[付録] ニュースと感想 (75)

[ 2004.9.28 〜 2004.10.22 ]   

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● ニュースと感想  (9月28日)

 「複雑系の科学と経済学」について。
 複雑系の科学(カオス・フラクタルなど)で経済現象を解明しよう、という態度がある。「高度な数学を使えば、複雑な現象も解明できるはずだ」という素朴な信念による。たとえば、次の新刊書がある。
   経済物理学の発見   高安 秀樹 (著) 光文社新書(光文社)

 別に、この著作をことさら批判するつもりはないのだが、上記のような素朴な発想については、私は以前から批判してきたので、あらためて言及しておこう。結論から言えば、このような素朴な信念は成立しない。複雑な現象を理解するには、複雑な数式を使えばいいのではなくて、複雑さがどこから生じるかを本質的に理解するべきなのだ。そして、それは、簡単な一言で説明できる。「人間心理」である。人間心理が揺れ動くから、ごく簡単な原理で複雑な現象が発生する。これを複雑な数式を使って理解しようとするのは、本末転倒だ。
 なぜか? そもそも、次の二つのタイプがある。
  ・ 簡単なものが、複雑な過程を経たすえに、複雑な結果になる
  ・ 複雑なものが、簡単な過程を経たすえに、複雑な結果になる
 前者ならば、複雑な数式は有効だ。後者ならば、複雑な数式は有害無益だ。
 そして、経済現象は、後者なのだ。複雑なもの(多数の人間心理)が、簡単な原理(マクロ経済の原理)を経て、複雑な結果になる。なのに、これを前者だと誤認するのが、前記の立場だ。
 正しくは、どうすべきか? 人間心理という複雑なものは、複雑なものとして、そのまま受け入れればよい。これを高度な数式なんかでことさら複雑に描写する必要はない。人間心理は、単にバラバラな統計数値として(高度な数式なんかほとんど使わずに)、そのまま用いればよい。一方、マクロ的な原理については、はっきりと明示するべきだ。それこそが「経済の真実を示す」ということだ。
 物事の本質は、シンプルで美しいものだ。普通、それは、「原理」とか「公理」とか呼ばれる。ただし、そうした「原理」や「公理」から演繹的に得られた結論である「定理」は、複雑になることもある。定理を得るときには(演繹的な過程では)、複雑な数式を使ってよい。しかし、「原理」とか「公理」とかを複雑な数式でしか表現できないとしたら、そのようなものは「原理」とか「公理」とかは真実からは遠いのだ。なぜなら、物事の本質は、シンプルで美しいものだからだ。逆に言えば、複雑な数式でしか表現できないようなものは、「原理」や「公理」の名には値しないのだ。
 例として、相対論を見よう。相対論には、複雑な高度な数式が使われている。しかし、複雑な高度な数式が使われているのは、定理を出すための高度な演繹的な過程だけだ。一番最初の原理(相対性原理・光速度一定の原理)は、ごくシンプルなものだ。そして、同じことは、経済学にも当てはまる。経済には、複雑な現象が見られるが、それは、ごくシンプルな原理から発生する。そのシンプルな原理を見抜くのが、経済の真実を知るということだ。カオスだのフラクタルだのは、原理よりもずっと後のレベルの話であって、原理も知らずにそんなことを主張しても、勘違いを起こすだけだ。
( ※ 原理とは? ミクロでは「トリオモデル」、マクロでは「修正ケインズモデル」という原理のこと。)
( ※ 勘違いの例は? 上記書籍では、「インフレを制御できない」という結論を出して、アンチ・インフレの意見を出している。本当なら、「デフレを(金融政策で)制御できない」と書くべきだろう。また、「インフレ」というのは、マクロ的な意味があるものや、貨幣的な意味があるものや、ミクロ的に供給不足に原因があるものなど、いろいろとタイプがあるのだから、それらを一緒くたにして、「インフレ」と呼んでも、ほとんど無意味なのである。本質を理解しないで、物事の表面だけを見れば、物価上昇率だけに着目するので、「インフレ」という言葉を使いたがるが、それは、真実からはほど遠い認識なのだ。)

 さて。もう少し具体的に考察してみよう。複雑系の科学は、どこが問題なのか? 
 それを理解するには、量子力学の法則を考えるといい。現実の量子の動きは、単純ではないが、原理的には、シュレーディンガー方程式で説明できる。たとえば、分子軌道における電子の動きは、複雑きわまりないが、シュレーディンガー方程式や、ある種の近似によって、数式で表現できる。一方、ここで、複雑系の科学を使って、カオスによって何らかの説明もできる。たとえば、統計的な頻度などを調べて、カオス理論で描写できる。だが、そんなことはいくらやっても、量子力学の基本原理には到達できない。
 要するに、変動の仕方をいくら調べても、表面的なことしか理解できない。それは本質とは別だ。では、本質とは何か? 本質とは、場合ごとに変動するものではなくて、場合ごとに変動しないものだ。それは基本的な力である。
 例を示そう。空気中を漂う、木の葉がある。その動きを、カオスやフラクタルで表現できる。そこには統計的な処理があり、その結果、過去の動きから将来を推察できるかもしれない。……しかし、そんなことは、いくらやっても、ほとんど無意味だ。そうしてわかる「漂い方」は、ただの統計処理にすぎない。では、本質とは? そこに働く力だ。すなわち、重力と風力だ。この力が働いている。その力を知るべきなのだ。たとえ目には見えなくとも。
 木の葉の動き方を理解するには、二つの方法がある。一つは、統計的な理解の仕方だ。統計的に調べて、「過去にはこういう動きをしていた」と理解して、複雑系の科学で処理してから、「だから、今後はこうだろう」と予測する。もう一つは、力学的な理解の仕方だ。「木の葉にはこういう力が働くから、こういうふうに運動する」という原理を理解して、現実に適用する。たとえば、現実では、木の葉はひらひらと一定の動きで漂うことがある。その後、空から突風が吹いたり、自動車がそばを通ったり、地形が路地から空地に転じたり、……という状況の変化に応じて、運動が急変することがある。こういう場合には、過去の運動状況から未来を推察する、という方法は適用できない。
 そうだ。「過去の変動状況から未来を予測しよう」という方法そのものが根源的に狂っているのだ。物体の動きを知るには、物体に働く力を知るべきであり、過去の変動など、あまり役には立たないのだ。いくらか参考にはなるが、それだけだ。
 では、なぜ? 物体の動きは、過去の運動の関数になっておらず、力の関数になっているからだ。……変数を誤解してはならない。複雑系の科学には、根本的な勘違いがある。その方法は、まったくの無意味とは言えないが、「どうしても本質を理解できないときに、やむを得ず最小限の知識を得る」というだけの方法だ。
 その方法が有益であることもある。たとえば、台風の予測だ。「台風とは何か」ということを知るには、気象衛星で宇宙から台風の画像を撮影すれば、いろいろとわかるし、いろいろと理解できる。しかし、そういう本質的な知識を得られない時代(百年前)には、地上の人間は、「台風とは何か」をろくに理解しないまま、地上の風向きの変動を統計的に処理したり、複雑系の科学を使ったりして、「台風とはこういう現象なのだ」ということを調べようとする。ま、それが悪いとは言わないが、ピンボケというか、群盲象を撫でるというか、隔靴掻痒というか、とにかく、本質からはほど遠い。
 では、経済学ではどうか? 経済学にも、物価の変動や貨幣量の変動という数字はある。だから、これらの数字を調べて、統計処理をして、複雑系の科学で調べることもできる。しかし、そんなことをしても、まったく無意味だ。なぜなら、経済現象の本質は、物価でもないし、貨幣量でもないからだ。(たとえば、日銀がいくら貨幣を大量に発行しても、莫大な金は市場に眠るだけであって、何の意味もない。)
 経済学でも、本質的なものは、力である。すなわち、経済を動かすための、巨大な力だ。それは、主として、所得の効果だ。所得の変動が、需要の変動をもたらし、生産量を変動させるからだ。……こういう力を分析するのが本筋だ。その肝心の力を無視して、統計的に調べて未来を予測する、なんてのは、本質を逸れすぎた理論である。たとえて言えば、ニュートン力学を理解しないで、投石の運動を統計処理するようなものだ。無意味。
 実例を示そう。上記の書籍では、「インフレは危険なことが多い」という結論する。なるほど、過去の経験則に頼れば、そういう結論は出る。しかし、そういうふうに経験則によって語るというのが、非科学的なのだ。では、科学的には、どうするべきか? 「インフレの本質とは何か」というのを知ればよい。そうすれば、いろいろとわかる。実は、インフレというのは、何種類もある。「貨幣量の増大によって生じるもの」や、「需要の拡大によって生じるもの」や、「供給の縮小によって生じるもの」など。これらはいずれも、物価上昇という現象を起こす。そこで、これらを同じ現象であると見て、全部一緒くたにして「インフレ」と呼ぶ、という立場もある。しかし、そんな立場は、物事の表面(物価)だけを見ているのであり、物事の本質(生産量の変動)を見ていない。それは、いわば、「北極は寒い、冬は寒い。だから、北極も冬も同じ概念で呼ぼう、そして両者を統計的に調べよう」というようなものだ。思考が粗雑すぎる。
 大切なのは、表面ではなく、本質なのだ。目に見える表面的な数字だけを、いくら高度な数学で処理しても、真実に近づくどころか、かえって、真実から遠ざかるだけなのだ。
( → カオス 4月05日 ,4月06日 ,4月07日 ,3月30日


● ニュースと感想  (9月30日)

 近著の予告。経済学の著作を刊行する予定です。

 これまでの「小泉の波立ち」をまとめたもの、という感じです。だけど、それだけじゃ、読者にとって、金を払う価値はないでしょう。次の特徴があります。
 要するに、これまで、あちこちの箇所で雑然と書き散らしていたものを、単に要約するのではなくて、再構築して、体系化します。そのことで、本質を明らかにします。
 大いなる感動を得られるでしょう。私もちょっと読み返して、興奮を味わっているところ。
 刊行時期は、来年の初めごろになりそうです。(原稿はまだ完成していないので、詳細は未定。)


● ニュースと感想  (10月01日)

 「WindowsXP SP2」について。
 WindowsXP SP2 の話が、パソコン雑誌に、あちこちで掲載されている。「Windows Start 」という雑誌には、いろいろとトラブルの実例があって、おもしろい。最新型であるセレロンDのパソコンだと、BIOS の問題から、起動しなくなる、ということがある。本質的な問題なので、修正ソフトもまだできていないらしい。MSオフィスも、正常に動作しなくなることもあるという。要するに、 SP2 なんて、こんなものは、インストールしないのが正解だ。
 パソコン雑誌には「WindowsXP の欠陥が修正してあるので、 SP2 をインストールすることが必須だ」と書いてある記事もある。しかし、「欠陥を修正したあげく、パソコンが起動しなくなる」というのでは、本末転倒である。そんなことがわからないのだろうか? 彼らの主張しているのは、つまりは、「病気があるなら、病気を治せ」と主張したあげく、「患者を死なせましたが、病気は治しました」と弁解する医者と同じである。

 ま、マスコミの悪口ばかりを言っても仕方ないので、最低限の対処法を示しておこう。それは、次のことだ。
 「どうしてもインストールしたいのであれば、その前に、(パソコン本体や周辺機器の)メーカー各社のサイトを訪れて、自分の環境でトラブルが起こるかどうかを、あらかじめ確認する」
 たとえば、最新版ペンティアムやセレロンDのマシンでは、危ない。
( ※ 詳しくは、上記雑誌「Windows Start 」を参照。)

 [ 付記 ]
 よく聞く話だが、「( SP2 の)ファイアーウォールが必要だから、SP2 をインストールする」なんて思うのは、絶対駄目である。
 また、「Outlook Express の安全性を高めるために、SP2 をインストールする」なんて思うのも、絶対駄目である。
 これらのソフトは、もともと使わないのが正解。常識。
 なお、10月01日から、郵便局で SP2 の配布が始まるが、こんなことをやると、全国で、阿鼻叫喚の地獄になりそうだ。……だから、新聞は、上記の注意を掲載しておくべきだろう。
( ※ 特に、朝日新聞は、正しい情報を掲載するべきだ。というのは、これまで「アサヒパソコン」で、「 SP2 をインストールするべし、必須だ」なんて、さんざん嘘を並べ立ててきたからだ。)


● ニュースと感想  (10月01日b)

 「プロ野球の報道」について。
 ライブドアと楽天の参入問題に関して、週刊文春が読売の陰謀説を掲載した。記事を読むと、いかにも「さもありなん」である。
 すると読売新聞は、30日・朝刊の社会面で、「嘘を書くな!」と非難した。(広告もちょっと墨塗りふうだ。)
 ま、週刊文春というのは、嘘ばかり書く雑誌だから、たぶん、読売の方が正しいのだろう。とはいえ、この記事の真偽は別として、読売は、本当のことを報道するべきだろう。つまり、「なぜたったの数日で、態度を180度転換したか」という理由だ。「先週はノー、今週はイエス」では、まったくの豹変だ。理由を明かすべきだろう。たとえば、
 「小泉の波立ちに、読売にとって致命的なアイデアが掲載されたから」
 とかね。
 ( → 9月20日


● ニュースと感想  (10月04日)

 「郵政民営化」について。
 郵政民営化について、小林慶一郎の解説ふうの意見が掲載された。(朝日・朝刊・オピニオン面 2004-10-03 )これは、例によってデタラメ記事なので、批判しておく。

 (1) 国民負担
 郵政民営化をしないことのデメリットとして、記事はこう記している。
 「経済が正常化すると、金利が高くなり、国債価格が下がり、国債の評価損も増える。そうすると、郵貯・簡保は巨額の赤字を抱える。それは国が保証する。ゆえに、大きな国民負担が発生する。」
 これは、完全に間違いである。最初の「経済が正常化すると、金利が高くなり、国債価格が下がり、国債の評価損も増える」というところは正しいが、以後がすべて間違い。
 第1に、「国債の評価損も増えると、郵貯・簡保は巨額の赤字を抱える」ということはない。国債の評価損は、あくまで帳簿上の赤字にすぎない。実際に市場価格で国債を売却した時点で、赤字が発生する。その時点までは、赤字が発生しない。逆に言えば、国債を満期まで持ち続ければ、赤字は一円も発生しない。当然ながら、国が赤字の穴埋めをする必要もない。……なお、金利が上がると、赤字が発生することもあるが、それは、市場金利の上昇にともなって、郵貯の支払い金利を上げたからである。もともと過去の時点で預金された郵貯の分については、郵貯の支払い金利を上げなければいい。それだけで、この問題は完全に解決する。
 第2に、この赤字を国が「保証する」ということはない。頭が狂っているのか、迂闊すぎるのか。「補償する」と書きたかったのだろう。違いますかね? こんな誤変換をしても気づかないようなのでは、お里が知れる。
 で、「補償する」の意味で解釈しよう。実は、郵貯の巨額の赤字を国が補償する必要など、まったくない。むしろ、補償してはならないのだ。なぜなら、そもそも、巨額な赤字を発生させてはならないからだ。つまり、前述のように、郵貯の支払い金利を上げてはならない。
 そもそも、預金した人は、あまり利息をもらえないが、それはそれで、経済的には当然のことだ。不況のときに預金をした人が利息をあまりもらえないのは、当り前のことなのだ。ただし、彼らに無駄に利息をたくさんプレゼントすると、どこかで赤字が発生する。これは歪んだ政策だ。小林が主張しているのは、こういう歪んだ政策をやれ、ということだ。馬鹿げている。
 第3に、たとえこのような補償を国が実施したとしても、「大きな国民負担が発生する」ということはない。なぜか? ここには、純然たる損失は、発生しないからだ。単に国民間で富の再配分が起こるだけだ。つまり、補償をすると、国民全体は損をするが、預金者全体は利益を得る。預金者全体というのは、大まかには、国民全体に近い。たとえば、国民全体で十兆円の損をして、預金者全体が十兆円の得をする。こうなると、富の再配分が起こる。ただし、国全体では、一円の損も発生していない。なのに、小林は、このうちの「損」だけを見て、「得」を見ない。物事の半面だけを見て、「損だ、損だ」とわめいている。差し引き計算というものがまるでできていない。
 逆に、補償をしなければどうか? 債権者の側(預金者)は、国債暴落のせいで、すごく損をするが、債務者の側(国民全体)は、低金利で金を借りていられるので、すごく得をする。差し引きすれば、一国全体では、損得はない。(配分の変更が起こるだけだ。)
 ついでに言っておこう。純然たる損というものもある。それは「不良債権処理」だ。ここでは百億円の不良債権処理をやったとき、百億円の純然たる損失が発生する。小林は、こういう「純然たる損失」ばかり増やそうとしているが、本末転倒だ。(要するに、彼は、経済の実体をどうこうするかというより、帳簿の数字だけしか見ていないからだ。帳簿屋。銀行マンと同じ。)
( ※ なぜ純然たる損失が生じるか? それは、マクロ経済で理解できる。この損失は「害悪・非効率の発生」という形で生じるのではなくて、「遊休」という形で生じる。働いても金をもらえないのではなくて、働かないので金をもらえない。現状を見よ。多くの人々が失業しているせいで、遊休状態となっている。標準状態に比べると、金を失い、暇を得る。これが、純然たる損失。)

