「需要統御理論」 簡単解説



  「需要統御理論」って、何をするのですか?
  需要をコントロールすることで、景気の安定を図ります。インフレやデフレを防ぐわけですが、特にデフレを防ぐ点が重要です。(インフレの制御は金融政策によって比較的簡単にできるので。)

  なぜ、供給でなく、需要をコントロールするのですか?
  供給の変動は小さいのに、需要の変動は大きいからです。
 供給(供給能力)は長期的に少しずつ成長するものです。年に3%程度。これは大きく変動することはありません。成長の定率は、あらかじめ予想されて組み込まれており、この定率から変動する幅(つまり景気の変動に影響する幅)は、年に1%もないでしょう。
 一方、需要は短期的に大きく変動します。2001年秋の米国の景気後退や、バブル破裂直後の 1991年の日本の景気後退では、急激な需要の縮小が起こりました。これらは非常に大きな幅の変動でした。
 ── 結局、景気を大きく変動させるものは、需要の変動(という非常に大きなもの)であり、供給の変動(という非常に小さなもの)ではないのです。だからこそ、急激に縮小した需要を、元の水準に戻すことで、景気を安定させることができるわけです。

  需要が大幅に縮小したっていうけど、どのくらい減少したの?
  60兆円以上 ( 100兆円近く )、と推計できます。
 詳しく言うと……
 1990年代の 10年間で、消費性向 は 80% から 70%に下がった。下落率は 12.5% (= 10/80 )となる。これは個人分だが、 企業投資は下落率がもっと高いはずだ。一方、日本の国民総生産(= 総支出 = 総需要)は、500兆円あまり。500兆円 × 12.5% = 62.5 兆円。これは最低値。実際には (企業投資の下落率が高いので) 62.5 兆円よりもずっと多く、100兆円近くまでなるだろう。
[ 後日記 : 企業投資の縮小(解消)の幅は 50 兆円である。また、投資どころか借金返済の分が 20兆円もある。バランスシートは合計 70 兆円も変化。……リチャード・クー氏の著作から引用したデータ。氏のデータでは、個人消費の総額の絶対額は減っていないことになるが、ここでは「あるべき本来の数値」との比較はしていない。 ]
 60兆円以上 ( 100兆円近く )。── これほど大きな経済縮小は、一部の産業(IT産業 etc.)を振興するというような部分的な手段では、とても補いきれません。全産業が大幅に縮小したときは、全産業がすべてが元通りに拡大するしかないのです。

  経済を拡大させるには、生産性の向上こそ、本道だと思うのですが。
  こういう妄想は、常に現れるものです。バブル景気時代の日本では、「日本式経営が効率的だから好景気なのだ」という意見が出ましたし、クリントン時代の米国では「IT景気だ! ITが生産性を向上させている。従来とは異なる、永続する景気拡大!」なんていう主張が出ました。……しかし、いずれの好景気も、しぼんでしまいました。どちらも、ただのバブルだったのです。 「日本式経営による生産性の向上」も、「IT産業による生産性の向上」も、ただの妄想にすぎなかったのです。
 では、真実は? 生産性の向上は、ほうっておいても、年2〜3%ぐらいです。何らかの事情で、これが向上したり低下したりしても、上下に変動する幅は、(本質的な分は)せいぜい1%程度です。生産性が大幅に上がったり下がったりすることはないのです。だから、生産性の上昇や下落が景気に与える影響も、ごく小さいのです。
 ではなぜ、景気は大きく変動するのか? それは、需要が大きく変動するからです。(消費性向の変化。)
 下記の図を見てください。景気は実線のように大きく変動します。生産性の方は図の点線のようになだらかに向上していきます。生産性の向上は、長期的には意味をもちますが、短期的には意味をもたないのです。景気がかくも巨大に変動するのは、需要がかくも巨大に変動するからなのです。( → 第2章

