[付録] ニュースと感想 (53)

[ 2003.12.13 〜 2003.12.17 ]   

  《 ※ これ以前の分は、

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         12月13日 〜 12月17日

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● ニュースと感想  (12月13日)

 「景気の状況」について。
 景気の状況は、相変わらず悪いようだ。輸出企業の業績が好転しているので、「縮小均衡に近づきつつあるか」という推定をしたことがあるが、まだ悪化の途上であるようだ。

 (1) 地方の不況
 「地方銀行では、不良債権がろくに減らない」という話がある。(朝日・朝刊・経済面 2003-12-11。これは特集で連載されるらしい。)
 輸出企業の業績が好転しても、それは地方に波及しない。というのは、輸出企業の業績が好転しても、企業収益が好転するだけであって、従業員の所得には回らないからだ。せいぜい、残業手当が少し付くぐらいの話だ。業績向上に見合う昇給など、夢のまた夢である。「成果給」「能力給」という名の「定昇廃止」つまり「実質賃下げ」があるから、マクロ的には総所得は減るばかりだ。
 お先はどうやら、曙光が見えたのではなくて、真っ暗であるようだ。来年4月? 株価は9000円割れの可能性は、十分にある。

 (2) 円高不況
 「円高にともなって、輸出企業の業績が悪化し、株価も下がっている」という話がある。(読売・朝刊・経済面 2003-12-11 )
 「一時的な好況のあとで、また不況、という景気の循環が起こった」という認識をする人もいるかもしれないが、とんでもない。「登り坂があれば、次は必ず下り坂がある」という必然的な現象が起こっただけにすぎない。「1−1=0」という算数と同じく、必然的な現象だ。
 第1に、「輸出すれば、代金を得る」という必然がある。当面、輸出をして、帳簿上でプラスになる。しかし、その代金(ドル)を得れば、「ドル売り・円買い」が起こるから、円高になる。「輸出が増えれば、円高になる」という必然が起こっただけだ。「永遠の黒字」ということはありえないから、黒字が増えればそれを帳消しにする方向に円高が起こるのは必然だ。……ただし、である。輸出するのと、代金を受け取るのとは、時期が異なる。前者よりも後者の方が、後になる。だから、一時的には帳簿で黒字が出るとしても、数カ月たてば、円高が襲いかかるのは必然であるわけだ。今になって「円高が大変だ」と思う人は、頭がイカレている。「輸出が増えれば、円高になる」というのは必然なのだ。ここもわからず、「輸出が増えれば、好況になる」というシナリオを立てていたとしたら、それは、貿易を理解できない経済音痴の妄想にすぎない。
 第2に、この半年間、輸出が増えたのは、日本企業の技術力が急激に上昇したからではなくて、米国で減税があって、景気が好転したからだ。ここで、古典派は、「減税で景気が良くなる」とだけ楽観する。しかし、まともな経済学を知っていれば、別の判断する。すなわち、「減税によって、貨幣量が増えれば、その分、貨幣価値が下がる。ゆえに、その分、ドルの価値が下がる。つまり、ドルの対外レートは下がる」と。これは、「ドル安」をもたらす。「円高」というよりは、「ドル安」であるが、とにかく、円から見れば「円高」になって、輸出を抑制する方向に力が働く。……とはいえ、これは、不思議でも何でもない。米国の「減税」は、一時的には日本からの輸出を増やす方向に力が働くが、やがては、その力は通貨レートによって中和される。それだけのことだ。
 結語。
 「輸出が増えたから景気が回復するというシナリオを立てたのに、うまく行かなかった」などと焦るのは、馬鹿げている。「シナリオが狂った」と焦る前に、「馬鹿げたシナリオを立てたのが間違いだった」と反省するべきだ。荒唐無稽のシナリオなど、もともと実現するはずがないのだ。そんなシナリオを信じる方がどうかしている。
 米国の減税頼みとか、外為市場への介入とか、そんな非本質的で小手先の処置をしても、日本経済という巨額のものを動かすことはできないのだ。犬の尻尾をいくら振らせても、犬という本体を動かすことはできないのだ。
 日本経済を動かしたければ、日本経済そのものを動かそうとする必要がある。すなわち、日本経済の本体である「個人消費」を動かそうとする必要がある。そのためには、縮こまっている「総所得」という本体を動かそうとする必要がある。それが、日本国民全員を対象とする、「巨額の減税」だ。── これなくして、いくら小手先の処置をしても、日本経済を動かすことはできないのだ。


● ニュースと感想  (12月13日b)

 「景気の見込み」について。
 景気の見込みについては、大企業の間で楽観的な予想が出ているという。「日銀の短観では、大企業の景況感が大幅に向上した」ということだ。(各紙 2003-12-12 夕刊 〜 翌日朝刊。)
 これを受けて、「景気は回復基調が鮮明になった」と朝日夕刊は解説している。また、翌日朝刊によれば、多くのエコノミストも、短期的には先行きを楽観しているようだ。
 では、その理由は? 「景気はまっすぐ進む」という、素人の「棒線グラフ」判断だ。「現状は上向きだから、このままずっと上向きだろう」という判断だ。しかし、こんな単純な見方が成立するくらいなら、経済学なんてものは不要だ。(これとは逆の、「景気循環」という判断もあるのだが、まったく考慮されていない。)
 実は、この楽観的な見方が正しいかどうかは、朝日に掲載されているグラフを見れば、すぐにわかる。ここ数年、3年ぐらいの周期で、「上がって、下がる」という波がある。つまり、景気循環の波がある。これに従えば、「現在は上昇のピークであり、このあとはまた1年半か2年ぐらい急激に悪化していくだろう」と予測できるはずだ。

