[付録] ニュースと感想 (67)

[ 2004.4.26 〜 2004.5.11 ]   

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● ニュースと感想  (4月26日)

 「IT化の意義」について。
 「IT化は素晴らしい。情報革新は経済を成長させ、人類の知的能力を拡大する」と言われた。しかし、本当にそうか? 
 ここで、面白い情報がある。「教師にわいせつ犯罪が増えたのはなぜか?」と問うて、「その理由はIT化である」と答えるのである。
 最近、急激に、教師のわいせつ犯罪が増えている。これは歴史的に初めてのことだ。そして、その増え方は、携帯電話やインターネットの普及とほぼ同じ増加曲線を取っている。ここに関連性はないか? そう考えて、次のように結論する。
 「破廉恥罪に走った転落教師の事例報告を、教師たちの研究会で聞いた。すると、転落教師たちには、共通する背景があるとわかった。それは、情報機器である。情報機器を使えない教師は失格だと見なされるので、教師たちはこぞって情報機器の習得に励んだ。機械とばかり向かいあうようになった。その結果、人間関係は阻まれていった。教師同士で語りあう時間は半減し、機械と語りあうばかりだった。疎外感にさいなまれると、やはり機械に癒しを求めた。携帯電話で教え子と破廉恥なメールを楽しんだり、ネットに接続して不倫やロリコンやSMにのめりこんだり。人間の同僚がいれば、それを注意してくれるが、機械はまったくそれを注意してくれなかった」(読売・朝刊・投書欄・コラム 2004-04-23 )
 かくて、あの経済学者のように、手鏡でのぞきをやって逮捕されたりするわけだ。彼もきっと、ふだんは情報機器に熱中していたのだろう。そういえば、手鏡と携帯電話は、サイズが似ている。そのうち、携帯電話の裏側には、手鏡が付くようになるかもしれない。
 
 結語。
 IT化は、人類の知的能力を拡大するよりは、人類の的能力を拡大した。インターネットで最も栄えたのは、わいせつ産業とウィルスだった。……とすれば、われわれは、知的能力を拡大するためには、ネットや携帯電話からなるべく離れるべきなのである。これらを全廃する必要はないが、酒と同じで、適量をチビチビと楽しむだけでいい。一日に何回もネットに接続するのは、酒の飲み過ぎのアル中と同じで、自分を痴的にするだけである。こんなことをやっていると、しらずしらず、あの手鏡の経済学者のようになりかねない。
 さて。これを読んだら、ネットから離れましょうね。(なお、毎日読んでもいいのは、「小泉の波立ち」だけです。……でも、ネットに書いてあることは、みんな信じない方がいい。)

( ※ わいせつ教師の報道をしつように掲載しているサイトが ZAKZAK だ。よくもまあ、飽きもせず、毎週・毎日のように報道する。というか、よくもまあ、次々とわいせつ教師が出てくるもんだ。……こんな記事を読む方もどうかしている気もするが。え? 私? なんで読んだんでしょうねえ。 (^^); )


● ニュースと感想  (4月26日b)

 「青色LEDの開発」について。
 中村修二を告発する暴露本が出ているという。「青色LEDの事業化は、中村修二ただ一人でやったわけではなくて、若手チームが全員でやったのであり、中村修二は大勢のうちの一人にすぎなかった。研究開発も同様。論文だけは一人で書いた」という趣旨らしい。( → ZAKZAK
 論評するのも馬鹿馬鹿しいが、マスコミ報道にだまされないために、解説しておく。
 (1) 事業化と発明とは、全然別のことだ。事業化は、当然、会社全体でやるべきであり、一人でやるはずがない。何を弁解しているつもりなのだろう? 
 (2) 実験と発明とは、全然別のことだ。どこの研究室でも、普通、教授がアイデアを立案して、「こういう実験をせよ」と助手や大学院生に命じる。助手や大学院生は、自分がどういう価値のあることをやっているかもよくわからないまま、とにかく言われたとおりに実験をする。ここで、助手や大学院生が「この実験はおれたちがやったんだ」なんて主張するのは、とんでもない。たとえば、トヨタの工員がレクサスを作って、「これはおれたちが生み出したんだ」なんて主張したら、設計技術者にどやされるだろう。……成果の横取り。ほとんど泥棒である。
 (3) 発明とは、アイデアである。これが基本だ。そして、世界中の秀才研究者がそろって日夜研究しても思いつかないような革新的なアイデアを、生み出した人がいるとすれば、その人は、たった一人であるはずである。同じ会社で同時に複数の頭で発生した、ということは確率的にゼロ同然である。なのに、「中村の頭ではなくて、若手多数の頭だ」と主張するのは、「相対性理論は、同時に複数の凡才社員の頭のなかで生じた」と主張するのと同じである。馬鹿丸出し。
 (4) とすれば、問題は、「その一人が誰か」ということだ。では、誰か? 「その一人は、中村ではなくて、オレだ」と主張する人がいるのか? いや、他の誰かであるはずがない。他の誰かがいるとすれば、「論文だけは中村一人で書いた」ということは不可能だからだ。とすれば、その一人とは、中村であるはずだ。結局、問題なし。
 (5) 「退職寸前のころの年収が良かった」と言っているが、退職寸前には、青色LEDの売上げは莫大になっていたのだから、そのくらいは当然だ。しかも、しょっとぐらい良くても、全然不足している。だいたい、もともとの争点は、「会社側が特許には2万円しか払わない」としたことや、その他の迫害行為である。何か、話を勘違いしているようだが、中村修二は、金が欲しくて、裁判を起こしたわけではない。初めは一銭も請求していなかったのだ。「スレーブ」と呼ばれながらも、薄給に甘んじて耐えていたのだ。なのに、会社側が中村を迫害し始めたから、ついにブチ切れただけだ。中村が大金を求めたのは、自分がその金を使いたいからではなくて、会社を罰したいからだ。「おれにも金を寄越せ」なんて思っている今回の反論者たちとは、発想のレベルが全然違っている。
 (6) 結局、今回の反論は、まったくの眉唾である。どうしても「中村でなくおれたちの発明だ」と主張するのなら、「おれたちに 200億円を寄越せ」と堂々と主張すればいいのだ。なのに、「自分のものだ」とは言えずに、「彼のものじゃありません」とだけ、こっそり言う。「正式には訴えません。ちょっとこっちの言い分も聞いてもらえるだけでいいんです」と、こそこそと主張する。そりゃ、そうだろうね。嘘ばっかりの主張なんだから。まったく、姑息だ。他人の足を引っ張ることだけが目的で、事実を歪めた嘘を垂れ流す。「卑怯者め。恥を知れ」と言えたいね。……嘘で世間をゴマ化すのは、小泉を見習ったのだろうが、変なところばかり見習わないでほしい。世間をだまそうとすると、天罰が下りますよ。(たぶん、会社にいいようにあしらわれて、最後にはポイ捨てだ。)

 結語。
 私は以前、「出世のコツは、他人の成果を横取りすることだ」と主張したことがあった。( → 3月16日b ) これはもちろん冗談だが、冗談を真に受けるのが、今回の人々だ。まったく、呆れてしまう。
 とにかく、ソフトやアイデアを、「独創性」ではなくて「協調性」の結果と見なすような企業は、最悪である。前述のピクサーとは正反対だ。こんな体質の会社ばかりだと、日本は没落してしまう。経団連あたりで、「日本企業の意識改革・構造改革」でも打ち出さないと、日本のお先は真っ暗だ。

 [ 付記1 ]
 中村修二の著作に対する書評がある。(朝日・朝刊・読書面 2004-04-25 )
 ここには、中村への批判もあるが、研究者の立場からの批判なので、まっとうな批判である。「おごりすぎて天狗になっている」というような批判。
 ただし、まあ、この程度の批判は、別にどうということもあるまい。独創的な研究者がおごりすぎて天狗になるのは、当然である。だいたい、そういう気概がなければ、未踏の領域を一人で開拓できるはずがない。独走する身勝手な研究者を、批判するか寛容的であるかで、論じる人の独創性尊重の度合いがわかる。そして、たいていの日本人は、非寛容的である。「勝手なことばかりしやがって」という反発だ。
 人々は何か勘違いしているようだが、独創的な研究者に必要なものは、高潔な人格ではない。わがままのし放題のようなメチャクチャさである。そういうところから、独創性が生まれるのだ。高潔な人格者が独創的なアイデアを生むことなどはありえない。研究対象のことばかり考えている人と、他人のことばかり考えている人とは、別なのである。
 ただし、独創的な人のまわりには、彼をサポートする人が必要だ。そういうサポートがあるか否かで、全体作業の成否が決まる。たいていは、彼のそばに、サポートする人がいる。
 中村も、周囲の無理解にひどく悩みながらも、きっとサポートしてくれた人がいるはずだ。彼はそのことをすっかり忘れているように見えるが、だからといって「感謝が足りない」と批判するのは、お門違いである。感謝は、彼が感じて、相手に直接言えばいいのであって、著作に「ありがとうございます」と書いて、献辞を捧げるというのは、ええかっこしいであって、中村の流儀ではない。そんなことは、恥ずかしくて、とうていできないはずだ。独創性のある人間というのは、そういう恥ずかしがり屋だ。そして、周囲の人々は、彼に恥ずかしがり屋ぶりを、「お礼をしないのは謙虚さが足りない」と猛攻撃するのである。
 また、彼の研究の土台には、先人となる人々の業績があるが、だからといって、「それらの先人にいちいち言及して感謝しろ」というのも、お門違いである。科学というものはすべて、莫大な数の先人の業績を土台にしているし、しかも、それを土台にするのは、誰にでも許される。中村にしても、先人の業績を土台にしているが、しかし、彼の特許の範囲内のことは、自分だけでやったはずだ。(さもなくば特許が取れない。)
 中村の業績は、中村の特許の範囲内のことである。その成果を、彼がいかに自賛しても、他人はそのことを、とやかく言えないのだ。私としては、「悔しかったら自分でも同じようにしろ」と言ってやりたいね。
 「先人の業績に感謝しないのはけしからん」なんてのは、言いがかりにすぎない。中村は別に、「先人の業績を、自分の業績だと詐称して、特許を盗んだ」というわけではないのだ。自分の成果を自分の成果と言っただけだ。他人の成果にどんなに依存しようと、そんなことは全然関係ない。彼が勝手に感謝するのは構わないが、他人が「感謝しろ」と強要するのは、とんでもない。たとえば、アインシュタインが相対性理論を構築するまでには、さまざまな先人の業績を土台にしているが、だからといって、「それらの先人に感謝していないで無視しているから、アインシュタインはけしからん」なんて非難するのは、とんでもない。
 とにかく独創的な研究者というのは、傲慢でいいのだ。高潔な人格である必要は、さらさらない。高潔な人格である必要があるのは、世渡り上手であることが必要とされるような、文系の無能なサラリーマンだけだ。

 [ 付記2 ]
 企業経営との関連で言おう。
 独創的な人間を「高潔な人格でない」と攻撃するのは、お門違いである。なぜなら、独創的な人間は、その仕事の結果で社会に奉仕すればいいのであって、普段はわがままのし放題でいいのだ。やんちゃでいいのだ。
 だいたい、こういう人物がいなかったら、社会は停滞してしまう。その実例が、日本の多くの保守的な企業だ。独創性は抑圧され、協調性ばかりが尊重される。だからどの社からも、独創性のある結果が生じない。そういう社は、技術者をサポートするばかりを養成しようとして、肝心の技術者を養成しようとしないのだ。
 例を示そう。トヨタは、生産性は最高だが、デザインは退屈なものばかり。コストの低下ばかりを考えて、高く売れるデザインというものをまるきり無視する。特に、セルシオなんて、田舎風の凡庸の極みだ。高級車という雰囲気はゼロだ。だから、高級車に実用性以上のステータスを求める欧州では、馬鹿にされて、全然、売れない。なのに相変わらず、「品質の向上」ばかりを求めている。ま、実用性だけを求める日本や米国では売れるだろうが、しょせんは田舎デザインとして馬鹿にされるだけで、売れない。独創性を無視すると、こういうふうに大損をする。いくら技術者や工員が頑張っても、それだけでは駄目なのだ。企業の体質が問われている。

 [ 付記3 ]
 なお、一般的にいえば、サポートするのは、研究者の部下のやるべきことではなくて、企業のトップのやるべきことだ。つまり、「態勢の整備」である。この件は、先にも述べた。
( → 4月24日b 「騎手がなすべきことは、馬がちゃんと走れるようにすることだけだ。」)
( → 4月18日b ピクサーで、「各人の仕事環境を最高にする。そうして自由にのびのびと働かせ、自由でのびのびとした芸術を生み出す。」)

 [ 余談 ]
 ついでだが、「南堂というやつも、おごりすぎて天狗になっているな。まったくひどい。攻撃してやれ」と思っている人も多いようだ。……ごめんなさい。私は中村さんと違って、200億円もらえませんから、許してね。


● ニュースと感想  (4月27日)

 「年金の財源」について。
 年金の財源がないという。厚生年金では、2100年の時点でのシミュレーションをすると、過去の「貯金」分が 310兆円で、支払い予定分が 740兆円で、差し引き、430兆円の不足。逆に言えば、この不足分が手当されないと、将来の支払いが破綻する。だから、保険料の値上げが必要だ。……という理屈。(読売・朝刊・2面 2004-04-23 )
 で、どうするか? 消費税の増税?
 いやいや。もっとまともな策がある。「相続税の増税」だ。「老人にプレゼント」ばかりでなくて、「老人からもらう」という手もある。特に、相手が、大金を残した場合には。
 老人を養うのが世間の責任であれば、老人の遺産をもらうのも世間であっていい。せめて、山分けにしていいはずだ。それとも、何ですか? 「うちの親父を養うのは、世間に任す。だけど、うちの親父の残した遺産は、全部おれがもらう。つまりは、親父が年金としてもらった金は、そっくりおれさまの財布へ」というのが正しいんですか? 欲張りすぎじゃないの? 

