[付録] ニュースと感想 (86)

[ 2005.04.03 〜 2005.05.11 ]   

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● ニュースと感想  (4月03日)

 「一時的な景気変動」について。
 景気変動(景気循環・景気の波)については、前にも述べたことがある。「周期的な波というよりは、効果の収束である」と。( → 8月16日
 同じことだが、こうも述べた。「サイン・カーブではなくて、減衰曲線(指数的)になる」( → 5月05日b
 さて。これを踏まえて、景気循環を考える。すると、景気循環とは、「変動の切り替え」というふうに理解できるだろう。つまり、「上向き」または「下向き」の収束過程だけがあるのだが、いつまでも「上向き」または「下向き」ではありえないから、どこかで「上向き」と「下向き」とが切り替わる。こうして、何らかの形で、「波」のような振幅が発生する。そして、その理由は、「(効果の)行き過ぎ」である。
 たとえば、A地点からB地点へ進む。B地点で止まればいいものを、すぐには止まれないから、B地点を越えて行き過ぎる。そこで、Uターンして、B地点に戻ろうとする。ところが、またもB地点を越えて、戻りすぎる。そこでまたUターンして……というふうに繰り返す。
  A
    ↓ 
    ↓ ∩ ∩ 
    ↓↑↓↑↓
   B
    ↓↑↓↑
     ∪ ∪ 
 こういう形で、景気循環が続くことがある。では、その理由は? 

 私の考えでは、その理由は、「過剰消費・過少消費」だ。マクロ的に言えば、「平均消費性向」の変動だ。もう少し正確に言えば、「過剰投資・過小投資」も影響する。だから、「過剰需要・過小需要」というべきだろう。
 ここでは、個人または企業の「心理の変動」が大きく影響する。一人一人の個人の心理の変動は、一国レベルでは無視していいが、一国全体での心理の変動は、無視できない。
  ・ 「景気が良くなっているぞ」と思うと、企業も消費者も需要を増やす。
  ・ 「景気が悪くなっているぞ」と思うと、企業も消費者も需要を減らす。
 こういう形で、一国レベルで、心理が変動する。かくて、「過剰需要・過小需要」が発生する。

 では、何をもって、「過剰需要・過小需要」と判断するか? そこが問題だ。
 古典派ならば、その基準を「供給能力」と考えるだろう。しかしそれは「あるべき状況」を基準とした発想だ。
 マクロ的に考えるなら、その基準は、「総所得」である。それは、「可能な状況」を発想とした発想だ。
 例示的に示そう。
 企業が1億円の売上げをめざす。そして、「だから消費者は1億円分を購入するべきだ。そうすれば企業は倒産しない」と主張するのが、古典派。
 一方、消費者の所得が五百万円であるとする。そのうち百万円分は企業が借りて投資に使うので、貯蓄する必要がある。残りは四百万円。というわけで、「だから消費者は四百万円分を消費するべきだ。そうすれば景気は安定する」と主張するのが、マクロ経済学者。

 現実には、消費者はきっちり四百万円を消費するのではなくて、420万円や 380万円を消費する。それがつまり、過剰消費や過少消費の意味だ。この違いが、景気変動をもたらす。
 ただし、このような景気変動があったとしても、それが「不況を解決するか否か」は、別の問題だ。たとえば、「企業が赤字にならないためには、消費者が500万円の消費をする必要がある」という状況ならば、消費者が 420万円や 380万円を消費しても、どっちみち、不況である。 420万円のときには上向きであり、 380万円のときは下向きであるが、どっちみち、不況である。不況のなかで、少し良くなったり、少し悪くなったりするだけだ。
 
 では、不況という状況そのものを変えるには、どうするべきか? 簡単だ。消費すべき額を四百万円でなく五百万円にすればよい。そのためには所得を五百万円でなく六百万円以上にすればよい。

 まとめ。
 マクロ的な大きな不況のさなかで、不況が改善したり悪化したりすることがある。それは、需要が「過剰需要・過剰需要」になることで発生する。しかし、そのような形で景気変動が発生しても、それは不況の解決を意味しない。
 不況のさなかで、一時的な需要増加で、企業の業績が改善することはある。しかしそれはしょせん、「過剰消費」や「過剰投資」によって、所得以上に金を使っているだけのことだ。
 一時的な過剰消費で、景気回復が起こることもある。しかし、それは早晩、行き詰まる。一時的に景気が良くなったあとで、ツケ払いの形で、一時的に景気が悪化する。そういう形で、行ったり来たりして、景気変動が発生する。
 一時的な過剰消費による変動は、小さな枠内の変動だけだ。不況を本質的に解決するには、経済の「大きな枠」を動かすことが大切だ。そのためには、所得を増やすことが不可欠である。

 [ 付記 ]
 モデル的に言おう。
 消費者の所得が 500万円。あるべき消費が 400万円。(貯蓄=投資 が 100万円。)
 ここで、借金して消費をすれば、消費が 400万円から 420万円に増える。ここで企業が給与を上げれば、所得が増えるので、420万円は過剰消費ではない。しかし、企業が給与を上げなければ、所得が増えないので、420万円は過剰消費である。企業が給与を上げなければ、20万円が過剰消費。企業が5万円だけ給与を上げたならば、15万円が過剰消費。その過剰消費の分は、やがて、ツケ払いの形で、借金返済に回る。かくて、過少消費になる。すなわち、過剰消費をした20万円(または15万円)は、やがて借金返済に回るので、消費は 400万円から 380万円に減る。(または 405万円から 390万円に減る。)
 要するに、所得を増やさないまま、「過剰消費をさせれば景気が良くなる」という発想は、成立しないのだ。過剰消費は、一時的には成立するが、やがては、過少消費に転じる。そのことで、景気の変動が起こるだけだ。
 「所得」こそが本質である。その本質を無視して、「支出の額だけを変動させればよい」というのは、物事の表面しか見ていないことになる。
 たとえて言おう。あなたが女であり、二人の求婚者がいる。二人ともベンツをもっていて、どちらも消費が多額だ。ただし、一人は借金をして、過剰消費している。もう一人は、消費と同額の所得がある。どちらがいいか?
 「どちらも消費が同じだから、どちらも同じである。使う金の額が同じなら、どちらも同じだ。表面的な現象こそ大事だ」と考えるのが、古典派。
 「所得が違えば、両者は違う。今は同じでも、過剰消費した方は後でツケ払いをするハメになる。表面ではなく本質が大事だ」と考えるのが、マクロ経済学者。
 とにかく、両者の違いを理解しよう。
  ・ 古典派経済学者 …… 「所得は一定だ」と仮定して、他のことの最適化を考える。
  ・ マクロ経済学者 …… 「所得は変動する」と想定して、所得と経済の変動をモデル化する。

( ※ 現実の景気変動の例については、次項を参照。現時点の景気判断を示す。)


● ニュースと感想  (4月03日b)

