序章


 巻頭言

 小泉が世間を席巻している。大きな波立ちを起こすように。
 ここでは、「改革」という言葉がキーワードだが、これはほとんど「革命」と言えるほどの熱狂を帯びている。また、小泉自身、「新世紀維新」と言っている。なんだか宣伝文句やキャッチフレーズの感じもするが、少なくとも本人がその気概でいることは間違いない。
 ただ、世間ではどうか? かなり熱気を帯びているが、熱気の方向がずれているようにも思える。一種のスターかアイドルでも登場したかのような気分である。マスコミの方は、それに辟易しているせいか、この熱気を冷まそうとするような言葉がしきりに出てくる。
 しかし、私は、現実をもっと正しく認識するべきだ、と思う。熱気に浮かれるべきではないが、かといって熱気を冷まそうとするべきでもない。問題は別のところにある。現実はまさしく「革命」「維新」に匹敵する、ということだ。このような歴史感覚をもつことが大事だ、と思う。つまり、今まさしく、われわれは歴史的な大変革の最中にあるのだ、と。
 どんな歴史であれ、歴史の最中には、その事件の意味を理解しがたい。何年かたって、または、何十年かたって、そのことの意味がわかる。しかし、わかったときには、もはや遅すぎるのだ。真実を知ったとき、たいていは、後悔を味わう。近い過去で言えば、「バブル景気」がそうだ。このとき、日本中が浮かれていた。「日本的経営の強さ」「生産性技術の革新」などと自惚れて、さんざん、宴を楽しんでいた。ブランドものが飛ぶように売れ、グルメブームとなり、誰もが楽しんでいた。しかし、宴の後、バブルが破裂してみれば、あとは無残なありさまである。そのあと十年以上に渡って、ツケ払いをするハメとなった。「あのとき、あんなに浮かれなければよかった」「あのとき、適切な経済運営をしていればよかった」などと反省する。しかし、あとで反省しても、もう手遅れなのだ。われわれが参加できるのは、「今現在」という時点に対してのみであり、過去に対して参加することはできないのだ。
 だからこそ、今というこの時点で、現在に対する正確な認識をしておくべきだ、と私は思う。
 今は小泉ブームである。しかし、このブームは、やがて終わる。それはそうだ。しかし、だからといって、「ほれ見たことか」と冷笑しても仕方ない。そんな冷笑的な態度は、引退した年寄りのやることだ。われわれは現実の社会に参加している。今このとき、何かをすることができる。「ふん、小泉なんて」と冷笑して、ほったらかして、自民党の保守派が復活するのを見守っていることもできる。あるいは、何らかの手助けをして、小泉の改革を助けることもできる。
 私がこう言うと、
 「ふん、たかが市民が何ができる」
 と冷笑する人もいるだろう。しかし、市民のできることは大きい。その一例が、菅直人だ。菅直人という人物がどう登場したか、ご存じだろうか? 彼は、かつて民主党の党首だったし、今でも民主党の準党首だ。しかし彼は、小泉のように地盤があって、そこから登場したわけではない。小泉は3代目の政治一家から生まれたが、菅直人は一市民の出身だ。彼はどうやって政治家となったか? 市民の力によって、だ。彼はもともと、政党には属しておらず、金も力も地盤ももたなかった。しかし、当時、大学生などを中心として、菅直人を支持する市民運動が起こった。「菅直人ならば政治を改革できる」と信じて、大学生たちが行動を起こしたのだ。当時、私は、それを見守っているだけだった。「学生の運動などで、何ができる」となかば冷笑していた。しかし、当時、小さな芽にすぎなかった菅直人は、そのあと、長い時間を経て、民主党を背負って立つまでに育った。(私はおのれの不明を恥じねばならない。)
 市民の力はゼロではないのだ。最近でも、勝手連が生じて、田中康夫を知事にした例があった。市民の力は存外に大きいのだ。
 ここで、私もまた、何らかの行動を起こすことにした。手足は動かさなくとも、頭を動かすことはできる。街頭で叫ぶことはできなくとも、インターネット上で叫ぶことはできる。 
 今や、世間は、小泉に浮かれている。しかし、浮かれているとき、人は、真実の姿を見失いやすい。バブルのとき、浮かれていて、真実を見失っていたように。
 だからこそ、私は、ここで、人々が見逃していることを記そうと思う。