 (2) 郵政民営化の目的
 郵政民営化の目的について、記事の要約はこう記している。
 「郵貯・簡保を通じて肥大化した非効率な公的金融を縮小させることが、目的だ」
 これも狂っている。「公的金融を縮小させること」は、目的ではない。規模ではなくて、質の問題だ。何でもかんでも、公的であれば悪いのではない。公的であると、質が悪くなるのが普通だから、質の改善を狙う。それが目的だ。
 そして、この目的のためには、「質の悪いものが退場する」というシステムが必要だ。このシステムが「市場原理」である。だから、郵政民営化の目的とは、「市場原理の導入」なのである。換言すれば、「国をバックとした、補助金による、無駄な経営を排除すること」が目的なのである。
 だから、たとえ民営化したとしても、それによって経営効率が悪化してしまったのでは、何にもならない。「経営効率が悪化したなら退場する」というシステムが必要だ。このシステムを整えるのが大事である。「規模がどうのこうの」なんてことは、二の次なのだ。

 (3) ユニバーサル・サービス
 市場原理を前提とすれば、「ユニバーサル・サービス」の問題も明らかになる。これを義務とするかどうかという問題は、一切、排除してよい。原則として、市場原理に任せていいのだ。
 僻地の離島に済む小家族がいたとする。このような小家族にユニバーサルサービスを実施するために、莫大な国費を投じるべきだ、というのでは、本末転倒だ。では、これらの人々に、郵便は届かなくていいのだろうか?
 そこで、答えよう。それを決めるのは、政府や自治体ではなくて、本人である。本人が「週に6日の配達」というサービスを望みたければ、それなりの料金を払って、そのサービスを受ければよい。通常、配達する側は、それなりの料金を徴収するはずだ。
 例を示そう。山頂の山岳小屋に対しては、「麓までなら、別料金なし。山頂までなら、一回につき1万円」というような値段を提示するだろう。すると、山岳小屋は、「だったら麓まででいいよ。そこまで取りに行くから。どうせ自分で毎日いっぺんは下山するしね。いちいち配達してもらわなくていい」と自分で決める。こうして、最も効率的なサービスが決まる。これが市場原理だ。
 ただし、最小限のサービスだけは、必要だ。たとえば、「麓までの配達」とか、「最寄り局までの局留め郵便」など。この程度は、保証すべきだろう。とはいえ、いちいち国が指図しなくても、自然に決まるはずだ。(現在の宅配便と同じ。)
 なお、とんでもない離島もあるだろうが、そこには、無線の形(携帯電話など)で連絡が付けば十分であり、郵便がいちいち届く必要はない。たとえば、高山の山頂とか、南極の基地とか、そんなところまでの郵便配達を実施する必要も義務もない。ユニバーサル・サービスなんてのは、必要ないのだ。かわりに、「選択肢」があればよい。「ユニバーサル・サービスをほしければ、原価を考慮した適正料金で実施します」という選択肢だ。たとえば、「南極へ週に6日の配達」というサービスなら、一回につき十億円、というようなサービスがあればよい。そして、それを受け入れるかどうかは、受け入れる側が決めればよい。「何が何でも会社に実施させよ」というのでは、一般利用者にコストが転化されて、一般利用者の料金が高くなってしまう。これでは、民営化によって、状況はかえって悪化する。
 大切なのは、「市場原理」だけだ。ここでは、規模の大小なんてのは問題ではなく、「質の改善」だけが問題なのだ。そして、それが、郵政民営化の目的なのである。
( ※ ついでだが、これは、マクロ的な問題ではないし、不況解決の問題でもない。「構造改革というキャッチフレーズのもとで、郵政民営化をすると、不況が解決する」とか、「改革なくして、景気回復なし」とかいう小泉説は、とんでもない勘違いだ。ミクロレベルの「郵政民営化・市場原理」と、マクロレベルの「不況・景気変動」とは、全然別のことだ。)


● ニュースと感想  (10月05日)

 「年金の空洞化」について。
 年金の空洞化が進んでいるという。厚生年金の企業負担分を免れるため、企業が加入逃れをしている。データとしては、加入企業の数で、「雇用保険には 200万社なのに、厚生年金には 160万社」という調査がある。2割が加入漏れとなっているらしい。(朝日・朝刊・社説 2004-10-04 。関連記事は、その前の数日の間に掲載された。)
 こういうのを見て、「年金の空洞化だ」とわめいて、「必ず加入させよ」とか、「加入を義務づけよ」などと主張する意見もある。とはいえ、ちょっと待ってほしい。
 確かに、制度としての年金制度は必要だし、その空洞化はまずい。しかし、そのことと、料金の支払いの義務づけとは、結びつけるべきではない。
 たとえば、次のことは、好ましいだろうか? 
 「企業が無理して年金料金を払ったあげく、倒産する。結果的に、莫大な赤字を社会に撒き散らす」
 「個人が無理して年金料金を払ったあげく、サラ金から借金する。結果的に、餓死 or 自殺して、多大な赤字を社会に撒き散らす」
 こういうことが起こるのだ。なのに、「料金支払いは義務だから、是が非でも料金を払わせよ」というのでは、悪代官と同じだ。
 「年貢を払うのは義務だから、是が非でも年貢を払え。さもなくば、藩が崩壊してしまうからだ。お殿様のために、死んでも年貢を払え!」
 こうなると、国民のために制度があるのではなく、制度のために国民がいることになる。本末転倒だ。

 より本質的に考えよう。年金料金というのは、本質的には、一種の貯蓄である。とすれば、不況のとき、エコノミストは、次のように主張していることになる。
 「不況であろうと何であろうと、年金のために一定額を払え! 金がないのなら、消費を減らせばいい。消費を減らしてでも、年金料金を払え!」
 「不況のときには、景気の拡大が必要だ。ゆえに、貯蓄を崩して、消費を増やせ!」
 一方では、(年金のために)「消費を減らせ」と主張して、他方では、「消費を増やせ」と主張する。これでは、矛盾だ。
 不況のときには、収入が減る。そのとき、国民は、金をどうすればいいのか? 生活のために使うべきか? (それなら年金料金を払えない。)あるいは、年金料金を無理して払うべきか? (それなら景気回復は遅れる。)……どっちか、決めてもほしいものだ。両方同時にはできない。なのに、両方を主張して、矛盾しているのが、たいていのエコノミストだ。

 では、どうすればいい? この件は、先に正解を述べた。「景気変動に応じて、支払額を変動させること」である。 ( → 6月06日b
 つまり、不況のときには支払額を減らし(またはゼロにして)、景気過熱のときには支払額をうんと増やす。ただし、その調節は、自発的意思に任せてもよい。払いたい人は払えばいいし、払いたくない人は払わなければよい。払う人を増やすか減らすかは、プレミアムの量を変動させることで決めればよい。
 具体的には? 不況のときには、プレミアムを減らす。つまり、年金料金納付よりも、消費を優先する。景気過熱のときには、プレミアムを増やす。つまり、年金料金納付を優先して、消費を抑制する。……実は、これは、金利調節と同じ発想だ。それと同じことを年金料金にも適用するわけだ。


● ニュースと感想  (10月06日)

 「投資効率」について。
 公共事業の投資効率が1以下のものがかなりある、と判明した。諫早湾の干拓が 0.83 だ。中海の干拓(&農業用水排水)が 0.9 だ。(朝日・朝刊・経済面 2004-10-04 )
 数字を見ると、「こんなに高いはずがない」と思えますけどね。農水省の計算だから、実質よりずっと高めに出ているようだ。ついでに言えば、事業実施前の計算では、1をかなり上回る値になっていたはずだ。事業実施後も、嘘のデータを並べて、1をあまり下回らないように、数字を操作しているのだろう。データ捏造。
 なぜか? 干拓による農業生産なんて、全然、やってないじゃないですか。その一方で、長崎周辺で漁獲量が激減したり、宍道湖のシジミが取れなくなったり、観光客が来なくなったりしているから、マイナスの効果がはっきりと出ている。私の推算では、投資効率はマイナスの値になるはずだ。「やればやるほど、損が出る。1億円の費用をかけて、何かを得るのではなくて、何かを失う」というわけだ。一種の自殺行為。


● ニュースと感想  (10月06日b)

 「電話の加入権廃止」について。
 電話の加入権廃止について、いろいろと記事が出ている。(朝日・朝刊 2004-10-04 など。読売は数日前。)
 こんな下らない議論を出して、人々を戸惑わすのは、やめてもらいたいものだ。この問題は、簡単に済ませばよい。つまり、「合法的にやる限りは」という前提のもとで、あとは加入権廃止でも何でも、NTTの好きなようにやらせればよい。それで困る人はいないし、むしろ、たいていの人は大歓迎だろう。困る人は一人もいないのだから、さっさと実施すればよい。つまり、加入権廃止を、さっさと実行すればよい。
 ただし、ここでは、「合法的にやる限りは」という前提がある。ここに注意。具体的には、次のことを意味する。
 「加入権と引き替えに、月額料金の引き下げに応じたのだから、月額料金の引き下げをやめる(他の人々と同じにする)のであれば、加入権の料金を返済する」
 要するに、加入権を廃止するのであれば、廃止すると同時に、その料金を返済すればよい。それだけだ。
 現状では、NTTは加入権の買い戻しに応じてはいない。それはそれで、別に構わない。売り切りということであろう。ただし、売り切りにするということと、権利そのものを廃止するということは、まったく別のことだ。
 たとえて言おう。テレホンカードやら商品券やら何やら、さまざまな金券がある。これらは、売り切りであって、買い戻しに応じない。とはいえ、これらの金券の権利そのものを廃止するとしたら、その際、買い戻しに応じる必要がある。さもなくば、詐欺であるから、違法である。
 電話の加入権も同様だ。違法では駄目だが、合法的であればいい。
 なお、記事の趣旨は、「NTTが詐欺という違法行為をするのを認めるかどうか」というような、馬鹿げた話であり、狂気の沙汰だ。詐欺の是非を論じるなんて、話がピンボケ過ぎる。「違法ならば駄目、違法でなければよし」つまり「買い戻しがなければ駄目、買い戻しがあればよし」というのが正しい。
( ※ 現実には、買い戻しは不可能だろう。とすれば、駄目、となる。当り前。論議するまでもない。NTTの論理は詭弁なのだから、詭弁の土俵に乗ること自体がメチャクチャだ。)
( ※ もしかしたら、新聞社も、NTTの詐欺と同じことをやろうとしているのだろうか? 月の初めに、「毎日配達します」と契約して、月極料金を頭金として頂戴する。しかし、そのあとで、一日だけ配達してから、翌日以降、「配達をやめます」と勝手に決める。しかも、料金を返済しない。「金を返せ」と読者が文句を言うと、「最初の一日に配達したでしょ。それで契約は完了」と言い張る。……まったく、NTTの真似だね。)


● ニュースと感想  (10月07日)

 「量子力学と相対論」について。
 相対性理論についての新刊書が発売された。
 「相対性理論の矛盾を解く」(原田稔・著)
  (NHKブックス No.1013、 ISBN 4-14-091013-5 、2004年9月30日、本体870円)
 内容の紹介を引用すると、次の通り。
アインシュタインの相対性理論には未解決のまま残された問題も多い。時間や長さの相対性と単位の不変性という矛盾を、「単位の相対性」を提唱することで解決し、大胆な設定と緻密な論証により、相対性理論の読み替えに挑む。
 私の紹介を加えておこう。
 本書では、「単位の相対性」という概念がある。たとえば、「メートル」とか「秒」とかの単位があるが、これらは、どういうふうに決まるか? 観測された原子の振動数などによって決まる。この振動数が、絶対的なものではなくて、観測の基準系ごとに変化する。ある基準系と別の基準系とでは、それぞれの単位そのものが変化してしまう。つまり、単位というものを絶対的なものと考えず、相対的なものと考える。このように考えると、相対性理論の問題をいっそうよく理解できる。(アインシュタインの理論を否定するというよりは、アインシュタインの発想を延長している)。

 さて。私の見解を加えておこう。
 要するに、本書は、真理をつかみかけているのだが、真理の表面・表層をつかんでいるだけであって、真理の核心をつかんでいない。たとえて言えば、「リンゴも石もすべて落ちるのだ」という結果を理解しているだけであって、「万有引力の法則」という根源的な核心をつかんでいない。
 では、根源的な核心とは、何か?

