[付録] ニュースと感想 (61)

[ 2004. 2.15 〜 2004. 2.24 ]   

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● ニュースと感想  (2月15日)

 「クラウディング・アウトとミドル経済学」について。
 財政赤字と投資との関係については、少し前にシリーズで述べた。そこで示したことは「ミドル経済学」と称せるものだ。ただ、ここでは「クラウディング・アウト」について言及が不足していたので、補足しておく。
 クラウディング・アウトについては、1月07日 で問題提起の形で言及したし、 1月10日 以降では処方の形で言及した。ただし、クラウディング・アウトの本質については、特に説明していなかった。実質的な話は十分にシリーズで説明したが、特にクラウディング・アウトという概念では説明しなかった。そこで、あらためて、補足する形で説明しておく。

 そもそも、次の問題がある。( → 1月07日 の問題提起)
 「景気が回復すると、民間の資金需要が増える。一方で、財政赤字の発生が継続するから、政府の資金需要もたくさんある。とすれば、両者の間で、資金の逼迫が起こる。この問題を、どうすればいいか?」

 これに対して、次の回答を出した。( → 1月10日1月11日
 「増税または物価上昇が必要である。どちらにするかは、最適の比率がある。具体的には、物価上昇率が5%になるようにするのがよい。物価上昇率が5%を越えた分は、増税」

 ここまでは、すでに説明したとおりだ。問題は、それを「クラウディング・アウト」という概念を用いて説明することだ。そこで、すでに述べたミドル経済学の考え方を応用すれば、次のように説明できる。
 まとめて言えば、こうだ。
 景気回復にともなって、クラウディング・アウトが発生する懸念がある。だから、放置すれば、状況は悪化する。しかし、だからといって、悲観することはない。放置すれば状況は悪化するが、最適の処置をすれば問題はない。では、最適の処置とは何か? 「増税」である。これを、景気回復が十分になされたあとで実施すればよい。
 「増税」をすれば、二つの効果がある。
 一つは、財政赤字の解消によって、国債発行の問題がなくなることだ。政府は国債をどんどん発行する必要がなくなるから、資金の逼迫が起こりにくくなる。
 もう一つは、国債の発行を減らして、借金返済を進めることで、国債所有者に渡った金が、金融市場を通じて、資金が投資に向かうことだ。(これで金利は低下する。)
 ここでは、次のことが核心となる。それは、「財政赤字の解消」がただちに「民間投資資金の増大」につながる、ということだ。両者は一つのことの裏表の関係にある、ということだ。たとえば、財政赤字の削減が 10兆円あれば、その 10兆円は、政府に向かうことがなくなったので、(国債所有者と金融市場を通じて)民間投資に向かう。政府の赤字蓄積という問題を解決することで、民間の資金不足という問題も解決される。「一石二鳥」のような効果がある。……そういうことが、資金の流れを理解することから、判明する。これがミドル経済学の教えることだ。( → 1月26日b の (2)

 [ 補説 ]
 たとえて言えば、こうだ。クラウディング・アウトというのは、綱引きのようなものである。一本の綱を、右側と左側とで、引っ張り合う。両方が強く引っ張り合うので、綱が切れそうになって、大問題だ。これが、資金の逼迫だ。
 では、こういう状態は、どうして発生したか? 左側は官需であり、右側は民需である。どちらに多く配分するかというのは、比率の問題である。一方、双方の強さがともに強くなるというのは、マクロ的な総需要の問題である。官需と民需がともに強くなったときに、景気過熱が起こり、クラウディング・アウトが発生する。
 ここで、各政策は、次の効果がある。
 このうち、1番目の問題が、経済学でしばしば話題になった。この対比からわかるとおり、「需給ギャップ」と「クラウディング・アウト」とは、反対のニュアンスの概念である。綱引きで言えば、両方がたるんでいるのが「需給ギャップ」であり、両方が引っ張っているのが「クラウディング・アウト」である。(ただし、クラウディング・アウトという用語は、特に資金市場における事柄であり、需給ギャップというのは特に商品市場における事柄である。資金市場だけに着目すれば、クラウディング・アウト[資金逼迫]の反対概念は、「資金の飽和」もしくは「流動性の罠」である。)
 2番目の問題は、「大きな政府・小さな政府」の問題だ。必ずしもどちらがよいとは言えない。つまり、最適の点があるはずだ。それに対して、「最適の点よりもどちらに偏るべきか」という問題であると解釈すれば、「中くらいの政府がよい」と答えるしかあるまい。
 3番目の問題は、ミドル経済学のシリーズで、詳しく言及した話題だ。

 [ 付記 ]
 増税による国債償還は、帳簿の赤字を解消するためではなくて、投資と消費の比率を最適化するためである。「借金を減らす」という道徳のためではなくて、実体経済を最適化するためである。このことは、すでに何度も述べてきたことだが、大切なことなので、留意しよう。(たいていのエコノミストは、「借金はけしからん」というのを、単に道徳だけで論じているが。)
 なお、なぜそういう形の比率変更が必要であるかは、次項で述べる。


● ニュースと感想  (2月16日)

 「ミドル経済学と、金融市場の限界」について。
 ミドル経済学の根本課題は、「投資」と「消費」の比率の最適化である。では、それは、どうやってなされるか? このことを、従来の経済学と比較して考察しよう。
 古典派流の「市場経済」原理によれば、「投資」と「消費」の比率の最適化をなすのは、「金融市場を通じた自動調整」であろう。すなわち、「(投資の)資金需要と、(消費の逆の貯蓄意欲としての)資金供給が、需要と供給の関係をなして、一定の金利で自動調整される」と。これは「需給曲線による自動調整」という考え方だ。( IS-LM 流だ。本項末の「補足」を参照。)
 なるほど、これは、もっともらしい。しかし、これには、「資金需要の需要曲線が一定であれば(変動しなければ)」という前提が付く。現実には、どうか? 「加速度原理」が働く。つまり、「消費が増えれば増えるほど、投資需要は何倍にも増える」という原理が働く。つまり、先の前提は、まったく成立しない。前提が成立しないのだから、その後の話はすべて無効である。つまり、「金融市場を通じた自動調整」などは、ありえない。
 たとえば、「金利を高くすれば、投資意欲が減少して、貯蓄意欲が増大する。だから、高金利政策によって、スタグフレーションを解決できる」というのがマネタリズム流の処方だが、そんなことは成立しない。20%の物価上昇があるときには、15%の高金利にしても、まだまだ投資意欲は続く。その一方で、高金利に耐えかねた倒産は続出する。
 要するに、「市場を通じた最適化」というのは、「投資と消費の比率配分」については、成立しないのだ。一般商品の需給については「市場を通じた最適化」がなされるが、資金の需給については「市場を通じた最適化」はなされないのだ。ミクロ的な市場においては、マクロ的な影響を無視できるから、「需給曲線そのものが変動すること」を無視できるが、(一国全体の)金融市場においては、マクロ的な影響を無視できないから、「需給曲線そのものが変動すること」を無視できないのだ。
 結局、(市場における)「需給曲線による最適調整」は、一般商品については成立するが、資金については成立しない。だから、「投資と消費の比率の最適化」(双方に回す資金の最適化)は、金融市場を通じてなすかわりに、別の方法で行なう必要がある。それが「増減税」である。
 そして、「増税」をしたとき、増税によって得た金を「民間」または「日銀」のどちらに返済するかによって、うまく配分を変更できる。民間に返済すれば、「借金返済」(投資拡大・財政赤字縮小)となるし、日銀に返済すれば、「貨幣供給量の縮小」(単なる物価下落)となる。この両者の比率を調整することで、「投資と消費の比率の最適化」をなすことができる。
 こういう原理を示すのが、ミドル経済学だ。ミドル経済学は、「金融政策」の限界を示し、「増減税」という政策の有効性を示す。

 [ 付記1 ]
 逆に、ミドル経済学を理解しないと、頭が混乱してしまう。
 たとえば、「せっかく景気が回復したと思ったら、クラウディング・アウトが発生してしまった。民間では資金需要が増えたが、高金利で、投資が増えない。そのせいで、供給不足となり、ひどい物価上昇が発生する。おまけに政府は財政赤字が莫大だ。高金利で、財政赤字は、雪ダルマのように拡大していく。困った、困った」と大騒ぎする。「クラウディング・アウトは、大問題だ。これは、マネタリズムの高金利でも、ケインズの公共事業でも、うまく解決できないぞ。経済学の限界だ。困った、困った」と大騒ぎする。
 従来の経済学には、「投資と消費の比率の最適化」という概念がない。また、「増減税を通じた貨幣供給量の調節」という概念もない。これでは、刀をを持たない武士と同様で、敵と戦うすべがないのだ。
 かくて、従来の経済学の欠点と、ミドル経済学の意義とが、よくわかる。クラウディング・アウトという問題例を取り上げることで、こういうことがわかるわけだ。

 [ 付記2 ]
 ミドル経済学のうち、「景気回復後」「景気過熱後」の問題となるのが、「クラウディング・アウト」の問題だ。一方、ミドル経済学のうち、「景気回復前」「デフレ」の問題となるのが、「タンク法の減税」である。ここでは、「金利低下による投資拡大」のかわりに、「減税による消費拡大」の重要性を示す。ここでも、「投資と消費の比率の最適化」が問題となる。
 その意味で、「タンク法の減税」は、ミドル経済学の一分野である、と言える。(タンク法の位置づけ。)

 [ 付記3 ]
 ミドル経済学を理解すれば、クラウディング・アウトになる前のデフレのさなかに何をするべきかも、よくわかる。ここでは、「増税をして投資を増やすこと」ではなくて、「減税をして消費を増やすこと」が大切となる。(タンク法の減税。)
 そして、だとすれば、何をなしてはならないかもわかる。たとえば、「投資減税」だ。どうせ減税をするにしても、「投資拡大」では、方向がまるきり見当違いである。投資の拡大は、「低金利」だけで十分なのであり、それでもまかないきれないような投資をあえて促進するとしたら、「不採算事業の促進」をしていることになり、「不良債権となるべきもの」を増やしていることになる。とんでもないことだ。
 いくら需要を増やすためだとはいえ、「需要を増やす政策は何でもいい」といことにはならない。需要を増やそうとするときには、「投資」と「消費」の区別をはっきりとなすべきだ。デフレのときには、「消費」を増やす財政政策は正しいが、「投資」を増やす財政政策は正しくない。経団連やサプライサイドのように、「投資減税をせよ」なんて声は、まったくトチ狂っているのだ。

 [ 補足 ]
 本文中で述べたことについて、少し補足しておく。(資金の需給曲線の変動について。)
 資金の最適配分については、IS-LM における解釈もある。これは従来からある解釈だ。これについて、少し言及しておこう。
 IS-LM 前にも述べたが、IS-LM というのは、正しくない説明である。局所的・短期的には成立するが、長期的にはまったく成立しない。(むしろ逆のことが成立する。)
 なぜか? IS-LM では、資金の需要曲線および供給曲線を、固定的に考えている。短期的には、そうか考えてもいいだろう。しかし、長期的には、資金の需要曲線および供給曲線は大きく変動するのである。均衡点は、一つの曲線の上で移動するのではなくて、まったく別のところを移動する。
 「資金供給(貯蓄)と資金需要(投資)とが、曲線上の好転として、最適の点で均衡する」という主張は、短期的には成立するとしても、長期的にはまったく無意味である。たとえば、景気が好転すれば、「消費が増えるから、貯蓄が減って、投資が減る」のではなくて、「消費が増えると、加速度原理で、投資意欲が何倍も増える」のである。かくて、スパイラルが発生する。……こういうことをモデル的・終了的に考えるのが、マクロ経済学だ。しかるに、古典派的な思考では、マクロ的なことは考えられない。単に需給曲線で「均衡」を説明するだけだ。
( ※ こういうのは、単細胞ですね。似た単細胞として、インフレのときもデフレのときも、「生産性の向上」とだけ主張する人[サプライサイド]もいるが。……とにかく、古典派というのは、単細胞ぞろいだ。馬鹿のひとつ覚えというか。)


● ニュースと感想  (2月17日)

 「ミドル経済学のまとめ」。
 ミドル経済学について、簡単に要約しておこう。
( ※ 別の形の要約は、次項で。)
( ※ その他、円安介入に関する話もある。海外との借金関係の話。 → 2月12日 など。)