 現状

 現状はどうだろうか? 
 小泉はたしかに、矢継ぎ早に、改革の方針を次々と打ち出している。しかし、世間がそれに追いつかないのだ。今の日本に見て取れるのは、「抵抗勢力」と「応援団」だけだ。妨害する勢力と、ミーハー的な勢力だけだ。
 本来ならば、「対抗勢力」となるものが必要だ。そして、それは、野党が担うべきだ。しかし今の野党は、その役割を果たしていないのだ。今の野党は、小泉のあとを追うだけで精一杯で、国会で小泉を叱咤するとか、褒めるとか、悪口を言うとか、そのくらいが関の山だ。自ら対抗案を出す、ということが、ほとんどできない。(→ 後述 ※ )

 では、野党のほかに、マスコミはどうか?
 マスコミもまた、頼りにならない。せいぜい、小泉のあとを追って、面白半分に、読者受けのする記事を報道するばかりだ。肝心の政策を突き止めようとはしない。肝心の政策については、小泉の広告係にしかなっていない。そして、政策について報道するかわりに、支持率がどうのこうのと、雰囲気のようなことばかり報道している。いったい、何のためにテレビや新聞があると思っているのだろう。今のマスコミ報道は、ただのワイドショーになりさがったとさえ言える。(→ 後述 ※ )

 というわけで、野党もマスコミも、自分のなすべきことをやっていない。つまり、小泉の先進性に、誰も追いつかないのである。せいぜい、追いすがって、ぶら下がるだけなのだ。
 どうせなら、批判するにしても、「ここがよくない」と具体的に政策の問題点を指摘するべきなのだ。「小泉の政策のこの箇所はこれこれの問題点がある。だから、かくかくのようにすればよい。それが対案だ」と示すべきなのだ。
 しかし、そうはしないで、まるで本質をはずれたところで、勝手に自己流のことを言い立てているだけなのだ。
 こうした状況は、好ましいものではない。以前は、「腐った与党と無能な野党」という対立があった。これは、それなりに、意味があった。(ごく低次元の意味が。)しかるに、総理ばかりが突っ走り、誰もそれに追いつかない、という状況は、どうも好ましいものではない。野党もマスコミも実質的に存在しない(役目を果たさない)となると、誰かがかわって、それをなすべきだ、となる。
 そこで、このホームページは、そうした役割を果たそうとする。
 以下で述べることは、単なる小泉批判ではない。小泉の意味をとらえ、その価値を分析してから、良いところはさらに伸ばそうとし、悪いところは正そうとする。つまり、政治評論として、当たり前のことをしようとする。
 結局、このホームページの目的は、ごく平凡なことである。しかし今や、日本にはこの平凡なことをする人がいない。突っ走る小泉に対して、支持するか邪魔するかのどちらかで、平凡なことをする人がいない。だから、私は、その平凡なことをしようと思う。


 私の立場

「偉そうなことを言うが、おまえはどんな立場なのだ」
 と質問する人が出てくるだろう。そこで、私としては、立場を明らかにしておこう。
 まず、私は偉いかどうかといえば、全然偉くない。小泉は日本で一番偉い。(少なくとも権力の点では。)一方、私は、在野の一市民であり、一番偉くない。
 次に、立場だが、私の立場は、右でも左でもない。むしろ、右とか左とか決めつけるような、硬直的な思考法とは、逆のところにある。
 世間ではよく、
   「あいつは右だからけしからん(保守反動め)」
   「あいつは左だからけしからん(共産主義者め)」
 とか難詰が言われる。そういうふうに「右だ」とか「左だ」とかいうふうにレッテルを貼るわけだ。しかし、こういうふうに「レッテルを貼って決めつける」というる態度は、一種の思考停止になる。
 私はもっと自由に考えたい。右とか左とかいうことにとらわれず、自由に思考をめぐらしたい。自由な立場でいたい。
 これは別に、「右」とか「左」とか、決めつけられることを恐れているわけではない。むしろ、私の立場は、右からは「左だ」と非難され、左からは「右だ」と非難されるだろう。そういうふうに、すべての立場から非難されるわけで、まったくもって割に合わない。
 が、しかし、そういうリスクを負った上で、私としては、自分の判断を、自由に保っておきたい。それが私の立場だ。
 換言すれば、これは、「一匹狼」の立場だ。そして、こういう立場は、小泉に似ていなくもない。実際、私もよく、「変人」と呼ばれたものだ。
(ま、小泉と私とでは、人物の格は、雲泥の差だが。) 


