安全性だけを考えていて、ぶつかった相手の安全性をまるきり無視している。日本の交通安全対策が、いかに「殺人者優遇」になっているか、はっきりわかりますね。

 [ 付記2 ]
 さらに言えば、あらゆる自動車は、歩行者に対する殺人機械である。そのことをわきまえておくべきだ。
 酔っぱらい運転で高校生を轢き殺す、という例があった。(2005-05-23 朝刊・各紙)……こういう事故は、なぜ起こったか? 自動車に対する認識が甘かったからだ。「自動車は社会的に善である」と思い込んで、それが殺人機械であることを無視した。だから、殺人機械が通る道を歩く、という向こう見ずなことを平気で平気でやってのけるのだ。事故は確率的なものであるから、わざわざ地雷原のようなところを歩けば、いつかは地雷にぶつかる。「これまでは大丈夫だったから」という理屈で、地雷原を歩くような真似は、するべきではなかった。「自動車は殺人機械である」とわきまえるべきなのだ。
 運転手に着目するなら、ひどい運転手も多い。歩道と車道との区別のない小道を時速10キロ以上で走行する運転者は、殺人犯と同じ心理状態にある。「歩行者は死んでも、おれは死なないから、それでいいのさ。たとえ殺したって、懲役3年だし、2年で仮出所。殺したあとの賠償金も、保険金でまかなう。えへへ。日本は殺人のやり放題。殺人者天国だね」と。
 この手の運転手は、誰か一人だけではなくて、大半の運転手がそうだ。だから、先の事故も、酒の問題じゃない。「殺人者優遇」が根っこにある。だから、「自動車は殺人機械である」とわきまえない運転手が多い。
 世間の人々は「酒を飲んでいたのが悪い」と非難するが、冗談じゃない、人を殺したのが悪いんだ。「酒を飲まないで殺すのならいい」ということにはならない。
 ところが現実には、「酒を飲まないで殺す」ということをしても、刑罰はものすごく軽い。なぜ? 自動車会社のためでしょう。刑罰が重いと、トヨタが「おれは金儲けが上手だから立派だ」と威張れなくなる。悪魔が天使のフリをできなくなる。だから悪魔のために、人殺しの刑罰を軽くしてあげるわけだ。


● ニュースと感想  (5月25日)

 「電気自動車」について。
 三菱自動車が、燃料電池車のかわりに、電気自動車を開発・販売するという。
     →  毎日新聞FujiSankei
 この方針は賢明だ、と私は思う。実は、私自身、かねて「燃料電池車よりも電気自動車の方がいい」と思っていたし、そう書くつもりだったのだが、書く前に現実が先行してしまった。出し抜かれた。  (^^);
 