 「景気の反転」について。
 日銀短観では、2期連続の景気悪化があった。業況指数の推移を見るグラフを描くと、98年末を底として、上昇して、01年末が頂点となる。そのあと反転して下降し、02年末が底となる。そのあと反転して上昇し、04年半ばが頂点となる。その後は下降。(朝日・夕刊・1面 2005-04-02 )
 このグラフから類推すると、景気はこのまま下降し続け、あと1〜2年ぐらいは下降し続ける、と予想できるだろう。「景気は後退局面に入った」と見なしていいはずだ。
 その理由は? 
 「これまでの景気回復は、真の回復ではなくて、単に所得以上に消費する、過剰消費があっただけのことだ。今後は、ツケ払いの形で、過少消費に移行する。ゆえに、しばらく、景気は悪化し続ける。」
 そしてまた、この問題に対する解決策は、
 「所得を増やすこと」
 つまり、減税だ。それだけが景気悪化を本質的に食い止める。
 ついでに言えば、マネタリストの主張する「投資拡大」(インフレ目標など)は、「過剰投資を増やすこと」であるが、これは、「所得を増やすこと」を(少しだけしか)もたらさない。所得をろくに増やさないまま、過剰投資・過剰消費をしても、効果は限定される。あとでツケ払いが増えるだけだ。
 本項について、詳しい理由は、前項でマクロ的に示した。


● ニュースと感想  (4月04日)

 「私の主張のまとめ 2
 先日、「私の主張のまとめ」を記した。( → 3月24日

 (1) まとめ2
 さて。前回のことを振り返りつつ、あらためて別の仕方で、私の主張を簡単にまとめてみよう。下記の通り。
 以上で、「古典派/ケインズ派/私」という違いが、おおまかに示される。

 (2) マネタリズム
 ここまでの話では、マネタリズムは登場していない。マネタリズムを紹介しよう。その主張は、次の通り。
 「貨幣量を増やすと、物価上昇または生産量増加が起こるはずだ。ゆえに、貨幣量を増やせ」
 しかし、「……はずだ」と思っても、現実には、それが成立しない。量的緩和は無効である。(事実を見ればわかる。)そして、この状態を「流動性の罠」と呼ぶ。
 そこで、「流動性の罠」を解決するために、「将来のインフレを予想させよう」という発想が生じた。これは、マネタリズムの延長にある発想だ。
 この発想に基づく政策が、「インフレ目標」政策。その手段が、「量的緩和」と「インフレ目標宣言」。
 しかし、「インフレ目標政策は、浅い不況のときには有効だが、深い不況のときには無効だ」というのが、私の結論だ。
 マネタリストと私のどちらが正しいかは、シミュレーションすればわかる。
 今、仮に日銀が、「インフレ目標」を宣言したとする。私はそんなことをしても意味はないと思う。ただし、有効だと信じる経済学者は、次の現象が起こると信じる。
 日銀は、マネーの神様だ。経済はマネーの神様の言うとおりになるはずだ。(マネタリズムという宗教の発想。)
 そして今、日銀が「インフレ目標」を宣言した。だからきっと、将来インフレが起こるはずだ。ならば、インフレが起こる前に、さっさと消費を増やそう。
 ただし国民は、消費を増やすにも、手持ちの金がない。だから大急ぎで、サラ金から借金するだろう。そして、今のうちに、パソコンを五十年分ぐらいまとめて買ったり、食事を五十年分ぐらいまとめて買おう。そうすれば、大幅に得をする。
 将来の人生は? もちろん、パソコンなんか使わないでいい。今のうちに五十台のパソコンを使えば、あとの人生はパソコンなんかなくてもいい。今のうちに五十年分の食事を食えば、あとの人生は食事なんかなくてもいい。
 とにかく、電気であろうと、水道費であろうと、トイレットペーパーであろうと、すべてを五十年分ぐらい、まとめて消費しよう。その後は、なしで済ませる。そうすれば、インフレが起こったとき、ものすごく得をする。合理的な人間は、そうするはずだ。(合理的期待形成仮説による。)
 この発想の前提は、「人間はロボットである」ということだ。人間がロボットであれば、今のうちに50倍稼働して、その後はずっと停止させておけばよい。そうすれば、今のうちに50倍稼働することで、コストが最小で済む。(将来インフレになると仮定した場合。インフレのあとではコストが上昇するから。)

 マネタリズムの特徴は、何か? それは、「物理学や数学に基づいて、経済学を科学的に扱う」ということだ。そこでは、人間は、一つの数式で示されるだけだ。人間は数式に従って最善の行動を取ることになる。「50倍生きよ」と言われればそうする。「何も食わずに生命活動を停止せよ」と言われればそうする。「生命活動を停止したあとで復活せよ」と言われればそうする。
 そこには「人間は生物だ」という発想がない。
 現実には、人間は、不可逆的である。生きた人間は死ぬが、死んだ人間は生き返らない。そういう不可逆性がある。また、人間の生命は、一生という限られたものであり、かけがえのないものである。今という時期は、二度とないのだ。
 ただし、マネタリズムは、そういうことを一切無視する。なぜなら、科学的であるからだ。彼らにとって、人間とは、ただの数式であるにすぎない。モデル的に言えば、ロボットであるにすぎない。それは、ONとOFFが自由に切り替えられるものであり、永遠の寿命をもつものであり、部品を交替すればいくらでも長持ちするものであり、気に食わなくなったらいつでも廃棄していいものだ。
 その発想は、自動車や飛行機や時計などの工業製品には、当てはまる。そして、その発想を、人間にも当てはめるのが、(マネタリズムの信じる)科学的な発想である。
 そこには何が欠けているか? 人間性だ。愛だ。だからこそ私は、「愛が大切だ」としばしば主張する。では、なぜ? 「人間は機械ではなくて、生命である」という真実を重視するからだ。

 [ 付記 ]
 私の説との具体的な違いは? 
   ・ インフレ目標  …… 国民は借金をして、過剰に消費する。
   ・ 私の説(減税) …… 国民は所得増加で、適正に消費する。
 前者では、「必要以上に消費する」という行動が起こる。これは一種の投資だ。
 後者では、「適正規模で消費する」という行動が起こる。つまり、「稼ぐだけ消費する」という適正な行動だ。ただし、現状では、「稼ぐ」量が減っている。そこで、当面、減税によって「消費する」という量を先に増やす。「稼いでから消費する」ということのかわりに、「消費してから稼ぐ」というふうにする。それが「減税」の本質。
( → 1月18日 「クルーグマン・モデルの否定」)


● ニュースと感想  (4月05日)

 「マネタリズムの難点」について。
 マネタリズムの根幹は?
 マネタリズムでは、マネーを操作することで、経済を操作しようとする。その根幹は、「マネーの量を変動させることで、物価水準を変動させること」だ。経路で示すと、
 マネーを増やす → 物価水準が上昇する → インフレ期待(予想) → 「物価が上がる前に重油を増やす」という行動が起こる → 当面の需要が増える → 景気が回復する
 という発想だ。なんだか「風が吹けば桶屋が儲かる」とか、「わらしべ長者」みたいな発想である。
 この発想は、金利がゼロになっていないときには、成立する。換言すれば、需要がもともと十分にあるときには、成立する。しかし、需要がもともとないときには、成立しない。それが「流動性の罠」だ。

 たとえて言おう。馬の前にニンジンを吊すと、馬は走る。おいしそうなニンジンをたくさん見せると、馬はどんどん走る。ただし、馬が満腹しているとき(馬にニンジンを欲しがる気がないとき)には、この方法は無効。
 で、そういう状態で、「馬が走らないのは、馬が満腹しているからだ(馬がニンジンを欲しがらないからだ)」ということを無視して、「ニンジンの数が足りないからだ。だからニンジンをもっと増やせ。どんどん増やせ。無限に増やせば、馬はどこかできっとニンジンを欲しがる」というのが、量的緩和主義。
 「インフレ目標」の方は、「将来はニンジンの数を減らす」と馬に予想させよう、という発想。「将来はニンジンの数を減らす」という予想があれば、「馬は無理して余分にニンジンを食べるはずだ」と考える。
 一方、マクロ経済学者は、本質的に考える。そして、「馬が腹を減らせばよい」と結論する。
 以上の比喩で、「馬の食欲」は、「消費者の購買力」に相当する。購買力は、手持ちの兼ねに依存する数値だ。だから、「購買力を増やせ」という目的のために、「減税」という手段が結論される。