 小泉の基本方針

 私としては、小泉を、どう評価するか? 
 まず、全体的な感想を言えば、基本的には、とてもよいと思う。改革自体の方針がいいのではない。(改革の必要性ぐらいは、誰もが言っている。)小泉の良さは、改革に際して、見事に核心を突いている点だ。
 私はかねがね、日本には3つの巨大な癌があり、これを処置するのが是非必要だと思っていた。そのうち2つは、次の点だ。(残る1つは、後述。)

 この二つは、途方もない巨額の金を無駄につぶしていた。何よりもこれを改善するのが大事だと思っていた。しかし、それは、実現が困難だと思えた。なぜなら、「公共事業」は自民党の利権であり、「特殊法人」は官僚の利権であるからだ。
 しかし、小泉は、この二つを最重視して、最初に手を付けた。この点、実に素晴らしいと思う。慧眼だとも言える。私としては、非常に高く評価したい。
 今となっては、「そんなの当たり前だよ」と思う人が多いようだ。しかし、コロンブスの卵である。人が言ったあとで、「そんなの知っているよ」というくらいは、誰でもできる。
 実際には、過去において、どうだったか? 
 歴代の自民党政権は、この二点には目を付けなかった。(自らの利権なのだから、改革したがらないのが当然だ。)
 野党もまた、この二点には目を付けなかった。野党がやっていたことは何かといえば、参院選での勝利が目的で、政府の揚げ足取りをすることに熱中しているばかりだった。「森総理をつぶせ」「次の参院選でここを叩こう」なんてことばかり言っていた。これはつまり、野党もまた、自らの利権(政権奪取)のことしか考えていなかった、ということだ。国のことなど、まるきり考えていなかったのである。(ま、少しは考えていたのだろうが、最優先の課題とはしなかった。それよりも党派的な抗争を最優先としていた。)
 要するに、与党も、野党も、(ついでに言えばマスコミも)、みんな自分の利益しか考えていなかった。誰も国の悲惨な状態には目をくれなかった。私はまったく絶望していた。日本が落日の道を進むのを、傍観しているしかなかった。
 ところが、である。そこへ、小泉が登場したのだ。そして、この二点を最優先の課題として、取り上げたのである。これは実に卓見だと思う。すばらしい見識の持主だと評価したい。
 一般的な政治家は、政治を自分のオモチャにしたがる。右か左か、どちらかの趣味をもって、その趣味で遊ぼうとする。右派は「集団的自衛権」「憲法改正」などで遊びたがるし、左派は「護憲、9条死守、戦争反対」などと言い張って遊びたがる。今の日本がどんな悲惨な状況にあるかなど、まるで考慮しない。不況とデフレと首切りで、世の中には自殺者が大量に出ているというのに、勝手に軍事談義ごっこで、遊んでいるだけだ。言ってみれば、船が沈没しかけているというときに、救助の手立てを考えず、将棋の勝ち負けを楽しんでいるようなものだ。 
 小泉は、違う。彼は、今という日本の状況にあって、何が最優先の課題であるかを、はっきりととらえている。一国の総理としては、最適の人物である。船にしても、船長が正しい航路を選べることが肝心だ。嵐のなかで、間違った判断をして、間違った方向を取れば、船は転覆する。その点、小泉は最高の船長と言える。
 しかし、小泉にも、弱点はある。
 どんな弱点か? 船の方向を示すことはできても、実際に船を操舵する船員がいささか能力不足だ、という点だ。船長は「この方向へ進め」と正しく命令するが、船員が帆や舵の操作法を知らない。あげく、船は迷走し、船の乗客は嵐のなかで海に放り出される。
 小泉は自らの弱点に気づくべきだ。彼は正しいことをしようとしているが、しかし、正しいことをしようとしているからといって、正しいことができるとは限らない。そうするには、専門的な知識が必要だ。その専門的知識を、小泉は持っていないし、また、部下ももっていない。そういう弱点をはっきりと知らねばならない。
 「無知の知」──ソクラテスはこう言った。小泉もまた、自らの政権の無知に気づくことが必要となる。逆に言えば、「自分は正しいことを言っている利口者だ」と自惚れれば、日本は沈没への道をたどることとなる。
 真の賢者は、自己の「知」と「無知」とを、よくわきまえているものだ。
 ( ※ どんな点があるかは、具体的には、あとの各論で、詳述する。)