 ここで、本書を批判するのではなくて、本書に対する根拠付けをする形で、私の見解を示しておこう。── 根源的な核心というのは、すでに示されている。すなわち、次のことだ。
 「真空は伸び縮みする。空間が不変のまま物体だけが伸び縮みするのではなくて、物体を含む空間そのものが物体と一緒に伸び縮みする。その結果として、ローレンツ収縮などが起こる。」
 要するに、ローレンツ収縮を観測したとき、「棒が縮む」と理解するべきではなくて、「棒を含む空間が縮むので、棒もいっしょにが縮む(と観測される)」と理解するべきだ。では、その理由は? 「真空の密度が変化すること」である。
 この件は、量子力学と相対論を統一して考えることによってのみ、理解される。詳しくは、下記のページ。
( ※ 結局、本書で主張されていることは、下記のページと同趣旨である。ただし、下記のページでは、本書で結論したことの原理を、理論的に解き明かしているので、本書よりもずっと先に進んでいる。下記のページで述べたことは、ちょっと理解できないな、と思った人は、本書を読むと、相対論の立場から、理論の背景などを理解することができそうだ。)
 → 二重スリットと観測問題


● ニュースと感想  (10月07日b)

 「ノーベル賞と称賛」について。
 ノーベル賞の発表の時期となった。これについて、次の趣旨の意見が出た。(朝日・朝刊 2004-10-06 )
 「ノーベル賞を受賞したかどうかで一喜一憂するべきではない。受賞しなくても立派な業績を上げた人はいっぱいいる。トップの受賞者に目を奪われるだけでなく、全体の底上げこそ大事だ。そうすればおのずと、受賞者も増える」
 これを読んで、「なるほど、もっともだ」と感じる人も多いだろう。そして、そういう現状こそ、日本ではノーベル賞受賞者が非常に少ない理由となっている。
 全体のレベルでいえば、日本のレベルは決して他国に比べて低くない。しかしノーベル賞受賞者は日本人の比率が非常に少ない。日本ではめったに受賞者が出ないが、人口が日本の2倍であるアメリカでは受賞者が続出しているし、欧州だって同様だ。これが現実だ。「全体の底上げをすればいい」という問題ではないのだ。
 では、なぜ、日本では受賞者が少ないのか? その問題にこそ、目を向けて、考慮するべきだろう。
 私見では、それは、「独創性を軽視すること」である。独創的な意見が出ても、日本では、尊重されない。それどころか、つぶされることが多い。「他人と異なる意見を出すこと」は、米国では称賛されるが、日本では非難される。(先の人質騒ぎのときでも、異端の行動者であるボランティアが大非難された。「彼らの勝手でしょ」と述べた私はごく少数派であり、大多数は「日本に迷惑をかけた」と非難した。どんな迷惑かは、私は知りませんけどね。)
 冒頭の意見だって、そうだ。本来ならば、「独創性のある研究者を優遇しよう」というのが、まともな意見だろう。ところが、逆に、「独創性のない普通の研究者を優遇しよう。彼らこそ立派なのだ」と述べる。いかにも日本的である。そして、そういう態度こそが、日本人のノーベル賞受賞者を少なくしているのだ。
 ひるがえって、スポーツを見るがいい。スポーツの分野でなら、野茂でもイチローでも松井でも、個性的で独創的な選手が日本中で称賛される。ほとんど熱中状態だ。だったら、科学の分野でも、個性的で独創的な研究者を、日本中で称賛すればいいのだ。たとえば、江崎玲於奈や西沢潤一を称賛すればいいのだ。
 しかし、科学の世界では、そうではない。この二人は、(今はともかく発表当時は)日本の学会から非難されて、なかば追放されるような形で、外国に逃げ出したり、東北の研究室に閉じこもったりした。彼らが米国人であれば、最高レベルの研究所で最高の待遇を受けるだろう。日本ではそんなことはない。(せいぜい、理研というものがあるが、その待遇のレベルは、たいしたことはない。予算だって部下だって、ちょっとしか持てない。基本は「全員一律」だ。)
 要するに、日本は、スポーツの分野では独創性を称賛するが、科学の面では独創性を排除している。だからこそ、ノーベル賞受賞者は少ない。── この現実に、着目するべきだ。逆に、この現実を糊塗しながら、独創性よりも凡庸性や汗水を重視するような風潮をこそ、排除するべきなのだ。

 [ 付記 ]
 私が首相だったら、どうする? 「異端科学研究所」というのでも創立して、主流派とは異なる学説を出す研究者を擁護する。そうすれば、そのなかから、何パーセントかは、果実を出すものが出るだろう。成功する割合は、1割に満たなくてもいい。独創的な研究というのは、そういうものだからだ。
 逆に、「安全確実」なんてのをめざす理研や大学みたいなところからは、歴史を書き換えるような業績は生まれようがないのだ。当然ながら、「助手の待遇を向上させよ」なんてのは、枝葉末節であるにすぎない。
 とにかく、現在の科学支援体制を、全面的に変更するべきだ。そして、そうしないから、日本はいつまでたっても、先進国では最低レベルの数しか、ノーベル賞受賞者を出せないのである。

  【 追記 】
 本項の話題(独創的な研究の推進)について、政治的に言えば、次のことが大切だ。
 「どうせ大金を使うのであれば、物のために使うのではなくて、知恵のために使うべきだ」
 具体的に言おう。「独創性のある科学者を支援せよ」と私が主張すると、「金がかかるから無理だ」と財務省あたり難癖を付ける。そこで私は、「金はかからない。金額よりも、金の使途が問題だ」と指摘したい。
 実際、「独創性のある科学者を支援する」ことのために、どのくらいの金がかかるだろうか? 年収千万円、研究費千万円で、合計二千万円。つまり、0.2億円。五十人で十億円。国家予算から見れば、ほとんどスズメの涙だ。無駄な社会保険会館などの建設を、一つやめれば済む。
 もうちょっと広範に、「基礎科学の裾を広げる」というふうにすると、金はその十倍以上もかかるだろうが、それでも、大騒ぎするほどのことはない。
 一方、「核融合施設の誘致」なんてのを、日本政府や欧州と張り合っているが、これには、五千億円ぐらいかかるらしい。たった一つの研究のために、これだけの莫大な金を使う。もったいないですね。
 なお、「核融合の研究は大事だ」という意見もあるが、私はこれには絶対に反対である。なぜか? 「金をかけても無効」というのが事実だからだ。一般に、(実用化寸前の段階ならともかく)基礎科学の段階では、金の投入量と研究成果の量とは、比例しない。
 たとえば、今から二百年前(1800年)に、ボルタ電池が発明されたが、このころ、「コンピュータが大事だから、コンピュータの開発に大金をかけよう」なんて主張して、大金を投入しても、まったくの無駄金となる。科学技術の発展というものは、各分野がそろって発展するものであって、特定分野だけに集中的に金をかけても、どうにもならないのだ。
 なのに、そのことに気づかない行政官が、「金を投入すれば成果も上がるだろう」という妄想のすえに、核融合に莫大な金を投入しようとする。で、仮に成功したら、どうなるか? 「たぶん五十年後に完成する」という見込みだ。で、五十年という根拠は? 「あと五十年は無理」という意味だ。そして、五十年後にうまく行くという見込みは、まったくない。実を言うと、今から三十年前にも、「五十年後に核融合が完成」という見込みだった。ところがそれから三十年たってもやはり「五十年後に核融合が完成」という見込みである。このままだと永遠に、「五十年後に核融合が完成」ということになりかねない。(今から三十年前というと、1960年代後半も開発されて発達した「トカマク型」が有望とされてきた時期だ。実を言うと、このころも「五十年後に核融合が完成」という見込みだった。だから、見込みが当たっていれば、本当なら、今ごろはとっくに核融合は実現されているはずだ。)
 要するに、ろくに見通しも立たないまま、無意味な研究に大金をかけている。二百年前の人間が、「コンピュータができたら有望だ」という見込みのもとで、当時の低い技術水準のまま、コンピュータ開発にむやみやたらと大金をかけるとしたら、今の人間は、「馬鹿だな」と嘲笑するだろう。それと同じことを、今の人間はやっている。核融合のために。
 でもって、こういう馬鹿らしいことをやめれば、ほとんど金をかけずに(つまり人件費だけで済む形で)、独創性のある研究を促進できる。それが私の主張だ。
( ※ だけど、財務省にいる人々は、無駄金を使いたがるものだ。バベルの塔とか、ピラミッドとか、巨大架橋とか、穴掘り穴埋めとかもある。……ケインズ説として、経済学の教科書に書いてあるせいですかね。)

 [ 余談 ]
 余談だが、人類のお気楽さには、本当に呆れますね。
 核融合? なるほど、1960年代なら、原子爆弾とか水爆とか、次々と破壊的な成果を挙げた直後なので、核融合にも前途が明るく見えたのだろう。「人類は核の力で、破壊だけでなく建設もできるのだ」と示したかったのだろう。しかし、それは、お気楽すぎる。人類は、破壊の力だけは莫大にあるが、建設の力は微力しかないのだ。
 たとえば、イラクで何万人も殺すのは非常に簡単だったが、イラクで平和を築くのにはまったく手こずっている。「簡単に平和が来る」なんて予想していたが、現実は予想とは正反対だ。お気楽な予想と、厳しい現実。
 核融合の前に、「高速増殖炉」という、はるかに簡単な課題がある。これもまた、1970年代あたりには、「核融合までのつなぎになる、実現可能な技術」と見なされてきた。ところが、現実には、これもまた「手に負えない」というふうにされて、各国は次々と撤退するありさまだ。
 結局、人類が扱うことのできた核技術は、「軽水炉」だけである。これは、ずっと昔からある技術だ。つまり、それ以後、ほとんど進歩がない。研究開発だけなら、核融合はたしかに進行しているが、それも、山登りで言えば、「1合目だったのが、2合目に来た」という程度だ。山頂は、はるかにはるかにはるかに先の方だ。
 それでも、先をろくに見通せないまま、勝手に信じる。「この道をどんどん進めば、やがてはきっと、頂点に立つはずだ」と。まったく、お気楽な予想だ。
 実は、昔の人も、そう信じて、同じことをやったんですけどね。それが、バベルの塔だ。
 「現在の塔のその延長上に、天界がある。このままどんどん階数を増やしていこう。そうすれば、やがてはきっと、天界に到達できるはずだ」


● ニュースと感想  (10月08日)

 「自由と平等」について。
 近代国家の理念は、自由と平等だ。では、自由とは何か? 平等とは何か? ここで、一つの例を示そう。
 先日、フランス人がイラクのテロリストに拉致された。解放の条件は「フランスで、スカーフ禁止法を撤廃すること」であった。スカーフ禁止法というのは、フランスの学校で生徒にイスラムふうのスカーフを禁止する法律だ。これを「イスラム差別」と見なして、テロリストは廃止を要求したわけだ。
 ここで、日本ならば、どうするだろうか? 「テロに屈するな」と叫んで、人質を見殺しにするか、「人命第一」と叫んで、テロに屈しようとするだろう。では、フランスは、どうしたか? そのどちらでもなかった。かわりに、スカーフ禁止法の理念を、アラブ世界で大々的にキャンペーンした。つまり、次のことを訴えた。
 スカーフ禁止法は、イスラム差別を目的としたものではなくて、あらゆる宗教性を公教育の場に持ち込むことを禁じて、公教育の場に中立性を保つことを目的としたものだ。そこで排除されるのは、イスラムだけでなく、カトリックなども含まれる。だから、宗教性を排除することで、イスラムの生徒も、カトリックを強制されなくなる。かくて、宗教の自由が保たれるようになる。このような自由こそ、フランスの共和制の理念である「自由・平等・博愛」に合致するものだ。フランスはこの理念を維持しようとしているのであり、イスラムを排除しようとしているのではない。
 このように外相たちが、正々堂々と訴えた。その結果、イラクの宗教指導者たちは、フランスの正当性を認め、人質解放を呼びかけた。イスラム系の生徒たちも、フランスの理念に賛同して、スカーフを自発的に鞄に収めるようになった。
(以上、読売・夕刊・文化面・コラム 2004-10-05 より。著者は竹内節子。要約の文責は南堂。)

 自由とは、何か? 小泉などの保守派ならば、「アメリカに従うこと」と答えるだろう。しかし、そんなのはもちろん、自由でも何でもない。自由とは、相手がアメリカであろうと何であろうと、真実を語る権利のことだ。アメリカが「イラクは大量破壊兵器をもっているからやっつけろ」と主張したとき、「アメリカは嘘つきだ」と、はっきり真実を語る権利のことだ。しかるに、日本政府は、その権利を大切にしない。逆に、「国益のためにアメリカに従おう」なんて主張する。ここでは、自由は尊重されているのではなくて、踏みにじられているのだ。「自由を大切にしよう」と唱える政党の党首たる首相が、自由を踏みにじろうとしているのだ。
 自民党であれ、公明党であれ、読売であれ、「自由とは何か」を、よく考えてみるがいい。「損得で考えよう」なんていう国益重視論者は、ただの商売人であって、自由とは何かをまったく考えていない。彼らはおのれの自由を、売り渡そうとしているのだ。
 そして、そういう人々のもとで、今の日本という国は運営されている。日本では、自由も平等も博愛も、少しも大切にされていないのだ。
 その一方で、フランスは、アメリカの横暴に抗弁することができた。人間の尊厳とはどのようなものであるかを、フランスは教えてくれる。なるほど、金や財産は確かに大切だし、金や財産なくして人間は生きていくことはできまい。しかし、金や財産があっても、自由や魂を売り渡してしまえば、そのときもはや、人間として生きることを放棄することになるのだ。
( ※ 実例。小泉は、人間であることをやめて、ポチになってしまった。)

 [ 余談 ]
 豆知識をちょっと。「自由・平等・博愛」という三つは、フランスの基本理念であり、それを象徴的に示すのが、フランスの三色旗だ。トリコロール。英訳すれば、tricolor 。
      
 要するに、フランスのトリコロールの三つの色は、ダテについている無意味な色ではない。ちゃんと意味があるのだ。
 日本の保守派は、日の丸を指して、「国旗を敬え。国家に服従しろ」と叫ぶ。つまり日本では、国旗は自由を弾圧するためにある。しかしフランスでは、国旗は自由を尊重するためにあるのだ。


● ニュースと感想  (10月08日b)

 「経済と自由」について。
 独禁法の改正の方針がまとまった。財界よりに、大甘の決着。独禁法違反をすると、売上げの16%の利益を得るそうだが、課徴金はたったの10%にするという。欧米の数分の1であり、ものすごい大甘。また、大企業はともかく中小企業ならば、課徴金は4%という超大甘。(各紙・朝刊 2004-10-06 )
 経済の基本原理は、市場原理と自由競争だ。しかし、これを否定するのが、日本政府だ。たとえて言えば、「泥棒をした人は、盗んだ金の半分だけを返却しなさい。それでOK」というのと同じ。これでは、違法行為のやり得である。
( ※ 読売では、問題を指摘しているが、朝日では、指摘がない。朝日はたぶん、経団連から賄賂をもらっているんだろう。汚い新聞社。でなければ、ひどい間抜け。)
( → 関連する話は 10月24日12月15日


● ニュースと感想  (10月09日)

 「独創性のある研究を伸ばすには」という話題で、先日の箇所に、追記した。
   → 10月07日b 追記


● ニュースと感想  (10月09日b)

 【 告知 】
 本日から、ページ冒頭に、リンクが付きました。
 日付の 2004.10.09 という部分をクリックすると、当日の位置にジャンプできます。


● ニュースと感想  (10月10日)

 「国民栄誉賞」について。
 イチローが国民栄誉賞を辞退した。(各紙・夕刊 2004-10-08 )
 そりゃまあ、そうでしょうねえ。引退する前から、公的に顕彰されたがるような人間に、ろくな奴はいないから。(コンテストやレースのような賞は、実力競争なので、話は別だが。)
 そもそも、イチローは年収十億円程度で、金銭的には非常に恵まれている。名声だって、毎日テレビで放送されるほどで、首相よりもはるかに上だ。最高レベルの名声を得ている。こういう人をあえて顕彰しても、意義はまったくない。金銭的にも、名声でも。
 では、なぜ、政府はあえて顕彰しようとするのか? あげく、辞退されるという恥さらしなことをするのか? ……その理由は、簡単だ。本人のためでもないし、国民のためでもない。それを通じて、テレビに放映してもらおうという、首相の個人的な利害のためである。誰にとっても得にならないが、首相にとってはすごく得になる。素晴らしい業績を上げた人物にあやかって、不人気な自分も一緒に放映してもらって、おこぼれをあずかりたい、という、さもしい理由だ。情けないね。

 もうちょっと、まともなことは考えられないんでしょうか。そもそも、顕彰というのは、世間に埋もれていた人々の業績を称えるためにある。賞金や名声を与えるのは、彼の功績に対して、社会や国民を代表して、政府が感謝の意を称えるためだ。決して、政府の人気取りのためなんかではない。