 [ 付記1 ]
 だけど、ありゃりゃ。これは、日本の体質だ。
 イラクを見よう。「復興するのは、NGOとイラク人に任せる。自衛隊は給水ポンプを動かすだけ。でも、褒めてもらうのは、自衛隊が独り占め。平和に協力したと賛美してもらいたい」……これが日本の根本的な体質だ。
 そうか。だからこそ、その原則に逆らって、世界に褒めてもらった民間人を、許せないわけだ。政府の人々は、「おれさまが全部利益を独占するはずなのに」と思った。「おれのものはおれのもの。おまえのものもおれのもの」という原則があったはずだった。なのに、その原則に逆らって、民間人が米国や世界に褒めてもらった。だから、日本政府やその手下は、いっせいに怒り狂ったわけだ。
 強欲息子の論理。

 [ 付記2 ]
 参考として、年金についての時事的な話題。
 「私は長年、保険料を納めてきたから、年金をちゃんともらえるぞ」と思っていた人が、当てはずれ。会社の景気悪化で、会社の厚生年金基金が解散または代行返上。それまでは納付23年ぐらいでも年金をもらえるはずだったが、国の制度では25年納付でないともらえない。そのせいで、納付期間不足だと、(減額給付ではなく)年金給付がゼロになってしまった。……という被害者が社会保険労務士に泣きついてくるそうだ。(朝日・朝刊・投書面・コラム。2004-04-23)
 また、会社がこっそり社会保険料納付をやめていた、なんて話もある。あなたがどのくらい納付しているかは、誰にもわからない。年金をもらう直前に役所に行って、そのとき初めて知る。するとそのとき、「手続きに遺漏があった。ゆえに年金支払い期間不足で、納付額はゼロ」なんて言われる。それまで払った数百万円は、すべて没収。
 江角マキコ? 彼女は、よかったですね。おかげで、手続き不足が判明したので、被害に遭わずに済んだ。あなたは? 国があなたに「国民保険のCMへ出演してください」と依頼してくるまで、待ちましょう。
( ※ 国務大臣たちの一人も、二十年ぐらい、国民年金を払っていなかったのに気づいたそうだ。で、遅ればせに、二年分を払ったんだって。……誰か、正解を教えてあげればいいのに。「今から払ったって、納付期間不足で、年金はもらえませんよ。全額没収です」と。)


● ニュースと感想  (4月27日b)

 「財政再建」について。
 ちょっと古い記事への言及となるが、小林慶一郎のコラムへの批判。第三回。(第二回は → 4月16日
 「財政破綻のツケを支払うには、歳出カット、増税、高インフレの三つの選択肢しかないだろう」と述べてから、「最も損害の少ない方法を選ぶ」べきだと主張している。
 これは、正しくない。

 (1) 選択肢
 「歳出カット、増税、高インフレ」の三つしか選択肢がないわけではない。もっといい選択肢がある。それは、「所得の増加」である。
 小林は古典派だから、所得のことをまったく無視している。しかし、所得を考慮すれば、「所得の増加」の有無こそが肝心だ、とわかる。
 例を挙げよう。100万円の所得があるとする。ここで、財政再建のために、30万円を支払うとする。「その30万円の支払いの方法は、三つのうち、どれがいいか?」と小林は問う。「歳出カット、増税、高インフレの、どれかを選べ」と。しかし、正解は、そのどれでもない。「所得が 100万円のまま、30万円を奪われる」のではなくて、「所得を30万円増やす」という道がある。この場合は、30万円を払っても、所得は100万円が残る。つまり、「歳出カット、増税、高インフレ」の、どれも選ばない。国民が負担したのは、30万円の金ではなくて、30万円分の労働だけである。つまり、「歳出カット、増税、高インフレ」のほかに、「労働の増加」という、第4の選択肢があるのだ。そして、これこそが正解である。

 (2) 負担法
 実質的に払うのは「労働の増加」だとしても、形式的には「歳出カット、増税、高インフレ」のいずれかの形を取る必要がある。通常は、増税である。ただし、歳出カット、高インフレも、選択肢としてある。
 ここで小林は、「最も損害の少ない方法を選ぶ」べきだと主張する。しかし、原理的に言えば、損害はどれも同じである。 30兆円の金が入るとしたら、国民の払う金は 30兆円であり、どの形を取ろうと、30兆円は 30兆円である。つまり、損害の額は、どれも同じである。「最も損害の少ない方法」なんてものは、ない。どれもが同じなのだから。
 では、三つは、まったく同じか? そうではない。損害は同じだとしても、痛みが異なる。増税は、標準的である。歳出カットでは、福祉減少となるから、低所得者の痛みが大きく、高所得者の痛みは小さい。高インフレは、詐欺みたいな投機をやる人の一部が得をして、その分、真面目に働く人が損をする。
 このように、国民全体の損は同じでも、国民にとっての痛みは異なる。だから、正解は、「最も公正で、最も痛みがない方法」を、選ぶことだ。「最も損害の少ない方法」にするとしたら、「どれも同じ」という解答しか出せない。


● ニュースと感想  (4月28日)

 「デフレの分析」について。
 小林慶一郎の解説コラムへの批判。
 毎度毎度、嘘とデタラメばかり書く朝日の名物ほら吹きへの解説。

 話の根源として、彼は自分の立場がわかっていない。一方では解説者として中立的立場のふるまい、一方では偏向して主張する(つまり、古典派丸出しで主張したり、不良債権処理論の急先鋒として主張したり)。「私はアンパイヤです」と言いながら、一方的にふるまう選手のようなものだ。野球で言えば、主審が一方のチームに属していて、勝手な判定ばかりをする。もう、メチャクチャである。
 以下、具体的に示す。

 (1)デフレの原因
 「デフレの原因はわかっていない」と記す。だったら謙虚に「私はわかりません」と書けばよい。つまり「私たちの説は不完全です」と白旗を上げればよい。なのに、「わからない」と言いながら、勝手に自分の説だけを「有力候補」として紹介する。自説ばかりの身びいき。
 あのねえ。自説を紹介するなら自説と断って述べる。中立的ならば、すべての説を示す。どちらかにしてもらいたいものだ。「自分の説だけを、中立の振りをして、読者に強制的に押しつける」というのは、朝日の体質そのものだが、小林は極端すぎる。「報道の倫理」というものを、最低限、わきまえてもらいたい。(「読者を洗脳しよう」というのが、朝日の方針であるせいかもしれないが。)

 (2) 金融システム不全説
 こんなのを「有力候補」として紹介しているが、冗談ではない。こんなのを信じているのは、小林と朝日ぐらいのものだ。今や「不良債権」説なんて、マイナーすぎる。経済学の世界のはしっこにあるにすぎない。
 なぜか? 論理破綻しているからだ。論理的に言えば、「金融システム不全ならば、金詰まりで、資金不足となり、金利上昇」であるが、これが成立しないからだ。何度も指摘されているのに、本人だけが気づかない。裸の王様。
 「金融システムが健全なら、信用創造のメカニズムで、信用乗数が増える」と述べる。論理が狂っている。その論理は成立しない。成立するのは、その裏である。つまり、「金融システムが不健全なら、信用創造のメカニズムが不良となり、信用乗数が減る」ということだ。これは成立する。しかし、それだけのことだ。(例:「体が不健全ならば、オリンピックに出場できない」ということは成立するが、「体が健全ならオリンピックに出場できる」ということは成立しない。)
 金融システムが健全でも(資金供給が健全でも)、資金需要が減っていれば、銀行貸し出しは増えない。金利も低い。これが正解だ。小林の説は、「インフレ下の資金不足」を説明しているだけであり、「デフレ下の資金余剰」を説明していない。

 (3) 原因
 そもそも、デフレに「原因」というのを求めること自体、古典派の発想である。「原因があるから、均衡が阻害されて、デフレになった」というわけだ。残念ながら、はずれ。「均衡が阻害されたから、デフレになった」のではなくて、「均衡が達成されていくから、デフレになる」のだ。それが「縮小均衡」という状況である。
 小林は古典派丸出しだから、マクロ経済ふうの「GDPの縮小」という概念がまるきり欠落している。「デフレとは均衡が阻害されることだ」と思い込んでいる。
 違う。「デフレとはGDPが縮小すること」なのだ。マクロ経済をイロハのイから、お勉強し直しなさい。そうすれば、「デフレの原因はない」または「デフレの原因はデフレだ」とわかる。
 そしてまた、デフレとは何かがわかれば、デフレから脱出する方法もわかる。それは、「デフレの原因を除去すること」ではなくて、「デフレという状況から一挙に移転すること」である。阻害要因を除くことではなく、状況を一挙に変えることである。その手段が、「総所得の増大」すなわち「大幅減税」だ。
 マクロ経済を理解するというのは、所得とGDPの関係を理解するということだ。小林には、この分野の知識が、まったく欠落している。それでいて、平気で経済を解説する。彼に最も欠けているのは、知識というより、恥である。「無知の知」がまったくない。

 (4) 国債暴落
 今後の見通しとして、「国債暴落」の可能性を挙げている。これ自体はいい。しかし、その理由として、「金利上昇で既発国債の投げ売りが生じる」と解説している。
 とんでもない。既発国債というのは、一種のマネーである。売れない商品の投げ売りならばあるが、マネーの投げ売りなどはありえない。
 投げ売りというのは、「本来の価値は 100円だが、売れ残りの不安があるから、出血値引きで、80円で全部売ってしまえ」というようなものだ。しかし、マネーには、「売れ残り」なんてことはないのだから、「投げ売り」などはありえない。ただし、経済音痴が見ると、(商品で)「本来の価値は 100円なのに、80円で売る」というのと、(国債で)「額面価格は 100円なのに、80円で売る」というのを、混同する。前者は投げ売りだ。しかし後者は投げ売りではない。「額面価格と流通価格が異なる」だけだ。その理由は、「金利上昇で既発国債の理論価格が低下したから」である。
 国債暴落は、人々が不安になったから発生するのではなくて、人々が将来に期待をもてるようになったから発生するのだ。「これから景気回復が起こるぞ」と人々が思うと、消費や投資が増えて、景気が良くなる。そういう現象が「市場金利の上昇」つまり「国債暴落」である。
( ※ 国債暴落には、他のタイプもある。アルゼンチンふうのタイプだ。国家が破綻するという懸念が生じると、デフォルトの危険があるので、投げ売りが生じて、国債が暴落する。……しかし、景気回復過程の国債暴落は、全然別のタイプだ。小林は両者を混同している。経済知識がゼロ同然であり、それでいて、世間に解説する。厚顔無恥。人心攪乱。……罪は重いね。)

 (5) モラルハザード
 最後にはおきまりの「モラルハザードが起こる懸念」を訴えている。この人はやたらとモラルのことばかりを言い立てる。経済学者というよりは、宗教家に近い。私は思うのだが、この人は、朝日の記事を書くよりは、教会の牧師になって「誠実に働きましょう」とお説教をする方が向いている。小林は職業選択を誤った。これが最大の誤り、じゃなくて、これが最初の誤り。以後、無数の誤りが、増殖していく。ウィルスのように。

 結語。
 デフレについては、まず、デフレの本質を理解することが大切だ。デフレとは、価格下落という現象のことではなく、生産量縮小という現象のことだ。そして、それを理解するには、GDPを考察するマクロ的な理論が必要となる。
 ところが、古典派経済学には、GDPを考察するマクロ的な理論がまったく欠落している。ある仕事をするのに、最低限必要な道具や材料が欠けているのと同然である。正しい認識など、最初からできるはずがない。
 何事であれ、何かを理解しようとしたら、「自分は何を知っているか」を問う前に、「自分は何を知らずにいるか」を問うべきだ。無知の知が大切だ。それなくば、言説のすべてが砂上の空論と化す。

