第3章 景気回復策


        
 《 目次 》

  景気回復策
  物価上昇と景気  
   [補足]
   [Q&A]



 序言

 この章では、景気回復の具体策を述べる。
 そう言うと、読者は、
 「へえ。じゃ、さっさと教えてくれ。早く教えてくれ。」
 と要求するかもしれない。しかし、そういう性急な要求はしないでほしい。そういうふうに急がないでほしい。
 たとえて言おう。病気になったときには、何よりまず、その病気について理解しなくてはならない。
 「なぜ病気が起こったのか」
 「今はどういう状況にあるのか」
 そういうふうに、病気についてよく理解しておくことが必要だ。病気についてよく理解しないまま、いきなり投薬などの処置をするべきではないのだ。(誤った処置をすることになりかねない。)
 だから、今はまず、
 「景気とはそもそも何であるのか」
 「デフレとは何なのか」
 「今の日本経済はどういう状況にあるのか」
 という根元的なところから、話を始めることにする。
 

 二つの問題

 景気について分析するに当たって、まず、次の二つの点を問題提起しよう。

 これは根本的な問題提起である。そして、この根本的な問題について、正しい解答を得ることが必要だ。
 「景気回復にはこうすればいい」
 という意見は、世間でよく言われる。しかしそれらは、ただの思いつきにすぎないことが多い。何の根拠もなく、単に自分の直感で、「こうすればいい」と思い込んで、主張するわけだ。小泉の「構造改革路線」もその一つだ。「構造改革して、景気は回復する」というわけだ。しかし、この小泉の考えは完全な間違いであるということを、第2章で示した。(構造改革と景気回復とはまったく別のことである、と。) また、「生産性を上げれば、景気は回復する」というような思い込みも、完全な間違いであるということを、第2章で示した。( → 【 追記 】 の箇所と、その前後。)
 つまり、思いつきだけで主張しては駄目なのだ。景気回復策を取るには、景気について本質的に理解しておかなくてはならない。それには、そのための経済学的な理論を用意しておかなくてはならない。
 では、どんな経済学的な理論を用意すべきか? 
 実は、上の二つの問題については、経済学的に正しい理論というものは、公認されていない。「こうだろう」「ああだろう」という理屈は、一部では言われているが、とうてい万人を納得させるようなものではない。また、少々見当はずれであれ、「こうだろう」「ああだろう」という解答を出せるならまだしも、「よくわからないんですよねえ〜」とつぶやくだけの経済学者も多い。さらには、わからないだけならまだしも、全然見当違いな解答を出す経済学者もいる。

 そこで、以下では、私なりに、上の二つの問題に答えることにする。それについて答えられないようでは、あらゆる「景気回復策」が、ただの思いつきにすぎなくなるからだ。どんな対策を主張するにせよ、それにはまず、上の二つの問題について答えられるだけの基礎理解が必要となる。

 景気回復の具体策

 さて、上の二つの問題について、解答を得たとする。
 すると、その時点で、ようやく、景気回復の具体策について論議する資格ができる。つまり、「景気回復をするには、どうすればいいか?」という問題について、次のような小問題に分けて論議することができる。

 というような小問題だ。
 これらの小問題については、今この時点では、何とも答えられない。今はまだ、上の二つの問題について、解答を出していないからだ。今の時点で、上の小問題に答えても、ただの思いつきの直感的な意見にしかならない。
 以下では、先の二つの問題(根本的な問題)について、解答を出す。そして、その解答を得たあとで、その解答に従って、これらの小問題についても正しく答えることができるようになる。
 では、以下では、いよいよ、二つの根本的な問題について論議しよう。


 景気循環

 ここでは、景気循環について考察する。

 問題提起

 景気循環(好況と不況の交互発生)は、なぜ生じるか?
 これを探ることが、最も肝要である。デフレへの対策をするには、デフレの本質を理解しなくてはならない。そして、デフレは、デフレ単独で理解するべきものではなく、インフレといっしょに理解するべきものである。
 景気循環の理由としては、古臭い経済学では、「投資が変動するから」というような理屈で説明される。しかしそんなことでは、とうてい説明しきれないことは、明らかであろう。

 景気循環の図示

 景気循環を理解するために、図を用いて理解することにしよう。
 まず、次の図を掲げる。これは第2章でも示したものだ。

     景気と経済成長の図

 この図では、「上下にぶれる波」というのが示されている。この「上下にぶれる波」が、景気循環である。
 では、なぜ、景気循環は生じるのだろうか? 

 古い経済理論との対比

 今現在の不況の原因と目されるのは、直接的には、需要の縮小である。消費性向が極端に低くなっており、需要が縮小している。直接的には、「これが不況の原因だ」と判断しても差し支えない。しかし、それだけでは、話は片付かない。「なぜ需要が縮小したか?」という問題が新たに生じるからだ。それに答えれば、「不況だから需要が縮小した」と答えるのが最も適当だろう。となると、話は循環して、「ニワトリが先か、卵が先か」というような問題となってしまう。 
 では、解答は得られないのだろうか? いや、違う。このような「論理の循環」が生じるということ自体が、解答を導くのである。(「スパイラル構造がある」と言い換えてもよい。)

 神の見えざる手/悪魔の見えざる手

 世間では、「市場経済万能論」というのが、けっこう出回っている。「神の見えざる手」によって、放置すれば常に最適化されるはずだ、というわけだ。最適化されないとしたら、政府が余計なことをして阻害しているからで、そういう阻害を排除することにすれば、「神の見えざる手」によって自然に最適化されるはずだ、というものだ。
 しかし、「神の見えざる手」などがあれば、そもそも、景気循環などは生じないはずだ。なぜなら、経済は常にちょうどうまいところに収束するように、「神の見えざる手」が働くはずだからだ。
 たとえば、こうだ。供給が過剰で、価格が低下すれば、需要が増える。逆に、供給が少なくて、価格が上がれば、需要は減る。いずれにせよ、その時点における供給能力に応じて、最適の需要が定まる。かくて、価格は安定する。需要と供給も安定する。そして、供給というものは、上図の点線に従って、生産性の向上にともなって、なだらかに上昇するものだ。ゆえに、需要もまた、供給に応じてなだらかに上昇する。結果的に、供給と需要は一致したまま、なだらかに上昇する。── こうなるはずなのだ。
 ところが、現実には、「なだらかな上昇」などは起こらない。産業革命以後のどの時点を見ても、景気は大きな振幅をもって、上下にぶれる。安定などはしないのだ。
 結局、経済を安定させる「神の見えざる手」などというものは、存在しない。それどころか、逆に、「悪魔の見えざる手」というものが存在するのだ。その「悪魔の見えざる手」が、景気に対して、「大きなぶれ」をもたらすのだ。景気の振幅を収束させるような力が働くのではなく、景気の振幅を拡大させるような力が働くのだ。
 では、「悪魔の見えざる手」とは、何なのか? 

 安定型と不安定型

 神にせよ、悪魔にせよ、「見えざる」と表現するのは、それを人間が理解していないことを示す。だから、これを「見える」ように、理解すればよい。いったん理解すれば、それはもう、「神の手」でも「悪魔の手」でもなく、単なる社会現象にすぎなくなる。
 まず、「神の見えざる手」という言葉が使われるのは、決して、ゆえなきことではない。個々の商品の受給についてなら、「神の見えざる手」は存在すると言える。しかし、一国全体の経済としての景気についてなら、「神の見えざる手」のかわりに「悪魔の見えざる手」が存在する。つまり、ミクロ経済と、マクロ経済とでは、話の事情が異なるのだ。
 別の言葉で言おう。

 というのは、

 ということだ。安定した構造では、何らかの変動があっても、元の位置に収束する。不安定な構造では、何らかの変動があった場合に、その変動は拡大する。
 このような「安定/不安定」という構造があるのだ。そして、この種の構造は、経済学に限らず、一般化することができる。特に、物理学では、しばしば、ポテンシャル構造として図示される。次の図のように。

     安定構造/不安定構造の図

 左側の図では、 ∪ 型の曲線がある。この曲線の上に  ● という球が置かれてある。(サラダボウルのような凹型の器に、ピンポン玉が入っている、と考えるとよい。)── ここでは、  ● という球は、左右に少し位置が変動しても、戻す力が働いて、球は元の位置に戻る。
 右側の図では、 ∩ 型の曲線がある。この曲線の上に  ● という球が置かれてある。(山のような凸型の物体に、ピンポン玉が載っている、と考えるとよい。)── ここでは、  ● という球は、左右に少し位置が変動すると、その動きはさらに加速され、同じ方向にどんどん離れていく。(元の位置には戻らない。)
 この二つは、「安定/不安定」のモデルとなる。

 物理学では、このようなモデルによって、さまざまな事象を説明できる。単純な例では、次のようなものがある。

 このように「安定型/不安定型」というふうに二分してみると、先に述べた経済状況は、まさしく上図のようなモデルで説明できる、とわかる。次のように。

 以上のように、図で説明できるわけだ。
 (いわゆる「スパイラル」というのは、この後者の方を示す。)

 ぶれの存在

 さて、ここで注目すべきことがある。それは、「現実の経済には、ぶれ(振幅・ゆらぎ)がある」ということだ。
 古典的な経済学では、「経済は振幅なしになだらかに進行するもの」と想定されてきた。たとえば、「他の条件が一定であると仮定すれば」などと仮定して、他の条件を無視し、他の条件によってもたらされる変動も無視する。
 しかし、現実の経済は、しばしば、小さな変動が襲いかかるものだ。たとえば、天候とか、流行とか、突発的な社会事件とか、画期的な発明とか。さらには外国経済の影響とか。そういう突然の事態が影響して、外部的な攪乱要因となって、経済にはたえず「ぶれ」が生じるのだ。
 だから、そうして生まれた「ぶれ」について考慮する必要がある。さらに、「ぶれ」と経済構造との関係を考慮する必要がある。
 もし経済構造が「安定的」であれば、「ぶれ」の効果は減衰してしまうので、「ぶれ」について無視することもできる。しかし、経済構造が「不安定的」であれば、「ぶれ」の効果は増幅するので、「ぶれ」について無視できない。
 このことを、基本として、理解しておくことが大切だ。