 なお、これと関連するのが、10月07日の、独創性の話だ。年収十億円の金持ちスターを顕彰するよりは、貧乏な科学者を顕彰するべきだろう。
 私としては、次の人は、是非、顕彰するべきだと思う。
 ・ すだれコリメーターを開発した、小田稔(故人)
 ・ 素粒子理論に貢献した、南部陽一郎
 いずれも、故人または高齢だが、世間の認知はひどく低い。顕彰というものは、こういう埋もれた人々のためにあるのだ。
( ※ 文化勲章などは与えられたが、国民栄誉賞は与えられていない。政府にとって、科学はスポーツよりも、ずっと価値は低いのだろう。政府の知的レベルがわかりますね。……たまに科学者に立派な賞が与えられることもあるが、たいていは、ノーベル賞を受賞した直後だ。情けない。ノーベル賞が決まったあとで、あわてて後追いで顕彰しても、二重の顕彰になり、まったくの無意味なんだけど。……ま、やはり、国民栄誉賞というのは、本人のためではなくて、首相のためにあるんでしょうね。)
( ※ たぶんそのうち、高橋尚子の記録を破った、女子マラソンの渋井にも、「国民栄誉賞」の声がかかるだろう。賞の乱発。理由は、「かわいい女の子と一緒にテレビに映りたい」という、首相のいやらしい下心。)

( ※ 小田稔については →  前年10月10日b10月24日d
( ※ 南部陽一郎については、数日前に、ノーベル物理学賞の関連で、記事が新聞に出ていた。)


● ニュースと感想  (10月11日)

 「プロ野球の新規参入」について。
 プロ野球の新規参入について、楽天とライブドアのどちらになるかが、話題となっている。「どうせ出来レースさ」という声もある。で、私としては一つ提案したい。
 まず、審査会は、資格だけを審査すべきだ。当然、「二社とも合格」とすればよい。どちらかが「失格」なんていう結果を出すと、審査会の裏事情が疑われるだろう。だいたい、メンバーが公開されていないようだが、不思議ですね。メンバーを公開してもらいたいものだ。(もしかしたら、読売の息のかかっている人だけが、選ばれているので、公開できないのかも。で、マスコミも、わざと隠しているのかも。)
 ついでだが、審査会は、「楽天の方が優位」なんて意見を出すべきではない。資格の審査というものは、合否だけを決めるものであり、優劣を決めるものではない。この点、誤解してはならない。私見だが、「ライブドアは失格」なんて結論が出たら、間違いなく、審査会は偏向していることになる。

 さて。たとえ優劣があるとしても、「どちらも合格」という結論が出たとしよう。その後の選択は、審査会には関係なく、球界が決めるべきだ。では、どうやって? それが問題だ。私の個人的意見では、以下のように考える。
 公平を期すためには、「入札」が最も公平で明朗だ。二社のうち、高値を出した方が参入すればよい。

 では、こうしたとしたら、高値の金額を、誰が受け取るか? これが問題だ。
 球界またはパリーグが受け取るのいうのは、ちょっと変だ。本来ならば、近鉄が身売りして、近鉄が受け取るべき金だからだ。
 そこで、こう提案する。近鉄の身売りの場合と、同様にすればよい。つまり、こうだ。
 「近鉄選手の保有権を一括して、高値の社に売却する。オリックスの方は、近鉄選手をすべて売り払い、高値を受け取る。買う方の社は、高値を払い、近鉄選手をすべて譲り受ける」
 これだと、オリックスとしては、何もしないで大金が入るのだから、文句はないだろう。馬鹿を見るのは近鉄本社だが、もともと馬鹿なのだから、仕方ない。また、近鉄選手としては、単にオーナーが変わるだけだから、問題はない。楽天やライブドアとしては、しょせんは資本主義の原理に従うだけだから、文句の言いようがない。「裏取引」なんかよりは、ずっとマシだ。

 [ 付記 ]
 私の個人的な判断では、次の案に一票を投じたい。
 「二者のうちのどちらにするかは、優劣には寄らない。これは先着順の問題である。騒ぎの中で先に手を上げた方に優先権がある。すなわち、無条件で参入が許可される(欠員の1チームを埋める)のは、ライブドアである。楽天は、さらに参入するとしたら、次のいずれかの形でのみ、許可される。
 ・ パリーグが合計7チームになる。(これは、ありえない話。)
 ・ パリーグで新たに撤退チームが出たあとで、その穴埋めで参入する。
 ・ パリーグのチームを買収する。(オリックス・ロッテ)
 ・ セリーグのチームを買収する。(広島・横浜)
 そのどれであってもいい。ただし、現実には、相手の事情があるから、簡単ではない。とはいえ、その簡単ではない条件が満たされれば、楽天も参入可能となる。その場合、すでに参加資格は「合格」と出ているから、自動的に参入することになる。(再審査抜きで。)」
 さて。この案を客観的に評価しておこう。
 上記の四つのうち、最も見込みがあるのは、「広島・横浜を買収すること」である。広島は慢性的な金欠というひどい経営状況だし、横浜は横浜市の税金で穴埋めしてもらっているというメチャクチャ経営状況だ。どちらも、楽天が買収することは、現状をかえって良くするだろう。
( ※ 「再審査抜き」という件は、すでにライブドアが提案済み。各紙・朝刊・スポーツ面・ベタ記事 2004-10-09 )

 [ 余談 ]
 私の偏見を言えば、ライブドアはセンスがあり、楽天はセンスがない。それは監督の人選を見るとわかる。
 ライブドアがオマリーを選んだのは、うまい。オマリーは、昨年の阪神優勝の立役者だ。彼をコーチ解任した阪神は、本年のチーム打率が最下位となり、順位を大幅に落とした。私の予想したとおり。(これほど落ちるとは思っていなかったが。)
一方、楽天が掛布を選んだのは、ひどいね。掛布は有名なので、あちこちから監督候補に上げられていたが、どのチームも監督はおろかコーチにすら迎えなかった。当然である。彼はただの客寄せパンダなのだから。
 掛布というのは、歴代の名選手の中では、最低の頭の持主だ。その証拠が、たったの三十歳ぐらいで引退したことだ。こんなに若く引退した名選手は、他にはいない。で、なぜ、彼はこんなに早く引退したか? 体がボロボロになったからだ。なぜ? 毎日、大酒を飲んでいたからだ。普段から、赤ら顔である。大リーグの選手は、煙草も酒もほとんどやらないのに、日本の選手は喫煙者や大酒呑みがけっこういる。「オレは酒豪だ」と豪語する選手もいる。あげく、体をこわして、引退する。その代表が、掛布だ。(もう一人、中西というのもいる。彼は今、阪神の投手コーチとして、試合中も酒の匂いをぷんぷんさせている。そういうチームが、今年の阪神だ。で、中西を招いて、オマリーを追い出したのが、岡田だ。)
 昔の野球選手は、平均して、35歳ぐらいで引退した。大酒飲みは例外的に30歳ぐらいで引退した。一方、今日では、40歳を超えても現役で頑張っている人が多い。巨人の工藤投手が代表的だ。39歳で一時は打率トップになったヤクルトの古田捕手もいる。現役時代の落合選手も高齢まで頑張った。海の向こうでは、R・ジョンソンやクレメンスが42歳ぐらいで健闘している。……これらの選手に共通するのは、「節制」である。自己管理のできる選手が、長い寿命を保てる。
 落合は、自己管理がすばらしかった。球団のコーチから、古臭い根性主義のトレーニングを強いられても、断固として拒絶して、オレ流を貫いて、科学と節制に基づいて、正しい自己管理をした。こういう選手が、のちに監督として成功するわけだ。(その点では、古田や工藤も、名監督の素質がある。)
 で、自己管理のできない代表が、掛布だ。自己管理のできない元選手が、他の選手を管理する監督として、ふさわしいか? 「ふさわしい」と考えるのが楽天だ。あまりにも楽観的・楽天的。先が思いやられますね。(私の予想では、掛布を監督にしたチームは、どんなに選手が優秀でも、最下位になる。……というわけで、次期巨人の監督には、掛布を推薦します。)

 [ 余談 ]
 もう一つ余談を言っておこう。海の向こうでは、A・ロドリゲスが「チャンスに弱い」と悪評さんざんなのに、松井はけっこうチャンスに強い。なぜか? 
 一般に、チャンスに強いのは、物事をあまり考えないで調子に乗るタイプだ。長島や新庄など。「燃える男」というキャッチフレーズ。(最近の「萌える男」たちとは違いますね。)他方、チャンスに弱いのは、ドキドキするタイプ。A・ロドリゲスもそうなのかも。
 松井は? 彼は、自己抑制がうまい。精神的な鍛錬ができている。やたらと興奮して怒り狂ったりしない。……そして、こういうふうに精神的な修行ができているから、重大なチャンスにもあわてないで、冷静に対処できるわけだ。相手投手がびびっているときに、打者が冷静ならば、打者の方が有利だ。というわけで、松井はチャンスにがんばれる。
 ともあれ、やたらと怒り狂ったりしないで、自己抑制をすると、自分にとっても有利です。ちゃんと理解しておきましょう。ね。ナベツネさん? 

 [ 参考 ]
 なお、過去の項目も参照。
 「経営に失敗した企業(近鉄・オリックス)は市場から退出して、かわりに、別の社(ライブドア・楽天)が参入するべきだ」と述べている。市場原理。
( → 9月19日


● ニュースと感想  (10月12日)

 「朝日と小泉」について。
 朝日新聞社説が、小泉支持の意見を大々的に掲げている。義務教育費の補助金改革をめぐって、自民党の文教族が抵抗するのを批判し、小泉を支持する。(朝日・朝刊・社説 2004-10-11 )
 マスコミが首相の方針を支持したって、何の意味もない。そんなことは政府が一生懸命やっているのだから、それを支持しても、単に輪をかけているだけだ。二番煎じ、三番煎じならぬ、千番煎じぐらいである。無意味。
 ま、朝日は、「抵抗勢力 v.s. 改革派の小泉」という図式で、やたらと小泉を支持したがるが、その硬直した図式は、そろそろ捨てた方がいい。その図式こそ、小泉が自らの無能さを隠すために使う、目くらましだ。(猫だまし)
 今回の補助金改革だって、補助金を国から地方に回すだけであり、実質的には、何も変わらない。ほとんどは教員の義務的な人件費だから、減らす余地がない。減らせば、教育の質が落ちるだけだ。つまり、改革の意味がない。
 補助金改革は、やるならば、公共事業費などの無駄な費用を削減するべきだろう。単に帳簿の項目を「国」から「地方」に転じても、帳簿の数字が変わるだけであって、実質的には何も変わらない。そして、実質的には何も変わらないのを、「変えました」というふうに誤魔化すのが、小泉政治だ。
 誤魔化しによって国民を欺くのは、小泉の常套手段だが、マスコミがそれに乗じて、一緒になって国民を欺くべきではない。マスコミの責務は、首相の太鼓持ちをすることではなくて、首相の嘘をあばくことだ。

 「小泉の波立ち」 
   〜 小泉純一郎の改革を論じる。(その改革が真っ赤なだってことを。)


● ニュースと感想  (10月12日b)

 「ニンテンドーDS」について。
 任天堂が発売する新型携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」の機能を公開した。画像を2画面に分割して、画面上を付属のタッチペンで操作できる。( → 朝日コム
 なかなかおもしろい。半年ぐらい前に発表されたときにも感じたが、やたらと高機能化するIT装置と違って、2画面という古臭いシステムを使って、画期的なおもしろさを狙う。けっこう非凡だ。
 さて。私としては、これを携帯情報機器として使いたい。次のようなソフトがほしいが、さっそく開発してもらいたいものだ。
 「タッチ画面に、キーボードを並べる。キーボードの配列は、50音配列を含む。ただし、右手で操作しやすいように、あ行〜た行は、画面の右半分に置く。小文字の、や・ゆ・よ、は、シフトなしで使う。」
 できれば、ケータイに送信できるようにしたい。
( → 携帯情報機器 7月26日b
( → 新50音配列


● ニュースと感想  (10月13日)

 「IT技術」について。
 IT技術が発達しているので、これを取り込めば、われわれの生活は飛躍的に向上する── という意見が出回っている。しかし、こういう単純な発想に染まると、「IT化ばかりが進んで、生活はかえって不便になる」という本末転倒的な状況になりがちだ。たとえば、「リモコンにやたらとたくさんのボタンが並んで、操作が面倒だ」というのもある。特に、音量調節だ。昔のダイヤル式なら、ぐるぐるひねるだけだったのに、今ではいちいち「リモコンはどこに行った」と大騒ぎして、ずっとボタンを押しっぱなしにして調整する必要がある。面倒くさくて仕方ない。その他、操作の不便な家電は、やたらとたくさんある。
 ここまでは、よくいわれる話。

 さて。最新のIT技術で、注目すべきものがある。「夜間の歩行者を赤外線で検知する」というシステムだ。車道を歩く歩行者が、夜間には見えないことがあるので、赤外線カメラで探知する。その画像を、ディスプレーで表示する。フロント・ウィンドーの下にあるディスプレーで、それを確認する── というわけ。(ホンダのレジェンドに搭載。トヨタのクラウンにも同様のシステムがある。)
 で、これがあると、どうなるか? ヘッドライトを点灯しないで運転しているときに、歩行者に気づく、という利点がある。でもまあ、ヘッドライトを点灯していれば、あまり差はない。あまりメリットはない。
 それより、メリットがあるとしたら、その方が問題だ。肉眼では気づかないのに、ディスプレーを見て気づいた、とする。とたんに、ディスプレーを見ながら運転するようになり、ディスプレーとウィンドーの双方に注意が向く。大あわてして、事故を起こしやすい。メリットがあるおかげで、事故になる。本末転倒。
 で、どうして、こういう馬鹿げたシステムを50万円という大金で販売するのか? つまりは、IT化という観念に毒されているからだ。「IT化」=「コンピュータ処理とディスプレー表示」という観念に凝り固まっているから、何でもディスプレー表示すればいいと思い込んでいて、「事故防止」という本来の目的が忘れられてしまっている。で、「表示さえすればいい」と思い込んで、「そのせいで注意散漫になって事故を起こす」ということを、忘れてしまっている。(正確に言えば、もっと悪い。広告にも注記してあるとおり、注意散漫になることは、自動車会社はちゃんと気づいている。気づいていながら、あえてその危険な商品を販売する。悪魔みたいなものですね。)

 では、どうするべきか? 私としては、次のように提案する。
 「ディスプレー表示」なんてのは、本末転倒だから、やめる。かわりに、指向性のビーム光線を、対象に向けて投射する。たとえば、歩行者にビーム光線を投射して、ディスプレーではなくて現実の対象に、視線を向けさせる。処理の方法は、次の通り。
  ・ モノクロ(可視光線感知)カメラで撮影。
  ・ 赤外線カメラで撮影。
  ・ 双方の画像を、コンピュータで比較して、後者のみの箇所を抽出。
  ・ 抽出箇所の方向を計算処理で判断する。
  ・ その方向にビーム光線を投射する。
 こうすれば、ビーム光線を投射された歩行者を注視しながら、運転をちゃんと操作できる。「事故防止」という本来の目的のためには、これしかあるまい。
( ※ 現状のシステムは、ディスプレーを見ながら、テレビゲームごっこをしているようなものだ。ま、歩行者を避けるのではなくて、歩行者をシュート[狙撃]するつもりなら、こういうディスプレーも役立つかもしれないが。……本末転倒ですね。)