 [ 付記 ]
 対比的に、読売の記事を紹介しておこう。「小泉内閣の特徴は、何もしないことだ」と述べて、政府の無為無策を批判している。(読売・朝刊・1面コラム 2004-04-25 )
 舌鋒鋭い政府批判だ。偉い。マスコミというものは、こういうふうに政府批判をすることに、存在価値がある。たとえ精密な分析などはなくとも、問題点をうまくえぐりだせば、そのことだけで大きな価値がある。「世の中にある問題点を赤裸々に示すこと」というのは、世間の目を開くことであり、とても大切なことだ。
 ひるがえって、朝日は、どうか? 人質事件ではけっこうまともなことを書いていたようだが、生ぬるい表現が多かった。「こんなことでいいのか」という論調は多かったが、「これではいけない」と攻撃的に示した論調は少なかった。人質問題で、朝日で唯一、切れ味のある解説をしたのは、夕刊のマンガだけである。朝日の記事の表現力は、マンガに比べてはるかに劣る。また、川柳欄には「イラクより母国の方が怖かった」というのがあったが、これもまた記事よりも百倍も雄弁だった。
 話が逸れたので戻す。朝日は、人質事件はともかく、経済記事はひどすぎる。「問題点を浮き上がらせる」ということすらできていない。迷走しているし、それどころか、小林のように、とんでもない方向にミスリードする。不良債権処理なんてのは、経済学界ではまともに扱われていないトンデモ同然であるのに、このトンデモばかりを大々的に紹介する。「さまざまな情報の提供」という、新聞としての最低限の使命さえ忘れて、見当違いの方向にミスリードする。そして、その方向の行きつく涯は、破滅である。
 朝日はいったい、何をしようとしているのか? そのことを、もう一度、自問してもらいたいものだ。そもそも、「情報の提供」というのは、一体、誰がやるのか? 政府か? インターネットのゴミ掲示板か? それとも、どこかの変人ホームページか? ……「いや、情報の提供は新聞の使命だ」と、はっきり言いきることができるのか? 
 読売は少なくとも経済については、「政府の問題点を指摘する」という態度がある。朝日には、それがまったくない。ただ問題点を隠蔽することしかしていない。そして、そのための道化が、小林だ。
 私が小林批判を繰り返す目的は、小林をいじめることではない。道化に全権を与えている朝日を批判することだ。そしてまた、小林にも、勧告しておきたい。「無知の知」によって、自己の視野の狭さを理解するべきだ。少なくとも「マクロ経済の知識がゼロだ」ということを自己認識するべきだ。彼は「米国に留学してもそんなことは教わらなかったよ」と言うだろうが、古典派の総本山で古典派の知識しか学ばないのは、当然である。まずは、米国かぶれを捨てることが先決だ。そのあとで、日本の経済学講座で、マクロ経済を勉強するべきである。
 一般に、大蔵省・財務省の官僚は、東大法学部を出てから、米国の大学院で経済学を勉強する。エリート意識に凝り固まっているが、経済学の基礎が全然できていない。あれこれと応用的な数式操作ばかりを学んだ末に、経済学の最も基礎となることを疎かにしている。「基礎の欠落」。小林は、その典型であろう。(ただし、世間は、その華麗なる経歴にだまされる。詐欺師というのは、一般に、そういうふうにしてだます。)


● ニュースと感想  (4月29日)

 「デフレ脱出の見通し」について。
 最近の経済事情を受けて、「デフレ脱出か?」という見通しなどが出ている。そこで、簡単にコメントしておこう。
 
 (1) 素材価格の上昇
 素材価格の上昇で、企業物価・卸売物価などが上昇しつつある。最終的な消費者物価への波及はまだだが、こういう物価上昇を見て、「デフレ脱却か?」という話が出ている。しかし、これは、根本的な勘違いがある。
 デフレとは、単なる「物価下落」のことではない。「需要減少による、需要不足・供給過剰」による「物価下落」のことだ。需要が減少したまま、輸入原材料の価格が上昇して、生産コストが上がって、そのせいで物価上昇が起こるのならば、「需要不足・供給過剰」という状況は、変わらないままだ。こういう場合には、たとえ物価上昇があっても、GDPが縮小しているという状況は変わらない。
 とはいえ、物価上昇があるとすれば、単純なデフレは脱却したことになる。では、デフレを脱出して、インフレになるのか? 違う。スタグフレーションになるのだ。つまり、「不況下の物価上昇」である。
 では、スタグフレーションは、デフレと比べて、良いのか悪いのか? 生産コストが上がれば、価格上昇によって、需要不足がさらに増す。とすれば、状況はいっそう悪化するのである。
 というわけで、デフレを脱出したとしても、スタグフレーションになるのであれば、女教は、よくなるどころか、悪化するのである。
( ※ 生産コストが上がるとしても、それが労働コストのせいならば、所得の上昇を意味するから、所得の上昇をもたらし、状況は改善する。しかし、生産コストが上がるのが、原材料価格のせいならば、上がったコストの分は、国内の労働者に配分されるかわりに、国外に流出する。となると、国内の所得が奪われる分だけ、GDPは悪化するわけだ。)

 (2) 企業業績
 企業業績は、たしかに改善している。しかし、それが、国民所得を増やすために使われなければ、個人消費は増えないし、状況は改善しない。
 企業業績が改善していることは、「今より悪化していくことがない」と言うこと、つまり、「縮小均衡の状況にある」ということを意味する。しかし、それは、「景気が好転していくこと」を意味しない。悪くならないというだけであって、良くなるわけではない。
 「最悪ではない」と言える程度。

 (3) 個人消費
 個人消費は、若干、改善のないしプラスの方向にある。
 これが本質的なものであれば、「微弱ながらもデフレ脱出の方向にある」と言える。
 しかし、よく考えると、もともと「円安介入」による「輸出促進政策」のために、百兆円ほどの資金が投入されているのである。とすれば、微弱な景気回復効果があるのは、当然のことなのだ。
 問題は、それが、持続するかどうかだ。「円安介入」なんてのは、いつまでも続くものではないし、そろそろ限度に近づきつつある。とすれば、一時的な効果を出すためのカンフル剤を打つのも、そろそろ打ち止めだ。
 つまり、輸出増加も、輸出産業における所得増加の効果による国内消費の増加も、そろそろ打ち止めだ、ということになる。その後は、また、停滞するだろう。あるいは、悪化するかもしれない。何しろ、平均消費性向が1を上回っている、という異常な状況にあるのだから、平均消費性向が低下する懸念は、十分にある。その場合、当然、消費の縮小を通じて、景気は悪化する。

 (4) 個人消費の統計データ
 最新の統計データ。全国の大型小売店の 03年度(過去1年間)の売上高では、百貨店・スーパーとも、約3%のマイナス。7年連続、前年割れ。(朝日・朝刊・経済面 2004-04-27 )また、百貨店の大手5社の2月期決算(過去半年間)では、減収増益。リストラなどの効果が出て、企業自体は増益傾向だが、売上げの方は縮小傾向。(朝日・朝刊・経済面 2004-04-23 )
 これはつまりは、「縮小均衡に達しつつある」ということ。「質的には改善しつつあるが、量的には、縮小はあまりしないが、拡大もしない」ということ。「好況になる」というのとは、全然違う。
( ※ 「高額商品の一部で売れ行きが伸びる」という報告も出ている。当然だ。質的に改善すれば、高所得者の所得は増える。ただし、量的には改善しないから、低所得者や失業者は、ずっと苦しいままだ。「縮小均衡」というのは、「高所得者から改善される」という状況でもある。「一部だけは先に改善される」ということである。これは「全員が改善される」のとは全然違う。報道を見ると、どうも、「金持ちが儲かっているぞ。嬉しいな」と低所得者が喜ぶ、という図式を描いているが、とんでもない勘違いだ。金持ちがどんどん儲かったからといって、低所得者はちっとも嬉しくない。マスコミというのは、何か、勘違いしているみたいですね。……ついでだが、朝日のこの記事は、「百貨店の収益が改善されたのは構造改革の成果だ」とも書いている。小泉に洗脳されたのだろうか? これは小泉がやったのではなくて、企業がやった。これで、社員が幸福になるのではなくて、会社が幸福になっただけ。これは「構造改革」ではなくてただの「リストラ」。素人記事の見本。)

 (5) 失業率
 失業率は、どうか? 有効求人倍率は、0.7倍の近辺で、徐々に上昇しつつある。というわけで、「上昇しつつある」という点を見れば、景気はゆっくりながらも着実に改善しつつある、ということになる。
 しかし、肝心なのは、有効求人倍率が 1.0倍を超えるかどうか、ということだ。 1.0倍を超えなければ、いまだに不況の最中なのである。
 そして、 1.0倍を超える時期が不況脱出の時期であるが、それがいつになるかといえば、まだまだずっと先のことだ、と言えるだろう。0.7倍から、0.8倍へ、0.9倍へ、1.0倍へ、と上がる必要がある。
 とすれば、「不況脱出」と言える時期は、うまく行っても、あと3年以上、かかるはずだ。その間、「不況」の程度はだんだん浅くなるだろうが、それでも、「不況」からは脱出していないのである。
 たとえて言えば、風邪を引いて、その症状はだんだん和らいでいるが、まだまだ病人のままであり、立って起きあがるのはずっと先の話だ、ということだ。
 病状がいくらか和らいで、熱が39度から38度に下がったからと言って、「もはや病気は治った」と思い込むのは、総計である。
( ※ 「それでもマシだ」と思うのは、だまされている人である。本当は、すぐに治るのだから。特効薬さえ使えば、だが。その処方を示すのが、正しい経済学者。)

 (6) 銀行融資残高
 銀行融資残高を見ると、伸び率は、この十年間で最低レベル。十年ぶりの最低レベル。(朝刊各紙 2004-04-14 )
 これは、不良債権処理が進んで、「貸し剥がし」みたいなのが進んだこともあるだろう。だから、単純に「投資が縮小している」ということにはならない。
 とはいえ、「不良債権処理が進めば、投資が拡大する」なんていう説が成立しないことは、ここで明白になっている。
 市場金利はゼロ金利のままであるし、投資拡大の余地はまったくない、と見なしていいだろう。
( ※ そもそも、「投資拡大でデフレ脱出」なんていうマネタリズム流の説は、経済学的にはまったく成立しない。歴史的に見ても、投資拡大があるのは、景気回復の前ではなくて、景気回復が始まってから2〜3年後である。なぜか? それまでは、生産設備を増強するよりは、既存の生産設備の稼働率を向上させるからだ。結局、「消費拡大 → 投資拡大」という時間的順序がある。これを逆にやろうというマネタリズムの主張は、根本的に狂っているわけだ。)

 (7) ごく最近のデータ
 4月の最初の1週間は、3月中に比べて、スーパーの売上高がやや減少したという。(朝日・朝刊・経済面 2004-04-27 )
 このことは、私の予想通り。マクロ的に言えば、当然である。もう一度言うと、理由は、「退職者が失業して、新卒者が就職できないから、差し引きして、総所得が減少するから」だ。これは、不況中には、毎年4月になるたびに現れる現象。デフレ・スパイラルは、依拠に進むというより、4月にガクンと減る。下り階段ふうだ。
( ※ 朝日の記事は、スーパーの側の主張を引用して、「消費税を総額表示にしたから売上げが減少したのだ」と述べている。だが、そんなアホなことはあるまい。この説は、「税抜きで 100円と表示すると、消費者は 100円だけ払えばいいと思い込んで、消費税を払わずに済むと思う」ということを前提としている。消費者を馬鹿にしすぎている。「消費税を払わずに済むと勘違いして、消費をする」なんていう間抜けな消費者が、どこにいるのか? スーパーの主張は、「消費者をだまして売上げを増やそう」という根性が丸見えだが、そんなだまされる消費者はいない。今までも消費税を払うことはわかっていたし、今だって消費税を払っていることはわかっている。「急に消費税の分だけ多く払うようになった」と思い込む消費者は、いないはずだ。……どちらかといえば、「小銭をじゃらじゃらさせることがなくなったから、消費の煩わしさが減って、消費しやすくなった」とさえ言える。私としても、「昼飯のたびに1円玉をたくさん受け取る」という煩わしさがなくなって、とても助かっている。)

 結論。
 たしかに景気改善の指標は出ているが、それは、「さらに悪化しなくなった」という意味である。せいぜい、「病状が和らいだ」という程度の意味であり、「病気でなくなった」という意味ではない。
 病気を治して健康になるには、個人消費が大幅に拡大することが必要だが、その見通しは皆無である。放置しても、個人消費は微弱に増えるかもしれないが、そんなことでは、健康になるのは遠い先のことだ。

 では、今後、どうするべきか? 
 エコノミストは、「個人消費の回復がデフレ脱出のカギである」なんて述べているが、とんでもない話だ。景気というものは、循環するものではないし、放置するべきものでもない。個人消費が自律的に回復するのを待つべきではなくて、今すぐ直ちに個人消費を大幅に回復させるべきなのだ。そのためのマクロ政策を取るべきなのだ。
 古典派ならば、「長期的にはいつかは均衡に達するだろう」などと述べるだろうが、そうなるのが遠い先の話であれば、われわれの寿命は尽きてしまう。しょせん、長期的にはわれわれはみんな死んでいるのだ。だからこそ、「景気が回復するのを待つ」べきではなくて、「景気を回復させる手段を取る」ことが必要なのだ。
   「鳴かざれば、鳴くまで待とう、夜明け鳥」(古典派)
   「鳴かざれば、鳴かせてみせる、夜明け鳥」(南堂)
 必要なのは、強い意思なのである。

( ※ 小泉は? 「鳴かざれば、殺してやろう、日本経済」ですかね。「改革なくして景気回復なし」と言っているしね。「改革をなさざれば景気回復をつぶす」と言っているのも同然。……この公約だけは守ったようだ。)
( ※ 本項の話題は、さらに続く。)


● ニュースと感想  (4月30日)