 構造の理由

 「安定型/不安定型」という二つの経済構造を示した。では、この二つの構造は、なぜ生じるのだろうか? 「ミクロ経済/マクロ経済」という違いに、構造の種類の差(安定型/不安定型)をもたらすのは、どんな理由なのか? 
 実は、経済構造は、自然現象ではなく、人為的なものである。だから、経済構造が何らかの性質を帯びているとすれば、それは「大自然の原理としてそう定まっている」というようなことはない。人間がそのような経済構造を構築したから、そのような性質をもつ経済構造となったにすぎない。(意図はしていなかったかもしれないが。)
 だから、「景気が不安定型である」としたら、人間がそのような経済構造を作り上げたからにすぎない。
 ここで、「景気が不安定型である」ことについて調べるため、これがどういう状況にあるかを、詳しく見ていこう。
 「景気が不安定型である」という事情は、「景気拡大局面」「景気縮小局面」に分けて、次のように理解される。

 いずれにおいても、循環構造(スパイラル構造)が見られる。つまり、景気拡大にせよ、景気縮小にせよ、「循環的に(スパイラル的に)拡大する」という構造がある。そして、このような循環をもたらす経済システム[一国の経済体制]が、不安定構造をもたらすわけだ。

 自動安定装置

 このような「不安定構造」(スパイラル構造)があることは、昔から知られてきた。そこで、この効果を減殺するために、工夫が考案されてきた。それは「自動安定装置」 automatic stabilizer , built-in stabilizer と呼ばれる。(経済学の初歩的な教科書に書いてあるとおり。)
 たとえば、所得税の累進システムだ。景気が拡大して、各人の所得が増えると、その増分に比例するよりも大きな累進度で、所得税が増える。(たとえば、「所得が1割増えると、所得税は1割ではなくて2割増える」というふうな。)……かくて、所得の増加の効果を抑えることができる。
 また、企業の法人税だ。景気が拡大すると、企業の所得は急激によくなる。そこで、(法人利益に比例する)法人所得税を課することで、法人の利益(つまり設備投資の原資)を抑える。[参考に言うと、それとは逆なのが、(所得に対して常に一定な)外形標準課税や、(売り上げに比例する)消費税だ。前者は自動安定効果がマイナスで、後者は自動安定がゼロだ。]
 ただし、である。このような「自動安定装置」は、あくまで、「不安定構造を弱める」だけの効果しかもたない。「不安定構造を安定構造に変える」わけではない。図で言えば、不安定構造の ∩ の曲率を弱くする(平面に近くする)効果はあるが、曲率を逆にする(∪という構造にする)効果はない。── つまり、自動安定装置は、景気循環の振幅を小さくする効果はあっても、景気循環そのものをなくすことはできない。

 中期/長期

 先に「安定型/不安定型」という区別を示した。そして景気が「不安定構造」をもつので、ぶれが増幅する、と示した。
 これは中期的(数年程度)に見れば、正しい。しかし、これだけでは、景気循環は説明しきれない。というのは、もし「不安定構造」だけならば、インフレにせよ、デフレにせよ、景気はどんどん際限なく進行するはずだからだ。インフレならば、天文学的なインフレになるだろうし、デフレならば、とてつもない恐慌になるはずだからだ。(たとえば、戦前のドイツの超インフレとか、大恐慌時代の米国とか。これらも、ある程度で踏み止まったので、そこから先には行かなかったが。)……だが、現実には、そこまで進行することはない。どんどん際限なくインフレやデフレが進行することはなく、途中でインフレやデフレは収束方向に向かう。
 つまり、中期的に見れば、景気は不安定であるが、長期的に見れば、景気は安定的なのである。

 このことを理解することが大事だ。
 そして、そのことが、「景気循環」そのものだ、とわかるだろう。景気循環とは、まさしく、「中期的な不安定構造」と「長期的な安定構造」の組み合わせとして、理解できる。
 先に示した景気の図で言えば、こうなる。
「中期的には、景気は、実線のように上下にぶれる。しかし、長期的には、景気のぶれは、点線から大きくはずれないように、元の方へ戻る」
 というわけだ。

 長期の力

 では、なぜ、長期的には景気は安定するのか? 
 それは、長期的には、景気を安定させる方向に、何らかの力が働くからだ。これは当たり前の話だ。人間は馬鹿ではないのだから、常に最適な状況を求めて努力する。現況が最適ではなければ、最適になるように状況を改善していく。だから、長期的には、景気は安定していく。
 では、なぜ中期的にはそうならないか、と言えば、そのような改善が進むのには、数年以上の時間がかかるからだ、と答えるべきだろう。
 景気の不安定さは、現在の経済体制に則っているので、ただちに即効的に影響が出る。生産が増えれば、月末には残業手当が出るし、年末年頭にはボーナスが出る。そうして現金を手にしたら、数日後から数週間後には、買物をする。それがまた生産増をもたらす。……このように即効的な効果が出る。
 しかるに、長期的な力の方は、そうではない。これは経済体制そのものの変革だからだ。「構造改革」と呼んでもよい。たとえば、効率の低い企業や産業を廃止して、そこにいる従業員を失業させる。一方で、効率の高い産業や企業を新たに発生させて、そこで新規の雇用を発生させる。……このようなことは、とても数日とか数カ月とかでは進行しない。そもそも、経営悪化が失業に結果するまでには何年もかかるし、新たな産業や企業が生じて隆盛するまでにも何年もかかる。……このような遅効性の効果があるだけだ。
 結局、景気回復は、長期的にはなされる(自然治癒する)が、それには長い時間がかかるわけだ。「今すぐ」というわけには行かないのだ。

 対策 ── 通常の場合

 さて、すでに示したように、景気循環は、「中期的な不安定構造」「長期的な安定構造」の複合状態として、理解されることがわかった。
 では、われわれは、どうすればいいか? 
 ここで、最初に述べたように、物事を根本的に考えることにする。「金利をどうこうせよ」「財政をどうこうせよ」などと、細かく策を考える前に、もっと根本的に考える。
 景気は、長期的には安定的な構造をもつが、中期的には不安定な構造をもつ。
 さて、まず、通常の場合を考えよう。今、先の [ 第2図 ] の右側の不安定構造(凸形の方)で、図の中央(頂点)付近にいるとする。ここでは、たえず「ぶれ」が生じる。つまり、外部から、何らかの攪乱要因としての力が働く。そうした多くの力が、うまく中和していればいいが、中和しないと、どちらかに傾く。右か左かへ。
 ここで、何もせずに放置すれば、インフレかデフレか、どちらかの側に落ち込むだろう。(バブル期の日本はインフレ側に落ち込んだ。現在の日本はデフレ側に落ち込んでいる。)
 一方、インフレかデフレか、どちらかの側に落ち込みかけたとき、それとは逆方向に、うまく力を加えれば、落ち込むのを防ぐことができる。(たとえば、インフレ気味のときに、金利を上げる。デフレ気味のときに、金利を下げる。米国ではグリーンスパン議長が、これを実に巧みにやってのけた。そのため、インフレ側にもデフレ側にも、落ち込まずに済んだ。)── このようなことは、常識的ではあるが、たしかに効果をもつ。なお、この際、実際に用いる力は、小さなもので済む、という点に注目しよう。実際問題として、多少の金利操作だけで済むものだ。
 とにかく、通常の場合、つまり、図の中央付近にいるときは、小さな力を加えるだけで、中央付近に留まっていることができるわけだ。

 対策 ── 落ち込んだ場合

 さて、問題は、今の日本だ。
 今の日本は、図の中央付近にはいない。すでにデフレ側の底に、大きく落ち込んでしまっている。こうなると、もはや、「金利操作だけで解決」という具合には行かない。何らかの大きな力を加える必要がある。
 「日本はバブル破裂後、適切な金利操作をすべきだった」
 という米国にある批判は、たしかに正しい。バブル破裂自体は防げなかったし、そのあと、景気が縮小するのは避けられなかった。しかし、ある程度以上縮小したら、もっと大幅な金利引き下げを実行すべきだった。なだらかに少しずつ下げるのではなく、金利が3%ぐらいになった経済水準の時点で、ただちに0%付近まで下げるべきだった。
 しかし、実際には、そうしなかった。日銀は判断を完全に誤り、様子を見ながら、金利を少しずつ下げた。そのせいで、金利引き下げというブレーキ力が効果を発揮する機会を失った。
 先の図で言えば、景気は坂を転げるボールである。金利操作は、ボールを引き留めるブレーキ力である。ボールが坂を転げ落ちるとき、ある程度まで下がるのは仕方ない。(バブルという反対側から、バブル破裂という強い力で、ボールを投げ与えられれば、それをすぐに止めることはできない。)ただ、ある程度まで下がって、「これはやばい」となったら、ブレーキを最大に踏むべきだった。つまり、金利が3%ぐらいになった時点で、もっと大幅に金利を一気に下げるべきだった。しかるに、日銀は、そうしなかった。あいかわらず、少しずつブレーキを踏み増すだけだった。そうするうちに、ボールはどんどん坂を転げ落ちていった。そして、日銀が遅ればせに気づいて、ブレーキを最大限に踏んだときは、もはや、坂を転げ落ちる力は、ブレーキの力を上回っていた。ブレーキは、坂を転げる速度を弱める程度の効果はあったが、坂を転げるのをやめさせる効果はなかった。かくて、景気はどんどん悪化の一途をたどっていった。

 落ち込んだあとで

 結局、今の日本は、景気の底にまで行き着いてしまった。ここまで転げ落ちると、もはや、金利の力だけでは、元の中央位置にまでは戻せない。転げ落ちた当初ならば、小さな力で戻すことができたが、いったん底の方まで落ち込むと、元の位置に戻すには巨大な力が必要である。
 そのことを理解することが大切だ。
 「巨大な力とは、どんな力か」
 ということは、あとで述べる。しかし、今はとにかく、
 「景気を元に戻すには、巨大な力が必要だ」
 ということを理解するべきだ。
 一方、世間には、逆の意見もある。
 「景気対策などしなくても、景気は自然に自力回復するはずだ」
 「不況は放置しておけばよい」
 などと。しかし、それは完全な間違いである。景気は不安定構造をもつ。それゆえに、いったん落ちたら、そのあと、戻すには、巨大な力が必要なのだ。それを人為的に行なう必要があるのだ。決して「神まかせ」にはできないのだ。仮に「神まかせ」にすれば、「長期の力」が発動されるのを待つしかない。つまり、それまでずっと、無駄に待ち続けることになる。無駄な不幸をいつまでも続けることになる。
 たとえて言えば、こうだ。われわれは今、飢えているとする。そして、目の前に柿がなっているとする。この柿は、何もしなくても、ずっと待っていれば、いつか自然に落ちてくるだろう。「だから何もせずに待て」と主張する人もいる。しかし、力を出して、手を伸ばせば、柿を今すぐ得ることができるのだ。
 われわれには、今、二つの選択肢がある。