 そもそも、電気自動車は、三十年ぐらい前には脚光を浴びた花形だった。「排ガスを出さないクリーンな理想的な自動車だ。21世紀の初めには、相当普及しているはずだ。そうすれば、現代の光化学スモッグなどは、解決するだろう」と。(死語がありますね。 (^^); )
 ところが、「電気自動車は発電所で排ガスを出すから根本的な解決にはならない。燃料電池車ならば排ガスは出さないで水を出すだけだから、こちらが根本的な解決だ」という素人科学が出回って、電気自動車は隅に押しのけられた。
 でもって、私が反発するわけだ。
 電気自動車は発電所で排ガスを出す、と言われるが、核融合発電が実現すれば、電気自動車だって、まったく問題はない。ただし、本当を言えば、核融合発電も、燃料電池車も、現状ではどっちも夢想だが。
 マスコミの報道ではしばしば、「燃料電池車の課題は、高額な製造コストである」と書かれるが、とんでもない勘違いだ。「製造コストが高額だ」という話からは、「政府が補助金を出して、大量生産をすれば、コストが下がるだろう」という理屈が出そうだ。で、朝日あたりは、こういうデタラメをしばしば報道する。
 違う。燃料電池車の課題は、高額な製造コストではなくて、大量生産が不可能な製造法である。つまり、稀少な白金やパラジウムなどの貴金属を触媒として使うということだ。ただの部品ならば大量生産をすることは可能だが、白金やパラジウムなどの貴金属を大量生産することは不可能だ。鉄からエンジンを製造することは可能だが、白金やパラジウムなどの物質そのものを製造することは不可能だ。たとえば、燃料電池車が世界中で1千万台製造されるとして、それぞれの1台ごとに何グラムかの貴金属を使う。その掛け算をすれば、必要な貴金属の総量がわかる。ところが、それだけの貴金属を毎年生産することは、不可能だ。
 要するに、価格の問題(だけ)でなく、量的な問題がある。それはつまり「無から有を生み出すことはできない」という問題だ。白金という物質は、黄金よりも高額だ。そのくらい稀少だ。(ついでだが、人類が歴史的にこれまでに産出した黄金の総量は、プール一杯分ぐらいにしかならない。……という話を聞いた覚えがある。うろ覚え。)
 ともあれ、白金も、黄金と同様に非常に稀少だ。そんなものを無から生み出すとしたら、黄金を無から生み出すようなことをやっていることになる。錬金術だ。
 要するに、「燃料電池車を普及させよう」という主張は、「錬金術を開発しよう」という主張と同様である。いや、もっと荒唐無稽だ。まったくのトンデモだ。
 燃料電池車が実現するとしたら、「貴金属の触媒を使わない」という、まったく新たな方法を開発する必要がある。それは、可能かもしれないが、高温超伝導と同じぐらい、困難なことだ。人類は、高温超伝導を発見するのに多大な時間がかかったし、また、発見したあとも、実用化はまったく出来ていない。燃料電池車も同様だ。まずは実用化の画期的な基礎原理(高温超伝導のようなもの)を発見する必要がある。さらに、数十年をかけて、それを実用化する方法を探る必要がある。
 自動車会社は、燃料電池車の研究をしているが、あれは、コスト無視の、ただの先端開発である。たとえて言えば、月面旅行のようなものだ。莫大なコストをかければ、人類が月面に達することは、約30年前に可能になった。しかし30年かかっても、一般人の月面旅行は、遠い夢想の彼方だ。自動車会社の、燃料電池車の研究も、同様である。いつかは可能になるかもしれないが、それがわれわれの生きている間のことかどうかは、まったく判明しない。できるかどうかもわからない夢を信じるのは勝手だが、そのために、足元の排ガス問題を忘れるようでは、本末転倒だ。
 「23世紀には、きっと燃料電池車が実現するだろう。だから、それをめざして、研究しよう。そのために、あと二百年間は、排ガス問題を解決しなくていい。未来の子孫を生かすために、われわれは排ガスで死のう」
 なんてのは、とんでもないことだ。それよりはまず、足元のディーゼル車の排ガスを何とかするべきだろう。これを解決すれば、花粉症が解決して、多くの国民に多大な幸福をもたらす。
( ※ ただし、製薬会社と耳鼻科医は、泣きます。花粉が出たせいで涙が出るわけじゃないけど。)

 [ 付記 ]
 電気自動車ならぬ電気自転車は、すでに実用化されている。十万円以下。電動バイクもある。二十万円程度。( → 朝日新聞のサイト
 これを通勤に使う人も多いという。特に、会社で電気自転車用の充電設備を備えた三洋電機では、利用者が増えたという。(朝日・朝刊・生活面 2005-05-13 )
 なるほど。電気自転車だと、かなりの距離があっても、自転車通勤が可能になるだろう。20キロメートルぐらいまでは大丈夫。(人力ではせいぜい5キロメートルぐらいまでか。)
 なお、この会社は、太陽電池を製造しているので、充電器も太陽電池で発電したもの。太陽電池と電気自転車。これなら、非常にクリーンだ。
 だから当面、三洋電機にならって、こういうのを普及させればいいのだ。なのに、こんなことさえも、なかなか普及しない。実用化されている電気自転車さえ普及させないで、燃料電池なんていう夢の技術ばかり狙っている。……猿が月面旅行を狙うようなものだ。
 猿が月面に達するのと、人類が燃料電池を実現するのと、どちらが早いか? 賭けるなら、私は前者に賭けます。

 [ 参考 ]
 マスコミの夢想した「将来の科学技術」の例。
 マスコミの夢想しなかった「将来の科学技術」「将来の社会」の例。
 マスコミの報道するバラ色の夢ばかり見るよりは、現実の悪夢を直視するべし。── それが私の主張だ。

 [ 余談 ]
 本項を書いたのは、5月13日ごろ。ところが、ぐずぐずして、掲載を遅らせているうちに、よく似た趣旨(燃料電池自動車より電気自動車)の記事が出てしまった。(朝日・夕刊・3面 2005-05-19 )
 ちぇっ。ぐずぐずして、損した。  (^^);
 ついでだが、朝日のサイトを調べたら、自動車記事の一覧 があった。たいした話はないが。


● ニュースと感想  (5月25日b)

 レジ袋とゴミについての追記  → 該当箇所


● ニュースと感想  (5月26日)

 「レジ袋と自動車」について。
 レジ袋の問題を本質的に考えよう。環境保護という目的のためには、やはり、レジ袋などはまったく無意味だ。「人を不便にさせる」という効果はあるから、人が環境保護をやっている気分だけは高まる。しかし、実効性は、皆無に近い。
 それを理解するには、比較対象として、自動車を選ぶ。
  ・ レジ袋を1つ 製造するための石油の量  ……  1cc以下。
  ・ 自動車を2時間走らせるための石油の量 …… 5リットル(5000cc)
 というふうに、差は5千倍になる。おおざっぱには、このくらいの差だ。