 現在、国には莫大な借金が溜まっている。この巨額の借金は、問題だ。そこで、「借金を返済しよう。破綻を回避しよう。ゆえに増税(または財政緊縮)をしよう」という主張が出る。(朝日・朝刊・オピニオン面 2004-02-12 など。)
 しかし、こういう素朴な発想は、経済学的な原理を無視した、まったくの素人議論である。「こうすればこうなる」という論理的な議論にはなっておらず、単に「赤字が溜まると問題だから借金を返済しよう」という短絡的な道徳論になってしまっている。
 では、正しくは? 以下に示そう。
 結局、「財政赤字を解消するにはどうすればいいか?」という問題については、「増税をすべし」というふうに簡単に答えるべきではない。「増税」は、いつかは必要だが、そのためには、条件がある。
 「増税」つまり「借金返済」をなすなら、上記の条件を守ることが必要だ。こういう条件を無視して、やみくもに「借金を返済しよう」などと主張するのは、経済学を無視した暴論である。そんなことをすれば、日本経済を破滅させてしまう。破綻を回避しようとして、かえって破綻を招いてしまう。
 借金返済は、返済を開始する時期を早めることが大事なのではない。返済を完了する(完済する)時期が大切なのだ。返済を開始する時期をやたらと早めれば、かえって、返済を完了する時期が遅れてしまう。こういう皮肉な結果を招かないように、経済学を正しく理解するべきなのだ。

( ※ こうして正しく理解するための学術分野が、ミドル経済学である。ここでは、「借金返済」を通じて、「投資の消費の比率を最適化すること」が課題となる。この両者の関連を理解することが大切なのであって、帳簿の赤字の数字が大切なのではないし、道徳が大切なのでもない。)

 [ 付記1 ]
 冒頭の記事では、「借金を積み重ねれば、やがては若者に重い税負担が降りかかるだろう」と述べている。しかし、これは、間違いである。
 たしかに、借金というものは、いつかは「ツケ払い」が必要だ。しかし、それを払うのが「若者」だとは限らないし、増税が「重い」とも限らない。
 第1に、現在の「若者」が払うとは限らない。実際、現在の中高年は、かつて「若者」であった。そのころの日本は赤字を蓄積してきたが、だからといって、現在までに、大幅な増税を課されてはいない。つまり、いつかは「増税」が来るとしても、その「増税」が来る前に、死んでしまえば、借金は後の世代に「先送り」できる。「若者にツケ回しをする」としても、「若者がそのまた子孫にツケ回しをする」ことも可能だから、「若者が払う」とは限らないのだ。
 第2に、増税が「重い」とも限らない。必要最小限の増税とは、「利払い」の分だけである。金利が上昇していなければ、「利払い」の分ぐらいは「重い」とは言えない。元金の分は、先送りしてしまえばいいからだ。実際、これまでの日本は、そうしてきた。
 第3に、増税で「金を失う」ということにはならない。正しい政策は、「金を失う」ことではなくて、「労働を失うこと」つまり「タダ働きすること」である。このとき、人々は、「金が足りない」と嘆くのではなくて、「労働時間が長い」と嘆くのである。
 第4に、先送りは、ある程度の解決策になる。なぜなら、生産性の向上があるからだ。「労働時間が長い」と思っていたら、いつのまに技術革新が進んで、人々は短時間労働で済むようになっていた、というふうになるかもしれない。とすれば、先送りというのも、ある程度は解決策になっているのだ。実際、現在の若者の生活レベルは、50年前の人々の生活レベルに比べれば、ほとんど天国のようである。この状況で「増税」があったとしても、50年前の生活レベルに比べれば、はるかに安楽であろう。(昔は家電製品もなかったし、週休二日制もなかった。)
 結局、「財政赤字が大変だ、大変だ」と騒ぎ立てるべきではないのである。「目の前に危険があるぞ」と大騒ぎすることが大切なのではなくて、正しい回避策を出すことが大切なのだ。「危険があるぞ」と大騒ぎした末、「だから進路を変えねば」と思って、進路を変えたら、脱線してしまった……というふうになりかねない。冒頭の記事は、そういう愚者の主張なのである。本末転倒。だから、焦ってやたらと進路を変えるよりは、正しい進路を取ることが何よりも大切なのだ。

 [ 付記2 ]
 ついでに言えば、必ずしも「増税」が必須となるとは限らない。「増税」と「物価上昇」とは、同等の効果があるからだ。(前述のミドル経済学のシリーズを参照。)
 だから、「増税」をしなくてもいいのである。かわりに、「物価上昇」が起こるだけだからだ。逆に言えば、「物価上昇」が起こりそうもないときには、「増税」をする必要はないし、また、「増税」をすればかえって逆効果で、状況を悪化させてしまうのだ。
 「やがて増税が起こるから、今のうちに増税するべきだ」というのは、完全に間違った理屈である。「やがて物価上昇が起こるから、そうなったときに、物価上昇と増税のどちらかを選択する」というふうにすればいいだけだ。「物価上昇の起こらないうちに、早めに増税をする」というのは、基本的に狂った愚者の政策なのである。危機を回避しようとして、別の形の危機に衝突する結果になるわけだ。

 [ 付記3 ]
 冒頭の主張の難点を、本質的に示そう。
 現在、財政赤字を出している。これは、(少し前に述べた米国の対外関係と同様で)「過剰消費をしている」という状況である。つまり、「働かないで、金を使う」という状況だ。
 これは、問題がある。「将来、金を奪われる」と論者は主張する。「だから、将来になって、金を奪われないで済むように、今のうちに金を奪われればよい」と主張する。なるほど、そうすれば、将来になって金を奪われる危険はなくなる。しかし、そんなことでは、状況はかえって悪化するばかりなのだ。
 では、どうするべきか? 「働かないで、金を使う」という状況は問題であるし、是正するべきだ。ただし、正しい政策は、「働かないで、金を使わない」という状況ではなくて、「働いて、金を使う」という状況なのだ。借金を減らすためには、必要な生活費を削って栄養失調になることが大切なのではなくて、失業しないで働くことが大切なのだ。「金を使わないこと」が大切なのではなくて、「働くこと」が大切なのだ。
 ここを勘違いしているのが、冒頭の主張だ。単に帳簿の帳尻あわせだけをめざして、物事の本質を勘違いすると、こういう間違いを犯す。

 [ 余談 ]
 ここでは、「借金なんかダメだ」という道徳論としての主張を批判した。
 さて。これは、「借金をしなさい」という悪魔ふうの勧告( → 2月13日b の最後)と比べると、正反対である。では、悪魔の主張と正反対であれば正しいか? もちろん、そんなことはなくて、これもまた間違った主張なのである。
 結局、「ずる賢い悪魔」と正反対なのは、「賢明な天使」ではなくて、「愚鈍な善人」であるわけだ。冒頭の主張のように、道徳だけで経済を論じるのは間違っているのだ。
( ※ 要するに、「借金をやり放題にせよ」という悪魔の主張も正しくないし、「餓死してもいいから借金を一切やめよ」という道徳論者の主張も正しくないわけだ。借金というのは、それ自体を善悪で論じるべきものではなくて、「どれだけの借金をすると、どれだけの効果があるか」というふうに、数量的・分析的に論じるべきものなのである。それが経済学の立場だ。)


● ニュースと感想  (2月18日)

 「ミドル経済学の簡単なまとめ」。
 前項では、「財政赤字」の観点から、ミドル経済学についての要約を示した。一方、別の形の要約もできる。それは、すでに別のところで記した。( → 1月26日c
 これについて、核心をさらに説明しておこう。(前項とダブらない範囲で。)── 具体的には、「増税と物価上昇」の関係について述べる。

 借金返済は、「財政黒字」という形でなされるのが普通だ。それは「増税」と言い換えてもいい。(「増税」で収入を増やすのでもいいし、「財政緊縮」で支出を減らすのでもいい。いずれにせよ、国民の所得を実質的に奪うことになる。)
 ここで大切なのは、「増税」と「物価上昇」の等価性だ。つまり、借金返済のためには、「増税」も「物価上昇」でも、どちらでも同じことなのである。
 では、なぜか? これは、理解しにくいことと思える。ただし、「買いオペ」という操作を理解すると、本質がわかる。
 「買いオペ」は、マネタリズム流の解釈によれば、単なる「貨幣の増加」にすぎない。しかし、本当はそうではない。ここでは、「貨幣の増加」があるがあるだけではなくて、「借金の返済」があるのだ。

 「買いオペ」とは、「日銀による国債購入」である。このとき、「国債購入」がなされることで、金融市場にある国債が償還される。つまり、「借金返済」がなされるのだ。(このことに着目するのが大切。)
 このとき、「借金返済」の原資は、何か? 何もないところから原資が出てくるわけではない。金が空から降ってくるわけではない。では、金は、どこから出てきたか?
 この金は、日銀が金を増やしたこと(お札を刷ったこと)によってもたらされる。つまり、貨幣が増加している。ただし、このとき同時に、「貨幣の増加」の半面として、「貨幣価値の低下」が起こっている。すなわち、物価上昇が起こっている。それによって損失を受けるのは、貨幣をもっている人々、つまり、国民全体である。
 結局、「買いオペ」がなされると、国民は「物価上昇」によって損失を受けるが、その分、「借金返済」がなされることになる。そして、それは、「増税」による「借金返済」と同じ効果がある。
 つまり、国民は、5兆円の借金返済をするとき、次の二つから選択ができる。
 というわけで、借金返済には、「増税」と「物価上昇」の二通りがあり、そのどちらも、原理的には同じような効果があるのだ。( → 1月25日
( ※ ただし、原理的に同じような効果があるとしても、現実的には差がある。 → 1月30日
( ※ 正確には、ハイパワードマネーとマネーサプライを区別することも大切だ。ハイパワードマネーを増やした量よりも、マネーサプライの増える量の方が、大きい。そして、そのせいで、貨幣の増加をともなう「物価上昇」は、「増税」よりも付随する弊害が大きい。)

 [ 付記1 ]
 とにかく大切なのは、「買いオペ」つまり「量的緩和」には、単なる「貨幣の増加」だけでなくて、「借金返済」の効果がある、ということだ。逆に言えば、「貨幣の増加」ばかりに着目するマネタリストは正しくない、ということだ。
 マネタリストの主張によれば、「貨幣の増加は、物価上昇をもたらす」ということだけでおしまいである。そのことにしか着目しない。しかし、そのとき同時に、「借金返済」もなされている。とすれば、一般の人々は、そのとき、富を奪われているのである。
 マネタリストは、「量的緩和をすれば、投資が増える。投資が増えれば、その波及効果で、消費も増える」と主張する。なるほど、そういう効果も、あることはある。しかし、そういうおおざっぱな論法は、物事の一面だけをことさら拡大して主張しているだけであり、定量的な議論にはなっていないのだ。「風が吹けば桶屋が儲かる」というのと同様の理屈にすぎない。
 定量的に考えれば、どうなるか? それがまさしく、ミドル経済学のなすことだ。すなわち、均衡状態においては、「量的緩和」によって、「投資」は増えるだろうし、「消費」もたしかに増えるだろう。ただし、その増え方は、均等ではないのだ。このとき、「投資」の増え方に比べて、「消費」の増え方は少ない。つまり、「投資」と「消費」の比率が変更される。それはなぜかと言えば、「量的緩和」によって増えた資金は、主として「投資」にばかり配分されるからだ。
 このときの現金の経路は、
   「日銀」→「国債所有者」→「投資企業」
 である。そして、同時に、債券は逆方向に流れる。すなわち、
   「日銀」←「国債所有者」←「投資企業」
 こういう形で、日銀は債券(ここでは国債)を受け取り、現金を支払う。つまり、国債償還がなされたことになる。(政府と日銀を一体として考えることで、「国債償還」と見なせる。)
 とにかく、国債償還があると、一般国民は、(物価上昇によって)金を失う。国債所有者は、国債償還を受けて、現金を受け取るが、その現金を、民間債券の形で、企業に渡す。企業は、民間債券を渡して、現金を受け取る。結局、一般国民の金を、企業が受け取る。こういう形で、投資と消費の配分が変更される。決して、「単にGDPだけが拡大する」わけではないのだ。投資と消費の配分が変更されるのだ。ここがミドル経済学の核心である。(マネタリズムは、ここを見失っている。)