 では、その相反する見方のうち、どちらが正しいか?
 一般的には、「どちらが正しい」とは、断言できない。ケースバイケースである。場合分けすれば、次の二つだ。
 第1は、一本調子の拡大または縮小。これは、「所得への波及」がマクロ的に起こった場合に発生する。「需要が増えて、生産が増えて、所得が増える」あるいは逆に「需要が減って、生産が減って、所得が減る」という過程だ。いずれも、循環的(回帰的・サイクル的)な過程であり、一本調子の拡大または縮小が起こる。
 第2は、一時的な拡大または縮小。これは、「所得への波及」がマクロ的に起こらなかった場合に発生する。「需要(外需または内需)が増えて、生産が増えるが、所得は増えない」という過程だ。この場合、労働者には金を与えないから、企業の業績は急激に向上する。しかし、短期的にはそうなっても、結局は総所得の増大がないから、総需要の増大もなくて、企業の業績もまもなく悪化する。
 では、今回は、この二つのどちらが当てはまるだろうか? もちろん、「企業業績の回復」はあっても、「所得の増加」がないから、第2の方である。

 結局、「今回の景気回復は、中短期的な周期的変動によるものであり、一時的な回復のあとでは、ふたたび悪化する。」となる。
 先行きを占えば、「いったん向上したとしても、需要の先食いがあったのと同じである。だから、今いい思いをした分、後でまずい思いをする」となる。本年後半に楽をした分、来年から再来年にかけて苦しくなるだろう。……要するに、ここ3年ぐらいのことの、繰り返しだ。
( ※ 前にもITバブルで浮ついたことがあった。)
( ※ とにかく、本格回復か一時的回復かの違いは、マクロ的に所得への波及があるか否かだ。前述の通り。)
( ※ 直感的には、修正ケインズモデルのグラフで理解する。「インフレスパイラル」や「リセッションスパイラル」などの用語で、かつて解説した。)

 [ 付記 ]
 13日の朝刊によれば、もっと細かいデータも出ている。大企業だけは景況感が良くなっているが、中小企業の景況感はひどく悪いままだ、ということも、このことを裏付ける。
 また、「雇用」のデータを見ると、「過剰感」が縮小しているということだが、「不足」感は出ていない。となると、いまだに賃下げ圧力が働いていることになる。つまり、所得縮小だ。ということは、いまだにインフレ圧力でなくデフレ圧力が働いていることになる。景気は、改善しつつあると見なせるかもしれないが、それはあくまで「下降が緩くなった」というだけのことであり、「上昇になった」というのとは違う。楽観はできないし、むしろ悲観するべきだ。楽観は無為をもたらし、悲観は対処をもたらす。
( ※ なお、前項も参照。これは、外需によって業績が拡大した場合の説明だ。 → 前項


● ニュースと感想  (12月14日)

 「産業再生機構」について。
 「産業再生機構は、不況脱出の切り札と期待されたが、ほとんど実績が上がっていない」という解説記事が出た。(読売・朝刊 2003-12-09 )
 記事では、「整理回収機構(RCC)はいくらか再生の実績がある」とか、「国と民間とで分担せよ」とか主張しているが、とんだお門違いである。RCCが何かやったとしても、民間ではできないことをやったというわけではなくて、民間と同じこと(会社生産法の適用など)をやっただけのことであり、別に、何かが変わったわけではない。民間がやるか公的にやるか、というだけの違いであり、結果は何も変わらない。「国と民間とで分担せよ」という主張も、同様であり、いくら配分を最適化しても、それで何かが変わるわけではない。せいぜい、高率がほんのちょっと上がるかもしれない、という程度のことだ。不況に対しては、焼け石に水ほどの効果もない。

 古典派というものは、物事を根本的に勘違いしている。「個々の企業の業績が悪くなったから、不況になった」と思い込んで、「だから、個々の企業の業績を良くすれば、不況を脱出する」と思い込んでいる。これでは、話が正反対だ。
 正しくは? マクロ的に理解することだ。「国全体の経済が縮小したから、最も弱いところから順につぶれていく」というのが正しい。ここでは、最悪の企業をいくら改善しても、まったく無意味である。最悪の企業を最悪から脱させたとしても、次に悪い企業が今度は最悪となってつぶれるだけだ。いくらやっても、キリがない。
 にもかかわらず、「すべての企業を改善すれば、すべての企業が優良化する」と思い込んでいるのだろう。しかし、これはつまり、次のようなことを主張しているのと、同様である。
  「すべての走者が早くなれば、全員が一位になる」
  「すべてのチームが強くなれば、野球ではすべてのチームが優勝する」
  「すべての受験生が努力すれば、定員を超えても、全員が合格する」
 まったく、メチャクチャな発想だ。つまり、全体をとらえる思考ができず、あくまで個々の努力のレベルで考える。そして、これこそ、古典派の思考である。(一言で言えば、「マクロの無視」だ。)