 とすれば、レジ袋撲滅の運動をするよりは、自動車のガソリン消費を2%だけ減らす方が、効果は百倍だ。まったく、大差がつきますね。
 では、自動車のガソリン消費を減らすには、どうすればいいか? 簡単だ。ガソリンを値上げすればいい。たとえば、ガソリン税を、今の十倍ぐらいに上げる。これで、ガソリン消費は、激減する。間違いなし。(その分、消費税を減税すれば、国民にとっては損得なしだ。)

 ガソリン税の値上げというのは、暴論だろうか? ちっとも暴論ではない。ちなみに、自家用自動車が普及し始めたころ、ガソリン価格(相対的)は、今の十倍以上だった。統計を示すと、こうだ。
  ・ 当時のガソリン価格 …… 百円あまり
  ・ 当時の会社員給与  …… 2万円程度
 つまり、現在と比べて、ガソリン価格はほぼ同じで、給与は十分の一以下だ。相対的に言えば、ガソリン価格は、今の十倍以上だったことになる。ガソリン価格が今の十倍になったとしても、メチャクチャということはない。昔の人は、そういう生活を送っていたのだ。……だから昔は、空気がきれいだった。
 では、昔のように空気をきれいにするには、昔のように不便になればいいか? いやいや。当時に比べれば、今は電車が圧倒的に発達している。空気をきれいにしても、便利さは損なわれない。なにしろ、ハイブリッドや電気スクーターもあるんだしね。

 [ 付記 ]
 電気自動車といえば、前日分の三菱の電気自動車のほかに、タカラのチョロQという電気自動車もある。100万円〜200万円ぐらい。普通の自動車のように高速では走れないが、街乗りのスクーターだと思えば、「4輪スクーター」ぐらいの意味はある。だけど、売れなくて、タカラは撤退するという。( → 製品紹介1撤退のニュース1
 レジ袋なんかを話題にするより、こっちを支援する方が、よほどマシだと思うが。……ただし、電気自動車に対する補助金は、一応ある。前日と同じ記事。( → FujiSankei
 ともあれ、トヨタのハイブリッドなんかに莫大な補助金を出すよりは、三菱やタカラに補助金を出す方がいいだろう。売れすぎて品物不足(タマ不足)になった商品に莫大な補助金を出すよりは、売れないで困っている商品に小額の補助金を出すべきだ。この件は、すでに述べたとおり。( → 11月11日 補助金の上手な使い方 )

( ※ 売れる商品は、台数が多いので、補助金は莫大。売れない商品は、台数が少ないので、補助金は少額。1台あたりの補助金を比べても仕方ない。経済政策で重要なのは支出総額。)
( ※ タカラが撤退すると、現時点では、電気自動車は皆無になる。……せめて電気スクーターに補助金を出すといいのだが。ついでに、その分、ガソリン・軽油のバイクや四輪には 0.1%ぐらい課税するといい。……これは、本項の本文における課税とは別の、上乗せ分。)

 [ 補足 ]
 タカラが撤退したのは、あまり売れなかったから。では、なぜ? 屋根がなくて、オープンカーだったからだろう。屋根なしならば、ライバルはスクーターだ。だとすると、百万円というのは、あまりにも高すぎる。一方、屋根ありならば、ライバルは軽自動車だ。だとすると、百万円というのは、さして高くない。単に速度が遅いだけで、実用上は軽自動車と大差ない。
 では、なぜ、オープンカーなのか? たぶん、規制のせいではないかな。タカラの電気自動車は、低速で、自動車免許が不要なタイプ。そのためには、屋根なしが必要だったのでは? たぶん。(先の製品紹介の 3 を参照。)
 としたら、何らかの規制緩和によって、屋根付きを許容することで、電気自動車を普及させることができるかもしれない。
 心あるマスコミ人は、ちょっと調べてみてください。別に私に金一封はくれなくてもいいから。  (^^);
 この件に関しては、(出典を明示せずに)無断引用しても構いません。


● ニュースと感想  (5月26日b)

 「JR西日本の事故の後日談」について。
 JR西日本の事故の後日談で、面白い記事が朝日に二つある。(朝日・朝刊 2005-05-25 )

 (1) 相談役
 JR西日本の天皇とも言われる相談役が、記事でインタビューを受けている。かつては取締役で、今は院政を敷いている人物が、「おれのやって来た経営は正しいのだ」と威張っている。「経営効率化は当然だ。安全性を無視したことなどない」と言い張っている。
 呆れたものだ。安全投資の額が、他の民間鉄道会社に比べて極端に少なかった、という事実を無視している。黒を白と言いくるめている。
 私がいちいち反論するまでもないね。たぶん、世間から、袋だたきになるだろう。そういうこともわからずに発言する愚かさ。自分を客観視できない。唯我独尊で、世論の動向をまるで無視している。
 小泉みたいだ。