 [ 付記2 ]
 マネタリストは、「投資が増えれば、その波及効果で、消費も増える」と主張する。たしかに、そういうプラス効果はある。しかし、同時に、「物価上昇によって、実質所得が減って、消費が減る」というマイナス効果もあるのだ。量的緩和をすると、企業と国民が同じように利益を得るのではなくて、企業ばかりが多く利益を得て、国民はあまり利益を得ないのだ。このことに着目しよう。
 マネタリストの勘違いをはっきりさせるために、極端な形で例を示しておこう。
 現在、国債残高は、500兆円に近い数字がある。この分の国債をすべて「買いオペ」で購入することができる。すると、どうなるか? もちろん、莫大な国債残高は、一挙に解消されて、あれほど大騒ぎしていた「巨額の借金」という問題は、一挙に解決する。では、めでたしめでたし、だろうか?
 マネタリストならば、「物価が大幅に上昇するだけだ。景気は過熱するが、給料も同じように増えるから、国民は損をしない。単に物価上昇率という数字が上がるだけだ」と主張しそうだ。しかし、そうではない。ミドル経済学の考え方によれば、このとき、投資ばかりが極端に増えて、消費はあまり増えない。そして、それはなぜかと言えば、「借金返済」をするからだ。
 このような「借金返済」は、ある程度であれば、当然のことである。また、「投資不足」の状況であれば、「投資拡大・消費縮小」という措置は、かえって経済を正常化する。しかし、である。巨額の「借金返済」をすれば、消費が著しく削減され、国民生活は破壊されてしまう。
 先の例で言おう。500兆円の借金について、一挙に借金返済したら、どうなるか? そのためには、GDPの一年分を、ほとんどすべて費やす必要がある。同時に、GDP(名目値でなく実質値)が 30兆円ぐらい拡大したとしても、国民にとっては、自分の消費に回せる額は、30兆円だけであり、残りのほとんどすべては借金返済に回されてしまう。とすれば、餓死寸前の極貧生活をすることになる。ただし、消費が失われても、その裏では、投資が増える。人々は極貧生活で働いて、そのかわりに、企業が機械設備などを購入するわけだ。……こういうことが、「投資と消費の比率を変更する」ということだ。
 なのに、この効果を、マネタリストは、まるきり無視する。「企業が機械設備を購入すれば、人々もその波及効果で、所得が増える」と主張する。実際には、人々の消費は少し増えるだけであって、投資と同様に増えるわけではないのだ。
 先の例は、極端すぎた。そこで、もっと現実的な例で、わかりやすく言おう。ここでは、GDPが実質で5%増えて、物価上昇が4%あるという例を考える。すると、人々の労働量は、実質GDPと同じく、 5%増える。人々の実質所得は、労働量の増加の分、5%増えるはずだ。名目所得は、5%と4%の合計で、9%増えるはずだ。ところが、実際には、名目所得は7%ぐらいしか増えない。差の2%の富は、企業に回る。企業は、その分、投資を増やす。そして、その差の分は、日銀が量的緩和をなした量である。「国民 → 日銀 → 国債所有者 → 投資企業」というふうに回る。(日銀の買いオペのせいで。)
 結局、人々は、労働量を5%増やしても、実質的には、3%ぐらいしか所得が増えない。残りの2%の分は、「借金返済」をするだけだ。稼いだ金は、借金返済にまわり、手元には残らない。いわば、「働けど働けど なおわが暮らし 楽にならざり」という感じである。「働くが、ろくに金を得ない」というわけで、奴隷のようになるわけだ。まったくの奴隷というわけではないが。
( ※ このことは、「借金返済のためには、タダ働きをするべきだ」という形で述べたことがある。「奴隷」と「タダ働き」は同義である。そのことのぜひは、ここでは問わない。とにかく、「奴隷」ないし「タダ働き」があるのだ、という点に着目するべきだ。マネタリズムのように、これを無視してはならない。)

 [ 付記3 ]
 「物価上昇があったとき、投資と消費の比率が変更される」ということは、資金の側から見るだけでなく、商品の側から見ることもできる。
 ただし、この間、富が消失してしまうわけではない。投資は増えている。その投資が有意義であるか否かが、問題となる。
 途上国ならば、供給不足だから、投資は有意義だ。一方、先進国では、供給過剰気味だから、投資は有意義でないことが多い。
 つまり、日常経費や娯楽費などを切りつめて、せっせと働いて、機械設備ばかりをどんどん増やしていく。そのあげく、機械設備がいざ稼働するころには、インフレ退治の名目で、景気を冷やす。消費は減って、機械設備は稼働しなくなる。機械は遊び、人々は失業する。……それが今現在の日本の姿だ。

 [ 付記4 ]
 結局、こうだ。貨幣の増加があって、GDPの増加があったとしても、その増加の分は、国民の間で均等に配分されるわけではない。
 貨幣の増加は、国民全体には配分されず、国債所有者だけに配分される。(その後、投資企業に渡る。)
 富の増加は、国民全体には配分されず、金を使う企業だけに配分される。
 国民は、労働の増加を通じて、その分、所得が増大する。しかし、そのうち、消費に回せる分は、ごく一部であるにすぎない。残りの大部分は、消費のためではなくて、「借金返済」のために使われる。帳簿上の借金は減っていくだけで、手元にはろくに残らない。(みじめ。)

 [ 付記5 ]
 というわけで、貨幣やGDPの増加があっても、同時に配分の変更があるから、国民の誰もが幸福になれるわけではない。一部の人だけが富を増やして、大部分の人は富を減らすだけだ。
 にもかかわらず、マネタリストは、「買いオペをすると、国全体の貨幣が増えるから、自分の財布の金も増える」と思い込んでいる。つまり、どこかの他人が、国債を売却して財布の金を増やすと、「あいつも国民、おれも国民」という理屈で、自分の財布の金も同じように増えると思い込むのである。おめでたいとしか言いようがない。
 そう言えば、高校時代に、おもしろい友人がいた。試験のあとで、教師が発表した。「このクラスの平均点は、前回よりも 10点上昇しました」と。すると、この友人は大喜びした。あまり喜んでいるので、「何点上昇したの?」と訊いたら、「よく見たら、前回は 10点で、今回は零点」だって。でも、クラスの平均点が上昇したから、自分の点数も上がったはずだ、と思い込んでいたんだって。彼の名前は、真似田リス人くん。「クラスの総得点が増えると、自分の得点も比例して増える」という「点数数量説」を信じていたそうだ。

 [ 補足 ]
 本項では、「量的緩和をすると、借金返済をすることになるから、損をする」と述べた。これを読むと、「じゃ、量的緩和をしなければいいのだな」と思う早計な人もいるかもしれない。そこで、注釈しておく。
 本項で示したのは、「借金返済をしてはいけない」ということではなくて、「借金返済をする損をすることに気づけ」ということだ。「景気が回復するから幸福だとだけ思い込んで、浮かれるべきではない。むしろ、真実を見るべきだ」ということだ。
 借金返済の是非は、それとは別の問題である。たとえ損をしても、借金返済をした方がいいこともある。そもそも、借金返済は、いつかはしなくてはならない。
 ただし借金返済をするにしても、「いつ、どれだけ」というのが、大切な問題となる。やみくもに「とにかく早めに借金返済をせよ」と思うべきでもないし、「借金返済はずっと先延ばししたい」と思うべきでもない。最適の方法を選ぶことが大切だ。
 では、最適の方法を選ぶには? そのために、ミドル経済学というものがある。ミドル経済学は、「貨幣供給量の増減」だけに着目するマネタリズムとは異なり、マネタリズムよりもはるかに広い範囲のことを扱う。だからこそ、マネタリズムには理解できない真実を知ることができる。


● ニュースと感想  (2月19日)

 前項の補足。前項では書き落としたことがいくつかあるので、補足する形で、いくつか列挙しておく。

 (1) バランス
 前項では、「投資が増えて、消費が減る」という状況を、「みじめ」と表現した。ただし、「投資が増えて、消費が減る」という状況は、必ずしも悪いことではない。私は別に左翼の労働組合のように、「企業は悪、労働者は善」みたいな主張をしているわけではない。かといって、経団連みたいに、「企業は善、労働者は悪」みたいな主張をしているわけでもない。「投資と消費を最適配分せよ」と主張しているだけだ。どちらかに偏ってアンバランスになると、供給不足または供給過剰になるから、バランスを取れ、と主張しているわけだ。
 この「バランスを取る」ということが、何よりも肝心である。逆に言えば、このバランスを無視しているのが、マネタリズムだ。
 原理的には、量的緩和などの金融操作は、投資ばかりを増減させる。一方、増減税は、(所得への源泉課税の増減を通じて)消費を増減する。この両方をやれ、というのが、私の主張だ。
 なお、どうしてこういう操作が必要になるかというと、消費が勝手に増減するからだ。古典派は、「放置すれば状況は自然に最適の点で均衡する」なんて主張しているが、残念ながら、そうはならない。内生変数のほかに、外生変数があるからだ。そのうち、最も巨大なものは、「消費心理」である。人々がいっせいに消費心理を強くしたり、弱くしたりする。あるとき突然、ナタデココやタマゴッチを購入したり、あるとき突然、牛肉の購入をやめたりする。特定品目でそうなるだけでなく、国全体でも、あるとき突然、総消費を増やしたり、総消費を減らしたりする。
 こういう消費の変動があるから、それを中和するために、経済政策が必要となる。古典派流の考え方だと、「消費が増えれば、貯蓄が減って、投資が減るから、消費と投資の総和である総需要は一定である」とか、「総需要を変動させるには金利を変動させればいい」とか、そんなふうになるが、それでは、「投資と消費の比率」が最適化されないのだ。だからこそ、「総需要の調整」だけでなく、「投資と比率の最適化」も必要となるのだ。

 (2) 賃上げによる補填
 「物価上昇があっても、物価上昇の分、賃上げがあれば、国民は損をしない」という説がある。
 なるほど、以前のインフレ時代のように、インフレがずっと続いて、毎年毎年同じ率で物価上昇が継続しているのならば、そう言えるだろう。しかし、あるとき急に物価上昇が起こったなら、成立しない。たとえば、デフレ脱出にともなって、新たに物価上昇が発生した場合だ。
 具体的な例を示そう。あるとき突然、デフレを脱出して、物価上昇率が 0%から 5%になったとする。その後、経済がどんどん成長していって、翌春では賃上げが 5%あったとする。では、「物価上昇率が 5%で、賃上げが 5%だから、国民に損はない」と言えるだろうか?
 実は、損がないのは、賃上げがあった後のことだ。賃上げの前の期間は、物価上昇があっても賃上げがない。だからその間は、物価上昇率の分は、まるまる損失となる。
 さらに、賃上げが 5%あったあとも、問題だ。それで物価上昇が停止すればいいが、そのあとさらに物価上昇率が 5%の状態が続くとしよう。すると、その一年間も、やはり物価上昇の分、実質的に賃下げがあったのと同じことになる。給料が 100万円から 105万円に上がったとしよう。商品は、 4月には 105万円であるが、5月以降は少しずつ上昇して、次の3月には 110万円になっている。なのに、給料はその1年間ずっと 105万円のままだ。4月には損をしないが、5月から翌年3月までは、物価上昇の分、損をする。
 こういうことが、毎年毎年、繰り返される。かくて、物価上昇率と同率の賃上げがあっても、損得なしでいられるのは4月の給料をもらったときだけであり、残りの 11カ月(正確には 364日)は、賃上げが物価上昇に追いつかないので、ずっと損をし続けるのである。いつまでも、いつまでも。物価上昇が終わるまで。
( ※ ただし、物価上昇率が毎年5%あることが最初から前提されていれば、「本当の給料は実質的には名目値よりも安いんだな。貨幣価値を補正すればいいのだな」と理解していればいいので、問題はない。)

 (3) 耐久消費財の購入
 物価上昇があると、投資をする企業ばかりが得をして、消費をする国民は損をする。
 すると、「だったら一般国民も、投資をせよ」という声が出てくる。特に、「耐久消費財を買えばいいじゃないか」という声が出てくる。
 なるほど、それはそれで、効果があるだろう。たしかに、耐久消費財を早めに購入すると、得をする。しかし、ここでもまた、古典派に特有の「定量的な考え方の欠如」が現れている。
 一般国民は、耐久消費財を早めに購入すれば、その分、利益を得る。しかし、いくらそんなことをしても、焼け石に水である。たとえば、年収 400万円の人が、耐久消費財を 40万円購入したとしても、損失を1割減らせるだけであり、残りの9割分(日々の日常経費の分)については、やはり物価上昇の分の損失が出るのだ。「耐久消費財を購入すれば、得する」なんていうのは、定量的な考え方を欠いているのだ。
 企業という抽象的な存在物ならば、日々の日常経費はほとんどなしでも済ませられる。水も飲まず、食事も取らず、教育も受けず、娯楽もやらない。しかし人間は、水を飲み、食事を取り、教育を受け、娯楽をやる。そういう日常経費の分だけ、損失を受けるのである。「耐久消費財を購入すればいい」なんていう主張は、「水も飲まず、食事も取らず、耐久消費財だけを購入していればいい」というのと、同様の主張だ。人間を、生物ではなくて、機械扱いしている。(ロボット・マンガの読み過ぎだろう。)