 [ 付記1 ]
 ビーム光線を投射する方法としては、可動機構のある機械部品を使ってもいいが、別の方法もある。
 自動車ランプ用の白色LED(2004-10-09 記事)を使えば、可動部分なしで電子的に照射方向を決めることが可能だろう。たとえば、角度を十分割するなら、白色LEDを十個使って、そのうちの一つを点灯するわけ。特に、点滅させると、注意喚起できる。
 なお、似た照射機能は、日産のシーマが実現済み。つまり、高速道路などで、カーブする先の方向を照射する機能。これは、白色LEDを使うのではなく、ランプを使うが。

 [ 付記2 ]
 ここまでは、高度な技術の話。ただし、実を言うと、もっとずっと低い技術で低い価格でも実用化できる。以下の通り。
  ・ 指向性のビーム光線(複数)をやめて、広角ランプ点灯(単一)にする。
  ・ 遠赤外線の検知をやめて、超音波探知にする。
 具体的には、こうだ。普通の道路では、超音波は壁にぶつかってもあまり反射されないが、人物などにぶつかると反射して、戻ってくる。で、それを検知して、広角ランプを点灯する。
 これでも、そこそこ、役立つ。ただし、電信柱にも反応してしまうのが、ちょっとやばい。それが気になるなら、赤外線と併用して、共通部分を取るしかない。しかし、とたんに、コストが急上昇。……ま、高機能と低コストはなかなか両立しません。当り前。

 [ 付記3 ]
 一般ユーザー向けに勧告しておこう。上記のホンダとトヨタの装置(ディスプレータイプ)は、技術的にはおもしろいが、機能的には危険なだけだ。だから、こんなものは、買ってはならない。50万円も払ったすえに、かえって事故を起こしやすくなった、というのでは、本末転倒だ。繰り返す。こんなものは、買ってはならない。
 では、かわりに、どうするべきか? ロービームを点灯すればよい。上記の装置は、ロービームを点灯していないときに有効であるにすぎないからだ。
 なお、メーカーの宣伝を見ると、メリットがなくもない。たとえば、黒い服を着た人は、闇夜ではロービームを点灯しても見えにくいが、赤外線では検知できて、白く表示できる。なるほど、それ自体は新装置のメリットだ。しかし、そんなふうに検知して、どうなる? 表示板を見ながら運転するのではなくて、現実のものを見ながら運転する。となると、「白い姿」を探しながら、「黒い姿」を見ていることになる。これでは、対象をうまく見出すことができない。あるはずのものが見出せない。となると、かえってパニックになりがちだ。……だったら、黒い姿を見ながら、白い顔でも探した方がマシだ。
 もちろん、ロービームだけでは不十分だろう。となると、やはり、住宅地の夜間や夕方では、速度を落とせばよい。つまりは、安全運転を心がけること。そうだ。安全運転が基本だ。ハイテクに金を払うことが基本ではない。間違えないようにしよう。
( ※ トヨタの装置は、ディスプレーが単体の映像画面とはなっておらず、ウィンドー上に投影するシステム。とはいえ、ホンダのと、大差はない。現実の人間と画像の人間が別々になる、という本質は、同じである。注意散漫をもたらして、危険になること、このうえない。)
( ※ ユーザーの立場で考えれば、こういう「表示だけはおもしろいが実効性はなし」なんていう「ハイテクおもちゃ」よりは、実効性のある装置がほしいですね。つまり、こうだ。「レーザーで進行方向を探知しておく。将来の予想を計算したコンピュータが、衝突を予測すると、ブレーキを自動的に作動させる」という装置。これなら、ブレーキという機構が働くから、ちゃんとした実効性がある。実際、ここまでは、実現済み。これなら、有意義だ。……ただし、機械が優秀すぎると、ユーザーがすべてを機械任せにして、注意をサボる恐れがある。そこで、装置が作動した場合には、ブレーキを急ブレーキにしたり停車させたりエンストにしたりして、ユーザーに罰を与えるとよい。おしおきですね。「月にかわって、おしおきよ」)

 [ 付記4 ]
 本項で先に示した技術的な提案は、なかなかうまいアイデアなので、特許を取れそうだ。だけど私は、特許なんか取りません。安全のために。── だから、自動車会社の皆さん、さっさと実用化しましょう。
( ※ なお、実は、もっとうまい工夫もある。私の独自のアルゴリズムを使うと、上記の機能を飛躍的に向上させることができるので、商品価値がぐんと高まる。だけど、これには、ものすごく高度な技術情報があるので、ここには書きません。ナイショ。……ま、たとえ書いたって、専門的すぎて、普通の人は理解できませんけど。)


● ニュースと感想  (10月14日)

 「プリンタとハイテク」について。
 秋のモデルチェンジで、キヤノンとエプソンがプリンタの新製品を発売した。キャノンに至っては、8色インクを使うほどだ。かくて、プリンタは巨大化している。しかし、こういうふうに技術ばかりを追うのは、見当違いだ、と思える。
 そもそも、現在のプリンタの課題は、何か? 発色領域を広げることよりは、粒状感をなくすことだろう。では、粒状感は、どういうときに現れるか? 人の肌だ。ここに注意しよう。
 メーカーはきれいな自然風景などをテーマにして、粒状感をなくそうとしているが、自然風景などはもともと細かな草の模様などがあったりして、粒状感などは目立たない。そもそも、写真の全体を広くざっと眺めるのだから、粒状感なんてもともと問題にならない。一方、肌については、粒状感は目立つ。たとえば、美人の肌に粒状感があれば、肌荒れのように見えて、気になる。これは問題だ。
 とすれば、粒状感をなくすには、肌の粒状感だけをなくせばよい。そのためには、 薄い肌色のインク を使えばよい。ところが、キヤノンもエプソンも、そうしていない。エプソンは、7色プリンタでダークオレンジのインクを使うが、これでは、肌の陰部分で粒状感がなくなるだけだ。キヤノンは、8色プリンタで赤と緑のインクを使うが、これでは、非常に鮮やかな花のある自然風景や、すごくケバケバしい都会風景ぐらいしか、インクの利用例がない。(1年前のカタログによると、赤インクの利用はほとんどない。せっかく7色目のインクを用意しても、ほとんど使われないわけだ。無駄。無用。無意味。つまりは、馬鹿げている。)
 とにかく、両者とも、技術の向上ばかりに目を奪われて、本来の目的を見失っている。機械的な測定数字ばかりにとらわれて、人間の心理をまったく無視している。理系の偏向・偏見。ユーザー無視。……こういうのは、あらゆる機械メーカーに共通していることだ。もっと反省してもらいたいですね。
 繰り返す。大切なのは、最新技術を使って、技術の向上をすることではない。ユーザーの要望を満たすことだ。この基本を無視して、各メーカーは、自己満足に陥っている。「おれはなんてすごいんだろう」と自惚れているだけ。気持ち悪いナルシスト。

 [ 余談 ]
 オマケで言うと、キヤノンの新しいプリンタは、使い勝手がかえって悪くなっているように感じる。たとえば、紙を立てる場所で、紙を左右で押さえる壁がない。紙が左右にズレて、紙が斜めに傾いてしまいそうだ。また、廉価版のプリンタは、幅がやたらと大きくなってしまった。ヘッドは小さいのだから、内部に無駄な空間が生じて、無意味に場所を取っていることになる。また、トレイのプラスチックも、ガタついて安普請。……ついでに言えば、デザインはどんどん悪くなるばかり。特に、蓋を開けて使用中のときのデザインは、今回のは醜悪だ。さらに言えば、カタログにあるハセキョーの写真も、一年ごとに悪くなる。(プロモーションビデオ or CMでは良かったが。)
 エプソンのプリンタは、CMのモデル(あやや)も問題だが、やはり、インクコストが問題なんですよね。やたらとヘッドリフレッシュをするせいで、インクが無駄に流れるから、インクコストがすごく高い。雑誌のテストでは、いっぺんに何十枚も印刷して、コストを計算するが、現実離れした計算だ。現実には、一回だけONにするのではなくて、何十回もON・OFFを繰り返す。そのたびに、インクが無駄に流れるのだが、その分を考慮していない。おまけに、ヘッドは目詰まりしやすいようだし。本体もデカすぎるし。……個人用というより、デザイン事務所の業務用ですかね。
 HPのプリンタは最悪で、インクタンクにヘッドがくっついているから、ヘッドとインクで1回 8000円ぐらいする。げっ。これだったら、旧型のプリンタが一台買えてしまう。(先月、キヤノンの 455i は 8600円、320i は 7200円。市場で見かけたが、もう売り切れかも。)
 教訓。
 プリンタを買うなら、毎年、9月に投げ売り製品を買うのが正解です。10月の今では? ちょっと手遅れかも。……で、お勧め商品は? 私に聞くより、ご自分の財布に聞いてください。

 [ 付記 ]
 先の8色インクの話について、補充しておこう。(インクの補充じゃなくて、話の補充。  (^^); )
 キヤノンのプリンタでは、6色のほかに、7色、8色のプリンタがある。たとえば、「赤」という新色インクがある。従来ならば、「マゼンタ」と「イエロー」の合成で作成していた色を、「赤」という1色のインクで済むようになる。とすれば、当然、インクの使用量は激減しているはずだ。ところが、現実には、インクの使用量が、減るどころが増えている。(コスト計算やインク使用量のカタログデータからわかる。)
 なぜか? 「赤」という1色のインクがあっても、これをほとんど使っていないのだ。つまり、上記のように「2色のところを1色で済ませる」という、当り前のことをやっていない。相変わらず、従来のドライバー(駆動ソフト)を利用して、赤を「マゼンタ」と「イエロー」の合成で作成しているのだ。そのあと、特定の鮮やかな部分だけは、新色の赤で塗りたくる。
 せっかくの新色を使えないわけだ。宝の持ち腐れ。たとえば、キヤノンに百色の新色インクを与えたとしよう。まともな頭があれば、百色のインクを使って、すごくきれいな印刷ができるはずだ。しかしキヤノンは、そうしないだろう。あいもかわらず、もとの3色だけを使う。そして、ごく一部だけ、新色で補充する。百色の新色インクを与えても、まともに使えこなせないわけ。豚に真珠。猫に小判。
 キヤノンという会社を見ると、まったくの理系集団ですね。技術の開発ばかりを考えていて、それの使い方をろくに考えていない。技術者の押しつけになっていて、ユーザー側の評価が不足している。
 ただし、これは、キヤノンに限ったことではない。同じことは、日本企業すべてに当てはまる。だから本項は、キヤノンへの悪口というわけではなくて、日本企業すべてへの悪口 or 助言だ。キヤノンも、優秀なようでも、やはりこの束縛からは逃れられなかった、ということ。……さて。日本人がなかなかノーベル賞を取れないのも、このあたりに理由がありそうだ。

( ※ 蛇足だが、どうせハセキョーをモデルに使うなら、ハセキョーとキヤノン製プリンタの抱き合っている写真を、ネットで大量に公開した方がいい。あるいは、キヤノン製プリンタの購入者に、ハセキョーの画像でもプレゼントすればいい。それが目当てで買う客も多いだろう。たとえば、私だったら、買うかも。……プレゼントの仕方は、「もれなく」であることが必要。その方法は、カタログの特定ページの箇所の文句を「パスワード」にして、ネットで暗号写真を配布すればよい。方法は、サイトのログインのときに暗号を求められる、というタイプが好ましい。)
( ※ なお、ハセキョーの画像は、古いのなら、ネットでいっぱい公開されています。だけど、3年前のキヤノンのプリンタに出たころの画像がほしいですね。……あ、私もオタク化している。  (^^); )


● ニュースと感想  (10月14日b)

 タイトルを変更しました。
 副題の「小泉純一郎の改革を論じる」を、削除しました。
 「改革」なんて、有名無実なので。


● ニュースと感想  (10月15日)

 「ダイエー問題」について。Q&A

 Q ダイエー再建をめぐって、銀行は、どうして強硬な態度を取るのか?
 A 帳簿の数字の項目を変えるため。産業再生機構に渡すと、帳簿の数字が「不良債権」から「正常債権」に変わる。それがメリット。ただし、デメリットとして、債権放棄に4千億円出す必要がある。こちらは無視するわけ。……要するに、帳簿至上主義だ。実質的には赤字が出ても、帳簿の数字さえきれいならばOK、というわけ。粉飾決算と同じ発想。
 政府も、「帳簿の数字を変えても、実態は何も変わらない」という事実をあえて無視して、「不良債権処理が進んだから、銀行経営は改善する」と妄想するわけ。あるいは、その妄想を国民に押しつけて、政府の得点を上げようとする。

 Q ダイエー再建をめぐって、産業再生機構は、どうして強硬な態度を取るのか? どうして、何が何でも、自分でやりたがるのか?
 A 機構の仕事を増やすため。
 仕事を増やすと、人員とポストが増える。人員とポストが増えると、従来の人員は出世する。ゆえに、「仕事を増やす」のは、あらゆるお役所にとって、至上命題である。彼らがその仕事をすると国民がどうなるか、なんてことは、知ったこっちゃない。自分さえ良ければいいのだ。
 産業再生機構もまた同様。彼らは、ダイエー再建を目的にしているわけじゃない。自分たちの給料と肩書きのために生きている。そこのところ、勘違いしないようにしよう。
( ※ だけど、ホントは、産業再生機構の人々が勘違いしているんだが。「国費投入を減らすため」と称して、実際には、不要なはずの国費投入を実施する。 → 次項。)
( ※ ダイエー再建にともなって、莫大な国費投入があれば、産業再生機構の連中もまた、エサに群がってエサを食うことができる。ハイエナみたいなものだ。寄生虫ですかね。)

 Q 産業再生機構がやると、どうなる? 
 A カネボウを見るとわかる。バラバラにして、切り売りするだけ。「再生機構」というのは、「再生」するのではなくて、「解体」するだけなのだ。
 仮に、「再生」するのであれば、再生する能力をもつ組織が担当する必要がある。それは、再生機構ではなくて、民間の企業である。で、再生機構は、その能力がないから、単に解体して切り売りすることしかできない。
 で、解体される方(ダイエー)は、「解体されないで売られたい」と望むのだが、再生機構というのは、それを嫌がる。どうしても自分が「解体」という仕事をしたい。解体だけをやって、「素晴らしい業績を上げました」と称賛されたい。……その対立が、今回の騒動だ。
 ともあれ、カネボウの例では、再生機構は、再生能力のある花王による買収を拒否して、自分たちで解体作業をやった。そのせいで、カネボウは、どんどん非効率な状況に転化していった。( → 5月18日 ) かくて、誰もがみんな悲しんだが、再生機構と銀行だけは喜んだ。

 [ 付記 ]
 こういう「解体屋」である産業再生機構を支持するのが、古典派の竹中と、その同類である朝日だ。
 朝日は、「企業を解体すれば効率が良くなる」なんていう非論理を、13日・14日の社説で堂々と述べている。「非効率な部分を削除すれば、残りは効率的になる」という、排除の論理。
 呆れるね。それが成立するなら、日本の赤字企業のほとんどを倒産させれば、日本は全体的に効率が向上する、ということになる。不況解決ならぬ、不況悪化を望むわけ。「創造的破壊」という名の、狂気の暗黒政策。……ま、古典派の特徴だが。マクロ経済学音痴。( → 次項。)


● ニュースと感想  (10月15日b)