 (2) 民間人の救助協力
 事故のときに民間人がいかに協力して、人命救護に役立ったか、という検証記事がある。多くの人々が、事故の場で、自腹を切ったり仕事を休んだりして、人命救護のために協力したという。
 知らないことが多かった。ちょっと盲点になっていましたね。目の付けどころもいいし、報道の価値もある。いちいち紹介しないが、とても良い記事なので、朝日の朝刊を買って、読んでみてください。(朝日のサイトにはないようです。)
 ここで紹介されているのは、「利益優先」という市場原理とは正反対のことだ。利己的な金儲けとは逆の、自己犠牲ないし愛だ。感動しました。朝日にも良い記事があるな、と思ったが、……おやおや。これは、社会面でも経済面でもなく、生活面の記事。
 朝日の記者でまともなのは、生活面の記者だけですね。ここの記者だけは、視点が市民の視点だ。偉い。(他の記者はくそみそ。経済部に至っては、「市場原理で景気回復」なんていうデタラメばかりを書いている。この手の連中が、事故の場にいたら、血だらけのケガ人の救助なんかしないで、事故の写真ばかりをいっぱい撮影していたはずだ。「デジカメで撮影して、ネットで瞬時に送付すれば、特ダネになる。金一封がもらえるぞ」というふうにね。……事故で金儲け。人の不幸を食い物にする。利益第一主義。成果主義。市場原理。)

 [ 付記1 ]
 読売にも、事故報道の検証記事がある。(2005-05-25 朝刊・特集面 )
 被害者の感情をおもんぱかって取材を抑制したとか、事故現場の血だらけの写真が届いたがあえて掲載しなかったとか。
 ふうむ。なるほど。だけど、ずいぶん多くの文字数を費やした割には、自己の正当化しかしていない。「留意しました」と自慢しているだけ。秀才っぽい。読者としては、読んでも、面白くない。朝日みたいに、馬鹿丸出しの記事の方が面白い。  (^^);
 
 [ 付記2 ]
 朝日では、生活面の記者はいいが、経済面の記者は良くない。というのは、視点が、企業の視点だからだ。たとえば、「企業が黒字だから、景気は良くなった」という趣旨の意見ばかりが出る。賃金カットをする(リストラをする)と、それだけ立派だ、という趣旨。
 かくて、経営改善のためには、商品の向上よりも、賃下げをすればいい、というわけ。まるでMBAだね。呆れたものだ。19世紀のマルクスが泣いてしまう。

 [ 付記3 ]
 ついでだが、朝日の be (旧称:ウィークエンド経済)というのは、最悪ですね。つい最近、社会貢献を最優先にする清廉な社長が出たが、この人だけが、たった一人の例外。
 で、それ以外はすべて、「企業の利益こそが大事」という守銭奴だ。社会意識がゼロ。そういう連中ばかりを、朝日の be はやたらと称賛する。
 朝日の be にとっては、JR西日本の無責任経営者も、理想的な経営者だろう。そのうち、「最優秀経営者」といして、1面にデカい顔写真が載るかもしれない。……いや、もしかしたら、すでに昔の紙面に載っているかも。
( ※ 朝日の be の巻頭にデカい顔写真を載せた経営者は、たいてい、数年後に没落する。今回の相談役も、今は没落している。というわけで、朝日の be に出た可能性がある。)
( ※ これはジンクスか? 違う。金儲けばかりを考えている経営者は、次の経路をたどる。「莫大な利益を上げて、『すばらしい経営者だ』と朝日に称賛される」→「唯我独尊の経営のあと、あとで破綻する」→「利益しか考えないせいだ」と小泉の波立ちで批判される。)


● ニュースと感想  (5月27日)

 「JR西日本の事故と成果主義」について。
 事故を起こした例の運転手は、前にもミスをしたことがあり、今度ミスをしたら運転手失格(そして大幅賃下げ)を受け入れる旨の決意書を一年前に書かされていたという。そのせいで、今回、ミスって、「もはやクビだ」とパニックになったらしい。( → Yahoo ニュース 産経新聞
 この問題は、JR西日本に限った問題ではない。日本企業の多くに共通する問題だ。すなわち、「成果主義」である。別名、「信賞必罰」だ。
 ミスをしやすい苛酷なダイヤを組んでおいて、ちょっとでもミスをしたら、職務からはずす、なんていう労働環境では、まともな精神状態ではいられないだろう。例。
 「スーパーのレジで金額があわなかった場合」
 「新聞社の記事で誤報があった場合」
 「工場の製品で不良品を発生させた場合」
 こういうミスをした場合に、「成果主義」の名の下で、損害を労働者個人に負わせて、莫大な損失を個人にツケ回しするとしたら、労働者は、怖くて、仕事をまともにできなくなる。大幅に萎縮してしまう。そのせいで、かえって、ミスが多くなる。