 (4) 借金返済が損であるわけ
 前項で述べたように、借金返済をすると、消費が少なくなり、生活レベルが落ちる。この意味で、国民は損をする。
 とはいえ、その一方で、借金の返済はなされる。借金の残高はどんどん減っていく。とすれば、「 100万円を失っても、100万円の借金が減るのならば、損をすることにはならないのではないか?」という疑問が生じるだろう。
 では、生活レベルが落ちるという事実と、帳簿の赤字が減るという事実の、どちらが正しいのか? もちろん、前者である。帳簿よりも事実の方が正しい。
 では、なぜか? それは、「借金」というのが、必ずしも自分自身の借金ではないからだ。日本の借金というのは、先祖代々でこさえた借金である。そうした先祖の分もひっくるめて、現在のあなたがひとりでひっかぶって借金返済をする。だから、苦しくなるのだ。
 長い歴史のなかで「国民全体」というふうに見るのであれば、「借金して、借金返済すること」は損でも得でもない。しかし、現在の世代だけに限れば、「先祖がこさえた巨額の借金を、自分たちが借金返済するハメになる」のだとすれば、当然、損失となるわけだ。

 (5) 借金返済が不可避であるわけ
 借金返済が損であると判明すれば、国民は反対するだろう。「借金返済なんか、したくない」と。
 しかし、借金返済を避けたくても、無駄である。借金返済は、増税または物価上昇によってなされる。それを避けるすべはない。
 第1に、「増税」を避けるとしたら、それは「脱税」という犯罪をすることになる。「犯罪をして得をする」というのは、経済学の関与する話ではない。
 第2に、「物価上昇」を避けるとしたら、「円」という貨幣を使わずに済ますしかない。つまり、日本を脱出するしかない。しかし、日本にいる限りは、「円」という貨幣を使うしかないのだ。となると、金を使うたびに、「物価上昇」による借金返済をなすしかないのだ。(金を一円も使わなくても、やはり物価上昇で貨幣価値が減じてしまう。)

 (6) 借金返済を避けた場合
 借金返済がイヤだからといって、政府があえて借金返済を避けたら、どうなるだろうか? つまり、「増税」も「物価上昇」(買いオペ)も避けたなら、どうなるだろうか? これは、先に述べた「永遠の借金は可能か?」という問題と同じだ。
 借金返済を全然しないで、借金を溜め込んでいくことは、一時的には可能である。しかし、そんなことを続けていれば、いつか、信用不安を起こす。そのとき、急激に借金返済を迫られて、破綻する。そして、その時期は、「貸し手が貸さなくなったとき」である。つまり、国債所有者が、国債を売却して、「もう金を貸すのはやーめた。自分の金は自分で使います」と言ったときだ。
 そうなったとき、国債売却にともなって、国債は暴落する。同時に、金利は暴騰する。日銀が金融緩和をすれば、貨幣供給量が急増して、物価が急上昇する。国内の総需要は急増するが、生産量が急増するわけではないから、スタグフレーション状態となる。これを見て、外国の資金は逃避するから、通貨危機も発生する。……要するに、日本の破綻である。
 ただし、その時期までは、借金返済は猶予されていることになる。とはいえ、いくら猶予されていても、その時期は「永遠に来ない」わけではない。つまり「永遠の借金」は可能ではないわけだ。
( ※ この話は、先に述べたとおり。つまり、「永遠に借金をしていればいい」という夢想は、貸し手が許してくれているうちは成立するが、貸し手が「イヤだ」と言ったとたんに成立しなくなるのだ。 → 1月29日
( ※ では、どうすればいいか? もちろん、少しずつ返済すればよい。ただし、病気[デフレ]のうちに無理やり借金返済をすると、病気が悪化して、かえって信用不安を引き起こしやすい。だから病気のうちは、借金返済よりも、病気の完治を優先するべきである。つまり、借金は、返済開始の時期を早くするのが大切なのではなくて、完済する時期を早くするのが大切なのだ。……この件は、何度も述べたとおり。)

 [ 付記1 ]
 (3) では、「耐久消費財の購入」について否定的に述べた。ただし、例外がある。それは、「住宅購入」だ。たとえば、年収 400万円の人が、4000万円の住宅を購入すれば、物価上昇が起こったとき、実質的な返済額が減少するので、彼は利益を得る。だから、国民が損をしない唯一の策は、住宅購入をすることだ。
 とはいっても、これは、「作戦」としては成立するが、「経済学」としては成立しない。なぜか? 特定の人々だけが住宅購入をするならば、上記のように、損を免れる。しかし、国民全体が住宅購入をするなら、損を免れることはない。なぜなら、国民の大多数がいっせいに住宅購入に走れば、土地の暴騰を招いて、土地バブルが発生するからだ。そして、その後はもちろん、バブルが破裂する。となると、住宅購入に走った人々は、得をするどころか、大損をする。
 では、なぜ、そういうふうになるか? なぜ、一人ならばいいが、全員ではダメなのか? それは、一人ならば「みんなよりも先んじる」ことができるが、全員が「みんなよりも先んじる」ことはできないからだ。ここを勘違いして、「全員が全員に先んじることもできる」と思い込むのが、間抜けな経済学者。「あいつが先んじて大儲けしたのか。それならおれも真似して、大儲けしよう」と買い込んで、高値づかみをして、大損をする……というわけ。

 [ 付記2 ]
 (4) では、「先祖がこさえた借金を、自分たちが借金返済するハメになるのは、損だ」と述べた。
 とすれば、逆の場合で言えば、「財政赤字」を出して「借金」をこさえることは、「将来の世代にツケ回しすること」であるから、得だ、ということになる。それはそうだ。しかし、そうはいっても、「得である」からといって、「幸福である」わけではない。ここを混同しないようにしよう。
 たとえば、現在のようなデフレ期を見よう。失業率が高くて、財政赤字を出している。ここでは、「働かないで金を得る」となっている。その分、得である。しかしそれは、得ではあっても、不幸な状況である。簡単に言えば、生活保護を受けている貧民は、得をしているが、不幸である。莫大な税金を払っている富豪は、損をしているが、幸福である。国民全体が貧民のようになるのがデフレであり、国民全体が富豪のようになるのがインフレである。人間には、「得か損か」よりも大切なことがあるのだ。
 なお、それでもやはり、「デフレのときには得をしている」ということに留意しよう。デフレという状況では、人々は乞食のようになっているが、それはそれで、得をしているのである。つまり、デフレという状況では、人々は貧しいなりに、不幸が緩和されている。そして、その原資は、財政赤字だ。財政赤字の分だけ、得をしているわけだ。……ところが、このことに気づかない人々が多い。「デフレっていうのは、短時間労働ができる割には、所得があまり減らない。これは、すばらしい。以前のような長時間労働に比べれば、人間らしくて、ずっと素敵だよ」とデフレ賛美をする人もいる。しかし、彼の不幸の度合いが少ないのは、借金をどんどんしているからなのだ。そのことに注意するべきだ。「給料は 50万円減ったけど、労働時間は 150万円分も減ったから、以前よりも幸せだ」と主張していても、その裏では、赤字がしっかり 100万円も溜まっているのだ。
( ※ なお、人間は「損か得か」では行動しないということは、誰にでも理解できるはずだが、例外がある。それは、「合理的期待形成仮説」を信じる古典派だ。彼らは、人間が損得だけに従って行動することを前提とする。彼らにとって合理的な人間とは、たぶん、金をもらう乞食なのだろう。彼らには「労働を増やして所得を増やす」という発想はまったくなくて、単に損得だけがある。 → 4月10日 の例。)


● ニュースと感想  (2月20日)

 「ミドル経済学とマネタリズム」について。
 すでで述べたミドル経済学の主張は、マネタリズムの主張とは正反対である。そこで、マネタリズムの主張のどこが問題であるかを、指摘しておこう。
 まず、マネタリズムによる景気回復策を述べれば、こうだ。まず結論を述べれば、「量的緩和をすればよい」である。そして、その理由は、次の通りだ。
  1. 量的緩和をすれば、貨幣供給量が増える。
  2. 貨幣供給量が増えれば、名目金利が下落する。
  3. 貨幣供給量が増えれば、物価上昇が起こる(または起こると予想される)。ゆえに、実質金利が低下する。
  4. 名目金利や実質金利が低下すれば、投資が有利になるので、投資が増える。
  5. 名目金利や実質金利が低下すれば、消費も増える。
  6. 貨幣供給量を安定させれば、景気は安定する。
 ところが、このすべては正しくない。以下で理由を示す。

 (1) 量的緩和をすれば、貨幣供給量が増える。
 すでにデータが判明しているとおり、この主張は正しくない。( → 1月19日 の[ 補足1 ])
 つまり、量的緩和をしても、貨幣供給量(マネーサプライ)は、増えるどころか、減っている。お札を刷って、ハイパワードマネーを増やしても、市中に出回るマネーサプライは、増えないのだ。
 これは、貨幣数量説の用語で言えば、流通速度が低下していることになる。本質的に言えば、「資金の滞留」が起こっていることになる。要するに、「金は眠っている」から、いくら量的緩和をしても、無効なのである。(マネタリズムが無効になっている、ということでもある。)

 (2) 貨幣供給量が増えれば、名目金利が下落する。
 金利には「ゼロ金利」という下限があり、これ以下にはならない。「流動性の罠」という状況でもある。この状況では、量的緩和は無効となる。(つまり、「量的緩和をすると名目金利が下がる」という主張が有効なのは、金利がゼロ以上のときに限られる。)

 (3) 貨幣供給量が増えれば、物価上昇が起こる(または物価上昇が起こると予想される)。ゆえに、実質金利が低下する。
 名目金利が下がらなくても実質金利は下げられる、という主張だ。クルーグマン流の「インフレ目標」の根拠でもある。
 これが成立するのは、「物価上昇が起こること」が予想される場合に限られる。では、予想されるか? 「インフレ目標」論者は、「日銀が宣言すれば、人々はそれを信じる」と主張する。しかし、それが信じられるとしたら、景気悪化が浅い場合に限られる。景気悪化が浅ければ、この予測を信じた人々が行動することで、実際に景気悪化を脱して、物価上昇が起こる。しかし、景気悪化が深ければ、この予想を信じた人々だけが行動してもダメであり、国民全体が行動しなければ、予測通りにはならない。
( ※ こういう合理的な判断を捨てて、「みなが日銀を信じて、日銀のご託宣通りに行動する」というのが、マネタリストの主張だ。しかしこれはもはや、「盲目的に信じる」ということで、宗教の範囲になっている。)

 (4) 名目金利や実質金利が低下すれば、投資が有利になるので、投資が増える。
 いくら投資に有利でも、もともと「供給過剰」であるデフレのときには、無意味だ。そもそも、設備は遊休しているのだから。
 それでも、一部の企業は、投資を増やすだろう。しかしその分は、もともとゼロ金利でも投資を増やす企業であるから、金融政策は関係ない。どっちみち増える投資だ。
 金融政策で増える分は、「マイナスの金利でのみ増える」という分だ。しかし、これは「補助金なしではやっていけない」という「不採算事業」であるから、そんな投資は増やすべきではないのだ。

 (5) 名目金利や実質金利が低下すれば、投資が増えることで、その波及効果で、消費も増える。
 この件は、2月18日でも述べた。ただし、さらに補足しておこう。
 そういう波及効果はあるが、ごく小さい。なぜか? それは、「加速度原理」(増幅効果)からわかる。消費の変動に比べて、投資の変動は何倍にもなる。( → 5月12日c
 このことを逆に言えば、「投資の変動に比べて、消費の変動は何分の1でしかない」ことになる。
 たとえば、毎年1割の設備更新をする企業が、あるとき投資を倍増して、2割の設備更新をしたとしよう。このとき、生産量は1割しか増えないから、所得も1割しか増えない。結局、投資が 200%も増えても、所得は 10%しか増えない。
 現実には、投資が 200%も増えるということは、ほとんどありえない。となると、所得の増加は、ほとんど微々たるものだ、ということになる。
( ※ なお、「増幅効果」で決まるのは、投資そのものではなくて、投資意欲である。現実の投資の額がどのくらいになるかは、金利によっても調節される。投資意欲と金利のバランスの取れたところで、現実の投資の総額が決まる。このバランスをうまく取るようにするのが、ミドル経済学だ。そして、そのためには、金利を調節するだけでなくて、投資意欲の方も調節する。たとえば、増減税によって消費を調節し、そのことによって増幅効果を通じて投資意欲を調節する。一方、投資意欲を無視して[あるいは一定だと仮定して]、金利や金融市場における需給関係だけに着目するのが、マネタリズムである。例によって「***が一定だと仮定すれば……」という机上の空論だ。)