 愚かな人間は、前者を取る。賢明な人間は、後者を取る。
 なぜか? 「不幸をあえて堪え忍ぶ」というのが、愚かしいからであるが、それだけではない。トータルコストを考えても、そうなるからだ。
 景気回復策を採らなければ、今後、無駄な赤字が何年も発生する。長期的に見て、多大な無駄が発生する。これは、いつまでも病気を続けるようなもので、治療費がたくさんかかるからだ。
 一方、景気回復策を採れば、病気はただちに治癒する。無駄な赤字が何年も発生することはない。当初、病気回復の薬代として、借金をする必要はある。しかし、病気が回復すれば、正常に働けるので、借金は返せるし、その何倍もの収入を得ることができる。

 いつまでも病気を続けるか。それとも、借金して薬代を得てただちに病気を回復するか。── われわれは今、その二者択一を迫られている。それが経済理論の示すところだ。
 一方、小泉は、こう言う。
 「景気対策か、財政再建か」
 「今は我慢して、後で利益を得るか」(米百俵)
 これはとんでもない思い違いだ。経済学とは関係ない、何か別の世界の話だろう。

 さて、二者択一のあとで、われわれが賢明な策を選んだとする。つまり、
 「景気回復策を採る」
 つまり、
 「景気の底から景気中立の状態まで移るように、巨大な力を加える」
 と。すると、次のことが問題となる。
 「では、巨大な力とは、何なのか」
 と。
 そこで、以下では、そのことについて議論することにしよう。


 物価上昇と景気

 景気回復のためには、何らかのことをしなくてはならない。(景気に対して、何らかの巨大な力を加えなければならない。)── では、どんな?
 世間では、その方策として、「金利操作」、「金融量的緩和」、「財政出動」などと、いろいろと提案されている。では、どれがいいか? 
 ここでは、そのような方策について考える前に、まず、物事の根本に立ち返って考える。現在の不況はなぜ発生したのか、という問題だ。

 問題提起

 現在の日本の状況は、デフレだろうか? 
 古典的な見解では、デフレとは「物価が下落する局面」である。(インフレは、その逆。)
 その定義からすると、現在の日本はデフレではない。一部の商品では「価格破壊」などの「値下げ」が進んでいるが、国全体を見れば、物価上昇率は0%程度である。ごく最近は、物価上昇率がマイナス気味だが、ここ数年間を見れば、ずっと0%〜1%程度で推移してきた。つまり、マイナスではなかった。だから、デフレではない。それどころか、「物価安定」という優良状態(望ましい状態)であったことになる。
 しかし、これは、実感に反する。現在の日本は、明らかに不況である。それに異を唱える人はほとんどいないだろう。
 デフレという言葉をどう定義するかは、人それぞれかもしれない。物価上昇率で定義すれば、デフレとは言えなくとも、他の「不況」と見なせる状況で定義すれば、デフレであると言える。(第2章では、デフレの定義として、「需要が供給を上回っていること」と示した。)
 ここで、問題となる。
 「物価上昇率の下落している状態が不況(またはデフレ)だ」
 というような定義の仕方では、不況というものを正しく定義できないのだ。では、なぜだろうか? 古典的な経済学の理解の仕方では、どこが間違っているのだろうか? 

 生産性の考慮

 このことに対して明快な解答を与えたのは、クルーグマン教授である。
 先に私は「景気循環」について論じたときは、「ぶれ」に注目して、これを考慮対象に含めた。同様に、クルーグマン教授は、不況について論じるときに、「生産性」に注目して、これを考慮対象に含めた。(このようにして、古典的な経済理論では解釈できなかったことも、うまく現実に即して、解釈できるようになる。)
 いきなり結論から言おう。
 今、「物価上昇率が0%」という状況があるとする。物価上昇がまったくない安定した状況である。こういう状況は、生産性の向上が0%の場合には、インフレでもデフレでもない理想的な状況だと言える。しかし、生産性の向上が0%を上回るときは、はっきりと不況となるのだ。
 これは重要な結論である。通常の古典的な経済理論では、生産性の向上については考慮しない。これはつまり、「生産性の向上が0%である」ことを前提しているのと同じだ。しかし、現実には、通常、生産性の向上は0%ではない。(2.5%程度ある。) だから、通常の古典的な経済理論では、(考慮不足のせいで)間違った結論を出す。
 現在、たいていの経済学者は、不況に対して、トンチンカンなことを主張している。それは、「生産性の向上と不況」という関連性に気づいていないからである。この点に気づけば、正しい主張ができるのだが。
 では、「生産性の向上と不況」という関連に気づけば、どう説明できるか。そのことを、以下で詳しく述べよう。


 生産性の向上と不況

 「生産性を考慮すると、不況の発生はどう解釈されるか?」
 この核心点は、クルーグマン教授が示したことである。
 以下では、いろいろと述べるが、基本的な概念は、ほとんどすべてをクルーグマン教授の理論に従っている。私があえて独創性を主張すべきような点はない。
 ただ、論説の細部は、私に文責がある。論旨としての幹と枝はクルーグマン教授のものだが、言葉としての葉っぱは私のものを使っている。私なりの解釈も含まれているから、「クルーグマン教授の論文にはそんなことは書いてないぞ」などと文句を言わないでほしい。ここで述べることの目的は、クルーグマン論文の解説ではないのだから。(クルーグマン教授の原文は、各自、自分で参照してほしい。 → 「クルーグマン オフィシャルサイト」)

 さて、クルーグマン教授の論旨に従って、解説を始めよう。
 今、生産性の向上率は0%ではないとする。実際、人類の歴史を見ると、生産性の向上は、長い間、年率でほぼ 2.5% 程度であったらしい。そこで、特に、生産性の向上率を 2.5% であるとする。(年率)
 さて、ここで注目すべきは、生産性の向上率には、「ぶれ」がある、ということだ。一国全体でならせば、向上率の平均値はこの値になるだろう。しかし、個々の企業を見れば、どれもが同じ向上率を達成したわけではない。もっと大きな値を取る企業もあるし、もっと小さな値を取る企業もある。
 平均値より大きな値は、と言えば、まあ、5%とか、7%とか、いろいろあるだろう。年に20%も生産性を向上させた、という、劇的な成果を上げた企業もあるかもしれない。それらはそれでいい。特に問題はない。
 一方、平均値よりも小さな値もある。特に、前年から少しも生産性が向上していない企業もあるだろう。つまり、生産性の向上率が 0% だ。これが一番悪い。
 ( ※ 0% どころかマイナスになった、というような企業もあるあろうが、これは、よほど異常な事態が起こったのだろうから、例外的として、考慮外である。)

 さて、このような「生産性の向上率が 0% 」という企業に、特に注目すべきである。
 ここでもし、一国全体の生産性の向上率が 0% であるとすれば、この企業も、他の企業と同じ生産性の向上率なので、別にどうということもない。
 しかしもし、一国全体の生産性の向上率が 2.5% であれば、この企業は、他の企業とは異なって、生産性が劣るのだから、市場で敗退する。かくて、倒産して、従業員は全員解雇となる。
 そのことを避けるためには、他の企業が「生産性の向上」でやったことを、別の方法で埋め合わせなくてはならない。埋め合わせると言っても、そもそも「生産性の向上」ができないのであるから、別の方法によるしかない。つまり、人件費の削減である。
 要するに、「生産性の向上」ができない劣悪な企業は、市場で生き残るためには、その分、「人件費の削減」をするしかない。他の企業が生産性を 2.5% 向上させたのであれば、この企業は、人件費を 2.5% 下げるしかない。
( ※ なぜ人件費か? ここでいう「生産性」とは、「労働生産性」のことだから。)

 ところが、である。賃金には「下方硬直性」がある。つまり、賃金を上げるのは容易だが、賃金を下げるのは容易ではない。(これが重要なポイント。 ケインズによる指摘。) 
 では、結局、どうなるか?
 人件費の引き下げが必要なのに、「賃金の下方硬直性」ゆえに、それができない。となると、企業は倒産し、労働者は失業する。
 そしてこのあと、「不安定構造(スパイラル)」に乗って、不景気は次々と拡大していく。
 ── というわけで、「生産性の向上」というものを考慮すると、「賃金の下方硬直性」ゆえに、不況は容易に生じることになる。

 生産性の向上率と物価上昇率の一致

 以上の説明では、物価上昇率を考慮していない。
 さて、ここで、物価上昇率を考慮してみよう。
 先のように、生産性の向上率が 0% である企業があるとする。この企業は、企業存続のためには、「 2.5% の賃下げ」が必要であるのに、「賃金の下方硬直性」ゆえに、それができないでいる。
 ただし、今、物価上昇率が 2.5% であったとすれば、この企業は、「 2.5% の賃上げ」のかわりに、「賃上げは0%」という選択肢を得て、「名目賃上げは0%」で「実質賃上げはマイナス 2.5% 」という道を取ることができる。つまり、ここでは、「賃金の下方硬直性」が回避されている。
 かくて、この企業は、倒産を免れ、失業者も発生させない。というわけで、「不安定構造」の「スパイラル」の道には踏み込まない。中央付近にとどまったまま、不況には突き進まずに済むわけだ。

 まとめると

 以上がクルーグマン教授の指摘である。まとめていえば、

 ということだ。

 では、ここから、どう結論すべきか? 
 クルーグマン教授は、「インフレ政策が必要だ」と主張する。この主張が「調整インフレ政策」ないし「インフレ目標政策」である。
 ただし、私は、その前にひとつ、付け加えておくべきことがあると思う。それを次に述べる。

 真のインフレ

 すでに示されたのは、こういうことだ。
 「物価上昇率が、生産性の向上率を上回っていれば、不況を回避できる」
 つまり、
 「不況を回避するためには、物価上昇率を、生産性の向上率以上にする必要がある」