 改革の速度

 小泉の改革速度は非常に速い。
「まだ何もやっていない」
 と批判する人もいるが、こういう人は、政治音痴である。
 まず基本方針を立てること。これが肝心である。いきなり突っ走るのではなく、最初は基本方針を立てることに専念する。基本方針を立てないで、何かをやり出すのは、危険かつ無謀である。
 比喩的に言えば、軍事行動でもそうだ。あらかじめ綿密な戦略を練ってから、しかるのち、実行に移す。ろくに考えもせずに、やたらと猪突猛進すれば、惨めな大敗を喫する。
 人間で喩えれば、「歩く前に考える」べきだ。「歩きながら考える」とか、「考えてから歩く」なんていうのはよくない。そんな無思慮な人間には、一国の運命を任せてはならない。
 ただ、日本のこれまでの政治家は、「考えるだけ」で終わってしまっていた。「橋本行革」というのも、「大改革」の方針を立てると主張しながら、さんざん大騒ぎしたあげく、省庁の看板の付け替えぐらいで終わっている。「大蔵省」が「財務省」になったとか、その程度の話だ。
 ただ、橋本行革は、実行しただけ、まだマシだった。それ以前の内閣では、方針(審議会答申)を出したころには、内閣の寿命は尽きていた。その例は、枚挙にいとまがない。これは当然であって、なぜかといえば、審議会の答申には1〜2年程度かかるのが普通だし、内閣(首相)の寿命も1〜2年程度が普通であるからだ。だから、審議会答申が出たころには、内閣の寿命は尽きていた。
 ところが、小泉は、違う。審議会に、2年どころか、3カ月程度で、かなり大規模な答申を出させた。そして、閣議決議した。
 この速度は、たいしたものだ。私の予想を大幅に上回っている。私の予想では、さすがの小泉といえども、もっと小規模で、もっと遅れると思っていた。しかるに、予想を大幅に上回る規模と速度だ。

 ともあれ、小泉の改革の速度は速い。この速度には、素直にシャッポを脱ごう。改革の第一歩としては、ほとんど理想的だ。
 この速度は、なぜか?
 それは、小泉にリーダーシップがあるからだ。こうせよという「基本的な方針」を示した。(経済改革・特殊法人改革)。その小泉の基本方針に従って、経済財政諮問会議の答申が出たり、石原の特殊法人改革の方針が出たりした。つまり、細部は、部下が煮詰めた。しかし、それも、小泉の指示があってのことだ。
 このように、「基本的方針を示して、細部は部下や組織にやらせる」というのは、リーダーとしては理想的なあり方である。この点でも、小泉は立派である。