 「古典派とマクロ」について。(前項のダイエー問題の関連で。)
 古典派には、マクロ的な発想がない。── このことを理解するには、ダイエー再建の問題が、格好の例となる。
 古典派の発想は、こうだ。
 「市場原理で最適化する」という原理に基づいて、「優勝劣敗・劣者退場による質的向上」を主張する。「市場で生きる力のない企業を無理やり延命させれば、長い目で見て日本経済にマイナスになる」(朝日・社説・2004-10-14 )と考えて、「ダイエーは劣悪な企業だ。市場で生きる力はない」と結論する。あげく、「ダイエーを解体するべし。そして、食品部門だけを残して、他の部門を売却すれば、黒字部門が残り、赤字部門が消える。ゆえに、質的向上を果たす」と処方する。

 一応、もっともらしいが、これを適用すれば、不況期には、たいていの企業が倒産を迫られる。二年前なら、ソニー、東芝、NEC、富士通も、みんな赤字だった。(ソニーは今でも家電部門が健全化していない。)……とすれば、日本経済を代表するこれらの企業は、「みんな倒産させよ」となる。
 古典派の発想は、「腐ったリンゴを取り除け」というものである。しかしここでは、「対象となるのは、ただの企業ではなくて、生身の人間が従業員として含まれている」という点に留意しよう。リンゴなら腐ったリンゴを取り除けばいい。では、人間ならば? 劣悪な人間(病人・高齢者・失業者など)を、地上から排除すればいいか? なるほど、そうすれば、残ったのは優良な労働者だけになるだろう。そして、それをめざすのが、古典派だ。── ここでは「引き算」の発想がある。

 一方、「足し算」の発想をするのが、マクロ経済学だ。不況とはそもそも、GDPが縮小した状態だ。そのせいで、どの企業も赤字化してしまっている。企業が赤字化したからGDPが縮小したのではなく、GDPが縮小したから企業が赤字化している。つまり、量的な縮小があるから、質的な悪化がある。
 ここで、「質的に悪化したものを排除せよ」と結論すれば、ほとんどのものが無理やり排除させられてしまう。とんでもないことだ。ヒトラー並みだ。
 たとえて言おう。風邪がすごく流行して、風邪を引いた人が大量に生じたとする。ここでは、人々が風邪を引いたのは、人々が質的に劣悪になったからではなくて、単に状況がそういうふうになったからだ。(ウィルスがひろがったり空気が乾燥したり。)……とすれば、ここでは、「風邪を引いた人を皆殺しにしろ」というふうに「引き算」するべきではなくて、「風邪を治して健全にせよ」(健全な人間の数を量的に増やせ)というふうに「足し算」するべきだろう。

 結局、まとめて言えば、次のように言える。
  ・古典派経済学者 …… 風邪を引いた人を殺すべし、と結論する。
  ・ マクロ経済学者 …… 風邪を引いた人を治療すべし、と結論する。
 そして、ダイエー再建もまた、同様である。
 古典派経済学者の処方はこうだ。「風邪を引いたダイエーを(あるいは経営悪化した多くの企業すべてを)、さっさと殺してしまえ。そのために莫大な国費投入はやむを得ない」 → 結果的に、莫大なコストをかけて、日本経済を破壊する。
 マクロ経済学者の処方はこうだ。「責任は無為無策の政府にある。景気が回復すれば、ダイエーは自力で再建できる(あるいは民間で処理できる)。だから、ダイエーを生かすか殺すかではなく、日本経済を健全化せよ。ダイエーのためには、莫大な国費投入は必要ない」 → 結果的に、コストなしでダイエー問題は片付く。
(なお、日本経済を健全化する方法は? それは、何度も述べたとおり。 → 中和政策 。)

( ※ 本項で述べた古典派は、「不良債権処理」論者と呼ぶのが最も適しているが、「劣者退場」を唱えるのだから、古典派一般に通じる。ま、分類は、たいして意味がない。「馬鹿」と「阿呆」の分類みたいなものだ。)


● ニュースと感想  (10月16日)

 「経済学の教科書」について。
 「経済学の教科書として、どれが優れているか?」という質問を問いかけたがる読者もいるだろう。それに答えよう。以下の通り。
 本屋にある経済学の教科書は、すべて嘘八百である。たとえて言えば、「電子や光とは何か」を、古典力学の立場から解説する物理学の教科書と同じ。いかにも本当らしい論理で塗りたくっているが、しょせんは根源が狂っている。(群盲象を撫でる。)
 嘘でもいいから勉強したい、というのであれば、どの教科書を読んでも同じである。ただし、どうせ嘘を勉強したいのであれば、落語でも聞いていた方がよほどマシだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」というデタラメ論理は、どちらにも共通する。ただし、現実にはありえない荒唐無稽な空論をするという点では、経済学の方がずっと上だが。(落語の方がよほどリアルである。)
 では、嘘ではなくて、本当のことが知りたければ? それには、「既存の経済学が嘘ばっかり」ということを具体的に指摘した本を読めばよい。「嘘だ」としか書いていない批判(たとえば本項)は、ただの悪口であって、ほとんど役に立たないが、「どこがどう間違っているか」を具体的に論理的に指摘している解説は、非常に役立つ。
 では、その本は? つまり、嘘を指摘して、真実を記してある本は? それは、ただ一つだけあります。この本です。
  → 9月30日

 [ 付記 ]
 世間で評判が高いのは、スティグリッツとマンキューの「マクロ経済学」。彼らは、(典型的な古典派たる)サプライサイドでもマネタリストでもない。「神の見えざる手」を基本としながらも、「不完全な市場」という主義を唱える。
 この学派は、「ニュー・ケインジアン」(新ケインズ派)と呼ばれることもある。サプライサイドやマネタリストに比べると、比較的、罪は浅い。サプライサイドやマネタリストの失敗を指摘することもあるので、人気もある。
 だけど、しょせんは、目くそ鼻くそである。この学派がいつまでもずっとマイナーであることからもわかる。そもそも、この学派は、理論らしい理論がない。他派のアラ探しをする(好意的に解釈すれば「修正する」)のが生きがいであって、「経済とは何か」を説明する自己の学説というものはほとんどないのだ。
 この学派の主張は、ヌエ的であるが、本質的には、古典派と同様である。だから、古典派と同種の欠陥をもつ。どんな欠陥を? 一言で言えば、マクロ的な発想がない。で、マクロ的な発想がない人々が、マクロ経済学の教科書を書くと、上記の教科書のようになる。つまり、自己の説ではなくて、他人の説を解説する、という、客観的で公正な立場。(というのは、お世辞。本当は? 著者は、自分では本心ではマクロ経済学を信じていないのに、マクロ経済学の本を書く、というわけ。読者をだまして、金儲けするため。)
 では、この学派は、詳しくは、どこがどういうふうに駄目なのか? それを示したのが、上記の本。サプライサイドもマネタリストも、さらにはこの学派も、ついでにケインズも、すべての主義主張にひそむ欠陥を暴き出す。── 何のために? 悪口を言うために? 違う。ゴミの底にひそむ真実を掘り出すために。

 [ 余談 ]
 なお、以上は、「経済の真実とは何か?」を知りたい人向けの話。
 一方、「既存の学問を知りたい」(権威さえあれば嘘であってもいい)という人向けには、別の本もあります。既存の経済学の本なら、どれもこれも嘘だらけだから、どれでもいいが、とはいえ、どうせ嘘を読むなら、立派な嘘の方がいい。一番立派な嘘は、次の本です。
 「アリストテレス著作集」(講義録)
 今日では時代遅れになった、ホント半分でウソ半分の科学観(非科学観?)が、たっぷりと書いてあります。
 なお、天動説について言うと、これは、
 「プトレマイオス著作集」(の アルマゲスト)
 にあります。これもまた、壮大な嘘として、お勧めです。これに比べると、経済学者の嘘は、しみったれている。宇宙全体についての「天動説」に比べれば、市場の商いの「神の見えざる手」なんて、嘘は嘘でも、大阪商人の嘘みたいで、小さすぎる。

 [ 参考 ]
 古典派の問題点については、前項で簡単に言及した。 ( → 前項


● ニュースと感想  (10月16日b)

 「ノーベル経済学賞」について。
 2004年のノーベル経済学賞が決まった。古典派およびマネタリズムの学説が対象。
 ここで主張されていることは、演繹的には正しい。問題は、演繹の前の前提だ。それが正しいかどうかが問題となる。前提が正しくなければ、砂上の楼閣となる。
 これを細かく指摘するのは、とても面倒だ。詳しくは、近著の本に書くので、そちらを参照。
   → 前項 (経済学の教科書)


● ニュースと感想  (10月17日)

 「スーパー各社」について。
 ダイエーの8月期中間決算が出たが、同時に、スーパー各社の8月期中間決算が出た。
 単体の営業利益率は、次の通り。(良い順)
   ヨーカドー 1.0%
   西友    0.9%
   ダイエー  0.8%
   イオン   0.2%
 要するに、どれもこれもほとんど同じ悪さであって、「目くそ鼻くそ」である。とすれば、ダイエー再建についての結論は、こうだ。
 ダイエーを「質的に劣悪化していて、自力再建が不可能であるから、産業再生機構によって解体する必要がある」というのであれば、当然、ヨーカドー、西友、イオンもまた、「質的に劣悪化していて、自力再建が不可能であるから、産業再生機構によって解体する必要がある」ということになる。
 私がそう言うと、「ダイエーは赤字が溜まっているが、各社は赤字が溜まっていない。事情が違う」という反論もあるだろう。しかし、ここでは、現状がどうであるか(赤字であるか否か)が問題となっているのではない。今後どうするべきかが問題となっているのだ。
 現状だけを見ると、倫理的に見て、「赤字を溜めたのは悪い企業だから、悪い奴は懲らしめてやれ。だから解体してやれ」なんて思うかもしれない。しかし、そういうふうに倫理的に「罰」を与えるのが、経済の場の課題ではない。経済の場では、「金を得るかどうか」「儲かるかどうか」だけが、課題となる。
 どうすれば今後、経済的に最善となるか? 「自力再建よりも産業再建機構の方が、金儲けが上手に行く」というのであれば、ヨーカドー、西友、イオンもまた、産業再建機構が処理するべきだ。ついでに言えば、郵政事業を民営化したら、その郵政事業も産業再建機構が担当するべきだ。さらには、日本中の赤字企業はすべて、産業再建機構が担当するべきだ。「すべては国が事業をやるのが最適だ」という社会主義。……メチャクチャな意見に思えるが、このメチャクチャを主張してるのは、私ではない。そのことが、上記のデータからわかる。

 [ 付記 ]
 「借金が巨額なのが問題だ。これは悪いぞ」という意見もある。
 しかし、そもそも、マネタリストは「景気回復のために、企業は巨額の借金をしろ。そうすれば、日本は景気が回復する」と主張してきたのだ。そして、その政策は、現在も継続されている。日銀は量的緩和を百兆円ぐらいの規模でやっている。
 一方では「企業は金を借りろ」と主張して、百兆円もジャブジャブ垂れ流して、他方では「企業は金を借りてはいけない。返済できなくなるから、金をたくさん借りた企業は産業再生機構で処理せよ」と主張するのでは、自己矛盾だ。自己矛盾でないとしたら、最初から日本経済を破壊しようとしていることになる。
( ※ ま、朝日は、その方向ですけどね。朝日は小林慶一郎のもとで、日本経済破壊作戦を主張している。「借金を増やせ」と「借金を増やした企業を解体せよ」という主張を、同時に主張している。ま、朝日だけじゃなくて、竹中もそうですけどね。これらの古典派の連中は、北朝鮮のテポドンより、はるかに破壊力がある。)

 [ 余談 ]
 産業再生機構の案では、ダイエーをヨーカドーやイオンに売却する可能性もあるという。で、上記のデータを見て、ヨーカドーやイオンも同じように劣悪なわけだから、これらも産業再生機構で処理するんですかね? 
  ・ ダイエー → ヨーカドー・イオンに、売却
  ・ ヨーカドー・イオン → ダイエーに、売却
 てな具合に? それとも、日本の小売業をみんな、外国に売り払うんでしょうか? どうせそんな巨額の売り物の買い手はろくにいないから、二束三文で? バナナのたたき売りみたいに? ……まさしく、日本経済解体。ダイエーを解体するだけじゃなくて、日本経済をすべて解体するわけだ。産業解体機構。国家解体機構。


● ニュースと感想  (10月18日)

 「景気診断」について。
 巷には「景気は回復途上にある」という意見が多い。というのは、企業業績が回復しているから。たしかに、それはそうだ。だから、「経済とは企業活動のことだ」と思うのであれば、「景気は回復しつつある」と判断されるだろう。
 一方、まともなマクロ経済学者ならば、「経済とは人間の活動のことだ」と思うのであれば、まだまだ失業率が高いままだということに気づく。当然、GDPの拡大が必要となる。では、GDPの拡大は実現しつつあるか? 

 データをいくつか。
 9月のマネーサプライの伸び率は、2.1%だ。(各紙・朝刊・経済面 2004-10-14 ,goo news )……これは、この1〜2年のうちでは、比較的高い値だが、絶対的には、非常に低い値である。低迷している。「健康」ではなくて、「病気の程度が浅くなった」だけだ。(しかも、猛暑その他の一時的な要因で増えただけらしい。)
 同じところの記事では、9月の銀行の貸出残高は、前年同月比で 3.1%減だ。つまり、投資は増えていない。
 商業関係では、百貨店販売額は、8月が前年同月比で 4.7%減で、6カ月連続の減少。スーパー販売額は、8月が前年同月比で 5.8%減で、10カ月連続の減少。
 ダイエーの9月の既存店売上高は、前年同月比で 2〜3%の減少。8月の 7%減からは若干持ち直したが、これは、「福岡ダイエーホークス」のプレーオフ進出記念セールのおかげ。9月の他社の細かいデータはまだ出ていない。(業界全体の数値は 10月末に判明。)
 上半期の倒産件数は、前年同月比 18%減。(各紙・朝刊・経済面 2004-10-16 ,goo news )……これは、ここ10年では、最善の値。ただし、喜ぶのは、早計だ。これが意味するのは、「改善していること」ではなくて、「悪化の度合いがかなり減った」というだけのことだ。たとえて言えば、赤字が黒字になったのではなくて、赤字の額が減っただけのことだ。それも、減ったとはいえ、82%は依然として残っている。まだまだ悪化の途上であるようだ。(倒産件数がゼロになることはありえないから、悪化は収束しつつあるのかもしれないが、だとしても、「好況」という経済拡大とはほど遠い。)

 結語。
 現状は、やはり、「縮小均衡」に近い。「質的には改善しつつある(悪化が止まった)が、量的には縮小したままで拡大しない」というわけだ。
 ただし、竹中大臣だけは、「景気は回復しつつある」と喜んでいる。「いくら微弱であろうと、景気はプラスの値を取っている。喜ばしいことだ。大成功」と。……なるほど、彼の主張によれば、将来的には、失業問題はすべて解決するだろう。そのための期間は、あと30年ぐらいだろうか。「長期的には、不況のすべては解決する」という発想。
 しかし、「長期的には、われわれはみんな死んでいる」とケインズは言った。


● ニュースと感想  (10月18日b)

 「アルバイト増加」について。
 人件費を減らすために、正社員を減らして、アルバイトを増やす、という動きが広がっている。しかしこれは、従業員の質的な劣化をもたらす。当然、業務も劣化する。
 実例。クロネコヤマトのアルバイト社員が、配達すべきものを面倒くさがって放置していた、という事件が発覚した。(各紙・朝刊・社会面 2004-10-17 )
 ま、郵便配達なら、こういうのは、たまにある。特に、年賀状の配達では、アルバイトがやるから、結構ある。で、クロネコヤマトも、アルバイトのせいで、こういうふうに質的劣化を起こしたわけ。