 [ 付記 ]
 サッカーチームの「神戸」が事実上の倒産に追い込まれた。市営のチームだったが、莫大な赤字をこさえて、たえきれなくなり、結局、営業権の譲渡をして、民間主導のもとで再建するらしい。(夕刊・各紙 2003-12-13 )
 これは、「官営ではダメだから、民営化で再建」というタイプだ。しごく当然のことであり、国鉄、電電公社、専売公社も、これで成功した。郵貯や道路公団も、一応、この方向にある。
 なのに、これと正反対のことをするのが、「産業再生機構」であり、足利銀行などの「銀行の国営化」である。これらの理念は、「民間にやらせると経営が下手で倒産するから、国の主導で経営を健全化する」というものだ。
 アホくさ。そんなに国営化が好きなら、サッカーのチームをすべて国が買収すればいいのだ。「そうすれば、国の主導で、全チームが優勝するだろう」と彼らは主張するのだろう。


● ニュースと感想  (12月14日b)

 「減税の損得」について。
 タンク法では、「減税は損でも得でもない(貨幣価値が変動するだけだ)」と述べた。ただし、正確に言えば、「国民にとっては」という限定が付く。
 この限定からはずれる利害関係者がいる。それは、「その国の国民でないもの」である。たとえば、日本で減税したとき、日本国民でないものは減税の恩恵を受けない。たとえば、外国の銀行がそうだ。円資金をもっている外国の銀行は、日本国内の減税があったときに、減税の恩恵を受けないから、その分、損をする。(貨幣価値が低下するから。)
 これと同じことが、米国の減税でも発生している。米国では、減税をして、ドルの貨幣価値を低下させた。この点は、米国全体を見れば、減税を受けているのだから、得でも損でもない。ところが、日本銀行は、ドルをもっているにもかかわらず、減税を受けていない。つまり、その分、大損である。単純に言えば、日本銀行が莫大な損をして、ちょうどその分、米国民が得をしている。
 だから、「円高阻止のためにドルを買う」なんていう方針は、まったく馬鹿げたことなのだ。それは、一見、「通貨の交換だから、損得なし」と見えるが、実際には、米国の減税を通じて、大損をする。まったく狂気の沙汰である。金をドブに捨てているのと同様だ。
 どうせ円高阻止のために外貨を買うなら、ドルを買うのでなく、中国の元を買うべきだろう。買えば買うほど、「元の切り上げ」の圧力となるから、やがては元の切り上げが実現する。そして、そのとき、大幅な差益を得ることができる。この場合、損をするのは、市場を無視して強引に「元安」を維持しようとする、中国の通貨当局である。
 そして、それと同じことが、今の日銀に言える。現状では、損をするのは、市場を無視して強引に「円安」を維持しようとする、日本の通貨当局である。かくて、アメリカはボロ儲けして、日銀は大損をする。
 かくて、日本からアメリカへと、富がどんどん流出していくわけだ。こういうふうに「富の流出」をお勧めしているのは、日本のマネタリストたちである。「国賊」という言葉がぴったり。
 ざっと試算すれば、あなたの財布からも、一万円ぐらい知らないうちに抜き取られて、アメリカに流出していることになる。「目に見えない泥棒行為」というのは、経済学の分野では、しばしばなされるのだ。たぶんあなたは今は意識していないだろうが、そのうち「財政赤字の穴埋めの増税」という形で、負担は必ず襲いかかる。

 [ 付記 ]
 「じゃ、どうすりゃいいんだ?」と聞かれれば、簡単だ。古典派経済学者の主張とは反対のことをやればよい。第1に、円安介入なんかは、直ちにやめるべきだ。第2に、減税は、米国でやらせるだけでなく、日本でやるべきだ。……何度も言っているとおり。


● ニュースと感想  (12月15日)

 「法定刑の引き上げ」について。
 殺人や婦女暴行などの凶悪犯について、法定刑(刑の上限)を、法務省が引き上げる方針だという。(読売・朝刊・1面 2003-12-14 )
 ほとんど無意味なことである。もしも犯人が「刑期はこれこれで、利益はこれこれで」と考慮した上で犯行をしているのならば、法定刑の引き上げは有効だ。しかし、現実には、殺人や婦女暴行は、ほとんどが衝動的な行為である。婦女暴行ならば、下半身が犯行に及んでいるのであって、人格が犯行に及んでいるのではない。(正確に言えば、大脳がやっているというより、大脳辺縁系という小さな脳がやっている。)
 こういう犯行について、大脳に「そんな犯罪は損ですよ」と訴えても、まったく無効である。もともと大脳がやっているわけではないからだ。どうせなら、「男性ホルモン抑止剤」でも無料配布した方がマシであろう。
( ※ 別に、私が婦女暴行をしそうだから言っているわけではないし、また、犯人に共感して弁護しているわけでもない。単に、重罰が有効か無効かという実効性を論じている。)