 改革の善悪

 小泉はたしかに、大した人物である。しかし、細かなところまで、何もかも万全であるわけではない。目が届かないところも多い。そしてまた、部下もあまり優秀な人がそろっているわけでもない。(真紀子は「稚拙」だし、石原は経験が浅いし、竹中は肝心の経済学的知識が弱い。他は、目立つほどの能力はない。唯一、優秀なのは、「塩爺」のおとぼけぶりだ。これだけは、たいした役者である。)
 小泉は改革を断行しようとする。「何としても構造改革」「聖域なき改革」などと声高に主張する。
 しかし、「改革がすべて善だ」とは限らないのだ。なぜか? 現状を改革すれば、現状の問題点は解決するだろうが、しかし、それによって、新たな問題点が生じるかもしれないからだ。そのことをわきまえるべきだ。
 比喩的に言おう。ガソリン車は排ガスを出す。そこで、「ガソリン車は禁止する」という改革を実行したとする。すると、たしかにガソリン車の排ガスはなくなる。しかし、そのかわり、ガソリン車がすべてディーゼル車になったとすれば、排ガスはかえって増えるのだ。
 つまり、むやみやたらと改革すればよいわけではない。改革後の状況が改革前に比べて、総合的にマシになるかどうかは、あらかじめ十分に考えなくてはならない。単に「旧来の問題点をなくそう」とするだけでは、ダメなのだ。
 「そんなことはわかりきっている」
 と人は言うだろう。しかし、実際には、わかっていないのだ。今回の改革に際して、あちこちの改革案を見ればわかるが、どれもこれも、「こうすれば現在の問題は解決します」と言っているだけだ。それによって将来新たに起こりうる問題点を、十分に考慮していないことが多いのだ。
 また、「考慮しています」と当事者が主張することもある。しかし、実際には、その予測力があまりにも自分勝手で間違いだらけだった、ということが多い。簡単な例では、公共事業の予測だ。たいてい、予測が甘すぎて、実際には、予測をはるかに上回る赤字を出してきた。また、バブル期の政策でも、そうしたことがあった。「所得税減税で、景気拡大の持続」という方針を打ち出して、景気を拡大させた。その結果は、たしかに景気拡大は持続したが、それはバブルの拡大を意味して、かえって日本に深い傷を負わせることとなった。当時、バブルがふくらんでいたのだから、「所得税減税」ではなく、その逆をするべきであったのに、与党も野党も、こぞって「うちのほうが減税幅は大きいぞ」などと言い立てていた。そうして人々を幸福にしようとして、人々を不幸にさせた。つまり、彼らの予測能力とは、その程度のものでしかないのだ。
 とにかく、改革は、それ自体が善なのではない。単なる改革は、善をもたらすこともあるが、害をもたらすこともある。そのことを十分にわきまえておくべきだ。そして、将来生じるかもしれない害については、あらかじめ十分に考察しておくべきだ。
 そういうこともしないで、単に「改革万歳」などと浮かれていれば、あとで手痛いしっぺ返しを食うことになる。


 小泉失脚

 小泉の改革の方針について、細かく述べるのは、このあと、本論の各章(つまり、第1章以降)で行なう。
 ただ、本論に入る前に、序章の最後で、ひとつ言及しておくことがある。それは、小泉が失脚する可能性だ。
 今は、支持率が高いとか何とか言って、みんな浮かれている。せいぜい「支持率はそのうち下がるさ」と言うだけだ。しかし、考えが甘い。小泉はある日突然、退場する可能性がある。
 その例が、細川政権だ。
 細川政権の出来たとき、「戦後体制の崩壊」などと、あたかも歴史が大転換したように言われた。支持率も、今回の小泉とほぼ似たようなものだった。(総理のキャラクターも、小泉とかなりダブっていた。)このまま、もう二度と自民党政治が復活することはあるまい、と思われた。
 それが、ある日突然、瓦解したのである。本人が政権を放り出し、その1ヶ月ほどあとには、連立政権が崩壊して、自民党がまた与党になった。(自社連立。そのあと自民党単独政権が復活。)
 こういう可能性があるのだ。小泉政権が突如崩壊したとしても、少しも不思議ではない。
 ゴルバチョフの例もある。彼もまた、突如、失脚した。
 要するに、改革派の政権というものは、突如、崩壊するものなのだ。今日はうまく機能しているとしても、明日には消えてしまうかもしれない。そういう可能性を常に考えておくべきだ。

 なぜ改革派の政権は崩壊しやすいか? 
 それは歴史的な事実であるが、理由もあるはずだ。理由としては、保守派の抵抗が考えられる。保守派(守旧派)は、自らの利権と存在基盤に関わるので、改革派に対しては、頑強に抵抗する。一人だけではなく、非常に広範囲で抵抗を築き上げる。築いても、勝つことは少ないが、対抗しあって、せめぎ合いは生じる。そのせめぎ合いが、あるとき、たまたま力の具合のずれなどにより、改革派の一部にほころびが生じる。それがたちまち、蟻の一穴のように、改革派の全体を崩壊させるのだ。
 では、小泉政権が崩壊するとしたら、どのような形で崩壊するだろうか? その可能性を、考えてみると、次の三つが思い浮かぶ。