 (6) 貨幣供給量を安定させれば、景気は安定する。
 もちろん、そんなことはありえない。経済というものは、多様な変数が影響して、複雑な動きをなす。貨幣の量は、多様な変数のうちの一つの変数にすぎない。
 なのに、多様な変数をことごとく無視して、たった一つだけの変数にこだわる人々がいる。それを、マネタリストというのだ。一種のフェチである。貨幣フェチ。特定のものばかりを偏愛するマニア。(巨乳フェチと同類である。)
 だから、ぶっちゃけて言えば、次のように言える。
 「マネタリストとは、貨幣の量だけですべてを説明しようとする人のことだ」
 彼らは、貨幣の量以外のことをことごとく無視する(あるいは、気づかない)。それゆえ、事実を正しく認識できないのである。
( ※ なお、この (6) の主張は、フリードマンの「Xパーセント・ルール」である。正しくないことは、歴史的に実証されている。見事な失敗例が、レーガノミックス。)
( ※ では、正解は? 貨幣供給量は、なるべく安定させた方がいいが、だからといって、経済を制御する要素のすべてではない。他の要素も考慮するべきだ。公共事業はあまり考慮しなくていいが、増減税は死活的に重要である。)

 [ 付記1 ]
 経済の調節にとって重要なものは、貨幣供給量だけではない。増減税もある。では、なぜ、それが大慈なのか? それは、投資と消費のバランスを取るためである。投資と消費というものは、バランスを取って成長する必要があるのだ。
 投資をなしたなら、投資によって生産されたものが売れるだけの消費が必要だ。消費が増えないまま、投資だけを先走って増やしても、ダメなのだ。「投資を増やせば、波及効果で消費も増えるだろう」なんていうのは、とんでもない勘違いなのだ。アンバランスにすれば、次のようになる。
  ・ 投資を増やさずに、消費だけを増やせば、消費過剰(インフレ)となる。
  ・ 投資だけを増やして、消費を増やさなければ、消費不足(デフレ)となる。
 ここでは、次の主張は成立しない。
  ・ 「消費を増やせば、すぐに投資も増える」
  ・ 「投資を増やせば、すぐに消費も増える」
 この二つのうちの後者が、マネタリストの主張だ。しかし現実には、そんなことはない。つまり、投資を増やしても、消費はすぐには増えない。長期的には、投資と消費はいつかはバランスを取れるだろうが、その途中過程では、一方だけが進めば、他方は遅れる。ゆえに、バランスが崩れて、供給不足になったり、供給過剰になったりする。
 というわけで、正常な経済成長をするためには、投資と消費のバランスを取ることが必要不可欠であるのだ。「GDPの調節のためには、投資の量だけを増減すればいい」ということはないのだ。……こうして、マネタリズムの主張は否定され、ミドル経済学の立場が肯定される。つまり、「投資と消費の比率を最適化するべきだ」と。


● ニュースと感想  (2月21日)

 「財政赤字とマネタリズム」について。
 財政赤字と物価上昇の関係については、マネタリズムの主張がある。「物価上昇を避けるために財政赤字を削減せよ」と。
 欧州では長らく、そう主張されてきた。(そのせいで景気低迷と大量失業が続いた。)
 米国でも財政赤字の拡大にともなって、「財政赤字の拡大は危険だ」とも主張されることが多い。(レーガンや2代目ブッシュなど。)

 では、正しくは? ミドル経済学の立場から、正解を示そう。
 大切なのは、財政赤字の有無そのものではなくて、(実質的な)借金関係の有無である。財政赤字があろうとなかろうと、借金関係の有無を正しく認識することが大切だ。そして、借金関係の有無は、財政赤字の有無と同じではない。(マネタリストはここを混同する。)
 正確に理解するには、次のように対比するべきだ。
 つまり、財政赤字の有無ではなくて、国債の引き受け方が、借金の有無をもたらす。普通の国債(民間引き受け)ならば、借金は生じるが、日銀引き受けならば、借金は生じない。
 ただし、借金は生じないとしても、うまいことずくめではなくて、物価上昇が起こる。それが問題となる。
 マネタリスト流に言えば、「財政赤字が増えると、物価上昇が起こる」というふうになるが、実際には、そうではない。国債が民間引き受けならば、物価上昇は起こらないのだ。ただし、資金が吸い上げられるので、資金が逼迫して、民間投資向けの資金が不足する。つまり、クラウディング・アウトが起こる。そこで、クラウディング・アウトをなくそうとすれば、量的緩和をすることになるが、量的緩和をしたときに、国債が買いオペの形で日銀に買い上げられて、「日銀引き受け」と同じになるので、物価上昇が起こる。
 だから、量的緩和をしなければ、クラウディング・アウトが起こるだけであり、物価上昇は起こらないのだ。「財政赤字が増えると、物価上昇が起こる」というのは、「量的緩和をする」という前提でのみ成立するわけだ。
 ただ、現実的には、クラウディング・アウトを避けるために、量的緩和をするだろうし、それにともなって、物価上昇も起こるだろう。そこで、この物価上昇が問題となる。
 ここで大切なのは、「増税」と「物価上昇」が等価である(トレードオフの関係にある)ということだ。そして、「増税」というのは、「財政赤字の削減」というのと実質的に同義である。
 だから、マネタリストの主張のように、
   「物価上昇を回避するために、財政赤字を削減せよ」
 というのは、正しくない。むしろ、
   「物価上昇と増税とは、等価であるから、どちらかを選択せよ」
 というのが、正しい。

 では、物価上昇と増税の、どちらを選択するべきか? ここで、立場が分かれる。
 マネタリストはとにかく、物価上昇ばかりを敵視する。そして、「物価上昇を回避するために、財政赤字を削減せよ」と主張する。
 しかし、ミドル経済学の立場からは、「物価上昇」と「増税」(財政赤字の削減)とは、等価である。前者が悪で、後者が善だ、ということにはならない。やみくもに物価上昇を避けて、増税(財政赤字の削減)を選択するべきではなくて、両者の配分について、最適の比率を取るべきなのだ。
 では、最適の比率とは? それは、状況による。たとえば、景気の悪いときには、増税を避けて物価上昇を取るべきであり、逆に、景気の加熱したときは、物価上昇を避けて増税を取るべきである。
 そして、その根源的な理由は、「投資と消費の比率を最適化するため」である。つまり、消費不足のときには消費を促進し、消費過剰のときには消費を抑制するためである。借金や借金返済は、単なる損得があるだけではなくて、投資と消費の比率を変化させる効果がある。それが肝心だ。
 こうして、ミドル経済学によって、正解が与えられる。とにかく、単純に貨幣の量だけを考えて済むわけではなくて、増減税や借金関係などの複雑な要素を、すべて考慮するべきなのだ。

 [ 付記 ]
 参考として、タンク法の考え方に言及しよう。タンク法の考え方では、次のような対比を示せる。
 これは、政府と国民の間の配分を意味する。ケインズの説との対比となる。また、次のようにも示せる。  いずれの場合も、物価上昇が起こる。物価上昇と減税は相殺されて、損得はない。だから、国民全体を見れば、「減税」や「金利低下」があっても、特に得をするわけではない。
 ただし、物価上昇にともなって、経済が拡大する。所得が増えて、労働量も増える。富は増えるが、富をもたらすのは、減税ではなくて、労働量の増加(および生産性の向上:稼働率の向上)である。自分が働いたから富が増えるのであって、政府がお金をくれるから富が増えるのではない。実際に自動車やパソコンが生産されるから富が増えるのであって、政府がお札を印刷するから富が増えるのではない。


● ニュースと感想  (2月22日)

 「ミドル経済学とマネタリズムの経済政策」について。
 前項で述べたように、経済政策では、ミドル経済学の立場を取るべきだ。すなわち、単に「財政赤字の縮小で物価上昇の抑制」を狙うマネタリズムの経済政策を取るのではなくて、別の経済政策を取るべきだ。それは、次のことだ。
 「投資と消費の比率を最適化する」
 「増税と物価上昇との関係を適正化する」
 「そのために財政赤字や借金返済の額を適正化する」

 ここで、マネタリズムとの比較をしよう。
 マネタリズムでは、投資と消費の比率を最適化することを無視する。すると、その比率が歪んでしまって、状況に合わなくなってしまうことがある。次のように。
 では、どうするべきなのか? 金融政策としては、マネタリズム(つまり従来の正統的な政策)とは反対にすればよい。  このとき、借金返済は、次のように進む。  増減税では、そのようになるものだ。ここまでは、当然だ。一方、金融政策は、どういう効果をもつだろうか? 
 この両者を比べてみると、次のことがわかる。
 「財政赤字」と「買いオペ」の組み合わせは、借金の「増加」と「減少」をともにもたらす。矛盾した政策となる。
 「財政黒字」と「売りオペ」の組み合わせは、借金の「減少」と「増加」をともにもたらす。矛盾した政策となる。
 そして、こういう矛盾した政策が、従来のマネタリズムの政策だった。だから、「無効」だったり「逆効果」だったりしたわけだ。そして、その根源は、ミドル経済学のような考察を無視したことにある。

 では、正しくは? それは、先にも述べたとおりだ。すなわち、次のようにすればよい。  ここでは、金融政策が、マネタリズム流の政策とは、正反対である。すなわち、次のような立場を取る。  ただし、この「インフレ対策」が成立するのは、「投資不足」ないし「供給不足」という状況においてだけである。例としては、「失業率の高い状況」にある、途上国や欧州など。
 一方、単純な「景気過熱」という状況もある。その場合は、「投資も消費も、ともに抑制する」という政策が正しい。このときは、マネタリズム流の「高金利政策」も正しい。ただし、「高金利」だけでは不足であり、「増税」も必要である。
( ※ 「増税」なしに「高金利」だけを実施すると、金利の上昇が極端になりすぎて、投資が過度に縮小するので、経済のバランスが崩れてしまう。たとえば、高金利に耐えかねて、多くの企業が倒産する。消費があまり減らないまま、供給ばかりが減るので、物価下落の効果がなかなか現れず、いっそう高金利になり、いっそう倒産が増える。)
( ※ 結局、マネタリズム流に、金融政策だけで経済政策を取ると、二つの経済政策[金融政策と増減税]のうちの、一方しか働かなくなる。いわば、車の両輪のうちの片側だけで進もうとするようなものだ。効果は半減するし、片側だけ2倍の力で進もうとすれば、状況はひどくアンバランスになる。)

 結語。
 経済政策は、過度に金融政策に依存するべきではない。そんなことをすれば、投資と消費の比率が狂って、状況がアンバランスになる。
 デフレのときには、「投資」よりも「消費」の拡大を狙うべきだ。やたらと投資拡大を狙って「量的緩和」をするべきではない。むしろ、金利をゼロ金利よりも上げた方がよい。(減税と同時実施で。)
 インフレのときには、「投資」よりも「消費」の縮小を狙うべきだ。やたらと投資縮小を狙って「金融引き締め」をするべきではない。むしろ、高すぎる金利を下げた方がよい。(増税と同時実施で。)
 このような政策が正しい。つまり、(相反型の)ポリシー・ミックスだ。こうしないで、金融政策だけに頼ると、IMF流の政策となる。すなわち、デフレのときには量的緩和をするという「無効」な政策になるし、インフレのときには過度の高金利にするという「有害」な政策となる。