 一方、法定刑の引き上げが明白に有効であるケースもある。それは、経済犯だ。詐欺とか、独禁法違反とか、廃棄物の放棄とか、著作権侵害とか、万引きとか、たいていの経済犯は、罰金を高くすることで、防げる。しかるに、実際には、スズメの涙の罰金だ。だから、犯行のやり放題である。こちらこそ、罰金を引き上げるべきなのだが。
 著作権侵害や万引きは、犯罪が露見しても、「だったら代金を払えばいいんでしょ」で済んでしまうことが多い。これだったら、犯罪をやった方が、ずっと得だ、ということになる。独禁法違反や、廃棄物の放棄にいたっては、ズルをして得る金額よりも、罰金の方が、はるかに小額である。ここでは、「犯罪は商売になる」のである。(だから暴力団みたいな組織は、こういうことをやりたがる。)
 では、なぜ、これらの経済犯に対して、法定刑は低いままか? 経済マフィアが圧力をかけているからだ。その経済マフィア団体を「経団連」と呼ぶ。首魁は、奥田某である。日本は、犯罪組織に、牛耳られているのだ。
( → 10月24日2002年12月14日 の [ 余談 ])

 [ 補足 ]
 次項で朝日の記事に言及するので、これに関連して、補足しておく。
 朝日の週末版 Be では、企業経営者を「立派だ、立派だ」と褒める。しかし、いい加減、やめてもらいたいものだ。こういうふうに提灯持ちの記事ばかりを書くから、企業経営者が付け上がるのだ。
 朝日の Be は、全身を「ウイークエンド経済」という。これも同じ特集があって、編集長インタビューという形で、企業経営者を「立派だ、立派だ」と褒めつづけていた。で、「財テクは素晴らしい」とさんざん持ち上げて、バブル膨張の手助けをした。……今日、あちこちで多大な不良債権が発生している責任の一般は、朝日にもあるだろう。
 私が思うに、これほどにも無節操に企業経営者を賛美するのは、正常なマスコミのやることではない。たぶん、全部、広告なのだろう。とすれば、記事にはちゃんと、「全面広告」と明記するべきだ。


● ニュースと感想  (12月15日b)

 「トヨタの横暴」について。
 トヨタを「横暴だ」と形容すれば、「また南堂が悪口を言っているな」と思われるかもしれない。しかし、さにあらず。トヨタ自身が、自称しているのだ。
 先日、中国で、トヨタのRV車(ハリアー?)の広告が批判された。神社のコマ犬のような像が敬礼をしている図柄といっしょに、「人々はこの車を尊敬せずにはいられない」というキャッチフレーズがついている。で、「中国では神聖視されている像を、馬鹿にするな!」という批判が出て、大騒ぎとなった。トヨタは広告を撤回して、謝罪した。

 さて。これを読んだとき、私は、どうにも腑に落ちなかった。文化摩擦という問題ではないからだ。たとえば、これが文化摩擦なしに、まったく日本流で行なわれたとしよう。中国ではなく日本の神社の、コマ犬が敬礼しているとしよう。で、「人々はハリアーを尊敬せずにはいられない」というような文句が付いていたとしよう。消費者は、その広告を見て、どう思うだろうか? 「ほう、ハリアーは偉いんだ」と思うだろうか? あるいは、「トヨタは偉いんだ」と思うだろうか? まさか。「ふざけるな。自惚れもいい加減にしろ!」と総スカンだろう。
 だいたい、「おれ様を尊敬しろ」という発想そのものが、根本的にイカレている。まともな人間の発想ではない。こんな広告は、「自分は阿呆だ」というのを宣伝するのと、同じぐらい、無意味な広告である。(正確に言えば、「私は阿呆です」と自称する人は好感を持たれることが多いから、「私は阿呆です」と宣伝するよりも、はるかに悪い。)
 
 さて。ここまでは、先日の報道を聞いて、私が受けた所感だ。ところが、新たな情報を新聞記事で得た。実は、この車の車名は、中国語で「覇道」だという。「覇道」には、「王道」に対する語義もあるが、最近の中国では、「横暴」の意の形容詞として使われるという。つまり、「覇道」という車名を付けた時点で、「横暴」という車名を付けたのと同様であり、根本的に中国に対する認識が欠如していたという。(朝日新聞・週末版 Be の青色版 2003-12-13。中国人執筆者による解説。)
 ここまで聞くと、ようやく、納得が行く。トヨタの宣伝は、単なる異文化ギャップという問題ではない。商品を相手国に輸出する際、相手国の事情をまったく調査しないで、単に自分の思ったことを一方的に押しつける、という、厚顔無恥なことをやっているわけだ。(一方的な主張でイラク人を殺害する、という米国と、同様の精神だ。)……これでは、嫌われて当然だし、トラブルを引き起こすだけだ。
 ここでは、調査が足りなくて行き違いが起こったのではない。そもそも最初から、相手国を調査することを拒否しているのである。日本でなら、日本人消費者を調査するし、広告が一般受けするかどうかも事前に調査するはずだが、中国では最低限の調査を欠いたままでいるわけだ。
 この問題は、当然、トヨタの現地販売担当者がもたらしたトラブルではなくて、日本にいるトヨタの担当者などがもたらしたトラブルであろう。「わが社は世界で一番だ」などと自惚れているような会社は、このように、海外で最低のトラブルを起こすのである。
( ※ 「米国は世界で一番だ」と自惚れるから、米国は世界中でトラブルを起こす、というのと同様だ。)