 要するに、マネーの量だけをいじってもダメだ、ということ。
 では、なぜ? そのことは、次の図式からわかる。

   日銀 ─→ 金融市場 ─→ 消費者・企業

 図式の「 ─→ 」は、マネーの流れだ。マネーの量を増やすと、まずは金融市場に流れ、そのあと、消費者・企業に流れる。
 ところが、「流動性の罠」の状況では、マネーは金融市場に滞留して、それ以上は流れない。なぜなら、消費者も企業も借りる気がしないからだ。
 そこで、三つの政策が出る。

 (1) 量的緩和
 「日銀 ─→ 金融市場」というマネーを増やせ、という案がある。これが「量的緩和」。しかし、前述の通り、その先の流れが止まっている。ゆえに、「量的緩和」は無効。

 (2) インフレ目標
 これは、「量的緩和」の無効に気づく。その先の流れを増やそうとする。では、どうやって?
 「消費者と企業を脅迫すればいい」というのが、「インフレ目標」だ。「今すぐ借りないと、ひどい目にあうぞ」と脅迫して、無理やり、金を使わせようとする。
 その結果、どうなる? 「あとでひどい目にあうなら、今のうちにせっせと貯金しなくちゃ」と思う。かえって消費は減る。逆効果。「北風と太陽」で言えば、「北風」だ。
 だいたい、企業なら金を借りることはあるが、個人ならば金を借りることなど、ありえない。当り前ですね。せいぜい、「金を借りて資産に投資する」ということはあるが、「金を借りて無駄な消費をする」なんてことはありえない。

 (3) 減税
 これも、「量的緩和」の無効に気づく。その先の流れを増やそうとする。つまり、「金融市場 ─→ 消費者・企業」というマネーの流れを増やそうとする。
 方法は? 「国が減税をして、国民に渡す」という方法だ。その後、景気が回復したら、増税して、減税の分を返済してもらう。(中和政策。)

 というわけで、三通りのうち、 (3) が正解。「北風と太陽」で言えば、「太陽」だ。脅迫によってではなくて、自らの意思で自発的に、行動してもらう。政府がやるべきことは、購買意思の強制ではなくて、購買意思が生じるように環境を整えることだ。

 [ 付記 ]
 減税した場合、将来の増税は困るか?
 別に、困らない。景気が回復したあと、やがて、景気が回復しすぎて、景気が過熱するようになる。そのとき、増税すればよい。それで幸せになれる。
 仮に、増税しなければ、景気過熱のせいで、物価がひどく上昇する。物価上昇のせいで、国民生活は破壊される。それだったら、増税の方がマシでしょう。

 なお、増税をすればするほど、国民は貧しくなるかわりに、豊かになる。
 例。(家族一人あたり)
   デフレ  ……  80万円稼いで、所得税は 0万円。 差し引き 80万円で、生活は貧乏。
   平常時 …… 100万円稼いで、所得税は 10万円。差し引き 90万円で、生活は普通。
  インフレ …… 130万円稼いで、所得税は 20万円。差し引き 110万円で、生活は豊か。
 要するに「税を多く払う」というのは、「金持ちである」ということ。金持ちである方がいいに決まっている。それがマクロ経済学の発想。
 しかるに、「所得なんか関係ない。とにかく、払う税金を少なくする方が得だ」という発想を取るのが、古典派・マネタリストだ。(脱税犯と同じ。堤義明ふう。)


● ニュースと感想  (4月06日)

 前項の続き。「マネタリズムの難点」について。
 インフレ目標の政策に似ているが、量的緩和の政策がずっと取られている。一年ほど前の古い話だが、次のことがある。
 日銀総裁が講演した。「物価上昇率が0%を上回っても、なおも量的緩和を継続する。1%〜2%の物価上昇率が継続的に実現するように金融政策を取る」と。(読売・朝刊・経済面 2004-05-14 )

 さて。この話題は、何度も指摘したことだが、まとめふうに繰り返そう。
 量的緩和というのは、マネタリズムの方針である。これは、根本的に間違った方針である。その理由は? 二つある。

 第1に、指標として「物価上昇率」だけを取る、というのが根本的に狂っている。今回の政策は、過去も取ったことがあった。「物価上昇率が低いから、どんどん量的緩和をする」という政策だ。その結果は? 資産インフレ(バブル)の発生だ。だから、今回の日銀総裁の発言は、「日本にふたたびバブル膨張とバブル破裂をもたらし、日本経済をふたたびデフレのどん底に落ち込ませ、日本経済を二回破壊する」という趣旨だ。狂気の沙汰である。
 どうせならまだしも「マネーサプライを一定にする」という政策の方がマシである。マネタリズムならマネタリズムらしく、その道を取るべきだ。そうした場合、現状はマネーサプライは減少気味だが、景気回復後は「マネーサプライは微増」となるはずだ。一方、物価上昇率だけを指標にした場合、円高にともなって、物価上昇が抑制されるから、過剰なマネーサプライにともなって、過剰な資産インフレが発生することになる。
 かくて、日銀総裁の「物価上昇率を指標とする」という方針は、根本的に狂っている。一度なした大失敗を、ふたたび繰り返そうとしてる。反省ゼロ。

 第2に、指標とするべきものは、物価上昇率ではなくて、生産量(GDP)である。物価上昇率が少しぐらい上下するのは、許容範囲だ。たとえば、0%〜5%の物価上昇率でれば、世界的に特に問題がないとわかっている。過去の日本でもそうだ。ことさら1%〜2%の物価上昇率にこだわる必要はない。その一方、生産量の変動は重大だ。これが5%も減少するとひどいデフレになるし、これが5%も増大するとひどいインフレになる。だから、生産量の変動を、なるべく少なくすることが大事だ。特に、いったん生産量が大幅に縮小したあとは、元に水準に回復することが大事だ。そして、そのためには、やや高めの物価上昇率は甘受すべきものなのである。
 わかりやすく言おう。日本には多大な失業者がいる。350万人だ。これらの労働力が無駄になっている。のみならず、大多数の国民が低賃金に悩み、企業の倒産がいまだに続出している。ここで、二つの道がある。
 つまりは、「金を稼ぐ」というのを安定させるか、「金を払う」というのを安定させるか、である。
 前者ならば、給料はちゃんともらえるが、もらった給料から払う金の使い出は減る。
 後者ならば、手元にある金の使い出は大丈夫だが、給料をまともにもらえない。
 