 では、正しい経営とは、何か? 実は、成果主義とは正反対だ。
 「部下のミスに対しては、上司が全責任を負う。JRの事故で言えば、運転手個人の責任にはしない。たとえ原因が運転手にあったとしても、責任は上司が負う。すなわち、最高責任者である社長が負う。『申し訳ありませんでした。私の責任です』と社長が謝る。『部下のせいだから、成果主義で部下に責任を取らせます』なんてことは言わない。」
 これが、あるべき経営者の姿だ。仮に、私が社長だったら、「すべては私の責任です」と謝ります。
 ところが、今回の経営者は、「ひたすら申し訳ないと頭を下げます」だって。頭を下げるという儀礼の問題にしてしまっている。会社としての責任を述べるだけであり、自分の経営責任を示さない。経営者としての責任感はゼロだ。自分の責任を取らない連中が、「成果主義」の名の下で、自己の経営責任を部下になすりつける。

 成果主義というものは、「信賞必罰」のことではない。「信賞必罰」が適用される場合があるとしたら、経営権を持つ経営者だけだ。広く含めても、管理職以上だけだ。
 成果主義というものは、やるとしたら、「成功者に報酬」だけがあればよく、「失敗者に厳罰」というのは、あってはならない。あってもいいのは、せいぜい、配置換えだけだ。「賃下げ」なんていうふうに、生殺与奪を好き勝手にするのは、とんでもない横暴だ。
 そういう横暴が、今回の事故を招いた。そして、同じ横暴は、多かれ少なかれ、たいていの企業に見て取れる。日本で最も先進的な企業と目されるキヤノンでさえ、「莫大な成果を出した技術者に正当に報いるか」と問われて、「いやなこった。もったいない」と成果主義を否定している。
  ・ あるべき姿 …… 成功者への報酬は高額。失敗者には配置換え。
  ・ 現状の姿  …… 成功者への報酬はスズメの涙。失敗者には厳罰。
 これが日本の現状だ。かくて、問題続出。そして、根源が日本の体質にあることを指摘しないで、表面的な細部ばかりを報道するのが、ワイドショー的なマスコミだ。

 [ 付記 ]
 ただし、一方では、この電車は非常ブレーキが何度もかかるという異常な状態にあったので、電車が根本的に狂っていたらしい、という記事もあった。(朝日・朝刊 2005-05-25 )
 もしそうなら、通常、電車を止めるのが常識だろう。とはいえ、それで「異常はありませんでした」となると、運転手は一身に責めを負う。となると、「異常があってもとりあえず終点までは運転する」というふうになる。
 この場合も、「安全主義」に代わる「成果主義」というのが、根源にある。


● ニュースと感想  (5月27日b)

 「省エネの服装」について。
 「ノーネクタイ・ノー上着」で執務する省エネルギー対策を、政府が6月から行なう。そこでさっそく、細田官房長官がシャツを着たり、市長たちがシャツを着たりする。しかし、服装を見ると、カッコ悪いですね。テレビで見た細田官房長官は貧相な細い体型がバレバレだったし、写真で見た市長たちは肥満体型がバレバレだ。( → 市長たち
 もっとカッコいい服装をしましょう。体型を隠すために、装飾のある服装をしましょう。具体的には? サファリシャツがそうです。
  → 画像1画像2画像3


● ニュースと感想  (5月27日c)

 「遊牧と環境破壊」について。
 モンゴルで草原の砂漠化が進んでいる。遊牧民がヤギの放牧をしすぎるせいだ。対策が必要だが、「世界的なカシミヤの需要増が原因であり、モンゴルのせいだけじゃないよ」とモンゴルは言う。(朝日・朝刊・1面・特集 2005-05-24 )
 もっともらしい言い分だ。しかしモンゴルの本音は、「規制されたら輸出できなくなって、豊かな生活を損なわれる」ということだ。(「砂漠化を防ぐ金を援助してもらいたい」と暗示している。「金を寄越さないと、これをぶちこわすぞ」と恐喝しているも同然だ。)
 で、モンゴルの主張を額面通りに受け取って、放牧を放置したら、どうなる? 砂漠化が進んで、モンゴル自身が損をする。「今はいいが、後ですごく困る」というふうになる。タコが自分の足を食っているのと同じだ。「おいしい、おいしい」と喜んでいるが、気がつくと、自分の足が消えてしまっていている。8本食べたら、もはや食べるものがなくなる。食べたくても、動けない。かくて、1日1本食べて、8日間はすごく幸福だが、9日目からは最悪の状況となる。