 [ 付記 ]
 この解説記事は、中国人の著者による。ところが、新聞には、まったくこの報道が欠けていた。新聞記者もまた、中国語の素養がまったく欠けていたようだ。そのせいで、肝心の情報が欠落したままとなっている。
 新聞社は、もっと、「情報伝達」のための努力をするべきだろう。新聞社の記事で有益な情報があるとしたら、たいていは、社外執筆者の情報だ。記者の書いた情報というのは、たいていは、通信社の記事とは文体が違う、という程度のことにすぎない。情報の中身そのものは、インターネットで入手する速報記事で足りるぐらいだ。こんなことだと、新聞の存在価値は、消えてしまう。
 今、国内の情報ならば、新聞社の記事もかなり充実している。大量の記者がいるから、当然だろう。しかるに、海外の情報は、まったく貧弱である。情報量が足りないだけでなくて、日本人記者というフィルターを欠けているために、正確な情報が濾過の過程で消失してしまう。馬鹿げているとしか言いようがない。
 新聞社は、現地特派員の書いた記事など、原則として、掲載するべきではない、と私は思う。外国の記事は、あくまで、外国人記者が書くべきだ。そうすれば、日本人記者が日本のデータを発信するのと同様で、生き生きとした充実した情報を入手できる。
 記事の取捨選択は、本社の外報部がやればよい。現地特派員は、記者としての仕事など、するべきではない。現地人記者と、本社の外報部との間で、コーディネータないしマネージャのような仕事をするべきだろう。

 [ 余談 ]
 トヨタは、整備士の試験で、「試験問題流出」という事件を引き起こし、大量のカンニングを発生させた。ところが、責任者一人が諭旨退職になっただけで、あとは小額の減給だけだという。何とまあ、甘い処分であることか。
 これが、一般の大学で起こった、と想定してみよう。たとえば、東大か早稲田に、トヨタの社員がこっそりもぐりこんで、入学試験を盗んだ。それを利用して、トヨタの社員が大量に合格した。で、盗んだ人が一人だけ、諭旨退職になっただけ。カンニングをして大量に合格した人々は、そのまま。カンニングの、やり得だ。
 冗談も休み休みにしてほしい、と言いたいね。常識が完全に欠落しているようだ。……なるほど。そういう非常識な体質だから、非常識な広告を打ったりするわけだ。例の中国のトラブルは、必然だったことになる。考えてみれば、それも当然かもしれない。社長そのものが、マフィアの親分なんだから。( → 前項参照。)


● ニュースと感想  (12月15日c)

 「警察の横暴」について。
 酒酔い運転車が、パトカーに追跡されて、暴走のあげく、衝突事故を起こした。無関係な市民が巻き込まれて、死んでしまった、という特集記事。(朝日・朝刊・社会面 2003-12-14 )
 よくある話だ。何度も報道されている。たかが酒酔い運転を撲滅するために、市民の生命を奪う、という、割の合わない話である。この場合、酒酔い運転は、逮捕すると罰金が科される程度で、懲役刑にはならないから、軽罪なのだが、一方、死者を出すというのは、無期懲役にも匹敵する大罪である。とすれば、酒酔い運転をした人には、罰金を科して、パトカーの警官の方には無期懲役に科されるべきなのだが、どういうわけか、酒酔い運転をした人が両方ともかぶる。こりゃ、警察の横暴ではないかね?
 もちろん、逃げる側も悪い。とはいえ、記事では、「なぜ逃げたのか犯人は家族にも何も語っていない」と述べている。それで、おしまい。ひどい記事ですね。はっきりと「本人に聞くことができず、取材できませんでした」と事実を書くべきだった。自分の無能を隠そうとするあたり、記者も警察も犯人も同罪である。
 
 「本人に聞くことができず、取材できませんでした」と事実を書けば、真実がわかる。真実とは、何か? 「犯人自体、自分がなぜ逃げたのか、わかっていない」ということだ。だいたい、酔っぱらってびくびくしている最中に、いきなり拡声器で「そこの車、止まりなさい」と怒鳴られたら、びっくりしてしまう。止まることもあるだろうが、あわてて逃げ出すこともあるだろう。両極端の間で、心がブレる。
 これは、心理学で言う、「逃走か、攻撃か」という心のブレと同様である。グラフで書けば、 ∧ 型のグラフである。普通のグラフは、 ∪ 型なので、中央で安定するが、∧ 型のグラフになるときは、ほんの小さな偶然のせいで、両極端の一方にブレる。そして、いったんブレたら、あとは、その方向で突き進む。最初はちょっと逃げるつもりで、軽くアクセルを踏んだだけだったが、必死に逃走する。このとき、「暴走したらどうなるか」なんていう正常な判断は不可能である。