 この三つについて、詳しく考えてみよう。

 小泉自己崩壊

 細川政権の崩壊を見ると、これは、自己崩壊であった、と言えそうだ。
 なるほど、たしかに、外的理由らしき点は、なくもない。たとえば、
 「国民福祉税構想を急に打ち出した」
 「佐川急便のスキャンダルがあった」
 「自民党が予算を人質にとって抵抗した」
 「側近が一時的引退を強く進言した」
 などと。こういうふうに、いろいろとある。しかし、結局は、本人が「面倒くさくなったから」である。
 まず、一つは、本人があまり権力欲がなくて、淡泊な性格だった、ということもある。「いつやめてもいい」という気概で総理になったらしいが、こういう淡泊な性格は、「とことん戦う」という戦略家を相手にしては、必ず負ける。加藤が野中に負けたのも、性格の弱さのせいだ。(この点、小泉は野中に似ているが。)
 ただ、それよりむしろ、根本的な理由があると思う。当時、細川は、見た目にも、いかにも疲れ果ててやつれていた。どうやら睡眠時間が、極端に少なかったらしい。それが原因だった、と私は思う。簡単に言えば、一時的な鬱病的症状である。
 そもそも、睡眠時間を削るというのでは、司令官として失格である。歩兵なら、睡眠時間を削るべきだが、司令官なら、十分に眠って冴えた頭で判断を下さなくてはならない。細川はそれとは正反対のことをしたのだ。一生懸命努力して、睡眠時間を削って働いて、そのあげく、間違った判断を下し、日本全体を没落させたわけだ。(もし彼に当時、まともな判断力があったなら、ただちに衆院を解散していただろう。そして自民党を壊滅させていたはずだ。本来なら、小泉のやったことは、まったく不要だったのだ。細川が何年も前に自民党をつぶせたからだ。)

 では、小泉は、どうか?
 性格の強さという点では、細川とは似ていない。野中に似ている。(加藤に対して徹底的に戦い、森を支持した態度は、政治家の性格として、大したものだ。やりたくないことでも、やるべきだとなったら、とことんやる。そういう資質が、政治家には必要だ。「自分の好きなことだけやりたがる」という甘ちゃんの鳩山とは、雲泥の差だ。)
 次に、睡眠時間の点では、これも問題はあるまい。細川は、重圧につぶされ、自己管理が出来なかった。これは要するに、精神力の差だ。自分に対して不安な人間ほど、重圧から逃れようとして、やたらと働き中毒になる。自分というものに自信があれば、働き中毒になることはない。
 小泉は、今は相撲観戦をしたり、オペラ鑑賞会に出たりしているようだ。これなら、一安心だ。しかし、やがて、抵抗勢力の圧力が高まったとき、にっちもさっちも行かない事態になったりして、不安に駆られるかもしれない。そうなると、たちまち、仕事中毒になって、睡眠時間が削られるだろう。そうなったら、判断を誤って、自己崩壊する日は、遠くない。

 謀反(クーデター)

 小泉政権が崩壊する、もう一つの可能性は、謀反だ。信長は明智光秀に謀反を起こされた。また、ゴルバチョフはクーデターを起こされた。いずれも、改革派のリーダーが、その改革派の気質ゆえに、身近な人物に裏切られ、自己の基盤を崩された。
 先に、「小泉の自己崩壊」の可能性を述べた。この可能性は、小泉の気質からは、あまり起こりそうにない、と判断された。しかし、謀反(クーデター)は、非常に起こりやすい。しかも、成功しやすい。
 なぜか? 小泉のような性格の持主は、他人を信じやすいからだ。身近に裏切り者がまぎれこんでも、疑うことができない。相手の外面だけを見て、秘めた内面を推測できない。相手がイアーゴーのようにお追従を言えば、オセロのように単純に信じてしまいやすい。あげく、突然裏切られ、すべてを転覆されてしまう。
 その一例が、よく知られた「本能寺の変」だ。
 もう一つの例が、ゴルバチョフだ。彼が失脚したのは、彼の性格のせいである。実は、クーデターが起こる直前に、クーデターが起こる可能性(危険性)が高いことを、アメリカから強く警告された。(アメリカはそれを事前に探知していた。たぶん暗号を傍受したのだろう。)しかし、ゴルバチョフは、その警告を一笑に付した。「そんなことはありっこない。彼らがそんなことをするはずがない」と。そうして別荘で休暇を過ごした。計画は予定通り進行し、クーデターが起こって、ゴルバチョフは失脚した。
 ゴルバチョフの失脚は、当然、避けえた。しかし彼の性格が災いしたのである。彼がアメリカの警告を信じなかったのはなぜか? 身近な人間を信じすぎたからだ。彼がもし、もうちょっと人間不信の性格をもっていたら、アメリカの警告にも耳を貸して、対策を練って、失脚はしなかったはずなのだが。