 では、物価上昇率と生産性の向上率が同じ状態は、どういう状態なのだろうか? つまり、物価上昇率と生産性の向上率がともに 2.5% である状況は、インフレなのか、デフレなのか?
 古典的な解釈に従えば、物価上昇率が0%を上回る状況は、すべてインフレであろう。(クルーグマン教授もそのつもりで言葉を使っている。)
 しかし、すでに明らかなとおり、生産性の向上率が 2.5% で、かつ、物価上昇率が 2.5% を下回っていれば、倒産と失業は、ある程度避けられない。倒産と失業が続々と発生する。こういう状況は、明らかに、不況である。
 つまり、物価上昇率が 0% 〜 2.5% という状況は、「不況」なのである。そして、物価上昇率が 2.5% という状況が、不況でも好況でもない「中立状態」なのである。
 このことは重要だ。
 古典的な経済学では、「物価上昇率 0% 」というのが、平衡した安定状態であった。しかし、「生産性の向上」と「賃金の下方硬直性」を考慮すると、「物価上昇率が 2.5% 」というのが、平衡した安定状態なのである。そして、それが「中立状態」であり、「物価上昇率が 2.5% 以上」というのは景気が過熱したインフレ気味の状態であり、「物価上昇率が 2.5% 以下」というのは景気が冷えたデフレ気味の状態であるわけだ。(この状態では、失業や倒産が続々発生する。)

 換言すれば、こうだ。
 古典的な経済学では、生産性の向上を考慮していない。こういう立場から見ると、「物価上昇率が 0% 以上」というのはすべて「インフレ状態」として、危険視される。そして「物価上昇率が 0% 」というのが理想的な安定状態とされる。また、「物価上昇率が 0% 以下」というのがデフレ状態だとされる。
 クルーグマン流の経済学では、生産性の向上を考慮する。こういう立場から見ると、「物価上昇率が 2.5% 以上」というのが「真のインフレ」となる。たとえば、「物価上昇率が 4% 」であれば、
   4% − 2.5% = 1.5 %
 であるから、「1.5 %」だけが「真のインフレ」と見なされる。「物価上昇率が 2.5% 」であれば、真のインフレでも真のデフレでもない、中立状態である。「物価上昇率が 2.5% 以下」あれば、実質的には「真のデフレ」と見なされる。たとえば、「物価上昇率が 2% 」であれば、
   2% − 2.5% = −0.5 %
 であるから、「−0.5 %」の「真のデフレ」と見なされる。(その分、倒産や失業が発生する。)

 以上のように理解するべきだ、と私は思う。
 だから、仮に政府が「物価上昇率が 2.5% 」をめざしたとしても、それを「インフレをめざす」と称するのは好ましくないし、正確でもない。それは明らかに、インフレでもデフレでもない中立的な状態をめざしているのである。
 そこで、このような政策は、「インフレ目標」と称するよりは、「中立目標」と称するべきだ、と私は提唱したい。

 言葉の問題か? 

 「インフレ目標」を「中立目標」と呼ぶのは、単に言葉の違いだけだろうか?
 一見、言葉の違いだけのようにも見える。口の悪い人ならば、「インフレという状況を、別の言葉で言いくるめて、ゴマ化している」と悪罵するかもしれない。
 ただ、言葉というものは、それによって思考を束縛するものとなりがちだ。だからこそ、実体に即した言葉を使うべきだ、と私は思う。
 悪しき例が、先に示した日銀だ。「物価上昇率が0%だからデフレではない」と言い張っている。そうして今日の破滅的な経済状況を「すばらしい状態」と自画自賛している。
 このように勘違いするのも、言葉のせいなのだ。
 「物価上昇率が0%なのはデフレではない、だからすばらしい」
 と。ここでは、事実を正しく伝える言葉を用いた方がいいだろう。
 「物価上昇率が0%なのは、真のデフレが 2.5% 分あるのだ。デフレでないと言えるのは、物価上昇率が 2.5% となるときなのだ」
 と。こう理解すれば、今日の状況を「ひどい不況」だと、正確に理解できる。

 そしてまた、こう理解すれば、「デフレスパイラル」というのも、正しく理解できるようになる。「デフレスパイラル」とは、物価上昇率がマイナスの状態でどんどん進行していく状態ではない。そういう典型的な状態もあるが、それはよほどひどい大恐慌のような場合だけだ。一般的には、「真のデフレスパイラル」というものがある。それは、「物価上昇率が 2.5% 」を割ってから、その状況がどんどん悪化の一途をたどる状況だ。そういう状況は、数年前から、たしかにあった。現在は、それが進行したすえに、その底のあたりまで来ている。

 正しい言葉を使えば、物事を正しく理解できるので、今の状況がひどい景気状態(不況)にあると認識できる。正しい言葉を使わなければ、物事を正しく理解できないので、今の状況を「すばらしい状況」と思ったり、「日銀の政策はすばらしい成功」などと自画自賛したりするようになる。
 だからこそ、私は、正しい言葉を使うべきだ、と思う。次のように。

 結語

 以上によって、めざすべきものは、示された。
 すなわち、現在の不況を解消するためには、クルーグマン流の策が必要なのである。つまり、
 「物価上昇率が生産性向上率を上回る状況」
 が必要なのである。そして、ここをめざして、政策を組み立てればよい。
 なぜなら、
 「物価上昇率が生産性向上率と同等( 2.5% )である状況は、インフレではない」
 からであり、また、
 「物価上昇率が生産性向上率を下回る状況は、デフレ(不況)である」
 からだ。

 現在の政府は、クルーグマン流の考え方を否定している。つまり、「物価上昇率は 0% 付近でいい」と主張している。これは、すでに明らかになったとおり、生産性の向上を考慮すれば、「(真の)デフレ」促進政策となる。もうちょっと細かく言えば、マイナス 2.5% の「(真の)デフレ」になるように、経済を運営していることになる。
 つまり、現在の不況は、ゆえなきことではないのだ。政府が不況になるように経済運営しているから、まさしく、めざした通りに、不況になっているわけだ。

 「不況から脱出するにはどうすればいいのだろうか?」
 などと質問するのは、まったく阿呆のたわごとである。自分で不況をめざしているから、不況になっただけの話ではないか。それが今の日本なのだ。
 問題は、日本が自分で自分のことに気づいていない、という点だ。日本はまさしく「不況をめざす」という政策を採っているのに、「そうではない」と信じ込んでいることだ。
 こういう状況では、もはや、金融緩和とか財政出動とか減税とか、そういったことを論じても無駄である。話の根本が狂っているのだから。

 日本がめざすべきものは、ここまでで、すでに論じ尽くした。簡単に言えば、「不況を目的とする政策」を捨てて、「中立目標政策」を取ることである。
 そして、これを理解したあとで初めて、金融緩和とか財政出動とか減税とか、そういったことに話が移る。
 今は、何よりもまず、「中立目標政策」が必要だということを、心で噛みしめて理解することだ。それを理解しない限り、あとの議論はすべて、砂上の楼閣にすぎなくなる。


     《 cf.  「インフレ目標」簡単解説 のページ 》





  [補足] インフレ目標批判について

 インフレ目標政策には、批判がある。そこで、こうした批判に対して、以下では問題点を指摘しておこう。

  ( ※ 細かくて面倒な話になるので、いちいち読まなくてもよい。)

 さて、対象となる文書だが、これは、日銀の速見総裁の講演 が最も適当だろう。これが「インフレ目標批判」としては最も優れているし、筆者が日銀の親玉であるからだ。そこで、以下では、この講演の各論旨に対して、個別に説明を加えていく。

 まず初めに、速見総裁の「インフレ目標政策批判」の論旨を、次に掲げる。(これは論旨なので、詳しくは、上記ホームページで元の文章を読んでほしい。)

  • 物価の安定は重要である。(その理由はこれこれ)
  • 調整インフレは、物価の安定を否定するので、駄目だ。
  • 調整インフレは、効果がない。なぜなら、インフレ期待が出れば、その分、長期金利が上昇するので、差し引き、無意味になるからだ。
  • 効果がないどころか、将来への不確実性への不安から、金利がさらに上昇する可能性もある。つまり、逆効果だ。
  • インフレはコントロールしにくいので、暴走しがちだ。
  • インフレ暴走の危険を防止するため、引き締めはできるが、強力な引き締めなどをすれば、景気が急速に悪化して、かえって不況になる危険がある。
  • 日銀による国債買い上げなどを実行すれば、国債の相場が下がって、国債の信用を傷つけ、日本そのものの信任が失われる。
  • 以上のように、調整インフレは、害悪が多い。その一方で、効果がない。
  • そんなことより、「ゼロ金利」政策の方がずっとすばらしい。これは強力な効果がある。

 というような具合である。これを一読して、どう思うだろうか? 「まことにもっともだ」と思うかもしれない。しかし、経済学的に言えば、これは、初歩的な誤解にあふれた見解である。では、以下で、個別に指摘していこう。

 (1) 物価の安定は重要である。(その理由はこれこれ)
 「物価の安定は重要である。物価が大きく変動すると、経済は痛手を負うからだ」
 という論旨である。

 これは論理的に間違っている。論理学のイロハも知らない典型的な曲解と言えよう。
 インフレ目標政策で問題になっているのは、「物価を大きく変動させること」ではない。「物価を小さく上げること」である。つまり、「必要最小限だけ上げること」である。だから、「物価を大きく変動させること」をいくら批判しても、それはインフレ目標政策の批判とはなっていないのだ。

 (2) 調整インフレは、物価の安定を否定するので、駄目だ。
 「たとえ2〜3%程度で小さく上げるのだとしても、それは物価安定を否定することになるので、駄目だ」
 という論旨である。

 これもまた論理的な間違いである。 (1) で否定したのは、「物価を大きく上げること」である。ところが、それを理由として、「ゆえに」という形で、「物価を小さく上げること」を否定している。まったく論理になっていない。

 また、論理は別としても、この説明は根本的におかしい。
 そもそも、「物価を小さく上げること」を否定するなら、日本以外のすべての先進国の経済政策を否定しなくてはならない。
 「あんたたちの国は、物価安定を果たしていない。間違った経済政策だ。私たちの国は、物価安定を果たしている。私たちが正しいのだから、私たちを見習え」
 ということになる。しかし、どこの誰が、経済運営を失敗して不況のどん底にある日本の政策を見習おうとするだろうか。
 日銀は完全に思い上がっていると言うほかない。いくら物価安定などを果たしていても、今の日本経済はとんでもないひどい状態にあるのだ。「物価安定が大事」として、「物価安定を果たしている現状はすばらしい」などと思うのは、とんでもない勘違いである。日銀は現在の経済状態をまともにとらえていない。だからこそ経済運営を大失敗したまま放置しているのだ。
 もし日銀が本気で「物価安定こそ至上命題だ」と思うのなら、世界各国に、「物価上昇率0%」を進言するべきだろう。その進言が実現化すれば、世界が日本の真似をするので、たちまち、「世界同時不況」と「大恐慌」が訪れる。かつての大恐慌が世界大戦を招き寄せたように、今度もまた世界大戦が起こるかもしれないが。
 とにかく、日銀が自分の信念を正しいと信じるのなら、それを世界に向かって主張すればいい。そうする度胸がないのなら、「日本だけは物価上昇率0%と不況なのがすばらしい」などと、国内向けだけに言い張るのはやめた方がいい。