 で、どうしてこうなった? 古典派(系)の経済学者が、「賃金の下方硬直性が失業の原因だ。失業率が高いのなら、賃金を下げよ。そうすれば、需給が均衡して、失業が解決する」なんてことを言って、人件費の切りつめを推進したからだ。で、日本経済はますます質的劣化を起こす。
 「中国の低賃金に応じて、日本でも賃金を下げよ」という処方は、「中国の労働者の質的劣化に応じて、日本でも労働者の質的劣化が起こる」という結果になる。やたらと中国の真似ばかりしたがるから、企業もどんどん駄目になっていく、ということ。
( ※ 同趣旨のことは、「円安」批判や「賃下げ」批判の、以前の各項目でも述べた。)


● ニュースと感想  (10月19日)

 「パリーグのプレーオフ」について。
 プロ野球のパリーグのプレーオフについては、「3位争いが白熱したから、成功だった」という評価が出たことがあった。しかし、今になって顧みると、プレーオフは大失敗だった、と言えそうだ。というのは、2位だった西武が勝ってしまったからだ。
 1位のダイエーは、2位の西武に大差を付けて、シーズン優勝した。せっかく 140試合かけて戦って1位だったのに、それはまったく無意味だった。プレーオフで西武に負けたということだけで、すべてが決着してしまった。
 では、プレーオフでは、どういうふうになったか? ダイエーがきちんと負けたか? いや、4戦までは、2勝2敗だった。5戦目も、9イニング目までは同点。だったら、この時点で、「引き分け」として、「同率によりダイエーの優勝」と決めるべきだったろう。
 ところが、5戦目で延長戦に入った。そして、たまたま先に西武に点が入ったので、西武の勝ちと決まった。かくて、たったの1イニングの優劣だけで、プレーオフの勝敗が決まってしまった。
 つまり、140試合もかけて戦ったことはすべて無効・無意味であった。たった1イニングの優劣が、すべてを決した。かくて、西武の勝利が決まった。
 で、根源的な理由は? ダイエーの主砲である三冠王・松中が、大不振だったこと。急性肝炎だって。試合には出たが、その後は緊急入院。……要するに、パリーグの優勝を決めたのは、チームの優劣ではなくて、ほんの一時期の病気だったのである。

 馬鹿らしいこと、この上ない。これだったら、もう、来年の 140試合は、観戦する価値がない。来年も、(極端に言えば)最後の1イニングだけを見ればいいのであって、他の 140試合は無意味なのだ。他の 140試合では、選手だって、本腰を入れてプレーするはずがない。本気でやるのは、最後の1イニングだけなのだ。あとのすべては、消化試合みたいなものだ。ゴミ試合。
 来年は、1位と2位の戦いがあっても、白熱した戦いがあるとは思わない方がいい。2位にとって1位に勝つことは、何の意味もないのだ。茶番でやっているにすぎない。弱点をさらさずに、いい加減にゲームをやって、最後の最後でだけ勝てばいい。それまでは死んだふりをしていればいい。つまり、くそゲームをやっていればいい。
 来年はもう、パリーグを観戦するのは、やめましょうね。見ても、馬鹿馬鹿しいだけだ。見てもいいのは、プレーオフ(の最終戦)だけ。シーズン中の 140試合はただの茶番だ。……これは、私の悪口ではない。パリーグが自分で勝手に決めたことだ。

 [ 付記 ]
 プレーオフは成功したか? プレーオフだけを見れば、「成功した」と判断できる。しかし、その裏で、140試合の方は無意味化されてしまった。こちらで得して、あちらで損。だけど、こちらだけを見て、あちらを見なければ、「大成功」。
 これは経済でも同じ。古典派の発想。「他の数値が一定だと仮定すると……」という前提のもとで、「あれもこれも有効」と判断する。その一例が、不良債権処理。また、増税もそうだ。
 「増税してもGDPが変動しないと仮定すると、増税は財政を好転させる」と主張する。この命題自体は、間違っていない。間違っているのは、前提となる仮定の方だ。だけど、古典派は、そのことに気づかないで、「自分は正しい」と威張る。
 茶番ですね。プレーオフと同じ。(ついでだが、今年度のノーベル経済賞も、これと同じことを、大規模にやっただけだ。空論。砂上の楼閣。よく似たものに、「合理的期待形成仮説」がある。 → 4月09日 以降。)


● ニュースと感想  (10月19日b)

 「ダイエーとソフトバンク」について。
 ダイエーの解体にともなって、ホークスをソフトバンクが買収したがっているという。(朝日・朝刊・1面 2004-10-18 )
 これは、別に、問題ないと思う。「ソフトバンクが買収すればいい」という意味ではなくて、「ソフトバンクが買収することは原則的に不可能だ」という意味である。
 なぜ? 球界はライブドアの参入の声を聞いたとき、「品位」を求めて、「適格性」を要求した。となれば、当然、ソフトバンクはあっさり失格するはずだ。この会社は、Yahoo BB! の強引な勧誘商法で、大問題を起こしたからだ。たとえば、何も知らない老人に、強引に「無料です」とモデムを渡して、その後、毎月の料金をふんだくる。悪徳商法。当然、参入資格の審査で、あっさり「失格」となるはずだ。
( ※ ただし、審査委員会というのは、全然信用できないから、「合格」となるかもしれない。が、それならそれで、球界のデタラメさがはっきりする。「品位よりは金が大事」という、球界の品位がね。)

 [ 付記 ]
 上記の悪徳商法だが、これは、次項のNTTと似ている。モデムを渡しても、そのあとで毎月の料金を取るのなら、モデムは無料ではなくて、単に毎月料金に上乗せされているだけのことだ。(本当に無料なら、非加入者にも無料で配布するべきだが、そうなっていない。)
 NTTの「加入権廃止」というのも、加入権の料金をゼロにするわけではなくて、単に毎月料金に上乗せするだけだ。逆に言えば、加入権を払った人は、その分、毎月の料金が安くなる。頭金と同じ。
 で、「頭金を頂戴するので、あとの料金は安くします」と言って頭金を徴収したあとで、「やっぱり、や〜めた」と勝手に契約を変更して、「毎月の料金を、高くします」というのが、NTTの方針。
 これは、悪徳商法ではなくて、正真正銘の犯罪である。「契約不履行による泥棒」だ。で、これを支援するのが、政府とつるんでいる朝日新聞だ。

( Yahoo BB! の悪徳商法については、がんばれゲイツ君 のサイトで何度か取り上げられた。該当ページはたくさんあるので、いちいちリンクしない。訪問するには、「Yahoo BB ゲイツ君番外編」という語句で検索するといい。もうちょっと範囲を広げるには「ahoo BB」という語も使うといい。)


● ニュースと感想  (10月19日c)

 「NTTの電話加入権廃止」について。
 この件は、先にも述べた。( → 10月06日b
 ただ、朝日の社説も言及している。(17日・朝刊)
 NTTの方針の問題点を上げているが、その一方で、基本方針を支持している。「加入権は廃止するのが当然だ」「加入権なしに一本化するべきだ」と。
 何でまた、そんなメチャクチャな論理を出すのか? 経済的(経営的)には、論理が成立しない。「頭金を払う」というのは、今でも多くの販売でなされている。たとえば、自動車なら、「頭金を百万円払うと、残額は半額になるので、残りの返済額は毎月半減します」というふうになる。ところが、NTTの主張だと、「頭金を払ってもらったあとで、頭金制度を廃止します。ゆえに、残額は、半額になりません」というのと同じだ。
 加入権というのは、頭金なのだから、この制度を残すかどうかは、勝手であるはずだ。選択肢を用意した上で、ユーザが選択すればよい。つまり、頭金ありだろうと、頭金なしであろうと、ユーザが好きな方を選べばよい。ただし、ユーザが「頭金あり」(支払い済み)を選択したあとで、会社が勝手に「頭金なし」(支払いなし)に変更することは、詐欺と同じである。頭金泥棒。
 朝日は、詐欺師を正当化し、詐欺師の片棒をもっている。

 [ 付記 ]
 朝日はどうして、こういうふうにメチャクチャなのか? それは、「規制緩和で経済は最適化する」と信じているからだ。自社がマスコミであり、政府による規制を嫌う。「規制は大反対」と思う。ま、言論については、たしかにその通りだ。ところが発想を大飛躍させて、「経済も規制緩和で最適化する」と信じ込む。で、「無為無策こそベストだ」と主張するに至る。……経済的アナーキズムだ。これはもちろん、経済学音痴の発想。経済学に無知な素人が、直感だけで経済を論じると、こういうふうにアナーキズムを主張して、国家経済を破壊するハメになる。
 げに無知ほど恐ろしきものはなかりけり。
( → 10月22日c に続編あり。)


● ニュースと感想  (10月20日)

 「マスコミと反省」について。
 朝日の社説はなかなかためになる。(皮肉ですけどね。他山の石という意味。)
 たとえば、17日の社説を見よう。「誤りを正す勇気に学ぶ」という仰々しいタイトルで、いかにも立派そうなことを述べている。「アメリカの新聞は、イラク問題で間違ったのを、しっかり反省した。立派だ。自己の誤りを認めるという強さを、われわれも学びたい」と書く。
 で、ついでに、「読売や小泉はイラク問題でちっとも反省しない」と書いて、イヤミを利かせる。で、書いていない部分では、「イラク問題で自社は正しかったぞ」と威張っているわけだ。(見え見え。)

 そこで、朝日に忠告しておこう。偉そうなことを書くが、マスコミに大切なのは、反省なんかじゃない。自分でちゃんと反省するほど利口であるとしら、最初に書く時点で反省するから、もともと間違ったりしないはずだ。間違うということ自体が、反省能力が欠落していることを意味する。
 では、どうするべきか? どうせ自分では反省しにくいのだ。とすれば、自分ではなくて他人の批判に耳を傾けるべきだ。それこそがマスコミにとって大切だ。そして、批判を聞いた上で、反省すればよい。
 だから、「批判を聞いたら、ちゃんと反省しよう」という趣旨であれば、社説は正しいことになる。しかし、「批判を聞いたら、ちゃんと反省しよう」ということは、子供じゃないんだから、いちいち言い聞かせるまでもあるまい。当り前だ。
 大切なのは、批判を聞くことだ。目を開くだけでなく、耳を開くことだ。たとえば、「小泉の波立ち」という、うるさい批判に耳を傾けることだ。耳に痛い言葉だらけだから、耳を傾けたがらないでしょうけどね。……で、それが、朝日には一番欠けていることだ。

 西洋の諺。
 「人は、一つの口と、二つの耳をもつ。その意味は、語るよりも聞くべし、ということだ」

 [ 付記 ]
 新聞週間の特集記事がある。「読者の声を聞く」という趣旨で、朝日の社説を論じてもらう。(朝日・朝刊・特集 2004-10-19 )
 これを見ると、朝日への「おべっか」ばかりだ。おもねっている識者の意見ばかり掲載して、馴れ合っている。朝日は自分では、「政府批判しているぞ。おべっかばかり言う読売とは違うぞ」と威張っているが、紙面では逆だ。おべっかばかり言う識者の声を掲載するが、朝日批判を掲載しない。
 別のおべっかもある。声欄を見ると、やはりおべっかがある。丸谷才一が「朝日の投書欄は駄目だ。外国ならば、一国の問題を論じる意見が多いのに、日本の新聞(というのは日本流にぼかしているんであって正確には朝日)は、そうではない。読者の身近な感想文ばかりが掲載される」と批判したら、それへの再批判が掲載された。「身近な話も大事だ。読者は癒しを求めている」と。
 まったく非論理的なおべっかだ。「癒し」が大事なら、「癒し」の記事を掲載すればよい。たとえば、読売なら、読者の「癒しタイム」みたいな投稿欄がある。こういう投稿欄で、記事を作ればよい。こういうのは、週にいっぺんぐらいだが、毎日少しずつ掲載してもいい。また、「癒し」を狙った記事・紙面をもっとつくってもいい。(それに引きかえ、下らないエッセーや小説で長々と紙面を埋めるのは、やめてもらいたいですね。エッセーなんかを読むためなら、新聞なんかいらない。)
 とにかく、記事面ではまともに「癒し」の記事がないから、仕方なく読者は投書面に「癒し」記事を求める。本末転倒だ。でもって、投書面には、非論理的な感情的な感想文ばかりが掲載されて、まともな朝日批判は掲載されない。だいたい、朝日批判の投書や記事なんて、ほとんど掲載されたためしがない。
 ですから、朝日に最も必要な記事(つまり朝日批判)を読みたければ、朝日新聞ではなく、「小泉の波立ち」をお読み下さい。朝日と違って、無料です。……なお、これを読まないと、朝日の読者としては、情報入手が完結しません。半面的な情報を得るだけです。(たとえば、デタラメだらけの経済記事。)

 [ 関連 ]
 ついでに、朝日以外に、矛先を向けておこう。(とんだとばっちり?)
 イラク問題での反省といえば、野党が問題だ。特に、民主党(の親米派)だ。イラク戦争開始のころ、足並みがかなりふらついていた党内親米派がいっぱいいた。彼ら親米派は、民主党の方針をぐらつかせた。「大量破壊兵器あり」という政府をまともに批判できなかった。
 彼らは親米路線を取るあまり、事実に目をふさぎ、自らの手足を縛ってしまった。一番反省するべきは、彼らだ。
 なぜ? 小泉や読売なんかの右翼は、もともと、反省なんかするはずがないからだ。小泉や読売なんか、百年たっても、(米国国民のためでなく)米国政府のために、犬のごとくシッポを振り続けているに決まっている。彼らに反省能力なんて、あるはずがない。
 つまりね。猿は反省するが、犬は反省しない。


● ニュースと感想  (10月20日b)

 「海外での隠居生活」について。
 「年金受給者は海外で隠居生活を楽しむといい。円高だから、途上国でなら低コストで生活できる」という趣旨の話を、前に何度か述べたことがある。そのときは、「シルバーコロンビア」という用語を使った。ただし、今では別の用語で説明されるようだ。
 「ロングステイ財団」というものがあり、この財団が、同趣旨のことをやっているという。海外での隠居生活での知恵(保険加入の必要性など)を教えてくれる。……読売新聞(朝刊 2004-10-17 )に解説記事があった。ただし、ネット上でも、この用語でいろいろと情報を検索できる。
 また、この財団のホームページもある。 → 該当サイト

 私も汗水垂らして働かないで、さっさと引退したいです。マイクロソフトの創業者たちの一部は、40代で早くも引退生活に入ったそうだ。つまり、「働いて、金持ちになったら、そのあとはゆったりと引退生活を楽しむ」というのが、欧米流の優雅な生活。
 ま、失業すれば、同じことですが。  (^^);