 小泉が失脚する可能性は非常に高い。そのとき、裏切り者は、身近から現れるだろう。
 なお、細川の場合、引導を渡す人物は、彼の身近にあったようだ。最も信頼している側近・友人と、最も信頼している仲間の小沢がそうだったらしい。いずれも、「細川のため」を思って、進言したのだが、その結果、逆に、細川を崩壊させた。
 小泉の場合も、同じようになるかもしれない。「小泉のため」と思って、悪意なしに、引導を渡すかもしれない。その相手は、身近な人物だろう。たとえば、小泉の個人生活人生にもアドバイスする某氏とか、政界の先輩である四角顔の某氏とか。
 とにかく、悪意の有無にかかわらず、「最も信頼する人物が自分を破滅させる」というのが、歴史の示すところだ。小泉もそうなりかねない。そのことを、ここに予言しておきたい。

 小泉暗殺

 小泉政権が崩壊する、もう一つの可能性は、暗殺だ。これもまた、改革派の政権にとっては、崩壊の原因となる。
 歴史的な例は、もちろん、よく知られたように、ケネディがある。
 暗殺というのは、映画や小説じみていて、馬鹿げているだろうか? そう思うとしたら、その人は危機管理が出来ていない。そもそも、ケネディだって、そのときまでは、暗殺などとは誰も夢にも思わなかったのだ。夢にも思わなかったことが、あるとき突然、現実となったのだ。

 暗殺の可能性は、かなりある。特に、小泉のような改革派で、支持率が高い場合には。
 改革派は、必ず、旧体制にとって非常に邪魔で危険となるからだ。たとえば、ケネディは軍事産業にとって敵であった。日本でも、小泉は建設業などの敵である。これらの産業が小泉を排除したがるとしても、おかしくはない。
 ただ、邪魔な改革派がいるとしても、地下工作で排除するのが普通だ。たとえば、細川が建設業者にとって邪魔だとなったら、細川を排除するために、スキャンダルでも捜せばいい。そうやって支持率を下げていけば、やがては当人を政界から追放できる。
 しかし、当人が国民の圧倒的支持を受けている場合は、そうは行かない。スキャンダルを捜しても見つからないとなれば、排除するには、暴力的な手段に訴えるしかない。暗殺は必然。
 とにかく、改革を行なおうとする人物は、暗殺される可能性が非常に高いのだ。そのことを理解することが大切だ。
( ※ ネパールでも、改革派の国王が虐殺された。このようなとてつもない事件は、改革派のトップがいる国では、しばしば起こるものだ。)

 では、小泉は、どうするべきか? 
 まず、小泉自身だが、別に、どうするつもりもないだろう、と思う。たとえ暗殺される可能性が大きいとしても、本人はとっくに死ぬ覚悟はできていると思う。
 彼は(たぶん口には出さないが)自分のやることに命を賭けている。死ぬ気でやっている。これは比喩ではない。字義通りの意味だ。つまり、暗殺されることを、しっかり覚悟しているだろう。そして、暗殺されるまで、突っ走る気でいると思う。
 それはそれでいい、と思う。その意気でやってほしい。ひるむ気はあるまいし、それが小泉の美点なのだから。

 ただ、小泉は別に何もしなくてもいいとは思うが、警察は、何かをするべきだと思う。一国の総理がむざむざ暗殺されるのを、黙って見ているようでは、警察の紋章が泣くだろう。
 小泉が暗殺される可能性はかなりある。そのことを、小泉ではなく、警察に警告しておく。しっかりと対策を立ててもらいたい。これまでの要人警護と同じようにしていてはダメだ、そんなことでは暗殺は成功する、ということを、肝に銘じていてほしい。



《 余談 》
 小泉とゴルバチョフには、実は、かなりの共通点がある。次のように。
  • 体制内革新である。
  • 「改革」「ペレストロイカ」をキャッチフレーズにした。
  • 党内の抵抗勢力との対決に悩んだ。
  • 善人であり、かつ、自信家である。
  • 経済能力が非常に弱い。しかも、それに気づかない。
 さて、最終的には、どうなるか? 
 ゴルバチョフは国家を、自分の意図しないところに導いたが。……

[序章、終] 

※ 次は、《 第1章


「小泉の波立ち」
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