 (3) 調整インフレ論は、効果がない。なぜなら、インフレ期待が出れば、その分、長期金利が上昇するので、差し引き、無意味になるからだ。
 「次の公式がある。
    名目金利 = 実質金利 + 期待インフレ率
 だから、インフレ期待の分だけ名目金利が下駄をはくだけで、実質金利は変わらないことになる。」
 という論旨である。

 こういう意見を読むと、この人に経済学的な知識があるのか、疑わしく思えてくる。まるで学部学生の初歩的な答案のようだ。公式を一つだけ書いて、それでおしまい、というやつだ。
 たしかに、上に述べたことは一応、正しい。しかし、それは、話の前段にすぎない。話の後段がすっぽり抜けている。
 なるほど、インフレ目標を導入すれば、そこで、金利は上昇するだろう。ゆえに、このとき、日銀は「(金融の)量的緩和」という政策オプションをもつのである。今は、「ゼロ金利」なので、いくら量的緩和をしても、効果がない。(「流動性の罠」だ。)しかし、名目金利が上がれば、そこで「量的緩和」が有効となる。そして、「量的緩和」を実行すれば、名目金利も実質金利も下がる。日銀が何もしなければ、実質金利は上がるが、日銀が政策オプションを実行すれば、実質金利は下がるのだ。
 唯一、そうならないとしたら、日銀の「インフレ目標」宣言の効果が信用されず、「インフレが来ないでデフレのままだ」と市場が解釈した場合だ。(そうなる可能性は大きい。[参考])しかし、この場合は、物価上昇は起こらないのだから、上の批判は成立しない。そして、上の批判が成立するときには、「量的緩和」で実質金利を引き下げることにより、問題を解決できるのだ。
 ( ※ なお、付言しておく。上の式は、正しくは、
    実質金利 = 名目金利 − 期待インフレ率
  となる。これを「フィッシャー方程式」という。つまり、「名目金利」を「実質金利」と「期待インフレ率」の和として定義するのではなくて、逆に、「実質金利」を「名目金利」と「期待インフレ率」の差として定義しているのだ。なぜなら、「実質金利」なんてものは目に見えない架空の存在にすぎず、単に上の式によって定義されるだけからだ。一方、「名目金利」と「期待インフレ率」は制御可能な値である。上の式のとらえ方を間違えないこと。「期待インフレ率が上がればその分、名目金利が上がる」のではなくて、「期待インフレ率が上がればその分、実質金利が下がる」と読むのが正しい。……以上、日銀向けの、経済学初級講義でした。)

 さらに、より根本的なことがある。
 上の式では、「期待インフレ率」だけが掲げられていた。これは、「期待インフレ率だけが上がって、実質インフレ率は上がらない」ということを、暗黙裏に前提している。しかし、そんなはずはない。実質インフレ率も上がるはずだ。そして、実質インフレ率が上がれば、その分、実質金利は下がる。たとえば、( ゼロ金利政策によって )名目金利が 0%で、実質インフレ率が 3% だとなれば、差し引きして、実質金利は マイナス 3% となる。(つまり、マイナスの利率。クルーグマン教授の指摘通り。)
 それでもまだ「名目金利が下駄を履くだけ」などと主張するとしたら、日銀のゼロ金利政策と矛盾する。つまり、速見説の最後にある「ゼロ金利はすばらしい」という主張と矛盾する。要するに、速見説は、それ自体のなかに、自己矛盾を含んでいるのだ。一方ではゼロ金利を否定し、一方ではゼロ金利を称賛しているからだ。

( ※ 上述のことからして、速見説は明らかにクルーグマン教授の言うことを知らないまま主張している。つまり、「インフレ目標政策とは何か」ということを知らないまま、勝手に「こうだ」と思い込んで、その思い込んだ幻を対象に、勝手に批判している。風車に向かって突き進むドン・キホーテも同然だ。相手の言い分も知らずに批判する、というのは、まったく、どうしようもない態度だ。これが日銀総裁の態度かと思うと、情けなくなってくる。速見という人物は立派な人物だと思っていたのだが。……やはり寄る年波だろうか。)

 (4) 効果がないどころか、将来への不確実性への不安から、金利がさらに上昇する可能性もある。つまり、逆効果だ。
 「インフレ目標政策で、インフレ率が高くなると、将来の不確実性も大きくなる。そのリスク・プレミアム分だけ、余分に長期金利が上がる可能性がある。下がるどころか、上がるのだから、逆効果だ。」
 という論旨である。

 これも (3) と同様である。たとえ金利が上がっても、「量的緩和」で実質金利を引き下げることができるのだ。(今は「ゼロ金利」ゆえの「流動性の罠」ゆえ、できない。)
 また、そもそも、この「リスク・プレミアム分」など、いちいち考慮する必要はないほど、効果は小さい。日銀総裁がいちいち言及するには、みみっちすぎる話だ。こんなみみっちい話より、もっと大きな影響を及ぼす要因となることは、いろいろある。(たとえば米国景気の影響。)

 (5) インフレはコントロールしにくいので、暴走しがちだ。
 「インフレはスパイラルを起こしやすい。労働者は賃金引き上げを要求し、それで賃金コストが上昇すれば企業は製品価格へ転嫁し、……というふうに。」
 という論旨である。

 これは、物事を定量的に考えることのできない素人経済学の発想である。単に「インフレ/デフレ」というふうに2分類する。それで世の中のすべての経済状態を割り切ろうとする。まことに単純な話だ。
 現実の経済はそんなに単純ではない。「インフレ/デフレ」というような単純な2分類は成立しない。「ひどいデフレ」(−∞)から「ひどいインフレ」(+∞)まで、多様な段階がある。それらを定量的に考えることが必要だ。そういう定量的な考え方をするのが、(素人的でない)経済学というものだ。
 インフレは暴走しがちか? そんなことはない。たしかに、「ひどいインフレ」なら、制御しにくい。いったん大幅なインフレになると、これを抑制することは難しい。── こういうことは、先の[ 図2 ]でも「安定型/不安定型」として示した。その図を用いて に示したとおり、いったんデフレの側に深く落ちていくと、もはや勢いを止めがたい。同様に、いったんインフレの側に深く落ちていくと、もはや勢いを止めがたい。どちらにしても、程度が進めば、制御できなくなってくる。
 しかし、それは、程度が進んだときの話だ。程度が進んでいないうちなら、微妙に金利操作などで制御することにより、真ん中へんで、一応の安定状態を保っていられる。真ん中へん(デフレでもインフレでもないところ)では、制御ができるのだ。「インフレはどんなものでも制御できない」ということはないのだ。
 このことは事実として証明されている。ヨーロッパでもアメリカでも、また他の国々でも、戦争のような特別な事情のない限り、わずかな物価上昇のもとで経済は安定的に制御されている。
 現在、世界で経済を安定的に制御できていない国は、一つだけだ。それは、日本だ。日本だけは、不況のどん底に落ちたまま、回復する術をなくして、制御不能になっている。
 日銀の主張は、ちゃんちゃらおかしいとしか言いようがない。経済運営を制御不能にした当人が、「他の国のように制御不能になったら、大変だ」と心配しているのだ。実際には他の国は、真ん中へんで、弱い物価上昇のもとで、経済をちゃんと制御しているというのに。
 まったく、頭の回路が狂っているとしか言いようがない。

 (6) インフレ暴走の危険を防止するため、引き締めはできるが、強力な引き締めなどをすれば、景気が急速に悪化して、かえって不況になる危険がある。
 「『インフレが暴走する懸念』に対して、『日銀が金融を引き締めればいい』という反論があるが、いったんインフレがかなり進んだあとで、強力な引き締めをすれば、かえって景気が急速に悪化して不況になる危険がある。」
 という論旨である。

 これもまた、論理になっていない。「インフレが大幅に進んでから急激に引き締めよ」と言っているのではない。「インフレがいくらか進んだら、いくらか引き締めればいい」と言っているのだ。先の「不安定構造」で言えば、常に中央付近で微妙な調整をしていればいい、と言っているのだ。(ちょうどグリーンスパン議長のように。)
 そういうふうにしていれば、インフレが大幅に進むことはない。常に中央付近に留まっている。だから急激に引き締めることもない。
 たぶん、日銀はこう言いたいのだろう。 
 「インフレは制御不可能になりがちなので、大幅なインフレになりがちだ」
 と。しかし、これが間違いだということは、上の (5) で説明したばかりだ。うまく制御している国々の状態を「制御不能になるぞ」などと心配している。そのくせ、自分の国が制御不能になっている状態をほったらかしている。何をか言わんや、である。

      [ → 参考 : インフレ暴走の危険
      [ → 参考 : ミニインフレ政策
        ( cf. ミニインフレ政策における、過剰流動性。)

 (7) 日銀による国債買い上げなどを実行すれば、国債の相場が下がって、国債の信用を傷つけ、日本そのものの信認が失われる。
 「日銀の行なう通常の金融政策ならまだしも、日銀が国債買い上げなどを実行すれば、国債の相場が下がって、国債の信用を傷つける。長期金利は上がり、財政規律はゆるむ。かくて日本そのものの信認が失われる。」
 という論旨である。

 これが理由としては最も悪い。国家の信認とかメンツとか、そういったことはもはや考えないでほしい。日本では今や自殺者がどんどん出ているのだ。家計を完全に破壊された人々が次々と出ているのだ。日銀や国のメンツなどを考えているときではない。まず国民のことを考えるべきだ。特に、国民の生命を。
 そもそも、現在、日本の信認は十分に下がっている。最悪の不況状態なのだ。それが十年も続いて、世界の頭痛の種となっているのだ。今の日本の経済が世界で信認されていると思っているのだろうか? あまりにも自惚れた現状認識である。

 (8) 以上のように、調整インフレは、害悪が多い。その一方で、効果がない。
 「インフレ目標政策って、効果があるの?」
 という素朴な疑問である。これについては、このホームページで詳しく分析している。