     景気と経済成長の図


 【 生産性の向上の理由について 】

 景気が良くなる時期には、生産性が向上しているのが普通です。これはどう解釈するべきでしょうか? 
 「生産性が向上したから、景気が回復した」と見る人もいます。日本のバブル期や、米国の1990年代を説明するときなどに。しかし、いずれの好況もやがてはつぶれてしまったことで、この見解が誤りだったことは明らかになりました。 (生産性の向上が好況の原因なら、景気が急速に悪化することはないはずです。あらゆる企業がいっせいに急激に低能率になるという偶然はありえないからです。)
 統計を見ると、好況期では、数年程度の期間で見れば「生産性が向上している」と言えますが、数十年程度の期間で見れば「生産性が向上している」とは言えないものです。たとえば、1990年代の米国の好況がそうです。1990年を基準にすれば、生産性の向上の幅は大きいのですが、1960年代を基準にすれば、生産性の向上の幅は大きくありません。生産性の向上は、あくまで中期的なものに過ぎません。
 ではなぜ、景気回復期には、生産性が向上するのか? 実は、「生産性が向上したから、景気が回復した」のではなく、逆に、「景気が回復したから、生産性が向上した」のです。なぜなら、景気が回復すると、さまざまな所得増大効果が出るので、それが産出額の増大という統計的な結果を生み出すからです。
(たとえば、伝統的な靴職人は、昔も今も1日1足しか生産していないとします。ここで、急に好況になり、靴の値段が1割アップすると、彼の所得は(原価を引いて)2割ぐらいアップします。物価は1割アップなのに、所得は2割アップですから、彼の生産性は1割アップしたことになります。そのあとバブルが破裂すると、元の値段になるので、生産性は元の水準まで下がります。このように、景気に応じて、生産性が勝手に上がったり下がったりします。── 彼自身の生産は、何も変わっていないのに。)
(一般的な企業では、好況のときは設備の稼働率が上がり、遊休設備の無駄がなくなるので、生産性は向上します。たとえ古い設備を使うとしても、です。  → 理由はこの HTML 文書のソースに。)
(逆に言えば、「当面は不況を我慢しよう」という経済政策は、日本を不況にしておくことで、生産性を著しく低下させていることになります。企業には、遊休設備や遊休人員などの、巨大な無駄が発生しているからです。)

( ※ さて、1990年代の米国の好況の原因は、本当は何か? 証券市場に個人資金が大幅に流入したことです。急速に株価が上がり、個人資産が名目上は急速に増大しました。個人が株を売れば、この株価上昇は消えてしまうので、これはもちろんバブルです。 → 「ニュースと感想」 10月07日
( ※ 参考情報 : 「This is 読売」1997年12月所収、クルーグマン「ニューエコノミーは幻想だ」。ただし上記の話は、クルーグマンとは直接の関係はない。)




  「構造改革」によって、景気回復がなされると思うのですが。
  これは勘違いです。話はちょっと長くなるで、別文書をご覧下さい。
   ( → 「ニュースと感想」 10月06日 の箇所 )

  非能率な企業は、退出してもらうといいのでは? 産業の効率化になるし、それが景気回復につながるので。
  これも勘違いです。話はちょっと長くなるで、別文書をご覧下さい。
   ( → 「ニュースと感想」 9月22日b の箇所 )

  マクドナルドや牛丼屋などは、価格破壊で成功しています。かつては回転寿司が独自のアイデアで成功しました。つまり、 「新しい供給は、新しい需要を生み出す」はずです。
  その企業が成功しても、他の企業の売り上げが食われるだけだから、全体を見れば、差し引きして、無意味です。この例で言えば、外食産業のなかで、売り上げの奪い合いをしているだけです。( 人間の食べる量は一定だから。)
 新しい供給は、新しい需要を生み出します。しかし同時に、古い供給と古い需要を消してしまうのです。 ( [ 例 ] デジカメの普及 → フィルムカメラ & フィルムが不振。) つまり、新しい産業が出ても、その分がまるまる増えるわけではなくて、差し引きしてどうなるかが問題となるわけです。
 景気を回復するには、一部の新規産業だけが成功しても駄目で、一国全体の需要を増やす必要があるのです。 「需要」というパイの切り方を変えるだけでは駄目で、パイそのものを大きくする必要があるのです。
( ※  「新しい供給は、新しい需要を生み出す」というのは、新規事業を興そうという経営者にとっては、正しい話です。しかしそれはあくまで、ミクロの話です。マクロ経済にとっては、無意味です。── このことが理解できないと、「経営はわかっても経済がわからない」ことになります。)




  結局、景気を回復するには、需要をコントロールするのが大事だ、ということですか?
  そうです。
( ※ 供給能率の改善は、長期的な効果を狙って実行するものです。景気とは関係ありません。)

  需要をコントロールと言いますが、ケインズも同じことを言っていたのでは?
  ケインズもまた、不況のときは需要を増やそうとしました。しかし、その需要は、「官需」(公共事業)でした。「需要統御理論」で増やそうとするのは、「民需」(個人消費)です。ここがケインズとは決定的に異なります。