 [ 付記 ]
 経済政策を行なうには、「金利を上げ下げするとこうなる」というような単純な経験則みたいな政策を取るべきではない。金利だけでなく物価上昇や借金返済の効果をも含めた複雑な経済原理を、すっかり理解することが必要なのだ。理論なしに道具をいじるのは、素人療法であり、危険なのである。
 特に、投資と消費の区別をしないで、単純に金融政策だけで経済を操作しようとすると、とんでもない処方違いをするハメになる。
 多くの経済学者は、「金融政策と財政政策のどちらを取るべきか」なんていう主張をしているが、ここに彼らの無知さがはっきりと現れる。「どちらを取るべきか」なんていちいち価値判断をするべきではない。どういう具合になるかは、理論によってはっきりと明示するべきなのだ。その場その場でいちいち考察するのは、自らに理論が欠如しているのを告白しているだけだ。つまりは、素人なのである。
 医学でたとえれば、「この病気に最適なのはこの薬だ」という体系的な知識を知っているのが専門家であり、そのときそのときで「どの薬にしようかな」といちいち悩んでいるのが素人だ。素人は、無知な素人療法で、とんでもない薬を選択する。


● ニュースと感想  (2月23日)

 【 予告 】
 ここまでは、ミドル経済学の話をしばらく続けてきた。
 今後はふたたび、「マクロ経済学の回顧」のような話に戻る。

(もともと 2月02日 以降、「マクロ経済学の回顧」のような話をしてきた。ただし、途中[ 2月09日 以降]で、「円安介入」の話をして、ミドル経済学の話の補充をしてきた。)
(本日以降は、ふたたび、マクロ経済学の回顧のような話。まずは、時事的な話。明後日以降は、貨幣数量説の話。)


● ニュースと感想  (3月23日b)

 「不良債権処理と新生銀行」について。
 新生銀行が上場して、株主の外資がボロ儲け。その一方で、新生銀行の再建にともなう処理に国は約4兆円も投入した。莫大な血税を投入して、外資ばかりがボロ儲け、という図式だ。おまけに、利益を外国に移転しているので、利益に課税できない。国民の丸損。(読売・朝刊 2004-02-20 )
 これを批判しても賛成しても仕方ない。良し悪しではなく、原理を見抜くことが大事だ。

 外資が買うのはやむをえない。他に買い主がいないときには、そうなるしかないからだ。とすれば、これは、経済の基本原則に則ったことになる。だから、ボロ儲けした主体が外資であることを批判することはできない。
 ただし、外資がどうのこうのではなくて、ボロ儲けしたということ自体は、馬鹿げていることだし、批判するべきだ。では、正しくは、どうするべきだったか?

 「外資」が買い主であることが問題であるのではなく、そもそも「銀行を売却する」ということ自体が問題であったのだ。一般に、株であれ、企業であれ、安値のときに無理やり売れば、大損を出すに決まっている。だから、正しくは、デフレのさなかでは売らなければ良かったのだ。ただし、単に売らないだけでは、破綻企業の赤字が雪だるま式にふくらむ。ゆえに、「売らない」のと同時に、「景気回復をする」というのが正解である。
 景気が回復すれば、他に買い主がたくさん現れる。そうすれば、適正な価格で売れるし、買い手がボロ儲けするということもなくなる。

 要するに、「市場原理ですべてうまく行く」と考えた、古典派的な考え方そのものに問題がある。その考え方は、均衡のときには、成立する。均衡のときには、買い手がたくさん現れるし、リスク負担もないので、適正価格となる。しかし、不均衡のときには、成立しない。なぜなら、買い手があまり現れず、市場では適正な価格にはならないからだ。かくて、資力のある買い手だけが現れて、リスク負担に耐えて、ボロ儲けできる。
 結局、マクロ的に状況を正常化することが正解であって、「異常なマクロ的な状況のなかで正解は何か」と探すこと自体が間違いであったわけだ。

 [ 付記 ]
 新生銀行の問題は、一般化できる。すなわち、「不良債権処理」の問題だ。「ダメな企業をつぶせ。そうすれば市場原理で適正化する」という主張があるが、そういう主張は正しくないのだ。その主張が成立するのは、あくまで、均衡状態だけである。不均衡状態では、そんなことをしても、何の解決にもならないし、かえって損が拡大する。
 不良企業や不良銀行は、「処理する」べきではなくて、「再建する」べきなのである。そして、「再建する」ためには、「再生機構」を使ったりして国が経営に介入するべきではなくて、マクロ的な経済状況を健全化するべきなのだ。
 国がなすべきは、個別企業をどうこうすることではなくて、全体的な状況を正常化することなのだ。つまり、「市場原理で正常化する」と盲目的に信じることではなくて、「市場原理で正常化する」という状況そのものを作り出すことなのだ。
 結局、マクロ経済学を正しく理解することが、物事の根源であるわけだ。「市場原理で最適化する」なんていう古典派的な主張を信じていると、真実を誤認するのだ。


● ニュースと感想  (2月23日c)

 「景気の見通し」について。
 景気は、輸出増加で一時的な好転があるように見えるが、まともに好転しそうにはない、というのが先の見通しだった。これを裏付ける事実もいくつかあった。( → 2月07日b
 さらにいくつかの事実が追加されたので、記述しておこう。
 結論。
 景気は少しは好転しているとは言えるが、円安で無理に輸出増加をやっても、せいぜいこれっぽっちの効果しかないわけだ。莫大な金をつぎこんで無理に日本経済を安売りしても、売上げはろくに増えなかった、ということになる。その裏では、無駄な資金投入のツケが溜まっている。(当然、将来、円高ないしドル安が押し寄せて、輸出産業はひどい目に遭うだろう。ツケ払いだ。)
 要するに、円安で輸出頼みの景気回復を狙っても、ほとんど効果がない。景気回復のためには、内需を拡大するしかないが、内需を拡大するには、所得の拡大をするしかない。ところが、所得の拡大のために回すべき金は、トヨタなどの輸出企業の内部留保に蓄えられるだけで、家計には回ってこない。かくて、景気回復の芽は出ない。(何度も繰り返したとおり。)
( ※ マクロ的に循環するべき金は、詰まっているのだが、どこで詰まっているかというと、銀行に詰まっているのではなくて、家計に入らないという形で、企業や金融市場に詰まっている[溜まっている]のである。……その金を家計に流せば、景気は回復するわけだが、経団連は「金は自分のところに溜め込んでいたい」と言うし、政府は「財政再建で減税をしたくない」と言うし、いずれも、金を自分のところに溜め込んでいたがる。だから金は家計に流れない。ゆえに景気は回復しない。「企業に金がどんどん溜まっているから景気は回復している」なんて思うのは、マクロ経済学を理解しないたわごとなのである。)

 [ 付記1 ]
 マネタリズムとの関連で言おう。「投資を拡大すれば、消費が増える」という理由で、「投資を増やすために、量的緩和をせよ」という主張があった。マネタリストの主張である。(金融政策による景気回復策。)
 しかし、たしかに量的緩和や円安によって、彼らのもくろみ通り、「投資」は拡大したのだが、「消費」の方は、上記のデータの通り、拡大しない。つまり、「投資は増えても、消費は増えない」というわけである。こういう事実はもはや明確になった、と言えよう。つまり、マネタリストの主張が間違っていることは、現実によって裏付けられた。
 「投資拡大 → 消費拡大」という図式は、ある程度は成立するだろう。しかし、その図式は、定量的な説明が抜けている。そういう図式は、いくらかは成立するとしても、しょせんは、「投資と消費の比率」が「投資」に偏重するようになる。その意味で、経済のバランスは崩れる。(ミドル経済学の立場。)
 それでも、「アンバランスながらも、両方とも増える」という効果は、あることはある。ただし、それは、均衡状態のときに限られる。不均衡状態では、「投資は増えても、消費は増えない」というふうになるのだ。つまり、「投資拡大 → 消費拡大」という図式は、成立しない。なぜなら、「企業 → 個人」という所得の流れが、ほとんど寸断されているからである。
 こういうふうに「所得」に注目することが肝心だ。(マクロ経済学の立場。)

 [ 付記2 ]
 「企業や投資は好調だが、個人消費はほとんど増えない」というデータを見て、「今後の景気回復は、個人消費しだいだ」と解説する経済記事が多く出ている。
 まったく、情けない話だ。占いをやっているのではないのだから、そんな「お天気しだい」みたいな解説をするべきではない。経済学的に分析するべきだ。では、正しくは? 
 個人消費が増えるとしたら、次のいずれか(または両方)による。
   ・ 消費性向が増える。
   ・ 所得が増える。
 このうち、「消費性向」の方は、デフレの直後ならば低下しているが、デフレが長期間続いたあとでは、非常に高くなっている(貯蓄が取り崩されている)から、これ以上は、なかなか上がりにくい。一時的に少しぐらいは上がるかもしれないが、不況を脱出させるほど大幅に上がることはありえない。(たとえば、お金がなくてヒーヒー言っている人々が、無謀にも、サラ金から金を借りたり、貯蓄をすべて取り崩したりして、一挙に贅沢三昧をすることなど、ありえない。あるとしたら、日本人が麻薬で狂ったときぐらいだろう。)
 となると、残るは、「所得」が増えることだ。ところが、現実には、4月以降、ベアがないので、国民の総所得は減ってしまう。(前述。)となると、残りは、「減税」しかない。しかし政府は減税をやらない。いずれにしても、総所得は増えない。だから、景気は悪化するしかない。
 とにかく、こういうふうに、「消費」を「消費性向」と「所得」に分けて考察することが必要だ。それができないエコノミストは、いつまでたっても、「景気回復は個人消費しだい」なんていう、お天気占いみたいなことしか言えないのだ。
( ※ 結局、彼らは何をするべきかもわからないでいる。自由放任、つまり、無為無策。……サッカーでも、そっくりな監督がいますね。「自由」を主張して、ただの「無為無策」だけの監督が。自己中みたいな名前の人。)

 [ 補足 ]
 今回の一時的な景気回復は、円安によるものだが、これと同様のことは、前にもあった。それは、日銀がゼロ金利を解除する直前までの、約2年間だ。
 今回は、日銀がゼロ金利を解除しないらしいが、だとしても、本質は、ゼロ金利の解除ではないのだから、しょせんは、今回の円安景気も、まもなく息切れするはずだ。私の予想は、何度も述べたとおり、「4月以降、景気悪化」である。


● ニュースと感想  (2月24日)

 「物価上昇率,名目成長率,実質成長率」について。貨幣数量説との関連で。
 景気を判断するには、物価上昇率よりも、GDP成長率(特に名目値)に着目するべきだ。この件は、前にも何度も述べたが、あらためて強調しておく。
 昨年の10月〜12月期についてのGDP成長率については、18日に政府が発表した。「実質成長率は、年率換算7%の伸び」ということで、同日夕刊の各紙が大々的に記事にした。読売は、「名目成長率は、年率換算 2.6%の伸び」と注釈して、楽観を戒めているが、朝日は、「景気本格復調の様相」とおおはしゃぎである。(翌日朝刊では少し冷静になっているが。)

 ここで、本題に戻ろう。大切なのは、「実質成長率」ではなくて、「名目成長率」である。インフレのときはともかく、デフレのときにはそうだ。デフレのときには、「物価上昇率による補正」は、必要ないし、むしろ、余計なのである。
 たとえば、パソコンの性能が急激に上昇したとしよう。そのことで、旧型製品の価格は暴落して、物価上昇率が下落する。しかし、そのことは、経済に対してはほとんど影響しない。旧型製品が大幅に下落したとしても、旧型製品などを買う人はほとんどいないし、買おうとしても、旧型製品は市場にほとんど残っていない。ごく一部の「安値狙い」の人しか買わない。衣料品で言えば、売れ残りのバーゲン品と同様である。そして、こういう捨て値の商品を見て、「同一製品の価格が下落したから、物価上昇率が下がる」というふうに経済指標を出す。
 しかし、こういう経済指標は、市場の実態とは無関係なのだから、何の意味もない。「ほんの一部だけある売れ残りのバーゲン品が、期末セールで破格値になったから、物価上昇率が下落して、そのせいで、実質GDPが上昇する」なんていうのを見て、「景気が回復した」と判断しても、何の意味もない。また、逆の意味で、「同様の理由で、物価上昇率が下落した」というのを見て、「デフレが悪化した」と判断しても、何の意味もない。
 個人の生活のレベル言おう。パソコンに 10万円の支出をするとして、「パソコンの性能が向上したから、前年より5割も性能アップした商品を買う」としても、そのことは、経済的には何の意味もない。旧型製品の価格が下落したとしても、旧型製品が市場にほとんど残っていなくて、旧型製品を買う人がほとんどいないのであれば、ごく一部の旧型製品の価格は、人々にとって何の意味もない。単に「10万円のパソコンを買う」というだけだ。経済行動には、パソコンの性能向上は関係ない。
 では、何が大切か? 性能には関係なく、パソコン全体の価格が下落して、人々のパソコン支出全体が減少すれば、いくらかは関係がある。しかし、パソコンの支出が減っても、プロバイダへの支出(ブロードバンド料金)が増えれば、差し引き、チャラである。双方とも減っても、ヤケ酒の値段が増えれば、そっちの方が問題だ。