  • 政策の原理については、「第3章(前)」で。(ここまで述べてきた。)
  • 金利政策における効果については、「第3章(後)」の前半あたりで、各政策に関連して述べている。要するに、「その政策はデフレのときは無効なので、まず物価上昇が先です。物価上昇のあとなら、その政策も意味をもちますよ」というふうに述べたりする。
  • 物価上昇は経済効率を向上させる。換言すれば、デフレという状態は経済効率を大幅に引き下げ、多大な無駄を発生させる。これが最大の理由となる。このことについては、「第3章(後)」の最後の「物価上昇は有害か」の箇所で詳しく述べている。(やや難解。)

 (9) そんなことより、「ゼロ金利」政策の方がずっとすばらしい。これは強力な効果がある。
 「インフレ目標政策よりも、日銀が今やっている『ゼロ金利』政策のほうがずっと強力ですばらしい。だからインフレ目標政策なんか不要だ」
 という論旨である。

 たいした自画自賛である。ここまで自惚れるのを見ると、呆れて言葉が出なくなる。
 日銀の「ゼロ金利」政策は、もう長く続いている。しかし、効果はまったく出ていない。不況は底打ちするどころか、2001年夏の時点で、悪化するばかりだ。物価上昇は0%どころか、マイナスになってきている。つまり、「ゼロ金利」政策は、まったく無意味で無効になっている。なのに、この無意味で無効な政策を「強力だ、すばらしい」と自画自賛するのである。
 「ゼロ金利」政策は、通常ならば強力な政策だが、いったんゼロ金利になったならば、もはやそれ以上は金利が下げられないゆえに、無効なのだ。そのことは事実としても実証されている。なのに、なぜ、そのことを理解できないのだろう。なぜ無効なものを最も強力だなどと錯覚できるのだろう。
 また、経済学を知っている人ならば、「ゼロ金利が有効」ということには、条件が付くとわかっているはずだ。すなわち、「需要が通常の状態ならば」という条件である。この条件を満たさない場合 ( 需要が通常よりも極端に少ない場合 ) には、金融の均衡点は「実質利率がマイナスのところ」に存在する。だから、こういう場合には、「ゼロ金利が無効」となる。そのことが学問的に証明されているのだ。 ( → 流動性の罠
 現在の日本は、未曾有の状態にある。未曾有の状態に対しては、未曾有の対処をしなくてはならない。なのに日銀は、現状を正しく認識できない。あげく、「インフレ目標による景気刺激なんて、これまで誰もやったことがない。そんなことはできない」と腰が引けている。これでは日本は、不況のどん底から脱するすべをもたない。日銀の罪は非常に大きい。かくも多量の日本人の生命と財産を奪ったのは、戦争以外では、日銀だけだろう。

 (10) その他
 ここまでのところでは、個別に指摘しなかったが、日銀の考え方には、根本的な間違いがある。それは「物価安定」というものをよく理解していない点である。これは非常に重要な問題だ。
 速見講演では、次のように主張している。
 「(日本は)過去20年近くもの長期にわたって物価がきわめて安定していました。
 「過去20年近くにわたって、平均1%台前半という安定した物価上昇率を達成してきた日本が、2〜3%のインフレ率を受け入れるためには、かなり強い理由が必要です。」
 これは正しくない。物価上昇率の指標を正しくとらえていないからである。
 なるほど、政府公表の数値では、日本の物価上昇率はそのようになる。しかしこれは、「円表示の物価上昇率」である。その間に、大幅な円高が進行した。したがって、「ドル表示の物価上昇率」では、その円高の分も加算されて、大幅な物価上昇が生じていたことになる。換言すれば、円高のときは、輸入品の価格の下がった分、物価下落がなされていなければならなかったのに、実際には物価下落が起こらなかったとすれば、その分、物価上昇が起こっていたことになる。( → 詳しくは 「 物価上昇率に及ぼす円高・円安の効果 」 )
 速見総裁は、この点を正しく理解していない。では、正しく理解できないと、どうなるか? それが問題となる。
 第一に、バブル破裂以降の、ここ 10年間ほど、円は安定してきた。だから、この間、円高の効果は考慮しなくてよい。そういう見地で、ここ数十年の物価上昇率を見ると、バブル以前は(円高を考慮すると)数%程度の物価上昇が起こっていたのに、バブル以降は、物価上昇がほとんどない。つまり、円表示の物価上昇では、「バブル以前もバブル以後も物価は安定してきた」となるが、円高も考慮した物価上昇では、「バブル以前は物価上昇、バブル以後で物価安定」というふうに、はっきりと差が付くのだ。そして、バブル以前では正常な景気だったのに、バブル以後では不況になっている。そのことに気付かなくてはならない。「どちらも同じ」なんていう認識は完全に間違っているのだ。
 第二に、バブルへの反省がまったく欠如しているという点だ。バブル期に、日銀はどうしたか。急激な円高により、ドル表示の物価は急上昇していたにもかかわらず、円表示の物価だけを見て、「物価は安定している」と見なした。そのせいで、金融引き締めを実行せず、バブルをどんどん膨張させた。
 当時の日銀の金融政策がまったくの間違いであり、バブルの責任の大半は日銀にある、ということは、もはや、経済界の常識だ。なのに、いまだに日銀は「円表示の物価が安定することが唯一の指標」と言い張って、現在の不況を正当化している。これは、「円表示の物価が安定することが唯一の指標」と言い張って、当時のバブルを容認したのと、(話の方向が逆なだけで)まったく同じ種類の間違いである。
 日銀はかつて大失敗したのに、その反省もせず、ふたたび、同じやり方で大失敗しようとしている。前回は右側へ転んだが、今回は左側に転ぼうとしている。まったく、呆れたありさまだ。
 だから、私は、ここで予言しておく。日銀が今のように愚かである限り、いつまでたっても現状を正確に認識できない。だから、不況は解決せずにデフレスパイラルをたどるだろう。そしてまた、将来、円高の進行にともなって、ふたたびバブルが再燃するだろう。ふたたび来るバブルの膨張と破裂によって、日本経済はふたたび破壊されるだろう。その理由は一つ。他の国と違って、日本には日銀があるからだ。その日銀が、「(極度の)物価安定 こそ最重要だ」という、とてつもない無知の考えに染まっているからだ。物価上昇とは何かも理解しないままに。

 Q  日銀が無知だという理由は? 
 A  次の諸点。
    1.物価上昇における、生産性向上の効果を考慮していない。
    2.物価上昇における、円高の効果を考慮していない。
    3.不況時の、社会的な無駄を考慮していない。 ( → 付録4
    4.ついでだが、「賃金の下方硬直性」についても、理解していない。

 (11) 最後に
 最後にひとつ、日銀の忘れている重大なことを指摘しておこう。
 それは、「大恐慌」の到来である。日銀はこの可能性を全然考慮していないようだ。
 米国の1930年代の「大恐慌」は、なぜ起こったか? 日銀はそれに答えられるだろうか?
 経済学で歴史を知ればわかることだが、大恐慌は、一定の景気後退のあとで、ある出来事が引き金となって、突然的に生じた。では、その引き金とは、何か? 銀行の取り付け騒ぎである。これによって、あちこちで金の不足が生じて、まさしく急激なスパイラル状態が生じて、奈落の底に突き進んでいった。
 では、日本は? 今の日本も、その可能性がある。 ペイオフ (預金の全額保護をやめて限度額を設ける制度) が予定されているからだ。ペイオフが来るとなるとわかっていれば、不況のもとでは、不安から、預金を崩そうとする行動に走りがちだ。しかも、銀行に預けておいても利息が付かないのだから、手元に置いておいた方がずっと利口だ。となると、銀行の取り付け騒ぎはいつ起こってもおかしくないし、したがってまた、大恐慌はいつ起こってもおかしくない。
 デフレを放置するということは、そういう危険な状態に日本を置いたままにするということだ。今やアメリカの景気減速が日本に波及しようとしており、人々の不安はいっそう高まっている。取り付け騒ぎが起こる可能性はますます高まっている。そして、取り付け騒ぎは、ある日突然やってくるものであり、また、制御不可能なのだ。(日本でも石油ショックのときに「トイレットペーパー騒ぎ」があったことを思い出してほしい。在庫は十分にあったのに、単なる噂だけで、店頭から商品が一切消えた。取り付け騒ぎというものはそれと同様なのだ。今度はトイレットペーパーのかわりに、日銀の紙になるというだけの違いでしかない。)
 私ははっきり警告しておく。今の日本は大恐慌に突入する可能性がかなりある、と。そして、もしそうなったら、それは、決して偶然ではなくて、そうなって当然の状況に、あえて日銀が誘導していたからなのだ。


《 余談 》
 日銀と私の、どちらが間違っているか? 
 それはわからない。私の方が間違ってかもしれない。
 ただ、十年余り前、バブル期には:
  ・ 日銀 … 「金利はさして上げず、バブルを放置すべし」
  ・  私 … 「金利を大幅に上げて、バブルをつぶすべし」
 というふうに、正反対の主張をしていた。
 そして、かつてと同様、今回もまた、私と日銀は正反対の主張をしている。日銀は現在、自説に絶大な自信を持っているようだが、少なくとも過去においては、完全に間違えたのだ。





 Q&A  (インフレ目標について)

 朝日新聞 2001-08-24 朝刊経済面に、「インフレ目標」についての大きな記事が出た。なかなか興味深いが、よくある誤解が多いので、誤解の代表例として、ここで「Q&A」の形で解答を与えたい。

 Q インフレ目標政策は、量的緩和をする(通貨供給量を増やす)のか? 

  インフレ目標と、量的緩和とは、直接の関係はない。物価上昇を起こす手段として、量的緩和を用いるかどうか、という問題だ。
 なるほど、通常は、量的緩和による金利操作で、物価上昇率を上げることができる。しかし、ゼロ金利の状態では、量的緩和は無意味になる。( このことはクルーグマン教授が「流動性の罠」として詳しく述べている。)
 「インフレ目標政策は、量的緩和をする。だから危険だ」という批判が多く聞かれる。しかしこれは勘違いである。インフレ目標政策は、「ゼロ金利状態では、量的緩和はするべきでない」という結論になる。
 上記の批判で対象としているのは、「インフレ目標政策」というより、「ミニインフレ政策」である。勘違いしないように。 ( → 「ミニインフレ政策」)

 Q 金利操作以外で、どのような手段により、物価上昇率を上げるのか? 