 「最近の株高」について。
 最近の株高については、どう説明されるだろうか? これを「景気回復の証拠」と見たり、あるいは、「これから景気回復する予想」と見たり、あるいは、「これからまさしく景気回復が起こる」と見るべきだろうか?   株価が上がるには、二つの理由がある。経営がまさしく向上しつつある場合と、経営が向上するだろうと人々が予測する場合だ。後者は、ケインズの「美人投票」の話で説明される。
 今回は? 「デフレが底打ちしつつある」(縮小均衡になった)という意味では、下落要因はなくなったようだ。とはいえ、それは、上昇要因にはならない。
 「景気は回復しつつあるだろ」という予測はある。しかしそれがどこまで確実かは、判断しがたいところだ。
 もっと確実な上昇要因がある。それは「株式市場への資金流入」である。つまり、「円安介入」だ。日銀が大量の円売りをしたことによって、その分、海外の投機資金が大量の円買いをして、その円資金を、株式市場で運用している……という図式だ。実際、海外資金は株式市場で、大幅な買い越しをしている。つまり、単に投機的な思惑で、とりあえず円資金を株式市場に入れただけのことだ。それが、この半年ほどの異常なほどの株高の要員だ。
 なるほど、実際に景気はいくらか回復している、と見える。この景気回復が、円安介入によるカンフル剤としての輸出促進策であり、しょせんは今カンフル剤はいつかは消えるとしても、少なくとも現時点では、景気回復の効果が出ている。ただし、それを過度に膨張させているのが、円安介入だ。ここでは、株高の根本原因は、「過剰な資金」である。すなわち、現在の株高は、実体経済を繁栄したものではなくて、過剰な資金が流入した結果にすぎない。景気回復ないしインフレが生じているのではなくて、資産インフレ(バブル)が生じているにすぎない。
 ただし、ここでは、実体経済の回復も、少しは混じっている。そのせいで、事情を正確につかみにくくなっている。ともあれ、現在の株高は、その大部分が、海外投機資金の流入とそれにつられた思惑買いによるバブルである。ただし、その基礎には、実態経済の回復の分も、いくらかは混じっている。
 だから、現在の株高は、それはそれで、不自然ではない。理論的に、十分に説明が付く。ただし、この状況を、「景気回復が進んでいるから株高になっている」なんて信じてはならない。事実を誤認してはならない。
 なぜか? この状況を、「景気回復が進んでいるから」と認識すれば、「株価はどんどん上昇して、下がることはない」となる。しかし、この状況を、「バブルが進んでいるから」と認識すれば、「株価はどんどん上昇したあとで、暴落する」となる。バブルというのは、そういうものだ。
 今の状況は、1985年以降の円高時に似ている。日銀が大量の円安介入をして、海外資金が資産市場に流れ込み、資産インフレ(バブル)が発生した。その再現である。当然、いつかは、バブルは破裂する。バブルが大きければ大きいほど、バブルが破裂したときの被害も大きくなる。「株高で嬉しいな」などと思うのは、過去のバブルに教訓を得ていない阿呆だけだ。

 [ 付記 ]
 それでも、「どの株を買えばいいか」という質問に、無責任な解答をしておこう。
 今の株高ブームは、危険な遊戯である。うまく暴落の前に売り抜ければ、利益を得る。暴落の直後まで株をもっていれば、大損する。……で、どちらか?
 前回のバブルのときは、たいていの人が、「おれは利口だ」と思って財テクに励んだ末、大損をした。株式市場というのは、「おれは利口だ」と自惚れているカモを相手に、詐欺師のような人々がずる賢く欺くゲーム場なのである。あなたが「自分は利口だ」と思うのであれば、あなたは失敗する。あなたが「自分は違法行為でも何でもやる悪質な詐欺師だ」と思うのであれば、あなたは成功する。「善人で損する」か「悪人で得する」か、どちらかだ。そういう場が、マネーゲームの場なのである。まともな人間のやることじゃないですね。
 正解は、「どの株も買うべきではない」である。ただし、あなたが善人であれば、の話。
 ただし、例外もある。十年ぐらいにわたって分散して株を保有する、長期安全投資だ。とはいえ、これだと、利幅はあまり大きくない。また、成果が出る前に、あなたの寿命が来ることもある。「自分は得をしなくても、子供か孫が得をすればいい」と思うのであれば、それも一案。自分が損してもいいのであればね。


● ニュースと感想  (4月30日b)

 「経済情報のメモ」。
 最近の経済情報をいくつか。

 (1) 欧州経済の状況
 欧州は、米国の景気回復の影響を受けて、外需主導で、経済状況が回復してきた、というふうに見られてきた。しかし最近、ふたたび悪化の傾向だという。結局、好転は一時的。このあと外需主導の回復が続かないと、お先は暗いという。失業率は依然、高率のままであり、個人消費の回復が見込めない。これが、原因。(朝日・朝刊・経済面。2004-04-23 )

 (2) 米国経済の状況
 日欧と比べて、ひとり、米国だけが景気は回復過程にあり、利上げの可能性もある。米国景気回復の理由は、例のブッシュ減税。「富裕層優遇で不公平だ」という非難を浴びながらも、とにかく、景気回復効果があったことになる。最善ではなくても、次善であったことになる。少なくとも、「減税をやらないで不況のまま」なんていう日欧に比べれば、月とスッポンほどにも異なる。
 ブッシュは、政治家としては最低だったが、経済学者としては他の経済学者に比べてはるかに賢明であったことになる。彼の勝因は、「経済学的には何も考えなかったこと」である。なぜなら、他の経済学者は、「あれこれ考えすぎたせいで、間違えた結論」に至ったからだ。単なる直感は、精密な論理よりも、ずっと正しいことがある。いくら精密な論理を繰り出しても、迷路をぐるぐる回って、間違えた方向に至っては、何にもならない。
 愚人は秀才よりも、しばしば賢明である。……これは、「愚人は利口だ」というわけではなくて、「秀才が阿呆だ」というだけのことだ。
( ※ 秀才の例は、ケリー。中低所得者向けの福祉重視ばかり主張して、減税を重視しない。社会的公正さという政治目的ばかりを狙って、マクロ的な経済効果を理解できない。政治ではプロだが、経済では素人以下・ゼロ以下。経済を知らないのではなくて、間違った経済を知りすぎている。だから素人のブッシュに劣る。)

 (3) 中国経済の状況
 現在の日本の景気回復は、主として、対中輸出の増加が理由である。(対米輸出は直接的にはあまり増えていない。中国を経由した迂回輸出のような形。ハイテク部品や素材を中国に輸出して、中国で組み立てて米国へ輸出する。一方、中国国内の好況もある。)
 その対中輸出が、この先、楽観できない。なぜか? 中国は今、すごいバブルになっているからだ。不動産開発投資は、1997年から 2003年の間に3倍以上に増加。対GDP非は 4%強から9%へ倍増。2003年は前年比 30%増で、2004年第1・四半期は 41%増。恐ろしいほどの急激なバブル膨張だ。あちこちで札びらを切って不動産を購入している成金がたくさんいるという。実需よりも、転売が目的。(読売・朝刊・国際面 2004-04-28 )
 こうして「土地神話」を信じて、資産インフレというバブルが膨張している。おかげで、実体経済も、すこぶる好況である。とはいえ、この好況は、「将来はもっと儲かる」という予想の上で、将来の問いを先食いしている自転車操業にすぎない。いつか、その予想と現実とのズレが判明したとき、バブルは一挙に破裂する。……日本のたどった道。
 そして、それが中国の出来事だけであればまだしも、日本にも波及する。「将来の富を先食いする」という形で進行していた需要が、急激に縮小する。とたんに、「中国頼み・外需頼み」だった日本経済は、たちまち、暗澹たる結果となる。
 それが「いつ」になるか、だけが問題だ。「来るか来ないか」が問題なのではない。バブル破裂は、必ず来る。なぜなら、将来の富の先食い(ネズミ溝のようなもの)は、永久に続くことはないからだ。
 にもかかわらず、今の日本は、「中国頼み・外需頼みで景気が回復したから、この先ずっと景気が好転していくだろう」と勝手に信じているのである。それはつまり、「ネズミ溝は永遠に続く」というのと、同じことだ。こういう甘い夢想を信じた人々が、ネズミ講にだまされて、大損をする。
( → 2月12日 「バブルとネズミ講」)

 [ 付記 ]
 マクドナルドの藤田田(ふじたでん)・元社長が死去。経歴記事が各紙に出ている。(2004-04-27)
 マクドナルドはかつて、ハンバーガーの半額セールをした。話題になり、客がどんどん来て、売上げが急増した。「これで不況を乗り切った」と思えたが、収益率はあまり向上しない。で、半額セールをやめた。それが 02年2月。そのときの氏の理由が、「デフレは収束しつつある。この先、急速に景気は回復するだろう」とのこと。
 藤田が一人だけ主張する「デフレ脱出論」である。「何とまあ強気な。デフレを脱出するはずなど、ありえないのに」と私は思った。で、どうなったか?
 もちろん、02年中、デフレを脱出することはなかった。半額セールをやめたマクドナルドは、たちまち来店者が激減して、赤字が出る。仕方なく、「半額ではなく 80円」なんてやったが、いったん「半額セール」に慣れた消費者には、「大幅値上げ」としか思えなくなった。かくて、「半額セール」の広告効果が消滅して、消費者のマクドナルド離れを招いた。
 さて。今、日本では、「景気は回復しつつある」なんていう楽観論が出ている。しかし、「個人消費は増えず、輸出増加効果があるだけ」というのが現実だ。ここでは、「景気は回復しておらず、一時的なカンフル剤が打たれているだけ」という真実を見抜いて、楽観を戒めるべきだ。さもないと、日本全体が、楽観して手綱を緩めたマクドナルドの二の舞になりかねない。
( ※ ここでは、「量的緩和の継続」を主張しているのではない。「減税による不況脱出」を主張している。少しぐらい良くなったと見えても、楽観しては駄目なのだ。)


● ニュースと感想  (5月01日)

 「失業率の低下」について。
 最新の統計データによると、3月の失業率がかなり低下したという。といっても、0.3ポイントだけだが、だとしても、これだけ失業率が改善したのは、久しぶりらしい。長らく5%を上回っていたのが、4.7%となり、これは3年ぶりの水準だという。(各紙・夕刊 2004-04-30 )(数字はすべて前年同月比。)
 政府はこれをもって、「景気回復効果が出てきた。それが労働事情にも波及した」と自画自賛。新聞も大はしゃぎ。
 ただし、大はしゃぎの陰で、本当の数字が隅っこの方に小さく出ている。失業者の総数は 51万人も減ったが、就業者数はそんなに増えていない。たったの 13万人(比率では 0.2% )だけだ。増えたといっても、それだけだ。
 51万人と 13万人を比べれば、4対1である。つまり、「失業率の改善」は、4倍も水増しされた数字となっている。こんな水増しされた数字を信じるのは、馬鹿げている。(先に「数字にだまされるな」と言ったことがあるが、すぐにその応用例が出た。)
 では、理由は? 政府は言わないし、朝日も書かないが、読売には書いてある。というか、馬鹿でもわかる。差し引きの分は、「就業意欲がなかった」という理由で、失業者にカウントされなかっただけだ。これが失業率改善の正体だ。

 結語。
 失業率という数字にだまされてはいけない。日本の失業率は欧米に比べるとはるかに低いが、それは不況の程度が低いことを意味しない。「就業意欲がなかった」という理由で、失業者にカウントされなかった分こそ、「隠れた失業」として、問題となる。
 大切なのは、失業率を減らすことではなくて、就業者の数を増やすことだ。通常、この二つは同じことを意味するので、失業率だけを見ていればいいが、稀に、今回のように、両者が乖離することがある。そういう場合には、表面的な数字よりも、本質的な数字の方を取るべきだ。
 「失業率が改善したから景気は好転している」なんて思うと、数字にだまされたことになる。いくら失業率の数字が改善しても、現実に人々が雇用されなくては、何にもならないのである。

 [ 付記 ]
 「それでも少しは改善しているのだな」と思って楽観するのは、早計だ。百兆円規模の量的緩和や円安介入をやっても、たったのこれっぽっちの改善だ。これほど巨額の操作が今後もずっと続くわけではないのだから、先行きは楽観できない。
 また、これほど巨額の操作が今後もずっと続くとしたら、楽観できないどころか、悲観的になってしまう。なぜなら、「薪に火がつく」危険が生じるからだ。(この件は、数日後で再論する。)


● ニュースと感想  (5月02日)

 前項への補足。
 就業者数はわずかながらも、とにかく増加している、ということだった。(前項)
 しかし、実は、雇用状態は、数では改善しているが、質は悪化している。というのは、高賃金の正社員が減って、低賃金のフリーターなどばかりが増えているから。(読売・朝刊・経済面 2004-05-01 )
 かくて、総所得は低下する。状況は改善するどころか悪化していることになる。

 ( ※ 「所得が低下するなら、何で景気は改善するんだ」という疑問も上がりそうだ。答えを言おう。その理由は、「貯蓄を取り崩すから」であり、「将来の支出を先食いするから」である。実際、29日か30日ごろのどこかの新聞のベタ記事で、「所得は低下、支出は増加」という最新の統計データが示されていた。調査時点は、2月ごろ。)


● ニュースと感想  (5月03日)