  ケインズのやり方でも、効果があるのでは?
  効果はあります。ただ、それが足りるかどうかが、問題です。
 小さな不況[景気後退]のときには、効果は十分です。(成功の実例多数。)
 しかし、大幅な不況には、効果がまったく不足します。たとえば、需要が100兆円も縮小したとき、公共事業をさらに追加しようとしても、せいぜい 10兆円ぐらいしか追加できない(建設業界に追加の受け入れ能力がない)ので、ひどく縮小した需要を埋めるには力不足です。公共事業なんかでは全然足りないのです。 (失敗の実例多数。ニューディール政策や、バブル破裂後の日本など。)
 ケインズのやり方で、官需を大幅に増やすとしたら、公共事業以外のものが必要となります。それは何か? 戦争です。戦争では、建設業に限らず多くの産業に支出がなされるので、大規模な支出が可能となり、官需を急速に増やすことができます。
 結局、ケインズのやり方(官需増大)を取る限り、「戦争をするか、景気回復を諦めるか」の、二者択一となります。(大幅な不況のときには。)

  ケインズはなぜ、官需にこだわっていたのですか? なぜ、個人消費を増やそうとしなかったのですか?
  個人消費をコントロールする方法がない、と信じたからです。つまり、消費性向は定数だ、と。しかし、その方法がある、とわかりました。(ここがポイント。)

  では、どうやって個人消費をコントロールするのですか?
  「アメとムチ」を使います。消費をした人には、「アメ」つまり「補助金」を与えます。消費をしなかった人には、「ムチ」つまり「罰金」を科します。
( ※ こうして消費を促進するわけです。)

  「アメとムチ」と言いますが、アメとムチ(得と損)の、どちらが多いのですか?
  同額です。国民全体で見れば、損も得もしません。(国民全体から政府へ所得が移転する「増税」とは異なります。)
 いっぱい消費をした人(景気回復に協力した人)は、補助金をいっぱいもらえます。消費をあまりしなかった人(景気回復に非協力な人)は、罰金を科せられます。国民全体では、トントンです。

  補助金をもらうのはともかく、罰金なんてイヤだ。
  交通違反をしたら、罰金を払います。それと同様です。迷惑行為に対する罰金をなくしたら、みんなが勝手な行動をして、社会がメチャクチャになります。
 この罰金は、一種の税金のようなものです。世の中をよくするために税金を払うのは、市民の義務です。あなたは「税金も払いたくない」という脱税犯なのですか? 
( ※ 反社会的な行為を放置すると、社会がどんどん悪化して、無政府状態になります。それと同様です。消費縮小を放置すると、景気がどんどん悪化して、不況から恐慌になります。その結果、倒産や自殺が大量に発生します。消費縮小というのは、泥棒や殺人よりも巨大な迷惑なのです。それにもかかわらず「好き勝手にやらせてくれ」というのは、犯罪者の理屈です。)

  本当に「補助金」で、消費を促進できるのかね。私はそうは思わないぞ。ニンジンに釣られる馬じゃないんだ。補助金なんかもらっても、消費を増やす気は全然ないね。
  どうぞ、ご自由に。そういう人がたくさんいることは、もともと考慮に入っています。もちろん、そういう人は、補助金をもらう必要はないし、消費をする必要もありません。── ただし、罰金は払ってもらいます。 (理由は 前項 。) 
( ※ むしりとった罰金は、補助金に回します。だから、文句を言わないように。)

  罰金は払わずに、補助金だけもらいたいんだけど。
  もちろん、そうできます。どうぞ、そうしてください。それには、消費を増やせばいいのです。あなたは「消費」という、社会にとって善なることをしたのだから、その分、補助金をもらえます。

  先立つものがないときは、どうやって消費するの?
  手元に金がなければ、借金しましょう。企業なら融資を受けて投資をすればいいでしょう。個人なら「住宅ローン」がお勧めです。自動車や家電の販売店の「低利ローン」があれば、これもお勧めです。(特に、実質金利がマイナスになったときは、借りた金よりも、返す金の方が少ないので、とてもお得です。

  個人に比べ、企業の方がいっぱい借金しているから、企業の方がいっぱい得をする!
  それは、「企業の方が社会的な善をいっぱいなしている」というのを、言い換えただけです。悔しかったら、あなたも社会的な善をいっぱいして、いっぱい得をしてください。
( ※ 「若者が得だ/高齢者が損だ」とか、「女は得だ/男は損だ」とか、「江戸っ子は得だ/田舎者は損だ」とかいう区別も、同じく、無意味です。制度自体は、人々に対して差別的ではないのです。結果に違いが出るのは、人々がそのような行動を自ら選択しているからです。)
( ※ なお、企業に入った金は、社員への給与や消費者への値下げとなって、戻ってきます。だから、国民全体としてみれば、「資産」から「所得」に、金の勘定項目が移るだけです。国民全体では、損も得もありません。)