 結局、マクロ的に大切なのは、個人の支出総額全体なのだ。個々の商品の価格が下落したとか上昇したとか、パソコン代とブロードバンド料金の比率がどうこうしたとか、ヤケ酒代がどうなったとか、そういう個別の内訳はあまり関係ない。毎月30万円の給料があるとして、そのうちいくら使ったかが問題となる。
 ここで、大切なのは、二つある。「給料がいくらになるか」という「総所得」の問題と、「給料のうち、どのくらいの比率を使うか」という「消費性向」の問題だ。
 そして、両者の掛け算は、「名目GDP」で表示される。(少なくともデフレ期には。)……だからこそ、今は、「実質GDP」ではなく、「名目GDP」を見るべきなのだ。その値は、今回のデータでは、年率換算 2.6%となっている。「そこそこプラスだな」と思えるだろう。しかしここには、「輸出増加」による「輸出産業における残業増加」の効果がかなり入っている。この 2.6%という値は、円安にともなう一時的なものであり、やがては円高による輸出減少にともなって消えてしまうものだ。
 結局、「実質GDPが増えた」なんて喜ぶべきではなくて、「円安効果があったにもかかわらず、名目GDPはほとんど増えなかったし、それさえもすぐに消えてしまう」と悲しむべきなのだ。
 なお、うまく行けば、「輸出増加が引き金となって、内需も拡大」というシナリオが成立する。しかし、そのためには、「輸出増加」が「総所得増加」につながる必要がある。では、そうなっているか? データは否定的だ。厚生労働省の調査では、昨年 12月の現金給与総額は、前年同月比 1.5%の減少だ。いくら輸出が増えていても、総所得は減るばかりなのだ。当然、内需も減るばかりだ。一時的な輸出増が消えたあとでは、ふたたびGDPが縮小していく。

( ※ 「総所得」については、「賃上げ」の問題でもあり、こちらは4月に悪化するという見通しがある。2月07日を参照。)
( ※ 「消費性向」については、「所得が減っているので、すでに非常に高い値だ」というデータもある。)

 [ 補説1 ]
 さらに、補説を述べておこう。(実は、本文よりも、補説の方が肝心である。)
 名目GDPを物価上昇率で補正することは、インフレのときには有意義だが、デフレのときには有意義ではない。そういう非対称性がある。では、なぜか? それは、貨幣価値の効果だ。
 インフレのときに物価上昇率が上がるのは、「貨幣価値が下落しているから」と見なせる。これが大事だ。単に「需要が増えて生産が拡大したから、価格が上昇した」というのは、ほとんど無視してよい。その場合、物価上昇率の上がり方は緩慢だからだ。(およそ 0.5%であり、しかもその値はインフレ期にはほぼ一定だから、4%以上の物価上昇率があるときには、その 0.5%の分の変動はほとんど無視してよい。)
 たとえば、パソコンならば、「需要が増えたから値段が上がる」というのは、短期的には成立しても、中期的には逆の効果(大量生産による値下がり効果)が出るから、「需要が増えたから価格上昇」とは言えなくなる。野菜ならば、設備投資で増産するわけには行かないが、そもそも野菜を食べる量は限られているから、「急に野菜の消費量が増える」なんてことはありえない。かくて、「需要増加」による「価格上昇」の効果は、ほとんど無視してよい。
 というわけで、「貨幣価値の下落」による「物価上昇」を補正することには、意味がある。こういう補正をしたもののが、「実質GDP」である。そう考えていいだろう。インフレのとき(貨幣供給量増加による貨幣価値低下が起こっているとき)には、こういう補正が必要である。
 では、デフレのときには、どうか? デフレのときには、「貨幣供給量縮小による貨幣価値上昇」は、起こっていない。ここでは、「量的緩和」がなされているのだから、「貨幣供給量縮小」は起こっていないのだ。デフレのときは、貨幣供給量は影響要因とはなっておらず、単に「需要の縮小」だけが影響要因となっている。
 だから、デフレのときには、「貨幣供給量の変動を理由とする貨幣価値変動(物価変動)」に対する「補正」は、不要なのである。むしろ、そんな「補正」をすればするほど、ありもしない「貨幣供給量の変動を理由とする貨幣価値変動(物価変動)」に対する「無意味な補正」をすることになり、事実を歪めてしまうのだ。
 結局、どのような測定であろうと、そこに補正をするとき、事実に基づく補正であれば補正は有効だが、事実に基づかない補正であれば補正はデータを歪めるだけなのだ。
 同じく物価変動があるとしても、インフレのときの物価上昇は、貨幣供給量の変動によるものであり、デフレのときの物価下落は、貨幣供給量の変動によるものではない。そういう本質的な差を認識しよう。そして、認識すれば、「前者に対する(貨幣価値の)補正は必要だが、後者に対する(貨幣価値の)補正は不要だ」とわかる。
 デフレのときには、物価下落が起こるが、それは別に、貨幣価値が上がっていることを意味するのではなくて、売り手が苦しんでいることを意味するだけだ。つまり、売り手が損して、買い手が得をしているだけだ。ここで、買い手は、少しの金で多くを入手できるが、それは、売り手が値引きしているだけのことであり、貨幣価値が上がっていることを意味しない。
( ※ たとえば、 100円のものが 98円で売られているとしよう。「値引き」があれば、買い手は 2円の得で、売り手は 2円の損。「貨幣価値の上昇」が2%あるのならば、売り手も買い手も損得なし。この二つの現象は、まったく別のことである。なのに、この二つの現象を同一視するのが、「実質成長率」という考え方だ。)
( ※ 逆の場合も、ほぼ同様の話が成立する。100円のものが 102円で売られているとしよう。「値上げ」があれば、買い手は 2円の損で、売り手は 2円の得。「貨幣価値の下落」が2%あるのならば、売り手も買い手も損得なし。この二つの現象は、まったく別のことである。……具体的な例を示そう。同じように物価上昇という現象が起こるとしても、「好況」のときには、「需要増加」にともなって労働量も生産量も増えるが、「スタグフレーション」のときには、「供給不足」にともなって労働量も生産量も減少する。両者は別のことである。なお、貨幣供給量増大という意味の「インフレ」は、「好況」ないし「スタグフレーション」には部分的に含まれる。)

 [ 補説2 ]
 インフレのときには、「貨幣供給量増大による物価上昇(貨幣価値低下)」がある。これは、細かく言えば、どのようなものか?
 インフレのときには、「貨幣供給量増大による物価上昇」がある。景気拡大につれて、投資資金の需要が加速度的に増えるが、このとき、資金需要の増加につれて、日銀による資金供給が増えて、貨幣供給量が増えるからだ。なお、貨幣供給量が増える分が、ただちに貨幣価値下落に結びつくわけではない。経済活動そのもの[実質GDP]の拡大によって、貨幣需要そのものが増えるからだ。……このあたり、話が少し面倒である。ただ、一般的に言えば、物価上昇率が3%であるときには、貨幣供給量増加による貨幣価値下落が3%だけあると見ていいだろう。この分は当然、補正すべきだ。
 一方、デフレのときには、「貨幣供給量縮小による物価下落」があるわけではなくて、単に「需要縮小による物価下落」があるだけだ。だから、たとえ物価下落があっても、この分は、特に補正すべきこととはならない。物価が下落したのは、貨幣価値が上昇したからではなくて、生産者が苦しまぎれに値下げをしたからである。ここでは、消費者にとっては貨幣価値が上昇したように見えるが、実際には、生産者が赤字で苦しんでいるのだから、本当は、貨幣価値が上がったのではない。生産者と消費者の取り分が変化しただけのことだ。
( ※ 一定の富があるときに、デフレのときには、生産者の取り分が減り、消費者の取り分が増える。ここでは、値段の変化はあっても、貨幣価値は変化していない。一方、インフレのときには、生産者の取り分も、消費者の取り分も、変わらないのだが、貨幣価値だけが低下するせいで、値段が変わる。ゆえに、この分を補正する必要が出てくる。)
( ※ デフレのときには、「貨幣価値の変動による物価変動」を補正しなくていいのだが、例外がある。つまり、デフレのときに、「貨幣供給量縮小による物価下落」を考慮すべき場合もある。現実にはそんなことはほとんどありえないが、とにかく例外がある。……それは、政府がデフレのさなかに「タンク法の増税」をした場合だ。つまり、「増税をして、その金を日銀に渡した場合」だ。というわけで、デフレのさなかでデフレを悪化させる最も効果的な方法は、「増税」なのである。政府が日本経済を破壊したければ、「ちょっと景気回復の芽が出たから、すぐに増税」という策を取るのがいいだろう。……なお、これは、倒錯的な政策であり、現実にはほとんどありえないが、例外的に、実現されたことがある。それは、橋本増税だ。実際、橋本政権は、不況のさなかで増税を実施して、日本経済を急激に縮小させた。)

 [ 補説3 ]
 以上で述べたことは、かなり重要である。デフレの本質は、「貨幣供給量の縮小」や「貨幣価値の上昇」でもないのだ。
 「政府が金利を上昇させたから貨幣価値が上昇した」というような特別な場合(倒錯的な場合)を除けば、デフレの最中には、ゼロ金利と量的緩和がなされている。とすれば、デフレのさなかには、「貨幣供給量の縮小」や「貨幣価値の上昇」は起こっていないのだ。ここでは当然、「量的緩和」は、処方としては無効であることになる。
( ※ なお、これは一種の同語反覆になっている。「量的緩和が無効であるとき[デフレ]には、量的緩和が無効である」というふうに。)

 [ 付記1 ]
 「実質成長率が高いぞ」という冒頭の主張は、「物価下落が進んだから、景気は良くなった」という主張だ。しかしこれは、「物価下落がどんどん進んで、デフレが悪化していくと、かえって景気が良くなると結論する」ということだ。ほとんど狂気の論理である。
( ※ 読売の 19日の朝刊は、この問題を指摘している。朝日のデタラメ報道とは違って、立派である。)

 [ 付記2 ]
 わかりやすく言えば、こうだ。パソコンの性能が向上して、新製品は性能が1割アップして、売れ残りの旧製品は値段が5%ダウンした。人々は、従来の価格で、新製品を購入した。人々の購入する製品が技術革新で性能アップしただけで、経済は何も変わらなかった。ところが愚かなエコノミストだけは、「旧製品の価格は5%ダウンしたから、物価が5%下落した。つまり、実質成長率は5%アップしたのだ」と主張する。パソコンでなくて、自動車や料理でも同様だ。デフレが進んで、価格下落が進んだとき、生産者は利益が減って苦労しているわけだが、愚かなエコノミストだけは「物価が下落したから、実質成長率はアップした」と主張する。まったく、どこを見ているんだか。

 [ 付記3 ]
 もう少し本質的に示そう。
 インフレのときなら、どうか? 名目成長率が 5%だとしても、物価上昇率が 2%ならば、その分を差し引きして(補正して)、実質成長率を 3%と考えるのは、妥当である。実際、工場の稼働率や、労働時間は、3%ほど増えるはずだ。
 デフレのときなら、どうか? 名目成長率が 0%だとして、物価上昇率が マイナス2%ならば、その分を差し引きして、実質成長率を プラス2%と考えるのは、妥当ではない。実際、工場の稼働率や、労働時間は、3%ほど増えることはない。ここでは、物価が下落しているのに名目成長率が現状維持だとしたら、売れる商品が高級品にシフトしているのである。たとえば、1万円の時計が 9800円に値下げされて、かわりに、10200円の商品が1万円で売られる。一種のダンピングみたいなものだ。企業は苦しくて仕方ないし、労働者も実質賃下げを受けて苦しくて仕方ない。労働者は、リストラで雇用者が回顧されて、102人でなしていた仕事を、100人でするようになる。残業時間は 102% に増えているが、賃金は据え置きである。そうやって賃下げを受けて、商品価格を下げる。
 結局、デフレのときには、企業も労働者も苦しい。ここでは、企業と労働者が2%苦しくなっているのであって、経済規模が2%の拡大がなされているのではないのだ。だから、この2%の分は、「状況悪化率」とでも呼ぶべきものだ。これを「実質成長率」と呼ぶのは、「不幸」を「幸福」と呼ぶようなものである。人を欺くだけだ。
 デフレのときには、「実質成長率」という言葉は、「看板に偽りあり」なのだ。
( ※ 朝日の 19日朝刊の記事などは、実質成長率の変化のグラフを示しているが、こんなものは意味がないわけだ。どうせ示すなら、名目成長率の変化のグラフを示すべきなのだ。)