 どちらがいいか? どちらも同じようだが、異なる点がある。前者の場合、「物価は上昇しても、翌年度には給料がその分増えるから、実質的には損がない」ということだ。また、そもそも、損の程度は微量である。後者の場合は、実質的な損がある。しかも、失業の場合、給料がゼロであるから、損の程度は最大だ。
 単純に言えば、あなたにとって、「物価上昇」と「失業」のどちらが困るか、ということだ。「物価上昇」ならば、翌年度の賃上げで補填される。「失業」ならば、補填されない。被害の程度は、雲泥の差だ。
 そして、日銀総裁は、「物価上昇」を避けることにこだわるあまり、「失業」を放置するのである。その理由は、「物価上昇」だけを指標としているせいで、「生産量」というものをまったく無視しているからだ。つまり、ミクロ経済と貨幣だけを見ていて、マクロ経済を無視しているからだ。
 古典派としてのマネタリズムは、マクロ経済を理解しないゆえに、マクロ的な経済を破壊してしまうのである。そして、その例が、過去のバブルの発生と破裂であった。同じ例が、まもなく起こるはずだ。なぜなら、そうなることをめざしているからだ。
 阿呆は同じ落とし穴に、二度落ち込む。

 [ 付記1 ]
 話がごちゃごちゃしてきたので、核心を示しておく。
 とにかく、「大切なのは、物価上昇率でなく、生産量である」ということが肝心だ。生産量を重視するのが、マクロ経済学。物価上昇率ばかりを重視するのが、マネタリズム。
 マネタリズムに従って、物価上昇率ばかりを重視して、物価上昇率が低いときにやたらと金融緩和をすると、インフレのかわりに、資産インフレが起こることがある。それが問題だ。
 だから、物価上昇率が高かろうが低かろうが、そんなことは無視していい。大切なのは、生産量である。生産量の安定こそが大切なのだ。
 ただし、物価上昇率を重視するべき場合も、なくはない。それは「生産量が頭打ちで、物価上昇率ばかりが異常に高騰する」というハイパーインフレの場合だ。そして、ハイパーインフレの場合には、まさしくマネタリズムは有効だ。
 しかし、そういうハイパーインフレへの対策は、デフレの最中には、まったく関係がない。不況のときには、物価上昇率を上げるとか下げるとかはまったく無視してよく、生産量を増やすこと(倒産や失業を減らすこと)こそ、最優先の課題である。
 要するに、「めざすべきものをめざせ」「見当違いのものをめざすな」ということだ。……たとえて言えば、海で溺れているときは、「溺れないように、岸辺をめざそう」と考えればいい。このとき、「あんまり標高の高いところにまで登ると、空気が薄くなって危険だな。だから、あんまり高く登らないようにしよう」なんて心配をする必要はないのだ。……溺れているときに、岸辺をめざすのがマクロ経済学で、高地の心配をするのがマネタリズム。岸辺に届くために、水平距離を考えるのがマクロ経済学で、標高のことばかり考えるのがマネタリズム。
 というわけで、「物価上昇率を2%程度にする」というような目標を掲げるマネタリズムは、根本的にめざすべきものが狂っているわけだ。

 [ 付記2 ]
 もう少し本質的に考えよう。
 生産量が大事だとしても、物価上昇率があまり大事ではないのは、なぜか? それは、デフレのときに大切なのは、価格の下落率ではなくて、原価割れが発生するか否かであるからだ。価格が下落しても、原価割れが発生しなければ、デメリットはないし、むしろ、メリットがある。たとえば、パソコンなどの価格が下落するのは、良いことだ。ただし、何であれ、過度に価格が下落すると、原価割れとなり、倒産や失業が発生する。それが問題となる。
 そして、こういうことをマクロ的に見る指標が「生産量」なのである。生産量は、数量ではなくて金額で示される。生産量が縮小すると、失業した人々が他社で雇用されなくなる。失業したままとなる。つまり、労働市場で、不均衡が発生する。
 結局、失業の有無そのものではなくて、失業した人々が他社で雇用されるか否かが本質的な問題となる。その指標が「生産量」なのである。

 [ 付記3 ]
 「生産量」を重視すると、不況に対する認識がまったく異なるようになる。
 古典派ならば、需給の均衡だけを問題とする。生産量が縮小していても、とにかく均衡しさえすればいい、と考える。
 しかし「生産量」を重視するならば、マクロ経済学で考える必要がある。つまり、たとえ均衡していても、生産量が縮小していれば、不況である。その場合、失業を解決するために、賃下げをするべきか?
 古典派ならば、「労働力の需給を均衡させるために、賃下げをせよ。そうすれば失業は解決する」と結論する。マクロ経済学的に考えれば、「賃下げをすると、総所減少の効果で、総需要と総生産が縮小するから、かえって状況が悪化する。既存の失業者は低賃金雇用されても、新たに失業が発生する。差し引きして、状況は悪化する」と結論する。
 つまり、マクロ的に考えるには、所得の効果を勘案する必要がある。これはかなり重要な結論である。


● ニュースと感想  (4月07日)

 前項の続き。「マネタリズムの難点」について。
 前項の補足をいくつか。

 [ 補足1 ]
 前項で私は、マネタリズムを批判して、バブルへの警鐘を鳴らしている。なぜそうかというと、マネタリズムの信者は本気で「バブルは素晴らしい」と信じているからだ。「前回のバブルが破裂したのは、途中で日銀が破裂させたからいけない。無限に量的緩和を続けていれば、永遠にバブルが続くから、バブルは永遠にはじけずに済むはずだった」と。
 こういう「永遠のバブル」なんてのは、「風船は無限にふくらむ」というのと同様で、とんでもない妄想である。バブルというものは、いつかははじけるものだし、ふくらんだ量が大きければ大きいほど、破裂したときの被害も大きい。そんなことは、常識のある人間ならば、誰にでもわかる。なぜなら、バブルとは、富を何も増やさないまま、「富が増えた」と帳簿の上の数字だけを操作することだからだ。自動車を1台生産するかわりに、2台生産するのならば、富は倍になる。しかし、一枚の切手に莫大な価格をつけて、どんどん競り上げていっても、何一つ実質的な富は増えない。切手はいつまでたっても一枚の紙切れでしかなく、一枚の切手が二枚に増えるわけではないからだ。
 バブルとは、帳簿上の数字の膨張であり、妄想の膨張である。そして、それをふくらますものが、過剰なマネーだ。マネーが無意味に増えれば、マネーの価値が減るだけにすぎない。たとえば、マネーが2倍に増えれば、マネーの価値が半分になるだけだ。それがマネタリズムの本来の意味だ。ところが、現在のマネタリストは、マネタリズムの本来の意味を忘れて、勘違いする。マネーが2倍に増えれば、富も2倍になると。
 今のマネタリストは、マネーを増やせば富が増えると本気で信じているのである。彼らは生産量のことなどまるきり忘れている。その意味で、素人的なサプライサイドよりも、はるかにタチが悪い。「洗練された詭弁家」とか、「洗練された詐欺師」とか、そういう手合いだ。彼らは、人々をだまし、自分自身をもだます。その巨大な妄想によって人々を麻薬中毒のような状態にして、国家経済を破滅させるのである。
 かつて、日本の経済を破滅させたのは、バブルと膨張させて破裂させたマネタリストだけだった。サプライサイドよりも、ケインズ派よりも、はるかに危険なのが、マネタリストだ。彼らは日本をふたたび破滅させようとする。そして、その親玉が、日銀総裁だ。バブル期にも大悪魔のような日銀総裁がいたし、今もまた大悪魔のような日銀総裁がいる。