  みんなが罰金を払わずに、補助金だけもらったら、どうなるの?
  一人ずつの補助金の割当額を減らします。そうすると、「消費したい」という人の総数(および総額)が減ります。このようにして、補助金の額をうまく調節することで、国民全体の消費を、増やしたり減らしたりします。つまり、需要をコントロールするわけです。

  えへん。わしはだな、「貯蓄こそ美徳」と教わったのだがな。「消費は善」とは、どういうことじゃな?
  「貯蓄こそ美徳」というのは、昔の日本では成立しました。供給力が不足していたので、当面は貯蓄をして投資をすることで、供給力を増やそうとしたわけです。これは後進国の美徳です。(「米百俵」。)
 しかし、今や、時代は変わりました。今の日本では、供給は余っており、需要が不足しているのです。事情が変わったから、美徳もまた変わったのです。
 今の日本が十分な供給力を持てたのは、昔の人々がせっせと貯蓄してくれたおかげです。そうして種をまいてくれたおかげで、ようやく、収穫の時期が来たのです。今や、遠慮することなく、せっせと消費してください。

  「消費は善」と言って、消費をやたらと押しつけるのは、おせっかいだ。過剰消費は、気に食わないね。私はが好きなのは、簡素な生活だ。シンプルライフ。
  そうは言っても、需要が急激に縮小した状態では、需給のギャップが生じています。そのまま、人々が消費をしないでいれば、弊害が発生します。「売上げ減少」「倒産」「失業」「賃下げ」……など。それが現在の「不況」です。
 不況のときに、「消費したくない」という主張は、結局、「不況のままがいい」と言っているのと同じです。
 よく考えてください。「消費者重視」と言いますが、純然たる消費者などはいません。人は誰もが、消費者であると同時に、生産者であるのです。(不労所得者である一部の資産家を除く。)── だから、「消費を減らしたい」というのは、結局、「生産を減らしたい」「雇用を減らしたい」「所得を減らしたい」というのと同じです。
 それは、好ましいことでしょうか? なるほど、毎年少しずつ生産を減らす(労働も所得も減らす)のなら、あまり問題はありません。しかし、消費を急激に大幅に縮小すれば、あちこちで、倒産や失業や自殺が発生するのです。社会に大幅な損失を与えるし、人々の生命を大幅に奪うのです。

  「消費は善」と言って、やたらと消費させるのは、けしからん! 環境に負担がかかるぞ。むしろ、環境のために、物の消費を減らすべきだ。
  それは「消費」というものを勘違いしている考え方です。
 経済学で言う「消費」とは、物の量で計るものではなく、金額で計るものです。「消費する金額を増やせ」というのは、「消費するの量を増やせ」ということではありません。実際には、量ではなくてが向上するのが普通です。
 たとえば、食費が増えるとしても、一日に人が食べる量が増えることはなく、高価な食品を買うようになるだけです。昼飯代が2倍になったからといって、2人前食べることにはならず、昼飯のレベルが上がるだけです。
 また、サービスのように、物の消費はほぼゼロで、金額だけがやたらと高い場合もあります。(一般的に言うと、金持ちほど、サービス関係の支出が増えます。物質ではないものに対して、お金をいっぱい払うわけです。例:ゴルフ,オペラ,女遊び)
 さらに、途上国と先進国で比べてみましょう。消費額の多い先進国では、クリーンで高価な燃料(軽質油・天然ガス・風力発電)を使っていますが、消費額の少ない途上国では、排ガスの多い安価な石油や石炭を使って、環境を悪化させています。また、石油などの消費を節約するために、樹木を伐採しているせいで、地球の砂漠化を促進していることもあります。
 消費の額を増やすことと、環境を悪化させることとは、全然関係ないし、むしろ、逆の場合さえあるわけです。

  せっせと消費をして、貯蓄を取り崩せば、貯蓄が減ってしまう。
  いいえ。話は正反対です。消費をすればするほど、貯蓄は増えるのです。嘘みたいな話ですが、経済学の常識です。(このホームページでも説明しています。 → 第3章「経済学的なマジック」)
 簡単に言えば、みんなが消費をすると、貯蓄は一時的に減るけれど、その結果、景気が良くなるので、所得が増えるし、貯蓄も増えます。
 現実も、その通りです。バブルのころは、みんながどんどん消費をしたので、所得も貯蓄も急上昇しました。バブル後は、みんなが消費を控えたので、所得も貯蓄もちっとも増えません。
( ※ 不思議に思えますが、だましているわけではありません。一種の手品のようなものです。種明かしをすると、……景気が良くなると、所得も貯蓄も増えますが、労働時間も増えますから、財布が豊かになる理由はちゃんとあるわけです。無から有を生むわけではないのです。)