 「中国の経済成長」について。
 中国では、急成長のせいで、電力事情が逼迫しており、週三日の停電になることもあるという。昨年の電力消費量の伸び率は 15%。(読売・朝刊・国際面 2004-05-02 )
 経済成長率が9%程度だから、それを大幅に上回る伸び率だ。停電だらけになるとしても、不思議ではない。そして、このことゆえに、中国の経済成長率は、そういつまでも高率を保ち続けることはできないはずだ。
 一方で、日本の景気回復は、中国の経済成長にかなり依存している。今回の景気回復も、対中輸出が大幅に増えたことによる。そして、これが頭打ちになるということは、日本の景気回復も頭打ちになる、ということだ。
 にもかかわらず、「景気循環があるから、景気回復はどんどん進む。このままどんどん好況になる」なんていう主張が、政府や民間エコノミストの間で、かなり出ている。あまりにも楽観的すぎる。
 そもそも、輸出はGDPの1割でしかない。GDPが1%増えるためには、輸出が 10%も増える必要がある。こういう「外需頼み」では、本格的な景気回復は、不可能なのである。
 だから、現状がいくらか「景気回復している」と見えても、このままずっと好調が続くわけではない。頭打ちにならざるをえない。「どんどん好況になっていく」ということにはならない。そして、だとすれば、雇用状況は改善されないままなのである。大量の失業者があぶれたまま、ずっと不況の状態が続くことになる。企業業績はいくらか改善しても、国民は失業と賃下げで苦しいまま。つまり、企業は良くても、国民は苦しい。
 こんなのでは、いくら政府が「景気回復」なんて宣伝しても、国民にとっては何にもならない。

 では、どうするべきか? もちろん、「外需頼み」なんていう方法ではなく、「内需振興」をするべきだ。つまり、「消費拡大」をめざすべきであり、そのために「減税」をするべきだ。
 そうすると、どうなる? 外需のかわりに、内需が増える。内需を2%増えることは簡単だ。単に遊休していた設備や人員を稼働させるだけでいい。
 一方、同等の効果があるとしても、外需を20%も増やることは困難だ。中国は電力事情などで物理的に経済成長が制限されるし、輸出をやたらと増やせば貿易黒字が出るゆえに円安介入を莫大にしなくてはならない。いずれにせよ、「外需だけ増やす」なんてのは、困難だし、およそ本質をはずれた方針だ。
 ともあれ、中国の電力事情からも、現在の「外需頼み」という経済政策が間違っていることもわかるし、「外需頼みで景気の本格回復へ」なんていう予測も間違っていることもわかる。


● ニュースと感想  (5月04日)

 「円安政策の失敗」について。
 「円安をきっかけに景気回復を」というのが、円安政策だった。これの成否をいよいよ判断できるデータがはっきりと出たようだ。もちろん、「失敗」である。
 まず、「円安政策とは何か」を示そう。それは古典派的な「需給均衡論」を前提とする。「内需が需要不足であれば、円安によって外需を拡大すればよい。そうすれば、需給が均衡する。かくて、均衡が達成されるので、景気は回復する」
 もっともらしい理屈だ。しかし、これは、ミクロだけを考えてマクロを考えない発想だ。「ミクロがうまく行けば、マクロでもうまく行くさ」という古典派丸出しの発想だ。(その根拠は、アダム・スミス流の「神様のおかげで」だ。)

 さて。この古典派流の経済政策の結果は、どうなったか? そのことを典型的に示すデータがある。
 これまで見てきたのは、日本全体における影響だった。ただし、もっと細かく見ると、日本全体には、まだら模様がある。円安政策の効果も、まだら模様がある。では、最も効果が出た場所は? それは、愛知県だ。
 愛知県は、トヨタの牙城である。自動車産業は日本全体のGDPの1割を占める。(日本全体の輸出総額がGDPの1割だから、それとほぼ同規模。)そして、円安効果における輸出増大の効果を最もよく受けているのが、自動車産業だ。ここ数年、急激に輸出を伸ばしてきている。各社を見ると、国内販売額よりも北米の販売額の方が多くなってしまった。なかんずく、トヨタは自動車産業の半分弱を占めているから、円安効果は愛知県では非常に多く出た。
 今回、新聞調査があった。それによると、愛知県では、失業問題は完全に解決している。有効求人倍率(3月の時点)は、全国平均が 0.77倍なのに、愛知県は 1.28倍だ。トヨタやグループ各社は慢性的に人手不足だし、この先さらに工場の増設で人手を要する。(朝日・朝刊・特集 2004-05-03 )
 要するに、「円安による輸出促進」が愛知県だけに集中的に現れることで、失業問題は完全に解決した。また、すでに知られているように、トヨタの営業利益は大幅な黒字だ。労働者の失業も、企業の赤字も、なくなった。この意味で、「愛知県では景気回復は達成された」と宣言してよい。
 では、これで、問題は完全に解決したと言えるのか? 

 なるほど、ミクロ的には問題は解決した。では、マクロ的にはどうか? 
 マクロとは、所得分析のことだ。所得は、どうか? 記事によれば、愛知県では、2月の一人あたり現金給与は前年同月比 1.2%減。00年よりも2割以上低い。要するに、「失業は解決したが、低賃金労働になるばかりで、所得は増えるどころか減っている」という状況だ。
 そして、総所得が減っていれば、総需要もまた減る。名古屋の高島屋の売上高は前年同月比 2%増。日本中の輸出増加の効果を一身に浴びている名古屋ですら、たったのこれっぽっちにすぎない。いわんや、他の地域をや。
 今後、円安効果が薄れて、輸出が減少すれば、(愛知県内の)総所得・総需要・総生産の伸びも減少または頭打ちになるだろう。いわんや、他の地域では、もっとひどい状況になるだろう。

 結語。
 ミクロ的に(需給レベルで)失業率と企業利益の問題が解決しても、マクロ的に(所得レベルで)問題が解決したことにはならない。マクロ的に問題を解決するためには、所得が増える必要がある。所得が増えたときに、ようやく、経済は成長をしはじめる。
 所得が増えないまま、需給が均衡しても、それは「縮小均衡」にすぎない。それは本質的な病気治癒とは異なる。当面は症状が消えているというだけのことにすぎない。
 愛知県で言えば、トヨタが輸出好調なせいで、労働者も企業も問題なく過ごしていられる。その意味で、症状は消えている。しかし、この輸出好調は、円安介入による一時的なものだ。やがては円高になり、製品輸出が減少したり、部品輸出が減少したりして、輸出企業頼みの好景気が終わる。そのとき、他の産業が縮小していたという事実に直面する。すなわち、病気が何も解決していなかったという事実に直面する。
 このとき、もし所得の増加があれば、他の産業が売上げ増加を得て、経済は自立的な回復をたどっただろう。他の産業がすべて売上げを増やし、他の産業の労働者がすべて所得を増やし、経済は好循環を経て、景気は本格的に回復しただろう。ところが、現実には、輸出企業がいくら儲かっても、その利益を吐き出さないために、労働者は十分な所得を得ない。そのせいで、経済が好循環に乗ることができなかった。
 円安政策の効果が極端に集中した愛知県ですら、こうである。いわんや、他の地域をや。これまでの80兆円レベルの円安介入は、かくて、一時しのぎの効果しか出なかった。今後さらに莫大な円安介入をやっても、それによって日本全体の景気を好況に乗せることはできないだろう。
 肝心なのは、ミクロ的な需給の均衡ではなくて、マクロ的な所得増加だ。それこそが景気回復を左右する。円安政策を実施するのならば、同時に、輸出企業の利益増加が労働者に還元されて、所得増加があることが必要だった。それなくば、景気回復は達成されない。また、逆に言えば、たとえ円安政策を実施しなくとも、所得増加があれば(つまり減税をすれば)、景気回復は達成される。
 結局、愛知県を見ることで、円安政策の限界と、ミクロ経済だけを見る古典派的な政策の限界が、はっきりしたわけだ。

 [ 付記1 ]
 「個人消費の回復がカギだ」ということは、あちこちで主張されている。ただし、その意味を理解していないエコノミストがほとんどだ。
 たとえば、こうだ。
 「企業部門から、雇用・消費への好調さの『橋渡し』がうまく行なわれることが、カギとなるだろう」(読売・朝刊・経済面・コラム 2004-05-03。民間エコノミストの意見)
 ここでは、「企業から労働者への金の流れがスムーズであればいい」というふうに主張されている。いかにも「均衡」を重視する古典派らしい意見だ。
 しかし、それだったら、小規模ながらもすでに実現している。現状は単に規模が小さくて速度が遅い、というだけのことだ。そして、「もうちょっと規模を大きくしてもうちょっと速度を速めれば、景気は回復するだろう」という見通しだ。
 残念ながら、そんなことでは駄目だ。そういうやり方では、「自然成長」の路線にしか乗らない。たしかに景気回復の速度は高まるだろうが、やはり数年の時間がかかる。ざっとみて、5年〜10年ぐらいかけて、バブル破裂前の水準に戻る、というぐらいだろう。
 「均衡による自律的な回復」を前提とする限りは、「自然成長」の路線にしか乗らない。しかし、それでは遅すぎる。とすれば、「自律的な回復」でなく、「人為的な回復」が必要なのだ。今すぐ急速に(1〜2年ぐらいで)、かつての水準に戻るべきなのだ。そして、そのためには、「均衡による自律的な回復」では足りない。外部からショックを与える必要がある。つまり、「生産増加による所得増加」ではなくて、「生産増加以上の所得増加」である。それによって状況を、「所得増加が生産増加をもたらす」という好循環に乗せるべきなのだ。
 結語。
「個人消費の回復がカギだ」ということは、正しい。ただし、「企業部門から、雇用・消費への好調さの『橋渡し』がうまく行なわれること」はカギにはならない。「まず最初に所得の増加をもたらすこと」がカギとなる。それがあれば、急激に景気は回復する。それがなければ、何年も何年もかけて微々たる回復があるだけだ。(途中で失速するかもしれない。)
 「放置すれば、うまく行く」という神まかせの経済政策は、ただの無為無策であるし、「民間企業が賃上げをすれば」という企業まかせの経済政策は、あなたまかせの無責任である。あまりにひどい。……こんな経済政策をまともに扱うくらいなら、占い師に八卦で占ってもらう方が、よほどマシである。
(あるいは、下駄をほうりなげて、裏表で占ってもよい。いずれにせよ、今のエコノミストの景気診断よりは、ずっとマシだ。何しろ、下駄占いなら、50%は当たるのだから。一方、エコノミストの予想は、たいていはずれる。)

 [ 付記2 ]
 日銀総裁は、「年内にもデフレ脱出するかもしれないが、先行きは不透明」という趣旨のことを述べた。(読売・朝刊・経済面 2004-05-03 )
 ここで言う「デフレ脱出」というのは、「価格下落が止まる」という意味。なるほど、その意味での「デフレ脱出」ならば、所得とは無関係に起こることもある。貨幣が大量に出回って、その効果が出れば、物価は急上昇するだろう。ただし、その場合、所得の増加がないから、生産の増加はない。むしろ、物価上昇の分、実質所得が低下するから、生産量は低下する。
 この現象を「スタグフレーション」と呼ぶ。「物価の上昇と、生産量の減少(失業の増加)」のことだ。そして、「スタグフレーションになること」を「デフレ脱出」と呼ぶのであれば、日銀総裁の主張はそれはそれで正しいだろう。まさしく「年内にデフレ脱出が実現する」こともありそうだ。
 しかし、それを「好ましい状況」と思うとしたら、事実を正反対に誤認していることになる。「デフレからインフレになる」のは好ましいが、「デフレからスタグフレーションになる」のは好ましくない(悪い)。
 マネタリズムの日銀総裁は、金と物価のことばかりを考えて、生産量のことをまるきり忘れている。かくて、「物価上昇が起これば、デフレを脱出することになる」と思って、浮かれているのである。……ほとんど猿知恵。


● ニュースと感想  (5月05日)

 「経済の予想法」について。
 景気の予想であれ、株価の予想であれ、共通して留意すべきことがある。それは「棒線グラフ法では駄目だ」ということだ。
 「棒線グラフ法」(外挿法)というのは、過去の株価の進行を延長する形で予想する方法だ。次のように。
 「今は株価が上向きだから、これからもずっと上向き」
 「今は株価が下向きだから、これからもずっと下向き」
 こういう予想をするのは、株価の世界では、素人判断として馬鹿にされる。そして、こういう素人をカモにして、手玉に取るのが、相場師たちだ。
 さて。ここまでは、ちょっと経済知識のある人ならば、誰だって知っている。いちいち指摘するまでもない。「そんなこと常識じゃないか」と思うエコノミストが多い。ところが、である。そういう自惚れたエコノミストたちが、あっさりこの罠にはまる。次のように。
 「今は景気が上向きだから、これからもずっと上向き」
 「今は景気が下向きだから、これからもずっと下向き」
 最近、世間をにぎわしている株価予想は、この手の予想ばかりだ。なるほど、それは、一概に間違っているとは言えない。少なくとも、短期的には、その予想は正当だろう。しかし、景気予想は、株価予想ではないのだ。1カ月や2カ月の短期的な株価予想とは違って、半年か1年ぐらいの中期的な予想なのだ。「今後1カ月ぐらいは景気は上向きでしょう」ということならば、いちいちエコノミストに尋ねるまでもない。問題は、半年か1年ぐらい先のことだ。なのに、そこで「今まではこうだから、これからもこうだ」というのでは、ただの棒線グラフ法にすぎない。そこには景気についての経済学は全くなく、ただのヤマカンがあるだけだ。
 こんなものは、経済学とは関係ない。山師の相場判断にすぎない。エコノミストというのは、いわば、一国経済に相場を張っている山師のようなものだ。無学のくせに、有識者を装っている。
 経済学的に予想をするのなら、どんな予想であれ、マクロ経済学的な理論的根拠が必要だ。棒線グラフ法による予想など、百害あって一利なしである。
 ちなみに、過去の例を思い出すがいい。棒線グラフ法による予想を信じて、土地や株を買った素人が、バブル期の最後のころにいっぱいいた。「これまでは上がったから、これからも上がるだろう」と。そのあげく、バブルが破裂して、大損をした。繰り返す。棒線グラフ法による予想など、百害あって一利なしである。
( ※ 次項参照。)