 [ 補足2 ]
 この意味で、第3章・前で述べたことは、補正される。そこではクルーグマンの説として「物価上昇による実質賃下げ」を説明したが、実質賃下げは実はあまり好ましくないわけだ。極端に言えば、「賃金ゼロ」に近くすると、クルーグマン説では「超低賃金にすると雇用の需要が莫大に生じるから、失業は解決」となるが、マクロ経済学の考え方では「超低賃金にすると国全体の総所得がゼロ近くなるから、国全体の総需要がゼロに近くなり、ほとんどの企業が倒産して、ひどい不況が起こる」となる。クルーグマン説な意思古典派の説が成立するためには、「企業の賃金コストは急激に減少するが、労働者の所得は減少しないこと」が前提とされる。古典派はそのことを自明とするが、常識的に考えれば、そのことは「お金が空から降ってくること」が必要となる。なるほど、たしかに、「給料がゼロでも財布はいつも豊か」のであれば、この世は古典派の言うようにパラダイスとなるだろう。(そんなことは夢物語だが。)


● ニュースと感想  (4月08日)

 「金融政策の原則」について。
 金融政策には、重大な原則がある。それは、「金融政策はあくまで応急処置にすぎない」ということだ。ケガで言えば、止血のようなものであって、手術という根本的な処置とは異なる。
 では、根本的な処置とは? それは、前にも何度も述べたとおり、「金融政策と増減税との組み合わせ」である。「ポリシー・ミックス」と言ってもよい。具体的な方法は、前に述べたことがあるので、ここでは繰り返さない。
( ※ 金融政策が無効になっている状況[流動性の罠]では、「増減税」だけをやればよい。つまり、中和政策。)

 さて。以上の原則(あくまで応急処置だ)ということを踏まえた上で、応急処置としての金融政策は、どうすればいいか? これは、次のようにまとめられる。
 あくまで応急処置ですけどね。それが金融政策の効果と限界。

 比喩。
 大ケガをして出血したら、応急手当をすることが、大事。ただし、応急手当だけで済ませて、肝心の根本手術をしないと、大ケガは治らないし、大ケガはどんどん悪化する。
 応急処置と根本対策とは、まったく違うことだ。その違いを理解しよう。


● ニュースと感想  (4月08日b)

 「ドイツの高失業率」について。
 ドイツの失業率がひどく高いという。戦後最悪で、 500万人を突破。失業率は12%超。世界恐慌直後(ヒトラー台頭期)の水準に並ぶ。子が餓死することもあるという。
 この件は、「通貨統合の失敗」の例として、何度も話題にした。その本質は? マネタリズムの失敗だ。「物価安定のために、財政支出を抑制する」という政策。これが根源だ。

 では、なぜか? 
 物価の安定は、経済の安定をもたらすからだ。経済の安定は、もちろん、成長率の安定をもたらす。ところが、失業率が高い状況では、経済の安定ではなく、経済の成長が必要だ。ここでは、経済の成長を重視して、物価の安定を放棄する必要がある。
 おおむね、政策は、次の順で実施することが好ましい。
  1. 金利は引き下げる。
  2. 金利引き下げの効果が出ない場合は、減税。(財政は赤字)
  3. 物価上昇がひどくなったら、利上げよりも増税。
 現状は、1 の効果が出ていない状況だ。
 ゆえに、2 の状況に進むべきだ。しかるに、財政赤字を恐れるから、そうできない。理由は、マネタリズムの財政緊縮策。ここに、マネタリズムの難点がある。
 
 結局、欧州も日本も、問題の根源は、同じだ。不況のさなかで、金融政策が無効になっているのに、金融政策ばかりにこだわる。そのせいで、「減税」を実施できない。
 マネタリズムこそ、諸悪の根源。間違った時代遅れの経済学が幅を利かせるせいで、欧州も日本もともに病む。

 [ 付記 ]
 なお、 3 も、マネタリズムではない。これは、ポリシーミックスだ。


● ニュースと感想  (4月09日)

 「失業」について。
 昨年の後半ごろの経済について、「失業率が低下している」という報道があった。一方、細菌では、失業率はまた少し悪化しているという報道もあった。
 失業率という量的な数字とは別に、質の悪化を指摘する報道もある。量は少し改善することはあっても、質は大幅に悪化する。つまり、正社員が減って、派遣社員やアルバイトが増えているだけだ、ということ。
 また、「正社員になりたいが、なりたくてもなれない」という報道もあった。(朝日・投書面・声欄 2005-02-08 )

 さて。この問題を、どう解決するべきか? 
 古典派の説だと、「雇用のミスマッチ」が原因だ。特に、マネタリズムの始祖であるフリードマンが、そのことを大々的に主張している。
 さて。その説に従うとしたら、どうするべきか? こうだ。
 「熟練した正社員は余剰であり、未熟練なアルバイトは不足している。ゆえに、正社員を雇用訓練して、アルバイトにすればよい」
 つまり、「利口を雇用訓練して、馬鹿にする」というわけだ。狂気的である。

 要するに、古典派の発想を取ると、とんでもない結論になる。マクロ的なGDPの代償を無視して、すべてを需給関係というミクロだけで解決しようとする。かくて、本質を逸らして、うわべだけでつじつまを合わせようとして、「雇用のミスマッチの改善」なんていう需給調整を主張する。
 本質は、「雇用のミスマッチ」ではない。需給の問題ではない。マクロ的にGDPの大小が問題なのだ。

 たとえて言おう。人が百人いて、食料が八十人分ある。
 古典派の主張。「需給が二十人分、ギャップがある。だから、需給を調整しよう。ここでは供給が一定であると仮定して、需要を二十人分減らせばよい。つまり、正解は、人間を二十人、殺すことである。これで解決。」
 マクロ経済学者の主張。「供給は一定ではなくて変動する。二十人分の食糧は外部から借りて、百人が百人分食べて、百人がしっかり働いて、百二十人分食料を生産すればよい。余った二十人分の食料で、借りた分を返済すればよい。」
 前者ならば、二十人が死んで、縮小均衡。後者ならば、百人がすべて生きて、正常な均衡。
 失業というのは、二十人が余っている状況だ。さあ。どうしますか? 二十人を殺すか、全員が働くか。二つに一つだ。


● ニュースと感想  (4月09日b)

 「戦艦大和と日本精神」について。
 戦艦大和を紹介する記事があった。(読売・超過・社会面 2005-04-05 )
 戦艦大和は、巨艦主義の象徴である。これは、しばしば回顧する意味があると思う。なぜなら、実に日本的であるからだ。次の意味で。
 「かつての栄光にとらわれる」
 「時代遅れであるものに、とことんこだわる」
 「デカければいい、と量で解決しようとする」
 これは、日本では、しばしば見られる傾向だ。「動脈硬化症」と呼んでもいい。古いものから逃れられない、頭の古い人々の発想。手っ取り早く言えば、「老人ボケ」の軽度なものだ。

 さて。なぜ、これを話題にするか? それは、経済でも、しばしば見られるからだ。その典型が「量的緩和」である。
 「かつての栄光にとらわれる」(昔はうまく行った)
 「時代遅れであるものに、とことんこだわる」(だから捨てられない。)」
 「デカければいい、と量で解決しようとする」(やたらと量を増やす。)

 こうして、無効であるとわかっている「量的緩和」をいつまでも続けて、効果がない間は「量を増やせ」と増やし続ける。
 巨艦主義。時代遅れの無意味な方法を取り続け、量ばかりを無駄に増やす。……「量的緩和」という政策を示すのに、ぴったりだ。