  罰金を払えば、その分、お金がなくなる。だから消費はかえって減ってしまう。逆効果だ。
  物事を数量的に考えられないと、そういうふうに勘違いします。ちゃんと数量的に考えましょう。
 3% の罰金があったとします。1年間、消費をしないと、手元の 100万円が 97万円に減ってしまいます。その分、1年後に消費できる額は、減ってしまいます。それはその通りです。しかし、残りの 97万円は残っているのです。お金がすっかり罰金に奪われてしまうわけではありません。
 上記の心配は、3%についてだけは正しいのですが、残りの 97% については正しくないわけです。だから、「逆効果」ではないのです。「逆効果だ」と言えるのは、 3%についてだけです。
 一般的には、100万円の消費をすれば、100万円はなくなります。100万円の消費をしなければ(貯蓄をすれば)、3% を罰金に取られ、97% は残ります。だから、罰金を払えば払うほど、あなたの手元にはたくさんの金が残ります。罰金を全然払わなければ(つまり全部消費に回せば)あなたの手元には金が残りません。
 結局、事実は、心配とは逆になるわけです。「罰金を払えば払うほど、お金がなくなる」ということはなくて、「罰金を払えば払うほど、たくさんの金が残る」となるのです。── このことをちゃんと理解しましょう。
( ※ これは、不思議でも何でもありません。これが不思議に思えるとしたら、論理的な理解力が欠けているせいです。)
( ※ ついでに言えば、取られた 3% の分は、他の人の補助金に回されますから、国民全体で見ても、消費は減りません。)

  「補助金と罰金」なんて、国家統制の出しゃばりすぎだ! だいいち、消費をいちいち調査して、補助金や罰金を計算するなんて、そんなことは絶対にできっこない!
  まさしく、そうです。国家が個人の消費を個別に調査したり、買物のたびにいちいち補助金や罰金を計算するなんて、そんなことはできません。

  じゃ、どうやるの?
  同じ効果をもつものを導入します。それは何か? 「物価上昇」です。

  どうして「物価上昇」が同じ効果をもつの?
  場合分けして示しましょう。
  1. 収入 = 支出  ならば :
     所得も支出も、同率で上昇するので、損得はありません。(罰金も補助金もなし。)
  2. 収入 > 支出  ならば :
     収入のうち、余った分は、貯蓄に回されます。その分は、物価上昇により貨幣価値が低下するので、損をします。つまり、消費をしなかった分に、罰金が科せられます。
  3. 収入 < 支出  ならば :
     支出のうち、足りない分は、借金をします。その分は、物価上昇により実質金利が下がるので、得をします。つまり、消費を過剰になした分に、補助金をもらえます。
 ……というわけで、物価上昇が「罰金と補助金」と同じ効果をもつわけです。ゆえに、物価上昇率を最適の値にコントロールすることで、需要をコントロールすることができます。

  物価上昇のもとでは、貨幣価値の低下が起こる。貯蓄が減って、損をする!
  物価上昇のもとで、タンス預金をすれば、損をします。でも、大丈夫。銀行預金(長期預金)をすれば、利子を得ます。利子はだいたい、物価上昇と同じか、それを少し上回ります。だから、銀行預金をすれば、損はしません。(罰金を免除されるのと同じことです。)

  話がおかしいんじゃないの? 消費をしないと、罰金を科せられるんじゃないの? 何で銀行預金をすると、罰金を実質的に免除されるのだ!
  なぜなら、あなたの消費する分を、他人に消費してもらったからです。銀行預金をすれば、企業が投資をして、あなたの行なうべき消費を代替してもらうことになります。代替してもらった分、需要が増えます。だから、罰金を実質的に免除されるのです。

  でも不況のときは、「ゼロ金利」になると、利息をもらえない。罰金を免除してもらえない。どうすればいい?
  「ゼロ金利」になるのは、借り手がいない状況です。あなたの消費する分を、企業が代替できないのです。だから、利息が付かないのです。
 こうなったら、仕方ありません、あなたの分はあなた自身が消費するしかありません。 (こういうひどい目に遭うのは、不況のときです。不況って、イヤですねえ。)

  「ゼロ金利」で物価上昇が起こると、どうなるの?
  貯蓄しても仕方ないし、消費しなけれけば罰金を科せられるので、消費が促進されます。また、企業が投資すれば、「マイナスの実質金利」となり、補助金の効果が大きくなるので、投資が促進されます。かくて、需要が急速に増えてゆき、景気は回復します。