● ニュースと感想  (5月05日b)

 「景気循環と景気変動」について。
 経済というものは、そもそも、何らかの変動がある。小さな要因では小刻みに変動し、大きな要因では大幅に長く変動が続く。前者は小さな波をもたらし、後者は大きな波をもたらす。
 そして、注意すべきだが、この変動は、「景気循環」とは何の関係もない。単なる偶発的な変動があるだけだ。たとえば、石油ショックがあれば、景気悪化がしばらく続く。その効果が薄らぐに連れて、景気が回復していく。しかしそれは、マクロ経済学的な景気循環とはまったく別のものであり、単に「原因が発生して、その効果がしだいに薄れていく」というだけのことだ。そして、こういう「原因」が、大きいのやら中くらいのやら、たくさんからみあって、景気の変動が生じる。

 とすれば、何もしなくても、景気は下降することもあるし、景気は上向くこともある。これが原則だ。
 そして、現在の景気回復も、この一種だと見なすのが適当だ。マクロ経済的に「景気回復過程にある」と見なすより、「大きな変動があって、たまたま今は上向きの過程にある」と見なすべきだ。
 では、それは、何か? たぶん、「円安介入」だろう。円安介入によって、輸出が促進される。本来ならば対米輸出がどんどん増えるべきだが、産業構造が変化しているせいで、今はそうならない。つまり、対米輸出は、直接的な「製品輸出」の形を取らず、中国を経由した「部品輸出」の形を取る。日本が中国に基幹部品を輸出し、中国が安い人件費でそれを組み立てて、「Made in China」という形で輸出する。ブランドは、中国ブランドであることもあり、欧州や米国や日本のブランドであることもある。これは一種の「対米迂回輸出」みたいなものだ。
 ともあれ、こういう形で、一時的に大きな変動が発生して、一時的に輸出が増加する。しかし、輸出の増加は、いつかは為替レートを通じて相殺されるはずだから、そう長く続くことはない。やがては、大きな変動は収束する。輸出増加がいつまでも続くはずはなく、頭打ちになり、減少に向かう。(換言すれば、米国の大幅な輸入赤字は、いつまでも続くことはなく、やがてはドル安を通じて、輸入が縮小する。そのとき日本は、対中輸出が減り、輸出全体が減る。)
 
 結局、輸出増加というのは、マクロ経済的な処置ではなく、ただの一時変動にすぎない。それは、経済政策によって変動するが、根本的なものとはならない。根本的なものとなるためには、一国の総所得が増加する必要がある。
 たとえば、日本には30兆円以上の需給ギャップがあるし、350万人もの失業者がいるから、これらの問題を解決するためには、総生産を 30兆円以上増やす必要があり、そのためには、総所得を 30兆円以上増やす必要がある。
 しかるに、現実には、総所得が急激に増える見込みはまったくない。通常の自律的な景気変動の過程をたどって、ごく緩慢に微々たる勢いで変化していくだけだ。これでは、正常な状態に経済を回復するまで、何十年もかかってしまう。

 結語。
 一時的な景気変動と、マクロ的な景気変動を、区別するべきだ。一時的な景気変動で、一時的に景気が上向いても、それで一国全体の不況という問題が一挙に解決するわけではない。なすべきことは、自律的な景気回復を気長に待つこと(無為でいること)ではなくて、マクロ経済的に総所得を一挙にふくらますことだ。それのみが正解である。なぜなら、われわれの人生は有限だからだ。

 [ 付記1 ]
 最近の景気回復を見て、「不況を脱出しつつある」という意見が結構あるようだ。(たとえば、小林慶一郎。朝日・夕刊・コラム。2004-04-16 )
 しかし、現在の状況は、とうてい、「不況を脱出しつつある」というようなものではない。いまだに350万人もの失業者が残っていて、その解決もはるか先のこととしか思えない。とうてい不況を脱出することにはならないのだ。
 たとえば、あなたが井戸に落ちたとする。深さ10メートルの井戸のうち、何らかの理由で、底が盛り上がって、深さが9メートル半になったとする。これをもって、「井戸からの脱出が近づいた」と喜ぶべきだろうか? とんでもない。10メートルが9メートル半になったとしても、いまだに井戸からの脱出はできていないのだ。また、脱出の見込みも立っていない。
 そりゃまあ、そのうちいつかは、デフレから脱出するかもしれない。しかし、今のペースなら、失業問題が解決するのは、たぶん、あなたが年金受給年齢になるころよりもあとだ。無意味である。
 要するに、「景気が上向きになるか否か」が大切なのではなくて、「失業問題を一挙に解決すること」が大切なのだ。そのためには、GDPを30兆円以上、拡大する必要がある。しかし、その見込みは、はるか先だ。
 現状は、1メートルだけジャンプして、「月に近づいたぞ。これでいつか月に達するぞ」と思い込むようなものだ。(前項の「棒線グラフ法(外挿法)」の話を参照。)

 [ 付記2 ]
 なお、過去の歴史を見よう。現在程度の「景気回復」なら、過去にもあった。2000年夏までのごろだ。そのころなら、株価も上昇基調がずっと続いて、今よりずっと景気回復の感じがあった。「今度こそ景気回復」と思えた。しかし、その後、「輸出効果による景気回復」の効果が破裂して、ふたたび景気は悪化していったのである。
 現状を喜ぶのは、「ぬか喜び」である。
( ※ マネタリストは、「あれは日銀がゼロ金利を緩和したから」と主張しているが、流動性の罠の状態では、金利の影響はほとんどないから、ゼロ金利の影響なんかほとんどなかったのである。実際、あのときは、金利上昇によって投資が激減したのではなくて、金利上昇に関係なく消費が激減したのだ。マネタリストの主張は、理屈が通っていない。)

 [ 補説 ]
 最近の「景気は回復しつつある」という判断は、「景気循環」を前提としている。「景気は、波動のようなもので、上がったあとでは下がっていき、下がったあとでは、上がっていく」と。それは、ある意味では、正しい。おおざっぱには、経済変動というものがあるから、そういう経済変動を、波のように理解することはできる。現実にも、そういうふうに見えることが多い。
 しかし、よく見ればわかるとおり、海波や音波のような波動などはない。ごちゃごちゃと上がったり下がったりしており、それはむしろ、「ランダム・ウォーク」というただの無秩序運動のようにも見える。あるいは、ものすごい雑音だらけで、本来の音などは聞き取れないような状態でもある。……こういう状態を、「一定の波長のある波動」と見なすのが、「景気循環」という認識であり、およそ正確だとは言えない。
 では、正確には? 何らかの影響要因が、そのときそのときで、発生したり、解消したりするだけだ。ごく単純に言えば、景気が上がったり下がったりするのも、小泉の支持率が上がったり下がったりするのも、原理は同じである。別に、循環しているわけではなくて、プラスまたはマイナスの影響要因がランダムに生じるだけだ。そして、先にも述べたように「原因が発生して、その効果がしだいに薄れていく」というふうになるので、一種の波動のようなグラフを描く。
 だから、数学的に言えば、サイン・カーブではなくて、減衰曲線(指数的)になるはずだ。実際、株価や経済指数の動きを見ると、下降のときには、たいていは減衰曲線の組み合わせのようになっている。凸状の曲線で降下するのではなくて、凹型の曲線で降下する。なお、上昇の場合は、「マイナスの効果がしだいに薄れていく」というふうに理解すればいいだろう。


● ニュースと感想  (5月06日)

 「職なき回復(ジョブレス・リカバリー)」について。
 最近の景気状態を、「職なき回復(ジョブレス・リカバリー)」と見なすことが多い。例示しよう。電機大手9社者の3月期決算は、当期黒字になったが、従業員は逆に減っている。詳しく言うと、前期は5社が当期赤字だったのに、今期は9社がいずれも黒字になった。利益率が改善しただけでなく、投資額も大幅な増加。ただし、雇用は減少。9社では国内雇用は、90万人だが、1年前に比べると5万人も減少。3年前に比べると13万人も減少。(朝日・朝刊・経済面 2004-04-29 )
 だから、現象を見る限り、「職なき回復」と言える。

 問題は、その意味だ。なぜ、そうなるのか? 普通の経済学(古典派流の経済学)に従えば、経済状況は「好況と不況」あるいは「均衡と不均衡」があるだけだ。これに従えば、「不況を脱すると、企業業績が回復して、雇用も増加」となる。ところが、「職なき回復」では、企業業績と雇用とが逆方向に向かう。企業業績は改善して、雇用は悪化する。このことは、普通の経済学では、説明できない。
 では、この経済現象の本質は、何か? マクロ経済学的には、どう説明されるか? 

 実は、このことは、ケインズがずっと昔に指摘している。例の45度線モデルからも明らかだし、別の形のグラフでもこの食い違いを指摘している。すなわち、「不況の到達点では、経済は均衡状態となっても、失業は残ったままだ」と。「その理由は、総生産の均衡点と、労働市場の均衡点(完全雇用点)とは、別であることだ」と。
 換言すれば、総生産の均衡をもたらす生産量と、完全雇用をもたらす生産量とは、異なるのである。前者の生産量の時点では、商品市場での均衡が達成されるが、労働市場での均衡が達成されない。そして、この状態は、「縮小均衡」と呼ばれる。
 縮小均衡の状態では、ある生産量(たとえば 500兆円)で商品市場の均衡が達成されるが、労働市場の均衡(完全雇用)が達成されない。後者(完全雇用)が達成されるためには、もっと大きな生産量(たとえば 550兆円)が必要となる。
 ケインズの認識は、まったく正しい。そして、まったく等価なことを、修正ケインズモデルでも示すことができる。実際、何度も「縮小均衡」という概念で説明してきた。

 では、「縮小均衡」という概念で理解すると、現状は、どう理解されるか? 
 「職なき回復」というのは、症状としてみれば現状を言い当てている。ただし、そういう表面的な症状による認識は、事実を誤認させ、思考を混乱させる。それはいわば、「体力なき病気回復」または「体の動けない健康」というようなものであって、ほとんど自己矛盾を含む概念である。「病気が治りつつある」という意味でなら正しいが、「健康になった」という意味では正しくない。
 「職なき回復」という言葉を使うと、景気がまさしく回復しつつある(健康になりつつある)ように思える。しかし、そういう認識は正しくない。「病気の底を打った」ということと、「健康になる」ということは、あまりにも遠く隔たっている。ジェットコースターが最下点から上向きになるということと、ジェットコースターがてっぺんのあたりまで上昇したということとは、まったく別のことだ。上向きか下向きかということと、上にいるか下にいるかということとは、まったく別のことだ。試験の点数でいえば、90点から少し下がったとしても好ましい状況だが、20点から少し上がっても好ましい状況ではない。

 現在の経済状況は、「縮小均衡」として認識できる。それはつまり、「悪化するのをやめた状態」であり、「底打ちした状態」である。そして、この状態では、経済は悪化しなくなったので、(生き残った)企業は業績を回復していく。とはいえ、GDPそのものは縮小した状況であるから、GDP拡大を必要とする雇用増大はない。結局、「企業は(質的に)良くても、失業は(量的に)解決しない」という状況となる。
 結局、現状は「縮小均衡」という状況にある。そういう状況については、修正ケインズモデルから理論的に明らかにされる。この状況を、普通の「均衡」と誤解してはならない。
 だから、今後の予想についても、説明が付く。古典派経済学ならば、「現状は、普通の均衡であり、景気回復過程にある。だからこれからも、どんどん景気は回復していくだろう」という結論が出る。しかし、修正ケインズモデルによれば、別の結論が出る。「現状は、縮小均衡である。景気回復過程にあるとは言えない。このままさらに縮小均衡に向かうとすれば、企業業績はさらに改善するが、雇用はさらに悪化する。このまま景気が回復していくとは言えない」という結論が出る。
 実は、このことは、半年前と比べてもわかる。「外需のおかげで景気は上向きになりつつある」と多くの経済学者が判断したが、現実には、半年後の今、雇用は減少していったことになる。(冒頭のデータを参照。)
 今後、企業業績も雇用も、ともに改善することはあるかもしれない。しかし、だとしても、雇用はごく緩慢に微量に改善するだけだろう。そして、それは、「企業業績も雇用も急速に改善する」という「景気回復」とは別のことなのである。「縮小均衡」は「景気回復」とは別のことなのである。この両者を勘違いしないようにしよう。「企業業績が回復しつつあるから、景気が回復しつつあり、雇用も回復していくだろう」という予想は、成立しないのだ。
 
 まとめ。
 現状は、表面的には「職なき回復」である。これは、「本格的な景気回復」と見るより、「縮小均衡」と見るのが正しい。「景気は回復しつつある」と見るより、「経済は質的には改善してきたが、量的には悪化の速度を緩めただけだ」と見るのが正しい。「これからどんどん景気は良くなる」と見るより、「これからも350万人の失業者はずっと残ったままだ」と見るのが正しい。「これから幸福になる」と見るより、「現状程度の不幸がずっと続く」と見るのが正しい。
 例示しよう。あなたが今、職を持っていれば、現状よりは悪化しなくなったので、解雇される恐れは、まずないだろう。あなたが今、定年退職間近であれば、定年退職後には別の職場を得られないだろう。あなたが今、20代半ばで失業中であれば、定年退職者の穴埋めに雇われることはなく、これからもずっと失業状態が続くだろう。あなたが今、労働者でなく経営者であれば、あなたは雇用を増やさずに生産量だけを増やすことになるだろう。あなたが今、経済担当大臣であれば、「質的に改善しています」と宣伝だけして、無策のままでいて、「量的には悪化したまま」という状況を放置するだろう。(小泉の命令のせいで。)