  第3章(後)で述べる。(つまり、「中和政策」)

 Q 景気対策をすべて金融政策に追わせるのは、無理だ。

  もちろんだ。「金融政策だけでやれ」とは言っていない。金融政策とは関係なく、「インフレ目標政策をやるべし」、というだけの話だ。(具体的には、インフレ目標政策のほかに、「中和政策」を行なう。クルーグマン流に言えば「ヘリコプター・マネー」である。)

 Q 株式や土地の購入は? 円安への介入は? 

  それも一手段だが、非常にデメリットが大きいので、するべきではない。(第2章および第3章(後)の個別各項を参照。)
 特に問題なのは、いったんインフレを起こしたあとで、それを収束する方法がないことだ。デフレが解消しても、通貨供給量が増えたまま、さらにインフレ状態が続いて、インフレが高進する。この政策は、デフレを解決することはできるが、そのあとのインフレを解決することができない。このような「ミニインフレ政策」は、「中和政策」とは真っ向から対立するものだ。

 Q 「中和政策」は、バラマキだ。それにはコストがかかる。

  コストは1円もかからない。正確に言えば、マイナスのコストがかかる。つまり、それを実行することで、何兆円かの政府支出(赤字)が必要となるのではなく、何兆円かの政府収入(黒字)が得られる。
 簡単に言えば、当面は赤字になるが、長期的にはそれを上回る黒字が得られる。( → 「中和政策」「経済学的なマジック」)
 なお、どうして黒字が生まれるかと言えば、話は簡単だ。不況という状態は、何兆円もの金を無駄に捨てているのだが、そういう莫大な無駄をなくすからである。 ( → 「付録4」 )

 Q 当面の減税やバラマキの原資は、日銀の紙幣増刷で行なうのか? 

  イエス。赤字国債の日銀引き受けである。 ( → 「財政法」)
 ( ※ ただし、別の手もある。円建て国債を外国で発行することだ。つまり赤字国債を、日銀のかわりに、外国市場に買ってもらうことだ。 いろいろと無駄なコストがかかるので、賢い方法ではないが。)

 Q そんなことをすれば、通貨価値が低下する。

  当たり前だ。それこそがインフレ目標政策の目的だからだ。
 どうも、この質問者は、インフレ目標政策というものを根本的に理解していないようだ。「物価上昇によって通貨価値を少し下げることによって、健全な経済運営をもたらす」というのが、インフレ目標政策だ。「通貨価値の低下を少しでも下げるのがイヤだ、そのためには景気の悪化は仕方ない」というのは、日銀の考え方であり、それは結局、不況をもたらす。
( ※ 本項のような質問を出す初心者は、クルーグマン教授の「ベビーシッターモデル」を理解するといいだろう。 → 別サイトの「Baby-Sitting Economy」 ,「クルーグマン著作紹介」,「経済を子守してみると」 )

 Q 通貨価値を下げないのは非常に大事だ。

  そんなふうに考えているのは、日銀だけ。世界中のどこの国でも、年に2%〜3%程度の通貨価値下落(物価上昇)は受け入れている。そうして正常な経済運営を行なっている。

 Q 僕もやっぱり、そう思うよ。通貨価値を下げない方がいい、と。

  まさか、本気じゃないでしょうね? 
 「通貨価値を下げてはいけない」という理屈が成立するなら、「通貨価値を上げるのが大事」となる。そうですね? 通貨価値を上げれば、あなたの手持ちの金は、どんどん価値を増していく。だから、あなたはうんと得をする。そうですね? しかし、その状況は、「大幅な物価下落」であり、「大幅なデフレ」である。日本中が失業の嵐となる。
 だから、はっきり指摘しておく。「通貨価値が下がるのは駄目」という人は、結局は、不況を招いているのだ。このことは、すでに本章で、何度も詳しく述べてきた。

 Q 物価が上昇すると、所得が減るのと同じで、損する。

  これは素人考え。
 実際には、物価上昇があっても、それを上回る賃上げがある。だから損はしない。むしろ得をする。なぜなら、名目所得から物価上昇分を引いた実質所得の増加率は、不況のときは 0% 程度だが、不況でなければ 2.5% 程度あるからだ。つまり、物価上昇は、所得を減らすのではなくて、増やすのである。 ( → 「付録4」)
 問題は、初年度だ。初年度は、賃上げがなくて、物価上昇だけがある。しかし、初年度は、賃上げはなくとも、かわりに、「中和政策」がある。これによって得る金は、物価上昇分をはるかに上回る額となる。だから、初年度も、損はせず、得をする。 ( → 「中和政策」)

 Q 通貨供給量を増やすと、国民から政府・大企業へ所得移転が起こる。

  それは勘違い。
 こういう所得移転は、たしかに、インフレのときに、生じる。一方、デフレのときにも、生じるのだ。デフレのときには、デフレを解消すれば、所得は政府・大企業から、国民に移るのだ。 ( → 「付録4」)

 Q デフレのときに国民の所得が奪われるという証拠は? 

  現実を見ればすぐにわかる。この十年間、国民の所得は増えるどころか減っている。年率 2.5% の成長率だと仮定して、十年間に実質所得は 25% 〜 30% も増えていなくてはならないはずだ。しかし、そうなっていない。すべては、国民の所得が奪われてしまった結果だ。( → 「付録4」)

 Q インフレ目標よりも、構造改革で生産性の向上をめざす方が、本質的だ。

  それもまた間違い。前々項で述べたとおり、インフレ目標は、生産性の向上を国民にもたらす政策である。今はデフレなので、生産性の向上がすべて政府・企業の側に移転してしまっている。これによる国民の所得損失は、年率 2.5%にもなる。それほどにも多くの実質所得向上を失っているのだ。 ( → 「付録4」)
 一方、構造改革による生産性向上は、0.5%程度のプラスでしかない。(何もしない場合との比較。例: 2.5% → 3% )。 これでは、デフレの効果(2.5% → 0% )の中に、埋没してしまう。

 Q 「インフレ目標」政策の根本は? クルーグマン教授の理論の核心は? 

  「物価上昇なしでの経済成長」というものが理論的にありえないことを証明した点。こういうふうに「ありえないもの」を望んだ妄想の結果、日銀はひたすら「物価上昇なし」にこだわり、結果的に「経済成長なし」の不況をもたらした。

 Q たとえそうだとしても、成長のために物価上昇を許容するのはイヤだ。

  高度成長期を見るがいい。年率5%以上の物価上昇があった。それでも平均して年率7%程度の成長があった。だから、こういう状態では、人々は不満は抱かなかった。物価上昇があるのを「なんだか、やだなあ」とは感じていたが、それを上回る実質所得向上があったので、人々は幸福感を味わった。この時代、ラジオしか持てなかった貧しい国民は、白黒テレビやカラーテレビを持てるようになり、自家用車を持てるようになり、まともな住居に住めるようになった。しかし、もし当時の日銀が、「物価上昇は駄目」と引き締め策を実行していたら、どうなったか。高度成長はつぶれ、日本はずっと二流の貧乏国家のままだっただろう。今の日本が先進国としていられるのは、当時の日銀が物価上昇を許容して、日本を成長させていたからだ。もし当時の日銀が、今の日銀のような態度でいたら、今ごろ、われわれは、韓国以下の生活しかできていない。そして現在は、どうか。日本の経済は停滞して、十年間に 25% 以上にもなる実質賃金上昇を失った。今や、日銀のおかげで、日本は韓国や台湾のレベルに近づきつつある。

 Q 物価上昇率を 2%〜3% でコントロールするというのは、非常に難しい。針の穴を狙うようなものだ。

  いったいどういう根拠でそんなことを言うのか? 理由を示してほしい。理由もなくヤマカンだけで主張しないでほしい。

 Q なぜなら歴史的に、インフレが暴走した例が非常に多いからだ。

  あまりにも粗雑な理論だ。そこでいうインフレとは、2%〜3%の物価上昇率という「平常状態」ではなくて、「真のインフレ」状態のことである。物価上昇率が 10% を越えたり、通貨供給量が膨大になったりすると、インフレは暴走する危険がある。たしかにそうだ。しかしそれは、「真のインフレ」状態の場合だ。インフレ目標政策がめざすものは、「真のインフレ」ではなくて、2%〜3%の物価上昇率という「平常状態」なのだ。
 どうも、こういう心配をする人は、事実をつかめていないようだ。「インフレ」というのは、どれもこれも同じような状態なのではない。2%〜3%の物価上昇は、インフレでもデフレでもない中立状態である。それより大きな物価上昇は、真のインフレである。この2種類の物価上昇状態は、名前は同じ「インフレ」でも、実態はまったく異なる。── そういう点に気づいていないようだ。

 ( ※ ついでに言えば、インフレ暴走の危険は、現在の方がはるかに高い。 今は不況状態で、「ゼロ金利状態のまま 通貨供給量を増やす」という方針を取っている。こういう状況は、インフレ暴走を招きがちなのだ。 cf. → 「ミニインフレ政策」)

 Q 2%〜3%の物価上昇率というのも、コントロールが難しいはずだ。

  ヤマカンで言わないでほしい。現実を見るがいい。世界各国は、物価上昇率を 2%〜3% でコントロールするということを実現している。世界各国ができることが、どうしても日銀にできないというのなら、日銀は解体して、アメリカかヨーロッパの中央銀行に業務委託すればよい。そうすれば確実に、コントロールができる。(できないのは日銀だけ。)
 そもそも、現在、物価上昇率が0%程度のまま、コントロール不能の状態になっている。デフレで経済が沈没する危機さえある。こんな「コントロール不能」な危険な状況に比べれば、 2%〜3% でコントロールするというのは、はるかに易しい。 ( → 「対策−落ち込んだ場合」)

 なお、それでも心配な人に、決定的な証拠を与えておく。
 かつて、石油危機(オイルショック)のときに、日本には狂乱物価といわれる超インフレ状態が生じた。年率で30%を越えるウルトラ級のインフレである。では、これは制御できなかったか? いや。内閣が田中内閣から替わって、財政と金融を「引き締め」に転じた。それだけで、インフレは、たちまちにして収束した。
 インフレというものは、国家破壊というような特別な事情がない限り、どんなにひどくても、制御可能なのだ。まして、2%〜3% の物価上昇という平常状態を制御することなど、ごく簡単である。 (一方、デフレは、制御不能になりがちだ。 → 流動性の罠

 Q 本当にインフレをコントロールできるのか? 7% とか10% とかでも、ピンポイントでコントロールできるのか?