  なんだかクルーグマンの説にそっくりだなあ。
  そうです。クルーグマン説の拡張と言っていいでしょう。(基本的な部分は同じですが、そこからさらに発展させています。また、結論は似ていても、根拠は異なります。「両者は結論に至る考え方が違っている」と言っていいでしょう。)

  クルーグマンの「インフレ目標」と同じことを主張するの?
  「物価の上昇が必要だ」という点では、同じです。ただし、目標となる物価上昇率の設定法が異なります。
 クルーグマン説では、物価上昇率を固定値にします。たとえば毎年3% などと。(設定期間は数年以上の長期間です。)
 一方、需要統御の方法では、可変的に物価上昇率を変化させます。(設定期間は1〜2年程度の短期間です。)

  なぜ、そういう違いが出るの?
  クルーグマン説では、物価上昇は「期待インフレ率」をもたらすもので、仮想的なもの・計算上のもの・心理的なものでした。だから、可変化しても、あまり意味はありません。(変化は予想されて組み込まれてしまうので。)(また、インフレ期待を大きくするには、長期にした方が効果的。)
 需要統御の方法では、物価上昇は「アメとムチ」という現実的な力(まさしく財布に金を入れたり奪ったりする力)です。そこで、現実の状況に応じて、最適の物価上昇率を、可変的に変更していく必要があるわけです。(状況に応じてしばしば変更するので、設定期間も短くなります。)

  物価上昇率を変更するって、どういう具合に?
  不況のときは、高めの物価上昇率。インフレ気味のときは、低めの物価上昇率。── このようにして、「アメとムチ」の力を大きくしたり小さくしたりして、景気を安定させます。
 景気が非常に悪化した場合は、物価上昇率の目標値は、かなり高めになります。(短期的に。)
 一方、景気が非常に過熱したときは、物価上昇率ゼロ(またはマイナス)をめざします。ですから、必ずしも「物価上昇に導く」というわけではありません。物価上昇率を、状況に応じて可変的に設定します。
[ ※ 物価上昇率の目標値が、ゼロ(またはマイナス)になることがある、という点で、先進諸国の「インフレ目標」(目標値は 2%〜4% 程度)とは異なります。]
[ ※ 物価上昇率の目標値は、状況に応じて「最適の値」にします。その最適の値は、通常はプラス( 2%〜4% 程度)になる、というだけの話です。こういう現実を無視すると、何が何でも物価上昇率をゼロに導いて、経済を不況に導くことになります。(実例は日銀。)]

  不況だからといって、高めの物価上昇率になるのは、イヤだ。2%ぐらいの低めの物価上昇率の方がいい。
  そうしたければ、そうしてもかまいません。ただし、その場合、不況から脱出する力も弱くなります。
 こういうことは、現実にも、似た例が見られます。風邪を引いたとき、「寝るのはイヤだ」と思って、起きながら直そうとすると、いつまでもダラダラと風邪を引いたままになります。最初に2〜3日ちゃんと寝ると、すっかり全快して、あとはまともに過ごせるようになります。その方がずっと得をするでしょう。そのどちらを取るかは、選択の範囲内です。
 ただし、「ダラダラと少しずつ直すというのは結局は損だ」ということを、ちゃんと理解しておきましょう。物価上昇率が低ければ、景気回復の力も弱く、治りかけの状態がいつまでも続きます。(倒産・失業率・不良債権などの問題がダラダラと続きます。) 完治するのに、十年ぐらいかかるかもしれません。一方、物価上昇率が高ければ(5%ぐらいならば)、景気回復の力は強いので、需要は急速に増え、不況はすばやく完治します。「高めの物価上昇」というわずかな痛みを一時的に我慢することで、国全体で大幅な利益を得るのです。

  でも、高めの物価上昇だと、資産が減ってしまう。
  資産はいくらか減りますが、所得は増えます。景気が回復すれば、資産の減少を上回る所得の増加を得ることができます。実際、デフレのときの現実を見てください。物価下落で、資産は増えているはずですが、所得の減少で、貯蓄を取り崩さなくてはならなくなり、資産はかえって減ってしまっています。
 なお、「資産が減る」というのは、預金しない人だけです。預金しておけば、物価上昇にともなって、金利も上がるので、資産は減りません。また、預金のかわりに、株を買っておけば、景気の回復にともなって、資産は非常に急上昇します。(株だと心配ならば、平均株価指数の投信でも買えばよい。)