 ここまで事実を分析すれば、今回の事件の真実がわかる。犯人が暴走したのは、犯人が意図したからではなくて、警察に威嚇されたからだ。拡声器でびっくりさせられたから、正常な判断ができないまま、衝動的に行動してしまったのだ。そして、そのあとは、心理学的に、坂を転げ落ちていったわけだ。
 とすれば、警察が何をするべきかは、正解が出る。拡声器でびっくりさせるようなことは、やめるべきだったのだ。では、正しくは、どうするべきだったか? 後ろから「止まれ!」と命じたのが、「逃げろ!」と命じたのと同じ効果があったわけだ。とすれば、当然、前から「止まれ」と命じるべきだった。また、命じるにしても、拡声器でおどかすべきではなかった。もっと穏やかな方法で、びっくりさせないようにするべきだった。
 具体的には? パトカーは、まず、犯人の車が逃亡していない時点で、ゆっくりと追い越して、犯人の車の前に位置するべきだった。そのあと、ウインカーを出しながら、手信号で停車を命じるか、パトカーのリア・ウインドウ越しに「止まりなさい」と文字で表示するべきだった。落ち着いて命じれば、犯人もあわてることはない。また、パトカーが前に立てば、アクセルを踏む阿呆もいない。
 キツネが歩いているとき、ライオンが後ろでいきなり吠えれば、キツネはびっくりして暴走する。しかし、ライオンがいきなり前に立てば、キツネはおとなしく停止する。ライオンに向かって暴走するようなことはない。

 結論。今回の事件の本当の主犯は、警察である。逃亡犯は、従犯であろう。警察が正しい方法を取るようになれば、今回のような悲劇は確実に防止できる。

 [ 付記 1 ]
 ここでは、経済学の概念が使われている。安定性の話や、グラフの話や、人間行動の話。……ここでは、「放置すれば最適になる」とか、「物事は連続的に変化する」とか、そういう古典派的なことは成立しない。逆に、「最適制御をなすべき」とか、「物事は突発的に変化する」とか、そういうことが成立する。
 小泉のような保守派だと、「警察力を強くせよ」とか、「米国の真似をして警察をもっと武装させよてピストルをぶっ放せ」とか、変な方向に向かうだろう。経済でいえば、需要不足である不況のどん底で、「供給力をもっと増強せよ」という、正反対の方向に向かうだろう。
 自分の信念だけを優先していると、トンチンカンになる。あげく、状況を悪化させるばかりだ。事実を見ることが、何よりも大切なのだ。

 [ 付記 2 ]
 もう一つ、大切なことがある。人間の引き起こす事件は、人間が正しい対処をすれば確実に解決できる、ということだ。地震や台風のような自然災害は、人間には解決できない。しかし、交通事故とか、景気変動とか、そういう人間的な現象は、人間の対処法で問題を解決できるのだ。ここでは、「放置すれば問題は自然に解決する」なんていう無為無策の態度を取るべきではなく、「最適の処置は何か」を考えるべきなのだ。

 [ 付記3 ]
 無為無策を提唱する人を「古典派」と呼ぶ。不況を放置する小泉がそうだし、サッカーで放任するジーコもそうだ。彼らは、「何もしないことこそ最善の処置」と信じる。「棚からボタモチ」を期待して、「何もしないで働かない」という三太郎と同じである。まったく、阿呆としか思えないが、どういうわけか、国民受けは、とても良い。日本国民の不幸は、日本国民自体が招いたものである。……それに抵抗している人は? あまりいないですねえ。小泉批判をするホームページを書く変人もいますが、国民受けしませんし。だから、いつまでたっても、不況なんですけどね。
 マスコミは? 無為無策を唱える人を弁護して、「景気回復の兆しが出た」とかなんとか言っている。「景気とは政府が変えるものだ」という真実を隠蔽して、「景気とは自然に変化する自然現象だ」というような書き方をしている。マスコミのなしていることは、政府の無為無策という事実を情報伝達することではなくて、誤った情報伝達によって政府の無為無策を隠蔽することなのである。


● ニュースと感想  (12月16日)

 「米国の横暴」について。
 京都議定書に、米国が徹底的に反対・妨害をやっている。(朝日・朝刊 2003-12-14)
 つまりは、地球環境を破壊することに、ご熱心であるわけだ。「ならずもの国家」と言うしかないね。おっと、間違えた。北朝鮮もイラクも、地球を破壊したわけではないから、米国を北朝鮮やイラクと同列にして、「ならずもの」と呼ぶのは、あまりにも美辞麗句で飾りすぎていることになる。
 
 さて。日本は、どうするべきなんでしょうか? 
 保守派の人々は、当然、後者にするだろう。ぜひ、そう主張してほしい。イラク問題について大声を上げるだけでなく、京都議定書についても大声を上げてほしい。「地球環境を破壊せよ!」とね。

 [ 付記 ]
 実を言うと、京都議定書は、不完全な条約であり、こんなものを実行しても、地球温暖化を阻止できるわけではない。また、内容は、あまりにも不平等・不公平である。だから、私は、個人的には、この議定書に反対する。ただし、反対の内容は、「もっと強化せよ」ということだ。「どうせ不十分なら、つぶしてしまえ」というわけではない。
 京都議定書は、実効性のある条約ではなくて、実効性をもつ条約に至るための「一里塚」である。この意味を理解しよう。「不十分なら、つぶしてしまえ」というような主張もあるが、こういう主張は、レトリックを使った詭弁である。騙されないように、注意しよう。
 例:「警察がいても、犯罪者は消えない。警察は無駄だから、解体せよ!」
 例:「小学生が勉強しても、大学には入れない。小学校は無駄だから、解体せよ!」
 例:「生きていても、人生バラ色じゃない。人生は無駄だから、死んじゃおう!」