 日本がなすべきことは、放牧を前提として援助することではなく、「タコが足を食う」という諺を教えることだ。金を与えることよりも、知恵を与えることだ。

 [ 付記 ]
 放牧というのは、非常に大きな影響がある。なぜなら「芽を摘む」という形を取るからだ。
 熱帯雨林の破壊ならば、大きな樹木を伐採する。放牧では、草木の芽をヤギが食い尽くす。放牧の方が目立たないが、影響はずっと大きい。
 たとえて言おう。人が人を殺す戦争というのは、悲惨で、目立つので、「悪いことだ」とすぐにわかる。一方、乳児の栄養状況や衛生状況を悪くすると、乳児死亡率が非常に高くなり、次世代が育ちにくくなる。これは、あまり目立たないが、長い時間をかけると、絶滅をもたらしかねない。(通常は出生率を高くすることで対抗するが、それは別の事情だ。)
 サハラ砂漠であれ、ゴビ砂漠であれ、多くの砂漠はもともと砂漠だったわけではない。世界最大の砂漠であるサハラ砂漠は、もともとは森林だった。ところが放牧のせいで、砂漠になってしまった(らしい)。
 放牧による砂漠化というのは、非常に大きな影響がある。世界規模の環境破壊や異常気象をもたらす。日本人がレジ袋で少しぐらい環境保護に努力しても、そんなことはほとんど焼け石に水だ。
 環境問題を趣味ではなく本気で扱うなら、砂漠化問題と正面から取り組む必要がある。


● ニュースと感想  (5月28日)

 「明日香村のキトラ古墳」について。
 明日香村のキトラ古墳の修復が始まった。( → google ニュース検索
 これについて、「千三百年も保存されたのが、急速に破壊されるなんて、こんなひどいことになったはどうしてなのか、検証する必要がある」と主張するおめでたいマスコミもある。(先日の朝日・社説。日付は失念。)
 こういうのを「後悔先に立たず」または「覆水盆に返らず」という。こわれたあとで検証しても、ただの自己満足にしかなるまい。

 検証などは必要ない。必要なのは自己反省だけだ。だいたい、当時、マスコミが何を言っていたか、自社の記事でも検索するがいい。検索機能は、そのためにこそある。つまり、かつて自己がどんなことを言っていたか、わが身を省みるためにある。健忘症のマスコミにとっては、必要不可欠の道具だ。
 私は? もちろん、こう思っていた。
 「遺跡が千三百年も保存されたのは、奇跡的なことだ。外部の空気はひどく汚染されているのに、先人がうまくそれを防ぐために、密閉した墓を作成した。その墓の密閉をそこなうというのは、とんでもないことだ。現在(当時)の空気は、ひどく汚染されていて、光化学スモッグやら窒素酸化物やら何やら、人間の生存が脅かされるほどの汚染された大気状態にある。しかも現代人はそれを浄化することができない。かくも愚かな現代人が、墓の密閉状態を破壊して、過去の空気と現在の空気を混ぜたら、過去の空気が現代の空気によって汚染されてしまう。千三百年も保存された状況が一挙に無に帰してしまう。ゆえに、絶対に、墓を開いてはならないそんなことをすれば、千三百年も保存された遺跡を破壊するだけだ」
 そして、まさしく、そのとおりになったわけだ。

 では、なぜ、私は正しく予想できたのか? 私が頭が良かったからか? 違う。まともな頭があれば、誰にだって予想できたわけはずだ。小学生だって予想できたはずだ。それが証拠に、千三百年も前の人々は、その当時の素朴な判断で、墓を守るために密閉した。この密閉を剥がすというのは、よほどの阿呆でない限り、やるはずがないのだ。(やるのは、ピラミッドの墓荒らしのような、あこぎな連中だけ。)
 だから、なすべきことは、そんな当り前のこともわからないでいた考古学者の、自己批判だ。
 たとえて言おう。どこかの阿呆が、「江戸川や多摩川や隅田川などの河口をふさいで、川を釣り堀にしよう」なんてことを主張したら、なすべきことは、「そんなことはやってはいけない」と断固と否定することだ。「やってみて、失敗したら理由を検証すればいいさ」なんてことではダメなのだ。
 
 まとめて言おう。何かで失敗したとき、「どうして失敗したかを調べよう。失敗学の研究だ」なんていう無責任なことではダメだ。「その失敗に目をふさいで容認していた自分の愚かさを批判する」ということこそが大切だ。そういう自己批判または自己否定こそが、真実へ近づける。
 そして、そういう反省的な態度がない限り、何度も何度も同じ失敗を繰り返して、何度も何度も「失敗の理由」を探るハメになる。

 [ 付記 ]
 ついでに言えば、現在の不況も同様。自己批判の欠如。ひどいものだ。政府もマスコミも。いつも「おれは正しい」と主張するだけで、自己批判や反省というものが欠落している。
 新聞社の主張である社説というものは、常にそうだ。彼らは小泉と同じで、「おれは正しい、おれは正しい」と主張するだけだ。反省はまったく欠落している。
 私は? ……ええと、……反省します。いつも反省しています。 と喧嘩したら、必ず反省します。  <(_ _)>