 [ 付記4 ]
 最近、DVD や液晶テレビなどが大いに売れている、という現象も、同じように解釈できる。「同一商品の高級品が買われる」というかわりに、「浮いた金で新製品を買う」と解釈すればよい。
 たとえば、パソコンは、従来に比べて、かなり安価になった。となると、手元には、浮いた金が残る。その浮いた金で、DVD や液晶テレビなどを買う。とすれば、パソコンのかわりに DVD や液晶テレビなどが売れているだけであって、業界全体としては、ほとんど変わっていないことになる。工場の側で言えば、パソコン生産に雇用されていた労働者が、 DVD や液晶テレビの生産に雇用されるようになっただけのことだ。
 だから、DVD や液晶テレビなどが大いに売れていても、それは別に、「好景気」とは何の関係もないわけだ。パイが大きくなったことを意味するのではなくて、パイの配分が変わったことを意味しているだけのことだ。過去の例を見ても、1995年以降の数年間、パソコンが爆発的に売れたが、だからといって景気が良かったわけではない。日本経済全体をマクロ的に見れば、やはり景気は悪かった。


● ニュースと感想  (2月24日b)

 前項の補足。「名目成長率と実質成長率の乖離」について。
 実質成長率が7%だという統計データを見て、「景気は回復しつつある」なんて認識している人がけっこういるようなので、それが誤認だという決定的な反証を示しておく。
 そのことを示すには、過去の事実を見ればよい。名目成長率と実質成長率に乖離が見られた時期は、過去にもあった。それは 1999年から 2001年にかけての2〜3年間だ。このころ、GDPデフレータ(物価上昇率のようなもの)は、戦後最悪の水準であり、マイナス2%程度であった。ただし、名目成長率は、ゼロ近辺をうろうろしていた。若干のプラスになることもあり、若干のマイナスになることもあった。で、実質成長率は、両者の差し引きであるから、プラス2%程度をうろうろしていた。(ただ、2000年の半ばには、名目成長率はかなり高めであり、実質成長率もかなり高めであった。このことが結果的に、夏の「ゼロ金利解除」を促した。ただし、これは、別の話。)
 ともあれ、 1999年から 2001年にかけては、名目成長率はゼロ近辺であったが、物価上昇率は2%程度のマイナスであり、そのせいで、実質成長率は2%程度のプラスだった。
 では、この時期、景気は回復過程にあったのか? 物価が下落して、企業の倒産も労働者の失業も、非常に高水準であった。こういう経済状況を、「景気回復状態」と呼べるのだろうか? もちろん、否である。
 とすれば、同様のことは、今現在についても当てはまる。たとえ輸出のおかげで名目成長率がプラスであるとしても、「物価がどんどん下落して、失業率もあいかわらず高水準のままで、所得も消費も低迷している」という悲惨な状況は、決して「景気回復」とは言えないのだ。(一部の輸出企業だけは悲惨ではないが。)
 とにかく、「物価が下落すればするほど、景気は良くなっていることになる」という主張は、荒唐無稽と言うしかないのだ。

 [ 付記 ]
 このような現象(物価上昇率がマイナスで、名目成長率がプラス)の、本質は何か? 妥当なものとして考えられるのは、「労働分配率の低下」である。
 労働分配率が低下すれば、賃金水準の低下によって、「物価下落」と「労働時間増加による所得維持」が同時に可能だ。企業の業績は回復するし、生産性は向上するし、企業にとってはいいことずくめだ。ただし、その半面では、労働者が泣く。マクロ的には、所得増加がないから、消費主導による本格的景気回復が不可能となる。
 これが本質だ。だから、日本経済は、正しい道を歩んでいるのではなく、間違った道を歩んでいるのである。正しくは、「企業利益を正しく労働者に配分して、消費主導の景気回復の道を取ること」である。この場合は、内需拡大にともない、物価が上昇し、賃金も上昇し、金利もゼロを上回り、微弱なインフレとなる。つまり、デフレを脱出して、正常な経済となる。
 現実には、そうなってはいない。労働分配率を低下させ、所得と消費を抑制する。あげく、「物価上昇率がマイナスであることを喜ぶ」という倒錯的な状況となっている。

 [ 参考 ]
 参考資料は、次の pdf ファイル。 → 主要指標( pdf )
 さまざまな統計数値のページ。 → 日本経済新聞社の統計資料


● ニュースと感想  (2月24日c)

  【 追記 】
 前々項の補足。「名目成長率と実質成長率」について。
 「名目成長率よりも実質成長率を見るべきだ」という説は、実は、「均衡」を前提とすれば、成立する。
 次のトリオモデルを見よう。「均衡状態」(右側)では、下限直線に阻害されずに均衡が成立するが、「不均衡状態」(左側)では、下限直線に阻害されずに均衡が成立しない。

     トリオモデルの図

 さて。古典派では、トリオモデルではなくて、ただの「 乂 」型の図だけで考える。すると、下限直線を存在しないものと見なすので、「常に均衡」という結論が出る。
 そこで、「常に均衡」か、「不況のときは不均衡」かで、分けて考えよう。

 (1) 常に均衡
 「均衡」を前提としよう。すると、供給拡大または需要縮小によって、「物価下落」が起こったとき、ともかく新たな均衡点で均衡する。そして、それは、二つのタイプに分けられる。
 第1は、「供給拡大」によって、「低い価格と、多い生産量」という形で、均衡する場合。
 第2は、「需要縮小」によって、「低い価格と、少ない生産量」という形で、均衡する場合。
 この二つは、いずれも、「均衡」が成立する。何らかの難点が発生することはない。価格がどうであれ、労働量や生産量だけが問題となる。これらの状態を理解するには、「実質GDP」で理解した方がよい。第1の場合は「実質GDPがアップ」で、第2の場合は「実質GDPがダウン」と理解される。(詳細は省略。)

 (2) 不況のときは不均衡
 「不均衡」を前提とすれば、(1) とは事情が異なる。供給拡大または需要縮小によって、「物価下落」が起こったとき、新たな均衡点で均衡することはなく、不均衡状態となる。つまり、「需給ギャップ」が生じる。
 この場合、価格や生産量がどうであれ、適切ではない。価格は、企業にとっては(採算割れなので)低すぎるが、消費者にとっては(均衡点よりも上なので)高すぎる。生産量は、需要と比べれば過剰だが、供給能力と比べれば不足である。価格も生産量も、最適化していない。難点がある。
 この難点の大きさが、「需給ギャップの大きさ」である。それは、「価格下落」の程度と「生産量」との積に、ほぼ一致する。そして、それは、「名目GDPの下落幅」に等しい。

 まとめ。
 「名目GDP」と「実質GDP」のどちらが重要かは、「均衡」が常に成立するか否かという、立場の差による。
 「常に均衡」という古典派的な解釈をするならば、価格がどうであれ、実質的な生産量だけが重要である。自動車や電器製品の価格が下落したかどうかは関係なく、その物質的な生産台数だけが重要だ。これを測定するには、「実質GDP」という尺度が適切だ。デフレとは、単なる生産台数の縮小だけを意味する。逆に、生産台数が拡大すれば、デフレを脱しつつあることになる。
 「不況期には不均衡」という非・古典派的な解釈をするならば、実質的な生産量よりも、価格の変動が重要である。特に、価格の変動による不採算化(赤字発生)が重要である。自動車や電器製品の物質的な生産台数よりも、価格下落による赤字発生がどのくらいになるかが重要だ。これを測定するには、「実質GDPの変動」と「価格の変動」との和、つまり、「名目GDPの変動」という尺度が適切だ。
 たとえば、
      (+2%) + (−2%) =  ±0%
      実質GDP     価格     名目GDP

 のように。
 つまり、生産台数が拡大しても、価格下落が進行していれば、生産台数の伸びは、価格の下落に打ち消される。こういう事実が大切だ。
 結局、実質GDPの伸び(プラス)を見て、「生産台数が拡大しているから景気は回復している」と認識するべきではなく、名目GDPの変動(ほぼゼロ)を見て、「生産台数が拡大しても、価格下落があるから、いまだデフレを脱していない」と認識するべきなのだ。……せいぜい、「価格下落というデフレが、実質成長率の上昇で、緩和されている」というだけのことだ。病の本質は変わっていないのだが、症状だけは緩和されているわけだ。(その理由は、後述の「補説」を参照。)

( ※ 以上の議論からわかるように、重要なのは、名目GDPや実質GDPの絶対値ではなくて、その変動率である。「 102% 」とか「 98% 」とかいう値で認識するべきではなくて、「プラス2%」とか「マイナス2%」とかいう値で認識するべきなのだ。数字を見るだけなら、どちらにしても同じことのように思えるが、認識をする立場が異なっている。大事なのは、「生産台数が拡大しているか縮小しているか」ということではなくて、「赤字が拡大しているか縮小しているか」ということなのだ。)

 [ 付記1 ]
 誤解を避けるために、付言しておこう。
 デフレ期には、名目GDPが実質GDPよりも重要だ。つまり、デフレ脱出か否かという判断をするための指標としては、実質GDPよりも名目GDPの方がふさわしい。
 ただし、だからといって、「実質GDPを無視していい」というわけではない。実質GDPがプラスになるということは、それはそれで、好ましいことだ。
 とはいえ、実質GDPだけを見て、「実質GDPがプラスになったから、デフレを脱出した」なんて浮かれているのでは、肝心のことを見失って、判断ミスをしてしまう、と注意しているわけだ。

 [ 付記2 ]
 本項の話は、デフレ期だけに成立する話だ。インフレ期には、「赤字の拡大」ということはありえないから、生産台数だけに注目すればよい。だから、「実質GDP」だけに注目すればよい。

 [ 補説 ]
 「実質GDPはプラスなのに、物価上昇率はマイナス」という現象、つまり、「生産台数は増えているのに、価格は下落する」という現象は、なぜ、起こるのだろうか? 
 通常ならば、需要の拡大または縮小にともなって、生産台数の拡大または縮小が起こり、それにつれて、価格の上昇または下落が起こるはずだ。だから、上記のような現象は起こらないはずだ。
 この理由として、妥当なものとして推察できるのは、「輸出超過」である。輸出が増えるから、生産台数は増える。しかし、内需は拡大しないから、価格はいまだに下落傾向が続く。
 だから、「実質GDPはプラスなのに、物価上昇率はマイナス」という現象は、「外需は拡大しているが、内需は縮小を維持している」という状況と同等であろう。
 結局、「日本の景気は回復しつつある」と認識するべきではなくて、「日本の景気は悪いままだが、外需拡大によって一息ついている」と認識するのが正解だ、ということになる。
 なのに、「外需が拡大しているから、日本の景気は回復している。万歳」と浮かれるとしたら、それは誤認だ。
( ※ たとえて言えば、こうだ。失業者が、失業に悩んでいた。すると、よそにいるおせっかいな日銀おじさんが、「かわいそうに」と金をめぐんであげた。すると、失業者の財布に、お金が増えた。失業者は、こう喜んだ。「財布のお金が増えた。これで、私の失業は解決した。このあとは毎月毎月、給料が入ってくるはずだ。万歳」と。……ところが実際には、近い将来、日銀おじさんが、めぐんだ分のお金を、取り上げに来るのである。「貨幣供給量は、安定させなくちゃね。増やした金は、元に戻さなくちゃ」と。なのに、そのことに気づかず、「失業は解決した!」と彼は浮かれている。)
 [ 参考 ]
 以上の議論では、詳しい説明(理論的な説明)は省かれている。
 もっと詳しい説明をするには、「均衡/不均衡」の区別をしたあと、「供給拡大/需要縮小」の区別をして、モデル的に、「この場合には、価格がこうなり、生産台数がこうなる」というふうに場合分けをして考察するべきだ。
 ただ、そういう議論は、話自体は簡単だが、読むのが面倒くさい。だから、そういう議論は、私の手元のメモ用紙に書くだけにして、結論だけを、上記にまとめておいた。
 もっと細かい話を考察したければ、自分で場合分けをして、モデル的に考察してほしい。難しい考察は必要ない。単に、場合分けをして、数値的に考えるだけでいい。







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「小泉の波立ち」
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