 [ 付記 ]
 軍事史の解説。
 第二次大戦時、「軍艦を大きくする」という方針(巨艦主義)は、すでに時代遅れとなっていた。それを見事に証明したのが、日本軍だった。巨艦主義の象徴である、当時の最大の軍艦である「プリンス・オブ・ウェールズ」を、日本の航空機は見事に撃沈した。その後、立場が逆になり、戦艦大和は米国の航空機に撃沈されてしまった。
 先の記事によれば、山本五十六は巨艦主義(大艦巨砲主義)を「時代遅れ」と見抜いて、「こんなものを作るよりは航空機を」と提言したが、頭の固い日本軍はそれを否定して、大和と武蔵を建造した。あげく、あっけなく、沈没。
 「量的緩和」も、あっけなく沈没。
 「日本は不沈空母だ」(アメリカを守るために基地を提供しているという意味)と述べたのは、中曽根康弘。しかし、このまますると、日本も沈没するかも。経済的にね。


● ニュースと感想  (5月02日)

 「サマータイム」について。
 サマータイムについて論じる記事がある。「経済的効果がある」という主張などが出ている。(朝日・朝刊・オピニオン面 2005-04-08 )
 しかし、「サマータイムで経済的効果がある」という試算は、嘘八百である。たとえば、「千億円の新ビジネスが発生する」ということは成立するが、「その分、千億円、旧ビジネスが減少する」というふうになる。それだけのことだ。
 なぜか? 所得が変わらないからだ。金がないのに、金を使えるはずがない。この件は、少し後で説明する。そこでは、三通りを示す。
 現状は、三通りのうちの1番目にあたる、「所得不足」。つまり、いくら消費意欲を掻き立てられても、手持ちの金がないゆえに、消費は増えない。かくて、サマータイムをいくら実施しても、経済拡大の効果はない。

 [ 付記 ]
 経済とは別に、サマータイムを論じよう。(つい先日にも述べたが。)
 サマータイムの趣旨の「早寝早起き」はいい。だが、それを「全員一律で」というふうにやることには、何のメリットもないし、むしろ、弊害ばかりがある。たとえば、通勤時間が同じになるせいで通勤地獄はひどいままだし、食事の時間も同じであるせいで食堂が混雑する。
 逆に、「各社でバラバラで」とすれば、これらの弊害がなくなる。だから、「全員一律で」というのは、やめた方がいいのだ。それが、「サマーワーク」制だ。
 「サマータイムの是非」を論じるマスコミの論議は、論議そのものが正しくない。「サマータイムとサマーワークではどちらがいいか?」という、別の選択肢を用意するべきなのだ。さもないと、とんでもない結論が出る。
 例。「国民に重税を課すのと、財政破綻をするのと、どちらがいいか? 財政破綻は最悪だから、重税にする方がマシだ。ゆえに、重税は正しい」(別の選択肢が抜けている。)
 例。「国民を奴隷にするのと、国民を全員殺害するのと、どちらがいいか? 全員殺害は最悪だから、奴隷にする方がマシだ。ゆえに、国民を奴隷にするのは正しい」(別の選択肢が抜けている。)
 今のマスコミにあふれているのは、こういうエセ論議だ。かくて、サマータイムを無理やり実施させようとしたがる。
 で、どうなる? 日本中であちこちで、人々の体内時計が狂う。さらには、機械の時計も狂ったままだ。ケータイ、パソコンに時計があるだけじゃない。卓上電話、ビデオ、DVD、ゲーム機、炊飯器、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、自動車、ETC、……いたるところに、時計が入っている。どうやって設定し直すんですかね? 毎年、春にやって、秋にやり直す。狂気の沙汰だ。
 機械に人間がふるまわされる。チャップリンの言う、モダン・タイムズ。なるほど、「タイム」というのは、そういう意味だったのか。モダン・タイムというのは、サマータイムのことだ。その意味は、クレイジー・タイム。
( → 8月05日3月16日c サマーワーク )

 [ 余談 ]
 本項を掲載する予定だったのは、4月10日分。ぐずぐずしているうちに、同趣旨(私は万歩計など30個も時計を持っているぞ)の意見が、朝日の投書欄に掲載されてしまった。(朝日・朝刊 2005-04-14 )
 と書いたのは、4月09日ごろだったが、うまくアップロードできないでいるうちに、20日もたってしまった。  (~_~);


● ニュースと感想  (5月02日b)

 「人類の祖先」について。
 最初の人類であるらしい700万年前の化石から、復元模型が作成された。写真もある。(各紙・朝刊 2005-04-07 )
 写真を見ると、いかにも猿っぽくて、ゴリラ的であり、チンパンジーの方がよほど人間っぽく見える。実は、その通り。この化石人類(?)は「トゥーマイ」と呼ばれるが、脳の容量は 400ccに満たず、チンパンジーよりも1〜2割程度少ない。それだけ頭が悪い。
 一方で、トゥーマイは、二足直立歩行をしていたはずだ。(記事による。)また、人類の直系の祖先であったとも推定されている。(以前の情報による。)
 一方、人類学者の意見では、「猿と人類との境界をはっきりと引くのは無意味だ。部分的に猿であり、部分的に人間であるだけだ。猿人としては、トゥーマイのほかに、アウストラロピテクスなどもあるが、これらも二足直立歩行してた。ただし、頭の方は、チンパンジーと大差ない。頭は猿で、足は人間だ」という意見もある。

 私としては、最後の意見を尊重しよう。つまり、こうだ。
 「猿人は、人類の祖先ではあるが、はっきりと人類と呼べるわけではない。猿か人類かは、灰色的である。猿人の位置づけは、直立二足歩行していた『半猿・半人』である」
 この見解では、直立二足歩行は、人類の特徴とはならない。それはただの手足の形質である。それは、訓練したチンパンジーにすらある形質であり、機械であるロボットにすらある形質だ。そんなものは、種の特質とはならない。
 たとえて言えば、「ヒレがある」とか「翼がある」とかいう理由で「魚類」や「鳥類」を定義すると、クジラは魚類になり、コウモリは鳥類になる。だから、手足の形質は、種の特質とはならない。

 まとめ。
 トゥーマイは、直立二足歩行していた『半猿・半人』である。直立二足歩行していたという点だけを見れば人類的ではあるが、直立二足歩行は人類の定義とはならない。トゥーマイは、脳の容量から判断して、いまだ類人猿の一種である。チンパンジー以下の類人猿である。ただし、この類人猿から、人類に向かって進化が起こった。
 結局、人類直系の類人猿には、チンパンジーに向かう種と、人類に向かう種との、二つのグループがあった。トゥーマイは、後者のグループに属する類人猿である。トゥーマイを「人類の祖先」と呼ぶことはできるが、トゥーマイを「最初の人類」と呼ぶことは無理だ。
( ※ ただし「人類ではない」「ただの猿だ」とも言いがたい。先にも述べたとおり、「半猿・半人」である。正確に言うなら、「系統的には人類、脳の程度は類人猿」であろう。)
( ※ なお、「系統的に直系であれば、人類に含まれる」ということは、成立しない。仮にそうだとすれば、チンパンジーの祖先もまた、人類とは共通の祖先であるがゆえに、「チンパンジーの直系であり、かつ、人類の直系でもある」と言える。さらには、原始的な猿だって、原始的な哺乳類だって、もっと昔のハ虫類だって、その時点で、人類の直系の祖先がいる。しかしそれらは、人類の直系の祖先ではあっても、人類ではない。直系かどうかは、人類であるかどうかの基準とはならない。)
( ※ わかりやすく言おう。仮に今日、チンパンジーが絶滅していたとする。すると、次のように評価されてしまう。「類人猿はゴリラまでであり、それ以外が人類だ。チンパンジーというのは、過去の直系でない人類である。人類の絶滅種だ。ゆえに、ゴリラから、猿人とチンパンジーの共通祖先が分岐したときの種が、最初の人類だ。最初の人類は、そのときの類人猿[ラマピテクスのようなもの]であり、約1000万年前の化石種である」と。……こういうふうに、チンパンジーが現存しているか絶滅しているかで、「最初の人類」の認識が変わってしまう。だから、「直系かどうか」だけでは、決定できないのだ。)