 そう思うアホな人のために、水前寺清子の歌がかつて流行したのだ。
  「♪ 一日一歩、三日で三歩。三歩進んで、二歩下がる」
 米国大統領も、せめてこのくらいの人生知識を得れば、世界は破壊を免れるんですけどねえ。


● ニュースと感想  (12月16日b)

 「イラクの横暴」について。
 フセイン元大統領がつかまった。
 今後、裁判があるという。しかし、理由は? 「人権の侵害」などは、もともと戦争の理由にならなかったのだから、今さら持ち出すのは、ずるい。
 むしろ、正々堂々と、「大量破壊兵器の隠匿」を理由としてもらいたいものだ。で、
  「大量破壊兵器の隠匿」で求刑  →  判決は無罪。(証拠不十分。)
 となると、とんだ茶番となって、面白いのだが。(でも、そうなると、米国が戦争をした理由が嘘だったことが、ばれてしまう。米国は困りますね。)

  「戦争犯罪」で求刑  →  ブッシュと小泉も同罪で死刑。
 となるのも、面白いですね。(フセインの方は、昨年7月の「戦争犯罪」の条約発効以前だから、「公訴棄却」になるが。)(小泉の死刑は、自衛隊が派遣されたあとで。)


● ニュースと感想  (12月17日)

 「イラクでの正しい政策」について。
 イラク問題について批判ばかり言っていても仕方ないので、正しい政策を述べておこう。「物事の本質を突く」という立場から語る。
 イラクでは失業率が6割ぐらいになっている。問題の核心は、ここである。こんなに大量の失業者がいる状態では、人々はまともに働こうとするより、無職のまま破壊活動に走りたがるものだ。だいたい、「テロはいけない」と主張する人々は、「何をしろ」と主張しているのか? 「こじきをやれ」と主張しているのか? 馬鹿げているとしか言いようがない。
 「何をするな」と主張するだけでは、何の解決にもなっていないのだ。「何をしろ」と主張するべきなのだ。そして、その正解は、「働け」である。ところが、現実には、働きたくても、働く場がない。ここが、物事の核心だ。

 では、日本は、どうすればよいか? 自衛隊を派遣して、建物や設備を建設すればよいか? いや、そんなことをすれば、現地の業者の仕事が減るだけだ。だから、自衛隊を派遣するということは、イラクの復興を促進するのではなくて、イラクの復興を妨害するだけなのだ。自衛隊がせっせと働けば働くほど、イラク人の働き口がなくなる。失業者が増えて、テロリストが増える。
 では、民生品として、穀物や物資などを援助すればよいか? なるほど、人道主義者ならば、それで「自分やサンタクロースになった」と思って、自己満足できる。しかし、そういうのは、「金持ちの自己満足」にすぎない。
 受け取る立場になって考えよう。今、あなたが貧乏で暮らしているとする。そのとき、金持ちが「ステーキとウイスキーを上げる」と言われて、喜ぶだろうか? ま、ないよりはマシだ。しかし、そんなものをもらっても、「ふん。自分だけいい気になりやがって」と思うだけだろう。
 では、何をもらいたいか? どうせなら、もらいたいものは、現金だ。現金ならば、最適の使い方ができる。たとえば、子供ならば、学資にするだろう。病人ならば、医療費にするだろう。起業する意欲のある人ならば、経営資金にするだろう。また、食物や繊維用品など、日常品を欲しがる人もいるだろうが、そういう消費者がいれば、需要が生じるので、それを供給する生産者も生じる。こうして、一国全体の経済状態が最適化していく。金の最適な使い方を決めるのは、外国の政府ではなくて、イラク国民の一人一人である。

 正解を言おう。日本がイラクでなすべきことは、「減税」の資金を提供することだ。たとえば、国民一律で、日本円で千円相当の現金をイラク国民に配布する。(人口は2千万人だから、200億円。大人に限れば、もっと小額。各国協調ならば、もっと小額。)……すると、どうなるか? イラクでは、急激に需要が発生する。すると、急激に生産量が増えて、失業率が急速に低下する。かくて、縮小均衡の状態から、正常な均衡状態に移行する。
 つまり、最初に一発、大量の資金を投入することで、一気に正常化させる。かくて、あとは何もしなくても、イラクは自立して生きていける。毎年毎年、少しずつ援助資金を垂れ流しのように投入する必要はない。
 正しい経済学を使えば、このように、正しい解答がわかる。一方、間違った経済学を使えば、「自衛隊を派遣せよ」とか、「毎年毎年、少しずつ多額の資金を投入せよ」とか、「金を投入するが、イラク人が使うのではなくて、みんな自衛隊が使ってしまう(施設を建設する)」とか、およそ実効性のない政策を取るようになる。

 [ 付記1 ]
 「国民に金をプレゼントする」というのは、日本政府にとっては、抵抗感があるかもしれない。しかし、「金の最適の使途は、政府がすべて決定する」というのは、社会主義政策そのものである。それが最悪の金の使い方だ、ということは、ソ連が実証した。違いますか?
 また、国鉄や郵貯や電電公社も同様だ。だから、要するに、自衛隊が公共事業なんかやったって、馬鹿げているとしか言いようがないのだ。「公共事業は金を浪費するだけ」というのは、自衛隊にこそ最も当てはまる。

 [ 付記2 ]
 自衛隊を派遣しても、「金持ちが貧乏人の仕事を奪って、自分がせっせと働いて、自己満足する」というふうになるだけだ。金持ちの気まぐれな援助遊びは、やっているうちはいい気になれるだろうが、それが終わったあとで、貧乏人に残るのは、荒廃と無気力だけである。
 だから、もし自衛隊を派遣して、復興を助けるのであれば、一時的に派遣するのではなくて、永遠に派遣して、永遠に援助するべきなのだ。「半年だけ派遣する」なんていうのは、欺瞞もいいところだ。(金持ちのレクリエーションでやっているんですかね?)