  物価上昇率が上がると、貸出金利も上がるから、(借り手の企業にとっては両者が打ち消し合って実質金利は変わらないので)、「物価上昇で補助金」という効果は出ないんじゃないの? 
  需要統御理論では、物価上昇率が上がっても、金利を上げるとは限らないのです。特に、不況のときは、金利を上げるどころか下げます。── ここが肝心なので、注意してください。
 従来の考え方では、物価上昇率は景気の指標でした。だから、物価上昇率が上がれば、景気を冷やすために、金利を上げるべきでした。
 しかし、需要統御理論では、物価上昇率は消費の促進剤です。だから、不況のときには、物価上昇率を高めに誘導するために、金利は低めにするべきなのです。物価上昇率が高くなったからといって、金利を上げたりしないのです。(不況のときは。)
 具体的な例としては、2001年秋の米国があります。このとき米国は、ある程度金利を下げたあと、なすすべがなくなっています。そうして不況の状態を放置しています。「世界同時不況」の危険が言われているのに、手も足も出ません。なぜか? さらに金利を下げると、物価上昇が起こるので、それを怖がっているわけです。これは、従来の金融政策に従っているからです。
 しかし、需要統御理論に従えば、さらに金利を下げるべきなのです。そうすると、過剰な資金が出回って、物価上昇率が高くなりますが、この物価上昇によって消費が促進されるので、不景気から脱することができます。いったん不景気から脱したら、ふたたび物価上昇率を低めに誘導します。つまり、一時的に高めの物価上昇を甘受することで、膨大な失業者の発生という最悪の現状から脱するわけです。── なお、この際、国民には物価上昇による損失が発生しますから、減税などで国民一人一人に金を渡すことが必須です。つまり、金融政策と財政政策を、同時に行なう必要があります。
( ※ 以上は、不況のときの話です。インフレのときは、話は別で、従来通りの金融政策を採ります。つまり、物価上昇率が上がったら、金利を上げて、インフレをつぶします。)

  「インフレのコストは、たいしたことはない。誰もインフレでは困らない」という説も聞きましたが。
  それは正しくありません。そういう胡散臭(うさんくさ)い主張のせいで、「インフレ目標」という政策がいかがわしく思われたりするのです。
 物価上昇が起こると、それにともなって、富の配分が変更されます。だから、得をする人と損をする人とが生じます。その意味で、物価上昇による損は、社会全体を見れば発生しなくても、特定の一人一人を見れば発生します。このことを認識するべきです。(「社会全体を見ればチャラだから、細かい差は無視せよ」というような粗雑な思考は、事実を糊塗するので、排すべきです。)
 個人が損をする例を挙げると : たくさんの金を持っていて、それを死蔵している人(消費も投資も貯蓄もしない人)は、損をします。死蔵する金が多ければ多いほど、その人のこうむる損は増えます。
 では、それは、不都合なことなのか? 「いや、むしろ好都合なことだ」というのが、需要統御理論の主張です。金を死蔵させるということは、不況という状況を促進するということです。それは悪です。だから、「悪をなす人ほど損をする」というのが当然なのです。
 物価上昇による損は、実際、多大に発生します。そして、その損は、誰がこうむるかと言えば、悪をなす度合いに比例するわけです。悪いことをたくさんなす人ほど、損をたくさんこうむります。(その分、善をする人が得をします。)
 そういうことが、「需要統御理論」の「アメとムチ」という原理から、理解されます。
( ※ 結局、損の有無が問題なのではなく、誰が損をするかが問題であるわけです。)
( ※ 「インフレのコストは無視できる」というお気楽な主張は、好ましくありません。それは、「インフレがあっても、誰も損をしない」と述べるようなものです。それは、いわば、「犯罪が発生しても、誰も罰されない」と述べるようなものです。しかし、物価上昇というのは、刑法と同様、悪いことをした人が罰される仕組みです。このときは、「誰も罰されない」などと主張するべきではなく、「悪いことをすれば罰される(だから悪いことをやめよう)」と主張するべきなのです。それゆえ、「損をすることがあるぞ」とはっきり警告するべきなのです。……それが「アメとムチ」ということです。)