 [ 付記 ]
 「職なき回復」ないし「縮小均衡」であれ、いくらかは状況が良くなった。一時的な景気回復がある。そのことに、浮かれているようだ。ただし、その代償として、莫大な財政赤字が生じている。そのことを忘れないようにしよう。(実際は忘れているが。)
 とすれば、今後、何らかの弊害が生じそうだ。では、それは、何か? 「スタグフレーション」などだ。
 人々は、「少し生活が楽になったので、少し収入が増えたかな」と思っているようだが、実は、莫大な金を借金しているので、そういう生活が維持できているだけだ。やがて、その借金を返済しなくてはならない時期が来る。それは、デフレを脱出した時期であり、物価が上昇し始めた時期であり、金利が上昇し始めた時期だ。そのとき、「職なき回復」から「スタグフレーション」へと状況が一変するかもしれない。
 今後、「個人消費が増えればいい」という主張がある。個人消費を増やすのが、一般国民であれば、景気は回復するだろう。ただし、そのためには、所得が増えているのが前提であり、その前提は満たされていない。一方、所得の向上なしで、個人消費が増える場合がある。それは、「国債保有者だけが、国債を売却して、個人消費を増やした」という場合だ。この場合、「借金の返済」が景気回復速度に比べて過大になる。すると、物価上昇が急激となり、スタグフレーションが発生する。
 たとえば、インフレ懸念が生じると、国債保有者が国債を売却して、土地や株などの資産を購入するかもしれない。そうなると、資産インフレとスタグフレーションが同時に発生する可能性がある。これを見て、「資産デフレが解決した、物価が上昇するからデフレも脱出した」と浮かれる経済学者も生じるだろう。しかし、ここでは、生産量がろくに向上しないまま、価格ばかりがどんどん上昇していくのである。国債保有者だけは、自分の国債を売って、豊かな生活ができるが、その分、一般国民は、物価上昇を通じて、自分の生活が苦しくなる。(所得が増えないから。)
 こういうひどい状況は、現実に十分、起こりうる。デフレを脱出したとしても、その後、スタグフレーションが来るか、真の景気回復が来るか、その分け目は、「国民全体の所得増大があるか否か」である。そして、現実には、それはありそうもない。(減税をしないので。)……とすれば、「デフレ脱出」よりは、「デフレを不完全に脱出」という「縮小均衡」の状態の方が、まだマシだ、とも言える。
 景気はあまり回復しない方が、まだマシだ、というわけだ。そして、そうなる理由は、マネタリストがあまりにも過剰にマネーを供給したからである。これが「スタグフレーション」をもたらす根源だ。この過剰なマネーを、スタグフレーションが発生する前に、何としても回収する必要がある。……とはいえ、マネタリストは、「ゼロ金利を続けよ。量的緩和を続けよ」と主張して、状況の悪化を放置している。
 日本経済は、「夜明け前」というより、「スタグフレーションの前」と言うべきだ。そもそも、マネタリストは、自分の主張の基本原理を思い出すべきだ。「貨幣数量説によれば、貨幣供給量の増加が、物価上昇をもたらすだけであり、総生産の拡大をもたらさない」ということ。これがマネタリズムの基本原理である。今のように莫大な貨幣供給量があれば、近い将来、莫大な物価上昇が生じる懸念がある。
( ※ それを避けるためには、総所得の増大と総生産の増大が必要。)


● ニュースと感想  (5月07日)

 「縮小均衡の是非」について。前々項前項の関連で。
 最近の景気回復は、何度か前述した通り、「縮小均衡」と見なせる。では、この状況は、良いことなのか悪いことなのか? 
 たいていの人は、「良いことだ」と思っているようだ。「下向きの経済が、上向きになりつつある」と。そして、「このままどんどん上向きになるだろう」と。……しかし、このような「景気循環」という説が正しくないことは、少し前で示した。
 では、それはそれとして、「どんどん上向きになること」は別として、「少なくとも現時点ではちょっと上向きなること( or 下向きになることが止まること)」は、良いことなのだろうか? 
 たいていの人は、「悪化しなくなることはよいことだ」と思うだろう。しかし、私は、そうは考えない。なぜか? それは、次の理由による。
 「下落の停止」は、「需給ギャップが縮小しつつあること」を意味する。ただし、「需給ギャップが縮小しつつあること」が「需要の増加」で実現するのであれば好ましいが、「供給の縮小」で実現するのであれば好ましくない。そして、「縮小均衡」という現実は、後者を意味する。(だから好ましくない。)

 こう言っても、わかりにくいだろう。「需要の増加」が良くて、「供給の縮小」があまり良くない、というのは、おぼろげにはわかるだろうが、「供給の縮小」が悪いと言えるかどうか、はっきりしないと感じられるだろう。そこで、説明しておこう。
 「供給の縮小」は、企業経営にとっては、好ましい。赤字の垂れ流しという状況が改善し、倒産の危険が減る。余剰人員は少なくなり、余剰設備も少なくなる。(リストラの成果だ。)
 しかし、余剰人員は少なくなり、余剰設備も少なくなるとすれば、「急速な拡大」の力がなくなることになる。以前なら、「遊んでいた人員を働かし、遊んでいた設備を働かす」というだけで、元の生産量に復帰することができた。しかし今や、そうは行かない。生産量を増やそうにも、人員も設備もない。労働者は、解雇や新卒停止などのせいで、熟練労働者を急に増やすことはできない。機械は、既存設備がなくなったので、新たに新規投資する必要があるが、すると、平均コストが急上昇する。(以前ならば、限界コストの分だけで生産量を増やすことが可能だったが、新規投資をすると、固定コストが余計にかかり、平均コストが急上昇する。)

 わかりやすく言えば、こうだ。あなたが農業を家族で営んでいる。以前は、あなたの子供もちゃんと働いて、ちゃんと生産していた。ところが、都会で病気が流行したせいで、需要が急減した。価格が暴落して、「困ったな」と思った。しかしやがて、病気が田舎でも流行して、農家の家族も風邪にかかったので、国中の生産も縮小した。そのせいで、価格は元の水準に戻った。これで、うまく均衡した。あなたは一応、ほっとした。やがて、国中で病気が治ってきた。あなたの子供も、病気にかかっていたのが、だんだん治ってきた。こうして、増えた需要と増えた供給とが均衡する、と思えた。「軽い病気は、簡単に治るし、何も問題はない」と思った。ところが、である。翌年ふたたび、同じように病気が流行した。このときは、病気がひどく続いたせいで、あなたの子供は病気を患わせた末、死んでしまった。需要は増えつつあるが、死んだ子供は戻らないので、生産を増やすことができない。「このままじゃインフレになるぞ」と思ったが、周囲は「病気が治りつつある。万歳」と喜ぶばかり。仕方なく、あなたは妻に相談した。「どうしよう?」と。すると妻は答えた。「子供が死んだんだから、もう一人生むしかないわね。頑張って」と。あなたは、ぎくっとした。「せっかく十年もかけて育てたのに、またゼロからやり直すのか? しんどいよ」と。しかし、仕方ないのである。死んだ子供は、生き返らないのだから。
 縮小均衡というのは、供給能力を失うことであり、いわば、子供を死なすことなのである。そのことで需給は調整するので、当面は好ましく感じられる。しかし、しょせんは、供給能力を失ってしまったのだ。そして、今度はゼロから築き上げるしかないのである。……そして、その理由は、「病気が悪化しつつあるときに手当をしなかったから」である。熱が下がっているうちなら、手当をすることで、健康に戻ることができる。しかし、熱が最低にまでなったら、「熱がどんどん下がる」ということはなくなるが、もはや死んでしまったことになるのだから、急に健康になることはないのだ。新たにゼロから築き上げるしかないのだ。

 私はこれまで、「減税で景気回復を」と主張してきた。そして、それは、「余剰な供給能力があること」が前提となっていた。しかし、今や、「余剰な供給能力」は、消えつつあるのである。とすれば、急激に経済が回復する能力もまた、失われつつある、ということになる。
 日本は今、たしかに、なだらかに景気を上向かせることができているのかもしれない。しかし、それは、年率1%程度以下の、ごく微々たる回復である。そんなものは、あるべき姿からは、ほど遠い。本来ならば、減税によって、年率5%程度の急成長が可能であったのだ。それは単に「余剰な供給能力を稼働させること」で済むはずだった。しかし、今や、日本は、そうする能力を失いつつある。
 つまり、「景気が回復しつつある」(縮小均衡になる)というのと、「急成長の潜在能力をなくす」というのとは、同義なのである。日本は、今、ひどい状況に陥りつつあるのだ。

 [ 付記 ]
 たとえ話。百点ばかり取っている秀才が、急に病気になって、頭が働かなくなって、80点になってしまった。病気が悪化するにつれて、点数がどんどん悪化する。人々は心配した。さっさと薬を飲んで、病気を直すべし、と思った。
 やがて、長年を経て、彼の病気は治った。彼の点数は、ふたたび、上向きになった。40点、41点、42点、……というふうに、徐々に上昇していった。しかし、彼は決して、元の秀才にはなれなかった。なぜなら、長患いしているうちに、彼の脳細胞は部分的に破壊されてしまったからである。
 彼は今後、凡才として、徐々に成長することはできる。しかし、いったん秀才から凡才にまで落ちてしまったら、ふたたび秀才になることはできないのだ。
 もし正しい医者が処方すれば、78点ぐらいのときに、病気の秀才に治療薬を飲ませて、ただちに 100点に戻しただろう。しかし、親が「米百俵」などと唱えて、ただの自然治癒に任せたせいで、息子は治療薬を与えられなかった。かくて、秀才が凡才になってしまった。
 それでも親は、現状に満足している。愚かな親は、絶対水準が高いかどうかよりも、上昇するか否かが大事なのだ。「見ろ、40点、41点、42点、……というふうに徐々に上昇していくぞ。この分なら、いつかは、100点になるはずだ」と主張する。現実には、そのペースでは、100点になる前に寿命が来るのだが。

( → 2月03日b 以降にも、「縮小均衡」の話がある。)


● ニュースと感想  (5月08日)

 前項の続き。「職なき回復(ジョブレス・リカバリー)への対処」について。
 職なき回復について、「どう対処すればいいか」という問題を考えよう。
 「職なき回復」」ということであれば、実は、米国も欧州も、そういう状況になっている。ただし、これらの国では、ゼロ金利ではないから、まだ症状は軽い。金利をゼロに下げるという政策手段も残っている。
 しかし、日本はそうではない。ゼロ金利だ。つまり、ゼロ金利にしても、景気悪化を阻止できるだけで、景気拡大の効果はほとんどない。症状はかなり重い。現状を楽観すべきではない。
 現状認識については、そう言える。

 さて。そういう話は別として、経済学の一般原理として、「職なき回復」ないし「縮小均衡」については、どうすればいいだろうか? 
 従来の経済学からすれば、こう言えるだろう。
 「労働力だけが余剰であるのならば、労働者を増やせばよい。それには、労働市場で均衡が達成されるように、賃金を下げればよい。そうすれば、自然に労働力の需給が機能して、労働力の需給ギャップである失業は解決する。……結局、賃金の下方硬直性を解決するのが、問題解決法である」と。
 しかし、賃下げなんかをやれば、総所得が減少するのだから、これはマクロ的には景気悪化を招く。この説は、マクロ経済学を無視した、短絡的な考え方にすぎない。

 では、根本的には、どう考えるべきか? 
 ここでは、肝心なのは、供給力がどれだけあるか、ということだ。換言すれば、遊休設備がどれだけあるか、ということだ。
 第1に、遊休設備がたっぷりとある場合。このときは、遊休設備を稼働するのが正解だ。そうすると、労働者が雇用され、遊休設備が稼働し、生産量は増える。GDPが拡大し、経済は縮小する前の水準に戻る。……不況のあとでは、これが最も好ましい。不況の直後であれば、このことが可能だ。すなわち、遊休設備を稼働させることで、一挙に元の水準まで経済を拡大することができる。「休みは終わりだ、さあ働こう」というわけだ。(ただしその前提として、「需要の増加」が必要。)
 第2に、遊休設備がろくにない場合だ。このときは、稼働させるべき遊休設備がない。(たとえば、「供給過剰」という理由でリストラによって設備廃棄をした場合。)となると、第1の場合のような手段は、やりたくてもできない。つまり、「労働者を雇用して、GDPを拡大する」という方法は、取れない。可能なのは、普通の「経済成長路線」だけである。すなわち、「少しずつ新規投資をして、その新規投資によって、経済をなだらかに成長させていく」という方法だ。元の水準まで戻るには、数年または十数年もかかりそうだ。そして、GDPがろくに成長しないとなると、失業を解決する手段は、たった一つしかない。「ワークシェアリング」である。すなわち、「全員が部分的に失業する」という形だ。
 
 この二つの場合を、実状に合わせて考えると、どうか? 
 日本ならば、第1の方法が効くはずだ。遊休設備は、まだかなり残っているはずだ。また、技能のある社員も、かなり残っているはずだ。これらを多大に働かせることで、経済を成長させることができるはずだ。
 欧米ならば、第1の方法はあまり利きそうもない。GDPが急激に縮小したわけではないから、余剰な生産設備はないだろう。とすれば、こつこつと緩慢な成長路線をたどるしかない。となると、失業を解決するには、「ワークシェアリング」が正解だ、というになる。