 [ 付記 ]
 私としては、提案することがある。それは、このような海外隠居生活を支援するために、出島や香港のような租界を海外に設定することだ。相手国との協議の上で、受け入れてくれた国を対象に、租界地を設定する。
 日本にとってのメリット ……
  ・ パスポートなしで気軽に行ける。便利。
  ・ 各種の制度(年金・健保)を日本と同じにできる。安心。
 外国にとってのメリット ……
  ・ 莫大な地代を受け取れる。
  ・ 大量の雇用の場を得る。失業解決。
  ・ 遠い地まで出掛けないで赴任できる。
 このようなメリットがある。なお、これとは逆に、デメリットのある案もある。それは、「外国人単純労働者の雇用」である。たとえば、フィリピン人のメイドを、毎年数万人ほど、単純労働者として雇用する、というもの。で、どうなる? 雇用された人は、日本人と同じぐらいの高額の所得を得る。本国に戻ってからは、御殿を建設して、大富豪として暮らす。その一方で、大多数の人は、貧困状態のままだ。ひどい不公平。不法入国をした少数の犯罪者は富豪となり、まじめな人々は貧困状態。……現在、中国人からの多くの単純労働者は、こういうふうになっている。
 そして、それを合法化しようとしているのが、政府や朝日新聞だ。「犯罪も、人数を限定して合法化すれば、犯罪ではなくなる」という発想。で、こうすると、合法化された犯罪者(?)が得をする一方で、日本人の失業者はどんどん増えるから、失業者には失業の給付金を与える必要がある。
 これだったら、日本人の失業者を働かせて、外国人労働者を遊ばせて、外国人労働者に失業保険を給付しても、同じことである。無駄の極み。ま、どっちにしても、外国人労働者が増えた分、遊ぶ人(失業する人)が増えるので、その分、大半の国民は増税される。差し引きすれば、そうなる。これが本質。
 ただし、物事の表面しか見ない人々は、こう考える。「単純労働者は自分の力で働いているから、日本人が金を奪われたことにはならない」と。……経済音痴というのは、こういうものです。どんなに増税されても、自分の財布に泥棒の手を突っ込まれない限り、金を奪われたことに気づかない。
 で、だから、朝日の記者などは、「単純労働者を増やせ」とキャンペーンを張っている。本気でそう思うのであれば、インドと中国の二十億人を日本に招いて、日本を彼らで埋めつくせばいいのだ。その気もないくせに、口先だけで、きれいごとを言っている。一方、私の案はそれとは正反対で、「日本人が世界中の途上国に出向いて金をじゃぶじゃぶ使え」と言っている。日本にとっても途上国にとっても、その方がありがたい。


● ニュースと感想  (10月21日)

 「詐欺商法」について。
 朝三暮四というのは、猿に特有の愚かさを示したものではなくて、人間の愚かさをたとえたものだ。で、この愚かさを利用して、詐欺商法がまかり通る。

 例1。
 写真屋のDPE。「1枚あたり1円」とか「無料」とか示して、あたかも無料で写真をプリントしてくれるように宣伝しているが、本当は、別途、高額の固定料金(頭金のようなもの)を取られる。24枚プリントすることにして計算すれば、結局は、1枚あたり 35円か 20円払う場合と、差はない。しかし「無料だ」と喜ぶ愚者も、少しはいる。(ま、たいていの人は、だまされませんけどね。)

 例2。
 NTTの加入権。加入権を廃止して、その分、毎月の月額料金を値上げする。差し引きすれば、ほぼトントンだ。しかるに、「加入権を廃止すると、その分、利用者は払う金が少なくなる。すばらしい。だから加入権を廃止しよう」と唱える連中が多い。総務省や朝日新聞(朝刊 2004-10-20 )など。……ま、朝三暮四の猿並みですね。
 で、私がそこにある嘘を指摘する。NTTがやろうとしているのは、こういうことだ。
 「加入権の分を頭金と支払ってください。その分、あとの月額料金を安くします」
 といったん契約したあとで、それを勝手に変更する。
 「やっぱ、や〜めた。加入権を廃止します。あとの月額料金を安くするという契約もやめて、これからは料金を上げます。チャラにします。だけど、いったんいただいた加入権の料金だけは、チャラにしません。加入権の分の金額は、没収します。つまり、契約解除しても、いただいたものだけについては、契約解除しません。その分は、もらっちゃいます。」
 こうやって、泥棒するわけだ。自分が損する分はチャラにするが、自分が得する分はチャラにしない。自分勝手な契約変更だ。差し引きして、国民の金を大幅に奪えるから、ものすごい得だ。逆に言えば、国民は大損だ。
 で、そのことに気づかないまま、「加入権が廃止されたから金を取られないぞ」と喜んでいるのが、猿たちだ。

 [ 付記 ]
 NTTの加入権が廃止されると、DPEでも真似する連中が出てくるかもしれない。
 「現像料として、千円を払ってください。そうすれば、あとの24枚は、無料です」と言って、最初に千円を頂戴する。その後、プリントを渡すときに、前言をひるがえす。「現像料は、廃止しました。現像料は無料となり、焼き増し料が一枚あたり50円になりました。料金改定にともない、さらに24枚分の焼き増し料を支払ってください」
 こうやって、料金の二重取りをやる。NTTの真似だね。
( → 10月19日c 加入権についての同趣旨 )


● ニュースと感想  (10月21日b)

 「プリンタ」について。
 プリンタについては先日(10月14日)、インクの話をした。ついでに、「どれがいいか」なんて話もした。
 さて。ここで、お勧めの品を掲げます。写真印刷のために、最も美しくて耐久性があって低価格の品があります。それは、DPEです。
 キヤノンもエプソンもHPも、たいていはインクコストばかり計算していて、本体価格を計算していない。ホントは本体がすごく高額なんだが、ランニングコストだけ計算して、トータルで低価格であるように誤解させる。
 また、ランニングコストも、誤解が多い。このランニングコストというのは、インクを全部使い切った時点で計算する。インクを使い切っていない時点で計算すれば、本当はすごく高くなる。たとえば、インクを予備用として5千円分買っておいて、それが残ったまま買い換えたりすれば、その分、コストは上がる。未開封品が残らなくても、プリンタ内で開封品が半分残っていれば、その分、コストは上がる。……メーカーや雑誌の計算だと、1枚35円なんていうコスト計算があるが、実際には50円ぐらいになるはずだ。
 要するに、普通のインクコスト計算は、一種の詐欺的な商法である。

 [ 付記1 ]
 写真をDPEでなく、プリンタで印刷するなら、B5以上の大判で印刷しなくては、ほとんど意味がない。そしてまた、B5以上の大判で印刷するのなら、どのプリンタだって、大差はない。離れて見れば、粒状感なんて関係ない。
 ついでに言えば、写真なんてものがそもそも、あまり質感を気にしなくていい。プロならともかく、普通の人なら、せいぜいスナップ写真しか撮らない。それだったら、画面で見ていればいいのであって、印刷しなくてもいい。たまに印刷するなら、サービスサイズの高品質DPEでも、低品質低価格プリンタの大判印刷でも、どっちだっていい。
 なお、たいていの人が気にするのは年賀状だが、年賀状の画像の品質なんか、送る方が気にするだけで、受け取った方は気にしません。それより、「あけましておめでとう」ぐらいしかないような、ヘボな文章ばかりなのを、何とか直してほしいですね。

 [ 付記2 ]
 キヤノンの4色か5色のインクのプリンタだと、コストは下がるが、その分、品質は劣る。だったら、今所有している昔のプリンタを使ったって、たいして品質は劣らない、という人も多いだろう。
 私がしいてお勧めするとしたら、モノクロ専用のプリンタです。でもまあ、入手は困難だし、あれこれ面倒だから、素人向けじゃないみたいですね。
( ※ 普通のカラー・プリンタは、利用者がモノクロしか印刷しなくても、カラー・インクがどんどん減っていく。)

 [ 付記3 ]
 ついでに言うと、キヤノンのプリンタは、ヘッドが少しおかしくなると、プリンタが動かなくなる。カラー・ヘッドの一つが駄目になるとと、モノクロも印刷できなくなる。(プリンタの起動時にヘッドをチェックするため。)
 以前のキヤノンのプリンタだと、ヘッドがおかしくなると、かすれて印刷されたのだが、現在のキヤノンのプリンタだと、まったく動かなくなる。で、ヘッドの交換が必要となるが、メーカーに交換を頼むと、新品よりも高くなる。
 でもまあ、なんとか、ヘッドの入手方法がないわけでもない。ヘッドの型番をじっと見つめて、「 QY6-0034 」のような番号を書き留めてから、その番号をキーワードにしてネット検索すれば、販売店が見つかる。(キーワードには「税」という言葉を入れて、「 QY6-0034 税 」のようにすると、値段つきで売っている販売店だけが見つかる。) たとえば、下記。
  → amazon 販売 (手数料 198円) ,マム倶楽部 (手数料 315円・送料あり)
 ただし、手数料なども考えると、旧型の新品を買った方が得かもしれない。旧型の新品の廉価版プリンタなら、さして違わない価格で、インクと本体のセットで買える。ヘッドだけ買うのは、あまりお得ではない。(とはいえ、ヘッドだけ壊れたプリンタを全部廃棄すると、処分料として 3000円ぐらい取られる。また、廉価版でなく高級品だと、ヘッド交換の方がずっと安く済む。)

 [ 付記4 ]
 プリンタ情報を知るには、価格コムの、各製品ごとの掲示板を見るとよい。

 [ 付記5 ]
 インクコストの節約法(けちり方)。
 普通は、詰め替えインクを使う。ただし、モノクロは、顔料タイプと染料タイプがあり、社・製品によって異なるので、注意。また、インク詰まりを起こしやすいので、夏期にはあまり使わない方がよい。ときどき純正品も使った方がよい。純正インクには、目詰まり防止成分も入っている。
 純正品を使いながら、インクコストを下げる方法もある。それは、「薄く印刷すること」だ。昔のプリンタと違って、今のプリンタは、ドットが細かくなっているので、薄くしても、薄いなりに、ちゃんと見える。たとえば、文字を黒でなく灰色にする。あるいは、プリンタの色調整のところで、マニュアル設定で個別指定して、黒の濃度を指定する。「高速印刷」の設定が必要なこともある。
 ついでに言うと、「プリンタを使わないで画面だけで編集する」というのが、最大の節約法だが、これは、絶対にお勧めしません。これをやると、インクを節約できるが、思考と時間を多大に浪費するハメになる。特に、まともな原稿を書くときは。
 一方、くだらない原稿を書くときは、印刷不要。推敲不要。……たとえば、私のページがそうだ。(だから誤字・誤変換・誤入力だらけ。  (^^); )


● ニュースと感想  (10月22日)

 前項の補足。
 写真印刷で何か気にするなら、プリンタの粒状感とかカラーなんて、どうでもいい。そんなのは、あとでどうにでもなる。肝心なのは、写真そのものの出来映えだ。
 つまりね。機械の品質なんかよりは、自分の写真の腕の方が重要です。美的センスやシャッターチャンスなど。特に、手ぶれなんかするようでは、全然駄目だ。500万画素だろうが 600万画素だろうが、手ぶれをすれば、100万画素以下の解像度になる。画素数が無意味化する。画素数を重視するなら、三脚を使う必要がある。(手ぶれ自動補正機構があればともかく。)
 ついでに言えば、もっと重要なのは、被写体だ。平凡な風景や不細工な人物を撮るより、まずは、素敵な美人とお友達になる方が先決だ。で、素敵な美人とお友達になれば、写真なんかよりも、もっと重要なことがある。それは、美人と……むにゃむにゃ。

 [ 補記 ]
 前項の最後の、「インクコストのけちり方」は、少し書き直した。


● ニュースと感想  (10月22日b)

 「KNOPPIX」について。
 KNOPPIX という名前の Linux について、先に紹介したことがあった。( → バックアップの話
 これの CD-ROM が今月号のPC雑誌の付録にあり、入手しやすくなっている。ただし、この手の雑誌は、すぐに売り切れやすい。

 [ 付記 ]
 KNOPPIX の簡単な説明は → がんばれゲイツ君
 Windows が壊れたときの緊急起動用にも役立つという。CD-ROM 起動なので、HDの内容を消去することはない。この点、Windows の CD-ROM による初期化とは異なる。ただし、HD内でスワップしない(HDをメモリ代わりに使わない)ので、RAMをかなり必要とする。貧弱なマシン環境では駄目。最低でも 128MB ないと、OSが起動しない。ちゃんとアプリまで使うには、256MB。普段日常的に使いこなすには、512MB。
 
( ※ なお、貧弱なマシン環境で Windows98 を使っていた場合には、KNOPPIX を使えない。いざというときは、かわりに、Windows98 を再インストールすればよい。  → バックアップの話


● ニュースと感想  (10月22日c)

 「NTTの加入権廃止」の補足。
 ここで詐欺的な商法が行なわれている、ということについて、わかりにくい点があるので、補足しておく。
 単に加入権を廃止するだけなら、誰も損をしないように思えるし、これから加入する人は余分な金を払わされない分、得をする、と思える。しかし、まさしくそこにこそ、詐欺的な点がある。
 加入権廃止で損をするというのは、次の理由による。
 以上を全部ひっくるめると、どういうことか? 
 既存の加入者は、加入権に相当する金額を、NTTに没収される。その金額を原資として、NTTはライバル会社に対して、安値の料金を提示できる。かくて、シェアを増やせる。他人の金を盗んで、自分の業務のために使うわけだ。
 たとえて言うと、こうだ。── トヨタが日銀の金を、1兆円盗む。その1兆円を原資として、自社の車の値引きに使う。そうすると、トヨタはシェアを増やせる。また、トヨタの車を新規に買った客は得する。ただし、その陰で、日銀は1兆円を損して、その損失は日銀を通じて国民全体にツケ回しされる。国民全体が1兆円の損をして、トヨタの客が9千億億円ぐらいの値下げ利益を得て、トヨタが1千億円ぐらいの営業利益を得る。

 というわけで、詐欺をした会社自身は、たいして得にはならない。ただし、シェアを減らさずに済む。これが最大のメリットだ。
 現在、電話業界には新規参入の話が出ている。もうすぐNTTよりも低価格で参入するらしい。ところがNTTは対抗できない。そこで、やむにやまれず、加入者の金を奪うわけだ。加入者の金を奪って、新規契約者に回す。こうして、NTTはシェアを増やそうとする。ただし、NTTの財布に多大な金が入るわけではない。だから、ここで泥棒がなされたことには、たいていの人が気づかない。しかし、加入者にとってはまさしく、莫大な金(加入権の分)が奪われるのだ。国民の大多数は、泥棒の被害者なのだ。

 政府は「規制緩和こそすばらしい」「新規参入で値下げ競争が起こるから、国民は利益を得る」なんて言っている。しかしここでは、規制緩和とは、「合法的な泥棒」のことなのである。古典派的な「競争こそ素晴らしい」という企業論理があるだけで、国民の論理は忘れ去られている。
 小泉流の改革とは、何か? 国民の財布から金を奪うことだ。……ただし、それでも企業の競争は激化するから、企業の競争だけを見て、古典派エコノミストは歓迎する。

 [ 付記 ]
 では、正しくは、どうすればいいか? もちろん、新規加入者と既存の加入者に対して、どちらにも安値を提供すればよい。値下げするなら、両方に対して等しく値下げすればよい。
 しかし、それだと、NTTはライバルに対抗できない。どうしても、新規加入者だけを対象として値下げしたい。だから、新規加入者だけに対して、「加入権の料金なし」という形で、値下げしたいわけだ。(時期的に、新規参入と加入権廃止とが、ほぼ同時期だ。必然的である。)
 で、NTTの方針を見て、自分たちの値下げ資金を奪われたことに気づかない人たちが、「誰も損しないからいいだろう」というふうに勘違いして、泥棒される状況を放置するのである。(例。小泉の構造改革を賛美する朝日新聞。だまされやすい。)
 教訓。経済音痴は、金をこっそり盗まれても、気が付かない。
 ( → 前回の記述 10月19日c







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「小泉の波立ち」
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