 [ 付記3 ]
 「イラク復興資金」と関連を述べておこう。
 この資金援助は、すでになされている。かなり巨額だ。問題は、その使途だ。
 使途が、「イラク人の人件費」に向かうのであれば、有益である。たとえば、イラク人の警官を雇用したり、政府職人を雇用する。そのための行政資金が欠如しているので、当面、復興資金が援助して、行政組織を立ち上げる。……金は、人件費に消えてしまうので、何も残らないが、だからこそ重要なのである。どんな物に金を使うかは、各人が決めるからだ。
 一方、使途が「イラクの施設の建設」に向かうのであれば、あまり有益ではない。石油生産設備や電力設備のような生産設備に使われるのならば、有益だろう。しかるに、ブッシュの破壊した建物を再建するために使うのであれば、有益ではない。建物それ自体は何も生産しないからだ。日本で「箱もの」といわれる建物がたくさん建設されて、ただの空き倉庫になっているのと同様である。……こういう建物に金が使われれば、その分、必要な生産設備に向かう金が減ってしまう。ケインズ的な政策は、まずいのだ。
 具体的な使途は、あくまで、国民の各人が決めて、最適化するべきだ。最適な使途は無数にあり、それを国が決めるのは不可能であるからこそ、国民の各人が決めるべきなのだ。

 [ 付記4 ]
 国民各人に金を渡すと、各人は、金を無駄に使うかもしれない。酒代にしたり、美食代にしたり、女遊びにしたり、ギャンブルに費やしたり。……そういう懸念は、たしかにある。しかし、それは、ちっとも問題ないのである。
 なぜか? そのことは、すでに述べたことがある。すなわち、どんなに無駄が発生しようと、その無駄は、本人に生じるだけだからだ。他人は損しないし、国全体も損しない。( → 第3章・後「政府か国民か」
 大金をもらって、その大金を無駄にすれば、本人が損をするだけだ。だから、平均的に見れば、本人は最も有効な使い方を考える。ごく一部には、ギャンブルなどに使ってしまう阿呆もいるだろう。だが、そういう阿呆が少しいるからといって、国が何もかも指導するのは間違っている。経済活動も同様だ。企業経営を民間に任せれば、阿呆な民間人が会社を倒産させて、金を無駄にするだろう。しかし、そういう少数の阿呆がいるからといって、「阿呆をなくすために、すべて国が指導する」というのは、間違いである。
 国民各人に金を渡せば、平均的には、金は最適の使われ方がなされる。その例外があるとしたら、「各人が少しずつ拠出して、公共財のために使う」という分だけだ。つまり、「税」の分だけだ。だから、国が金を使うとしたら、いったん国民に金を配分したあとで、「税」として徴収した分で、金を使えばいい。なのに、そうして徴収する必要最小限の分を越えて、あれやこれやと公共事業のために大金を勝手に使うのは、社会主義と同様であり、愚の骨頂なのだ。
 自衛隊は、そういう社会主義政策を実施するために、イラクに行くのである。

 [ 付記5 ]
 タンク法による景気対策(これは日本に当てはまる)との、違いを述べておこう。最初に結論を言えば、その違いは、物価上昇の有無だ。
 タンク法では、「減税」の資金は、国内資金だ。だから、減税をすれば、その分、物価上昇が起こる。(今すぐではなくて、近い将来に。)
 一方、イラクへの援助では、「減税」の資金は、国外資金だ。だから、減税をしても、その分、物価上昇が起こらない。少しは物価上昇が起こるだろうが、すぐに外国から物資が流入するから、物価上昇は起こらない。
 では、なぜ、そういう違いが出るか? それは、貨幣価値の変動があるかどうかで、わかる。タンク法では、「減税」の資金は、国内資金だから、減税をすれば、その分、貨幣価値が下がる。一方、外国からの援助では、「減税」の資金は、国外資金だから、減税をしても、その分、貨幣価値が下がることはない。ゆえに、物価上昇も、起こらない。
( ※ 物価上昇があるかないかは、純然たる所得の増加がないかあるか、ということだ。貨幣量の増加があっても、物価上昇がなければ、純然たる所得の増加があることになる。それをもたらすのが、外国からの援助資金である。)
( ※ 「物価上昇」は、「貨幣価値の低下」のかわりに、「需要の増加」によって、起こることもある。しかしそれは、需給曲線が一定のままで、均衡点が少しずれるというだけのことだ。通常、短期変動を除けば、無視してよい規模である。つまり、ミクロ的には意味があるが、マクロ的には意味がない。)







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「小泉の波立ち」
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