 [ 付記 ]
 トゥーマイは歯の化石を見ると人類の系統につながるらしい。ここで言う「歯の化石」というのは、系統を見る上では非常に確実性が高い。
 ただし、である。分子生物学からわかるところでは、「人類はチンパンジーから分岐した。その 1.5倍の時間の古さで、ゴリラから分岐した」となる。
 たとえば、チンパンジーから分岐したのが700万年前なら、ゴリラから分岐したのは 1000万年前だ。
 ところが、トゥーマイの頭の骨格は、チンパンジーよりもゴリラに近い。これはちょっと変ですねえ。700万年かけてチンパンジーがいくらか進化した、ということはあるとしても、やはり、ちょっと変だ。
 トゥーマイは人類の直系の祖先ではないかもしれない。今回の化石を見てすべてが解決した、ということにはならないだろう。人類の進化の過程は、まだ謎が多い。


● ニュースと感想  (5月02日c)

 ご無沙汰しておりました。ご心配をおかけしましたが、ようやく、復活します。
 ネットへの接続の事情で、しばらくお休みしていました。回線を変更したら、どういうわけか、ホームページにアップロードできなくなってしまったので。理由は、今さら書いても仕方ないのですが。

 というのが、根本理由ですが、他にもいくつか。
  ・ ネタ切れ  (書くことがない)
  ・ 原稿執筆  (書くことがありすぎる。)

 原稿執筆というのは、出版原稿の執筆。ちょうど大詰めを迎えたので、4月いっぱいをかけて、一気呵成に書き上げました。これは、「進化論」の原稿ですが、進化の枠組みを超えて、生命全般についてまで言及している。より本質的な話。
 書き終えたあとで、何度か読み返したが、我ながら、すばらしい出来映えだ。学術書の枠組みを超えて、すごく面白くて感動的。この話は、また後日。
 休み中には、臨時に、ブログのページを立ち上げました。
  
     南堂久史のブログ

 今後、また何かあったら、こちらに書くことにします。
 休み中は、ちょうどネタ切れだったので、これ幸いと、お休みしていましたが、休むと、楽ですねえ。   (^^);
 味を占めたので、今後、更新のペースを落とします。おおざっぱに言って、週に2回程度の更新。1回になったり、3回になったりすることもありそうですが。ま、ネタもなくなってきたし。  (^^);
 次回更新は、約1週間後の予定。


● ニュースと感想  (5月09日)

 「ネット接続とファイアーウォール」について。
 私はこれまで長らくネット接続(特にアップロード)が出来ないでいた。で、プロバイダのせいかと思ったが、そうではなくて、ファイアーウォールソフトのせいだったようだ。
 以下、細かな話。

 Outpost Firewall というファイアーウォールが、特定ソフト(FFFTP)について、勝手にブロックしてしまっていた。さんざん調べたあげく、他のソフト(NextFTP , SmartFTP)ならば大丈夫と判明した。そこで、どこがおかしいのかを調べたら、Outpost Firewall というファイアーウォールが勝手に通信をブロックしていた、と判明した。

 原因。
 初期設定では「ブロック優先モード」になり、勝手に特定ソフトを遮断してしまう。特定ソフトごとに遮断を解除することは、できない。

 対策。
 モードを変更して、「許可優先モード」にする。この場合、特定ソフトごとに遮断を解除することは、できる。かくて、正常になる。

 同じ症状で困っている人がいたら、参考にしてください。
 なお、有線LANでは問題がなく、無線LANでのみ問題が生じます。

 [ 付記 ]
 「いつものパソコンがダメなら、よそからアップロードすればいいだろう?」
 という声も出そうだが、……。はい、その通り。でも、そうするには、いちいち CD-R/WR に入れて、別のパソコンにもっていかないと、できない。毎日そんなことをやるのは、面倒臭い。私はものぐさなので、いちいち CD-R/WR に入れるくらいなら、書くのをやめたくなっちゃったんです。どうせネタ切れだったし。  (^^);


● ニュースと感想  (5月09日b)

 「JRの列車事故」について。
 JRの列車事故については、ずいぶんあれこれ報道されてきた。私としては、特にコメントすることはないのだが、経済との関連で言及しよう。
 「JR西日本は、ダイヤ優先にして、安全性を犠牲にする。けしからん」
 というのが大方の主張だが、ちょっと待った。そもそもそれを推進してきたのは、政府と経済界ではないのか? 
 「JRでも何でも、民営化すれば、すべてうまく行く。市場原理で、競争が推進され、効率の向上が図られる」
 で、JR西日本は、その通りにしたわけだ。安全対策なんてのは利益にならないが、ダイヤをぎゅうぎゅう詰めにすれば、競争力が上がって、利益が向上する。……これはすなわち、「市場原理による競争激化」そのものだ。で、「市場原理でやれば、万事うまく行く」と述べたのが、古典派の経済学者や政府でしょうが。今になって、「安全性の方が大切だ」なんて言わないでほしいね。安全性を重視するなら、何らかの規制が必要だろう。ところが、「規制緩和。企業の自主性に任せて、利益向上をめざせば、万事うまく行く」と述べたのが、彼らだ。今になって前言をひっくり返さないでほしいね。

 JR西日本を責めてばかりいる人々は、無責任すぎる。「規制緩和」と「市場原理」を唱えることで、安全性を軽視する体質を作り上げてきたのは、政府と経済学者と国民だ。
 「市場原理ですべてうまく行くなんてことはありえない。規制緩和で万事うまく行くなんてことはありえない」
 というひねくれた意見を言っていた変人の声を、無視したツケでしょう。自業自得。他人を責めるより、自らを反省するべし。

 [ 付記 ]
 じゃ、私は、何を主張するか? はっきり言っておけば、こうだ。
 「企業にとって一番大切なのは、利益の向上ではない。良き市民(法人)であることだ。経済活動を通じて、社会と社員と顧客と株主に貢献すること。これが企業の最大の目的であって、利益だけを追求すればいいというものではない。利益だけを追求するのであれば、暴力団やマフィアと同じだ。何よりも、良き市民であることが優先される。」
 一言で言えば、「愛」だ。それなしに、「金」ばかりをめざすようでは、とんでもない方向に進む。
 たとえば、朝日新聞は「マイクロソフトはすごく利益を上げるからすばらしい」なんていう記事をちょいちょい掲載するが、社会にウィルスとバグをまき散らす最悪の会社を褒め称えるんだから、JR西日本を褒めるのと同様である。
 良き市民であることを根本としておけば、今回の事故などは起こらなかったはずだ。最近の報道では、「あれが良くなかった、これが良くなかった」という個別の指摘ばかりが出ているが、そんな対症療法ではダメだ。一番の本質が問題だ。
 その本質が、良き市民であるかどうかということだ。