  できない。何か勘違いをしているのではないか? インフレをピンポイントでコントロールすることができるなんて、誰もそんなことを主張してはいない。
 コントロールできるのは、
  「デフレ/普通/インフレ」
 という三者択一である。つまり、デフレ方向のアクセルと、インフレ方向のアクセルがあって、その ON・OFF を切り替えるだけだ。どのくらいの程度か、ということまではコントロールできない。 (通常は、アクセルを踏みすぎるか、踏み足りないかで、細かな制御までは無理。)
 では、なぜ 2%〜3% でうまくコントロールすることができるか、と言えば、この状態が「デフレでもインフレでもない普通の状態」だからだ。── この点は、これまで何度も説明してきた。なのに質問者はいまだによく理解できていないようだ。ちゃんと本文を熟読してほしい。
 たとえて言おう。自動車では、アクセルの踏み方で、時速 170 キロとか、171 キロとか、大きな速度では1キロ単位の微妙な制御はできない。しかし、時速 2キロとか、3キロとか、小さな速度では1キロ単位の微妙な制御ができる。停止状態に近ければ、制御は十分可能なのだ。
 なお、ついでに言えば、0% の状態も、(普通の状態をはずれた)デフレだから、うまくコントロールできない。どうも、質問者は、インフレ暴走の心配ばかりしていて、デフレ暴走の心配ができないようだ。あまりにもアンバランスである。
 繰り返して言うが、2%〜3% のときは、(インフレでもデフレでもない)普通の状態なので、経済をコントロールできる。 0% のときは、デフレ状態なので、経済をコントロールできない。このことをちゃんと理解しておくことが必要だ。

 Q 2%〜3% でコントロールすることができると言うが、絶対にできる保証があるのか?

  何事も「絶対」という保証などはない。当たり前だ。とにかく、よほどの事情でない限り、金利操作によってコントロールが可能だ。
 とはいえ、よほどの事情があれば別だ。たとえば、中東戦争で石油禁輸でもされれば、たちまちインフレになるだろう。ただし、それは、そのときの物価上昇率が 2%〜3% であったからではない。たとえそのときの物価上昇率が 0% やマイナスとなったデフレ状態であろうと、中東戦争で石油禁輸をされれば、必ずひどいインフレになる。
 「2%〜3% でコントロールできるか」と問う人は、どうも、揚げ足取りを狙っているとしか思えない。今の日本は、そんな心配をしている余裕はないのだ。アメリカ経済が減速しており、世界同時不況が発生する寸前にあるのだ。日本産のデフレが世界を破滅させる寸前にあるのだ。さらには日本が大恐慌に陥る可能性さえあるのだ。どうも、そういう危機感に欠けているようだ。 ( cf. → 「大恐慌」)
 とにかく、「インフレが大きくなってからインフレを制御すること」は困難だが、「真のインフレになっていないとき(物価上昇率が 2%〜3% のとき)」は、物価上昇率のコントロールは可能なのだ。そのことは世界各国が証明している。


 【 余談 】
 いろいろと説明してきたが、最後に比喩を。
 たとえて言えば、今の日本は、「火事のときに2階から飛び降りるのをためらっている小心者」である。「飛び降りても大丈夫か? 理論的に安全だとしていても、絶対に安全だという保証はあるのか? ヨーロッパでは安全だったとしても、日本でも安全だと言えるのか?」 そうやってためらっているうちに、背後から迫った火炎に呑み込まれて、焼け死んでしまう。前にある危険ばかりが気にかかって、後ろにある危険には気づかないのだ。

 もうひとつ言おう。悪魔は、うまい言葉をささやいて、人をたぶらかす。「不老長寿の妙薬がありますよ」とか、「永遠の生命を差し上げますよ」とか。それと同じだ。「物価上昇はゼロで、経済成長ができますよ」と悪魔はささやく。そういう甘いささやきにたぶらかされて、日銀は今の政策を運営している。そのようなものは現実にはありえないのだ、ということに気づかない。その結果が、今の破滅的な日本経済だ。しかも哀れなことに、自分が破滅しかけていることに気づかない。幻ばかり見て、現実を忘れ、身を破滅させた、麻薬中毒者のようなものだ。
 「物価安定こそ大事ですよ」
 という悪魔の声を聞いて、日銀はかつて、巨大なバブルをもたらした。 ( → 「第二に」 ) そして今また、同じ声を聞いて、巨大な逆バブルをもたらそうとしている。悪魔は、日本を一度破壊し、さらに二度目の破壊を行なおうとしている。
 日本はいつ、悪魔の夢から覚めるのだろうか? 


    《 cf.  「インフレ目標」簡単解説 のページ 》





 ※ 《 余談 》 賃下げの必要性 

 最後に、「賃下げの必要性」について、余談ふうに説明しておこう。
 「生産性の劣った企業は、(実質的に)賃下げすべし。そうすれば倒産から免れる」
 と先に述べた。しかし、こういうふうに「賃下げすべし」と述べると、「けしからん」と怒る人が現れそうだ。次のように。
 「労働者には何の責任もないぞ。なのに責任を労働者に負わせて賃下げするなんて、けしからん。ぷんぷん」
 そこで、誤解を招くといけないので、このことを説明しておく。
 第一に、この「賃下げ」は、労働者の賃金を搾取するための賃下げではない。会社の倒産を避けるための賃下げである。だから、それを受け入れたくなければ、受け入れなくてもよい。単に会社が倒産するだけの話だ。選択肢は「賃下げして会社存続か、賃下げしないで倒産か」という二つしかない。ここで、「賃下げよりも倒産がいい」という人は、倒産と失業の道を選択すればよい。「賃金の 97.5%をもらうよりは、失業して賃金の0%をもらう方がいい」と思うなら、それを実行すればよい。「そうしてはいけない」などと禁じたりはしない。
 第二に、この「賃下げ」は、当面の一時的な回避策である。永続することを意味しない。「他社に出し抜かれて、レースで1周遅れてしまった」というような企業は、当面、歯を食いしばって、賃下げに耐えながら、必死に努力する。そうして頑張ったすえに、生産性の向上が実現できれば、やがて、他の企業に追いつくこともできる。(たとえば、日産自動車だ。他の企業に遅れた場合は、当面、賃下げを我慢する。そのあと、企業体質を改善したら、他の企業並みの賃金を受け取る。)── もし、こうするのを嫌がって、「他の企業並みに賃金を出せ」と最初から言い張れば、倒産してしまうかもしれない。たとえ倒産しなくても、会社再建の力をそがれて、将来の賃下げを招くことになる。
 第三に、「賃下げ」がいつまでも長く続くような、どうしようもない劣悪な企業の場合があるが、この場合は、労働者が自主的に退職して転職できる。たとえば、もはや時代遅れになった産業というものはある。(風呂屋など。)そういう産業では、当面、賃下げで対処することになる。ただ、いつまでたっても賃下げが続くとなると、労働者が我慢しきれなくなって、自分から退職していく。こうして、その時代遅れな産業は自然消滅していく。
 こういうふうに自然消滅する場合、通常、会社は倒産ではなく、会社整理されるだけである。資本金を食いつぶす前に、社員には退職金を払える。残った資産は、株主で分配できる。かくて、誰も赤字をかぶることなく、なだらかな変化だけが起こる。
 一方、会社が突然消滅する場合がある。つまり、なだらかな変化ではなく、突然的な変化が生じる場合がある。たとえば、中立目標政策が採られていない場合だ。ここでは「賃下げ」が不可能なため、当面は賃下げしないまま頑張る。無理をして頑張るので、無理をして起きている病人と同様、無理がたたって、ある日突然、死んでしまう。直前までは普通に動いていた会社が、ある日突然倒産して消滅する。こうなると、もはや、社員には退職金を払えないし、株主にとっては株券が紙屑となるし、取引業者や銀行は債権を失う。特に、銀行は、貸した金を回収し損ねるので、その分、損失が発生するが、その分のツケは、結局、預金者に回されるので、預金者全体が(つまり国民全体が)倒産のツケ払いを迫られる。
 …… 結局、「賃下げせざるをえない状況なのに、無理に賃下げしないでいる」という無理な道を取ると、あらゆる面で大損害が出るのである。「虎は死して皮を残す」というが、「赤字企業は死して赤字をまきちらす」のだ。まわりの生き残った人たちが大迷惑だ。
 だから、「賃下げせざるをえない状況では、賃下げする」のがベストなのだ。当の企業にとっても、従業員にとっても、株主にとっても、取引先にとっても、国民全体にとっても。
 これを一言でいえば、次の通り。
 「無理とヤセ我慢は、やめましょうね。命に毒だから。」

 ※ [ 付記 ]
 話をおもしろおかしく喩えると……
 「会社が赤字でも、賃金を今までどおり寄越せ。おれたちの責任じゃないぞ」
 と労働者が言い張るのは、いわば、ドラ息子が、
 「親父が給与削減されても、小遣いを今までどおり寄越せ。おれの責任じゃないぞ」
 と言い張るのと同様である。わがままな労働者は、会社を倒産させて、自ら路頭に迷う。わがままなドラ息子は、親父を首吊りさせて、自ら路頭に迷う。何とよく似ていることか。

 ただし、誤解されるといけないので、念のために述べておくと。……
 私は別に、血も涙もない男ではない。労働者をいじめてやりたいわけではない。逆だ。労働者が間違った道をたどって失業するのを、防いであげたいのだ。
 ついでに言えば、日本に対する態度も同様である。政府の悪口を言っているのは、政府をいじめてやりたいからではない。




 ※ 後半では、景気回復の具体策を述べます。なお、ごく簡単に内容を示すと:
  • 最も効果的な施策は「ヘリコプターから金をばらまくこと」つまり、「バラマキ」である。換言すれば、国民一人ずつに、均等割りで、現金を贈与すること。
  • 後日、その分は、増税で回収する。かくて、無駄な金は1円も生じない。
  • 増税で回収する分は、先に贈与した分よりも少なくする。つまり、「マイナスの利率」とする。
  • 「マイナスの利率」を実現するための原資は、経済学的なマジックを使う。(みんなが貯金をすれば、一国全体の貯金は減る、という手を逆用する。)
 なお、その最後には、「付録」が付け加えてあります。そこでは、「 2.5% 」という数字について、なぜこの数値なのか、もう少し詳しい説明をします。


[第3章(前)、終] 

※ 次は、《 第3章(後)


「小泉の波立ち」
   表紙ページへ戻る   

(C) Hisashi Nando. All rights reserved.