 [ 余談 ]
 「キトラ」とは何か? 「鬼虎」または「亀虎」のことで、「方角を意味する」ということらしい。よくわかっていないようだが。
   → 該当ページ
 同じサイトにある、「タヌキ物語」(実話・画像入り)。これは愛と感動の物語。おもしろい。
   → 該当ページ

 [ 補足 ]
 ついでに豆知識。タヌキというのは、熊に似ているが、熊とは類縁ではなくて、犬の仲間です。
 最近話題のレッサーパンダは、タヌキの仲間か熊の仲間か……というのは、話が大がかりになりすぎる。ゆえに省略。


● ニュースと感想  (5月28日b)

 「花粉症からの逃避」について。
 花粉症の人のための、逃避する場所として、「沖縄がいい」と前に紹介したが、もっと便利なところがあるので、あらたためて紹介する。それは「八丈島」だ。
 八丈島は、(沖縄と違って)杉がないわけではないが、離島であるせいか、花粉症はほとんどないそうだ。ただし、同じく離島でも、三宅島や神津島や大島はダメであるようだ。
 詳しい情報は、ネットで検索してください。(本項に書いてある以上の特に詳しい情報があるわけでもないようだが。ま、体験談ぐらいなら、見つかる。)

 ただし。一番いいのは、レーザー治療であるようだ。コストも安い。とはいえ、効果は2〜3年ぐらいで消えることが多く、また、3割ぐらいの人には無効だという。

 一番いいのは、やはり、ディーゼルの排ガスを削減することでしょうね。これだと、花粉症以外の人も、いろいろと健康面でメリットがある。とはいえ、国の対策は非常に遅い。
 有害なディーゼル車がなくなるのと、あなたの寿命が終わるのと、どちらが早いか? 日本の不況が終わるのと、あなたが定年退職するのと、どちらが早いか?


● ニュースと感想  (5月28日c)

 「中国からの排ガスと煤」について。
 中国からの排ガスと煤がひどくて、世界規模でひどい環境汚染が起こっているという。特に日本は、中国のすぐ東に位置するので、被害の程度が大きいという。(読売・夕刊・1面 2005-05-14 )
 ま、例によって、保守派の反中意識の色のかかった記事ではあろうが、一応、留意しておいていいだろう。
 ただし、中国が「謝れ」と言ったら、「そっちこそ排ガスで!」と言い返すのでは、まずい。(読売の思惑に乗ってしまう。)
 「それとこれとは別問題だが」と断った上で、「謝らなくてもいいから、とにかく排ガスを改善してくれ」と言うべきだ。切実な問題なんですからね。ひょっとしたら、花粉症も、中国のせいかも。


● ニュースと感想  (5月29日)

 「多観測解釈」について。
 量子力学の話。コペンハーゲン解釈とエヴェレット解釈が有名だが、後者のエヴェレット解釈には、「多世界解釈」のほかに、「多観測解釈」もある。「エヴェレット解釈」と呼ばれる流派には、この二つの流派が含まれるわけだ。
 この問題についての解説を、新たに公開した。
    → 「シュレーディンガーの猫」

( ※ 「多観測解釈」について述べている。「多観測解釈」は、通常は、「多世界解釈」と呼ばれる[混同される]ことが多い。たとえば、次の箇所。 → Wikipedia


● ニュースと感想  (5月29日b)

 「シェークスピアのソネット」について。
 ソネットというと so-net のことが思い浮かぶかもしれないが、もともとは、西欧の sonnet (14行定型詩)という単語がある。で、前にも述べたが、シェークスピアのソネット18番は、人類史上の最高の詩の一つと言える、というのが私の見解だ。( → 12月02日b 最後 ,2月19日 最後)
 ところで、週刊マンガ雑誌の「モーニング」に連載中の受験マンガ(ドラゴン桜)で、シェークスピアのソネット18番の原詩が引用されている。
 これにはびっくり。「良い詩を一つ挙げよ」と言われて、シェークスピアのソネット18番を選ぶとは。並みのセンスじゃないですね。通常、もっと下らない詩を選ぶものだが。「自分好みの」というふうに。
 ところが、ここでは、王道のど真ん中を選んでいる。正統中の正統だ。ちっともひねくれていない。たいしたものです。この受験マンガのゴーストライター( → 前述 3月09日b )は、相当優れた人物ですね。感嘆しました。

 なお、ついでに私がお勧めしておけば、「ファウスト」と「神曲」のうち、最優秀の翻訳は、シェークスピアのソネット18番(の翻訳)に勝るとも劣らない出来だ。……おっと忘れた、もう一つ、ボードレールの翻訳もあった。( → 新訳・悪の華


● ニュースと感想  (5月29日c)