● ニュースと感想  (5月09日c)

 「日中問題」について。
 休んでいる間に、日中問題がけっこう大きくなった。これについて、簡単にコメントしておこう。

 (1) 朝日・地方版の記事
 朝日・地方版(神奈川版)の記事に、興味深い話があった。中国人の留学生を招いての、学生同士の話し合い。
 「中国はアヘン戦争の英国を問題にしないのに、なぜ日本ばかりを問題にするのか?」
 という質問に、中国人留学生がこう答える。
 「中国の現代史は、現体制(現代中国)のある1919年以降。それ以前の歴史は、清朝だから、現代史としては扱わない。アヘン戦争は、香港返還でカタが付いている」
 なるほど。一応、中国人の気持ちがわかりました。日本から見ると「過去は過去」だが、中国では区別されているようだ。
 私なりに解説すれば、清朝は満州人による国家だから、中国とは見なされないのだろう。
 なお、この記事では、「中国の一般人は、そんなに日本人を嫌っていない。一部の人が暴走しているだけ」との声も出ていた。大都市にいる大学生はともかく、中国一般では、反日というほどにはなっていないようだ。
 ただし、「日本は発展しているのに中国は貧乏で悔しい」というコンプレックスは非常に大きいようだ。
 日本としては、あまり反発を感じずに、貧乏で困っている中国人にもうちょっと同情した方がいいかもしれない。中国政府はひどいものだが、一般の中国人はけっこう哀れな生活をしている。彼らが悔しがるのは当然だから、金持ちの日本としては、もうちょっと謙虚になった方が良さそうだ。

 (2) 小泉と靖国
 今回の騒動の根本問題は、やはり、小泉でしょうね。相手が嫌がっていることをあえてやって、騒動を引き起こす。そもそも、靖国参拝というのは、国による宗教活動であり、明白な憲法違反だ。そういう憲法違反の行為が引き金となって、(宗教問題とは別の意味で)外国人の感情を傷つける。あげく、日本という国家全体に、大損害を与える。日本人の生命は危険にさらされ、日本の企業には莫大な損害を与える。……こういうことをやっているのが、小泉だ。
 ただし、小泉がこういう人物だということは、昔からわかっている。問題は、こういう犯罪活動をする犯罪者が、堂々と首相に収まっていることだ。彼をクビにできない日本という国家そのものが、根本的に狂っている、と言えよう。
 
 結語。
 最善の対策は、小泉を犯罪者として、首相の座から追放することだ。「中国が良くない」なんて内政干渉みたいなことを言っている暇があったら、自分自身の国にいる凶悪な犯罪者を追放するべきだ。それができない日本人自身が、責任を問われる。
 他国を責める前に、まず自国を顧みるべし。

 [ 余談 ]
 上記の対談ふうの記事は、朝日の最近の記事では、出色である。非常にすばらしい。自分で書くのではなくて、中国人の視点を紹介しているのが、非常にすばらしい。
 ただし、このすばらしい記事を、本紙では掲載せずに、地方版にしか掲載しない、というのが、朝日のダメなところ。


● ニュースと感想  (5月11日)

 「直立二足歩行は人類の特徴だ」としばしば言われるが、そんなことはない、という実例。
 猿が二足歩行した、という記事がある。十ヶ月ほど前のニュースだが。下記サイトに、その古いニュースの記録がある。猿がしっかり人間のように歩いている写真付き。

      猿が二足歩行

 私の見解は? 
 直立二足歩行というような足の形質は、進化の本質ではない。(証拠は上記の記事。)
 ついでに言えば、鳥類の翼という形質も、進化の本質ではない。(証拠は走鳥類。)
 要するに、四肢の形質は、進化の本質とは何の関係もない。そんなものがいくら変化しても、ささいな違いにすぎない。たとえば、魚類に足が生えたということは、進化の本質にとって、たいした意味はない。(証拠は、クジラ。哺乳類の足がヒレになっても、それは退化にはならないし、進化したことにも[ほとんど]ならない。)

 進化の本質は、そうした「器官の形状の変化」とはまったく別のところにある。人間が人間であるゆえんは、足がまっすぐになって歩くことではないのだ。当然ながら、誰かの足がなくたったり動かなくなったりしても、その人は人間でなくなったわけではない。人間の本質は、それとは別のところにある。
 これは、私の進化論の本(近著)で、示すことだ。詳しい話は、長くなるので、ここでは書ききれない。
 とはいえ、この説は、従来の説とはまったく正反対である、ということに注意しよう。従来の説はこうだ。
 「人間の特徴は、直立二足歩行である」
 ここから出る結論は、こうだ。
 「車椅子の障害者は、直立二足歩行ができないから、人間としての本質をなくしている。その人はもはや人間とは言えない」……(*)
 
 物事の本質を考える、ということは、とても大切なことだ。普通の人は、目に見えるものだけを重視するから、目に見える直立二足歩行を人間の本質と思い込む。そういう安直な態度からは、(*) のようなとんでもない結論が出るのだ。
 人間の本質は、目に見えないところにある。手や足のような目に見えるものではなくて、解剖しなくては判明しないようなところにある。外側ではなく、内側にある。……ここまで言えば、人間の本質が何かは、おおよそ判断がつくだろう。一言で言えば、「脳」だ。
 ただし、「進化の本質は脳だ」という立場を取ると、これまでの「進化」という概念が、根本的に作り直される必要が生じる。となると、このあとの話は、とうてい簡単には言い尽くせない。一冊の本が必要となる。


● ニュースと感想  (5月11日b)

 「経済拡大の方法」について。
 景気の状況ごとに、経済拡大の方法はどうするべきか、簡単にまとめてみよう。

 (1) 不況
 「不況のときには、所得が頭打ちで消費性向が1に達しているので、所得を増やさない限り、経済は拡大しない。効果があるのは、減税のみ」

 (2) 平常
 「平常のときには、消費性向が1に達していないので、消費を増やすことはできる。しかし消費が増えれば、投資が減る。差し引きして、経済は拡大しない。効果があるのは、減税または金融緩和(どちらでもいいし、両方でもいい)。」

 (3) 景気過熱
 「景気過熱のときには、生産量は供給側によって制約される。ここでは、減税をしても金融緩和をしても、効果がない。需要を刺激しても、単に物価が上昇するだけだ。効果があるのは、供給の拡大のみ。たとえば、生産技術の向上。それを提案するのが、いわゆる構造改革。」

 以上のように、簡単にまとめられる。

 [ 付記 ]
 最後の「構造改革」というのは、ただの提案であり、ただのキャッチフレーズである。経済的な政策ではなくて、政治的な政策。掛け声の効果はあるが、何ももたらさない。キャッチフレーズ政治をやる人の方法。
 「構造改革」とどんなに声を上げても、生産技術を向上させる効果は、ゼロである。仮に、何らかの意義があるとすれば、こうだ。── 民間人が必死に生産技術の向上に努めて、年に数パーセントほどの向上を果たす。すると総理がしゃしゃり出て、「それは全部オレの成果だよ」と言い放って、国民の努力の成果を横取りすること。つまり、キャッチフレーズだけで、政権の支持率を上げること。……ま、小泉は、そういうズルが上手だ。エセ政治家。

( ※ 5月02日の「サマータイム」の話で、「三通り」と記述したのは、本項のことです。)







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「小泉の波立ち」
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