  「物価の悪魔」とは、何のことですか?
  悪魔というものは、人間の弱い心につけこんで、小さな幸福を与え、それとひきかえに、大きなものを奪い取ります。
 「物価の悪魔」は、「物価安定」という小さな幸福を与え、それとひきかえに、非常に大きなものを奪い取って、「不況」をもたらします。
 それでも人間は、「これは悪魔のいつもの手口だ」と気づかないものです。「物価安定はとてもとても素晴らしいですよ。物価安定のまま、景気は良くなりますよ」という悪魔のささやきを、真実だと信じます。そして自分たちが悪魔にたぶらかされているとは気づかないまま、不況から抜け出せずに、ずっと苦しみつづけるのです。
(……ただし、この悪魔にたぶらかされるのは、日本人だけです。
( ※ 「今は小さな痛みに耐えれば、後で大きな利益が得られるぞ。米百俵!」と叫ぶのは? それは、悪魔ではなくて、別のものです。結果は悪魔と同じですが。)

  でも、やっぱり不安だ。実際に、過去の例を見れば、インフレによって生活が苦しくなったぞ。
  それは正しい感覚です。過去の例では、インフレは人々の生活を苦しくしました。
 なぜか? それは、お札をどんどん刷ったあげく、そのお金を、政府が勝手に使ってしまったからです。(戦争や賠償金や一般支出などに。) この場合、国民から政府へ、所得の移転が起こります。つまり、実質的に増税と同じです。だから、国民の生活は苦しくなったのです。
 要するに、インフレには、2種類あるのです。
  ・ 国民の金を奪うインフレ   …… 増えた金を政府が使う。
  ・ 国民の金を奪わないインフレ …… 増えた金を政府が使わない。
 過去のインフレは、前者の方でした。こういうインフレは、国民の金を奪い、国民の生活を苦しくします。しかし後者の方は、そういうデメリットはありません。── この両者を、混同しないようにしましょう。 [注意!]
 なお、需要統御理論の方法では、お札をどんどん刷ったあと、そのお金を、政府でなくて国民に渡します。 ( → 中和政策 ) だから、国民の生活は、かえって豊かになります。 [ここが肝心!]

  なんだか、「物価上昇があると薔薇色だ」とばかり言っているようだが。話がうますぎる。だまされたくない。
  何もだまされません。「物価上昇がある」という状況は、ユートピアではなくて、現実の世界各国の状況です。世界各国では、微弱な物価上昇のもとで、経済成長をなしとげています。そうして人々の生活は年々向上しています。
 例外は、日本だけです。(悪魔にたぶらかされて) 物価上昇を一切拒み、「物価の安定」を実現しています。「これこそすばらしい状況」と勝手に喜んでいるようですが、実際には、失業と倒産と自殺があふれています。
 よその国が薔薇色なのではありません。日本だけが真っ暗なのです。日本が真っ暗だから、他国の普通の状況が薔薇色に見えるだけです。

  でも、根本的に、わけがわからない。世界が安定した状態にあるとすれば、物価もまた安定した状態こそ、理想ではないのか?
  その基本的な考え方が誤っています。
 現実の世界は、安定した状態にはありません。世界はたえず刻々と変化していきます。そうして変化する状態においては、物価もまた安定してはならないのです。
 生産性の向上。これが経済を、一定状況にとどめずに、たえず変化させます。こうして変化する経済に対処するには、「物価安定」という固定的な状態は、ある種の歪みを生じて、有害となるのです。
 たとえて言えば、集団の人々がいっせいに移動していくときに、一人だけ「現状維持」を主張して、頑固に動くまいとしている人物のようなものです。こういう人物がいると、集団の調和は破壊され、集団全体の動きがぎくしゃくとしてしまいます。
 たえず変化する現実のなかでは、物価だけが「自分は現状維持」と主張すれば、全体に悪影響を及ぼして、困ったことになるのです。

  困ったことって、具体的にはどうなるの?
  不況になります。バブル破裂後の、日本の長い不況がそうです。倒産・失業・賃金低下……などが発生します。

  なぜ、そうなるの? 物価が安定するなら、景気も安定するはずじゃないの?
  専門的な分析になるなので、とても簡単には説明できません。
(ヒントは、……「世界の変化」と「物価の安定」を組み合わせても、「景気の安定」にはならない、ということです。 たいていの経済学者は、「物価の安定こそ大事」と思い込んでいますが、それは、「世界は変化しない」と仮定しているからです。なるほど、「世界は変化しない」と仮定したなら、たしかに、「物価は変化しないのが理想だ」となります。しかし、そもそも、その仮定が無意味なのです。「世界は変化する」のです。生産性の向上があるゆえに。)
 一応の説明は、「ニュースと感想」 9月26日 にあります。
 本格的な詳しい説明は、次の文書(本論)に記述してあります。非常に長くなりますが、できればこちらを、じっくり読んでみてください。




  ※  本格的な詳しい説明は、次の本論ページで。
             
      論考1 「需要統御理論」




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「小泉の波立ち」
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