 まとめ。
 「職なき回復」に対する処置は、経済縮小のあった日本と、経済縮小のなかった欧米とでは、異なる。前者では、経済拡大をめざして、GDPの拡大のための景気刺激をするの正解だ。後者では、GDPの拡大なしに失業を解決すること、つまり、ワークシェアリングが正解だ。
 結局、日本は、「景気回復基調にある」なんて浮かれていないで、さっさと「急激な経済拡大」をもたらす道(総需要拡大策)をたどるべきだ。一方、欧米は、急激な経済回復をめざして需要拡大策を取っても、生産設備の不足によってインフレになる懸念があるから、経済成長については「やや高めの経済成長」をめざすにとどめておいて、基本的には「ワークシェアリング」によって失業を解決すればよい。

 [ 付記1 ]
 ワークシェアリングは、欧米では好ましい。特にアメリカでは、労働時間が非常に長いということなので、労働時間短縮は好ましことだ、と言える。生産性はどんどん向上しているのに、今のアメリカ人は往時のアメリカ人よりもずっと長時間労働だ。どこかが狂っている。

 [ 付記2 ]
 「ワークシェアリング」と比較すると、「賃下げ」というのは、マクロ的に経済そのものを縮小する効果があるので、まずい。企業は生産コストを下げられるが、同時に、買う客が減って、売上げが減る。縮小のスパイラルに落ち込む。これが理論的帰結だ。
 また、現実を見ても、「賃下げ」説が間違っているのは、すぐにわかる。現在、「サービス残業」というなの「賃金不払い」が進んでおり、実質的な賃下げはどんどん進んでいる。なるほど、そのことで、劣悪な企業が倒産しないで済むし、その企業の雇用も守られる。しかし、そんなことは、まったく無意味である。たとえば、「日本中の企業でサービス残業」なんかをやっても、経済状況は少しも改善しないし、人々は不幸になるだけだ。
 それよりは、単純に、「元に戻す」だけの方がずっと好ましい。つまり、「GDPの回復・拡大」である。そうすれば、「劣悪な企業が倒産しなくて済む」のではなく、「劣悪な企業が優良な企業になる」というふうになる。
 たとえて言えば、「病人が破産しないで済むために食事を減らす」なんていう方法よりは、「病人の病気を治す」というのが根本対策なのだ。

 [ 付記3 ]
 参考情報として、韓国経済の情報をメモしておく。
 韓国でも、事情は日本と同様であるらしい。経済成長が進んでおり、景気回復が進んでいるように見えるが、その内実は、外需主導の輸出増加による経済成長であり、消費増大がない。失業はなかなか解決せず、「職なき景気回復」(ジョブレス・リカバリー)となっている。(読売・朝刊・経済面 2004-04-16 )
 同病、相哀れむ? いや、経済学者の失敗による症状は、どこでも同じだ、ということ。経済学者が同じように処方を間違うと、病人も似たようになる。


● ニュースと感想  (5月11日)

 金融政策の「出口論議」について。
 「景気は回復しつつある」または「デフレを脱しつつある」という前提に立って、「金融政策をどうすればいいか」という議論がある。これを「出口論議」という。(詳しい話は、読売・朝刊・経済面 2004-04-29 など。)
 これによれば、「物価下落が収束しつつあるので、デフレを脱しつつある」と判断する。そこで対処法として、二つの立場がある。
 「いつまでも過剰な量的緩和をし続けるわけには行かないのだから、いつかは過剰な量的緩和をやめるべきだ」
 「量的緩和をやめたら、そのせいで先行きの楽観が崩れて、景気が一挙に腰折れしてしまう。かつてのゼロ金利解除の二の舞だ。だから、ちょっと景気が回復したぐらいではなく、もっと大幅に景気が回復してから量的緩和を解除するべきだ」

 この二つの意見のうち、後者が有力である。たしかに、かつてのゼロ金利解除では、量的緩和の停止と同時に、回復しつつある景気が腰折れして、景気は急激に悪化した。
 ただし、過去の事例における分析と、「何をなすべきか」という対処法とは、別のことである。過去の事例における分析からは、「こうしてはいけない」ということはわかるが、「こうするべきだ」ということはわからない。
 核心を示そう。過去の事例からわかるのは、「ゼロ金利解除を単独でやってはいけない」ということだ。「ゼロ金利解除を決してやってはいけない」ということではない。いつかは必ず、ゼロ金利解除の時期が来る。その点では、前者の主張が正しい。
 前者の主張のポイントは、何か? 「いますぐゼロ金利解除せよ」ということではない。「いつかはゼロ金利解除をするべきだ」ということだ。「永遠に量的緩和を続けることはできない」ということだ。なぜか? 永遠に量的緩和を続けていれば、急激な物価上昇が突然押し寄せるからだ。いわゆる「薪に火がつく」状況である。現在、過剰な量的緩和は、百兆円を大幅に上回る規模で実施されている。この1年間の円安介入による資金供給だけでも 80兆円だ。一方、GDPが 500兆円であり、マネーサプライも同規模であり、ハイパワードマネーはずっと小規模だから、この 80兆円というのがいかに狂気的な規模であるかわかる。下手をすると、一挙に物価が2倍以上に上昇しかねない。そのとき、国民の実質所得は半減し、消費が半減し、恐ろしい経済悪化に見舞われる。これは、「物価上昇」と「GDPの縮小」をともなうスタグフレーションだ。
 で、この状況を避けようとして、大幅な金利引き上げを実施すれば、やはり、企業が高金利に耐えかねて、次々と失業する。失業の増大で、消費も縮小する。これはこれで、やはりスタグフレーションをもたらす。
 結局、過剰な量的緩和のせいで、大幅な物価上昇が起こると、金利を上げなくても上げても、スタグフレーションが起こる。物価は大幅に上昇し、GDPは大幅に縮小する。日本全体の経済力は、大幅に削減される。国民の大部分は非常に苦しくなる。(ただし、資産家だけは、資産価格が上昇して、大儲けする。国民の大部分を尻目に、ごく少数の資産家だけが得をする。)
 要するに、「ゼロ金利解除」を先延ばしにすると、当面はずっと景気回復効果が続くが、そのうち、景気回復が本格化したころに、過剰なマネーのせいで、物価の急上昇が起こり、同時に、スタグフレーションが起こるのである。(2000年夏には、そこまで達しないうちに、ゼロ金利解除がなされた。)

 では、どうすればいいのか? 
 すでに述べたとおり、大幅な物価上昇が起こってからでは、金利を上げても下げてもスタグフレーションを避けられない。だから、大幅な物価上昇が起こる前に(景気が本格回復する前に)、何らかの手を打つ必要がある。
 とはいえ、その際、金利を上げれば景気の腰折れの危険があり、金利を上げなければ急激な物価上昇の危険がある。どっちにしても、駄目だ。これがいわゆる「出口論議」の問題だ。そして、それに対しては、正解は存在しない。どうやっても駄目である。そのことが、これまでの議論から判明したことだ。

 では、本当に、どうすることもできないのか? いや、そんなことはない。従来の経済学の枠内では、正解はないが、従来の経済学の枠の外では、正解がある。すなわち、「金融政策だけで」という枠内では、正解はないが、「金融政策だけで」という枠の外では、正解がある。
 では、それは、何か? もちろん、「金融政策以外の方法」を用いて、何かをすることだ。そして、その何については、すでに何度も説明してきた。つまり、「減税」である。
 「減税」を実行して、消費を増やし、景気回復効果を出すこと。同時に、過剰な量的緩和をやめて、過剰なマネーを市場から吸収すること。こうすれば、景気を回復させて、かつ、急激な物価上昇を避けることができる。このとき、市場には、景気回復のために必要な資金だけが供給され、それ以上の資金は供給されない。

 ただし、現状は、そうではない。金融当局は、マネタリズム的な政策により、「現実に景気回復に必要な資金」を越えて、過剰な資金を供給している。その過剰な資金は、「将来の景気回復を予想させるための資金」である。その分の金は、効果をもたないまま、見せ金として示されている。しかし、その見せ金が、景気回復の時点でまさしく効果を発揮し始めることになる。そのとき、危険が暴発する。ここでは、「見せ金」という政策が、根本的に間違っているのだ。

 [ 付記 ]
 たとえ話。怠け者の労働者がいる。経営者が「働け」と言っても、働かない。そこで、「働けば、将来、報奨金をもらえるよ」と告げて、「ほら、こんなに」と会社の現金を見せる。しかし怠け者は、「ふん」と言って働かない。そこで会社は、見せ金の量を増やす。十万円、二十万円、三十万円、……と。それでも労働者は働かない。そこでついに、1億円まで、見せ金を増やした。とたんに、労働者は、働きだした。そのあとで、「金を寄越せ」とつかんで、1億円を奪って、逃げ出した。経営者は、びっくりした。「これはただの見せ金なのに。奪われる前に、回収するはずだったのに。しまった。予想が外れた。見せ金が見せ金でなくなる前に、さっさと回収しておけばよかった」
 しかし、いったんそうなってから後悔しても、手遅れなのだ。「奪われる前に引っ込めておけば良かった」などと思っても、そんな発想そのものが甘すぎるのだ。
 つまり、スタグフレーションが起こってから、「量的緩和をやめておけば良かった」と思っても、手遅れなのだ。1億円をすぐには動かせないように、世間にある百兆円以上をすぐに動かすことはできない。無理に動かそうとすれば、ものすごい金利上昇が発生する。大量の資金を容易に動かせるのは、ゼロ金利のときに限られる。いったん景気が回復したら、ゼロ金利を脱するのだから、その時点では、大量の資金を容易に動かすことは不可能となる。

 [ 補説 ]
 「スタグフレーション」は、必然的か? 実は、スタグフレーションのかわりに、別のものが起こることがある。どうなるかは、状況しだいだ。

 (1) 資産インフレ
 スタグフレーションのかわりに、資産インフレが起こることもある。バブル期は、そうだった。このときは、なぜスタグフレーションが起こらなかった(資産インフレが起こった)かというと、理由は、二つ考えられる。
 一つは、急激な円高が進んだことで、国内物価の上昇が抑制されたことだ。ただし、ドル表示の物価は大幅に上昇していたわけだから、「円高が進んだのに、あるはずの物価下落が起こらなかった」という意味では、スタグフレーションが起こったと見なしてもいい。(円高にともなう失業増加はあった。)
 もう一つは、直前に、過剰な量的緩和がなかったことだ。もともと薪はなかったから、「薪に火がつく」という形にはならなかった。つまり、もともと過剰な量的緩和があったわけではなくて、過剰な量的緩和は円高以降になされた。その意味で、量的緩和は徐々に進んだ。また、量的緩和の規模も、あまり過剰ではなくて、そこそこだった。現在のように百兆円を超える量的緩和(余剰資金)があったわけではない。もちろん、ゼロ金利であったわけでもない。

 (2) 単純なインフレ
 スタグフレーションのかわりに、「単純なインフレ」が起こることもある。これは、直前の景気が不況ではなくて好況であった場合だ。
 例としては、田中角栄時代の狂乱物価がある。過剰な資金は、「列島改造計画」を通じて実需に回され、原材料その他の価格が急上昇した。普通の人は、インフレ対策として、テレビや自動車をどんどん買うかわりに、「ストック(貯蔵物)となる物品」を購入しようとした。どうせなら、石油や鉄鉱石や銅などの経済資源を買えばいいのだが、家庭の主婦にはそんな発想はないから、とりあえず、すぐに頭に浮かぶトイレットペーパーのストックを増やそうとした。かくて、トイレットペーパーが市場から消えた。その他、さまざまな原材料や商品が高騰した。(ついでに土地も高騰した。)
 ここでは、列島改造計画というケインズ政策が裏目に出たわけだが、それと同時に、石油ショックによる輸入インフレがあった。単に貨幣供給量が増えただけではなくて、列島改造計画と石油ショックが背景にあった。(この背景を無視して、貨幣量だけを調整しようとするのが、マネタリズム政策。狂乱物価を収束したが、日本にひどい不況をもたらした。戦後初のマイナス成長。このとき、マネタリストは自画自賛した。「大量の倒産と大量の失業者が発生した。何とすばらしい!」と。)

 まとめ。
 スタグフレーションのかわりに、「資産インフレ」や「単純なインフレ」が起こることがある。どうなるかは状況しだいだ。そして、その状況とは、「そのときの景気(実需)がどうであるか」ということと、「大量の余剰資金がもともとあふれていたかどうか」ということだ。
 実需がなければ、単純なインフレよりも、資産インフレになる。大量の余剰資金がもともとあれば物価上昇が急激に発生しやすい(制御しにくい)が、大量の余剰資金がだんだんと供給されるのであれば物価上昇もだんだんと進む(制御しやすい)。
 現状は、実需がなくて、大量の余剰資金がもともとある。この状態では、資産インフレになりやすい。ただし、途中で実需が生じると、(投機を通じて)急激な物価上昇が起こりやすく、その後、大幅な金利上昇を通じて、スタグフレーションになりやすい。「デフレからインフレになだらかに移行する」というのは、望ましいシナリオだが、そのためには、大量の余剰資金をあらかじめ解消しておく必要がある。







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「小泉の波立ち」
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