 「ポイズン・ピル(毒薬条項)の導入」について。
 ポイズン・ピル(毒薬条項)というふうに訳語を入れた記事があった。これを導入するのに当たって、「株式決議を条件とする」という方針で、政府が法律の原案を作っているという。(各紙・朝刊 2005-05-27 。朝日よりも読売に詳しい。)
 これは一見、「もっともらしい」と見える。だが、とんでもないことだ。なぜならこれは、「多数派による、少数派の権利剥奪」であるからだ。ポイズン・ピルは、現在の経営者にとっては有利だが、株主にとっては不利である。なぜなら、株式を高額で売ることができなくなるからだ。

 そもそも、株式とは何か? 経営を好き勝手に決める権利か? 違う。最適の経営者を選ぶ権利だ。そのことで、株価を高くすることができる。
 フジ一太郎が「Aを選べば100円の価値がある」と思い、トラエモンが「Bを選べば105円の価値がある」と思ったとしよう。このとき、フジ一太郎はトラエモンに株価を売ることができる。価格は、100円以上105円未満だ。たとえば、103円だ。
 このあと、103円で買ったトラエモンの判断が間違っていた場合、損をするのは、トラエモンだけだ。一方、トラエモンの判断が正しければ、103円で買って、105円の価値をもつことができるようになり、トラエモンが得をする。
 こうして、自然に最適の経営者を得ることができる。これが資本主義の原理だ。
 ところが、ポイズン・ピルを導入すると、このことが不可能になる。少数派の株主が103円で売ろうとしても、うまく売ることができなくなる。「株式とは、買ったあと(投資したあと)で売ることによって利益を得る」という権利に制約が加わる。これは、資本主義の否定だ。
 仮に、こんな横暴が許されるならば、「株式決議で多数派が決議すれば、何でもやっていい」というふうになる。たとえば、大株主だけに特別な配当をするとか、会社を倒産させて資産を大株主にプレゼントするとか、そういうふうに少数派の権利を踏みにじることが許されてしまう。

 結語。
 ポイズン・ピルとは、現在の経営者の権利を守るためだけのものであり、一般株主の権利を奪うためのものだ。そのことは、たとえ株式総会で決議されても、許されることではない。法律は、公正さのためにある。多数派の横暴を許容するのであれば、法律などは必要ない。
 政治でも同様だ。公正さを否定するのなら、法律のかわりに、「与党による独裁」という専制政治を実施すればいい。「多数を握れば何をやってもいい」というのは、専制政治なのだ。
 経済であれ、政治であれ、大切なのは、「公正さ」だ。それは、「弱者への配慮」や「愛」を意味する。それなしに、「強者が好き勝手なことをやっていい」というのは、「(悪漢の)エゴイズム」である。


● ニュースと感想  (5月29日d)

 「温水洗浄便座」について。
 「アジアでも高級品が売れていて、シャワートイレを購入する人もいる」という記事が、朝日の経済面にあった。(朝日・朝刊・経済面 2005-05-28 )
 朝日のいい加減には、まったく、困ったものですね。そもそも「シャワートイレ」という言葉は、使うべきではない。「温水洗浄便座」または「温水シャワー式便座」というのが普通の日本語であるから、こちらを使うべきだ。
 だから、ちょっとでも読者への配慮があるなら、「シャワートイレ(温水洗浄便座)」というふうに、カッコ付きで示したはずだ。「ポイズン・ピル(毒薬条項)」というふうに書くのと同様である。

 ただし、もうちょっと専門知識があれば、肝心のことに気づくはずだ。つまり、こうだ。
 「シャワートイレというのは、ウォシュレットと同様に、商標である」( → 検索
 特定メーカーの商標なのだから、商標を一般名詞のように扱うべきではない。たとえば、「自動車」と呼ぶかわりに「カローラ」と書くべきではないし、「コンピュータ」と書くかわりに「マック」と書くべきではない。それと同様だ。
 朝日の経済部記者は、無知が多すぎる。その前に、読者への配慮がまったく欠落している。こんな下らないことを書くよりは、自社サイトにある次の記事でも紹介する方が、よほどマシだ。
  → 男性とトイレマイ・トイレ時代
( ※ → 参考ページ )
 
 [ 付記 ]
 英語で「showertoilet」というのもあるが、これも、外国にある某社の商品名であるらしい。ただし、よくわかっていないので、この件は自信なし。日本語の商標の「シャワートイレ」はこの英語を音訳しただけであるようだ。こんな商標が許されるんですかねえ。
 ただし、「ウォシュレット」という商品名は、最悪ですね。日本風に発音できないし、覚えにくいし、パソコンで打鍵するのも面倒だ。「お尻だって洗ってほしい」という名前にすれば良かったのに。(これは当時のCM。商品名は忘れられても、CMは記憶に残る。)







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「小泉の波立ち」
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